Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

タグ: D Rank

『 ホムンクルス 』 -原作を改悪するな-

Posted on 2021年4月6日 by cool-jupiter

ホムンクルス 40点
2021年4月4日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:綾野剛 成田凌 岸井ゆきの 石井杏奈
監督:清水崇

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210406215658j:plain

ホムンクルスという言葉に初めて触れたのは手塚治虫の『 ネオ・ファウスト 』だった。腎臓の人間ではなく、人間の深層心理を擬人化したものが見えるというのは面白いアイデア。どうせ漫画を映画化するなら。これぐらい毒のある作品にトライしてほしいもの。ただチャレンジ精神と結果は別物である。

 

あらすじ

記憶喪失でホームレスとして暮らす名越(綾野剛)に、謎めいた男・伊藤(成田凌)はトレパネーション手術を持ちかけられる。その手術を受けた名越は左目だけで見ると他人の深層心理が見えるようになってしまい・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210406215721j:plain

ポジティブ・サイド

綾野剛の演技が光る。ホームレスでありながらAMEXのブラックカードを持ち、高級ホテルの展望レストランで食事をする。記憶がないのだが、記憶を取り戻すことに拘泥しない。どこか底知れない雰囲気の男を好演した。感情の無い男が徐々に感情を表出するようになっていく過程は見応えがあった。特にホームレス仲間の命の値踏みを淡々と進めていくところは、感情がないようでいて感情があった。つまり、元々路上生活者たちのことを何とも思っていなかったわけで、ストーリーの持つメッセージの一つ、「見てはいるけど、見ていない」を体現していたわけだ。

 

成田凌も平常運転。『 スマホを落としただけなのに 』や『 ビブリア古書堂の事件手帖 』と同じく、インテリなサイコパスを怪演した。青っ白い肌に奇抜な髪の色と髪型、そしてファッション。映画『 セブン 』的な精神病者気質の部屋。ちょっと頭がいっちゃってる役を演じる成田凌としては、本作は過去作よりも上かもしれない。

 

石井杏奈と岸井ゆきのもしっかりと脇を固めている。特に石井杏奈の方は女優としてはまだまだ駆け出しでありながら、結構ハードなシーンに挑んでいる点には好感が持てる。『 記憶の技法 』とか本作のような暗めの作品ではなく、広瀬すずや橋本環奈がキャピキャピするような映画でヒロインの親友役を狙った方がプロモーション上は吉なのでは?

 

本作の特徴の一つに、効果音の不気味さが挙げられる。特にトレパネーションを実施する際のドリルの音は、歯科医の使う器具の音でありながら、頭蓋骨に穴を空けるというその行為の気持ち悪さによって、不快指数を否が応にも高めてくれる。その他にも、音が印象的なのが本作の特徴である。フォーリー・アーティストを称えようではないか。

 

ネガティブ

綾野剛がトレパネーションを受けて、はじめて右目を隠して街を観るシーンは緊張感が漂った。が、実際に目にした光景を見てずっこけた。何じゃこりゃ?と。まず、CGがしょぼい。唯一ちょっと面白いなと感じたのは体が右半身と左半身に別れて、左右反転した形で歩いているサラリーマンぐらい。その他の意味不明な姿は本当に意味不明だ。トラウマが目に見えると伊藤は推測していたが、だったら「今から会える?」と電話しながら下半身、特に腰部だけをクルクルと回転させていたミニスカ女子は一体なんなのか。普通に考えれば「お、今日はセックスする気満々だな」ぐらいにしか思えないのだが、それもトラウマなのか?

 

トレパネーションの結果、ホムンクルスが見えるようになったというのは受け入れられる。だからといって内野聖陽演じる組長が、ドスを握った手を不随意にプルプルと震わせるのは理解できない。百歩譲って名越の言葉に動揺したせいで震えてしまったことにしてもよい。だが、それをあたかも名越自身の何らかの超能力であるかのように描写するのはいかがなものか。また、組長がトラウマから解放されるくだりはあまりにも安直過ぎないか。たったそれだけで心の傷が癒えるのなら、これまで切り落としてきた小指七十数本については胸が一切痛まなかったというのか。精神医学の歴史を変える治療だと伊藤は言うが、とてもそうは感じられない。古典的なカウンセリングにしか見えなかった。

 

同じことは石井杏奈演じる女子高生にも当てはまる。そもそも名越に携帯の中を見られたことをさも当然のことであるかのように振る舞っていたが、どうやってパスを解除したのか、まずそこを不審に思わないところがおかしい。また性についてのコンプレックスがあるのはさして珍しいことではないが、それがあんな形で治療扱いになるのか?むしろ新たなトラウマを植え付けただけだろう。なぜ組長は言葉で治療しながら、女子高生には『注射』で治療するのか。原作がこうなのか?それとも注射に至る過程の描写が映画では削られているのか?どちらにせよ、見ていて気持ちいいものではなかったし、筋が通っているとも感じられなかった。

 

肝心の名越が記憶喪失になった経緯も、中途半端にしか説明されていない。何が起こったのかは分かった。だが、あのような出来事があれば、必ず葬式やら入院退院やら警察からの事情聴取などがあるはずなのだ。そこで必ず身分証明がなされているはず。そうした社会的に当然の事象を全部すっ飛ばして記憶喪失でござい、と言われて納得などできるはずもない。原作は未読だが、エピソードを端折り過ぎているか、あるいは大幅に改変、いや改悪しているのは間違いない。

 

本作の放つメッセージとして「相手の心を見ろ」というものがあるのだろうが、そこが上手く伝わってこない。なぜホムンクルスが見える人間とそうでない人間がいるのか?名越の目にホムンクルスが見える人間に何らかの共通点はあるのか(友達を傷つけた、性体験、父親からの愛の不足)?伊藤がホムンクルスを見てななこを誤認したのは理解できなくもないが、肌と肌を合わせて気が付かないことがあるのか?それこそ無意識レベルで何か思い出すのでは?また伊藤の顔の吹き出物は何なのか?伊藤のトラウマは金魚ではなく水槽ではないのか?などなど、疑問が尽きない。

 

総評

『 犬鳴村 』や『 樹海村 』よりは面白いが、素材の持つ毒を完全に調理しきれているかと言うとはなはだ疑問である。『 オールド・ボーイ 』や『 藁にもすがる獣たち 』のような振り切れた日本産の作品の映像化に大成功している韓国が本作を映画化したら、いったいどうなっていたのだろうか。悪い出来ではないが、ミステリ、スリル、サスペンスのいずれの面でも、少し足りないという印象である。実力ある役者を集めてみたものの、総合的な味付けで失敗したという印象。綾野剛や成田凌のファンなら鑑賞してもよい。逆に言うとそうでない映画ファンはスルーもひとつの選択肢である。というかスルーしてよい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Why are you shaking?

