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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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月: 2019年11月

『 ボーダー 二つの世界 』 -北欧ダーク・ファンタジーの傑作-

Posted on 2019年11月16日2020年4月20日 by cool-jupiter

ボーダー 二つの世界 80点
2019年11月14日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:エバ・メランデル エーロ・ミロノフ
監督:アリ・アッバシ

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Jovianはライトな映画ファンではないが、シリアスな映画ファンとまでは言えない。何故なら、アメリカ映画かぶれだからである。もちろんインド映画も観るし、韓国映画やフランス映画も観る。近年ではレバノン映画にも興味が湧いてきている。しかし、北欧(と一括りにすることの愚は承知しているが)の映画には、あまり積極的に関心を払ってこなかった。その認識は今後改めようと思う。友人に北欧映画好きがいるが、自分もやっと北欧の映画の良さが分かってきた気がする。

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あらすじ

特異な容貌の税関職員ティーナ(エバ・メランデル)は、人間の感情を嗅ぎ分けることができる。ある日、港に自分と同じような容貌の人物ヴォーレ(エーロ・ミロノフ)と邂逅する。それ以来、ティーナは自らのアイデンティティを見つめるようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

これは大人の映画である。R-18指定なのだから、アダルトな展開があるんでしょ?と思わせて、実は違う。映画の演出やメッセージが大人向けということである。かといって、その大人というのは年齢で区切れるようなものでもない。ごく簡単に言えば、映像や音からメッセージを汲み取れることができるかどうかが、大人と子どもの境目であると言えるだろう。

 

ティーナの職務への精勤ぶり、自身の特異な能力の活かし方、周囲の人間との近くも遠くもない距離、同居しているローランドとの近くて遠い距離、認知症を患いつつある父親との距離感、森に棲む野生動物との近しさ、そして自分と同じ特異な容貌のヴォーレとの関係が、説明的な台詞がほとんどないままにスクリーンに映し出されていく。この心地好さよ。役者の演技、監督の意とする演出が高次元で融合したからこその成果。素晴らしい。

 

ティーナおよびヴォーレの関係は、最初は警戒から始まり、それがある時に狂おしいまでの激情に身を任せた、まさに言葉そのままの意味での獣のような交わりに至る。このシーンは、とてつもなくグロテスクでエロティックだ。『 The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 』の冒頭でエル・ファニングがキノコを採取していたが、本作でもティーナがキノコを採集する場面がある。なるほど、これは心憎い演出であり、前振りである。

 

ティーナとヴォーレが二人、裸で森の中を駆け巡るシーンにはえもいわれぬ爽快感がある。本当の自分、そして自分の理解者、そして自分を排除しようとする人間もおらず、自分を優しく包み込んでくれる土壌や木々に囲まれていることの幸せを全身で表現していることが分かる。木々の間を縫って駆けて行く名シーンと言えば、『 七人の侍 』の三船敏郎だろう。ティーナとヴォーレが裸で無邪気に走る様に、何故か世界のミフネが思い起こされた。

 

ティーナのアイデンティティとヴォーレの秘密が交錯する時、世界は引き裂かれる。ボーダーラインがそこに引かれる。このダーク・ファンタジーが意味するものは、単なる人類批判、文明批判にとどまらない。異質な存在を受け入れることの難しさと、それを実行する一つの方法を提示する本作は、『 マレフィセント2 』のラストシーンに通じるものがある。二つの王国が融和するには、王子と王女の結婚が必要である。もっと言えば、王子と王女が子を持つことが求められるだろう。もしくは『 亜人 』を思い浮かべてもよい。迫害する側と迫害される側、その立場は逆転するのか、しないのか。最初のショットと最後のショットのコントラストが、実に複雑な余韻を観る者に残す。人間は寄生虫なのか。生きるとはどういうことなのか。現代的な問いと普遍的な問いを高次元で融合させた傑作映画に仕上がっている。

 

ネガティブ・サイド

ヴォーレとティーナのピロートークだけが物語から浮いている。ここだけが、説明的な台詞のオンパレードで興醒めしてしまった。語るのではなく、見せる。それによって、観客に想像させることが、この監督にはできるはずなのだ。重要なところだけ変に丁寧に説明するのではなく、全体のトーンを保つことを考えてもらいたかった。

 

ローランドの飼っている犬がティーナに吠えるシーンを、もっと丁寧に作っても良かった。大きな声で吠えまくる犬が、ティーナと同じフレームに決して入らないのは、最初は許せても、最後には違和感を覚えるほどになった。動物に演技指導をするのは難しいが、そうした絵作りにもトライをしてほしかったと思う。最初のキツネのシーンも同様である。

 

総評 

何とも形容しがたい作品である。爽快感がある一方で、疲労感や嫌悪感も残してくれるからである。ただし、そうした二律背反するような感想を抱かせる作品はなべて傑作である。優れた作品は、語り=discourseを刺激する。何かを語りたくなる映画の今年のナンバーワンは『 ジョーカー 』だろうが、ナンバーツーは本作ではあるまいか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Why should it be like that?

 

ヴォーレがティーナに語る「誰が決めた?」という台詞の私訳である。いや、正確には『 グーグル ネット覇者の真実: 追われる立場から追う立場へ 』で、グーグル創業者のペイジとブリンの二人の口癖が「誰が決めたんだ?」であるという記述がある。そして、その原書“IN THE PLEX”によると、「誰が決めたんだ?」は“Why should it be like that?”だったのである。逐語訳も大切だが、意訳はもっと大切である。まずはプロの真似から始めよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, エール・ミロノフ, エバ・メランデル, スウェーデン, デンマーク, ファンタジー, 監督:アリ・アッバシ, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 ボーダー 二つの世界 』 -北欧ダーク・ファンタジーの傑作-

『 ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談 』 -結末が要改善の恐怖映画-

Posted on 2019年11月15日 by cool-jupiter

ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談 60点
2019年11月12日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マーティン・フリーマン アンディ・ナイマン
監督:ジェレミー・ダイソン アンディ・ナイマン

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シネ・リーブル梅田でタイミングが合わず見逃してしまった作品。海外のレビューでは結構評判がよかったので、TSUTAYAで借りてきた。ジャンプスケアばかりのアメリカのホラー映画とは異なり、人間の心の分け入っていくところが英国流か。

 

あらすじ

心理学者のグッドマン(アンデイ・ナイマン)はインチキ霊能者の嘘やイカサマを暴いてきた。だがある時、彼の憧れの存在であり、疾走していたキャメロン博士よりコンタクトを受ける。曰く、「この3つのケースは説明が付けられない」と。グッドマンは3人それぞれのインタビューに向かうが、彼はそこで不可思議な体験をすることになり・・・

 

ポジティブ・サイド

久しぶりにまともな副題が付されている。“英国幽霊奇談”とはなかなかに洒落ている。もっともこうでもしないと『 A GHOST STORY ゴースト・ストーリー 』と区別がつけにくくなるという事情もあるのだろうが。

 

大きな音や視覚的に不穏な表現を使うことで怖がらせよう、いや、驚かせようとするシーンが少ない。これは良いことである。恐怖とは受動的に感じさせられるものと、能動的に感じてしまうものとがある。本作が追求しようとしているのは後者である。これは一体なんなのか。何が起きたのか。どのように起きたのか。何物がそれを引き起こしたのか。何故それが引き起こされたのか。こうした次々に湧いてくる問いに、答えを示唆するものもあれば、完全に受け手の想像力に委ねてくるものもある。その塩梅がちょうどよい。そして、その塩梅の良さがそのまま結末への伏線になっている。ジェレミー・ダイソンとアンディ・ナイマンの二人はかなりの手練れである。

 

「脳は見たいものを見る」というのは、定期的に話題になる。Jovianがよく覚えているのはこの画像である。コロッと騙された覚えのある男性諸氏も多かろう。本作の投げかけるテーマは、この画像のようだと思ってよい。見えないものは見えないし、見えたとしてもそんなものは子供騙しだと退ける。人間の心理とは斯くのごとしである。これを言ってのけるのが心理学者であるというところが味わい深い。また、心理学に造詣の深い向きならば「行為者-観察者バイアス」を念頭に本作を鑑賞するとよいだろう。

 

ネガティブ・サイド

この結末は賛否両論を呼んだことだろう。Jovianは否である。それは恐怖の余韻をぬぐい去ってしまうからではなく、恐怖の根源が説明できてしまうからである。ネタばれになるので何も書くことができないが、この結末は「脳は見たいものを見る」ということの恐ろしさを伝えるものではない。いや、伝えてくれてはいるものの、この手の結末は小説などで散々使いまわされてきた。ここをもう一捻りするか、あるいは結末部分の3分間をデリーとすることも考慮するべきだったように思う。

 

3つのケースの怪異の描き方にも改善の余地がある。特に2人目のケースでは、「木」はパートは無用である。というよりも、これで恐怖感を煽るとするならば島田荘司の小説『 暗闇坂の人喰いの木 』以上のおどろおどろしさを演出する必要がある。このあたりに英国の幽霊譚の限界があるように感じた。もちろん、比較文化論的な意味であって、絶対的にそうであるというわけではない。Jovian一個人の感想である。

 

総評

もっと面白く作れたのではないかと思えてしまうのは文化の違いだろうか。ただし、ジェームズ・ワンの手掛ける虚仮脅し満載のギャグと紙一重のホラー映画とは異なり、人間の心理の単純さと複雑さ、そこを探索しようとしたことには一定の意義が認められるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Certainly not.

