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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: C Rank

『 無双の鉄拳 』 -とにかく鉄拳、やっぱり鉄拳-

Posted on 2021年3月6日2021年3月6日 by cool-jupiter

無双の鉄拳 60点
2021年3月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マ・ドンソク ソン・ジヒョ キム・ソンオ キム・ミンジェ
監督:キム・ミンホ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210306103109j:plain
 

『 あのこは貴族 』には重苦しい清々しさがあった。そんな作品の後には軽い作品がいい。というわけで、マ・ドンソク主演作を借りてきた。

 

あらすじ

魚卸しのカン・ドンチョル(マ・ドンソク)は儲け話にはすぐに乗ってしまうお人好し。妻ジス(ソン・ジヒョ)の誕生日を盛大に祝おうとした席で、カニに投資したことがバレてしまい、ジスは怒って帰ってしまう。ドンチョルが帰宅すると、しかし、ジスは誘拐されていた。すぐに警察に向かうドンチョルだが、警察は頼りにならない。ドンチョルは弟分と胡散臭い探偵と共にジスの行方を追って・・・

 

ポジティブ・サイド

『 喜劇 愛妻物語 』のような恐妻家ではなく、正しい意味での恐妻家、カン・ドンチョルを強面だが、気は優しくて力持ちなマ・ドンソクが演じる。これだけでストーリーは半分完成している。善良な市民が、カネと、そして妻のために警察やら何やらを振り切って猪突猛進するのを楽しむ作品である。特に巨漢の男に食らわせた逆パイルドライバーには笑ってしまった。なんでもかんでも最後はマ・ドンソクの鉄拳で解決となるのはワンパターンの極みだが、それが結構面白いのだから仕方がない。体作りは大変かもしれないが、マ・ドンソクには一生このスタイルを貫いてほしいもの。

 

端正な美人の嫁ジスも、やはり韓国的。韓国映画にはおしとやかな女性はまるで出て来ず、相手に非ありと見れば、どんどんと自分の意見をぶつけてくる。韓国にはさぞかし恐妻家が多いことだろう。確かに映画の中の韓国人夫婦を見ていると、男はDV男やモラハラ男でなければ、愛妻家もとい恐妻家で妻に頭が上がらない奴がほとんどという印象だ。

 

悪の親玉のキム・ソンオは、なんと『 アジョシ 』でさんざん拷問をくらって爆死させられた悪玉兄弟の弟ではないか。ナチュラルに薬モリモリなテンションで部下を小突いていくという小者っぷり。相手を偽善者と見るや、「金をやるからお前の大切なものを寄こせ」という悪徳成金の権化のような男。こういう清々しいまでにクズなキャラだからこそ、我々は「早く誰かコイツをぶちのめせ!」と思わされてしまう。単純ではあるが、悪役は分かりやすく悪であることが望ましいのだ。

 

本作は悪役側のアクションもなかなか魅せる。終盤に出てくる竜巻旋風脚の使い手はかなりの手練れ。韓国の時代劇を見ていると、槍やら剣やらを持っているのにアクションシーンではテコンドー的な回し蹴りをしているが、そういったお決まりの回し蹴りが容赦なくパワーアップ。韓国のステゴロ自慢に実際に入るかもしれないタイプで、この対決は見ごたえがあった。

 

ネガティブ・サイド

子分と探偵のコミックリリーフが中盤以降はやや過剰だった。検事ネタではなく別キャラのネタは使えなかったか。

 

本作の最大の弱点は、カン・ドンチョルの過去のヤバさ、強さが見えないところだ。『 アジョシ 』なら、その必要はない。この若くして世捨て人になった男は何者だ?ということ自体が謎とサスペンスを生み出すからだ。マ・ドンソクは違う。こんな腕と胸板の奴が普通のわけはないのである。問題は、どれくらい普通ではないのか。序盤の魚市場のシーンで子分が「昔の俺たちを見せてやるか」というシーンで、ほんのちょっとヤバい目つきをする、そうした演出が一瞬でもあれば良かったのだが。

 

クライマックスのカーアクションはやり過ぎ。というか、ジープで思いっきり追突をかましているのに、バンパーもへこまず、ヘッドライトも割れず、その他の外装に傷一つないというのはいただけない。ワンショットごとのつながりをしっかりと編集してこその映画だろうに。

 

総評

とにかくマ・ドンソクのアクションとその子分連中のコミックリリーフっぷりを楽しむ作品である。逆に言えば、このキャラクターの内面は?とか、この風景が象徴するものは?などということを考えずにすむわけで、アクションとユーモアだけに注目することができる。まあ、頭を空っぽにして観るべき作品であろう。こういう作品は頭のリフレッシュのために定期的に観なければならないように感じる。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

カバン

『 藁にもすがる獣たち 』でも何度も聞こえてきたが、カバンは韓国語でもカバンである。おそらく日本統治時代にそのままカバンという日本語が韓国語に組み込まれたのだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクション, キム・ソンオ, キム・ミンジェ, ソン・ジヒョ, マ・ドンソク, 監督:キム・ミンホ, 配給会社:アルバトロス・フィルム, 韓国Leave a Comment on 『 無双の鉄拳 』 -とにかく鉄拳、やっぱり鉄拳-

『 アーカイヴ 』 -低予算SFのアイデア作-

Posted on 2021年3月1日2021年3月1日 by cool-jupiter

アーカイヴ 60点
2021年2月28日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:テオ・ジェームズ ステイシー・マーティン
監督:ギャビン・ロザリー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210228235652j:plain
近所のTSUTAYAで先行レンタル作品だと謳われていた作品。たまたま一つだけ借りられていなかったので、あらすじも読まずに新作料金を払ってレンタル。低予算SFの掘り出し物とまではいかないが、それなりに楽しませてくれた。

あらすじ

アーカイヴと呼ばれる人間の意識を保存したシステムにより、一定期間だけ死者と交流可能となった近未来。ロボット工学者のジョージ(テオ・ジェームズ)は亡き妻ジュール(ステイシー・マーティン)の意識を違法にアーカイヴからダウンロードし、ロボットのJ1とJ2を開発。そして、さらに本物のジュールに近いロボットとしてJ3の開発にも着手するが・・・

ポジティブ・サイド

象牙の塔に閉じこもり、黙々と研究・開発に打ち込む科学者というのは、ホムンクルスやゴーレムの作成、ひいてはフランケンシュタインの人造人間に至るまで、古典的かつ典型的な人物像である。作品の雰囲気も『 エクス・マキナ 』のそれによく似ている。全編ほとんど山梨のラボ内で進行するが、一度だけ出てくる繁華街は、『 ブレードランナー 』を意識して作ったことは間違いない。また、J3がアップグレードされていく様子は実写『 ゴースト・イン・ザ・シェル 』の少佐のそれにそっくり。J1とかJ2は、やっぱり『 スター・ウォーズ 』へのオマージュか。

要するにあまりにも陳腐なクリシェに彩られ過ぎていて、これは絶対に最後に何かあるだろうと思わせてくれる。実際に、まあまあのドンデン返しが待っていた。以下、白字。Jovianはてっきり姿を消したJ2が自身の意識をアーカイヴ化し、ジョージ自身の手によってJ3の意識が上書きされる際に、J3のボディに潜り込む・・・と予想していた。小さい頃に観た『 デモン・シード 』の影響かな。

勘の良い人なら、「ははーん、これはそういう話だな」と類似の先行作品(たとえば『 シックス・センス 』や『 パッセンジャーズ 』 、『 13F 』など)をいくつか思いつくことだろう。すれっからしのJovianはここのところを読み違えたわけだが、逆にこうしたジャンルに馴染みがない人なら、大きな驚きを体験できるかもしれない。

