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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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月: 2018年8月

『カメラを止めるな!』 -予備知識なしで、とにかく観に行くべき傑作-

Posted on 2018年8月20日2019年5月6日 by cool-jupiter

カメラを止めるな 85点

2018年8月19日 シネ・リーブル梅田にて観賞
出演:濱津隆之 真魚 しゅはまはるみ 竹原芳子 秋山ゆずき
監督:上田慎一郎

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180820002247j:plain

とにかく予備知識無しで観に行ってほしい、というレビューや、口コミで静かに、しかし確実に広まっていく評判の良さに、観に行かねばと思いながらも、なかなかタイミングが合わなかった作品であった。しかし、やっとタイミングが合い、観に行くことができた。まず、びっくりしたのがシネ・リーブル梅田が超満員で立ち見チケットまで販売されていたということ。近年でここまで一つの劇場を埋めた作品というのは、いずれも東宝シネマズなんばにて『シン・ゴジラ』と『君の名は』ぐらいしかなかったように思う。観客が皆、ある種の期待を抱きながら、座席を一つまた一つと埋めていく予告編前のあの空気というのは、それこそ『シン・ゴジラ』前となると神戸国際会館で『もののけ姫』を観た時となるだろうか。とにかく、それほどの異様な熱気が確かに劇場に充満していた。実際に上映中、そこかしこから「わははは!」という笑いが聞こえてきた。これはユーモアやコメディ性から来る笑いというよりも、カタルシスから来る笑いなのである。何言っているのかさっぱり分からねーぞ、という向きはとにかく観るべし。メタメタにやられること請け合いである。

本作に関しては、ネタバレめいたことは一言たりとも発することができない。一部の劇場やポスターには、不要な一言が書いてあったりするが、とにかく前評判が高い作品であるということだけ頭に入れて、期待に胸を膨らませて観に行くだけで良い。Yahoo映画や映画.comのレビューなどは極力見ないように努めるべし。正鵠を射たレビューもあるが、一部とんでもなく的を外したレビューや、映画を観ているにもかかわらず、作品を観ていないとしか言えないようなレビューもある。そんな目が節穴の人間のレビューなどは絶対に目にするべからず。とにかくチケットを予約して劇場へGO!である。

かといって、何がどうなっているか少しぐらいは知りたいのが人情というもの。なので、本作を観賞した上でJovianの頭に浮かんだ作品を以下に白字で記すので、興味のある方だけ観て頂きたい。

                                                                                                                

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』および『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』

『ムカデ人間』および『ムカデ人間2』

『デットプール』および『デットプール2』

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』

『The Disaster Artist』(日本では劇場未公開)

『地獄でなぜ悪い』

『雨に唄えば』

『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』

『ファンボーイズ』

『街の灯』

『ヒューゴの不思議な発明』

『ショーン・オブ・ザ・デッド』

『パルプ・フィクション』

『シックス・センス』

『オール・ユー・ニード・イズ・キル』

『主人公は僕だった』

『ネバー・エンディング・ストーリー』

『クローバー・フィールド/HAKAISHA』

『クロニクル』

『ヴィジット』

 

ざっとこんなところだろうか。小説まで含めてしまうと、さらにこのリストが長くなるので割愛させて頂くが、人によってはこれだけでとんでもないネタバレになっていることに気がつくであろうし、筋金入りの映画オタクなら「いやいや、もっとアレやらコレもあるでしょ」と言えるのは間違いない。ひとつ言えるとすれば、この映画はゾンビ映画ではないということ。ホラーはちょっと・・・、スプラッタ要素はちょっと・・・、という向きにこそ自信を持ってお勧めしたい。

冒頭からのワンカット映像に、あなたはいくつも違和感を覚えるに違いない。その感覚を大切にしてほしい。また、一部のポスターやパンフレットには、エンドロールまで席を立たないでくださいという旨の注意書きがあるが、これはやや不親切な案内かもしれない。なぜなら、Jovianが観ていた夜にも、数名ではあるがエンドロール中に席を立ってしまった客がいたからだ。劇場が明るくなるまで観賞を続けてください、というのがあるべき案内文であろう。最後に、「映画を観てみたけど、いまいち理解できねーぞ」という方向けに、最後のネタバレ白字を。この映画は「映画を作っている人たちを撮影する映画を撮影している人たちが映画を作っている映画」である。Jovianが上で映画.comやYahoo映画の当てにならないレビューだと揶揄したのは、本作を「映画を作っている人たちを撮影した映画」であると見た人たちのことである。かの北野武は映画の面白さを「編集である」と言い切った。本作を観賞する/した人は、この言葉の意味をエンドロールまで全て見た時に噛みしめることができる/できたはずである。

最後に、上田慎一郎監督へ「おめでとう」と「ありがとう」と言いたい。今後、日本の高校や大学、インディ映画界で本作の模倣作品がどっさりと製作されるだろうと予想される。あなたは邦画に勇気とインスピレーションを与えてくれた。本当に本当にありがとう。

さて、このレビューにも白字以外でネタバレをしている箇所があることにお気づき頂けただろうか。作品を観ずに気がつくことは絶対ないだろうけれど・・・一応、ね。

 

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, A Rank, コメディ, しゅはまはるみ, 日本, 濱津隆之, 監督:上田慎一郎, 真魚, 秋山ゆずき, 笹原芳子, 配給会社:ENBUゼミナール, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『カメラを止めるな!』 -予備知識なしで、とにかく観に行くべき傑作-

ピッチ・パーフェクト2 -女子寮のノリの女子大生成長物語-

Posted on 2018年8月19日2019年4月30日 by cool-jupiter

ピッチ・パーフェクト2 65点

2018年8月14日 レンタルDVD観賞
出演:アナ・ケンドリック ヘイリー・スタインフェルド ジョン・マイケル・ヒギンズ
監督:エリザベス・バンクス

前作が女子高生のノリなら、今作は女子大生、特に女子寮(sorority)に暮らす若者のノリが強く出ていた。大学時代に寮で暮らした人、特に相部屋や共同トイレ、共同風呂を経験した人ならば、同じ屋根の下で暮らす者に家族以上の親近感を抱くあの感じを理解できるだろう。同じようなことは大学のサークルにも当てはまる。寮は往々にして24時間活動しているサークルだったりする。ベラーズはこの両方を兼ねた、歌って踊って恋してケンカする、洗練されたお下品女子大生たちの物語なのである。キャスティングは前作を引き継いでいるため、ここから観始めることは決してお勧めできない。必ず『ピッチ・パーフェクト』から観るように。

