Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

タグ: B Rank

『 ラストナイト・イン・ソーホー 』 -夢は大都市に飲み込まれるのか-

Posted on 2021年12月13日2021年12月13日 by cool-jupiter

ラストナイト・イン・ソーホー 75点
2021年12月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:トマシン・マッケンジー アニャ・テイラー=ジョイ
監督:エドガー・ライト

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211213215427j:plain

『 ベイビー・ドライバー 』のエドガー・ライト監督の最新作。ダークな物語を明るくポップなチューンに乗せて魅せるという持ち味は、本作でも遺憾なく発揮されている。Jovian一押しのアニャ・テイラー=ジョイの出演作でもあり、見逃す手はない。

 

あらすじ

デザイン専門学校に入学したエロイーズ(トマシン・マッケンジー)は寮になじめず、ソーホーのアパートで一人暮らしを始める。ある日、エロイーズは1960年代のソーホーでクラブの歌手になろうとするサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)の夢を見る。それ以来、夜ごとにサンディとシンクロしていくエロイーズだったが、サンディは徐々にソーホーの闇に墜ちていくことになり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211213215445j:plain

ポジティブ・サイド

オープニングから、本職のダンサーさながらに古い音楽に合わせて踊るトマシン・マッケンジーが光る。死んだ母親が見えるという奇妙な力を持ちつつも、希望を胸に抱き、片田舎から都ロンドンへと旅立つ様、そしてロンドンに到着した瞬間から味わう違和感。そして学生寮のルームメイトや同期と馴染めぬままに、アパート暮らしを始めるまでがあっという間のテンポである。大都会とそこに暮らす人々に馴染めないという、祖母の懸念通りのエロイーズであるが、ここまでのシーンを明るい色使いと明るい音楽で描くことで、エロイーズが夢の中でサンディと徐々に同化していく過程が、ムーディーな音楽でもって描き出されるダークで淫靡なソーホーと、鮮やかなコントラストになっている。

サンディと同じブロンドに染め、サンディの着ていた衣装を実際にデザインしてみることで、生き生きと輝きだすエロイーズだが、夢の中でサンディがだんだんと60年代のソーホーの暗部に囚われていくにつれ、現実のエロイーズも「霊が見える」という能力のせいで浸食されていく。

 

この男に食い物にされてしまう女性という構図が、1960年代でも21世紀であっても本質的には変わっていないことを本作は大いに印象付ける。その意味で、2010年代から急速に大量生産されるようになってきた gender inequality の是正を訴える作品群のひとつのように思える。が、実体はさにあらず。詳しくは書けないのだが、脚本も手掛けたエドガー・ライト監督は、単なるMeToo映画を世に送り出してきたわけではない。これは一筋縄ではいかない作品である。

 

主演を務めたトマシン・マッケンジーは、今もっとも旬なニュージーランド人俳優と言える。美少女が、そのキャリアの初期にホラー(っぽい)作品に出演するのは日本でも海外でも、まあ大体同じなのだろう。ホラーで頭角を現したという点ではアニャ・テイラー=ジョイも同じ。『 ウィッチ 』は正真正銘のホラーで、アニャはそこから同世代の女優たちの中から一歩踏み出した感がある。

 

エロイーズとサンディの人生が思わぬ形で交錯することになる終盤からは、まさにジェットコースター。エドガー・ライトの作劇術の巧みさに乗せられ、一気にエンディングにまで連れていかれてしまう。最後に流れる ナンバー『 Last Night in Soho 』 のサビの “I let my life go”という一節が強烈だ。この歌は、誰が誰に向けて歌っているのか。それが理解できれば、本作は男性にとってはホラーとなる。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211213215502j:plain

ネガティブ・サイド

エロイーズが夜な夜な見るビジョンについて、なんらかの補足というか、ルールらしきものの描写が必要だったのではないかと思う。田舎を旅立つ直前に祖母とエロイーズが「見えること」、「感じること」について言葉を交わすシーンがあったが、字幕に訳出されない英語台詞の中にも、エロイーズが「何を」「どのように」見えてしまうのかについては一切触れられていなかった。例えばの話だが、エロイーズが目にする母の姿は、実は自分を見守ってくれているものなのだ、のような描写があれば、恐怖とその後の納得の感覚が、どちらも強化されただろうと思う。

 

同じく、ハロウィンの時にエロイーズが見てしまうビジョンの源泉は何だったのだろうか。ジョンと自分の(夜の)関係を、思い切りバイオレントに表したもの?このあたりも少々矛盾というか説明材料不足であるように感じた。

 

総評

本作については、ジャンル分けが非常に難しい、というよりもジャンルを明言してしまうこと自体が重大なネタバレとなりかねない。それだけ危うい構成でありながら、鑑賞中は I was on the edge of my seat = 夢中になってスクリーンにくぎ付けだった。結構ショッキングな瞬間もあったりするが、デートムービーにもなるし、都市出身者や田舎出身者。現代主義者と懐古主義者の視点から様々なコントラストに注目することもできる。ホラーと宣伝されているからと敬遠することなかれ。素晴らしいエンタメ作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a bad apple

悪いリンゴ、転じて「腐ったリンゴ」となる。作中では bad apples と複数形で使われていた。一定以上の世代なら、ドラマ『 金八先生 』の腐ったミカン理論を知っていることだろう。あれと意味は全く同じである。要は、周りに悪影響を与える存在、という意味である。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アニャ・テイラー=ジョイ, イギリス, トマシン・マッケンジー, ホラー, 監督:エドガー・ライト, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 ラストナイト・イン・ソーホー 』 -夢は大都市に飲み込まれるのか-

『 パーフェクト・ケア 』 -高齢化社会の闇ビジネスを活写する-

Posted on 2021年12月10日 by cool-jupiter

パーフェクト・ケア 75点
2021年12月5日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ロザムンド・パイク ピーター・ディンクレイジ エイザ・ゴンザレス 
監督:J・ブレイクソン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211210222419j:plain

『 ゴーン・ガール 』で一気にトップスターに昇りつめたロザムンド・パイクの最新作。介護ビジネスを悪用するやり手の話というのは、世界随一の高齢社会である日本にとっても非常に興味深いものがある。

 

あらすじ

マーラ(ロザムンド・パイク)は、高齢者をケアホームで保護しつつ、実はクライアントの財産を食い物にする悪徳後見人だった。独り身の高齢者ジェニファーの財産に目をつけるが、彼女をホームに送り込むが、彼女の背後にはロシア系マフィアの存在があり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211210222435j:plain

ポジティブ・サイド

日本はもはや多死社会だが、アメリカも相当な高齢社会である。畢竟、介護の需要が高まるが、行政と民間の二軸でサポートする日本と違い、彼の国では司法が民間業者に一般人の保護を命じることが当たり前のようにあるらしい。この制度を上手く利用して儲けてやろうと目論むところが痛快・・・もといプラグマティックである。

 

『 ゴーン・ガール 』で世間の目を見事に欺いたロザムンド・パイクが本作でも魅せる。法廷で高齢者の家族から「勝手に財産を処分して、その金を自分の懐に入れている」と糾弾されても、「高齢者の保護が私の仕事で、仕事であるからには報酬を受け取る」といけしゃあしゃあと言ってのける。そして判事も納得させる。何という女傑だろうか。

 