 

「生き物を殺したことはあるか?」と問われたグッドマン教授の返答である。“No.”の一言ではぶっきらぼうである(口調や表情にもよるが)。“Certainly not.”というのは、かなり丁重な表現である。類似の表現をフォーマルからカジュアルに並べると

 

Certainly not. > Definitely not. > Absolutely not.

 

となる。これは肯定形にしても、つまりnotを取り除いても同じである。ビジネス・シチュエーションで顧客や上席に返事をするときは“Certainly.”や“Certainly not.”を使うようにすべし。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アンディ・ナイマン, イギリス, ホラー, マーティン・フリーマン, 監督:アンディ・ナイマン, 監督:ジェレミー・ダイソン, 配給会社:トランスフォーマーLeave a Comment on 『 ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談 』 -結末が要改善の恐怖映画-

『 永遠の門 ゴッホの見た未来 』 -瞬間を切り取る芸術家の苦悩-

Posted on 2019年11月14日2020年4月20日 by cool-jupiter

永遠の門 ゴッホの見た未来 70点
2019年11月10日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ウィレム・デフォー オスカー・アイザック ルパート・フレンド マッツ・ミケルセン
監督:ジュリアン・シュナーベル

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『 ボヘミアン・ラプソディ 』でフレディ・マーキュリーを演じたラミ・マレックがアカデミー賞主演男優賞を受賞したのは記憶に新しいが、その時のノミニーの一人がウィレム・デフォーだった。ゴッホに関しては「キモイ絵を描く画家」という認識しかなかったが、本作を観て自分の直感の正しさと、自分の芸術感の皮相さの両方を感じたい次第である。

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あらすじ

売れない画家のゴッホ(ウィレム・デフォー)は、ゴーギャン(オスカー・アイザック)という知己を得て、「南に行け」との助言を得る。南仏アルルで創作活動に励むも、周囲には彼の作品は理解されず・・・

 

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ポジティブ・サイド

Jovianをはじめ、芸術に関して特に詳しくない一般人からすれば、ゴッホといえば「ひまわり」と「自画像」だろう。『 コズミックフロント☆NEXT 』を熱心に視聴する天文ファンなら「星月夜」も挙げられるだろう。その程度のライトな芸術の知識しか持たない者にとっては芸術学概論、絵画概論的な役割を果たしてくれるだろう。景色や人物の最も美しい瞬間を、巧みで素早い筆使いでキャンバスに再現していくことは、確かに一瞬を永遠に置き換えていく作業のように感じられた。

 

今作のカメラワークは独特である。しばしばゴッホ自身の目線で風景や動物、人物を捉え、また自身の足元をも捉える。そしてその視線は常に空へと向けられる。『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』や『 君の名は。 』ではないが、ゴッホがブルーアワーや黄昏時、逢魔が時のような短時間だけしか存在できない時間と空間の体験を切に追い求めていたことがよく分かる。

 

ゴッホの自然観や審美眼が独特、別の言い方をすれば異端的であったことが、彼が美術館を訪れるシーンでよく分かる。我々は芸術を、中学校の美術や高校の世界史的に捉える傾向がある。すなわち、この時代のこの地域の画家の筆致にはこのような特色があり、あの時代のあの地域の画家の筆致にはあのような特徴がある、という分類整理された見方をしがちである。ゴッホは芸術をカテゴライズすることなく、自らの信念によって規定した。それが彼の見た未来、すなわち現代だろう。個々人がそれぞれに美しい、あるいは表現したいと信じるものを表現していくことが現代の芸術であるならば、「あいちトリエンナーレ2019」の騒動を見る限りでは、日本の芸術は危機に立っている。

 

広い草原にある時は佇み、ある時は寝ころぶゴッホは、とても孤独である。その孤独が彼の創作を手助けしている。一方で彼は弟のテオ以外に頼れる人間がいない。ゴーギャンとは知己ではあっても知音にはなれなかった。現代風に言うならば「コミュ障」であるゴッホの創作への没頭と充実した人間関係の渇望のコントラストは悲しいほどに鮮やかである。そして、マッツ・ミケルセンによる言葉そのままの意味での“説教”は、信念と信念の静かなぶつかり合いである。生き辛さを感じた時には、マッツ・ミケルセンを思い起こそう。ほんの少しだけそう思えた。

 

ゴッホとほぼ同時代人に生の哲学者ニーチェがいるが、彼の「永劫回帰」理論は、ともすれば虚無主義に陥る諸刃の剣である。それを乗り越えられるのが「超人」であり、あるいは絵画や彫刻といった芸術なのだろう。ゴッホはシェイクスピアを愛読していたようだが、それならばゲーテを読んでいたとしても何の不思議もない。彼も『 ファウスト 』に触発され、「時よ止まれ。お前は美しい」というメッセージを絵画という形で我々に発してくれたのだろう。

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ネガティブ・サイド

劇中でとある女性が「誰も彼もが根っこを描いて/書いて(?)」と口にするシーンがあるが、これは何だったのだろう。J・P・サルトルの『 嘔吐 』を思い浮かべたが、時代が異なる。かぶらない。なんだったのだろうか。説明が欲しかった。

 

ゴッホが冒頭のモノローグで望むものが手に入らない、手に入れられないというシーンが欲しかったと思う。ゴッホは芸術の観点からは永遠を見つめ、思想の面ではある意味で未来を、つまり現代を見つめていたわけで、サルトルの言う「地獄とは他人のことである」という思想、そして栗山薫の言う「我々がそれでも求めるものは他者」という思想の、その両方を体現する者としての姿をもっと見せて欲しかった。

 

ゴッホの晩年以外の描写もあれば、introductoryな映画としての機能も果たせただろうと思う。おそらくゴッホおよび芸術全般に詳しくない人間には理解が及ばず、ゴッホおよび芸術全般に造詣が深い人間には物足りない作りになっている。そのあたりのバランス感覚をジュリアン・シュナーベル監督には追求して欲しかった。

 

総評

芸術的な映画である。分かりやすい映画的なスペクタクルは存在しないが、光と闇が混淆する一瞬を切り取り、キャンバス上に再現しようとする芸術家の苦悩は確かに伝わってくる。また人間関係に悩む人に対して、何らかのインスピレーションを与えてくれることもあるだろう。ゴッホのように生きるか、あるいは彼を反面教師にしても良い。デート・ムービーには向かないが、じっくりと一人で映画を鑑賞したいという向きにはお勧めできる作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Leave me alone.

