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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 映画

『 ソラリス 』 -会えない人に会うということは?-

Posted on 2021年12月27日 by cool-jupiter

ソラリス 60点
2021年12月21日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョージ・クルーニー
監督:スティーブン・ソダーバーグ

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『 ドント・ルック・アップ 』という地球滅亡もの、さらになかなか終わらないコロナ禍のせいで、ついつい本作に手を出してしまった。古い方の『 惑星ソラリス 』は確か高校生ぐらいの時にテレビ放送で観た。こちらは確か大学卒業後に観た記憶がある。約20年ぶりの再鑑賞である。

 

あらすじ

精神科医のケルビン(ジョージ・クルーニー)は、惑星ソラリスの軌道上で観測任務にあたる友人から「来てほしい」との依頼を受ける。現地に赴いたケルビンは一部のクルーの死亡を知る。残ったクルーに話を聞くが、要領を得ない。そんな中、ケルビンの元に亡き恋人、ハリーが現れて・・・

 

ポジティブ・サイド

SFというジャンルは基本的に論理による面白さを追求するものである。論理とは科学的な思考である。その意味でSF=Science fictionである。けれども、f の字を fantasy であると解釈することもある。『 スター・ウォーズ 』はSFと見せかけたファンタジーであり、おとぎ話である。では本作はどうか。これは fiction と fantasy を上手い具合に配分していると言える。

 

死人が生き返るというのは邦画では結構お馴染みで『 黄泉がえり 』や『 鉄道員(ぽっぽや) 』など、これまで数多く作られてきている。ただ、本作のユニークなところは舞台が地球ではなく宇宙空間であるところ。つまり、生き返っても絶対にそこには来れない場所であるところである。この蘇ってきた存在が持つ記憶というのも非常にユニーク。恩田陸の小説『 月の裏側 』の着想はおそらく本作および原作だろう。

 

アッと驚くとまでは言わないが、ある種のミステリを読み慣れている、あるいは観慣れている人なら予想できる展開だろう。それでもJovianも初見では唸らされた。この人間ではない存在と人間の奇妙な交流と、人間の定義 - つまり見た目なのかコミュニケーション能力なのか、それとも記憶なのか - が本作の眼目である。『 アド・アストラ 』や『 ミッドナイト・スカイ 』のような思弁的な物語を好む向きに、コロナ禍の今こそ鑑賞いただきたい作品である。逆の意味で会いたくなくなったりするかもしれないが。

 

ネガティブ・サイド

オリジナルの『 惑星ソラリス 』も本作も、悪いけれども退屈極まりない。探査船内のショットにしても、クルー以外には誰もいないことを強調するためのアングルで構成されているが、そんなことは観る側全員が分かっている。だからこそ、いるはずのない子どもを追うケルビンの表情であったり、その逸る足取りであったりを映すなど、緊張感やサスペンスを生み出すようなカメラワークが欲しかった。

 

ケルビンとハリーの恋愛回想シーンもかなりくどいという印象。ソダーバーグはこれをSFではなくラブロマンスと解釈したのかもしれないが、それは原作者であるスタニスワフ・レム御大へのリスペクトに欠ける。ジャンルを変えるにしてもヒューマンドラマにしておくべきで、それなら愛憎のどちらも描くことができた。

 

BGMの使い方も気になった。楽曲のクオリティではなく、音楽そのものが果たして必要だったか疑問に感じた。ほぼ探査船内と回想シーンだけで構成されている本作からは、BGMは極力そぎ落とすべきだった。音楽の力で観る側の思考や感情に影響を与えるのは映画の技法の一つではあるが、本作本来の極めて思弁的なSFという性格を打ち出すには音楽は邪魔であったように思う。

 

総評

コロナ禍収束の兆しが世界的に見えない。日本も水際対策に失敗した後で水際対策を強化するありさま。帰省についても政府は「慎重に判断を」と言うばかり。Zoom飲み会なるものも提案され、実行された瞬間に廃れた。「直接に出会う」ということの意味が見直されている時代だからこそ、本作のような思弁的な作品が新たな意味を帯びるのだろう。

 

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Depends

That depends. の省略形。意味は「時と場合によりけりだ」である。How long does it take to make curry? = 「カレーを作るのにどれくらいの時間がかかる?」という質問は、レトルトなのか、それともすじ肉のワイン煮込みベースのカレーなのかで、数分から数日まで答えが変わってくる。そうした質問に対して Depends. / That depends. と返すようにしよう。

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, SF, アメリカ, ジョージ・クルーニー, ラブロマンス, 監督:スティーブン・ソダーバーグ, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 ソラリス 』 -会えない人に会うということは?-

『 マトリックス レザレクションズ 』 -どこか煮え切らない第4章-

Posted on 2021年12月21日 by cool-jupiter

マトリックス レザレクションズ 65点
2021年12月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:キアヌ・リーヴス キャリー=アン・モス
監督:ラナ・ウォシャウスキー

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『 マトリックス 』、『 マトリックス リローデッド 』、『 マトリックス レボリューションズ 』に続く第4作目。『 インディ・ジョーンズ 』シリーズの第4作ほど酷い出来では決してない。だが、別に制作しなくても良かったのではないかとも思う。

 

あらすじ

大ヒットゲーム『 マトリックス 』3部作の制作者のアンダーソン(キアヌ・リーブス)は、会社から第4作の製作が決定したと伝えられる。それ以来、不可思議なビジョンを見るようになったアンダーソンの目の前に、ゲームのキャラクターであるトリニティに瓜二つのティファニー(キャリー=アン・モス)が現われる。さらに、謎の男モーフィアスも現われ、アンダーソンにある選択を迫る・・・

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以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

オープニングからメタな自己言及がどんどんとされていて、脳みそが良い感じに刺激される。『 マトリックス 』の最大の衝撃は仮想現実という言葉が人口に膾炙するようになったかならないかの頃に、大規模な仮想現実世界を構想し、創造してしまったところにある。仮想現実が実現したわけではないが、VR体験などは徐々に社会に浸透しているし、シミュレーションによって様々な予測を行うことは最早常識となっている。そうした時代に『 マトリックス 』の新作がリリースされるということで、どのような衝撃を放ってくるのかと期待していたが、まずはその期待は裏切られなかった。マトリックスの中でマトリックスというゲームを作る、すなわち仮想現実の中で仮想現実を疑似体験させるという入れ子構造で、この導入は面白いと感じた。

 

モーフィアスの正体についても触れられており、これも面白い感じた。マトリックス世界には漂流者や救世主など、通常とは異なる挙動の存在がいることは旧作からも明らかだったが、いくら再起動(リロード)しても、outlier は出てくるものだ。そうした我々にショックを与えた前3作の世界観を、本作にうまく融合させている。そこから機械と人間の(部分的な)共存にもつながっていく。シベーベというマシンキャラはなかなかに可愛らしい。

 

アクションシーンも、キアヌが老体に鞭打って頑張っている。”I still know kung fu.” のセリフは、第1作の”I know kung fu.” を思い出して、思わずニヤリ。エージェント・スミスの大群の代わりに、ボットを導入し、『 新 感染半島 ファイナル・ステージ 』のゾンビのごとく、全方位から襲い掛かってくるのも、マトリックスのアップデートとして受け入れられた。