ゲロ吐きオーブリーは卒業してしまったが、ベラーズはその後も強豪アカペラチームとして君臨。ついにはオバマ米大統領の誕生日に本人の前でパフォーマンスをするに至った。完璧な歌唱、完璧な振り付け、そして太っちょエイミーが空中ブランコさながらにリボンを体に巻きつけて天井から舞い降りようとする時、それは起こった。エイミーのユニフォームが裂け、大統領夫妻に下腹部およびそれ以外の場所をモロ見せしてしまったのである。さあ、『ピッチ・パーフェクト ラストステージ』のオープニングではどのようなハプニングが起こるのか、期待は否が応にも高まるばかりである。

このお下劣アクシデントにより、ベラーズはコンテストへの出場を認められなくなってしまう。天の計らいによって何とか大会出場は果たせうようになったものに、コペンハーゲンでの世界大会では、ドイツのDSM=ダス・サウンド・マシーンに、その圧倒的な実力を見せつけられてしまう。ベッカも負けずに挑発するものの、なぜか「汗がシナモンの臭いなのよ!」と褒めてしまう(シナモンが一体何なのかを知りたい人はUrban Dictionaryで調べるか、『ジャッカス/クソジジイのアメリカ横断チン道中』を観てみよう)。ベラーズは本調子ではなく、一枚岩でもなくなっていた。なぜなら、4年生になったベッカは、ベラーズでの活動よりも敏腕音楽プロデューサーの元でのインターンシップに精を出しながら、そのことはメンバー達には秘密にしていた。一方で前作から引き続き登場しているクロエは、ベラーズでの活動を続けたいがために2回も留年をしているという始末。まるで漫画『げんしけん』の斑目のようだ。斑目は留年していたわけではないが。オーブリーは無事にグループからも大学からも卒業したものの、こんな牢名主のようなキャラがいては現役はやりにくくて仕方がない。そんなロックボトム状態のベラーズに新戦力が加入する。ヘイリー・スタインフェルド演じるエミリーである。母親がベラーズOGという、何とも頼もしい新戦力である。

チームをリセットするにはどうするか。古今東西を問わず、ここは合宿である。そして合宿所にいるのは、ゲロ吐きオーブリー。ビシバシ指導するのが好きなので、合宿所の経営/運営を仕事にしたという。ここでは女子寮的な要素がさらに濃く出てくる。詳しくは観てもらうとして、面白いのはベッカの恋愛模様がややマンネリ状態であるのに対し、太っちょエイミーと、宿敵トレブルメーカーズのお騒がせ男のセックスフレンド関係が、いつの間にかシリアスな関係にまで発展していくこと。この時のエイミーのパフォーマンスは『マジック・マイクXXL』のリッチーのとあるパフォーマンスに匹敵する。『マジック・マイク』、『マジック・マイクXXL』は男子寮のノリだな、と書きながら気がついた。いつかこれらも紹介したい。

Back on track. もちろん、新加入のエミリーも、爽やかとは言えない相手と爽やかな関係を結ぶようになるのが、これが成就するのかどうかは次作まで待たなくてはならないようだ。そして、このエミリーの持つ才能がベッカの夢を後押しする。そしてベッカの夢が動き出すことで、ベラーズは逆説的に強くなる。このあたりは前作と同じ構造なのだが、4年生になっても就職活動もあまりせず、サークルやら何やらに血道を上げる先輩や、一方でしっかり将来を見据えながら、仲間と微妙な距離を保つ先輩、そうした少しぎくしゃくした人間関係の修復模様が一気にラストのパフォーマンスに結実する様は圧巻である。さあ、これで10月の『ラストステージ』への準備は万端。『マンマ・ミーア!』の続編も公開間近というわけで、ミュージカル一色で夏の終わりと秋の始まりに備えよう。

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アナ・ケンドリック, アメリカ, ヒューマンドラマ, ヘイリー・スタインフェルド, ロマンス, 監督:エリザベス・バンクス, 配給会社:東宝東和, 音楽Leave a Comment on ピッチ・パーフェクト2 -女子寮のノリの女子大生成長物語-

ピッチ・パーフェクト -女子高のノリの女子大生成長物語-

Posted on 2018年8月18日2019年4月30日 by cool-jupiter

ピッチ・パーフェクト 65点

2018年8月14日 レンタルDVD観賞
出演:アナ・ケンドリック ジョン・マイケル・ヒギンズ
監督:ジェイソン・ムーア

バーデン大学への新入生ベッカ(アナ・ケンドリック)は、DJ志望の今時女子。父親とは微妙な関係で、ルームメイトとも打ち解けられそうにない。しかし、ひょんなことからオール女子で構成されたアカペラ部のバーデン・ベラーズに入部するベッカ。ゲロ吐きオーブリーやらファット・エイミー、セクシー美っち(誤変換だが採用)のステイシーら個性的すぎる問題児らと共にアカペラに励むようになっていく。同大の男子アカペラグループのトレブルメーカーズとは悪い意味でのライバル関係を築いており、ベラーズ加入に際してはトレブルメーカーズの男子とは肉体関係を結びませんという宣誓までさせられる。女子、特に日本映画の典型的な女子高生というのは親友=仲間、仲間=親友と捉え、その関係を男に乱されることを極度に嫌う傾向がある。それは『虹色デイズ』でも『君の膵臓をたべたい』でも、変化球であるが『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』でもそうだった。それと同じノリで展開するのが本作である。ベラーズは元々強豪で知られていたのだが、全国大会のパフォーマンス真っ最中に盛大に嘔吐してしまったオーブリーのせいで、一挙に全国レベルで笑い草にされるようになってしまった。そこから新入生勧誘に力を入れるようになって入ってきたのがベッカというわけである。

ストーリーは、まさに女子高のノリで進む。禁断の恋あり、笑いあり、涙あり、友情あり、ケンカあり、仲直りありのローラーコースター映画である。その瞬間瞬間に歌と踊りが効果的な彩りを加えてくれている。個人的に強く印象に残ったのは太っちょ(ファット/Fat)エイミー。『パティ・ケイク$』のパティを、その体型から思わせるが、肥満と歌い手であるという以外の共通点は見当たらない。ピッチ・パーフェクトとは「まったくもって完璧」という意味だが、それは個々人の在り様ではなく、ベラーズというチームの上がり下がりの仕方のことだ。テレビドラマ的な展開と言おうか、よくこれだけの要素をてんこ盛りに出来るなと感心する。女の友情の美しさと醜さを的確に描写し解説するのは自分の手には余ることなので、そのあたりは他サイト、ブログを参照されたい。

