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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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『 ターミネーター ニュー・フェイト 』 -アクション○、ストーリー×-

Posted on 2019年11月13日2020年4月20日 by cool-jupiter
『 ターミネーター ニュー・フェイト 』 -アクション○、ストーリー×-

ターミネーター ニュー・フェイト 50点
2019年11月9日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:リンダ・ハミルトン アーノルド・シュワルツェネッガー マッケンジー・デイビス ガブリエル・ルナ
監督:ティム・ミラー

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T2の正統的な続編であると散々喧伝されてきた。Jovianは『 ターミネーター 』を親父の持っていたVHSで小5ぐらいに観た。『 ターミネーター2 』は小6の夏休み明けに家族で劇場で観た。両作とも文句なしに傑作だった。では本作はどうか。Twitter界隈や多くの海外レビューにある通り、『 スター・ウォーズ/フォースの覚醒 』そっくりであった。

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あらすじ

審判の日は回避された・・・はずだった。しかし、メキシコに暮らすダニー(ナタリア・レイエス)の元にターミネーターREV-9(ガブリエル・ルナ)が未来から襲来。また、それを阻止すべく強化人間のグレース(マッケンジー・デイビス)も未来からやってくる。さらに追い詰められた彼女らの元に、サラ・コナー(リンダ・ハミルトン)が姿を現し・・・

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ポジティブ・サイド

20世紀FOXがまたやってくれた。『 ターミネーター2 』のサラの狂気溢れる語りが、製作・配給・提供会社らのロゴを交えたオープニングシーンと混ざり合い、何とも不思議な感覚を生み出している。『 ピッチ・パーフェクト ラストステージ 』や『 ボヘミアン・ラプソディ 』、『 アリータ バトル・エンジェル 』など、オープニングから物語世界へとシームレスに移行していく試みは歓迎したい。ディズニーのやり方に思うところが無いわけではないが、『 スター・ウォーズ 』の世界観を壊さないオープニングや、20世紀FOXのオープニングの工夫を尊重してくれていることは素直にありがたい。

 

冒頭の若いサラとジョン、シュワちゃん演じるターミネーターのシーンは、最初はT2本編からの削除シーンをあれこれといじくったのかと思ったが、体は別の役者、顔だけCGで貼り付けたという。まるでT4のようであるが、これはこれでありだろう。全ての映画で『 ジェミニマン 』的な手法を取り入れては、カネがいくらあっても足りない。

 

今作はアクション開始までの時間が短い。あれよあれよとREV-9の襲撃とグレースの護衛ミッションが始まる。そのアクションはT3以上である。ボディの一部を刃物状に変化させるのは新型ターミネーターのお約束になりつつあるが、そのターミネーターとのチャンバラ的にやり合う序盤と終盤のシークエンスは手に汗握ること請け合いである。またクレーンに吊るされたT-800がビルに叩きつけられのとは違い、グレースは強化人間である。つまり、傷=ダメージである。そのことがアクションシーンに更なるサスペンスを生み出すことに成功している。

 

そして何と言ってもリンダ・ハミルトン、そしてアーノルド・シュワルツェネッガーとの再会には感慨深いものがあった。それはまるで『 スター・ウォーズ/フォースの覚醒 』でハン・ソロが“Chewie, we’re home.”と呟く瞬間であったり、もしくはキャリー・フィッシャーの登場に合わせての“Prince Theme”の流れる瞬間であったり、ルークの登場シーで流れる“The Force Suite”だったり、あるいは『 クリード 炎の宿敵 』のトレーラーがDragoというネーム入りのガウンを見せた瞬間、もしくは『 ブレードランナー2049 』でデッカードが登場した瞬間のような、ノスタルジックな気持ちにさせてくれた。特にリンダ・ハミルトンは、戦う姫のプリンセス・レイア、戦う航海士リプリーと並んで、戦う母親像を本作でさらに solidity したと言える。そしてマッケンジー・デイビスの華麗なる変身の何と見事であることか。『 タリーと私の秘密の時間 』でも素晴らしい余韻を残してくれたが、今作では女戦士として見ごたえあるアクションを披露してくれた。

 

全体的には、ノスタルジーに浸るには良い作品に仕上がっていると言えるだろう。

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ネガティブ・サイド

まず、製作総指揮のジェームズ・キャメロンは何をやっているのか。あまりにも過去の作品からのアイデアの流用が多すぎる。と同時に、シリーズの原点を見失ってしまっているようにも感じられる。

 

まずターミネーターという悪役にしても味方にしても味のあるキャラクターの最大の恐怖であり魅力は、文字通り「鉄の意志」で任務を遂行しようとする姿勢にある。T2のターミネーターにあった融通の利かなさ、それは例えばジョンに「片足を上げろ」と言われて、いつまでも上げ続けるところや、「人間を殺さない」という誓いを立てた次の瞬間に発砲し、慌てふためくジョンに「死なないよ(He’ll live.)」と事もなげに言い放つところが、ターミネーターの見た目は人間でも中身はロボットという事実をこの上なく物語っていた。そうしたキャラが涙の意味を理解し、従容としてthumbs-upをしながら溶鉱炉に沈んでいくからこそ、感動が生まれたのではないか。本作はそうしたT-800の魅力の半分を奪い取ってしまっている。メカメカしかった動きをすることなく、犬がなつくT-800には激しい違和感を覚えた。スカイネットが自我に目覚めるならば、T-800が自我に目覚めてもおかしくはない。理屈の上ではそうだが、あまりにも現代的なメッセージを無理やり詰め込んだようにしか思えなかった。そもそもこのT-800ネタもT3から来ている。

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いや、冒頭の工場でのバトルからその後のカーチェイスまで、T1、T2、T3で観たアングルやショットのオンパレードである。オリジナルな要素があまりにも少ない。そもそもREV-9というターミネーター・モデルにしても、T3のクリスタナ・ローケンと『 ターミネーター:新起動/ジェニシス 』でのMRIとターミネーターの構図が元ネタであることは想像に難くない。というか、ここまで過去作のモチーフを取り入れるのなら、なぜ味方キャラのいずれかに変身・擬態しないのか。ジェネシスですでにやった?ここまで二番煎じを恥じる必要はないだろう。そもそもジェニシスでも一番盛り上がったのは若アーノルドと老アーノルドの激突だった。ここまで過去作へのオマージュを散りばめるのなら、徹底してやるべきだった。REV-9へのトドメもT3のネタをほぼそのまま流用していたので、尚更にそう感じる。

 

ストーリー上の齟齬も散見される。ダニーとグレースに「あんたらは現代を知らない」と一喝しておきながら、ドローンや衛星を考慮に入れないサラ・コナーに喝!『 デスノート Light up the NEW world 』ではないが、細心の注意を払うのならばサングラスにマスクぐらい着用しろと言いたい。それに、二体に分裂するターミネーターの片方にバズーカを一発命中させたぐらいで余裕かまして“I’ll be back.”はないだろう。呑気すぎるし、あまりにも緊張感に欠ける。この決め台詞はもっと別の場面に取っておくべきだった。

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強化人間グレースに弱点を設定する意味もない。設定するならば梅原克文の小説『 二重螺旋の悪魔 』の神経超電導化のような超反射神経、超運動神経、超回復力で、エネルギー効率が超絶悪い=すぐに水分および栄養分不足に陥るぐらいでよかったのではないか。せっかくの女性版カイル・リースなのだから、人間の人間的な部分、ターミネーターと根本的に異なる部分を前面に押し出すべきだっただろう。中途半端な改造強化人間にしてしまったせいで、T4のマーカス・ライトが反転したようなキャラになってしまった。

 

あとはシュワちゃんがたんまり溜め込んだ武器の使いどころがない。T2で、サイバー・ダイン社の爆破時にT-800が警官隊をサラが収集していた武器の圧倒的な火力で蹴散らしたようなシークエンスを期待したが、それも無し。このシリーズの様式美として、圧倒的な火力の放出があるのだが、それが不十分だった。アクションは足りていた。火力が足りなかった。

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総評

期待にしっかりと答えてくれている面とそうでない面が両極端に綺麗に分かれている。ド派手なアクションを期待する向きにとっては最高の作品だろう。だが、これは凡百のアクション映画ではない。ターミネーターなのだ。シリーズの定跡や様式美を受け継ぐことは当然のこととして、T1やT2を超えてやろうという気概こそが求められていたはずだ。結果としてそれが成し遂げられなくても構わない。そのチャレンジ精神は観る者に伝わる。だが、本作はティム・ミラー監督とジェームズ・キャメロンのケミストリーが、良くない結果につながっているように感じられる。

 

Jovian先生のワンポイントスペイン語レッスン

Vamos.

