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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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『 イントゥ・ザ・スカイ 気球で未来を変えたふたり 』 -やや演出過多か-

Posted on 2020年2月4日2020年9月27日 by cool-jupiter

イントゥ・ザ・スカイ 気球で未来を変えたふたり 65点
2020年2月1日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:フェリシティ・ジョーンズ エディ・レッドメイン ヒメーシュ・パテル
監督:トム・ハーパー

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原題は“The Aeronauts”、飛行士であるが、aviator=アビエイターが飛行機の操縦士を指す一方で、気球の操縦士を主に指す。ジェームズ・グレイシャーは実在した気象学者だが、アメリア・レンは歴史上の人物たちから着想を得た架空の人物である。エディ・レッドメインとフェリシティ・ジョーンズのコンビは、『 博士と彼女のセオリー 』には及ばないものの、またも良作を作り上げた。

 

あらすじ

時は1862年、ロンドン。科学者のジェームズ・グレイシャー(エディ・レッドメイン)は気象を予測できるようになりたいと研究心を燃やしていたが、学会では相手にされなかった。そんな折、気球操縦士のアメリア・レン(フェリシティ・ジョーンズ)の気球に乗せてもらえることになるのだが・・・

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ポジティブ・サイド

気象学は目立たないながらも非常に重要な学問である。スパコンの使い道のトップは天気予報であるとも言われる。日本のここ数年の猛暑酷暑に、今季の暖冬など、さらに本土での竜巻の発生やゲリラ豪雨など、日本の天候気候は確実に変化しつつある。天気予報や気象学の果たす役割は大きくなるばかりである。そうした時代の到来を予見していたのかどうかは分からないが、気象学の始祖の一人であるジェームズ・グレイシャーにフォーカスするというのは意義深いことであると感じた。

 

エディ・レッドメインは年齢に不相応なチャーミングさがある。『 ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生 』のニュート・スキャマンダー役でも若い魔法生物学者をこれ以上ないほど具現化してくれたが、本作でも少年の目と志を持つ科学者を体現した。科学者は往々にして子どもがそのまま大きくなったような人間が多く、純粋さというものを感じさせることが多い。それは素晴らしくもあり、また危うくもある。マッド・サイエンティストというのは大抵の場合、好奇心があまりにも旺盛で、それが倫理を大きく上回ってしまう時に生まれてしまう。本作のジェームズも、科学調査の名の下に自信の装備を軽視し、フライトそのものを危機においやってしまう。観る側に、「頑張れ!」という気持ちと「何やってんだ、お前は!」というフラストレーションを絶妙のバランスで起こさせるのである。

 

有川浩の自衛隊三部作ではないが、『 海の底 』と『 空の中 』というのは人類にとってかつては謎多き領域であり、今に至っても謎が残された領域である。航空パニック映画などではしょっちゅう乱気流に揺さぶられたり、積乱雲の中で雷に襲われたり(『 天空の城ラピュタ 』が好例だろう)するのが定番である。そこに、ほぼむき出しの気球で挑もうというのだから、なにをどうしたってスリリングになる。実際に、『 ゼロ・グラビティ 』とまではいかないが、全編これスリルと驚異と恐怖のオンパレードである。

 

それに立ち向かうヒロインとして、フェリシティ・ジョーンズが気球操縦士を熱演した。彼女は、ジェシカ・チャステイン同様に、クソ作品に出演することはあるが、自身の演技がクソだったことは無いという素晴らしいactressである。未亡人として打ちひしがれていながらも、社交界の場で如才なく振舞う。そしてダンスパートナーを抜かりなく観察し、王立協会の権威に屈従することもない。アメリア・レンは架空のキャラクターであるが、そのファースト・ネームからはどうしたって『 アメリア 永遠の翼 』のアメリア・エアハートを思い起こさずにはおれない。空を飛ぶことが危険なのではなく、墜落することが危険なのであるが、ヴィクトリア朝時代には、飛行がそれなりに娯楽であったようだ。ジョーンズは、いわばそうした道化の役どころも理解していた。言ってみれば、ありえないほど完璧な人物なのである。それを嫌味に感じさせないのが、この役者の凄いところである。

 

『 キャッツ 』のクライマックスにも気球が出てくるのだが、映画そのものの出来はイマイチだった。だが、本作によって個人的にはredeemされたかなと感じることができたのは僥倖であった。

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ネガティブ・サイド

スリルを生むための演出なのだろうが、ジェームズがベテラン飛行家アメリアのアドバイスを聞かず、防寒着を持ってこないというのは考えられない。気球による飛行そのものの歴史が極めて短いというのならまだしも、フランスでも高度7000メートルを飛んだという知らせが届いている。つまり、新聞記事なり何なりで、その高度の空はどのような環境なのか、知っているはずだ。それはアメリアにしても同じで、なぜ手袋を持ってこないのか。自他ともに認める経験豊富なaeronautであるならば、せめて自分だけでも装備は万全を期してもらいたい。そうするとスリルやサスペンスを生み出しづらくなる、というのは製作者側の甘えである。

 

また、アメリアもジェームズも危機的な状況の中、しゃべり過ぎである。観る側に状況説明をしてくれるのはありがたいが、どのような仕組みで危機が到来しているのかを解説してくれなくても構わない。飛ぶことは危険なことではない。落ちるのが危険なのだ。そのことは、現代人たる我々観客はよくわかっている。ピンチの場面でのセリフ量をもっと減らし、映像やBGMに状況を語らせる努力をトム・ハーパー監督は行うべきだった。

 

また一部の危機的な飛行シーンでアメリアが超絶的な活躍を見せるのは、正直言って演出が過剰であると感じた。ほんの少しでよいので、アメリアが気球を作る作業場で、ロープの素材やその強度、球皮の素材や厚みなどについて語ってくれていれば、彼女の行動は無鉄砲さではなく勇気や信念に支えられたものであると確信できたのだが。

 

映画そのものについての注文ではないが、字幕にも少々注文を付けたい。アメリアが新聞記事を読んで落胆と後悔がないまぜになったような表情を見せるシーンで、新聞の文字はPierre and his brideとなっているところが、「ピエールとアメリア」となっていた。女性は男性の所有格付きで表現される時代に、aeronautとしての矜持を捨てなかったアメリアの葛藤を描く重要なシーンだが、字幕がそれを壊してしまっていたと感じる。細かいところではあるが、指摘しておきたい。

 

総評

ケチをつける箇所もあるが、良作であることは間違いない。ジェームズとアメリアが吊り橋効果のせいでロマンスを始めてしまうということもない。劇場の大画面で美しい空や荒れ狂う空を体感頂きたいと思う。気球(のような乗り物)が重要なテーマやモチーフになっている作品としては、野尻抱介の小説『 ふわふわの泉 』や『 沈黙のフライバイ 』所収の短編『 大風呂敷と蜘蛛の糸 』をお勧めしておく。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

reach for the stars

直訳すれば「星に向かって手を伸ばす」であるが、実際は「手に入れられそうにないものを得ようとする」という比喩的な表現である。これは割とよく使われる表現で、テレビドラマ『 ニュースルーム 』のシーズン1のエピソード1の冒頭シーンのジェフ・ダニエルズの名演説でも使われているし、『 グレイテスト・ショーマン 』のtheme songである“This is me”の歌詞の一部として力強く歌われている。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アメリカ, イギリス, エディ・レッドメイン, ヒメーシュ・パテル, ヒューマンドラマ, フェリシティ・ジョーンズ, 歴史, 監督:トム・ハーパー, 配給会は:ギャガLeave a Comment on 『 イントゥ・ザ・スカイ 気球で未来を変えたふたり 』 -やや演出過多か-

『 ブラックホール 』 -隠れた古典的SFの佳作-

Posted on 2020年1月24日 by cool-jupiter

ブラックホール 65点
2020年1月23日 INTERNET ARCHIVEにて鑑賞
出演:マクシミリアン・シェル ロバート・フォスター
監督:ゲイリー・ネルソン