本作であらためて勉強になると思ったことは『パティ・ケイク$』でも描写があったストリートでのラップ対決さながらの、riff-offというアカペラバトル。互いに歌を歌い合うのだが、その途中の歌詞と同じ語を引き継いで、別の歌に即座に歌い替えるという非常に広範囲な知識と瞬発力が要求されるバトルだ。日本のストリートでも実際にこんなバトルが行われているだろうか。ブレイクダンスさながらの対決だ。日本では漫画『ヤスミンのDANCE!』ぐらいしか思いつかないが、アカペラとなると寡聞にして何も思いつかない。個人的にわずか10分弱のこのシークエンスをハイライトに挙げておきたい。

Jovianはこういう作品に触れるたびに英語の勉強になると思っているが、向こうの若い世代(アナ・ケンドリックが若いかどうかはさておき)にスポットライトを当てた映画は、往々にしてトンデモナイ英語を喋る。ベッカがオーブリーに言い放つ”You are not the boss of me!!”はその最たる例であろう。本当は、文法的には破綻していても、状況とセットで聞けば(読めば、ではないところがポイント)自ずと意味が理解できるような教材、つまり映画こそ、日本の公教育に取り入れていってほしいと思っている。それは英語だけではなく、社会や理科、道徳についても当てはまることだと思っているし、本ブログでも何度かそういった指摘や提言をしてきた。今後も、文科省のお歴々の耳には絶対に入らないと確信しつつも、意見だけは述べ続けていこうと思う。

この映画のもう一つの私的な見どころは、アカペラの実況解説の二人組。『ピッチ・パーフェクト2』にもしっかり登場して存在感をアピールしてくれる愉快なデュオだが、特に男性の方はアメリカ人的な価値観をめちゃくちゃ露骨に、露悪的と言えるほどにあっけらかんと開陳してくれる。彼の実況をよくよく聞いてから『チア☆ダン~女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話~』を観賞してみよう。大谷翔平のキャンプ中の評価とシーンズ開幕後の評価のギャップに戸惑った多くの日本人が、なるほどと納得できるだろう。

青春映画の王道で、ミュージカル映画としても佳作である。トリロジーの最後を飾る作品が2018年10月には日本でも公開される。復習観賞するなら今がベストのタイミングである。さあ、近くのレンタルショップかネット配信にゴーである。

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アナ・ケンドリック, アメリカ, ヒューマンドラマ, ロマンス, 監督:ジェイソン・ムーア, 配給会社:武蔵野エンタテインメント, 音楽Leave a Comment on ピッチ・パーフェクト -女子高のノリの女子大生成長物語-

『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』 -居場所を巡る闘争と逃走の青春物語 -

Posted on 2018年8月17日2019年4月30日 by cool-jupiter

志乃ちゃんは自分の名前が言えない 85点
2018年8月16日 シネ・リーブル神戸にて観賞
出演:南沙良 蒔田彩珠 萩原利久 渡辺哲
監督:湯浅弘章

これは『羊と鋼の森』に並ぶ、年間ベスト級の傑作である。このような映画が作られ、ミニシアターで公開されるということに忸怩たる思いと誇らしさの両方を抱く映画ファンは多いはずだ。一方には、マル秘面白映画を自分だけが知っているという独占感と優越感があり、他方には、なぜこのような良作が広く世に問われないのかという疑問や無念さがあるからだ。

大島志乃(南沙良)は吃音に悩み苦しむ高校一年生。クラス初日の自己紹介に備えて鏡の前でも登校途中の坂道でもぶつぶつと自分の名前を呟く。もうこの時点でただならぬ雰囲気が漂うのだが、第一のクライマックスは早くも教室内での自己紹介の時にやってくる。吃音で「お、おおっ・・・、おおおっ、おおし、しししっししし、」という感じで全くもって自分の名前を言うことができず、空気を読めない男子、菊池強(萩原利久)に馬鹿にされてしまう。もうこの時点でクラス内カーストの最下層に属してしまうことが決定するのだが、本作はそのような陰鬱な景色を直接に映し出すことはしない。他にもひょんなことから知り合うミュージシャンを目指す岡崎加代(蒔田彩珠)も、明らかにクラスに溶け込もうという努力を拒否してみせる。前述の菊池にしても、その無理やりなコミュニケーション方法が普通のそれとは異なるということを自己紹介の一瞬で描き切っている。つまり、この物語は集団に馴染めない、もっと言えば世界に居場所を確保できない者たちの物語なのだ。オープニングからタイトルバックまでのわずか数分で物語の導入を過不足なく描き切る。ナレーションが有効に作用するケースもあるし、ナレーション無しに映像と音声だけで観る側に伝えきることが難しいテーマというのは確かにある。前者である程度の成功を収めているものには『図書館戦争』や『孤狼の血』があるが、映画の本領は映像と音声にあるということを再認識させてくれたという意味で、本作には最初のシークエンスから心を掴まされ、ぐいぐいと引き込まれた。

吃音と言えば誰もが思い浮かべるのが『英国王のスピーチ』だろう。コリン・ファース一世一代の演技が堪能できる傑作である。吃音は、おそらく小学校ぐらいの頃には1~2クラスに一人ぐらいはいたのではないか。実際にJovianの周りにも2人いた。が、問題は吃音を持つ彼ら彼女らが自身をどう受け止めるか、ということなのだ。そして、吃音はリラックスして解決もしくは軽減できるものでは決してない。そういう意味で、冒頭で登場してすぐに消えていく担任の先生は非常に罪深く、それゆえに志乃の世界には二度と出てこなくなるのも当然のことだ。Jovianの身近に2人いた吃音者の一人は進学と共に別れ、もう一人の幼馴染はカラオケで吃音を克服した。このエピソードは鬱病から最近復帰した棋士・先崎学にも共通しており、彼は田中角栄に倣って浪曲で吃音を克服したようだ。

