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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 映画

『 くれなずめ 』 -青春を終わらせるな-

Posted on 2021年5月30日 by cool-jupiter

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くれなずめ 70点
2021年5月27日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:成田凌 高良健吾 若葉竜也 藤原季節 浜野健太 目次立樹  
監督:松居大悟

 

プロデューサーの和田大輔、なんとJovianの大学の後輩である。隣の寮に住んでいた脳筋の変人だったが、いつの間にやら文化人かつ商売人になっていた。今後もプロデューサーとして活躍していくと思われるので、和田大輔プロデュース作品には是非とも注目してくだされ。

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あらすじ

友人の結婚式のために久しぶりに集まった吉尾(成田凌)や明石(若葉竜也)らだったが、余興が盛大にすべってしまった。気まずい空気に包まれたまま、彼らは二次会までの時間をつぶそうとする。そして、かつての自分たちの友情を回想していき・・・

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ポジティブ・サイド

タイトルに反応して、「くれ~なず~む街の~」と口ずさむのは立派なオッサンだろう。くれなずむというのは、今の季節だと午後6:30から午後7:00ぐらいの逢魔が時が続いていく感じを指す。結婚式に出席するということは、同年代が結婚しつつあるという意味で、独身貴族の時期の終わりを予感させる。しかし、まだ一人を楽しみたい。まだ完全に大人になりたくない。そのような若者のパトスを象徴的に表すタイトルである。

 

成田凌や若葉竜也、藤原季節など売り出し中の若手のエネルギーがそのまま画面にみなぎっている。そこに混じる高良健吾が『 あのこは貴族 』の時と同じく、 condescending  な感じを出すか出さないかのギリギリの線の演技で、若者と大人、フリーターと社会人の境界線上のモラトリアム人間を好演していた。かつての親友たちが各々に成長していたり、あるいは社会参加を拒んでいたり、まるでかつての自分や自分の友人たちとの関係を思い出す世代は多いだろう。特にJovianのようなロスジェネ世代には、その傾向が強いのではないか。

 

アホな男たちのアホな乱痴気騒ぎが延々と続くが、それぞれがロングのワンカットになっているのが印象深い。ワンカットによって場の臨場感が高まるし、観ている側もその場に参加している感覚が強くなる。対照的に回想シーンでは随所にカットを入れ、カメラのアングルを変えていく。まるで記憶を色々と編集しているかのように。こういうことは結構多い。友人の結婚式などに参加して、昔の写真や映像を観ると、自分の記憶と実は少し違っていたりすることが往々にしてあるからだ。

 

主人公である吉尾とその悪友たちの現在のまじわりが、過去の様々なエピソードに繰り返し、あるいは焼き直しになっているところが面白く、リアリティがある。野郎どもの友情というのは時を超える、あるいは時を止めるのだ。おそらく本作の登場人物たちのような30歳前後の男性には、非常に突き刺さる者が多い作品であると思う。

 

割とびっくりするプロットが仕込まれているが、開始数分で非常にフェアな伏線が張られているので、これから鑑賞するという人は、そこに注意を払えれば吉である。

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ネガティブ・サイド

前田敦子は悪い演技を一切していなかったが、これは大いなるミスキャストではなかったか。観た瞬間から「ああ、このキャラの因果はこれだな」と想像がつく。

 

ある時点で舞台が切り替わるが、そこからの展開がどうしようもなく陳腐で、映像としてもお粗末だ(ガルーダ・・・)。下手なCGやVFXなど使わず、素直に高校時代の回想シーンと同じで良かった。原作の舞台のノリを持ってくるのなら、それを映画的に翻案しなければならない。映画→舞台→映画という感じで、トーンの一貫性を大いに欠いていた。

 

また結婚式場から二次会の会場に向かうはずの最終盤の「くれなずむ街」のシーンが、どう見ても盛り場からは遠く離れた場所。ロケーションありきで、絵的なつながりが無視されていた。

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総評

藤原季節が出演していること、そして青春の象徴との別れという意味では『 佐々木、イン・マイマイン 』の方が個人的には面白いと感じた。だが決して駄作ではない。良作である。モラトリアムが長くなった現代、青春ときっぱり決別するのはなかなか難しい。むしろ、青春をできるだけ長く生き続けようとする、つまり日が暮れようとしていながらも、まだまだ暮れないという人生を送る人が増えている。日暮れて途遠しとなる人も同じくらい増えているように思うが、それでも今という時代にを生きる人間にエールを送る作品に仕上がっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

afterparty

「二次会」の意。これは実際にネイティブも頻繁に使う表現である。ちなみに三次会はafter-afterpartyと言う。大学生の頃にアメリカ人留学生に教えてもらった時は、”You gotta be kidding me, right?”と反応してしまった。嘘のようだが、本当にそう言うのである。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, 成田凌, 日本, 浜野謙太, 監督:松居大悟, 目次立樹, 若葉竜也, 藤原季節, 配給会社:東京テアトル, 青春, 高良健吾Leave a Comment on 『 くれなずめ 』 -青春を終わらせるな-

『 しあわせのマスカット 』 -ご当地ムービーになっていない-

Posted on 2021年5月25日 by cool-jupiter

しあわせのマスカット 40点
2021年5月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:福本莉子 竹中直人
監督:吉田秋生

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岡山が舞台の物語だという。そして主演は『 思い、思われ、ふり、ふられ 』の福本莉子ということでチケットを購入。うーむ、なんとも微妙な出来であった。

 

あらすじ

祖母の土産にと買った「陸乃宝珠」に感動した春奈(福本莉子)は、メーカーである源吉兆庵への就職を果たす。しかし、どこに配属されても春奈は失敗ばかり。ついには商品部の援農業務として、偏屈で名高いブドウ農家の秋吉伸介(竹中直人)の元へと出向くことになり・・・

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ポジティブ・サイド

Jovianは岡山市内の高校(岡山中学高等学校)に通っていたので、岡山駅前にも詳しかった。それこそ桃太郎大通りからシンフォニーホール、さらに天満屋から清輝橋あたりまでは庭みたいのものだった。なので、開始早々のシーンは「おお、これ、あそこやん」と劇場で一人で盛り上がっていた。

 

全体的なキャラクターの描写も悪くない。『 ハルカの陶 』でも存分に描かれていたが、岡山人は基本的に偏屈、かつ外部から来た人間には冷たい。これは岡山に8年住んだ関西人のJovianが断言する。そうした岡山人の実態がよくよく再現されている。

 

逆境に負けない春奈というキャラの力強さが、物語を通じて分かりやすく伝わってくる。演じた福本莉子が『 思い、思われ、ふり、ふられ 』のやや陰のあるキャラではなく、天真爛漫を地で行くキャラを好演した。印象的だったのは配属先で次々に失敗をするシーン。盛大にやらかしているのだが、本人は会心の対応をしているつもり。特に最初の天満屋で和菓子を買いに来たマダムをお花屋さんに連れて行ったのには笑った。そこで春奈が見せる笑顔の放つパワー。喜怒哀楽は縁起の基本だが、この笑顔の素敵さは確かになかなか演出したり、指導したりができないものかもしれない。