こうして高齢者家族を煙に巻き、裁判所を味方につけ、友人の医師に株とのトレードで資産家高齢者の情報と診断書を得ていくマーラだが、次の獲物のジェニファーが曲者。詳しくは鑑賞してもらうしかないが、背後にいるマフィア(ピーター・ディンクレイジ)が登場してくるあたりから、悪 vs 悪の図式となり、一挙にストーリーが加速する。

 

ハイライトは2つ。一つはマフィアに拉致されたマーラが、その親玉であるピーター・ディンクレイジに交渉を持ちかける場面。どれだけ狂った人生を送ったら、このような言葉を実際に口に出せるようになるのだろうか。『 女神の見えざる手 』のジェシカ・チャステイン演じるスローン女史と並ぶ、強烈な女性キャラクターの誕生を目撃した気分になった。二つ目は、マフィアへのリベンジを果たすマーラが、ピーター・ディンクレイジから交渉を受けるところ。こちらもアメリカ社会の闇を感じさせるが、それはある意味で日本社会にもそっくりそのまま当てはまる。

 

平成の初期から、独居老人のもとに足繁く通って話し相手になり、信頼を得たところで高額な羽毛布団を売りつけるセールスマンというのは、全国津々浦々にいたのである。今後は高齢者向けにビジネスをするのではなく、高齢者そのものをビジネスにしようとする動きが、先進国で加速していくだろう。それがどういう結末になるのか、本作は一定の示唆を与えて終わっていく。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211210222451j:plain

ネガティブ・サイド

エイザ・ゴンザレスの存在感が今一つだった。マーラとビジネスパートナーであり、セックスのパートナーでもあったが、さらにもう一歩踏み込んだ関係性を構築できていなかったように思う。もしもマーラがこのキャラに介護ビジネスの帝王学を伝授しているようなシーンがあれば、終幕のその先にもっと色々な想像が広がるのだが。

 

マフィアのピーター・ディンクレイジがチト弱いし、詰めも甘い。普通なら即死させて終わり。死体は、それこそ手慣れた始末方法があるはず。『 ベイビー・ドライバー 』のケビン・スペイシーはそういうキャラだった。拉致するまでの手際があまりに見事なせいで、その相手を事故死に見せかけて殺すところで下手を打つところに、どうにもリアリティがない。

 

ストーリー上のコントラストのために、介護の現場で甲斐甲斐しく働くケアワーカーの姿が必要だったが、それが一切なかった。もちろん現場で働く人たちはいたが、フォーカスは警備員や経営者であった。正しい意味で介護をビジネスとしている人々の姿編集でカットされていたとしたら残念である。

 

総評

一言、傑作である。弱点はあるが、それを補って余りある展開の良さとキャラクターの濃さがある。現代社会の闇にフォーカスしながら、単なるヒューマンドラマではなく極上のエンタメに仕上げている。介護の現場にパワードスーツやロボットが導入されるなど、その営為は様変わりしつつあるが、介護のニーズが減じることは、今後数十年はない。その数十年の中で、本作のような出来事は必ず起こる。それを是とするのか非とするのか、それは鑑賞後にじっくりと考えられたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

bona fide

ラテン語の「ボナーフィデー」で、bona = good, fides = faithの奪格である・・・と言っても何のこっちゃ抹茶に紅茶であろう。英語では「ボウナファイド」と発音し、意味は「本物の」や「真正の」となる。奪格=副詞句的には使われず、形容詞として使われることがほとんど。This is a bona fide autograph of Muhammad Ali. = これは本物のモハメド・アリのサインだ、のように使う。英検1級以上を目指すなら、同じラテン語のbona由来の pro bono = 無料で、も知っておきたい。こちらは副詞句として使うが、慣れるまでは on a pro bono basis を使うといい。 

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, エイザ・ゴンザレス, クライムドラマ, ピーター・ディンクレイジ, ロザムンド・パイク, 監督:J・ブレイクソン, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 パーフェクト・ケア 』 -高齢化社会の闇ビジネスを活写する-

『 私のボクサー 』 -もう少しだけリアリティが欲しい-

Posted on 2021年12月7日 by cool-jupiter

私のボクサー 70点
2021年12月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:オム・テグ イ・ヘリ キム・ヒウォン イ・ソル
監督:チョン・ヒョッキ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211207225037j:plain

『 ファイター、北からの挑戦者 』を観に行くタイミングがなかなか取れない。代わりに、軽めに思えた本作をTSUTAYAでチョイスしたが、ラブコメと見せかけたシリアスなボクシング・ドラマだった。

 

あらすじ

ビョング(オム・テグ)は将来を嘱望されるボクサーだったが、脳挫傷のために引退を余儀なくされる。しかし、館長(キム・ヒウォン)の厚意で事務の雑用係をすることで暮らしていた。ある日、ピョングはダイエット目的でジムにやってきたミンジ(イ・ヘリ)のコーチとなるのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

開始早々から、黄昏時の海辺でシャドーボクシングをする男性のシルエットと太鼓を打ち鳴らす女性という、何とも奇妙な Establishing Shot である。この昼でも夜でもない海辺の男女という構図は非常に重要なので、これから鑑賞される方はこの絵をぜひとも脳裏に焼き付けられたし。

 

多くのボクシングものが、主人公が激闘の末に徐々に眼や脳にダメージを負っていく、あるいはその疑いが生じるというプロットを採用している。『 ロッキー5/最後のドラマ 』然り、『 アンダードッグ 』然り。しかし本作は主人公たるビョングがすでに脳にダメージを受けてしまった後から物語が始まる。「え?」と言うしかない。Jovianはここで、赤井英和のアナザーストーリーであるかのように錯覚してしまい、物語に引き込まれてしまった。

 

赤井英和はかつで朝日新聞だか毎日新聞だかのインタビューで「ボクシングはピークの頃の自分のイメージが強く残る。だから辞めるに辞められない」と語った。吉野弘幸はキャリア晩年に「まだまだ金山俊治戦みたいな試合ができる」とボクシング・マガジンか何かで語っていた。ボクサーのこうした習性というか本能のようなものを知っていれば、本作のビョングが29歳にしてリングへの復帰に熱い思いを抱くのも無理からぬことと納得できる。

 

ミンジへのコーチ、ジムメイトのギョンファンとの奇妙な友情と確執、犬を拾ってフォアマン(もちろん「老いは恥ではない」の言で知られるジョージ・フォアマンにあやかってだろう)と名づけるところ、そしてパンソリ・ボクシングを始めるきっかけとなったジヨンとの思い出。すべてが色鮮やかに語られながら、しかし、ビョングの暗くつらい過去、そして現在のパンチドランカー症状につながっていく。このあたりの語り口は非常に軽く、しかし同時に重い。ミンジというキャラの明るさと気の強さ、そしてビョングの朴訥さが、凸凹コンビ的でありながら、非常に清々しいパートナー関係に映る。

 

紆余曲折あってからのリング復帰を果たしたビョングを待ち構えるのは、どういうわけか因縁のジムメイトだったギョンファン。ビョングのパンソリ・ボクシングにかける想いには、ベタベタな演出ながら不覚にも感動してしまった。

 

ラストの燦々たる陽光のシーンをどう受け取るべきか。黄昏時の海辺のシャドーボクシングとの鮮やかすぎるコントラスト。これは現実なのか、それともビョングの見ている夢なのか。ひとつ確かなのは、ビョングは矢吹ジョーの如く「燃え尽きる」ことができたということだろう。

 