 

本作は『 マトリックス 』とはある意味で真逆の展開かつ第1作のリブートという離れ業を演じている。これは pro でもあり、con でもあるのだが、pro を見れば、『 マトリックス 』では救世主としてのネオを懐疑していたトリニティが、ネオを救世主として認めることで、ネオが本当に救世主として覚醒した。本作では、救世主としてのネオがトリニティを覚醒させることで、新たな救世主を覚醒させた。これはポリコレが云々という話ではなく、純粋にマトリックスという世界を一歩押し広げたものであると評価したい。マトリックスは常に救世主を必要とし、それによってリロードを繰り返してきた。本作ではマトリックスを作り変えることが強く示唆されるが、それは冒頭で明らかにされた入れ子構造を強く意識させるもののように思えてならない。親マトリックスから子マトリックスが生まれるイメージである。更なる続編があったとして、まずは観てみようという気持ちになれた。

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ネガティブ・サイド

なにか『 マトリックス 』3部作の現代版を無理やり1作に詰め込んだ感が拭えない。『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』は、ほとんどそのまま『 スター・ウォーズ 』(『 スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』)のプロットの焼き直しだったが、こちらは新旧キャラクターがうまい具合にバトンタッチを果たした。一方のこちらは、肝腎かなめのヒューゴ・ウィービングやローレンス・フィッシュバーンが出ていないではないか。「マトリックス」と聞いて一番に思い浮かべるのは、黒服のサングラス=エージェント・スミスなのである。モーフィアス役はまだしも、あの俳優がスミス役というのは無理がありすぎる。『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』の若きハン・ソロよりも無理がある。『 キャプテン・マーベル 』で採用されたデジタル・ディエイジング技術は、こういう時にこそ使うものなのではないだろうか。

 

第1作のリリースから20年以上になるが、映像技術の面で衝撃を与えるものがなかった。バレット・タイムの視点を変えるというのは面白いアイデアだったが、もっとエクストリームな展開を見たかった。バレット・タイムを使うネオをさらに上回るバレット・タイムを使うスミスをさらにネオが上回って・・・のような突き抜けた展開が欲しかった。

 

それにしても、彼の国の映画で描かれる日本という国の「これじゃない」感は何なのだろうか。韓国などは国を挙げて映画製作を後押しし、また他国の映画撮影に対しても非常にオープンだと聞く。それはつまり自国のイメージを常に世界に発し続けているということだろう。日本もいい加減、文化的鎖国状態を解くべき時期に来ている。ウォシャウスキーの言う好きな日本の映画監督は黒澤、小津、溝口だが、これをもってウォシャウスキーを親日家と言うのは無理があるだろう。

 

総評

『 マトリックス 』シリーズの一種のスピンオフ、あるいはリメイクとして捉えるのが吉かもしれない。”新章の開幕”的な位置づけになる可能性があることを漂流者たちに声高に喧伝させているが、それを観たいかと問われれば、個人的にはノーである。ただ、懐かしい世界観に浸ることは十分にできたし、現代的なメッセージや監督本人の作家性(というよりも個人性、属性?)が十分に発揮されてもいる。旧作に親しんだことのある人なら、鑑賞しないという手はないだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Have we met?

「私たち、以前に会ったことがあったっけ?」の意。映画やドラマでは割とよく使われる表現。似たような表現に “Do I know you?” もある。この ”Have we met?”は pickup line =口説き文句の始まりにもよく使われる。英語でこれを実際に口に出せれば、かなりの社交家であると自覚してよい。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, SFアクション, アメリカ, キアヌ・リーブス, キャリー=アン・モス, 監督:ラナ・ウォシャウスキー, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 マトリックス レザレクションズ 』 -どこか煮え切らない第4章-

『 ドント・ルック・アップ 』 -壮大な風刺コメディ-

Posted on 2021年12月19日 by cool-jupiter

ドント・ルック・アップ 80点
2021年12月18日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:レオナルド・ディカプリオ ジェニファー・ローレンス
監督:アダム・マッケイ

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『 バイス 』や『 マネー・ショート 華麗なる大逆転 』のアダム・マッケイ監督が、なんとも小気味良いコメディかつ壮大な現代世界の風刺劇を送り出してきた。エンタメ性と社会性はこうやって両立させるのだというお手本のような作品である。

 

あらすじ

大学院生のケイト(ジェニファー・ローレンス)は天文観測中に偶然にも彗星を発見する。連絡を受けた教官のミンディ教授(レオナルド・ディカプリオ)は彗星の軌道計算を行うが、その結果は地球への衝突であった。二人はなんとかこのことを世に知らせ、対策に乗り出そうとするが・・・

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ポジティブ・サイド

映画『 エンド・オブ・ザ・ワールド 』のシチュエーションに、機本伸司の小説『 僕たちの終末 』の要素を足したような物語、つまりはありふれたストーリーなのだが、これがべらぼうに面白いのである。その秘密は何か。

 

第一に、人間があまりにも人間らしいのである。だいたい終末ジャンルの作品は、映画であれ小説であれ、メインのキャラクターは、終末に対して懐疑論者であっても非常に理知的で理性的である。しかし本作は違う。メリル・ストリープ演じるアメリカ合衆国大統領が自国の天文学者の切なる声にまともに耳を傾けない。その理由が極めて(アホな)政治的な理由なのだから面白い。

 

ディカプリオ演じるミンディ教授もジェニファー・ローレンス演じる博士課程のケイトも、世間に対して彗星衝突の脅威を伝えようとしていく中で、自身のプライベートな生活がボロボロになっていく様が笑えると同時に哀しい。が、哀しさよりも可笑しさの方が勝っている。ホワイトハウスに訴えてもダメだった二人が、今度はテレビ局に赴くが、頭のおかしい人扱いされて終わり。そこでディカプリオは milfy なTVアンカーに上手く食われてしまい、家庭崩壊に一直線。ケイトもケイトで、テレビで絶叫してしまったせいで恋人にあっさり振られてしまう。どこまでもシリアスな話なのに、常に笑いに転化してしまうアダム・マッケイの手腕にも笑ってしまうしかない。

 

しかし、シリアスに捉えようとも、頭のおかしい学者の妄言と捉えようとも、彗星の接近は事実なのである。ここで観る側としてはどうしたって新型コロナのパンデミックの始まりとその後の展開を思い起こさずにはいられない。「コロナはただの風邪だ」と力説する者、「コロナは生物兵器である」と断定する者、「マスクは無意味」論者、「ワクチンで5Gに操られる」という陰謀論者などなど、21世紀も20年になんなんとする今という時代が、実は中世の啓蒙の時代と対して知的レベルは変わらないのではないかと思わされてしまう。劇中でも同じように「彗星は実在しない」として、空を見上げるな = “Don’t look up!”をスローガンにする勢力が登場する。元米大統領のD・トランプがマスク着用を小馬鹿にしていた、さらにその反マスクの姿勢に共感する共和党支持者に奇妙なまでにそっくりである。 

 