 

竹中直人も岡山弁をまあまあ使いこなせていた。この偏屈なブドウ農家の親父は『 ハルカの陶 』の若竹修に通じるものがあった。つまり、血縁者の不幸を抱え、ただでさえひねくれ者だった気質がさらにひねくれてしまったというもの。竹中直人はどうしてもコメディックな要素が強い役者だが、今回のような頑固一徹なオヤジもよく似合うと、その魅力を再確認した。

 

ストーリーは特にひねりもなく、ストレートなもの。なので映画マニアにもカジュアル映画ファンにとっても観やすい。福本莉子は今後熟れてくる・・・ではなく売れてくると思うので、今のうちにチェックしておいて損はないはずだ。

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ネガティブ・サイド

吉田秋生監督は制作時に映画とテレビドラマの違いをどこまで意識したのだろうか。映画は映像や音楽、効果音、そして台詞で物語るもの。テレビドラマは、ひたすら台詞で物語るもの。その違いを考慮していたようには思えなかった。たとえばマスカット栽培地に陽光が燦々と降り注ぐシーンを期待したが、そんなものは一切出てこなかった。なぜ岡山はブドウ作りに適しているのか。それは「晴れの国」だからだ。雨が少ない地域だからだ。そして田舎であるがゆえに山が多い、つまり丘陵地が多いため、それがブドウ栽培に適しているのだ。そうした岡山らしい気候や天気、風土が少しでも大画面に映し出しされたか。全く映し出されなかった。岡山が舞台であることを示すなら、岡山らしさを視覚的に雄弁に物語る映像がなによりも必要だった。93分の映画なのだから、そうしたシーンを入れても95分程度だっただろう。

 

中河内雅貴演じる達也の岡山弁もひどい。というか、岡山弁らしき言葉を使ったのは最初の30秒だけ。あとはほぼすべて標準語。どこの出身かと調べてみればお隣の広島。岡山弁と広島弁の違いは播州弁と大阪弁(摂津方言)程度。吉田監督は中河内にもっと真剣に演技指導をすべきだったし、ご当地映画を作ろうという気概を見せるべきだった。

 

終盤の西日本豪雨関連のシーンは、映画全体の流れから完全に浮いていた。基本的なストーリー進行、つまり伸介が春奈との奇妙な交流を機に息子の太郎の死を受容するという過程が、西日本豪雨のせいで、きれいさっぱり洗い流されてしまった。悲劇を乗り越えるのに、もう一つ別の悲劇が必要だろうか。

 

春奈のキャラにも一貫性がない。「笑顔は教えられない」という社長の言は正しい。だが、春奈の笑顔が物語を動かすことは最終盤までなかった。また、春奈のカーリングのバックグラウンドが語られるのも前振りが無いし、姉が春奈を北海道に呼び戻そうとするのも唐突すぎる。最も不可解だったのは、春奈がビニールハウスに入ったときにたびたび感じる人の気配。そうしたものを描くのなら、それこそ岡山の風土、ブドウの生態、そして祖母の生と死を春奈がどのように見つめてきたのかを事前に描く必要があった。丹念にでなくともいい。時間にして3分。岡山という土地を映し出すシーンと合わせても98分。それぐらいの編集は可能だろうし、実際にそうすべきだった。その構想をそもそも持っていなかったというのなら、吉田監督にはもう一度映画とテレビドラマの違い、そしてご当地映画とは何かを勉強し直してほしいと思う。

 

総評

本当は35点なのだが、元岡山県民として5点オマケしておく。ご当地ムービーとしては何もかもが中途半端だし、キャラを押し出したいのか、それともストーリーで感動させたいのかが分からない。岡山が舞台の映画なら(岡山らしさはあまり感じられないが)『 8年越しの花嫁 奇跡の実話 』をお勧めしておく。もっとディープな岡山を堪能したいなら、岩井志麻子の小説『 ぼっけえ、きょうてえ 』を挙げておく。かなり古い本だが、ここに収められた短編はどれも時を超えた普遍的な恐怖を与えてくれる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

graft

医学的な意味での「移植」の意味。これが植物学になると「接ぎ木」となる。また「収賄」の意味で使われることもあるが、「誰かが何かを誰かに与えること」だと理解すれば多種多様なgraftの意味の全体像を把握しやすくなるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント岡山弁レッスン

やっちゅもねえ

くだらん、つまらん、意味わからん、というような意味。ほとんどの場合、「やっちゅもねえこと言うな」、「なにをやっちゅもねえこと言いよんなら」のように否定・禁止や疑問の文脈で使われる。もしも岡山に引っ越して、岡山人から「岡山弁覚えたか?」と聞かれたら「やっちゅねえこと言われな」と返すべし。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 監督:吉田秋生, 福本莉子, 竹中直人, 配給会社:BS-TBSLeave a Comment on 『 しあわせのマスカット 』 -ご当地ムービーになっていない-

『 ローグ 』 -密猟、ダメ、絶対-

Posted on 2021年5月22日 by cool-jupiter

ローグ 60点
2021年5月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ミーガン・フォックス
監督:MJ・バセット

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MOVIXが平日の日中限定で営業再開。溜まっている有給の消化も兼ねて、久しぶりに映画館へ向かう。座席の間隔を空ける。飲食をしない。しゃべらない。これを徹底すれば、映画館はかなり安全安心な環境であると感じた。

あらすじ

傭兵部隊のキャプテンであるサム(ミーガン・フォックス)は、テロリストに誘拐された州知事の娘を救出するため、隊員を率いてアフリカにやってきた。人質と人身売買されていた少女たちを辛くも救出するが、敵の追撃により救援のヘリを失ってしまう。そして逃亡した廃村でさらなる救援を待つサムたちだが、そこには追手が迫っているだけではなく、凶暴なライオンも潜んでおり・・・

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以下、マイナーなネタバレあり

ポジティブ・サイド

ストーリーなどはあってないようなものである。密漁者がライオンを殺しそこねて、逃げられた。逆にライオンの反撃を食らってしまう冒頭のシークエンスは雑もいいところだが、製作者が描きたいのはそこではない。早く主人公たちを登場させたい。ドンパチさせたい。そして、ライオンが暴れるところを描きたい。観る側も、早くミーガン・フォックスが暴れるところを観たい。ライオンに襲われるところが観たい。作り手と観客の思いがシンクロして、序盤の救出シーンから廃墟での銃撃戦&ライオンとのバトルまで、あっという間である。1時間50分ほどの映画だが、体感では1時間30分ちょうどぐらいだった。

ストーリーがないと言ってしまったが、実はそれなりに練られたメッセージも込められている。一つにはライオン密猟の問題。もう一つに欧米列強によるアフリカの侵略と支配。さらに、イスラム過激派の侵入。こうした事情が複雑に絡み合った先に、各キャラクターの設定や物語の背景が見えてくる。

