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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 国内

『 カイジ ファイナルゲーム 』 -ようこそ、底辺の世界へ-

Posted on 2020年1月15日 by cool-jupiter

カイジ ファイナルゲーム 55点
2020年1月15日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:藤原竜也 関水渚
監督:佐藤東弥

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原作はほとんど読んでいないが、映画されたカイジは2作とも観ている。比喩的な意味での地下世界と文字通りの意味での地下世界を融合させた独特の世界観は、本作でも健在である。

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あらすじ

2020年の東京五輪終了後、日本の景気は恐ろしく冷え込んだ。円の価値は暴落し、インフレが進行し、日本の産業は外資に次々と買われた。日本は、ごく一部の富裕層と大多数の貧民に分断されてしまった。派遣会社にピンはねを喰らいながら、カイジ(藤原竜也)は貧困の中で生きていた。ある時、多額の賞金もしくは秘密の情報が懸賞として得られる「バベルの塔」というゲームへの参加を促される。それは、日本という国家をも巻き込む壮絶なゲームへの入り口だった・・・

 

ポジティブ・サイド

もはや藤原竜也劇場である。独壇場である。底辺の似合う男とは言い得て妙である。Jovianは原作をほとんど読んでいないが、藤原竜也が漫画のカイジに似ていない(容姿や振る舞いetc)ことは直感で分かる。それでも、漫画のカイジというキャラクターを自らの演技でねじ伏せ、新たなカイジ像を作り上げたのは藤原の演技力の勝利として称えるべきである。

 

爽やかな優男という路線で行き詰っていた福士蒼太も、『 ザ・ファブル 』に続いて、まあまあ良い感じである。大義名分のために弱者を切り捨てることを厭わない姿勢に、今の日本の根本的な政治姿勢に通じる。財政健全化を謳いながら、道路や建設関連にカネをジャブジャブと使い、福祉の拡充を謳って消費増税を断行した直後に、高齢者医療費の自己負担比率の引き上げを検討する(Jovianはその政策自体には賛成であるが、現政権は言っていることとやっていることが違い過ぎるのが大問題である)など、口から出まかせもいいところである。虚偽と欺瞞に満ちた自分に陶酔する木っ端役人が実に似合っていた。福士は爽やか路線を中川大志に譲り、嫌味な奴、もしくはクズ路線を藤原竜也から受け継ぐべし。

 

日本社会全体を巻き込むスケールの壮大さは評価できる。カイジの世界(映画に限っては)について言えることは、クモの糸は常に垂らされているということ。その糸を奪い合うのか、順番に掴むのか。それとも全員が掴める方法を考えるのか。問われているのは、そこである。これは正解を選ぶという問題ではなく、自分の生き方を定義するということである。「こうするしかないんだ!」と絶叫する官僚=上級国民は、物事は白か黒か、正解か不正解かしかないという思考の陥穽に囚われている。「みんなで泥水をすするべきだ!」と力強く宣言するカイジは「みんなで貧困を分かち合うべきだ」と言っているわけではない。困っている人がいれば、手を差し伸べよう。情けは人のためならず。カイジはそう言っている。そして、それが原作者の福本伸行や監督の佐藤東弥のメッセージであろう。少々鼻につくメッセージではあるが、Jovianはこうしたストレートな社会的な主張を行うこと自体を評価したいと思っている。

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ネガティブ・サイド

『 カイジ 』シリーズを観たことがある者ならば、展開が容易に読める。というか、ちょっとしたミステリやサスペンスを見慣れていれば、中盤まではほとんど誰にでも分かるような展開である。愛人がいた。その愛人が子どもを産んだ。愛人は子どもを産んだ直後に死亡した。では、その子どもは?という疑問に思い至らないというのは考えづらい。

 

またストーリーの本筋(ゲーム/ギャンブル)と直接の関連がないので書いてしまうが、旧円を廃止して新円を発行するというトンデモなアイデアが出される。いや、そうしたアイデア自体は突拍子もないわけではない。本作は不景気がますます進行した近未来の日本を舞台にしているわけで、無能な政治家や官僚に打てる手は「徳政令」くらいだろう。本作では預金封鎖で庶民から接収したカネで国の借金をチャラにしてしまおうという気宇壮大なプランが描かれるが、これはリアリティが無さ過ぎる。第一に、減りつつあるとはいえ、日本のタンス預金は数百兆円と見積もられている。貧困が拡大した世界で、物語中のタンス預金がこの10分の1だとしても数十兆円。これらのカネが一気に新円と交換されれば、あっという間に円高となり、日本の生命線の輸出関連産業が吹っ飛ぶ。第二に、政治家や資産家が預金封鎖前に新円をしこたま仕入れておくというのもリアリティに乏しい。環境大臣・小泉進次郎の公開された資産が0円だったというのは記憶に新しいが、こういう連中はとっくにオフショアやタックスヘイヴンで資産を運用しているものなのである。劇中で総理大臣はじめ、有力政治家や資産家が新円の事前入手に血道を上げるのは不自然かつ不可解にも映る。まあ、金持ちの底なしの欲望を表しているのかもしれないが・・・

 

その欲深連中を映すカメラのアングルがおかしい場面がある。カイジ側が食い込んでいたのは造幣局であって、閣僚連中ではなかったはず。どう考えても閣僚・資産家の一人が撮影したとしか思えないショットが映る。これは普通に編集ミスだろう。

 

人間秤というゲームのルールにある3つのF、すなわちFRIEND、FIXER、FAMILYが最初に画面に映し出される時のFIXERの綴りがFIXARになっていた。2度目に表示された時は正しいFIXERになっていたが。この程度の英語はしっかり確認すべきだし、編集やCG作成作業時に誰も気付かなかったというのは、キツイ表現を使えば、恥ずべきことである。

 

関水渚のラッキーガールという設定は何だったのか。ゲームやギャンブルに絡む描写はほとんど無かった。もうちょっとマシな扱いをしてほしかった。また外野のザワザワもなかった。少しさびしいファイナルであった。

 

総評

過去作のキャストも一瞬だけ駆けつけたりしてくるので、いきなり本作を観るというのはお勧めできない。実質的なギャンブル勝負は2回だけなので、そこに物足りなさを感じる向きも多いかもしれないし、一部のキャラクターに仕込まれた設定の読みやすさは明白にマイナスである。しかし、一寸の虫にも五分の魂を感じさせる展開もあり、下剋上のカタルシスもある。シリーズに付き合ってきた人々も、カイジ/藤原竜也にお別れをするために、シリーズ未見の人は過去作をチェックした上で、劇場に向かわれたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

The price has gone up again!

「また値上がりしてやがる」というカイジの台詞の私訳。「上がる」というのは、だいたい go up で表現できる。血糖値や血圧、税率、仕事量、飛行機、風船など、上に行くものなら何でも go up でOKである。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, ミステリ, 日本, 監督:佐藤東弥, 藤原竜也, 配給会社:東宝, 関水渚Leave a Comment on 『 カイジ ファイナルゲーム 』 -ようこそ、底辺の世界へ-

『 シライサン 』 -可もあり不可もあるホラー-

Posted on 2020年1月12日 by cool-jupiter

シライサン 50点
2020年1月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:飯能まりえ 稲葉友
監督:安達寛高

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『 貞子 』が無残な駄作に堕ちてしまった2019年。2020年は、新たなジャパネスク・ホラーの勃興が期待される。そこへ本作である。結果としては、可もあり、不可もある作品であった。

 

あらすじ

瑞紀(飯豊まりえ)はレストランで食事中に、親友の眼球が破裂し、心不全を起こすというが不可解な死に方をするのを目撃してしまった。同じ大学の春男(稲葉友)の弟も、同じような死に方をしていたと知った二人は、調査に乗り出す。そこで分かったのは「シライサン」という名の女性にまつわる怪談だった・・・

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以下、マイルドなネタばれ記述あり

 

ポジティブ・サイド

日本には昔から、「だるまさんがころんだ」や、ゲーム『 スーパーマリオブラザーズ3 』以来おなじみの“テレサ”など、見ていれば近づいてこないという存在があった。しかし、それをホラー映画のネタにしようというのは斬新である。まさに、古い革袋に新しい酒である。この発想は、『 イット・フォローズ 』の、遠くからゆっくりと毎回違う姿で近づいてくる“それ”の突飛さや斬新さと並ぶと思う。

 

また、半陰半陽の貞子の後継者として、近親相姦の繰り返しの結果として誕生してきたと示唆されるシライサンの設定も悪くない。異様に大きな目というのも、遺伝子の異常で説明がつきそうだからである。またシライサンが、しゃなりとした身のこなしでチリンと鈴を鳴らすシーンはかなり怖かった。『 地獄少女 』でブレイクダンスを踊った変なハゲチャビン爺さんは、シライサンの爪の垢を煎じて飲むべきである。

