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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 未分類

『 ホムンクルス 』 -原作を改悪するな-

Posted on 2021年4月6日 by cool-jupiter

ホムンクルス 40点
2021年4月4日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:綾野剛 成田凌 岸井ゆきの 石井杏奈
監督:清水崇

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ホムンクルスという言葉に初めて触れたのは手塚治虫の『 ネオ・ファウスト 』だった。腎臓の人間ではなく、人間の深層心理を擬人化したものが見えるというのは面白いアイデア。どうせ漫画を映画化するなら。これぐらい毒のある作品にトライしてほしいもの。ただチャレンジ精神と結果は別物である。

 

あらすじ

記憶喪失でホームレスとして暮らす名越(綾野剛)に、謎めいた男・伊藤(成田凌)はトレパネーション手術を持ちかけられる。その手術を受けた名越は左目だけで見ると他人の深層心理が見えるようになってしまい・・・

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ポジティブ・サイド

綾野剛の演技が光る。ホームレスでありながらAMEXのブラックカードを持ち、高級ホテルの展望レストランで食事をする。記憶がないのだが、記憶を取り戻すことに拘泥しない。どこか底知れない雰囲気の男を好演した。感情の無い男が徐々に感情を表出するようになっていく過程は見応えがあった。特にホームレス仲間の命の値踏みを淡々と進めていくところは、感情がないようでいて感情があった。つまり、元々路上生活者たちのことを何とも思っていなかったわけで、ストーリーの持つメッセージの一つ、「見てはいるけど、見ていない」を体現していたわけだ。

 

成田凌も平常運転。『 スマホを落としただけなのに 』や『 ビブリア古書堂の事件手帖 』と同じく、インテリなサイコパスを怪演した。青っ白い肌に奇抜な髪の色と髪型、そしてファッション。映画『 セブン 』的な精神病者気質の部屋。ちょっと頭がいっちゃってる役を演じる成田凌としては、本作は過去作よりも上かもしれない。

 

石井杏奈と岸井ゆきのもしっかりと脇を固めている。特に石井杏奈の方は女優としてはまだまだ駆け出しでありながら、結構ハードなシーンに挑んでいる点には好感が持てる。『 記憶の技法 』とか本作のような暗めの作品ではなく、広瀬すずや橋本環奈がキャピキャピするような映画でヒロインの親友役を狙った方がプロモーション上は吉なのでは?

 

本作の特徴の一つに、効果音の不気味さが挙げられる。特にトレパネーションを実施する際のドリルの音は、歯科医の使う器具の音でありながら、頭蓋骨に穴を空けるというその行為の気持ち悪さによって、不快指数を否が応にも高めてくれる。その他にも、音が印象的なのが本作の特徴である。フォーリー・アーティストを称えようではないか。

 

ネガティブ

綾野剛がトレパネーションを受けて、はじめて右目を隠して街を観るシーンは緊張感が漂った。が、実際に目にした光景を見てずっこけた。何じゃこりゃ?と。まず、CGがしょぼい。唯一ちょっと面白いなと感じたのは体が右半身と左半身に別れて、左右反転した形で歩いているサラリーマンぐらい。その他の意味不明な姿は本当に意味不明だ。トラウマが目に見えると伊藤は推測していたが、だったら「今から会える?」と電話しながら下半身、特に腰部だけをクルクルと回転させていたミニスカ女子は一体なんなのか。普通に考えれば「お、今日はセックスする気満々だな」ぐらいにしか思えないのだが、それもトラウマなのか?

 

トレパネーションの結果、ホムンクルスが見えるようになったというのは受け入れられる。だからといって内野聖陽演じる組長が、ドスを握った手を不随意にプルプルと震わせるのは理解できない。百歩譲って名越の言葉に動揺したせいで震えてしまったことにしてもよい。だが、それをあたかも名越自身の何らかの超能力であるかのように描写するのはいかがなものか。また、組長がトラウマから解放されるくだりはあまりにも安直過ぎないか。たったそれだけで心の傷が癒えるのなら、これまで切り落としてきた小指七十数本については胸が一切痛まなかったというのか。精神医学の歴史を変える治療だと伊藤は言うが、とてもそうは感じられない。古典的なカウンセリングにしか見えなかった。

 

同じことは石井杏奈演じる女子高生にも当てはまる。そもそも名越に携帯の中を見られたことをさも当然のことであるかのように振る舞っていたが、どうやってパスを解除したのか、まずそこを不審に思わないところがおかしい。また性についてのコンプレックスがあるのはさして珍しいことではないが、それがあんな形で治療扱いになるのか?むしろ新たなトラウマを植え付けただけだろう。なぜ組長は言葉で治療しながら、女子高生には『注射』で治療するのか。原作がこうなのか?それとも注射に至る過程の描写が映画では削られているのか?どちらにせよ、見ていて気持ちいいものではなかったし、筋が通っているとも感じられなかった。

 

肝心の名越が記憶喪失になった経緯も、中途半端にしか説明されていない。何が起こったのかは分かった。だが、あのような出来事があれば、必ず葬式やら入院退院やら警察からの事情聴取などがあるはずなのだ。そこで必ず身分証明がなされているはず。そうした社会的に当然の事象を全部すっ飛ばして記憶喪失でござい、と言われて納得などできるはずもない。原作は未読だが、エピソードを端折り過ぎているか、あるいは大幅に改変、いや改悪しているのは間違いない。

 

本作の放つメッセージとして「相手の心を見ろ」というものがあるのだろうが、そこが上手く伝わってこない。なぜホムンクルスが見える人間とそうでない人間がいるのか?名越の目にホムンクルスが見える人間に何らかの共通点はあるのか(友達を傷つけた、性体験、父親からの愛の不足)?伊藤がホムンクルスを見てななこを誤認したのは理解できなくもないが、肌と肌を合わせて気が付かないことがあるのか?それこそ無意識レベルで何か思い出すのでは?また伊藤の顔の吹き出物は何なのか?伊藤のトラウマは金魚ではなく水槽ではないのか?などなど、疑問が尽きない。

 

総評

『 犬鳴村 』や『 樹海村 』よりは面白いが、素材の持つ毒を完全に調理しきれているかと言うとはなはだ疑問である。『 オールド・ボーイ 』や『 藁にもすがる獣たち 』のような振り切れた日本産の作品の映像化に大成功している韓国が本作を映画化したら、いったいどうなっていたのだろうか。悪い出来ではないが、ミステリ、スリル、サスペンスのいずれの面でも、少し足りないという印象である。実力ある役者を集めてみたものの、総合的な味付けで失敗したという印象。綾野剛や成田凌のファンなら鑑賞してもよい。逆に言うとそうでない映画ファンはスルーもひとつの選択肢である。というかスルーしてよい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Why are you shaking?

劇中である人物が「なんで震えてるの?」と言う場面がある。その私訳である。「震える」の最も一般的な動詞は shake だが、感情または肉体が原因での震えは tremble、寒さが原因の震えには shiver を使うことも覚えておきたい。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, D Rank, スリラー, 岸井ゆきの, 成田凌, 日本, 監督:清水崇, 石井杏奈, 綾野剛, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズLeave a Comment on 『 ホムンクルス 』 -原作を改悪するな-

『 騙し絵の牙 』 -トレーラー観るべからず-

Posted on 2021年4月1日 by cool-jupiter

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騙し絵の牙 55点
2021年3月28日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:大泉洋 松岡茉優
監督:吉田大八

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塩田武士はJovianと同郷の兵庫県尼崎市出身、さらに学年も同じである。ひょっとしたらその昔、街中ですれ違ったことぐらいはあるかもしれない。原作小説は未読であるが、『 罪の声 』が傑作だったので、本作も期待していたのだが、こちらはダメだった。とにかくトレーラーで半分はネタバレしてしまっている。作った人間は切腹してよい。

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あらすじ

大手出版社「薫風社」で社長が急逝。次期社長の東松の経営改革によって、看板雑誌である「小説薫風」すらも月刊から季刊に変更されかねない。そんな中、サブカル雑誌「トリニティ」の変わり者編集長・速水(大泉洋)は、新人編集者の高野(松岡茉優)を誘い、独自の企画を次々に立案・実行していくが・・・

 

ポジティブ・サイド

ひとりのサラリーマンとして本作を観た時、サラリーマン世界の権力闘争や仕事の切り拓き方をよくよく活写しているなと感じた。特に新社長の東松と専務の宮藤の権力争いは旧態依然の典型的な日本企業であると感じたし、小説薫風の編集長の木村佳乃は旧弊に無意味に固執するという点で、バリキャリでありながらも、やはり昔ながらの日本のサラリーマンである。こうした職場や会社に厭いている人は実は多いのではないかと思う。だからこそ、トリニティの編集長の速水が、文壇の大御所にまったく物怖じすることなく接し、また新人編集者の高野から忖度無しの批評を elicit するところが痛快なのだ。本人たちに出会ったことは無いが、大泉洋は速水に、松岡茉優は高野に、それぞれ似たところがあるのではないだろうか。役者がキャラにピタリとはまっていた。

 

文学や読書という視点から眺めてみるのも面白い。テレビ番組内文学の価値を大仰に語る國村準演じる文豪には、確かに名状しがたい説得力がある。『 響 – HIBIKI – 』などから感じられるように、文学にはまだまだポテンシャルがあるはずだし、文学が果たすべき役割は大きい。文学という虚構の物語でしか提示できない命題や哲学があるからだ。またコロナ禍において、書籍の売り上げが増加しているという事実もある。人はいまでも文学(小説かもしれないし、エッセイかもしれないが)を求めているのである。

 

そうしたことに思いを巡らせている中で、なぜかいきなり國村準が歌っていたり、あるいはワインのテイスティングで大失態したりと、シリアスとギャグを行ったり来たり。このシーンでは笑ってしまうこと必定である。このシリアスとギャグを行ったり来たりは、佐野史郎演じる専務や、新社長の東松と速水がシンクロするシーンでも見られ、とにかく笑ってしまうのだ。実際に劇場のそこかしこから笑い声が聞こえてきた。

 

高野と速水の凸凹コンビが新たな領域を切り拓いてく様はサラリーマンとして見ても痛快だし、そこから生まれる人間模様や世間の反応、さらにちょっとしたツイストもあり、観る側を飽きさせない。騙し騙されよりも、純粋にお仕事ムービーとして鑑賞することで、速水の秘めた思い、そして高野が抱くようになった思いを理解できる。どちらに共感するかは人に拠るだろうが、Jovianは速水の思いに寄り添いたくなった。多分、35歳ぐらいが分かれ目か。それ以上の年齢なら速水派だろうし、それ以下の年齢なら高野派だろう。本作を楽しむ方法の一つは、自分をメインキャラの誰かに重ね合わせて仕事をする、仕事を構想することだと思う。

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ネガティブ・サイド

騙し合いバトルなどど散々に煽ってくれたが、この程度で騙されるのはミステリ初心者ぐらいだろう。まあ、ミステリ作品でもないのだからそこに目くじらを立てるべきではないのかもしれないが、本当ならもっとびっくりさせられる展開のはずが、半分くらい種明かしされていたと映画のかなり早い段階で気付いてしまった。とにかくトレーラーが罪である。とにかく「全員嘘をついている」という煽り文句を信じれば、新たなキャラが登場したり、展開が進んでいくたびに「ああ、これ嘘だ」、「あ、これも嘘かな」、「これも嘘やろうな」と分かってしまう。他にもいわくありげにトレーラーに登場していて、それでいて本編では謎の人物として序盤から存在がにおわされているキャラクターとか、そんな中途半端過ぎる演出や筋立てはいらんやろ・・・ リリー・フランキーの無駄遣いと言うか、観客を驚かせようという意図が見えない。

 

また、作り手が本当に騙したいのは読者や映画の観客であることを常に意識していれば、某キャラのやや不自然な振る舞いや大袈裟なリアクションがフェイクであることが分かってしまう。終盤手前のドンデン返しの驚きが、ここでひとつ弱くなってしまっている。

 

高野の父親が倒れるエピソードは不要な気がする。もちろん、父親の病気によってその後の高野の行動が分かりやすくなっている面もあるが、あえて病気の力を借りる必要もない。もともと出版不況の折、街の書店が潮時を自然に悟っても不自然さはない。

 

佐藤浩市と中村倫也が腹違いの兄弟疑惑も不要。それが事実であろうと事実でなかろうと、プロットに何の影響もない。原作では何かあったのだろうが、ドンデン返しにつながらないのであれば、そんな設定はバッサリ切ってくれてよかった。

 

斎藤工のキャラも蛇足。胡散臭いファンドマネージャーなどいてもいなくても、本編に何の影響も与えていない。どうせ胡散臭いキャラを出すなら、実はアメリカあたりのハゲタカファンドのエージェントだったとか、大規模工事に一枚噛みたい大手ゼネコンにつながってましたみたいなキャラにするべきだった。

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総評

大泉洋は腹に一物抱えていながらも飄々としたキャラを好演。松岡茉優も編集者として等身大の演技を見せた。笑えるシーンも多く、その一方で『 七つの会議 』的なサラリーマン社会のシリアスな描写もあり、エンターテインメントとしては及第点。問題はとにかくトレーラーの出来が酷過ぎること。トレーラーを何度も何度も観た人間が本編を観れば、「ああ、このキャラはあいつで、こいつの正体はこうだな」と次から次に分かってしまう。「全員嘘をついている」とか言う必要はゼロだろう。何たる興覚め。とにかく本作を楽しむためにはトレーラーの類を一切観ないこと。これに尽きる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

power struggle

 

権力闘争の意。新社長と常務の対決シーンは本作の(数少ない)見どころの一つである。サラリーマンで上に昇っていけるのは、実力半分ハッタリ半分なのだというところが役員同士のdick measuring contestから見て取れる。

 

Jovianセンセイのお勧め書店

REBEL BOOKSは群馬県高崎市の、いわゆる街の書店。といっても高野の実家のような昔ながらの書店ではなく、地域の拠点、情報発信基地のような本屋さんである。Jovianの大学の同級生が経営者である。Jovianも時々通販で買っている。とんがった品揃えの店なので、bibliophileな方はぜひ一度のぞいみてくだされ。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, D Rank, コメディ, ヒューマンドラマ, 大泉洋, 日本, 松岡茉優, 監督:吉田大八, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 騙し絵の牙 』 -トレーラー観るべからず-

『 ノマドランド 』 -現代アメリカの新しい連帯の形-

Posted on 2021年3月28日 by cool-jupiter

ノマドランド 75点
2021年3月27日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:フランシス・マクドーマンド デビッド・ストラザーン
監督:クロエ・ジャオ

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様々なメディアによると米アカデミー賞の本命は『 ミナリ 』よりも、こちらだとか。まあ、『 スリー・ビルボード 』のフランシス・マクドーマンド主演なので、話題性がどうであれ観ることには間違いはない。こちらも『 ミナリ 』とは別の角度から人間の生き方に光を当てた良作。

 

あらすじ

長年連れ添った夫のボーを亡くし、勤め先の企業の倒産もあり、住み慣れた家や土地を離れることになったファーン(フランシス・マクドーマンド)。彼女はキャンピング・カーでアメリカ各地を周り、アマゾンの倉庫などで期間限定の仕事をして暮らすノマドになった。そして、行く先々で様々な人々との出会っていき・・・

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ポジティブ・サイド

フランシス・マクドーマンドがその存在感を消して、見事にノマドになっている。いや、ノマドというよりもどこか原始的な人間であるように映る。険のある表情の中に憂いを秘めている。根無し草でありながら、生への執念は消えていない。ノマドという生き方を選ぶことの是非ではなく、どんな形であれ生きることを選択する姿が胸を打つ。ホームレスではなくハウスレスだとファーンが元教え子に伝えるシーンは、衣食住の住には、住まい以上の意味があるのだということを教えてくる。Home is home = 住めば都、という表現があるが、キャンピング・カー、そして思い出の皿など、ホームとは安住できる依り代なのだ。

 

ノマドとしての生活も真に迫っている。原っぱでの排せつや川での行水までも描かれる。しかし、いくら遊牧民とはいえ貨幣経済からは逃れられないし、完全な自給自足も不可能。そこでノマド同士が出会い、寄り添っていく姿がひたすら写実的に描写される。アマゾン倉庫やSAのちょっとしたショップ、ボブ・ウェルズというオーガナイザーの呼びかけるイベントなど、ドラマを盛り上げる要素はいくらでもある。だが、そうはしない。なぜならファーンを始めとしたノマドたちがただ生きる日々それ自体が十分にドラマだからだ。もちろん、他人の善意がファーンを大いに傷つけることもある。だが、それを許すことができるのもまた人だ。作った事件やハプニングがなくとも、人の生き様は充分にドラマチックでありうるのだ。

 

キャンピング・カーの内と外、都市の内と外、家庭の内と外。ノマドは、自分以外の人間と隔絶した世界に生きている。それをするのが広大無辺なアメリカの大地だ。ビルも家も何もない。草原や荒野や岩地が広がるばかりの光景に、朝焼けと夕焼けが映える。まるで一日一日が再生と死を象徴しているかのようだ。そうした情景描写がファーンを始めとしたノマドたちの生き様をよりリアルにしている。実際に本作に登場するノマドたちは本当のノマドによって演じられていることをエンドクレジットで知って驚いた。演出された世界ではなく、現実の世界を観ていた。現実と虚構の境目があやふやになった。ノマド的な生き方に憧れを持つことはいが、ノマドという生き方を現実に選択する人々のことをリスペクトしたいと強く感じるようになった。ファーンやリンダ・メイ、スワンキーのような生き方も今後のニューノーマルの一つになっていくのかもしれない。



ネガティブ・サイド

ピアノのBGMが、ある人物が弾くアコースティック・ギターの音とケンカをしているシーンがあった。数秒だけだったが、非常に jarring に感じた。

 

もう一つ、スワンキーの語るツバメの乱舞する光景のシーン。なぜ水面を映し出さなかったのだろうか。自分も一緒に飛んでいる感覚を観る側が味わうためには、スワンキーが見たのと同じ構図の画を共有させる必要があったのではないだろうか。

 

石膏採掘会社の倒産に翻弄されるファーンだが、アマゾン倉庫での労働の描き方が非常にニュートラルであると感じた。アマゾンの労働環境の過酷さは広く知られているところで、ノマドたちがそこで生き生きと働く姿に少々違和感を覚えた。

総評

一部の地域を除いてコロナ禍が今もって現在進行形の世の中で、人と人との距離感がずっと問い直されている。本作は、ファーンという個人のとてつもない孤独の中の旅路に、新しい形の人間関係を呈示している。格差や分断の中でこのような交流が生まれてくることは、日本の未来を見つめる時の一つのヒントになりうる。生きることの難しさ、そして生きることの尊さを静かに、しかし力強く描く傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

stand for 

作中では”What does RTR stand for?”のように使われていた。意味は「~を意味する」だが、しばしば頭字語について用いられる。

“What does NATO stand for?” / “It stands for North Atlantic Treaty Organization.”

のように使う。meanを使っても問題ないが、stand for ~ も知っておくと、ネイティブに色々と質問もしやすい。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, デビッド・ストラザーン, ヒューマンドラマ, フランシス・マクドーマンド, 監督:クロエ・ジャオ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ノマドランド 』 -現代アメリカの新しい連帯の形-

『 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 』 -庵野秀明のトラウマ克服物語-

Posted on 2021年3月21日 by cool-jupiter

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 70点
2021年3月20日 Amazon Prime Videoにて鑑賞
出演:緒方恵美 林原めぐみ 宮村優子 坂本真綾
監督:摩砂雪 鶴巻和哉
総監督:庵野秀明

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テレビ版も並行して鑑賞しているが、エヴァンゲリオンというのはつくづく庵野秀明の自意識の世界なのだなと感じる。自分の内面を表現したい。しかしストレートにそれをやるのは気恥ずかしい。だからこそ色々な理屈で糊塗しているのかなと邪推してみたくなる。まあ、似たようなことは手塚治虫も『 火の鳥 』シリーズの猿田や『 ネオ・ファウスト 』でやっているわけで、傑出したクリエイターにはよくあることなのかもしれない。

 

あらすじ

シンジ(緒方恵美)や綾波(林原めぐみ)、アスカ(宮村優子)は使徒との戦いを継続していた。そこに新たなチルドレンとして真希波・マリ・イラストリアス(坂本真綾)もエヴァのパイロットとして加わってくる。戦いが激化していく中、最強の使徒が迫ってきており・・・

 

ポジティブ・サイド

テレビアニメ版では画質はともかく、カラフルな色使いとダイナミックなモーションが大きな特徴だった。それらがさらにパワーアップしている。特にサハクィエルの大気圏突入からの落下と、それを食い止めるエヴァ3体の共闘は本作のみならず、ヤシマ作戦と並んで、テレビアニメ版・劇場版の両方で最も印象深いシーンだ。そして、サハクィエル戦あたりからガラリと物語の様相が変わってくる。まさに「破」である。

 

ポジティブに捉えられる変化は、シンジ、レイ、アスカの物語の密度が高まったこと。フォース・チルドレンとしての鈴原トウジをアスカに置き換えたのがその最たる例だろう。三号機関連のエピソードによって、惣流と式波の二人のアスカは文字通りの意味で別物であると認識させられた。というか、「今日の日はさようなら」の使い方、ヤバすぎやろ・・・

 

エヴァンゲリオンの魅力に、パッと見では意味が分からない、考察してもやっぱり意味が分からない、というものがある。本作で一番の「破」となっているのはゼルエル戦の結末。セカンド・インパクトの謎の解明もなされぬまま、サードインパクトに突入するという超絶展開と渚カヲル登場というクリフハンガー。しかし、これが「Q」にダイレクトにつながっていない(“日の七日間”をどう見るかなのだろうが)のだから、クリフハンガーと呼べるのかどうか。いずれにせよ、最高の形で引いたことは間違いない。テレビアニメ版の、あのモヤモヤ感が蘇ってきたのは、心地よい混乱である。

 

ネガティブ・サイド

オリジナルではアスカが徐々に自身を喪失し、内面を蝕まれていく様を執拗に描写していたが、劇場版ではそこをカット。やっぱりアレか。庵野の欲望の対象が宮村から離れていったということなのか。あるいは宮村との間のあれやこれやが綺麗な思い出に昇華したか、あるいは都合よく忘却することに成功したのか。ただ、90年代のエヴァファンの多くは、シンジやアスカの内面世界の葛藤に激しく共感したことを忘れてほしくない。この部分を大きくカットしたのは、ファンサービスの面ではマイナス評価となる。

 

総評

過去作品を色々と観返すことで、なんとなく『 シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 』で庵野が表現したかったこと、あるいは表現できるようになったことが分かってきたような気がする。

 

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

replaceable

replace = 置き換える。replaceable = 置換可能。綾波の名(迷?)セリフ、「私が死んでも代わりはいるもの」=Even if I die, I am replaceable. となるだろうか。replaceは使用範囲が極めて広いので、中級者以上なら是非とも使いこなせるようになりたい語である。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2000年代, B Rank, アニメ, 坂本真綾, 宮村優子, 日本, 林原めぐみ, 監督:摩砂雪, 監督:鶴巻和哉, 総監督:庵野秀明, 緒方恵美, 配給会社:カラー, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破 』 -庵野秀明のトラウマ克服物語-

『 まともじゃないのは君も一緒 』 -会心のラブ・コメディ-

Posted on 2021年3月21日 by cool-jupiter

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まともじゃないのは君も一緒 75点
2021年3月20日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:成田凌 清原果耶
監督:前田弘二

 

これは久々のヒット作である。近年の邦画コメディとしては『 私をくいとめて 』に次ぐ面白さであると感じた。デートムービーとして最適なので、高校生や大学生にはデートで観て、大いに感想を語り合ってほしい。

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あらすじ

予備校で数学講師をしている大野(成田凌)は対人能力を著しく欠いていた。現状に満足しているものの、独りで居続けることに不安を覚えた大野は教え子の香住(清原果耶)に「普通とは何か」を教えてほしいと頼む。引き受ける香住だったが、彼女には彼女の思惑があり・・・

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ポジティブ・サイド

成田凌のコミュ障ぶりが光る。Jovianのかつての勤め先は塾・予備校系の英会話スクールだったので、塾や予備校の講師の社会人失格っぷりや大人としてのコミュニケーション力の低さはそれなりに知っている。その代わり、彼らは子ども相手には話が上手いし、授業力も高い(が、教務力は低い)。ところが主人公の大野は、そんじょそこらの予備校講師も裸足で逃げ出すコミュニケーション障害者だ。女子にご飯に連れていけと言われて、いつも行っている定食屋に連れて行ってしまうという、恋愛レベルが小学2年生で止まっているとしか思えない行動をとってしまう。まったくもって目も当てられない惨事で、これにツッコミを入れまくる香住とのハイテンポの会話劇がべらぼうに面白い。事実、TOHOシネマズの別館の劇場内では、コンスタントに劇場のあちらこちらから「ワハハ」、「クスクス」といった声が漏れ聞こえていた。劇場内でここまで笑いがシェアされるのは、おそらく『 カメラを止めるな! 』以来である。

 

清原果耶もコメディエンヌとして魅せる。普段の学校では、周りのキャピキャピ女子高生に無理に合わせてゴシップに花を咲かせているのだが、その実態は単なる耳年増、というよりもそれ以前だ。それでも女の勘というか、本能的にというか、コミュニケーションの機微のあれこれを読み取るのが上手い。その一方で自分の気持ちのコントロールとなるとお手上げという、普通の女子高生的な一面もちゃんと併せ持っている。このあたりのナチュラルとアンナチュラルのバランス加減が絶妙だ。自分が恋慕する大人の相手の女を、予備校講師を使って離反させようなどと、アラサーOLでもないと思いつかなそうなアイデアを立案し、作戦を立て、実行してしまうのだから、面白くないはずがない。

 

二人のズレ具合が、逆に大野と美奈子のなんでもない会話やそこに流れる空気の心地よさを倍増させている。映画の、特にコメディの面白さはやはりギャップにあるのだ。この大野と香住の“噛み合っていない”感と大野と美奈子の“噛み合っている”感のギャップが、観る側に最高のもどかしさを提供してくれる。

 

アホのように量産されている漫画原作の高校生の恋愛もの映画と違って、本作は恋愛の本質をしっかりと捉えている。恋愛の本質とは何か。それは「共有」である。たいていの恋愛ものは、恋に落ちる瞬間を劇的な現象として捉えている。それは恋愛ではなく、単なる片思いだ。凡百の恋愛漫画や恋愛映画は、告白したら終わり、付き合い始めたら終わり的な世界観に基づいている(ように見受けられる)が、事の本質はそこにはない。相手を好きになる、そして相手に好きになってもらう/もらいたいと思うのは「共有」を通じてこそだと思う。その意味で『 花束みたいな恋をした 』はリアルだった。まさに、他人からすれば他愛もない会話に没頭できる。ファミレスの決まったテーブルを二人で占有する。そうした「共有」体験を存分に描いていた。本作でも耳年増の香住が同級生の女子とその彼氏を質問攻めしていくシーンは、清原の迫真の演技と、出てくる答えのリアルさが嚙み合った、屈指の名シーンに仕上がっている

 

今春で最もお勧めできる映画の一つであることは間違いない。

 

ネガティブ・サイド

大野の予備校講師という背景がどうにも薄っぺらかった。あれはどう見ても個別指導の塾講師だろう。それに高3相手の予備校講師、しかも数学担当なら、夏は夏季集中講座で手一杯ではないのか。自分で結構いい給料をもらっている的な発言をしていたが、予備校講師など時給制なのだから、本当は夏のあの時期にのほほんと遊びまわってはいられないはずだ。ポスドク、または医学部受験対策専門の家庭教師とかの方が説得力があった。

 

あとはクライマックス、大野が香住に長広舌を垂れるシーンの違和感かな。これこそ正に時間と空間の究極の「共有」だなと観ている時には感じたが、それが特別なものになるのは、他者の知覚に晒された時だ。要するに、他人に見られたり聞かれたりしても、自分たちだけの世界に入っていられるということだ。いわゆるバカップル状態だ。このシーンはバカップルとはちょっと違うのだが、他人の目を気にしないという点では同じである。そしてこのシーン、本当に他人の目がない。耳もない。予備校なのに。「なんだあいつら、こんな時間にこんな場所で自分たちだけの世界に入りやがって」という他者の無言の圧力こそが必要なシーンだったのに。

 

総評 

細かな弱点や欠点はいくつもあるが、それらのほとんどすべてを吹っ飛ばしてしまうパワーを持った作品である。成田凌と清原果耶のワンカットの会話劇の豊富さ。そこにあるユーモア。二人のズレから生まれるハラハラドキドキ。ラブコメはラブコメなのだが、漫画的な面白さを追求した『 センセイ君主 』とは違って、フィクション全開のリアル路線。こんな奴ら、実在するわけねーだろと思える一方で「頑張れ!」とエールを送りたくなる二人。カップルでも夫婦でも楽しめる一作だ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

normal

「普通」や「まとも」の意味。元々はnorm=規範という語に接尾辞-alをつけて形容詞化した語。normの意味を知っていれば、abnormalやenormousといった関連語の意味やイメージも把握しやすい。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, B Rank, ラブコメディ, 成田凌, 日本, 清原果耶, 監督:前田弘二, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズLeave a Comment on 『 まともじゃないのは君も一緒 』 -会心のラブ・コメディ-

『 ミナリ 』 -落地生根の物語-

Posted on 2021年3月20日 by cool-jupiter

ミナリ 75点
2021年3月19日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:スティーブン・ユアン ハン・イェリ アラン・キム ノエル・ケイト・チョー ユン・ヨジョン
監督:リー・アイザック・チョン

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アカデミー賞に複数部門にノミネートされている話題作。『 パラサイト 半地下の家族 』に続いての快挙なるか。

 

あらすじ

ジェイコブ(スティーブン・ユアン)は農業での成功を夢見て、韓国から米アーカンソー州に家族を連れて移住する。しかし、新天地での孤独からジェイコブと妻モニカの関係に亀裂が生じる。そこで、モニカの母スンジャ(ユン・ヨジョン)を米国に呼び寄せることになり・・・

 

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ポジティブ・サイド 

まず映像の美しさに目を奪われる。米アーカンソー州のwildernessに近い自然が、豊かさ予感と厳しさの予感、両方を感じさせる。あまりにもだだっ広い風景の中にぽつねんと佇立するトレイラーハウスが、広大な新天地の中で家族の置かれた孤独を象徴している。

 

移民の悲哀というものは、親世代と子世代の断絶が生じてしまうところにあると思う。英語が流暢で、感性もアメリカナイズされている娘アンや心疾患持ちの息子デビッドと、何かあるたびにケンカをしてしまう父ジェイコブと母モニカの姿に、「家族」というものの紐帯がどこにあるのかが分からなくなってしまう。祖母スンジャが、家族の形をまとめるのかというタイミングで颯爽と登場するが、デビッドは韓国っぽさ全開でお祖母ちゃんらしさがないお祖母ちゃんのことを好きになれない。そうした家族がどのように「家族」になっていくのか。

 

はっきり言って普通の人の普通の人生にもこうした困難や苦難はつきものだというイベントだらけである。しかし、忘れてはならないのはジェイコブたちは異邦人であり、祖国での生きづらさを抱えていたのだ。そのことを吐露する夫婦のシーンが二つあるが、いずれも静かなシーンでありながら、言葉では言い表せない感慨をもたらしてくれる。

 

またデビッドとスンジャが築くことになる奇妙な信頼と愛情には、時代の背景がそれぞれ反映されているように思う。ジェイコブを手伝うポールは朝鮮戦争への出征経験があり、スンジャは当然、その当事者だった。戦争、および80年代終わりまで続いた韓国の軍事政権=非民主的政権下での生活から逃げ出してきた一家およびその周辺の人々の物語として本作を観れば、どんなにバラバラになりそうでも、まるでミナリ(=セリ)のように、ひとつの家族として再生できるという希望を暗示している。最後のショットは、家族の渡米初日の夜の父の台詞を思い起こせば、非常に味わい深いものとして鑑賞できるだろう。

 

ネガティブ・サイド 

花札にもう少しフォーカスしても良かったのにと思う。『 ジョイ・ラック・クラブ 』における麻雀のようなシンボルになる可能性を秘めていたと思う。

 

ジェイコブの父親としての、夫としてのエゴが少々大きすぎた。序盤に性別で仕分けられた雄鶏の雛が廃棄されているのを指して、「俺たち男は有用でないといけない」とデビッドに語るのは、少々身勝手すぎやしないか。食用にも向かず卵も産まない雄鶏に自分を重ねるのは構わないが、それは人間にとっての見方。アメリカ社会では有用でないと選別されてしまうという移民の悲哀は充分に伝わったが、それを家族内にまで持ち込むのはどうかと思う。そのことが祖母スンジャの中盤以降の生活にも反映されてしまったのではないか。だが、であるからこそ、最終ショットの美しさが際立つのか・・・

 

総評 

これは21世紀の韓国版『 ジョイ・ラック・クラブ 』になるかもしれない。静かな展開で、決してジェットコースター的な物語ではない。そうした意味では一般向きではないかもしれない。『 焼肉ドラゴン 』のようなひとつの異邦人家族の人生の物語を、自分の人生の物語として読み替えられるかどうかが鍵になる。このように書くと大袈裟だが、『 喜劇 愛妻物語 』を観て、なんだかんだあっても家族はやっぱり家族だよなあ、と思える人なら、本作の真価を味わえるはずだ。『 フェアウェル 』に続く、お祖母ちゃんの物語の傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

アラッチ?

「分かった?」の意。姉が弟によく言っている。かなりフランクな表現なので使いどころには注意が必要である。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, アラン・キム, スティーブン・ユアン, ノエル・ケイト・チョー, ハン・イェリ, ヒューマンドラマ, ユン・ヨジョン, 監督:リー・アイザック・チョン, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 ミナリ 』 -落地生根の物語-

『 野球少女 』 -もう少し野球の要素に集中を-

Posted on 2021年3月8日 by cool-jupiter

野球少女 65点
2021年3月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:イ・ジュヨン イ・ジュニョク
監督:チェ・ユンテ

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日本プロ野球の歴史上、印象的な韓国人助っ人と言えばソン・ドンヨルだろうか。千葉ロッテマリーンズファンのJovianはイ・スンヨプも忘れがたい。そんな韓国から、プロを目指す野球女子のストーリーが届けられたので、興味津々でチケットを買った。

 

あらすじ

女子高生チュ・スイン(イ・ジュヨン)は、プロ野球選手になることを目標にしていた。しかし時速130kmという速球も「女子にしては」という但し書き付きの評価で、トライアウトも許可されない。そんな時に、独立リーグ出身のチェ・ジンテ(イ・ジュニョク)が新人コーチとしてチームに加わり・・・

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ポジティブ・サイド

野球少女というタイトルではあるが、決して過度に主人公スインの女性性を強調したりはしない。もちろん更衣室が別だとか合宿に行くと個室が必要だから余計に金がかかるだとか、そういう描写や説明はある。しかし、スインが学校や野球部で「女子であること」が明確なハンディキャップになっている描写はない。それをやってしまうと、スインの努力が、韓国野球史上で前例のないことへの挑戦ではなく、学校や部を見返してやることに矮小化してしまう。そこを避けたのは賢明だった。むしろ、スインの友人女子がオーディションで落ちたことを通じて、歌やダンスの練習をどれだけ積み重ねても見た目で拒絶されてしまうという現実を突きつけてくる。これは効果的だった。セクシズムだけではなくルッキズムも含まれる、いや、もっと言えばチャンスを与えてもいい人間とチャンスを与えるまでもない人間がいるという考え方を厳しく批判することになっているからだ。

 

コーチが微妙に負け犬設定なところもいい。これが元プロだとか、元大学野球のスターとか、釈迦人野球で実績を残したという人物だと、観る側も共感しづらい。だがチェ・ジンテは独立リーグ出身。プロに近い世界ではなく、プロからかなり離れたところ出身のコーチだからこそ、自分の果たせなかった夢を追うスインが最初は気に食わなかった。しかし、そんな自分がスインを育成することこそがredemptionになるのではないかと腹を括るシーンはよかった(校庭を30周も走らせるのはどうかと思うが)。その後の「短所はカバーできない、長所を伸ばせ」というアドバイスは適切だったと思う。

 

クライマックスをトライアウトに持ってきたのは正解。本作は『 野球少女 』というタイトルだが、実際に描かれているのは固定観念の打破、機会均等(≠結果の平等)の追求なのだ。スインの目標はトライアウトの合格だが、物語が描き出したいのはトライアウトにこぎつけること。チェ・ユンテ監督がスインの物語と映画の物語を一致させなかったのは英断だと思う。スインが実際にプロ野球選手として活躍できるかは誰にも分からない。というか、むしろその可能性は限りなく低い。球団のお偉いさんの「スインが本当に大変なのはこれからですよ」という言葉が真実だろう。ただ、エンドロールの最後に聞こえてくる鳥の鳴き声に、長かった冬の終わりが予感させられる。それは季節が変わったということだけではなく、一つの新しい時代が到来したということの暗示でもあるのだろう。

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ネガティブ・サイド

もっと野球そのものにフォーカスしてほしかったと思う。スインがナックルを選択するようになったのは当然だが、そのナックルの魔球ぶりをもっと分かりやすく見せてほしかった。日韓のファン、特にJovianとほぼ同世代の本作監督チェ・ユンテならボストン・レッドソックスのティム・ウェイクフィールド投手をテレビでリアルタイムに観ていたはず。その時も捕手はボールをミットのど真ん中ではなく、先っぽや土手でキャッチすることがしばしばあった。トライアウト時に捕手がミットを大きいものに変えるシーンがあったが、同じようにナックルをミットの真ん中でなく先っぽや土手でかろうじて受けているという描写が欲しかった。

 

スインの野球選手としての苦悩の部分の見せ方も弱かったと思う。たとえばスインのリトル・リーグや中学時代の練習や試合の風景を映し出す。そこで得た野球選手としての称賛に「女の子なのに」や「女の子でも」といった枕詞が必ずついてくる。そうした経験をスインがしてきたという説明は、セリフだけではなく実際に映像として見せるべきだった。その方がスインの感じる抑圧感、今風の言葉で言えばガラスの天井の存在を、より強く観る側に印象付けることができたはずだ。

 

他にもそぎ落とせるサブプロットがいくつもあった。最も不要だと感じたのは、父親の資格試験。普通に不合格でした、で充分だった。逮捕劇によって家族にさらなる亀裂と劇的な関係改善が・・・ということもなかった。いったいあれは何だったのか。

 

総評

韓国映画が得意とするドラマチックな物語ではない。演出面でも少々物足りない。しかし、性別を理由に門戸が開放されない職業など、本来は存在しないはず。保守的とされる韓国であるが、よくよく考えれば女性大統領を輩出するなどgender equalityの面では日本の先を行っている。女性のプロ野球選手も案外、日本よりも韓国が先に輩出するかもしれない。日本も負けていてはいられない。スポーツでもその他の分野でも。そんな気にさせてくれる映画である。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

アラッソ

『 ブラインド 』でも紹介した表現。「分かった」の意。韓国映画を観ていると、ほぼ間違いなく出てくる表現。他にもアルゲッソヨ=「分かりました」もよく聞こえる表現だが、こちらは同じ意味でも丁寧な言い方。映画やドラマで語学を学ぶ利点の一つに、人間関係やストーリーの中で学べるということがある。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, C Rank, イ・ジュニョク, イ・ジュヨン, スポーツ, 監督:チェ・ユンテ, 配給会社:ロングライド, 韓国Leave a Comment on 『 野球少女 』 -もう少し野球の要素に集中を-

『 あのこは貴族 』 -システムに組み込まれるか、システムから解放されるか-

Posted on 2021年3月3日 by cool-jupiter

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あのこは貴族 75点
2021年2月28日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:門脇麦 水原希子 石橋静香 篠原ゆき子 高良健吾
監督:岨手由貴子

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日本の経済的成長の停滞が続いて久しく、貧富の格差がどんどんと広がり、もはやそれが身分格差にまでなりつつあるようだ。上級国民なる言葉も人口に膾炙するようになってしまったが、そのような時代の空気を察知して本作のような作品を世に問う映画人もいるのである。

 

あらすじ

良家の子女として育てられてきた華子(門脇麦)は、顔合わせの当日にフィアンセと別れてしまう。次の相手を探すうちに姉の夫の会社の顧問弁護士で代議士も輩出している名家の幸一郎(高良健吾)と出会い、交際が始まる。しかし、幸一郎の影には時岡美紀(水原希子)という女性がちらついていて・・・

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ポジティブ・サイド 

門脇麦の感情を表に出さない演技が光る。フィアンセに顔合わせの当日にフラれたというのに、苛立ちや悲しみを一切見せることがない。家族や親族も華子を特に慰めるでもなく、サッサと次に行くべきと主張するなど非常にドライだ。そしてそのアドバイス通りに次から次へと色んな男との出会いを重ねていく華子の姿は、相手の男がどいつもこいつも社会不適合者気味なこともあり、滑稽ですらある。そんな華子がついに出会った幸一郎が、また存在感、ルックス、学歴、職業、立ち居振る舞いが完璧で、この出会いの時に華子が見せるかすかな瞳の輝きが実に印象的だった。

 

そんな幸一郎には、実は女の影があり、それが地方から上京してきた美紀。幸一郎に講義内容をメモしたルーズリーフを貸したところ、それが返ってくることがなかったというエピソードが印象的だ。苦学の末に慶應義塾に入学したにもかかわらず、実家の経済状態の悪化で退学。ノートもお金も時間も東京に吸われてしまったが、東京は彼女に何も与えてくれなかった・・・というストーリーにはならない。したたかに生きると言ってしまえば簡単だが、美紀が見せる生きる力、決断力、友情の深さに励まされる人は多いのではないだろうか。

 

二人の女性が幸一郎を間接的に媒介して出会うことになるのだが、そこにはドロドロとした女の情念のようなものはない。あるのは人間同士の真摯な向き合い方だ。幸一郎と婚約したという華子に、美紀は幸一郎とはもう会わないと伝え、実際に幸一郎との腐れ縁をスパッと断ち切ってしまう。男と女のドラマをいかようにも盛り上げられる機会を、物語はことごとくスルーしていく。それは本作が描き出そうとしているのが、男や女ではなく人間だからである。

 

「私たちって東京の養分だね」と呟く美紀を見て、自分も良く似た感慨にふけったことがあるのを思い出した。多かれ少なかれ、東京以外の土地から東京へと出ていった人間は、自分は東京という幻想をさらに強固なものとするためのシステムの一部にすぎないと実感することがあるはずだ。自身がマイノリティであるという自覚をもって言うが、本作は『 翔んで埼玉 』と同工異曲なのだ。そして華子も美紀も幸一郎さえも、巨大なシステムに囚われているという点では同じ人間なのだ。

 

敷かれたレールから外れることの困難、敷かれたレールの上を走り続けることの困難。いずれの道を往くにせよ、そうした決断にこそ自分らしさというものが宿るのだろう。生きづらさを抱える現代人にこそ観てほしいと思える作品である。

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ネガティブ・サイド

慶応義塾大学という実在の大学に配慮したのだろうか。もっと『 愚行録 』のように描いてしまっても良かったはず。なにしろテーマの一側面が東京と外部。慶應内部生と慶應外部生というのは、その格好のシンボルだろう。ここのところの暗部をもう少し強調して描くことができていれば、相対的に美紀の生き方がより輝きを増したものと思う。

 

華子と美紀、それぞれの親友との友情をもう少し深めていくシーンがあれば尚良かった。特に、華子の親友のヴァイオリニストは美紀と幸一郎のつながりを目撃する以上に、華子と一笑友人で居続けるのだと感じさせてくれるようなシーンが欲しかった。

 

総評

一言、傑作である。日本の今という瞬間を切り取っていると同時に、抗いがたいシステムから抜け出し、自立的に生きようとする人間の姿を丁寧に描いている。女性ではなく、男性もここには含まれている。B’zはかつて「譲れないことを一つ持つことが本当の自由」だと歌った。その通りだと思う。これが自分の生き方だと受け入れる。そしてその通りに生きる。そうすることがなんと難しく、そして清々しいことか。2021年必見の方が作品の一つである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

set up shop

「起業する」や「開業する」の意。start one’s (own) businessという表現が普通だが、set up shopというカジュアルな表現もそれなりに使われる。これに関連するtalk shop=「仕事の話をする」という表現は『 ベイビー・ドライバー 』で紹介した。同じ表現を様々に言い換えることで、コミュニケーションがスムーズになる。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 水原希子, 監督:岨手由貴子, 石橋静香, 篠原ゆき子, 配給会社:バンダイナムコアーツ, 配給会社:東京テアトル, 門脇麦, 高良健吾Leave a Comment on 『 あのこは貴族 』 -システムに組み込まれるか、システムから解放されるか-

『 もらとりあむタマ子 』 -人生にはモラトリアムが必要だ-

Posted on 2021年2月26日 by cool-jupiter

もらとりあむタマ子 70点
2021年2月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:前田敦子 康すおん 富田靖子 伊藤沙莉
監督:山下敦弘

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映画貧乏日記のcinemaking氏がrepeat viewingをしているという傑作とのことで、近所のTSUTAYAでレンタル。観ている最中はクスクスと笑ってしまい、観終わってからちょっぴりホッとする作品だった。

 

あらすじ

東京の大学を卒業したものの修飾もせず、甲府の実家で怠惰な日常を送るタマ子(前田敦子)。食って寝て漫画を読んでゲームをする日々に父親(康すおん)も苦言を呈すが、タマ子はやはり自堕落なまま。しかし、春になってタマ子は秘かにある就職活動を始めようとして・・・

 

ポジティブ・サイド

オープニングから笑ってしまう。黙々と働く父親を尻目に、遅くに起きてきたタマ子が冷えてしまった朝食を無言でむしゃむしゃ食べ始めるシーンだけで笑ってしまった。これは間違いなくダメ人間。何故かって?それは2009年ごろにちょっとだけ実家に帰ってモラトリアムを過ごしていたJovianの生活パターンそのままだからです。

 

両親は離婚、姉は結婚して子供もいる、母親は東京という状況でシングルファーザーの父の実家でひたすらに自堕落に過ごすタマ子が、どういうわけかたまらなく愛おしい。いや、女性的な魅力があるというわけでは決してない(失礼!)。愛おしいというのは、見守ってやりたいという気持ちにさせてくれるということだ。何故そう思わされてしまうのか。その絶妙な仕掛けを知りたい人は、ぜひ本作を鑑賞されたし。自分が自分らしくあることが大切だ、という意味がありそうで実は意味がない言説を、前田敦子はたった一人で覆してしまったと言える。

 

父親役の康すおんが古き良き父親という感じで非常に良い。昭和的な父親ではなく平成的な父親だ。黙々と仕事をするが、掃除に洗濯、料理までこなすという21世紀の男性像が見事に体現されていた。食事シーンが頻回に映される本作は、食べると演じるがしばしば同時進行する。日本の役者は食べる演技の時には小栗旬や永谷園の男(名前を忘れてしまった)のような演技になるが、本作は違う。食べると演じるが不可分になっていて、そこはなかなか面白いと感じた。

 

途中で登場する富田靖子が素晴らしく魅力的で、蒼井優があと10年ぐらいしたらこんな感じになるのだろうなという美熟女。父親の側にこんな女性の影がちらついたら、子どもは確かに心穏やかにはいられませんわな。同時に、こんな女性像を目の当りにしたら、そりゃあダメ人間な自分も良い刺激を得てしまいますわな。

 

本作は映画的なメタファーを徹底的にそぎ落としている。大袈裟なBGMもないし、キャラクターの心象風景を仮託されたような風景描写もない。ひたすらタマ子にフォーカスすることで、逆に観る側がタマ子の胸の内を想像するようになっていく。そしてタマ子に同化していく(おそらくモラトリアム期間を経験したことのある人間はタマ子を同一視してしまうだろう)。この構成には恐れ入った。

 

エンドロールの終わりにちょっとしたサプライズ(?)映像もあって楽しい。演じているという演技ではなく、やはり素の前田敦子だったのか?

 

ネガティブ・サイド

タマ子と不思議な交流をする中学生男子の滑舌が今一つだった。素人らしさを強調したいのかもしれないが、やはりあれでは浮いてしまう。見た目は、地方都市の純な中学生っぽさ全開で素晴らしかったけれどね。

 

富田靖子の出番が少ない。もっと彼女にスクリーンタイムを!富田靖子と中村久美が井戸端会議している画が一瞬あれば、それはそれでタマ子の想像力をものすごくかき立てると思うのだが。

 

父親の掘り下げにもう一工夫できたのではないか。パセリのエピソードは確かに笑ってしまうが、それが自家栽培だとしたらどうだろう。プランターでパセリを育てることが、実家でタマ子を養ってやる姿と奇妙なコントラストを形成して面白かっただろうなあ、と思う。

 

総評

脱力系のコメディなのかヒューマンドラマなのか。とにかく前田敦子の役への没入感が素晴らしいとしか言いようがない。安易にビルドゥングスロマンにせず、かといって全く清涼しないわけでもない。店を開けたり、父親の下着も嫌がらずに干したり、成長とは言えないような変化であるが、それでも観る側がエネルギーをもらえるのだから不思議なもの。肩の力を抜いて、夕飯時に家族でわいわいやりながら観てみると面白いに違いない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

No one must know about this.

劇中でタマ子が言う「これ、誰にも言っちゃダメだからね」の私訳。直訳すれば、“You can’t tell anyone about this.”となるだろうが、No one must ~というのもネイティブはよく使う。「誰でもない人がこれについて知らなければならない」=「誰もこのことについて知ってはならない」=「誰にもこのことを言うな」となる。No one や Nobody を主語にした英文をパッと作れるようになれば、英会話の中級者以上である。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, B Rank, コメディ, 伊藤沙莉, 前田敦子, 富田靖子, 康すおん, 日本, 監督:山下淳弘, 配給会社:ビターズ・エンドLeave a Comment on 『 もらとりあむタマ子 』 -人生にはモラトリアムが必要だ-

『 星屑の町 』 -映画の形をした舞台劇-

Posted on 2020年12月30日 by cool-jupiter

星屑の町 60点
2020年12月28日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:のん(能年玲奈) 大平サブロー ラサール石井 小宮孝泰
監督:杉山泰一

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『 私をくいとめて 』は劇場鑑賞できたが、こちらはたしか春に緊急事態宣言で見逃した。能年玲奈に再会したいと願い、近所のTSUTAYAでレンタル。思いがけないヒューマンドラマであった。

 

あらすじ

売れない歌謡グループ「山田修とハローナイツ」は、リーダーの修(小宮孝泰)の故郷に巡業にやってきた。修の弟・英二は、自分の息子とその幼なじみ・愛(のん)に結ばれてほしいと思っていた。けれども愛には東京に出て歌手になりたいという夢があった。ひょんなことから自分の父親が「ハローナイツ」にいるのではないかと考えるようになった愛はハローナイツへ加入したいと言い出し・・・

 

ポジティブ・サイド

のん、普通に歌が上手い。もちろん口パクなのだが、それはほとんどすべての音楽映画に当てはまること。特に感心したのはギターを弾きながらオーディションを受けるシーン。のんの新たな魅力を本作は開拓したと言える。

 

愛が一度上京して悪徳プロダクションに騙されたという背景情報も説得力がある。まるで能年玲奈からのんに改名するという現実世界での経緯が、本作のプロットを重複するように感じる。売れようと必死になることは決して否定されてはならない。大切なのは、売れようとする手段であり、そのためにいかに努力できるか。のんと愛がその点で大きく重なって見えた。

 

同じように、ナイツのボーカル役を務めた大平サブローも意外な歌唱力を披露。ナイスガイと見せかけたその裏に色々な因果を含めた男で、これも吉本の闇営業問題でのサブロー自身のコメントを思い起こさせる。売れることと売れないこと。そこに至る手段の是非は別として、売れることそのものは決して否定されるべきではない。

 

全編を通じて歌われる楽曲が一部を除いてノスタルジーを呼び覚ます。本格的な昭和の歌謡曲をなんとなくしか知らないJovian世代だが、1975年よりも前の生まれの世代なら、歓喜の涙に濡れる選曲になっているだろう。

 

ドラマパートも大いに盛り上がる。特にハローナイツの面々が小学校内の控室内で繰り広げる暴露劇の連続から生まれる緊張感は『 キサラギ 』の会話劇に勝るとも劣らない。各シーンを別アングルから撮影したのではなく、各アングルから複数のワンカットを撮影してつなぎ合わせたのだろうか。それほどの臨場感が生まれている。

 

地方と東京、若者と高齢者、男と女、個と集団。様々な対立軸が描かれ、時に衝突し時に融和する。これはなかなかの秀作である。

 

ネガティブ・サイド

歌のパートとドラマパートのつなぎが非常にぎくしゃくしていると感じられた。ある歌の歌詞にある“テールランプ”や“窓ガラス”などは、作中で効果的にそのビジュアルをいくらでも示すことができたはずだ。オリジナル曲の“Miss You”にしても同じで、この旋律をBGMに愛の幼馴染の男が農作業に勤しむ姿、あるいは愛の母親がスナックで一人寂しく食器を洗うシーンなどを挿入することで、歌のメッセージをより際立たせることもできたのにと思う。全体的に舞台をそのまま映画にしたようなもので、映画の技法(特に撮影における)が効果的に使われているとは言い難い。

 

全体的なトーンも一貫しない。のんの本格的な登場までが長すぎるし、のんが登場してもストーリーに本格的に絡んでくるまでが、またも長い。ナイツの面々の職人芸の域に達した丁々発止のやり取りは痛快ではあるが、そこへの力の入れ具合が強すぎる。これなら「のん」抜きで物語を作れてしまうではないか。愛の父親は誰なのか?それはナイツの中にいるのか?というサブ・プロットについても消化不良のまま終わってしまうのは頂けない。

 

また、個人的にはこの結末は受け入れがたい。愛がナイツに新規加入後、とんとん拍子に売れていく過程のあれやこれやや、ナイツの面々とのチームワークを醸成するシーンを描かないことには、愛の最後の選択に説得力が生まれないだろう。

 

歌詞が画面にスーパーインポーズされるのはありがたいサービスだが、一か所にミスが「二人で書いたこの絵、燃やしましょう」は、正しくは「描いた」である。

 

総評

のんの魅力は遺憾なく発揮されているものの、その絶対量が少ない。また、ストーリーのつなぎや一部キャラクターの心情や行動がぎくしゃくしてしまっている。けれど、古き良き歌謡曲が全編を彩り、今や遠くになりにけりな昭和という時代の懐かしむという意味では、本作は成功している。若い映画ファンはのんを、中年以上の映画ファンは歌謡に注目して観るのが吉である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

look back

「後ろを見る」の意。劇中でのんが「わだず、もう後ろは振り返らね」という台詞。物理的に後ろを向く場合と過去に目を向ける場合の両方に使う。後者の意味で使う場合は、look back on ~という形になる。使用例としてはOasisの『 Don’t look back in anger 』を聴いてほしい。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, C Rank, のん, ヒューマンドラマ, ラサール石井, 大平サブロー, 小宮孝泰, 日本, 監督:杉山泰一, 能年玲奈, 配給会社:東映ビデオLeave a Comment on 『 星屑の町 』 -映画の形をした舞台劇-

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