傭兵映画らしさ全開で、随所に one-liner が炸裂する。最も印象的だったのは、 クライマックスのサムの放つ”You get to decide which bitch is going to kill you.”という台詞。bitchを含む名セリフとしては『 エイリアン2 』のシガニー・ウィーバーの”Get away from her, you bitch!”に次ぐインパクトだ。

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ネガティブ・サイド

人質および人身売買されていた少女たちがひたすらにうざい。有能な敵よりも無能な味方のほうが怖いと言われるが、まさにそういう存在だ。問題なのは、プロ中のプロである傭兵団のキャプテンであるサムが、いつまで経っても彼女らにルールを叩き込もうとしないこと。自分の言うことに従わなければ殴る・・・まではいかなくとも、何らかの不利益を被る。そういう躾のようなものが序盤にあってしかるべきだったと思う。そのせいか、序盤でいきなり少女の一人が退場させられた時には、心の中で「よっしゃ!」と思ってしまったほどである。

上の退場シーンとの関連で感じたのが、サムの仲間の傭兵団の一人である地元出身のアフリカン。ライオンのことに異様に詳しいのに、ワニについては何の知識もなかったのだろうか。そんなはずはないと思うが。

サムの戦闘力にはそれなりの説得力があったが、キャプテンシーの面ではどうか。序盤でガキンチョたちにルールを教え込まないのも問題だと思ったが、自分のチームの隊員が、地元アフリカ出身、元過激派の一員だったということで非常なる口激を食らうが、それに対する擁護もなし。そら何人かのチームメンバーからキャプテンとは認められんわな。何故にここまで中途半端なキャラクターにしたのか。

総評

ストーリー性やキャラクターの深堀りを求めてはいけない。派手なガンファイト、忍び寄るライオンの恐怖。それらを堪能するだけでよい。製作者側はホラーやスリラーの要素を強めに作りたかったのだろうが、『 コマンドー 』や『 プレデター 』といった面白系One-linerが目立つアクション映画である。そういった系統の作品が好きな人なら、存分に楽しめることだろう。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

bitch

いわゆる swear word である。意味はあまりにも多彩で、名詞にもなれば動詞にもなる。この語が正しく使えれば、英検マイナス2級、TOEIC L&R で1800点だと判定する。「あばずれ女」や「売女」の意味でも使うが、現代的には(本当はもっと前から) a bitch = やばい人、酷い事柄のような意味がある。1970年代にはロッド・スチュワート御大がすでに”Ain’t love a bitch”(邦題は『 あばずれ女のバラード 』)をリリースしていた。興味がある向きはググられたし。また、ボクシングやプロレスを観る人なら、ボクサーやレスラーがリベンジマッチに臨む前に、”Payback is a bitch!”と咆えるのを聞いたことがあるだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アクション, イギリス, ミーガン・フォックス, 南アフリカ, 監督:MJ・バセット, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 ローグ 』 -密猟、ダメ、絶対-

『 ビューティー・インサイド 』 -韓流ファンタジーの秀作-

Posted on 2021年5月18日 by cool-jupiter

ビューティー・インサイド 80点
2021年5月15日 Amazon Prime Videoにて鑑賞
出演:ハン・ヒョジュ イ・ドンフィ
監督:ペク

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ファンタジーといっても剣と魔法と竜の世界ではない。実験的なラブロマンスと言った方が正しいかもしれない。ハン・ヒョジュの魅力が存分に堪能できるが、それ以上に恋愛や人間関係の本質についての深い考察がある。

 

あらすじ

キム・ウジンは18歳の頃から、寝て起きるたびに顔かたちが変わってしまうようになった。以来、人と会うことができず、交流があるのは母親と親友のサンベク(イ・ドンフィ)だけ。家具のデザイナーとして、ネットを使ってビジネスで生計を立てていた。ある時、家具屋で働くイス(ハン・ヒョジュ)に一目惚れしたウジンは、彼女にふさわしい顔になるのを待って、イスをディナーに誘うが・・・

 

ポジティブ・サイド

ハン・ヒョジュがひたすらに魅力的である。ドラマ『 トンイ 』は全話リアルタイムで観たが、ドラマよりも映画の方が映えるように思う。びっくりするような美人ではないが、いつまでも眺めていたくなる美しさがある。どこか上流階級の匂いを放っているが、嫌味なところが一切ない。Jovianも大昔のガールフレンドに「女の子はいつも不安でいっぱいなんだぞ」と説教されたことがあるが、そうした不安を表す表情も素晴らしいと思う。ハン・ヒョジュを指して清純派女優と評する日本の映画レビューサイトやライターが多いが、何か思い違いをしているように思う。濡れ場を演じないのが清純派ではない。濡れ場を演じても、色気よりも美しさや気高さを感じさせる。清純派とは、そういう女優を指す。その意味では、ハン・ヒョジュは『 ただ君だけ 』でも本作でも証明したように、間違いなく清純派であろう。まあ、濡れ場といっても肝心なところは何も見えない非常にソフトな描写なんだけれどもね。

 

他の主要キャラとしては、ウジンの親友のサンベクがクッソ面白い。邦画のロマンスでは、主人公の男の親友は往々にして物分かりの良い理解者で、非常に清い友情を保っている。だが、このサンベク。中年おばちゃんになってしまったウジンとの会話で、「俺の好きな日本の女優は?」と問い、しかもその答えが「蒼井そら」。笑うしかない。さらに、ウジンとイスのALX事務所でのお寿司デートの現場で、ラブチェアを揺らしながら「やめて、やめて」と日本語で言う。こんなん笑うしかないやん。しかし、この男、バカではない。親友をイスに取られたことの悔しさを隠そうとしない男らしさがある。本物の友情がある。そして、イスに対して本当自分が感じていることを告げるだけの度胸と、イスにどう思われても構わないというだけの度量がある。なぜ邦画はこういう脇役を生み出せないのか。

 

順調に見えたウジンとイスの関係だが、ちょっとしたことをきっかけに綻びが生まれてしまう。だが、ウジンは男というアホな生き物なので、不安な女子であるイスの気持ちが分からない。このあたりのすれ違いには純粋に胸が痛くなる。『 ただ君だけ 』でも、終盤にハン・ヒョジュが主人公に気づかずに行ってしまうという、胸が潰れそうになるシーンがあるが、本作はそれをなぞっている。いや、ある意味では『 ただ君だけ 』以上に辛く悲しい。なぜなら、ウジンには顔がなく、イスもウジンの顔を思い出せないから。触ったり、声を聴いたりしたら認識できるわけではないということがウジンの悲劇性を高めている。

 

しかし、よくよく考えてみれば、我々の顔だって年月とともに変わる。20歳と40歳で全然違う顔になっている者もいれば、40歳と70歳で別人になる者だって珍しくない。人を愛するとは、人を愛することであって顔を愛することではない。『 君の名は。 』で少し述べたが、夫婦とはお互いにしか通じないジェスチャーやパロールを作り上げる過程と言えなくもない。そういう意味で、ウジンとイスの関係は、恋人同士よりも夫婦になってこそ輝くものであるように思う。これは素晴らしい恋愛ファンタジーだ。