 

「目をそらすな」というのは、慣れてしまえば簡単そうに思えるが、あの手この手で目をそらさせようというシライサンはなかなかに策士である。人間の心の隙や弱さというものをよく理解している。特に忍成修吾演じるライター間宮への責めは反則スレスレではないか。そして、クライマックスの春男への責めは反則ではないか。しかし、怪異というのは理不尽なものである。これで良いのである。

 

巻き込み型の怪談は、昔からの定番である。本作はイヤホン360上映のお知らせを開演前に行ってくれるが、その通知から『 シライサン 』の世界は始まっている。20世紀FOXが『 ターミネーター ニュー・フェイト 』などで見せたように、映画上映前から映画世界がスクリーンに展開されていく。単純な仕掛けであるが、このような工夫は歓迎したい。また、エンディング・クレジットも見逃してはならない。特に脚本家の名前に注目されたい。以上である。

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ネガティブ・サイド

様々な描写が中途半端である。シライサンが呪いの対象者を死に至らしめる過程が、特にそうである。目玉を抉りとって潰す様を全部映してしまうというスプラッタ路線で行くか、効果音や叫び声などを最小限に抑えて、観客の想像力を最大限に刺激するような心理的な細工を徹底する路線で行くか、何らかのポリシーを貫いてほしかった。死に方が怖いのではなく、シライサンの顔が不気味であるという怖さになってしまっていた。

 

またシライサンは一種のミームであると考えられるが、その呪いのルールを解明することにもっと時間を費やしてよかった。シライサンの呪いがどのように伝播するのかをもっと検証するべきだった。『 リング 』の怖さは“そのビデオを見たら一週間後に死ぬ”ということで、面白さはどんな“オマジナイ”でその死を回避できるかを探るということだった。同じく、シライサンに関しても、考察をもっと深めるべきだった。ミームとしてのシライサンをfidelity=忠実さ、fecundity=繁殖力、longevity=寿命の全て、またはいずれかの観点から分析するべきだった。例えば、シライサンの呪いの成立する為には、どの程度正確に怪談を語らなければならないのか、あるいは怪談の形式ではなくとも、話の筋さえ合っていれば良いのか、それともシライサンという怪異が存在するということだけを知ればよいのか、などの分析・考察に瑞紀と春男、そして間宮は奔走するべきだった。ホラーは、理詰めでどうにもならない部分と、理詰めでなんとかなる部分のバランスを、適切に配分することで生まれるからである。

 

そして、肝心のシライサン対策が忘れることだとは・・・ ご都合主義にもほどがある。また瑞紀の考え付くシライサン対策が、まんま『 トゥルース・オア・デア 殺人ゲーム 』 の対策と同じである。もっとオリジナルでユニークなアイデアが欲しかった。

 

最後に細かい指摘を三つだけ。

 

1.GoogleマップやGoogleアースを使え。

2.現役の大学生は「大学時代からの友人」とは言わない。

3.愛する人が死んでいいことが一つだけある話、必要か?

 

総評

貞子や伽椰子の後継者になれるかどうかは分からない。それは映画ファンは一般大衆が決めることである。だが、シライサンはジャパネスク・ホラーの歴史の一ページを刻んだことは間違いない。それなりに恐怖を感じさせるし、主演の二人も素人っぽさを醸し出す演技は、ホラーのテイストによく合っていた。ディープなホラー映画ファンには自信を持ってお勧めはできないが、カジュアルな映画ファンにはお勧めをしたい。カップルのデートムービーにも使えるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Don’t look away.

「目をそらさないで」の私訳である。Lookときたら、atかforというのが中高の英語の定石だろう。しかし、lookには様々な語がくっついて、その意味を豊かに膨らませる。Awayもその一つで、look away=目をそらす、である。『 デッドプール 』でデットプールが、エージェントをぶちのめす前にカメラに向かって、また最終決戦前に下着を脱ぐ前にネガソニックに、“Look away.”と言っていた。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ホラー, 日本, 監督:安達寛高, 稲葉友, 配給会社:松竹メディア事業部, 飯豊まりえLeave a Comment on 『 シライサン 』 -可もあり不可もあるホラー-

『 箱入り息子の恋 』 -細部とクライマックスに難あり-

Posted on 2020年1月11日 by cool-jupiter

箱入り息子の恋 50点
2020年1月10日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:星野源 夏帆
監督:市井昌秀

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劇場公開されたのは2013年の作品である。日本の少子化、それを加速させる要因の一つである未婚および晩婚化の傾向を描いているわけではないが、主役の星野源は、阿部寛とは全く異なる意味での『 結婚できない男 』の属性が付与されている。ただ、正しくは『 結婚の準備ができていない男 』というべきなのだろう。なかなかに面白いドラマであった。

 

あらすじ

天滴健太郎(星野源)は年齢=彼女いない歴の、うだつの上がらない市役所職員。そんな息子を見かねた両親は、代理見合いパーティーに出席し、今井夫妻の娘、菜穂子(夏帆)と健太郎の見合いをセッティングする。しかし、見合いの場で初めて分かったのだが、菜穂子は全盲だった・・・

 

ポジティブ・サイド

星野源が非常になよなよしている。これは褒め言葉である。無表情で、声も小さく、職務に精勤してはいても昇進は一度も無し。そして趣味は貯金。こうした属性に共感できる男性は実は多いのではないか。養老孟司が何かのエッセイで「しつけというのは、本来は不自然なもの。「 男の子に、『 男の子らしく外で遊べ 』と言うのは、そう言わないとインドア派に育つから。女の子に、『 女の子らしくおしとやかにしなさい 』と言うのは、そう言わないと活発に育つから 」と書いていたのを思い出した。つまり、星野源演じる健太郎は、ある意味ではとても自然な男の姿なのだ。甘やかされて育てられたという背景も臭わされるが、非常に現代的な日本男児の姿が見えた。本作はそんな健太郎のビルドゥングスロマンなのである。

 

男が変わる契機というのは、現実でもフィクションでも大体は女絡みと相場は決まっている。天滴という名字が牽強付会にも思えるが、健太郎と菜穂子の最初の出会いはそれなりに印象的だったし、二回目のお見合いも開始1分で修羅場に突入というテンポの良さ。当事者不在で火花を散らす親同士に、案外日本の少子化の原因の一つはこれなのかもしれない、などと考えた。つまり、親が子どもなのだ。親が幼稚なままなら、その子どもも、子どもは作らんわなと思う。

 

Back on track. 非モテの高齢童貞と全盲の美女との関係が徐々に発展していく過程は悪くなかった。一歩間違えれば『 タクシードライバー 』のトラヴィスのようなアホなデートになってしまってもおかしくないのだが、吉野家が絶妙なバランスの上で良い味を出している。テーブルの店でいきなり隣同士に座るのは難しいが、吉野家のようなカウンター席主体の店なら、隣同士に座れる。吉野家というのは殺伐とした、女子供はすっこんでいるべき場所のはずだが、菜穂子にはそんなものは関係ない。このロマンチックさのかけらもないデートがこの上なくロマンチックに映るのは、星野源のカッコ悪さと夏帆の飾らない可憐さのバランスが取れているからであろう。健太郎は菜穂子も、筋金入りの箱入りであるという意味では似た者同士なのである。この不器用な二人の歩みは、2020年代でも共感呼べることだろう。

 

ネガティブ・サイド

夏帆の盲目の演技は普通に良かったが、演出がそれをダメにしている。『 マスカレードホテル 』はヒントとしてそれを行っていたが、本作はうっかりだろう。もしくはそこまで考えていなかったか。全盲の菜穂子が夜にピアノを弾く時に、なぜ電気をつけているのか。普通はつけない。『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』でも『 見えない目撃者 』でも、全盲の人間は自分のプライベートな空間では、夜でも照明は必要としないのである。初めてのラブホテルの室内が暗かったので、余計に気になってしまった。

 

また、健太郎の趣味が格闘ゲームとカエルの飼育だけ、というのも気にかかった。というのも、あまりにも察しが良いからである。菜穂子は健太郎に「言葉にしてくれて嬉しい」と伝えた。対照的にするなら、菜穂子は言葉に出しづらいので態度や仕草、たとえば健太郎の手を取り、手のひらを自分のほほに置かせる、あるいは期するところありげに小さく舌なめずりをしてしまう(少しはしたないか・・・)、もしくは相手の胸に顔をうずめるでも何でもよい。もじもじした様子だけで朴念仁の健太郎が察するというのには違和感を覚えた。健太郎の趣味に映画鑑賞や小説を読むことなどがあれば、まだ納得しやすかったのだが。

 