本作は、一見突拍子もないSF物語に見えるが、実際は現実世界の分断を大いに嗤うブラック・コメディである。大統領首席補佐官が労働者階級をあざ笑うかのようなスピーチをしつつ、その労働者たちがその演説を支持する様はとことん皮肉で笑えるのだが、そうした人々を笑う我々も実は笑っていられない。特に熱心な自民や維新の支持者は、一度冷静に考えてみるべきである。

 

本作のタイトルである Don’t look up には様々な意味が込められている。「上を見るな」とう意味だが、この上というのは物理的な方向としての上だけではなく、社会経済的階級あるいは権力構造の上の方を見るなという意味であるとも受け取れる。あるいは「調べ物をするな」という意味にも解釈可能である。実際に政治指導者層や超富裕層は、ピンチを自らの利に変えようとする、というか変えてしまう。その一方で、自らの提唱する政治・経済理論の正当性を決して検証しようとしない。このあたり、失われた30年と言われながらも、常に財政出動に及び腰かつ雇用の非正規化に邁進するばかりのどこかの島国は、曲学阿世のエセ学者・竹中平蔵や、イソジンでコロナが減らせるとエビデンスも糞もない「嘘のような嘘の話」を振りまいた吉村洋文らがペテン師であるということにいい加減に気が付くべきである。 

 

ディカプリオの見せる迫真の演技と渾身の演説が、漫画的なコマ割りのごとく良い感じにぶつ切りにされて、さらに笑いと悲哀を誘う。メリル・ストリープによる大統領役や、その息子のジョナ・ヒル補佐官の存在感も大きく、出てくるたびに「アホか、こいつら」と思わせてくれる。一方で、物語は進行していくにつれてドンドンと深刻さを増してくる。それまでは平穏な日常を過ごしていた人々も、look up して彗星が視認できるようになると、さすがに事の深刻さを理解する。つくづく Seeing is believing. で、そういう意味では目に見えないコロナウィルスの存在をいまだに疑う人々が一定数存在することには一定の説得力がある。

 

すべてを笑いに転化しようとする本作であるが、クライマックスは二つの意味で笑えない笑いをもたらす。一つには、いわゆるトリクルダウン理論を彗星を使って本当に行ってしまい、その結果として大多数の一般庶民が苦しみ死んでいく様を淡々と描いているから。もう一つには、人類滅亡の結末として、社会の上層に位置する人々を徹底的にコケにしているから。なんとも言えぬ余韻を残す本作であるが、ブラック・コメディの傑作であることは間違いない。

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ネガティブ・サイド

ネットフリックス映画ということで、自宅鑑賞を前提にしているのかもしれないが、『 アイリッシュマン 』といい、本作といい、映画館で鑑賞するには膀胱への負担が大きい。映画は2時間ちょうどか、それをやや下回るぐらいがちょうどよい。

 

ケイトとその恋人との別れのその後、特にヒメシュ・パテルの役とティモシー・シャラメの役の対比がなされる場面があれば、なお良かった。

 

字幕にいくつかミスがあった。序盤で comet を「惑星」、終盤近くで best and brightest を「最新鋭」と する字幕があった。映画の欠点ではないが、一応指摘しておく。

 

総評

一言、傑作である。『 アルマゲドン 』や『 ディープ・インパクト 』の頃のような、無邪気なハリウッド映画の面影は全くなく、かといってエンタメ性の追求を忘れたわけでもない。『 シン・ゴジラ 』で日本はアメリカを容赦ない侵略国として描いたが、本作ではアメリカ人自身がアメリカ国家をそのように描いている。アメリカという国の精神的な成長を見る思いである。世界的な混乱を生むという意味ではコロナと彗星を重ね合わせて見ることも十分に可能である。観ている最中にはずっと笑えて、観終わった後にも笑える。しかし、笑いの裏にある現実批判の意味を悟れば、笑えなくなる。なんとも深みと苦みのある、大人の映画である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

sit tight and assess

「静観して精査する」の意。コロナ禍の始まりにおいて、我が国のアホな大臣が連発していた「高い緊張感をもって状況を注視する」という、「実質的には何もしません」宣言と同じような表現がアメリカにもあるようだ。ちなみにここでの sit は「座る」という意味ではなく「そのままでいる」という意味。sit still = じっとしている、sit idle = (機械などが)アイドリング状態である・使用中ではない、のように使われる。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, ジェニファー・ローレンス, ブラック・コメディ, レオナルド・ディカプリオ, 監督:アダム・マッケイ, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 ドント・ルック・アップ 』 -壮大な風刺コメディ-

『 ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ 』 -バトルシーンがイマイチ-

Posted on 2021年12月18日2024年7月27日 by cool-jupiter

ヴェノム レット・ゼア・ビー・カーネイジ 45点
2021年12月12日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:トム・ハーディ ミシェル・ウィリアムズ ウッディ・ハレルソン 
監督:アンディ・サーキス

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『 ヴェノム 』の続編。普通の地球生物ではヴェノムには勝てないので、ヴェノム自身からライバルを生み出した。アメコミでは『 スーパーマン 』以来のお約束である。

 

あらすじ

かつての売れっ子ジャーナリストのエディ(トム・ハーディ)は、地球外生命体ヴェノムに寄生されながらも、奇妙な共同生活を送っていた。しかし、かつての恋人のアン(ミシェル・ウィリアムズ)とは復縁できず、ジャーナリストとしての信用も取り戻せずにいた。そんな時、シリアルキラーのクレタス(ウッディ・ハレルソン)が「洗いざらいを話して、伝記を書かせてやる」とエディに話を持ち掛けてきて・・・

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ポジティブ・サイド

エディとヴェノムの掛け合いは本当に面白い。『 寄生獣 』のミギーも阿部サダヲの意外に可愛げのある声のおかげで非常にユーモラスなキャラになっていたが、こちらのヴェノムはもはやギャグの領域。最も面白いのは、エディとヴェノムだけが分かるやりとり。特に、元カノのアンとの再会のシーンでのヴェノムの囁きには筆舌に尽くしがたい面白さおかしさと一掬のパトスがある。何が面白いかというと、ヴェノムの声もトム・ハーディが演じているところ。つまりは一人二役なわけで、元カノあるいは意中の相手を前にアプローチをかけられない男の内面の声を我々は聞かされるわけである。これが可笑しくない、さらに哀しくないわけがない。

 

なんやかんやでヴェノムとカーネイジが対決することになるが、単純な力と力のぶつかりあいではカーネイジに分がある。しかし、クレタスとカーネイジのコンビは、エディとヴェノムのようなバディになりきれていない。また、別の男とくっついてしまったアンも紆余曲折を経てエディとヴェノムに加勢してくれる。一方のカーネイジは、共生しているとは言い難く、そこにヴェノムたちの勝機がある。この対比は面白かった。

 

ポストクレジットでは「そう来たか」と思わせるシーンあり。ヴェノムというヴィランが、ついに本来のヴィランとしての立ち位置に戻ることを強く予感させる。ヴェノムに必要のは、ダークヒーローとしての活躍ではなく、ヒーローを(比ゆ的な意味で)食ってしまうヴィランとしての活躍。それがいよいよ拝めそうである。