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小学校5年生ぐらいの頃、実家にあったVHSで観た。テレビでも何度か放映されたように記憶している。ずんぐりむっくりのV.I.N.CENT.がR2-D2的でとても可愛らしかった一方で、初めてマッド・サイエンティストという存在に触れたのも今作だったように思う。こちらの方が後発作品だが、『 ソイレント・グリーン 』の真相に驚かなかったのは、本作を先に観たからだと自己分析している。

 

あらすじ

地球外に新天地を求める航行に出たホランド船長(ロバート・フォスター)らクルーは、超巨大ブラックホール近傍にシグナス号を発見する。ラインハート博士(マクシミリアン・シェル)は、シグナス号で孤独にブラックホールの謎を解き明かすために研究開発をしていたというのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

謎の天体ブラックホールの姿がはじめて観測されたとのニュースが近年あったが、今作で示されるブラックホールの姿は、我々の感覚的なものに近い。科学的に正しい姿ではないかもしれないが、我々がイメージするブラックホールは、『 インターステラー 』の黒い球体ではなく、こちらの渦巻く降着円盤を備えた“穴”である。

 

またテレパシーが存在する世界観も悪くない。宇宙に飛び出すことで人類の一部が新たな環境に適応し、進化するということはありうる。『 機動戦士ガンダム 』におけるニュータイプは、本作のケイトから着想を得たものだったとしても不思議はない。

 

世捨て人かつマッド・サイエンティストのラインハート博士は『 アド・アストラ 』のトミー・リー・ジョーンズを思い起こさせる。というよりも、乗員を犠牲にし、無限の虚空で独り内的な世界に閉じこもる老科学者像という点で、彼ら二人は全く同じである。ラインハート博士は、現代においてもインスピレーションの源になっているのかもしれない。

 

本作は一部ホラー映画である。特にヒューマノイドの頭部・顔面が鏡面になっていて、「話せるのか?」と尋ねるハリーの顔が映り込む姿は、否が応にも観る側の不安と恐怖を駆り立てる。これはなかなか上手い演出である。

 

終盤のV.I.N.CENT.とマクシミリアンの一騎打ちは手に汗握る対決である。ロボットとロボットの対決としては、SF映画史においてもかなりユニークなものだろう。その後の脱出のシークエンスは山本弘に影響を与え、小説『 アイの物語 』の「ブラックホール・ダイバー」のヒントになった・・・かもしれない。

 

エンドクレジットに映るダイヤモンド・リングは、間違いなく偶然の一致だろうが、実際に撮影されたブラックホールの画像と不思議によく似ている。オープニングと同じくジョン・バリー作曲の不気味なシンフォニーが、ブラックホールという謎の天体の不可解さを最後まで際立たせている。

 

ネガティブ・サイド

子どもの頃に何度か観た時は、「スケール大きいなあ」と素直に感心できていたが、おっさんになって再鑑賞してみると「先行作品のパクリが目立つなあ」となる。パクリという表現はディズニーを刺激しかねないので、オマージュと言い換えるべきか。『 スタートレック 』『 スター・ウォーズ 』の宇宙船内の造形にそっくりだし、超弩級宇宙船シグナス号の船体をサーチライトで照らしながら、その巨大さを強調しつつ、光の当たらない闇の部分の多さを強調するのは、『 エイリアン 』の宇宙船ノストロモ号の見せ方と同じ。この船はやばいですよと視覚的に教えてくれているが、その方法は陳腐である。というか、これらもすべて『 2001年宇宙の旅 』をちょっと味付けしなおしたものだ。制作・公開当時でも、オリジナリティは感じられなかったことだろう。

 

また行進するヒューマノイドの部隊の目を避けて脱出しようとするシーンや、隊列を組んだヒューマノイドとの赤いレーザービームでの銃撃戦は『 スター・ウォーズ 』のパクリだろう。ここまでくるとオマージュではすまない。

 

またラインハート博士が生涯をかけて解き明かそうとしているブラックホールの謎のかなりの部分は、実はすでに解けているのではないか。V.I.N.CENT.もB.O.B.もマクシミリアンも半重力装置によって浮遊している。つまり、キグナス号でラインハートが開発したとされるブラックホールの重力を遮断する技術は、彼以前に発明され、実用化されている。しかも、ブラックホールの重力を遮断するどころか、それを無効化し、逆らってすらいる。クライマックスでV.I.N.CENT.がチャーリーを救い出しているのが、その証拠である。この設定、科学的な考証の破綻は当時の知識水準でも指摘できたはずだ。

 

総評

多くの優れた先行作品のおいしいところを大胆に取り入れ、その後に続く数々のSF作品に影響を及ぼしと思しき作品である。ディズニーは黒歴史にしているのかもしれないが、実験的な作品としては高いクオリティを持っていると感じる。現代のCGだらけの映像よりも、特撮は目に優しいし、実物感や実在感がある。英語リスニングに自信がある、またはストーリーをよく知っている、過去に何度も観たことがあるという人は、INTERNET ARCHIVE で鑑賞してみよう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I told you.

「言わんこっちゃない」、「だから言ったのに」の意味である。I told you so. とも言う。自分が注意、警告したにもかかわらず誰かがやらかしてしまった時に、心の中で唱えよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 1970年代, C Rank, SF, アメリカ, マクシミリアン・シェル, ロバート・フォスター, 監督:ゲイリー・ネルソン, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 ブラックホール 』 -隠れた古典的SFの佳作-

『 仮面病棟(小説) 』 -映画化に期待が高まる-

Posted on 2020年1月20日 by cool-jupiter

仮面病棟 65点
2020年1月19日に読了
著者:知念実希人
発行元:実業之日本社

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『 神のダイスを見上げて 』が結構読みやすかったので、本作(小説)も購入。現役医師が病棟を舞台に描くだけあって、臨場感もプロットの妙も、こちらの方がかなり上であると感じた。

 

あらすじ

外科医・速水秀悟は先輩の代打で当直バイトのため、田所病院に入った。その夜、ピエロの仮面をかぶった男が病院に押し入り、「この女を治せ」と腹部に銃創のある女性を連れてきた。ピエロは自らを金目当ての強盗だと言うが・・・

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ポジティブ・サイド

グイグイと引き込まれた。330ページ弱と、小説としては標準的な長さだが、2時間ちょうどで一気読みできた。帯の惹句の【 一気読み注意! 】という文言は本当である。

 

また医師が書いているだけあって、病棟の構造や患者の設定にリアリティがある。それも海堂尊の作品に共通して見られる、医師や医療従事者、官僚などが専門用語を使ったり、倫理観を戦わせたり、徹底した手洗いやオペの手技に悦に入っているような描写ではない。一般人にも十分に理解できるような語彙を使ったり、情景描写を行ったりしている。一方で、治療の場面などはスピード重視。専門的な語彙を存分に駆使しながらも、やはり海堂作品にやたらと見られる、ルー大柴的(日本語とカタカナ語のちゃんぽん)な言葉の使い方をしていないので、専門用語(数は多くない)も漢字から意味がスッと理解できたり、その後に続く動詞が平易であるので、何を行っているのかというイメージを脳内に描きやすい。なかなかの書き手である。

 

ジャンル分けすれば、ミステリ、サスペンス、シチュエーション・スリラーだろうか。この田所病院には「館」的な趣がある。そして、それは全く荒唐無稽ではない。おそらく本職の医師や看護師らコ・メディカルであれば、田所病院各階フロア図を見て何かに気づくことであろう。天狗になるわけではないが、Jovianも本文を読み始める前にピンときた。これは漫画『 おたんこナース 』のとあるエピソードから病院独特のシステムがあることを学んでいたからである。また同じく漫画『 スーパードクターK 』を読んだことがある人なら、とある闇のビジネスについてもピンとくるかもしれない。日本の社会構造が目に見える形で変わってきている今、こうした問題はいつか本当に起こるかもしれない。

 

数少ない登場人物、病院という閉鎖空間、時間にして一日足らず(実際は数日だが、事件そのものは一日足らず)という極めて短い時間でありながら、ミステリ要素も社会派要素も込められていた。小説の映画化ではないが、韓国映画『 ブラインド 』を日本式に換骨奪胎して成功させた『 見えない目撃者 』のような、ミステリとサスペンスの両方を貪欲に追求するような作品である。また、映画化に際して、永野芽郁の下着姿が拝めるかもしれない。これは知念実希人先生の隠れたグッジョブかもしれない。読むならば、次の日が休日の夜にすべきである。

 

ネガティブ・サイド

このピエロの犯人像には感心しない。詳しくは言及できないが、普通に考えれば速水よりも先に病院の構造上のある秘密に気がつくはずである(映画のトレイラーは盛大にネタバレを含んでいるので注意!)。また、ある程度大きな病院には地下に発電施設などがあることが多いが、この病院には地下室はない。うーむ。ストーリーが十分にアングラだからだろうか。

 

ひとつ不自然に感じたのは、あるキャラクターのある言動である。怪しいのはセリフそのものではなく、そのセリフを言う相手である。ヒントとしてあからさま過ぎる。

 

「もしかしたら・・・、いえ、先に確かめてきます」 

↓ 

死体として発見される 

 

のような現実世界では不自然極まりないがミステリ世界では全う至極な展開は構築できなかっただろうか。また、順番が前後するが、犯行の構造が『 神のダイスを見上げて 』とそっくりである。こちらを読んだ人なら、真相に一気に迫れるかもしれない。これは知念実希人の癖なのだろうか。

 

総評

あわよくばシリーズ化も狙えたかもしれないが、それをあっさりと放棄するエンディングは個人的に好感触であった。ダークヒーローというのは、マイノリティだからかっこいいのである。誰もかれもがダークヒーローになる必要はない。映画化に際しての不安材料は、トレイラーにある「国家の陰謀」なるナレーションである。そこまで話を大きくする必要はない。その点、小説版はコンパクトにまとまっている。映画はさらにもう一捻りを加えてくるのは間違いないと思われる。それが吉と出るか凶と出るかは分からない。吉3:凶7ぐらいの確率だろうか。非常にリーダビリティの高い作品なので、3月の映画公開前に一読をお勧めする。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

clown

ピエロというのはフランス語で、英語では clown と言う。『 ジョーカー 』を思い浮かべてもらうのがちょうどいい。日本ではあまり見ない存在であるが、clown aroundという熟語は覚えておいて損はないかもしれない。「道化師のごとく、ふざけた真似をする」の意である。ただし、必ずしも顔をペイントしたり派手な衣装を身にまとったりする必要はない。飲み会などで同僚たちのバカ騒ぎが過ぎるときに、心の中でつぶやくとよいだろう。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2010年代, C Rank, サスペンス, シチュエーション・スリラー, ミステリ, 日本, 発行元:実業之日本社, 著者:知念実希人Leave a Comment on 『 仮面病棟(小説) 』 -映画化に期待が高まる-

『 魔眼の匣の殺人 』 -ややアンフェアさのあるホワイダニット-

Posted on 2020年1月5日 by cool-jupiter

魔眼の匣の殺人 60点
2020年1月3日から1月4日にかけて読了
著者:今村昌弘
発行元:東京創元社

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『 屍人荘の殺人(小説) 』はそこそこ面白かった。映画化された『 屍人荘の殺人(映画) 』は、とある重要なバックグラウンドの情報を削除してしまっていた。これは、あわよくば映画の続編が製作されれば、そこでその存在を明らかにし、もしも映画が売れなければ一作完結できる形を狙ったのだろう。多分、続編たる本作は映画化されないように思われる。映像化のハードルが相当に高い部分がある。

 

あらすじ

オカルト雑誌の記事から斑目機関の手がかりらしきものを掴んだ葉村譲と剣崎比留子は、真雁という土地を訪れる。そこはサキミという予言を司る老女に支配された土地だった。サキミによると11月の最後の2日の間に、男女二人ずつが真雁で死ぬという。そこに、もう一人、予知能力を持つという十色真理絵という高校生もやって来て・・・

 

ポジティブ・サイド

ホワイダニットととしては、なかなかの力作である。ミステリというジャンルにおいて“ハウダニット”は限界に達しているからである。そのことは『 屍人荘の殺人(小説) 』でも触れた。本作でもハウについては、そこまで追求はしない。やはり“ホワイ”が重要である。その意味では、今回の犯人の犯行動機はよく練られていると感じた。詳述はできないが、こういうタイプの人間は我々の身の回りにたくさんいるはずである。我々がそれに気づいていないだけである。

 

劇中にある人物の手記が挿入されているが、その内容が読ませる。鍛えられたミステリファンならば、日記や手記の類に直接話法が使われているところに最大限の注意を払うのが習慣になっていることだろう。竹本健治や北村薫、または島田荘司の作品の愛好家ならば尚更だろう。そうした意味では本作の手記は非常にフェアで、読み応えもある。

 

比留子と葉村の関係も健全な形で発展中のようである。前作のような「ちゅー」とかいった描写ではなく、人間的に深みが生まれたということである。死者を悼む心を持つ。生きていくことに困難さを見出す。まるで『 マンチェスター・バイ・ザ・シー 』のようである。かといってラノベのような萌え描写もないわけではない。十色と茎村という二人の高校生ペアは、間接的にではあるが比留子と葉村の関係を映し出している。かかあ天下的なカップル、あるいはJovianのところのような婦唱夫随の夫婦は大いに納得させられることだろう。

 

今作もやはりホワイダニットものである。しかし、ハウの部分にも新しいアイデアが込められている。詳しくは書けないが、古いネタ同士をくっつけるという、ある意味でこの著者が前作で行ったような手法がここでも繰り返されている。一つはフレドリック・ブラウンの有名な小説であり、もう一つは『 アニー・イン・ザ・ターミナル 』のレビューで白字で記した、とある小説および邦画のトリックである。これはかなり刺激的で上手いと感じた。

 

ネガティブ・サイド

予知や予言という超自然的な能力をモチーフに使うのは構わない。前作はゾンビ祭りだったのだから。しかし、予言の自己成就的な展開を持ち出すというのはフェアではない。自己言及矛盾に陥る。また、比留子というキャラクターの重要な構成要素である、“事件を呼び寄せてしまう体質”が本作では薄まってしまった。呼び寄せるのではなく、自分から出向いているからだ。

 

古典的なミステリで最も重要なものとは何か。それは死体である。だが、本作では最初の犠牲者の死体があがらない。というか埋まって掘り起こせない。もちろん状況的にはほぼ間違いなく死亡しているのだろうが、ミステリの大原則はとにかく死体なのである。その死体の存在を確定的に描かないことで、絶対に外れないとされるサキミの予言の説得力が弱まる。少なくとも自分にはそのように感じられた。また、このご都合主義的描写によって、後半の比留子の消失(ネタばれでもなんでもない、目次に【 第四章 消えた比留子 】とある)にサスペンスが生まれてこない。

 

また、ポジティブ・サイドで触れた犯人のとある心的特徴であるが、(→犯人に関するネタばれ)そこまで強い思いを抱いているのであれば、Jovianであれば絶対にバイクから降りる時にお守りを手放さない。うっかりミスは誰にでもあるが、「ド田舎だから置き引きにあう心配はない」と言われた程度で安心するというのは、どう考えてもおかしい。これもご都合主義である。心理的に~~~である、という条件設定の不条理さについては『 屍人荘の殺人(小説)』レビューでも述べた通りである。描写の巧みさは認めるが、設定の一貫性の無さは評価できない。

 

総評

第三作の刊行も明示されているが、どのようなスーパーナチュラル要素と本格要素を組み合わせてくるのだろうか。過去の大量殺人にまつわる何かになりそうだが、条件付きテレポーテーションやらテレキネシスだろうか。それとも強烈な催眠、マインド・コントロールあたりか。そして本作は果たして映像化できるだろうか。『 ビブリア古書堂の事件手帖 』みたいになりそうで少々不安である。『 屍人荘の殺人 』を面白いと感じた人なら、読んでも損はしないだろう。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2010年代, C Rank, ミステリ, 発行元:東京創元社, 著者:今村昌弘Leave a Comment on 『 魔眼の匣の殺人 』 -ややアンフェアさのあるホワイダニット-