また、韓国ドラマや韓国映画的な唐突な交通事故というのは、あまりにもクリシェである。しかも悪いのは菜穂子ではなく、どう考えても運転手だろう。大杉漣と黒木瞳の迫真の修羅場に水を指す、不自然極まりないイベントであった。

 

最終盤はギャグである。飼育槽から何とか脱出しようと試みるカエルは、まさに健太郎という“男性自身”である。だが、それなら何故、健太郎と菜穂子のまぐわいの在り方にまでこだわらないのか。メスに後ろから覆いかぶさるのがカエルのオスなのではないか。ドレープカーテンを使ったペッティングは、カエルではなくナメクジに見える。非常にシネマティックでロマンチックなシーンであるはずなのに、ただのギャグにしか見えない。演出が何もかも中途半端なのである。そして全盲の成人の部屋のベランダの柵がそんな落ちやすく作られているわけがない。菜穂子の父親はカネなら充分持っているはずだし、菜穂子の為に家のリフォーム代をケチるような男ではない筈だ。ベランダからの転落にはリアリティがまったく存在しない。無理やりで滅茶苦茶なまとめ方である。

 

総評

障がい者との付き合い方について一考を促される作品である。また、草食系などと呼称される男性や、その家庭の在り方などについても、まあまあ上手く描けているように思える。何よりも夏帆が可憐である。百戦錬磨の感じが出ていないのが新鮮である。細部のリアリティが色々と欠落しているが、全体的にはきれいにまとまった作品である。ラブシーンもあるが、高校生ぐらいからなら視聴しても問題ないだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

When A Man’s In Love

www.youtube.com

歌詞はここでどうぞ。

健太郎は表情にもジェスチャーにも乏しい男だが、男が恋をした時にはこの歌のようになるものである。健太郎も内面はそうだったはずだ。

以下は真面目なレッスン。

A special needs person / A person with special needs

本ブログでも「障害者」とは書かずに、「障がい者」と表記するようにしているが、英語でもhandicapped personやdisabled personとは最早言わない。A person with disabilities または a special needs person / a person with special needsという表現が一般的である。特別なケアを必要とする人、ぐらいに訳せるだろうか。れいわ新撰組によって、日本人の意識も変わってくるだろうか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ラブロマンス, 夏帆, 日本, 星野源, 監督:市井昌秀, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 箱入り息子の恋 』 -細部とクライマックスに難あり-

『 リバーズ・エッジ 』 -生の実感を得ようともがく青春群像劇-

Posted on 2020年1月3日 by cool-jupiter

リバーズ・エッジ 65点
2019年1月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:吉沢亮 二階堂ふみ 森川葵
監督:行定勲

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2018年に劇場で見逃してしまった作品。決して二階堂ふみのヌード目当てではない。『 チワワちゃん 』原作者の岡崎京子の作品であるということに惹かれたのである。

 

あらすじ

若草ハルナ(二階堂ふみ)は、いじめられっ子の山田一郎(吉沢亮)をひょんなことから助ける。そのお礼に山田の宝物である、川原の死体を見せてもらうことになる。そこから、闇を抱える高校生たちの物語は徐々に暗転し・・・

 

ポジティブ・サイド

『 ママレード・ボーイ 』、『 BLEACH  』、『 あのコの、トリコ。 』という、2018年の邦画20点トリオの全てに出演してしまった吉沢の、これはベスト(当時)である。吉沢のキャリアハイは『 キングダム 』だと思うが、本作はそれに次ぐパフォーマンスである。無表情で、ぶっきらぼうな口調で話す。そして基本的に他者と目を合わさない。そのことが終盤のあるカットで大きな効果をもたらす。

 

時折映し出される工場廃水や煙、オゾン層破壊のニュース、そして携帯電話が普及している気配がないところから、舞台は1990年代の半ばだろうか。当時の空気では、同性愛は個性ではなく疾患、障害(敢えてこの字を使う)、異常と考えられていたように思う。そして、いじめによって中学生がどんどんと自殺をしていた時代でもあった。TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン 』もこの頃だったか。本作に登場する若者達は皆、リビドーとデストルドーの狭間にたゆたう、とても儚い存在だ。そのことは随所に挿入されるドキュメンタリー風のインタビューで問われる、「生きていることの実感はあるか?」との問いに対する応答に、ぼんやりと表れている。「生きる」という行為もしくは状態は、心臓が動いているだとか呼吸をしているという生理現象とイコールではない。仕事で疲れ切っている時、ひとっ風呂した後のビールで「生き返ったような気分」になる、そういった体験が「生きる」ということである(高校生に飲酒を推奨しているわけではない、念のため)。その意味では、死体=宝物と認識する若者3人の奇妙な絆には、妙な説得力がある。

 

全編これ、キラキラとまばゆい青春映画とは全く違う、ドロドロのドラマの連続である。だが、それもまた青春の一つの形だろう。アスペクト比4:3の映像が、古さを思い起こさせる。ちょうどDVDレコーダーの出始めの頃、VHSをDVDに移したりしていたことを思い出した。エンディングのポエムのシーンはフルサイズである。つまり、生きづらさは過去だけではなく現在にもある、普遍的なサムシングなのですよというのが行定監督と岡崎京子のメッセージなのだろう。Jovianはその見解に賛成である。

 

ネガティブ・サイド

残念ながら主要な登場人物のほとんどが高校生に見えない。『 THE DUFF/ダメ・ガールが最高の彼女になる方法 』ではメイ・ホイットマンがアラサーにして女子高生を演じたが、彼女はかなりの幼児体型なのでそれなりに説得力があった。だが小山ルミを演じた土居志央梨に高校生を演じさせるのは無理がある。彼女は悪い役者ではないが、制服を着て学校にいるだけで、とてつもない異物感を放っている。もちろん、多様なセックスシーンやフェラチオシーンなどを未成年に演じさせるのは難しいだろうが、『 惡の華 』における秋田汐梨のような素材は探せば見つかったのではないだろうか。本作のテーマの一部は、セックスでしか陳腐な承認欲求を満たせない若者の存在である。だからといって、セックス描写に力を入れる必要はない。いかに薄っぺらいセックスをしているのかを伝えるだけで充分で、必ずしもそれを見せる必要はなかった。極端な話、脱ぐのは二階堂ふみだけで良かった。

 

また、その二階堂ふみは煙草を吸い過ぎである。いや、それは構わない。Jovianもかつては喫煙者だった。だが、一度高校生の時に自室のゴミ箱をかなり焦がしてしまい、父親にしこたま怒られた。当たり前である。それ以来、止めはしなかったものの、煙草が怖くなったものだ。そのため、煙草の火の不始末をしでかしたハルナが、煙草をポイ捨てしまくるのには、かなりの嫌悪感を抱いた。

 

総評

暗い青春を送った人にお勧めである。というのは冗談で、若者よりも、むしろ青年や壮年が我が身の青春を振り返ってあれこれ考えるのに適している気がする。雨の日の室内デートにはあまり向いていないので、高校生や大学生カップルは注意されたし。逆に1990年代に高校生だったという層には刺さるだろう。Jovianには一部チクリと刺さった。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You’re annoying.

一郎がガールフレンドの田島に「うるさいなあ!」と切れる時の言葉である。うるさい=noisyなどと短絡的に結び付けてはいけない。ここでは、うるさい=ウザい、である。そして、ウザい=annoyingである。Annoyingはかなり強い不快感を表明する言葉なので、使用する際には注意が必要である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, ヒューマンドラマ, 二階堂ふみ, 吉沢亮, 日本, 森川葵, 監督:行定勲, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 リバーズ・エッジ 』 -生の実感を得ようともがく青春群像劇-

2019年総括と2020年展望

Posted on 2019年12月31日2020年8月29日 by cool-jupiter

2019年総括

2019年は劇場、レンタルで約250本の映画を観たのか。この時間とカネを自分磨きに使っていれば・・・などと思っては負けである。今年は『 ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス 』や『 主戦場 』、『 サッドヒルを掘り返せ 』など、力のあるドキュメンタリー作品が多かったという印象を抱いている。またCGと実写の境界線が揺らいだという印象も強い。『 アリータ バトル・エンジェル 』や『 ライオンキング(2019) 』、『 ジェミニマン 』は映像の新世紀の幕開けを告げる作品だろう。

一方で、『 アベンジャーズ 』と『 スター・ウォーズ 』という二大シリーズが完結した年でもある。それが悲しむべきことなのか、喜ぶべきことなのかは、今のところよく分からない。確かなことは、義務感によって劇場に足を運ぶ人の数は減るだろうということ。Jovianは『 スター・ウォーズ 』は何回観ても苦にならないが、『 アベンジャーズ 』は一回でお腹いっぱいである。

