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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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月: 2019年12月

『 “隠れビッチ”やってました。 』 -女ドン・ファン物語・・・ではない-

Posted on 2019年12月9日2020年4月20日 by cool-jupiter
『 “隠れビッチ”やってました。 』 -女ドン・ファン物語・・・ではない-

“隠れビッチ”やってました。 40点
2019年12月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:佐久間由衣 森山未來
監督:三木康一郎

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三木康一郎監督は、平凡な作品を量産するという印象を持っている。ただし、時々『 旅猫リポート 』のような駄作も作るので、楽観はできない。本作はどうか。可もなく不可もない・・・というより、可もあるが不可もあるという作品である。

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あらすじ

ゲイのコジとヤリマンのアヤの3人でシェアハウスに暮らす荒井ひろみ(佐久間由衣)は、男を自分に惚れさせては、付き合うことなく袖にするという自称“ビッチ”。しかし、ある日、勤め先のデパートのアルバイトの男子に恋心のようなものが芽生えて・・・

 

ポジティブ・サイド

主演の佐久間由衣と同居しているコジ役の村上虹郎とアヤ役の大後寿々花が印象的な演技をしてくれた。女性二人と同居している男性というのは、それだけで奇異に感じるが、登場した瞬間から「ああ、このタイプの人間なのか」と腹にストンと落ちる。それだけ表情、身のこなし、仕草、声の出し方に話し方、そして偏見とも取られかねないが、その家事家政能力の高さから、三人の中で最も女性的である。より正確に言えば最も姐御肌である。コジの存在が、この奇妙な三人組の関係と生活を引き締めている。

 

アヤも良い。彼女のような女性の方が、主役のピロよりも遥かに共感できる。寂しさを紛らわせるために肌と肌を合わせるというのは、ごくごく自然なことだ。体と体がつながって、それから先にある心と心のつながりを求めるというのも、ごくごく自然なことだ。これが高校生ぐらいだと、互いの心がある程度充分に惹かれ合っているということが望ましいが、社会的に自立した大人(それが必ずしも精神的に自立した大人であるとは限らない)であれば多少の手順前後は構わない。『 シンクロナイズドモンスター 』のアン・ハサウェイが良い例である。

 

三沢さんを演じた森山未來は、ある程度アヤとの共通点が認められる。線路脇でいきなりとある行動に出るわけだが、Jovianは劇場で思わずガッツポーズをしそうになった。自分ならこうするだろうな、という行動をまさに彼が体現してくれたからである。気弱そうに見えるが、自分の弱さや負い目をさらけ出せる人間というのは、それだけで強い人間である。彼には“逃げた”過去があり、ひろみからも逃げそうになる。そこで条件付きながら踏み止まったのには拍手喝采である。なぜなら、Jovianは似たようなシチュエーションで逃げ出したことがあるからである・・・。三沢さん、幸せになってくれ・・・。

 

ネガティブ・サイド

佐久間由衣は悪い演技をしていたわけではないが、では良い演技だったかと問われれば、答えに窮してしまう。ただ単にでかい声を出せばいいわけではないし、鼻をほじほじすればガサツな印象を生み出せるわけでもない。公園で大声を出して木に話しかければ酔っ払いに見えるわけでもない。全てが演技臭い演技で、見ていて全く自然体に感じられなかった。演技というのは、演技していると悟らせないように演技するもので、映画というのは、連続していないシーンとシーンを連続したものとして見せる技法である。佐久間由衣のシーンでは、全てが不自然な作り物であるという感覚をぬぐえなかった。

 

ひろみのバックグラウンドについても矛盾がある。中盤では、母親は父親に経済的に支配されていたというが、終盤になると父親はまともに仕事をしていなかったことになる。どういうことだ?経済的に支配されるというのは、妻が稼いだ金を全て夫が略取するということか?そうではないだろう。普通は『 アンダー・ユア・ベッド 』の千尋のような状態を、経済的に支配されると言うはずだ。

 

もう少しライトなところでは、惹句にある「3年でふった男の数600人」というのも眉つばである。1年で200人ふるということは、ほぼ2日に一人をふっているわけで、それだけの出会いの機会を生み出す、もしくは与えられるということがいささか現実離れしている。また、それだけの男に接してきて、これまで暴力男や、もっと言えばデートドラッグを使うような男に引っかからなかったのは、棋士・藤井聡の言葉を使わせてもらうならば「僥倖」以外のなにものでもない。というか、暴力男に育てられた女性は、どういうわけか暴力男を引き寄せてしまう傾向があるのだが、その辺のリアリティにも欠けていた。暴力男が出てこないことが問題なのではなく、ひろみがどのようなアンテナやセンサーを使って男を選り分け、嗅ぎ分けているのかの描写が不足していたように感じられた。

 

エンドクレジット後の1コマも蛇足である。焼けぼっくいに火がついても構わないし、怒りの炎が燃え盛っても構わない。なぜなら、ひろみというキャラクターにはまったくと言っていいほど共感できなかったからである。まあ、普通にこのスキットを見て、効果音を聴く限りは後者なのだろうが、原作者のエッセーその他を買って、自分の解釈を確かめてみようとも思わない。

 

総評

タイトルが刺激的なだけで、ストーリーとしてはそれほど練られたものでもない。主演の演技にも褒められるところも少ない。Jovian夫婦は観終わって劇場の照明がついた時に「何じゃこりゃ?」と二人して眉間にしわを寄せて見合ってしまった。カップルのデートムービーには向かない。女子中高生あたりがグループで鑑賞するか、あるいはお一人様上等の男性または女性あたりが本作のターゲットになるだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

chew up the scenery

これは慣用句で、『 グランドピアノ 狙われた黒鍵 』で紹介した ”break a leg” と同じくtheater languageである。意味は≪大げさな演技をする≫である。主演の佐久間由衣の熱演には敬意を表すが、空回り気味であった。ニコラス・ケイジ、船越英一郎、藤原竜也あたりがscenery-chewing actorの好例だろうか。映画のレビューを英語で読みたいという人ならば、是非知っておくべき表現である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ロマンス, 佐久間由衣, 日本, 森山未來, 監督:三木康一郎, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 “隠れビッチ”やってました。 』 -女ドン・ファン物語・・・ではない-