 

ネガティブ・サイド

素朴な疑問として、ウジンはどうやって運転免許を取ったのだろうか。18歳で寝るたびに顔が変わってしまうようになったというが、その時は制服を着ていた。つまり高校生だったわけで、車の免許はいつ取ったのだろう。何かそのあたりの描写が欲しかった。

 

終盤でウジンは韓国の外に行ってしまうわけだが、パスポートはどうやって取得したのか。日本ではどんなに早くても申請から受け取りまでは1週間はかかるはず。韓国は1~2日で発行されるのだろうか。仮に同じ顔で受け取れたとしても、渡航先のチェックをどうやって潜り抜けたのだろうか。国内のどこか別の都市で良かったのではないかと思う。

 

総評

韓国映画の極端さが良い方向に出た秀作。超極端な設定ながら、人間関係・男女関係の普遍的な芯は外していないという丁寧なつくり。主役を100人以上が演じながら、違和感を抱かせない演出力。日本ネタや日本語セリフもあるので、韓国映画ファンのみならず、邦画ファンにも堪能してほしい。若いカップルの巣ごもり鑑賞にも適しているし、ベテラン夫婦も大いに楽しめるはずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

There’s no one here by that name.

「ここにそのような名前の者はおりません」の意。電話での応答にも使える。ついつい with that name と言いたくなってしまうが、こういう場合の前置詞は by である。 go by the name of  ~ =「~という名前で通っている」または go by the nickname of ~ =「~というニックネームで通っている」というような時にも by を使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, イ・ドンフィ, ハン・ヒョジュ, ファンタジー, ラブロマンス, 監督:ペク, 配給会社:ギャガ・プラス, 韓国Leave a Comment on 『 ビューティー・インサイド 』 -韓流ファンタジーの秀作-

『 デイアンドナイト 』 -善悪の彼岸へ-

Posted on 2021年5月16日 by cool-jupiter

デイアンドナイト 75点
2021年5月12日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:阿部進之介 安藤政信 清原果耶
監督:藤井道人

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『 宇宙でいちばんあかるい屋根 』の清原果耶と藤井道人監督の初タッグ作品。『 るろうに剣心 最終章The Final 』で頭のイカレタ鯨波兵庫を熱演した阿部進之介の熱演が光る。

 

あらすじ

明石幸次(阿部進之介)実家に帰ってきた。父が大手企業の不正を内部告発したことで家業は倒産に追い込まれ、本人は自殺した。そんな中、北村(安藤政信)という男が接触してくる。北村はは児童養護施設を運営しながら、その資金を車両の盗難などの犯罪で得ていた。そして明石にその仕事を手伝ってほしいと言ってきて・・・

 

ポジティブ・サイド

『 七つの会議 』を彷彿させる出だしで、日本の闇を感じさせる。不正を告発することよりもコミュニティの輪を乱す方が悪いという考え方は実に日本的であるが、それによって潰される個人はたまったものではない。『 七つの会議 』との違いは、タイトルにある通り昼=Dayと夜=Nightとで異なる顔を持つ者たちの物語になっているところである。我々は「お天道様が見ているから」という理由で、明るいうちには悪事には手を染めない。しかし、夜には夜の顔がある。ポイントは、昼が正しく、夜が間違っているというわけでは決してないということだ。

 

安藤政信演じる北村は、その二面性を上手く表している。昼に養護施設で見せる顔と、夜に工場で野郎どもに見せる顔の違いに、役者としての凄みを見せる。「お父さんも手伝ってくれていた」という言葉で明石を巧みに勧誘し、「見て覚えて」と有無を言わせず仲間に引き入れる。阿部進之介演じる明石も同じ。何の変哲もない男で日の光の当たる世界に居場所を持つはずが、裏社会に染まっていく。このあたりの描写に説得力がある。汚い方法で得たカネで恵まれない子どもを養うのは悪なのか、不正を告発することで多くの人間が職を失うことになってしまうのは悪なのか。

 

昼の世界と夜の世界に生きる明石をつなぎとめ、かつ、さらに濃い闇に染める存在としての奈々の存在感がとにかく素晴らしい。皆と群れることなく孤独に絵を描いている時に上空を雁行で飛んでいく鳥の群れが象徴的だ。施設の中での一番の年長で、自分が先陣を切ってこの場所から羽ばたいていく。そんな決意がにじみ出ている。厨房でひとり黙々と働く明石に寄り添い、相手の孤独を癒そうとしながら自分の孤独を癒そうとするところなど、femme fataleの素養も十分。この世代では南沙良と清原果耶がトップランナーだろう。

 

明石の復讐劇。北村の持つ因果。善行のために悪行を為すという矛盾。そうした人間の心の中の迷いのうねりが、海岸線沿いに立ち並ぶ巨大な風車に仮託されているようだ。巨大な力に押しつぶされそうになる明石が、最後の最後に父親の復讐に打って出るシーンは圧巻。一発で収録しなければならない緊張感がびりびりと伝わってきたし、役者たちもそれに応えた。復讐で得られるものは何か。復讐で成し遂げられることは何か。日本社会の縮図とその中の人間模様のリアルさに考えさせられることしきりであった。

 

ネガティブ・サイド

冒頭の父親の残した手記にある「善と悪」についての省察は良かったが、劇中のナレーションや最終盤での父の幻影とのやりとりはさすがにくどいと感じた。犯罪で得たカネを孤児院の運営に使うのは善なのか悪なのかということは、序盤ですでに十分に伝わっているし、明石の父の死も善と悪の狭間の出来事であることは直感的に理解できている。

 

麻薬の売人を容赦なく叩きのめしていたが、そんなことをしていると警察よりもヤクザ、あるいは半グレの方から先に報復を受けそうに思うが。ある意味で、悪と悪がぶつかり合う本作であるが、世の中にはたくさんの事情の異なる悪が存在するという場面がほんの少しでいいからほしかった。

 

舞台は秋田ということだが、清々しいまでに秋田弁が出てこない。『 泣く子はいねぇが 』を少しは見習えと言いたい。

 

総評

藤井道人監督の現実感覚が良く表れた傑作であると思う。善と悪の境界にあるのは、強い人間の思いである。憎い相手への復讐と、守りたい相手を守るということ。まるで韓国映画の十八番のリベンジスリラーのようだが、その手法を日本社会に当てはめたのが特徴的。人間の業に善悪などないものだが、それによって恩恵を受ける者、被害に遭う者などもあり、仏教的な意味での縁起について考えさせられる。藤井監督の問題意識は『 新聞記者 』よりも本作のほうが濃いように思う。いぶし銀の脇役・阿部進之介の主演作かつ代表作としても見逃せない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Watch and learn

「見て学べ」、「見て覚えろ」の意。職場でも使うし、軍隊などでも使う。日本っぽ言い回しにするなら、「背中を見て学べ」だろうか。実際には人間よりも、人間以外の哺乳類の親子や兄弟がこれを実践しているように思う。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, クライムドラマ, 安藤政信, 日本, 清原果耶, 監督:藤井道人, 配給会社:日活, 阿部進之介Leave a Comment on 『 デイアンドナイト 』 -善悪の彼岸へ-

『 ファイティン! 』 -マ・ドンソクの目にも涙-

Posted on 2021年5月11日 by cool-jupiter

ファイティン! 70点
2021年5月9日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マ・ドンソク ハン・イェリ クォン・ユル
監督:キム・ヨンワン

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頭のリセットモードを継続するために、マ・ドンソク作品をpick outする。いつも通りにマ・ドンソクが悪人たちに鉄拳制裁を加えていく話かと思いきや、意外にもスポ根、ヒューマン、ファミリーの要素が色濃い作品であった。

 

あらすじ

元アームレスラーのマーク(マ・ドンソク)はクラブの警備員でその日暮らしをしていたが、偶然に出会ったジンギ(クォン・ユル)に勧誘され、韓国でアームレスラーとして出直すことを決断する。帰国後、生家を訪ねたマークは自分の母の娘だというスジン(ハン・イェリ)とその子どもたちに出会う・・・

 

ポジティブ・サイド

アメリカはLAから物語が始まるが、そこでマ・ドンソクがかなり流暢な英語を披露する。元々、アメリカに住んでいたバックグラウンドがあるので当然と言えば当然だが、これぐらいまともな発音なら、アメリカ育ちという設定にも説得力が生まれる。

 

場末のクラブでバウンサーをしているその目が死んでいる。まったく生き生きしていない。しかし、ジンギに出会い、成り行きで腕相撲をすることになった瞬間の表情の変化は、マ・ドンソクの確かな演技力を感じさせる。そこであっさりとクラブを首になってしまうのだが、死んだ目のマークはもういない。心機一転を決意した男の顔になっている。マ・ドンソクはアウトローや警察といった、元々暴力と親和性の高いキャラを演じることが多いが、本作ではアスリート。ワルの目ではなく、アスリートの目になっている。

 

マ・ドンソクが妹のスジンと出会う前に、甥っ子姪っ子と遭遇するシーンも面白い。熊みたいな見た目と評されて小さくなってしまったり、モーテルの電動ベッドでヴヴヴヴヴと揺られてみたり、超高たんぱくなバーガーを手作りしてみたりと、かわいいオッサンになっているシーンが随所に挿入される。確かにこのアメリカ系韓国人は、強面でありながら、どこか子どもがそのままでかくなったような雰囲気を湛えている。このギャップは素晴らしい。マ・ドンソクの新しい顔を見たように思う。もちろん、鉄拳制裁シーンもあるので安心してほしい。

 

本作の肝は主に二つ。一つにはしっかりとスポーツとしてのアームレスリングが描かれていること。トレーニングやテクニックについての描写があるのはありがたい。マイナーなことこの上ない競技であるアームレスリングだが、誰でも出来るし、やったことのある腕相撲である。ちょっとした解説で一気に親しみがわいてくる。

 

もう一つに、家族とは何かということ。ほとんど会ったことがなくても家族なのか。血のつながりがあれば家族なのか。家族とは「家族である」ことよりも「家族になる、家族であろうとする」ものだというテーマを、本作は提示する。韓国映画は『 ブリング・ミー・ホーム 尋ね人 』でも描かれていたが、養子に出すことも、養子を取ることも、日本より抵抗が薄そうである。そうした養子が、しかし、何の試練も乗り越えることなく家族になれるわけではない。しかし、試練の先には強い家族の絆が生まれる。『 ミナリ 』でも存在感抜群だったハン・イェリが本作でも肝っ玉母さんぶりを見せつける。家族とはその手に掴み取るもの。ベタベタな展開だが、そのように思わせてくれる物語だ。

 

ネガティブ・サイド

教育ママとガリ勉息子のシーンは不要だったかな。お隣では英語力≒就職力だと聞くが、どうせならマ・ドンソクにもっと英語でしゃべらせて、嫌味な親子を撃退してほしかった。中途半端に「英語が上手ですね」ではなく、「げ、自分や息子よりもはるかに英語ができる相手だ」とタジタジになるまでやってほしかった。

 

アームレスリング大会で八百長を持ちかけてくる男の上役も中途半端な英語を話すが、マ・ドンソクとこの男の間で英語のやり取りが欲しかった。ここでも周りを置き去りにして、分かる者にだけ分かる言葉を交わすことで、マ・ドンソクの決意の強さを見せてほしかった。

 

悪役であるはずのパンチという男にラスボス感がない。刑務所の牢名主が元選手としての強さを維持できるだろうか。故意に対戦相手に怪我をさせるスタイルで勝負していては、結果的に真剣勝負ができる=実力を維持できる、という環境を自分で破壊してしまっているように思う。

 

ジンギとマークの間の奇妙な友情が深まっていくシーンが不足していたように思う。マ・ドンソクの食わず嫌いを直してやるのは面白いが、LAのコリア・タウン(Jovianも行ったことがある)と接触しながら生きてきて、韓国料理に抵抗を示すというのは、ちょっと腑に落ちなかった。ジンギは裏社会の人間にボコられているところをマークに助けられる、あるいはマークと一緒にヤクザ相手に殴り合いのケンカをするなどの演出が必要だったのではないか。

 

総評

マ・ドンソクらしさ全開である。個人的にはマブリーという愛称にいまいちピンと来なかったのだが、本作を観て「マ・ドンソク+ラブリー=マブリー」という等式の意味が分かった。友情、努力、勝利、家族。臭すぎる展開ではあるが、ラストのマ・ドンソクの涙に胸を打たれない者がいようか。韓国の容赦ない暴力テイストが苦手だ・・・という人にとっては格好の韓国映画入門になっている。マ・ドンソクのファンならば必見だし、マ・ドンソクを観たことがない人は、本作から観始めると良いだろう。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ヤクソク

韓国語でも約束はヤクソクと発音される。これは日本語と韓国語が同じなのではなく、語源となった中国語の読み方が両国で似通っていたというものらしい。この言葉が使われるシーンでは指切りも行われるが、そこでも日韓の指切り文化の違いを見ることができる。つくづく近くて遠い、そして遠くて近い国である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, クォン・ユル, スポーツ, ハン・イェリ, ヒューマンドラマ, マ・ドンソク, 監督:キム・ヨンワン, 配給会社:彩プロ, 韓国Leave a Comment on 『 ファイティン! 』 -マ・ドンソクの目にも涙-

『 ブリングリング 』 -泥棒、ダメ、絶対-

Posted on 2021年5月9日 by cool-jupiter

ブリングリング 50点
2021年5月8日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ケイティ・チャン エマ・ワトソン イズラエル・ブルサール
監督:ソフィア・コッポラ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210509194932j:plain
 

時間つぶしにTSUTAYAで借りてきた。難解な哲学書を読んでいて、頭をリセットする必要がある。そうした時には、何も考えていないティーンの映画でも観るに限る。これは偏見かな。

 

あらすじ

マーク(イズラエル・ブルサール)は転校先で出会ったレベッカ(ケイティ・チャン)に誘われ、ふとしたことから空き巣と窃盗の共犯になってしまう。やがてニッキー(エマ・ワトソン)らも加わり、彼らはハリウッドのセレブたちの留守を狙って、豪邸への侵入を繰り返すようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

ティーンの日常風景が生々しい。ドロドロとした虐めや派閥争いではなく、淡々とした友情を淡々と描き出す序盤は、ドキュメンタリーのようにも感じられた。元が実話だからしょうがない。何度も侵入されては、色んなものを盗まれるパリス・ヒルトンだが、実際に自宅を撮影用に提供したというのだから、商魂たくましいと言うしかない。その豪邸の広さ、物の多さ、そして至るところから発せられる強烈なナルシシズムからは、確かにティーンならずとも惹きつけられてしまうカリスマ性を感じる。

 

戦利品のアイテムや金を使ってガキンチョどもが何をするかと言えば、お定まりのショッピングにドラッグ、そしてクラブ通い。このあたりは大人も子どももアメリカ人らしさ全開という感じがする。『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』のディカプリオも目のくらむよう大金を稼いで、同じようなことをやっていた。これも陳腐でありながら生々しい。リアルであると感じる。

 

生々しいのは、犯行に及ぶティーンたちの無計画性。そして、今風の言葉で軽く評するなら、自己承認欲求の強さ。なぜセレブ宅への侵入と窃盗の現場で写真を撮るのか、そしてそれをSocial Mediaに上げてしまうのか。なぜ自分たちの盗みを同級生たちに自慢してしまうのか。そして、犯行現場で素手であれやこれやをべたべたと触って指紋を残すのか。帽子もかぶらず、髪の毛も落としまくっていくのか。『 アメリカン・アニマルズ 』での、凝りに凝った犯行計画を練り上げていく過程とは対照的に、本当に何も考えずに次から次へと犯行を繰り返すブリング・リングの面々には嫌悪感すら催してしまう。観る側をこのような気持ちにさせた時点で、本作は一定の成功を収めていると言えるだろう。

 

ネガティブ・サイド 

『 スプリング・ブレイカーズ 』は青春への決別を映し出していたが、本作で描かれるブリングリングの連中は、マークを除いて全員アホである。反省の色が見られない。いや、反省しないだけならいいのだが、その原因を何らかの形で劇中で提示すべきだろう。ホームスクーリングや離婚した両親など、思わせぶりな描写は多いが、それは事実であって仮説の形にはなっていない。有罪が確定しているにもかかわらず、自らの将来をメディアに高らかに語ったり、事件の真相を知りたければ自分のウェブサイトを見ろと宣伝するニッキーは、どこまでも薄っぺらい。本当なら、そうしたティーンのアホな自己承認欲求をかなえる手伝いをするような映画ではなく、何が彼女たちをそこまで駆り立てたのかを考察し、そこを盛り込むべきだった。

 

他に不足を感じたのは、マスコミ及び大衆の反応の描写。アホなティーンがある意味で同じくらいアホなセレブに経済的な痛撃を一時的にも加えたこと、そしてそれを口コミおよびSocial Mediaを通じて一時的にもセンセーションを作り出したことを、当時のニュース映像と対比する形で挿入すべきだった。そこをもう少し手厚く描写しないと、ブリングリングの連中が特別だったことになり、ごく一部の無軌道な若者、若気の無分別の物語になってしまう。そうではなく、若いうちは(老いてからでも)誰でも道を踏み外す可能性があること。そして、セレブであろうが誰であろうが、情報の取り扱い、そのリテラシーについてもっと注意を要すべしという教訓が伝わってこない。

 

エマ・ワトソンは悪い女優ではないが、特別に良い女優でもないと今作の演技から感じた。ハリポタのハーマイオニーというはまり役は、『 スター・ウォーズ 』におけるルークやハン・ソロと同じく、役者の素の顔を引き出す演出が奏功したというのが大きい。本作のエマ・ワトソンのあざとさはあまりにも意図的で、逆に演技くさくなっている。本当のエマ・ワトソンの演技を観たい向きは『 ウォールフラワー 』を鑑賞すべし。 

 

総評

ハリウッドの豪邸に入り込んで、好き勝手なことをする。そんなことが出来るんかいなと思ってしまうが、『 ビバリーヒルズ・コップ2 』でもエディ・マーフィーが同じようなことをやっていたなと思い出した。つまりは出来てしまうし、実際にそうした事件が起きた。盗みに入る方もアホだなと思うし、盗みに入られる方もアホだなと思う。『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』のシャロン・テートの教訓からセレブたちは学んでいないのかと考えさせられるが、この能天気さや鷹揚さもアメリカの特徴なのだろう。暇つぶし用、典型的な a rainy day DVDである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

for all I know

文頭または文末に使って、「多分」、「もしかしたら」という意味を加える。

For all I know, the champion could lose.

I want to be a politician. I could even become Prime Minister for all I know.

のように使う。関西人ならば語尾につける「知らんけど」とほぼ同じだと説明すれば一発で理解できるかもしれない。知らんけど。

 

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Posted in 国内, 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, イギリス, イズラエル・ブルサール, エマ・ワトソン, クライムドラマ, ケイティ・チャン, ドイツ, フランス, 日本, 監督:ソフィア・コッポラ, 配給会社:アークエンタテインメント, 配給会社:東北新社Leave a Comment on 『 ブリングリング 』 -泥棒、ダメ、絶対-

『 宇宙でいちばんあかるい屋根 』 -家族を照らす優しい光-

Posted on 2021年5月9日 by cool-jupiter

宇宙でいちばんあかるい屋根 70点
2021年5月6日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:清原果耶 桃井かおり 伊藤健太郎
監督:藤井道人

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210509114331j:plain
 

MOVIXあまがさきで上映していたが、当時は華麗にスルーしてしまった。『 新聞記者 』と『 ヤクザと家族 The Family 』の藤井道人監督作だと知っていれば、劇場で鑑賞したはずなのだが。ちゃんとリサーチをせなアカンなと反省しつつ、レンタルしてきた。

 

あらすじ

つばめ(清原果耶)は、隣人大学生への恋心や、父と母の間にできる新しい子どもへの思いなどから、どこか満たされない日々を送っていた。しかし、ある日書道教室の屋上で星ばあ(桃井かおり)に「キックボードの乗り方を教えろ」と言われ、乗り方を教えたところ、星ばあがキックボードに乗って空を飛んだ。そんな星ばあにつばめは思わず、恋愛相談をして・・・

 

ポジティブ・サイド

オープニングの Establishing shot が印象的である。夜、上空から家々を見下ろす視点は穏やかで優しい。窓辺から漏れる光に各家庭の日常が垣間見えてくる。さて、これは誰の視線なのか。そして、そして「宇宙でいちばんあかるい屋根」とは何か、この冒頭の1分程度だけで物語世界に引き込まれてしまった。

 

そして朝、起き抜けの清原果耶がくしゃくしゃに丸められた手紙と思しき紙を確認し、そしてバンジョーを弾く隣の家の大学生をカーテンの隙間から覗き見る。まさに思春期の女子という感じがする。その一方で、幸せそうな父と母の仲睦まじい様子からは、少し距離を置いているかのような朝食風景。ちょうど年齢的に子どもと大人の中間に差し掛かるあたりで、自分というものの在り方や居場所を模索する時期で、そうしたものがほんのわずかな描写だけで見えてくる。非常に映画らしい演出だと感じた。

 

星ばあとの出会いも面白い。そんなところにばあさんがいるわけないだろうという場所にばあさんがいて、つばめと色々と話していくようになる過程は、どこか非現実的で幻想的だ。現実と非現実の境目という感じで、屋上という建物の一部であり、かつ屋外でもあるという空間が、その感覚を強化する。この星ばあなる存在、イマジナリーフレンドかと思わせる要素が満載なのだが「えんじ色の屋根」という物語の一つのキーとなる要素が語られるところから、その正体が俄然気になってくる。そして、そのえんじ色の屋根の家探しが、つばめの自分の居場所探し、つまり自分が好きな男との関係、自分を好きな男との関係、そして自分と家族の関係を見つめ直すことにもつながってくる。このプロットの組み立て方は見事だ。

 

星ばあと屋上以上以外の場所で出会い、街を探索していくシークエンスを通じて、観る側にとって「星ばあとはいったい何なのか」との疑問が深まっていく。同時に、星ばあの存在が、つばめに前に進む力を与えていることをより強く実感できるようにもなる。つばめが好きな大学生、そしてつばめを好きな(元)同級生との意外とも必然的ともいえるつながりが見えてきて、物語が加速する。そして、つばめが本当に求めていた居場所を自ら掴み取りにいくシーンは大きな感動をもたらしてくれる。

 

藤井道人監督の作風は多岐にわたるが、いずれの作品にも流れている通奏低音は、現実のちょっとした危うさであるように感じる。現実は見る角度によってその様相を大きく変えることがあるし、人間関係も同じである。けれど、つらく苦しい世界にも救いはある。人と人とは、分かり合えるし、つながっていける。そのように感じさせてくれる。

 

ネガティブ・サイド

つばめが階段を駆け下りるシーンが惜しかったと思う。『 ジョーカー 』みたいに踊れ、とは思わないが、階段というのはある位相と別の位相をつなぐシンボルだ。それは『 パラサイト 半地下の家族 』で非常に象徴的だった。つばめの足取りの軽やかさと星ばあの足取りの重さを対比する非常に良い機会が活かしきれていなかったように思う。

 

本作は本来的にはファンタジー映画なのだが、その部分の演出が弱いと感じた。そこを強調させられるはずなのに、それをしなかったと感じられたのは、水族館と糸電話。たとえば魚やクラゲたちが星ばあに不思議に引き寄せられるなどのシーンがあれば、物語の神秘性はより増しただろう。また、糸電話のシーンでも、つばめだけがそれを使っているのではなく、街を眺めてみれば、あちらこちらに糸電話の糸が見える、というシーンがあれば良かったのにと感じた。

 

総評

どことなく、えんどコイチの読み切り漫画『 ひとりぼっちの風小僧 』を思わせる内容である。ユーモラスでありながらシリアスであり、しかしつらい境遇の中にも救いの光は差し込んでくる。清原果耶のくるくる変わる表情が印象的で、脇を固めるベテラン俳優陣の演技も堅実。あらゆる年齢層にお勧めできる佳作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You’ll regret the things you didn’t do more than the ones you did.

星ばあの至言、「後悔はやってからしろ」を聞いて、思わず上の格言を思い出した。アメリカの作家、H. Jackson Brown. Jrの言で「君は、やったことよりもやらなかったことの方をより後悔するだろう」という意味。Jovianもこの格言を自作の教材に取り入れたことがある。格言は丸暗記してしまうのが結局は早道なところがある。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ファンタジー, 伊藤健太郎, 日本, 桃井かおり, 清原果耶, 監督:藤井道人, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 宇宙でいちばんあかるい屋根 』 -家族を照らす優しい光-

『 透明人間 』 -ダーク・ユニバースの復活なるか-

Posted on 2021年5月5日 by cool-jupiter

透明人間 75点
2021年5月3日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:エリザベス・モス オリバー・ジャクソン=コーエン オルディス・ホッジ マイケル・ドーマン
監督:リー・ワネル

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210505122254j:plain

TSUTAYAで110円クーポンを使ってレンタル。USJが無観客営業を要請されて気の毒だなと感じていたので、ユニバーサルの映画をピックアウトした次第。

 

あらすじ

光学分野の天才エイドリアン(オリバー・ジャクソン=コーエン)はセシリア(エリザベス・モス)を異常に束縛していた。彼のもとから脱出したエリザベスだったが、その後にエイドリアンが自殺したと知らされる。しかし、その頃から彼女の身の回りで不可解なことが起こり始め・・・

 

ポジティブ・サイド

ジョン・カーペンター版の『 透明人間 』は確かWOWOW放送時に観た。高校生ぐらいだっただろうか。H・G・ウェルズ以来、透明人間の物語は数限りなく作り出されてきたが、透明人間が主人公ではなくヴィランというのは珍しいような気がする。

 

ソシオパスの男が透明人間になって自分を捨てた女に復讐する。見方によってはギャグだが、これがどうしてなかなかのホラー風味のサスペンスに仕上がっている。観る側は不可解な事象はすべて透明人間の仕業だとわかっているのだが、セシリアには最初はそれがわからない。そんな段階でもカメラはしばしば”覗き”のアングルからセシリアを捉え、観る側に透明人間の視点を体験させる。あるいは、なにもない空間に何度もパンし、見えない何かの存在を執拗に意識させてくる。この、キャラクターが気づいていない、またはうすうす感じてはいるが確信にまでは至っていない状態と、観ている側の「早く気付け、やべーぞ!」という感覚のギャップが一級のサスペンスを生み出している。この構成は見事。

 

セシリアがいよいよ透明人間の存在を確信したとき、エイドリアンの弟で財産分与を手がける弁護士のトムが絶妙の演技でそれを否定する。このトムを演じた役者マイケル・ドーマンは、Jovianだけが名作だ傑作だと騒いでいるタイムループもの『 トライアングル 』でもなかなかの存在感を放っていた隠れた名優である(ちなみに『 トライアングル 』をDVDなどで借りる際は、ボックスの表面にネタバレがあるので注意のこと)。

 

本作は、透明人間の存在をダイレクトに前面に押し出すのではなく、透明人間が存在しうると信じてしまう心理、そしてあの男なら透明人間になってまでストーキングしてもおかしくないという狂った人間の心理をメインに描いている。その一方で、狂っているのはエイドリアンなのか、それとも・・・というところにまで踏み込んでいる。単純構造の物語ではなく、多重構造の物語になっていて、オチも二重三重になっている(あるいはそのように解釈できる)。目に見えない相手が怖いのではない。目に見える体を持つ人間の、目に見えない心の中が怖い。そんな、ある意味ではホラーの王道を行く作品である。

 

ネガティブ・サイド

透明人間がいくらなんでも強すぎではないだろうか。警察やガードマン相手に、いくら自分が不可視とはいえ格闘で圧倒するのはどういうことなのか。ボクシングなど、なんらかの格闘技の経験者でもないと、あれだけ簡単に人間をノックアウトすることはできないと思われるが。

 

あのスーツの素材および機能はどうなっているのだろう。耐衝撃性があり、耐水性もあり、おそらく小型の電池で長時間作動する、あるいはスーツそのものに発電機能がありそうだが、まるでアイアンマンやアントマンの世界観で、ダーク・ユニバースのそれとは相容れいないものように感じた。

 

一番の疑問は、あのスーツを着用したままで”行為”ができるのかということ。あるいは薬で眠らせて、自分はいそいそとスーツを脱いで事に及んだというのか。にわかには信じがたいし、じっくり考えてみてもやはり信じがたい。透明人間という大嘘部分を担保するために、その他の部分には極力リアリティが必要だが、そこで少し失敗しているという印象を受けた。

 

総評

鳥山明の漫画『 ドラゴンボール 』の初期にたくさん出てくる透明人間や人造人間(フランケンシュタインの怪物)、男狼などはすべてユニバーサルのキャラクターである。それらを全部集めたダーク・ユニバース構想は見事に頓挫したが、個々のキャラクターの魅力や可能性までが棄損されたわけではない。本作はそのことを見事に示してくれた。ホラーといっても、幽霊やら正体不明の怪奇生物が出てくるわけではないので、そうした分野はちょっと・・・という人にもお勧めしやすい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

video 

ビデオ、動画の意味。しかし、元々はラテン語で”I am seeing ~”の意味。ここから色々な英単語、たとえば、vision, visual, vistaなどが派生していった。勘の良い人ならaudio = I am hearingから、audienceやauditoriumが生まれたのだとピンとくることだろう。 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, エリザベス・モス, オリバー・ジャクソン=コーエン, オルディス・ホッジ, サスペンス, ホラー, マイケル・ドーマン, 監督:リー・ワネル, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 透明人間 』 -ダーク・ユニバースの復活なるか-

『 ムーラン(1998) 』 -異色のディズニー・プリンセス-

Posted on 2021年5月3日 by cool-jupiter

ムーラン(1998) 75点
2021年5月1日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:ミンナ・ウェン エディ・マーフィー
監督:トニー・バンクロフト バリー・クック

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210503172538j:plain

違う『 ムーラン 』を観てしまったので、本家のムーランを借りてきた。劇場公開時にはそれほど強い感銘は受けなかったが、オッサンになって再鑑賞すると異なる印象を受けた。

 

あらすじ

北方のフン族が万里の長城を越えて侵攻してきた。そのため、皇帝は一家につき男性一名を徴発する。ムーラン(ミンナ・ウェン)は、老身の父の代わりに髪を切り、父の甲冑を身にまとって、軍へと向かう・・・

 

ポジティブ・サイド

勝手な印象だが、『 メリダとおそろしの森 』は本作にかなりインスパイアされているのでは?女性でありながら戦うという、一世代前の価値観とは incompatible なストーリーが両作品ともに展開されるが、ディズニー・プリンセスの一人であるムーランは実際に戦闘に従事するだけではなく、敵を大量に殺害し、ヴィランであるシャン・ユーに至っては爆殺する。これにはびっくりした。以前は何も感じなかったが、ディズニー映画では人が直接的に死ぬ描写はご法度と知った今の目で見ると、本作の展開は衝撃的だ。

 

特に序盤のお見合いから、徴兵令、ムーランの出立、軍への合流と訓練の日々までがミュージカル調で時にコミカルに描かれるのは、まさにディズニー映画的。しかし、陽気に隊の皆で歌いながらの行軍の先に、全滅させられた味方部隊を発見する展開も衝撃的。もちろん死体や血の描写はないが、Jovianの脳裏には思わず同年代の『 プライベート・ライアン 』が浮かんできてしまった。

 

ともすれば戦争のダークな面にムーランも観る側も引き込まれそうになるが、守護龍ムーシューの存在が絶妙なストッパーになっている。この龍と幸運のコオロギ、そして愛馬カーン、同じ隊の陽気な連中とリー・シャン隊長らの存在が、異民族との戦争そして戦闘という凄惨になりかねない物語のトーンとバランスを良い塩梅に保っている。

 

ムーランの女性性が過度に強調されない点も時代と言えば時代か。女であることがばれても、守られるべき存在や男を応援する立場という属性をムーランは拒絶する。しかし、父という男性性の象徴からはなかなか自由になれない。それがムーランの時代・地域の特徴であり、それを克服するのはムーランの物語ではない。アジアというディズニーのお膝元ではない地域が舞台であることを配慮したものだと解釈しておく。

 

ネガティブ・サイド

ムーランが髪を切るシーンをもう少しドラマティックに出来なかったか。元々、お見合いも失敗続きではあったが、それでも父親を安心させたいという気持ちをムーランは抱いていた。そこで女性のシンボルでもある髪をばっさりと切るシーンにもう少し葛藤をにじませていれば、その後のリー・シャン隊長とのほのかなロマンスの予感にもっと説得力が生まれたものと思う。

 

幸運のコオロギの活躍が少し足りない。序盤にムーランに幸運をもたらす活躍が見たかった。もしくはヤオやチェン・ポーら、隊の愉快な仲間たちに幸運を分け与える描写が欲しかった。

 

総評

鏡に映る自分が自分ではないという感覚、つまり他人の目に映る自分と自分が認識する自分が異なっているという感覚は、古今東西の誰にでも共通するものだと思う。中国版ではムーランがやたらと腕っぷしが強かったりするが、機転の良さで大活躍するムーランもまた乙なものである。ただし普通のディズニー物語とは違い、人が死ぬ過程が間接的にとはいえ結構つぶさに描かれていたりするので、鑑賞は小学校高学年以上からが望ましいか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

S rest in one’s hands

Sは誰かの手にかかっている、という意味で使われる慣用表現。

 

The success of this project rests in your hands

このプロジェクトの成功は君たちにかかっている。

The future of the country rested in their hands.

国の未来は彼らにかかっていた。

 

のように使う。劇中ではムーシューにかけて、The fate of the Fa family rests in your claws. と言われていた。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, アニメ, アメリカ, エディ・マーフィー, ミンナ・ウェン, 歴史, 監督:トニー・バンクロフト, 監督:バリー・クック, 配給会社:ブエナ ビスタ インターナショナル ジャパンLeave a Comment on 『 ムーラン(1998) 』 -異色のディズニー・プリンセス-

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