『 リバーズ・エッジ 』 -生の実感を得ようともがく青春群像劇-

Posted on 2020年1月3日 by cool-jupiter

リバーズ・エッジ 65点
2019年1月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:吉沢亮 二階堂ふみ 森川葵
監督:行定勲

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2018年に劇場で見逃してしまった作品。決して二階堂ふみのヌード目当てではない。『 チワワちゃん 』原作者の岡崎京子の作品であるということに惹かれたのである。

 

あらすじ

若草ハルナ(二階堂ふみ)は、いじめられっ子の山田一郎(吉沢亮)をひょんなことから助ける。そのお礼に山田の宝物である、川原の死体を見せてもらうことになる。そこから、闇を抱える高校生たちの物語は徐々に暗転し・・・

 

ポジティブ・サイド

『 ママレード・ボーイ 』、『 BLEACH  』、『 あのコの、トリコ。 』という、2018年の邦画20点トリオの全てに出演してしまった吉沢の、これはベスト(当時)である。吉沢のキャリアハイは『 キングダム 』だと思うが、本作はそれに次ぐパフォーマンスである。無表情で、ぶっきらぼうな口調で話す。そして基本的に他者と目を合わさない。そのことが終盤のあるカットで大きな効果をもたらす。

 

時折映し出される工場廃水や煙、オゾン層破壊のニュース、そして携帯電話が普及している気配がないところから、舞台は1990年代の半ばだろうか。当時の空気では、同性愛は個性ではなく疾患、障害(敢えてこの字を使う)、異常と考えられていたように思う。そして、いじめによって中学生がどんどんと自殺をしていた時代でもあった。TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン 』もこの頃だったか。本作に登場する若者達は皆、リビドーとデストルドーの狭間にたゆたう、とても儚い存在だ。そのことは随所に挿入されるドキュメンタリー風のインタビューで問われる、「生きていることの実感はあるか?」との問いに対する応答に、ぼんやりと表れている。「生きる」という行為もしくは状態は、心臓が動いているだとか呼吸をしているという生理現象とイコールではない。仕事で疲れ切っている時、ひとっ風呂した後のビールで「生き返ったような気分」になる、そういった体験が「生きる」ということである(高校生に飲酒を推奨しているわけではない、念のため)。その意味では、死体=宝物と認識する若者3人の奇妙な絆には、妙な説得力がある。

 

全編これ、キラキラとまばゆい青春映画とは全く違う、ドロドロのドラマの連続である。だが、それもまた青春の一つの形だろう。アスペクト比4:3の映像が、古さを思い起こさせる。ちょうどDVDレコーダーの出始めの頃、VHSをDVDに移したりしていたことを思い出した。エンディングのポエムのシーンはフルサイズである。つまり、生きづらさは過去だけではなく現在にもある、普遍的なサムシングなのですよというのが行定監督と岡崎京子のメッセージなのだろう。Jovianはその見解に賛成である。

 

ネガティブ・サイド

残念ながら主要な登場人物のほとんどが高校生に見えない。『 THE DUFF/ダメ・ガールが最高の彼女になる方法 』ではメイ・ホイットマンがアラサーにして女子高生を演じたが、彼女はかなりの幼児体型なのでそれなりに説得力があった。だが小山ルミを演じた土居志央梨に高校生を演じさせるのは無理がある。彼女は悪い役者ではないが、制服を着て学校にいるだけで、とてつもない異物感を放っている。もちろん、多様なセックスシーンやフェラチオシーンなどを未成年に演じさせるのは難しいだろうが、『 惡の華 』における秋田汐梨のような素材は探せば見つかったのではないだろうか。本作のテーマの一部は、セックスでしか陳腐な承認欲求を満たせない若者の存在である。だからといって、セックス描写に力を入れる必要はない。いかに薄っぺらいセックスをしているのかを伝えるだけで充分で、必ずしもそれを見せる必要はなかった。極端な話、脱ぐのは二階堂ふみだけで良かった。

 

また、その二階堂ふみは煙草を吸い過ぎである。いや、それは構わない。Jovianもかつては喫煙者だった。だが、一度高校生の時に自室のゴミ箱をかなり焦がしてしまい、父親にしこたま怒られた。当たり前である。それ以来、止めはしなかったものの、煙草が怖くなったものだ。そのため、煙草の火の不始末をしでかしたハルナが、煙草をポイ捨てしまくるのには、かなりの嫌悪感を抱いた。

 

総評

暗い青春を送った人にお勧めである。というのは冗談で、若者よりも、むしろ青年や壮年が我が身の青春を振り返ってあれこれ考えるのに適している気がする。雨の日の室内デートにはあまり向いていないので、高校生や大学生カップルは注意されたし。逆に1990年代に高校生だったという層には刺さるだろう。Jovianには一部チクリと刺さった。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You’re annoying.

一郎がガールフレンドの田島に「うるさいなあ!」と切れる時の言葉である。うるさい=noisyなどと短絡的に結び付けてはいけない。ここでは、うるさい=ウザい、である。そして、ウザい=annoyingである。Annoyingはかなり強い不快感を表明する言葉なので、使用する際には注意が必要である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, ヒューマンドラマ, 二階堂ふみ, 吉沢亮, 日本, 森川葵, 監督:行定勲, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 リバーズ・エッジ 』 -生の実感を得ようともがく青春群像劇-

『 ぼくらの七日間戦争 』 -昭和の空気漂う青春賛歌-

Posted on 2019年12月27日 by cool-jupiter

ぼくらの七日間戦争 65点
2019年12月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:宮沢りえ 笹野高史 大地康雄 佐野史郎 賀来千香子
監督:菅原比呂志

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30年ぶりの続編というか、地続き世界の物語が公開されている。鑑賞前にオリジナルを見返しておきたいと思い、近所のTSUTAYAで借りてきた。Jovianも嫁さんも、若い頃は宗田理の本は何冊も読んでいた。今回あらためて夫婦で鑑賞し、色々と感じるところがあった。

 

あらすじ

青葉中学の男子生徒菊池ら8人が集団エスケープした。横暴な学校教師や親への反発からだった。彼らは大蔵省管轄下の廃工場で密かに暮らし始めた。そこへ学級委員のひとみ(宮沢りえ)たちも加わり、共同生活は11人に。だが、居場所を嗅ぎつけた教師たちが廃工場にやって来て・・・

 

ポジティブ・サイド

確か劇場でリアルタイムに観るのではなく小学校6年生ぐらいに当時の友人宅のVHSで観た。その友人が本作を好きで、確か彼の家で3回ぐらい観たことを覚えているし、小室サウンドのある意味で原型とも言えるTM NETWORKの“SEVEN DAYS WAR”は、同級生たちの何人もがカセットテープを持っていた。二十数年ぶりに見返したが、まるでタイムマシーンのような作品である。なにしろ冒頭が、宮沢りえが閉まる校門にギリギリセーフで駆けこむシーンなのだから。『 ニセコイ 』で酷評させてもらった閉まる校門のシーンは今考えても論外中の論外だが、本作は実際の校門圧死事件よりも前なのだから。

 

魅力の第一は、宮沢りえだろう。はっきり言って、荒削りもいいところの演技だが、それでも同時代、同世代の榎本加奈子のドラマ『 家なき子 』での大根役者っぷりに比べれば、遥かに高く評価できる。

 

意外なところで笹野高史も印象的だ。『 岸和田少年愚連隊 』で教師役だったが、1980年代に既に今の好々爺の面影が相当に濃い。その一方で佐野史郎は「若返りの泉」の場所でも知っているのだろうか。冬彦さんよりも前の作品である本作では理不尽な教師役を好演。確かにJovianの行った小学校や中学校にも、こういう嫌な大人は存在していた。そして対照的に健康的な色気(色香でも艶でもなく色気)を放つ賀来千香子。テレビドラマ『 ずっとあなたが好きだった 』の冬彦さん同様に、こちらも老化スピードが極端に遅いのか。本当に30年という時が経過しているのだろうか。

 