 

かのダイアナ妃の最後の言葉ともされる。「一人にしてくれ」の意である。プライバシーが必要な時も必要であるが、この台詞を吐けるということは、その人の周りには誰かがいるのだということの証明でもある。『 タクシードライバー 』のトラヴィスの“Are you talking to me?”とは、ある意味で対極の台詞なのかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, イギリス, ウイレム・デフォー, オスカー・アイザック, フランス, マッツ・ミケルセン, ルパート・フレンド, 伝記, 監督:ジュリアン・シュナーベル, 配給会社:ギャガ, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 永遠の門 ゴッホの見た未来 』 -瞬間を切り取る芸術家の苦悩-

『 ターミネーター ニュー・フェイト 』 -アクション○、ストーリー×-

Posted on 2019年11月13日2020年4月20日 by cool-jupiter
『 ターミネーター ニュー・フェイト 』 -アクション○、ストーリー×-

ターミネーター ニュー・フェイト 50点
2019年11月9日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:リンダ・ハミルトン アーノルド・シュワルツェネッガー マッケンジー・デイビス ガブリエル・ルナ
監督:ティム・ミラー

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T2の正統的な続編であると散々喧伝されてきた。Jovianは『 ターミネーター 』を親父の持っていたVHSで小5ぐらいに観た。『 ターミネーター2 』は小6の夏休み明けに家族で劇場で観た。両作とも文句なしに傑作だった。では本作はどうか。Twitter界隈や多くの海外レビューにある通り、『 スター・ウォーズ/フォースの覚醒 』そっくりであった。

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あらすじ

審判の日は回避された・・・はずだった。しかし、メキシコに暮らすダニー(ナタリア・レイエス)の元にターミネーターREV-9(ガブリエル・ルナ)が未来から襲来。また、それを阻止すべく強化人間のグレース(マッケンジー・デイビス)も未来からやってくる。さらに追い詰められた彼女らの元に、サラ・コナー(リンダ・ハミルトン)が姿を現し・・・

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ポジティブ・サイド

20世紀FOXがまたやってくれた。『 ターミネーター2 』のサラの狂気溢れる語りが、製作・配給・提供会社らのロゴを交えたオープニングシーンと混ざり合い、何とも不思議な感覚を生み出している。『 ピッチ・パーフェクト ラストステージ 』や『 ボヘミアン・ラプソディ 』、『 アリータ バトル・エンジェル 』など、オープニングから物語世界へとシームレスに移行していく試みは歓迎したい。ディズニーのやり方に思うところが無いわけではないが、『 スター・ウォーズ 』の世界観を壊さないオープニングや、20世紀FOXのオープニングの工夫を尊重してくれていることは素直にありがたい。

 

冒頭の若いサラとジョン、シュワちゃん演じるターミネーターのシーンは、最初はT2本編からの削除シーンをあれこれといじくったのかと思ったが、体は別の役者、顔だけCGで貼り付けたという。まるでT4のようであるが、これはこれでありだろう。全ての映画で『 ジェミニマン 』的な手法を取り入れては、カネがいくらあっても足りない。

 

今作はアクション開始までの時間が短い。あれよあれよとREV-9の襲撃とグレースの護衛ミッションが始まる。そのアクションはT3以上である。ボディの一部を刃物状に変化させるのは新型ターミネーターのお約束になりつつあるが、そのターミネーターとのチャンバラ的にやり合う序盤と終盤のシークエンスは手に汗握ること請け合いである。またクレーンに吊るされたT-800がビルに叩きつけられのとは違い、グレースは強化人間である。つまり、傷=ダメージである。そのことがアクションシーンに更なるサスペンスを生み出すことに成功している。

 

そして何と言ってもリンダ・ハミルトン、そしてアーノルド・シュワルツェネッガーとの再会には感慨深いものがあった。それはまるで『 スター・ウォーズ/フォースの覚醒 』でハン・ソロが“Chewie, we’re home.”と呟く瞬間であったり、もしくはキャリー・フィッシャーの登場に合わせての“Prince Theme”の流れる瞬間であったり、ルークの登場シーで流れる“The Force Suite”だったり、あるいは『 クリード 炎の宿敵 』のトレーラーがDragoというネーム入りのガウンを見せた瞬間、もしくは『 ブレードランナー2049 』でデッカードが登場した瞬間のような、ノスタルジックな気持ちにさせてくれた。特にリンダ・ハミルトンは、戦う姫のプリンセス・レイア、戦う航海士リプリーと並んで、戦う母親像を本作でさらに solidity したと言える。そしてマッケンジー・デイビスの華麗なる変身の何と見事であることか。『 タリーと私の秘密の時間 』でも素晴らしい余韻を残してくれたが、今作では女戦士として見ごたえあるアクションを披露してくれた。

 

全体的には、ノスタルジーに浸るには良い作品に仕上がっていると言えるだろう。

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ネガティブ・サイド

まず、製作総指揮のジェームズ・キャメロンは何をやっているのか。あまりにも過去の作品からのアイデアの流用が多すぎる。と同時に、シリーズの原点を見失ってしまっているようにも感じられる。

 

まずターミネーターという悪役にしても味方にしても味のあるキャラクターの最大の恐怖であり魅力は、文字通り「鉄の意志」で任務を遂行しようとする姿勢にある。T2のターミネーターにあった融通の利かなさ、それは例えばジョンに「片足を上げろ」と言われて、いつまでも上げ続けるところや、「人間を殺さない」という誓いを立てた次の瞬間に発砲し、慌てふためくジョンに「死なないよ(He’ll live.)」と事もなげに言い放つところが、ターミネーターの見た目は人間でも中身はロボットという事実をこの上なく物語っていた。そうしたキャラが涙の意味を理解し、従容としてthumbs-upをしながら溶鉱炉に沈んでいくからこそ、感動が生まれたのではないか。本作はそうしたT-800の魅力の半分を奪い取ってしまっている。メカメカしかった動きをすることなく、犬がなつくT-800には激しい違和感を覚えた。スカイネットが自我に目覚めるならば、T-800が自我に目覚めてもおかしくはない。理屈の上ではそうだが、あまりにも現代的なメッセージを無理やり詰め込んだようにしか思えなかった。そもそもこのT-800ネタもT3から来ている。

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いや、冒頭の工場でのバトルからその後のカーチェイスまで、T1、T2、T3で観たアングルやショットのオンパレードである。オリジナルな要素があまりにも少ない。そもそもREV-9というターミネーター・モデルにしても、T3のクリスタナ・ローケンと『 ターミネーター:新起動/ジェニシス 』でのMRIとターミネーターの構図が元ネタであることは想像に難くない。というか、ここまで過去作のモチーフを取り入れるのなら、なぜ味方キャラのいずれかに変身・擬態しないのか。ジェネシスですでにやった?ここまで二番煎じを恥じる必要はないだろう。そもそもジェニシスでも一番盛り上がったのは若アーノルドと老アーノルドの激突だった。ここまで過去作へのオマージュを散りばめるのなら、徹底してやるべきだった。REV-9へのトドメもT3のネタをほぼそのまま流用していたので、尚更にそう感じる。

 

ストーリー上の齟齬も散見される。ダニーとグレースに「あんたらは現代を知らない」と一喝しておきながら、ドローンや衛星を考慮に入れないサラ・コナーに喝!『 デスノート Light up the NEW world 』ではないが、細心の注意を払うのならばサングラスにマスクぐらい着用しろと言いたい。それに、二体に分裂するターミネーターの片方にバズーカを一発命中させたぐらいで余裕かまして“I’ll be back.”はないだろう。呑気すぎるし、あまりにも緊張感に欠ける。この決め台詞はもっと別の場面に取っておくべきだった。

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強化人間グレースに弱点を設定する意味もない。設定するならば梅原克文の小説『 二重螺旋の悪魔 』の神経超電導化のような超反射神経、超運動神経、超回復力で、エネルギー効率が超絶悪い=すぐに水分および栄養分不足に陥るぐらいでよかったのではないか。せっかくの女性版カイル・リースなのだから、人間の人間的な部分、ターミネーターと根本的に異なる部分を前面に押し出すべきだっただろう。中途半端な改造強化人間にしてしまったせいで、T4のマーカス・ライトが反転したようなキャラになってしまった。

 

あとはシュワちゃんがたんまり溜め込んだ武器の使いどころがない。T2で、サイバー・ダイン社の爆破時にT-800が警官隊をサラが収集していた武器の圧倒的な火力で蹴散らしたようなシークエンスを期待したが、それも無し。このシリーズの様式美として、圧倒的な火力の放出があるのだが、それが不十分だった。アクションは足りていた。火力が足りなかった。

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総評

期待にしっかりと答えてくれている面とそうでない面が両極端に綺麗に分かれている。ド派手なアクションを期待する向きにとっては最高の作品だろう。だが、これは凡百のアクション映画ではない。ターミネーターなのだ。シリーズの定跡や様式美を受け継ぐことは当然のこととして、T1やT2を超えてやろうという気概こそが求められていたはずだ。結果としてそれが成し遂げられなくても構わない。そのチャレンジ精神は観る者に伝わる。だが、本作はティム・ミラー監督とジェームズ・キャメロンのケミストリーが、良くない結果につながっているように感じられる。

 

Jovian先生のワンポイントスペイン語レッスン

Vamos.