邦画の世界は、相も変わらず漫画と小説の映画化に血道を上げている。それ自体は悪いことではない。問題は、それがメインストリームになってしまっていることだ。『 イソップの思うツボ 』と『 スペシャルアクターズ 』はもう一つだったが、上田慎一郎のような実験的な監督あるいはアプローチをする者が、もっと出てきてほしい。

それでは個人的な各賞の発表を。

 

2019年最優秀海外映画

『 存在のない子どもたち 』

2018年の『 判決、ふたつの希望 』に続いて2年続けてレバノン映画を選出させてもらった。テーマの鮮烈さ、それを切り取るドキュメンタリー的な技法、最後にようやく映し出される希望の笑顔。メッセージ性の強さでは群を抜いていた。

 

次点

『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』

海外映画というよりもグローバル映画と呼びたい。ゴジラという怪獣は日本が生んだ偉大なキャラクターという枠にとどまらず、地球規模で愛され消費されるコンテンツになったのである。『 ホテル・ムンバイ 』や『 クリード 炎の宿敵 』よりもこちらが上回ったのは、ただただJovianがゴジラ好きであるからに他ならない。

 

次々点

『 ジョーカー 』

悪を新しく定義しなおしたことが本作の最大の貢献だろう。狂っているのは自分なのか、社会なのか。世界中が本作に熱狂している/していたことの意味を、我々はよくよく考察すべきだろう。

 

2019年最優秀国内映画

『 翔んで埼玉 』

近年の邦画では突出した面白さ。それはギャグが面白いからではなく、その奥に鋭く社会を批評する精神を内包しているからである。2020年東京オリンピックでは、マラソンを札幌開催となることが強権的にIOCによって決定された。その際のメディアの矛先は、IOCではなく札幌に向かった。これが本社を東京に置く日本のメディアの正体である。東京をユーモラスに、しかし確実に批判している本作は、娯楽要素と社会派要素を高い次元で融合させた傑作である。

 

次点

『 アルキメデスの大戦 』

戦争を知らない世代が政治権力の中枢に居座り、国民を貧困に追いやり、国際情勢にも混乱をもたらしている。今という時代が戦争前夜であるとは思わないが、戦争前夜の様相を呈しているということは、多くの識者や高齢世代が異口同音に語ることでもある。Jovianは戦争映画は好きであるが、戦争は嫌いである。戦争をフィクションとして楽しめる時代の継続を望みたい。

 

次々点

『 主戦場 』

Jovianの母校の恩師は、「歴史とは虚構である」、「現実は多層である」との教えを叩きこんでくださった。歴史とは現在との遠近法の中で何度でも捉え直されるべきものであるし、現実とは一色で塗りつぶされるものでもない。本作を右派と左派の対立にフォーカスしていると感じる視聴者は、もう一度、ミキ・デザキの主張がどこにあるのかを考え直されたし。

 

2019年最優秀海外俳優

ホアキン・フェニックス

『 ドント・ウォーリー 』と『 ジョーカー 』 の二作の主演で間違いなし。というか、アーサー・フレックを演じた『 ジョーカー 』一作だけでも文句なし。

 

次点

シム・ウンギョン

『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』と『 新聞記者 』で日本人役を、少々舌足らずではあったが、見事に演じ切った。日本人も、ハリウッドを目指すだけではなく韓国、中国、タイ、ベトナムなどに進出をするべきだ。

 

次々点

フィリップ・ラショー 

『 シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション 』で残したインパクトは100トン級だった。

 

2019年最優秀国内俳優

成田凌

『 チワワちゃん 』、『 愛がなんだ 』、『 さよならくちびる 』、『 カツベン! 』の四作品出演で文句なし。『 カツベン! 』は映画として悪かっただけで、役者に責められるべきポイントは少なかった。

 

次点

吉沢亮 

『 キングダム 』 の秦王政、『 空の青さを知る人よ 』の慎之介の voice acting で、その確かな演技力を強烈に印象付けた。これまでは出演作のクオリティに恵まれなかったが、2019年は吉沢亮の年になったと言ってよいだろう。

 

次々点

松岡茉優 

『 バースデー・ワンダーランド 』、『 蜜蜂と遠雷 』、『 ひとよ 』 の三作品で選出に異論なし。

 

2019年最優秀海外監督

トッド・フィリップス

コメディ畑の監督が『 ジョーカー 』を成功に導いた。キャッチフレーズである”Put On A Happy Face” の真意は、コメディの何たるかを知る同監督ならではであろう。笑いの仮面をかぶるということは、心の中では泣いている、もしくは怒っているということである。そして、人を笑わせたいと願う男が、人に嘲笑われてしまう。病んでいるのは社会か、それとも己なのか。日本社会からいじめが減らない一つの背景に、「いじめ」と「いじり」が峻別されないという実情がある。職場や学校の人気者とされる人々は、本当に幸せ者か。彼ら彼女らは笑わせているのか、笑われているのか。そんなことを、ふと考えた。

 

次点

ノア・バームバック

『 マリッジ・ストーリー 』一作で文句なし。 芸術性と娯楽性の両方を同時に追求することができる稀有な手腕の持ち主である。

 

次々点

スティーブン・ケイプル・Jr.  

『 クリード 炎の宿敵 』 で文句なし。シルベスター・スタローンの新人監督のポテンシャルを嗅ぎつける嗅覚の鋭さには敬服するしかない。

 

2019年最優秀国内監督

真利子哲也

『 宮本から君へ 』 で現代人向けに強烈なメッセージを送ってきた。お前たちは真に生きているのか、と。本作は暴力を称揚しているわけでも容認しているわけでもない。ただ、男という生き物が力を正しく揮うのだとすれば、それは生存を賭けた闘争か、あるいはつがいの女のためであろう。本作は「漫画を映画化するのなら、これぐらいしてみろ!」という真利子監督の邦画界への一喝である。

 

次点

白石和彌 

『 ひとよ 』 で、家族という共同体の一面の真実を炙り出した。相手が憎いのは「好きでありたい」という気持ちの裏返しであり、相手をどうやって受け入れればいいのか分からないというのも「受け入れてやりたい」という気持ちが無ければ生まれてこない疑問である。家族という虚構の共同体の成り立ちに新たな光を当てたと言える。

 

次々点

石井裕也 

『 町田くんの世界 』 で、主演二人に新人を起用。それでも映画を佳作に仕上げ、なおかつ非現実的な展開も序盤の伏線でクリア。『 宮本から君へ 』の宮本に次いでカッコイイ男、町田くんを世に送り出した功績を称えたい。

 

海外クソ映画オブ・ザ・イヤー

『 ブライトバーン 恐怖の拡散者 』

これほどオリジナリティに欠けるクリシェ満載のホラー映画は貴重である。企画やストーリーボードの段階で、「これ、作ってもつまらないんじゃ・・・」とは誰も感じなかったのか。類似のテーマでもっと面白い作品を観たいという向きには邦画『 いぬやしき 』をお勧めしておく。

 

次点

『 ジェミニマン 』

ウィル・スミスには悪いのだが、点数ゆえにこの位置に来ざるを得ない。というか、IMDbとかRotten Tomatoesを頼りにつまらなそうな映画を事前にスクリーニングしすぎたのかな。もっと自分の直感を頼りに来年はチケットを買おう。

 

次々点

『 X-MEN:ダーク・フェニックス 』

豪勢な題材を豪勢なキャストで料理しようとして大失敗。いくら素材が良くても、味を決めるのは料理人たる監督であり、それを味わうお客たる視聴者である。

  

国内クソ映画オブ・ザ・イヤー

『 ニセコイ 』

厳密には2018年の作品なのだろうが、ストーリーの面でも映像芸術としての質の面でも、役者の演技面でも、邦画の最底辺だろう。河合勇人監督には捲土重来を期待する。

 

次点

『 二ノ国 』

『 ニセコイ 』との壮絶な一騎打ちに僅差で敗れた。だが、本作もまた邦画、そしてジャパニメーションの最底辺レベルの作品であることは疑いようもない。

 

次々点

『 貞子 』

ジャパネスク・ホラーの夜明けを告げた『 リング 』シリーズは、本作をもって水平線の向こうに沈んでしまった。再び輝きを放てるのは果たしていつの日か。

 

2020年展望

『 ゴジラVSコング 』の公開が2020年3月から2020年11月へ延期されたというのはショッキングなニュースだった。『 スター・ウォーズ 』の完結によってぽっかりと空いた心の隙間を埋めてもらおうと期待していたのだが。

楽しみなのは『 ハリエット 』。女モーゼとも呼ばれたハリエット・タブマンの映画である。彼女は2020年に米20ドル札の表面に載る。それも1920年の第19回憲法修正で女性に参政権が付与された100周年記念の一環として。職業柄、アメリカ近代史に関心のあるJovianは、本作が楽しみでならない。

