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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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『 砕け散るところを見せてあげる 』 -青春映画を期待するべからず-

Posted on 2021年4月11日 by cool-jupiter

砕け散るところを見せてあげる 65点
2021年4月10日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:中川大志 石井杏奈 井之脇海 清原果耶
監督:SABU

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怪作『 蟹工船 』監督のSABUが竹宮ゆゆこの同名小説を映画化。タイトルからして不穏であるが、割と血生臭い系の映画にばかり出演している石井杏奈がヒロインであることから色々とお察しされたい。

 

あらすじ

高校三年生の濱田清澄(中川大志)は、いじめの対象にされている一年生の蔵本玻璃(石井杏奈)を助ける。初めは拒絶していた玻璃だが、徐々に清澄に心を開き、二人は打ち解けていく。しかし、玻璃は「UFOを撃ち落とさなければならない」という謎の告白をして・・・

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ポジティブ・サイド

石井杏奈の代表作が生まれた。『 ホムンクルス 』のレビューでキャピキャピ映画に出るべしと提案したが、撤回したい。等身大ではなく、一筋縄ではいかない、どこかに闇を抱えた少女路線をしばらく続けるべし。久しぶりに若い女優の「演技」を観たと感じた。体育館での奇声、女子トイレでの吃音交じりのしゃべりに『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』の南沙良を思い起こさせてくれる演技だった。特にトイレのシーンは圧巻。寒さからくる震えと極度の緊張感と不安感から、自然とどもってしまう感じが演技には思えなかった。そして中盤に華麗なる(外見上の)変身を果たしても、口数の多さから対人的な距離の取り方の下手さがうかがい知れる。つまり、他人との距離が極めて近いか、極めて遠いかという不器用な人間の顔が見えてくる。佳人薄命と言うが、こういう人間に救いの手を差し伸べられるかどうかでその人間の価値が上下するようにすら思えてしまう。それほど周囲から孤立し、それゆえに多くの人を遠ざけ、ほんのわずかな人間だけを引き寄せるという不思議なキャラクターに仕上がった。SABU監督の演出もあるのだろうが、石井杏奈本人のcharacter studyの努力も見逃せない。

 

それを助ける中川大志も今までのキャリアの中ではベストアクトだろう。『 坂道のアポロン 』的な役で1年のいじめっ子たちをぶっ飛ばしてほしいと一瞬だけ感じたが、すぐにそういう役ではないと分かった。どちらかというと『 覚悟はいいかそこの女子。 』に近かった。といっても、甘酸っぱい、青臭いラブストーリーではなく、かといって社会的な貧困問題などを取り上げているわけでもない。極めて個人的な背景と関係を描いた物語である。ヒーローになるという、ともすれば青臭い正義感に駆られた少年という漫画的なキャラクターをリアリティをもって描き出せていた。そう感じさせてくれたのは、いじめられている玻璃にひたすらに寄り添う姿勢からだ。確かにいじめっ子に対して先輩という立場や体格の違いにものを言わせることはたやすい。担任や学年主任にいじめを報告することもできる。しかし、清澄はそうした行動を選択しない。それは彼自身の信念から来ていることで、だからこそ少々不可解に思える行動にもある程度納得することができる。

 

青春邦画には少々珍しく、かなり直截的なメイクアップが使われている。そこは評価したい。美しく見せるだけがメイクではない。痛みを伝えることも、メイクの重要な役割であることが本作を通じてあらためて感じられた。

 

若い二人の関係性の発展にフォーカスした中盤までは必見。終盤でも、一発で撮影できなければやり直しが困難あるいは多大な時間を要するシークエンスが多数あり、それを見事に乗り切った中川と石井、そして多くのスタッフの労力に敬意を表したい。

 

愛とは何か。それは消えないもの、続いていくもの、目に見えなくても実感できるもの。そうした極限的に青臭いメッセージを最終的に送ってくる本作であるが、それを好ましく受け止められるだけの重みが本作にはあった。

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ネガティブ・サイド

冒頭の勉強部屋のシーンはもっとうまく作れたはず。それこそ窓の外から撮るとか、または母親目線で、つまり背後から撮るとか、もっと工夫のしようがあった。多分このシーンと直後の全力ダッシュシーンのつながり方で、多くの人が「ん?」となったはず。Jovian嫁はそうだった。ここは「ん?」と思わせてはいけないシーンだろう。

 

清澄と田丸の友情は非常に好ましく、微笑ましくも思えたが、終盤で田丸が清澄に「この線の向こう側に行くな!あの女ではなく俺を選べ!」といったようなセリフを吐いたのには正直ドン引きした。BL要素は不要だし、何よりも普通の男は、男の友情よりも女を選ぼうとしている男の肩を持つものだ。原作がこうなのかな?ここには多大な違和感を覚えた。

 

『 パブリック 図書館の奇跡 』でもあったミスだが、真冬の長野だという設定にもかかわらず登場人物たちの吐く息がまったく白くない。夜でさえも。また清澄と玻璃の帰り道だか車から見えるシーンだったか、思い切り稲穂が首を垂れていた。つまり、撮影時期は10月頃だろう。だったら劇中をそういう時期に設定するか、あるいは夜だけでも白い息を吐くように工夫するか、CG処理でもしてほしかった。特に真冬で凍える時期という設定に一定の意味があるのだから、後者が必要だったのではと強く思う。

 

最後に、これは映画そのものへのfeedbackでもcomplaintでもないのだが、どうしても言わせてほしい。もうトレーラーで物語を全部ばらす愚行からはそろそろ卒業してはどうだろうか。これは邦画だけではなくハリウッドにも当てはまるが、インド映画や韓国映画のトレーラーはもっと巧みに作られている。本作もまったく悪いストーリーではないが、トレーラーがほとんど全部のストーリーを語ってしまっている。本編鑑賞後に観て「ああ、なるほど」と思える構成ではなく、観る前にストーリーの推測ができて、観た後に「トレーラーのまんまやんけ・・・」と頭を抱えてしまう。もう、そういうトレーラー作りや公式サイト作りはやめよう、本当に。

 

総評

冒頭の北村匠海→中川大志のチェンジに違和感を抱いてはならない。それが第一の関門(いや、原作小説ではどうだかわからないが、これは10人中8人ぐらいが素直に飲み込めるはず)。終盤でガラリとトーンが変わるが、それを受け入れられるかどうかが二つ目の関門。そこさえクリアできれば、非常に小さな、それでいて大きなスケールの感動を味わうことができるに違いない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

UFO

ユーフォーではなく、ユー・エフ・オーと読む。unidentified flying objectの頭文字を取ったもの。意味は未確認飛行物体=正体が確認されていない飛んでいる物体、である。Jovianが分詞の形容詞的用法を説明する際に必ず使う語である。過去分詞でも現在分詞でも、それを形容詞的にサッと名詞にくっつけて発話できるようになれば、英語の中級者であると言える。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, 中川大志, 井之脇海, 日本, 清原果耶, 監督:SABU, 石井杏奈, 配給会社:イオンエンターテイメント, 青春Leave a Comment on 『 砕け散るところを見せてあげる 』 -青春映画を期待するべからず-

『 るろうに剣心 』 -コスプレ映画以上、傑作映画未満-

Posted on 2021年4月9日 by cool-jupiter

るろうに剣心 60点
2021年4月4日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:佐藤健 武井咲 香川照之
監督:大友啓史

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漫画『 るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 』をジャンプ連載時にリアルタイムで読んでいた世代としては、本作が映画化された時は素直に嬉しかった。ただし初めて劇場鑑賞した時、そして今回のリバイバル上映を観ても、感想は同じ。ストーリーをもっと練ることができたはずだ。

あらすじ

明治維新から10年。東京では神谷活心流を名乗る懸隔による謎の惨殺事件が頻発していた。流浪の剣客である緋村剣心(佐藤健)は、神谷活心流の薫(武井咲)と出会い、道場に逗留することになる。一方で、実業家の武田観柳(香川照之)は阿片の密売を進めようと画策していて・・・