スペイン語で頻繁に用いられる言葉。英語にすると“Come on.”であったり、“Let’s go.”だったりする不思議な表現である。リーガ・エスパニョーラ、あるいはメキシコのボクシングを観戦するという人ならば、馴染みの深い言葉だろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アーノルド・シュワルツェネッガー, アクション, アメリカ, ガブリエル・ルナ, マッケンジー・デイビス, リンダ・ハミルトン, 監督:ティム・ミラー, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ターミネーター ニュー・フェイト 』 -アクション○、ストーリー×-

『 マイレージ、マイライフ 』 -大人、そして男というややこしい生き物-

Posted on 2019年11月11日 by cool-jupiter

マイレージ、マイライフ 65点
2019年11月7日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョージ・クルーニー ベラ・ファーミガ アナ・ケンドリック J・K・シモンズ
監督:ジェイソン・ライトマン

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何度も劇場に足を運んでいると、それだけたくさんの予告編を自動的に観ることになる。その中でも、最近は特に『 マチネの終わりに 』が気になるようになってきた。言ってみればオッサンとオバサンの恋愛模様なのだが、なにやら重そうだ。それならそれを中和するためにも、事前にあっさり軽く、しかもそれなりにシリアスさもある作品を鑑賞しておくかと本作をピックアウトした。

 

あらすじ

ライアン・ビンガム(ジョージ・クルーニー)は解雇通告の代理人。クライアント企業に依頼され、全米を飛行機で飛び回りながら、従業員にクビを言い渡していく。彼の夢は1000万マイルを貯めること。ある時、ライアンは空港でアレックス(ベラ・ファーミガ)と知り合い、割り切った体だけの関係を始める。一方、彼の勤め先ではナタリー(アナ・ケンドリック)が非対面式の解雇通告の方法を立案していて・・・

 

ポジティブ・サイド

日本では退職代行の会社が人気を博し、その一方でその業務には法律的にあやふやな面もあることが指摘されている。従業員が会社を辞めるというのは、一大イベントであることは間違いない。逆を言えば、会社が従業員を辞めさせるのも、一大イベントであるわけである。そして、退職代行業が成立するのなら、解雇通告代行業があってもおかしくない。2009年製作の本作であるが、日本の退職代行サービスの創業者は本作にインスピレーションを得た可能性が微粒子レベルで存在している?

 

主演のジョージ・クルーニーが、粛々と人々の首切りをしていくのはプロの仕事ぶりであると同時に、非人間的にも映る。お気楽な独身男で、世俗の歓楽を健全に享受し、身を滅ぼすような真似はせず、自らの仕事に誇りを持って、空を自分のホームであると思っている。まるでジョージ・クルーニーがジョージ・クルーニーを演じているようだ。彼の代表作はテレビドラマの『 ER緊急救命室 』と映画『 オーシャンズ11 』だが、本作でもその存在感は健在である。冷酷非情な仕事ではあるが、対面で解雇を伝えることには「尊厳(dignity)がある」と主張するプロフェッショナリズム、男女の関係の機微を論じずに切って捨てるクールさ、そして切って捨ててきたものを振り返って、自分がこれまでに手に入れたもの、そして手に入れ損なったものに気がつく人間味の全てを、クルーニーは体現している。

 

その相手役であるベラ・ファーミガも実に魅力的である。milfyという形容詞が相応しい(気になる人だけ意味を調べてみよう)。「私は後くされのない女よ(I’m the woman you don’t have to worry about.)」とは、非常に強烈なメッセージだ。未知のセックスへの好奇心だけで始まった関係に狂わされることもなく、かといって生理的な欲求を淡々と処理しているだけという無味乾燥さもない。駆け引きはしないが、その代わりに拘束もしない。一言で言えば大人のオンナである。女ではなくオンナと書いたが、その意味は作品をご覧いただければ分かるだろう。

 

アナ・ケンドリックも小娘役を好演した。20代で仕事と結婚したとのたまう輩は、男女の別を問わず、恋愛で手痛い失敗をしたと言っているようなものである。そして、恋愛関係および職務に甘美な幻想を抱く傾向があるものなのである。ジョージ・クルーニーの生き様に自らの来し方行く末を見出し、「あなたってサイテーね!(You’re an asshole!)」と言ってのけるのは痛快である。大人になろうと足掻く子どもが、子どものままでいる大人に説教するシーンには、独特の爽快感がある。いい年こいて、こういうシーンを有り難がるのは、Jovian自身が子どものままでいる大人だからだろうか。

 

ネガティブ・サイド

ジョージ・クルーニーによる空の旅の手ほどき場面は興味深かったが、仕事の多くを機上の人として過ごす人ならではの考察や分析、ルーティンなどをもっともっと見てみたかった。特にアジア人に対する考察は面白かった。アメリカ人も「足元を見るのだな」と感じたが、こういうユニークな視点をライアン・ビンガムという男からもう少し引き出すことは不可能ではなかったはずだ。

 

ライアンの家族についても、もう少し掘り下げた描写が欲しかった。あるいは、編集でカットされたのか。姉に「あなたは存在していなかった」と言われるのは、その頃から機上の人ならぬ孤高の人だったからか。それにしては、高校ではバスケをしていて、ポイントガードだったと言う。わがままなシューティングガードだったというのなら、もう少し納得がいくのだが。

 

あとはJ・K・シモンズの出番が少ない。この男との面談が、クライマックスのpep talkの内容が鮮やかなコントラストを形成するのだが、ここはシモンズにもっと語らせるべきだった。いや、シモンズからライアン・ビンガムに問いかけるような形が望ましかった。そうすることで、一方的に人を切るだけの、さらに恋愛においても感情よりもテクニックを優先させる人でなしが、人間味に、そして人生の意味に目覚める契機をよりドラマティックに演出できたのではないかと思う。

 

総評

ジェイソン・ライトマン監督には基本的に外れが無い。特に『 サンキュー・スモーキング 』や『 JUNO ジュノ 』、『 タリーと私の秘密の時間』など、男の賢しらな一面、つまりアホな面を切り取ることに長けている。世の男性諸賢はライトマン作品を鑑賞して、人のふり見て我がふり直せを実感することができるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Up in the air.

 

原題はup in the airであるが、これは「飛行機に乗って空にいる」という意味と「(予定や計画が)宙ぶらりん状態である」のダブル・ミーニングである。ライアン・ビンガムというキャラクターを名状するのに、これ以上にふさわしい表現はなかなか見つからない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, J・K・シモンズ, アナ・ケンドリック, アメリカ, ジョージ・クルーニー, ヒューマンドラマ, ベラ・ファーミガ, 監督:ジェイソン・ライトマン, 配給会社:パラマウントLeave a Comment on 『 マイレージ、マイライフ 』 -大人、そして男というややこしい生き物-

『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』 -細部のリアリティの欠如が誠に惜しい-

Posted on 2019年11月7日2020年4月20日 by cool-jupiter

閉鎖病棟 それぞれの朝 65点
2019年11月4日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:笑福亭鶴瓶 綾野剛 小松菜奈
監督:平山秀幸

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平山監督と言えば『 学校の怪談 』が最も印象的である。だが、近年は『 エヴェレスト 神々の山嶺 』が、岡田准一ファンのJovianでさえ観るのがしんどい出来だったこともあり、精彩を欠いていると言わざるを得ない。本作はどうか。人間の描写は文句なしである。だが、それ以外の部分の描写に不満が残った。

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あらすじ

梶木秀丸(笑福亭鶴瓶)は妻と間男、実母の殺害により死刑に処された。しかし、脊髄損傷を負ったものの死ねなかった。以来、放免となり六王寺病院に収容されていた。塚本(綾野剛)は幻聴のせいで精神の安定が保てず発作的に暴れてしまう。そのため、六王寺病院に任意入院していた。そこに、ひきこもりの女子高生の島崎由紀(小松菜奈)が入所してきた。入院患者たちはいつしか語らい、触れあい、堅い関係を形作っていくが・・・

 

ポジティブ・サイド

主演の三人の演技力が本作を牽引した。特に鶴瓶の陽気さは、その胸の奥底に秘めた後悔、悲しみ、懺悔の気持ちが綯い交ぜになった、非常に複雑な覚悟のようなものを醸し出していた。「わしは世間に出たらアカン人間や」と自分を戒めながら、それでも人との交流に安らぎを見出したいという、とても人間味のあるキャラクターを好演した。『 アルキメデスの大戦 』でも浪速の商売人を見事に体現したが、この芸人は役者としての修行も疎かにしていないようである。

 

綾野剛も渋い働きをした。ちょっと遅れ気味のカメラ小僧をはじめ、アクの強い六王寺病院の入所者たちと平等に交流できるのは、同病相哀れむからか。まともに見えるこの男も、おそらく統合失調症だとは思うが、幻聴に苛まされているのである。これは経験した人にしか分からないだろう。Jovianも31歳の時に鬱状態に陥ったことがあった。あれは辛いものである。人によって異なるようだが、Jovianは自分自身の声が頭の中に反響する感じがした。いくら耳をふさいでも効果はゼロだった。その声が自分の欠点や弱点を延々と責め立ててくるのだから敵わない。綾野剛はそうした幻聴が聞こえる者を、多少大げさではあったが、よく特徴を捉えて演じていた。しかし、本当に光るのはそうした「動」の演技よりも、「静」の演技であろう。メイクさんグッジョブや監督の演出意図もあったはずだが、綾野剛が演じる塚本という男の頭髪および衣服の乱れ具合と彼の精神状態をよくよく比較してみて頂きたい。精神状態の悪さがセルフ・ネグレクトにつながるということが、ここでは言葉や台詞を使うことなく巧みに表現されている。

 

だが、最も印象的なのは小松菜奈だった。『 ディストラクション・ベイビーズ 』では、クルマのドアで菅田将暉を死ぬほど痛めつける時に狂気の表情を見せたが、本作で見せる絶望の表情そして声も、観る者の心を揺さぶってくる。ファンにとってはショッキングなシーンも複数回あるので、注意をされたし。小松菜奈も綾野剛同様に、慟哭だけではなく、切々と淡々と語り、楚々とした佇まいに秘めた凛とした強さを垣間見せる「静」の演技で物語を大いに引っ張ってくれる。彼女がお辞儀をした時に見えるあるものに、Jovianはよい意味で胸が締め付けられるような気持ちになった。『 恋は雨上がりのように 』に並ぶ、小松菜奈のベストなパフォーマンスがここにある。打ちひしがれていた小松のキャラが陶芸によって少しずつ回復していく様は、非常に象徴的である。粘土というなにものにも成り切れていない一つのかたまりに投影されていたであろう心象に想いを馳せずにはいられなかった。

 

BGMも感動を誘うが、むしろ音のない場面が印象に残った。とある公園のシーンが特徴的だったが、街中には生活音が溢れているということが、その場面では特に際立つ。これにより六王寺病院という空間が、いかに隔離された場所に存在するのかが逆説的に伝わってくる。音楽ではない音を通じて、背景の奥行きを想像する。これも優れた映画の技法である。

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ネガティブ・サイド

主演を張った役者たちの熱演と裏腹に、舞台や小道具などの細部のリアリティは滅茶苦茶である。これは原作小説の発行が1997年、最初の映画化が1999年、今回の映画化において時代設定を2005~2010年ぐらいに設定しているためと思われる。

 

まず看護師のカーディガンがあり得ない。いや、たまに着用する人はいるが、それでも袖はまくっている。看護師は学生時代にそれを叩きこまれるからだ。試しに「看護師」でグーグル画像検索をしてみて頂きたい。カーディガン着用の看護師がほとんどいないことが分かるだろうし、時間や機会があれば実際に病院の病棟や外来に行ってみて頂きたい。カーディガンを羽織っている人がいても、袖はまくられているはずである。いくら閉鎖秒という、ある意味では看護師にとってはぬるい職場であっても、この描写は頂けない。それとも原作にそのような記述があり、それを忠実に映画化したのだろうか。いや、そんなはずはあるまい。

 

また、病棟の設備にも設定上の粗が目立つ。冒頭で鶴瓶がエレベーターから車イスで降りるシーンで、エレベーターの扉が閉まり始めたのを鶴瓶が手で制したが、これは撮り直しをすべきだった。病院のエレベーターというのは、それこそ昭和の昔から、閉ボタンを押さない限りは、あんなに素早く閉まり始めたりはしない。また、これも冒頭近くに看護師が外から鍵を開けて、中からまた鍵で扉を施錠するシーンがあった。閉鎖病棟の「閉鎖」を物語る重要なカットだったが、扉が軽すぎるだろうと思う。精神疾患系の患者の病棟や収容所は、今も昔もかなり重く作られている。よほど古い施設で撮影をしたのだろうか。それでも、役者の演技で扉の重さを伝えることはできるはずだ。邦画はもっともっと細部=ディテールへのこだわりを持たねばならない。

 

また、Jovianのような鵜の目鷹の目の映画ファンならずとも、六王寺病院の男性・女性看護師や精神保健福祉士(?)や介護士(?)の仕事ぶりに、プロフェッショナルなサムシングを感じることはほとんどなかったのではないか。最も特徴的だったのは、渋川清彦演じる暴力傾向の収容者だ。劇中でりそな銀行が出ていたこと、そしてそれなりの性能のデジタルカメラが使われていたことから2005年~2010年という時代設定がされているものと推測する。劇中でも「最近は、頭がアレな人でも人権がね~」と駄菓子屋さんに語らせていたが、これなどは2010年代の感覚だろう。10年前か、それ以上過去なら、今以上に身体拘束が頻繁になされていたはずだ。もしくは隔離。このような凶暴かつ有害な人間を、ほぼ野放しにしておくのは六王寺病院の重大な管理ミスであろう。また、小松菜奈を迎えに家族、なかんずく血のつながらない父親の暴力傾向を見て、退院を阻止しないのは何故か。また警察に通報すらしないのは何故なのか。いくら虐待が今よりも目に触れにくい時代設定であるとはいえ、六王寺病院のスタッフ一同はそろいもそろって無能の極みである。

 

トレイラーにもあるので言及するが、最終盤の裁判の描写もお粗末の一言である。死刑を執行されたものの生き延びた人間の裁判である。異例中の異例の裁判である。本来であれば、マスコミから傍聴人まで、多数の人間が裁判所に殺到しているはずである。そもそも新聞記事の小ささからしておかしい。一面とは言わないまでも、袴田事件並みのインパクトで報じられてしかるべきではないか。実際にそのような事例がこれまで発生していないのでリアリティもクソもないとの理屈も成立するが、それはマスコミの感度をあまりにも過小評価しすぎであろう。

 

総評

ディテールの設定や描写がしっかりとしていれば、75~80点を与えられたかもしれない。それほどに主演3名の演技は光っており、それほどに細部の描写が甘い、または弱い。ドラマ展開は非常に読みやすい、王道的なもので、人によっては凡庸と評するかもしれない。しかし、人間模様に着目するならば、2019年の邦画の中でも上位に入る。細かい部分に目をつぶって、劇場鑑賞されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Come back here.

 

トレイラーにもあった看護師さんスタッフの台詞、「戻ってらっしゃい」の英訳である。日本語としても定着しているカムバックであるが、物理的な移動で戻ってくることもあれば、病気や怪我から回復する、戦線離脱から復帰するという意味もある。単純ではあるが、深い表現である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, ヒューマンドラマ, 小松菜奈, 日本, 監督:平山秀幸, 笑福亭鶴瓶, 綾野剛, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』 -細部のリアリティの欠如が誠に惜しい-

『 ホームステイ ボクと僕の100日間 』 -生まれ変わりものの佳作-

Posted on 2019年11月6日2020年4月20日 by cool-jupiter

ホームステイ ボクと僕の100日間 65点
2019年11月4日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:ティーラドン・スパパンピンヨー チャープラン・アーリークン
監督:パークプム・ウォンクム

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森絵都の原作小説『 カラフル 』は未読。原恵一監督によるアニメ化作品も未鑑賞。それでも『 バッド・ジーニアス 危険な天才たち 』のスタッフが製作しているからには、一定水準以上のクオリティが担保されているはずと確信してチケットを予約。確かに一定の面白さはあった。

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あらすじ

ボクは死んだ。しかし、「あなたは当選しました」という謎の声が聞こえた。気がつくと、そこは霊安室。ボクは“ミン”(ティーラドン・スパパンピンヨー)という17歳の男子の身体に生まれ変わったのだ。しかし、謎の存在である管理人は告げる、「 100日以内にミンの死の真相を突き止めなければ、お前の魂は永遠に消滅する 」と。ボクはミンが何故死んだのかを突き止められるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

まずタイという国が輪廻転生をテーマにした原作を見逃さなかったことが素晴らしい。たとえば『 怪しい彼女 』のような若返りをテーマにした作品には普遍性がある。それは古今東西を問わず、人類が共通して抱く夢だからだ。一方で輪廻転生はそうではない。死生観は文化圏や宗教によって大きく異なるからである。タイという国民のほとんど全員が仏教徒である国、さらに日本のような大乗仏教ではなく、上座部仏教の国が輪廻転生的な生まれ変わりをテーマにした作品を独自に翻案することは必然なのかもしれない。

 

新生ミンの学校生活は青春の甘酸っぱさが感じられた。「ああ、俺にもこんな青春があったな」という気分になれた。特にチャープラン・アーリークン演じるパイとの交流は、橋の上での健全な意味での若気の無分別の発露あり、嬉し恥ずかしのファーストキスありと、青春映画のお手本のような作りになっていた。特にキスの後のパイの達成感と余裕の両方を思わせる微笑は、ミンの先輩にしてチューターという立場もあるだろうが、いわゆるお姉さんキャラ然としたオーラを放っていた。日本のアイドル的な女優連中も、この表情や仕草、所作はよくよく研究した方がよい。

 

同じマスゲーム部員のサルダー・ギアットワラウット演じるリーも味のあるキャラである。典型的な異性の友達的なキャラであり、ミンに心奪われた瞬間に色気ではなく食い気を放つところもポイントが高い。そしてミンが全くリーの恋心に気付かず、それでも無意識のうちにリーの心を掴んで離さない言動をしてしまうところも何とも罪作りである。「ああ、俺にもこんな青春があったな」という気分になれた。

 

マスゲームが終盤のシネマティックかつドラマティックな演出に一役買っており、ボクがミンの謎を探り当てる際の大きなヒントの役割を果たしている。これにはハッとさせられた。日本の原作も子の通りなのだろうか。だとすれば、原作者の森絵都は映像化を意識して執筆していたと見て間違いないだろう。

 

家族や友人が皆、キャラクターが立っていて個性的である。映像的にも息を呑むような演出が随所にあるので、観ていて単純に飽きない。冒頭数分のスーパーナチュラルなテイストの部分を抜ければ、高校生~大学生のデートムービーに好適かもしれない。

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ネガティブ・サイド

ストーリーの進め方に難がある。各サイトのあらすじやトレーラーでも言及されている“パソコン”に行き着くまでが長い。また、すぐ上でも言及したが、映画のトーンが一定していない点も気になる。冒頭だけを取り出せば、まるでホラーかスーパーナチュラルスリラー映画である。それが青春恋愛ものになり、そして中盤以降は家族を巡るサスペンスものになるのだから。全体を貫くトーンとして、例えばミステリ色をもっと基調にするなどの工夫はできたはずだ。“管理人”もそこかしこで登場するが、奇妙な空間演出は最初の一回だけでお腹いっぱいである。あとは、普通の人間の中に不意に紛れ込んで、ミンに謎解きを急げと呟くだけのキャラで良かったように思う。タイは世界最大の仏教国で、輪廻転生の考え方が浸透しているのだから、ミンが当選した「経緯」は謎であっても、ミンが当選した「事実そのもの」に殊更に超自然的な要素を加味しなくてもよいだろう。

 

また、ミンの自殺の真相も正直なところ、拍子抜けである。いや、パイの裏事情には同情しないこともないが、特に家族を巡る謎解きに関しては、西洋東洋の伝統的な家族観の違いが出ている。例えば『 アバウト・レイ 16歳の決断 』のレイと本作のミンはほぼ同世代である。しかし、現実を粛々と受け入れたレイと現実から逃避したミンのコントラストは、個人というよりも文化圏の違いだろう。(そうした意味では『 凛 りん 』というのは設定だけはそれなりに異色でユニークな作品だったなと思い出された。)「こんな人生なら誰でも自殺したくなる!」というミンの台詞は、死=消滅という文化圏ではなく、死んでも生まれ変わるという宗教的観念が浸透した社会、つまり非常にローカルな心の叫びに聞こえてしまった。

 

また展開が全体的にスローである。100日というのが長すぎるのかもしれない。真相究明までのカウントダウンを30日にして、ストーリー全体をもっと圧縮できなかっただろうか。ミンが、彼を取り巻く人間関係の闇を知っていくシーンの一つひとつが結構くどいように感じられた。若者の心に一挙にダメージを与えるなら、ジワジワと一発一発パンチを当てていくよりも、問答無用なコンビネーションパンチを顔面に叩き込んだ方がより効果的だったはずだ。

 

総評

タイ映画は確実に進化しているようである。他国の作品を上手く換骨奪胎して、まるで自国オリジナルのような作品に仕上げてしまうのだから、大したものである。またチャープラン・アーリークンは、日本語や韓国語を頑張って習得すれば、絶対に日韓の映画界からお呼びがかかるはず。国際的なスターを目指してほしい。やや拍子抜けなミステリ要素にさえ期待しなければ、それなりに楽しめる佳作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Do you want to go eat some shaved ice?

 

劇中のリーの台詞、「かき氷を食べに行こう」の英訳である。Do you want to V?は「Vしたいですか?」以外に、「一緒にVしない?」のような勧誘の意味を持つこともある。詳しくは『 アナと雪の女王 』(今も未鑑賞である!)のこの楽曲

www.youtube.com

を参照されたい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, タイ, チャープラン・アーリークン, ティーラドン・スパパンピンヨー, ファンタジー, 監督:パークプム・ウォンクム, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 ホームステイ ボクと僕の100日間 』 -生まれ変わりものの佳作-

『 IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。 』 -もっとホラー要素を強化せよ-

Posted on 2019年11月4日2020年4月20日 by cool-jupiter

IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。 50点
2019年11月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ビル・スカルスガルド ジェームズ・マカヴォイ ジェシカ・チャステイン 
監督:アンディ・ムスキエティ

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前編の『 IT イット “それ”が見えたら、終わり。 』はまあまあ面白いホラーだった。全編を子ども時代にしてしまうことで、テレビ映画の欠点だった誰が大人になれて、誰が大人になれないのかを、分からないようにしたのは大胆な改変だったが、正解だった。それでは続編の本作はどうか。こちらが行った大胆な改変は、不正解ではないにしろ、正解とは言い難いものである。

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あらすじ

ルーザーズ・クラブがペニー・ワイズ(ビル・スカルスガルド)を撃退してから27年。デリーには再び不穏な気配が迫りつつあった。そして「イット」の再来を確信したマイクは、ビル(ジェームズ・マカヴォイ)やベバリー(ジェシカ・チャステイン)らに連絡を入れる。ルーザーズ・クラブの面々はデリーで再会を果たすが、そこにはメンバーが一人欠けており・・・

 

ポジティブ・サイド

アラフォーになったルーザーズ・クラブの面々がどのように「大人」になったのか、その描写が端的で素晴らしい。お堅い仕事に就いている者もいれば、安定しているとは言えない仕事に就いている者もいる。結婚している者もいれば、独身の者もいる。しかし、誰もハッピーには見えないし、誰も子どもを持っていない。つまりルーザーズは、どこかでまだ大人に成り切れていないのだ。そのことを下手な説明的な台詞を一切入れずに、映像とナチュラルな会話だけで描き切った導入部は、続編の始まり方としては白眉だろう。

 

キャスティングも良い。ジェームズ・マカヴォイやジェシカ・チャステインといった実力派はもちろんのこと、子役らと顔の作りがよく似た大人を適宜に配置できている。特にエディを演じたジェームズ・ランソンは始めはジェイク・ジレンホールに見間違えた。子役と大人役がスムーズにつながることで、観る側も続編に違和感なく入って行くことができる。このキャスティングも成功である。