『 ラスト・クリスマス 』 -ワム!のファンならずとも必見-

Posted on 2019年12月7日2020年4月20日 by cool-jupiter

ラスト・クリスマス 70点
2019年12月7日 東宝シネマズなんばにて感想
出演:エミリア・クラーク ヘンリー・ゴールディング ミシェル・ヨー エマ・トンプソン
監督:ポール・フェイグ

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英国には偉大なシンガーを生み出す土壌がある。『 イエスタデイ 』のビートルズ、なかんずくジョン・レノン、『 ボヘミアン・ラプソディ 』のフレディ・マーキュリー、『 ロケットマン 』のエルトン・ジョン、そして現代ではサム・スミス。本作はワム!、特にジョージ・マイケルの楽曲で彩られている。上に挙げた歌い手に共通するのは、愛を求めて彷徨ったということだろうか。永遠の名曲“Last Christmas”にインスパイアされた本作も、大きな愛を歌っている。

 

あらすじ

ユーゴスラビアからの移民であるケイト(エミリア・クラーク)は、“サンタ”(ミシェル・ヨー)の経営するクリスマスショップで働きながら、歌手としてデビューすることを夢見て、オーディション参加を繰り返していた。家族と疎遠であるケイトは、友人宅などを泊まり回るも、トラブルばかりで行き先をなくしてしまう。そんな時、店先に現れた不思議な青年(ヘンリー・ゴールディング)と知り合って・・・

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ポジティブ・サイド

名曲“Last Christmas”に新たな解釈を施したエマ・トンプソンに満腔の敬意を表したい。失恋からの立ち直りの歌をこうも鮮やかに再解釈するのかと唸らされた。何をどう解説してもネタばれの恐れがあるので、敢えて類似の作品を挙げるだけに留める。

 

『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』

『 イソップの思うツボ 』

『 思い出のマーニー 』

『 勝手にふるえてろ 』

 

パッと思いつくのは、これらだろうか。作品タイトルだけでネタばれになりかねないので、シネフィルな方々におかれては、鑑賞前に上の白字部分を読むのは自己責任でお願いしたい。

 

『 シンプル・フェイバー 』でもヘンリー・ゴールディングを起用したポール・フェイグ監督だが、そのヘンリー・ゴールディングは『 クレイジー・リッチ! 』に続いてアジアのレジェンド女優ミシェル・ヨーと共演。アジア人がメインキャストを占めて、舞台がロンドン、製作国はアメリカというところに、時代の変化を感じざるを得ない。また、主人公がユーゴスラビア移民であること、国際化・多様化が極度に進むロンドンを舞台にしていることにも大きな意味がある。そしてJovianが冒頭でF・マーキュリーやE・ジョンやS・スミスに言及したことにも意味がある。ミシェル・ヨーというマダムがメインキャストを張ることにも意味があるのである。生きるとは、助け合うことであるということを本作は高らかに宣言する。

 

エミリア・クラークは『 ターミネーター:新起動 ジェニシス 』ではウブ、『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』ではウブから百戦錬磨に、本作では逆に百戦錬磨からウブに戻って行く感じがして、非常に健康的な魅力を物語中盤からふりまくようになった。特にスケートリンクでのシーンは『 ロッキー 』でのロッキーとエイドリアンの語らいを彷彿とさせた。

 

小説『 クリスマス・キャロル 』では、スクルージは悔い改め、クリスマスは孤独に過ごすものではなく、家族と過ごすものだと気付いた。本作ではケイトも同じことに気付く。そう、これは家族の物語だったのだ。ケイトが見つけ出した家族とは誰か?それは劇場で確認して欲しい。クライマックスに楽曲と共にもたらされるカタルシスは『 リンダ リンダ リンダ 』のそれに匹敵する。

 

ネガティブ・サイド

ストーリーが本当の意味で始まるまでに、かなりの時間を要する。また、ケイトのあまりのダメ人間っぷりは、何らかの精神的な疾患もしくは障がいをも疑わせるレベルである。もしくは『 女神の見えざる手 』のスローン女史のような、セックス依存症一歩手前なのかとも考えた。終盤になってこのあたりの事情が明かされるのだが、これは少々アンフェアというか、非常に分かりづらかった。青春の真っただ中を空爆されるユーゴスラビアで恋を知らずに生きてきた反動で、bitchになってしまったのかと思ったが、そういうわけでもない。このへんの見せ方とストーリー上の秘密を、もう少し上手い具合に組み合わせるべきだった。

 

ビミョーにネタばれになるが、“Last Christmas”を一曲まるごと、どこかの場面で歌う、もしくは流してほしかった。『 ロケットマン 』でも“Your Song”がフルで流れることがなかったように、少々フラストレーションがたまる構成である。また、ワム!というよりは、ジョージ・マイケルにフォーカスした楽曲の選定になっているので、ワム!のファンは少々物足りなく感じるかもしれない。

 

総評

ジョージ・マイケルのファンにもワム!のファンにも観て欲しい。彼らのファンではない方々にも観てもらいたい。聖歌ではないクリスマス・ソングとしては、おそらくビング・クロスビーの “White Christmas” に並ぶ知名度の“Last Christmas”を聴いたことがないという人は、日本でも超少数派だろう。ジョージ・マイケルが泉下の人となって3年。この偉大なアーティストへのR.I.P.の念も込めて、是非多くの人にこの物語を味わってほしい。

そうそう、本作をきっかけにユーゴスラビアに興味を持った向きには、米澤穂信の小説『 さよなら妖精 』をお勧めしておく。

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, エマ・トンプソン, エミリア・クラーク, ヘンリー・ゴールディング, ミシェル・ヨー, ラブロマンス, 監督:ポール:フェイグ, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 ラスト・クリスマス 』 -ワム!のファンならずとも必見-

『 生理ちゃん 』 -男性、観るべし-

Posted on 2019年12月6日2020年9月26日 by cool-jupiter

生理ちゃん 60点
2019年12月5日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:二階堂ふみ 伊藤沙莉 松風理咲 豊嶋花
監督:品田俊介

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性に関する情報や議論はずいぶんとオープンになってきた。「性癖」という言葉の意味も曲解されるようになって久しいし、LGBTを公言する人々や、そうした人々にフォーカスする作品も近年とみに増えてきた。だが、そのテーマはマイノリティとしての苦悩や葛藤という精神的なものだった。全人類の半分である女性の「生理」という身体的な現象を描いた作品というのは、本邦では史上初ではないだろうか。

 