加代と知り合った志乃は、隠し持っていた強引さで加代にギターを弾き、歌うようにせがむのだが、加代の天性とも言える音痴さに失笑してしまう。加代は志乃の吃音を決して笑わなかったのに。このあたりは本当に難しいところで、青春時代だけではな青年壮年中年老年になってもつきまとう問題だ。なぜなら何が人を傷つけ、何が人を傷つけないのかは誰にもわからないからだ。それゆえに孔子は「己の欲せざる所は人に施す勿れ」と説いたのではなかったか。この後、志乃は加代のピンチに思わぬ形で介入するのだが、その時の演技は特筆大書に値する。鼻水をタラーリと垂らす渾身の演技を見せるのだ。加代はしかし、無条件に志乃を赦したりはしない。吃音を「言い訳できる逃げ場所」と指摘し、志乃の抱える問題を鋭く抉りだす。この点については後述する。

なんだかんだでバンドを組むことになった二人は、路上デビューも果たす。その時に二人に接する掃除のおっちゃん(渡辺哲)が良い味を出している。世界は基本的に自分には無関心だと若い頃には往々にして思うものだが、そんな自分を見つめてくれる視線があるということを無言のままに教えてくれるのが、このおっちゃんなのだ。『シン・ゴジラ』における片桐はいりと同等の存在感を放っていた。その小さな世界に、菊池という闖入者が舞い込んでくることでその風景は一変する、少なくとも志乃にとっては。好きな歌手やCDについて言葉を交わす加代と菊池に、自分の居場所を侵害された、もしかするとそれ以上に、自分の存在価値=バンド仲間、音楽について語り合える、高め合える仲間としての意義を傷つけられた、またはそんなものはそもそも無かったのだと思い込まされた志乃の心中は察して余りある。志乃が本当に疎外を感じているものの正体の一端がここで明らかになる。吃音は、そのものの一側面に過ぎない。ここでフリッツ・パッペンハイムの言葉を引用する。「人間が自分が当面している決断を避けようとしている場合には、人間は、ほんとうは、自分自身の自我から逃げようとしているのである。人間は逃げることのできないもの……、自分があるところのもの……から逃げようとしているわけである」(『近代人の疎外』)。

自分自身から逃げる志乃を見る我々には、THE BLUE HEARTSの『青空』が聴こえてくる。志乃はバスにも乗れないのだ。行き先ならどこでも良いわけではなく、行く先々に自分がいるのだ。そんな志乃と加代が最後に至った境地とは・・・ アメリカのテレビドラマでは80年代が花盛りだが、日本では90年代がノスタルジーの対象であるようだ。作り手側の力あるポジションがその世代に移行してきたことの表れであろう。そうした潮流の一つとして本作や『SUNNY 強い気持ち・強い愛』があるのだろう。劇中で最も歌われる歌に『あの素晴しい愛をもう一度』がある。「同じ花を見て美しいと言った二人の心と心が今はもう通わない」のか。それとも「もう一度」があるのか。それはレンタルもしくはネット配信で是非とも確かめてみてほしい。

一つだけ大きな減点要素を挙げるとすれば、それはカメラワーク。自転車のとあるシークエンスに手ぶれは完全に不要だった。その他、細かい点ではあるが、砂浜に文字を書くシーンの陰鬱さと海の開放的な明るさを対照的に映し出したかったのだろうが、光の度合いが少し強すぎると感じるシーンもわずかながらあった。しかし、これら重箱の隅をつつくような粗さがしか。

主演の南沙良は、ついに広瀬すずや土屋太凰を駆逐してしまうかもしれないようなポテンシャルを感じさせる本格派である。音痴であることを見事な歌唱力で表現しきった蒔田彩珠は、その容貌も相俟って第二の門脇麦であると評したい。鼻につくほどのうざさを発揮した萩原利久は、『帝一の國』もしくは『虹色デイズ』に出演しても普通に違和感なく解け込めてしまえそうな存在感だった。今後この3人を使った映画が陸続と生まれてくることが容易に予想される。

同じ『 あの素晴らしい愛をもう一度 』を楽曲に使った邦画としては『 ラブ&ポップ 』がある。共に1996年と1998年あたりの世相を抉りながら、自分というものの最大の存在意義が、女性性と貨幣の交換にあると信じ込んでしまった女子高生(たち)の物語だ。携帯電話がまったく一般的ではなく、映画を観ようと思い立った時には新聞や雑誌の映画・劇場情報欄の細かな文字を追いかけなければならなかった時代。そんな時代を背景に生きる志乃ちゃんの物語は、きっと多くの人の胸に突き刺さるに違いない。

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 南沙良, 日本, 監督:湯浅弘章, 配給会社:ビターズ・エンドLeave a Comment on 『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』 -居場所を巡る闘争と逃走の青春物語 -

『キャビン』 -クリシェ満載の異色面白ホラー-

Posted on 2018年8月17日2019年4月30日 by cool-jupiter

キャビン 55点
2018年8月14日 レンタルDVD観賞
出演:クリステン・コノリー クリス・ヘムズワース アンナ・ハッチソン リチャード・ジェンキンス ブラッドリー・ウィットフォード
監督:ドリュー・ゴダード

夏と言えばホラー映画である。近所のTSUTAYAでおススメの表示があったので、借りてみた。原題は”The Cabin in the Woods”、「森の中の小屋」である。『死霊のはらわた』でお馴染みのシチュエーションである。というか、星の数ほどあるホラーの中でA Cabin in the woodsほど分かりやすい状況も無い。人里離れた小屋の中もしくは周囲で一人また一人と死んでいき、その場の人間は疑心暗鬼になり・・・というやつだ。ところが、本作が凡百のホラーと一線を画すのは、小屋を目指して出発するダンジョンもグループを監視する一味が存在することである。

本作については、プロットを説明することが難しい。理由は主に二つ。一つには、そうする意味が全くないほどホラー映画の文法に則った展開だらけ、つまりクリシェだらけであるから。もう一つは・・・、こればかりは本編を観てもらうしかない。なぜなら、ほんの少しでもその理由を説明すると、それが即、ネタバレになりかねないからである。

 いくつか類縁というか近縁種であると言えそうな作品を挙げると、クライヴ・バーカーの小説『ミッドナイト・ミートトレイン 真夜中の人肉列車 血の本』およびその映像化作品『ミッドナイト・ミート・トレイン』、さらにはアーネスト・クラインの小説を原作とする『レディ・プレーヤー1』などがある。

ホラーが好きでたくさん見ているという、言わば上級者が本作を観れば狂喜乱舞するだろう。一方でホラー映画などは一切観ませんという初心者にも、ある意味で安心して進められる作品である。なぜならホラーの入門編として最適だからである。この辺は上述の『レディ・プレーヤー1』に似ていて、まさか『シャイニング』が重要なパーツを構成しているなどとは、誰も予想だにしなかっただろう。

ここからは白字で。本作は最後の最後にシガニー・ウィーバーが現れ、クトゥルー神話さながらの世界の真実を語るが、残念ながら数多登場する怪物の中にエイリアンは見当たらなかった。しかし、そうなるとすぐに『ゴーストバスターズ』(1984)のデイナに見えてくる。そうすると、ズールに思えてくるから不思議なものだ。エンディングは映画版ではなく小説の『ミスト』(スティーブン・キング)を彷彿とさせる。それにしてもドリュー・ゴダードはよほどこういうのが好きなのだな、と感じてしまう。『クローバーフィールド/HAKAISHA』でも、最後に地球に降って来ていたのは、ヴェノムなのか?と囁かれたり。

まあ、あまり深く考えずにクリス・ヘムズワースの若さやクリステン・コノリーの可愛らしさに注目するだけでも良いだろう。しかしまあ、これを機にホラー映画ファンになった人は、幸せなのやら不幸せなのやら・・・

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, クリス・ヘムズワース, クリステン・コノリー, ホラー, 監督:ドリュー・ゴダード, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『キャビン』 -クリシェ満載の異色面白ホラー-

『青夏 きみに恋した30日』 -青春よりも青臭さの方が目立つ-

Posted on 2018年8月16日2019年4月30日 by cool-jupiter

青夏 きみに恋した30日 35点

2018年8月12日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:葵わかな 佐野勇斗 古畑星夏 久間田琳加 水石亜飛夢 岐洲匠 橋本じゅん 佐藤寛太
監督:古澤健

東京の女子高生が上湖村という田舎で一夏を過ごす。そして運命の恋に落ちる。少女漫画のプロットとしても平凡すぎるが、物語に必要なのは往々にして陳腐さである。あまりにも奇を衒った演出を施してしまうと、物語世界に没入できなくなってしまう。かといって、平々凡々すぎてもいけない。このあたりのさじ加減は本当に難しい。普通に詩作が好きな男が普通に暮らす『パターソン』が絶妙なさじ加減と言える。では本作はどうか。残念ながら、少女漫画としては成立しても、銀幕に映える物語ではなかった。このあたりはJovianの主観なので、女子が見れば評価も大いに異なる可能性は高い。

厳しい目で見れば、本作にはあまりにも不自然な点が多すぎる。それらは登場人物の言動や心情であったり、映画的演出そのものであったりだ。例えば理緒(葵わかな)が序盤早々に山道を自転車で走っているところを転倒して山に入って(落ちて)しまうシーンがあるのだが、そこで理緒の携帯に表示される時刻が19:09、しかし空はすでに真っ暗闇。劇中でこの時は2018年7月21日(前後)であると明らかにされているので、いくら山中といえども空が暗すぎる。せいぜい逢魔時、黄昏時だろう。その一方で8月下旬の夕焼けの映えるシーンでは時計が17:40を指しており、こちらは我々の体感にも実際の日の入り時刻から逆算した夕焼けにも合う。細かいところだが、重要なところでもある。他にも吟蔵(佐野勇斗)が足裏を少し怪我するシーンがあるのだが、あの傷の長さと出血から予測される深さからして、その後の歩行に少し支障が出て然るべきだが、そんな描写も無かった。吟蔵は、大谷翔平も受けたPRP注射でも受けたとでもいうのか。

演出とストーリーの関連で言えば、ちぐはぐさが残る場面が多かった。登場人物的には関係ないのかもしれないが、いきなりアブラゼミを素手でパッと捕まえてしまう理緒に「東京の人の意見も聞いてみたい」という上湖村の高校生連中や、「東京もんに川に飛び込む勇気があるとは思わなかった」と言われても、うーむ・・・という感想しか抱けない。そもそも理緒は冒頭の東京での合コンカラオケシーンから浮きまくっていたではないか。

また本作の主題は、高校生男子の一夏の恋ではあるが、その恋模様が炙り出すテーマはなかなかにシリアスだ。過疎にあえぐ村を盛り立てるために若者は村に残るのか、それとも自分の才能を伸ばしたい、試してみたいという願望を成就させるために都会を目指すのか。しかし、現実的に考えるならば吟蔵とその許嫁とされる万理香(古畑星夏)がめでたく結婚し、子どもを5人ぐらいもうけたところで、上湖村の過疎は止まらないし、移住者や観光客が増えるわけでもない。にも関わらず周りの大人や同世代たちは無責任に吟蔵に期待をかける。いったい何なのだ、この村は。また村恒例の夏祭りのイベント販促(若い客を増やしたい!)を高校生に丸投げしていたり、さらにそこでアイデアを出すのが理緒で、なおかつそれがフライヤー作りだというのだから笑っていいのやら、呆れるべきなのやら。理緒と吟蔵の二人で隣町(村?)の花火大会(光と音が同時に届くというCG丸出し花火!)を見に行くのだが、フライヤーで呼び込める客の範囲もせいぜい隣町までだろう。しかし、これは見方によれば、そんな狭い範囲でしか吟蔵のデザインの才能を活かせないのは宝の持ち腐れであるということを強調しているのかもしれない。というか吟蔵の友人にはプロの高校生漫画家がいるのだから、そいつとのコラボというのは誰も考え付かないのか。何から何まで吟蔵に寄りかかるこの村および理緒の思考はどうなっているのか。そんな悩める吟蔵の夢を父(橋本じゅん)がアシストしようとするシーンがある。夏祭りでのライブでTHE BLUE HEARTSの『情熱の薔薇』を熱唱する(実際は吹き替え)シーンである。この部分と、もう一つ別の酒を酌み交わすシーンだけは、大人の大人らしさを感じさせてくれたが、全体的に見れば映画そのものが映し出す光景の美しさと、村の奥底にあるどうしようもない地方特有の駄目さ(と敢えて言う)が、何とも言えないギャップを生みだしている。劇中で山の頂上から海と村を一望するシーンがあるが、その時点で「三重かな?」と直感して正解。確かに自然は美しい。そして理緒自身も上湖村の長所として、空気の美味しさや水の美しさを挙げるが、それらは実は日本中の津々浦々で手に入るものだったりする。それを売り物にしようとするのは、観ているこちら側としては歯痒いばかりだった。マイクロファンディングが根付きつつある日本だが、一番早く目標金額に達するのはやはり地酒らしい。伏見や灘、西条に並ぶような酒どころを目指す、ような話にしてしまっては一夏の恋ではなく、夏休みの自由研究になってしまうか。