スペイン語で頻繁に用いられる言葉。英語にすると“Come on.”であったり、“Let’s go.”だったりする不思議な表現である。リーガ・エスパニョーラ、あるいはメキシコのボクシングを観戦するという人ならば、馴染みの深い言葉だろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アーノルド・シュワルツェネッガー, アクション, アメリカ, ガブリエル・ルナ, マッケンジー・デイビス, リンダ・ハミルトン, 監督:ティム・ミラー, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ターミネーター ニュー・フェイト 』 -アクション○、ストーリー×-

『 IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。 』 -もっとホラー要素を強化せよ-

Posted on 2019年11月4日2020年4月20日 by cool-jupiter

IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。 50点
2019年11月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ビル・スカルスガルド ジェームズ・マカヴォイ ジェシカ・チャステイン 
監督:アンディ・ムスキエティ

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前編の『 IT イット “それ”が見えたら、終わり。 』はまあまあ面白いホラーだった。全編を子ども時代にしてしまうことで、テレビ映画の欠点だった誰が大人になれて、誰が大人になれないのかを、分からないようにしたのは大胆な改変だったが、正解だった。それでは続編の本作はどうか。こちらが行った大胆な改変は、不正解ではないにしろ、正解とは言い難いものである。

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あらすじ

ルーザーズ・クラブがペニー・ワイズ(ビル・スカルスガルド)を撃退してから27年。デリーには再び不穏な気配が迫りつつあった。そして「イット」の再来を確信したマイクは、ビル(ジェームズ・マカヴォイ)やベバリー(ジェシカ・チャステイン)らに連絡を入れる。ルーザーズ・クラブの面々はデリーで再会を果たすが、そこにはメンバーが一人欠けており・・・

 

ポジティブ・サイド

アラフォーになったルーザーズ・クラブの面々がどのように「大人」になったのか、その描写が端的で素晴らしい。お堅い仕事に就いている者もいれば、安定しているとは言えない仕事に就いている者もいる。結婚している者もいれば、独身の者もいる。しかし、誰もハッピーには見えないし、誰も子どもを持っていない。つまりルーザーズは、どこかでまだ大人に成り切れていないのだ。そのことを下手な説明的な台詞を一切入れずに、映像とナチュラルな会話だけで描き切った導入部は、続編の始まり方としては白眉だろう。

 

キャスティングも良い。ジェームズ・マカヴォイやジェシカ・チャステインといった実力派はもちろんのこと、子役らと顔の作りがよく似た大人を適宜に配置できている。特にエディを演じたジェームズ・ランソンは始めはジェイク・ジレンホールに見間違えた。子役と大人役がスムーズにつながることで、観る側も続編に違和感なく入って行くことができる。このキャスティングも成功である。

 

ペニー・ワイズの見せる恐怖の幻影は本作でも様々な形を取るが、個人的に最も印象に残ったのはベバリーが出会い、会話をする老婆。この老婆が画面の隅っこで見せるわずか1秒のアクションが本作で最も恐怖を感じられるシーンであった。惜しむらくは、この老婆をトレイラーに出してしまっていたこと。観る前から「ああ、このお婆さんも幻影なのだ」と分かってしまっていた。それが無ければ、もっと鳥肌が立っただろうにと感じた。誠に惜しい演出である。

 

それなりに怖いと感じたのは、バワーズが見るかつての悪友の姿。一瞬だけ怖かった。またベンが思い出の品、トークンを取りにいく場面で見る幻影もそれなりに恐怖感を催させてくれた。自分の心の最も美しい部分と自分の心の最も弱い部分が重なるところを攻めてくるペニー・ワイズはなかなかの逆心理カウンセラーだなと思わされた。

 

原作小説にもテレビ映画にもなかった要素として、ネイティブ・アメリカンのガジェットを追加してきたのは、アイデアとしては悪くない。事実、オーストラリアのアボリジニの伝承には、どう考えても数万年前のオーストラリアの生態系を指しているとしか考えられない内容があると『 コズミックフロント☆NEXT 』が言っていた。ペニー・ワイズの正体と起源に迫る上で、この着想は悪くなかった。

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ネガティブ・サイド

ホラー映画であるが、怖くない。これは致命的な欠陥である。本作が怖くない最大の理由は、ジャンプスケアの多用にある。もはや様式美と言っていい程にパターン化されたジャンプスケアには、辟易させられる。自分が監督でも、ここでこれをこうしてああするだろう、という展開のオンパレードである。ホラー映画ファンを唸らせるシーンは数えるほどしかない。

 

またビジュアルにも特筆大書すべきところはない。というよりも、どこかで見たような演出やクリーチャーの造形には心底ガッカリさせられた。パッと思いついただけでも『 遊星からの物体X 』や『 スコーピオン・キング 』、『 シャイニング 』に劇中でまさに上映中だった『 エルム街の悪夢 』など。名作へのオマージュだと言えば聞こえは良いが、これが監督や脚本家の想像力の限界なのだろうか。テレビ映画版を超えなければならない、2年前公開の前編を超えなければならない。そうした気概が空回りしたのなら、まだ許せる。しかし、この作り方では最初からモンタージュ的な映画を作ってやろうという風に開き直っていたようにしか感じ取れない。

 

色々とタイミングも悪いのだろう。『 キャプテン・マーベル 』で猫=ヤバい生き物という認識を映画ファンは新たにしたわけであるが、そこへポメラニアンを持って来ても、残念ながら意外性も驚きも恐怖もない。また社会の闇と自分の心の闇の両方に押し出されるようにジョーカーに堕ちて行ったキャラを我々はすでに『 ジョーカー 』に見た。大人の構築した社会の網目から外れた部分で活動する子どもたち、なかんずくルーザーズの面々が自らのトラウマを刺激されながらも、それを乗り越えていく様は勇ましく、美しい。けれども、恐怖が本当の恐怖たり得るのは、それが自分の身に起こってもおかしくない時である。そうした意味で、『 ジョーカー 』は自分の心にある闇を抉り出してくれた。自分は本作にホラー映画要素を過大に期待していたのだろうか。この続編にして完結編は、『 グーニーズ 』や『 スタンド・バイ・ミー 』、『 ぼくらの七日間戦争 』、藤子不二雄Aの漫画『 少年時代 』のように、大人の目から見た子どもたちの奮闘記のように思える。そうした観点から鑑賞すれば本作は佳作である。しかし、ホラー映画としてはダメダメである。

 

原作にある (゚Д゚)ハァ? というベバリー絡みの展開は、本作でも採用されない。R15指定とは何だったのか。また黒人差別の要素を薄める一方で、性的マイノリティ、あるいは性的弱者の要素もカット。テレビ映画版のとあるキャラクターがある秘密を告白するシーンは、大人と子どもを分かつ非常に重要な要素に関することだっただけに、その部分をほのめかすだけでばっさりとカットしてしまった本作には喝である。

 

総評

筋金入りのホラー映画ファンを満足させる、あるいは納得させる作品ではない。それだけは言える。一方で、変則的な青春もの、大人たちによるジュブナイル物語だと思えば、そこそこのクオリティの作品に仕上がっているのではないか。大御所スティーブン・キング作品の映像化は当たり外れが比較的はっきりしている。本作は残念ながら外れ寄りの作品であるというのが私見である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

What did I miss?

 

直訳すれば「自分は何を見逃した?」だが、実際の意味は文脈によって異なる。『 ボヘミアン・ラプソディ 』で、クイーンのメンバーが郊外のスタジオで曲作りをしている時のディスカッションが言い争いに発展していく中、ラミ・マレック演じるフレディが遅れてやって来て開口一番に言う台詞がこれである。会議に遅刻した時には「どこまで話が進みましたか?」、映画や劇や漫才などの途中でトイレなどに言って帰って来た時に、連れに「なんか面白い展開あった?」などと言う時にもこれを使える。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, ジェームズ・マカヴォイ, ジェシカ・チャステイン, ビル・スカルスガルド, ホラー, 監督:アンディ・ムスキエティ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。 』 -もっとホラー要素を強化せよ-

『 ジェミニマン 』 -CGは一流、プロットは三流-

Posted on 2019年11月3日2020年4月20日 by cool-jupiter

ジェミニマン 40点
2019年11月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ウィル・スミス メアリー・エリザベス・ウィンステッド クライブ・オーウェン ベネディクト・ウォン
監督:アン・リー

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個人的にはウィル・スミスはB級SF作品で光を放つ俳優である。『 インデペンデンス・デイ 』しかり、『 メン・イン・ブラック 』シリーズしかり。『 アラジン 』はスルーさせてもらったが、B級SFの臭いをプンプンと漂わせる本作をスルーする理由は見当たらなかった。

 

あらすじ

ヘンリー(ウィル・スミス)は世界最高のスナイパー。高速列車に乗るバイオ・テロリストを射殺した時、引退を決意した。しかし翌日からDIAに命を狙われる。自身の監視役のDIAエージェントのダニー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)と共に逃亡を図るが。そこに立ちはだかったのは若き日の自分、クローン人間だった・・・

 

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ポジティブ・サイド

『 ライオン・キング(2019) 』のCGにも度肝を抜かれたが、あれは人間ではなく、動物たちだった。それでもCG技術の極致を見た思いがした。また『 ブレードランナー2049 』は2017年に公開され、その製作には1年半を要したというが、ポスプロの大部分はレイチェルをCGIで蘇られることに費やされたと言われている。それほど生きた人間のCGIを造ることは難しいとされてきた。にもかかわらず、本作は信じられないほどのハイクオリティで、若いウィル・スミスを生み出し、動かしている。テクノロジーの進歩もここまで来たかと唸らされた。美空ひばり復活プロジェクトが先日テレビで放映されていたが、故人をCGの形でスクリーンに蘇らせることが(技術的に)可能な時代が到来するのは時間の問題なのかもしれない。『 キャプテン・マーベル 』でサミュエル・L・ジャクソンの顔にデジタル・ディエイジングを施したのとは違い、ゼロからキャラクターを作れることの意義は大きい(問題は、モデルになった人間のギャラが発生するのか否かだろう)。

 

アクションは豪快で爽快である。コロンビアの建物内外での銃撃戦ではプロのスナイパーの機転と技を堪能できたし、バイクのチェイスシーンは『 ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション 』よりもハラハラドキドキさせられた。

 

クライブ・オーウェンといえば悪役にして黒幕、黒幕で悪役といえばクライブ・オーウェンというぐらいに、この男はワル役が似合っている。顔がナチュラルに悪人で、纏っているオーラも普通に邪悪さを感じさせるところは只者ではない。この男の出演作には傑作はないが、ハズレもない。作品の面白さを事前に測るバロメーターとして、個人的には重宝している。

 

ネガティブ・サイド

CGは一流である。しかし超一流とまでは評せない。なぜなら、最終盤の昼間のシーンで、明らかに若スミスがその場面に“溶け込んでいなかった”からだ。言葉で説明するのは難しいが、CGはどこまで行ってもCGに過ぎないのか。しかし、『 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー 』でタルキン提督が振り返った瞬間、Jovianは度肝を抜かれた。ということはCGのCGらしさが今作の最後の最後で目立ってしまったのは、本人(ウィル・スミス)がそこにいたからなのか。夜、あるいは照明の弱い場所では若スミスのリアリティも保たれていたが、最後の最後にそれが壊れてしまったのは興醒めだった。

 

バイクの追跡アクションは痛快だったが、若スミスがバイクを使って今スミスをボコっていくのはもはやギャグにしか見えない。いったいぜんたいどこの誰が、こんな技をクローン兵士に仕込むというのか。バイクの曲乗り技術を叩きこむぐらいなら、もっと他に有用な知識や技術を教え込めるだろう。せっかくのスリリングなバイク・チェイスが着地で失敗してしまっている。また、同シーンでは若スミスが最後に文字通りに消える。目を疑うかもしれないが本当に消える。

 

CGも佇んでいたり、歩いていたりするぐらいなら良いが、近接格闘となると途端に粗が目立つ。カタコンベでのド突き合いはリーアム・ニーソンの『 トレイン・ミッション 』のような非現実的なものだった。あるいは、『 ターミネーター 』のT-800のアニマトロニクスがカイル・リースをぶん殴っていくシーンのクオリティを極限にまで高めたとでも言おうか。つまり、どこまで行ってもリアルさに欠けるということである。

 

本作の最大の欠点はストーリーが非常につまらないことにある。大前提として、クローンの物語は小説、映画ともに星の数ほど生産されてきた。それらから引き出せる分類として

 

1.同一人物のクローンを多数作る

2.異なる人物のクローンを多数作る

3.オリジナルも実はクローンである

 

の三つが挙げられる。本作はクローンものとしてジャンルを壊す、あるいはジャンルを新たに生み出すものではなかった。

 

また、ヘンリーの戦友であるベネディクト・ワンのキャラクターがただのアッシー君でしかないところも大いに不満である。それにブダペストで出会うロシア側のエージェントも非常に思わせぶりな台詞を吐きながら、そのままフェードアウト。DIA内部の人間関係も描写されるが、それも至って中途半端。

 

最も納得が行かないのは、良心の呵責を持たない兵士を生み出したいという点だ。だったら、何故にクローンをオリジナルと対面させたりするのか。そうすることでクローン人間の内面にどういう変化が生まれるのか、シミュレーションができないのか。一つの可能性は、クローンがオリジナルを抹殺し、冷酷非情なアサシンに成長を遂げる。もう一つの可能性は、自らの出自や人生そのものに疑問を抱き、予想も出来ない行動に走ること。この点については『 ジュラシック・ワールド 炎の王国 』でも証明されている。家でも船でも飛行機でもミサイルを撃ち込んでヘンリーを殺す。その上で若スミスを着任させればシャンシャンではないか。“ジェミニ”を巡るDIAのお歴々のやっていることが全くもって意味不明であることが本作の致命的な欠陥になっている。

 

総評

ウィル・スミスのファン、あるいはB級SFをこよなく愛する人であれば劇場へGoである。しかし、ストーリーの整合性やリアリズムを重視する映画ファンに自信を持って勧められる作品ではない。安易なロマンス展開もないので、デートムービー向きでもないだろう。姉さん女房的な女性と付き合っているという幸運な若者男性なら、彼女同伴で鑑賞もありかもしれないが。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You’re better than that!

 

直訳すれば「お前はそれよりも良い」だが、実際は「お前はそんなダメな奴じゃない」ぐらいだろうか。家族の一員や友人、親しい同僚などが期待に応えられずにやらかしてしまった時に使われる台詞である。最も印象的なところでは『 ロッキー・ザ・ファイナル 』のロッキーの息子への叱咤だろう。このフレーズの使い方については、こちらの動画

www.youtube.com

を参照されたい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アクション, アメリカ, ウィル・スミス, クライブ・オーウェン, メアリー・エリザベス・ウィンステッド, 監督:アン・リー, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『 ジェミニマン 』 -CGは一流、プロットは三流-

『 マレフィセント2 』 -ご都合主義もほどほどにすべし-

Posted on 2019年10月30日2020年4月11日 by cool-jupiter
『 マレフィセント2 』 -ご都合主義もほどほどにすべし-

マレフィセント2 45点
2019年10月27日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アンジェリーナ・ジョリー エル・ファニング ミシェル・ファイファー
監督:ヨアヒム・ローニング

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『 マレフィセント 』は非常に時代に即した映画だった。異種の間で愛が育まれるのかという問いは、現代においてその重みを増すばかりだからだ。古いおとぎ話を再解釈する意義は確かにそこにあった。だが、続編たる本作はどうか。現代的なメッセージも盛り込まれてはいるものの、ご都合主義的なストーリーの粗が目立つ。

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あらすじ

ムーアの王女オーロラ(エル・ファニング)は、アルステッドの王子フィリップから求婚され、受諾する。アルステッド王妃のイングリス(ミシェル・ファイファー)はオーロラと彼女の保護者的存在であるマレフィセント(アンジェリーナ・ジョリー)を晩餐会に招待するが・・・

ポジティブ・サイド

CGは美麗の一語に尽きる。もちろんCGっぽさは何をどうやっても隠せないのだが、ムーアの民の活き活きとした暮らしぶりや、終盤のバトルシーンのグラフィックは実にハイレベルである。日本の白組あたりは、予算ではなく別の分野で勝負してほしい。ディズニーと物量勝負をしたら負ける。絶対に。

 

アンジェリーナ・ジョリーの代表作は『 60セカンズ 』と『 トゥームレイダー 』だと思っているが、代名詞的な作品は『 マレフィセント 』と本作『 マレフィセント2 』だろう。特にララ・クロフトはアリシア・ヴァイキャンダーという後継者が出現してしまった。しかし、マレフィセントの後継者はおそらく出ないだろう。ハリソン・フォードが「自分が死ねば、インディアナ・ジョーンズというキャラクターも死ぬ」と公言しているが、それと同じくらいにジョリーはマレフィセントにハマっているし、キマっている。まばたきをせず、抑揚を小さく、しかし腹の底に響いてきそうな迫力を持って話すマレフィセントという魔女は、特殊メイクではなくジョリーの演技力で生み出されているということがよく分かる。

 

エル・ファニングも可憐で、しかし芯の強いオーロラ姫を過不足なく体現しているが、本作で彼女以上の存在感を放ったのはミシェル・ファイファー演じるイングリス王妃である。権謀術数に長け、確かな戦術眼と軍の指揮能力も持ち、そして王妃と母親という仮面をかぶることができるというスーパーウーマンである。40年後のエル・ファニングも、きっとこのような大女優に成長するのだろう。各世代を代表する女優3名の共演は、非常に見応えのあるものだった。

