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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: SF

『ペンギン・ハイウェイ』 -異類、異界、そしてお姉さんとの遭遇-

Posted on 2018年8月26日2020年2月13日 by cool-jupiter

ペンギン・ハイウェイ 75点

2018年8月26日 大阪ステーションシネマにて観賞
出演:北香那 蒼井優 釘宮理恵 能登麻美子 西島秀俊 竹中直人
監督:石田祐康

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180826235745p:plain

以下、ネタバレ?に類する記述あり

『未知との遭遇』が傑作であることは論を俟たない。『E.T.』が傑作であることも論を俟たない。異類との交流は、良い意味でも悪い意味でも常に刺激的である。『銀河鉄道の夜』(猫アニメ版)や『千と千尋の神隠し』のような、異世界への旅立ちも、物語が数限りなく生産され、消費されてきたし、今後も不滅のジャンルとして残るのは間違いない。本作『ペンギン・ハイウェイ』は、こうした優れた先行作品に優るとも劣らない、卓抜した作品に仕上がっている。「アニメーションはちょっと・・・、」という向きや、「夏休みの子供向け作品でしょ?」と思っている方にこそ、ぜひお勧めしたい作品である。

以下にJovianの感想を記すが、これはもう全くの妄言であると思って読んで頂きたい。おそらく各種サイトやブログで十人十色の感想が百家争鳴していることであろう。何が正しい解釈なのかを考えることに意味は特にないと思うが、この映画からは絶対に何かを感じ取って欲しい。その何かを個々人が大切にすれば良いと心から願う。

本作は小学四年生のアオヤマ君(北香那)が歯科クリニック受付のお姉さん(蒼井優)という超越的な存在にアプローチしていくストーリーである。ここで言う“超越”とはフッサールの言う超越だと思って頂きたい。この世界には人間の知覚では捉えられない領域があり、それらは全て超越と見なされる。本作で最も超越的なのは、アオヤマ君の目から見たお姉さんのおっぱいであろう。その服の向こう側には何があるのか。もちろん、おっぱいがあるのだが、アオヤマ君にはそれが何であるのか知覚できない。つまり、見えないし嗅げないし触れもしないということだ。しかし、アオヤマ君は科学の子でもある。鉄腕アトムという意味ではなく、自らに課題を課し、科学的に仮説を立て、実験を通じて検証し、成長を自覚するという、大人顔負けの子どもである。そんなアオヤマ君の住む町に、突如ペンギンの大群が現れ、そして消える。アオヤマ君はこの謎にお姉さんが関連していることを知り、さらに研究を進めていく。そんな中、《海》という森の中の草原に浮かぶ謎の存在/現象にも出くわし、同級生のウチダ君やハマモトさんと共同で研究をすることになる。その《海》とお姉さんとペンギンが相互に関連しているというインスピレーションを得たアオヤマ君は・・・、というのがストーリーの骨子である。

まずはJovian自身がストーリーを観賞して、第一感で浮かんできたのは、CP対称性の破れである。何のことか分からん、という方はググって頂きたい。物語の中盤にアオヤマ君が父親から問題解決のアプローチ方法を教授されるシーンがある。アオヤマ君は忠実にそれを実行する。そして終盤、エウレカに至る。これは京都産業大学の益川敏英先生がCP対称性の破れの着想を得た時の構図の相似形である。考えに考えて考え抜いて、もう駄目だ、考えるのをやめてみたら、全てがつながったというアレである。スケールの大小の違いはあれど、誰でもこのような経験は持っているはずである。相似形になっているのは、ペンギンと海の関係が、物質と反物質になっているところにも見られる。《海》は『インターステラー』のワームホールを、どうやっても想起させてくる。であるならばペンギンの黒と白のコントラストはブラックホールとホワイトホールのメタファーであってもおかしくない。川がそれを強く示唆しているように思えてならない。ペンギンという鳥であるのに飛べない、鳥であるのに泳ぎが達者という矛盾した存在は、陰と陽の入り混じった様を思い起こさせる。生物学、動物学が長足の進歩を遂げたことで、鳥類は最も浮気、不倫をする動物であることが知られているが、ペンギンはかなり貞淑な鳥として認識されている。一途な愛情は、アオヤマ君の科学への姿勢であり、将来への希望であり、お姉さんへの憧憬にもなっているように思えるのは考え過ぎか。ハマモトさんがこれ見よがしに見せつける相対性理論の本から、どうしたって物語世界に理数系的な意味を付与したくなる。ましてや原作者は森見登美彦なのだ。その一方で、チェスもまた重要なモチーフとして物語のあちらこちらで指されている。「物理学は、ルールを知らないチェスのようなものだ」という言葉がある。宇宙の中でポーンが一マス進むのを見て、ポーンは一マスずつ進むと科学者は観測の末、結論を出すが、もしかすると我々はまだポーンがプロモーションの結果、クイーンになるという事象を見たことがないだけなのかもしれない。森見は理系のバックグラウンドを持っているが、その作品は常に文系的、哲学的な意味に満ち満ちている。「夜とは観念的な異界である」と喝破したのは、折口信夫だったか山口昌男だったか。お姉さんがアオヤマ君にぽつりと呟く「君は真夜中を知らないのか」という台詞は、「君は異世界を知らないのか」と解釈してみたくなる。事実、本作の指すところのペンギン・ハイウェイは牧歌的な雰囲気を醸し出しつつも、黄泉比良坂の暗喩であるとしか思えなかった。