私事ではあるが、今年で今の会社を辞めて別の会社へ移ることになった。いわゆる転職である。語学業界内での転職だが、職務は少し変わる。外国語、特に英語学習の需要は高まるばかりだが、通訳機や翻訳機のレベルが指数関数的に向上した時、この業界全体がどのような変化を迫られるのだろうか。上司にメールで退職の意を報告したのは『 ジョーカー 』を鑑賞した直後。何ともcinephileらしいではないか。

新年の抱負としては、2020年は10~20記事にひとつぐらいは日英両語で書くようにしたい。また、【英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー】への完全引っ越しも果たしたい。来年も良い年になりますように。

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Posted in 国内, 映画, 海外Tagged 2010年代Leave a Comment on 2019年総括と2020年展望

『 ギャングース 』 -半端者たちの中途半端な物語-

Posted on 2019年12月31日 by cool-jupiter

ギャングース 50点
2019年12月30日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:高杉真宙 渡辺大知 加藤諒 金子ノブアキ
監督:入江悠

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191231122028j:plain
 

東宝シネマズ梅田で昨年公開していたのを見逃したので、あらためてDVD鑑賞。日本の暗部を上手くエンターテインメント風にまとめてはいるが、最後の最後のショットは人によって好みや解釈が分かれるところだろう。それが入江監督の意図なのかもしれないが。

 

あらすじ

サイケ(高杉真宙)、カズキ(加藤諒)、タケオ(渡辺大知)は少年院上がりの3人組。まともに社会復帰ができない彼らは、半グレ集団からのタタキ(窃盗)を稼業にしていた。そして3人で3000万円を貯めて、正道に立ち返ることを目標にタタキに邁進していくが・・・

 

ポジティブ・サイド

若手俳優たちが躍動している。ヤクザ映画が時代と共に減産となり、入れ替わるかのように盃ごととは異なる次元のアンダーグラウンド世界を描く作品が映画や漫画、小説でも増えてきた。特に高杉真宙は『 君が君で君だ 』のクズ彼氏役が今一つだったが、『 見えない目撃者 』で悪ぶった10代を好演。そして本作でも少年院あがりの半端者をしっかり表現できていた。この調子で精進して第二の菅田将暉を目指すべし。

 

Jovianのお気に入り俳優である渡辺大知も光っていた。『 ここは退屈迎えに来て 』でも、子ども時代になかなか決着をつけられない半端な大人キャラ、さらにはLGBTQをも思わせる役を演じていたが、本作でも爽やかながらに前科者というギャップのあるキャラを、明るさあと腕っ節の両方で描出した。

 

だが何と言っても白眉は加藤諒だろう。三枚目キャラでありながらも最も重い因果を背負っているというギャップがたまらない。刹那的な生き方 ― それはつまり牛丼だ ― を追い求めるのは、一日を生きることにも苦労したことの裏返しである。犯罪を行うことに最も屈託がなさそうに見えるのは、それだけ普通の生活を送ってこなかったことの証明でもある。幸せになりたい、そして誰かを幸せにしてやりたいと心から素直に願えるのは、幸せの閾値が低いからである。それは不幸なことかもしれない。幸せな体験が少ないことを意味するから。一方で、それは幸せなことかもしれない。ありふれたことにも幸せを見出せるから。このカズキというキャラクターをどう捉えるかが、その人の心の豊かさ、または貧しさの度合いを測るリトマス試験紙になっている。そしてカズキは『 存在のない子供たち 』のゼインでもある。詳しくは作品を鑑賞されたし。ところで、このキャラの前科を描くシーンおよび家は『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』で鶴瓶が妻と間男を刺殺した家だろうか。家もそっくりに見えるし、殺人に至る流れもそっくりであり。

 

金子ノブアキの番頭ぶりも良い。番頭と言えば漫画『 魔風が吹く 』が思い出されるが、金子も負けていない。オレオレ詐欺の前に従業員に対してmotivational speechを行う様は圧巻である。チンピラ的な役が多かったが、年齢相応に存在感やカリスマ性も増してきた。ピエール瀧の後釜を本気で狙ってほしいと思う。

 

MIYAVIも悪くなかった。『 BLEACH 』では信じられないほどの大根演技を披露したが、本作では喋りだけではなく格闘アクションも披露。『 影踏み 』の山崎まさよしのように音楽と演技の二足のわらじを履き続けられるかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

事実を取材したというが、リアリティの欠如も多い。半グレの借りている貸倉庫を急襲してタタキを行うのは分かる。半グレは警察に被害届を出すことをためらうからだ。だが、鍵を壊された貸倉庫の業者はためらうことなく被害届を提出するだろう。それとも貸倉庫自体が半グレの経営によるものなのか?そのような描写はなかった。

 

また、今日のメシ代にも困る奴らがクルマを乗り回していることにも違和感を覚えた。ガソリン代はどうやって捻出している?そもそも免許を持っているのか?車検などをしっかりクリアできている車両なのか?車両保険はどうなっている?いままで一度も検問や職質にひっかからなかったとでも言うのか?

 

六龍天が本当に口にするのもはばかられるほどヤバい組織であるという設定はよい。だが、そのトップが腕っぷしで勝負するタイプというのはどうなのだ?ヤクザなら銃やドスを普通に持っている。自分自身が武装していなくても、取り巻きが短刀やスタンガンなどの武器を携帯していないのは不自然極まりない描写に感じられた。

 

本作の裏テーマは、「家族とは何か」である。『 万引き家族 』を観るまでもなく、血のつながりは濃いものであるが、血のつながりよりも濃いものもあるのである。それは『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』のテーマでもあった。カズキは疑似的な妹ができるのだが、彼女を引き取ろうという気概はないのか。家族とは作り上げるもの、そしてどんな形であれ最終的には離散するものでもある。子どもとは巣立ちしてナンボなのである。少年院を出たということは少年だったということである。だが、いつまでも少年ではいられない。この3人組は友情を確かめつつも、成長と独立を志向すべきだった。それこそが本当の意味のカタルシスにつながる。エンディングのショットは解釈が割れるだろう。幸せは平々凡々な瞬間に存在するという意味にも受け取れるし、他人の幸せに関心を払う人間など現代には存在しないという風にも受け取れるからである。Jovianは前者の説を取りたい。何故なら、それこそが全編をかけて本作が追い求めてきた真実だからである。だからこそ入江監督には、曖昧な映像ではなく、しっかりとした意図が込められた画で最後を締めて欲しかった。

 

総評

半グレは残念ながら日本社会に根を張ってしまった。そうした半グレを逆に狙う少年たちの物語は、それだけで痛快である。同時にそうした世界に足を踏み入れてしまうことのリスクも一応描かれている。そして、幸せとは何かを考えるきっかけにもなる本作は、中高生の教育用に案外向いているのかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Let us do this heist!

タタキという言葉は完全にジャパニーズ・スラングである。だが、英語では強盗・窃盗はheistという。「このタタキ、やらせて頂きます!」も上の英文でOK。ちなみにheistという単語は傑作映画『 ベイビー・ドライバー 』で頻出する。動詞の選択に迷った時はdoでOKである。

do a presentation   プレゼンをする

do a movie review   映画のレビューを行う

do some cooking   料理をする

do some laundry   洗濯をする

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, D Rank, クライムドラマ, 加藤諒, 日本, 渡辺大知, 監督:入江悠, 配給会社:キノフィルムズ, 金子ノブアキ, 高杉真宙Leave a Comment on 『 ギャングース 』 -半端者たちの中途半端な物語-

『 ぼくらの7日間戦争 』 -前作には及ばない続編-

Posted on 2019年12月31日2020年4月20日 by cool-jupiter

ぼくらの7日間戦争 50点
2019年12月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:宮沢りえ 北村匠海 芳根京子
監督:村野佑太

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191231033845j:plain

 

『 ぼくらの七日間戦争 』の30年後を描いている。まるで『 スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還 』と『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』のようである。だが、前作が持っていたスピリットは弱められてしまっていた。

 

あらすじ

鈴原守(北村匠海)は歴史好きの内向的な高校生。隣に住む千代野綾(芳根京子)に密かな恋心を抱いていた。夏休み直前、綾が突然引っ越しすることになる。そんな綾に守は逃避行を提案する。なんだかんだで一週間の家でキャンプを張ることになった綾は、他にもメンバーを集め、旧石炭採掘工場に集まり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191231033914j:plain

 

ポジティブ・サイド

本作は「大人とは何か」という問いに一つの興味深い回答を提示している。これは、いわゆる就職氷河期やゆとり世代に対して当てはまることなのかもしれない。というのも、この世代のサラリーマン(正規であれ非正規であれ)は、平成を通り越して昭和の残り香が漂う職場で、新世代たちとしのぎを削っているからである。自分たちに決定権はない。全ては上に従うばかり。しかし、時代、そして次代の突き上げは確実に迫っており、どうすべきか途方に暮れている。そんな世代の悲哀が透けて見える。王道楽土に連れて行ってくれると信じられるような上の世代が存在しない。そんな作り手たちの思いと、そんな奴らはぶっ潰せという気概の両方が感じられる。これはアラフォーに向けてのエールである。