 

ペニー・ワイズの見せる恐怖の幻影は本作でも様々な形を取るが、個人的に最も印象に残ったのはベバリーが出会い、会話をする老婆。この老婆が画面の隅っこで見せるわずか1秒のアクションが本作で最も恐怖を感じられるシーンであった。惜しむらくは、この老婆をトレイラーに出してしまっていたこと。観る前から「ああ、このお婆さんも幻影なのだ」と分かってしまっていた。それが無ければ、もっと鳥肌が立っただろうにと感じた。誠に惜しい演出である。

 

それなりに怖いと感じたのは、バワーズが見るかつての悪友の姿。一瞬だけ怖かった。またベンが思い出の品、トークンを取りにいく場面で見る幻影もそれなりに恐怖感を催させてくれた。自分の心の最も美しい部分と自分の心の最も弱い部分が重なるところを攻めてくるペニー・ワイズはなかなかの逆心理カウンセラーだなと思わされた。

 

原作小説にもテレビ映画にもなかった要素として、ネイティブ・アメリカンのガジェットを追加してきたのは、アイデアとしては悪くない。事実、オーストラリアのアボリジニの伝承には、どう考えても数万年前のオーストラリアの生態系を指しているとしか考えられない内容があると『 コズミックフロント☆NEXT 』が言っていた。ペニー・ワイズの正体と起源に迫る上で、この着想は悪くなかった。

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ネガティブ・サイド

ホラー映画であるが、怖くない。これは致命的な欠陥である。本作が怖くない最大の理由は、ジャンプスケアの多用にある。もはや様式美と言っていい程にパターン化されたジャンプスケアには、辟易させられる。自分が監督でも、ここでこれをこうしてああするだろう、という展開のオンパレードである。ホラー映画ファンを唸らせるシーンは数えるほどしかない。

 

またビジュアルにも特筆大書すべきところはない。というよりも、どこかで見たような演出やクリーチャーの造形には心底ガッカリさせられた。パッと思いついただけでも『 遊星からの物体X 』や『 スコーピオン・キング 』、『 シャイニング 』に劇中でまさに上映中だった『 エルム街の悪夢 』など。名作へのオマージュだと言えば聞こえは良いが、これが監督や脚本家の想像力の限界なのだろうか。テレビ映画版を超えなければならない、2年前公開の前編を超えなければならない。そうした気概が空回りしたのなら、まだ許せる。しかし、この作り方では最初からモンタージュ的な映画を作ってやろうという風に開き直っていたようにしか感じ取れない。

 

色々とタイミングも悪いのだろう。『 キャプテン・マーベル 』で猫=ヤバい生き物という認識を映画ファンは新たにしたわけであるが、そこへポメラニアンを持って来ても、残念ながら意外性も驚きも恐怖もない。また社会の闇と自分の心の闇の両方に押し出されるようにジョーカーに堕ちて行ったキャラを我々はすでに『 ジョーカー 』に見た。大人の構築した社会の網目から外れた部分で活動する子どもたち、なかんずくルーザーズの面々が自らのトラウマを刺激されながらも、それを乗り越えていく様は勇ましく、美しい。けれども、恐怖が本当の恐怖たり得るのは、それが自分の身に起こってもおかしくない時である。そうした意味で、『 ジョーカー 』は自分の心にある闇を抉り出してくれた。自分は本作にホラー映画要素を過大に期待していたのだろうか。この続編にして完結編は、『 グーニーズ 』や『 スタンド・バイ・ミー 』、『 ぼくらの七日間戦争 』、藤子不二雄Aの漫画『 少年時代 』のように、大人の目から見た子どもたちの奮闘記のように思える。そうした観点から鑑賞すれば本作は佳作である。しかし、ホラー映画としてはダメダメである。

 

原作にある (゚Д゚)ハァ? というベバリー絡みの展開は、本作でも採用されない。R15指定とは何だったのか。また黒人差別の要素を薄める一方で、性的マイノリティ、あるいは性的弱者の要素もカット。テレビ映画版のとあるキャラクターがある秘密を告白するシーンは、大人と子どもを分かつ非常に重要な要素に関することだっただけに、その部分をほのめかすだけでばっさりとカットしてしまった本作には喝である。

 

総評

筋金入りのホラー映画ファンを満足させる、あるいは納得させる作品ではない。それだけは言える。一方で、変則的な青春もの、大人たちによるジュブナイル物語だと思えば、そこそこのクオリティの作品に仕上がっているのではないか。大御所スティーブン・キング作品の映像化は当たり外れが比較的はっきりしている。本作は残念ながら外れ寄りの作品であるというのが私見である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

What did I miss?

 

直訳すれば「自分は何を見逃した?」だが、実際の意味は文脈によって異なる。『 ボヘミアン・ラプソディ 』で、クイーンのメンバーが郊外のスタジオで曲作りをしている時のディスカッションが言い争いに発展していく中、ラミ・マレック演じるフレディが遅れてやって来て開口一番に言う台詞がこれである。会議に遅刻した時には「どこまで話が進みましたか?」、映画や劇や漫才などの途中でトイレなどに言って帰って来た時に、連れに「なんか面白い展開あった?」などと言う時にもこれを使える。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, ジェームズ・マカヴォイ, ジェシカ・チャステイン, ビル・スカルスガルド, ホラー, 監督:アンディ・ムスキエティ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。 』 -もっとホラー要素を強化せよ-

『 ジェミニマン 』 -CGは一流、プロットは三流-

Posted on 2019年11月3日2020年4月20日 by cool-jupiter

ジェミニマン 40点
2019年11月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ウィル・スミス メアリー・エリザベス・ウィンステッド クライブ・オーウェン ベネディクト・ウォン
監督:アン・リー

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個人的にはウィル・スミスはB級SF作品で光を放つ俳優である。『 インデペンデンス・デイ 』しかり、『 メン・イン・ブラック 』シリーズしかり。『 アラジン 』はスルーさせてもらったが、B級SFの臭いをプンプンと漂わせる本作をスルーする理由は見当たらなかった。

 

あらすじ

ヘンリー(ウィル・スミス)は世界最高のスナイパー。高速列車に乗るバイオ・テロリストを射殺した時、引退を決意した。しかし翌日からDIAに命を狙われる。自身の監視役のDIAエージェントのダニー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)と共に逃亡を図るが。そこに立ちはだかったのは若き日の自分、クローン人間だった・・・

 

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ポジティブ・サイド

『 ライオン・キング(2019) 』のCGにも度肝を抜かれたが、あれは人間ではなく、動物たちだった。それでもCG技術の極致を見た思いがした。また『 ブレードランナー2049 』は2017年に公開され、その製作には1年半を要したというが、ポスプロの大部分はレイチェルをCGIで蘇られることに費やされたと言われている。それほど生きた人間のCGIを造ることは難しいとされてきた。にもかかわらず、本作は信じられないほどのハイクオリティで、若いウィル・スミスを生み出し、動かしている。テクノロジーの進歩もここまで来たかと唸らされた。美空ひばり復活プロジェクトが先日テレビで放映されていたが、故人をCGの形でスクリーンに蘇らせることが(技術的に)可能な時代が到来するのは時間の問題なのかもしれない。『 キャプテン・マーベル 』でサミュエル・L・ジャクソンの顔にデジタル・ディエイジングを施したのとは違い、ゼロからキャラクターを作れることの意義は大きい(問題は、モデルになった人間のギャラが発生するのか否かだろう)。

 

アクションは豪快で爽快である。コロンビアの建物内外での銃撃戦ではプロのスナイパーの機転と技を堪能できたし、バイクのチェイスシーンは『 ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション 』よりもハラハラドキドキさせられた。

 

クライブ・オーウェンといえば悪役にして黒幕、黒幕で悪役といえばクライブ・オーウェンというぐらいに、この男はワル役が似合っている。顔がナチュラルに悪人で、纏っているオーラも普通に邪悪さを感じさせるところは只者ではない。この男の出演作には傑作はないが、ハズレもない。作品の面白さを事前に測るバロメーターとして、個人的には重宝している。

 