あらすじ

編集者の米田青子(二階堂ふみ)は、仕事に追われながらも、恋人との交際も順調だった。しかし彼は二年前に妻と死別し、11歳の娘、かりんを抱えていた。かりんとの距離感をなかなか把握できない青子。そんな日々の中でも月に一度の「生理ちゃん」は律義にやってきて青子にボディブローを見舞う・・・

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ポジティブ・サイド

『 存在のない子供たち 』のゼインは、初潮を迎えた妹に対して、実にテキパキと行動した。このように即座にアクションを起こせる男性は日本にどれくらい存在するだろうか。医療従事者や研修を受けた学校教諭以外で、どれだけの男性が生理のメカニズムを理解しているのだろうか。本作は無神経な男性の代表として青子の上司を描くが、これは製作陣からの日本の中高年向けの痛烈なメッセージであるように思えてならない。男というのは生来アホな生き物であるが、可愛げのあるアホか、ただの嫌味なアホかで、男の価値は上下する。前者でありたいと切に願う。

 

本作は20代半ばと思しき青子、同年代と思しき山本さん、青子の妹での17~18歳のひかる、青子の交際相手、久保の娘で11歳のかりんらが、「生理ちゃん」と向き合っていくストーリーである。

 

青子にとっての「生理」とは、仕事の邪魔をしてくる厄介な存在であり、同時に自分は母親にまだなれていないことを示すサインであり、多くの人に望まれているわけでもないのにきっちり自分の役割を果たすバリキャリの象徴でもある。

 

山本にとっての「生理」は、性交をしなかったこと、すなわち身を寄せ合い一つになれる異性の不在を告げる忌々しい存在である。彼女は真正のヲタクであり、その事実が彼女自身の殻になってしまっている。演じた伊藤沙莉は『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』では場末のクラブではじけていたが、このような陰キャも見事に演じられるのかと感心させられた。

 

ひかるにとっての「生理」は、肉体的に性行為が可能であるということの証明であり、同時にそれが来たら性交は不可であるとのサインでもある。

 

かりんにとっての「生理」=初潮は、子どもという存在からの脱却の始まりである。母親の死からわずか2年のかりんは、「私はお母さんの子どもだ!」という事実に固執する。

 

四者四様に自身の生理現象と向き合う女性たちの物語は、性=セックスもしくは好きになるタイプの人間の嗜好性・志向性と規定されがちな現代において、非常に根源的である。Jovian含めアホな男たちは、彼女らへの思いやりを決して忘れてはならない。

 

『 ジョーズ 』や『 オペラ座の怪人 』をパロったBGMが使われたり、ファミコン・ソフトの【 アトランチスの謎 】や【 いっき 】に、アラフォーのJovian夫婦は映画館の片隅で盛り上がってしまった。自分と同世代の人間たちがクリエイティブな世界でも主導権を握るようになってきたのかと、エンパワーされたように感じた。

 

ネガティブ・サイド

『 空の青さを知る人よ 』でも、姉妹の物語が描かれたが、年齢の離れた姉はしばしば妹にとっては母親代わりとなる。青子を25歳と見積もれば、高3の受験生であるひかるとの年齢差は7~8歳。妹の様々なライフステージで青子が母親代わりに positive female figure の役割を果たしてきたはずではないか。かりんとの適切な距離を探るのに難儀するのは当然としても、そのことをまったくの初めての事柄のように捉えている姿には少々違和感を覚えた。

 

本作には生理ちゃんだけではなく、その他のゆるキャラも登場する。性欲くんはまだしも、童貞くんとは何なのだ?処女ちゃんがいないにも関わらず童貞くんが存在する世界というのは、バランスに欠けるのではないか。また、ひかるのボーイフレンドについて回る「性欲くん」があまりにもおとなし過ぎる。10代の男子の性欲など、ほとんど動物のそれと同じである。製作陣はほとんど全員男性のはずだが、なぜこのような大人しい描写に落ち着いてしまったのか、あるいは妥協してしまったのか。また、このボーイフレンドの「性欲くん」が呟く一つひとつのエロ単語が、あまりにも笑えない。いや、それらを単体で聞く分には充分に面白いのだが、この物語の中では不協和音である。ガールフレンドの部屋にいるなら「ブラチラ」、「パンチラ」、「うなじ」といったようなワードを呟きそうだが、実際の「性欲くん」のつぶやきはエロ動画につけられていそうなタグばかり。女性の女性性(=妊娠と出産が可能な生命体であること)をテーマにした作品なのに、女性の性的な部分だけを取り出して呟くような「性欲くん」のノイズであるように感じられた。製作した男性陣が、自身の男性性に向き合えていない証拠である。

 

また青子と父との会話のシーンにも不満が残る。高校生の愛娘が、部屋に男を招き入れているというのに、この父親はそのことを従容として受け入れているかのようだ。不器用な男であることは分かるが、無関心または鈍感である必要はない。ひかるのボーイフレンドに対して、複雑な感情を抱いているシーン、または青子の交際相手に関心を持つシーンが描けていないことで、男女のコントラストがぼやけてしまっている。本作には「夫」という属性が出てこない。それは「妻」が不在だからである。生理とは、母親への予感である。だからこそ、「父」という属性をもう一段上の鮮烈さで描く必要があったと思えてならない。そこが残念である。

 

総評 

『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』は、インド社会の慣習や因習の打破を願った傑作であったが、女性の身体的な苦痛やストレス、また生理によって否応なく思い知らされる生殖機能までは描いていなかった。本作はそこを描いた。本作は中国や台湾でも配給されるとのこと。日本人の男性が原作を描き、日本人男性がそれを脚本化し、日本人男性がその映画化を監督し、その作品が海外でも公開されることの意義は大きい。東京オリンピック開催を前にコンビニからグラビア表紙の雑誌を撤去するらしいが、多くの国の人間が日本人のそうした「性癖」をすでに知っている。だからこそ、日本人男性像が変わりつつあることをアピールできる本作のような作品を、当の日本人、特に男性諸氏に強くサポートしてもらいたいと思うのである。生理バッジも試験的に導入され始めている。時代の変化に敏感になるとともに、最も身近なパートナーたちに敏感になろうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’m late.