おそらく他にもこうした印象を受けた人はいるであろうが、この見方こそが正解なのだと主張する気はさらさらない。本作は、謎の正体ではなく、謎にアプローチするアオヤマ君と愉快な仲間達の交流が楽しいのであり、逆にそれだけを楽しむことも可能なのだ。とにかく凄い作品である。今も思い返すだけで脳がヒリヒリしてくる。原作小説も買おう。『四畳半神話大系』も読み直そう。映画ファンのみならず、ファミリーにも、学生にも、大人にも、老人にもお勧めをしてみたくなる、この夏一押しの怪作、いや快作である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, SF, アニメ, ファンタジー, 北香耶, 日本, 監督:石田祐康, 蒼井優, 配給会社:東宝映像事業部Leave a Comment on 『ペンギン・ハイウェイ』 -異類、異界、そしてお姉さんとの遭遇-

『 ザ・ホスト 美しき侵略者 』 -侵略映画の変化球-

Posted on 2018年8月26日2020年2月13日 by cool-jupiter

ザ・ホスト 美しき侵略者 45点

2018年8月23日 レンタルDVDにて観賞
出演:シアーシャ・ローナン
監督:アンドリュー・ニコル

シアーシャ・ローナン目当てで借りてきたレンタルDVD。人間の体を乗っ取る宇宙生命体の話と言えば、近年の邦画では、まず『散歩する侵略者』が思い浮かぶし、名作漫画原作の『寄生獣』もこのジャンルに分類できるだろう。さらに人間そのものに擬態するものでは古典的名作の『遊星からの物体X』や『ゼイリブ』が外せない。今作のエイリアンは人間のボディを乗っ取ると眼が白く光る。まるで『光る眼』だ。ことほどさように、古今東西のSFのパッチワークになっているのが本作であり、またそのような特徴を併せ持つ作品は、ちょっと大きめのTUSTAYAに行けば軽く50本以上は見つかるであろう。つまり、本作を観る目的は、大雑把に言ってしまえば2つしかない。

1.シアーシャ・ローナンを見ること。

2.雨や風の日、気温が高すぎて出歩けない日の暇つぶし。これである。

本作で少し面白いなと思うのが、メラニー(シアーシャ・ローナン)がしっかりと宇宙人として扱われるところ。物語の序盤過ぎに男だらけのコミュニティに加わることになるのだが、侵略してきたエイリアンとはいえ、人畜無害な若い女子がやってきたら、あっという間に嬲りものにされてもおかしくないように思うが、そこは一応、ライフル片手に叔父さんがグループのイニシアチブを握っているからか。もう一つは、男は女のキャラクターを愛するのか、それとも体を愛するのかという問題。公開間近の『寝ても覚めても』の主題もこれに近そうだ。人は人の外面を愛すのか、内面を愛すのか。人は、中身が人でなくとも外見が人であれば、無節操に愛することができるのか。このあたりは文学よりも、SFこそが追求すべきテーマになっている。なぜなら、人工知能に代表されるようなテクノロジーの進歩は確実に人間の人間性を狭める、もしくは拡張していくからだ。また、パラリンピックの走り幅跳び記録が、追い風参考とはいえ、オリンピックのそれを上回るということは、生身の体を超える可能性を持つ<義体>の萌芽が既にそこに見られるということだ。個人的に最も興味を惹かれたのは『第9地区』でのクリストファー・ジョンソンが茫然と佇立するシーンの焼き直しが本作にあったこと。人間の無慈悲さこそが、人間性の根源にあることを抉りだすシーンだ。

一つ素朴な疑問が。この地球外生命体、いったいどうやって繁殖しているのか。おそらくこの生態では、交配しても生まれてくるのは『寄生獣』と同じく、ホストと同じ生命が再生産されるはず。ソウルの名の通り、人類には及びもつかない方法で生殖しているのか。SFの文法に、論理的(≠科学的)に辻褄が合う世界を創り出すというものがあるが、オカルト・ホラー小説家のリチャード・マシスン著『地球最後の男』的などんでん返しっぽい展開もある。劇場で観賞するにはきついが、自宅でのひまつぶしになら最適だろう。シアーシャ・ローナンのファンであるならば、観ておいて損は無いだろう。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アメリカ, シアーシャ・ローナン, 監督:アンドリュー・ニコル, 配給会社:ハピネット, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 ザ・ホスト 美しき侵略者 』 -侵略映画の変化球-

『(r)adius』 -ひとひねりは効いているが、着地に失敗したSFスリラー-

Posted on 2018年7月30日2020年1月10日 by cool-jupiter

(r)adius 40点

2018年7月28日 レンタルDVDにて観賞
出演:ディエゴ・クラテンホフ シャーロット・サリバン
監督:キャロライン・ラブレシュ スティーブ・レナード

リアム(ディエゴ・クラテンホフ)は交通事故に遭い、負傷していた。気がついた時には見知らぬ土地にいて、記憶を失っていた。そして、自分の半径15mに近づいてきた動物(植物や微生物は無事らしい)は、白目をむいて即死することに気づいた。そんな中、自分に近づいても死なない女性ジェーン(シャーロット・サリバン)と出会う。ジェーンもまた記憶を失っていたが、2人は元々一緒に行動していたらしいことが分かる。一緒にいれば、謎の即死現象が中和されることに気づいた2人は、警察その他から逃れるべく、逃亡を開始するが・・・

どこかジョニー・デップとシャーリーズ・セロンの『ノイズ』を思わせる雰囲気があったりと、予備知識ほぼゼロの状態で観ていたため、序盤の展開にはスッと入っていくことができた。記憶喪失物というのは、小説であっても映画であっても、始まりはたいてい面白いと決まっているのである。問題は、記憶を取り戻す方法とタイミングだ。もちろん、そこにも『ジェイソン・ボーン』式のきっかけとともに小出しで思い出していく方式、『メメント』式の終盤一気の思い出し方(というか説明の仕方か)、装置を使って思い出す『トータル・リコール』方式など、こちらも記憶喪失ジャンルと同様にある意味で確立されていると言える。残念なのは本作の記憶喪失とその記憶の取り戻し方が、あまりにもご都合主義過ぎるところ。良かったところは、失われた記憶が蘇ったことで分かるリアムとジェーンの本当の関係の意外性。しかし、この映画の最も残念な点は、テーマを絞り切れなかったところであろう。主題は分かりやすい。半径15m以内の生物を問答無用で即死させてしまう謎の現象だ。しかし、テーマが薄い。というか分散させすぎである。ジャンル分けするとすれば、SFであり、スリラーであり、記憶喪失物であり、ロードムービー的要素もあり、ロマンス要素もある。敢えて絞るとすると、良心への目覚めということになるのだろうか。しかし、タイトルにもある(r)adius=半径について、もっともっと深掘りするべきだし、観る側はそれを期待する。エレベーターのシーンはサスペンス感があったが、他にも例えば、リアム一人でボートで湖にこぎ出してたんまり魚をゲットしてくるなど、二人の逃避行にもっとほのぼのとした要素を入れてくれないと、オチとの落差があまり感じられず、結果的に着地で失敗したとの印象だけが強めに残った。誰も漫画の『B-SHOCK!』みたいなのは期待していないのだから。

もともと梅田のシネリーブルの未体験ゾーンの映画たちの一つとして公開されていた当時、都合がつけられず劇場鑑賞ができなかった。まあ、レンタルで観て、それなりに満足したということで、良しとしようではないか。ちなみに本作のジェーンは、ジェーン・ドウ=Jane Doeから来ている。身元不明の女性はジェーン・ドウなのだ。ちなみに男になるとジョン・ドウ=John Doeとなる。『マイノリティ・レポート』でトム・クルーズが一瞬言及するシーンがあるので、熱心なトム様ファンは見返してみてもいいかもしれない。直近では『ジェーン・ドウの解剖』、近年だと『ブラック・ダリア』がジェーン・ドウものの秀作かな。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, カナダ, シャーロット・サリバン, ディエゴ・クラテンホフ, 監督:キャロライン・ラブレシュ, 監督:スティーブ・レナード, 配給会社:アットエンタテインメントLeave a Comment on 『(r)adius』 -ひとひねりは効いているが、着地に失敗したSFスリラー-

『ジュラシック・ワールド 炎の王国』 -堕ちた王国の主とは恐竜なのか人間なのか-

Posted on 2018年7月16日2020年2月13日 by cool-jupiter

ジュラシック・ワールド 炎の王国 50点

2018年7月14日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:クリス・プラット ブライス・ダラス・ハワード ジェフ・ゴールドブラム B・D・ウォン
監督:J・A・バヨナ

  • ジュラシック・パークおよびジュラシック・ワールドのネタバレあり

原題は“Jurassic World: Fallen Kingdom”映画単体として見れば35点、『ジュラシック・ワールド』3部作の中間地点としてみれば50点だろうか。冒頭から海中を探査艇らしき乗り物が行く。何をしているのかと思えば、前作でモササウルスに食べられたはずのインドミナス・レックスの骨(正確にはそこに含まれる遺伝情報)を採取しようとしている。まず、なぜあんなにきれいな骨格標本が海底に横たわっているのだろうか。モササウルスは特殊な排泄の仕方でもするというのか。暗い海中のシーンは、物語全体が見通しの効かないものになるというEstablishing Shotとして意図されたものだろう。それはトレイラーでしこたま流されていた火山噴火の予兆のシーンも同様で、もくもくと湧きあがる噴煙、降り注ぐ土石が、その後のストーリーの薄暗さと衝撃を予感させていた。そしてその期待は、あくまで期待通りで、それを上回ることは無かった。

『ジュラシック・パーク』および『ジュラシック・ワールド』の舞台となったイスラ・ヌブラル島の火山活動が活発化し、早晩、島は溶岩に飲み込まれてしまうことが予想された。前作でワールドの責任者をしていたクレア・ディアリング(ブライス・ダラス・ハワード)は今は恐竜保護を議会に訴えるロビー活動をしていた。しかし、イアン・マルカム(ジェフ・ゴールドブラム)の議会での証言もあり、結果、アメリカ議会は恐竜を保護しないことを選択。そこにベンジャミン・ロックウッド(ジェームズ・クロムウェル)がパトロンとなっての民間による恐竜救出作戦が立案されていた。クレアはラプトルのブルーの育ての親であるオーウェン・グレイディ(クリス・プラット)を訪ね、作戦参加を頼み込む。かくして役者は揃い、一行は空路で島へ。

火山活動のシーンや、恐竜たちが逃げ惑うシーン、またブルーとクリスの再会シーンなどは特に強く印象に残る。その一方で、やっていることは『ジュラシック・パーク』時代から変わることなく、『恐竜を蘇らせる』、『新しい種類の恐竜を人為的に生み出す』、『その恐竜たちを使って金儲けを画策する』である。もちろんシリーズの各段階において、それぞれ独自のテーマがあった。私的な解釈に過ぎないが、『ジュラシック・パーク』のそれは“科学は生命を制御できるのか”、『ロスト・ワールド』のそれは“生命の強かさと人間の業”、『ジュラシック・パークⅢ』のそれは“人間の業の深さ”、『ジュラシック・ワールド』のそれは“自然の力の大きさと人間の小賢しさ”であった。つまり、テーマが循環しているのである。もちろん、時代に応じた科学力の進展と一般への知識の普及が進むたびに、新たな解釈が施されてきたのが本シリーズではあるが、それにしてもあまりにも同じテーマを繰り返しすぎていないか。そんな声を上げたくなるのはJovianだけではないだろう。というわけで、今作は「それをやっちゃあ、お仕舞いよ」という展開を持ってくる。どれくらいお仕舞いなのかはケン・グリムウッドの小説『リプレイ』並みにお仕舞いよ、である。他にも、永井するみだったか岡嶋二人だったかの、コンピュータウィルスと人類が緩やかに、ある意味幸せに共存せざるを得なくなった軽めのディストピア小説も彷彿とさせる展開である。その小説に心当たりがあるよという方がもしいらっしゃったら、ご一報を頂けますと幸いです。

Back on track. クリス・プラット。素晴らしい。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のディカプリオ的な動きで魅せる。不謹慎にも笑ってしまった。

ブライス・ダラス・ハワード! 私見では、アメリカ人女優で演技力ナンバーワンはジュリアン・ムーア、それに続いて行きそうなのはジェシカ・チャステインなのだが、ハワードは彼女らの追撃組というか、TOP25に入ってきそう。初見は『ヘルプ 〜心がつなぐストーリー〜』だったが、一部のダメ作品を除いて、出る映画を上手に選んでいる印象。

トビー・ジョーンズ。この人が出ると、それだけで画がコメディタッチに見えるのは何故なのか。『ベイビー・ドライバー』での地下の武器商人役といい、今作といい、traffickingが似合う男である。

B・D・ウォン。彼すらも、今作では何かより大きな嵌め絵の一つのコマであったようだ。今作ではジェフ・ゴールドブラムにその座を奪われたが、前作はこの人の再登場あってこそ、『ジュラシック・ワールド』は『ジュラシック・パーク』のリブートではなく正統的なシークエル足り得た。

ジェフ・ゴールドブラム。今でもベスト・パフォーマンスは『ザ・フライ』だと考えているが、『ジュラシック・パーク』でのニヒリスティックなチャラ男キャラも捨てがたい。今作は、年齢もあろうし、事態のシリアスさもあるのだろうが、『グランド・ブダペスト・ホテル』の代理人的なジョークとも大真面目とも捉えられる印象的な台詞を披露してくれる。続編への登場は間違いないと思ってよいのだろう。

アニメ版ゴジラと同じく、単体として見ると評価しづらい。純粋に三部作の中間地点と思って観賞するべし。さらに深いテーマの考察-KingdomとはAnimal Kingdom(ダブルミーニング!)なのか、人間の築き上げた文明世界のことか、それともレックス=王よりも強い恐竜の誕生を示唆しているのか-などに頭を使わなければ、週末の時間つぶしに好適な一本に仕上がっていると言える。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アメリカ, クリス・プラット, ジェフ・ゴールドブラム, ブライス・ダラス・ハワード, 監督:A・J・バヨナ, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『ジュラシック・ワールド 炎の王国』 -堕ちた王国の主とは恐竜なのか人間なのか-

『NERVE ナーヴ 世界で一番危険なゲーム』  ―雨の日の暇つぶしに最適な一本―

Posted on 2018年7月5日2020年2月13日 by cool-jupiter

NERVE ナーヴ 世界で一番危険なゲーム 50点

 2018年7月5日 WOWOW録画観賞
出演:エマ・ロバーツ デイブ・フランコ ジュリエット・ルイス エミリー・ミード マイルズ・ハイザー
監督:ヘンリー・ジュースト アリエル・シュルマン

アホなYouTuberが続々逮捕される時期があったが、この映画まさにそれを描いている。登場人物が次々にしょっ引かれるわけではないが、普通に法に抵触するようなことを平気でやってのける人間たちがこんなにいるものなのかと、エンターテインメントの世界でも現実世界でも慨嘆させられる。カネのためなのか注目のためなのか、人はアホな行動に出ることがある。それが無意識であれば「そういうこともたまにはあるわな」と思えるが、どこからどう見ても他者への対抗意識だったり、自意識過剰のこじらせ過ぎだったりするのだ。ワイドショーに出てくるような底浅い評論家の好きそうなタームを使えば「自己承認欲求」である。

本作のテーマもそれである。かといって、どうやってそれを満たすかではない。それを満たすのは簡単なことである。過激なことをして注目を浴びればよい。実際に、冒頭数分でシドニー(エミリー・リード)というチアリーダーがフットボールの試合で生尻を披露する。彼女はプレーヤーとしてプレーをしていたに過ぎない。それはNerveというゲームのウォッチャー(有料視聴者)によってdareされたものだったからだ。詳しくは Truth or Dare でググって欲しい。要するに、アングラサイトに有料でサインアップして、YouTuberのような連中にdareをする。そのdareをプレーヤーがコンプリートできれば、難易度に応じて賞金が支払われる。そんなゲームにひょんなことから参加を決意したのがヴィー・デルモニコ(エマ・ロバーツ)だった。ニューヨークのスタテン・アイランドから出たこともなく、兄を亡くした反動から娘をメインランドの美術大学に送り出せず、引き留めてしまう子離れできない母親(ジュリエット・ルイス)と暮らしていたが、好きな男に間接的にふられてしまったこと、その引き金になったのが自分を取り巻きのように扱っていたシドニーだったことから、一瞬やけくそになってしまう。そんな瞬間にNerveに登録して、見知らぬ男と5秒キスすることで100ドルが振り込まれてきた。そのキスの相手の男イアン(デイブ・フランコ)もたまたまNerveのプレーヤーで、ウォッチャーたちは二人の過激なプレーを要求するようになり、手軽に振り込まれてくるカネに目がくらんだ二人は、ゲームをプレーし続けるのだが・・・

的中するかどうかは別にして、結末を予測するのは容易い。Nerveのようなアンダーグラウンドのゲームが当局の目をかいくぐって存在し続けるのは不可解であるし、ウォッチャーから集めたカネをプレーヤーに瞬間的に分配するのはまだしも、物語が進むと、Nerveの管理者(と思しき者)がプレーヤーの銀行口座からカネを抜き取っていくのも描写される。こんな犯罪集団というか、実際に犯罪を強く教唆するようなリクエストがアングラネットゲームとはいえポンポン飛び出すような場所を、ネット先進国の一つアメリカ様が放置しておくとは思えない。だが、そこは巨大予算の映画ではないので無視しよう。深く考えると楽しめるものも楽しめない。しかしNerveというゲームのシステムそのものは非常にリアリスティックだ。野尻抱介の小説『南極点のピアピア動画』だったか、優れたネット動画コンテンツに対して「カネ払えない詐欺」のような描写があったと記憶している。確かにYouTubeのような動画共有サイトには、有料にできるのではないかと思うコンテンツも数多く存在する。まあ、そうした動画のクリエイターは広告でとんでもない額を稼いでいることがあるということが、昨今の春・夏のネトウヨBAN祭りなるムーブメントで満天下に示されたわけだが、それでも優良ゆえに有料化できそうなコンテンツはまだまだたくさん埋もれている。一部の本格的なYouTuberはペイトリオンに引っ越しつつあるようだが。

Back on track. おそらくほとんどの人は同じシチュエーションに置かれた時、ウォッチャーの方を選ぶだろう。なぜなら匿名のままでいられるからだ。しかし、その部分が深く抉られるとしたら?コンテンツを楽しみたいという欲求から傷害や人死にまで出る事態になった時に、自分はそこことをどう受け止めるのか。匿名であることから、自分のせいではないと開き直れるのか。ゲームをプレーするように促していただけだと自分を納得させられるのか。このあたりは本当に難しい。なぜなら Truth or Dare という実際に人々に親しまれているゲームのダークサイドを抽出して、ある意味で最も未成熟なネットユーザーたちがそれに晒された時、こうした事態が起こるのは容易に想像できる。動画の視聴者数や再生回数を競ってアホな行動に走り、お縄を頂戴する羽目に陥る愚か者たちを我々はすでにたくさん見てきているではないか。プロットそのものは陳腐というか破綻しているところもある。色々な意味で力になってくれるnerdの友達を主人公があっさり捨ててスリルを求めてNerveのプレーヤーとone night standに走ってしまうところなど、男に振られた反動にしても、酷過ぎるではないか。だが、そこには目をつぶらなければならない。繰り返すが、Nerveというゲームそのものは、『レディ・プレーヤー1』同様に、現実の延長線上にありそうな話だということで、ディテールさえ無視してしまえば存外に楽しめる、雨の日の暇つぶしにちょうど良い作品に仕上がっている。

主役を張ったエマ・ロバーツは高校生と言うには少し厳しいが、下着シーンも披露してくれるなど、文字通り体を張っていた。今後いくつか出演作をチェックしてみようと思う。また『ギルバート・グレイプ』のヒロインが今作の主人公の母親というのは、観終ってから映画.comを見ていて気がついた。どこかで見た顔だと登場シーンからずっと考えていたが、元気そうでなによりである。雨の日は映画観賞、雨の日こそ映画観賞である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アメリカ, エマ・ロバーツ, 監督:アリエル・シュルマン, 監督:ヘンリー・ジュースト, 配給会社:プレシディオLeave a Comment on 『NERVE ナーヴ 世界で一番危険なゲーム』  ―雨の日の暇つぶしに最適な一本―

『月に囚われた男』 -月という二面性の表象-

Posted on 2018年6月15日2020年2月13日 by cool-jupiter

月に囚われた男 65点

2018年3月10日 レンタルDVDにて観賞
出演:サム・ロックウェル ケビン・スペイシー
監督:ダンカン・ジョーンズ

この5年だけでも、人類の月に関する知識やイメージはどんどんと再構成されていっている。月の空洞、月の発光現象、月の誕生にまつわる仮説(ジャイアントインパクト説が書き換えられる日もそう遠くなさそうだ)、極地の氷の存在・・・ 月は最も身近な天体にして、いまだにその正体がよく分かっていない地球の兄弟姉妹、もしくは子どもなのだ。しかし、月に関して確実に分かっていることもいくつかある。大きさや質量、その組成などだ。非常に興味深い事実、または常識として、月は常に地球に同じ麺を向けている。自転と公転の周期が一致しているとも言えるが、とにかく地球から月の裏側が決して見えない。月には隠れた領域がある。つまり、月は二面性の象徴である。これが本作のテーマであろうと思う。

サム・ロックウェル演じる3年契約の派遣労働者サム・ベルは月面基地に住みながら、黙々と資源採掘と地球への輸送業務に従事していた。相棒は人工知能のガーティ(声はケビン・スペイシー)。ところがある日、事故に遭い、気がつくと自分と瓜二つの男が基地内にいる。あいつは俺なのか・・・?

 この謎そのものはそれほど長く引っ張られるわけではない。恩田陸の小説『月の裏側』みたいな精神的・心理的なホラー展開も無いので、そちら方面に耐性の無い方でも楽しむことができる。ただ、何を以ってホラーと呼ぶべきか、その定義は曖昧模糊としていることは認めなければならないが・・・

月というある意味では究極の極限環境に独り。そこに現れた異物が自分だったら?人は人と分かり合えなかったり、傷つけあったり、それでも良好な関係へと改善させていったりということができるが、相手が自分なら?自己と非自己の境目はどこにあるのだろうか。主に西洋哲学が二千年に亘って発し続けてきた問いである。目に見えているもの、感覚が捉えられるものの向こう側の領域、それを《超越》と哲学では呼ぶが、この映画はまさに超越の領域がどんどんと顕わになってくるその過程に真髄がある。見えなかったものが見えてくる。それこそまさに「月」の《表象》だからだ。

そこに人工知能のガーティの存在である。今年で製作50周年記念の『2001年宇宙の旅』を思い浮かべずとも、我々は人工知能が決して協力的な存在ではないことを知っている。しかし、この映画のガーティは、ケビン・スペイシーの非常に抑えた Voice acting の効果もあり、非常にユニークな、もっと言えば親しみを感じる、融通が利くキャラクターとして、卓越した存在感を発揮する。我々が知覚できない人工知能の奥底の領域でどのような演算が働いたのか、ガーティの言動に我々は人間らしさを見出す。月面に存在する機械の人間らしさと、地球でのうのうと暮らしている生身の非人間性。その鮮やかな対比は、二人のサム・ベルの対立と協力よりも、圧倒的に衝撃的に個人的には感じられた。

この映画の欠点というか、創作品全般に言えることだが、もっと受け手を信用してほしい。エンディングのあのナレーションなどは完全に不必要、蛇足だ。哲学的な思考を促す作品だからといって、その観賞者が必ずしも浮世離れしているわけではない。そこだけが少し残念な、SFの佳作である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, SF, イギリス, ケビン・スペイシー, サム・ロックウェル, 監督:ダンカン・ジョーンズ, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンタテインメントLeave a Comment on 『月に囚われた男』 -月という二面性の表象-

図書館戦争

Posted on 2018年6月9日2020年2月13日 by cool-jupiter

図書館戦争 75点

2013年 大阪ステーションシネマ、WOWOWおよびDVD観賞
出演:岡田准一 榮倉奈々
監督:佐藤信介

有川浩原作の小説を映画化した、これはでありながらも、ある種のノンフィクションの色彩をも帯びている。”正化”という元号の時代も三十年を数える頃、メディア良化法案という法律が成立した日本社会で、メディア良化隊なる実力行使部隊が、書店や図書館、インターネット空間をも検閲の対象にしていた。それに対抗していた図書館の一つが、謎の襲撃を受け、多数の民間人の命と甚大な数の本が失われた。まさに現代の焚書坑儒である。それに対抗すべく、図書隊が設立され、条件付きながらも火力を有し、検閲に対抗していた。そこには笠原郁(榮倉奈々)とその教官、堂上篤(岡田准一)も所属しており、日々、戦闘訓練に励んでいた。

ここまで書けば、完全にファンタジー小説の映像化であるが、なぜこれがSF、そしてノンフィクションたりえるのか。作家の新城カズマは、SFとは「人間と文明全体を接続する」と定義している(『 われら銀河をググるべきや―テキスト化される世界の読み方 』)。文明が、その最古にして最大の産物たる書物を抑圧する方向に向かう時、人間はどう振る舞うのか。それを本作品は描いている。書物という人類の叡智の集積の象徴を守ろうとする者と、公序良俗の維持という美名の元、銃火器を振り回す者、そしてそうした抗争に無関心な大部分の一般大衆とに。書物、そして広く表現を抑圧することは、世界史においては常だった。それを乗り越えたことが近代の黎明で、グーテンベルクの活版印刷術の発明はその曙光だった。その啓蒙の文明を抑圧する物語。これがSFではなくて何なのか。

そもそもの図書隊設立の発端は、「日野の悪夢」と呼ばれる図書館襲撃事件だった。有志の民間人団体が図書館員および図書館利用者を射殺し、図書を丸ごと火炎放射器で焼き払ったのである。そして警察は動かなかった。これだけで、いかに現実の日本社会と乖離しているのかが分かるのだが、この物語は単純に、図書隊=善、メディア良化委員会=悪、という善悪二元論に還元されるわけではない。作中で堂上が言う「俺たちは正義の味方じゃない」という台詞はその象徴である。我こそは正義であると信じて疑わなくなる時、人は道をたやすく踏み外す。これは歴史が証明するところである。

キャラクターたちは思想の自由を守るために戦うのだが、それは相手も同じ。信じる道が異なるだけで、信じる心そのものは否定はできない。だからこそ不条理に思える戦いにも身を投じることができるのだろう。絶対に自分では参加したくないが。また思想が著しく制限されかねない世の中に生きるからこそ、どこまでも個人に属する感情、恋愛感情もより一層美しく描写することに成功している。

それにしても佐藤信介監督というのは、武器がよほど好きなのだろうか。フェチ的なカットや思わせぶりなズームイン&アウトを戦闘シーンで多用するが、その一方でディテールの描写に弱いところもある。一例は、嵐の中での野営キャンプシーン。画面手前の木の枝やテントは強風に煽られていても、画面奥の木々やテントはほとんど無風状態。これははっきり言って頂けない。が、そのことが物語のテーマを棄損するわけでもないし、作品の価値を減じるわけでもない。

「本とは歴史であり、真実である」と図書隊司令(石坂浩二)は言う。「読書は個人の思想であり、個人の思想を犯罪の証拠とすべきではない」とも述べられる。公文書の改竄という重大犯罪が、その背景もよくよく解明されないままにうやむやにされ、共謀罪なる、公権力の恣意で市民を逮捕することも可能になりかねない法案が通過する現代にこそ、もう一度見返されるべき良作である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, SF, アクション, 岡田准一, 日本, 榮倉奈々, 監督:佐藤信介, 配給会社:東宝Leave a Comment on 図書館戦争

レディ・プレイヤー1

Posted on 2018年5月30日2020年1月10日 by cool-jupiter

レディ・プレイヤー1 55点

2018年4月22日 東宝シネマズなんばにて鑑賞
主演:タイ・シェリダン ハナ・ジョン=カーメン
監督:スティーブン・スピルバーグ

  • 本文中でネタバレに触れるところは白字で表示

正気とは思えないほどの量のカメオが散りばめられて、あるいは堂々と扱われている映画であるということは、すでにあらゆるメディアで喧伝されている。どこにどんなカメオが出ているのかも、すでに語りつくされている感がある。なので、ここでは作品のプロット紹介や分析は極力行わず、素直に自分の感想のみを語りたいと思う。

まず思うのは、この映画は決してスピルバーグのイマジネーションが爆発してできた作品ではないということ。おそらくEve Onlineのようなゲームがさらに発展すれば、成功するかどうかは別にして、このようなゲームシステムが現実のものになることは想像に難くない。あれほどの数の人間がその世界にどっぷりハマるかどうかは別として、『マトリックス』のように現実世界かマトリックス世界か瞬時に見分けがつかないような“世界”がそこにあるのであれば、そちらを住処にしてしまう廃人は一定数は出現するのは間違いない。ゲームの世界で情報や貨幣をやりとりし、さらには現実世界と同等か、それ以上の人間関係の構築も実際には起きるだろう。友情や恋愛感情がネット上でも生まれてしまうように。

オアシス創始者のジェームズ・ハリデーについて。あれだけ詳細な彼の言動に関する資料、データベースがあれば、エッグ探しはもっと前に誰かが終わらせていたと思うのだが・・・ 現時点のインターネット上でも時々恐ろしくなるほどの短時間で問題解決が為されることがある。それは集合知によるもので、その最たる例がWikipediaだろう。Wikipediaの最大の貢献は、知識・情報を広範囲にカバーしているところではなく、関連する知識や情報同士のつながりが、ネットのハイパーリンクという有機的な形で結実したことだと考える。Wikipediaの記事を読みながら、いつの間にか関連の薄い記事まで読んでしまっていた、という経験は多くの人が持っていることと思う。オアシス並みに深く潜れて、なおかつ情報を有機的にやりとりできる空間であれば、あのレースの攻略はもっと先に誰かが見つけていなければおかしいと感じたし、それこそアクシデント的にギアを入れ間違えていた、というプレーヤーがこれまで誰もいなかったということにも違和感を覚えた。

とはいえ、そんなことを言い始めたら、あらゆる映画のあらゆるご都合主義に文句をつけなくてはいけなくなる。この映画はゲーム、漫画、小説、アニメ、音楽のごった煮をどれだけ楽しめるかが肝である。もちろん無数にあるカメオ要素を抜きにしてもよく出来たエンターテインメントであると評価できるが、スピルバーグの意図がそこではなく、あくまでも自分にインスピレーションを与えてくれたもの全てを使って映画を作りたかった、ということであれば、そこを評価しないというのはフェアではない。

何から語れば良いのか分からないので、最も興奮した場面のことを。ハイライトは何と言ってもガンダムとメカゴジラの対決だろう。ゴ◯ラは権利関係で出せないと最初から分かっていたが、まさかまさかのメカゴジラ。しかもメカゴジラのVer.06~07か?こんな夢の対決が大スクリーンで見られるとは!! 2020年の怪獣対決前にこんなプレゼントがもらえるとは思っていなかったので、これは嬉しい不意打ち。観るつもりはなかったけれど、『ランペイジ 巨獣大乱闘』も見てみるか。

最後にどうしても、この点だけには触れておかねばならない。ウェイド、サマンサらが最後に下す決断は現実的な意味と“現実”的(世界と“世界”の対比で考えてほしい)な意味で正しく尊い。だが、その現実世界のサマンサ=オアシス内での無敵、万能の象徴にも見えるアルテミスが、何故いきなり典型的な女の子として描かれてしまうのか。かつて庵野秀明はエヴァンゲリオンを通じて「現実を受け入れろ」と迫って来た。それはヒロインに拒絶されろ、ということ。究極的には人間は現実世界で生きるしかない、というメッセージだったのではなかったか。だからこそ庵野が描いたゴジラ世界はリアリズムを徹底的に追求したのではなかったか。スピルバーグは、仮想世界のキャラクターは、当人の人格そのものではないという考え方なのだろうか。ゲーム世界の富を現実世界に還元出来うるという考え方が行き渡った“世界”が確かにそこにあり、大企業もそこに参加している“世界”なのだから、当然と言えば当然なのかもしれないが、仮想世界と現実世界があまりにもシームレスにつながっていることに強い違和感というか拒絶の感覚を覚えたのは果たして自分だけだろうか。オアシスに対して加えた重大な変更が意味を持つのは、果たして誰にとってなのだろうか。そういったことを考えると、ブログで好き勝手に書いている自分と、現実世界に生きている自分は、果たして同じ人間なのだろうか、という思考のループに囚われてしまった。

スペクタクルとして観れば80点超を与えられるが、哲学的に考察した時にどこか釈然としない部分が残る。総合的に判断して55点か。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アメリカ, タイ・シェリダン, 監督:スティーブン・スピルバーグ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on レディ・プレイヤー1

『 モーガン プロトタイプ L-9 』 -父親殺しの失敗作-

Posted on 2018年5月20日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:モーガン プロトタイプ L-9 40点
場所:2017年8月 レンタルDVDにて自宅観賞
出演:アニャ・テイラー=ジョイ ケイト・マーラ ミシェル・ヨー
監督:ルーク・スコット

巨匠リドリー・スコットの息子ルークの監督作品、となればある種の期待と一抹の不安を抱いて観賞に臨まざるを得ない。ましてテーマが人工生命。人工知能をいきなり通り越して人工生命ともなれば、そこで描かれる物語は、倫理、技術、文化、文明、政治、経済などを何かしらの形で反映させていなければならない。ちょうど『エイリアン』の世界では、超長距離貨物宇宙船が現代の貨物船ぐらいのノリで描かれていたように、人工生命の前段階にあるであろう、ロボットや人工知能についてもある種の説得力を以ってその存在を示唆してくるであろうと予想していた。そしてその予想は裏切られた。父を殺そうとして失敗する息子は大洋の向こうにもこちら側にもいるものである。

はっきり言って、出てくるキャラの行動が全て不可解すぎる。特に主役の人工生命モーガン(アニャ・テイラー=ジョイ)と面談セッションを持つ男性があまりにも非合理的で、モーガンが危険であるというよりも、モーガンというプログラムにバグを人為的に生じさせるのが狙いなのかと勘繰ってしまうほどだった。

SFサスペンス、もしくはSFスリラーの趣を漂わせながら進んで行くのが、ある時点からSFアクション映画になってしまうのも残念なところ。この手の失敗の最大級の見本としてはトム・クルーズ主演の『ザ・マミー 呪われた砂漠の王女』が挙げられる。元々はホラーであることが期待されていたはずが、開始2分でアドベンチャーを予感させ、その1分後にはアクション物になり、ようやくホラーの雰囲気が漂ってきたところでコメディ要素を放り込み、中盤から終盤にかけてははモンスター映画になるという、まさに軸が定まらない話だった。

本作はそこまで迷走はしていないものの、観る者が抱く予感を悪い意味で裏切ることが多い。また副題にもう少し細工を凝らしても良かったのではないか。普通に考えれば、プロトタイプL-1からL-8はどこに行った?となるだろう。

色々と酷評してしまったが、光る部分もある。それはやはりアニャ・テイラー=ジョイ。元々は『スプリット』を劇場観賞して、驚天動地のエンディングに打ち震えたのだが、結末と同じくらいアニャ・テイラー=ジョイの演技にも感銘を受けたし、将来性も感じた。無邪気でなおかつ残酷さも秘める少女から、弱さと強かさを同居させるキャラまで演じてきたが、なかなか二面性のある役というのは演じ切れるものではない。それをキャリアの若い段階でこれほど立て続けにオファーが来ているというのは、やはり業界でも注目の若手として高く評価されているのだろう。今後も応援をしていきたい女優である。というわけで、本作はアニャ・テイラー=ジョイのファンにだけお勧めできる映画である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アニャ・テイラー=ジョイ, アメリカ, 監督:ルーク・スコット, 配給会社:20世紀フォックスLeave a Comment on 『 モーガン プロトタイプ L-9 』 -父親殺しの失敗作-

『 いぬやしき 』 -人間の在り方、命の使い方を追窮する-

Posted on 2018年5月17日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:いぬやしき 65点
場所:2018年5月4日 大阪ステーションシネマにて観賞
主演:木梨憲武 佐藤健
監督:佐藤信介

30代後半~40代前半ぐらいの客層は、ほぼ無条件にこの映画の木梨に同情、共感できると思われる。なぜなら、その世代が小学生~中学生ぐらいの頃がとんねるずの全盛期だったからだ。それが、このような絵に描いたように落ちぶれたサラリーマンを演じていることに、軽い衝撃を受ける人も多かろう。そして佐藤監督はまさにその効果を狙っている。

対するは佐藤健。28歳にして、テレビドラマでも映画でも高校生役を無理なく演じることができる役者で、漫画原作の映画でも上手くキャラを作り、キャラを表現できるということは『 るろうに剣心 』で証明済みだ。本作でも高校生にありがちなニヒルさとある種の無邪気さを同居させ、ある時は母親思いの良き男の子、ある時は無味乾燥なターミネーターとして、人間性と非人間性の狭間を自在に行き交っていた。木梨と佐藤のコントラストだけでも、この映画は成功していると言える。

本作のテーマはHumanity=ヒューマニティ、つまり人間性である。人間を人間たらしめるもの、それは何か。もちろん人間としての肉体を持つことではない。人間の形をした悪魔は時に実在するからだ。では、人間を人間たらしめる条件とは何か。本作はそれに愛を挙げている。母親への愛、娘への愛、異性への愛、様々な愛の形が存在するが、特に最初の2つの愛がフォーカスされている。これは特に新しい問題提起でも何でもない。このテーマを追求した傑作に『 第9地区 』(主演:シャールト・コプリ― 監督: ニール・ブロムカンプ)という先行作品がある。興味のある向きは是非参照されたい。

本作のもう一つのテーマは「生きる」ということ。「生きる」とはどういう意味か。もちろん肉体が生命活動(呼吸など)を行っている、という意味ではない。ある命が、そのエネルギーを正しい方法で使用することを「生きる」と定義づけられるのではないか。その証拠に、我々は使命を果たした時にイキイキするではないか。大きな仕事を完成させて、家でひとっ風呂を浴びる、その後に冷えたビールを飲んだ時に「生き返った」と感じた経験のある人は多いはずだ。それは、我々は使命を果たした、つまり命を正しく使ったからに他ならない。

この作品は、観る者に「どのように命を使うのか」を問いかけてくる。殺戮マシンと化した佐藤の生き方に共感しても全くおかしくはないし、命を救うことに生き甲斐を見出した木梨を応援してもいい。観る者の心を激しく揺さぶる力を持った映画で、性別、年齢を問わず、幅広い層にお勧めできる良作である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, SF, 佐藤, 佐藤健, 日本, 木梨憲武, 監督:佐藤信介, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 いぬやしき 』 -人間の在り方、命の使い方を追窮する-

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