ネガティブ・サイド

韓国ではプロボクシングが斜陽産業であることは承知している。しかし、いくらなんでもコミッションが適当すぎやしないか。一度は引退を余儀なくされたボクサーの復帰に際して、メディカル・チェックがないわけがないだろう。そこを館長があれやこれやで回避するサブプロットを2分ぐらいよいので描くべきだった。

 

肝腎かなめの試合のシーンもおかしい。ボクシングシーンが非現実的なのは、どこの国のいつの時代のボクシング映画にも共通している。本作で決定的におかしいのは、ダウンシーン。ダウンを奪った側が颯爽と赤コーナーに向かう。ニュートラルコーナーではない。撮影中、そして編集中に誰一人としておかしいと思わなかったのだろうか。野球映画で、守備側の大ピンチに野手がピッチャー・マウンドではなく二塁(別に一塁でも三塁でもいい)に集合したらおかしいだろう。

 

総評

DVDのカバーが醸し出すポワンとしたラブコメ感は、実は本編にはほとんどない。序盤以外はほとんど硬質なドラマである。本作ではあるキャラが「韓国らしさは世界に通じる」と喝破するが、けだし韓国映画人の本音であろう。主演のオム・テグのシャドー・ボクシングは『 ボックス! 』の市原隼人並みにキレッキレである。ラブコメ好きにはお勧めしない。硬派なヒューマンドラマを求める向きにこそお勧めする。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ニム

過去記事でも紹介したことがあるが、「~様」の意味となる。劇中ではミンジはピョングを「コーチニム」=コーチ様と呼んでいた。韓国では社長様や先生様という二重尊称が当たり前で、あらためて遠くて近い、近くて遠い国であると思う。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イ・ソル, イ・ヘリ, オム・テグ, キム・ヒウォン, ヒューマンドラマ, 監督:チョン・ヒョッキ, 韓国Leave a Comment on 『 私のボクサー 』 -もう少しだけリアリティが欲しい-

『 彼女が好きなものは 』 -日本社会の包括性を問う-

Posted on 2021年12月4日 by cool-jupiter

彼女が好きなものは 75点
2021年11月27日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:神尾楓珠 山田杏奈
監督:草野翔吾

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211204003321j:plain

Jovian一押しの山田杏奈出演作品。原作小説はタイトルだけは聞いたことがあった。キワモノ作品と思いきや、骨太の社会は作品であった。、

 

あらすじ

高校生の安藤(神尾楓珠)はゲイで、同性の恋人もいるが、親も含めて周囲にはカミングアウトできずにいた。ある日、書店を訪れた安藤は、クラスメイトの三浦(山田杏奈)がBL好きであること知る。三浦は口止めを頼むが、安藤には一つの思惑が生まれて・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211204003353j:plain

ポジティブ・サイド

『 ボヘミアン・ラプソディ 』は国内でも大ヒットし、民族的なマイノリティかつ性的なマイノリティの味わう孤独や疎外感は広く日本人も共有されるようになった。NHKでも定期的に障がい者やLGBTQへの理解を広げるような番組が製作・放送されるようになっており、ゆっくりとではあるが確実に包括的な社会という方向に進んでいるように思える。本作のリリースのタイミングはドンピシャだろう。

 

冒頭から濃厚な濡れ場である。ある意味、『 怒り 』の綾野剛と妻夫木聡の絡み以上のラブシーンである。このおかげで本作がタイトルもしくは原作タイトルが予感させるユーモラスな物語にならないことが一発で伝わった。

 

主演の神尾楓珠はどこかジャニーズ風、あるいは山崎賢人や北村匠海を思わせるビジュアルながら正統派の演技派俳優。濡れ場だけではなく、普通の高校生としての感情も存分に表現した。初めての性体験にウキウキしてしまうところ、母親に対してどこかよそよそしくなってしまうところなど、普通の男子高校生らしい振る舞いの一つ一つが、彼が普通の人間であり、なおかつ普通であることをだれよりも強く渇望している人間であることを雄弁に物語る。これがあることで、終盤の病院のシーンでの偽らざる心境の吐露に、我々の心は激しく揺さぶられる。監督の演出の力もあるのだろうが、これは役者本人の character study が成功したのだと解釈したい。

 

山田杏奈も魅せる。2021年に最もブレイクした若手女優であることは疑いようもない。『 ひらいて 』では同性相手のベッドシーンを演じ、異性相手にも自ら脱いで迫るという演技を披露したが、今作でも初々しいキスからの勢いでのセックスシーンに挑戦。本番やトップレスのシーンはないのでスケベ映画ファンは期待するべからず。しかし、永野芽郁や橋本環奈が絶対にやろうとしない(あるいは彼女らのハンドラーが絶対にさせない)シーンを次々と軽々と演じていく様には敬服する。体育館での長広舌は、近年では『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』の南沙良の体育館でのシーンに次ぐ名場面になったと感じる。

 

本作についてはプロットには一切触れない方がよい。腐女子であることを隠したい女子高生と、ゲイであることをカミングアウトできない男子高校生の、不器用だが清々しい恋愛ものだと思い込んで鑑賞した方が、物語に入っていきやすく、なおかつ大きなショックを味わえることだろう。渡辺大知演じるキャラはノンケのある意味での無邪気さが、いかに無遠慮であるかということを突きつけてくるし、安藤の親友が、そのまた友達から言われた一言に何も言い返せなくなるシーンも、観る側の心に突き刺さってくる。だが、我々が最も学ぶべきなのは「お前らのチ〇コなんか見ねーよ」という安藤のセリフだろう。ゲイからノンケを見て、異性とは全て恋愛対象、あるいは欲情の対象だと映っているだろうか。もしも自分が同性のゲイに見られて気持ち悪いと感じるならば、自分が異性をどのように見ているのかについて、一度真剣に思いを至らせたほうがよい。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211204003411j:plain

ネガティブ・サイド

ペーシングにやや難ありと感じる。終盤の衝撃的なシーン以降は、かなり語り口が遅くなったと感じた。特に安藤のTwitterつながりの友人との展開は、もっとテンポよく進められたのではないかと思う。

 

教室でのディスカッションのシーンが空々しかった。役者の卵たちに喋らせているのだろうが、それこそ本物の高校生を連れてきて、『 真剣10代しゃべり場 』みたいな絵を撮り、それを上手く編集した方がリアリティがあっただろう。どこか優等生的な言葉を発する役者よりも、自分の感覚を素直に言語化する10代の方が、本作を本当に観るべき世代に近いはずで、そうした自らと合わせ鏡になるような存在を作品中に見出すことで、現実社会の中に確実に存在するLGBTQとの交流に何か生かせるようになるのではないかと思う。

 

総評

タイトルだけなら『 ヲタクに恋は難しい 』と同様の香ばしさを感じるが、あちらは超絶駄作、こちらは標準をはるかに超える水準であり、比較にならない。Jovianも授業を持たせてもらっている大学のプレゼン英語の授業でSDGsをテーマにした際、多くの学生が「ジェンダー平等」を挙げた。その際に、『 glee/グリー 』や『 ボヘミアン・ラプソディ 』を理解促進の助けに挙げた学生がいたが、彼女は本作も「観るつもりです」と言っていた。ぜひ10代20代の若者たちに観てほしいと心から思える作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

choose A over B

BよりもAを選ぶ、の意。作中のあるシーンで、重要キャラが二択を問われるシーンがある。そんな時には choose を使おう。この語は初習者には見慣れないかもしれないが、名詞は choice = チョイスである。これなら日本語にもなっている語で、なじみ深いだろう。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 山田杏奈, 日本, 監督:草野翔吾, 神尾楓珠, 配給会社:アニモプロデュース, 配給会社:バンダイナムコアーツLeave a Comment on 『 彼女が好きなものは 』 -日本社会の包括性を問う-

『 死神の棋譜 』 -将棋ミステリの佳作-

Posted on 2021年11月21日 by cool-jupiter

死神の棋譜 75点
2021年11月16日~11月19日にかけて読了
著者:奥泉光
発行元:新潮社

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211121010734j:plain

奥泉光とJovianは並木浩一という共通の師を持つ。その縁もあって、奥泉宅のクリスマス会に過去に二度ほど招かれたことがある。そんな大先輩が上梓した一冊を、藤井聡太の竜王戴冠の軌跡に合わせて読んでみた。

 

あらすじ

元奨励会員の夏尾は神社で不可解な矢文を見つけた。そこには不詰めの詰将棋の図面が結ばれていた。その後、夏尾は謎の失踪を遂げる。将棋ライターの北沢は、かつて存在したとされる棋道会と謎の不詰めの図面、そして夏尾の失踪の謎を追うが・・・

 

ポジティブ・サイド

阪神大震災翌年の羽生の七冠フィーバーも凄かったが、今の藤井フィーバーはそれ以上かもしれない。将棋は漫画になり、アニメになり、小説になり、映画にもなってきたが、ほとんどは「青春」というジャンルに分類されてきたように思う。そこへミステリである。しかも書き手は虚々実々の手練手管で、読者を常に虚実皮膜の間に落とし込んできた奥泉光である。

 

事実、本書の物語は常に現実と虚構の間を行き来する。奥泉小説の特徴であるが、主人公の経験する事象が、現実なのか非現実なのかがはっきりしない。夏尾という夢破れた男の悲哀、その後の人生は、大崎善生の『 将棋の子 』を思い起こさせる。つまり、それだけリアリティがある。一方で、夏尾がたどり着いた龍神棋は、大山康晴が若かりし頃に修行の一環で取り組んだとされる中将棋のイメージが投影されているし、その龍神棋という狂気の世界は、かつて米長邦雄や羽生善治が語った「読み続けていくと、そこから帰ってこれなくなる狂気の世界」のイメージも投影されているように感じた(ちなみに、将棋の読みの狂気の領域に到達してしまった棋士としては加藤一二三が挙げられるのではないかというのがJovianの私見である)。

 

磐というのが本作のキーワードの一つであるが、これは天照大神の岩戸隠れ伝説を下敷きにしているように思えてならない。遥か地の底、闇の底で、夏尾と北沢が指す龍神棋の圧倒的なイメージとビジョンは奥泉ならではの筆力。この場面だけは棋譜と読み筋が詳述されるが、おそらく将棋初心者にとっても全く気にならない迫力。ぐいぐいと引き込まれる。

 

同じく北沢と女流二段・玖村の爛れた関係も読ませる。「将棋に負けることは少し死ぬこと」というのは、まさに勝負師の言であるが、実際に現・将棋連盟会長の佐藤康光は対極に負けた悔しさで泣くことがあるというのを、先崎が著書でばらしていた。幼少の藤井聡太が谷川浩二との駒落ち対局で勝てなかったことで大泣きしたというエピソードも広く知られるようになった。とにかく将棋で負けるというのは、素人でもプロでも結構つらいものがあるのである。

 

昨今の将棋界の良い面も悪い面も意欲的に取り込んだ野心作である。Jovianは本書の最後で示唆される内容に怖気をふるった。すべては「ある人物」の読み筋であり、登場人物はすべて駒だったのか。それとも、その見方も「一局」なのか。もちろん、本作における本当の意味での真相は闇の中であり、それも奥泉流だろう。将棋ファンならば一読をお勧めする。

 

ネガティブ・サイド

兄弟子にネガティブなことを言うのは憚られるが、文人・奥泉光だからこそ棋道会や龍神棋を巡る物語に、愛棋家で知られた山口瞳や団鬼六のエピソードも盛り込んでほしかったと思う。

 

升田幸三や木村義男まで登場するが、将棋の磐の底、龍神棋という異形の世界を広さや深さを描き出すためには、それこそ時空を超えた描写があれば、もっと混沌とした世界を描けていたと思う。たとえば、天野宗歩や初代・伊藤看寿を登場させたり、あるいは女性の名人、もしくは外国人の名人を登場させるなど、現代の将棋界のイメージをぶち壊すような世界観が呈示されれば、ショッキングではあるだろうが、将棋の可能性を推し広げるビジョンになっていだろう。

 

総評

帯に「圧倒的引力で読ませる」とあるが、この惹句は本当である。特に112ページからは、ページを繰る手が止まらなくなる。奥泉ワールドに親しんできた人ならなおさらだろう。本書ではちょろっと藤井聡太も登場する。ライトな将棋ファンもディープな将棋ファンも、一番の関心は「藤井が谷川浩司の持つ最年少名人記録を更新できるか」であろう。おそらく達成するだろう。その時、本作の評価はもう一段上がるであろうと思われる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

drop

「落とす」の意味だが、将棋では「持ち駒を打つ」の意。Sota Fujii dropped a silver on 4 1. = 藤井聡太は41に銀を打った、のように使う。Habu’s amazing 5 2 silver drop is one of his most famous moves. = 羽生の52銀打ちは、彼のもっとも有名な指し手の一つである、のように名詞でも使う。将棋の英語解説に興味がある人はYouTubeでHIDETCHIと検索されたし。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 国内, 書籍Tagged 2020年代, B Rank, ミステリ, 日本, 発行元:新潮社, 著者:奥泉光Leave a Comment on 『 死神の棋譜 』 -将棋ミステリの佳作-

『 ひらいて 』  -閉じこめられた気持ちの人々に贈る-

Posted on 2021年11月7日 by cool-jupiter

ひらいて 70点
2021年11月3日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:山田杏奈 佐久間龍斗 芋生悠
監督:首藤凜

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211107131136j:plain

普通のヒロインを決して演じない期待の若手、山田杏奈。あらすじも予告編も観ず、チケット購入。

 

あらすじ

同じクラスのたとえ(佐久間龍斗)に密かに恋焦がれる愛(山田杏奈)。ある時、龍斗が隠し持つ手紙を盗み、彼が同じ学校の美雪(芋生悠)と付き合っていることを知る。複雑な想いを抱いた愛は、美雪に近づき、友達となっていくが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211107131200j:plain

ポジティブ・サイド

山田杏奈が相変わらず良い。普通のヒロインは市場に溢れかえっているが、この年齢で普通ではない役ばかりを演じるのは本人も事務所も本格派志向である証明だろう。無邪気な笑顔と邪悪な笑顔を一本の作品の中で繊細に、しかし大胆に使い分けられる女優は多くはない。首藤監督の演技指導もあるのだろうが、愛という複雑な女子高生のリアリティをしっかりと引き出した。

 

対する薄幸の美少女然とした芋生悠の存在感も素晴らしい。『 ピンカートンに会いにいく 』に出演していたそうだが、印象には残っていない。しかし『 ソワレ 』や『 ある用務員 』など、Jovianが観たいなと感じていながら観る機を逸した作品で主役級を演じている。本作でも病気持ち、友達なし、かつ秘密の恋人がいる女子高生という役柄で、強烈な印象を残している。その多くは、純朴そうに見える笑顔と、戸惑いと好奇心のはざまでもだえる表情、そして強い拒絶を雄弁に物語る目の力による。美少女という印象は受けないルックスだが、実際の高校の教室にいれば、クラスで2番か3番目くらいの可愛らしさだろうと思う。