文脈が無ければ「遅刻している」の意味だが、貴君のガールフレンドが突然このように言ってきたら、それは「(生理が)遅れてるの」の意である。生理とは、受精卵を受けとめるためのふわふわのじゅうたんを体外に排出する現象である。つまり生理が遅れているということは、胎内に受精卵が存在しているかもしれないということである。世の男性諸君、特に10代、20代に告ぐ。近所の病院の性教育セミナーやパパママ教室に、一度は足を運ぶべし。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, コメディ, 二階堂ふみ, 伊藤沙莉, 日本, 松風理咲, 監督:品田俊介, 豊嶋花, 配給会社:よしもとクリエイティブ・エージェンシーLeave a Comment on 『 生理ちゃん 』 -男性、観るべし-

『 マーターズ 』 -監禁拷問の果てにあるものは-

Posted on 2019年12月5日2019年12月5日 by cool-jupiter

マーターズ 65点
2019年12月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:モルジャーナ・アラウィ ミレーヌ・ジャンパノワ
監督:パスカル・ロジェ 

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『 ゴーストランドの惨劇 』のパスカル・ロジェ監督の作品で、『 マーターズ 』の方が先発作品である。前々から「やばい映画だ」、「すごい映画だ」とは聞いていた。ホラーは嫌いではないが、拷問ジャンルは好きではない。まして『 ソウ 』の twist を一発で見破ったJovianなのだから、たいした捻りでもないだろうと高を括っていた。それは間違いだった。

 

あらすじ

 

傷だらけの少女リュシーは路上で保護された。彼女は廃墟に監禁され、拷問と虐待を受けていた。施設に預けられたリュシーはPTSDに悩まされながらも、アンナ・アサウェイの介護によって回復していく。しかし15年後、リュシーは自分を監禁していた者たちを見つけてしまう。復讐心に駆られた彼女は、銃を手に取り、アンナと共に彼らの家に踏み込んでいく。しかし、それは更なる悲劇と惨劇の始まりで・・・

 

ポジティブ・サイド

 

血が ドバッ とか ピュー と出るのは別に構わない。そういうのは小さい頃に『 13日の金曜日 』で充分に堪能した。本作は、いたいけな女子がこれでもかと痛めつけられる描写に目を背けたくなる。それだけなら、凡百のホラー映画だろう。本作が際立っているのは、リュシーを痛めつける者が、ビジュアル的かつ精神的に、とてもおぞましい存在であると言うこと。恐怖を感じさせる極意は『 はじまりのうた 』でキーラ・ナイトレイがヘイリー・スタインフェルドに諭したこと、すなわち「肌を見せてはいけない。衣服の下がどうなっているのかを男たちに想像させなければならない」という点に尽きる。その意味では、リュシーにとっての恐怖を、観る側にとっての恐怖と同一視させることに成功している本作は、それだけでも稀有な作品と評すことができる。

 

ところがストーリーはここから思わぬ展開を見せる。まさかの主役交代である。リュシーのパートナーのアンナが、かつてリュシーが経験したおぞましい苦痛の数々を味わうことになる。それは『 デッドプール 』でウェイド・ウィルソンがミュータント変身のために受けた拷問よりも、遥かにフィジカル的に残忍である。特に最終盤は『 羊たちの沈黙 』の行き過ぎたバージョンである。あまりにもおぞましい。デッドプールなら笑えるが、相手は女性である。ここまで彼女に拷問と虐待と苦痛とストレスを与える意味は何か。それがタイトルの『 マーターズ 』の意である。以下、ネタばれになる部分は白字で。

 

本作は映画『 ソウ 』、『 羊たちの沈黙 』にダンテの『 神曲 』と野崎まどの小説『 know 』を組み合わせたものである。アンナがクライマックスに観るビジョンをその目で確かめたら、ぜひこの画像を見てみてほしい。パスカル・ロジェ監督が上に挙げた古典作品をモチーフにしていることは間違いなさそうである。その上で、ラストの一連のシークエンスの意味をよくよく考えてみて欲しい。なぜ念入りに化粧をするのか。なぜ側頭部を撃つのではなく銃口を加えて後頭部を破壊するのか。なぜ「疑い続けなさい」と言い残すのか。いかようにも解釈可能だが、黒沢清の『 CURE 』の和尚の言葉「ありと見ればあり、なしと見ればなし」なのだろう。

 

ネガティブ・サイド

吐き気を催すほどの拷問が繰り広げられるが、後半にアンナをとことん痛ぶる場面は編集の粗が出たか。大柄な男がアンナに拳を振り下ろすシーンとアンナがフロアに叩きつけられるシーンが繋がっていないように感じられたし、アンナ自身も痛みの声と表情は見せても、痛みを体で伝えてはいなかった。WWEのジョバーの仕事を見て、痛いふりをすることと、痛みを観客に分かるように大げさに伝えることは、似て非なるものであると学ぶべし。

 

マドモアゼルが少し喋り過ぎである。いや喋るのは構わないが、明らかに観客に語りかけている。『 ミスター・ガラス 』でもサラ・ポールソン演じる精神分析医がイライジャ・プリンスの説明をご丁寧に観客に説明して白けさせてくれたが、このあたりの語りにも改善の余地がある。

 

後は重箱の隅をつつくようなものである。尿の色が薄い、食べさせられているものや置かれている状況からして量が多いなどの医学的なケチもつけられるし、あのような身体的ダメージを受けて生きていられるはずがない。感染症にかかって、即死亡であろう。もっと言えば、アンナは監禁されていた女性を見つけた時点で警察にすぐに通報すべきだった。だが、かの家の電話は何番にダイヤルしようと全てマドモアゼルの息のかかったところに繋がる・・・などの設定にしておけば、より絶望感が生まれたのではないだろうか。

 

総評

暴力的な描写に耐性が無いのであれば観てはならない。ただのホラーではない。スーパーナチュラルなホラーは大好物だぜ、という向きにもお勧めはできない。『 悪魔のいけにえ 』やそのリメイク『 テキサス・チェーンソー 』を堪能したような向きにこそお勧めしたい。リメイク版の『 フラットライナーズ 』や『 ラザロ・エフェクト 』的なテーマに興味のある向きは、片目をつぶりながら観るべし。

 

Jovian先生のワンポイントフランス語会話レッスン

Mademoiselle

カタカナでは「マドモアゼル」、または「マドモワゼル」だろうか。「嬢」、「さん」に当たる表現である。未婚ではこちら、既婚ではマダムとなる。テニスファンならば、全仏オープンのアンパイアの声に耳を傾けてみよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, カナダ, フランス, ホラー, ミレーヌ・ジャンパノワ, モルジャーナ・アラウィ, 監督:パスカル・ロジェ, 配給会社:iae, 配給会社:キングレコードLeave a Comment on 『 マーターズ 』 -監禁拷問の果てにあるものは-

『 アイリッシュマン 』 -M・スコセッシの心の原風景-

Posted on 2019年12月4日2020年4月20日 by cool-jupiter

アイリッシュマン 65点
2019年12月1日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ロバート・デ・ニーロ アル・パチーノ ジョー・ペシ
監督:マーティン・スコセッシ

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『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』がQ・タランティーノの心の原風景を映画化したものだとすれば、本作はM・スコセッシの心の原風景を映画化したものなのではないか。これが観終わって一番に感じたことである。

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あらすじ

時は第二次大戦後の1950年代。マフィアの台頭と抗争の華やかなりし時代。フランク・シーラン(ロバート・デ・ニーロ)はマフィアのラッセル・“ルース”・バッファリーの下でヒットマンとして働いていた。彼は頭角を現し、全米トラック組合「チームスター」のトップであるジミー・ホッファ(アル・パチーノ)の知音となるが、それは更なる暴力稼業の始まりで・・・

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ポジティブ・サイド

この映画を私的に表現するなら、(『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』+『 ゴッドファーザー 』+『 ゴッドファーザー PART II 』+『 ゴッドファーザー PART III 』+『 グッドフェローズ 』+『 アウトレイジ 』)÷(『 JFK 』+『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』)だろうか。つまり、懐かしさの中に悪辣さ、悪辣さの中にある懐かしさ、そこに真実を追い求めようとするストーリーであるように感じられたのである。

 

『 ジョーカー 』でも健在をアピールしたロバート・デ・ニーロが、意気軒高、老いて益々盛んな様を銀幕に刻み付けた。タクシー・ドライバー・・・じゃなかった、トラック・ドライバーが何の因果かマフィアの暴力のお先棒を担ぐようになるまでの経緯を、煤けた空の元で重厚に描かれる。一昔前には日本でもデコトラがちらほらと生き残っていたが、確かに『 トラック野郎 』には荒くれ者が多いようである。ただし、“アイリッシュマン”のフランク・シーランには戦争のバックグラウンドがある。戦争であれ抗争であれ、先に撃った奴が有利であることを、この男はよくよく知っている。いったい何人を殺すのかというぐらいに劇中でも殺しまくるが、フランクの狙撃は全てが近距離、それもほとんどゼロ距離で行われる。これは相手の懐に完全に入り込み、確実に命中させ、なおかつ反撃を食らわないという確信がなければできないことである。フランクが殺しの方法論や哲学を語るシーンはないが、それでもヒットマンとしての確立された自己があるということが如実に伝わってくる。稼業が何であれ、仕事人ならばこのようなプロフェッショナルでありたい、そう思わせるだけの迫力がある。ロバート・デ・ニーロ、健在である。

 

アル・パチーノ演じるジミー・ホッファも素晴らしい。チラッと名前を聞いたことがあるぐらいの人物だったが、そのカリスマ的な演説力と行動力、クレイジーなまでの権力欲、律儀にもほどがある連帯意識、破滅に向かっていたとしか思えない自意識は、『 スカーフェイス 』や『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』での演技に並ぶものと評したい。本人は怒り狂っているのだが、その様が意図せざるユーモアになっているシーンもいくつかある。「どのトニーだ?」の問いかけには、笑ってしまうこと請け合いである。

 

ルースを演じたジョー・ペシには、日本でいえば國村隼的な迫力がある。好々爺に見えて恐い。こんな爺さんがボソッと何かを呟いたら、忖度の一つや二つ、誰でもしてしまいそうだ。小柄な俳優が暗黒街の大物を演じることで、無言の圧力や不気味なオーラといった名状しがたい雰囲気が醸し出されている。彼の味方にせよ敵にせよ、関わりのある人間のほとんどがまともな死に方をしていない。そんな彼自身がまともな死を迎えられたのかどうか。観る者の想像に委ねられている部分もあるが、“Ill weeds grow fast.”とは、このような事柄を指すのだろうか。

 

本作は家族のストーリーでもある。より正確に言えば、親子のストーリーである。父が娘に寄せる愛情、そして娘が父に向ける軽蔑の眼差しの物語である。ヒットマンとして数々の殺しを請け負い、様々な犯罪をほう助してきた男も、その内側には人並みの愛情を持っている。アメリカ犯罪史の生き証人でもあるフランクは関係者の全てが鬼籍に入っても沈黙を保ち続けた。しかし、自らの愛情を隠すことはできなかった。何と悲しい男であることか。誰かが自分を訪ねてくるという希望にすがるフランクの姿を、人間らしさの表れと見るか、それとも哀れで孤独な末路と見るか。それはNetflixで確かめるか、もしくはレンタルできるまで待ってから確かめて欲しい。

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ネガティブ・サイド

アメリカ史についてある程度の知識がないと、何のことやら理解が難しい場面が多い。そういう意味でも冒頭に挙げたマフィア、ギャング系の映画のいくつかは鑑賞しておくことが望ましいのかもしれない。マフィア間の抗争や他グループとの抗争、国家権力との闘争など、彼らが現代に残した影響は計り知れない。ボクシングでは、ギブアップの意思表示のためには本来ならタオルは投入しない。それは大昔のことである。正しくは、セコンドがリングサイドに立ってタオルを振るのである。これは、まさにこの映画の描く時代に、自分の側のボクサー(それはギャンブルの対象でもある)がピンチに陥った時に、観客席からタオルを投げ込んで一次的に試合をストップさせてしまう不届き者が後を絶たなかったからである。こうしたチンピラ行為は、今では連邦法で取り締まられる。つまり、FBIに逮捕されてしまう。マフィアやギャング連中の何たるかを、劇中でもう少し詳しく描いて欲しかった。この映画を鑑賞するのはデ・ニーロやパチーノのファンがマジョリティかもしれないが、全員が全員、こうした歴史的背景に詳しいわけではない筈である。実際にJovianも前半はところどころがちんぷんかんぷんであった。

 

その前半のパチーノやデ・ニーロにはデジタル・ディエイジングが施されているが、これが気持ち悪いことこの上ない。『 キャプテン・マーベル 』のサミュエル・L・ジャクソンは普通に受け入れられたが、本作は無理である。特にアル・パチーノが不気味で仕方がなかった。『 アリータ バトル・エンジェル 』のアリータはだんだんと可愛らしく見えてきたが、今作の前半のパチーノは人間が機械的な仮面をかぶって演技をしているように見えて、とにかく気持ちが悪かった。これは何なのだろうか。