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ネガティブ・サイド

自分でもうまく説明できないが、ヴェノムとエディがなんやかんやと掛け合いをしている時の方が、バトルアクション全開の時よりも面白い。これは何故なのだろうか。CG技術は過去10年だけでも相当に進歩したが、観る側がその凄さに気付けないのか、あるいは観る側はもはや高精細かつハイスピードのCGを求めていないのか。別に本作に限った話ではなく、スーパーヒーロー映画全般のバトルというのは、どんどん面白く感じられなくなている。まるで金太郎飴のように、どこをとっても同じに見えてしまう。ヴェノムというシンビオートであってもそれが同じであるというのは残念である。

 

本作の敵役であるカーネイジも、正直なところ『 スーパーマンⅣ / 最強の敵 』のニュークリアマンの焼き直しだろうし、『 ゴジラvsスペースゴジラ 』や『 ゴジラvsビオランテ 』ともそっくりで、困ったら主役の亜種というのは、洋の東西を問わずネタ切れ間近の時の常とう手段であろう。いずれにせよカーネイジはアメコミの典型的なヴィランで、これも食傷気味である。というか、何故カーネイジ = Carnage = 大虐殺を名乗っているのだろう。稀代のシリアルキラーに寄生したからには、その殺戮シーンを見せつけてもらわなければならない。そうでないと名前負けするし、ヴェノムとのコントラストも際立ってこない。

 

カーネイジの宿主たるクレタスや、その恋人であるフランシスもまさにテンプレ的キャラクター。シリアルキラーが特定の人物だけに秘密を打ち明けようとするのは『 羊たちの沈黙 』そっくりだし、フランシスの使うシュリークという絶叫系の技も『 X-MEN 』か何かで見たことがある。そもそもこれらのキャラクターの導入があまりにも唐突すぎて、物語に上手くフィットしているとは言い難い。もっと言えば、本作はヴェノムというキャラクターをより深く掘り下げるというよりも、次なるステージへのつなぎのように見えてしまう。

 

全体的に薄っぺらい印象がぬぐえず、本作単独での魅力、あるいは前作とのつながりといシリーズ物としての魅力に乏しいと評価せざるを得ない。

 

総評

ヴェノムをヴィランと思ってはいけない。愛すべきマスコットのような存在として見ることができるなら楽しめるはず。エンターテイメント要素はてんこ盛りであるが、人間ドラマのパートが皮相的である。ヴェノムとカーネイジの激突に必然性が薄いのもマイナスポイント。逆に、キャラが丁々発止に掛け合い、ドカンと派手にぶつかり合うアクションを純粋に楽しみたいという向きになら、十分にお勧めできる作品である。

 

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Another one bites the dust

「地獄へ道連れ」・・・というのはQueenの同名曲の邦訳。字義に忠実に訳せば、「もう一人が地面に倒れて土ぼこりを噛んだ」となる。つまり、また一人くたばった、の意。bite the dust はまあまあ使う表現で、その対象は人間だけではなく動物や事業も含む。He started a restaurant, but it bit the dust in a year. = 彼はレストランを始めたが、そこは一年で潰れた、のように使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アクション, アメリカ, ウッディ・ハレルソン, トム・ハーディ, ミシェル・ウィリアムズ, 監督:アンディ・サーキス, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンタテインメントLeave a Comment on 『 ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ 』 -バトルシーンがイマイチ-

『 ラストナイト・イン・ソーホー 』 -夢は大都市に飲み込まれるのか-

Posted on 2021年12月13日2021年12月13日 by cool-jupiter

ラストナイト・イン・ソーホー 75点
2021年12月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:トマシン・マッケンジー アニャ・テイラー=ジョイ
監督:エドガー・ライト

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『 ベイビー・ドライバー 』のエドガー・ライト監督の最新作。ダークな物語を明るくポップなチューンに乗せて魅せるという持ち味は、本作でも遺憾なく発揮されている。Jovian一押しのアニャ・テイラー=ジョイの出演作でもあり、見逃す手はない。

 

あらすじ

デザイン専門学校に入学したエロイーズ(トマシン・マッケンジー)は寮になじめず、ソーホーのアパートで一人暮らしを始める。ある日、エロイーズは1960年代のソーホーでクラブの歌手になろうとするサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)の夢を見る。それ以来、夜ごとにサンディとシンクロしていくエロイーズだったが、サンディは徐々にソーホーの闇に墜ちていくことになり・・・

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ポジティブ・サイド

オープニングから、本職のダンサーさながらに古い音楽に合わせて踊るトマシン・マッケンジーが光る。死んだ母親が見えるという奇妙な力を持ちつつも、希望を胸に抱き、片田舎から都ロンドンへと旅立つ様、そしてロンドンに到着した瞬間から味わう違和感。そして学生寮のルームメイトや同期と馴染めぬままに、アパート暮らしを始めるまでがあっという間のテンポである。大都会とそこに暮らす人々に馴染めないという、祖母の懸念通りのエロイーズであるが、ここまでのシーンを明るい色使いと明るい音楽で描くことで、エロイーズが夢の中でサンディと徐々に同化していく過程が、ムーディーな音楽でもって描き出されるダークで淫靡なソーホーと、鮮やかなコントラストになっている。

サンディと同じブロンドに染め、サンディの着ていた衣装を実際にデザインしてみることで、生き生きと輝きだすエロイーズだが、夢の中でサンディがだんだんと60年代のソーホーの暗部に囚われていくにつれ、現実のエロイーズも「霊が見える」という能力のせいで浸食されていく。

 

この男に食い物にされてしまう女性という構図が、1960年代でも21世紀であっても本質的には変わっていないことを本作は大いに印象付ける。その意味で、2010年代から急速に大量生産されるようになってきた gender inequality の是正を訴える作品群のひとつのように思える。が、実体はさにあらず。詳しくは書けないのだが、脚本も手掛けたエドガー・ライト監督は、単なるMeToo映画を世に送り出してきたわけではない。これは一筋縄ではいかない作品である。

 

主演を務めたトマシン・マッケンジーは、今もっとも旬なニュージーランド人俳優と言える。美少女が、そのキャリアの初期にホラー(っぽい)作品に出演するのは日本でも海外でも、まあ大体同じなのだろう。ホラーで頭角を現したという点ではアニャ・テイラー=ジョイも同じ。『 ウィッチ 』は正真正銘のホラーで、アニャはそこから同世代の女優たちの中から一歩踏み出した感がある。

 

エロイーズとサンディの人生が思わぬ形で交錯することになる終盤からは、まさにジェットコースター。エドガー・ライトの作劇術の巧みさに乗せられ、一気にエンディングにまで連れていかれてしまう。最後に流れる ナンバー『 Last Night in Soho 』 のサビの “I let my life go”という一節が強烈だ。この歌は、誰が誰に向けて歌っているのか。それが理解できれば、本作は男性にとってはホラーとなる。

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ネガティブ・サイド

エロイーズが夜な夜な見るビジョンについて、なんらかの補足というか、ルールらしきものの描写が必要だったのではないかと思う。田舎を旅立つ直前に祖母とエロイーズが「見えること」、「感じること」について言葉を交わすシーンがあったが、字幕に訳出されない英語台詞の中にも、エロイーズが「何を」「どのように」見えてしまうのかについては一切触れられていなかった。例えばの話だが、エロイーズが目にする母の姿は、実は自分を見守ってくれているものなのだ、のような描写があれば、恐怖とその後の納得の感覚が、どちらも強化されただろうと思う。

 

同じく、ハロウィンの時にエロイーズが見てしまうビジョンの源泉は何だったのだろうか。ジョンと自分の(夜の)関係を、思い切りバイオレントに表したもの?このあたりも少々矛盾というか説明材料不足であるように感じた。

 

総評

本作については、ジャンル分けが非常に難しい、というよりもジャンルを明言してしまうこと自体が重大なネタバレとなりかねない。それだけ危うい構成でありながら、鑑賞中は I was on the edge of my seat = 夢中になってスクリーンにくぎ付けだった。結構ショッキングな瞬間もあったりするが、デートムービーにもなるし、都市出身者や田舎出身者。現代主義者と懐古主義者の視点から様々なコントラストに注目することもできる。ホラーと宣伝されているからと敬遠することなかれ。素晴らしいエンタメ作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a bad apple

悪いリンゴ、転じて「腐ったリンゴ」となる。作中では bad apples と複数形で使われていた。一定以上の世代なら、ドラマ『 金八先生 』の腐ったミカン理論を知っていることだろう。あれと意味は全く同じである。要は、周りに悪影響を与える存在、という意味である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アニャ・テイラー=ジョイ, イギリス, トマシン・マッケンジー, ホラー, 監督:エドガー・ライト, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 ラストナイト・イン・ソーホー 』 -夢は大都市に飲み込まれるのか-

『 パーフェクト・ケア 』 -高齢化社会の闇ビジネスを活写する-

Posted on 2021年12月10日 by cool-jupiter

パーフェクト・ケア 75点
2021年12月5日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ロザムンド・パイク ピーター・ディンクレイジ エイザ・ゴンザレス 
監督:J・ブレイクソン

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『 ゴーン・ガール 』で一気にトップスターに昇りつめたロザムンド・パイクの最新作。介護ビジネスを悪用するやり手の話というのは、世界随一の高齢社会である日本にとっても非常に興味深いものがある。

 

あらすじ

マーラ(ロザムンド・パイク)は、高齢者をケアホームで保護しつつ、実はクライアントの財産を食い物にする悪徳後見人だった。独り身の高齢者ジェニファーの財産に目をつけるが、彼女をホームに送り込むが、彼女の背後にはロシア系マフィアの存在があり・・・

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ポジティブ・サイド

日本はもはや多死社会だが、アメリカも相当な高齢社会である。畢竟、介護の需要が高まるが、行政と民間の二軸でサポートする日本と違い、彼の国では司法が民間業者に一般人の保護を命じることが当たり前のようにあるらしい。この制度を上手く利用して儲けてやろうと目論むところが痛快・・・もといプラグマティックである。

 

『 ゴーン・ガール 』で世間の目を見事に欺いたロザムンド・パイクが本作でも魅せる。法廷で高齢者の家族から「勝手に財産を処分して、その金を自分の懐に入れている」と糾弾されても、「高齢者の保護が私の仕事で、仕事であるからには報酬を受け取る」といけしゃあしゃあと言ってのける。そして判事も納得させる。何という女傑だろうか。

 

こうして高齢者家族を煙に巻き、裁判所を味方につけ、友人の医師に株とのトレードで資産家高齢者の情報と診断書を得ていくマーラだが、次の獲物のジェニファーが曲者。詳しくは鑑賞してもらうしかないが、背後にいるマフィア(ピーター・ディンクレイジ)が登場してくるあたりから、悪 vs 悪の図式となり、一挙にストーリーが加速する。

 

ハイライトは2つ。一つはマフィアに拉致されたマーラが、その親玉であるピーター・ディンクレイジに交渉を持ちかける場面。どれだけ狂った人生を送ったら、このような言葉を実際に口に出せるようになるのだろうか。『 女神の見えざる手 』のジェシカ・チャステイン演じるスローン女史と並ぶ、強烈な女性キャラクターの誕生を目撃した気分になった。二つ目は、マフィアへのリベンジを果たすマーラが、ピーター・ディンクレイジから交渉を受けるところ。こちらもアメリカ社会の闇を感じさせるが、それはある意味で日本社会にもそっくりそのまま当てはまる。

 

平成の初期から、独居老人のもとに足繁く通って話し相手になり、信頼を得たところで高額な羽毛布団を売りつけるセールスマンというのは、全国津々浦々にいたのである。今後は高齢者向けにビジネスをするのではなく、高齢者そのものをビジネスにしようとする動きが、先進国で加速していくだろう。それがどういう結末になるのか、本作は一定の示唆を与えて終わっていく。

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ネガティブ・サイド

エイザ・ゴンザレスの存在感が今一つだった。マーラとビジネスパートナーであり、セックスのパートナーでもあったが、さらにもう一歩踏み込んだ関係性を構築できていなかったように思う。もしもマーラがこのキャラに介護ビジネスの帝王学を伝授しているようなシーンがあれば、終幕のその先にもっと色々な想像が広がるのだが。

 

マフィアのピーター・ディンクレイジがチト弱いし、詰めも甘い。普通なら即死させて終わり。死体は、それこそ手慣れた始末方法があるはず。『 ベイビー・ドライバー 』のケビン・スペイシーはそういうキャラだった。拉致するまでの手際があまりに見事なせいで、その相手を事故死に見せかけて殺すところで下手を打つところに、どうにもリアリティがない。

 

ストーリー上のコントラストのために、介護の現場で甲斐甲斐しく働くケアワーカーの姿が必要だったが、それが一切なかった。もちろん現場で働く人たちはいたが、フォーカスは警備員や経営者であった。正しい意味で介護をビジネスとしている人々の姿編集でカットされていたとしたら残念である。

 

総評

一言、傑作である。弱点はあるが、それを補って余りある展開の良さとキャラクターの濃さがある。現代社会の闇にフォーカスしながら、単なるヒューマンドラマではなく極上のエンタメに仕上げている。介護の現場にパワードスーツやロボットが導入されるなど、その営為は様変わりしつつあるが、介護のニーズが減じることは、今後数十年はない。その数十年の中で、本作のような出来事は必ず起こる。それを是とするのか非とするのか、それは鑑賞後にじっくりと考えられたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

bona fide

ラテン語の「ボナーフィデー」で、bona = good, fides = faithの奪格である・・・と言っても何のこっちゃ抹茶に紅茶であろう。英語では「ボウナファイド」と発音し、意味は「本物の」や「真正の」となる。奪格=副詞句的には使われず、形容詞として使われることがほとんど。This is a bona fide autograph of Muhammad Ali. = これは本物のモハメド・アリのサインだ、のように使う。英検1級以上を目指すなら、同じラテン語のbona由来の pro bono = 無料で、も知っておきたい。こちらは副詞句として使うが、慣れるまでは on a pro bono basis を使うといい。 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, エイザ・ゴンザレス, クライムドラマ, ピーター・ディンクレイジ, ロザムンド・パイク, 監督:J・ブレイクソン, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 パーフェクト・ケア 』 -高齢化社会の闇ビジネスを活写する-

『 私のボクサー 』 -もう少しだけリアリティが欲しい-

Posted on 2021年12月7日 by cool-jupiter

私のボクサー 70点
2021年12月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:オム・テグ イ・ヘリ キム・ヒウォン イ・ソル
監督:チョン・ヒョッキ

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『 ファイター、北からの挑戦者 』を観に行くタイミングがなかなか取れない。代わりに、軽めに思えた本作をTSUTAYAでチョイスしたが、ラブコメと見せかけたシリアスなボクシング・ドラマだった。

 

あらすじ

ビョング(オム・テグ)は将来を嘱望されるボクサーだったが、脳挫傷のために引退を余儀なくされる。しかし、館長(キム・ヒウォン)の厚意で事務の雑用係をすることで暮らしていた。ある日、ピョングはダイエット目的でジムにやってきたミンジ(イ・ヘリ)のコーチとなるのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

開始早々から、黄昏時の海辺でシャドーボクシングをする男性のシルエットと太鼓を打ち鳴らす女性という、何とも奇妙な Establishing Shot である。この昼でも夜でもない海辺の男女という構図は非常に重要なので、これから鑑賞される方はこの絵をぜひとも脳裏に焼き付けられたし。

 

多くのボクシングものが、主人公が激闘の末に徐々に眼や脳にダメージを負っていく、あるいはその疑いが生じるというプロットを採用している。『 ロッキー5/最後のドラマ 』然り、『 アンダードッグ 』然り。しかし本作は主人公たるビョングがすでに脳にダメージを受けてしまった後から物語が始まる。「え?」と言うしかない。Jovianはここで、赤井英和のアナザーストーリーであるかのように錯覚してしまい、物語に引き込まれてしまった。

 

赤井英和はかつで朝日新聞だか毎日新聞だかのインタビューで「ボクシングはピークの頃の自分のイメージが強く残る。だから辞めるに辞められない」と語った。吉野弘幸はキャリア晩年に「まだまだ金山俊治戦みたいな試合ができる」とボクシング・マガジンか何かで語っていた。ボクサーのこうした習性というか本能のようなものを知っていれば、本作のビョングが29歳にしてリングへの復帰に熱い思いを抱くのも無理からぬことと納得できる。

 

ミンジへのコーチ、ジムメイトのギョンファンとの奇妙な友情と確執、犬を拾ってフォアマン(もちろん「老いは恥ではない」の言で知られるジョージ・フォアマンにあやかってだろう)と名づけるところ、そしてパンソリ・ボクシングを始めるきっかけとなったジヨンとの思い出。すべてが色鮮やかに語られながら、しかし、ビョングの暗くつらい過去、そして現在のパンチドランカー症状につながっていく。このあたりの語り口は非常に軽く、しかし同時に重い。ミンジというキャラの明るさと気の強さ、そしてビョングの朴訥さが、凸凹コンビ的でありながら、非常に清々しいパートナー関係に映る。

 

紆余曲折あってからのリング復帰を果たしたビョングを待ち構えるのは、どういうわけか因縁のジムメイトだったギョンファン。ビョングのパンソリ・ボクシングにかける想いには、ベタベタな演出ながら不覚にも感動してしまった。

 

ラストの燦々たる陽光のシーンをどう受け取るべきか。黄昏時の海辺のシャドーボクシングとの鮮やかすぎるコントラスト。これは現実なのか、それともビョングの見ている夢なのか。ひとつ確かなのは、ビョングは矢吹ジョーの如く「燃え尽きる」ことができたということだろう。

 

ネガティブ・サイド

韓国ではプロボクシングが斜陽産業であることは承知している。しかし、いくらなんでもコミッションが適当すぎやしないか。一度は引退を余儀なくされたボクサーの復帰に際して、メディカル・チェックがないわけがないだろう。そこを館長があれやこれやで回避するサブプロットを2分ぐらいよいので描くべきだった。

 

肝腎かなめの試合のシーンもおかしい。ボクシングシーンが非現実的なのは、どこの国のいつの時代のボクシング映画にも共通している。本作で決定的におかしいのは、ダウンシーン。ダウンを奪った側が颯爽と赤コーナーに向かう。ニュートラルコーナーではない。撮影中、そして編集中に誰一人としておかしいと思わなかったのだろうか。野球映画で、守備側の大ピンチに野手がピッチャー・マウンドではなく二塁(別に一塁でも三塁でもいい)に集合したらおかしいだろう。

 

総評

DVDのカバーが醸し出すポワンとしたラブコメ感は、実は本編にはほとんどない。序盤以外はほとんど硬質なドラマである。本作ではあるキャラが「韓国らしさは世界に通じる」と喝破するが、けだし韓国映画人の本音であろう。主演のオム・テグのシャドー・ボクシングは『 ボックス! 』の市原隼人並みにキレッキレである。ラブコメ好きにはお勧めしない。硬派なヒューマンドラマを求める向きにこそお勧めする。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ニム

過去記事でも紹介したことがあるが、「~様」の意味となる。劇中ではミンジはピョングを「コーチニム」=コーチ様と呼んでいた。韓国では社長様や先生様という二重尊称が当たり前で、あらためて遠くて近い、近くて遠い国であると思う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イ・ソル, イ・ヘリ, オム・テグ, キム・ヒウォン, ヒューマンドラマ, 監督:チョン・ヒョッキ, 韓国Leave a Comment on 『 私のボクサー 』 -もう少しだけリアリティが欲しい-

『 ディメンション 』 -B級SFの変化球-

Posted on 2021年12月5日 by cool-jupiter

ディメンション 50点
2021年12月1日 レンタルDVDにて鑑賞 
出演:ライアン・マッソン ハイディ・クァン クリスチャン・プレンティス ドン・スクリブナー
監督:エリック・デミューシー

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大学の試験関連業務で超繁忙期である。そのため、ある意味で頭を空っぽにして観られる映画を近所のTSUTAYAで直感でピックアウト。思った通りのB級作品であった。

 

あらすじ

NASAのJPLに勤めるアイザック(ライアン・マッソン)は、宇宙人に誘拐され、腕に謎の物質を埋め込まれてしまう。偶然に撮影してしまった映像をネットにアップし、メディアに登場するアイザックだったが、呆気なくフェイク扱いされてしまい、世間からは相手にされなくなった。しかし、自分の体験が事実だと確信しているアイザックは、自らと同様の体験をした者を探そうとして・・・

 

ポジティブ・サイド

おそらく製作予算は『 ロード・オブ・モンスターズ 』と同程度だろうと推測するが、セリフのオンパレードで間をつなぐのではなく、しっかりとキャラクターの表情や立ち居振る舞いで間を持たせている。その意味で、アイザックを演じたライアン・マッソンは、その個性的な目鼻立ちだけではなく、確かな演技力・表現力を持っていると言える。

 

ヒロイン的なポジションのサラを演じたハイディ・クァンも、オリエンタルな美貌の持ち主で、『 シャン・チー テン・リングスの伝説 』のジム・リウのようなチャンスが巡ってくれば、ブレイクできそう。

 

ナード然とした青年と、アジアン・ルーツを持つ美少女というのは、今後のアメリカのドラマや映画で、小さいながらも一つのジャンルとして確立されていくように思う。

 