劇中である人物が「なんで震えてるの?」と言う場面がある。その私訳である。「震える」の最も一般的な動詞は shake だが、感情または肉体が原因での震えは tremble、寒さが原因の震えには shiver を使うことも覚えておきたい。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, D Rank, スリラー, 岸井ゆきの, 成田凌, 日本, 監督:清水崇, 石井杏奈, 綾野剛, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズLeave a Comment on 『 ホムンクルス 』 -原作を改悪するな-

『 モンスターハンター 』 -ゲームの世界観は再現されず-

Posted on 2021年4月4日 by cool-jupiter

モンスターハンター 50点
2021年4月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ミラ・ジョヴォヴィッチ トニー・ジャー
監督:ポール・W・S・アンダーソン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210404023821j:plain

実はJovianはモンハンはプレイしたことがない。しかし、モンハン製作者の方の一人と交流があるため、モンハンは応援しているフランチャイズの一つである。USJでモンハンのアトラクションにも行ったし、幸運にもコンサートに招待されたこともある。CDを買って、サインをしてもらったこともある。けれど映画は映画、ゲームはゲーム。批評は公平にせねばならぬと言い聞かせてもいる。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210404023846j:plain

あらすじ

国連軍所属のアルテミス大尉(ミラ・ジョヴォヴィッチ)は隊と共に砂漠の嵐に飲み込まれた。気が付くとそこは巨大な怪物が跋扈する異世界だった。隊員は巨大蜘蛛に殺されてしまい、アルテミス自身も窮地に陥る。しかし、そこで彼女はハンター(トニー・ジャー)と出会い・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210404023904j:plain

ポジティブ・サイド

ディアブロスやネルスキュラといったモンスターの迫力が素晴らしい。JovianはあまりCGそのものには感動しないのだが、大学生の頃に観た『 ロード・オブ・ザ・リング 』のバルログを心底怖いと思ったが、あの感覚に近い。『 ホビット 竜に奪われた王国 』の邪竜スマウグにも同様の感覚を抱いた。ゴジラやガメラといった怪獣は着ぐるみとの親和性高いし、『 エイリアン 』のゼノモーフなども着ぐるみであるからこその実在感があった。だが、モンハン世界は神話や伝説のファンタジー世界の方に近いのでCGでも問題はなしである。

 

ミラ・ジョヴォヴィッチとカプコンは相性が良いのかな。『 バイオハザード 』と『 バイオハザードⅡ アポカリプス 』は面白かった(シリーズ最後の2つは観ていないが)。本作でも、いわゆる戦う女性としてのアイデンティティを見事に発揮。アリス役で銃を撃ちまくる姿を思わず重ね合わせたファンは多いのではないだろうか。

 

ハンター役のトニー・ジャーはミラ・ジョヴォヴィッチを上回る存在感。ゲーム未プレイのJovianでも「あ、なんかゲームのキャラっぽい」と直感した。格闘能力や弓矢の腕前、ハントの知恵など、本当はもっとたくさんいるはずのハンターたちの属性を一手に引き受けていたように思うが、確かにそれらをすべて体現していた。タイ人ということだが、日本人でもこういう無言・無口で、しかしアクション能力は抜群みたいな役者は、ハリウッドを目指すべきだと思う。トニー・ジャーが今作で見せたパフォーマンスは日本や韓国、インドの役者がハリウッド進出を目指す際の一つの目安になるのではないか。

 

ディアブロスとの戦闘シーンは迫力満点。ゲームのドラクエやFFなど、明らかに自分よりも遥かに巨大なモンスターと戦っている時の自らの脳内イメージに近いものがあったし、ファンタジー世界に浸っているという感覚も十分に味わえた。モンハン未プレイ者としては、それなりに満足できた。

 

ネガティブ・サイド

製作者の方が言っていた「モンハンの魅力はチームワークとコミュニケーション」がきれいさっぱり抜け落ちていた。きれいさっぱりは言い過ぎか。一応、序盤のAチームの面々にはチームワークとコミュニケーションがあった。が、それは単なる死亡フラグやろ・・・

 

タイトルが『 モンスターハンター 』、コンセプトも「モンスターを狩る」ということのはずなのに、そこが弱い。アルテミス大尉とハンターのバトルはそれなりに見どころはあるものの、はっきり言って不要なシークエンスだった。映画自体は続編のありきの作り方とはいえ、人間パート、もっと言えば人間同士のバトルのパートはもっと削って「モンスターを狩る」、「モンスターの皮や角や牙から武器防具やアイテムを作る」というモンハンならではの世界観の構築に時間とエネルギーを費やすべきだった。そしてそうした思考や行動は現代人であるアルテミスにも可能なはず。普通に考えれば、現代兵器が通用しないモンスターの皮なら実用的な防弾ベストが作れると考えるはずだし、そうすべきだった。どこからともなくアルテミスの体のサイズにぴったりの鎧が出てきたのは不可解だし、逆に鎧を着せるなら、その鎧を手に入れる過程こそしっかり描くべきだった。

 

アルテミスというキャラについても疑問に感じられる点が一つ。自分は指輪というアイテムを後生大事に持っている癖に、ハンターが祈りを捧げる人形にまったくリスペクトを払わないというのはこれ如何に。国連軍所属ということは世界のあらゆる地域の紛争に介入する可能性があるということ。つまり、異文化への理解が不可欠なはずなのだ。そうした職業軍人としての背景と行動が矛盾しているし、単純に見ていて気持ちの良いものではない。

 

一点だけ映画のプロットに関係のないネガティブを。それは序盤の字幕。”I got it!”とあるキャラが叫ぶシーンがで字幕が「分かった!」になっていたが、これは間違い。正しくは「(エンジンが)かかった!」である。

 

総評

アクション映画、ファンタジー映画として観ればそこそこの出来である。ゲーム『 モンスターハンター 』の映画化として観れば微妙だろう。モンハンのいわゆるテーマソング、あれが少しでも使われていれば、それだけで一部のファンはゲーム世界と映画世界がつながったと感じられたはず。まあ、良くも悪くもゲーム世界と映画世界は別物だと理解して鑑賞するかどうかを決める必要がある。ちなみにMOVIXあまがさきの客入りはさびしいものだった。ゲームファン世代であるべき10代~30代はほとんどおらず、どういうわけか年配の方々ばかり。公開から1週間以上が経過しているとはいえ、土曜の昼にこのありさまと言うことは、ゲームファンからそっぽを向かれた作品なのだろう。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210404023937j:plain

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

bait

エサの意。ただし、ペットの犬や金魚にエサをやるという時のエサではなく、獲物などを呼び寄せる時に使うエサのこと。釣りを嗜む人ならベイトやルアーなどの言葉に馴染みがあるだろう。魚をベイトでルアーするわけである。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210404023958j:plain

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210404024008j:plain

 

 にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アクション, アメリカ, トニー・ジャー, ファンタジー, ミラ・ジョヴォヴィッチ, 監督:ポール・W・S・アンダーソン, 配給会社:東和ピクチャーズ, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 モンスターハンター 』 -ゲームの世界観は再現されず-

『 騙し絵の牙 』 -トレーラー観るべからず-

Posted on 2021年4月1日 by cool-jupiter

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210331235458j:plain

騙し絵の牙 55点
2021年3月28日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:大泉洋 松岡茉優
監督:吉田大八

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210331235516j:plain

塩田武士はJovianと同郷の兵庫県尼崎市出身、さらに学年も同じである。ひょっとしたらその昔、街中ですれ違ったことぐらいはあるかもしれない。原作小説は未読であるが、『 罪の声 』が傑作だったので、本作も期待していたのだが、こちらはダメだった。とにかくトレーラーで半分はネタバレしてしまっている。作った人間は切腹してよい。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210331235629j:plain

あらすじ

大手出版社「薫風社」で社長が急逝。次期社長の東松の経営改革によって、看板雑誌である「小説薫風」すらも月刊から季刊に変更されかねない。そんな中、サブカル雑誌「トリニティ」の変わり者編集長・速水(大泉洋)は、新人編集者の高野(松岡茉優)を誘い、独自の企画を次々に立案・実行していくが・・・

 

ポジティブ・サイド

ひとりのサラリーマンとして本作を観た時、サラリーマン世界の権力闘争や仕事の切り拓き方をよくよく活写しているなと感じた。特に新社長の東松と専務の宮藤の権力争いは旧態依然の典型的な日本企業であると感じたし、小説薫風の編集長の木村佳乃は旧弊に無意味に固執するという点で、バリキャリでありながらも、やはり昔ながらの日本のサラリーマンである。こうした職場や会社に厭いている人は実は多いのではないかと思う。だからこそ、トリニティの編集長の速水が、文壇の大御所にまったく物怖じすることなく接し、また新人編集者の高野から忖度無しの批評を elicit するところが痛快なのだ。本人たちに出会ったことは無いが、大泉洋は速水に、松岡茉優は高野に、それぞれ似たところがあるのではないだろうか。役者がキャラにピタリとはまっていた。

 