 

あとはとにかく長い。漫画『 クロス 』でもハリウッドのプロデューサーであるジャック・ザインバーグが「間にほどよく休憩をはさんだ3時間超の映画を作りたい」と言っていたが、インド映画のようなIntermissionをはさむことはできないのだろうか。それともNetflix映画にはそのような配慮は無用なのだろうか。長さは措くとしても、ペーシングに難がある。ジミー・ホッファが退場してからが異様に長く感じられる。ここからはアクションらしいアクションやサスペンスがなくなり、どちらかというとフランクの内省が焦点になるからだが、このパートだけでも10分は削れたのではないか。もしくは、もう少しメリハリのある作りにできたのではないか。自宅で適度に自分のペースで観ることができるように計算して作られたのかもしれないが、映画の基本は照明にしろ音響にしろ長さにしろ、劇場鑑賞を旨とすべしだと思いたい。

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総評

Netflix映画で、期間限定でミニシアターで公開されている。『 アナイアレイション 全滅領域 』もそうだった。Jovianはこちらはレンタルで観た。今秋、どこの映画館も一律に値上げを行ったが、年間50本を映画館で観るとするなら5000円、100本観れば10000円である。ボディブローのように財布には効いてくるかもしれない。本作を劇場鑑賞して、Netflixなどの配信サービス加入を真剣に考え始めている。アナログ人間のJovianにそう思わせてくれるだけの力のある作品であることは疑いようもない。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

That does it.

「 ひどすぎるぞ! 」、「 我慢ならん 」のような意味である。『 デッドプール 』でも、コロッサスに気を取られていたデッドプールがフランシスを逃がしてしまった時に、この台詞を叫んでいた。さあ、仕事や学校で気に食わないこと、理不尽なことがあった時には、心の中で“That does it!”と叫ぼうではないか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, アル・パチーノ, サスペンス, ジョー・ペシ, ロバート・デ・ニーロ, 伝記, 歴史, 監督:マーティン・スコセッシ, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 アイリッシュマン 』 -M・スコセッシの心の原風景-

『 キューブ:ホワイト 』 -見つけても借りるな、借りても観るな-

Posted on 2019年12月2日 by cool-jupiter

キューブ:ホワイト 15点
2019年12月1日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ショーナ・マクドナルド オデッド・フェール
監督:ポール・ラシッド

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『 パズル 』と同じく、TSUTAYAでタイトルとカバーボックスだけを観て借りる。I was in the mood for garbage. しかし、原題が White Chamber と知ったのは鑑賞後であった。

 

あらすじ

女(ショーナ・マクドナルド)は目が覚めると白い立方体の密室に閉じ込められていた。誰が、何のために?やがて彼女には拷問が加えられる。情報を知らせろと外部からの声は言うが、彼女はその答えに心当たりがなく・・・

 

ポジティブ・サイド

さらりと薬物と戦争の関係に触れているが、これは重要な指摘でもある。軍事や政治、さらには科学までも、密室で行ってはならないという批判が込められているのだろう。

 

後は、この手のシチュエーション・スリラーにしては珍しく、中の人間が結構入れ替わる。外部から内部の密室(的な空間)へ入っていくプロットで近年それなりに面白かったのは『 メイズ・ランナー 』だった。このプロットだけはちょっと斬新だと感じた。

 

また、何を意図しているのか不明だが、催淫剤を使ったり、カニバリズムに走らせる薬剤も登場する。そこらへんのオリジナリティだけは買いたい。

 

ネガティブ・サイド

まずオープニングからして『 Vフォー・ヴェンデッタ 』の二番煎じである。ディストピアを描くのは構わないが、そうした社会状況をもっと適切に描写すべきだし、密室内外の人間関係にもそのことを暗示的にせよ明示的にせよ反映させるべきだ。

 

そもそも重要人物であるザカリアンをクルド人だと言っているが、これはアルメニアの名前だろう。何故そんなことが分かるのか。それはJovianがヴィック・ダルチニヤンやアルツール・アブラハムなどのアルメニアン・ファイターをこよなく愛していた時期があり、アルメニアについてあれこれリサーチしたことがあるからだ。この一点だけを取り上げても、これを作ったブリティッシュの製作陣の意識の程度が分かろうというものだ。

 

総評

『 CUBE 』は文句なしに傑作だった。つられて観た『 CUBE2 』や『 CUBE ZERO 』は珍品だった。勢いで借りた『 キューブ■RED 』は、古畑任三郎のとある数学ネタと同工異曲で、存外に楽しめた。しかし本作は正真正銘の駄作である。見つけても借りない。借りても観ない。これを肝に命じられたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Answer me.

 

「(俺の質問に)答えろ」の意である。日本の学習者が共通して犯す間違いに“Answer to me.”というものがある。動詞の意味に対して、「何を?誰を?」と思えば他動詞、そうでなければ自動詞と解釈するのが自然だが、中には例外がいくつもある。Answerもその一つで、“Answer me.”という形ごと覚えてしまうべし。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, F Rank, イギリス, オデッド・フェール, シチュエーション・スリラー, ショーナ・マクドナルド, 監督:ポール・ラシッドLeave a Comment on 『 キューブ:ホワイト 』 -見つけても借りるな、借りても観るな-

『 マリッジ・ストーリー 』 -既婚者、観るべし-

Posted on 2019年12月2日 by cool-jupiter

マリッジ・ストーリー 75点
2019年11月30日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:アダム・ドライバー スカーレット・ジョハンソン ローラ・ダーン
監督:ノア・バームバック

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シネ・リーブル梅田でいつぞやにパンフレットとポスターを見て、面白そうだと直感した。それからトレーラーも観ず、他サイトのレビューも読まず、公式サイトにも行かずに、完全に予備知識なしの状態で劇場鑑賞した。予想と全く違ったが、なかなかに面白い作品だった。

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あらすじ

女優のニコール(スカーレット・ジョハンソン)と舞台監督のチャーリー(アダム・ドライバー)の夫婦は、離婚を協議中だった。しかし、ふとしたことから互いに弁護士を立てて争うことになり、胸の奥底にあった思いが噴出してしまい・・・