天文学とPC関連のオタクが主人公であるにもかかわらず、本作はかなりダイナミックにあちらこちらへと移動していく。『 ローンガンメン 』のようなギークとは、ここが違う。少ないアクションシーンはそれなりにスリリングで、CGの使用も控えめ。まさに低予算映画のお手本のような作りである。

 

UFOに誘拐されただとか、宇宙人の実在を隠ぺいする謎の組織だとかいうのはドラマ『 X-ファイル 』以後、雨後の筍のごとく生産されてきたが、本作のアイデアはまあまあ珍しい部類に入るのではないか。宇宙人の来訪の目的は少々アレだが、腕輪関連の技術には目を見張った。

 

ネガティブ・サイド

ストーリーは面白いものの、場面と場面のつなぎに必ずと言っていいほど挿入される歌が、とてつもなく耳障りである。邪魔であるという意味と、楽曲としてクオリティが高くないという2つの意味で耳障りなのである。せっかく役者はまあまあ頑張っているのだから、役者を動かしてシークエンスをつなぐべきだった。

 

何から何までがあまりにもトントン拍子すぎるとも感じた。異邦の地でのゼッドというもう1人のナードとの邂逅。サラが語るカール・マイスナーというアブダクション経験者とのコンタクトなど、パズルのピースがはまっていくのが早すぎる。

 

ISRP警察は、地下組織内部であれば許容できるが、あれが外部世界にまでやって来るのには呆れた。他の乗客がまったくいない列車のシーンは、低予算映画の悲哀が漂っている一方で、その絵面のあまりのシュールさに失笑を禁じ得なかった。

 

アイザックが偶然にもアブダクションとエイリアンとの邂逅をカメラに収めることになるきっかけとなったカウンセリングと、セラピーの一環として行った自撮りはいったい何だったのだろうか。アイザックの独白から彼に関する多くの背景情報が得られるが、そのことと彼自身がその後にたどっていく数奇な運命にまったく関連がない。何を意図した脚本なのだろうか・・・

 

終盤のとあるシーンで、カメラマンがばっちりガラスの反射で映ってしまうシーンがある。これはいただけない。

 

総評

随所に『 スター・ウォーズ 』へのオマージュと思しきセリフが挿入されている。You’re my only hope.はその一例だろうが、脚本および監督のエリック・デミューシーは、結構な『 スター・ウォーズ 』マニアなのだろうと推察する。つまり、波長が合う人であれば本作はかなり楽しめる可能性がある。過大な期待さえ抱かなければ、手持ち無沙汰の週末の午後の時間を過ごすのにはちょうどいい作品に仕上がっていると言えるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Necessity is the mother of invention.

「必要は発明の母」の意。実際にはコロナ前から存在していたが、コロナ禍によって Zoom や Google Meet といったビデオ会議ツールが一気に花開いた。invention や innovation は、ニーズによってもたらされるというのは、昔も今も将来も変わりはないのだろうと思う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, SF, アメリカ, クリスチャン・プレンティス, ドン・スクリブナー, ハイディ・クァン, ライアン・マッソン, 監督:エリック・デミューシーLeave a Comment on 『 ディメンション 』 -B級SFの変化球-

『 彼女が好きなものは 』 -日本社会の包括性を問う-

Posted on 2021年12月4日 by cool-jupiter

彼女が好きなものは 75点
2021年11月27日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:神尾楓珠 山田杏奈
監督:草野翔吾

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Jovian一押しの山田杏奈出演作品。原作小説はタイトルだけは聞いたことがあった。キワモノ作品と思いきや、骨太の社会は作品であった。、

 

あらすじ

高校生の安藤(神尾楓珠)はゲイで、同性の恋人もいるが、親も含めて周囲にはカミングアウトできずにいた。ある日、書店を訪れた安藤は、クラスメイトの三浦(山田杏奈)がBL好きであること知る。三浦は口止めを頼むが、安藤には一つの思惑が生まれて・・・

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ポジティブ・サイド

『 ボヘミアン・ラプソディ 』は国内でも大ヒットし、民族的なマイノリティかつ性的なマイノリティの味わう孤独や疎外感は広く日本人も共有されるようになった。NHKでも定期的に障がい者やLGBTQへの理解を広げるような番組が製作・放送されるようになっており、ゆっくりとではあるが確実に包括的な社会という方向に進んでいるように思える。本作のリリースのタイミングはドンピシャだろう。

 

冒頭から濃厚な濡れ場である。ある意味、『 怒り 』の綾野剛と妻夫木聡の絡み以上のラブシーンである。このおかげで本作がタイトルもしくは原作タイトルが予感させるユーモラスな物語にならないことが一発で伝わった。

 

主演の神尾楓珠はどこかジャニーズ風、あるいは山崎賢人や北村匠海を思わせるビジュアルながら正統派の演技派俳優。濡れ場だけではなく、普通の高校生としての感情も存分に表現した。初めての性体験にウキウキしてしまうところ、母親に対してどこかよそよそしくなってしまうところなど、普通の男子高校生らしい振る舞いの一つ一つが、彼が普通の人間であり、なおかつ普通であることをだれよりも強く渇望している人間であることを雄弁に物語る。これがあることで、終盤の病院のシーンでの偽らざる心境の吐露に、我々の心は激しく揺さぶられる。監督の演出の力もあるのだろうが、これは役者本人の character study が成功したのだと解釈したい。

 

山田杏奈も魅せる。2021年に最もブレイクした若手女優であることは疑いようもない。『 ひらいて 』では同性相手のベッドシーンを演じ、異性相手にも自ら脱いで迫るという演技を披露したが、今作でも初々しいキスからの勢いでのセックスシーンに挑戦。本番やトップレスのシーンはないのでスケベ映画ファンは期待するべからず。しかし、永野芽郁や橋本環奈が絶対にやろうとしない(あるいは彼女らのハンドラーが絶対にさせない)シーンを次々と軽々と演じていく様には敬服する。体育館での長広舌は、近年では『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』の南沙良の体育館でのシーンに次ぐ名場面になったと感じる。

 

本作についてはプロットには一切触れない方がよい。腐女子であることを隠したい女子高生と、ゲイであることをカミングアウトできない男子高校生の、不器用だが清々しい恋愛ものだと思い込んで鑑賞した方が、物語に入っていきやすく、なおかつ大きなショックを味わえることだろう。渡辺大知演じるキャラはノンケのある意味での無邪気さが、いかに無遠慮であるかということを突きつけてくるし、安藤の親友が、そのまた友達から言われた一言に何も言い返せなくなるシーンも、観る側の心に突き刺さってくる。だが、我々が最も学ぶべきなのは「お前らのチ〇コなんか見ねーよ」という安藤のセリフだろう。ゲイからノンケを見て、異性とは全て恋愛対象、あるいは欲情の対象だと映っているだろうか。もしも自分が同性のゲイに見られて気持ち悪いと感じるならば、自分が異性をどのように見ているのかについて、一度真剣に思いを至らせたほうがよい。

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ネガティブ・サイド

ペーシングにやや難ありと感じる。終盤の衝撃的なシーン以降は、かなり語り口が遅くなったと感じた。特に安藤のTwitterつながりの友人との展開は、もっとテンポよく進められたのではないかと思う。

 

教室でのディスカッションのシーンが空々しかった。役者の卵たちに喋らせているのだろうが、それこそ本物の高校生を連れてきて、『 真剣10代しゃべり場 』みたいな絵を撮り、それを上手く編集した方がリアリティがあっただろう。どこか優等生的な言葉を発する役者よりも、自分の感覚を素直に言語化する10代の方が、本作を本当に観るべき世代に近いはずで、そうした自らと合わせ鏡になるような存在を作品中に見出すことで、現実社会の中に確実に存在するLGBTQとの交流に何か生かせるようになるのではないかと思う。

 

総評

タイトルだけなら『 ヲタクに恋は難しい 』と同様の香ばしさを感じるが、あちらは超絶駄作、こちらは標準をはるかに超える水準であり、比較にならない。Jovianも授業を持たせてもらっている大学のプレゼン英語の授業でSDGsをテーマにした際、多くの学生が「ジェンダー平等」を挙げた。その際に、『 glee/グリー 』や『 ボヘミアン・ラプソディ 』を理解促進の助けに挙げた学生がいたが、彼女は本作も「観るつもりです」と言っていた。ぜひ10代20代の若者たちに観てほしいと心から思える作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

choose A over B

BよりもAを選ぶ、の意。作中のあるシーンで、重要キャラが二択を問われるシーンがある。そんな時には choose を使おう。この語は初習者には見慣れないかもしれないが、名詞は choice = チョイスである。これなら日本語にもなっている語で、なじみ深いだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 山田杏奈, 日本, 監督:草野翔吾, 神尾楓珠, 配給会社:アニモプロデュース, 配給会社:バンダイナムコアーツLeave a Comment on 『 彼女が好きなものは 』 -日本社会の包括性を問う-

『 リトル・ジョー 』 -静謐&ノイズ系ホラー-

Posted on 2021年11月29日2021年11月29日 by cool-jupiter

リトル・ジョー 65点
2021年11月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:エミリー・ビーチャム ベン・ウィショー
監督:ジェシカ・ハウスナー

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シネ・リーブル梅田で上映していたが、見逃してしまった作品。こけおどしで溢れる昨今のホラーの中では異色の仕上がりとなった。

 

あらすじ

アリス(エミリー・ビーチャム)は、その匂いを嗅ぐことで多幸感が得られるという「リトル・ジョー」という新種の植物を開発し、息子のジョーにプレゼントにした。しかし、「リトル・ジョー」の花粉を吸ったジョーは普段と少し異なる言動を取り始めた。同じころ、花粉を吸い込んだ助手のクリス(ベン・ウィショー)も、奇妙な振る舞いを見せ始めて・・・

 

ポジティブ・サイド

どこか彼岸花を連想させるリトル・ジョーという植物が、とても妖しげな雰囲気を放っている。それは、全編を通じて独特の色使いと、ノイズとも言えるBGMが、不協和音を奏でながらも、一つのハーモニーとして機能しているからだろう。「赤」の使い方としては、『 シックス・センス 』のシャマランを思わせる。リトル・ジョーという植物の持つ魔力のようなものが、この赤の使い方によって際立つ。少なくとも見る側にとってはそのように映る。オリエンタルなBGM(というか日本人の作曲家なのね)も、リトル・ジョーが画面に映る際のノイズとあいまって、観る側の心をざわつかせる。

 

アリスと息子ジョーの関係の変化も自然である。思春期の息子が母親に隠し事をする、あるいは言動が以前と変わってしまう。それは当たり前のことである。しかし、そこにリトル・ジョーの花粉吸引をまじえることで、独特のスリルが生まれている。また、ベン・ウィショー演じる助手のクリスの変化も興味深い。詳しくはネタバレになってしまうが、ヨーロッパあるいは日本には「リトル・ジョー」を購入する理由がたくさんありそうである。

 

ジョーや、そのガールフレンドの演技はなかなかのものである。瞬きを極力しないというのは演技者の基本だが、それに加えて無表情なのに雄弁な表情ができることに恐れ入った。特にジョーのガールフレンド役の女の子は不気味なこと、この上なかった。アリスが定期的に訪れるカウンセラーも、アリスに傾聴するふりをしながら、実に底浅い心理分析を行い、やはり観る側を苛立たせる。愛犬ベロを失った(というか・・・)同僚ベラの言動のあれこれも、観る側を戸惑わせる。リトル・ジョーは無害なのか、有害なのか。

 

植物が人間を操るということにリアリティを感じられるかどうかが胆だが、実際に植物は多くの動物を操っている。繁殖の時期になると、花粉の飛ばしをよくするために、はなびらを敢えてトカゲ好みの味に変える植物もあるぐらいなのだ。植物の力、そして人間の生物学的かつ社会的・心理的な弱さを知っている人であれば、本作は非常に不愉快かつ興味深いものになるはずだ。『 リトル・ショップ・オブ・ホラーズ 』へのオマージュが盛り込まれているらしいが、Jovianは中学生の時に読んだ『 トリフィド時代 』を思い出した。これもまた本作の持つ英国らしさゆえなのだろう。

 

ネガティブ・サイド

研究所の同僚のベラとその愛犬ベロの関係の変化を、もっとじっくりと描いてほしかった。犬は人間の何万倍、下手したら何億倍の嗅覚性能を誇るのだから、リトル・ジョーの香りや花粉から受ける影響も、(理論的には)もっと大きいはず。ここを丹念に描いておけば、アリスが気付くキャラクターたちの変化と、観る側が気付くキャラクターたちの変化がシンクロする、あるいはギャップを生み出すことできる。それによって、観る側がアリスに「おーい、気付け気付け」のように感じられ、それが更なるサスペンスになっただろう。

 

リトル・ジョーの香りをかいだ人間たちのインタビューを、もう少しじっくり見たかった。This is not the woman I used to know. = これは私が知る女性ではない、というセリフは認知症のパートナーを持つ人間の定番のセリフであるが、具体的に相手のどんなところからそう感じるようになってしまったのかを見せてくれていれば、リトル・ジョーの魔力にもっと説得力が生まれただろうと思う。

 

総評

昨今のホラー、なかんずくアメリカで夏に大量に公開されるものは、観客を怖がらせるのではなく、驚かせている。本作は、迫力こそないものの、神経にじわじわ来る『 ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談 』のような感じである。本作を面白いと感じて、なおかつ活字にアレルギーのない人は、鯨統一郎の『 ヒミコの夏 』も詠まれたし。または恐怖を快楽に変えて人間を操る生物のストーリーならば貴志祐介の『 天使の囀り 』も傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

talk back

「返事をする」、「言い返す」の意。劇中では前者の意味で使われているが、実際のコミュニケーションでは後者の意味、特に「口答えする」という意味合いで使うことが多い。一時期のアップルやIBMには、If you talk back, you’re fired. = 口答えするならクビだ、みたいなスーパーバイザーがたくさんいたことだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, イギリス, エミリー・ビーチャム, オーストリア, スリラー, ドイツ, ベン・ウィショー, ホラー, 監督:ジェシカ・ハウスナー, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 リトル・ジョー 』 -静謐&ノイズ系ホラー-

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