アーカイヴのようなシステムは、善悪の判断は措いておくとして、今後必ず誰かが開発しようとするのは間違いない。死者との交信ではなく、むしろ自分の意識をアーカイヴ化したスーパーリッチな人間が、マモーよろしく自分の意識を乗せた船で恒星間宇宙飛行に乗り出すのではないかとJovianは結構本気で考えている。オチを予想するも良し、アーカイヴの別の可能性をあれこれ想像するも良し。週末をステイホームで過ごすなら、ちょうどよい一本かもしれない。

ネガティブ・サイド

J3の最初の見た目がフリーザ様の最終形態そっくりなのは、製作者の日本へのリスペクトなのだろうか。脚がない状態で登場するところが、なおさらフリーザを連想させる。だが、このようなオマージュはノイズだろう。実写なら実写作品のオマージュをすべきで、アニメ作品まで射程に収めるなら、『 レディ・プレイヤー1 』並みに突き抜けている必要がある。むしろダース・ベイダー誕生の時のように(あれもフランケンシュタインの怪物へのオマージュだが)仰臥位で寝ているところから徐々に起き上がってくるという演出の方が個人的には好ましかった。

J2の扱いが酷い。こういうロボットとヒューマノイドの中間的な存在は、2030~2040年代には市民生活に間違いなく参加してくる存在だろう。そうしたロボに対する接し方のヒントになるようなものが何一つなかった。同時にAIが人間並みの複雑な感情(つまりは思慕や嫉妬)を持つということについての深掘りもなかった。いみじくもアーカイヴというシステムが示している通り、人間は何らかの刺激に対して適切な反応を返している。たとえば「愛している」と言われたら「私も」と返ってくる、など。AIもこうしたやりとりを学ぶことは可能なはずだ。人間から特定の感情(たとえば愛情)を引き出すように振る舞え、とプログラムされたAIと、人間に対して愛情を持っているAIを区別することは、表面上は困難だろう。ジョージがそうした哲学的な省察を一切行わない点も不満である。

総評

悪くない映画だと思う。人工知能やロボットを主題に据えたSF作品はこれまでに星の数ほど制作されてきたが、今という時代、すなわちAIやロボに関する学問や産業が爆発的な進展を見せる前夜に、このような作品が作られるのは必然だろう。本作の提示する世界観は思考実験にはぴったりである。J1、J2、J3の誰と一緒に暮らしたいかと問われれば、JovianはJ2を選ぶ。また身近な人間でアーカイヴ化できるとしたら、多分、父を選ぶように思う。単純に面白い、つまらないだけではなく、様々なことをリアルに考えさせてくれるSF映画である。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

~ is my fault

「~は私の責任だ」の意。英語学習者がよくやる間違いの一つに、

This glitch is my responsibility.

この不具合は私の責任です。

というものがある。これだと「責任もって不具合を発生させます」的に聞こえてしまうので注意のこと。日本語で言う責任には、responsibilityとfaultの二つがある。前者は責任者が負うもので、後者は過失のこと。英語でビジネスをしている人はゆめゆめ間違えないように。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, SF, イギリス, ステイシー・マーティン, テオ・ジェームズ, 監督:ギャビン・ロザリー, 配給会社:カルチュア・パブリッシャーズLeave a Comment on 『 アーカイヴ 』 -低予算SFのアイデア作-

『 あの頃。 』 -心はいつも中学10年生-

Posted on 2021年2月23日2021年2月23日 by cool-jupiter

あの頃。 60点
2021年2月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:松坂桃李 仲野太賀 若葉竜也
監督:今泉力哉

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『 愛がなんだ 』の今泉力哉監督作品。仲野太賀が助演というだけでチケットを購入。

 

あらすじ

バイトとバンド練習で特に生き生きすることもなく暮らしていた劔(松坂桃李)は、ふとしたことで松浦亜弥のDVDを見て、感動。ハロプロのアイドルの熱烈ファンになる。そしてトークイベントで知り合ったコズミン(仲野太賀)たちのハロプロファンたちとともに、中学10年生のようなノリで楽しい日々を過ごすようになるが・・・

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ポジティブ・サイド 

Establishing Shotからして、なかなか凝っている。防音スタジオでセッション中に、劔がミスをして怒鳴られるというシーン。これだけで、劔が非常に狭い世界で窮屈な思いをしながら生きているという実感が簡単に伝わってくる。このオープニングがあるからこそ、あややのDVDに感涙してしまう劔の姿に説得力が生まれる。

 

時代の空気もうまい具合に反映されている。劇中で主に描写されるゼロ年代というと、オタクが少数民族として迫害された90年代とは違い、個々人の様々な趣味嗜好が徐々に社会に受容されつつある時代だった。Jovian自身も大学生の頃にはモーニング娘。の『 LOVEマシーン 』を寮の行事でノリノリで踊ったりしていた。なので、ハロプロにハマる劔やコズミンの感覚には充分に共感できた。

 

同時に、コズミンが仲間に向かってしばしば吐き捨てる「無職のオッサン連中」的な侮蔑の言葉も理解できるのだ。なぜハロプロなのか。なぜオタク趣味にハマるのか。それは社会に明るさが無いからだ。働くことそのものに喜びや希望が見いだせないからだ。あの頃は、そういう時代だったのだ。そして、その頃の空気の一部は現代にも確実に受け継がれている。だからこそ、本作は現在進行形ではなく過去形で語られる。本作は現在10代の若もには刺さるところが少なく、逆に30代40代50代には刺さりまくりだと思われる。

 

松坂桃李が良い感じ。歌が超絶下手くそなところも、逆に好感度を上げている。パンツ一丁の姿を堂々と披露するなど、サービス精神も旺盛だ。複数の女子といい感じにムードが盛り上がりながらも、結局何もしないままに終わってしまうところもオタクらしさ全開で非常に良い。

 

しかし、主役のはずの松坂桃李からsteal the showをしたのは中村太賀。こんなに憎たらしいキャラでありながら、しかし心底からは憎めないというギリギリの線を見切った演技。オタクにあるまじき肉食系男子で、略奪愛もなんのその。しかし、ネット弁慶ではあってもリアルの喧嘩(殴り合いではなく)ではへっぴり腰という、非常に血肉の通ったキャラクター。こんな奴と一緒に過ごす青春は、確かに忘れがたいだろう。『 佐々木、イン、マイマイン 』の佐々木に続く、青春の青臭さと素晴らしさを決定づけるキャラクターである。

 

大人になれば卒業はないとは言うものの、大人になるということは社会に適応するということ。つまり、個人の趣味嗜好をある程度は制限することになる。けれど、そこにギリギリのところで折り合いをつける生き方を選び取ったかに見える劔やその仲間たちには、なれなかったもう一人の自分を重ね合わせるかのような感慨がある。ラストシーンはなかなかに感動的。冒頭で劔が自転車で通り過ぎるあるシーンにつながり、この場面があることで劔やコズミンの物語が彼らだけのものではなく、広く他の人間にも当てはまることであるという演出になっている。良い作品とは、対象との距離を縮めてくれる作品である。

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ネガティブ・サイド

劔の友人の「パチンコ」のアクセントがもうダメダメである。もっと大阪弁を勉強しろと言いたい。仲野太賀の第一声は何と言ったか忘れてしまったが、そこでも思わず頭を抱えてしまった。なんだかんだで大阪弁は現代日本の方言の中でも別格の地位にある。役者たるもの、もっと勉強してほしいし、監督もそうそう簡単にOKを出すべきではない。フォローをしておくと、仲野太賀のそれ以後の大阪弁の演技はすべて及第点以上だった。なぜ第一声だけが・・・

 

『 アンダー・ユア・ベッド 』の高良健吾が本質的にキモメンではないように、松坂桃李も本質的にキモメンではない。そこはやはりミスキャストか。勘違いしないで頂きたいが、オタク=キモメンと言っているわけでも、キモメン=オタクと言っているわけではない。このあたりについては『 ヲタクに恋は難しい 』のネガティブ・サイドでも論じたので、本稿では省略させていただく。

 

劔が常に「今が一番楽しい」というのは、作品そのもののテーマと矛盾しているように感じる。「今も楽しいけど、あの頃の楽しさはまったくの別物だった」という台詞こそがふさわしかったのではないか。

 

それにしても、なぜ本物の松浦亜弥を起用できなかったのだろうか。代役も悪い役者には見えなかったが、オーラが無かった。本人を起用してデジタル・ディエイジングを施すか、もしくはあやや役の女優の顔だけ松浦亜弥に差し替えるという選択肢はなかったのか。

 

総評

鮮烈・・・とは言い難いが、それでも印象的な青春ドラマである。ゼロ年代に20代だったJovianと同世代の映画ファンならば、当時の空気が再現されていることを懐かしく感じ取ることができるだろう。令和の今も、閉塞感溢れる社会という意味では、ゼロ年代と似通ったところがある。「松浦亜弥って誰?」となる若い世代も、意外に楽しめる作品かもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Those were the days.

過去記事で何度か紹介した表現。「あの頃が懐かしい」、「当時は良かった」の意味。このように言い合える仲間がいれば、それは人生が豊かであったことの証明だろう。

 

現在、【英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー】に徐々に引っ越し中です。こちらのサイトの更新をストップすることは当面はありません。

I am now slowly phasing over to https://jovianreviews.com. This site will continue to be updated on a regular basis for the time being.

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, 仲野太賀, 日本, 松坂桃李, 監督:今泉力哉, 若葉竜也, 配給会社:ファントム・フィルム, 青春Leave a Comment on 『 あの頃。 』 -心はいつも中学10年生-

『 名も無き世界のエンドロール 』 -伏線の張り方はフェア-

Posted on 2021年2月2日 by cool-jupiter

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名も無き世界のエンドロール 60点
2021年1月30日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:岩田剛典 新田真剣佑 山田杏奈 中村アン
監督:佐藤祐市

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“ラスト20分の衝撃”のような刺激的な惹句に興味を抱くと同時に警戒心も抱いた。“62分後の衝撃”の『 ピンクとグレー 』が個人的にはイマイチだったし、岩田主演つながりで言えば『 去年の冬、きみと別れ 』のトリックというか構成を見破ったJovianなのである。本作についても「楽しみたい」4と「見破りたい」6で臨んだ。割と早い段階でプロットの裏側は読めたが、それでも物語そのものはそれなりに楽しむことができた。

 

あらすじ

友達思いのキダ(岩田剛典)とドッキリ仕掛けが大好きなマコト(新田真剣佑)は幼馴染にして親友。二人は同じ板金塗装屋に勤めていた。ある日、高級車を破損させた謎めいた美女リサ(中村アン)と出会ったマコトは、リサに釣り合う男になるために、板金塗装屋を辞めていった。キダも勤め先を辞め、裏社会で「交渉人」として頭角を現すようになった。二人は再会し、ある計画を実行に移すことになり・・・

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ポジティブ・サイド

岩田剛典といえば芝居がかった芝居をする役者だったが、本作ではその外連味が良い方向に作用していたように思う。それもこれも、全てはある目的のための周到な準備とその遂行過程だからだ。そのため「芝居をしているという芝居」をしている岩田が、上手くプロットにハマった。同じことはマコトを演じる新田真剣佑にも当てはまる。演技をしているのではなく、「演技をしているという演技」をしている。佐藤祐市監督の演出だとすれば、それは成功を収めている。

 

プロポーズ大作戦の標的である中村アン演じるリサの存在感もなかなかのものだ。有力な国会議員の娘というポジションが似合っている。魔性の女的な魅力を備え、なおかつ高圧的で下々の者を見下ろすかのような特権階級意識があふれる女である。本作を鑑賞する諸兄は、マコトになったつもりでリサを追いかけてみよう。リサを自分のものにしたい。自分だけのものにしたい。そうした気持ちになれるかどうか。なれるとしたら、その思いの強さはどこから生まれるのか。何故それだけの想いの強さを持続できるのか。そのあたりをよくよく考えてみれば、案外あっさりと真相にたどり着けるかもしれない。

 

本作は過去シーンと現在シーンを交互に丁寧に描写する。その際に必ず画面が暗転するので、観る側としては状況を常に整理して追いかけやすい。なおかつ、過去には存在して現在には存在しない人物。印象に残る行動の習慣。随所に挿入される意味ありげなショット。というか、大いに意味があるショットか。これらを丁寧に消化し、キダとマコトに自身を重ね合わせて見れば、答えはおのずと見えてくる。伏線があからさますぎず、かといって些細でもない。ちょうど良い塩梅である。ある意味で非常に現代的・現実的な手法で展開されるストーリーなので、ミステリ初心者にちょうど良い作品と言えるかもしれない。

 

クライマックスの撮影ロケ地はJovianが教えている大学の目と鼻の先である。『 ハルカの陶 』でも強く感じたが、自分の良く知る景色が映画に出てくると不思議と良い気分になる。ここだけで5点オマケしておく。

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ネガティブ・サイド

やっぱり「ラスト20分の衝撃」という惹句はアカンでしょ・・・。これだとミステリ愛好家、または鍛えの入った映画ファンに対する挑戦のように聞こえる。その割に、話の作りは素直で、伏線の張り方も真っ当だ。これで驚くのは中学生ぐらいだろうか。

 

戸籍の買い取りおよび乗っ取りの部分にはリアリティが感じられたが、劇中で語られるような印象的なエピソード持ちの名前や経歴を使うのは、普通に考えてかなりリスキーだと思うが。会社経営者に華麗に転身するところでもそうだが、国会議員の娘とお近づきになるのであれば、相当の身辺調査を覚悟しなければならないだろう。

 

伏線以外の部分にかなり意味不明なパートがある。「さびしい」と「さみしい」の感覚の違いは、本当の家族と疑似的な家族との距離感の違いから生まれるのかなと勝手に好意的に解釈してみたが、キダの言う「ファミレスのナポリタンが好き」という台詞には何の裏付けもなかった。ほんの一瞬でも、裏社会に生きるようになったキダがファミレスでナポリタンを注文する、それをどこか感慨にふけりながら食べるようなシーンがあれば、物語もキャラクターもぐっと深みが増したと思われる。

 

交渉人としてのキダを柄本明は褒めていたが、あれでは裏社会でのし上がれないだろう。「リサと別れろ」と言ってしまっては、その交渉(と見せかけた脅し)の後にリサに近付く男の差し金であることがばれてしまう。相手に尻尾を掴ませないためには「女がいるなら別れろ、仕事も明日から一週間休め、ひと月以内にこの家からも引っ越せ」という具合に複数の具体的な要求を伝えるべきと思う。「本当のことを言う」というキダの習性を柄本演じる貿易会社の親玉は褒めていて、Jovianはこれを皮肉と受け止めたのだが・・・。

 

総評

ミステリ映画の入門編である。デートムービーにもちょうど良いかもしれない。つまりはライトなファン向けである。『 オールド・ボーイ 』や『 親切なクムジャさん 』といった系列のストーリーが好きな人なら、本作もそれなりに楽しめるはず。そうそう、ポートアイランドに縁のある神戸市民にもお勧めをしておきたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

negotiator

「交渉人」の意。ネゴシエーションは日本語にも定着している語彙だが、その語源・由来を知る人は少ないのではないか。otiumという「余暇」や「平和」を意味するラテン語の単語にneg = 無い(negativeやneglectの接頭辞)という意味がくっついたものである。つまり、交渉事というのは時間を要するもので、余暇が奪われてしまうような活動だとローマ人たちは考えていたのだろう。形態素や語源からボキャビルにアプローチするのも一興である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, ミステリ, ロマンス, 中村アン, 山田杏奈, 岩田剛典, 新田真剣佑, 日本, 監督:佐藤祐市, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズLeave a Comment on 『 名も無き世界のエンドロール 』 -伏線の張り方はフェア-

『 囚われた国家 』 -Rise up against all odds-

Posted on 2021年1月30日 by cool-jupiter

囚われた国家 65点
2021年1月27日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョン・グッドマン ベラ・ファーミガ アシュトン・サンダース ジョナサン・メジャース
監督:ルパート・ワイアット

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ディストピアSFはJovianの好物ジャンルの一つ。アメリカの大統領もきっちりと入れ替わったところで、アメリカ人の意識の一面を映し出しているであろう本作を近所のTSUTAYAでピックアウトしてきた。

 

あらすじ

地球が異星人に統治されるようになって9年。伝説的な活動家の兄を持つガブリエル(アシュトン・サンダース)は、市民集会に現れる“統治者”に一矢報いるために爆弾攻撃を計画するレジスタンスのメンバーたちの動きに関わっていくことになる。ガブリエルの父のかつての同僚、刑事マリガン(ジョン・グッドマン)はそんなガブリエルを常に注視しており・・・

 

ポジティブ・サイド

H・G・ウェルズの『 宇宙戦争 』の頃から、エイリアンが地球へ侵攻してくる物語はカズ仮なく量産されてきた。だが、本作は冒頭のエピローグ部分で人類が敗北して、エイリアンの統治下に入ることになったということ極めて端的に描写した。本筋は、エイリアン統治に馴染んでしまった世界から始まるところがユニークな点である。

 

面白いと感じるのは、異星人、劇中の言葉を借りれば“統治者”の元で生きる者はますます富み栄え、そうではないものはとことん落ちぶれていくということ。なんのことはない。ネイティブアメリカンとヨーロッパからの移民の関係を、アメリカ人と宇宙人に置き換えただけである。つまり、アメリカ人にも自分たちが侵略者であり、自分たちの政治が虚飾であるという意識がはっきりと芽生えてきたということだろう。アメリカの作るSFはひたすら宇宙、つまりは上を目指すばかりだったが、本作では地下、つまりは下を目指すことが物語上で大きな意味を持っている。

 

他にも、アメリカ映画お得意のヒーロー信奉、すなわち一個人の英雄的な活躍により戦局を一気にひっくり返すような展開も、本作では見られない。本作はスパイ映画であるが、『 ミッション・インポッシブル 』や『 007 』のような超人の物語ではなく、圧倒的な強者の目を何とかかいくぐり、協力し合って目的を達成せんとする弱者の連帯の物語でもある。だからとって妙な人間ドラマ路線に舵を切らず、スパイ映画特有のヒリヒリするような緊張感を味わわせてくれるので、そこは安心してほしい。

 

侵略的な宇宙人が存在する世界で警察=体制側の人間vsガブリエルたちのような貧民という、人間同士の争いばかりがフォーカスされるが、本作の本質的なメッセージは「抗え!」ということである。脇役として数多くの映画を支えてきたジョン・グッドマンの静かに抑えた、それでいて内にマグマを秘めた演技が光る。最後のマリガンのネタばらしと言おうか、調査報告のシーンはサスペンスは『 女神の見えざる手 』を思い起こさせてくれた。

 

ネガティブ・サイド

主人公、というよりもオーディエンスが物語世界に没入するために感情移入すべき相手が変わっていく。それ自体はその他多くの映画でもこれまでに行われてきた。問題は、その視点の移り変わりが理解しづらいところだ。ガブリエル、その兄のラファエル、彼らの父の元同僚であったマリガンへと視点が変わっていくが、そこが少々、というか相当に強引だ。被支配者としてのアメリカ、ヒーローではなく群像、上ではなく下、という具合に多くの転倒した価値観を提示する本作であるが、「 物語として示したいもの 」が非典型的だからといって「 物語の示し方 」まで必要以上に凝る必要はない。むしろ、物語の示し方に凝るのならば、そのこと自体が大きな仕掛けになるような工夫を期待したかった(『 メメント 』や『 カメラを止めるな! 』など)。

 

レジスタンスのナンバーワンとされる存在の正体が割と早い段階でばれてしまうのはミスキャストではなかろうか。この役者が演じる役には裏が無い方が珍しい気がする。

 

映画の全編を通じて、編集が雑であるように感じた。あるいは脚本が練られていない。統治者側の特殊部隊の「ハンター」と聞けば『 ザ・プレデター 』を思い浮かべてしまうが、こいつらがあまり強くなさそう。というか強くない。武器を取り上げられた=火力ゼロなので、相対的にどんな相手に対しても地球人は不利になる、というわけではない。警察機構には銃火器の保持が認められている。であるならば、その程度の武力ではハンターにはまったく太刀打ちできないという説明あるいは描写を入れておくべきだった。

 

総評

全体的に非常に静かな作品である。思弁的なSFでありながら現実世界を巧みに写し取ってもいる。本作を通じてスパイ行為、テロ行為を反省的に見つめることもできるだろう。『 オブリビオン 』を楽しんだという人ならば、本作も楽しめる可能性が高い。エイリアンが登場するSFならドンパチが必須だ、と考える向きにはお勧めしづらい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a buff

劇中では a history buff  = 歴史オタクと訳されていた。Buffとは「熱中者」や「熱烈愛好家」、「マニア」のような人種を指す。

 

He is one heck of a baseball buff.

あいつは相当な野球狂だぜ。

 

のように使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, SF, アシュトン・サンダース, アメリカ, サスペンス, ジョナサン・メジャース, ジョン・グッドマン, ベラ・ファーミガ, 監督:ルパート・ワイアット, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 囚われた国家 』 -Rise up against all odds-

『 ミッドナイト・スカイ 』 -ディストピアSF風味の人間ドラマ-

Posted on 2021年1月20日 by cool-jupiter

ミッドナイト・スカイ 60点
2021年1月17日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ジョージ・クルーニー フェリシティ・ジョーンズ デヴィッド・オイェロウォ カイル・チャンドラー ケイリン・スプリンゴール
監督:ジョージ・クルーニー

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Netflix作品の劇場公開。『 アイリッシュマン 』や『 シカゴ7裁判 』と同じく、目ざとい劇場が公開してくれたので、チケット購入とあいなった。

 

あらすじ

末期がんを患うオーガスティン・ロフタス(ジョージ・クルーニー)は、地球の滅亡が迫る中、北極の天文台に残ることを決断する。孤独の中で最後の日々を送る中、基地内に一人の物言わぬ少女、アイリスを発見する。ある時、宇宙船アイテルの乗組員サリー(フェリシティ・ジョーンズ)らが地球への帰途にあると知ったオーガスティンは、なんとかそれを阻止しようと交信を試みるが・・・

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ポジティブ・サイド

なんとも静謐な物語である。小説の映画化らしいが、日本なら誰が構想しそうな物語だろうか。『 インターステラー 』のように地球そのものが人類に牙をむいてきた結果として、人類が滅亡に追い込まれるという設定に、何をどうしてもコロナ禍について考えないわけにはいかない。変異種が出現して、それが日本に入ってきたことで、ぼんやりとではあるが、自らの死を意識したという人は少なからずいるのではないか。ウィルスと癌の違いはあれど、本作を通じて我々は最期の日々をどのように過ごすのかをシミュレートしているような気分になる。

 

映像というか、撮影もいい。オーガスティンが独りで基地に暮らす冒頭のシーンの数々は、常に引いた視線から。そして、アイリスとの邂逅を果たしたところからは、常にアイリスとのセットのショット。これはとある意図に基づいたカメラワークであることが後々に判明する。

 

それにしてもアイリスを演じたケイリン・スプリンゴールという少女の存在感よ。台詞を一度しか発さない(それもオーガスティンの想像)にもかかわらず、観る者の目をひきつけてやまない。静と動の切り替えが巧みというか、子どもらしさと子供らしからぬところが同居しているというか。特に目力を感じさせる表情が印象的で、あの顔で見つめられると、たとえジョージ・クルーニーでも心の奥底まで見透かされるような心地になるのではないか。マッケナ・グレイスやジェイコブ・トレンブレイの後継者が現れたと言える。

 

アイテル号のクルーでは、やはりフェリシティ・ジョーンズ演じるサリーの存在感が際立つ。実際に妊婦として撮影に臨んだというから驚きだ。元々、ヒロインというよりはヒーロータイプの役者だったが、本作ではさらに新境地を切り開いた。「女は弱し、されど母は強し」と言われるが、ならば妊婦とはいかなる存在か。命のゆりかごそのもので、まさに死につつある地球を「母なる大地」や「母なる星」とも呼ぶ。そう考えれば、サリーは新天地のイブになるのだろう。

 

地球が滅びゆく原因については明示されないが、“We failed to look after the place while you were away”や“Underground, only temporarily”というようなオーガスティンの台詞から色々と想像をめぐらすのも一興。そうして死に行く中、それでも希望に思いを馳せずにはいられないという人間の業は、それでも美しい。

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ネガティブ・サイド

SFのふりをした人間ドラマではあるが、SF部分をもう少し凝ってほしいもの。原作『 世界の終わりの天文台 』は1950年代または60年代の出版物なのかと思ったら、2010年代発行だった。以下、主に科学的な面からのツッコミ。

 

オーガスティンが極寒の海に放り出されるシーンがある。そこである程度泳ぐのは、まあ納得できないことはない。しかし、その後に氷上に辛くも脱した場面は納得できない。猛吹雪の中、濡れた衣服を着ていれば、あっという間に凍死するだろう。かといって服を脱いでも、すぐに凍死する。どうなっているのだ?まさかこれもhallucinationだとでも言うのか。

 

『 アド・アストラ 』では、海王星まで到達するのが早すぎると感じたが、本作では通信と通信の間隔が短すぎる。電波の速度は光の速度と等しいが、それでも地球とアイテル号の間を行きかうのに数秒、または1分ぐらいかかってもおかしくないはず。そもそも木星の衛星から地球に帰還するまでにクライオ・スリープ技術を使っているのだから、宇宙船の航行速度は光速の数百分の一のはず。なおかつ船員が目覚めたのは地球が目視できない位置(というか、普通の視力の人なら地球の地表からでも木星は目視できるのだが・・・)。ならば通信は、非常にストレスフルになるが、一方がしゃべって1分待つ、返事を1分待つ、などのイライラするような演出を少しでも取り入れるべきだった。途中で通信を途絶させてご都合主義的に復活、宇宙船がどんどん地球に近づいて、タイムラグがなくなったと説明すればよい。というか、天文台からアイテル号の位置を補足しながら、「交信可能になるまで11時間です」って、どういうこっちゃ・・・太陽系内にはミノフスキー粒子が充満しているのか。

 

アイテル号が『 パッセンジャー 』のアヴァロン号にそっくりなのは肯定的に捉えられるが、『 ゼロ・グラビティ 』さながらの浮遊小天体やデブリの爆撃を喰らう演出はもう食傷気味である。というか見飽きた。実際の宇宙は超を何回つけても足りないくらいにスッカスカな空間で、あのような事故など起きない。『 パッセンジャー 』の被弾に説得力があったのは、数十年も航行していたからで、アイテル号はせいぜい数か月だろう。

 

妊婦にEVAを任せるという船長の判断も良く分からない。というか、夫でしょ?父親でしょ?身重の嫁さんを銀河宇宙線が飛び交う宇宙空間に送り出すとは、いったいどういう了見なのだ?

 

ことほどさように科学的な見地(それも素人の)からはツッコミどころ満載であるが、SFのふりをした人間ドラマだと思って鑑賞するのが吉である。

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総評

静かに、しかし力強く愛の力を描いた秀作である。『 インターステラー 』とも共通する点として、愛の力は時に時空すらも易々と超えるという作り手の信念のようなものがある。それを陳腐と見るか、偉大と見るかは人によって意見が分かれるところだろう。そうそう、アイリスが一度だけ言葉を発するシーンがあるが、そこでは字幕ではなく英語の台詞の方に集中してほしい。字幕はネタバレに直結しているからだ。何故こういう訳をしてしまうのか、首をかしげてしまう。普通に「あの人を愛してたの?」で良かったのではないか・・・

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Polaris

SolarisではなくPolaris。意味は「北極星」である。『 ハリエット 』でも、自由の地である北を目指すための“The Guiding Star”として言及されていた。一般的な会話ではThe Pole StarまたはThe Polar Starという形で使われることが多い。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, SF, アメリカ, カイル・チャンドラー, ケイリン・スプリンゴール, ジョージ・クルーニー, デヴィッド・オイェロウ, ヒューマンドラマ, フェリシティ・ジョーンズ, 監督:ジョージ・クルーニー, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 ミッドナイト・スカイ 』 -ディストピアSF風味の人間ドラマ-

『 新 感染半島 ファイナル・ステージ 』 -前作よりも感動度はダウン-

Posted on 2021年1月2日2021年1月11日 by cool-jupiter
『 新 感染半島 ファイナル・ステージ 』 -前作よりも感動度はダウン-

新 感染半島 ファイナル・ステージ 60点
2021年1月1日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:カン・ドンウォン イ・ジョンヒョン
監督:ヨン・サンホ

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『 新 感染 ファイナル・エクスプレス 』の続編。韓国メディアの伝え方やYouTubeのレビューはあまり芳しいものではなかったが、これは前作のクオリティを期待してのことだろう。前作のファンは“Don’t get your hopes up.”を心がけて劇場に赴くべし。

 

あらすじ

KTXでのゾンビ発生から4年。韓国は国家機能が崩壊し、国民は海外へと避難を余儀なくされた。香港に退避した軍人ジョンソク(カン・ドンウォン)は、国外脱出の際に見捨てた民間人や。船で発生したアウトブレイクによって親族を失い、失意の日々を過ごしていた。ある時、彼は「半島に眠っている現金を回収したい」という地元のヤクザ者の依頼を受け、再び故郷の半島に向かうのだが・・・

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ポジティブ・サイド

主演のカン・ドンウォンおよび他キャストの奮闘が光る。軍人を主人公にすることでアクション方向に思いきり舵を切ることができたのだろう。ハリウッド映画並みのガン・アクションにカー・アクションを盛り込んできた。韓国俳優は多くが兵役経験者のためか、銃火器の扱いに非常に長けているように映る。もちろん監督の演出もあるのだろうが、銃を撃つ動作がリアルかつカッコいい。他にもカー・アクションでは生き残りの少女が『 ベイビー・ドライバー 』のベイビーに匹敵するドライビング・テクニックを披露。ゾンビを轢いては吹っ飛ばし、吹っ飛ばしは轢いてという痛快シーンを連続して見せてくれる。ゴア描写はほとんどないのも世界的なマーケットを視野に入れてのことだろうか。

 

首都ソウルの荒廃ぶりもリアル。人間がいなくなれば植物が繁茂してくる描写は『 GODZILLA ゴジラ 』でも使われていた定番の手法とはいえ、今という時代から見てみると、新型コロナウィルスの蔓延防止のために経済活動をストップしたところ、中国やインドで如実に見られたように、空気や水が一気に清浄化されたという事実を思い起こさずにはいられない。

 

ジョンソクが出会うことになる生き残りの家族との因果には胸が潰されそうになった。ひとつの家族の運命が韓国という国家の命運と重ね合わされているのだ。ソウルに侵入する直前の道路の落書き「神は我々を見捨てた」という言葉に、世界有数のキリスト教国の韓国の本音が透けて見える。そこには同時に、人間を救うのは人間なのだという意地のようなものも見え隠れする。

 

対決することになる631部隊の狂いっぷりも見事。チェ・ミンシクを意識したような顔つきと髪型の軍曹がヴィランなのだが、基地でやっていることがめちゃくちゃだ。特に『 マッドマックス/サンダードーム 』に着想を得たと思しき「かくれんぼ」(どこらへんがかくれんぼなのか意味不明だが)は、人間は環境によっていくらでも残虐になれることを物語る。またトラックとクルマによるカー・チェイスシーンはまんま『 マッドマックス 怒りのデスロード 』。そこに大量のゾンビをぶち込んでくるのだから、迫力もスリルも倍増である。

 

生き残り家族の母の奮闘も素晴らしい。「女は弱し、されど母は強し」の格言通りである。こちらも現実世界での兵役経験者なのだろうか。シガニー・ウィーバー演じるリプリーやリンダ・ハミルトン演じるサラ・コナーを彷彿させる戦う女性。銃火器の扱いは手慣れたもので、大型トラックもぶん回す。適度にピンチも招くので、ハラハラドキドキも持続する。

 

最後には作ったような感動的シーンが待っている。Home is home. 住めば都とはよく言ったもの。故郷とは何か。人間とは何か。メッセージ性がそれほどある作品ではないが、観終わった後には多くの爽快感とほんの少しの問いが胸に残るはずだ。

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ネガティブ・サイド

CGがふんだんに使われている。それは良い。問題はCGがCGだと丸わかりしてしまうこと。プレイステーション5ぐらいの画質を実現できているのかもしれないが、長女が運転するクルマを外から見るシーンや終盤の631部隊からの追跡シーンはすべてゲーム画面のように見えてしまう。

 

そもそもの発端である、半島で手付かずのまま眠っている現金を集めて回収してくるというミッション自体が不可解だ。何故にわざわざデカいを音を立てるトラックを運転するのか。それこそ、ドル札が詰まったバッグが20個程度なら、成人4人で何とか運べるだろう。ゾンビが大量に眠っているであろう都市部から抜き足差し足忍び足で離れ、そこから移動の船とランデブーするべきではないだろうか。これなら金の延べ棒がトラックに満載されているという設定にすべきだったろう。

 

ゾンビが前作から何も変わっていないところも不満である。特に前作の冒頭では鹿がゾンビ化しているところが明確に描き出されていた。続編では人間以外の動物のゾンビ(たとえば犬や猫)が登場すると期待するではないか。まあ、それをやっても『 バイオハザード 』シリーズの二番煎じになるのだけれど。実質2日程度の物語だった前作と違い、本作はその4年後。ゾンビがどのように生命活動(?)を維持しているのか、そこは素朴な疑問である。ゾンビがゾンビを食う、あるいはゾンビが植物を食べるなどの描写がほんの数秒で良いのでほしかった。そうしたカットがあれば、半島が4年経ってもゾンビ天国だったことに説明がつく。

 

本作で最大の不満は、人間ドラマの薄さである。『 スター・ウォーズ エピソード7/フォースの覚醒 』のハン・ソロの台詞“Escape now. Hug later.”と言ってやりたい。「さあ、ここで感動してくださいよ」とばかりにスローモーションになってエピックなBGMが流れるが、そこに至るまでのドラマが薄っぺらいせいで、感動が深まらない。前作の何が素晴らしかったのか。主人公を演じたコン・ユが超絶嫌味なキャラから人間味のあるキャラに変化していくところである。マ・ドンソクが血縁関係のない少女に、まだ生まれてきていない我が子を重ね合わせて奮闘するところである。安全な車両にいるバス会社の重役のクソな人間性が極限状況で露わになったように、人間の心の奥底の本性が見える、そこが変化していくところが面白く、感動を呼んだのだ。本作の感動は、極めて教科書的な手法で生み出されていて、そこがどうにも気に入らない。前作ファンならばより一層そう感じることだろう。

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総評

感染、発症、隔離。ゾンビとウィルスには共通点が非常に多い。制作時にはコロナ禍がここまで世界を覆ってはいなかったはずだ。にもかかわらず、これほどの娯楽作品を届けてくるところに、韓国映画界の底力を見るように思う。一本の独立した作品として頭を空っぽにして鑑賞すれば、存外に楽しめるはずだ。事実、前作を未鑑賞のJovian嫁は最初は「なんで前作を観ていない自分の分までチケット買うんじゃゴルァ!!」だったが、観終わった後は満足していた様子だった。コロナ禍で悶々とした気分を一時的にでも吹っ飛ばしてくれるアクション作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

in 15 minutes

劇中では“We’ll arrive in Incheon Port in 15 minutes.”=「15分後に仁川港に着く」という具合に使われていた。In a few hoursも使われていたかな。in + 数字 + 時間の単位、という形で覚えよう。

 

in 10 minutes =10分後

in 5 days =5日後

in 4 years =4年後

 

である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アクション, イ・ジョンヒョン, カン・ドンウォン, 監督:ヨン・サンホ, 配給会社:ギャガ, 韓国Leave a Comment on 『 新 感染半島 ファイナル・ステージ 』 -前作よりも感動度はダウン-

『 星屑の町 』 -映画の形をした舞台劇-

Posted on 2020年12月30日 by cool-jupiter

星屑の町 60点
2020年12月28日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:のん(能年玲奈) 大平サブロー ラサール石井 小宮孝泰
監督:杉山泰一

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『 私をくいとめて 』は劇場鑑賞できたが、こちらはたしか春に緊急事態宣言で見逃した。能年玲奈に再会したいと願い、近所のTSUTAYAでレンタル。思いがけないヒューマンドラマであった。

 

あらすじ

売れない歌謡グループ「山田修とハローナイツ」は、リーダーの修(小宮孝泰)の故郷に巡業にやってきた。修の弟・英二は、自分の息子とその幼なじみ・愛(のん)に結ばれてほしいと思っていた。けれども愛には東京に出て歌手になりたいという夢があった。ひょんなことから自分の父親が「ハローナイツ」にいるのではないかと考えるようになった愛はハローナイツへ加入したいと言い出し・・・

 

ポジティブ・サイド

のん、普通に歌が上手い。もちろん口パクなのだが、それはほとんどすべての音楽映画に当てはまること。特に感心したのはギターを弾きながらオーディションを受けるシーン。のんの新たな魅力を本作は開拓したと言える。

 

愛が一度上京して悪徳プロダクションに騙されたという背景情報も説得力がある。まるで能年玲奈からのんに改名するという現実世界での経緯が、本作のプロットを重複するように感じる。売れようと必死になることは決して否定されてはならない。大切なのは、売れようとする手段であり、そのためにいかに努力できるか。のんと愛がその点で大きく重なって見えた。

 

同じように、ナイツのボーカル役を務めた大平サブローも意外な歌唱力を披露。ナイスガイと見せかけたその裏に色々な因果を含めた男で、これも吉本の闇営業問題でのサブロー自身のコメントを思い起こさせる。売れることと売れないこと。そこに至る手段の是非は別として、売れることそのものは決して否定されるべきではない。

 

全編を通じて歌われる楽曲が一部を除いてノスタルジーを呼び覚ます。本格的な昭和の歌謡曲をなんとなくしか知らないJovian世代だが、1975年よりも前の生まれの世代なら、歓喜の涙に濡れる選曲になっているだろう。

 

ドラマパートも大いに盛り上がる。特にハローナイツの面々が小学校内の控室内で繰り広げる暴露劇の連続から生まれる緊張感は『 キサラギ 』の会話劇に勝るとも劣らない。各シーンを別アングルから撮影したのではなく、各アングルから複数のワンカットを撮影してつなぎ合わせたのだろうか。それほどの臨場感が生まれている。

 

地方と東京、若者と高齢者、男と女、個と集団。様々な対立軸が描かれ、時に衝突し時に融和する。これはなかなかの秀作である。

 

ネガティブ・サイド

歌のパートとドラマパートのつなぎが非常にぎくしゃくしていると感じられた。ある歌の歌詞にある“テールランプ”や“窓ガラス”などは、作中で効果的にそのビジュアルをいくらでも示すことができたはずだ。オリジナル曲の“Miss You”にしても同じで、この旋律をBGMに愛の幼馴染の男が農作業に勤しむ姿、あるいは愛の母親がスナックで一人寂しく食器を洗うシーンなどを挿入することで、歌のメッセージをより際立たせることもできたのにと思う。全体的に舞台をそのまま映画にしたようなもので、映画の技法(特に撮影における)が効果的に使われているとは言い難い。

 

全体的なトーンも一貫しない。のんの本格的な登場までが長すぎるし、のんが登場してもストーリーに本格的に絡んでくるまでが、またも長い。ナイツの面々の職人芸の域に達した丁々発止のやり取りは痛快ではあるが、そこへの力の入れ具合が強すぎる。これなら「のん」抜きで物語を作れてしまうではないか。愛の父親は誰なのか?それはナイツの中にいるのか?というサブ・プロットについても消化不良のまま終わってしまうのは頂けない。

 

また、個人的にはこの結末は受け入れがたい。愛がナイツに新規加入後、とんとん拍子に売れていく過程のあれやこれやや、ナイツの面々とのチームワークを醸成するシーンを描かないことには、愛の最後の選択に説得力が生まれないだろう。

 

歌詞が画面にスーパーインポーズされるのはありがたいサービスだが、一か所にミスが「二人で書いたこの絵、燃やしましょう」は、正しくは「描いた」である。

 

総評

のんの魅力は遺憾なく発揮されているものの、その絶対量が少ない。また、ストーリーのつなぎや一部キャラクターの心情や行動がぎくしゃくしてしまっている。けれど、古き良き歌謡曲が全編を彩り、今や遠くになりにけりな昭和という時代の懐かしむという意味では、本作は成功している。若い映画ファンはのんを、中年以上の映画ファンは歌謡に注目して観るのが吉である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

look back

「後ろを見る」の意。劇中でのんが「わだず、もう後ろは振り返らね」という台詞。物理的に後ろを向く場合と過去に目を向ける場合の両方に使う。後者の意味で使う場合は、look back on ~という形になる。使用例としてはOasisの『 Don’t look back in anger 』を聴いてほしい。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, C Rank, のん, ヒューマンドラマ, ラサール石井, 大平サブロー, 小宮孝泰, 日本, 監督:杉山泰一, 能年玲奈, 配給会社:東映ビデオLeave a Comment on 『 星屑の町 』 -映画の形をした舞台劇-

『 映画 えんとつ町のプペル 』 -下を向くな、上を見よう-

Posted on 2020年12月28日 by cool-jupiter
『 映画 えんとつ町のプペル 』 -下を向くな、上を見よう-

映画 えんとつ町のプペル 60点
2020年12月26日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:窪田正孝 芦田愛菜
監督:廣田裕介

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キングコング西野がうんたらかんたらと言われているが、Jovianはクラシカルな芸人にしか知らない。テレビで観るのは大御所の漫才か吉本新喜劇ぐらいなのだ。本作はそのビジュアルとキャラクターに惹かれて鑑賞した。何の贔屓目も無しに良作と言えると思う。

 

あらすじ

常に煙に覆われたえんとつ町のゴミ集積場に流星が舞い降りた。その流星はゴミを引き寄せ、ゴミ人間(窪田正孝)に。ゴミ人間はえんとつ町でプペル(芦田愛菜)と運命的な邂逅を果たす。プペルは、かつて父が語っていた、晴れない空の向こうに星があることを信じていて・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭からスタジオ4℃の絢爛豪華なアニメーションが映える。Jovianが知る最も古いスタジオ4℃の作品はゲーム『 エースコンバット04 』の紙芝居風CG劇だが、時代を経ることでこれほどに表現の幅が出てくるものなのかと素直に感心する。この映像体験は大画面でこそ体験されるべきだろう。

 

キャラクターの造形もなかなかだ。適度にデフォルメされたアニメ的な人物像、なかんずく主人公のルビッチは、庇護したいという気持ちを観る側に生じさせるだけではなく、その成長を見守りたいという気持ちにもさせてくれる。つぶらな瞳の奥底に意志の強さが垣間見えるのだ。相棒となるゴミ人間のプペルの形や声もいい。思わぬスペクタクルから始まる二人の友情に思わず胸が熱くなってしまった。というか、友達を通り越してお前らはもう戦友だろう?と感じてしまった。ルビッチとプペルの交流のすべてが実に微笑ましく、だからこそ生じる関係の亀裂とその真相が明かされるとき、我々は友情の本当の意味を知る。

 

えんとつ町の秘密も(一点を除けば)なかなかに練られていると思う。子どもなら異端審問所が悪、真実を追求するルビッチやプペルが善、という二項対立的な見方をすることもできるし、10代後半以上なら善悪や正誤以上に信念を貫き通すことの尊さを感じ取ることもできる。大人であれば、陳腐ではあるが、非常にダイレクトに閉塞感の横溢する日本社会批判になっていることに気付くだろう。

 

原作の絵本は未読だが、エンタメ映画としては良いペースで物語を展開できている。100分というのはちょうどよい塩梅に感じた。年末年始にちびっ子を映画に連れていくなら、ドラえもんよりも本作を選ぶべし。

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ネガティブ・サイド 

Spectacularな映像という意味ではオリジナリティはまったくない作品である。えんとつ掃除の人夫が勢ぞろいしてアクションするのは『 メリー・ポピンズ 』で既視感ありありだし、トロッコによるスピード・アクションは『 インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説 』をどうしたって彷彿させるし、終盤の船のシーンはまんま『 アポカリプト 』と『 ハウルの動く城 』である。えんとつ町そのものもゲーム『 ファイナルファンタジーVII 』の都市ミッドガルに道頓堀と東大阪の要素を付け足したようなもの(これは大阪人なら感じ取れるはず。生粋の南大阪人のJovian嫁が感じたことで手、兵庫人のJovianも同じように感じた)。

 

えんとつ町の貨幣制度は非常に興味深いが、法定通貨の交換可能性を担保(あるいは強制)しているのは一体誰なのか。異端審問所?普通に考えれば、長い年月を経過するほどに物々交換制度に移行していきそうなものだが。世界史上における戦争の99%は経済戦争であるが、貨幣を奪おうとして戦争が起こった例などほとんど存在しない。狙われるのは資源であって貨幣ではない。なかなか練られた世界観だが、ここだけは決定的な違和感を覚えた。

 

ストーリー全体も『 天空の城ラピュタ 』と『 天国から来たチャンピオン 』のごった煮。せっかく映像はcinematicに映えているのだから、もっと映像で物語るべきだ。劇中に2~3度挿入される歌もノイズに感じた。語るのではなく感じ取らせる、映像と音楽と効果音と物語でそれを行う。それが映画である。ストーリーのメッセージ部分をナレーションで伝える最終盤の展開にもやや興ざめ。これでは本当に絵本か紙芝居だ。次回作以降では廣田裕介監督のoriginalityとcreativityに期待をしたい。

 

総評

各所のレビューでは絶賛コメントが溢れているが、おそらくかなりの割合がサクラだろう。良作ではあるが傑作ではない。もちろん、面白さの基準は人それぞれだが、映画という媒体として評価されるべき点(脚本、演出、撮影etc)に触れたものが非常に少ないところが気になる。オリジナリティの無さも癖の無さ、つまり万人に受け入れられやすい作りになっていると見ることもできる。すべては相対的なのだ。今後鑑賞される諸賢は、主人公ルビッチの言うように「見ていないのにどうして分かる?」というニュートラルな姿勢で臨まれたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

look up

上を見る、の意。Look up at ~で、~を見上げる、と言える。Look up to ~は本来は「~を尊敬する、敬愛する」の意味だが、同じように「~を見上げる」の意味で使われることがあるのは『 ボヘミアン・ラプソディ 』の“Open your eyes, look up to the skies and see”の歌詞からも分かる。他にもlook ~ up in a dictionary = ~を辞書で調べる、という用法もある。別にa dictionaryのところはwikipediaでもdatabaseでも何でもよい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, アドベンチャー, アニメ, 日本, 監督:廣田裕介, 窪田正孝, 芦田愛菜, 配給会社:吉本興業, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 映画 えんとつ町のプペル 』 -下を向くな、上を見よう-

『 バクラウ 地図から消された村 』 -僻地の村を侮るなかれ-

Posted on 2020年12月19日 by cool-jupiter
『 バクラウ 地図から消された村 』 -僻地の村を侮るなかれ-

バクラウ 地図から消された村 65点
2020年12月13日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:バルバラ・コーレン ソニア・ブラガ ウド・キア
監督:クレベール・メンドンサ・フィリオ ジュリアノ・ドネルス

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カンヌで『 パラサイト 半地下の家族 』とカンヌで各種の賞を争った作品。なるほど、寓話的であり社会批判であり、エンタメでもある。ただし、物語のトーンとペーシングに難があるか。

 

あらすじ

祖母が亡くなったことからテレサ(バルバラ・コーレン)は故郷の村、バクラウに戻ってきた。しかし、その後、不可解な事象が発生する。村がインターネットから消え、給水車のタンクには発砲されて穴が開いていた。また、村はずれの牧場から馬が大量に脱走、牧場主たちは惨殺されていた。さらに、ある村人は、空飛ぶ円盤に追跡された。バクラウに何が起こっているのか・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭の宇宙空間からゆっくりと南米、ブラジルへとカメラ映像がズームインしていく様は、非常に不穏で不吉な感覚をもたらしてくれた。とても小さな領域で起こる事柄を俯瞰する視点を持て、という Establishing Shot である。

 

豊かな自然の中を走る給水車が、道路わきの棺桶を次々に轢いて破壊していく様は異様なである。人が死んだことを明示している一方で、そんなことは俺の知ったことじゃないよと言わんばかりのドライバーにも剣呑な雰囲気を感じ取らざるを得ない。これまで見事な Establishing Shot だった。

 

近代人にとって村という共同体は、もはや異世界なのだろう。小説の『 八つ墓村 』も『 龍臥亭事件 』も村を舞台にしているし、映画では『 ミッドサマー 』や『 哭声 コクソン 』、さらに『 光る眼 』(原題はVillage of the Damned)もそうだ。こうした村へやって来る闖入者は往々にして招かれざる客である。それがバイクに乗って現れるのだから、『 アンダー・ザ・スキン 種の捕食 』を思い起こした人も多いだろう。

 

物語中盤でバクラウを襲う怪異の正体が明らかになった時、我々はこれが現代社会の縮図の物語なのだということを知る。ポスターその他の販促物が壮大にネタバレしているが、血で血を洗う闘争が本作の本質ではない・・・と思う。正直なところ、解釈が非常に難しい。が、ひとつだけ言えるのは、地元の人間の言うことには耳を傾けておくべきだということ。コロンブスの大航海時代以上に、現代世界は広がっている。なぜなら旅することができる領域が格段に広くなり、また知るべき事柄も格段に増えているからだ。これ以上は言わぬが花だろう。と書いてきて、ふと思った。これは世界ではなく、宇宙レベルで考えても、同じことが言えるのではないか、と。

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ネガティブ・サイド

主人公が誰であるのかが分かりにくい。結局はバクラウという村落共同体そのものが主人公となるのだろうが、そのことが明らかになるまでがとにかく長い。『 エイリアン 』のように、序盤はクルー全体が主人公なのだと思わせておいて、突如リプリーが覚醒し、リーダーシップを発揮し始めたようなシークエンスを、テレサを使って撮れなかったのか。

 

“地図から消された村”という副題は必要だったか。『 犬鳴村 』じゃないんだから。ネットから消したとしても、市販の地図や書籍からは消せないし、昔あった「はてなマップ」のようなサービスがブラジルにあれば、誰かがバクラウの存在を地図上に復活させてしまうだろう。この副題は無い方がよかった。

 

『 サウナのあるところ 』以来の男性器丸見えはOKとして、そのじいさんの活躍がイマイチである。いや、活躍はしているんだけれど、このじいさんに求められているのはそういうことじゃないでしょ。『 夕陽のガンマン 』のラストのようなスケールで襲撃者たちの死体を運ばないとダメでしょ。

 

子どもが殺されるシーンは胸が痛む。だが、水も電気も手に入らず、近隣で大量殺人も起きているのに、真夜中に子ども達を無邪気に外で遊ばせておく大人がいるか?普通に徘徊老人が殺された、ではダメなのか。その方がテレサの祖母の死に続いて、バクラウの長老がまた死んでしまった、バクラウという共同体を何としても維持していこう、という機運も盛り上がると思うが。

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総評

正直に告白すると、前半の40分のうち、おそらく7~8分は寝てしまった。それぐらい盛り上がりに欠ける立ち上がりである。そこさえ乗り越えてしまえば、訳の分からない異様な雰囲気の高まりに、you’re in for a ride. 本当は怖いメルヒェンのように感じるも良し、格差社会における一種の下克上と受け取るも良し。インドや韓国も似たような映画を作れそうだ。日本でもインディーズ系の野心的な作家が日本流に翻案した作品を作れそう。自己流解釈を楽しめる人向きの映画である。

 

Jovian先生のワンポイントポルトガル語レッスン

Obrigado

「ありがとう」の意。多くの人が聞いたことぐらいはあるはずだ。劇中の前半でもかなりの頻度で使われている。いろんな国の映画を観ていて思うのは、日本は謝ってばかりで、感謝することを忘れつつあるのかな、ということだ。それは少し悲しい。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, ウド・キア, サスペンス, ソニア・ブラガ, バルバラ・コーレン, ブラジル, フランス, 監督:クレベール・メンドンサ・フィリオ, 監督:ジュリアノ・ドネルス, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『 バクラウ 地図から消された村 』 -僻地の村を侮るなかれ-

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