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ポジティブ・サイド

スカーレット・ジョハンソンにしてもアダム・ドライバーにしても、オーラが隠しようのない領域にいる。そんな二人を凡百の夫婦にするのではなく、女優と舞台監督に設定したのが奏功している。両者とも、自己を表現することを生業にしているからである。芝居がかった台詞や仕草も、この設定のおかげでナチュラルなものに映る。実際に、ニコールとローラ・ダーン演じる弁護士のはじめての会話は、相当に芝居がかっている。ほぼ定点観測カメラでロングのワンカットを取り切ったが、この場面は映画というよりも舞台演劇のようだった。

 

アダム・ドライバーも魅せる。几帳面に家事をこなす子煩悩の父親でありながら、いかにもアメリカ的な封建的・家父長的な面も持っている。併せ、妻の母親とも友達のような関係を作ることができるナイスガイでもある。これができる男は強い。素直に心からそう思う。終盤の夫婦喧嘩は売り言葉に買い言葉で罵り合いがどんどんとエスカレート。最後には思わず心にもないことを叫んでしまい、後悔の念に打ちひしがれ、崩れ落ちて行く。密室に男女二人が寄り添い合う様は、夫婦という関係の一筋縄ではいかない難しさがよくよく表れていた。

 

子はかすがいと言うが、子は庇護者の顔色をよく観察している者でもある。同僚のアメリカ人は子どもを一年間アメリカの祖父母に預ける形で留学させたが、子どもはアメリカ滞在中は父母の不満を漏らして祖父母の庇護を巧みに得、日本に帰ってからは祖父母の不満を述べて以前よりも手厚い庇護を得ているという。我々はしばしば子どもを純粋無垢な存在だと認識している。純粋の部分は否定しないが、無垢という点に関しては検討が必要だろう。映画や文学においてもそれは同じである。

 

本作はアメリカの地域性の違い、そのコントラストを映し出してもいる。日本で言えば関東と関西だろうか。寒くて住居も小さく生活圏が比較的狭くなりがちなニューヨーク。温暖で、住宅が広く、どこへ行くにも車が必需品なロサンゼルス。それはまるで男と女の生物学的な差異を象徴しているかのようでもある。

 

知り合いの弁護士の方が常々おっしゃるのは、弁護士を立てる前に当事者で徹底的に話し合うべき、もしくは協議の前に弁護士の助言を仰ぐべき、ということである。もちろん商売でそう言っている面もあるだろうが、本作のようなドラマを観ると、これは真正の忠告であることがよく分かる。いったん離婚の手続きを弁護士に委ねてしまえば、お互いの減点材料の探り合いと責め合いになってしまう。弁護士の仕事は紛争の解決であるが、紛争の予防も仕事の柱である。弁護士の全てが『 ジュラシック・パーク 』に出てくるblood-sucking lawyerではないと信じているが、弁護士は誰も彼もがある程度は人の生き血をすすって金儲けをしている面は否定できない。離婚に際しての財産分与のあれこれを活写している点は実に参考になる。

 

結婚というのは難しい。テレビドラマ『 まだ結婚できない男 』でも阿部寛が結婚にまつわる各種の名言を引用するエピソードが最近あったが、本ブログ的には『 ゾンビランド:ダブルタップ 』のウィチタの台詞、「結婚したカップルがすることは一つ、離婚することよ!」を引くべきなのだろう。そのとおりになってしまったチャーリーとニコールの夫婦を、それでも応援したいという気持ちにさせてくれる本作は、既婚者にこそぜひ観て欲しいと思える仕上がりである。

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ネガティブ・サイド

ローラ・ダーン演じる弁護士のテンションが高すぎないだろうか。聖母マリアについて語るシーンは良いとしても、その他のシーンでの彼女のテンションの高さが、映画のトーンとマッチしていないように感じられた。チャーリー側が最初に接触したレイ・リオッタ演じる弁護士が典型的なblood-sucking lawyerだった。そのテンションに合わせるなら、その男の登場シーンが来てからでよかった。大女優と大監督の采配にケチをつけても詮無いことだが。

 

息子のヘンリーが失読症気味であること、その息子の読解の訓練に甲斐甲斐しく付き添うチャーリーの姿が争点にならないのは何故なのか。弁護士はもっとチャーリーのプラスの点を見るべきだ。

 

そのアダム・ドライバーは思わぬ歌唱力を披露してくれるが、日本語の歌詞が一部間違っている。字幕翻訳には字数制限という大きな制約があるのは承知しているが、二番以降の歌詞が命令形になっていることには、それなりの意味がある。そこを訳出できていなかったのは翻訳家の大きな減点材料となる。英語リスニングに自信のある人は、耳を澄ませて歌詞と字幕の意味を比較してみよう。

 

総評

結婚生活の負の側面が噴出するが、『 ゴーン・ガール 』と違って、結婚生活の闇の面は出てこない。そうした意味では、未婚者にも本当はお勧めすべきなのかもしれない。結婚の終わりは関係の終わりではなく関係の変化である。日本も離婚率が3割に達しているが、それはこの男女の関係の因習を新しく捉え直す時代に入ってきた、あるいはそうした世代が増加してきたことの証左だろう。であるならば、高校生や大学生あたりも室内デート・ムービーとして鑑賞してもいいのかもしれない。つまりは万人向きの良作ということである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

put ~ away

 

~を片づける、の意である。

 

散らかってるおもちゃを片付けなさい = Put the toys away.

本を片付けなさい = Put your books away.

服を片付けなさい = Put the clothes away.