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ネガティブ・サイド

晩餐会でジョン王が倒れるシーンのオーロラ姫に喝!!!何故にそこでマレフィセントを疑うのか。前作の感動的な展開は一体何だったのか。今作の冒頭で、屈託なくムーアの民と語らい、触れ合うオーロラ姫の姿を見て、我々は彼女がマレフィセントをはじめ、異形の者たちとも全く問題なく心を通い合わせることができる人間に成長したことを確認した。それが、婚約者に招かれた晩餐会でこのように豹変してしまうとは・・・ 言葉を失ってしまう。

 

マレフィセントにも喝!!!なぜ陰謀に倒れたジョン王に何でもいいから魔法で手を尽くさなかったのか。人間の話が字面通りにしか通じない、レトリックを解さないマレフィセントならば、自分に疑惑がかかっているという空気を読まずに、何らかの措置を講ずるのではないか。前作からのキャラが、強引なストーリー展開のためにぶれまくってしまっているのが残念でならない。

 

マレフィセントの種族が登場するのもご都合主義でしかない。終盤のバトルシーンをよりspectacularなものにすることが第一の目的にしか見えない。前作で種を超えた愛の成就を語っただから、今さら同種を持ち出す必要はない。語るとすれば、それは我が子の愛を成就させるために、我が子を手放すという愛の形だろう。

 

終盤のバトルシーンも迫力はあるが、説得力はない。闇の妖精たちには、斥候を放つという概念は無いのか。いや、「よろしい、ならば戦争だ」「戦争だ!」と意気込むからには、戦いの概念を有していることは間違いない。というよりも、人間に地下世界に追いやられたのも、戦闘に敗れたからだろう。なぜ自分よりも強い相手と戦おうという時に、正面突破を図ろうとするのか。それも、高射砲的な兵器で画面を彩りたかった脚本家や監督のご都合主義である。

 

マレフィセントの大変身も既視感ありありである。『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』のラドンを既に観た映画ファンには物足りないと感じられたはずである。そして、その後の戦闘の終結シーンもご都合主義の極みである。戦争や抑圧がどのような負の感情を生み出すのかは、韓国が日本に、ベトナムが中国に、イラクがアメリカに抱いている感情を慮れば理解できる。異形のマイノリティとも手を取り合うことができる、というアメリカの新しいイデオロギーをスクリーンに映し出したいのであれば、もっと説得力のある脚本が必要である。ヒューマンドラマだった前作に対して、本作はアクション作品になってしまっている。

 

総評

非常に評価の難しい作品である。エル・ファニングが出演しているだけで5~15点は加点してしまうJovianをもってしても、45点が限界である。とにかく物語にリアリティがない。おとぎ話には普遍的な真実の一端が含まれていなければならないが、それも無し。製作者側としては現代的な寓話にしたいのだろうが、それならば前作を子供向けに、本作を大人向けに作るべきだった。これではあべこべである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

One can never be too careful.

 

アルステッド女王の台詞で、確か字幕は「油断大敵よ」だった。直訳すれば、「人はどれほど注意しても注意しすぎることはできない」だが、そんな冗長な日本語よりも油断大敵という四字熟語の切れ味を買おうではないか。英語の学習者であるという方は、是非以下の英文を訳されたい。それによって貴方の勤務先がホワイト企業か、それともブラック企業かが判別できるだろう。

You can never work too hard.

You can’t work too hard.

前者は「どれだけ一生懸命に働いても、一生懸命すぎることはない」=「もっともっと一生懸命に働け」ということで、このように訳した貴方はずばりブラック企業勤めだろう。後者は前者と同じ意味だが、文脈によっては「あまりにも一生懸命に働いてはいけない」という禁止命令になる。このあたりの意味の判別が瞬時にできれば、英語学習の中級者である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アクション, アメリカ, アンジェリーナ・ジョリー, エル・ファニング, ファンタジー, ミシェル・ファイファー, 監督:ヨアヒム・ローニング, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 マレフィセント2 』 -ご都合主義もほどほどにすべし-

『 エンテベ空港の7日間 』 -古い革袋にビミョーに新しい酒-

Posted on 2019年10月18日2020年4月11日 by cool-jupiter

エンテベ空港の7日間 55点
2019年10月13日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ダニエル・ブリュール ロザムンド・パイク
監督:ジョゼ・パジーリャ

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嫁さんの希望で台風明けに本作を鑑賞。我が家はたいていの場合、婦唱夫随なのである。Jovianもトレイラーなどから少し興味を持っていた。だが、『 アルゴ 』のような水準を期待してはいなかった。結果的に、それで正解であった。

 

あらすじ

 

1976年。ボーゼ(ダニエル・ブリュール)とクールマン(ロザムンド・パイク)はエールフランス機をハイジャックし、ウガンダのエンテベ空港に飛行機を降ろす。彼らの狙いは獄中のパレスチナ解放闘士の解放。イスラエルのラビン首相と国防相のペレスは態度を保留しつつ、交渉と軍事作戦の両方を立案して・・・

 

ポジティブ・サイド 

ハイジャック、というよりもテロリストという呼称の方がふさわしいか。我々はテロリストという人種には血も涙もないと考えがちである。事実、『 ホテル・ムンバイ 』が描き出すテロリストたちには血も涙もなかった、中盤までは。実際に彼ら彼女らも生きた人間であり、人間であるからには親から生まれ、生まれたからには最初の数年から十数年は誰かに育てられたはずなのだ。そこで洗脳されてしまえば終わりであるが、人と触れ合わずに生きることは不可能である。テロリストにも人間らしさがあるという視点は、当たり前ではあるが新鮮でもあった。本作は、そのテロリストを主人公に据える。『 シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ 』や『 ユダヤ人を救った動物園 〜アントニーナが愛した命〜 』などの作品と同様に、ダニエル・ブリュールは善悪の境界線上を行くようなキャラクターを演じさせれば、非常に良い仕事をする。ロザムンド・パイクも『 プライベート・ウォー 』とは全く逆のキャラクターを見せかけて、本質的には同じような人間を演じている。すなわち、自分の生命よりも自分の信念に忠実なタイプの人間だ。そうであっても、例えばパイクのキャラクターも飛行機の乗客から、「シャツのボタンが一つ外れている」と指摘され、思わず女性性を発露させてしまうところや、ブリュールのキャラにしても、妊娠していると言う女性を解放したりと、人間性が感じられた。

 

特に、ブリュールのキャラに関しては、エンテベに向かう前の給油地での機関士との会話、そしてエンテベに着いて以降の機関士との会話で、自分自身の正義の定義が揺らいでいるように感じた。というよりも、元々、善悪の狭間にいるのではなく、自らの信念と思考の中間点に囚われやすい人物なのかもしれない。自分はドイツ人だが、ナチではないという主張もこのことを裏付けているように思う。本人に取材できたはずはないので、このあたりがジョゼ・パジーリャ監督の構想及び解釈なのだろう。

 

テロリスト同士の対話、テロリストと人質の対話でストーリーが進行していく中、イスラエルのラビン首相とペレス国防相の駆け引きも大いなるスリルとサスペンスを生んでいる。事態の解決に向けてのアプローチがそのまま彼らの水面下での駆け引き、権力闘争になっているところが興味深い。またラビン首相の指摘、すなわち「パレスチナは敵だが、隣国でもある。彼らから離れることはできない。いつか話し合いで和平をもたらす必要がある」という言葉がそれだ。アメリカには厄介な隣国として、例えば『 ボーダーライン 』で描かれるようなメキシコがあり、インドには『 バジュランギおじさんと、小さな迷子 』で描かれたようなパキスタンという隣国がある。日本には北朝鮮および韓国という、なかなか手強い隣国があるが、れいわ新選組の山本太郎も「国の位置は動かせない」と冷静に指摘している。本作はアクションの少ない対話劇である。大人の対話をじっくりと鑑賞しようではないか。

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ネガティブ・サイド

対話劇であることは良いが、最後の最後に見せ場であるはずのオペレーション・サンダーボルトが、本当にサンダーボルトの如く、一瞬で終わってしまう。せっかく劇場の大画面と大音響で映画を鑑賞するのだから、もう少し見せ場を作って欲しかった。

 

オープニングから随所に挿入されるダンスも蛇足である。バタンと倒れ続ける1人は、例え一部に脱落者がいたとしても、「”The Show Must Go On” ですよ」と言いたいのだと思うが、それならエンディングのクレジットシーンに舞台ダンスシーンの全てを持って来ても良かった。ダンスシーンが各所に入れられることで、ただでさえ歩みの遅い物語のペースが更に悪くなっていたように感じた。

 

配球会社や広報会社は盛んに「4度目には訳がある!」と、古い革袋に新しい酒が入っているかのように喧伝していたが、テロリストの苦悩や葛藤、その悲劇性ならば前述した『 ホテル・ムンバイ 』の方が遥かに生々しかったし、思考と信念の違いに思い至り愕然とする人物の描写ならば『 判決、ふたつの希望 』が先んじているし、完成度でも優っている。

 

総評

イスラエルとパレスチナの問題は、もう百年以上続いている。何がどうしてこうなったのかは一言で説明できないが、欧米列強、就中、イギリスが元凶であることは間違いない。しかし、そうしたことはおくびにも出さず、テロリストの葛藤に焦点を当てた対話劇を作り上げたのだと思えば、パジーリャ監督への評価も上がることはないが、下がることもない。政治的ドラマではなくヒューマンドラマを観るつもりでチケットを買われたし。

 

Jovian先生のワンポイント独語会話レッスン

Scheiße!

 

劇中でロザムンドが吐き捨てるドイツ語の卑罵語である「シャイセ!」と発音しよう。英語では“Shit!”となる。排泄物を指して苛立ちを表現するのは、どこの国でも変わらない。Jovianの大学の先輩にドイツ留学者がいたが、彼も常に「シャイセ!」と吐き捨てていた。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, イギリス, サスペンス, ダニエル・ブリュール, ロザムンド・パイク, 監督:ジョゼ・パジーリャ, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 エンテベ空港の7日間 』 -古い革袋にビミョーに新しい酒-

『 リリイ・シュシュのすべて 』 -詰め込み過ぎたジュブナイル映画-

Posted on 2019年10月16日 by cool-jupiter

リリイ・シュシュのすべて 55点
2019年10月14日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:市原隼人 蒼井優
監督:岩井俊二

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『 マトリックス 』を20周年劇場鑑賞して以来、大学生時代に観た映画を再鑑賞したいという気持ちが生まれてきた。あの頃は田中麗奈のファンで、『 がんばっていきまっしょい 』や『 はつ恋 』を何度も繰り返し観ていた記憶がある。本作は確か銀座だか有楽町あたりの映画館で観た覚えがある。

 

あらすじ

栃木の田舎。蓮見雄一(市原隼人)は、同級生の星野と友人になる。しかし、その星野が非行少年に変貌したことにより、雄一は窃盗などの犯罪を強要され、悩み苦しむようになる。そんな雄一の救いは、リリイ・シュシュの音楽を聴くことだったが・・・

 

ポジティブ・サイド

閉鎖的な空間それ自体は、ある者にとっては居心地が良く、ある者にとっては居心地が悪い。後者は往々にして高校や大学への進学を機に、そうした閉鎖的なコミュニティを脱出していく。だが、小学生や中学生にはそれは難しい。中学受験は昔も今もそれほど一般的ではないし、公立の中学校というのは小学校時代の人間関係の延長線上にしか存在しないとさえ言える。本作は、そんな環境において、人間関係が突如として変質してしまったらどうなるのかを描き出している。

 

まず市原隼人が可愛らしい。これは言葉そのままの意味である。現役時代の亀田興毅のような険のある顔ではなく、声変わり前の中性的な面影を残す貴重な時期を上手く切り取った。『 誰も知らない 』における柳楽優弥のようだ、と言うのは流石に褒め過ぎか。蒼井優はあまり変わっていない。というか、この女優の現在のスタイル、すなわち色気があり、影があるという魅力の萌芽がこの時点で認められるのは新鮮な発見である。

 

中坊というのは、自分では大人と子どもの中間ぐらいに思っているのかもしれない。確かにJovian自身もそう勘違いしていた。だから、恰好つけるためだけに煙草を吸って、吸い殻をポイ捨てしたりしていた。とっくに時効だから書いてしまうが、そういう背伸びをしたくなる時期というのは誰にでも普遍的に存在するはずだし、ケンカはまだしもかっぱらいや恐喝、レイプなどは論外だが、社会の枠を意識的にはみ出してしまう行動を取ってしまう少年少女というのは、現実的にも比喩的な意味でも理解できないことはない。本作はそんな若者たちの残酷で底の浅い青春を確かに美しく切り取っている。そんな現実世界の濃密過ぎる、つまり地域や時代のせいで離れられない人間同士の関係とは別次元で、ネット上でリリイ・シュシュについて意見を共有し、時には戦わせるのは面白いコントラストであると感じた。広大なネット空間であっても、彼ら彼女らは非常に狭い領域に集ってしまう。それが子どもというものなのかもしれない。

 

1990年代はいわゆるJ-POPの全盛期だった。その大きな要因は音楽が“私有”されるようになったからだろう。Jovianも高校時代、雄一と同じようにCDプレイヤーを持ち歩き、通学の途上で、休日にどこに行くでもなく自転車であたりを巡る時に、あるいはそこらの道端でふと音楽を聞き耽っていた。1990年代後半から2000年頃というのはインターネットが黎明期を終えて、勃興期に入っていく時代だったが、それでも同好の士と巡り合い、語り合うことができるのは僥倖以外の何物でもなかった時代だった。掲示板は本当に掲示板で、文字以外の媒体、例えば画像や動画などは完全に容量オーバーだった時代。互いの好みを語り合い、時に談論風発し、ケンカ腰になりながらも、新しい形の人間関係を模索することができるようになり始めた時代でもあった。雄一の最後の行動は決して認められるものではないが、それでも自分の居場所を自分で確保したのだと思えた時、それが破壊されたとなると、その衝撃はいかばかりか。たかが十数年前ではあるが、その時代の空気を確かに味わわせてくれる貴重な映画であるように思う。

 

ネガティブ・サイド

光の使い方があまりにも下手くそである。特に夜のシーンは、不自然極まりない。もっとさりげない、月明かりよりほんの少し強い程度の光を、薄く、ぼんやりとカメラの撮影範囲に広げることはできなかったのか。また、窓からの光、刷りガラス越しの光などを必要以上に取り込んでいるせいで、画面全体にハレーションを起こしているようなシーンがちらほらあった。DVDの画質のせいだろうか。それでも、芸術然としたカットを撮ろう撮ろうと意識しすぎたせいで、全体的な光のトーンが一貫性を欠いている。ストーリーそのものがアンソロジー的な構成になっているのだから、逆に照明や音響といった部分に余計に一貫性を持たせる必要があったはずなのだ。本作の光の使い方は、二重の意味で残念である。

 

仕方がないと言えば仕方がないが、中学生連中の演技が拙い。蒼井優は、台詞は言うことはできていても、体の動かし方に遠慮が見られる。というか、男を蹴るのなら、もっと容赦なく蹴れ。岩井監督も演技指導が弱すぎる。その蒼井優が、川にその身を委ねるシーンがあるが、次のシーンではなぜかスカートが乾いていて、シャツは半乾き。何故だ。映画とは撮影時点では連続していないシーンとシーンを編集の妙味でそう感じさせなくすることが本義である。もっと細やかなリアリティを追求して欲しいものである。

 

時代がそうだったと言えばそれまでかもしれないが、現代とは比較にならないほど若者の倫理感が壊れている。しかし、映画化された『 ろくでなしBLUES 』や『 BE-BOP-HIGH SCHOOL 』のからっとしたケンカとは違い、本作が描写する数々の違法行為、犯罪行為は、あまりにも観る者の胸くそを悪くする。リアルタイムで観ていた記憶があまりないということは、当時の自分に刺さるものが少なかったということだろうか。しかし、今の目で見てしまうと、高く評価することは著しく難しい。

 

総評

映画は一にかかって芸術媒体であるが、光の使い方の拙さ、大雑把さが本作の大きな弱点である。また、子どもの世界に住まうことのない「大人」という種族が、あまりにもぼやけた姿でしか描出されない点も気にかかる。だが、蒼井優だけではなく大沢たかおや勝地涼など、今も活躍する俳優が相当数本作に出演している。ストーリーではなくキャストに注目すれば、再鑑賞の価値は少しは上がる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Is she seeing anyone?

 

蒼井優演じる津田に関する台詞で「あいつって、誰か付き合ってる奴いるのかな?」というような台詞があった。誰かと付き合う= date someone, go out with someoneなどの表現が一般的だが、be seeing anyoneは、しばしば疑問形で使われる。Are you seeing anyone? = 誰か付き合っている人がいるの?は、独身諸賢に是非とも使ってもらいたいフレーズである。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2000年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 市原隼人, 日本, 監督:岩井俊二, 蒼井優, 配給会社:ロックウェルアイズLeave a Comment on 『 リリイ・シュシュのすべて 』 -詰め込み過ぎたジュブナイル映画-

『 アド・アストラ 』 -B級思弁的SF映画-

Posted on 2019年9月23日2020年4月11日 by cool-jupiter
『 アド・アストラ 』 -B級思弁的SF映画-

アド・アストラ 50点
2019年9月21日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ブラッド・ピット トミー・リー・ジョーンズ
監督:ジェームズ・グレイ

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原題はAd Astra、To the starsの意味である。Adはラテン語の前置詞で、次に来る語が対格(accusative)か奪格(ablative)かで意味が変わる。Astraは対格で、ラテン語の原義的にはInto the starsが近い感じか。Jovianのall time favoriteSF小説の一つであるJ・P・ホーガンの『 星を継ぐもの 』でコールドウェルがハントのスカウトに成功して“This calls for a drink”といって、乾杯する時に二人が言う台詞が“To the stars”だった。

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あらすじ

ロイ(ブラッド・ピット)は宇宙飛行士。ある時、リマ計画で太陽系辺縁を目指し、消息を絶った父が生きていると知らされる。そして、その父の存在が地球に甚大なダメージをもたらしかねない。ロイは父とコンタクトを取るべく、火星経由で海王星を目指すことになるが・・・

 

ポジティブ・サイド

超長距離宇宙航行については、我々はワープ航法やクライオ・スリープ技術に慣れてしまっているせいか、宇宙という絶対的に孤独な空間で長時間を過ごす人間の精神にかかる負担というものを見過ごしがちである。『 インターステラー 』でも、23年を孤独に過ごした男がいたが、彼にはTARSがいた。ロイは通信もシャットダウンし、孤独に宇宙を旅したが、そこで去来する多くの想念をブラピの表情だけで描き切るという、予算があるのだかないのだか分からない撮り方をしたことが、結果的に上手くいった。宇宙は本来、人間にとって優しくも温かくもない存在で、究極的に人間に無関心である。そうした存在と孤独に対峙した時に人はどうなるのかを、心理テストに必ずパスするロイというキャラクターを通じて、ブラピは見事に描出した。このあたりが評論家に受けているのだろう。

 

月面や火星の星空が、さすがの美しさだった。CGとはいえ、NHKのコズミック・フロントで時々やっている5~15分の星空+音楽のショートプログラム、あれを彷彿させる。科学がどれだけ進んでも、人間がどれほど想像力をたくましくしても、星母子の世界には本当の意味でたどり着くことはできない。『 君の名は。 』でも感じたが、

星(多くの文化ではそれは太陽と月だ)は死と再生、破壊と創造のモチーフだ。地球外知的生命体との邂逅を求めて宇宙に飛び立った父、海王星付近で発生するサージという現象、そして本質的な意味での父の愛に飢えていたロイが、その父との再会を果たすべく目指す星の世界を見れば、これは父と息子という、ちょっと風変わりな star-crossed lovers の物語なのだ。静謐で、思弁的な、我々が忘れかけていたSF的なSFである。

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ネガティブ・サイド

過去の優れたSF作品へのオマージュが散りばめられている、と表現できればよいのだが、実際はデジャヴを感じるばかりである。『 ゼロ・グラビティ 』、『 火星の人 』、『 インターステラー 』、『 コンタクト 』など、どこかで見た構図やショットで溢れていて、オリジナリティは見出せなかった。

 

また冒頭でその姿を明らかにして、観る者の度肝を抜く軌道エレベータも、なぜEVA(というか単純に屋外作業か)を行う時に命綱その他の安全装置や器具をつけないのか。あの世界では軌道エレベータ作業員には『 フリーソロ 』が義務付けられているというのか。そんな馬鹿な話があるはずがないだろう。

 

また、月面での車両ドンパチも意味不明である。人間の愚かしさ、尽きることのない領土的野心を描きたかったのかもしれないが、本作は思弁的SFのはず。アクションも入れておかないと観客が寝てしまうと思ったのなら、それは大間違い。もっと文明と人間の精神の関係を掘り下げるような描写・演出を用いれば、SFファンはついてくる。近年でも『 メッセージ 』(監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ)のように、極力アクション要素を排除しても高い評価を得るSFが生み出されている。

 

JovianはSF小説やSF映画は好きだが、科学的な知識の幅や量は並みか、それより少しはマシという程度である。そんなJovianでも、わずか80日足らずで火星から海王星に到達できるということには驚愕した。月面にマスドライバーでも設置して、そこから更に月軌道上に設置したローンチ・リングで再加速でもさせないと無理だろう。火星から海王星までは光速でも4時間。光速の1%などという、宇宙警察にでも反則切符を切られそうなスピードでも400時間。これで約16日。実際は80日ほどかかっており、加速と減速も加味すれば、やはりロケットの最高速度は光速の1%は出ているように思える。うーむ、ハードSFとして見れば、これは荒唐無稽もいいところだ。反物質は確かに実在するが、それを燃料として計算できる量を確保するには、地球よりも遥かにでかい捕獲&貯蔵装置が必要と何かのSF小説で読んだ記憶がある。機本伸司の『 僕たちの終末 』か、山本弘だったか。いずれにせよ、本作はハードSFとして科学的に頑強な基盤を持った作品ではない。というか、たった80日で行けるのなら、これまでに既に何度も海王星行きミッションが組まれていないとおかしいだろう。人類の危機なのだろう?考えれば考えるほど、本作のプロットには科学的、論理的な穴が見えてくる。

 

では、思弁的なSFとしてはどうか。地球外知的生命体探査というのは胸躍るミッションであるが、クルー同士で諍いを起こして実質的にミッション・アボートでは話にならない。知性ではなく、心で感じる何かを大切にしましょう系のメッセージなのかと思ったが、終盤の親子を巡る超展開に茫然。トミー・リー・ジョーンズは何がしたいのだ。いや、探査がしたいのは分かる。だが、これでは小説『 地球最後の男 』や映画『 猿の惑星 』を足して2で割ったようなプロットにすらならないではないか。これなら『 インターステラー 』でアン・ハサウェイがどうしようもなくマット・デイモンを追いかけようとした、またマシュー・マコノヒーがそのアン・ハサウェイを追いかけようとした不条理ながらも力強い愛というもの、という演出の方が遥かに説得力があった。

 

 

総評

骨太なSFを期待するとがっかりさせられる。いや、何が骨太なのかは、鑑賞する者の嗜好やバックグラウンドによって様々だろうし、そうあるべきだ。ブラピのファンであれば2時間まるまるブラピである。迷わず劇場へGoだ。しかし、ハードコアなSFやスペース・オペラ、スペース・ファンタジーを期待しているファンは、呆気にとられるか、または心地よい眠りに誘われるかのどちらかだろう。鑑賞前によくよく検討されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I am feeling good, ready to do my job to the best of my abilities.

 

to the best of one’s ability / abilities で「力の限り」、「全力で」、「精一杯に」の意味である。ラグビーのワールドカップが、本記事の時点で進行中である。ラグビーにもフォーカスした『 インビクタス/負けざる者たち 』でも、モーガン・フリーマン演じるネルソン・マンデラが“All I ask is that you do your work to the best of your abilities and with good heart.”と述べる印象的なシーンがある。外資系に転職する際の面接、あるいは勤務初日のあいさつにでも使ってみたいフレーズである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アメリカ, トミー・リー・ジョーンズ, ブラッド・ピット, 監督:ジェームズ・グレイ, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 アド・アストラ 』 -B級思弁的SF映画-

『 イソップの思うツボ 』 -このようなアンフェアな演出や伏線を許すな-

Posted on 2019年8月19日2020年4月11日 by cool-jupiter

イソップの思うツボ 45点
2019年8月16日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:石川瑠華 井桁弘恵 紅甘
監督:浅沼直也 上田慎一郎 中泉裕矢

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『 カメラを止めるな! 』や『 お米とおっぱい。 』の上田慎一郎が満を持して(かどうかは分からないが)世に送り出す作品ということで、期待はあった。一方で、上田監督の才能を最も活かせるのは、こじんまりとした映画であるという印象を抱いているのも事実である。果たして本作はどうか。上田監督らしさはあるものの、フェアかアンフェアかで、かなり意見が割れるところであろう。

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あらすじ

内気な女子大生の亀田美羽(石川瑠華)は、学校で独りだった。一方でクラスメイトの兎草早織(井桁弘恵)は家族そろって芸能人。仕事も順風満帆で、恋愛にも積極的だった。接点のなさそうな二人であったが、ある日、新任講師が講座を担当することがきっかけて・・・

 

以下、ネタばれや他作品に関する記述あり

 

ポジティブ・サイド

石川瑠華という役者のポテンシャル、それをまずは評価したい。はっきり言って演技が上手いかどうかで言えば、「下手ではない」というレベル。けれど、母親が心配そうに、それでいてどこか嬉しそうに見つめるのは、この娘の表面に見える弱さや脆さ、儚さの奥深くに芯の強さが潜んでいることを見抜いているからだろう。そう感じられる母娘のやりとりは、非常に説得力のあるものだった。彼女のハンドラーは少女漫画の映画化作品に端役で登場させてやって欲しい。浜辺美波や森川葵らから、何かを学び、才能を開花させるかもしれない。頑張れ~!

 

井桁弘恵。かわいい。以上。

 

紅甘。2017年にシネ・リーブル梅田で鑑賞した『 光 』に出ていた。島の少年がじいさんからコンドームを手に入れ、猿のようにセックスに耽る相手。山中でおっさん相手に立位でセックスしながら、カメラ(少年)に向かってアンニュイな表情を見せるシーンが印象的だった(芸術的な意味で)。

 

ネガティブ・サイド

【予測不能!】、【騙されてほしい!!】などの惹句は逆効果である。というよりも、一部のハードコアな映画ファンやミステリファンにとっては有害ですらある。『 マスカレードホテル 』のレビューでも指摘したが、ミステリファンという生き物は、あらゆる媒体から情報を引き出し、事前に推理を組み立てるのである。ましてやカメ止めの上田慎一郎。ドンデン返しの存在を予想するのは容易い。我々の興味関心は、どのようにしてひっくり返すのかである。その意味で、本作は終盤のドンデン返しが弱い。というよりも、それほどひっくり返らなかった。まあ、初打席で場外ホームランを飛ばしてしまうと、二打席がきれいなセンター前ヒットでも、物足りなく感じてしまうようなものである。

 

本作にはフェアな伏線とそうではない伏線がある。アンフェアな伏線の最たるものは、『 シックス・センス 』的な演出を使わなかったことである。具体的に言えば、母と娘がしっかりと会話を交わしながらも、母親は何にも触れない、何も動かさないという描写をしなかったことである。これは酷い。ここから何かを読み取れというのは無理だし、アンフェアである。Misleadingを誘うのは別に構わない。というか、『 ユージュアル・サスペクツ 』以降、我々は足を引きずって歩くキャラを見るたびに身構えるようになってしまった。『愚行録 』の妻夫木聡然り、『 ブレス あの波の向こうに 』のエリザベス・デビッキ然り。だから、観る側が勝手に早合点したり読み違えたりするような思わせぶりな描写は許容できるのだ。しかし、終盤の種明かしで「あのシーンの真相はこれで御座い」と言われても、このようなアンフェアな描写ではブーイングしか飛ばせない。「好きな人、できた?」という母の台詞に、「お母さん、大好きだよ」ぐらいの台詞を返しておけば、まだ許せた。このような演出や描写は心底から許せないと思う。観る側をびっくりさせたい、予想を裏切ってやりたいという思いが完全に空回りしたとしか判断できない。

 

一応、フェアな伏線にも触れておくと、美羽の行動の全てである。特に、兎草早織たちと新任講師の会話を淡々と撮影し続ける美羽にかなりの人が違和感を覚えた/覚えることだろう。また、イソップと聞けばたいていの人は「ウサギとカメ」の寓話を思い浮かべるはずだ。だから美羽が早織を追い越すというか出し抜くプロットであることは観る前から分かる。そして、カメ、ウサギ、イヌがロープで縛られているショット。誰かが彼女らを罠にかけることが示唆されている。ウサギとカメ(とイヌ?)の競争をだが、中途半端にフェアな伏線が張られていることで、アンフェアな伏線、さらには非現実的な要素がかえって目立ってしまう。以下、特に気になった点を箇条書きにする。

 

・芸能人のマネージャーになるに際して、身辺調査はないのか。

・兄が大学講師であるにしても、どのようにしてドンピシャのタイミングでドンピシャの講座をゲットしたのか。

・医師が袖の下をもらってトリアージの判断を変えるか。得られるカネよりも、医療訴訟のリスクの方が遥かに大きいだろう。

・そもそも売れっ子芸能人と、どのようにして不倫関係となり、ベッドインしたのか。それがマスコミに一切すっぱ抜かれなかったのはご都合主義でないか。

・亀田家はいつ、どこで、どのようにして銃の扱いに習熟したのか。

 

その他、とっくに『 インシテミル 』で使われたネタをドンデン返しの一部にしてしまうなど、新鮮味にも欠けたし、あるキャラの関西弁の不自然さには辟易させられた。方言が下手なのは許せる。しかし、変であることは許されない。総じて、リアリティに欠けるし、2パート目と3パート目もつながりが著しく弱い。本当に観る者の度肝を抜きたかったのであれば、似非関西弁のヤクザの下に濱津隆之演じる日暮隆之監督を連れてくればよかったのだ。そうすれば劇場のボルテージは一瞬で最高潮に達したことだろう。

 

総評

劇場鑑賞するに当たって最も重要なことは、過度な期待を抱かないことである。一部に「ほほう」と感じられるtwistもあることはあるが、アンフェアな伏線の張り方、演出の方が遥かに多い。兎にも角にも、期待に胸躍らせないように。本作を何らかの形で堪能できたという向きには、サウンドノベルの『 街 運命の交差点 』と『 428 封鎖された渋谷で 』をお勧めしておきたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

 

「 復讐・・・完了 」

Mission … complete.

 

これ以外に思いつかない。

 

「マジ最低!!!」

You really do suck!!!

 

suckは定番。人でも物でも出来事でも、貶してやりたい時はまずはsuckでOK。

 

「好きな人、できた?」

Did you fall for someone?

 

fall for 誰それ = 誰それを好きになる。何でもかんでもloveを使うと少々重いし、バリエーションにも欠ける。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ミステリ, 井桁弘恵, 日本, 監督:上田慎一郎, 監督:中泉裕矢, 監督:浅沼直也, 石川瑠華, 紅甘, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 イソップの思うツボ 』 -このようなアンフェアな演出や伏線を許すな-

『 ダンス ウィズ ミー 』 -看板に偽りあり-

Posted on 2019年8月18日2020年4月11日 by cool-jupiter
『 ダンス ウィズ ミー 』 -看板に偽りあり-

ダンス ウィズ ミー 45点
2019年8月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:三吉彩花 やしろ優 宝田明
監督:矢口史靖

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『 マンマ・ミーア! 』のレビューで、Jovian個人が選ぶオールタイム・ベストのミュージカルは『 オズの魔法使 』と『 ジーザス・クライスト・スーパースター 』で、次点は『 ウエスト・サイド物語 』であると述べた。ミュージカルというジャンルは、まあまあ好みなのだ。なので、それなりに期待して本作に朝イチで突撃してきたが・・・

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あらすじ

大手商社に勤める鈴木静香(三吉彩花)は、ふとしたことからマーチン上田(宝田明)の催眠術によって、音楽を聴くと歌わずにはいられない、踊らずにはいられない体質になってしまった。街中でも職場でもレストランでも歌って踊ってしまう静香。なんとか催眠を解くために、いんちき催眠助手の千絵(やしろ優)と共にマーチン上田を追うが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 いぬやしき 』で木梨憲武に散々ブー垂れていた女子高生が、わずかな歳月で立派なOLになっていた。女子も三日会わざれば刮目して見なければならないようである。本作の成功は、主役たる三吉彩花の歌唱力とダンス力にかかっている。その意味では、三吉はよく頑張ったと言える。自宅マンションのロビーではパンチラを厭わないスピンを披露し、「お、これは本物か?」と思わせてくれた。カメラ・オペレーターにも“Good job!”と言わせていただく。キム・ヨナが印象的だったが、やはり踊りそのものを魅せるには、スラリと手足が伸びた長身の方が有利である。三吉はまさに適材適所だった。

 

おそらく最も良い仕事をしたのは、やしろ優だろう。一人自家発電、一人自己啓発セミナーができそうなテンションの高さで、「ああ、俺もたまにはこれぐらいポジティブに人生送らなアカンな」と思わされた。彼女の前向きな姿勢に共感する、あるいは胸を打たれる視聴者は多いだろう。仕事にくたびれた社畜リーマンなどは特にそうではなかろうか。人生に疲れていると思うなら、やしろ優にエンパワーされようではないか。選曲も昭和全開なので、30代後半以上なら楽しめるはずだ。

 

ネガティブ・サイド

『 スウィングガールズ 』の矢口監督はどこに行ってしまったのか。この監督は音楽的なセンスがある人だったはずだ。あの、横断歩道の効果音でジャズのリズムを女子高生たちに感じ取らせる演出には感心したものだった。ならば、音楽を聴くと踊らずにはいられなくなるという体になってしまった静香を、もっともっと思わぬ形で躍らせ、観客をエンターテインしなくてはならない。ここでそう来るか、と感じたのは函館駅の時計ぐらい。それも踊らずに歌うだけ。それを見たムロツヨシが「マジか・・・」と絶句するが、別に衝撃を受けるシーンでも何でもないだろう。ちょっと変な奴だな。ぐらいにしか思わないはずだ。そうではなく、「え、こんなんでも踊っちゃうの?」というシーンが必要だったのだ。極端な例を挙げれば、心療内科を受診する際にMRIで撮影をされたが、そこで出る音にすら反応してしまうぐらいの極端な演出があれば、医師ももっと茫然自失して、匙を投げることができたはずだ。静香がちょっと困った女子にしか見えないのが問題なのである。本当に困っている状態から、旅をするうちに、歌って踊ってしまう体質によって、少しずつ人生を前向きに捉えられるようになっていく。そんなプロットが求められていたはずだ。本作にはそれが欠けていた。

 

その歌って踊って体質が役に立ったという演出も弱い。特にchay演じるギター女子とコラボして投げ銭を稼ぐというのは、アイデアとしては悪くないが、その歌と踊りのクオリティの低さゆえに、かえって作品の面白さを減じている。もっともっと、はっちゃけた歌と踊りが必要だった。思わずおひねりをあげたくなるような歌でも踊りでもなかった。本作のハイライトは、実はトレイラーに収められているオフィスで踊るシーン、そしてシャンデリアを空中ブランコにしてしまうレストランのシーンである。そこ以外に盛り上がらない。

 

いや、それはさすがに言い過ぎか。上でも述べたように、最も良い仕事をしたのはやしろ優であり、彼女の肉感的なダンスは確かに魅力的だった。しかし、ここにトーンの問題がある。容姿にも恵まれず、金銭的にも余裕が余りなさそうな千絵が元気いっぱい幸せいっぱいで、容姿端麗、高給取り(っぽい)静香が足取り重く、心持ちも暗いのだ。途中から、タイトルにある“ミー”とは誰を指すのかが分からなくなった。本作をミュージカルとして鑑賞しようとすると、こうした混乱が必然的に起こってしまう。本作を凸凹コンビによるバディ・ムービー、ロード・ムービーとして見るなら、普通にありである。だが本作は【 最高にハッピーなコメディミュージカル 】と銘打っている。看板に偽りあり、羊頭狗肉である。

 

総評

本当なら35点をつけたいところだが、三吉彩花のスタイルの良さとやしろ優の好演で10点オマケしておく。これは韓国かアメリカでリメイクした方が、遥かに面白くなりそうだ。その場合は、『 サニー 永遠の仲間たち 』を手掛けたカン・ヒョンチョル監督か、『 ミッドナイト・サン タイヨウのうた 』や『 ステータス・アップデート 』のスコット・スピア監督にお願いしたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

 

「そもそもミュージカルっておかしくない?さっきまでフツーにしゃべってた人が急に歌いだしたりしてさ」

For crying out loud, aren’t musicals weird? You are talking, and the next thing you know you are singing!

For crying out loudは疑問やリクエストを強調するための表現。the next thing you knowで、「次の瞬間には」ぐらいの意味。こういう会話を逐語訳すると往々にして大失敗する。映画やドラマの台詞を訳そうと思うと、普通の参考書ではなく映画やドラマをたくさん参照しなければならないのだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ミュージカル, やしろ優, 三吉彩花, 宝田明, 日本, 監督:矢口史靖, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ダンス ウィズ ミー 』 -看板に偽りあり-

『 ライオンキング(2019) 』 -CG技術の粋、それ以上でもそれ以下でもない-

Posted on 2019年8月14日2020年4月11日 by cool-jupiter

ライオンキング(2019) 50点
2019年8月12日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ドナルド・グローバー ビヨンセ ジェームズ・アール・ジョーンズ
監督:ジョン・ファブロー

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元々のアニメ版は中学3年生か高校1年生で劇場鑑賞したと記憶している。その後、劇団四季のミュージカル『 ライオンキング 』を2回観た。いずれも素晴らしかった。では、全編フルCGにも関わらず「実写化」と謳われる本作はどうか。映像技術の粋。それ以上でもそれ以下でもなかった。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190814202615j:plain 

あらすじ

シンバ(ドナルド・グローバー)は父ムファサ(ジェームズ・アール・ジョーンズ)の元、次代の王として幼馴染のナラたちと共に育てられていた。しかし、叔父のスカーの姦計によりムファサは死に、シンバはプライド・ランドから放逐された。砂漠で行き倒れていたシンバは、ミーアキャットのティモンとイノシシのプンバァと出会って・・・

 

ポジティブ・サイド

『 アルキメデスの大戦 』のグラフィックがプレステ6か7だったならば、本作の映像はプレステ9か10と言って差し支えないのではないだろうか。それほどの仕上がり、出来栄えである。CGアーテイストの労力と費やされたマシンパワーについては想像するしかないが、ディズニー以外でこれだけの資金が出せるところは思いつかない。美麗、写実的、壮大。どのような言葉で称賛しても良いし、逆にどのような言葉を用いようとも、このグラフィックの完成度の高さを充分に評げ禁止切れるものではない。IMAXでは一体どのように映るのだろうか。多分、観には行かないが。

 

冒頭の『 サークル・オブ・ライフ 』は1994年版の完コピである。恐ろしい程の再現度で、なおかつ映像が美し過ぎるために、本当のプライド・ランドであるかのように感じられる。命の連環という概念は元々は仏教から来ており、それゆえにこのシーンの圧倒的なまでの迫力は東洋人にこそ突き刺さるのではないか。惜しむらくはトレーラーが見せ過ぎているということか。

 

俳優陣のVoice Actingも素晴らしい。特にムファサのジェームズ・アール・ジョーンズ。“I am your father.”的な役でこれほど光るのは当然と言えば当然かもしれないが、百獣の王の威厳と父としての慈愛の両方を十二分にスクリーン上で描き切った。プンバァを演じたセス・ローゲンも印象に残る。この人は基本的にコメディ映画専門なのだが、本作でもその実力を遺憾なく発揮した。相棒のティロンと共に、何か喋るだけでも笑わせてくれる愛すべき間抜けキャラクターである。ザズーも好演した。プンバァ登場までのコミック・リリーフであるが、そのmotor mouthっぷりとPunは、非常に微笑ましい。

 

本作を指してキング・オブ・エンターテインメントとしばしば言われるが、それもむべなるかな。ザズーのムファサへの敬礼ポーズは『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』で「ごますりクソバード」なる二つ名を頂戴したラドンの原型は、もしかするとこれだったのかと思わされた。“Long live the King.”の台詞も同じく『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』で複数回使用された。“ The question is, who are you? ”も最近では『 X-MEN:ダーク・フェニックス 』でジェシカ・チャステインが使っていたし、『 アリス・イン・ワンダーランド 』(ティム・バートン監督)でも同じセリフが聞かれた。本作およびそのオリジナルは、それ自体が巨大なインスピレーションの源泉になっている。手塚治虫の『 ジャングル大帝 』のパクリかどうかは措いておこうではないか。

 

ネガティブ・サイド

本作のテーマは何なのだろうか。もちろん、“命の連環”であり“力ある者の自制と責任”であり、“アイデンティティーの喪失と再発見”であることはわかる。そうではなく、名作であったオリジナルをフルCF実写化(?)でリメイクすることの意義を問いたいのである。『 シンデレラ 』には“Have courage and be kind.”というメッセージがあった。『 マレフィセント 』には、種族や性別、年齢に囚われることのない真実の愛の物語があった。今年(2019年)の『 ダンボ 』や『 アラジン 』には、何も感じ取れるものがなかった。だから観なかったし、おそらく今後も観ない可能性が高い。『 ライオンキング 』という不朽の名作に、現代に込められるべきメッセージとは何であるのか。それは「自分は何者であるのか」という永遠の問いを、もっと深く掘り下げることであったように感じる。何故なら、今という時代ほど、自分を見失いやすく、逆に自分というものを規定しやすい時代はないからである。

 

王であることを宿命づけられた人はほとんどいない。しかし、梅田望夫と齋藤孝から教えられるまでもなく、現代は自分にとってのロールモデルを探しやすい。この人のようになりたい、あの人から学びたい。そんな対象を容易に探せる。それが今という時代である。シンバはライオンでありながら森に住み、虫を食べる。それは自分の在り方からは程遠い。シンバはラフィキから“He lives in you.”と諭されることで、スカーとの対決に臨む決心をする。これこそが前面に押し出されるべきメッセージだったのではないだろうか。

 

そう感じるのは、“He lives in you.”(できればティナ・ターナーversionがベスト)を劇中で用いて欲しかったからである。エルトン・ジョンのそれも悪くないが、やはりティナ・ターナーのそれが聞きたかった。ライオンキングの魅力は、その楽曲の素晴らしさにこそ宿るのだから。

 

その楽曲に大きな不満が二つ。“The Lion Sleeps Tonight”のシーンが、オリジナルの夕方~夜から、真っ昼間に変更されている。何なのだ、これは。もっと納得がいかないのは、名曲中の名曲、“Can You Feel The Love Tonight?”も夜から昼間のシーンに置き換えられていることだ。シンバとナラの再会、そして成熟した雄と雌の爽やかなロマンスの予感が、夜の帳が下りるとともに高まっていくのではないのか。何故これを陽光溢れる光の世界で流すのか。歌詞と画面がケンカをしているではないか。映像および楽曲の美しさにはケチのつけようがない。しかし、その二つが同時に展開される時に大いなる矛盾が訪れる。それも一度ならず二度までも。これは大きな減点材料である。

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総評

超美麗なCG、胸を打つ楽曲、愛すべきキャラクターたち、そして勧善懲悪のストーリー。それだけである。褒めるべき点もあるが、決して褒められない点も同じくらい存在する。本作に感動したという人は、機会があれば劇団四季の『 ライオンキング 』も観てみてほしい。実写と言いながら実写ではない本作にはない、本物の臨場感がきっと味わえるから。

 

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