ネガティブ・サイド

CGは一流である。しかし超一流とまでは評せない。なぜなら、最終盤の昼間のシーンで、明らかに若スミスがその場面に“溶け込んでいなかった”からだ。言葉で説明するのは難しいが、CGはどこまで行ってもCGに過ぎないのか。しかし、『 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー 』でタルキン提督が振り返った瞬間、Jovianは度肝を抜かれた。ということはCGのCGらしさが今作の最後の最後で目立ってしまったのは、本人(ウィル・スミス)がそこにいたからなのか。夜、あるいは照明の弱い場所では若スミスのリアリティも保たれていたが、最後の最後にそれが壊れてしまったのは興醒めだった。

 

バイクの追跡アクションは痛快だったが、若スミスがバイクを使って今スミスをボコっていくのはもはやギャグにしか見えない。いったいぜんたいどこの誰が、こんな技をクローン兵士に仕込むというのか。バイクの曲乗り技術を叩きこむぐらいなら、もっと他に有用な知識や技術を教え込めるだろう。せっかくのスリリングなバイク・チェイスが着地で失敗してしまっている。また、同シーンでは若スミスが最後に文字通りに消える。目を疑うかもしれないが本当に消える。

 

CGも佇んでいたり、歩いていたりするぐらいなら良いが、近接格闘となると途端に粗が目立つ。カタコンベでのド突き合いはリーアム・ニーソンの『 トレイン・ミッション 』のような非現実的なものだった。あるいは、『 ターミネーター 』のT-800のアニマトロニクスがカイル・リースをぶん殴っていくシーンのクオリティを極限にまで高めたとでも言おうか。つまり、どこまで行ってもリアルさに欠けるということである。

 

本作の最大の欠点はストーリーが非常につまらないことにある。大前提として、クローンの物語は小説、映画ともに星の数ほど生産されてきた。それらから引き出せる分類として

 

1.同一人物のクローンを多数作る

2.異なる人物のクローンを多数作る

3.オリジナルも実はクローンである

 

の三つが挙げられる。本作はクローンものとしてジャンルを壊す、あるいはジャンルを新たに生み出すものではなかった。

 

また、ヘンリーの戦友であるベネディクト・ワンのキャラクターがただのアッシー君でしかないところも大いに不満である。それにブダペストで出会うロシア側のエージェントも非常に思わせぶりな台詞を吐きながら、そのままフェードアウト。DIA内部の人間関係も描写されるが、それも至って中途半端。

 

最も納得が行かないのは、良心の呵責を持たない兵士を生み出したいという点だ。だったら、何故にクローンをオリジナルと対面させたりするのか。そうすることでクローン人間の内面にどういう変化が生まれるのか、シミュレーションができないのか。一つの可能性は、クローンがオリジナルを抹殺し、冷酷非情なアサシンに成長を遂げる。もう一つの可能性は、自らの出自や人生そのものに疑問を抱き、予想も出来ない行動に走ること。この点については『 ジュラシック・ワールド 炎の王国 』でも証明されている。家でも船でも飛行機でもミサイルを撃ち込んでヘンリーを殺す。その上で若スミスを着任させればシャンシャンではないか。“ジェミニ”を巡るDIAのお歴々のやっていることが全くもって意味不明であることが本作の致命的な欠陥になっている。

 

総評

ウィル・スミスのファン、あるいはB級SFをこよなく愛する人であれば劇場へGoである。しかし、ストーリーの整合性やリアリズムを重視する映画ファンに自信を持って勧められる作品ではない。安易なロマンス展開もないので、デートムービー向きでもないだろう。姉さん女房的な女性と付き合っているという幸運な若者男性なら、彼女同伴で鑑賞もありかもしれないが。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You’re better than that!

 

直訳すれば「お前はそれよりも良い」だが、実際は「お前はそんなダメな奴じゃない」ぐらいだろうか。家族の一員や友人、親しい同僚などが期待に応えられずにやらかしてしまった時に使われる台詞である。最も印象的なところでは『 ロッキー・ザ・ファイナル 』のロッキーの息子への叱咤だろう。このフレーズの使い方については、こちらの動画

www.youtube.com

を参照されたい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アクション, アメリカ, ウィル・スミス, クライブ・オーウェン, メアリー・エリザベス・ウィンステッド, 監督:アン・リー, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『 ジェミニマン 』 -CGは一流、プロットは三流-

英語民間試験の導入延期に関して

Posted on 2019年11月2日2020年9月26日 by cool-jupiter

ブログでは映画の話だけをしたいと思っているが、たまには雑記的な何かを書くのもありだろう。Jovianは一応、英語の教師の端くれなのだから。

英語民間試験の延期報道に関するネット各所の反応を見て、97%ぐらいの方々が賛成しているように見える。しかしマスコミの取材対象に産業界が一切入っていないのが気になる。日本電産の創業者にして京都先端科学大の理事長である永守重信氏あたりは常々、「産業界が欲しいのは英語ができる人材」、「今の公教育では英語ができる人材が育たない。だからうちの大学でモーターと英語を使いこなせる人材を育成する」と語っているが、どこかのマスコミが取材に行かないかな。現行のセンター試験を見るに、今でも発音やアクセントの位置がどうこうとかいう出題をしているようだが、こんなガラパゴスな試験に価値は認められない。全体的に劣化TOEICにしか見えないテストで、受験生の英語力が測れていると考えるのなら、頭がお花畑であるとしか言えない。

 

異端児としての自覚を以って敢えて言うが、これで日本の発展途上国への転落までの時間が5年縮まったと思う。そして真に独立不羈の近代国家になることも。「色々な種類の試験があって、どれが自分に合うかよく分からない」という趣旨のコメントが高校生や、現場で教えている学校や塾の先生から発されている。国が情報発信しないのも喝だが、自分から情報を取りにいかないのはもっと喝!体育の成績は、50メートル走、100メートル走、110メートルハードル走、走り幅跳び、高跳び、1500メートル走のどれかで測定・評価する、と言われているようなもの。選択肢が広まって自由度が上がったことを何故に歓迎しないのか。人には得手不得手があるものだが、自分の得手で勝負できる機会が与えられるというのに、それを全力で拒否しようとする人がマジョリティであることに失望と慨嘆を禁じ得ない。

 

色々な人が色々な立場で物を言っているが、ほとんど全員に共通しているのが、旧ソ連崩壊時の一般市民の心情と同じもの。すなわち「自由からの逃走」。まさか21世紀も20年になんなんとして、日本がエーリッヒ・フロムの危惧した状況に立ち返るとは。主体的に何かを選び取ることを拒否して、所与のものを唯唯諾諾と受け取ろうするだけで、今という時代を生きていけるのだろうか。中国、インドは言うに及ばず、ブラジル、マレーシア、ナイジェリアに経済的にも精神的にも抜かれるのは時間の問題だろう。実際に同僚かつ京都大学の院生のナイジェリア人は「京大の学部生はアホばっかりだな」といつもぼやいている。

 

民間試験への移行のプロセスに問題があるということは、民間試験の内容(受験料や受験可能な場所ではなく)や入試改革のそもそもの眼目に問題があるということとイコールではない。だが、この二つを等号で結ぼうとしている人が信じられないくらい多数存在することに眩暈がしてくる。「センター試験は日本の宝」と喧伝する東大のお歴々は、日本のビジネスパーソンがグローバルなビジネスシーンで続々と討ち死にしている惨状をどれだけ理解しているのか。三単現のsだとか、動詞の不規則活用だとかの重箱の隅をつつく教育を散々施してくれたおかげで、日本のビジネスパーソンが英語を発話する時に、通じるかどうかではなく、正確であるかどうかに異常なほどにこだわるようになってしまい、結果として発話に死ぬほど時間がかかるという呪いをかけられていることをどう捉えているのか。

 

入試を変えれば教育の全体が変わるとは思わない。そこまで自分はナイーブではない。しかし、入試を変えないことには教育の現場も変わらないし、ただでさえグローバルなビジネスシーンで死屍累々の日本の産業の延命すら叶わない。文科相の発言は、格差を正すべき立場の政治家にあるまじきものではあるが、その点だけをあげつらって、入試改革の延期を勝ち取って喜色満面になっている方々は、本来はもっと青ざめていてしかるべきだ。このままでは2019年11月1日は、日本の教育及び産業の没落を決定的にした日として歴史に刻まれるだろう。

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