文学や読書という視点から眺めてみるのも面白い。テレビ番組内文学の価値を大仰に語る國村準演じる文豪には、確かに名状しがたい説得力がある。『 響 – HIBIKI – 』などから感じられるように、文学にはまだまだポテンシャルがあるはずだし、文学が果たすべき役割は大きい。文学という虚構の物語でしか提示できない命題や哲学があるからだ。またコロナ禍において、書籍の売り上げが増加しているという事実もある。人はいまでも文学(小説かもしれないし、エッセイかもしれないが)を求めているのである。

 

そうしたことに思いを巡らせている中で、なぜかいきなり國村準が歌っていたり、あるいはワインのテイスティングで大失態したりと、シリアスとギャグを行ったり来たり。このシーンでは笑ってしまうこと必定である。このシリアスとギャグを行ったり来たりは、佐野史郎演じる専務や、新社長の東松と速水がシンクロするシーンでも見られ、とにかく笑ってしまうのだ。実際に劇場のそこかしこから笑い声が聞こえてきた。

 

高野と速水の凸凹コンビが新たな領域を切り拓いてく様はサラリーマンとして見ても痛快だし、そこから生まれる人間模様や世間の反応、さらにちょっとしたツイストもあり、観る側を飽きさせない。騙し騙されよりも、純粋にお仕事ムービーとして鑑賞することで、速水の秘めた思い、そして高野が抱くようになった思いを理解できる。どちらに共感するかは人に拠るだろうが、Jovianは速水の思いに寄り添いたくなった。多分、35歳ぐらいが分かれ目か。それ以上の年齢なら速水派だろうし、それ以下の年齢なら高野派だろう。本作を楽しむ方法の一つは、自分をメインキャラの誰かに重ね合わせて仕事をする、仕事を構想することだと思う。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210331235653j:plain

ネガティブ・サイド

騙し合いバトルなどど散々に煽ってくれたが、この程度で騙されるのはミステリ初心者ぐらいだろう。まあ、ミステリ作品でもないのだからそこに目くじらを立てるべきではないのかもしれないが、本当ならもっとびっくりさせられる展開のはずが、半分くらい種明かしされていたと映画のかなり早い段階で気付いてしまった。とにかくトレーラーが罪である。とにかく「全員嘘をついている」という煽り文句を信じれば、新たなキャラが登場したり、展開が進んでいくたびに「ああ、これ嘘だ」、「あ、これも嘘かな」、「これも嘘やろうな」と分かってしまう。他にもいわくありげにトレーラーに登場していて、それでいて本編では謎の人物として序盤から存在がにおわされているキャラクターとか、そんな中途半端過ぎる演出や筋立てはいらんやろ・・・ リリー・フランキーの無駄遣いと言うか、観客を驚かせようという意図が見えない。

 

また、作り手が本当に騙したいのは読者や映画の観客であることを常に意識していれば、某キャラのやや不自然な振る舞いや大袈裟なリアクションがフェイクであることが分かってしまう。終盤手前のドンデン返しの驚きが、ここでひとつ弱くなってしまっている。

 

高野の父親が倒れるエピソードは不要な気がする。もちろん、父親の病気によってその後の高野の行動が分かりやすくなっている面もあるが、あえて病気の力を借りる必要もない。もともと出版不況の折、街の書店が潮時を自然に悟っても不自然さはない。

 

佐藤浩市と中村倫也が腹違いの兄弟疑惑も不要。それが事実であろうと事実でなかろうと、プロットに何の影響もない。原作では何かあったのだろうが、ドンデン返しにつながらないのであれば、そんな設定はバッサリ切ってくれてよかった。

 

斎藤工のキャラも蛇足。胡散臭いファンドマネージャーなどいてもいなくても、本編に何の影響も与えていない。どうせ胡散臭いキャラを出すなら、実はアメリカあたりのハゲタカファンドのエージェントだったとか、大規模工事に一枚噛みたい大手ゼネコンにつながってましたみたいなキャラにするべきだった。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210331235715j:plain

総評

大泉洋は腹に一物抱えていながらも飄々としたキャラを好演。松岡茉優も編集者として等身大の演技を見せた。笑えるシーンも多く、その一方で『 七つの会議 』的なサラリーマン社会のシリアスな描写もあり、エンターテインメントとしては及第点。問題はとにかくトレーラーの出来が酷過ぎること。トレーラーを何度も何度も観た人間が本編を観れば、「ああ、このキャラはあいつで、こいつの正体はこうだな」と次から次に分かってしまう。「全員嘘をついている」とか言う必要はゼロだろう。何たる興覚め。とにかく本作を楽しむためにはトレーラーの類を一切観ないこと。これに尽きる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

power struggle

 

権力闘争の意。新社長と常務の対決シーンは本作の(数少ない)見どころの一つである。サラリーマンで上に昇っていけるのは、実力半分ハッタリ半分なのだというところが役員同士のdick measuring contestから見て取れる。

 

Jovianセンセイのお勧め書店

REBEL BOOKSは群馬県高崎市の、いわゆる街の書店。といっても高野の実家のような昔ながらの書店ではなく、地域の拠点、情報発信基地のような本屋さんである。Jovianの大学の同級生が経営者である。Jovianも時々通販で買っている。とんがった品揃えの店なので、bibliophileな方はぜひ一度のぞいみてくだされ。

 にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, D Rank, コメディ, ヒューマンドラマ, 大泉洋, 日本, 松岡茉優, 監督:吉田大八, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 騙し絵の牙 』 -トレーラー観るべからず-

『 守護教師 』 -鉄拳は全てを解決する-

Posted on 2021年3月27日 by cool-jupiter

守護教師 55点
2021年3月24日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マ・ドンソク キム・セロン チン・ソンギュ
監督:イム・ジンスン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210327023940j:plain
 

エヴァの映画やテレビアニメ版ばかりを鑑賞して脳みそが少々疲れた。こういう時は、頭を空っぽにして鑑賞できる映画でリセットしたい。ということで、マ・ドンソクの映画をピックアウト。こちらも『 無双の鉄拳 』と同工異曲のマ・ドンソク映画だった。

 

あらすじ

元ボクシング東洋チャンピオンのギチョル(マ・ドンソク)は、暴力沙汰から連盟から追放されてしまった。そんな彼が見つけた仕事が地方の高校の学生主任。だが、そこは女子高生の家出が異様に多かった。そして教師たち、警察までもがそれを見て見ぬふりをしている。ギチョルは、次第に消えた友人を探すユジン(キム・セロン)と関わっていくことになり・・・

 

ポジティブ・サイド

マ・ドンソクの鉄拳は本作でも健在。けれども、彼の役者としての成長も見える。Jovianの嫁さんが本作のマ・ドンソクを観た瞬間に「これは善人やろ」と一言。ひょうきんなシーンではなかく、ニュートラルな表情をしていたが、確かにそれだけでキャラ属性が伝わってきた。もちろん剛腕もド迫力。普段から絶対ボクシングの練習をしているに違いない。それぐらい重心が低く、また背骨を軸にした左右フックを放っていた。アクションシーンはやられる側と相当綿密に打ち合わせして作っているのだろうなと思わせてくれた。

 

『 アジョシ 』の天才子役ソミを演じたキム・セロンが等身大の女子高生になっていた。多分、『 建築学概論 』のぺ・スジのように、正統派の美少女でありながら我々が怖気をふるうような罵り言葉を口にするコリアン・ビューティーになるのだろう。実際にその片鱗を序盤のヤンキー女子たち相手に発揮していた。つくづく思うが、韓国女子のたくましさには頭が下がる。本邦の女性たちがいわゆる「女性らしさ」から脱却できるのはいつなのか。その意味では『 地獄の花園 』にはちょっとだけ期待している。

 

ストーリーは単純明快だが、社会の闇、権力の闇を描くことを忘れないのが韓国映画の基本的文法である。悪い人間が存在する、ということではなく、悪い人間を生み出す土壌が存在する。それを国の恥、社会の恥だと言って無視する、あるいは隠すことは容易い。だが、それをエンターテインメントの種にして、世界に発信してしまうことには感心する。