 

ただし、部屋を片付けるや、机を片付ける(机そのものではなく、机の上の物を片付ける)場合には、異なる表現になる。Word for wordではなく、状況に応じて言葉や表現の意味を理解するように努めるべし。成人の学習者なら尚更である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, スカーレット・ジョハンソン, ヒューマンドラマ, 監督:ノア・バームバック, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 マリッジ・ストーリー 』 -既婚者、観るべし-

『 ドクター・スリープ 』 -S・キングの世界へようこそ-

Posted on 2019年12月1日2020年4月20日 by cool-jupiter

ドクター・スリープ 75点
2019年11月30日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ユアン・マクレガー カイリー・カラン レベッカ・ファーガソン  ダニー・ロイド
監督:マイク・フラナガン

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『 シャイニング 』の続編である。いきなり本作から観る人は少数派だろうが、もし可能なら『 ダーク・タワー 』や『 IT イット 』シリーズも事前に鑑賞されたし。というのも本作は『 シャイニング 』のその後の物語であり、スティーブン・キングの創造世界の一端でもあるからである。

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あらすじ

母との死別後、展望ホテルの悪夢から逃れるために酒に溺れていたダニー(ユアン・マクレガー)。 “シャイニング”を始め、様々な力を持つアブラ(カイリー・カラン)という少女。その力を狙うローズ・ザ・ハット(レベッカ・ファーガソン)ら人外の者たち。“シャイニング”で通じあったダニーとアブラは、戦いに身を投じていく・・・

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ポジティブ・サイド 

『 プーと大人になった僕 』では、Jovianの同僚のイングランド人に「あれはクリストファー・ロビンじゃない」と酷評されてしまったユアン・マクレガーだが、今回は実に良い仕事をしたと言えるし、ビジュアル面でもダニー・トランス(ダニー・ロイド)の成長した姿であると充分に受け入れられる。『 シャイニング 』で怯える母をまさしく狂演したシェリー・デュバル、子役の演技としては最高峰のものを見せたダニー・ロイド、シャイニングをダニーに教えたハロランさん(スキャットマン・クローザース)と容貌も話し方も瓜二つのキャストを使って、前作のエンディング後を序盤に描いたことで、本作と前作が地続きの世界であるということに充分な説得力が生まれた。

 

レベッカ・ファーガソンも人外の化生を率いるローズ・ザ・ハットを巧みに演じていた。アメリカやカナダはとにかく子どもの誘拐が頻発する(その犯人の多くは親だったりする)国で、テレビを観ていると、結構な頻度でアンバーアラートが出る。そうしたことは『 白い沈黙 』(監督:アトム・エゴヤン 主演:ライアン・レイノルズ)や『 アメイジング・ジャーニー 神の小屋より 』などの作品からもよく分かる。同時に天才を発見することにも長けた国である。そのことは『 ドリーム 』や『 ギフテッド 』などから分かる。S・キングは児童の不可解な蒸発に対して、真結族という答えを用意した。そこに説得力があるのが、原作者キングの手腕である。我々の生きる世界は、様々に数多く存在する世界の一つに過ぎないことは彼の他の作品からも明らかである。そうしたキングの世界観をマイク・フラナガン監督は巧みに再現した。例えば、日本人が本作を観れば、「狐憑きも、もしかして“シャイニング”の一種なのか」と感じるだろう。

 

本作に特徴的なのは、“シャイニング”という能力がより広がった、あるいは深まったところだろう。そして、それを体現したアブラの活躍が印象的だ。前作(映画版)ではダニーは(そしてトニーも)それほど活躍できなかったが、今作のダニー、そしてアブラはかなり強い。前作がホラーにしてスリラーなら、本作はサスペンスにしてサイキック・バトル・アクションである。特にハロランさんがダニーに授ける技や、アブラがローズに仕掛ける罠は、『 NIGHT HEAD 劇場版 』のマインドコントロール・バトルよりも興奮した。クライマックスは『 貞子vs伽椰子 』的なのだが、キャラクターにキャラクターをぶつけるのではなく、キャラクターを場所=展望ホテルに呼び込むというところが良い。これがダニーが新たに身につけたシャイニングとの相似形を成しているからである。

 

『 アップグレード 』のようなトリッキーなカメラワークあり、ユアン・マクレガーがオビ・ワン・ケノービに見えてしまう瞬間ありと、ストーリー以外の部分でも楽しめる要素が多い。ホラー映画というよりも、超能力バトルものなので、前作の狂気が受け入れられなかったという向きにも今作はお勧めできる。

 

ネガティブ・サイド

せっかくよく似た役者を探してきたというのに、肝心かなめの“あのお方”が全く本人に似ていない。『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』のオールデン・エアエンライクもハリソン・フォードにはあまり似ていなかったが、今作のあの人も負けず劣らず前作のあの人に似ていない。これは致命的ではないか。『 キャプテン・マーベル 』的な方法で解決できなかったのだろうか。それでは予算オーバーになってしまったのだろうか。『 ジェミニマン 』的な買い得決方法ではなく、『 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー 』のタルキン提督的な解決も無理だったのだろうか。

 

まさかキング御大が平野耕太の『 HELLSING 』を読んでいるとは思えないが、ダンの“シャイニング”がちょっとアーカード的すぎないだろうか。同時に、人外の化生どもの死に方があまりにも呆気なさすぎるのではないか。それこそ『 HELLSING 』ではないが、銃弾一つひとつに異常なこだわりを持てとは言わない。それでも、ダニーとアブラが念を込めただとか、この森には強い正の霊気があるだとか、何かあってしかるべきだった。

 

また、とあるシーンでアブラが携帯をポイ捨てするのだが、あの状況で「カチャ」という音はしないはずだ。実際に試したことはないし、試したくもないが、「ここは○○○という設定で撮影しているのだ」ということを感じさせてはいけない、絶対に。

 

【全ての謎が明らかになる!】などと煽っていたが、トニーは結局現われなかった。この謎のイマジナリー・フレンドは二作品通じて結局は謎のままである。思わせぶりにトニーの出現を示唆する台詞もありながら、この展開ではトニーが浮かばれない。

 

総評

一部に、うーむ・・・と眉をひそめざるを得ないシーンや演出もあるものの、エンターテインメント性は前作よりも上である。シャイニングの静謐な雰囲気と狂気の芸術性の完成度は否定できないが、本作のように娯楽度を高めることも重要である。キューブリックの路線を敢えて踏襲しなかったフラナガン監督の決断は評価されるべきである。S・キングのファンなら必見。ホラーやファンタジーのライトなファンであっても、『 シャイニング 』を鑑賞して臨めば、世界の広さや深さに触れることができるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン 

That was then and this is now.

 

「それは過去で、これは今だ」の意である。アナ雪(今もって未視聴である)のTheme Songに“The past is in the past.”という歌詞がある。『 インビクタス/負けざる者たち 』でもM・フリーマン演じるネルソン・マンデラが“What is verby is verby. The past is the past.”と言っていた。過去は過去、というだけではなく、過去は過去で今は今だ、と言いたい時に上の台詞を思い浮かべてみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, カイリー・カラン, ファンタジー, ホラー, ユアン・マクレガー, レベッカ・ファーガソン, 監督:マイク・フラナガン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ドクター・スリープ 』 -S・キングの世界へようこそ-

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