劇場の客の入りはまあまあだったが、半分以上は女子中高生だった。目線をそのあたりに持っていけば、案外楽しめる作品なのかもしれないが、大学生以上あたりになってくると、色々と粗というか突っ込みどころが自然と目に入ってきてしまうだろう。主演の二人を初め、俳優陣はいずれも健闘していたが、重要キャラクターである岐洲匠は別。監督の指示なのか、単に未熟なだけか、『BLEACH』のMIYAVIに並ぶ大根役者だった。決して映画ファンを唸らせるような一本ではない。そもそもタイトルからして妙だ。『青夏 きみに恋した40日』ではないのか。内実よりも語呂を優先したのか。時間とチケット代に余裕があるという方のみ、試してみてはどうだろうか。

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ロマンス, 佐野勇斗, 日本, 監督:古澤寛太, 葵わかな, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『青夏 きみに恋した30日』 -青春よりも青臭さの方が目立つ-

『オーシャンズ8』 -観る前も観ている最中も頭を空っぽにするように!-

Posted on 2018年8月14日2019年4月30日 by cool-jupiter

オーシャンズ8 65点

2018年8月11日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:サンドラ・ブロック ケイト・ブランシェット アン・ハサウェイ ミンディ・カリング オークワフィナ サラ・ポールソン リアーナ ヘレナ・ボナム・カーター
監督:ゲイリー・ロス

オールスターキャストでお馴染みのオーシャンズシリーズ最新作だが、過去作を観ていなくても十分に楽しめるように配慮されている。が、全く配慮されていないところというか、個人的に大いに不満があり、それは最後に白字で書く。まずは小さな不満から。

『オーシャンズ11』をところどころトレースしたかのようなシーンがあるが、11で描かれたような、クルーニーとブラピがある意味二大巨頭になってチームを動かし、それをマット・デイモンがぶち壊しそうになる、というクリシェは本作には無い。『ゴーストバスターズ』(2016)のようなフェミニズム理論丸出しでもないが、それでも主人公のデビー・オーシャン(サンドラ・ブロック)の出所直前の容貌や言動にはツッコミを入れたくなるし、出所直後の行動にははっきり言ってドン引きである。それが作り手の狙いなのだろうが。また盗みの動機も弱い。11にあったような鼠小僧や石川五右衛門的な義賊感が無いのだ(そんなもんはどうでもいい、というツッコミは覚悟している)。

ここからは良かった点を。ルー(ケイト・ブランシェット)の登場するシーン全てである。『シンデレラ』では優しく意地悪な継母を、『マイティ・ソー バトルロイヤル』では不敵な死の女神を、本作では聡明さと行動力を持ち合わせるスカウトを完璧に演じている。クルーニーとブラピの間にあったものとは異なる種類のケミストリーを、デビーとルーの間に生み出せているのは、ブランシェットの卓越した演技力に依るところが大きい。男同士の友情や絆は(表面上は)簡単に描写できる。女同士となるとそこにドロドロとした要素を感じさせなければならない。盗みの動機にカネ以上というかカネ以外のものがあるデビーはどこまでも平静を装うが、そんな彼女に迫るルーはブラピ以上にクールだ。

そして今回のターゲット、ダフネ・クルーガー(アン・ハサウェイ)である。ハリウッドでも来日時に振る舞いでも、アンチやヘイトを生み出し続ける彼女であるが、そんな自分自身をdisるような台詞や演出がそこかしこに散りばめられており、思わずニヤリとさせられる。『シンクロナイズド・モンスター』では、飲んだくれのダメ女を演じていたが、普通に美人過ぎてアル中のダメさ加減が少し薄まってしまっていた。しかし、本作では衣装やメイクの力、そして本人の意識的な演技もあるのだろうが、非常に milfy に映った(気になる人だけ、意味を調べてみよう)。ジョディ・フォスター超えも見えてきた。

映画全体を見渡せば、『セックス・アンド・ザ・シティ』的要素あり、『クリミナル・マインド FBI行動分析課』的要素ありの、どちらかと言えば映画よりもテレビドラマを思わせるテンポの良さ。クリエイターがオリジナリティを発揮する場が、映画からテレビそしてインターネットの世界に移行しつつある中、振り子が今後はどちらに振れて行くのか、気になるところではある。カジノとは一味違う華やかさの中、一方で非常に洗練された方法で、他方では非常に泥臭い方法で盗みを着実に実行していくところはオーシャンズに忠実であった。お盆休みが暇だなという向きには、劇場に足を運んでみよう。

さて、最後に配給会社やプロモーションへ一言。『オーシャンズ8』というタイトルから主役が8人=アン・ハサウェイも一味である/になる、というのはあまりにも簡単に予想できることであるが、なぜそのことを殊更に強調するようなポスターやパンフレットを作りまくるのか。『Newオーシャンズ』とか『オーシャンズ ファースト・ミッション』(どうせ9や10も作る気だろう)のようなどこぞのパクリ的タイトルでも良いから(本当はダメだが)、何らかのネタバレへの配慮が必要という判断は出来なかったのだろうか。こうした展開が観る前から読めてしまうと、他にもたくさん盗んでましたというどんでん返しのインパクトが弱まってしまう。細かいことかもしれないが、そういうことを気にする映画ファンも一定数は存在するのである。

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, アン:ハサウェイ, クライムドラマ, ケイト・ブランシェット, サンドラ・ブロック, 監督:ゲイリー・ロス, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『オーシャンズ8』 -観る前も観ている最中も頭を空っぽにするように!-

『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス』 -歴史の証人たるミュージシャン達に刮目すべし-

Posted on 2018年8月14日2019年4月30日 by cool-jupiter

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス 60点

2018年8月8日 大阪ステーションシネマにて観賞
出演:オマーラ・ポルトゥオンド マヌエル・“エル・グアヒーロ”・ミラバール バルバリート・トーレス エリアデス・オチョア イブライム・フェレール
監督:ルーシー・ウォーカー

 

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180814125624j:plain

我々がキューバと聞いて思い浮かべるのは、アマチュア野球の強豪国、アマチュアボクシングの超強豪国、サトウキビ、葉巻、レーニン、サパタ、ゲバラに並ぶ革命児カストロぐらいであろうか。しかし、そうしたキューバに関するパブリックイメージは1990年代終盤に突如(のように当時は思えた)、塗り替えられた。『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のリリースであった。彼ら彼女らはすでに老齢で歌手やエンターテイナーとしてのピークは過ぎていたが、非典型的なlate bloomerとでも言おうか、第三世界のスターが一夜にして第一世界で脚光を浴びたのであった。本作はそんな彼らの文字通りの晩年を振り返るドキュメンタリーである。