 

本作は『 アジョシ 』が本来想定していた中年オヤジによる少女の救出劇の亜種だとして観るとなかなか興味深い。美女と野獣ではないが、美男子が美少女を救うのではなく、むさくるしいオッサンが美少女を救う。そこに教師と生徒という関係を持ってくることで違和感を中和している点も見事だ。マ・ドンソクがサラリーマン社会の論理で縛られてしまうところ、そうしたしがらみを全部振り切っていく終盤の流れはベタながら、誰にとってもそこそこ楽しめるものであることは間違いない。



ネガティブ・サイド

マ・ドンソクのキャラクターがはっきりしない。体育教師なのか、債権回収担当なのか。キャラの面白さはギャップにあるのだから、体育の授業で女子の扱いに手を焼くマ・ドンソクや、取り立ての際に女子高生にマシンガントークをかまされて言い負かされるマ・ドンソクを観てみたかった。そうすれば、その拳を振るう時のギャップがより大きくなる=意外性(我々にとってのではなくユジンら女子高生らにとっての)が大きくなり、物語をもっとダイナミックに動かしやすくなっただろう。

 

遅咲きのスター、チン・ソンギュもやや拍子抜け。『 犯罪都市 』での朝鮮族ギャングのNo.2という役で恐るべき存在感を発揮したのだから、それと同じくらいの迫力を出す役に仕上げるべきだった。あるいは監督がそのように演出するべきだった

 

最後の最後に巨悪をぶん殴れない展開というのもいかがなものか。この黒幕、『 トガニ 幼き瞳の告発 』の黒幕と同じく、めちゃくちゃ気持ち悪い御仁。そして『 トガニ 幼き瞳の告発 』でも、physical punishmentは受けなかった。マ・ドンソクの一番の魅力はその剛腕にあるのだから、ブッ飛ばせる相手はブッ飛ばしてほしいと切に願う。

 

総評

マ・ドンソクの映画である。それだけで分かる人は分かるだろうし、観たくなる人は観たくなるだろう。ただ、個人的には『 無双の鉄拳 』の方が面白かったかな。頭を空っぽにしたいときに向いている作品である。どちらかと言うと、マ・ドンソクのファンよりもキム・セロンのファン向けの作品かもしれない。コリアン・ビューティーはいつ見てもいいものである。

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

オッパ

お兄さん、の意。ただし血縁関係がなくても年上の親しみのある男性に使える語。そこらへんは日本語でも同じである。『 悪人伝 』でヒョン=兄と紹介したが、男性→年上の親しい男性の時はヒョン、女性→年上の親しい男性の時はオッパという具合に体系的に理解したい。

 

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アクション, キム・セロン, チン・ソンギュ, マ・ドンソク, 監督:イム・ジンスン, 配給会社:アルバトロス・フィルム, 韓国Leave a Comment on 『 守護教師 』 -鉄拳は全てを解決する-

『 ビバリウム 』 -それでもマイホーム買いますか?-

Posted on 2021年3月14日 by cool-jupiter

ビバリウム 55点
2021年3月13日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:イモージェン・プーツ ジェシー・アイゼンバーグ
監督:ロルカン・フィネガン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210314022503j:plain
 

トレイラーを観ただけで好みの作風と判断。『 エスケープ・ルーム 』や『 迷宮物語 』のような、非現実的な領域に迷い込んでしまう話が好きなのである。

 

あらすじ

教師のジェマ(イモージェン・プーツ)と庭師のトム(ジェシー・アイゼンバーグ)は、二人で住む家を探して不動産屋へ。ヨンダーという郊外の住宅地で内見をするが、住宅地から抜け出せなくなってしまう。そして「育てれば解放する」というメッセージと共に謎の赤ん坊が届けられて・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210314022522j:plain
 

ポジティブ・サイド

冒頭のEstablishing Shotが奮っている。托卵の結果、カッコウの雛は他の卵を落とし、さらには雛も落とし、自分だけぬくぬくと他人(他鳥?)に育ててもらう。このショットが適切かどうかは別にして、それが自然の摂理であるということは強く伝わってきた。

 

育てることになった子どもが上げる奇声の不穏なことと言ったらない。神経を逆撫でする声である。ジェマの台詞に“I’ve never heard such perfect silence”(こんな完璧な静寂、聞いたことがない)というものがあったが、こんな空間でこんな声聞かされたらノイローゼになること必定である。この子(Itと呼ぶべきか)の不気味さを増す要素に、ジェマとトムの言葉をオウム返しする習性が挙げられる。そりゃトムも壊れるわな・・・ 『 光る眼 』や『 アンダー・ザ・スキン 』のような、変則的な侵略SFが好きな向きは本作も問題なく楽しめることだろう。

 

という見方がオーソドックスだろうか。

 

もう一つの見方は、本作はマイホーム購入後の人生をカリカチュアライズしているのではないかというもの。元々、子どもなんていうものはエイリアンみたいなもの。母親の体液をチューチューと啜って成長する生き物、と書けば哺乳類全体がいきなりヤバい生物に感じられるが、事実はそうなのである。親のすねかじりこそがある程度の高等生物の本質なのではないか。

 

本作の子どもの振る舞いを見れば、子育てがどれだけ大変かが分かる。腹が減るたびにギャーギャーと泣き喚き、親の言葉をオウム返しするのも言語を獲得する過程の一部に過ぎない。成長すれば深夜まで訳の分からんテレビを観るのに没頭して、外ではどこで誰と何をやっているのか分からない。Z世代というのは個性を重視すると言われるが、全世界的に観ても今の30代後半以上の世代は、恋愛にせよ仕事にせよ、何らかの「モデル」(その多くは小説や映画、テレビドラマや企業の商品CM)を良い意味でも悪い意味でも押し付けられてきた。ロルカン・フィネガン監督はJovianと同世代。そんな彼が現代の子育て事情を目の当たりにして、「俺たちが何を育てさせられているんだ?」という問題意識に基づいて作ったのが本作なのではないだろうか。

 

ネガティブ・サイド

ストーリーに二転三転がない。グッド・エンドであれ、バッド・エンドであれ、途中で適度に上げたり落としたりするべきだろう。タバコのポイ捨てによって、何か突破口が広がりそうに予感させるが、それをトムがジェマに見せる。それによってわずかな希望が生まれる。あるいは、トムがタバコをポイ捨てして見せるが、芝生に変化なし。ジェマはトムを少し信用できなくなる、といった演出も可能だったはずだ。

 

あと、これはカッコウの托卵とは構図が真逆ではないか?どちらかというと、サムライアリとクロヤマアリの関係に近いと思う。なんらかのミスリードなのかなとも思ったが、そうでもないようだ。人間という生き物の性質と托卵戦略を取る外的侵略種の狭間の物語であることを強調するなら、もう少し別の見せ方もあったように思う。

 

ジェシー・アイゼンバーグの見せ場が少なかった。それこそ得意のマシンガントークをかまして、それを子どもがひたすら真似するというシーンがあれば、子どもの気味の悪さも一層際立ったことだろう。

 

総評

公開直後ということもあり劇場はかなりの入りだったが、特に若いカップルが目立った。はっきり言ってデートムービーには向かない。人によっては本作をホラーに分類するかもしれない。子育て真っ最中の人にもお勧めはしづらい。子育て一段落の世代なら、適度な距離感で鑑賞できるものと思われる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

ium

プラネタリウムやアトリウム、シンポジウムなど、iumで終わる英単語は日本語になっているものも多い。意味は「場所」である。サナトリウム=sanatoriumは療養所だし、スタジアム=stadiumはスポーツファンにはお馴染みだろう。ビバリウム=vivariumは「生きる場所」の意味で、辞書的には動植物飼養場となるらしい。「ビバ」と聞いて万歳=Long live!だとつなげて考えられれば、本作のストーリーも腑に落ちるのではないか。語彙素の知識は不可欠とは思わないが、知っておいて損になることはまずない。ちなみにプレステで『 シーマン 』をプレーしていたJovianと同世代または上の世代は、ビバリウムという言葉自体には聞き覚えがあるはず。

 にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アイルランド, イモージェン・プーツ, ジェシー・アイゼンバーグ, スリラー, デンマーク, ベルギー, 監督:ロルカン・フィネガン, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 ビバリウム 』 -それでもマイホーム買いますか?-

『 ラスト・サンライズ 』 -中華SFの凡作-

Posted on 2021年2月25日2021年2月25日 by cool-jupiter

ラスト・サンライズ 50点
2021年2月23日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジャン・ジュエ ジャン・ラン
監督:レン・ウェン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210225010825j:plain
 

TSUTAYAの準新作コーナーでたまたま目についたのでレンタル。『 羅小黒戦記~僕が選ぶ未来~ 』のクオリティは期待していなかったが、それでも中国がカンフーもの以外のジャンルにも本格進出しつつあるのだと感じさせてくれた。

 

あらすじ

ヘリオス社が供給する太陽光エネルギーで稼働する中国社会。天文学者スン・ヤン(ジャン・ジュエ)は近傍の恒星の消滅と太陽の明滅減少に懸念を抱いていた。ある朝、突如として太陽が消滅。電力は失われ、都市機能は麻痺。スン・ヤンは隣人チェン・ムー(ジャン・ラン)と共にある場所に向かおうとするが・・・

 

ポジティブ・サイド

太陽に異常が起きるという映画には怪作『 サンシャイン2057 』があるが、他はちょっと思いつかない。火星はいっぱいあるのに。この一点だけでも本作には価値がある。永久不滅の象徴でもある太陽が消える。それも文字通りに忽然と。この出だしは絶対に面白いに違いないと直感したし、事実、面白かった。

 

EVが当たり前の社会で、深圳あたりでは現金の方が珍しくなっていると聞くが、決済もすべて電子マネーな世の中。また『 her 世界でひとつの彼女 』のサマンサを彷彿させるイルサというAIにもニヤリ。近未来の社会を描いているが、そこに確かなリアリティがある。だからこそ、太陽が消えてしまうという荒唐無稽なプロットにもついて行こうという気になれる。

 

本作は正確にはSFではなく、ロードムービーだ。彼女いない歴=年齢の野暮天男スン・ヤンと、家族と微妙な距離関係にあるチェン・ムーの二人が、人類の滅亡が確定した世界で希望を求めて寄り添いながら旅をしていく物語である。どこか『 エンド・オブ・ザ・ワールド 』に似ているか。ロマンスの予感を漂わせながら、微妙な距離を保ち続ける二人というところがアジア的でよろしい。これが凡百のハリウッド映画だと、『 アルマゲドン 』のリヴ・タイラーよろしく、すぐにイチャイチャが始まるのだろうが、そこはさすがに中華映画。節度を守るところが潔い。

 

太陽消滅後の世界の描き方も、政治的・経済的な方面に偏らず、あくまで主役の二人にフォーカスし続ける。そのため、いらぬことを考える必要なくスン・ヤンとチェン・ムーの旅路を見守ることに集中できる。二人が道路わきでカップラーメンをすするシーンがとても印象的だった。そして旅路の果てに夜空に広がる幻想的としか言いようのない映像は、中華映画の黎明期を暗示していたのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

極力、スン・ヤンとチェン・ムー以外を映さないようにしているが、それでも色々なところでボロが出ている。一番「ん?」となるのは、二人の乗る車の影の有無や方向。太陽も月明かりも街路灯もなくなった世界で、車は地面に思いっきり濃い影を落としている。しかも、あるショットでは車の右に影があるのに、次の瞬間には影が左に移動したりしている。無茶苦茶もいいところだ。

 

また太陽の消失から地球の気温が急激に低下した世界にもかかわらず、吐く息が白かったり、白くなかったりしている。『 パブリック 図書館の奇跡 』と同じミスである。だが本作の方がミスの度合いは大きい。外では吐く息が白くならないのに、車に乗り込んだ途端に息が白くなったりするのだから。そんな馬鹿な・・・

 

クライマックスの幻想的な夜空は美しいが、科学的にどうなっているのか。真っ暗な球体が夜空に浮かんでいて、それが一目で木星と金星だと、どのようにして認識できるのか。というか、内惑星の金星と外惑星の木星が地球から見て同一方向に並ぶのは、数日では不可能だろう。惑星と惑星の間の距離を甘く考えすぎだ。わずか数日で木星が地球の側までやって来る(あるいは地球が木星に引き寄せられる)のも同様の理由で非科学的に過ぎる。『 アド・アストラ 』と同じミスだ。また、実際に木星が地球からあの大きさに目視できる距離にあれば、地球などは完全に木星のロシュ限界を超えている。つまりはボロボロに引き裂かれてしまうはず・・・

 

総評

政治的・経済的な混乱の描写は最小限にとどめたので、そのあたりのパニック描写は矛盾をきたすほどではない。しかし、科学的に考えてしまうとドツボにハマる。なので、ハードコアなSF小説やSF映画ファンには決して勧められない。ロードムービーの変化球ながらも、奥手な男と勝ち気な女子という王道的なロマンスのジャンル混合作品として観るのが吉だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

tomorrow

言わずと知れた「明日」の意。中学生や高校生がこの単語をつづる時、しばしばtommorowと書いたり、tommorrowと書いたりする。tomorrowはtoとmorrowに分解できる。Morrowというのは「次の日」の意味で、これはmorningとも語源を同じくしている。日本語でも朝(あさ)と書いて朝(あした)と読むことがあるのが面白いところ。morningにはmが一つしかないと分かれば、tomorrowにもmは一つだと分かる。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, ジャン・ジュエ, ジャン・ラン, ロマンス, 中国, 監督:レン・ウェン, 配給会社:竹書房Leave a Comment on 『 ラスト・サンライズ 』 -中華SFの凡作-

『 ファーストラヴ 』 -窪塚洋介に惚れろ-

Posted on 2021年2月15日 by cool-jupiter

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210215215905j:plain

 

ファーストラヴ 50点
2021年2月14日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北川景子 中村倫也 芳根京子 窪塚洋介
監督:堤幸彦

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210215215850j:plain
 

原作は島本理央の同名小説で、『 望み 』の堤幸彦監督作品。俳優陣に旬の役者をそろえたが、その役者たちの奮闘と監督による演出や編集がかみ合っていないと感じられるシーンが多かったのが残念。

 

あらすじ

公認心理士の真壁由紀(北川景子)は、父親を刺殺した容疑者、聖山環菜(芳根京子)を取材する。真相を究明しようとする由紀と国選弁護人にして義理の弟の庵野迦葉(中村倫也)は、二転三転する環菜の供述に翻弄されていく。環菜の過去を探る過程で、由紀は封印した自身の心の闇に向き合うことになり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210215215935j:plain
 

以下、ネタバレに類する記述あり

 

ポジティブ・サイド

俳優陣の演技合戦が堪能できる。主演の北川景子はここ数年で最もコンスタントに売れている女優で、わざとらしさが残るものの、その演技も円熟味を増してきた。本作でも20歳ぐらいの大学生を(おそらくデジタル・ディエイジング無しに)演じ切った。仕事に燃えるキャリアウーマン、使命感に燃えるプロフェッショナル、夫と仲睦まじい妻といった成熟した女性と、男性恐怖症の大学生を同時に演じるというのは、かなりのチャレンジだったはず。だが、見事にその大仕事をやり遂げた。特に夫の腕の中で改悛と安堵の涙に濡れるシーンは本作の白眉の一つ。

 

芳根京子も圧巻の演技。凄惨な登場シーンから、ちょっと不思議ちゃんを思わせる最初の接見。そこから闇を心の奥底に隠した女子大生の顔を小出しにしていき、ある一点で心のbreaking pointを迎えるシーンは圧倒的だった。環菜の初恋には、触れざるべきものがあるのだと思わせるに十分な壊れっぷり。この役者は若いに似合わず、追い込めば追い込むほど実力を発揮できる役者なのではないか。法廷での弁論シーンも印象的。裁判官に正対して語りながら、その目は裁判官を見ていない。弱く、それでいて守られることのなかった自分に向き合っている。そのことがもたらす辛さや痛みが観る側にも如実に伝わってくる。芳根のキャリアの中でも最高に近い演技になったと思う。

 

最も印象に残ったのは、なんと窪塚洋介。堤幸彦監督作品の常連ながら、外連味のある役柄ばかりを演じていたという印象があったが、本作で過去のそうしたイメージを一気に払拭してしまった。忍耐力、包容力、理解力、共感力、家事家政能力。男が持つべき(などと書くとセクシズムに聞こえかねないが、これはロマンチシズムであると解されたい)能力を全て備えた男を好演した。Jovianの嫁さんも窪塚演じる我聞にいたく感じ入っていた。男としてどうかと思わざるを得ない野郎どもでいっぱいの本作の中で、窪塚洋介は一人で主要キャラクターたちのバランスメイカーとして有効に機能した。

 

物語(プロット)も、謎が提示され、その謎を解く。それによって新たな謎が生まれ、そのことが由紀の過去と不思議なフラクタル構造を成していることで、ミステリ要素とサスペンス要素を巧みに融合させている。単なるラブロマンスではなく、サスペンス色強めの愛の物語として、大学生以上の年齢の男女にお勧めできる。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210215215958j:plain
 

ネガティブ・サイド

物語(ストーリーテリング)の面でアンバランスになっているとの印象を受けた。由紀が環菜を同一視していく過程に説得力がない。確かによく似た境遇の二人ではあるが、由紀と環菜で決定的に異なるのは、由紀は父親から直接的にも間接的にも虐待はされていないということ。そして、由紀の性体験に関するトラウマは環菜のそれの比ではないということ。正直なところ、なにが由紀をそこまで環菜の取材および真相究明に駆り立てるのかが分からなかった。『 さんかく窓の外側は夜 』や『 名も無き世界のエンドロール 』も映像化に際してかなり原作が改変されているようだが、本作もやはり原作には映像化しづらいエピソードがあるのだろう。事実、「あなたは母親に愛されなかったからセックス依存症になった」という由紀の指摘は、やや的外れに感じた。「母親に虐待されたから、暴力的なセックスをするようになった」という分析なら理解できる。また、由紀は環菜のような“笑うこと”、“自分で自分を傷つけること”といった防衛機制を作り上げていない。そこからどのように自分自身のファーストラヴにたどり着いたのかが見事なまでに抜け落ちている。原作におそらくあったであろう、そうしたエピソードこそ映像化にトライしないと、単に映画人が小説からネタだけ頂戴しているだけに思える。

 

演出もちぐはぐだった。回想シーンを印象的なBGMあるいは歌で飾るのは映画の常とう手段でそれ自体をクリシェだとか悪いものだとは思わない。問題は、同じ手法を短時間の中で連発すること。寿司屋で大将に「お任せで」と言ったら、玉子焼き→エビ→玉子焼き→エビ、と出されたようなものである。また芳根が面談の場で荒れ狂うシーンもスローモーションとBGMで誤魔化してしまった感がある。環菜の心の闇の濃さと深さを見せつけるせっかくの機会を、なぜに陳腐な演出で潰してしまうのだ?

 

最終盤の法廷シーンでもBGMがノイズになった。環菜が訥々と、しかし切実に自身の過去および心理を述べるシーンの静かな迫力は『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』の小松菜奈のそれに比肩しうる。問題はBGM。完全に不要。「はい、ここで物語が盛り上がっていますよ~」と言わんばかりのBGMが、芳根の渾身の芝居をスポイルしていた。役者の演技はどれも悪くなかったのだから、どうすれば観客にそれが最大限伝わるのかをもっと真剣に模索すべきだ。

 

完全なる邪推なのだが、「髪を切る」というエピソードは原作には存在しないと推測する。『 花束みたいな恋をした 』でも感じたが、男が女の髪に触るというのは、今では普通のことなのだろうか。そこまでは認めてもよい。だが、出会って間もない女性の髪を切るというのは蛮行もいいところだと思うし、本当にそんなことが出来るのは腕と弁の立つ美容師か、究極のオラオラ系のホストぐらいだろう。

 

総評

俳優陣は皆、良い仕事をしている。一方で演出や編集、また原作からの脚本起こしに粗が見られる。原作小説を高く評価する人はスルーすべきかもしれない。北川景子や中村倫也のファンならば観ても損はない。得をするかどうかはファン度による。堤幸彦監督は良作だと駄作を交互に生み出すお方であるが、本作は可もあり不可もある作品に仕上がっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

souvenir

「お土産」の意。旅先から持って帰って来るものを意味する。決して「夜遅くまで飲んでしまったから、嫁に手土産でも買っていくか」という類のものではない。それはgiftと呼ばれる。Souvenirという語に含まれるvenは、ラテン語で「来る」の意。カエサルの「来た、見た、勝った」=Veni, vidi, viciでお馴染みである。こうした語彙素の知識があれば、event = 出てくるもの = 出来事、prevent = 前に来る = 予防する、revenue = 後ろに来る = 収入、intervene = 間に来る = 介入する、などの様々な語も理詰めで覚えることができる。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, 中村倫也, 北川景子, 日本, 監督:堤幸彦, 窪塚洋介, 芳根京子, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 ファーストラヴ 』 -窪塚洋介に惚れろ-

『 哀愁しんでれら 』 -転落サクセス・ストーリー-

Posted on 2021年2月11日 by cool-jupiter

哀愁しんでれら 50点
2021年2月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:土屋太鳳 田中圭 COCO 山田杏奈
監督:渡部亮平

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210211215123j:plain
 

なにやらストーリーがさっぱり分からないトレイラーばかりを見せられているうちに、気になってきた作品。土屋太鳳が母親役を演じるということで、新境地が見られるかと思い、劇場へと向かった。

 

あらすじ

市役所で自動相談員として働く小春(土屋太鳳)は、10歳の頃に母親に捨てられたことから、そんな大人にだけはなるまいと誓っていた。祖父の入院、実家の火事などの災難続きなところへ恋人の浮気も発覚。どん底にいた小春は、偶然にもクリニック経営者の大吾(田中圭)を踏切内で助ける。大吾の娘のヒカリにも気に入られた小春はとんとん拍子に大吾と結婚、幸せな生活が始まるが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210211215150j:plain
 

ポジティブ・サイド

土屋太鳳の新たな一面が見られる。これまでのどこか受動的なキスではなく扇情的なキス。閨事のはじまりに、事後のピロートークなど、年齢相応の役を演じられるようになってきた。『 累 かさね 』でも鼻持ちならないキャラを演じていたが、本作をもってそうしたキラキラ女子高生および女子大生イメージからは完全に脱却したと言っていいだろう。

 

相手の田中圭も安定感のある演技で応える。さわやか系ではあるが、チンピラから暴力的な刑事まで何でも過不足なく演じられる標準以上の俳優で、今回は哀愁しんでれら相手のプリンス・チャーミング役を好演。白馬に乗った王子様であるが、この王子様は馬刺しを食べる王子様である。

 

役者陣で最も印象的だったのはCOCOという子役。『 コクソン 哭声 』の子役のキム・ファンヒの怪演には及ばないが、それでも最近の子役のパフォーマンスでは白眉。無邪気な小学生の顔ともう一つの顔を見事に演じ分けた。監督の演出と本人の個性がマッチしたのだろう。こういう子どもが『 約束のネバーランド 』にいれば、ミステリーとサスペンスがもっと盛り上がっただろうに。

 

ところどころに人間の根源的な願望というか、見たいものを見るという選択的な意志が働くショットがあり、そこは面白いと感じた。そして、そのビジョンの一つを実現させてしまうラストには笑ってしまった。邦画らしくない邦画で、こうした企画が通り、実現されるのだから、日本の映画界ももう少し見守ろうという気になれる。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210211215216j:plain
 

ネガティブ・サイド

土屋太鳳を追い込むなら、もっと徹底的にやるべきだ。男性器をかわいらしく言い換えた言葉も使うが、そこは「あんたの粗末なアレ」とか言うべきだったと思う。序盤と終盤での土屋の変化の落差を印象付けたかったのだろうが、すでにこの時点で小春は不幸のどん底だった。つまり、本音がポロリと漏れやすい状態、思わずきつい言葉を吐いてしまう状態だったわけで、落差を印象付けるなら、ここだった。

 

新居となる家が大きすぎる。『 シンデレラ 』の城のイメージなのだろうが、それなら靴ばかりに不自然にフォーカスするのではなく、小春のバックグラウンドも分かりやすくシンデレラのようにするべきだった。母親に捨てられるというのは辛い体験であるが、その後に家族と共に結構楽しそうに暮らしていては、シンデレラ・ストーリーを成立させにくい。家族によって無意識のうちに抑圧されていたという背景を小春に持たせた方が、荒唐無稽なストーリーにも少しはリアリティが生まれる。

 

その迷い込んでしまった城でも、ホラーのクリシェが多すぎる。薄気味悪いガジェットで埋め尽くされた部屋も既視感ありありだし、気味の悪い肖像画というのもお馴染みのアイテム。シンデレラ・ストーリーを恐ろしいものに見せたいのなら、王子様が怖い人だったという構成ではなく、お城暮らしをするようになったシンデレラが、いつの間にか下々の者を見下すようになっていた、という筋立ての方が説得力があっただろう。山田杏奈演じた小春の妹が大吾にネチネチと嫌味を言われるシーンがあるが、こういった言葉を小春自身が可愛がっていた妹に知らず知らずのうちに浴びせていたという方がサイコな怖さを演出できたと思う。

 

総評

『 パラサイト 半地下の家族 』並みにジャンル・シフトする作品である。だからといって面白さはその域には全然達していない。けれども、邦画が及び腰になっていた領域に果敢に突っ込んでいった点は評価せねばなるまい。ドラマスペシャル『 図書館戦争 BOOK OF MEMORIES 』、『 図書館戦争 THE LAST MISSION 』の二人のreunionを喜べる人であれば、チケットを購入してみてもいいだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

disqualify

失格させる、の意。元々の動詞、qualifyに否定の接頭辞disがくっついたものである。「母親失格です」ならば“You are disqualified as a mother.”となる。他にもunderqualifiedやoverqualifiedなどの語は、外資系で採用に携わっている人はしょっちゅう耳にしていることだろう。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, COCO, D Rank, スリラー, 土屋太鳳, 山田杏奈, 日本, 田中圭, 監督:渡部亮平, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 哀愁しんでれら 』 -転落サクセス・ストーリー-

『 THE 焼肉 MOVIE プルコギ 』 -一緒に食べて友達になろう-

Posted on 2021年2月9日 by cool-jupiter

THE 焼肉 MOVIE プルコギ 50点
2021年2月6日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:松田龍平 山田優 井浦新
監督:グ・スーヨン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210209002043j:plain
 

『 偶然にも最悪な少年 』のグ・スーヨン監督の作品。焼肉を通じて経済活動の醜さと人間関係の尊さを面白おかしく描いている。2020年の1129(いい肉)の日にテレビ放送されていたが見逃したため、今回レンタルにて鑑賞。

 

あらすじ

兄と生き別れた韓国人孤児から成長したタツジ(松田龍平)は北九州のプルコギ食堂で伝説のじっちゃんの下で修行の日々を過ごしていた。そんな時、テレビの焼肉対決番組で破竹の連勝を続ける虎王の経営者トラオ(井浦新)から挑戦があり・・・

 

ポジティブ・サイド

本当においしい店は外観にカネなどかけない。まるで『 焼肉ドラゴン 』のようなたたずまいの店で、従業員も客も笑い合う。コロナ禍の中で見られなくなった“会食”の風景に、こちら側も笑顔になれた。

肉そのものへのフォーカスにも抜かりはない。赤肉と白肉(=いわゆるホルモン)の対比を軸に、トラオとタツジの対決につなげていくが、そこで実際に虎王によって供される肉料理もなかなかのもの。『 フードラック!食運 』が疎かにした、焼肉以外のメニューを本作はしっかりフィーチャー。さらにプルコギ食堂が出すメニューやまかない飯もかなり食欲をそそる。特に豆もやしスープは、ニンニクとわかめのスープほど焼肉料理屋ではメジャーではないが、好きな人は何より好きだという通のメニュー。さすがに在日二世のグ・スーヨン監督である。特に荏胡麻の葉っぱ(ケンニップ)のしょうゆ漬けを持ってきたところに、監督のこだわりを見た。メニューに荏胡麻の葉がある店はそんなに多くないが、実際はありふれた総菜の一種である。これに加えられた隠し味が焼肉対決でも、またタツジの兄探しにも大きな役割を果たしている。

 

プルコギ食堂でも虎王でも、調理場でさりげなく復讐種類の包丁がフレームに収められているところでニヤリ。『 フードラック!食運 』がエンドクレジットの実在の店のショットで初めて映したところを、本作は全編にさりげなく忍び込ませている。焼肉を食べるのが好きな人が作ったのが『 フードラック!食運 』。焼肉という料理そのものを好きな人が作ったのが本作だということが伺える。そのことは、肉の焼き色ではなく、肉と油が熱によって内側で爆ぜる音に耳を澄ますという描写からも明らかである。

 

俳優たちも何気に豪華だ。松田龍平の無表情さは孤児のバックグラウンドを感じさせるし、山田優も若さそのままの健康的な色気を放っている。劇中で死亡してしまった韓老人を演じた田村高廣の遺作となってしまったが、その死の演技は圧巻の一語に尽きる。『 ターミネーター2 』のディレクターズカットで、T-800のプログラムをいじくる時のシュワちゃんの静止演技をはるかに超える長尺ワンカットでまばたき一つしないという超絶的な演技を見せた。名優に合掌。

 

ネガティブ・サイド

津川雅彦をはじめとした焼肉バトルの審査員がボキャ貧もいいところだ。もっと肉の美味さを映像的に分かる形で表現しないと。特に赤身肉の美味さというのは、タンパク質=筋肉の繊維がしっとりとしていて、噛めば肉汁を出しながらすんなり噛み切れるところにある。そういった肉の特徴を、もっと擬音語や擬態語でもって語らないと。「噛むと肉汁がじゅーっと溢れて、それでお肉もサックサクで、のど越しもツルン」みたいな大仰な表現をしてほしかった。

 

タツジが納得いかない出来の肉を皿ご放り投げるシーンには、元焼肉屋ならずとも腹が立った。タツジのキャラクターを描くうえで重要な演出でもないし、「これ、処理しといて」とか「テレビのスタッフさん、食べてください」とでも言えば、横柄ではあるものの食べ物を粗末にしない人間であるというふうに描出できたはず。

 

コメディ調ではあるものの、そのトーンが一貫しない。牛を連れてきて対決をする男にひらすらセロリをかじる男。セクシーギャルを使っての客引きなど、コメディっぽいシーンはふんだんにある。一方で、暴力沙汰も結構あり、これらのシーンは笑えない。このあたりのアンバランスさが本作のトーンから一貫性を奪って、ジャンル不詳にしてしまっている。

 

最も気になったはタイトルにあるプルコギがほぼ出てこないこと。プルコギはどちらかと言うと韓国風すき焼きで、韓国風焼肉とは別物。ちなみにJovianが思い描く、そして韓国で実際に食べた韓国風焼肉とは、鉄板で焼いた豚肉・牛肉を、玉ねぎやニラやニンニクと少量のご飯と共に葉野菜でくるんで食すものを指す。せっかく北九州という韓国に非常に近い土地にフォーカスしているのだから、朝鮮半島由来の料理をもっと登場させてみても良かったのでは?

 

総評

焼肉は比較的安全な外食とされるが、まだまだ不安のある人も多いことだろう。そうした向きが観ると良いかもしれない。井浦新が、この頃はまだARATA名義である。井浦のファンならば是非見よう。もちろん、松田龍平ファンにもお勧めである。誰かと一緒に食べることが難しい今だからこそ、本作の持つ「一緒に食べて友達になろう」というメッセージが、より尊く響いてくる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

grill

「(鉄板や網に乗せて)焼く」の意。日本語では「焼く」は「焼く」だが、英語では他にもburnやbake, broil, roastなど、焼き方によって様々な動詞がある。無理やり丸暗記するのではなく状況と共に、かつビジュアルイメージを持って理解することが、コロケーションの知識を深めていくことにつながる。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2000年代, D Rank, コメディ, 井浦新, 山田優, 日本, 松田龍平, 監督:グ・スーヨン, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 THE 焼肉 MOVIE プルコギ 』 -一緒に食べて友達になろう-

『 シャッフル 』 -サンドラ・ブロックを堪能せよ-

Posted on 2021年2月6日 by cool-jupiter

シャッフル 50点
2021年2月4日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:サンドラ・ブロック
監督:メナン・ヤポ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210206184255j:plain


 

緊急事態宣言以後、嫁から尼崎市内から極力出るなとのお達しが出ている。本当は梅田や心斎橋に足を伸ばしたいのだが・・・。一方で映画を観る人は増えているようだ。事実、近所のTSUTAYAは明らかに客が増えている。配信ではなくレンタルというところに日本のデジタル化の遅れを実感するが、それでもVHSからDVD、Blu-rayのカバーボックスの表と裏でキービジュアルやプロットをチェックするのは楽しい。本作もタイトルとカバーのデザインだけでレンタルを決めた。

 

あらすじ

リンダ(サンドラ・ブロック)のもとに保安官が訪れ、夫のジムが交通事故で死亡したと告げる。呆然自失するリンダは翌日、出勤前にリビングでくつろぐ夫と出会う。だが、さらにその翌日、ジムは亡くなっていた。時間の流れがシャッフルされているのか。リンダはジムを救うことができるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

高畑京一郎の小説『 タイム・リープ―あしたはきのう 』を映像化すると、このような作品になるのだろう。タイムトラベルやタイムスリップは、それこそ星の数ほど小説でも映画でも使われてきたが、時間をバラバラに経験するというのは珍しい。時間の描写を逆にするのは『 メメント 』などもあり、珍しいものではなくなってきているが、本作のように時間の順序をシャッフルしてしまうというアイデアは秀逸だと思う。このことによって思わぬサスペンスが生まれている。

 

例えば娘の顔の傷。あるいは洗面所に無造作に放置された錠剤。謎が生まれるたびに、その謎がいつの時点で発生したのかを考えてしまい、引き込まれる。これが例えば『 オフロでGO!!!!! タイムマシンはジェット式 』のような普通のタイムトラベルものだと、現代と過去の違い(たとえば片方の腕の有無)から、過去に何かが起きたと分かる。問題は、時間の流れが一方通行であるため、現代につながる事件の起きる瞬間に対して主人公たちが受け身にならざるを得なかったところ。本作は逆に、待っていれば欲しい情報が得られるわけではない。次から次へと意味不明の展開が起こり、別の曜日になってみて初めて、その意味が分かる。ある意味で『 TENET テネット 』のような構成なのだ。ここが非常に新鮮で面白かった。

 

オチも、この手の時間改変スリラーの中では王道と言えるものだが、後味は悪くない。むしろ、Memento moriの元来の意味に近いCarpe diemという哲学を想起させる。Milfyなサンドラ・ブロックが堪能できる佳作。

 

ネガティブ・サイド

超常現象、あるいは怪奇現象を思わせる演出のすべてがノイズである。カラスの死骸のシーンでは、「あれ、これって『 ペイ・ザ・ゴースト ハロウィンの生贄 』の系統のストーリーなの?」と感じてしまった。妙な演出など不要、ストレートに不可解なシャッフル現象だけを取り上げれば良い。ストーリーの根本にあるのは「何故こうなっているのか」ではなく、「この状況で何をなすべきか」なのだから。

 

ジムの出棺のシーンもめちゃくちゃ。『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』でも、御棺を警察官2人で軽々と運ぶシーンがあったが、プロレスラー並みの力持ちかいな。本作は本作で、男二人で運ぼうとした棺をガタンと落としてしまい、中から首がゴロゴロゴロ、ってそんな馬鹿な。普通は簡単にでも縫い合わせる。その上で縫合部に包帯を巻くのが常道だ。ここでも場に不穏な空気を流したいという園主のためだけに、リアリティが著しく損なわれてしまっている。なんでもかんでも現実に即せと言いたいわけではない、念のため。その作品の持つ世界観と合っていないのだ。

 

世界観にマッチしない最大のノイズと感じたのは、牧師?神父?がリンダに教えを与えるシーン。信仰の本質を突いた鋭い説教だと感じたが、これを最終盤手前に持ってくるのなら、序盤のホラー的な演出はすべてが無意味である。なので、このシーンをバッサリ削るか、あるいはこけおどしシーンを全て切り落として説教のシーンを活かすかである。監督:メナン・ヤポ監督は、このあたりのバランスを見失った。二兎を追う者は一兎をも得ずである。

 

総評 

壮大な謎や陰謀の存在をにおわせるが、その謎解きも無し。けれども『 エミリー・ローズ 』のように謎を解くことに主眼があるのではなく、その謎に立ち向かう人間の姿に美点を見出すならば、なかなかの良作と言えるのではないだろうか。英語でたまにa rainy day DVD=雨の日にちょうど良いDVDと言ったりするが、時代に合わせてa stay-home day DVD=外出自粛日にちょうど良いDVDという言葉を提唱したい。本作は、a stay-home day DVDである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Tell me about it.

『 やっぱり契約破棄していいですか!? 』でも紹介したフレーズ。「言われなくても分かってるさ」、「まったくその通りだ」、「よく分かるよ」という意味である。こうした表現をナチュラルに使えるようになれば、上級者の一歩手前である。

 

 にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, D Rank, アメリカ, サンドラ・ブロック, スリラー, 監督:メナン・ヤポ, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 シャッフル 』 -サンドラ・ブロックを堪能せよ-

投稿ナビゲーション

過去の投稿
新しい投稿

最近の投稿

  • 『 WEAPONS/ウェポンズ 』 -Where are the children?-
  • 『 シェルビー・オークス 』 -クリシェ満載の竜頭蛇尾-
  • 『 TOKYOタクシー 』 -見え見えの結末とそれなりの感動-
  • 『 桂米朝・米團治と行く大坂むかしまち巡り ~商家の賑わい篇~ 』 -大阪人なら一度は観るべし-
  • 『 ネタニヤフ調書 汚職と戦争 』 -他国のスキャンダルと思うことなかれ-

最近のコメント

  • 『 i 』 -この世界にアイは存在するのか- に 岡潔数学体験館見守りタイ(ヒフミヨ巡礼道) より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に cool-jupiter より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に 匿名 より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に イワイリツコ より

アーカイブ

  • 2025年12月
  • 2025年11月
  • 2025年10月
  • 2025年9月
  • 2025年8月
  • 2025年7月
  • 2025年6月
  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2025年2月
  • 2025年1月
  • 2024年12月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2024年9月
  • 2024年8月
  • 2024年7月
  • 2024年6月
  • 2024年5月
  • 2024年4月
  • 2024年3月
  • 2024年2月
  • 2024年1月
  • 2023年12月
  • 2023年11月
  • 2023年10月
  • 2023年9月
  • 2023年8月
  • 2023年7月
  • 2023年6月
  • 2023年5月
  • 2023年4月
  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme