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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 2020年代

『 フード・ラック!食運 』 -焼肉愛〇 映画愛△~×-

Posted on 2020年11月22日 by cool-jupiter

フード・ラック!食運 50点
2020年11月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:EXILE NAOTO 土屋太鳳 りょう 石黒賢 松尾諭
監督:寺門ジモン

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『 ハルカの陶 』で書いてしまったが、Jovianの実家は焼肉屋であった。自分でも店に短期だが関わったことがあるし、家族で焼肉研究をしていた時期もある。今年の4~5月、さらにその後にも続く飲食業界の惨状を焼肉業界は1996年のO-157、そして2001年の狂牛病ですでに経験していた。だからこそ今も存続している、あるいは新規にこの業界にチャレンジしてきた店には個人的には満腔の敬意を表している。ちなみに監督の寺門ジモンは顔も名前も知らなかったし、今も知らない。嫁さんから「ダチョウ俱楽部やん!」と言われたが、ダチョウ倶楽部というのも名前しか知らない。浮世離れと言わば言え。

 

あらすじ

類まれな食運を持つ良人(EXCILE NAOTO)は、新庄(石黒賢)の依頼で竹中静香(土屋太鳳)と組んで、本当においしい焼肉屋だけを取り上げたグルメサイトを立ち上げることに協力する。静香と二人であちこちの名店を訪れていく良人は、やがて自らの実家、「根岸苑」と母・安江の味の秘密にも迫っていくことになる・・・

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ポジティブ・サイド

焼肉愛が画面を通じて伝わってくる。なんでもかんでも炭火を良しとする向きがあるが、劇中で良人の指摘する通り、炭火はムラがある。本当に炭火に特化した焼肉を提供するなら、タンもカルビもロースもホルモン系もすべて切り方や厚みを変えなければならない。本作はガス焼きの店ばかりが登場し、そのいずれもが薄切り肉に特化している。この一貫性は見事である。

 

また焼肉という料理の特性もしっかりと捉えた議論ができている点も素晴らしい。焼肉というのは一部のお好み焼きや鍋料理と並んで、最後の調理部分を客が担う料理である。だからこそ、店は客と信頼関係を結んでいて、場合によっては一見さんお断りも可能になるとJovianは解釈している(そういう意味では寿司屋の一見さんお断りは意味がちょっとわからない)。良人が焼き方にとことん真剣にこだわる姿勢は元焼肉屋として非常に好ましいものとして映った。

 

良人というキャラが食のライターとして葛藤するところも良い。自分の書いたものが正しく解釈されず、店を苦境に追いやってしまう。それはとても恐ろしいことだ。実際にそうした影響力を持つ個人というのは存在するし、ごく最近でもとある前科者のIT実業家が餃子店の経営を窮地に追いやった。Jovianも映画の出来をコテンパンに酷評することがあるが、それによってダメージを受けている人がいるのかもしれないと感じた(ただし、自分はクソ作品にも美点を見出す努力を忘れていないつもりである)。良人のまっとうな人間としての感覚が、彼の人間ドラマの部分、すなわち母親との関係性や食への向き合い方にリアリティを与えている。

 

相棒となる竹中静香というキャラも悪くない。はっきり言って仕事ぶりはちょっとアレだが、その分、良人の母親への接し方に素の人間性がよく出ていたように思う。余命いくばくもない人間には元気に接するぐらいでいい。息子のパートナーとなるかもしれないと母親に予感させるような女性は、妙にへりくだるよりも堂々としているぐらいがいい。土屋太鳳も年齢的に演じる役柄の転換点を迎えているが、女子高生役ではなく新卒社会人役をまずは違和感なくこなせていた。そして安江役のりょうの若作りと病床での痩せ具合。首筋にしわが大きく見えていたのは、特殊メイクではなく本当に減量した結果なのだろうと思わせてくれた。本作はある意味で一から十まで安江の幻影を追うストーリーである。様々な焼肉職人らと時代や地域を超えて協業してきた安江とその夫のストーリーは描かれることはないものの、その立ち居振る舞いと存在感でキャラクターの重厚性を表現したのは見事の一語に尽きる。

 

焼肉を提供する側の努力や工夫をさりげなく見せているところも好感度が高い。エンドクレジットで一瞬映る厨房には包丁がパッと見で10本ほどあった。Jovianの実家は8本。回らない寿司屋だと1~4本ぐらいが多い気がする。焼肉屋は実は日本で一番包丁を使い分けているところなのだ。また熟成肉を解体するシーンが見られるところもポイントが高い。なぜそれが熟成肉だと分かるのか。店で解体しているからだ。つまり、〇月×日から□月△日まで冷蔵庫で寝かせておいたということが証明できる。今はどうか知らないが、20年ほど前は「熟成肉でござい」と言って売ってくる業者もいたのである(しかも港のマイナス60度とかの倉庫で半年眠っていたような肉)。上等かつ良心的な焼肉屋の舞台裏を大スクリーンで見せるところに寺門ジモンの肉愛が感じられる。エンドクレジットというのが心肉い、いや心憎いではないか。

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ネガティブ・サイド

寺門ジモンに焼肉愛があることは分かったが、映画愛はそれほどでもないのだろう。愛とは愛情だけではなく造詣や、新境地を切り拓いてやろうというフロンティア・スピリットは感じ取れなかった。たとえば「焼肉が最高の演技をしたらどうなる?」とトレイラーは散々煽ってくれたが、果たして肉に熱が加えられていく様をこれまでにない角度で撮影できたか?その音をこれまでにないクオリティで録音できたか?全くダメだった。肉の焼ける様を鉄板や網の裏側から映す、あるいは俯瞰視点からズームインして秒単位で経時的に肉の表面の焼き色がどう変化していくかを捉える“通”の目線など、新規の実験的なカメラワークはまったくなかった。音響にしても同じで、肉が焦げ、脂がはじける音に究極的にフォーカスしたか。一切していない。既存の映画の調理シーンとなんら変わることのないアプローチで、これで「焼肉が最高の演技をした」ところを捉えたとはとても言えない。肉好き、肉通ではあっても映画好き、映画通の作劇術ではない。

 

ストーリーにも説得力がない。本物の店だけを掲載するサイトを作るというが、そんなものの需要がいったいどこにあるのか。Jovianは食べログを盲信してはいないが、集合知というものに対しては楽観的な見方をしている。ごく少数の人間が意見や情報を世に発信するというのはインターネット以前のマスメディア的な権威のやり方そのものであり、敢えて時代に逆行するやり方を採用するからには、既存の集合知(たとえば食べログ)の弱点を修正する、あるいは補完するという意義が必要である。だが結局やっているのは古山というもう一人の権威者との対決で、だったら食べログなどの設定は一切無視して世の中の権威と称される人間に挑戦していく筋立てにするか、食べログには乗らない上質なお店を丹念に救い上げていく筋立てするか、そのどちらかで良かった。安江と良人の関係性を描いていくのなら前者だけにフォーカスすればよく、やたらと「食べログが~、食べログで~」というのは単なるノイズになってしまった。

 

また良人が食運を持っているという設定がまったくもって活かされていない。独特の感覚で上手い店を発掘するという才能も、結局は冒頭の一軒だけ。あとはすべて静香に連れられて行く食べログで星が云々の店がメイン。せっかくの食運という魅力的な属性設定が台無しの脚本である。また静香も正攻法の取材をするのか覆面取材をするのかがはっきりしない。このあたり、脚本を通読した時に誰も何も思わなかったのだろうか。

 

全体的に肉にばかり目が行ってしまい、焼肉屋のその他の工夫を救い上げられていない。冒頭で古山と鉢合わせする店は無煙ロースターがあったにもかかわらず、もくもくと煙が上がっていて、「これは煙とにおいに関するうんちくが聞けそうだ」と期待したが何もなし。その他の無煙ロースターを敢えて使わない店で「いよいよ何か語ってくれるか?」という店でも何もなし。それやったら最初の店は煙の演出いらんやろ・・・結局のところ、牧場の直売契約や仲買業者との付き合いができるかどうかで手に入れられる肉の味は大きく左右される。であるならば焼肉屋で本当に見るべきところはタレや各種調味料であったり、キムチやスープ類などのサイドメニューである。そのあたりをもう少し物語に組み込むべきだったと思う。

 

ひとつ気になったのが和牛と米国産輸入牛の違いを良人が古山と議論していた場面。「お、禁断の和牛と国産牛の違いに触れるのか?」と期待したが、それは無し。興味のある方は「和牛 国産牛 違い」でググられたし。日本の食肉業界および行政の闇が垣間見えることだろう。

 

余談だが、Jovianの実家の店のタレは醤油ベースの至ってノーマルなものだったが、隠し味にピーナッツを炒ったものを粉末にして混ぜていた。同じくキムチも至ってノーマルだったが、味付けのために殻をむいたエビを電子レンジで15~20分加熱してパリパリにしたものをゴマすり器で粉末状にしたものを一緒に漬け込んでいた。良い機会なのでここに記録を残しておく。

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総評

肉通には面白い作品かもしれないが、では映画通を唸らせるか?というとはなはだ疑問である。お笑い芸人が映画監督をやってみましたという作品なら『 洗骨 』の方が優っている。こうして考えてみると北野武というのは相当に特異な才能の持ち主なのだなとあらためて思わされる。焼肉好きなら劇場へ行こう。映像美やドラマを求めるなら、スルー可である。

 

Jovian先生のお勧め焼肉屋 

岡山県岡山市の焼肉韓国料理 『 南大門 』

肉も内蔵も鮮度抜群。ユッケやナマセンも超美味だった。岡山の親戚、ホテルOZやホテルmesaのオーナー御用達の名店。もう7~8年行っていないが、食べログによるとまだまだ頑張っているようだ。

 

大阪府大阪市の『 万両 』(南森町店)

某法律事務所の専従経営者の方のお勧め。グルメリポートをやる芸能人やアナウンサーは極度のボキャ貧で「美味し~、やわらか~い」ぐらいしか言えないが、それは主に「脂」の味と触感。ここは「肉」の味と触感を重視している。肉の繊維質まで味わえる、王道でありながら数少ない焼肉屋。

 

大阪府大阪市の和匠肉料理 『 松屋 』(阪急うめだ本店)

文の里の商店街のポスターの文句「いいものを安くできるわけないやろ!」の精神を発揮して、「いいものやから高いに決まってるやろ!」で商売している。肉の柔らかさと噛み応えの両方を堪能させてくれる稀有な店。Jovianは夫婦の誕生日や結婚記念日に行く。それぐらい値段が高く、しかしプレミアム感のあるお店。機会があればぜひ来店されたし。ちなみに『 松屋 』はJovianの大学の後輩の弟が現社長だったりする。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, D Rank, EXILE NAOTO, ヒューマンドラマ, りょう, 土屋太鳳, 日本, 松尾諭, 監督:寺門ジモン, 石黒賢, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 フード・ラック!食運 』 -焼肉愛〇 映画愛△~×-

『 ホテルローヤル 』 -細部の描写に難あり-

Posted on 2020年11月20日2022年9月19日 by cool-jupiter

ホテルローヤル 40点
2020年11月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:波瑠 安田顕 松山ケンイチ
監督:武正晴

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武正晴監督は、基本的に可もなく不可もない作品を量産する御仁であるが、時に『 百円の恋 』のような年間最優秀作品レベルの映画を時折送り出してくる。本作はどうか。やはり可もなく不可もない出来栄えであった。

 

あらすじ

雅代(波瑠)は大学受験に不合格したことから、家業のラブホテル経営を手伝うことに。しかし、頼みの母が不倫相手と出て行ってしまい、父と二人でホテルを切り盛りすることに。雅代はホテルで働く従業員や、ホテルの客の人生の様々な一面に触れていくことになり・・・

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ポジティブ・サイド

役者陣はいずれも頑張っている。安田顕のオーナーっぷりは堂に入ったものだし、出番こそ少ないものの夏川結衣は milfy なオーラを発していた。余貴美子が呆然自失とした表情で歌う様は、とてもサブプロットとは思えない迫力があった。

 

ラブホテルに来るお客もユニークだ。特に中年夫婦の風呂場での語らいとまぐわいには大いに説得力を感じた。Jovianはとある受講生だった産婦人科の先生に「妊娠は通常ではないけれど正常で、決して異常ではない」と教わったことがある。これを少々言い換えさせてもらえれば、「セックスは日常ではないけれど正常で、決して異常ではない」となるだろうか。若者の恋愛やセックスよりも、中年夫婦のセックスの方が見ていて癒される。これはむずがゆくも新しい発見であった。

 

波瑠は『 弥生、三月 君を愛した30年 』と同じく、高校生から大人までを演じ切った。常にアンニュイなオーラを醸し出しながら、優しさもありならが激情も秘めていた。父親に対してのみ気持ちを言葉にして発するが、それ以外は基本的に表情や立ち居振る舞いで表現しているところが好ましく映った。ラスト近くで服を脱ぐ所作もGood。長回しのワンカットだったが、カメラの距離やアングルを完璧に把握して、“期待させる”シーンを生み出していた。

 

踏切で過去と現在が交錯する演出も面白かった。性とは生であり正なのかもしれないと、ほんの少しだけ感じた。

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ネガティブ・サイド

ラブホのバックヤードにリアリティが感じられない。Jovianには岡山県でラブホをいくつか経営している親戚がいる(岡山県でこの映画のタイトルっぽいホテルを見かけたら、ぜひご利用いただきたい)。なので、親戚を尋ねた時に2度ほど舞台裏をのぞかせてもらったことがある。まず、声などは絶対にバックヤードまで漏れ聞こえてこない(隣の部屋の声が聞こえることはあるが)し、もし構造上それが可能であるならばただちに是正されているはずだ。親戚に言わせると年に1回ぐらい警察がやってきて、ホテルの隅から隅まで見て回るのだ。おそらく仕事をしているふりなのだろうが、行政指導、下手をすれば営業許可の取り消しを食らいかねない建造物の欠陥を何年も何十年も放置するか?信じがたいことだ。

 

またオバちゃん連中の仕事がベッドメーキングばかりで、ラブホの仕事で一番大変とされる泡風呂の後始末については何も描かれなかった。観客のかなりの数がラブホユーザーの生態に興味があると同時に、ラブホを経営・運営する人間に興味があって劇場に足を運んだはず。そうしたラブホを支える仕事人たちのプロフェッショナリズムが映し出されなかったのは残念である。

 

火災報知機のシークエンスは場面のつなぎがおかしかった。廊下に客が溢れ出してきたのに、雅代が携帯で通話し始めると全員がパッと消えた。編集の時点で奇妙さに気が付かなかったのだろうか。

 

メインキャストは頑張っていたが、一部の俳優はミスキャストであるように感じた。特に伊藤沙莉の女子高生役は無理があるし、キャバ嬢の真似事も妙に似合っているせいで、逆にシラケてしまった。というか、武監督は何をどう演出してリアルなキャバ嬢を伊藤に演じさせたのだろう。馬鹿な女子高生が馬鹿なことをやっているという絵を撮りたければ、リアルにキャバ嬢を演じさせる必要はないだろう。上手な演技ではなく下手な演技を指導することも時には必要である。

 

その伊藤沙莉とホテルにやってくる岡山天音の演技・演出面はもう一つ。嘔吐したなら最後に「ペッ」とやりなさいよ。そして口ぐらい拭いなさい。すぐ目の前にトイレットペーパーがあるのだから、それを使えばいいのに、何をダラダラとセリフをしゃべっているのか。仮に酔っぱらって吐いたという経験がなくとも、それぐらいの演技はできるだろう。それとも武監督の手抜きだろうか。

 

雅代が最後にボソッと呟く「あまりに久しぶりなので忘れてしまいました」という台詞も引っかかった。ご無沙汰なのは良いとして、では最後の経験はいつ、どこで?少なくともそれを感じ取らせるようなシーンは必要だったと思う。八百屋の同級生の言う同窓会がそれにあたるのかもしれないが、だったら同窓会で酒を飲んでため息をつく雅代のシーンを挟んでおけば、観る側が脳内で保管できる。手間がかかるのは百も承知だが、そうしたちょっとしたひと手間が作品のクオリティを高めるのである。

 

総評

コメディかと期待して劇場に行くと面食らうだろう。様々なヒューマンドラマが展開されるが、ちょっと非日常感が強めで、そこを肯定的に捉えるか否定的に捉えるかは観る人による。ただし、細部のリアリティについては神経が行き届いているとは言えないし、物語が放つメッセージも極めて不明瞭である。波瑠のファンなら鑑賞しても損はないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I no longer have a home to return to.

伊藤沙莉演じる女子高生の言う「もう帰る家がない」という台詞の私訳。a home to return toで一種のセットフレーズである。どういうわけか a home to go back to だとか a home to get back to という言い方はほとんどしないし、a home to return to という表現も、おそらく九分九厘は否定形で使われる。a moment of glory を求めてのone night stand の結果、“I no longer have a home to return to.”となる人間が一定数生まれるのも人の世の常であろうか。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 安田顕, 日本, 松山ケンイチ, 波瑠, 監督:武正晴, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 ホテルローヤル 』 -細部の描写に難あり-

『 さくら 』 -リアリティが決定的に足りない-

Posted on 2020年11月18日2022年9月19日 by cool-jupiter
『 さくら 』 -リアリティが決定的に足りない-

さくら 30点
2020年11月15日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北村匠海 小松菜奈 吉沢亮 永瀬正敏 寺島しのぶ
監督:矢崎仁

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変なおじさんの永瀬正敏と安定した演技力の寺島しのぶ、そしてJovianの推しの一人である吉沢亮と小松菜奈。そして『 うつくしい人 』、『 炎上する君 』の西加奈子の作品ときた。それが、どうしてこうなってしまったのか・・・

 

あらすじ

大学入学のために上京していた長谷川薫(北村匠海)は久しぶりに大阪の実家に帰ってきた。あこがれだった兄、一(吉沢亮)の死により家を出た父が、年末に家に帰ってくるという。薫はまた、屈託のない愛犬のさくらにも会いたかった。家族が離散する前の幸せな長谷川家を薫や妹の美貴(小松菜奈)は思い出していく・・・

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ポジティブ・サイド

まずは中学生から高校生(進学していないが)の年代を演じた小松菜奈に賞賛を。しまりのない表情から、逆にころころと自在に変化する表情までを披露し、まさに箸が転んでもおかしい年頃の娘を好演した。露出度がかなり高めの服装であっても色香を感じさせないのは、お見逸れしましたとしか言いようがない。

 

次いで寺島しのぶ。冒頭で性行為について幼い美貴にも分かる言葉で優しく丁寧に語る様は、そのまま各家庭で実践できそうに感じた。一が家にガールフレンドを連れてきたときには、昭和や平成の初めころにいっぱいいた大阪のおばちゃんの風情を存分に醸し出していた。

 

ストーリーの見どころは何と言っても長男の一。美貴が昭和59年生まれだと一瞬映っていたので、一はまさにJovianの同世代。服装も今の目で見れば全然ファッショナブルではないが、それが逆に時代の空気を濃厚に感じさせてくれた。部屋にイチローのポスターを貼ってあるのもいい。また、携帯が一般的ではなかった頃、手紙や家の電話で恋人とのもどかしいコミュニケーションを堪能できた世代には、一の映し出されなかった恋愛のあれやこれやがつぶさに想像できた。家で誰かがインターネットを見ていると、家の電話が不通になるという光景が繰り広げられる映画が、そろそろ制作されてくるのだろう。

 

閑話休題。一の死、そこに至るまでの物語は非常に痛々しく重い。そこに社会的マイノリティであるLGBTのサブプロットを絡ませる演出はなかなかに心憎い。ネタバレになるので詳しくは書けないが、自分はノーマルでありマジョリティであると思っていても、それは必ずしも永続的なものではない。何かの拍子にそうではなくなることは大いにありうる。そうした時にすがれるものがあるかどうか。人によっては宗教であったり、あるいは家族であったりするのだろう。家族の在り方が多様化する今、本作のような悲劇的かつ喜劇的な一家の物語は一種のケーススタディとなりうるように感じた。

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ネガティブ・サイド

まず第一に言っておかなければならないこととして、誰もかれもが大阪弁がヘタすぎる。寺島しのぶでもこうなのか。『 君が世界のはじまり 』の松本穂香、『 鬼ガール!! 』の井頭愛海、『 セトウツミ 』の菅田将暉や中条あやみのような関西弁ネイティブを使ってほしい。もしくは話の舞台を北関東あたりに移してほしい。別に大阪である必要は全くないではないか。

 

タイトルロールであるさくらの扱いが雑である。というよりも、特にストーリーの主題になっていない。壊れてしまいそうな家族の紐帯としてのさくらは一切描かれていないし、楽しい時も苦しい時も、さくらがいたからこそ長谷川家の一人ひとりが踏ん張れたんだという描写も特にない。なにかもっと『 戦火の馬 』のように、色々と見えないところでドラマを生んでいたという場面が一切画面に映らないので、さくらという犬が長谷川家のかけがえのない一員であるように見えない。むしろ、残飯処理係なのかと思えてしまうような描写があり、矢崎仁監督の手腕を疑ってしまう。

 

長男の一の背中を見て育った薫と美貴、という設定も何やら薄っぺらい。一とその恋人の矢嶋さんの関係の変化に、薫は愛というものの力を知った・・・ようには見えなかった。というのも、肝心要の矢嶋さんの描写が極めて一面的だからだ。変わっていく矢嶋さんや変わっていく一の描写があまりにも弱い。一が料理を手伝うようになっただとか、洗濯物を丁寧にたたむようになっただとか、そんなことでよいのだ。そうしたシーンが全くないのに、薫に「いつか二人は結婚するんだろうなと思った」と独白させても説得力はゼロだ。

 

その薫の独白も量が多いし、説明的すぎる。心象風景を言葉にするのならまだしも、話の前後関係をくだくだしく説明する必要はない。映画ならば映像や音楽、音響などを駆使してそれを行うべきで、原作が小説だからといって小説の技法をそのまま映画に持ってきてよいわけではない。そもそも説明が説明になっていないナレーションまである。一例は「初めの遅れてやって来た反抗期」だ。いや、それ反抗期ちゃうやろ、と映画館でフツーに突っ込ませてもらった。北村は歌手でもあるため声に透明感やしなやかさがあるが、何故か台詞をしゃべらせると情感を伴っているように聞こえない。『 私はあなたのニグロではない 』のサミュエル・L・ジャクソンや『 ショーシャンクの空に 』のモーガン・フリーマンのように、ナレーションだけで聞く側の心を落ち着かせたり、興奮させたり、ざわめかせたり、悲しませたり、といった声の表現力を目指すべきだ。あと、韓国映画(『 息もできない 』がいい)を観て暴力シーンを勉強すべきだろう。

 

トレイラーで“奇跡が起きる”とされた夜の長谷川家の移動ルートも地味に謎だ。劇中で一瞬チラッと大阪府枚方市あたりが住所であるように見えたが、枚方から国道2号は結構な距離がある。また、高速道路上から左手に初日の出を見ていたが、2号線沿線に南北に走る高速道路など存在しない。それとも2号線をひたすら西進して舞鶴若狭自動車道まで行ったというのか?とても信じられない。大阪弁の下手さからも感じたが、場所を関東に再設定すべきだった。

 

ネタバレになるため、中盤以降のストーリーについてはものさずにおくが、とにかく映画的な描写がとにかくうすっぺらく、またリアリティに欠ける。これはおそらく原作の原文からして間違っているのだろうが、「悪送球を仕掛けてきた」という文章の何とも気持ちの悪い響きよ。送球の主体は投手ではなく野手だし、送球は仕掛けるものでもない。野球で仕掛けるものといえばバントやヒット・エンド・ラン、盗塁などだ。「悪送球を打てない」という文章の不自然さに西加奈子もその編集も校正担当も、そして本作の脚本担当も誰一人として気が付かなかったというのか。そんな馬鹿な・・・

 

総評

家族という大きくて小さな枠組みが壊れていく、しかし完全に壊れたりはしない。そうしたメッセージは残念ながら非常に不完全な形でしか伝わってこなかった。家族の死、家族の離散、家族の再生というテーマなら『 焼肉ドラゴン 』の方が遥かに面白い。出演者のファン、あるいは原作のファン向けの作品ではあっても、映画ファン向けに仕上がっているとは言い難い作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

pop one’s cherry

「さくらんぼをはじけさせる」という意味ではない。これは「処女・童貞を喪失する」の意味である。一と薫の部屋での会話の私訳。ただ性的な意味意外に使うこともある。

 

I popped my skiing cherry.

初めてスキーに行った。

 

Now that I’m twenty, I will pop my drinking cherry today.

二十歳になったから、今日は初めてお酒を飲むんだ。

 

のような使い方もできる。この表現を使えたら・・・というよりもそういう話をできる人間関係を作れたら、外国語でのコミュニケーション能力は上級であると言える。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, ヒューマンドラマ, 北村匠海, 吉沢亮, 寺島しのぶ, 小松菜奈, 日本, 永瀬正敏, 監督:矢崎仁, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 さくら 』 -リアリティが決定的に足りない-

『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』 -突っ込みどころ満載の超絶駄作-

Posted on 2020年11月14日2022年9月19日 by cool-jupiter
『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』 -突っ込みどころ満載の超絶駄作-

ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 5点
2020年11月13日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北川景子 綾野剛
監督:深川栄洋

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なんとなく『 マスカレードホテル 』との共通点を思わせる。豪華キャストがバディになって、犯行予告をしてくる犯人を追うというところが特にそう思わせる。タイトルも意味深だ。普通なら『 ドクター・デスのBLACK FILE 』とか『 ドクター・デスの殺人カルテ 』で良さそうなところを何故“遺産”とするのか。『 ソウ 』のジグソウみたいな奴なのかという懸念もあったが、ミステリかつサスペンスは好物ジャンルということもあり、近所の劇場へと出向いた。

 

あらすじ

連続不審死を捜査していた警視庁最強コンビの犬養(綾野剛)と高千穂(北川景子)は、「ドクター・デス」と呼ばれる安楽死を請け負う医師の存在にたどり着く。しかし必死の捜査の最中、犬養の娘がドクター・デスに安楽死を依頼してしまい・・・

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ポジティブ・サイド

北川景子と綾野剛がそれなりに熱演している。またドクター・デス役の俳優も頑張っている。

 

偶然だろうが、1~2週間ほど前にニュージーランドで“安楽死”を合法とする法案が可決されたというニュースがあった。医療が発達した現代、本作は死の意義をあらためて問い直す契機にだけはなったと言える。

 

そうそう、販促物で『 マスカレードホテル 』と同じ愚を犯さなかった点は評価せねばなるまい。

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ネガティブ・サイド

長文注意。以下、ビミョーにネタバレに触れるので未見の方はスルーを推奨する。

 

警視庁最強コンビって、アホかいな。警視庁の刑事連中というのは韓国映画の警察よりも遥かに無能な人間の集まりなのか。とにかく捜査の段取りが悪すぎるし、リアリティも何もない。ちなみにすれっからしのJovianは開始5分でドクター・デスの正体が分かってしまった。

 

オープニングのEstablishing Shotから何かを間違えている。あれ、俺は『 犬鳴村 』を観に来たわけではないのだが・・・と思われた。この時点で嫌な予感が漂った。

 

不審死した人間の家族(小学生だが)から警察に通報があったとして、いきなり刑事が出向くか?しかも捜査一課の“最強コンビ”が?だいたい、死亡時刻が昼の11:30、通報がその日の夜だとすれば、当日は仮通夜、翌日に通夜、その翌日に葬式だとして警察登場に2日半のタイムラグがある。遅すぎるやろ・・・。それに普通は所轄の警察官が出向くべき、なぜに一課の刑事が動員されるのか。さらにいきなり司法解剖するためか、棺桶を火葬場から持っていくのだが、令状ぐらい見せんかいな・・・。公権力を振り回せる人間が横柄に振る舞うこと、さらに後述するが綾野剛演じる犬養の人間性が最悪なところが、本作が本来なら投げかけることができていたはずの社会的なメッセージを非常に底浅いものにしてしまっている。

 

捜査の突っ込みどころはまだまだ続く。周辺の聞き込みもいいが、せっかくの防犯カメラ映像なんやから、それをとことん追いなさいよ。周辺の防犯カメラの映像を総ざらいしなさいよ。その上で聞き込みの範囲を指定しなさいよ。石黒賢演じる班長的存在の指示が昭和の刑事長レベルで止まっている。また防犯カメラの映像と家族の証言から、家に来た人間は医師と看護師の二人だと分かった。よし、似顔絵は医師の方だけ作ろう、って、アホかーーーーーーーー!!!典型的な認知バイアスで、それこそ警察官、特に捜査一課の刑事ともなれば絶対に陥ってはならない思考の陥穽にものの見事にハマっている。その看護師もこのご時世にご丁寧にナースキャップをかぶって敢えて目立とうとしている。『 ココア 』でも突っ込んだところだが、ナースキャップは日本でも世界でもほぼ廃止されている。嘘だと思われるなら「看護師」でグーグル画像検索をすべし。ほとんどのナースは最早キャップをつけていないし、つけているとすればめちゃくちゃ古い画像か、就職・転職系のサイトか、またはアダルトサイトであろう。

 

閑話休題。本編の刑事たちの無能っぷりは留まるところを知らない。序盤で小学生に追いつけない綾野剛にも失笑したが、60歳以上の河川敷ぐらしのホームレスと駆けっこをして追いつけない20代の若い刑事には文字通り頭を抱えた。火葬場の時と同じく、横柄に「任意同行」させればよいだけだ。ここらでいっちょ北川景子の見せ場でも作っとくか、ぐらいにしか監督は思っていなかったのだろうが間違っている。犬養刑事も無能の極み。ドクター・デスからのせっかくの着信をなぜ逆探知しない?しかもチャンスは2回あったではないか。それに闇サイト云々もサイバー部隊を動員して追いかけなさいよ。警察にも『 スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼 』の刑事みたいなのがいるはずだ。バックドアを使えとまでは言わないが、ITを駆使した捜査も同時並行で行わないのはリアリティがない。リアリティがないのは意味なく挿入される居酒屋のシーンも同じ。人があれだけたくさんいる場所で刑事が事件の話をするか?警察の食事会または飲み会は個室が原則ではないのか?個室でないにしても、テレビドラマ『 相棒 』の飲み屋のような客が自分たちしかいないとすぐにわかるこじんまりとした店を選ぶべきではないのか?原作の小説もこうなのか?それとも映画化に際して改悪されているのか?

 

『 ビバリーヒルズ・コップ2 』の時代から、靴に付着していたであろう土の成分を調べるのは捜査の常道だが、逆にそうした然るべき捜査をした時に矛盾が大きくなるのが本作の弱点だ。ドクター・デスに安楽死を依頼した5つの家族の玄関から共通の土の成分が検出されたと言うが、そんな馬鹿な話があるものか。関係者の証言によるとドクター・デスは月に1~2回の犯行に及び、警察が把握しているのは5件、全体ではおそらく35件とされている。警察が把握している5件が連続して行われた犯行だとしても、最初の家族から5番目の家族までは最短でおそらく2か月半、長ければ5か月の間が空くことになる。1件目と35件目の間隔ならば、最短でも1年半。その間にどの家庭も玄関先を一切掃除することがなかったのか。にわかには信じがたい。

 

さらに終盤、携帯の通話音声を詳細に解析、小さな救急車のサイレンの音が入っていたのをキャッチ。これは事態が動くか?と期待させて、「特定できるか?」「それはちょっと・・・」って、アホかーーーーーーーー!!!そら日本中の救急車の出動を全部把握するとなると人手も時間もかかる大仕事だろうが、まずは東京都だけでも調べろよ。〇月〇日何時何分という非常に確度の高い情報があるのだから、消防および救急患者を受け入れている病院に片っ端から当たれよ。アホなのか手抜きなのか無能なのか。おそらく全部だろう。

 

本作は安楽死に関する問題提起をした点だけは認められる。しかし、安楽死を望む人間およびその周辺の描写がクソ薄っぺらいため、議論の深めようがないのだ。綾野剛演じる犬養刑事の人間性が腐っているところがまずダメだ。負けそうになったオセロの盤をひっくり返したのは、「アクシデントか?」と思ったが、複数回それをやっているという確信犯。それだけならまだ許せたかもしれないが、愛娘に「お父さん、サボり?」と言われて「仕事の方がサボってるんだ」と返事する無神経さ。そこは「お父さんが暇だということは世の中は平和なんだ」と返すところだろう。仕事の方がサボっているという言い方は、事件が起こってほしいと願っているように聞こえる。また、警察という国家権力を振り回せる人間が私人性を突かれると弱いというのは事実であり、だからこそ時に一個人が警察をほんろう出来たりもするわけである。だが、本作ではその私人性の描写も弱い上に、その描写が家庭人としてダメダメであるところを強調するだけという始末。では公権力をフルに活用しているかというと、上述のようにアホな捜査を繰り返すだけ。そんな奴らに「安楽死は殺人だ」と言われても問題提起にならない。国家がこれは罪であると決めたことだからダメだと言われても、その国家権力がここまで無能だと「安楽死もありではないのか?」という意見に傾いてしまう人間が絶対に一定数出てくるはずだ。もう一つ、Jovianが犬養刑事を私人性について白々しいと感じたのは、娘に対して作ったお弁当。レシピ通りに作って美味しいわけはないだろう。原作者も監督も『 聖の青春 』を100回読めよ。腎臓病食が美味しいわけはないだろう。Jovianもその昔、ボランティアの付き添いでレトルト腎臓病食を食べたことがあるが、何の味もなかった。これを1日3回、10年も20年も続けるのかと思うとしみじみと寂しくなってくる。それが病人の食事だ。そうした愛娘やその他のドクター・デスに依頼した患者たちが絶対に感じていたであろう葛藤や懊悩を一切映すことなく「安楽死はただの殺人」と無能な国家権力の持ち主に言われても、受け取り手としてはシラケるばかりで問題提起とは受け取れない。決して。

 

他にも、窓やドアから入る自然光とは全然別の角度からの光があまりにも多く使われていて、不自然極まりないシーンも多数ある。スクリーンの外側に映画の世界ではなく撮影スタッフの存在を感じさせれば、それは興行映画として失敗作である。本作は話のも酷いものだが、映画製作の技法もお粗末の一言である。

 

総評

観てはならない、チケットを買ってはならない。『 事故物件 怖い間取り 』と肩を並べる世紀の駄作で、年間クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補の最右翼に躍り出た。Jovianは嫁さんと共に出向き、嫁の耳元で犯人を呟いて不興を買ったが、鑑賞後、嫁は不承不承にJovianの意見に同意した。つまり、本作は2020年屈指の駄作である、と。もう一度言う。観てはならない、チケットを買ってはならない。Don’t say you’ve never been warned. 警告は発した。後は諸賢の自己責任である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I want to cleanse my palate and forget about this film as quickly as possible.

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, サスペンス, ミステリ, 北川景子, 日本, 監督:深川栄洋, 綾野剛, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』 -突っ込みどころ満載の超絶駄作-

『 ビューティフルドリーマー 』 -「映画を作る映画」の佳作-

Posted on 2020年11月13日2022年9月19日 by cool-jupiter

ビューティフルドリーマー 65点
2020年11月8日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:小川沙良
監督:本広克行

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ビューティフルドリーマーと聞けば、多くの人は「ゆめじよ~り~、かえりて~」を思い浮かべるだろう。ある程度の年齢以上の映画ファンであれば『 うる星やつら 』の映画を思い出すかもしれない。Jovianは「変なタイトルだけれど、シネ・リーブル梅田でやっているからには通好みなんだろう」と、オフィシャルサイトもトレイラーも観ずに劇場に足を向けた。

 

あらすじ

サラ(小川沙良)はふとしたことから、映研の部室の片隅で「夢みる人」という映画の台本とフィルムを見つける。さっそく鑑賞してみるが、映画は未完成だった。サラは「自分たちで完成させよう」と思い立つが、それは映研OB曰はく「撮影すると何かおかしなことが起きてしまう」という台本だった。果たしてサラたち映研の面々は「夢みる人」を完成させることができるのか・・・

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ポジティブ・サイド

『 鬼ガール!! 』と同じく、映画を作る人々に焦点を当てた映画である。これはJovianの好物ジャンルなのだ。映画作りとは一つの世界を作り上げることだ。その過程を映画の中で映し出すというメタ構造が面白くないはずがないではないか。

 

大学が舞台で、グダグダした時間が流れているのが心地よい。高校生の恋愛ものは「ああ、俺にもこんな青春があったなあ」とは思えなくなってきたが、大学の良い意味でのぬるい空気は今でも体が覚えているし、なによりも大学生相手に授業をする日々を送っている。映研の部室に流れる『 げんしけん 』的な空気が心地よくないわけがないではないか、

 

そう、本作の一番の見どころは大学という人生最大のモラトリアム期間に好きなことに没頭する若者たちの姿を活写しているところにある。そこに製作者の『 うる星やつら 』愛があり、オマージュがある。ある意味でとてもぬるい空気を醸し出す映画で、終盤に訪れるカタルシスを堪能するのではなく、そこに至る過程に参画している気分を味わうものである。なので、結末には少々拍子抜けするかもしれない。しかし、主演を務めた小川沙良のある台詞と表情に大いに救われるのは事実である。ルックスを意識的に新垣結衣に寄せていると思われるが、自身が俳優兼映画監督であるためか、劇中でも監督としてのリアリティを大いに発揮した。特に台詞への演出やカメラアングルの指定などは、映画作りの舞台裏がそのまま垣間見えて、非常に面白い。

 

『 うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー 』の鑑賞歴がない人でも、青春ものとして鑑賞してほしい。

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ネガティブ・サイド

映研の各キャラクターをもう少し掘り下げられなかっただろうか。ひょんなことから映画作りに乗り出すことになるが、誰がカメラで誰がプロデューサーで、などがあまりにもトントン拍子に決まっていくのは少々乱暴ではなかったか。単なるシネフィルの集まりではなく、実は映画作りのスキルも持っていたという描写が、もう少し丁寧に描かれていてほしかった。カメラマンが、16mmフィルムと映写機を手早くセットアップしてみたり、大堂小道具係が手先の器用さを普段から発揮していたりと、そうしたシーンや台詞が必要だったと思う。

 

色々とやらかす羽目になるメンバーのシネフィルぶりが中途半端である。映画のタイトルを次から次へと口に出すだけではなく、もっと小ネタやトリビアを披露してナンボだろうと思う。

 

クラウドファンディングの途中経過はもう一度ぐらい観る必要があるだろう。募集して終わりではなく、製品やサービスの良さ、それがもたらすリターンを常に感じさせないとダメだ。

 

またせっかくの学園祭なのだから、他の部や同好会、サークルとの連携も模索すべきではなかったか。買い過ぎたお菓子やら何やらを他サークルと物々交換したり、あるいは撮影への協力を呼びかけるための呼び水にしたりできるはずだし、そうしてこそプロデューサーというものだろう。とある小道具の制作に映像研の面々が一肌脱ぐ(比喩的な意味で)わけだが、そこで手芸部や模型同好会などが手助けをしてくれた、というような展開なら、もっとカタルシスを生み出せただろう。

 

総評

『 映像研には手を出すな! 』が個人的にはイマイチだったが、本作で I somewhat felt redeemed. 年をとってくると高校生の物語にはついていけず、大学生ぐらいでないと色々な意味できつくなってくるが、その意味では本作は当たり。また本作が意図しているターゲットも30代後半以上、そして20歳前後の大学生であろう。是非そうした世代に観てほしいと思える作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Don’t be preposterous!

秋元才加の放つ「世迷言もいい加減にせい!」の私訳、と言いながらも、これはJ.P.ホーガンの『 巨人たちの星 』でダンチェッカー教授の言う“Don’t be preposterous!”をそのまま拝借してきたもの。Jovianの大学の大先輩である池央耿は「馬鹿も休み休み言いたまえ!」と訳していた。Preposterous=前が後ろになっている、というのが原義である。こんな単語を知っていればそれだけで英検1級だろうし、“Don’t be preposterous!”と仕事またはプライベートでパッと口に出せれば、英検マイナス1級で、TOEIC SWで500点だろうか。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, 小川沙良, 日本, 監督:本広克行, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズ, 青春Leave a Comment on 『 ビューティフルドリーマー 』 -「映画を作る映画」の佳作-

『 ジオラマボーイ・パノラマガール 』 -主題にフォーカスを-

Posted on 2020年11月11日2022年9月19日 by cool-jupiter

ジオラマボーイ・パノラマガール 40点
2020年11月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山田杏奈 鈴木仁 森田望智
監督:瀬田なつき

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『 リバーズ・エッジ 』の原作者・岡崎京子の作品を瀬田なつきが脚本および監督として映画化。岡崎京子の作品にそれほど親しんできたわけではないが、それでも本作は原作の読み込み不足あるいは瀬田監督自身の自分のカラーの出し過ぎであることは分かる。主題が読み取れないのだ。

 

あらすじ

渋谷ハルコ(山田杏奈)はある夜、倒れている神奈川ケンイチ(鈴木仁)に一目惚れしてしまう。これは世界の運命をも変えてしまう恋に違いないと舞い上がるハルコ。しかし、ケンイチはマユミ(森田望智)というオトナの女性に強く惹かれており・・・

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ポジティブ・サイド

『 わたしに××しなさい! 』や『 小さな恋のうた 』で確かな存在感を示してきた山田杏奈が主演だと、テアトル梅田のパンフレットで知った。ならば、あらすじも不要だし、トレイラーも劇場で目に入ってきたもの以外はシャットアウト。その上で鑑賞した。山田杏奈のありふれた女子高生としての存在感には説得力があるし、恋に恋をするという乙女チックな顔も上手く描出できていた。

 

ラストの手前、早朝の街をトボトボと歩く際の「つまらない男とつまらないセックスをしてしまった」という顔の演技は素晴らしかった。10代でこれだけ細やかな顔面の演技ができる役者は珍しいと思われる。瀬田監督が山田からこの顔を引き出すことができたのなら、それは自身の体験談をよくよく彼女に言い聞かせたのだろう(と下世話な邪推をしてみる)。10代俳優の中ではフロントランナーであることは間違いない。

 

謎めいた女性ナオミを演じた森田望智も独特の存在感を発揮した。最初はチョイ役なのかと思ったが、物語が進むにつれて「ああ、こういう話なのか」とすんなりと納得できた。それはナオミの放つ妖艶な雰囲気によるところが大で、童顔かつ幼児体形なハルコ(あくまで比較の上である)とのコントラストが大いに際立っていた。それは容姿だけではなく、異性との向き合い方、恋愛観やセックス観にも当てはまり、10代同士のピュアな恋物語の予感を良い意味でも悪い意味でも叩き壊している。『 影踏み 』の中村ゆりのような30代に成長していってほしいものである。

 

無秩序な東京の街の片隅で秘かに繰り広げられる人間模様だけは、それなりにしっかり描けていたのではないか。

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ネガティブ・サイド

なんでこんなにキャラクターがどいつこいつも、文字通りにクルクルと回るのか。舞台劇のノリなのか。特定キャラクターだけの動きであれば、そのキャラの特徴なのかなとも感じられるが、誰もかれもがクルクル回るのは不自然以外のなにものでもない。

 

一体全体、いつの時代にフォーカスしているのか。全体的に初期平成臭が漂う。小沢健二の“ラブリー”とは古すぎる。おそらく「いつか誰かと完全な恋に落ちる」ということを強調したいのだろうが、今どきの女子高生が小沢健二を歌うだろうか?やっているゲームも最新作であるが、ストⅡ。それもコンソール型。一方で、インスタグラムやタピオカも同時に存在している。様々な点で時代とガジェットにずれを感じてしまうのである。

 

神奈川ケンイチというキャラクターの思考や行動の原理も謎だ。いきなり高校を辞めるのは、まあ、そういう衝動に駆られることもあるだろうと一応の納得はできるが、男性教師にキスをすることに何らかの意味があるのか?「だって17歳なんですから」というケンイチの台詞は何も説明していない。ここからゲイへの道を歩んでいく、あるいは『 サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所 』のようにクィアの世界に旅立っていくというのなら、全く違和感はない。しかし、まず最初にやることがスケボー、そしてナンパ。ここでもノリが平成である。90年代&スケボーなら『 mid90s ミッドナインティーズ 』で十分に満たされた。

 

ハルコというキャラの見せ方も古い。一目惚れを表現するのに、雷鳴の効果音というのはどうなのだろうか。しかも音だけ。そうした演出が全編で満遍なく使われているというのならそれも構わない。それが本作のテーマにマッチする作劇術だと監督が判断したのだろうから。しかし、その後にそんな演出は皆無。どうせ一か所だけ馬鹿馬鹿しいのなら『 岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇 』のような落雷演出でもすればよかったのではないか。それに友達2人と一緒に常に3人組というのも冗長だ。実際に一人はクラブの後にフェードアウト。だったら最初から親友は一人でいい。Jovian嫁も「親友2人おって、片方は誕生日パーティーに呼んで、もう片方は呼ばへんなんかありえへん」と全く納得していなかった。

 

もっとも意味が分からないのは「知的生命体がいるとされる小惑星の接近」である。成海璃子のキャラが自分たち家族の写真を眺めるハルコに「それね、今となっては貴重でしょ」という思わせぶりな台詞や、ケンイチが学校を辞めたのと同じノリで自殺してしまう学生のニュースなど、何か一筋縄ではいかない世界観が暗示されるが、それがすべて無秩序に拡大する東京のスプロール現象にかき消されている。この世界観も90年代まんまだが、オリジナルを尊重するにせよ自身の解釈を盛り込むにせよ、やるならもっと上手にやるべきだろう。ケンイチの部屋のポスターが『 2001年宇宙の旅 』とはこれいかに。だったら『 E.T. 』、『 未知との遭遇 』、『 遊星からの物体X 』、『 妖星ゴラス 』、『 ブロブ/宇宙からの不明物体 』、『 アルマゲドン 』など、宇宙から何かが地球に接近しつつあることを暗示する映画のポスターを貼るべきではないのか。

 

最初から最後まで、一貫して世界観についていけないし、一部のキャラクターの行動原理が理解できない。端的に言って映画化失敗であろう。

 

総評

映像もストーリーもキャラクターも中途半端である。おそらく瀬田監督自身、原作を十分に消化しきれていないのではないか。しかし、発展途上の才能たちの演技に魅力を感じたり、あるいは岡崎ワールドの造詣が深い人であれば、本作を十二分に堪能することができるかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Are you having fun?

成海璃子がクラブで山田杏奈に言う「楽しんでる?」という台詞。Have fun. = じゃあね、楽しんできてね、という使い方も併せてマスターしておきたい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, ラブロマンス, 山田杏奈, 日本, 森田望智, 監督:瀬田なつき, 配給会社:イオンエンターテイメント, 鈴木仁, 青春Leave a Comment on 『 ジオラマボーイ・パノラマガール 』 -主題にフォーカスを-

『 朝が来る 』 -新時代の家族観を提示する野心作-

Posted on 2020年11月3日2022年9月19日 by cool-jupiter

朝が来る 80点
2020年11月1日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:永作博美 井浦新 蒔田彩珠
監督: 河瀬直美

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あらすじ

清和(井浦新)と佐都子(永作博美)の夫婦は子どもを持とうとするも上手く行かない。清和が無精子症だったのだ。夫婦は、ベビーバトンという団体を通じて、養子を迎え、朝斗と名付け、愛情を注いで育てていくが・・・

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ポジティブ・サイド

永作博美と井浦新の夫婦像はとてつもなくリアルだ。中年の域に差し掛かるDINKsである二人だが、子どもを持つことはあきらめていない。そこで夫が無精子だと分かった時、そして顕微授精に何度も取り組みながらも上手く行かず、「本当はもっと早くにやめたかった」と泣き崩れるシーンには、ノックアウトされた。このあたりの男の心の在りようの描き方に関しては、河瀬直美監督は随一である。『 母が亡くなった時、僕は遺骨を食べたいと思った。 』の大森監督よりも、実は男という生き物がよく理解しているかもしれない。かといって女性の描き方に穴があるかと言えば、さにあらず。フェミニスト的な意味ではない包容力や理解力がある女性像というものを永作博美から引き出している。息子である朝斗がちょっとしたトラブルに巻き込まれた時にも、毅然と対応した。そこあるのは血のつながり云々ではなく、ただただ絆だった。人は母親に「なる」のではなく、母親で「あろうとする」のだろう。無論、父親も同じである。

 

その意味で最も印象に残ったのは蒔田彩珠。『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』で南沙良との共演の印象が今でも戦列に残っているが、この年齢にして早くも代表作を手に入れたか。きらきらと輝く青春真っただ中の中学生を等身大に演じたかと思えば、家族の輪から外れ、似た境遇の者と連帯して何とか都会で生き延びる社会的弱者もリアルに描出した。物語の半分は彼女の背景描写に費やされている。幼くして母親になってしまった者が、どうして母親になり、そしてどうして母親になることをあきらめ、そして何故今また母親になろうとしたのかが克明に描かれる。そのすべてに尋常ではないほどのリアリティがあった。それは演じた蒔田彩珠の演技力。弱弱しい目と声の少女が、恋を知ってまばゆい光を放ち、そして心の内側を隠すかのように化粧を身にまとっていく様が、まるでドキュメンタリーであるかのように感じられた。

 

実際に養子縁組のテレビドラマやセミナー、ベビーバトンの施設のある島の住民や施設利用者の大半は、役者ではなく当事者、つまりは一般人だろう。彼ら彼女らが語る言葉、見せる所作、そして涙に、観る側は否応なく「子どもを産む」ことと「子どもを育てる」ことの難しさを思い知らされる。そして、産むのが誰であれ、育てるのが誰であれ、命は尊ばれるものだということを痛感させられる。こうした役者と普通の人の境目を積極的に取り除く演出をすることで、スクリーンのこちら側とあちら側の境目を揺らいでいく。観る側がどんどんと蒔田彩珠演じるひかりと同化していく。

 

栗原夫妻の元に現れる母親を名乗る女性、それが果たしてひかりなのかどうか。そのミステリでもストーリーをぐいぐいと引っ張っていく。ひかりが知り合うことになるともかが持っている革ジャン。そして、「これを着てれば、なんでもできる気になるんだ」というセリフが、意味深長に聞こえる。前半の栗原夫妻との顔合わせでも彼女の顔は明確には移されず、またマンションに訪問してくるシーンでもその顔はしかとは映されない。彼女はいったい誰なのかという疑問は最後まで明かされない。しかし、その謎の答えを我々ではなく佐都子が出す瞬間、あらゆる感情の波に押し流されることは必定である。

 

本作は朝斗との親子関係や親権についての物語ではない。逆だ。ベビーバトンの代表は「養親が子を選ぶのではない。子が親を選ぶのだ」と言う。その通りだと思う。エンドロールは最後まで絶対に席を立ってはならない。これこそが新時代の日本のあるべき親子観、家族観となるべきなのだろう。

 

ネガティブ・サイド

ひかりが借金の保証人になり、厳しい督促を受けることになるシーンを、より残酷に仕上げられたのではないか。ひかりはともかの保証人に仕立て上げられたが、連帯保証人であるとの言及はなかった。ということは、ひかりさえ突っぱねてしまえば、借金取りはそれ以上の取り立ては(法律上は)できないはずだ。まずは主債務者のともかのところに行かねばらなず、なおかつともかが行方不明ならば、その行方をまずは債権者が探さなければならない。ひかりからの取り立てに成功した借金取りがそうしたことを語ってやれば、ひかりの絶望がもっと深まったはずだ。これはJovianが意地悪すぎるか。

 

ひかりの家族や親族がちょっと硬直的すぎる。特に父親の言動には疑問符がつく。普通なら、ひかりの相手の男の家に乗り込んで、相手の父親や本人を張り倒さんばかりの剣幕で迫るものではないか。別に地元の名士や素封家であるようには見えないが、何をそんなに大人しくしているのか。ひかりの家族や親族があまりにもステレオタイプな保守であることが少々気に食わない。

 

総評

日本社会の行く末について、非常に示唆に富む視点を包含しており、そのことが本作のカンヌをはじめとした様々な国際映画祭への出品や米アカデミーの国際長編映画賞へのノミネートにつながっているのだろう。『 万引き家族 』に続いて、日本の家族観を問い直す作品である。紛れもなく傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Nothing lasts forever.

『 スプリング・ブレイカーズ 』で紹介した慣用表現。意味は「何事もいつかは終わりを迎える」。ベビーバトン代表者の言葉である。こうした慣用表現を自然に会話に織り込むことができれば、英語学習中級者の卒業も間近と言える。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 井浦新, 日本, 永作博美, 監督:河瀨直美, 蒔田彩珠, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 朝が来る 』 -新時代の家族観を提示する野心作-

『 罪の声 』 -グリコ・森永事件の独自再解釈ミステリ-

Posted on 2020年11月2日2022年9月19日 by cool-jupiter
『 罪の声 』 -グリコ・森永事件の独自再解釈ミステリ-

罪の声 75点
2020年10月31日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:星野源 小栗旬
監督:土井裕泰

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Jovianは1979年生まれなので、本作で言うギンガ・萬堂事件のモチーフとなったグリコ・森永事件はリアルタイムではあまり覚えていない。しかし、1980~1990年代、三億円事件と並んで雑誌やテレビで頻繁に特集されていたので、事件がどういったものであったかはよく覚えている。ミステリと人間ドラマの要素をほどよくブレンドさせて、2時間20分ほどの長丁場をよくもたせている。

 

あらすじ

テーラーとして慎ましく生きていた曽根俊也(星野源)は、35年前の叔父のカセットテープに吹き込まれた自分の声が、ギンガ萬堂事件に使用されていたことを知ってしまう。同じ頃、大日新聞の記者、阿久津(小栗旬)は平静という時代の終幕に際して、昭和最大の未解決事件であるギンガ萬堂事件の再取材に動き出していた・・・

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ポジティブ・サイド

『 殺人の追憶 』と同じく、全国を震撼させた未解決事件に焦点を当てた作品。ただ、こちらはリアルタイムで事件を捜査する過程を追うのではなく、事件から35年後、二つの異なる視点から事件を再構築していこうという試み。その意味では『 JFK 』に近いとも言える。

 

苦悩しながらも独自に事件を追う曽根と、事件を再取材する阿久津が、一つの流れに合流していくまでがとても緻密に丁寧に描かれていることに好感が持てる。35年経ったからこそ口を開く関係者がいるというのも首肯できる。『 22年目の告白 -私が殺人犯です- 』ではないが、過去の未解決事件の真相というものは常に魅力的である。『 JFK 』の如く、過去の関係者たちから独自の証言を引き出していく過程は非常にスリリングである。証言者Aから証言者Bの存在が浮かび上がり、証言者Bの提示するアイテムから証言者Cの存在が浮かび上がっていく。その糸を、曽根は当事者として、阿久津は新聞記者として、丹念に手繰り寄せる手法に説得力がある。事件によって傷ついた人々への共感や理解が感じ取れるからである。

 

曽根と阿久津が合流してからの取材は変則のバディ・ムービー。曽根は仲間、一種の共犯者的存在を阿久津に見出す一方で、そのことが人生を奪われた「罪の声」のもう一人の主とのコントラストをより残酷に際立たせている。このことが、曽根が疑問に感じ、阿久津が答えを出せなかった、「真実を明らかにする意義」につながっている。真実によって不利益を被る人間もいれば、真実によって救済される人間もいるのだ。そのジレンマを冗長なセリフではなく細やかな表情や情景の描写で描き切ったのは見事である。

 

犯人および真犯人の背景や因果も納得できる。意外性と同時に真実味もあり、時代の移り変わりに際して、時代に取り残された者の末路が見せつけられる。それに理解を示すこともできるし、怒りを抱くこともできる。人間の業の深さを知るとともに、人間の懐の深さも示される。結末は、これ以外に無いというほど締まっている。

 

大阪の街が随所に映し出されるのも、地元民にとっては楽しい。1980年代の事件でありながら、今でも迫真性を伴って観る側に迫ってくるからだ。堂島や心斎橋周辺の景色に馴染みがある人は、本作をそうした視点から楽しめることだろう。

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ネガティブ・サイド

35年という時間に隔てられた過去と現在を行き来する物語であるが、序盤に出てくるラジカセがもうダメである。35年前のアイテムが、まるで昨日使ったものであるかのように、埃一つかぶっておらず、テープに吹き込まれた音声も経年によって変化していないこともポイント減である。そんな馬鹿な・・・ 製作陣の誰一人として、10年ぶり20年ぶりにカセットテープを再生してみたいという経験の持ち主はいなかったのだろうか。

 

株価操作説は説得力がない。『 マネー・ショート 』や『 国家が破産する日 』のように、国家的な動乱や危機であれば、反動も期待できる。しかし、事件が未解決である期間が長くなればなるほど、企業倒産のリスクは高まり、株が紙切れとなるリスクも同時に高まる。実際にリアルタイムで模倣犯が多数発生していたわけで、株価が底値を打つタイミングを読んだり、空売りを仕掛けるタイミングを読んだりするのは、著しく困難だったはずだ。だからこそ、「思ったより儲けが出なかった」もだろうが、それらの模倣犯の中に本当に予告も何もなく菓子に毒を混入する輩がいて被害者が出ていたならば、株価も企業価値もすべてが吹っ飛ぶではないか。また、事件の真相と犯人が明らかにされても、「中央」にまで取材が及ばなければ、画竜点睛を欠くと言わざるを得ない。

 

メディアの役割を問い直すシーンはあるが、警察の役割を問い直すシーンも欲しかった。犯行グループに警察くずれがいることの是非を、架空の現役警察官キャラクターに語らせることはできなかったかと少々残念に思う。

 

総評

終盤のカタルシスにもう一押しが足りないが、それでも本作は十分に面白いと評することができるだろう。一つの謎が解かれるたびに新たな謎が生まれていく過程は、ミステリとしても上質で、実在した歴史的な背景から人間の業を説明するところにヒューマンドラマとしての重厚さを味わえる。小栗旬は少々奇矯なキャラを演じることが多かったが、今回は押さえた演技を優先することで、言葉ではなく行動で語るジャーナリスト像を深掘りできていたし、星野源は市井の小市民ながら職業人として、父として、夫として、息子としての側面全てを出し切った。『 鬼滅の刃 』で劇場に足を運んでくれるようになったライトな映画ファンには、本作にも注目をしてほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

fox-eyed

「キツネ目」の意味の形容詞。何らかの語にハイフンで分詞をくっつけることで、日本語お得意の複合形容詞を英語でも作ることができる。

 

翼を持ったペガサス=Winged Pegasus
一つ目小僧=One-Eyed Child
三足烏=Three-Footed Crow
三頭竜=Three-headed Dragon
八岐大蛇=Nine-headed Dragon

 

など、色々とかっこいい表現が可能になる。そういえばFFⅦのセフィロスのテーマ音楽も“One-Winged Angel”(発音注意 ウィングド× ウィンギード〇)だった。こうした複合語を違和感なく消化できれば、立派な英語中級者である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, ミステリ, 小栗旬, 日本, 星野源, 監督:土井裕泰, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 罪の声 』 -グリコ・森永事件の独自再解釈ミステリ-

『 星の子 』 -信仰深い少女のビルドゥングスロマン-

Posted on 2020年11月2日2022年9月19日 by cool-jupiter

星の子 65点
2020年10月30日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:芦田愛菜 蒔田彩珠 永瀬正敏 原田知世 岡田将生
監督:大森立嗣 

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201102003252j:plain
 

新興宗教に傾倒する家族、特にその娘にフォーカスした物語。個人的に観ていて精神的に消耗させられた。Jovianの大昔のガールフレンドも、まさに本作のちひろのような感じだったからだ。

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あらすじ

ちひろ(芦田愛菜)は未熟児として生まれ、アレルギーにも苦しんでいた。しかし、「金星のめぐみ」という水の力でちひろが回復したと信じた両親は、その水への傾倒を深めていく。中学3年生とったちひろも水への信仰を持っていたが、学校の数学教師に恋心を抱くようになり、信仰心と恋心の間で揺れ動き始めていた・・・

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ポジティブ・サイド

宗教と聞くと『 スペシャルアクターズ 』のようなインチキ宗教を思い浮かべる向きが多いだろう。日本人は基本的に無宗教だと言われるが、それは「神」や「法」といった抽象概念への信仰が薄いだけで、何かを信じる気持ちは普通に持っている。そして、それは圧倒的多数が往々にしてそのことに無自覚である。テレビでちょっと「納豆がダイエットに良い」、「バナナがダイエットに効く」とやるだけでスーパーから商品が消える。最近でもどこぞのアホな府知事が「イソジンでコロナが消えていく」と大真面目に語ったことで、薬局やドラッグストアでイソジンが品薄になった。こうした日本人の傾向を自覚するか、それとも宗教は胡散臭いし、それを信じる人はキモチワルイと思うか、それによって本作の意味(≠評価)は大きく変わると思われる。

 

最初はかなり良い家に住んでいるちひろの一家が、ちひろが中学生になる頃にはあばら家・・・とは言わないまでも、かなりグレードダウンした家に住んでいることが目につく。寝所を変えなければならないほどに、「金星のめぐみ」にカネを使っているということだろう。ちひろの父親は職場関係の人から勧誘され、その父も妻の兄を勧誘する。我々はこうした勧誘行為にうさん臭さを感じるわけだが、本作に描かれるちひろの両親には悪意は認められない。アレルギーに苦しむ娘を救ってくれた奇跡の水に感謝しているという、善意からの行動なのだ。

 

そうした両親に育てられたちひろが「水」の力を信じる一方で、姉のまーちゃんは信仰や宗教に反発し、家を出て、自身の選ぶべき道を模索し、それを掴み取っていく。その過程が詳細に描写されるわけではないが、まーちゃんがどれほど普通を渇望し、それに魅せられているかを幼いちひろに訥々と語る長回しのシーンは、『 真っ赤な星 』での小松未来と桜井ユキの天文観測所での語らいを思い起こさせてくれた。

 

非常に閉じた世界に住むちひろが、岡田将生演じる数学教師に恋をする描写も好ましい。少女漫画原作とは趣が全く異なり、甘酸っぱさを前面に出したりはしない。イケメンだからと言って、内面が素晴らしい人間かと言えば、必ずしもそうではない。見た目に奇行が目立つからと言って、内面的に悪であったり薄汚れていたりするわけでもない。ある意味、常識的な人間社会や人間関係の在り方を見せているだけなのだが、そこにちひろというフィルターを通すだけで、世界の在りようが大きく異なって見える。自分が好きな相手が、自分に対して好意を抱いているわけではない。当たり前のことだ。けれども、そうした当たり前を受け止められないちひろの感情の発露は、見ていてとてもショッキングで痛ましい。逆にそれは、ちひろが両親に注ぎ込まれた愛情の大きさを逆説的に表してもいる。一つひとつの人間関係や事象に安易な善悪のラベリングをしない点で、本作のドラマは深みを増している。高良健吾や黒木華の演じる教団幹部の言動から

 

母を探すちひろ、ちひろを探す母。最終盤の二人のすれ違いは、そのまま彼女らの住む世界が徐々に異なってきていることの表れなのだろう。切れそうで切れない紐帯。それが信仰心によるものなのか、それとも家族愛によるものなのか。大森監督はそこを我々に見極めてもらいたがっている。そのように思えてならない。

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ネガティブ・サイド

岡田将生に両親を変人扱いされたちひろが、混乱のあまりに街を駆けるシーンは、邦画お馴染みのクリシェでもう見飽きた。全力で走る主人公を真横からのアングルで並走するクルマから撮らないと映画人はじんましんでも出るのだろうか。

 

アニメーションで空から落ちていくちひろの描写も、ストーリー全体の流れからするとノイズに感じられた。ちひろの千々に乱れる心象風景を描写するなら、それこそ浜辺で黄昏を見つめるような、映画的な演出がいくらでも考えられたはずだ。

 

『 MOTHER マザー 』で顕著だった、子が親を慕う無条件にも近い愛の描き方が弱かったように思う。自ら家族を捨てたまーちゃんが一報だけを寄こしてくるシーンを映して欲しかった。その報を受けた永瀬なり原田なりが破顔一笑する、または感涙する一瞬を映し出してくれれば、紐帯としての家族というテーマがよりくっきりと浮かび上がってきたことだろう。

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総評

かなり賛否両論が分かれる作品だろう。それは宗教というものに関する嫌悪感が背景にあるからだが、その嫌悪感の裏には無知や無理解、無関心が潜んでいる。本作が今というタイミングで映画化されたことの意義は決して小さくない。宗教=何かを強く信じることだ。停滞・低迷する日本の社会で興隆しつつあるオンラインサロンは一種の教団ではないのか。Jovianは時々そのように感じる。宗教的な背景や信仰心を受容できず、関係を途絶えさせてしまった経験を持つJovianには本作は色々な意味で突き刺さった。ぜひ諸賢も鑑賞されたし。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

put ~ away

『 マリッジ・ストーリー 』でも紹介した「~を片付ける」という表現。「その目障りな水を片付けろ!」という一喝は

Put that goddamn water away!

という感じだろうか。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, ヒューマンドラマ, 原田知世, 岡田将生, 日本, 永瀬正敏, 監督:大森立嗣, 芦田愛菜, 蒔田彩珠, 配給会社:ヨアケ, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 星の子 』 -信仰深い少女のビルドゥングスロマン-

『 きみの瞳が問いかけている 』 -オリジナル超え、ならず-

Posted on 2020年10月29日2022年9月16日 by cool-jupiter
『 きみの瞳が問いかけている 』 -オリジナル超え、ならず-

きみの瞳が問いかけている 65点
2020年10月25日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:横浜流星 吉高由里子
監督:三木孝浩

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『 ただ君だけ 』の日本版リメイク。かなり原作に忠実に作りこまれているが、余計な演出になってしまっているところが数か所あったのが残念である。

 

あらすじ

不慮の事故で失明した明香里(吉高由里子)と過去の過ちからアルバイトで日々を食いつなぐだけの塁(横浜流星)は、ふとしたことから出会い、距離を縮めていく。しかし、明香里の失明は塁の過去に原因があり・・・

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ポジティブ・サイド

『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』や『 坂道のアポロン 』で印象的な光と影の使い方を見せた三木孝浩監督は、本作でも光を巧みに操った。邦画の夜のシーンは不自然なほどに明るいことが多いが、本作の夜の場面はそれを感じさせないし、本作の昼の場面は陽光を画面いっぱいに映し出す。原作の前半は暗、後半は明というコントラストにはこだわらず、各シーンで監督の持ち味が上手く発揮されていた。光だけでこれほど映える絵を撮れる人はそう多くない。

 

横浜流星も空手のバックグラウンドを活かして、見事なキックボクシングシーンを披露した。特に復帰二戦目のフィニッシュシーン、右ストレートで相手を仕留めた後の返しの左フックまで打っていた(空振りというところがリアルだ)。エンドクレジットで見逃したが、かなり本格的なボクシングの手ほどきを受けたのだろう。普段からどれくらい鍛えているのかは想像するしかないが、まさに鋼と呼べる肉体美も披露。これは女性客を呼べる。間違いない。山下智久の矢吹ジョーは正直イマイチだったが、横浜流星をジョーにしてリメイクできないものか。バンタム級やフェザー級に見えない?それは山下もそうだったでしょ?

 

閑話休題。吉高由里子の視覚障がい者の演技も良かった。決して合わない目線は基本であるが、聴覚だけではなく嗅覚も敏感であるところがなんともユーモラス。原作通りにデート前に浮き浮きするところや、「一人では行けない」という店をチョイスするところが何とも微笑ましい。障がい者をことさらに障がい者扱いしていないところに、今というタイミングで日本でリメイクする意味があるのだと感じた。少々脱線するが、Jovianは縁あって、大学で英語を教えている。もちろん、このご時世なのでオンライン授業である。視覚障がいや聴覚障がいの学生もいるのだが、彼ら彼女らはAcrobat Readerの読み上げ機能や、Google Meetの字幕オン機能やリアルタイム翻訳は、障がいを障がいでなくしている。原作でも本作でも、ヒロインが仕事をしている様は大いに輝いて見える。もちろん、ちょっと間の抜けたシーンのおかげで人間らしさが色濃く出ている。何をどうやれば排水溝にパンティが詰まるのかは大いなる謎だが、ハン・ヒョジュのように上着を脱がなかった代わりに、下着を見せてくれたのだと理解しようではないか。

 

二人が不器用に育んでいく恋の描写も、原作にかなり忠実で丁寧だ。二人でどこかに出かける約束をした帰り道の塁の「ひゃっほう!」感も微笑ましいし、美容室で髪を手入れする明香里もまた微笑ましい。原作同様に視覚障がい者に対して、思いがけずきつい言葉を浴びせてしまうシーンには少々こたえるものがあるが、それも塁の過去の因果によるものだと思えば納得できるし、横浜流星はそうした影のある男を上手く描出できていた。格闘家から地下世界のバウンサー的な存在に落ちてしまった男が、さりげなく明香里の部屋をバリアフリー化しているところもポイントが高い。壊すだけではなく直せる男でもあるのだ。賃貸住宅でそんなことをして大丈夫かと不安になるが、大丈夫だった。ちょっとした工夫が大きな助けになるという物語全体のテーマを表している良いシーンと演出だった。

 

クライマックスで文字通りにすれ違ってしまう二人には、胸がつぶれそうになった。原作とほとんど同じなのに、あらためてそう思えるということは、それだけ芝居のレベルも高く、その他の演出も効果的だったということだろう。特にリメイク要素として追加された“視覚以外の要素”が特に印象的だった。原作を観た人も、横浜流星ファンも、吉高由里子ファンも、かなり満足できるクオリティに仕上がっていると言えるだろう。

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ネガティブ・サイド

横浜流星の格闘シーンには迫真性があったが、顔はそうではなかった。原作のチョンミルの恵まれた体躯と野獣性、武骨な顔つきと低い声。これらがあったればこそ、アジョシ=おじさんという呼称が成立していた。蚊の鳴くような小さな声だったが、それでも塁の声を聞いて、聴覚が人一倍鋭い明香里が直感的に「この声は40代の男性だ」などと思うだろうか。ここにどうしても無理があり、その違和感は中盤までつきまとう。

 

また明香里が塁の顔の良し悪しに言及するたびに、塁がムッとする演出は不要だろう。日本版リメイクは横浜流星のキャスティングによって若い女性客を劇場に呼びたいという意図が見え見えだが、それは現実世界の話。銀幕の中では、塁は顔の美醜を気に掛けるようなキャラではないし、そうしたキャラであるべきでもない。

 

細かい粗というか、オリジナル超えをできていない点もあった。横浜流星がミンチョルではなく『 アジョシ 』のテシクになってしまっている。何故だ。もじゃもじゃ頭を再現しようとしても、こうはならないだろう。浣腸少年を消してしまうのは別に構わないが、だったら塁の心根の優しやを表してくれる代替の存在が必要だろうと思う。明香里の上司の指をへし折るシーンでも、相手の口のふさぎ方を間違えている。あれでは噛みつかれた時に自分がダメージを受けるではないか。オリジナルにあったベッドシーンというか、ハン・ヒョジュが上半身の上着を脱いでチョンミルと抱き合う場面に相当するシーンがなかったのは何故なのか。せっかくの色っぽいシーンではなく「美しいシーン」だったのに、それを再現しようという意気込みが監督になかったのか、それとも吉高サイドがNGを出したのか、まさか編集で削ったのか。納得がいかない。仕事を辞めざるを得なかった明香里に「気晴らしにどこかに連れて行って」と言われて、シリアスな記憶の場所である浜辺に連れて行ってしまう塁のセンスを疑う。原作通りにアミューズメントパークで良いのに。

 

総評

残念ながらオリジナルのクオリティには少々届かない。『 SUNNY 強い気持ち・強い愛 』の広瀬すずが『 サニー 永遠の仲間たち 』のシム・ウンギョンを巧みにコピーしていたように、吉高由里子はハン・ヒョジュをかなり巧みにコピーできていた。しかし、横浜流星のビジュアルおよび声質がダメである。ただ、オリジナルを意識しなければそれなりに良い出来に仕上がっている。本作だけを見ても、十分にロマンス要素および悲恋の要素も堪能できる。『 見えない目撃者 』ほどのリメイク大成功とは言わないまでも、まずまずのリメイク成功例と言えるのではないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be on a crutch / on crutches

松葉杖をついている、の意。単数か複数かは使っている松葉杖の数で使い分けるべし。今後は車椅子だけではなく松葉杖にも優しい環境作りが求められるものと思う。駅へのエレベーターの設置などはかなり進んだが、今後は自動改札の幅を少し広くしたり、電車とプラットフォームの間の隙間をさらに小さくするような工夫が必要だと思われる。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, ラブロマンス, 吉高由里子, 日本, 横浜流星, 監督:三木孝浩, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 きみの瞳が問いかけている 』 -オリジナル超え、ならず-

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