キューバといえば近年カストロを失ってしまったが、革命家と言って人々の心にぱっと浮かんでくるのはレーニン、サパタ、カストロの御三家であろう。革命の根底には往々にして民衆の熱狂的支持がある。ソンに代表されるキューバ音楽とアフリカ音楽の混淆が、キューバ文化に深みと、陽気な絶望を歌う民族性のようなものを加えている。革命には音楽のバックアップがあるのだ、ということを我々は最近、「アラブの春」から学んだところであるが、キューバ革命の背景にもそうした要素はあったことだろう。しかし、本作監督のルーシー・ウォーカーは冒頭にキューバ史の概要とカストロの死のニュースを簡潔に挿入するのみで、そうした要素を前面に押し出そうとはしていない。音楽そのものの力とそれを奏で歌う人々の力により注目してほしいということだと受け取った。

Jovianはどういうわけか、イブライムが左卜全とオーバーラップして見えることが多かった。歌唱力も寿命もイブライムの方が上だが、なぜかイブライムは左を彷彿させた。ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの面々が成し遂げたこと、我々に及ぼした影響は巨大で一口には語れない。もしも彼らがいなければ、つまりキューバという要素が世界で受け入れられるという土壌が90年代後半に生まれていなければ、ボクサーとしてのホエル・カサマヨルやユリオルキス・ガンボアやギジェルモ・リゴンドー(日本に来たこともあるので、テレビで見たことがある人もいるかもしれない)らの超絶テクニシャンボクサーはアメリカに亡命しプロに転向しなかったかもしれないし、英雄ホセ・コントレラスもヤンキースには来れなかったかもしれない。少なくとも、彼らに勇気が与えられたのは間違いない。

『私はあなたのニグロではない』に見られたような悲痛としか形容し得ない叫びを、ある意味で音楽に昇華した彼ら彼女らは、キューバ人だけではなく、観る者たちにもほんの少しの勇気を与えてくれる。音楽愛好家やキューバ史もしくは優れたドキュメンタリーに興味があるという方であれば観賞しようではないか。

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, イギリス, イブラヒム・フェレール, ドキュメンタリー, 監督:ルーシー・ウォーカー, 配給会社:ギャガ, 音楽Leave a Comment on 『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス』 -歴史の証人たるミュージシャン達に刮目すべし-

『JUNO ジュノ』 -妊娠することと母親になることは同義ではないし、妊娠は属性であって人格ではない-

Posted on 2018年8月9日2019年4月30日 by cool-jupiter

JUNO ジュノ 75点

2018年8月2日 レンタルDVD観賞
出演:エレン・ペイジ マイケル・セラ ジェニファー・ガーナー ジェイソン・ベイトマン アリソン・ジャネイ J・K・シモンズ オリビア・サールビー
監督:ジェイソン・ライトマン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180809174818j:plain

『センセイ君主』に我々は『3年B組金八先生』へのオマージュを見出したが、やはりかの伝説的テレビドラマで最も印象に残るエピソードの一つは「十五歳の母」であろう。日米の文化の差や時代の違いもあるが、10代の妊娠が軽い事柄でないことだけは確かだ。そうした時、妊婦はどうするのか、妊娠させた相手の男は何をすべきなのか、友人は?教師は?家族は?地域社会は?金八先生を用いての比較文化論は、実際にどこかの日本の中学か高校に任せたいが、本作のような映画こそ夏休みに入る前の中高生たちに観てほしいと願うし、学校関係者も訳の分からん長広舌を振るったり、やっつけ仕事の冊子を渡すぐらいなら、真剣に映像授業というものを考えるべきだ。特に日本の現場(の先生方はまあまあ頑張っているが)を監督する側の石頭連中に対して、切に願う。

16歳のジュノ(エレン・ペイジ)は親友のポーリー(マイケル・セラ)と成り行きでベッドイン、一度のセックスで妊娠してしまった。産むべきか、産まざるべきか。それが問題である。産むとなると、父親(J・K・シモンズ)や継母(アリソン・ジャネイ)の手を借りるのか、借りないのか。自分には小さな妹がいるが、両親は自分の妊娠と出産を喜んでくれるのか、歓迎してくれないのか。変わらないのは親友リア(オリビア・サールビー)だけなのか。ジュノは冷静に考え、中絶を選択することを決断する。しかし、クラスメイトのスー・チンが中絶クリニック前で一人シュプレヒコールをしているところに出くわし、わずかに心が揺れる。妊娠何週目かを知ったスー・チンの言う「もう胎児には爪が生えている」という言葉に、自分を重ね合わせるジュノ。彼女が命に人格を見出した、非常に印象的なシーンである。

ジュノはならばと、里親を探す選択をする。そして理想的な夫婦をローカル・コミュニティ誌で見つけ出す。ヴァネッサ(ジェニファー・ガーナー)とマーク(ジェイソン・ベイトマン)である。実際に出会ってみると、確かに理想的な夫婦で、ジュノは里親に彼らを選択するのだが・・・

本作を名作たらしめているのは、何と言っても主人公ジュノの型破りなキャラクターである。70年代のパンクロック好きで、B級ホラー映画好きで、ギターはGibsonかFenderかに一家言あり、しかし、テイストの異なるスプラッターも受け入れるだけの柔軟さも持ち合わせている。物語のある時点からマークが乱心するのだが、男はなかなか父親になれないのだ。一方で、女性は母親になっていなくても、母親になれる。想像妊娠という現象は動物にも人間にも現実に見られる生理学的反応なのである。『スプリット』で心理カウンセラーが「多重人格者は脳内物質の力で人体そのものも変化させてしまう可能性がある」と言うシーンがあるが、想像妊娠というのは確かに上の言を裏付けている。男の狼狽というか、頼りなさ、情けなさについては漫画『美味しんぼ』で山岡およびその友人一味が、マークとよく似た(しかし、それほど深刻ではない)症状を呈するというエピソードがどこかにあったが、何巻のどこかを探す気にならない。

もちろん、出てくるキャラクターは全て魅力的な味付けがなされており、特に強面のJ・K・シモンズがジュノに父親としての愛の深さを淡々と語る場面は観る者の胸を打つし、妊娠の相手がポーリーであると知った時に「次に会った時にはアソコをぶん殴ってやる(punch the kid in the weiner)」と言ったのは極めて正常な父親としての反応だ。そして継母のブレンは、アリソン・ジャネイそのままの迫力で、超音波検査技師に凄む。このシーンは圧倒的な迫力で我々に迫って来る。10代で妊娠、出産する家庭は劣悪な環境であるというバイアスを我々はいとも簡単に形成してしまうが、それこそが男がなかなか父親になれないマインドセットの裏返しである。人は変われるし、変わるべきである。そして妊娠というのは、決して女性が母親になるための儀式や生理現象であるとも本作は言っていない。Jovianは実際にとある産婦人科の女医先生に教えてもらったことがある。先生曰く、「妊娠は通常ではないが、正常であって、決して異常ではない」と。10代の妊娠、そして出産を考える時、変わるべきものは何なのか、変わる必要の無いものは何なのか。これらの問いに一定の答えを提示する本作は、若い中高生たちのみならず、結婚を考えているカップル、子作りを計画している夫婦、孫の世話を焼きたいと気を揉む高齢者など、見る人によって様々に異なるヒントを得られるはずだ。時代や地域を越えて観られるべき傑作である。

ちなみに本作と全く裏腹の、妊娠していないのに(実際は妊娠したのを中絶した)妊娠している振りをする15歳のミランダを主人公とする傑作ミステリ・サスペンスの『泣き声は聞こえない』(シーリア・フレムリン著)も余裕があれば手に取ってみてはいかがだろうか。

Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, J・K・シモンズ, アメリカ, アリソン・ジャネイ, エレン・ペイジ, ヒューマンドラマ, 監督:ジェイソン・ライトマン, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『JUNO ジュノ』 -妊娠することと母親になることは同義ではないし、妊娠は属性であって人格ではない-

『プラダを着た悪魔』 -何かを手に入れるだけがサクセス・ストーリーではない-

Posted on 2018年8月8日2019年4月26日 by cool-jupiter

プラダを着た悪魔 80点

2018年8月1日 DVD鑑賞
出演:メリル・ストリープ アン・ハサウェイ エミリー・ブラント スタンリー・トゥッチ
監督:デビッド・フランケル

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180808001903j:plain

恥ずかしながら10年ぐらいDVDを寝かせたままにしておいたのだが、遂に鑑賞した。非常によくできた話で、『ブリジット・ジョーンズの日記』と並んで世界中の女子の支持を得るのもむべなるかなと思う。

ライター志望のアンドレア・サックス(アン・ハサウェイ)は、全世界のお洒落女子垂涎のポジション、すなわちファンション誌『ランウェイ』編集部に就職を果たす。しかし、そこには鬼編集長のミランダ・プリーストリー(メリル・ストリープ)がおり、アンドレアは押し寄せる仕事量と小言と嫌味と無理難題に振り回されていく。同僚のエミリー(エミリー・ブラント)やナイジェル(スタンリー・トゥッチ)らと共に働く中で得るものは大きかった。しかし、私生活では失われるものもあり、アンドレアの人生は大きな岐路を迎えることとなる・・・

 あらすじだけ見ればありふれた話に思えるし、実際にありふれている。しかし、10年以上前の映画ということを考えれば、そうした見方を変えざるを得なくなる。フェミニズム理論というものがある。『センセイ君主』に見られた間テクスト性の提唱者の一人でもあるジュリア・クリステヴァも、そうした理論の構築に大きく寄与している。主に文学の分野での運動だったが、これは何かと言うと、神話やおとぎ話を現代の視点から読み解き、さらにはフェミニズムの観点から読み替えようという試みである。脱構築という言葉は、文系学生である/だったという人であれば聞いたことはあるだろう。すでに完成された、静的とされるものを一度壊して再構築する試みである。おそらく一番分かり易いテキストはエマ・ドナヒューの『Kissing the Witch: Old Tales in New Skins』だろう。英語に自信のある人は読んでみよう。ちなみにドナヒューは、『ワンダー 君は太陽』でも喝采を浴びた天才子役ジェイコブ・トレンブレイの『ルーム』の原作者/脚本家でもある。

Back on track. これまでのエンターテインメント作品(小説や映画)はしばしば、女性を受け身の立場で描いてきた。男の主人公が奮闘し、最後には愛を告白し、ヒロインを抱擁し、キスして終わる。そんな映画を我々は前世紀に数限りなく観てきたし、また観させられもしてきたのである。おそらく映画史においてフェミニズム理論を最初に反映させたメジャーな作品は『エイリアン』シリーズ(リプリー)と『スター・ウォーズ』シリーズ(レイア姫)であろう。そうして蒔かれた種が、ある意味で一気に芽吹いたのが2000年代以降と言えるのかもしれない。分かり易い例を挙げれば『スノーホワイト/氷の王国』や『高慢と偏見とゾンビ』か。最も露骨なのは『ゴーストバスターズ』(2016年版)であろう。『ハンガー・ゲーム』シリーズや『バイオハザード』シリーズも当てはめていいかもしれない。男に助けられる女、麗らかに存在をアピールする女ではなく、自分の居場所を戦って勝ち取る者である。単に主人公が女性であるというだけではダメである。そうした意味では、実は『ブリジット・ジョーンズの日記』は古いタイプの物語だったのである!

本作のアンドレアはファッションセンス、人も羨む仕事、友情や恋人、背徳的な関係など、ある意味では全てを手に入れるキャリアー・ウーマンに成長する。ブルゾンちえみの提唱するキャリアウーマンとはかなり趣の異なる強かな女性である。しかし、最後には手に入れたものをあっさりと捨ててしまうという“自由”を手に入れる。女性の成功の陰にはよき理解者の男がいたという批判を一部で浴びたのが『ドリーム』であるが、それは時代がもっともっと昔のことであるから、批判しても詮無いことである。本作はメリル・ストリープという大御所とアン・ハサウェイという(当時の)Rising Starのケミストリーによって、映画史の一つの大きなマイルストーンになった。今までなんだかんだで本作を観てこなかった我が目の不明を恥じ入るばかりである。

Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, A Rank, アメリカ, アン:ハサウェイ, エミリー・ブラント, ヒューマンドラマ, メリル・ストリープ, 監督:デビッド・フランケル, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『プラダを着た悪魔』 -何かを手に入れるだけがサクセス・ストーリーではない-

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