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ポジティブ・サイド

佐藤健が緋村剣心にそっくりである。もちろん役者の容姿だけではなく、そこにはヘアスタイリストやメイクアップアーティスト、衣装の力があることを忘れてはならない。それでも、佐藤の演技に漫画の剣心をストレートにイメージできた人は多いのではないだろうか。剣心のユニフォームと言うべき、朱色の着物を身に着けるようになるエピソードもなかなかである。『 続・夕陽のガンマン 』でブロンディが最終盤近くでポンチョを身にまとうシーンを思い起こした。もちろんアクションでも魅せる。剣心というキャラクターの魅力は、華奢で天然の入った優男が実は凄腕の剣客であるというギャップ。実際に刀を振るってのアクションは迫力満点。キャラの外見は漫画的だが、チャンバラやその他のバトルシーンは映画的だ。ワイヤーアクションをふんだんに使ってのソード・アクションは必見。観柳邸の庭で大人数の浪人相手の立ち回りでは、カメラワークの巧みさもあり、漫画的なショットの連続で神速の体術と刀裁きが光っていた。飛天御剣流のお約束的なポーズもしっかり再現されていて、ファンサービスも抜かりなし。

剣心以外でキャラの再現度が高いと感じられたのは相楽左之助。演じた青木崇高に拍手。原作ではどこかクリーンなイメージの外見だが、映画では粗野で不潔で喧嘩っ早いという属性そのままの容姿。さらに斬馬刀を振り回すという迫力あるアクションに、本物の元格闘家を相手にして徒手空拳で挑むバトルも、漫画的でどこか笑える雰囲気でありながら、痛みを感じさせるリアルなシーンに仕上がっていた。特に観柳邸の台所でのバトルは、すぐそこにあるもので相手を殴りまくっており「これは痛い」と実感できた。

鵜堂刃衛役の吉川晃司もコスプレはもちろん、アクションを相当に頑張っている。警察署への討ち入りから剣心との決闘まで、チャンバラ活劇の迫力では佐藤健に一歩も引けを取っていなかった。背車刀の実演も見事。連載時に「うおっ、なんかすげえ!」と感じた中学生の頃をおっさんになった今でも思い出せた。本職は俳優ではなかったはずだが、この多芸多才ぶりは賞賛に値する。物語序盤の敵であるため目立たないが、スーパー実力者である鵜堂刃衛をコスプレ以上の意味で体現した、本作の影の立役者である。

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ネガティブ・サイド

るろ剣という壮大な物語の導入とキャラ立てとストーリー展開を同時並行でやろうとして、見事に失敗している。るろ剣ほどのヒット漫画の映画化なのだから、第一作目ではキャラをじっくり作りこみ、キャラ同士の関係の発展に焦点を当てるか、あるいは観る側がキャラ設定をすでに十分に承知したうえで鑑賞するものと想定して、一気に物語を動かすか。そのどちらかすべきだった。

本作の弱点は明らかで、キャラの立て方が中途半端になってしまっている。相良左之助と剣心の出会いが留置所というのはいかがなものか。いや、左之助と剣心の出会いの物語を原作漫画通りやっていたら、それだけで40~50分はかかる。それは理解できる。だが、なぜ警察絡みにしてしまうのかが解せない。原作のこの段階では出てこず、かつ左之助とはまったく馬が合わない斎藤一を、プロローグ段階でバンバン出してしまっていることで、キャラの人間関係や背後関係が妙なことになっているように見える。左之助を捕縛できる警察など斎藤以外にいないが、それでは話のつじつまが色々と合わない。

その一方で観柳はコスプレではなく、香川照之の独演会、ワンマンショーになっている。他のキャラは漫画のコスプレをしているのに、一人だけオリジナルキャラクターになってしまっている。もちろん観柳は観柳なのだが、なにもかもが over the top で、インテリヤクザではなくただのヤクザになっているのだ。

斎藤一のキャラもぶれている。というよりも、斎藤の代名詞である「悪・即・斬」が一度も聞かれないので、斎藤がただの腕の立つ警察官になり下がってしまった。なぜ幕府側だった斎藤が明治政府の要人の下でその腕を振るっているのか、それは原作で執拗なほどに描写された、斎藤自身の正義感=悪・即・斬という哲学・信念に常に忠実であり続けているからに他ならない。だが、そういったキャラ立てに最も必要とされる部分がすっぽりと抜け落ちてしまっているせいで、斎藤が単なる体制側の人間に見えてしまう。

最も許せないと感じたのは弥彦の扱いだ。それまで単なるにぎやかし要員だった弥彦が、観柳邸に向かう剣心と左之助から薫と道場の警護を託されるシーンは名場面だったし、漫画『 ベルセルク 』でガッツがイシドロに殿を任せる場面は、るろ剣のここからインスパイアされたものだと勝手に解釈している。そんな弥彦が、警察、それも斎藤一のところに駆け込むか?斎藤の口から語られるべきだったのは「お前らのところのちびが来た」ではなく、「神谷道場が襲撃されたと近隣住民から通報があった。急行してみたら、子どもが奮戦むなしくやられていたが、最後まで立派だった」みたいなことでなければならなかった、絶対に!るろ剣というのは主人公が最初から超絶強いわけで、読者は「かっこいい!」とは思えても、自己同一視はできないタイプのキャラである。そういう意味で弥彦というキャラは同時期の漫画『 ダイの大冒険  』で言うところのポップのような、成長型の人間、つまり普通の読者が自己を重ね合わせやすいキャラだった。そこを読み誤った、あるいは脚本に盛り込めなかった大友啓史には猛省を促したい。

総評

コスプレ映画以上の出来であることは間違いない。しかし、脚本があまりにも粗い。ストーリーを詰め込み過ぎている。また重要キャラクターの描写にも原作軽視あるいは無視の傾向が見て取れるのが残念である。逆に言えば、単純にアクションを楽しむ分には何の問題もない。チャンバラに関して言えば、韓国英語がにもハリウッド映画にも負けていない(というか、絶対に負けてはいけないのだが)。るろ剣の実写映画の最終章の公開前に復習鑑賞するという意味では、ファンならばチケットを買うべきだろう。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

no-kill

殺さず、の意味の形容詞。英語でも no-kill trap や no-kill animal shelter などの言葉は、あちらのドキュメンタリーなどを観ていると聞こえてくる。不殺の誓いは、no-kill oathとなるだろうか。初期以外のバットマンは犯罪者を殺さないというポリシーを持っているが、それも時々 no-kill oath と言われている。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, アクション, 佐藤健, 日本, 武井咲, 監督:大友啓史, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 香川照之Leave a Comment on 『 るろうに剣心 』 -コスプレ映画以上、傑作映画未満-

『 野球少女 』 -もう少し野球の要素に集中を-

Posted on 2021年3月8日 by cool-jupiter

野球少女 65点
2021年3月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:イ・ジュヨン イ・ジュニョク
監督:チェ・ユンテ

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日本プロ野球の歴史上、印象的な韓国人助っ人と言えばソン・ドンヨルだろうか。千葉ロッテマリーンズファンのJovianはイ・スンヨプも忘れがたい。そんな韓国から、プロを目指す野球女子のストーリーが届けられたので、興味津々でチケットを買った。

 

あらすじ

女子高生チュ・スイン(イ・ジュヨン)は、プロ野球選手になることを目標にしていた。しかし時速130kmという速球も「女子にしては」という但し書き付きの評価で、トライアウトも許可されない。そんな時に、独立リーグ出身のチェ・ジンテ(イ・ジュニョク)が新人コーチとしてチームに加わり・・・

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ポジティブ・サイド

野球少女というタイトルではあるが、決して過度に主人公スインの女性性を強調したりはしない。もちろん更衣室が別だとか合宿に行くと個室が必要だから余計に金がかかるだとか、そういう描写や説明はある。しかし、スインが学校や野球部で「女子であること」が明確なハンディキャップになっている描写はない。それをやってしまうと、スインの努力が、韓国野球史上で前例のないことへの挑戦ではなく、学校や部を見返してやることに矮小化してしまう。そこを避けたのは賢明だった。むしろ、スインの友人女子がオーディションで落ちたことを通じて、歌やダンスの練習をどれだけ積み重ねても見た目で拒絶されてしまうという現実を突きつけてくる。これは効果的だった。セクシズムだけではなくルッキズムも含まれる、いや、もっと言えばチャンスを与えてもいい人間とチャンスを与えるまでもない人間がいるという考え方を厳しく批判することになっているからだ。

 

コーチが微妙に負け犬設定なところもいい。これが元プロだとか、元大学野球のスターとか、釈迦人野球で実績を残したという人物だと、観る側も共感しづらい。だがチェ・ジンテは独立リーグ出身。プロに近い世界ではなく、プロからかなり離れたところ出身のコーチだからこそ、自分の果たせなかった夢を追うスインが最初は気に食わなかった。しかし、そんな自分がスインを育成することこそがredemptionになるのではないかと腹を括るシーンはよかった(校庭を30周も走らせるのはどうかと思うが)。その後の「短所はカバーできない、長所を伸ばせ」というアドバイスは適切だったと思う。

 

クライマックスをトライアウトに持ってきたのは正解。本作は『 野球少女 』というタイトルだが、実際に描かれているのは固定観念の打破、機会均等(≠結果の平等)の追求なのだ。スインの目標はトライアウトの合格だが、物語が描き出したいのはトライアウトにこぎつけること。チェ・ユンテ監督がスインの物語と映画の物語を一致させなかったのは英断だと思う。スインが実際にプロ野球選手として活躍できるかは誰にも分からない。というか、むしろその可能性は限りなく低い。球団のお偉いさんの「スインが本当に大変なのはこれからですよ」という言葉が真実だろう。ただ、エンドロールの最後に聞こえてくる鳥の鳴き声に、長かった冬の終わりが予感させられる。それは季節が変わったということだけではなく、一つの新しい時代が到来したということの暗示でもあるのだろう。

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ネガティブ・サイド

もっと野球そのものにフォーカスしてほしかったと思う。スインがナックルを選択するようになったのは当然だが、そのナックルの魔球ぶりをもっと分かりやすく見せてほしかった。日韓のファン、特にJovianとほぼ同世代の本作監督チェ・ユンテならボストン・レッドソックスのティム・ウェイクフィールド投手をテレビでリアルタイムに観ていたはず。その時も捕手はボールをミットのど真ん中ではなく、先っぽや土手でキャッチすることがしばしばあった。トライアウト時に捕手がミットを大きいものに変えるシーンがあったが、同じようにナックルをミットの真ん中でなく先っぽや土手でかろうじて受けているという描写が欲しかった。

 

スインの野球選手としての苦悩の部分の見せ方も弱かったと思う。たとえばスインのリトル・リーグや中学時代の練習や試合の風景を映し出す。そこで得た野球選手としての称賛に「女の子なのに」や「女の子でも」といった枕詞が必ずついてくる。そうした経験をスインがしてきたという説明は、セリフだけではなく実際に映像として見せるべきだった。その方がスインの感じる抑圧感、今風の言葉で言えばガラスの天井の存在を、より強く観る側に印象付けることができたはずだ。

 

他にもそぎ落とせるサブプロットがいくつもあった。最も不要だと感じたのは、父親の資格試験。普通に不合格でした、で充分だった。逮捕劇によって家族にさらなる亀裂と劇的な関係改善が・・・ということもなかった。いったいあれは何だったのか。

 

総評

韓国映画が得意とするドラマチックな物語ではない。演出面でも少々物足りない。しかし、性別を理由に門戸が開放されない職業など、本来は存在しないはず。保守的とされる韓国であるが、よくよく考えれば女性大統領を輩出するなどgender equalityの面では日本の先を行っている。女性のプロ野球選手も案外、日本よりも韓国が先に輩出するかもしれない。日本も負けていてはいられない。スポーツでもその他の分野でも。そんな気にさせてくれる映画である。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

アラッソ

『 ブラインド 』でも紹介した表現。「分かった」の意。韓国映画を観ていると、ほぼ間違いなく出てくる表現。他にもアルゲッソヨ=「分かりました」もよく聞こえる表現だが、こちらは同じ意味でも丁寧な言い方。映画やドラマで語学を学ぶ利点の一つに、人間関係やストーリーの中で学べるということがある。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2020年代, C Rank, イ・ジュニョク, イ・ジュヨン, スポーツ, 監督:チェ・ユンテ, 配給会社:ロングライド, 韓国Leave a Comment on 『 野球少女 』 -もう少し野球の要素に集中を-

『 無双の鉄拳 』 -とにかく鉄拳、やっぱり鉄拳-

Posted on 2021年3月6日2021年3月6日 by cool-jupiter

無双の鉄拳 60点
2021年3月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マ・ドンソク ソン・ジヒョ キム・ソンオ キム・ミンジェ
監督:キム・ミンホ

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『 あのこは貴族 』には重苦しい清々しさがあった。そんな作品の後には軽い作品がいい。というわけで、マ・ドンソク主演作を借りてきた。

 

あらすじ

魚卸しのカン・ドンチョル(マ・ドンソク)は儲け話にはすぐに乗ってしまうお人好し。妻ジス(ソン・ジヒョ)の誕生日を盛大に祝おうとした席で、カニに投資したことがバレてしまい、ジスは怒って帰ってしまう。ドンチョルが帰宅すると、しかし、ジスは誘拐されていた。すぐに警察に向かうドンチョルだが、警察は頼りにならない。ドンチョルは弟分と胡散臭い探偵と共にジスの行方を追って・・・

 

ポジティブ・サイド

『 喜劇 愛妻物語 』のような恐妻家ではなく、正しい意味での恐妻家、カン・ドンチョルを強面だが、気は優しくて力持ちなマ・ドンソクが演じる。これだけでストーリーは半分完成している。善良な市民が、カネと、そして妻のために警察やら何やらを振り切って猪突猛進するのを楽しむ作品である。特に巨漢の男に食らわせた逆パイルドライバーには笑ってしまった。なんでもかんでも最後はマ・ドンソクの鉄拳で解決となるのはワンパターンの極みだが、それが結構面白いのだから仕方がない。体作りは大変かもしれないが、マ・ドンソクには一生このスタイルを貫いてほしいもの。

 

端正な美人の嫁ジスも、やはり韓国的。韓国映画にはおしとやかな女性はまるで出て来ず、相手に非ありと見れば、どんどんと自分の意見をぶつけてくる。韓国にはさぞかし恐妻家が多いことだろう。確かに映画の中の韓国人夫婦を見ていると、男はDV男やモラハラ男でなければ、愛妻家もとい恐妻家で妻に頭が上がらない奴がほとんどという印象だ。

 

悪の親玉のキム・ソンオは、なんと『 アジョシ 』でさんざん拷問をくらって爆死させられた悪玉兄弟の弟ではないか。ナチュラルに薬モリモリなテンションで部下を小突いていくという小者っぷり。相手を偽善者と見るや、「金をやるからお前の大切なものを寄こせ」という悪徳成金の権化のような男。こういう清々しいまでにクズなキャラだからこそ、我々は「早く誰かコイツをぶちのめせ!」と思わされてしまう。単純ではあるが、悪役は分かりやすく悪であることが望ましいのだ。

 

本作は悪役側のアクションもなかなか魅せる。終盤に出てくる竜巻旋風脚の使い手はかなりの手練れ。韓国の時代劇を見ていると、槍やら剣やらを持っているのにアクションシーンではテコンドー的な回し蹴りをしているが、そういったお決まりの回し蹴りが容赦なくパワーアップ。韓国のステゴロ自慢に実際に入るかもしれないタイプで、この対決は見ごたえがあった。

 

ネガティブ・サイド

子分と探偵のコミックリリーフが中盤以降はやや過剰だった。検事ネタではなく別キャラのネタは使えなかったか。

 

本作の最大の弱点は、カン・ドンチョルの過去のヤバさ、強さが見えないところだ。『 アジョシ 』なら、その必要はない。この若くして世捨て人になった男は何者だ?ということ自体が謎とサスペンスを生み出すからだ。マ・ドンソクは違う。こんな腕と胸板の奴が普通のわけはないのである。問題は、どれくらい普通ではないのか。序盤の魚市場のシーンで子分が「昔の俺たちを見せてやるか」というシーンで、ほんのちょっとヤバい目つきをする、そうした演出が一瞬でもあれば良かったのだが。

 

クライマックスのカーアクションはやり過ぎ。というか、ジープで思いっきり追突をかましているのに、バンパーもへこまず、ヘッドライトも割れず、その他の外装に傷一つないというのはいただけない。ワンショットごとのつながりをしっかりと編集してこその映画だろうに。

 

総評

とにかくマ・ドンソクのアクションとその子分連中のコミックリリーフっぷりを楽しむ作品である。逆に言えば、このキャラクターの内面は?とか、この風景が象徴するものは?などということを考えずにすむわけで、アクションとユーモアだけに注目することができる。まあ、頭を空っぽにして観るべき作品であろう。こういう作品は頭のリフレッシュのために定期的に観なければならないように感じる。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

カバン

『 藁にもすがる獣たち 』でも何度も聞こえてきたが、カバンは韓国語でもカバンである。おそらく日本統治時代にそのままカバンという日本語が韓国語に組み込まれたのだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクション, キム・ソンオ, キム・ミンジェ, ソン・ジヒョ, マ・ドンソク, 監督:キム・ミンホ, 配給会社:アルバトロス・フィルム, 韓国Leave a Comment on 『 無双の鉄拳 』 -とにかく鉄拳、やっぱり鉄拳-

『 アーカイヴ 』 -低予算SFのアイデア作-

Posted on 2021年3月1日2021年3月1日 by cool-jupiter

アーカイヴ 60点
2021年2月28日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:テオ・ジェームズ ステイシー・マーティン
監督:ギャビン・ロザリー

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近所のTSUTAYAで先行レンタル作品だと謳われていた作品。たまたま一つだけ借りられていなかったので、あらすじも読まずに新作料金を払ってレンタル。低予算SFの掘り出し物とまではいかないが、それなりに楽しませてくれた。

あらすじ

アーカイヴと呼ばれる人間の意識を保存したシステムにより、一定期間だけ死者と交流可能となった近未来。ロボット工学者のジョージ(テオ・ジェームズ)は亡き妻ジュール(ステイシー・マーティン)の意識を違法にアーカイヴからダウンロードし、ロボットのJ1とJ2を開発。そして、さらに本物のジュールに近いロボットとしてJ3の開発にも着手するが・・・

ポジティブ・サイド

象牙の塔に閉じこもり、黙々と研究・開発に打ち込む科学者というのは、ホムンクルスやゴーレムの作成、ひいてはフランケンシュタインの人造人間に至るまで、古典的かつ典型的な人物像である。作品の雰囲気も『 エクス・マキナ 』のそれによく似ている。全編ほとんど山梨のラボ内で進行するが、一度だけ出てくる繁華街は、『 ブレードランナー 』を意識して作ったことは間違いない。また、J3がアップグレードされていく様子は実写『 ゴースト・イン・ザ・シェル 』の少佐のそれにそっくり。J1とかJ2は、やっぱり『 スター・ウォーズ 』へのオマージュか。

要するにあまりにも陳腐なクリシェに彩られ過ぎていて、これは絶対に最後に何かあるだろうと思わせてくれる。実際に、まあまあのドンデン返しが待っていた。以下、白字。Jovianはてっきり姿を消したJ2が自身の意識をアーカイヴ化し、ジョージ自身の手によってJ3の意識が上書きされる際に、J3のボディに潜り込む・・・と予想していた。小さい頃に観た『 デモン・シード 』の影響かな。

勘の良い人なら、「ははーん、これはそういう話だな」と類似の先行作品(たとえば『 シックス・センス 』や『 パッセンジャーズ 』 、『 13F 』など)をいくつか思いつくことだろう。すれっからしのJovianはここのところを読み違えたわけだが、逆にこうしたジャンルに馴染みがない人なら、大きな驚きを体験できるかもしれない。

アーカイヴのようなシステムは、善悪の判断は措いておくとして、今後必ず誰かが開発しようとするのは間違いない。死者との交信ではなく、むしろ自分の意識をアーカイヴ化したスーパーリッチな人間が、マモーよろしく自分の意識を乗せた船で恒星間宇宙飛行に乗り出すのではないかとJovianは結構本気で考えている。オチを予想するも良し、アーカイヴの別の可能性をあれこれ想像するも良し。週末をステイホームで過ごすなら、ちょうどよい一本かもしれない。

ネガティブ・サイド

J3の最初の見た目がフリーザ様の最終形態そっくりなのは、製作者の日本へのリスペクトなのだろうか。脚がない状態で登場するところが、なおさらフリーザを連想させる。だが、このようなオマージュはノイズだろう。実写なら実写作品のオマージュをすべきで、アニメ作品まで射程に収めるなら、『 レディ・プレイヤー1 』並みに突き抜けている必要がある。むしろダース・ベイダー誕生の時のように(あれもフランケンシュタインの怪物へのオマージュだが)仰臥位で寝ているところから徐々に起き上がってくるという演出の方が個人的には好ましかった。

J2の扱いが酷い。こういうロボットとヒューマノイドの中間的な存在は、2030~2040年代には市民生活に間違いなく参加してくる存在だろう。そうしたロボに対する接し方のヒントになるようなものが何一つなかった。同時にAIが人間並みの複雑な感情(つまりは思慕や嫉妬)を持つということについての深掘りもなかった。いみじくもアーカイヴというシステムが示している通り、人間は何らかの刺激に対して適切な反応を返している。たとえば「愛している」と言われたら「私も」と返ってくる、など。AIもこうしたやりとりを学ぶことは可能なはずだ。人間から特定の感情(たとえば愛情)を引き出すように振る舞え、とプログラムされたAIと、人間に対して愛情を持っているAIを区別することは、表面上は困難だろう。ジョージがそうした哲学的な省察を一切行わない点も不満である。

総評

悪くない映画だと思う。人工知能やロボットを主題に据えたSF作品はこれまでに星の数ほど制作されてきたが、今という時代、すなわちAIやロボに関する学問や産業が爆発的な進展を見せる前夜に、このような作品が作られるのは必然だろう。本作の提示する世界観は思考実験にはぴったりである。J1、J2、J3の誰と一緒に暮らしたいかと問われれば、JovianはJ2を選ぶ。また身近な人間でアーカイヴ化できるとしたら、多分、父を選ぶように思う。単純に面白い、つまらないだけではなく、様々なことをリアルに考えさせてくれるSF映画である。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

~ is my fault

「~は私の責任だ」の意。英語学習者がよくやる間違いの一つに、

This glitch is my responsibility.

この不具合は私の責任です。

というものがある。これだと「責任もって不具合を発生させます」的に聞こえてしまうので注意のこと。日本語で言う責任には、responsibilityとfaultの二つがある。前者は責任者が負うもので、後者は過失のこと。英語でビジネスをしている人はゆめゆめ間違えないように。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, SF, イギリス, ステイシー・マーティン, テオ・ジェームズ, 監督:ギャビン・ロザリー, 配給会社:カルチュア・パブリッシャーズLeave a Comment on 『 アーカイヴ 』 -低予算SFのアイデア作-

『 あの頃。 』 -心はいつも中学10年生-

Posted on 2021年2月23日2021年2月23日 by cool-jupiter

あの頃。 60点
2021年2月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:松坂桃李 仲野太賀 若葉竜也
監督:今泉力哉

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『 愛がなんだ 』の今泉力哉監督作品。仲野太賀が助演というだけでチケットを購入。

 

あらすじ

バイトとバンド練習で特に生き生きすることもなく暮らしていた劔(松坂桃李)は、ふとしたことで松浦亜弥のDVDを見て、感動。ハロプロのアイドルの熱烈ファンになる。そしてトークイベントで知り合ったコズミン(仲野太賀)たちのハロプロファンたちとともに、中学10年生のようなノリで楽しい日々を過ごすようになるが・・・

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ポジティブ・サイド 

Establishing Shotからして、なかなか凝っている。防音スタジオでセッション中に、劔がミスをして怒鳴られるというシーン。これだけで、劔が非常に狭い世界で窮屈な思いをしながら生きているという実感が簡単に伝わってくる。このオープニングがあるからこそ、あややのDVDに感涙してしまう劔の姿に説得力が生まれる。

 

時代の空気もうまい具合に反映されている。劇中で主に描写されるゼロ年代というと、オタクが少数民族として迫害された90年代とは違い、個々人の様々な趣味嗜好が徐々に社会に受容されつつある時代だった。Jovian自身も大学生の頃にはモーニング娘。の『 LOVEマシーン 』を寮の行事でノリノリで踊ったりしていた。なので、ハロプロにハマる劔やコズミンの感覚には充分に共感できた。

 

同時に、コズミンが仲間に向かってしばしば吐き捨てる「無職のオッサン連中」的な侮蔑の言葉も理解できるのだ。なぜハロプロなのか。なぜオタク趣味にハマるのか。それは社会に明るさが無いからだ。働くことそのものに喜びや希望が見いだせないからだ。あの頃は、そういう時代だったのだ。そして、その頃の空気の一部は現代にも確実に受け継がれている。だからこそ、本作は現在進行形ではなく過去形で語られる。本作は現在10代の若もには刺さるところが少なく、逆に30代40代50代には刺さりまくりだと思われる。

 

松坂桃李が良い感じ。歌が超絶下手くそなところも、逆に好感度を上げている。パンツ一丁の姿を堂々と披露するなど、サービス精神も旺盛だ。複数の女子といい感じにムードが盛り上がりながらも、結局何もしないままに終わってしまうところもオタクらしさ全開で非常に良い。

 

しかし、主役のはずの松坂桃李からsteal the showをしたのは中村太賀。こんなに憎たらしいキャラでありながら、しかし心底からは憎めないというギリギリの線を見切った演技。オタクにあるまじき肉食系男子で、略奪愛もなんのその。しかし、ネット弁慶ではあってもリアルの喧嘩(殴り合いではなく)ではへっぴり腰という、非常に血肉の通ったキャラクター。こんな奴と一緒に過ごす青春は、確かに忘れがたいだろう。『 佐々木、イン、マイマイン 』の佐々木に続く、青春の青臭さと素晴らしさを決定づけるキャラクターである。

 

大人になれば卒業はないとは言うものの、大人になるということは社会に適応するということ。つまり、個人の趣味嗜好をある程度は制限することになる。けれど、そこにギリギリのところで折り合いをつける生き方を選び取ったかに見える劔やその仲間たちには、なれなかったもう一人の自分を重ね合わせるかのような感慨がある。ラストシーンはなかなかに感動的。冒頭で劔が自転車で通り過ぎるあるシーンにつながり、この場面があることで劔やコズミンの物語が彼らだけのものではなく、広く他の人間にも当てはまることであるという演出になっている。良い作品とは、対象との距離を縮めてくれる作品である。

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ネガティブ・サイド

劔の友人の「パチンコ」のアクセントがもうダメダメである。もっと大阪弁を勉強しろと言いたい。仲野太賀の第一声は何と言ったか忘れてしまったが、そこでも思わず頭を抱えてしまった。なんだかんだで大阪弁は現代日本の方言の中でも別格の地位にある。役者たるもの、もっと勉強してほしいし、監督もそうそう簡単にOKを出すべきではない。フォローをしておくと、仲野太賀のそれ以後の大阪弁の演技はすべて及第点以上だった。なぜ第一声だけが・・・

 

『 アンダー・ユア・ベッド 』の高良健吾が本質的にキモメンではないように、松坂桃李も本質的にキモメンではない。そこはやはりミスキャストか。勘違いしないで頂きたいが、オタク=キモメンと言っているわけでも、キモメン=オタクと言っているわけではない。このあたりについては『 ヲタクに恋は難しい 』のネガティブ・サイドでも論じたので、本稿では省略させていただく。

 

劔が常に「今が一番楽しい」というのは、作品そのもののテーマと矛盾しているように感じる。「今も楽しいけど、あの頃の楽しさはまったくの別物だった」という台詞こそがふさわしかったのではないか。

 

それにしても、なぜ本物の松浦亜弥を起用できなかったのだろうか。代役も悪い役者には見えなかったが、オーラが無かった。本人を起用してデジタル・ディエイジングを施すか、もしくはあやや役の女優の顔だけ松浦亜弥に差し替えるという選択肢はなかったのか。

 

総評

鮮烈・・・とは言い難いが、それでも印象的な青春ドラマである。ゼロ年代に20代だったJovianと同世代の映画ファンならば、当時の空気が再現されていることを懐かしく感じ取ることができるだろう。令和の今も、閉塞感溢れる社会という意味では、ゼロ年代と似通ったところがある。「松浦亜弥って誰?」となる若い世代も、意外に楽しめる作品かもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Those were the days.

過去記事で何度か紹介した表現。「あの頃が懐かしい」、「当時は良かった」の意味。このように言い合える仲間がいれば、それは人生が豊かであったことの証明だろう。

 

現在、【英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー】に徐々に引っ越し中です。こちらのサイトの更新をストップすることは当面はありません。

I am now slowly phasing over to https://jovianreviews.com. This site will continue to be updated on a regular basis for the time being.

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, 仲野太賀, 日本, 松坂桃李, 監督:今泉力哉, 若葉竜也, 配給会社:ファントム・フィルム, 青春Leave a Comment on 『 あの頃。 』 -心はいつも中学10年生-

『 名も無き世界のエンドロール 』 -伏線の張り方はフェア-

Posted on 2021年2月2日 by cool-jupiter

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名も無き世界のエンドロール 60点
2021年1月30日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:岩田剛典 新田真剣佑 山田杏奈 中村アン
監督:佐藤祐市

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“ラスト20分の衝撃”のような刺激的な惹句に興味を抱くと同時に警戒心も抱いた。“62分後の衝撃”の『 ピンクとグレー 』が個人的にはイマイチだったし、岩田主演つながりで言えば『 去年の冬、きみと別れ 』のトリックというか構成を見破ったJovianなのである。本作についても「楽しみたい」4と「見破りたい」6で臨んだ。割と早い段階でプロットの裏側は読めたが、それでも物語そのものはそれなりに楽しむことができた。

 

あらすじ

友達思いのキダ(岩田剛典)とドッキリ仕掛けが大好きなマコト(新田真剣佑)は幼馴染にして親友。二人は同じ板金塗装屋に勤めていた。ある日、高級車を破損させた謎めいた美女リサ(中村アン)と出会ったマコトは、リサに釣り合う男になるために、板金塗装屋を辞めていった。キダも勤め先を辞め、裏社会で「交渉人」として頭角を現すようになった。二人は再会し、ある計画を実行に移すことになり・・・

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ポジティブ・サイド

岩田剛典といえば芝居がかった芝居をする役者だったが、本作ではその外連味が良い方向に作用していたように思う。それもこれも、全てはある目的のための周到な準備とその遂行過程だからだ。そのため「芝居をしているという芝居」をしている岩田が、上手くプロットにハマった。同じことはマコトを演じる新田真剣佑にも当てはまる。演技をしているのではなく、「演技をしているという演技」をしている。佐藤祐市監督の演出だとすれば、それは成功を収めている。

 

プロポーズ大作戦の標的である中村アン演じるリサの存在感もなかなかのものだ。有力な国会議員の娘というポジションが似合っている。魔性の女的な魅力を備え、なおかつ高圧的で下々の者を見下ろすかのような特権階級意識があふれる女である。本作を鑑賞する諸兄は、マコトになったつもりでリサを追いかけてみよう。リサを自分のものにしたい。自分だけのものにしたい。そうした気持ちになれるかどうか。なれるとしたら、その思いの強さはどこから生まれるのか。何故それだけの想いの強さを持続できるのか。そのあたりをよくよく考えてみれば、案外あっさりと真相にたどり着けるかもしれない。

 

本作は過去シーンと現在シーンを交互に丁寧に描写する。その際に必ず画面が暗転するので、観る側としては状況を常に整理して追いかけやすい。なおかつ、過去には存在して現在には存在しない人物。印象に残る行動の習慣。随所に挿入される意味ありげなショット。というか、大いに意味があるショットか。これらを丁寧に消化し、キダとマコトに自身を重ね合わせて見れば、答えはおのずと見えてくる。伏線があからさますぎず、かといって些細でもない。ちょうど良い塩梅である。ある意味で非常に現代的・現実的な手法で展開されるストーリーなので、ミステリ初心者にちょうど良い作品と言えるかもしれない。

 

クライマックスの撮影ロケ地はJovianが教えている大学の目と鼻の先である。『 ハルカの陶 』でも強く感じたが、自分の良く知る景色が映画に出てくると不思議と良い気分になる。ここだけで5点オマケしておく。

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ネガティブ・サイド

やっぱり「ラスト20分の衝撃」という惹句はアカンでしょ・・・。これだとミステリ愛好家、または鍛えの入った映画ファンに対する挑戦のように聞こえる。その割に、話の作りは素直で、伏線の張り方も真っ当だ。これで驚くのは中学生ぐらいだろうか。

 

戸籍の買い取りおよび乗っ取りの部分にはリアリティが感じられたが、劇中で語られるような印象的なエピソード持ちの名前や経歴を使うのは、普通に考えてかなりリスキーだと思うが。会社経営者に華麗に転身するところでもそうだが、国会議員の娘とお近づきになるのであれば、相当の身辺調査を覚悟しなければならないだろう。

 

伏線以外の部分にかなり意味不明なパートがある。「さびしい」と「さみしい」の感覚の違いは、本当の家族と疑似的な家族との距離感の違いから生まれるのかなと勝手に好意的に解釈してみたが、キダの言う「ファミレスのナポリタンが好き」という台詞には何の裏付けもなかった。ほんの一瞬でも、裏社会に生きるようになったキダがファミレスでナポリタンを注文する、それをどこか感慨にふけりながら食べるようなシーンがあれば、物語もキャラクターもぐっと深みが増したと思われる。

 

交渉人としてのキダを柄本明は褒めていたが、あれでは裏社会でのし上がれないだろう。「リサと別れろ」と言ってしまっては、その交渉(と見せかけた脅し)の後にリサに近付く男の差し金であることがばれてしまう。相手に尻尾を掴ませないためには「女がいるなら別れろ、仕事も明日から一週間休め、ひと月以内にこの家からも引っ越せ」という具合に複数の具体的な要求を伝えるべきと思う。「本当のことを言う」というキダの習性を柄本演じる貿易会社の親玉は褒めていて、Jovianはこれを皮肉と受け止めたのだが・・・。

 

総評

ミステリ映画の入門編である。デートムービーにもちょうど良いかもしれない。つまりはライトなファン向けである。『 オールド・ボーイ 』や『 親切なクムジャさん 』といった系列のストーリーが好きな人なら、本作もそれなりに楽しめるはず。そうそう、ポートアイランドに縁のある神戸市民にもお勧めをしておきたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

negotiator

「交渉人」の意。ネゴシエーションは日本語にも定着している語彙だが、その語源・由来を知る人は少ないのではないか。otiumという「余暇」や「平和」を意味するラテン語の単語にneg = 無い(negativeやneglectの接頭辞)という意味がくっついたものである。つまり、交渉事というのは時間を要するもので、余暇が奪われてしまうような活動だとローマ人たちは考えていたのだろう。形態素や語源からボキャビルにアプローチするのも一興である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, ミステリ, ロマンス, 中村アン, 山田杏奈, 岩田剛典, 新田真剣佑, 日本, 監督:佐藤祐市, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズLeave a Comment on 『 名も無き世界のエンドロール 』 -伏線の張り方はフェア-

『 囚われた国家 』 -Rise up against all odds-

Posted on 2021年1月30日 by cool-jupiter

囚われた国家 65点
2021年1月27日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョン・グッドマン ベラ・ファーミガ アシュトン・サンダース ジョナサン・メジャース
監督:ルパート・ワイアット

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ディストピアSFはJovianの好物ジャンルの一つ。アメリカの大統領もきっちりと入れ替わったところで、アメリカ人の意識の一面を映し出しているであろう本作を近所のTSUTAYAでピックアウトしてきた。

 

あらすじ

地球が異星人に統治されるようになって9年。伝説的な活動家の兄を持つガブリエル(アシュトン・サンダース)は、市民集会に現れる“統治者”に一矢報いるために爆弾攻撃を計画するレジスタンスのメンバーたちの動きに関わっていくことになる。ガブリエルの父のかつての同僚、刑事マリガン(ジョン・グッドマン)はそんなガブリエルを常に注視しており・・・

 

ポジティブ・サイド

H・G・ウェルズの『 宇宙戦争 』の頃から、エイリアンが地球へ侵攻してくる物語はカズ仮なく量産されてきた。だが、本作は冒頭のエピローグ部分で人類が敗北して、エイリアンの統治下に入ることになったということ極めて端的に描写した。本筋は、エイリアン統治に馴染んでしまった世界から始まるところがユニークな点である。

 

面白いと感じるのは、異星人、劇中の言葉を借りれば“統治者”の元で生きる者はますます富み栄え、そうではないものはとことん落ちぶれていくということ。なんのことはない。ネイティブアメリカンとヨーロッパからの移民の関係を、アメリカ人と宇宙人に置き換えただけである。つまり、アメリカ人にも自分たちが侵略者であり、自分たちの政治が虚飾であるという意識がはっきりと芽生えてきたということだろう。アメリカの作るSFはひたすら宇宙、つまりは上を目指すばかりだったが、本作では地下、つまりは下を目指すことが物語上で大きな意味を持っている。

 

他にも、アメリカ映画お得意のヒーロー信奉、すなわち一個人の英雄的な活躍により戦局を一気にひっくり返すような展開も、本作では見られない。本作はスパイ映画であるが、『 ミッション・インポッシブル 』や『 007 』のような超人の物語ではなく、圧倒的な強者の目を何とかかいくぐり、協力し合って目的を達成せんとする弱者の連帯の物語でもある。だからとって妙な人間ドラマ路線に舵を切らず、スパイ映画特有のヒリヒリするような緊張感を味わわせてくれるので、そこは安心してほしい。

 

侵略的な宇宙人が存在する世界で警察=体制側の人間vsガブリエルたちのような貧民という、人間同士の争いばかりがフォーカスされるが、本作の本質的なメッセージは「抗え!」ということである。脇役として数多くの映画を支えてきたジョン・グッドマンの静かに抑えた、それでいて内にマグマを秘めた演技が光る。最後のマリガンのネタばらしと言おうか、調査報告のシーンはサスペンスは『 女神の見えざる手 』を思い起こさせてくれた。

 

ネガティブ・サイド

主人公、というよりもオーディエンスが物語世界に没入するために感情移入すべき相手が変わっていく。それ自体はその他多くの映画でもこれまでに行われてきた。問題は、その視点の移り変わりが理解しづらいところだ。ガブリエル、その兄のラファエル、彼らの父の元同僚であったマリガンへと視点が変わっていくが、そこが少々、というか相当に強引だ。被支配者としてのアメリカ、ヒーローではなく群像、上ではなく下、という具合に多くの転倒した価値観を提示する本作であるが、「 物語として示したいもの 」が非典型的だからといって「 物語の示し方 」まで必要以上に凝る必要はない。むしろ、物語の示し方に凝るのならば、そのこと自体が大きな仕掛けになるような工夫を期待したかった(『 メメント 』や『 カメラを止めるな! 』など)。

 

レジスタンスのナンバーワンとされる存在の正体が割と早い段階でばれてしまうのはミスキャストではなかろうか。この役者が演じる役には裏が無い方が珍しい気がする。

 

映画の全編を通じて、編集が雑であるように感じた。あるいは脚本が練られていない。統治者側の特殊部隊の「ハンター」と聞けば『 ザ・プレデター 』を思い浮かべてしまうが、こいつらがあまり強くなさそう。というか強くない。武器を取り上げられた=火力ゼロなので、相対的にどんな相手に対しても地球人は不利になる、というわけではない。警察機構には銃火器の保持が認められている。であるならば、その程度の武力ではハンターにはまったく太刀打ちできないという説明あるいは描写を入れておくべきだった。

 

総評

全体的に非常に静かな作品である。思弁的なSFでありながら現実世界を巧みに写し取ってもいる。本作を通じてスパイ行為、テロ行為を反省的に見つめることもできるだろう。『 オブリビオン 』を楽しんだという人ならば、本作も楽しめる可能性が高い。エイリアンが登場するSFならドンパチが必須だ、と考える向きにはお勧めしづらい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a buff

劇中では a history buff  = 歴史オタクと訳されていた。Buffとは「熱中者」や「熱烈愛好家」、「マニア」のような人種を指す。

 

He is one heck of a baseball buff.

あいつは相当な野球狂だぜ。

 

のように使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, SF, アシュトン・サンダース, アメリカ, サスペンス, ジョナサン・メジャース, ジョン・グッドマン, ベラ・ファーミガ, 監督:ルパート・ワイアット, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 囚われた国家 』 -Rise up against all odds-

『 ミッドナイト・スカイ 』 -ディストピアSF風味の人間ドラマ-

Posted on 2021年1月20日 by cool-jupiter

ミッドナイト・スカイ 60点
2021年1月17日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ジョージ・クルーニー フェリシティ・ジョーンズ デヴィッド・オイェロウォ カイル・チャンドラー ケイリン・スプリンゴール
監督:ジョージ・クルーニー

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Netflix作品の劇場公開。『 アイリッシュマン 』や『 シカゴ7裁判 』と同じく、目ざとい劇場が公開してくれたので、チケット購入とあいなった。

 

あらすじ

末期がんを患うオーガスティン・ロフタス(ジョージ・クルーニー)は、地球の滅亡が迫る中、北極の天文台に残ることを決断する。孤独の中で最後の日々を送る中、基地内に一人の物言わぬ少女、アイリスを発見する。ある時、宇宙船アイテルの乗組員サリー(フェリシティ・ジョーンズ)らが地球への帰途にあると知ったオーガスティンは、なんとかそれを阻止しようと交信を試みるが・・・

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ポジティブ・サイド

なんとも静謐な物語である。小説の映画化らしいが、日本なら誰が構想しそうな物語だろうか。『 インターステラー 』のように地球そのものが人類に牙をむいてきた結果として、人類が滅亡に追い込まれるという設定に、何をどうしてもコロナ禍について考えないわけにはいかない。変異種が出現して、それが日本に入ってきたことで、ぼんやりとではあるが、自らの死を意識したという人は少なからずいるのではないか。ウィルスと癌の違いはあれど、本作を通じて我々は最期の日々をどのように過ごすのかをシミュレートしているような気分になる。

 

映像というか、撮影もいい。オーガスティンが独りで基地に暮らす冒頭のシーンの数々は、常に引いた視線から。そして、アイリスとの邂逅を果たしたところからは、常にアイリスとのセットのショット。これはとある意図に基づいたカメラワークであることが後々に判明する。

 

それにしてもアイリスを演じたケイリン・スプリンゴールという少女の存在感よ。台詞を一度しか発さない(それもオーガスティンの想像)にもかかわらず、観る者の目をひきつけてやまない。静と動の切り替えが巧みというか、子どもらしさと子供らしからぬところが同居しているというか。特に目力を感じさせる表情が印象的で、あの顔で見つめられると、たとえジョージ・クルーニーでも心の奥底まで見透かされるような心地になるのではないか。マッケナ・グレイスやジェイコブ・トレンブレイの後継者が現れたと言える。

 

アイテル号のクルーでは、やはりフェリシティ・ジョーンズ演じるサリーの存在感が際立つ。実際に妊婦として撮影に臨んだというから驚きだ。元々、ヒロインというよりはヒーロータイプの役者だったが、本作ではさらに新境地を切り開いた。「女は弱し、されど母は強し」と言われるが、ならば妊婦とはいかなる存在か。命のゆりかごそのもので、まさに死につつある地球を「母なる大地」や「母なる星」とも呼ぶ。そう考えれば、サリーは新天地のイブになるのだろう。

 

地球が滅びゆく原因については明示されないが、“We failed to look after the place while you were away”や“Underground, only temporarily”というようなオーガスティンの台詞から色々と想像をめぐらすのも一興。そうして死に行く中、それでも希望に思いを馳せずにはいられないという人間の業は、それでも美しい。

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ネガティブ・サイド

SFのふりをした人間ドラマではあるが、SF部分をもう少し凝ってほしいもの。原作『 世界の終わりの天文台 』は1950年代または60年代の出版物なのかと思ったら、2010年代発行だった。以下、主に科学的な面からのツッコミ。

 

オーガスティンが極寒の海に放り出されるシーンがある。そこである程度泳ぐのは、まあ納得できないことはない。しかし、その後に氷上に辛くも脱した場面は納得できない。猛吹雪の中、濡れた衣服を着ていれば、あっという間に凍死するだろう。かといって服を脱いでも、すぐに凍死する。どうなっているのだ?まさかこれもhallucinationだとでも言うのか。

 

『 アド・アストラ 』では、海王星まで到達するのが早すぎると感じたが、本作では通信と通信の間隔が短すぎる。電波の速度は光の速度と等しいが、それでも地球とアイテル号の間を行きかうのに数秒、または1分ぐらいかかってもおかしくないはず。そもそも木星の衛星から地球に帰還するまでにクライオ・スリープ技術を使っているのだから、宇宙船の航行速度は光速の数百分の一のはず。なおかつ船員が目覚めたのは地球が目視できない位置(というか、普通の視力の人なら地球の地表からでも木星は目視できるのだが・・・)。ならば通信は、非常にストレスフルになるが、一方がしゃべって1分待つ、返事を1分待つ、などのイライラするような演出を少しでも取り入れるべきだった。途中で通信を途絶させてご都合主義的に復活、宇宙船がどんどん地球に近づいて、タイムラグがなくなったと説明すればよい。というか、天文台からアイテル号の位置を補足しながら、「交信可能になるまで11時間です」って、どういうこっちゃ・・・太陽系内にはミノフスキー粒子が充満しているのか。

 

アイテル号が『 パッセンジャー 』のアヴァロン号にそっくりなのは肯定的に捉えられるが、『 ゼロ・グラビティ 』さながらの浮遊小天体やデブリの爆撃を喰らう演出はもう食傷気味である。というか見飽きた。実際の宇宙は超を何回つけても足りないくらいにスッカスカな空間で、あのような事故など起きない。『 パッセンジャー 』の被弾に説得力があったのは、数十年も航行していたからで、アイテル号はせいぜい数か月だろう。

 

妊婦にEVAを任せるという船長の判断も良く分からない。というか、夫でしょ?父親でしょ?身重の嫁さんを銀河宇宙線が飛び交う宇宙空間に送り出すとは、いったいどういう了見なのだ?

 

ことほどさように科学的な見地(それも素人の)からはツッコミどころ満載であるが、SFのふりをした人間ドラマだと思って鑑賞するのが吉である。

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総評

静かに、しかし力強く愛の力を描いた秀作である。『 インターステラー 』とも共通する点として、愛の力は時に時空すらも易々と超えるという作り手の信念のようなものがある。それを陳腐と見るか、偉大と見るかは人によって意見が分かれるところだろう。そうそう、アイリスが一度だけ言葉を発するシーンがあるが、そこでは字幕ではなく英語の台詞の方に集中してほしい。字幕はネタバレに直結しているからだ。何故こういう訳をしてしまうのか、首をかしげてしまう。普通に「あの人を愛してたの?」で良かったのではないか・・・

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Polaris

SolarisではなくPolaris。意味は「北極星」である。『 ハリエット 』でも、自由の地である北を目指すための“The Guiding Star”として言及されていた。一般的な会話ではThe Pole StarまたはThe Polar Starという形で使われることが多い。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, SF, アメリカ, カイル・チャンドラー, ケイリン・スプリンゴール, ジョージ・クルーニー, デヴィッド・オイェロウ, ヒューマンドラマ, フェリシティ・ジョーンズ, 監督:ジョージ・クルーニー, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 ミッドナイト・スカイ 』 -ディストピアSF風味の人間ドラマ-

『 新 感染半島 ファイナル・ステージ 』 -前作よりも感動度はダウン-

Posted on 2021年1月2日2021年1月11日 by cool-jupiter
『 新 感染半島 ファイナル・ステージ 』 -前作よりも感動度はダウン-

新 感染半島 ファイナル・ステージ 60点
2021年1月1日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:カン・ドンウォン イ・ジョンヒョン
監督:ヨン・サンホ

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『 新 感染 ファイナル・エクスプレス 』の続編。韓国メディアの伝え方やYouTubeのレビューはあまり芳しいものではなかったが、これは前作のクオリティを期待してのことだろう。前作のファンは“Don’t get your hopes up.”を心がけて劇場に赴くべし。

 

あらすじ

KTXでのゾンビ発生から4年。韓国は国家機能が崩壊し、国民は海外へと避難を余儀なくされた。香港に退避した軍人ジョンソク(カン・ドンウォン)は、国外脱出の際に見捨てた民間人や。船で発生したアウトブレイクによって親族を失い、失意の日々を過ごしていた。ある時、彼は「半島に眠っている現金を回収したい」という地元のヤクザ者の依頼を受け、再び故郷の半島に向かうのだが・・・

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ポジティブ・サイド

主演のカン・ドンウォンおよび他キャストの奮闘が光る。軍人を主人公にすることでアクション方向に思いきり舵を切ることができたのだろう。ハリウッド映画並みのガン・アクションにカー・アクションを盛り込んできた。韓国俳優は多くが兵役経験者のためか、銃火器の扱いに非常に長けているように映る。もちろん監督の演出もあるのだろうが、銃を撃つ動作がリアルかつカッコいい。他にもカー・アクションでは生き残りの少女が『 ベイビー・ドライバー 』のベイビーに匹敵するドライビング・テクニックを披露。ゾンビを轢いては吹っ飛ばし、吹っ飛ばしは轢いてという痛快シーンを連続して見せてくれる。ゴア描写はほとんどないのも世界的なマーケットを視野に入れてのことだろうか。

 

首都ソウルの荒廃ぶりもリアル。人間がいなくなれば植物が繁茂してくる描写は『 GODZILLA ゴジラ 』でも使われていた定番の手法とはいえ、今という時代から見てみると、新型コロナウィルスの蔓延防止のために経済活動をストップしたところ、中国やインドで如実に見られたように、空気や水が一気に清浄化されたという事実を思い起こさずにはいられない。

 

ジョンソクが出会うことになる生き残りの家族との因果には胸が潰されそうになった。ひとつの家族の運命が韓国という国家の命運と重ね合わされているのだ。ソウルに侵入する直前の道路の落書き「神は我々を見捨てた」という言葉に、世界有数のキリスト教国の韓国の本音が透けて見える。そこには同時に、人間を救うのは人間なのだという意地のようなものも見え隠れする。

 

対決することになる631部隊の狂いっぷりも見事。チェ・ミンシクを意識したような顔つきと髪型の軍曹がヴィランなのだが、基地でやっていることがめちゃくちゃだ。特に『 マッドマックス/サンダードーム 』に着想を得たと思しき「かくれんぼ」(どこらへんがかくれんぼなのか意味不明だが)は、人間は環境によっていくらでも残虐になれることを物語る。またトラックとクルマによるカー・チェイスシーンはまんま『 マッドマックス 怒りのデスロード 』。そこに大量のゾンビをぶち込んでくるのだから、迫力もスリルも倍増である。

 

生き残り家族の母の奮闘も素晴らしい。「女は弱し、されど母は強し」の格言通りである。こちらも現実世界での兵役経験者なのだろうか。シガニー・ウィーバー演じるリプリーやリンダ・ハミルトン演じるサラ・コナーを彷彿させる戦う女性。銃火器の扱いは手慣れたもので、大型トラックもぶん回す。適度にピンチも招くので、ハラハラドキドキも持続する。

 

最後には作ったような感動的シーンが待っている。Home is home. 住めば都とはよく言ったもの。故郷とは何か。人間とは何か。メッセージ性がそれほどある作品ではないが、観終わった後には多くの爽快感とほんの少しの問いが胸に残るはずだ。

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ネガティブ・サイド

CGがふんだんに使われている。それは良い。問題はCGがCGだと丸わかりしてしまうこと。プレイステーション5ぐらいの画質を実現できているのかもしれないが、長女が運転するクルマを外から見るシーンや終盤の631部隊からの追跡シーンはすべてゲーム画面のように見えてしまう。

 

そもそもの発端である、半島で手付かずのまま眠っている現金を集めて回収してくるというミッション自体が不可解だ。何故にわざわざデカいを音を立てるトラックを運転するのか。それこそ、ドル札が詰まったバッグが20個程度なら、成人4人で何とか運べるだろう。ゾンビが大量に眠っているであろう都市部から抜き足差し足忍び足で離れ、そこから移動の船とランデブーするべきではないだろうか。これなら金の延べ棒がトラックに満載されているという設定にすべきだったろう。

 

ゾンビが前作から何も変わっていないところも不満である。特に前作の冒頭では鹿がゾンビ化しているところが明確に描き出されていた。続編では人間以外の動物のゾンビ(たとえば犬や猫)が登場すると期待するではないか。まあ、それをやっても『 バイオハザード 』シリーズの二番煎じになるのだけれど。実質2日程度の物語だった前作と違い、本作はその4年後。ゾンビがどのように生命活動(?)を維持しているのか、そこは素朴な疑問である。ゾンビがゾンビを食う、あるいはゾンビが植物を食べるなどの描写がほんの数秒で良いのでほしかった。そうしたカットがあれば、半島が4年経ってもゾンビ天国だったことに説明がつく。

 

本作で最大の不満は、人間ドラマの薄さである。『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』のハン・ソロの台詞“Escape now. Hug later.”と言ってやりたい。「さあ、ここで感動してくださいよ」とばかりにスローモーションになってエピックなBGMが流れるが、そこに至るまでのドラマが薄っぺらいせいで、感動が深まらない。前作の何が素晴らしかったのか。主人公を演じたコン・ユが超絶嫌味なキャラから人間味のあるキャラに変化していくところである。マ・ドンソクが血縁関係のない少女に、まだ生まれてきていない我が子を重ね合わせて奮闘するところである。安全な車両にいるバス会社の重役のクソな人間性が極限状況で露わになったように、人間の心の奥底の本性が見える、そこが変化していくところが面白く、感動を呼んだのだ。本作の感動は、極めて教科書的な手法で生み出されていて、そこがどうにも気に入らない。前作ファンならばより一層そう感じることだろう。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210102114108j:plain
 

総評

感染、発症、隔離。ゾンビとウィルスには共通点が非常に多い。制作時にはコロナ禍がここまで世界を覆ってはいなかったはずだ。にもかかわらず、これほどの娯楽作品を届けてくるところに、韓国映画界の底力を見るように思う。一本の独立した作品として頭を空っぽにして鑑賞すれば、存外に楽しめるはずだ。事実、前作を未鑑賞のJovian嫁は最初は「なんで前作を観ていない自分の分までチケット買うんじゃゴルァ!!」だったが、観終わった後は満足していた様子だった。コロナ禍で悶々とした気分を一時的にでも吹っ飛ばしてくれるアクション作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

in 15 minutes

劇中では“We’ll arrive in Incheon Port in 15 minutes.”=「15分後に仁川港に着く」という具合に使われていた。In a few hoursも使われていたかな。in + 数字 + 時間の単位、という形で覚えよう。

 

in 10 minutes =10分後

in 5 days =5日後

in 4 years =4年後

 

である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アクション, イ・ジョンヒョン, カン・ドンウォン, 監督:ヨン・サンホ, 配給会社:ギャガ, 韓国Leave a Comment on 『 新 感染半島 ファイナル・ステージ 』 -前作よりも感動度はダウン-

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