 

PG12というよりも、PG15ぐらいじゃないのかというシーンが出てくるが、もっと邦画全体でこういうシーンはあっていい。少女漫画系の映画では、ヒロインのライバルが相手の男に色仕掛けを使ったりするが、愛は龍斗と美雪に肉体関係がないと知るや、その両方と関係を持とうとする寝業師。綿矢りさの描く女性キャラはどれもこれも一筋縄ではいかないが、身勝手であざとく、それでいて純な乙女心のようなものも併せ持つキャラを山田は好演した。

 

タイトルの『 ひらいて 』を動詞の命令形と解釈するべしということがオープニングで示唆されるが、最後にはこの『 ひらいて 』は、愛が心を開いた状態で、ということを意味する接続助詞に見えてくる。一筋縄ではいかないヒロイン像を追究しようとする山田杏奈の面目躍如たる作品。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211107131216j:plain

ネガティブ・サイド

各家庭にもう少しフォーカスがあっても良かったように思う。美雪は母親が鍋を調理する傍らで、進学を機に東京に出たい=家を出たいという願望を吐露するが、そこは母に「お父さんが帰ってきたら」とかわされる。愛も、かなり暗くなるまでゲーセンで遊んでいたり、深夜に家を抜け出したりと、かなり奔放な家庭にいるが、逆の見方をすれば親は子供に無関心とも言える。こうした閉塞的、窮屈な環境についての描写がもう少しあれば、なぜ家や街を出たいのかがより鮮明に伝わる。やや同工異曲の感のある『 君が世界のはじまり 』の方が、そのあたりの環境と心理の変化の描写が巧みだった。

 

夜の教室で愛がたとえに拒絶されるシーンのセリフがぎこちなかった。原作を尊重したのかもしれないが、映画のセリフではなく小説のセリフというか、異様に芝居がかったセリフ回しで、緊張感のあるシーンの雰囲気が壊されていると感じた。

 

総評

粗はあるが、そこは主人公の愛と同じく、本作も奇妙なパワーで前進していく。愛というキャラクターを同一視するのは難しいが、青春の一時期、恋という感情に文字通りに狂わされるというのは、程度の差こそあれ、誰にでもある話。愛と美雪、愛とたとえの関係は極端であっても特異ではない。コロナ禍によって閉塞感が増した世の中だが、理屈ではなく気持ちで動いていくキャラの物語というのも、今という時代に案外マッチしているのかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

diabetes 

「糖尿病」の意。発音はダイアビーティーズ。アクセントはビーに置く。学生ならまだしも、塾や予備校だと、ディアベテスやらダイアビーツと発音するトンデモ講師が結構いる。いくらでも発音チェックするツールがあるのだから、そうしたものを活用できないエセ英語講師は退場してほしいと思う。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, 佐久間龍斗, 山田杏奈, 監督:首藤凜, 芋生悠, 配給会社:ショウゲート, 青春Leave a Comment on 『 ひらいて 』  -閉じこめられた気持ちの人々に贈る-

『 モーリタニアン 黒塗りの記録 』 -日本はアメリカを笑えない-

Posted on 2021年11月3日 by cool-jupiter

モーリタニアン 黒塗りの記録 70点
2021年10月30日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:ジョディ・フォスター タハール・ラヒム シャイリーン・ウッドリー ベネディクト・カンバーバッチ
監督:ケビン・マクドナルド

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211103205611j:plain

また出てきたイラク戦争関連映画。黒塗りの記録という副題が付されているのは、配給会社の Good job だと言える。また本作の製作は英国。つまりは『 オフィシャル・シークレット 』と同じく、反省と将来同じ過ちを繰り返すまいという英国人の意識の表れと取ることができる。

 

あらすじ

9.11の実行者たちをリクルートしたとの容疑から米当局に逮捕されたモハメドゥ(タハール・ラヒム)だが、起訴されることなく数年間拘束され続けていた。人権派弁護士のナンシー(ジョディ・フォスター)はモハメドゥの弁護を無償で引き受ける。そして、モハメドゥ拘束の裏にある非人道的な行為の数々が明らかになり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211103205627j:plain

ポジティブ・サイド

物語の視点がユニークだ。『 最後の決闘裁判 』のように、同一の事象を異なる人間が捉えたというのではなく、9.11という事件を背景に一人の人間の弁護側と検察側、両方の視点で迫っていく点に視野の広さを感じる。同時に、モハメドゥの語る言葉とモハメドゥの書く手記のギャップ、さらに米政府によって徐々に公開される資料、その黒塗りの記録の向こう側にあるMFR(Memorandoum For Record)によって明らかになる事実が、物語に更なる重層性を与えている。

 

忖度という言葉が人口に膾炙するようになって久しい日本社会であるが、それはつまり他者への迎合に他ならない。そこに自分というものはない。本作の弁護士ナンシーや検察官であるカウチ中佐は、自分の信念にどこまでも忠実だ。ナンシーはモハメドゥの弁護を手がけるものの、それは彼の無実の証明のためではなく、あくまでも米政府の手続きの瑕疵を責めるもの。モハメドゥの母親の肉声に触れながらも、女性として、あるいは母親として同情するのではなく、あくまでも推定無罪の原則にしたがって動く。カンバーバッチ演じるカウチ中佐も同じ。友人が9.11のハイジャック犯に殺害されたことから、アルカイダのリクルーターであると目されるモハメドゥを裁判で有罪にすべく奮闘するが、その過程で「これはおかしい」と気付いていく。個人の情ではなく、法律家としての哲学に忠実であり続ける。国家と個人を同一視する傾向が多くの国で見られる今、この二人の姿勢に学ぶべき点は多い。

 

モハメドゥを演じるはタハール・ラヒム。どこかで観たと思ったら『 ダゲレオタイプの女 』に出演していた。このキャラクターも一筋縄ではいかない。無実を訴えつつも、常にどこかに疑惑を感じさせる。Jovianも弁護士の先生に「弁護士を信用しているのなら、事実をありのままに語ってください。黒を白にするのは難しいが、黒を灰色にすることはできる」と教えてもらったことがある。すべてを語らないモハメドゥはすなわちナンシーを全面的に信用していなかったわけで、なにが彼をそれほど頑なにさせるのか。その秘密が情報公開請求で呈示される段ボール箱何個分になるか分からない資料の山として現われる。それが見事なまでに黒塗りだらけなのだ。ここに至って、我々日本のオーディエンスは、これは赤木ファイルやスリランカ人女性の死亡を思い出すことになる。黒塗りは、そのまま時の政治権力の闇の大きさ、闇の深さを表している。

 

黒塗り記録の向こう側にはモハメドゥを自白させた力、すなわち拷問があり、これ自体は『 ザ・レポート 』などで既に明らかにされていることだが、本作において真に恐るべきなのは、エンディングで明かされる数字だろう。「WMDを所有している」、「テロ組織を支援している」として散々イラクを攻撃しておきながら、自らの主張は嘘っぱちだった。その裏で、法律無視の非人道的な行為の数々を犯し、それを黒塗りにすることで真相を闇に葬ろうとしていたのだから、これはもうまともな国家運営とは言えない。しかし、忘れてはならない。我々はそんなアメリカのやることなすことに必ず追従する国家に生きているということを。