 

「戦争」という物騒な単語を使うことの意味も認められた。戦争とは、国と国の争いである。つまり、異なる民族の戦いである。そして日本ほど異物を排除する論理および仕組みが強烈に働く文化圏は少ない。とあるキャラクターを通して、本作は日本社会の均質性や人権意識の希薄さを撃つ。これは爽快である。『 国家が破産する日 』で描かれた韓国社会に押し付けられた性急な構造改革は、日本の20年先を行っていた。今、日本と韓国の政治・経済摩擦以外で何が起きているのか。ベトナム人移民労働者の奪い合いである。そして、今後確実に激化するのはフィリピン人花嫁の輸入(何という表現だろうか)である。本作は、北海道の片田舎を通して、確かに日本社会の縮図を描いた。これは褒められるべきであろう。

 

たいしたネタばれではないと判断して書いてしまうが、TM NETWORKの“Seven Days War”は良いタイミングでplaybackされるので期待してよい。

 

ネガティブ・サイド

アニメーション映画にそれほど造詣が深いわけでもなく、外国映画も基本的にすべて字幕派のJovianにとって、一部のキャラクター達の声がとにかくキャンキャンうるさかった。特に女子連中の、まるで何かに媚びるような甲高い声というのは、一体どういった層に訴える効果があるのだろうか。

 

中盤の対大人撃退作戦のテンポが良くない。『 ぼくらの七日間戦争 』は、荒唐無稽ではあるが、スピード感あるカメラワークと演出でそこを巧みにごまかした。本作では、肝心のアクションシーンがもっさりしてしまっている。致命的とは言わないまでも、面白さをマイナスしてしまっていることは否めない。

 

現代的なガジェットも効果的に使用されたとは言い難い。炭鉱から熱気球によって脱出というのは、確かに我々世代には『 ドラゴンクエストIV 導かれし者たち 』を思い起こさせるが、現実に実行したとしてもヘリコプターやドローンに追跡されてオシマイではないか。またはあれだけ目立つものであれば、警察その他のネットワークでいとも簡単に捕捉されてしまうはずだ。どうやって無事に逃げ切った?

 

『 ぼくらの七日間戦争 』にあった体制への不満という要素が消え、非常に私的な領域で物語が進むようになった。それはそれで良いのだが、あまりにも個々のキャラクターの背景描写が弱いために、クライマックスの展開がとってつけたような皮相なものにしか映らない。各キャラクターに、ある意味では現代的なメッセージを託してはいるが、それがどうにもご都合主義に見える。唯一、綾と荘馬というキャラに伏線が二つ張られていたのみで、他キャラの背景は完全に後出しジャンケンである。それではカタルシスは生まれない。少なくとも、すれっからしの中年映画ファンには。そして、中年映画ファンこそ、本作がアピールすべきデモグラフィックであるはずだ。本作が企画され、製作され、公開されたのは、Jovianの同世代がクリエイティブな現場での主力になってきたからであろう。であるならば、若年世代だけではなく、中年世代にも刺さるストーリーを志向すべきである。そしてそれは、日本社会に蔓延する“空気”を晴らすような物語であるべきだ。

 

総評

『 ぼくら 』シリーズの精神を現代に蘇らせているとは言い難い。それでも、ジュブナイル物として観れば、平均的な仕上がりになっている。逆に本作を鑑賞してから『 ぼくらの七日間戦争 』を観るというのもありだろう。昭和と令和の“空気”の違いを如実に感じ取れることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

How long have you been in love?

劇中で守のチャット相手のジジババが「いつから懸想しておった?」と尋ねてきたときの台詞である。自分の高校生、大学生の教え子たちは「懸想=けそう」という日本語を知っているだろうかとあらぬことも考えた。be in loveで、「恋をしている」の意である。B’zも“I’m in love?”と歌っているし、『 ベイビー・ドライバー 』でもケビン・スペイシーが“I was in love once.”と語っていた。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, アドベンチャー, アニメ, 北村匠海, 宮沢りえ, 日本, 監督:村野佑太, 芳根京子, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 ぼくらの7日間戦争 』 -前作には及ばない続編-

『 ぼくらの七日間戦争 』 -昭和の空気漂う青春賛歌-

Posted on 2019年12月27日 by cool-jupiter

ぼくらの七日間戦争 65点
2019年12月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:宮沢りえ 笹野高史 大地康雄 佐野史郎 賀来千香子
監督:菅原比呂志

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30年ぶりの続編というか、地続き世界の物語が公開されている。鑑賞前にオリジナルを見返しておきたいと思い、近所のTSUTAYAで借りてきた。Jovianも嫁さんも、若い頃は宗田理の本は何冊も読んでいた。今回あらためて夫婦で鑑賞し、色々と感じるところがあった。

 

あらすじ

青葉中学の男子生徒菊池ら8人が集団エスケープした。横暴な学校教師や親への反発からだった。彼らは大蔵省管轄下の廃工場で密かに暮らし始めた。そこへ学級委員のひとみ(宮沢りえ)たちも加わり、共同生活は11人に。だが、居場所を嗅ぎつけた教師たちが廃工場にやって来て・・・

 

ポジティブ・サイド

確か劇場でリアルタイムに観るのではなく小学校6年生ぐらいに当時の友人宅のVHSで観た。その友人が本作を好きで、確か彼の家で3回ぐらい観たことを覚えているし、小室サウンドのある意味で原型とも言えるTM NETWORKの“SEVEN DAYS WAR”は、同級生たちの何人もがカセットテープを持っていた。二十数年ぶりに見返したが、まるでタイムマシーンのような作品である。なにしろ冒頭が、宮沢りえが閉まる校門にギリギリセーフで駆けこむシーンなのだから。『 ニセコイ 』で酷評させてもらった閉まる校門のシーンは今考えても論外中の論外だが、本作は実際の校門圧死事件よりも前なのだから。

 

魅力の第一は、宮沢りえだろう。はっきり言って、荒削りもいいところの演技だが、それでも同時代、同世代の榎本加奈子のドラマ『 家なき子 』での大根役者っぷりに比べれば、遥かに高く評価できる。

 

意外なところで笹野高史も印象的だ。『 岸和田少年愚連隊 』で教師役だったが、1980年代に既に今の好々爺の面影が相当に濃い。その一方で佐野史郎は「若返りの泉」の場所でも知っているのだろうか。冬彦さんよりも前の作品である本作では理不尽な教師役を好演。確かにJovianの行った小学校や中学校にも、こういう嫌な大人は存在していた。そして対照的に健康的な色気(色香でも艶でもなく色気)を放つ賀来千香子。テレビドラマ『 ずっとあなたが好きだった 』の冬彦さん同様に、こちらも老化スピードが極端に遅いのか。本当に30年という時が経過しているのだろうか。

 

その賀来千香子にも怒声を放つ大地康雄。本作では、理不尽、暴力的、権威的、頑固一徹、それでいて窮地に陥ると弱いという、まさに日本のダメおやじのネガティブ要素を凝縮したかのようなキャラクターで、観る者を大いに憤らせ、また笑わせてくれる。彼の最終的なコスチュームは、津山三十人殺しの都井睦雄を思わせる出で立ちである。ビデオで何度目かの鑑賞をした後、テレビドラマの『 お父さんは心配症 』を観て、そのキャラクターの落差にびっくりしたことを覚えている。大地康雄は順調に老けていて何故か安心する。

 

倉田保昭演じるジャージの体育教師もどこか懐かしい存在だ。漫画『 ろくでなしBLUES 』の竹原みたいな教師(こちらの方が後発だが)そっくりで、菊池ら男子を蹴散らしていく様は痛快であり滑稽であり、非常に腹立たしくもある。今は体罰がすぐに通報される良い時代である。昔は体育の授業のサッカーやバスケ、ひどい時には柔道の時間に、気に入らない生徒に指導と称した折檻をする教師がいた。中学生たちも反抗したくなろうというものだ。

 

教師や機動隊とのバトルはアクションにしてコメディである。爽快にして笑いの坪も心得ている。教師を追い返すことはできたとしても、機動隊を追い返すのは不可能だろう。『 警察密着24時 』で、全国の祭りに装束で現れる愚連隊数十人を、警棒、盾、ヘルメットその他で装備した同人数程度の機動隊が一瞬で制圧していくのを見たことがある人も多いだろう。爆竹やタイヤでパニックに陥る機動隊員など、リアリティ欠如も甚だしい。だが、そこを巧みなカメラワークと各種ガジェット、そしてコメディタッチの活劇でごまかしきった菅原監督の手腕は認めなければならない。そして、一切何も解決していないが、全てに意味があり、全てが報われたかのように錯覚させる圧倒的にシネマティックなクライマックス。『 グーニーズ 』や『 スタンド・バイ・ミー 』と並んで、Jovian少年の心に与えたインパクトは大だった。

 

ネガティブ・サイド

全体的に演技者のレベルが低すぎる。特に子役連中は、宮沢りえを含めて、基本的な発声や表情の作り方の練習が不足していることがすぐに分かる。その証拠は、彼ら彼女が現代まで生き残っていないからである。

 

また原作と大いに異なる「戦争」シーンは賛否両論あるべきだろう。菅原監督はコメディ色とアクション色を絶妙に配合したが、「ぼくらシリーズ」の骨子である“子どもが大人に挑む”のではなく、子どもが大人をからかう、もしくは翻弄するように見えてしまうのはマイナスだろう。七日間戦争はどう見ても全共闘のミニチュア版で、そのことは校長の「これは国家を揺るがす事態です!」という台詞に端的に表れている。つまり、『 主戦場 』と同じく“思想戦”のパロディもしくはコメディ化なのである。戦争シーンのアクションは痛快ではあるが、大人の醜さ、汚さ、酷さを子どもが大人にそのまま見せつけるというプロットを本作は映像化できなかった。だからこそ、わけのわからんパワーのあるエンディングで押し切ったのだろう。その判断は正しい。しかし、30年後に見返した時に粗が見えてくることも否めない。つまり、時代の空気を醸し出すことはできても、時代の課題や問題意識までもが反映できているわけではない。そのあたりが、友情の普遍性にフォーカスした『 スタンド・バイ・ミー 』などの古典的な作品に比べて劣ると言わざるを得ない。

 

総評

2019年時点の小学校高学年や中学生が観ると、どのような感想を抱くのだろうか。理不尽さとバイオレンスで、途中で観るのをやめてしまうような気がする。だからこそ、アニメーションにして続編を作るのだろう。そして、「ぼくらシリーズ」の持っていた一種の反骨心を現代風に味付けし直すのだろう。本作は懐古趣味をくすぐる出来であったが、さすがに不惑になって観ると粗が目立つ。だが、復習鑑賞してみる価値も色々と見出せた。まずは既に公開されている続編アニメを観に行くのが楽しみになったという意味では、良い作品なのだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Let’s talk it out.

佐野史郎が言う「話し合おうじゃないか」の私訳。基本的にtalkとくれば、

talk about ~   ~について話す

talk to / with ~   ~と話す(会話する)

だが、

talk it out = 話し合いで結論を出す、話し合いで決着をつける、不満や納得いかないことについて語り合う

という使い方をすることもある。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1980年代, C Rank, アドベンチャー, 佐野史郎, 大地康雄, 宮沢りえ, 日本, 監督:菅原比呂志, 笹野高史, 賀来千香子, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 ぼくらの七日間戦争 』 -昭和の空気漂う青春賛歌-

『 カツベン! 』 -リアリティの欠落した駄目コメディ-

Posted on 2019年12月23日2020年9月26日 by cool-jupiter

カツベン! 30点
2019年12月22日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:成田凌 黒島結菜 永瀬正敏 高良健吾
監督:周防正行

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成田凌は個人的にかなり買っている。出演作の多さとパフォーマンスの高さから、2018年の国内最優秀俳優の候補にも考えていた。本作ではどうか。素晴らしい演技だった。しかし作品としてはダメダメである。

 

あらすじ

時は大正。染谷俊太郎と栗原梅子は、活動写真館に潜り込んでは活動写真を楽しんでいた。しかし、俊太郎はキャラメルを万引きしたことで捕まってしまう。時は流れ、俊太郎(成田凌)は泥棒一味の中でニセ活動弁士になっていた。アクシデントからカネと共に足抜けを果たした俊太郎は、正道に立ち返るべく、青木館という活動写真館に住みこみで働き始めるが・・・

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ポジティブ・サイド

今年の夏、大阪でJAZZ講談を聞いた時、玉田玉秀斎氏の話芸に驚嘆した。日本には数百年にわたる噺の伝統があり、それが外来の活動写真と結びついたのは必然であったとも言える。そこに周防監督が目を付けたのには、おそらく2つの事由がある。

 

一つには、映画と人々との関わりの変化である。『 アバター 』あたりから少しずつ、しかし本格的に興隆し始めた3D映像体験、IMAXやドルビーシネマといった映像や音響技術の進歩、さらに4DXやMX4Dといった視覚や聴覚以外の感覚にも訴える映画体験技術の導入と普及、さらにイヤホン360上映など、映画館や劇場という場所でしか提供できない価値が生み出されている。ケーブルテレビやネット配信など、映画と人々との距離や関わり方は過去10年で劇的に変化した。今一度、映画の原点を振り返ろう、そして日本の映画が世界的にも実は相当にユニークなものであったという歴史的事実を再確認しようという機運が、映画人たちの中で盛り上がったことは想像に難くない。

 

もう一つには、技術の進歩によって仕事を奪われることになる人間の悲哀の問題である。歴史的な事件としてのラダイト運動や、映画『 トランセンデンス 』のような科学者襲撃事件が起こる可能性は高いと思っている。AIが将棋や囲碁のプロを完全に上回り、レントゲンなどの画像の読影でも専門医を凌駕するようになった。今後10年、20年で消える職業も定期的なニュースになっている。また、RPAにより定型的な事務作業のほとんどが代替される時代も目前である。活動弁士だけではなく、映写技師や楽師といった職業がかつて存在し、映画という媒体の黎明期を支えていたという事実を顕彰することには意義がある。そこになにがしかのヒントを見出すことが、現代人にもできるはずである。

 

成田凌は2018年から2019年にかけて最も伸びた俳優の一人である。それを支える永瀬正敏や音尾琢真は(最後の最後を除いて)素晴らしい仕事をしたと思う。ポジティブな面は以上である。

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ネガティブ・サイド

本作は『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』と同じく、一部の役者の演技力に頼るばかりで、プロットの面白さや細部のリアリティが突きつめられていない。非常に残念な出来である。

 

まず、関西人以外が作った、あるいは関西人以外が演じた役者の関西弁というのは、どうしてこれほど下手くそなのか。下手くそという表現が過激ならば、稚拙と言おう。大俳優の小日向文世にして「 血ぃは争えんな 」を「 地位は争えんな 」と発話してしまっている。関西弁は一文字語をしばしば伸ばして発音する。「 目 」は「 目ぇ 」、「 手 」は「 手ぇ 」、「 胃 」は「 胃ぃ 」、「 蚊 」は「 蚊ぁ 」となる。この時、抑揚はつかない。語尾に来る小文字の音程は前音のままとなるのが絶対的ルールである。関西以外の人はテレビなどで関西人の喋りに耳を傾けて頂くか、あるいは身近な関西出身者に尋ねてみて頂きたい。

 

また、最終盤で音尾琢真もやらかしている。ネタばれにならないと思うので書いてしまうが、「 手間かけやがって! 」という謎の日本語を吐く。文脈によってはこれも正しくなるだろう。たとえばお弁当箱を開けてみると、非常に凝った食事が入っていた時などは、弁当の作り手に感謝をこめて「 手間かけやがって 」と言うことはありうる。しかし、この場面は違う。正しい日本語は「 手間取らせやがって! 」か「 手間かけさせやがって! 」である。脚本段階のミスか?それとも、撮影段階に気付かなかった監督はじめスタッフのミスである。『 旅猫リポート 』でも不可思議な日本語があったが、邦画の世界にまで日本語の乱れが広がっているのだろうか。憂うべきことである。

 

大正時代の雰囲気を出そうと頑張っているのは分かるが、細部にリアリティが宿っていない。まず街が清潔すぎる。舗装されていない往来を人や自転車や大八車や自動車が行き交えば土ぼこりも舞う。しかし建物や看板がどれもこれもあまりにもきれいすぎる。作り物感がありありである。また、ネタばれにならない程度に書くが、当時の火消しや官憲がまったくの無能のように描かれているのは、いったい何なのか。現代の官憲の無能さを遠回しに揶揄する意図があるわけでもなさそうであるし、火消し=消防に周防監督はいったい何の不満があるというのか。

 

本作はコメディに分類されるべきなのだろうが、ギャグやユーモアに笑えるところが本当に少ない。タンス攻撃の応酬のいったいどこを笑えというのか。こういうのは吉本新喜劇の舞台のように、やりあう二者が同時に目に入ってこそ面白いのである。一回ごとにカットして場面転換しては面白さが激減してしまう。しかも、くどい。笑いというのは一瞬で喚起されるべきもので、何度も何度も同じことを繰り返して笑わせる手法というのは、故・島木譲二以外が使ってはいけないのである。

 

キャラクター造形もおかしい。俊太郎が活動写真の撮影に割り込むのは、子どものすることなので許せないこともない。しかし、万引きはれっきとした犯罪で、長じてから泥棒一味に加わることに違和感はない。問題は、「自分は騙されたのだ」という俊太郎の被害者意識である。『 ひとよ 』の斎藤洋介の言を借りるまでもなく、万引きは小売業の天敵である。俊太郎の幼少期の万引き常習者という背景は不要である。普通に梅子が引っ越していく。俊太郎はその後、騙されて泥棒の片棒を担がされる。どうしてこのような流れにならなかったのか。これで充分に納得できるはずだし、カネを奪って逃げたのも咄嗟のことで魔が差してしまったで説明できるはずだ。小さな頃から泥棒というのは、キャラクターの高感度を著しく下げるだけで、逆効果である。

 

クライマックスのカメラワークにも不満が残る。活動写真ではなく弁士や楽士のアップをひたすら映す意図がよくわからない。時代に翻弄された職業人たちであるが、これはドキュメンタリーや伝記ではないだろう。映すべきは彼らの仕事=彼らの遺産たる活動写真とそれを鑑賞、堪能する観衆たちとの一体感ではないのか。個々人の顔面を延々と映し出すことに芸術的な意味も娯楽的な意味も見出せない。本当に訳が分からないクライマックスである。

 

総評

『 それでもボクはやってない 』はまぐれだったのか。周防監督の手腕を疑問視せざるを得ない。成田凌のファンでなければ、チケット代と2時間をつぎ込む価値は認められない。時代の転換点に映画はどうあるべきかを考えるきっかけを与えてくれはするものの、それに対して一定の答えを出しているわけでもない。残念ながら駄作と評価せざるを得ない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Let me do it.

俊太郎の言う「俺にやらせてください」の英訳である。Let は「させてやる」の意で、ビートルズの名曲“Let it be”やアナ雪主題歌“Let it go”でもお馴染みである。また『 ロケットマン 』でも“Don’t Let The Sun Go Down”が使われていた。つまり、よく使われる動詞ということである。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, コメディ, 成田凌, 日本, 永瀬正敏, 監督:周防正行, 配給会社:東映, 高良健吾, 黒島結菜Leave a Comment on 『 カツベン! 』 -リアリティの欠落した駄目コメディ-

『 殺さない彼と死なない彼女 』 -死なないでいる理由がそこにある-

Posted on 2019年12月20日2020年4月20日 by cool-jupiter

殺さない彼と死なない彼女 70点
2019年12月19日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:間宮祥太朗 桜井日奈子 恒松祐里
監督:小林啓一

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鷲田清一みたいな感想を持ってしまったが、確かに本作では、各キャラクター達が死なないでいる理由を追い求めていく。プロットにもちょっとした仕掛けもある。若者から中年まで幅広い層が劇場に足を運び、なかなかの入りだった。終盤ではかしこですすり泣きが聞こえた。この作品で泣けるのは、間違いなく若者である。そして、それは良いことだ。

 

あらすじ

留年高校生の小坂れい(間宮祥太朗)は、ふとしたことからリストカット常習者の鹿野なな(桜井日奈子)に興味を持つ。「殺すぞ」、「死ね」、そんな言葉を掛け合う二人だったが、いつしか二人の時間がとても愛おしいものになっていき・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191220002207j:plain

 

ポジティブ・サイド

原作者の世紀末は、角川文庫から出ている『 死なないでいる理由 』(著者:鷲田清一)を読んだのだろうか。それとも、人間の生と死を考察していくと、誰でもこのような思考にたどり着くものなのだろうか。哲学的に非常に深い問いの答えを、高校生たちの不器用な友情や恋愛未満といった関係を描写することで呈示しようとしている。小林啓一監督はかなりの手練れである。

 

「殺すぞ」だとか「死ね」といった過激な言葉を使ったことのない者はいないだろう。軽口のつもりで言うことがほとんどだろうし、本気で言ってしまったこともあるだろう。ただ、我々がこのような攻撃的な言辞を弄する時、ほとんどの場合は本気ではない。職場の上司や同僚がむかつく、だから「死ね」と思うことはあっても、本当に死んでほしいと心から願っているわけではない。むしろ、近しい関係だからこそ、そのような言葉を使うことができるという見方も可能である。一方で、我々はニュースで凶悪犯罪が報じられたりすると、「こんなことをする奴は死刑だ!」などと簡単に他者の死を願う。劇中でも触れられるが、遠くの人間の死、数の多過ぎる死は、我々にとって意味を成さない。「今、この瞬間にも飢えで亡くなる人がいるのです」と言われても、ピンとこない。鹿野ななは、そこに想いを馳せることができる貴重な人間である。そんな鹿野に興味を持てるれいもとても人間味にあふれた人間である。

 

本作の登場人物たちは、びっくりするほどテキストによるコミュニケーションを行わない。つまり、LINEやメールをしないのだ。「こいつら、本当に高校生か?」と思わされるが、それもまた小林監督の計算である。彼は東浩紀の『 郵便的不安たち 』を読んでいる。間違いない。携帯、さらにスマホによりコミュニケーション手段はより確実に、より強固になった。にも関わらず、我々は未読や既読スルーに悩まされるようになった。コミュニケーションが郵便的なのだ。手紙が届いたのかどうか、その不安により強く悩まされているわけだ。対面での、声によるコミュニケーションに徹底的にこだわっているのが本作の特徴である。

 

カメラワークも多くを語っている。ロングのワンカットがこれほど多用されている邦画は珍しい。特に桜井と間宮は、何かを食べているシーンばかりなので、NG → リテイクを繰り返せば、確実にカロリーオーバーだっただろう。また、キャラクターたちが一人の時は後ろから、二人の時は前から撮るというポリシーが、ほぼ全編を通じて貫かれている。一人の時は誰かを求めて前に進む。二人の時には、その後ろの道、つまり共に歩んできた時間が見える。そう言っているかのようである。

 

本作はオムニバス形式で進んでいく。きゃぴ子と地味子の女の友情、撫子と八千代の一方通行の恋が、それぞれに思わぬ形で「彼」と「彼女」の物語と関わりを持っている。人と人が関わること、その意義をこれほどまでに陳腐な手法で、これほどまでに深く、鋭くえぐり出した作品はちょっと思いつかない。2019年の邦画の中でも白眉の一つである。

 

ネガティブ・サイド

間宮祥太朗の演技に悪いところは見当たらないが、キャスティングにかなり無理がある。留年しているという設定にしても、高校生は無理がある。彼は悪い役者ではないが、本作では少々苦しかった。

 

八千代のキャラクターがイマイチだ。演じるゆうたろう自身も『 3D彼女 リアルガール 』と、何も変わっていないように見えた。また、八千代というキャラ自身が心の内に抱えているものも『 空の青さを知る人よ 』の某キャラと同じだった。どんな因果を抱えているのかと思っていたが、それならそれで自分なりに動いているということが分かる演出が欲しかった。八千代はあらゆる意味でがきんちょであった。

 

意識的か無意識になのかは不明だが、『 君の膵臓をたべたい 』と構成がそっくりである。それは長所でもあり短所でもある。しかし、本作の終盤は暗転 → 場面転換の繰り返しで少々ダレてしまう。非常に良い余韻を残すエンディングであるが、そこに行くまでに中だるみがあるのが残念である。

 

総評

『 ママレード・ボーイ 』で可もなく不可もなかった桜井日奈子が、これほどの成長を遂げているとは驚きである。可愛いだけの処女漫画的なキャラではなく、確かに息をして生きているキャラを具現化した。生きるということは、誰かと関わることであるというテーマを、近年では最も鮮烈に表現した邦画である。劇場で公開しているうちに観るべし。例え見逃しても、レンタルや配信で観るべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Die!

「死ね!」を直訳するとこうなる。実際に戦争映画では戦闘機や爆撃機のパイロットや戦車の砲撃手、狙撃兵などがしばしばこの台詞を呟いたり叫んだりする。日常で使うべきではない言葉だが、本作鑑賞後にこの言葉の意味に今一度想いを馳せてみて頂きたい。

 

また、本作に刺激を受けた、本作に考えさせられたという向きには鷲田清一の『 死なないでいる理由 』と東浩紀の『 郵便的不安たち 』をお勧めしておく。

 

 

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 恒松祐里, 日本, 桜井日奈子, 監督:小林啓一, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:ポニーキャニオン, 間宮祥太朗Leave a Comment on 『 殺さない彼と死なない彼女 』 -死なないでいる理由がそこにある-

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