その賀来千香子にも怒声を放つ大地康雄。本作では、理不尽、暴力的、権威的、頑固一徹、それでいて窮地に陥ると弱いという、まさに日本のダメおやじのネガティブ要素を凝縮したかのようなキャラクターで、観る者を大いに憤らせ、また笑わせてくれる。彼の最終的なコスチュームは、津山三十人殺しの都井睦雄を思わせる出で立ちである。ビデオで何度目かの鑑賞をした後、テレビドラマの『 お父さんは心配症 』を観て、そのキャラクターの落差にびっくりしたことを覚えている。大地康雄は順調に老けていて何故か安心する。

 

倉田保昭演じるジャージの体育教師もどこか懐かしい存在だ。漫画『 ろくでなしBLUES 』の竹原みたいな教師(こちらの方が後発だが)そっくりで、菊池ら男子を蹴散らしていく様は痛快であり滑稽であり、非常に腹立たしくもある。今は体罰がすぐに通報される良い時代である。昔は体育の授業のサッカーやバスケ、ひどい時には柔道の時間に、気に入らない生徒に指導と称した折檻をする教師がいた。中学生たちも反抗したくなろうというものだ。

 

教師や機動隊とのバトルはアクションにしてコメディである。爽快にして笑いの坪も心得ている。教師を追い返すことはできたとしても、機動隊を追い返すのは不可能だろう。『 警察密着24時 』で、全国の祭りに装束で現れる愚連隊数十人を、警棒、盾、ヘルメットその他で装備した同人数程度の機動隊が一瞬で制圧していくのを見たことがある人も多いだろう。爆竹やタイヤでパニックに陥る機動隊員など、リアリティ欠如も甚だしい。だが、そこを巧みなカメラワークと各種ガジェット、そしてコメディタッチの活劇でごまかしきった菅原監督の手腕は認めなければならない。そして、一切何も解決していないが、全てに意味があり、全てが報われたかのように錯覚させる圧倒的にシネマティックなクライマックス。『 グーニーズ 』や『 スタンド・バイ・ミー 』と並んで、Jovian少年の心に与えたインパクトは大だった。

 

ネガティブ・サイド

全体的に演技者のレベルが低すぎる。特に子役連中は、宮沢りえを含めて、基本的な発声や表情の作り方の練習が不足していることがすぐに分かる。その証拠は、彼ら彼女が現代まで生き残っていないからである。

 

また原作と大いに異なる「戦争」シーンは賛否両論あるべきだろう。菅原監督はコメディ色とアクション色を絶妙に配合したが、「ぼくらシリーズ」の骨子である“子どもが大人に挑む”のではなく、子どもが大人をからかう、もしくは翻弄するように見えてしまうのはマイナスだろう。七日間戦争はどう見ても全共闘のミニチュア版で、そのことは校長の「これは国家を揺るがす事態です!」という台詞に端的に表れている。つまり、『 主戦場 』と同じく“思想戦”のパロディもしくはコメディ化なのである。戦争シーンのアクションは痛快ではあるが、大人の醜さ、汚さ、酷さを子どもが大人にそのまま見せつけるというプロットを本作は映像化できなかった。だからこそ、わけのわからんパワーのあるエンディングで押し切ったのだろう。その判断は正しい。しかし、30年後に見返した時に粗が見えてくることも否めない。つまり、時代の空気を醸し出すことはできても、時代の課題や問題意識までもが反映できているわけではない。そのあたりが、友情の普遍性にフォーカスした『 スタンド・バイ・ミー 』などの古典的な作品に比べて劣ると言わざるを得ない。

 

総評

2019年時点の小学校高学年や中学生が観ると、どのような感想を抱くのだろうか。理不尽さとバイオレンスで、途中で観るのをやめてしまうような気がする。だからこそ、アニメーションにして続編を作るのだろう。そして、「ぼくらシリーズ」の持っていた一種の反骨心を現代風に味付けし直すのだろう。本作は懐古趣味をくすぐる出来であったが、さすがに不惑になって観ると粗が目立つ。だが、復習鑑賞してみる価値も色々と見出せた。まずは既に公開されている続編アニメを観に行くのが楽しみになったという意味では、良い作品なのだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Let’s talk it out.

佐野史郎が言う「話し合おうじゃないか」の私訳。基本的にtalkとくれば、

talk about ~   ~について話す

talk to / with ~   ~と話す(会話する)

だが、

talk it out = 話し合いで結論を出す、話し合いで決着をつける、不満や納得いかないことについて語り合う

という使い方をすることもある。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1980年代, C Rank, アドベンチャー, 佐野史郎, 大地康雄, 宮沢りえ, 日本, 監督:菅原比呂志, 笹野高史, 賀来千香子, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 ぼくらの七日間戦争 』 -昭和の空気漂う青春賛歌-

『 ヤング・アダルト・ニューヨーク 』 -Is being young crime?-

Posted on 2019年12月26日 by cool-jupiter

ヤング・アダルト・ニューヨーク 65点
2019年12月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ベン・スティラー ナオミ・ワッツ アダム・ドライバー アマンダ・セイフライド
監督:ノア・バームバック

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『 マリッジ・ストーリー 』の脚本および監督も手掛けたノア・バームバックとアダム・ドライバーのタッグ作品。確か、嫁さん(当時はまだ結婚していなかったが)だけが劇場鑑賞して、Jovianは観る機会を逸した作品だった。『 スター・ウォーズ 』のシークエル三部作のアダム・ドライバーは一貫して素晴らしいパフォーマンスだった。今後も彼の出演作はマークして行こうと思う。

 

あらすじ

映画監督のジョシュ(ベン・スティラー)とコーネリア(ナオミ・ワッツ)は子どものいない夫婦。ジョシュは8年がかりでドキュメンタリーを制作中だったが、出口が見えない。そんな時、ジェイミー(アダム・ドライバー)とダービー(アマンダ・セイフライド)の20代夫婦と出会う。若いのにレトロな生活を送る二人に刺激を受け、ジョシュは生活にハリが出てきたと感じるが・・・

 

ポジティブ・サイド

悩める中年のベン・スティラーと怖いもの知らずの若者のアダム・ドライバーの対比が映える。40歳を過ぎたところで、自分がなにがしかの仕事を果たせていないことへの焦燥感、子どもを持てていないこと、妻の父が自分よりも遥かに業績を残した映画監督であること、ジョシュのカメラ・オペレータに給金すら出せないこと、そして自分の老いとなかなか向き合うことができず、新しいツールに飛びつくことで、若さにしがみつこうとする。なんともいたたまれない気持ちにさせられる。何故なら、Jovianはベン・スティラー演じるジョシュの行動(それらの多くは無意識にとられている)の多くを、そのまま理解できるからだ。時間と英語力のある方は【 This exactly what’s wrong with this generation 】という動画を13:18時点からご覧頂きたい。そして『 エニイ・ギブン・サンデー 』でアル・パチーノがジェイミー・フォックスらに語った言葉、“When you get old in life, things get taken from you. That’s part of life. But you only learn that when you start losing stuff.”についても考えてみて頂きたい。ジョシュは「膝が痛い」と言う。「自分はまだ44歳と若いのに、なぜ関節炎になるのだ?」と。Jovianも最近、老眼が始まったようである。だが、そうと分かるまでには時を要した。「なぜ自分の目の調子がおかしいと感じられるのだ?目が何かおかしいということ自体がおかしい」と。とにかく、この物語におけるベン・スティラーの仕事、夫婦および家族関係、友人関係(の痛々しさ)は、アラフォー男性に刺さる。特にナオミ・ワッツ演じる妻コーネリアとの夫婦喧嘩は『 マリッジ・ストーリー 』のスカジョとアダム・ドライバーのそれに迫る迫力である。

 