 

ネガティブ・サイド

シャイリーン・ウッドリー演じる弁護士がMFRを見て「モハメドゥは自白していた!」とパニックになるシーンは実話なのだろうか。普通に考えれば、そこは最初に開示された黒塗り文書の、黒塗りされていない部分に該当しそうだが。また、自白そのもの、特に不当に長期に拘留されたり、身体的精神的な拷問によって強制された自白に証拠能力などない。弁護士ならそれぐらい知っていて当たり前のはず。あるべき反応は「なぜ自白した?なぜ当局は罪状を定めて起訴しない?起訴できない?自白は強要されたもの?」のように、理路整然とした推理であるべきだったと感じる。

 

拷問シーンの苛烈さがもう一つ伝わってこなかった。もっと過激にモハメドゥを痛めつけるシーンを作っていれば、モハメドゥが見せる普通の振る舞いの意味がより強調され、さらにエンディングで明かされる数字のインパクトも更に増したに違いない。

 

総評

英国人がイラク戦争関連の事象を描くとこうなるのかというお手本のような作品。アメリカ人だと『 ボーイズ・オブ・アブグレイブ 』のような、一見反省しているように見せかけて、実は単なるアメリカの個人主義的英雄譚の焼き直し作品になってしまう恐れが常にある。日本も法治国家であり続けたいなら、そして法治国家の国民であり続けたいなら、本作を観て、推定無罪の原則や公文書管理の重要性などをあらためて学ぶべきだろう。120%不可能だろうが、邦画の世界で入管によるスリランカ人女性の殺人(と敢えて呼ぶ)を映画化したら、それだけで国内ムービー・オブ・ザ・イヤーだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

See you later, alligator.

受験英語ではまず触れられないが、キッズ英会話などでは割とお馴染みの表現。意味はそのまま「じゃあね、アリゲーター」で、later と alligator が韻を踏んでいる。劇中でも触れられるが、こう言われたら”After a while, crocodile.”と返すのがお約束になっている。これも while と crocodile が韻を踏んでいる。ただ、大人が使うことはまずない。大人の先生がキッズ英会話の受講生に言ったり、小児科医が患児に言ったりすることはあるが、ビジネスの文脈ではほぼ間違いなく使われない。

 

 にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, イギリス, サスペンス, シャイリーン・ウッドリー, ジョディ・フォスター, タハール・ラヒム, ベネディクト・カンバーバッチ, 監督:ケビン・マクドナルド, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 モーリタニアン 黒塗りの記録 』 -日本はアメリカを笑えない-

『 コンテイジョン 』 -コロナ”後”への警鐘-

Posted on 2021年10月31日 by cool-jupiter

コンテイジョン 75点
2021年10月28日 レンタルBlu rayにて鑑賞
出演:マリオン・コティヤール ローレンス・フィッシュバーン マット・デイモン ジュード・ロウ
監督:スティーブン・ソダーバーグ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211031223409j:plain

コロナは収まりつつあるとはいえ、第六波の到来も予測されている。実際に、世界では全然収まっていない。そんな時は『 アウトブレイク 』の時と同様に、ウィルス感染テーマの作品を鑑賞して、少し未来を想像してみる。

 

あらすじ

ミッチ・エムホフ(マット・デイモン)は、出張帰りの妻ベスが急激な体調不良になったことから病院に急行。しかし、ベスは死亡した。未知のウィルスによるものだった。そのウィルスは世界各地に拡散、パンデミックとなる。アメリカCDCのチーヴァー(ローレンス・フィッシュバーン)はウィルスの正体を突き止め、感染拡大を防止しようと奮闘するが・・・

 

ポジティブ・サイド

始まりから終わりまで、全てが淡々とした空気で進んでいく。突出したヒーロー然とした人物がおらず、それがリアルさを増している。世界各地で静かに、しかし確実にウィルスが勢力を拡大していく様も淡々と映し出される一方で、現場の右往左往、そしてその奥のWHOやCDC内部の人間の奮闘が描かれている。このCDCやWHOが現実世界でいまいち働いているように見えないのがポイント。実際は悩み苦しむ人間が多くいることが描かれている。本作のウィルスは虚構だが、そこに現実の豚インフルエンザを絡めてくることでリアリティが増している。2009年、日本でも薬局やコンビニからマスクが消えたことを覚えている人は多いだろうし、それこそ2020年春のマスク争奪戦の記憶は誰しもの脳裏に焼き付いていることだろう。そうした記憶を下敷きに本作を見れば、人間はなかなか教訓を学ばないものなのだなと思わされる。

 

ウィルスの起源をリサーチする役割のケイト・ウィンスレットがさっそくウィルス感染し、死亡する。この無情さがいい。日本でもコロナの深刻さ(それを疑問視する向きも多数いるが)が認識されたのは、志村けん死亡のニュースからであったと思う。ウィルスは相手に忖度などしない。一方で、最初から抗体を持っている、あるいは免疫の強さによって影響を受けない者もいるという設定も、SFではお馴染み(『 アンドロメダ病原体 』など)ながら説得力がある。

 

マット・デイモンやローレンス・フィッシュバーン、ケイト・ウィンスレット、グウィネス・パルトロウなどの名のあるスターを起用しながら、誰かが飛び抜けた活躍をするわけでもなく、誰かがとんでもない事件を起こすわけでもない。人間のちょっとした弱さがその人間を悪事に走らせる展開があるが、それもまた自然な展開に思える。

 

パンデミックが進行し、人々が自主的にロックダウンを実施した時に何が起こるのかを、まるでドキュメンタリー作品のようなタッチで映し出していく。ミッチの娘がボーイフレンドとテクストする中で、ステイホーム生活を jail = 牢屋 と表現していたが、これは若者には本当にそのように感じられるのだ。たまたまJovianは大学の教壇に立たせていただいているが、20歳前後の若者にとっての青春の時期というのは、空虚で低生産な時間を過ごすことに定評のある日本のオッサンの日常とは大いに異なるのである。 

 

ジュード・ロウ演じるブロガーが怪しげな情報をふりまいて支持を得るというのも、コロナ、およびコロナに対するワクチンに対するネガキャンでしこたま儲けたという医療従事者や評論家連中の登場を正確に予見していたものとして評価できる。というか、どんな苦難の状況にあっても、それを鉄火場にできる人間は必ず出てくるということか。

 

最後の終幕も苦い余韻がある。結局は人類が自然破壊を推し進めてしまったことがパンデミックをもたらした。現実の新型コロナの起源についても、「突き止めた!」、「発表する!」とトランプ政権時代のアメリカはやたらとかまびすかしかったが、全て大山鳴動ねずみ一匹。真相は案外本作の示す通りなのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

映画なので、ある程度ご都合主義にならざるを得ないのだろうが、現在の我々の目から見てかなり不自然に映る描写がある。最も気になったのはケイト・ウィンスレットのキャラクター。Jovianは看護学校中退の経歴があるので言わせてもらうが、マキシマム・プリコーションどころかスタンダード・プリコーションすら施さずに調査にあたるのは杜撰を通り越して無能ではないだろうか。もちろん、感染してもらわないといけないキャラが防御が万全では話が進まないが、もうちょっとここに説得力が必要だった。

 