対になるアダム・ドライバーも味わい深い。若いに似合わず古風な生き方を好む好青年なのだが、その実態は情け容赦のない捕食者であり侵略者である。だが不思議なことに、このジェイミーというキャラクターの言動は常に一貫している。彼自身に善悪があるのではなく、周囲の人間、特にジョシュがジェイミーというキャラクターの邪悪さに気付いても、ジェイミーの言動に変化は見られない。『 もしも君に恋したら。 』では、嫌味なクソ野郎に見えて本当は良い奴だったが、その時もアダム・ドライバー演じるキャラクターの言動に変化はなかった。変化したのは、彼とガールフレンドの関係だった。映画ではキャラクターはしばしば変化する。それは成長するからもしれないし、あるいは堕落する、場合によってはダークサイドに堕ちることもあるだろう。『 パターソン 』でも顕著だったが、変化しないキャラを演じさせれば、アダム・ドライバーは当代で一番なのかもしれない。(だとすれば『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』は・・・)

 

老いと若さの単純な二項対立のドラマではない。若さの中に老獪さ、老練さが隠れていれば、老いゆく中にも若さへの自信がある。大切なことは、自分で自分をどう形作るのか。そして、他人に自分をどう形作ってもらうのかだ。ダメダメな邦題が多いが、本作の原題“While We’re Young”が『 ヤング・アダルト・ニューヨーク 』と訳されているのは、悪いセンスではないと思う。

 

ネガティブ・サイド

アマンダ・セイフライドの見せ場が少ない。というよりも、ナオミ・ワッツとの年齢的な対照があまり描かれていなかった。邪悪な夫に対して、小悪魔な妻・・・ではなく、倦怠期の妻になってしまっている。それも若さの対比かもしれないが、「子どもを持つ」ということに対する考え方を軸に、コーネリアとダービーのコントラストを描き出すことはできなかったのだろうか。

 

クライマックスのジョシュとジェイミーの対話劇が少々弱い。コーネリアの父の寵愛を巡る闘争の一環なのだが、これを舞台劇風に料理してしまうのは迫力に欠けた。もっと映画的なアプローチはなかったか。例えば、テーブルをはさんで延々と言葉を交わし合うのではなく、スマホで写真や動画を見せながらだとか、ホームページの記述を相手に読ませたりだとか、ジョシュがジェイミーを探ろうとしてきた努力を、もっと目や耳に訴える形で披露できなかったか。そして、それを60代の義父には理解されず、20代のジェイミーに一蹴されるというシークエンスの方が、絶望感はより深まったはずである。

 

エンディングは意味深である。というよりも、余りにも露骨に示唆的である。邦画の『 ミュージアム 』のエンディングにも同じくどさを感じたが、本作のラストの示すところは救いがない。もっとニュートラルな余韻を残してほしかったと切に思う。

 

総評

視点をどのキャラクターに置くかで観る側の印象は相当に異なるのではないか。Jovianは年齢的にどうしてもジョシュ視点で観てしまうが、劇場公開時に一人で鑑賞した嫁さんは、ジョシュの友人男性ひとりを除けば、男性キャラには誰にも好感を抱かなかったという。観る者の性別もきっと影響するだろう。もしかしたら20年後、Jovianが60歳を迎えた時に見直せば、新たな発見があるかもしれない。そんな予感を持たせてくれる作品であるが、まさに子育て中という世代は、エンディングに納得するかもしれないし、または毛嫌いする可能性も大いにある。映画ファンであれば、話のタネにどうぞ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

This is key.

ジョシュが投資家に自分のプロジェクトを説明する時に言う。「これが鍵だ」の意。話のカギになるポイントの前にこう言おう。keyの前にはaもtheも不要。あっても良いし、なくても良い。この“This is key”は【 How to gain control of your free time 】というTEDトークの動画でも聞くことができる。英語プレゼンなどで機会があれば使ってみよう、

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アダム・ドライバー, アマンダ・セイフライド, アメリカ, ナオミ・ワッツ, ヒューマンドラマ, ベン・スティラー, 監督:ノア・バームバック, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 ヤング・アダルト・ニューヨーク 』 -Is being young crime?-

『 KESARI ケサリ 21人の勇者たち 』 -トンデモ史実のトンデモ映像化-

Posted on 2019年12月15日2019年12月19日 by cool-jupiter
『 KESARI ケサリ 21人の勇者たち 』 -トンデモ史実のトンデモ映像化-

KESARI ケサリ 21人の勇者たち 65点
2019年12月14日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:アクシャイ・クマール
監督:アヌラーグ・シン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191215125349j:plain

インド映画を鑑賞する時、たまには頭を空っぽにして『 バーフバリ 』のようなアクションを楽しんでみたいと思う。なので近所のTSUTAYAで本作をピックアウト。真面目に鑑賞してもそれなりに面白く、アクションだけに注目しても、まあまあ面白い作品であった。

 

あらすじ

1897年、英国領インドの北方、パキスタンとアフガニスタンとの国境地帯。イシャル・シン(アクシャイ・クマール)はイスラム教徒パシュトゥーン人の女性への蛮行を見逃せず、命令違反を犯してその女性を救う。そのため僻地の通信基地、サラガリ砦に左遷されてしまう。そこには通信兵21名と調理人1名のみが配属されていた。一方で、パシュトゥーン人は他部族と連合を組み、1万人規模でのインド侵攻を目論んでいて・・・

 

ポジティブ・サイド

21対10,000という荒唐無稽な史実の戦闘に目をつけたのは面白い。日本で言うならば桶狭間の戦いや立花道雪vs島津および北九州豪族連合軍、それらよりもさらに酷い数的不利での戦いである。つまり結末は見えている。後はどう料理するかである。その意味では、いくらでもドラマチックな演出を施すことができる。本作はボリウッドらしく、荒唐無稽なバトルアクションを練り上げた。

 

まず、砦に立てこもる。当たり前である。そして手当たり次第に迫り来る敵を撃つ。戦略も戦術も作戦も、この規模の数的不利では意味を成さない。撃って撃って撃ちまくるしかない。下手に小賢しい作戦を用いない分、シク教徒の矜持が素直に表れていて分かりやすい。パシュトゥーン人も、作戦らしい作戦もなく烏合の衆が、バタバタと倒れていく。アホである。痛快である。まるで『 スター・ウォーズ 』世界のトルーパーの如しである。それでも彼我の戦力差はいかんともしがたく、ついに門扉は破られる。

 

あの時代、あの地域では近接戦闘では銃器を使わないという暗黙のルールがあるのか、ここからは手持ちの獲物でのバトル・シークエンスに突入する。ここでのアクシャイ・クマール演じるイシャル・シンのアクションは、『 マトリックス 』的であり、ゲームの『 三国無双 』や『 戦国無双 』的であり、韓国映画的でもある。特に高くジャンプしてからの回転切りは韓国ドラマや韓国映画で何千何万回と見たアクションである。これについては、 

1.韓国映画がインド映画を真似ている
2.インド映画が韓国映画を真似ている
3.コレオグラファーが共通の学びの土台を持っている
4.偶然の一致である

などが考えられる。インド人の一番の留学先はやはり英国らしいが、韓国人はソウル大学以外のどこで映画や演劇を学ぶのだろうか。それともソウル大学の教授陣が英国などで学んだ背景があるのだろうか。本作を観ながら、そのような比較文化論も考えてしまった。つまりは、日本のゲームや韓国映画的なデタラメなパワーを、インド映画もやはり持っているということである。『 散り椿 』や『 居眠り磐音 』のような、正統的な剣術も悪くないが、『るろうに剣心 京都大火編 』の左之助vs安慈のようなクレイジーなバトルを邦画でもっと見てみたい。そんなふうにも思わされた。

 

イシャルの人間造形も良い。自らの信念を軍の規律よりも優先し、良き家庭人であり、良き地域人であり、厳しい上官であり、部下への思いやりも持ち合わせている。砦では仏頂面を通しているが、ユーモアを解する心もある。そして敵と味方を人道的に区別できる。つまりはヒーローなのである。これが『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』その人である。このような男になってみたい。

 

少人数で拠点に立てこもるというと、本能寺の変の際の二条城が思い出される。掘りもあって、武家御城とも称され、武器弾薬もたんまりあったであろう二条城に500人が籠城したにもかかわらず、明智勢1万数千の前に一時間で陥落させられたという史実(?)のシミュレーションを本作を通じて行ってみるのも面白いかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

中盤から終盤にかけてのバトルシーンに比して、序盤のイシャルとパシュトゥーン人との闘いは迫力を欠いていた。冒頭の非常に説明的なナレーションと図示的な映像から、さらにインド、ロシア、英連邦なども絡んでの国際情勢と国境の云々を語って、いきなり観る側の眠気を誘うのだから、それを吹っ飛ばすだけの迫力を伴ったアクションが欲しかった。正直なところ、この冒頭のバトルでは近接での殴り合いやチャンバラにスピードやパワーが不足していた。

 

終盤のバトルでも、いくつか不自然な編集が目に付いた。最も残念だったのは背中から出血しているイシャルの格闘シーン。衣服にまだ赤い血がへばりついているショットと、土ぼこりや泥と混じり合った血が完全に乾いているショットが混在していた。デパルマ・タッチやブレット・タイムで撮影しているものだから、余計にそうしたおかしな点が目立つ。これは非常に大きな減点材料である。

 

イシャルは倒れた敵兵は敵兵ではないという慈悲の哲学に忠実であり、ジュネーブ条約の定める傷病者取り扱いの体現者でもある。その一方で、捕虜の取り扱いに関して信じられないほど非人道的な行為も行っている。これは史実なのだろうか。それとも映画オリジナルの演出なのだろうか。いずれにしろ、Jovianはこれを見て『 ハクソー・リッジ 』のデズモンドと日本兵を思い起こした。いくら戦争とはいえ、やってはいけないこともあるはずだ。これによってイシャルのヒロイズムがいくぶん弱められている。

 

21人の兵士が勲章を贈られ、顕彰されたのは当然であるが、サラガリの戦いの英語版のWikipedia記事によると、one civilian employeeがいたということである。これが料理長かどうかの記述はなかったが、デズモンド・ドス的な活躍を見せた彼にも、エンドクレジットで何らかの言及が欲しかった。

 

総評

インドという国の中だけでも複数の民族、複数の言語、複数の宗教が混在しているのに、そこに更に植民地と属国の関係と他国の他部族、他宗教勢力、さらに国境線も絡めたストーリーというのは、極東の島国の我々にはもはり理解不能である。史実や国際政治、紛争史を学ぼうなどという心構えは一切不要である。単純にボリウッドアクションを楽しむか、という気持ちで鑑賞するのが正しい態度である。これは英雄譚であって、ドキュメンタリー的な何かを期待してはいけない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話

Cock-a-doodle-doo.

鶏の鳴き声、コケッコッコーの英語である。ここからcookという動詞を聴きとるのは、確かに難しいことではない。Cookという動詞とバトルに無理やり関連を見出すなら、俳優のドウェイン・“ザ・ロック”・ジョンソンのWWE(WWFと言うべきか)の“If you smell what the Rock is cooking!”を知っていれば、アメリカのオールドプロレスファンと話す時に盛り上がれるかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクシャイ・クマール, アクション, インド, 歴史, 監督:アヌラーグ・シン, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 KESARI ケサリ 21人の勇者たち 』 -トンデモ史実のトンデモ映像化-

『 屍人荘の殺人(小説) 』 -ホワイダニットの秀作-

Posted on 2019年12月12日2019年12月15日 by cool-jupiter

屍人荘の殺人 65点
2019年12月9日~11日にかけて読了
著者:今村昌弘
発行元:東京創元社

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JovianはCinephileでもあるが、同じくbibliophileでもある。『 ゴジラ映画考および私的ランキング 』でも触れたが、Jovianの本好きの始まりは江戸川乱歩の『 少年探偵団 』シリーズである。それ以来、読む本のおそらく7~8割はミステリか、ミステリ色の強いサスペンスやホラーであった。仕事をするようになると、いつの間にか活字のエンターテインメントから離れてしまったが、それでも細々とミステリは読んでいた。そこに映画化もされる本作である。たまには書評も悪くないだろう。

 

あらすじ

大学のミステリ愛好会の葉村譲と明智恭介は、同じ大学の探偵少女・剣崎比留子とともに、映研の夏合宿に参加することとなった。宿泊先は紫湛荘。しかし、その別荘が屍人荘に変貌。閉じめられるメンバーたち。そこで密室殺人が起きてしまい・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191212184217j:plain

 

ポジティブ・サイド

ミステリというのは、ふたつの意味で非常に難しいジャンルである。ひとつには、「理論的に実行可能」な犯罪トリックと「実際に実行可能」な犯罪トリックの境界線を、意図的に分かりにくくしなければならないからである。この分野で個人的に大失敗したのは小説およびTVドラマの『 謎解きはディナーのあとで 』だろう。北川景子の穴だらけの推理を、櫻井翔が「おそらく、こういうことでございましょう」と訂正していくが、その推理も完全に穴だらけ、というよりも、理論的に可能であっても、実際にそれをするのは不可能という類のものだった。Jovianはキャラものミステリも嫌いではない。だが、アホな推理しかできないミステリは断固お断りである。

 

ミステリが困難になりつつあるもう一つの理由は、テクノロジーの進化である。それこそジョン・ディクソン・カーやヴァン・ダイン、江戸川乱歩の時代であれば、機械的に成立する密室や殺人トリックが受け入れられた。そうした機械的なトリックが技術の進展により陳腐化していくと、クローズド・サークル(吹雪の山荘や絶海の孤島など)が舞台に設定されるようになった。それも携帯電話の普及により過去の遺物となったら、次には心理的な密室が作られるようになった。だが、それも「動機は○○です。なぜなら犯人はサイコパスだからです」式の異常心理ものと共に消えて行った。「心理的に~~~である」という説明は、当時は新鮮で説得力もあったが、今では単なるご都合主義である。

 

『 屍人荘の殺人 』は、その舞台設定の巧みさと、技術の進歩によって陳腐化してしまわないプロットで成り立っている。見事な作品である。また本作は、探偵役の剣崎比留子も言う通り、フーダニットやハウダニットではなく、ホワイダニットが謎の焦点となる。そして、その「何故?」という問いの対象と、真相はなかなかに意表を突くものであった。とはいうものの、ある特定のジャンルに詳しいマニア(それは作中にも登場する)で、なおかつnecrophile(念のため白字にしているが、それでも見たいという方は意味は自己責任で調べて欲しい)な人なら、案外あっさりとこの「ホワイ?」の答えにたどり着ける、もしくは思い当たるかもしれない。それでもこの真相の衝撃が薄まることは少しもないだろうが。

 

大学生とひよっこ社会人たちの集まり、つまり警察や特定の職業人が出てこないので、視点が常に一般的である。つまり読みやすい。イージー・リーディングである。またキャラの語り口も軽妙で、しばしば衒学的になってしまうJovianも、このような書き方をせねばならないと反省を促される。島田荘司ばりの本格推理のファンも、浦賀和宏のようなジャンル横断的な変則ミステリファンも満足させるような、新時代の本格推理小説に仕上がっている。綾辻行人の『 館 』シリーズのファンなら、必読と言えるだろう。

 

ネガティブ・サイド

「俄然、うどん」という謎の日本語には参った。「断然、うどん」の間違いだと思われるが、著者のみならず編集者や校正担当も気がつかなかったと言うのか。日本人の国語力低下が叫ばれているが、出版に携わる方々にはもっとプロフェッショナリズムを以って仕事をしてもらいたい。

 

最初からシリーズ化を狙っていたとしか思えない比留子のキャラ造形はいかがなものか。特に文庫の110ページの11~12行目、258ページの8行目の描写は、いたいけな青少年読者に取り入ろうとしているのか。なお、映画で比留子を演じる浜辺美波は、小説版の比留子のこれらの部分の描写に合致しない。そのかわり、キス(本編では“ちゅー”となっている)で神木隆之介を籠絡しようというのか。どちらにせよ、こうした描写はラノベ向きであって、本格ミステリ向きではない。泉下のヴァン・ダイン師も呆れていることだろう。また、売れてきたら前日譚を書いてやろうという著者の魂胆が透けて見える。こうした描写はもっと控え目にできたはずである。

 

また、驚愕の真相に比して、トリックに少々弱点がある。密室を成立させるトリックがかなり手垢のついたものであるし、鍵開けトリックは『 影踏み 』のようなコソ泥の技だろう。それが実行可能であるということと、そのトリックをマスターして実地に行うことの間には大きな開きがある。なお、『 影踏み 』にこのような鍵開けトリックは出てこないので安心してほしい。

 

最後に、文庫版を買う人はカバーをじっと見つめてみよう。それによって、真相はまだしも、犯人が見えてくるはずである。これは出版社や作者の、犯人当てではなく、何故こうした犯行方法を採用したのかを当てる小説ですよ、というメッセージなのかもしれないが、もうちょっと異なるカバーにはできなかったのだろうかとも感じる。

 

総評

少しケチをつけてしまう部分もあるが、これは本邦ミステリの新境地かもしれない。古い革袋に新しい酒が入っている。小説も映画も、とある「舞台装置」の存在を明らかにしながらも明らかにしていない。これは賢い戦略である。これを明かしてしまうだけで、「うげっ、だったら読まねー、観ねえ」となる人間が一定数出てくるからである。しかし、そうした人こそ、映像よりも先に活字を味わうべきだろう。心底そう思う。同時に、本作の映画化への期待も膨らんできた。原作にはいないキャラクターが加えられており、一捻りしてあることが期待されているからである。また、また小説を読んだ人は、映画の主題歌に「ニヤリ」とすること請け合いである。日本映画界よ、少女漫画ばかりでなく、小説の映画化をもっと考えてくれたまえ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I will give you a smooch.

キスはkissである。ちゅーはsmoochである。give 人 a smoochで、「人にちゅーしてあげる」である。こうした会話を英語で出来るようになれば、英会話スクール卒業である。というか、英会話を教える側に回ってもよいだろう。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2010年代, C Rank, ミステリ, 日本, 発行元:東京創元社, 著者:今村昌弘Leave a Comment on 『 屍人荘の殺人(小説) 』 -ホワイダニットの秀作-

『 ルパン三世 THE FIRST 』 -Lupin is back in action!-

Posted on 2019年12月11日2020年4月20日 by cool-jupiter

ルパン三世 THE FIRST 65点
2019年12月8日 東宝シネマズなんばMX4Dにて鑑賞
出演:栗田貫一 小林清志 浪川大輔 沢城みゆき 山寺宏一 吉田鋼太郎 藤原竜也 広瀬すず
監督:山崎貴

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フランスのアルセーヌ・ルパンに、日本の和のテイストと鼠小僧のエッセンスを加えてルパン三世が帰ってきた。小栗旬バージョンの実写はどのキャストも頑張っていたものの、峰不二子役の黒木メイサが残念ながらノイズだった。ならばと3DCGアニメでルパンたちを蘇らせた。この判断は正解である。『 ドラゴン・クエスト ユア・ストーリー 』の傷も少しは癒された。

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あらすじ

時は第二次大戦。稀代の考古学者ブレッソンは、ある宝のありかを示した日記、“ブレッソン・ダイアリー”をナチスに狙われていた。時は流れ、パリにてお披露目されるそのダイアリーをルパン三世(栗田貫一)が狙って現れる。レティシア(広瀬すず)という考古学者の卵の少女と共に、ルパンは宝の謎解きに乗り出すが・・・

 

ポジティブ・サイド

ルパン三世とは何か。それは大泥棒にして義賊、犯罪者にして正義漢、破廉恥にして紳士、そうした非常に矛盾に満ちたキャラクターである。かかる複雑な属性がルパンの大いなる魅力になっていて、そのことは本作でもいかんなく発揮されている。例えば不二子に対しては「報酬は俺の体で」と下品なオファーをする一方で、レティシアには「いい女になれ」と優しく諭す。元々の漫画では、割とすぐにすっぽんぽんになって不二子に襲いかかっていたが、一般大衆アニメになるにつれて、そうしたエロ要素が薄れてきた。本作はルパンのそうしたスケベ属性を残している。山崎監督のルパン三世へのリスペクトは本物だと思える。

 

他のキャラも立っている。常にルパンに先んじて、しかし途中でルパン一味に合流しながらも、最後には美味しいところを奪っていく峰不二子。今回はつまらないものを斬らずに、斬るべきものを一刀両断に斬る石川五ェ門。超絶ドライブ・テクニックと超絶射撃テクニックを披露する次元大介。そして、おそらくララ・クロフトよりも強くてセクシーな峰不二子。まさに役者がそろっている。彼ら彼女らが生き生きと銀幕上を動くだけで、実に楽しく感じられる。

 

ストーリーも悪くない。ナチス第三帝国の復活ネタは古くは小説では『 ブラジルから来た少年 』、近年の映画でも『 アイアン・スカイ 』や『 帰ってきたヒトラー 』など、いつの時代でも掘り起こされるテーマだ。それこそ、ヒムラーやゲッベルスが映画化される日も近いはずである。また戦後70数年になんなんとする今、ナチス・ドイツは日本の若い世代にはファンタジー的な存在になりつつもある。そうした世界でルパンという架空のキャラクターを活躍させることで、かえってリアリティを増しているようにすら感じられた。

 

ストーリーはテンポよく進むし、スリルとサスペンスとユーモアの配分も見事である。ルパン三世とその仲間たちは見事に復活したと言えるだろう。なによりも名曲“ルパン三世のテーマ”が流れてくるだけで、少年時代が蘇ってくる。“ゴジラのテーマ”や“ロッキーのテーマ”と並んで、それが聞こえてくるだけで物語世界に一気に引き込まれるように感じる。THE FIRSTと副題にあることから、THE SECONDやTHE THIRDへの期待もふくらむ。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191211015650j:plain
 

ネガティブ・サイド

アクションシーンやプロットのあまりにも多くの部分がクリシェである。クリシェという言葉が辛辣に過ぎるなら、過去の名作へのオマージュが多過ぎると言い換えればよいだろうか。パッと思い浮かぶだけでも

 

映画『 インディ・ジョーンズ/最後の聖戦 』

映画『 ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル 』

映画『 ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション 』

映画『 天空の城ラピュタ 』

映画『 ルパン三世 』(実写版)

TVアニメ『 未来少年コナン 』

TVアニメ『 ふしぎの海のナディア 』

 

などが挙げられる。特にお宝の封印は、びっくりするほど『 インディ・ジョーンズ/最後の聖戦 』のそれにそっくりである。正直なところ、本作にはオリジナリティは認められない。

 

またヒロインであるレティシアの年齢はいったいどうなっているのだ?物語冒頭では赤ん坊で、その後十年だか十二年が経過したところで、美術館のキュレーター的ポジションについているというのか。大学への進学を夢にしているところからも10代後半であると思われるが、それでもやはりこのヒロインは年齢不詳である。

 

総評

個人的にはアクションに胸が躍り、ユーモアには笑顔にさせられたが、ストーリーそのものには驚きはなかった。劇場鑑賞後、Jovianの嫁さんは「サイコー!」と言っていた。そこまで良かったか?と思ったが、同じく観客にいた6人組アラサー女子たちが滂沱の涙を流しながら、シアター内でも劇場ロビーでも称賛の言葉を次々に述べていた。観る人によって異なる感想を抱くということの好例である。ルパン三世のファンであってもそうでなくても、チケット代に見合うエンターテインメント作品にはなっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

If you are an archaeologist, you have got to be a romanticist.

レティシアの「考古学者ならロマンチストじゃないと」という台詞である。ロマンチストは英語ではromanticist=ロマンティシストである。このように一般論を語る時は、しばしば主語をyouに設定するのが英語の特徴である。Jovianがアメリカ人の友人から聞いたこれと同じ構文として“If you don’t know about Harriet Tubman, you are not American.”というものがある。ここでは彼はyouを使ったが、これがJovianを指すものではないことは明らかである。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, アドベンチャー, ミステリ, 小林清志, 広瀬すず, 日本, 栗田貫一, 浪川大輔, 監督:山崎貴, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 ルパン三世 THE FIRST 』 -Lupin is back in action!-

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