また、ジュード・ロウのキャラにR-0、いわゆる基本再生産数について議論を吹っ掛けられたチーヴァーが言葉に詰まってしまうのも不自然だった。SARSや2009年の新型インフル騒動でも、いわゆるスーパー・スプレッダーの存在は報じられていた。R-0が2というのは、単純に2のべき乗で感染者数が増えていくわけではない、クラスター(これについても言及されていた)を潰していくことが最善の対処である、というような旨の反論ができたはずなのだが・

 

総評

コロナ・パンデミックの始まりから猖獗までを見てきた現代人にとって、非常に示唆に富む内容になっている。映画製作者たちの取材力と考察力に裏打ちされた想像力と創造力は大したものだなと心から感心する。第6波、さらにその先(コロナは相撲で言うと関脇とされており、大関や横綱は今後100年でやって来るとされる)に、我々がどう振る舞うべきで、またどう振る舞うべきではないのかについてのヒントが満載である。パンデミックなど社会の擾乱を奇貨とする輩をフォローしないという教訓だけでも学ぶべきだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be immune to ~

~に免疫がある、の意。普通は医学的な文脈で使われるが、卓球の水谷のように、”I’m immune to criticisim.”のように言ってもいい。「批判の言葉をいくら投げつけてきても、俺には全く効かないぜ」ということである。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, SF, アメリカ, サスペンス, マット・デイモン, マリオン・コティヤール, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 コンテイジョン 』 -コロナ”後”への警鐘-

『 ビースト 』 -韓国ノワール健在-

Posted on 2021年10月23日 by cool-jupiter

ビースト 75点
2021年10月23日 心斎橋シネマートにて鑑賞
出演:イ・ソンミン ユ・ジェミョン
監督:イ・ジョンホ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211023230156j:plain

なんとか妻を説得し、やっと心斎橋への出陣許可を得た。ならばと評価の高い韓国ノワールをチョイス。実に見ごたえのあるサスペンスであった。

 

あらすじ

殺人課の刑事ハンス(イ・ソンミン)とミンテ(ユ・ジェミョン)は、課長への昇任をめぐって競い合っていた。そんな中、インチョンで女子高生の猟奇殺人事件が発生。ハンスは容疑者の男を逮捕し、自白させる。しかし、ミンテはその容疑者が犯人ではないとの確証から男を釈放し、・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211023230213j:plain

ポジティブ・サイド

韓国映画における警察 = 無能、というのは全世界の共通認識だが、本作ではその警察官同士の争いが見どころになっている。と言っても、単にどちらが先に事件を解決するかを競うだけではない。どちらがどれだけ汚い手、常道ではない手段で事件を解決するかの競い合いにもなっている。

 

女子高生の猟奇殺人事件を追う中で、だんだんと物事の意外な側面が見えてくる。誰もが心の中に獣を飼っていて、それが表に出てくるのかもしれない、という女警察官の一言が強烈である。情報屋を飼っていて、場合によってはその情報屋のためにチンピラをボコボコにしたりすることもあるハンスと、手続きを公正に踏んでいくことで、結果として大失態につながってしまうミンテ。この二人の演技合戦で物語は終始進んでいく。

 

『 ブリング・ミー・ホーム 尋ね人 』の悪徳警察署長の印象が強いユ・ジェミョンが本作でも強烈な存在感を発揮。ルックスで言えば決して二枚目とは言えない俳優だが、ソン・ガンホを初めとして、韓国映画ではこうした土着性の非常に強い顔の俳優が活躍する。殺人課の刑事として腕利きではあるものの、訳アリな男を見事に演じている。

 

対するハンスを演じるイ・ソンミンは初めて見たが、演技力凄すぎ。チームのメンバーから信頼を集める班長の顔と、家庭破綻者の顔、そしてミンテ同様に腕利きでありながら、訳アリな男を怪演した。冒頭から刺青の男を殴って殴って殴りまくるように、腕っぷしもある。相手のわずかな心の隙を突く狡猾な話術もある。終盤に見せる鬼気迫る表情と咆哮は、まさにタイトル通りの獣。『 殺人鬼から逃げる夜 』のウィ・ハジュンにも感じたことだが、よくこれだけ表情を変えられるなと感心を通り越して、怖気をふるってしまう。凄い役者である。

 

全編にわたって血生臭さが漂っており、実際にかなりのグロ描写や暴力描写もある。また、直接的な視覚情報が与えられるわけではないが、音声だけでもかなり精神的にキツイ場面もある。『 悪魔を見た 』のチェ・ミンシクの逃亡先のコテージの男と同じ役者と思しきキャラが本作に登場しており、「そら、こんな奴見たら誰でも犯人と思うやろ」と感じさせられてしまう。クライマックスの凄絶さは、まさにビースト。人間が人間でいられるのは、相手のことも人間であると確信できるから。目の前にいる相手が悪魔なら、自分も悪魔になるしかない。または獣になるしかない。

 

かつてはパートナーだった二人が、いつしか互いに反目するようなってしまう・・・だけなら凡百のバディ・ムービーだが、これは韓国映画。人間の心のダークサイドを極限まで追究しようとする姿勢には、もはや敬意を表すしかない。サスペンスやスリラーというジャンルでは、日本は韓国にはもう勝てない。

 

ネガティブ・サイド

麻薬捜査班から移籍してきた女性警察官が、最初と最後しか出番がなかった。もっとこの新入りを効果的に使って、ハンスとミンテがなぜ反目しあうようになってしまったのかを語らせてほしかった。

 

広域捜査隊と途中で捜査がかぶってしまうが、こんなことは実際にはあるのだろうか。このような展開が実際に起きてしまえば、それすなわち警察上層部の大失敗であるように思う。ここはちょっとリアリティが足りないように感じた。

 

総評

『 暗数殺人 』や『 殺人鬼から逃げる夜 』同様に、観終わってからドッと疲れるタイプの映画である。決して心地よい疲れではない。観た後になにがしかの澱のようなものが胸の中に残り続ける。そんな感覚を与える作品である。主演のおっさん2人の演技のレベルが高すぎて、それだけで2時間超のストーリーをピーンと張りつめた糸のように持たせている。デートムービーにはならないし、夫婦で観るのもキツイ。案外、サラリーマンが一人で鑑賞するのに向いているかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

シバ

韓国英語を観ていると必ず一回は聞こえてくる気がするスラング。意味は「クソ」である。使い方は日本語のクソと同じ。悪態をつきたいときに口に出せばいい。また、そこまで酷いシチュエーションでなくとも「あー、暑いな、クソ。」のような軽い文脈でも使える。

 

 にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イ・ソンミン, サスペンス, ユ・ジェミョン, 監督:イ・ジョンホ, 配給会社:キノシネマ, 韓国Leave a Comment on 『 ビースト 』 -韓国ノワール健在-

『 殺人鬼から逃げる夜 』 -韓流スリラーの秀作-

Posted on 2021年10月16日 by cool-jupiter

殺人鬼から逃げる夜 75点
2021年10月14日 TOHOシネマズなんばにて鑑賞
出演:チン・ギジュ ウィ・ハジュン パク・フン キル・ヘヨン
監督:クォン・オスン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211016093435j:plain

TOHOシネマズ梅田では都合がつかないので、難波まで足を伸ばす。その甲斐があった。これまた韓流スリラーの秀作である。

 

あらすじ

聴覚障がい者のギョンミ(チン・ギジュ)は、ある夜、路地裏からハイヒールを投げて、か細い声で助けを求める女性に遭遇する。その女性を助けようとしたギョンミは殺人鬼(ウィ・ハジュン)に追われることになる。果たしてギョンミは逃げ切ることができるのか・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211016093450j:plain

ポジティブ・サイド

冒頭からただならぬ雰囲気が漂っている。暗い路地。一人で歩く女性。親切そうに声をかけてくる男。テンプレ通りであるが、男がサイコな殺人鬼に変貌する様がとにかく恐ろしい。まるで『 羊たちの沈黙 』と『 悪魔を見た 』のオープニング・シークエンスを足したかのうようである。そして実際そうなのだろう。全編にわたって「面白い」という評価が定まった映画のパッチワークであるように見える。見えるのだが、それがパクリではなくオマージュでもなく、一つの様式美にまで高まっている感すらある。

 

殺人鬼役のウィ・ハジュンはJovian嫁をして「こらイケメンやわ」と言わしめる handsome guy だが、普通に頭のおかしいサイコパス殺人狂。表情の変わりっぷりが常人のそれではない。チェ・ミンシクの弟子だとしか思えない。単なるイケメンで役を得ているのではない。確かな演技力があってこその配役だと実感できる。私見では『 孤狼の血 LEVEL2 』の鈴木亮平の恐ろしさの方が上であるが、ウィ・ハジュンは役者としてのキャリアはまだまだ短いし浅い。それでこれだけのパフォーマンスを見せるのだから、よほど監督の演出が凄かったのか、あるいは鈴木のように役に向き合う時間があったのだろう。

 

ただし主役はギョンミ。こちらも凄い。聴覚障がい者という点で『 ただ君だけ 』のジョンファと重なるが、障がい者=清く正しく弱く、だからこそ美しいなどという描き方は真っ向から拒否している。悪態をつきまくる手話の顧客相手に折れることなく、勤め先の会社の大口取引先の接待で、ギョンミの耳が聞こえないのをいいことに好き勝手言いまくる野郎ども相手にも次々に手話でののしり言葉を浴びせていく。簡単に諦めたり、屈服したりするキャラではないことを、言葉を使わずして雄弁に語っている。ところどころで無音となるシーンを挿入するのは『 クワイエット・プレイス 破られた沈黙 』でもあった演出だが、これによりすぐそこにいるはずの殺人鬼に観る側は気付いているのに、ギョンミが気付いてくれないというもどかしさが、最高級のサスペンスを生み出している。特にギョンミの家に侵入するシーンの恐怖とサスペンスよ。ここでは『 シャイニング 』の有名なシーンへのオマージュが観られるので期待されたし。

 

頭のおかしさは折り紙付きのこの殺人鬼、なんと善良な一般人のふりをして警察署にまでついてきて、ギョンミとその母を執拗に付け回す。そこにギョンミが目撃した怪我をした女性の兄にして元海兵隊員のジョンタクもやってきて役者がそろう。ここからギョンミが、同じく聴覚障がい者である母と共に恐怖の殺人鬼から逃げまくるのだが、これがまた緊迫感満点。『 チェイサー 』のハ・ジョンウとキム・ユンソク並みに走って走って走りまくる。入り組んだ路地。人気の少ない街はずれ。そこを三者が縦横無尽に走りまくるのだが、冒頭のシーンと同じく、クォン・オスン監督はアクションだけではなく、街のそこかしこに存在する漆黒の闇をねっとりと画面に映し出していく。ポン・ジュノ監督の『 母なる証明 』の事件現場を彷彿させてくれる。この街の闇=人間の心の闇で、これが殺人鬼のものだけではなく、広く現代人が持ってしまっているものだということを終盤の展開で見せつけてくる。人気のない街区でも、光と人にあふれる繁華街でも、ギョンミは社会的には徹底的に弱者であるということを見せつけられてしまう。ここでチン・ギジュが見せる演技は圧倒的である。必死の訴えをワンカットで演じ切るという渾身の演技。テレビドラマ畑出身のようだが、もっと映画にも出てほしいもの。

 

殺人鬼の名前だとか動機だとか、そんなものはどうでもいい。逃げる女性。追う殺人鬼。それを追う被害者の兄。こんな単純なプロットで2時間弱の間、緊張感をまったく途切れさせることなく、それでいて社会的なメッセージまで盛り込んだ作品である。観ない手はない。空いている劇場の空いている時間帯を見計らってチケットを購入されたし。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211016093512j:plain

ネガティブ・サイド

韓国映画における警察の無能さは全世界の知るところであるが、さすがに事件の目撃者かつ被害者と思しき女性の兄を名乗る者がいれば身分証やら何やら身元確認をするだろう。また別の男と乱闘になって流血沙汰になっているのだから、調書は取るだろう。さすがに現実の韓国警察もそこまで無能ではないはずだ。

 

終盤近くにジョンタクが取る行動もおかしい。いや、取る行動というか、取らなかった行動と言うべきか。携帯を持っているなら、それでしかるべきところに通報せよ。その上で走れ。警察につながって信じてもらえなくても、それはそれで韓国警察の無能さがまた一つ浮き彫りになるだけ。ここだけはもっと常識的な行動をしてほしかった。

 

総評

これが長編デビュー作とは信じられない。が、韓国では『 国家が破産する日 』や『 藁にもすがる獣たち 』のような逸品を長編や商業作品を手がけるのは初めてという監督が作ってしまうので、本作のクオリティにも驚いてはいけないのかもしれない。『 ブラインド 』が『 見えない目撃者 』としてリメイクされたように、本作も日本でリメイクしてほしい。監督は森淳一、脚本は藤井清美で。そう感じさせてくれる、圧巻の出来栄えである。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

シバラマ

『 哭声 コクソン 』でも紹介した表現。韓国語で言うところの”F*** you”である。使ってはいけない韓国語であるが、どういうわけか韓国映画では頻繁に使われている。邦画界も上品な言葉遣いだけではなく、卑罵語をバンバン使った映画を作ってほしい。だからといって、北野武映画のような「てめえ、この野郎、バカヤロー」連発も困りものだが。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, ウィ・ハジュン, キル・ヘヨン, サスペンス, スリラー, チン・ギジュ, パク・フン, 監督:クォン・オスン, 配給会社:ギャガ, 韓国Leave a Comment on 『 殺人鬼から逃げる夜 』 -韓流スリラーの秀作-

投稿ナビゲーション

過去の投稿
新しい投稿

最近の投稿

  • 『 羅小黒戦記~ぼくが選ぶ未来~ 』 -劇場再鑑賞-
  • 『 爆弾 』 -佐藤二朗のベストアクト-
  • 『 さよならはスローボールで 』 -これは一種の同窓会の終わり-
  • 『 恋に至る病 』-近年まれにみる駄作-
  • 聖地巡礼 『 港に灯がともる 』

最近のコメント

  • 『 i 』 -この世界にアイは存在するのか- に 岡潔数学体験館見守りタイ(ヒフミヨ巡礼道) より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に cool-jupiter より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に 匿名 より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に イワイリツコ より

アーカイブ

  • 2025年11月
  • 2025年10月
  • 2025年9月
  • 2025年8月
  • 2025年7月
  • 2025年6月
  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2025年2月
  • 2025年1月
  • 2024年12月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2024年9月
  • 2024年8月
  • 2024年7月
  • 2024年6月
  • 2024年5月
  • 2024年4月
  • 2024年3月
  • 2024年2月
  • 2024年1月
  • 2023年12月
  • 2023年11月
  • 2023年10月
  • 2023年9月
  • 2023年8月
  • 2023年7月
  • 2023年6月
  • 2023年5月
  • 2023年4月
  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme