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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 2010年代

『 アド・アストラ 』 -B級思弁的SF映画-

Posted on 2019年9月23日2020年4月11日 by cool-jupiter
『 アド・アストラ 』 -B級思弁的SF映画-

アド・アストラ 50点
2019年9月21日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ブラッド・ピット トミー・リー・ジョーンズ
監督:ジェームズ・グレイ

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原題はAd Astra、To the starsの意味である。Adはラテン語の前置詞で、次に来る語が対格(accusative)か奪格(ablative)かで意味が変わる。Astraは対格で、ラテン語の原義的にはInto the starsが近い感じか。Jovianのall time favoriteSF小説の一つであるJ・P・ホーガンの『 星を継ぐもの 』でコールドウェルがハントのスカウトに成功して“This calls for a drink”といって、乾杯する時に二人が言う台詞が“To the stars”だった。

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あらすじ

ロイ(ブラッド・ピット)は宇宙飛行士。ある時、リマ計画で太陽系辺縁を目指し、消息を絶った父が生きていると知らされる。そして、その父の存在が地球に甚大なダメージをもたらしかねない。ロイは父とコンタクトを取るべく、火星経由で海王星を目指すことになるが・・・

 

ポジティブ・サイド

超長距離宇宙航行については、我々はワープ航法やクライオ・スリープ技術に慣れてしまっているせいか、宇宙という絶対的に孤独な空間で長時間を過ごす人間の精神にかかる負担というものを見過ごしがちである。『 インターステラー 』でも、23年を孤独に過ごした男がいたが、彼にはTARSがいた。ロイは通信もシャットダウンし、孤独に宇宙を旅したが、そこで去来する多くの想念をブラピの表情だけで描き切るという、予算があるのだかないのだか分からない撮り方をしたことが、結果的に上手くいった。宇宙は本来、人間にとって優しくも温かくもない存在で、究極的に人間に無関心である。そうした存在と孤独に対峙した時に人はどうなるのかを、心理テストに必ずパスするロイというキャラクターを通じて、ブラピは見事に描出した。このあたりが評論家に受けているのだろう。

 

月面や火星の星空が、さすがの美しさだった。CGとはいえ、NHKのコズミック・フロントで時々やっている5~15分の星空+音楽のショートプログラム、あれを彷彿させる。科学がどれだけ進んでも、人間がどれほど想像力をたくましくしても、星母子の世界には本当の意味でたどり着くことはできない。『 君の名は。 』でも感じたが、

星(多くの文化ではそれは太陽と月だ)は死と再生、破壊と創造のモチーフだ。地球外知的生命体との邂逅を求めて宇宙に飛び立った父、海王星付近で発生するサージという現象、そして本質的な意味での父の愛に飢えていたロイが、その父との再会を果たすべく目指す星の世界を見れば、これは父と息子という、ちょっと風変わりな star-crossed lovers の物語なのだ。静謐で、思弁的な、我々が忘れかけていたSF的なSFである。

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ネガティブ・サイド

過去の優れたSF作品へのオマージュが散りばめられている、と表現できればよいのだが、実際はデジャヴを感じるばかりである。『 ゼロ・グラビティ 』、『 火星の人 』、『 インターステラー 』、『 コンタクト 』など、どこかで見た構図やショットで溢れていて、オリジナリティは見出せなかった。

 

また冒頭でその姿を明らかにして、観る者の度肝を抜く軌道エレベータも、なぜEVA(というか単純に屋外作業か)を行う時に命綱その他の安全装置や器具をつけないのか。あの世界では軌道エレベータ作業員には『 フリーソロ 』が義務付けられているというのか。そんな馬鹿な話があるはずがないだろう。

 

また、月面での車両ドンパチも意味不明である。人間の愚かしさ、尽きることのない領土的野心を描きたかったのかもしれないが、本作は思弁的SFのはず。アクションも入れておかないと観客が寝てしまうと思ったのなら、それは大間違い。もっと文明と人間の精神の関係を掘り下げるような描写・演出を用いれば、SFファンはついてくる。近年でも『 メッセージ 』(監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ)のように、極力アクション要素を排除しても高い評価を得るSFが生み出されている。

 

JovianはSF小説やSF映画は好きだが、科学的な知識の幅や量は並みか、それより少しはマシという程度である。そんなJovianでも、わずか80日足らずで火星から海王星に到達できるということには驚愕した。月面にマスドライバーでも設置して、そこから更に月軌道上に設置したローンチ・リングで再加速でもさせないと無理だろう。火星から海王星までは光速でも4時間。光速の1%などという、宇宙警察にでも反則切符を切られそうなスピードでも400時間。これで約16日。実際は80日ほどかかっており、加速と減速も加味すれば、やはりロケットの最高速度は光速の1%は出ているように思える。うーむ、ハードSFとして見れば、これは荒唐無稽もいいところだ。反物質は確かに実在するが、それを燃料として計算できる量を確保するには、地球よりも遥かにでかい捕獲&貯蔵装置が必要と何かのSF小説で読んだ記憶がある。機本伸司の『 僕たちの終末 』か、山本弘だったか。いずれにせよ、本作はハードSFとして科学的に頑強な基盤を持った作品ではない。というか、たった80日で行けるのなら、これまでに既に何度も海王星行きミッションが組まれていないとおかしいだろう。人類の危機なのだろう?考えれば考えるほど、本作のプロットには科学的、論理的な穴が見えてくる。

 

では、思弁的なSFとしてはどうか。地球外知的生命体探査というのは胸躍るミッションであるが、クルー同士で諍いを起こして実質的にミッション・アボートでは話にならない。知性ではなく、心で感じる何かを大切にしましょう系のメッセージなのかと思ったが、終盤の親子を巡る超展開に茫然。トミー・リー・ジョーンズは何がしたいのだ。いや、探査がしたいのは分かる。だが、これでは小説『 地球最後の男 』や映画『 猿の惑星 』を足して2で割ったようなプロットにすらならないではないか。これなら『 インターステラー 』でアン・ハサウェイがどうしようもなくマット・デイモンを追いかけようとした、またマシュー・マコノヒーがそのアン・ハサウェイを追いかけようとした不条理ながらも力強い愛というもの、という演出の方が遥かに説得力があった。

 

 

総評

骨太なSFを期待するとがっかりさせられる。いや、何が骨太なのかは、鑑賞する者の嗜好やバックグラウンドによって様々だろうし、そうあるべきだ。ブラピのファンであれば2時間まるまるブラピである。迷わず劇場へGoだ。しかし、ハードコアなSFやスペース・オペラ、スペース・ファンタジーを期待しているファンは、呆気にとられるか、または心地よい眠りに誘われるかのどちらかだろう。鑑賞前によくよく検討されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I am feeling good, ready to do my job to the best of my abilities.

 

to the best of one’s ability / abilities で「力の限り」、「全力で」、「精一杯に」の意味である。ラグビーのワールドカップが、本記事の時点で進行中である。ラグビーにもフォーカスした『 インビクタス/負けざる者たち 』でも、モーガン・フリーマン演じるネルソン・マンデラが“All I ask is that you do your work to the best of your abilities and with good heart.”と述べる印象的なシーンがある。外資系に転職する際の面接、あるいは勤務初日のあいさつにでも使ってみたいフレーズである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アメリカ, トミー・リー・ジョーンズ, ブラッド・ピット, 監督:ジェームズ・グレイ, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 アド・アストラ 』 -B級思弁的SF映画-

『 怪しい彼女 』 -Youth is Short, Walk on Girl!-

Posted on 2019年9月23日 by cool-jupiter

怪しい彼女 75点
2019年9月19日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:シム・ウンギョン
監督:ファン・ドンヒョク

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森見登美彦の小説およびそのアニメ映画化作品の『 命短し歩けよ乙女 』は傑作だった。そして英題は“The night is short, Walk on girl”である。若さもまた短い。知らぬ間に失っているものだ。そして一度失えば二度と手には入らない。だが、もし若返ることができれば?The Fountain of Youthを求めるの古今東西の共通テーマである。老人が若返る映画はブラピ主演の傑作『 ベンジャミン・バトン 数奇な人生 』からライアン・レイノルズ主演の駄作『 セルフレス/覚醒した記憶 』まで数多い。韓流のお手並みはいかに?

 

あらすじ

70代の意地悪ばあさんオ・マルスンは、ある時、青春写真館で写真を撮ってもらう。するとどういうわけか20歳の若さに逆戻り。新生オ・マルスン=オ・ドゥリ(シム・ウンギョン)として新たな人生を歩み出す。そして、彼女の家族や周囲の人間に様々な影響を及ぼして・・・

 

ポジティブ・サイド

なんといってもシム・ウンギョンの熱演、これである。老マルスンを演じたナ・ムニは大阪は鶴橋か、東京なら新大久保または上野にしぶとく生息していそうなサバイバル系パワフルばあちゃんだが、シムは彼女の表情や話し方、仕草、体の使い方などを相当に研究した跡が伺える。『 ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 』のオールデン・エアエンライクは本作を観て反省するように。もちろん、メイクさんや衣装さんの力が大きかったのは言うまでもない。

 

若さを取り戻せたら、我々は何をするだろうか。ある者は勉強に打ち込むかもしれないし、スポーツに打ち込む者もいるだろう。恋愛にうつつを抜かす者もいれば、旅をして見聞を広める者もいるだろう。共通していることは、やれなかったこと、やり残したことをやってみたいという想いがそこにあるということだ。一個人の過去の苦労話だけではなく、韓国社会の暗部にも光を当てた点が本作の貢献だろう。現に『 主戦場 』でも、韓国の授業的価値観に支配された社会、伝統主義、教条主義的家父長制がミキ・デザキの批判の対象になっていた。だが、これはなにも韓国だけの暗部ではない。『 あなたの名前を呼べたなら 』ではインド社会における未亡人の生き辛さが直接・間接に描かれていたし、『 マイ・ブックショップ 』では英国の事情が、『 今日も嫌がらせ弁当 』では未亡人と男やもめのしんどい生活が(コミカルに)描かれていた。(ただ、日本の場合はどうなのだろうか。女やもめに花が咲く、男やめもに蛆が湧くと今でも言うように、日本において伝統的とされる価値観は戦後、せいぜい遡っても明治大正あたりが起源になるものが相当に多いのではないだろうか。夫婦ではなく女男(めおと)と昔は女性を前に呼称していたわけだから。日本の伝統の闇は浅くて深そうである)。

 

Back on track. マルスンは若かりし頃の夢を追うわけだが、逆に言えば年齢を理由に夢をあきらめる必要などないという高齢者へのエールにもなっているわけだ。さらに推し進めて言えば、年齢を理由に夢をあきらめてはならないという強迫的・脅迫的なメッセージを発している。年齢を重ねるとは、それだけ死に近づくということだ。ハイデガーならずとも、現存在は死にコミットしている。死ぬまでに何をすべきかである。本作は我々にそのことをあらためて考えるきっかけを与えてくれる。

 

もうひとつ、本作が単純に若さを謳歌すること、若さを賛美すること以上に高齢者へのエールとなっている点がある。それはパク氏の存在である。グループホームなどの施設で高齢者同士の恋愛が美しく花開いたり、あるいはとんでもないトラブルになったりすることはよくあるらしいが、このパク氏は一方的な思慕の念を70代になるまで抱き続けた、ある意味で男の中の男である。『 アンダー・ユア・ベッド 』や『 宮本から君へ 』を楽しみにしているJovianからすれば、無限のリスペクトを捧げたいほどの男である。パク氏の愛情に幸あれ。ファン・ドンヒョク監督も同じように感じていたようで、パク氏には素敵なプレゼントが贈られる。楽しみに待ってほしい。

 

本作はラブコメとしても秀逸で、外見はうら若き女子、中身はクソババアというキャラクターが自分の孫に夭折した自分の夫を重ね合わせるシーンが白眉である。ロマンティックでありながらコメディックなのだ。この監督はコメディを手掛けるの初めてらしいが、なかなかの手腕を持っている。今後にも期待。

 

ネガティブ・サイド

音楽のシーンにもう一つ迫力と臨場感が欲しかった。もちろん、音楽映画ではないのは承知しているが、老人ホームのカラオケで老マルスンのライバル的女性がセクシーな歌いっぷりを見せてくれたのだから、若マルスンも負けじと色っぽい歌い方をしてほしかった。年老いた心もときめくのだから、それを体で表現しても良かったように思う。

 

若返りの効果が失われるきっかけの見せ方は良かったが、それによって結末が見えてしまう。不治の病、交通事故、実は血のつながった親子または兄妹というのは韓流ドラマや韓国映画のお約束であるが、さすがにそろそろ別の路線を模索する時期に来ているのではないだろうか。

 

総評

高齢化においては世界ナンバーワンの日本である。老いてますます盛んという言葉があるし、ビューティフルエージング協会も活発に活動している。老いるというのは生理現象であって、そこにネガティブな要素を本来は見出すべきではないのだろう。姥捨て山はおとぎ話であって、しかもハッピーエンディングである。不器用な生き方が祟って、家族に捨てられそうになった老人が、若さを得、そして家族と最終的に和解するという、とてもシリアスなコメディである。日本版リメイクもチェックしようと思うし、ハリウッドリメイクも楽しみである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Did you sleep with him?

 

「アイツと寝たのか?」の意である。日本語でも英語でも、寝るという営みは、生理現象と共に男女の行為を指す意味でも使われている。それは韓国語でも同じだろう。“I want to sleep with you.”や“I don’t want to sleep without you.”と言えるようになれば、英会話スクールは卒業である。こうした言葉をスッと口に出せる関係を作れるほどに、コミュニケーションが取れているということだから。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, コメディ, シム・ウンギョン, 監督:ファン・ドンヒョク, 配給会社:CJ Entertainment Japan, 韓国Leave a Comment on 『 怪しい彼女 』 -Youth is Short, Walk on Girl!-

『 アス 』 -我々の敵とは誰か-

Posted on 2019年9月22日2020年4月11日 by cool-jupiter

アス 75点
2019年9月19日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:ルピタ・ニョンゴ
監督:ジョーダン・ピール

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ジョーダン・ピール監督の『 ゲット・アウト 』は、一部意味不明な描写があったものの、全体的にはギャグとホラーの両方をハイレベルに融合させた傑作だった。ピール監督の意識の根底に人種差別の問題があるのは間違いない。そして、その問題意識は本作にも貫かれているし、この作品はそのように観られるべきだろう。だが、Jovianは直感的には少々異なる見方、分析および考察をした。

 

以下、ネタばれに類する記述あり

 

あらすじ

アデレード(ルピタ・ニョンゴ)は、幼少期に自らの分身を目撃したショックから失語症になってしまった。月日は流れ、彼女は夫と娘と息子と共にカリフォルニアにバカンスにやってきた。しかし、彼女はそこで過去のトラウマがまたしても自分の身に迫っていると予感し、恐怖に怯える。果たして、深夜、家の外に自分たちそっくりの一家が現れて・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭のウサギは異世界への案内人代わりか。『 マトリックス 』でもそうだったが、J・ピール監督は、どのような世界に我々を誘ってくれるのか。

 

ドッペルゲンガーと遭遇する物語で近年の白眉と言えばドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『 複製された男 』だろうか。アデレードたちのもとに現れたアス=私たちは、普通に考えれば地下世界のクローンなのだが、Jovianは彼ら彼女らはインターネット世界のアバター=自分の分身を体現したものなのかと感じた。たいていの人はインターネット上では意見が過激になるし、他者に対して攻撃的な態度に出てしまいがちだ。そして、そんな一部の過激なネット上の声が、現実世界の政治にまで影響を及ぼす。そんなディストピアな世界にまさに我々は住んでいる。同じ国に住まう者が、同じ国に住まう者を攻撃する。アジア系のアメリカ人、ヒスパニック系のアメリカ人、様々なアメリカ人が存在する。『 ボヘミアン・ラプソディ 』でフレディ・マーキュリーを演じたラミ・マレックはエジプト系のfirst generation Americanであると、自身がオスカー授与式の際に語っていたことを覚えている映画ファンも多いだろう。一方で『 ブラック・クランズマン 』に見られるように、同じアメリカ人でありながらも、白人か黒人かという違いだけで、一方が他方を攻撃の対象にすることもある。また、人種の別に依らず、価値観、信条などでも一方が他方を攻撃することがある。プロライフ派が人工中絶を行うクリニックを爆破する事件(というか犯罪、またはテロ行為)は今でも行われているのだ。また政治的思想もアメリカの分断の特徴である。共和党主義者と民主党主義者で“分断”されるアメリカ=USA=US=Us=アスを、この映画は象徴しているのだろう。現実世界ではトランプ支持の声は決して大きくなかったものの、実はネットではトランプ支持の声が相当にあったという分析もある。まるで梅田望夫が著書『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる 』で2005年の郵政解散での小泉勝利を予見したように、ネット上の言説空間での声は時に現実世界にまで影響を及ぼすのである。

 

こうした穿った、明後日の方向の分析をしてしまうのは、Jovianが日本の現状について問題意識を抱いているからだろう。『 判決、ふたつの希望 』で日本のコンビニ店員さんたちがどんどん外国人労働者になってきていることに触れたが、これは外国人による日本への攻撃なのか。つまり虐げられる、弱い立場にあった者たちが力(それは往々にして経済力と政治的な発言力だ)を持ちつつあることを脅威であると感じることなのか。それとも、外国人との共存を模索する契機とすべき変化なのか。レッドが片言の英語を話すのは、現代日本で問題になっている親の片方が外国人である子どものランゲージ・バリアーのモチーフと見るのはさすがに穿ち過ぎか。いや、オーソドックスな分析や考察は他サイト、他ブログに譲ろう。本当に強調すべきは、本作は実に多様な見方を許容する深みのある作品であるということだ。

 

他に特筆すべきことがBGMのクオリティの高さである。『 ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男 』でも重低音の効いた、静かで、それでいて迫力のあるサウンドが魅力的だったが、本作のBGMの重低音は下腹部ではなく背筋に響いてくる感じがする。このサウンドは音響の良い劇場で味わって頂きたいと思う。

 

ルピタ・ニョンゴ渾身の演技。ジョーダン・ピール監督の現実批評とユーモアのセンスのバランス感覚。意表を突くカメラワークもある。決して見逃すことなかれ。

 

ネガティブ・サイド

普通の人間が決して知らない、近づけない地下世界があるという世界観は、既に『 アンダー・ザ・シルバーレイク 』が先行している。また、序盤早々のモグラたたき(Whack ‘em All)は地下に住む存在が顔を出したら、すかさずブッ叩くという世界観の背景を表したものかと思ったが、それを説明または強調する描写や演出はなかった。うーむ・・・

 

アスの長男の撃退が、江戸川乱歩の『 目羅博士の不思議な犯罪 』である。かなり衝撃的なシーンのはずだが、個人的には「おいおい、ここでそのネタかよ」であった。だが、ここは評価が分かれるシーンであろう。たまたまJovianのテイストに合わなかっただけである。

 

父親がユーモラスなのだが、『 ゲット・アウト 』のリル・レル・ハウリーの面白さには到底及ばなかった。同じ監督であっても微妙にトーンの異なる映画であったが、今回の父親はもっと振り切った面白さを表現して欲しかった。アスが家の外で手に手を取っているシーンは、もっとファニーにできただろう。そうすることで、ストーリーの陰陽の反転がもっと鮮やかに感じ取れることができただろう。

 

総評

これは傑作であると言ってよい。『 ゲット・アウト 』とどちらが上かと言われれば、評価は分かれるだろう。一つ言えるのは、ピール監督は、映画でもって現実批評をさせれば、いま最も旬な監督であるということだ。US=アメリカのことだけだと思わずに、この物語現代日本社会に当てはめた時に、どのようなアレゴリーになっているかを考察してみるとよい。きっと様々な仮説が生まれてくることだろう。単なるホラーではない、思考を刺激するホラー映画である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You gotta be kidding me!

 

マイケル・ルイス著の『 マネーボール:不公平なゲームに勝利する技術 』でビリー・ビーンが他球団のドラフト1位指名を聞いた時に“You fucking gotta be kidding me!”と叫んだとされる。訳書では「ほんとか、おい!」となっている。何か信じがたいこと、冗談だろうと思えるようなことが起きた時に、この台詞を使ってみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ホラー, ルピタ・ニョンゴ, 監督:ジョーダン・ピール, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 アス 』 -我々の敵とは誰か-

『 フリーソロ 』 -Ain’t no mountain high enough-

Posted on 2019年9月19日2020年4月11日 by cool-jupiter

フリーソロ 70点
2019年9月16日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:アレックス・オノルド
監督:エリザベス・チャイ・バサルヘリィ 監督:ジミー・チン

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ミハエル・シューマッハの容態が好転しつつあるとの報があった。ふとアイルトン・セナの事故死を思い出した。モータースポーツの危険性は改善はされたものの、依然残っている。マリンスポーツ然り、スカイスポーツ然り、ボクシングを始め格闘技は言うに及ばず。だが最も危険なのはmountaineering、特に安全用の装備や危惧を一切用いないフリーソロは自殺行為と呼んでも差し支えないだろう。なぜそのような危険な営為に従事する人々が存在するのか。本作はそこに一定の回答を提示する。

 

あらすじ

アレックス・オノルドは世界最高レベルのクライマー。彼には夢があった。ヨセミテ国立公園の巨岩エル・キャピタンをフリー・ソロで登攀すること。練習と鍛錬を積み重ねたアレックスは遂にフリー・ソロでエル・キャピタンに挑む・・・

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ポジティブ・サイド

NHKの『 体感!グレートネイチャー 』でヨセミテ特集を観たことがある。エル・キャピタンかどうかは定かではないが、寝袋に収まってミノムシの如く岩肌にぶら下がっているクライマーを見て、クレイジーな人間がいるものだ、と感じたことはよく覚えている。しかし、アレックス・オノルドはさらにクレイジーだ。安全装備なしで、この巨岩に挑むというのだから。

 

登山家とクライマーはおそらく別人種だろうなと思わされた。登山を趣味にするのは経営者や医者が多いと言われる。俗世のストレスなどから一時的に逃れたいのだろう。アレックス・オノルドのようなクライマーは天然生粋のアスリート型なのだろう。殴られると痛い、減量はきつい、報酬は人気が出ないと上がらないというボクシングのようなもので、「なぜ登るのか?」とアレックスに尋ねれば、“Because I can’t sing or dance.”と答える可能性は高そうである。アレックスはヴァンで暮らすベジタリアン。収入は成功した歯科医ほどあるが、家を買ったりすることには興味が無い。ガールフレンドはいるが、手を焼かされるというか、文字通り骨を折らされている。グーグルの創業者二人が受けたことで注目を集めたモンテッソーリ教育をアレックスも受けているのだが、もしもアレックスのような個人が日本にいれば、きっと京都大学へ行くのだろう。変人は京大では褒め言葉らしいから。Jovianは現役時代に京大に落ちたからな!

 

Back on track. ドローンをふんだんに使った本作のカメラワークは文字通りに息を飲む。また、エル・キャピタンに挑むアレックスには荘厳なBGMが似合っているが、そこにはお決まりの映画的演出が一切ない。一瞬足を踏み外した、指にかかったはずの岩に亀裂が入った。そんなクリシェは一切存在しない。そんなものを入れる余地はない。だからこそ、アレックスは気にする素振りも見せなかったが、観客側が肝をつぶすような瞬間が撮影されている。Jovianはこの瞬間にイスから飛び上がってしまった。ドキュメンタリーでしか出せない味であり迫力である。

 

ネガティブ・サイド

クライマーのなかでもフリー・ソロをやるのは1%未満ということで、それだけ難易度も危険度も高いことが分かる。もちろん一般人たる我々にもその危険性は直感的に分かるが、それをもっとエキスパートの視点から語ってもらいたかった。アレックスのメンター的存在、練習パートナー的存在のクライマーは登場するが、その他に登場するのは個人となたクライマーの写真が多かった。もっと現役のクライマーたちに、エル・キャピタンとはどのような存在か、それにフリー・ソロで挑むのは、ドン・キホーテよりもクレイジーなことであると語ってもらいたかった。

 

ドローンによる撮影技術は素晴らしかったが、アレックスの見ている世界を我々も見てみたかった。例えば『 クリード 炎の宿敵 』で、コーナーにくぎ付けにされたクリード視点でヴィクター・ドラゴのパンチを雨あられと浴びるシーンがあったが、あのような当事者の視界というものを体験してみたかった。アレックス本人のそれは無理にしても、他のクライマー(もちろんロープや安全器具を使った状態で)に小型カメラ付きの帽子なりヘルメットなりをかぶってもらって撮影することもできたのではないだろうか。

 

総評

非常に力強いドキュメンタリーである。ボルダリングがスポーツとして普及しつつある今、本家ロック・クライミングに興味のある人も増えてきているのではないだろうか。そうした人々が見ても楽しめるだろうし、普通の映画ファンが見ても充分にスリリングである。ドキュメンタリー好きならば、劇場の大画面で鑑賞されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

get a feel for someone/something

 

文字通り、「感触を得る」という意味である。劇中ではget a feel for the route = ルートの感触を得る、という具合に使われていた。

get a feel for the new car

get a feel for the atmosphere of the city

get a feel for what this computer is capable of

これも状況・文脈に応じて練習してみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, アメリカ, アレックス・オノルド, ドキュメンタリー, 監督:エリザベス・チャイ・バサルヘリィ, 監督:ジミー・チン, 配給会社:アルバトロス・フィルムLeave a Comment on 『 フリーソロ 』 -Ain’t no mountain high enough-

『 ブラインドスポッティング 』 -見えない自分のアイデンティティを巡って-

Posted on 2019年9月18日2020年4月11日 by cool-jupiter

ブラインドスポッティング 70点
2019年9月15日 大阪ス―ションシティシネマにて鑑賞
出演:ダビード・ディグス ラファエル・カザル
監督:カルロス・ロペス・エストラーダ

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オバマ前アメリカ大統領が選んだ favorite movies of 2018の一つであると鑑賞後に知った。Jovianがオバマ氏は大統領としては功罪相半ばする人物だと今でも考えている。彼の美点はトレイボン・マーティン射殺事件の下手人であるジマーマンへの無罪判決に怒りと悲しみの涙を流せることであり、彼の醜悪な点は『 華氏119 』ミシガン州フリントの水道水汚染に対して必要な手段を講じず、下手なパフォーマンスで逃げ切ろうとしたところだ。だが、オバマ氏の映画鑑賞眼には興味がある。本作はどうだろうか。

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以下、ネタバレに類する記述あり

 

あらすじ

黒人青年コリン(ダビード・ディグス)と白人青年マイルズ(ラファエル・カザル)は11歳の頃からの親友だった。過去のある事件の保護観察期間があと3日で終わろうという夜にマイルズは銃を購入。コリンはそれを煙たがる、その翌日の仕事帰り、コリンは警察官が逃げる黒人男性を射殺するところを目撃する。動揺するコリン。マイルズはそれを茶化す。徐々に、二人の間の盲点が浮かび上がってきて・・・

 

ポジティブ・サイド

オープニングからスクリーンが左右に二分割されている。コリンとマイルズ、二人が見ているオークランドの景色は、実は少し異なっているということが観客に「視覚的に」分かるように作られている。これは面白い試みである。

 

アメリカ社会の抱える問題は至って明白である。差別意識である。いや、意識ではなく無意識と言った方がふさわしいかもしれない。マイルズという男は親友が黒人、嫁さんも黒人という、一見すると人種差別とは無縁な男に映る。しかし、コリンの目撃した黒人射殺事件について、「4発撃たれた」という報道のコメントに「それがどうした? 14発撃ち込まれた奴もいたじゃないか!」と返す。数の問題ではないだろう。相手が抵抗しているわけでもないのに、警告や威嚇射撃もなく、複数回発砲することの是非を考えようとしないのか。こうしたところにコリンとマイルズの意識の違いが垣間見えるが、この無意識レベルで見えている、感じているものの違いが徐々に大きくなり、爆発していく展開は見事である。

 

コリンが射殺事件の現場を目撃してから抱く恐怖感は、ジェームズ・ボールドウィンが『 私はあなたのニグロではない 』で執拗に訴えていた、死への恐怖と全く同質のものである。『 ビールストリートの恋人たち 』でファニーが警察に理由なくしょっ引かれ、いつまでも自由を奪われたままでいるという物語を経験した者からすれば、コリンに共感することはいと容易い。想像力や感受性が豊かな方であれば、現在の日本の言論空間で在日外国人、なかんずく在日韓国人が感じる恐怖もこれと同質であると実感できれば、いかに日本が不自由で不寛容な国家になりつつあるのかを実感頂けよう。マイルズも言ってみれば『 パティ・ケイク$ 』に代表されるようなホワイト・トラッシュ=ゴミのような下層白人なのだ。それでも、彼は死の恐怖とは無縁に生きてくることができた。そこに埋めがたい人種の溝が存在する。しかし、決して埋めらない溝ではない。物語は、絶望ではなく希望をもって終わっていく。

 

それにしても、社会的な弱者やマイノリティを描くに際しては、普通の台詞や対話ではもう一つ足りない。『 サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所 』はそこをミュージカル風に仕立てたが、自らの内に眠るマグマを爆発させるための技法としては、本作のようなラップの方が遥かに良い。ラグタイム、ジャズ、ブルース、ロック、ラップ。これらは全て、黒人のソウルから生まれたものだからである。

 

それにしてもクライマックスの例の警察官の「殺すつもりはなかった」ってアホかいな。銃を向けて、1発で飽き足らず4発をぶち込んでおいて、殺すつもりはなかった。これがアメリカの現実なのである。これを我々は他山の石とせねばならない。

 

ネガティブ・サイド

いわゆるホワイト・トラッシュが無意識、無自覚に差別の構造に加担していたことを、もっと衝撃的に伝える演出が欲しかった。冒頭でマイルズがveggieなハンバーガーを「喰ってられるか」と吐き出すが、その後に店員にイチャモンをつけるシーンで、軽いラップ調で相手を罵ってもよかったのではないだろうか。そうすることで、黒人になり切れない白人を描くこともできるし、その後の金持ち白人のパーティーでみじめな思いをさせられるシーンが、よりhopelessでhelplessに描くことができたと思う。客の立場にある白人が、店員である白人を罵りながら、IT長者の主催するパーティーで黒人とケンカになってしまうというプロットは斬新で面白い。そこで親友で黒人のコリンが自分に加勢してくれなかったことで、マイルズは二重の意味で裏切られたように感じる。その部分の苦悩がもっと深まるような演出がほしかった。

 

コリンとマイルズの関係についても、単なる友情だけではなく、仕事上のプロフェッショナリズ、例えば『 ブラック・クランズマン 』におけるストールワースとジマーマンのような奇妙なパートナーシップが描かれていれば、二人の間のギクシャクした空気が、希望と共に回復していくところがより説得力と迫真性をもって感じられたはずだ。そのあたりがエストラーダ監督の課題なのかもしれない。

 

総評

100分以内でまとまったコンパクトな映画で、それでいてメリハリもしっかりついている。プロットはややpredictableだが、クライマックスのサスペンスは息をするのも忘れるほどの迫力がある。本作が究極的に問うのは、人間とは何かということである。この問いに正しく答えるのは難しいだろう。ただ、我々は正解を出すことはできなくとも、何が誤答であるかは即座に判断できるはずだ。本作を通じて、意識の盲点を意識するようにしてみて頂きたい。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Chill out!

 

チルド・フードなどでお馴染みchillである。意味は主に二つ。一つはcalm down = 落ち着け、の意である。もう一つは、hang out = 何もしない、遊ぶ、の意味である。文脈や状況によって使い分けたり、解釈を変えてみよう。Chillだけでも「落ち着け」、「静かにしろ」の意味で使うことも多い。ジョン・シナはWWEでプロレスをやっていた頃は、よく“Chill, chill, chill”と観客に言っていた。

 

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Posted in 映画Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ダビード・ディグス, ラファエル・カザル, 監督:カルロス・ロペス・エストラーダ, 配給会社:REGENTSLeave a Comment on 『 ブラインドスポッティング 』 -見えない自分のアイデンティティを巡って-

『 プライベート・ウォー 』 -ジャーナリズムの極北と個の強さ-

Posted on 2019年9月17日2020年8月29日 by cool-jupiter

プライベート・ウォー 80点
2019年9月15日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ロザムンド・パイク
監督:マシュー・ハイネマン

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これはヒューマンドラマの皮をかぶったホラー映画である。劇場で鑑賞後に即座にそのように感じた。ホラー映画における恐怖は、それがあまりにも理不尽だからこそ恐怖を感じるのだ。ということは、市民と軍人の別なく殺戮行為が横行する戦地のドラマはホラーであるとしか言いようがない。もう一度言うが、これはホラー映画である。

 

あらすじ

メリー・コルビン(ロザムンド・パイク)は戦場ジャーナリスト。スリランカでは爆撃に遭い、左目を失明してしまったが、それでも彼女は戦地の取材に赴くのを止めない。PTSDに悩まされ、上司からはストップをかけられるが、それでも彼女は止まらない。そして、ついに彼女は政府軍による空爆の続くシリアのホムズに足を踏み入れる・・・

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ポジティブ・サイド

日本でも今年『 新聞記者 』が公開され、大きな反響を呼んだことは記憶に新しい。その他、映画大国アメリカに目を移せば、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 』や『 記者たち 衝撃と畏怖の真実 』など、ジャーナリストたちの気概と奮闘に焦点を当てた作品の生産において、日本よりも遥かに先を行っていることが分かる。そこに本作である。『 ダンケルク 』や『 ハクソー・リッジ 』のような“戦地”を舞台に、スーパーマンのような兵士ではなく、私生活が滅茶苦茶で規律違反の常習者であるジャーナリストが克己奮励する様には、どうしたって胸を打たれずにはいられない。

 

このメリー・コルビン記者は、常に戦場の最前線で、普通なら面会できないような人物に次々に接触する。そしてものすのは名もなき一般人の悲嘆、怨嗟、苦悩の声を届ける記事なのである。ここに見出されるべきは、平和な国からやってきたジャーナリストの仕事ぶりではなく、一切の虚飾を取り払った究極の個人として行動する一人の人間の生き様である。事実、コルビンは上司の連絡も無視するし、会社が保険に別の記者を送り込んでくるという判断に激怒するし、アメリカ軍が従軍記者に求めるルールすらも呵々と笑い飛ばす。そして信じられない勇気と大胆さ、機転によって危地を脱していく。特にイラクの砂漠のど真ん中のシーンは国や状況は全く異なるが『 ボーダーライン 』で、主人公舞台がメキシコ国境を車で超える時のような緊迫感に満ちていた。中盤以降は、迫撃砲や爆弾の着弾音がストーリーの基調音を形作って、観る者の不安と恐怖を掻き立てる。血と泥と煙と埃がスクリーンを覆い、我々はむせ返るようなにおいすら嗅ぎ取ってしまう。繰り返すが、本作はホラー映画でもあるのだ。爆撃機やミサイル発射台などは一切その姿を見せず、ただいきなり命が奪われていく。これは怪物や怪異の正体が全く分からないままに、ただただ不条理に命が奪われていくホラー映画の文法と共通するものである。

 

なぜこのような危険な場所に好き好んで赴くのか。それはコルビンの本能の為せる業なのかもしれない。漫画『 エリア88 』でもミッキーやシンは戦場での生の実感を平和の内に見出せなかった。コルビンも同じである。平和な世界では、彼女は酒に溺れてしまう。まるで常習的にDV被害に遭っている妻が、暴力夫のところに舞い戻る、または似たような暴力男と再婚するかのように、彼女は戦地に舞い戻る。ここまで来ると後天的な帰巣本能なのだろう。戦争・紛争の理不尽さを紙面で糾弾するのではなく、権力者に面と向かって指摘する。その場で逮捕拘束されて、処刑されてもおかしくないはずだ。それをコルビンはやる。彼女が伝えるのは、戦地で生きて死んでいく、何の変哲もない人々のことである。養老孟司と宮崎駿の対談本『 虫眼とアニ眼 』でも、両者は「我々は人類のことを考え過ぎている」と喝破しているが、コルビンは人類ではなく個々人を見、話し、書いた。個の強さが必要と叫ばれる現代において、彼女の生き方は模倣や追随の対象には決してならないが、大いなるインスピレーションの源泉にはなるだろう。

 

ネガティブ・サイド

同じような戦場ジャーナリストたちの描写がもう少し必要だったと思う。例えば、Jovianの先輩で戦地・紛争地取材に携わった方がおられるが、「オレ、もう花火大会行けないよ。あのヒュ~っていう音が怖いもん」と真面目な顔でおっしゃるのだ。戦地での極限的な恐怖の経験が、平和な社会の些細とも思える事柄によって呼び覚まされるのかという描写が欲しかった。が、これはクラスター爆弾事件を起こしてしまうような、極限まで平和な国に生きている者の出過ぎた要求か。

 

Wikipediaや各種英語のサイトを見回ってみたが、コルビンという無二の記者は、とんでもないモテ女にして、夜の武勇伝から、実際に戦地での英雄的行動の数々を含めて、personal anecdoteに事欠かない人物だったことは間違いないらしい。このような“事実は小説よりも奇なり”を地で行く人物像の描写がほんの少し弱かったように思う。ほんの一言二言でよいのだ。スター・ウォーズでハン・ソロがほんの少しだけ言及したケッセル・ランや、フィンが「トリリアの虐殺を知らないのか?」と言ったような、ちょっとした印象的な固有名詞を聞かせてもらえれば、あとはこちらが勝手に検索できる。そして、コルビンのレジェンドをビジュアルを以って脳内で再生できるようになるのである。

 

あとは、映画そのもののマイナスではないが、字幕で「鑑」であるべき箇所が「鏡」になっていた。翻訳者および構成担当者は注意されたし。

 

総評

何度でも書くが、本作はホラー映画である。しかし、幽霊やチェーンソーを持った殺人鬼が出てくるわけではない。何か大きな力によって意味も分からずに人が死んでいく、そのことに義憤を感じた硬骨のジャーナリストの後半生を追ったヒューマンドラマでもある。領土を取り返すには戦争をするしかない、などという痴人か愚人か狂人にしかできない発言を国会議員が堂々と行い、それでいてお咎めなしという日本の平和は確かに享受すべきで、維持していくべきものだ。しかし、その平和が失われるとはどういうことかについて我々は余りにも無自覚すぎる。メリー・コルビンという記者の生き様を、今ほどこの目に焼き付けるにふさわしい時期は無いのではないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You bet.

 

「もちろんだよ」、「オーケー」、「だな」のような肯定や確信の意味を伝える時、そして“Thank you”の返事をする時にさらっとこう言えるようになれば、その人は英語学習の中級者である。本作ではさらにカジュアル度の高い“No shit” という表現も使われている。こちらは「馬鹿言ってんじゃねー、当たり前だろうが」のようなニュアンスである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, イギリス, ヒューマンドラマ, ホラー, ロザムンド・パイク, 監督:マシュー・ハイネマン, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『 プライベート・ウォー 』 -ジャーナリズムの極北と個の強さ-

『 ヒンディー・ミディアム 』 -インド版パパママお受験奮闘記-

Posted on 2019年9月13日2020年4月11日 by cool-jupiter

ヒンディー・ミディアム 70点
2019年9月8日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:イルファン・カーン サバー・カマル ティロタマ・ショーム
監督:サケート・チョードリー

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日本でも一頃、お受験をテーマにしたテレビドラマが流行していた。日本でも受験の低年齢化が進んだが、結局は学力レベルの二極化を推し進めてしまっただけのように感じる。だが、インドという国に根強く残る格差は、日本のそれとの比ではない。だからこそ、インドは自国の問題点を映画にして世界に発信するのだろう。

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あらすじ

デリーで生地屋を営むラージ(イルファン・カーン)とその妻ミータ(サバー・カマル)は娘に最高の教育を与えたいと思い、進学先を選ぼうとする。しかし、学校によっては親の学歴や住所までが合否の判断材料になると分かり、家族は高級住宅地に引っ越すも、受験結果は全滅。しかし、貧困層救済のための受験枠があることが分かり、彼らは貧民街へと引っ越すが・・・

 

ポジティブ・サイド

よく言われることであるが、小さな子どもほど有望かつ確実な投資先は存在しない。そして、その投資とは教育に他ならない。それはスポーツかもしれないし、音楽や芸術かもしれないし、学業かもしれない。いずれの分野に投資するにしても、その投資効率を最大化する為には、できるだけ早い段階で教育を始めることである。この場合、子ども自身の嗜好や適性を考慮すべきかどうかは、タイガー・マザーという言葉がアメリカで聞かれるようになって以来、常に論争の的となっている。

 

インドでも事情は似たり寄ったりのようである。ただし、急激な発展を遂げている最中とはいえ、その発展の波に乗れない、あるいは乗せてもらえない地域や集団も存在する。そうした特定の弱者やマイノリティーへの配慮が存在するところ、そして、裕福な家庭の子女がそうした制度を悪用としようとするところ、さらに、そうして入学した学校の校長がとんでもない人物であるところに、本作の見どころがある。コメディでありながら、刺すべきところが鋭く刺し、抉るべきところは深く抉る。

 

イルファン・カーンは『 ジュラシック・ワールド 』では真面目そうなビジネスマンだったが、元々はコメディ畑の人なのかな。嫁さんの尻に敷かれっぱなしの姿に、自分を見出す男性観客は多いだろう。そして、最後に見せる雄姿にエンパワーされる男性諸賢もきっと数多くいることだろう。

 

ラージの妻を演じたミータ役のサバー・カマルは初めて見たが、笑ってしまうほどにchew up the sceneryな役者さんである。パキスタン人とのことだが、『 バジュランギおじさんと、小さな迷子 』で描かれていたように、インドとパキスタンは政治的緊張をはらみながらも、文化交流は絶やしていないようである。どこかの島国と半島は両国の関係を見習うべきであろう。

 

『 あなたの名前を呼べたなら 』のティロタマ・ショームも教育コンサル役で良い味を出している。鼻持ちならない感じをギリギリで抑えつけているようで、主演を張った前作とはまるで別人。役者というのはこうでなければ。

 

貧民窟での迫害と交流、日雇い労働現場の劣悪な就業環境と冷徹なビジネスの論理、教育の崇高さと学歴社会の邪悪さ、そうした社会問題を全て包括した笑えないようで笑えてしまうコメディである。

 

ネガティブ・サイド

冒頭のラージとミータの馴れ初めのシーンは必要だっただろうか。美しい歌の調べに乗って、二人の距離が縮まっていくのは良いが、それらのシーンが主題=お受験とのつながりを欠いているように感じた。このシークエンスはバッサリとカットしてしまうか、そうでなければ10分ほどを費やして、二人の学校生活やインド社会全般における受験戦争の模様などを映像で語るべきだった。二人の若い頃の関係がもう少し丹念に描かれていれば、つまり、ラージがどれくらいミータに惚れこんでいるのかを観る側にもっと共感させることができていれば、ラストのラージの告白(二重の意味で!)がもっとドラマチックに、そしてロマンチックになっただろうと思えてならない。

 

グラマー校の校長を演じたアムリター・シンの迫力と圧力が、何故かもう一つ伝わってこなかった。うちの卒業生は云々の脅し文句が、『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』のトラスク校長と丸かぶりしているからだろうか。

 

これは日本の広報担当を責めるべきかもしれないが、「英語が話せないなんて!」というキャッチフレーズをあまりにも大きく目立たせ過ぎだ。愛娘を私立にやるか公立にやるかというテーマの裏には、英語の運用能力ではなく愛情があるのである。教育とは科目や学歴ではなく、親や保護者の愛情が形を変えたものなのだ。教育が目指すべきは能力の獲得以上に、人間性の向上なのだ。英語云々を大々的に押し出すのは皮相的である。

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総評

本作もインド社会の発展と矛盾を間近に見ることができて、非常に興味深い。また、そこに自国の事情や自分自身の家族を重ね合わせてみることで、様々な反省作用も生まれてくるだろう。減点材料にしたが、英語は確かに重要な技能だ。入試改革で、英語の民間試験の導入については大揉めに揉めているが、日本も遅かれ早かれ、英語の運用能力は自動車の運転免許のように、必須ではないが持っていないことで「え?持ってないの?」と言われるような一種のコモディティになるだろう。ピアぐらいの年齢の子を持つ親世代の日本人こそ観るべき作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

The customer is a god, but a wife is a goddess.

 

ラージの台詞である。「お客様は神様だが、妻は女神様なんだ」のような字幕だった気がする。イスラム以外のインドの宗教は基本的に多神教なので、冠詞のaを上ではつけている。英語の正式な慣用表現では、“The customer is always right.”と言う。機会があれば、これも使ってみよう。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イルファン・カーン, インド, カバー・サマル, コメディ, ティロタマ・ショーム, 監督:サケート・チョードリー, 配給会社:カラーバード, 配給会社:フィルムランドLeave a Comment on 『 ヒンディー・ミディアム 』 -インド版パパママお受験奮闘記-

『 ゴーストランドの惨劇 』 -変化球ホラー映画-

Posted on 2019年9月10日2020年4月11日 by cool-jupiter
『 ゴーストランドの惨劇 』 -変化球ホラー映画-

ゴーストランドの惨劇 65点
2019年9月5日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:クリスタル・リード アナスタシア・フィリップス エミリア・ジョーンズ テイラー・ヒックソン
監督:パスカル・ロジェ

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劇場の新作予告での非常にユニークな宣伝文句に惹かれた。すなわち【2度と見たくないけど、2回観たくなる】に。また、【 姉妹が その家で再会した時 あの惨劇が再び訪れる―などという ありきたりのホラーでは終わらない 】や【 観る者を弄ぶ絶望のトリック 】という挑発的な惹句にもそそられた。結果はどうか。まあまあであった。

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あらすじ

叔母の家を相続したベス(エミリア・ジョーンズ)とヴェラ(テイラー・ヒックソン)の姉妹とその母と共に人里離れた屋敷に移り住んできた。しかし、キャンディ屋に扮した異常な二人組の侵入により、屋敷は惨劇の場に。母は娘たちを守らんと決死の抵抗を試みて・・・

 

ポジティブ・サイド

確かに凡百のホラー映画とは違う。そこに『 キャビン 』との共通点を感じる。ネタバレになりかねないので白字で書くが、本作を観て以下の作品を思い出した。

 

『 バタフライ・エフェクト 』

『 ミスター・ノーバディー 』

『 スプリット 』

『 カメラを止めるな! 』

 

残暑も厳しいし、サメかゾンビか、それとも普通のホラー映画でも観るか、のような軽いノリで鑑賞する作品ではない。かといって、骨の髄までホラー映画ファンでなければ観てはならないのかというと、そんなことはない。確かに、タイトルにある惨劇の名に恥じないキツイ描写はあるが、本作の真価はそこにあるのではない。Jovianが脚本家なら、このtwistを最後の最後に持ってきて、観客をflabbergastedな状態に放置して終わりにしてしまうことだろう。そして、それも脚本執筆段階では選択肢にあったはずだ。しかし本作の製作者たちは、ジェットコースター的な展開を選択した。真相が明かされたところからが本番なのだ。普通の90分のホラー映画文法に従えば、最初の15~30分でキャラクターと舞台を説明/描写する。30~70分で惨劇を描く。70~90分で窮地を脱してエンディングとなるだろう。だが、本作はそこをひっくり返した。惨劇の開始までが圧倒的に短く、窮地を脱するまでが最も長いのだ。それでいて90分に収めてしまうのだから、パスカル・ロジェ監督の手腕は見事である。

 

主演のエミリア・ジョーンズはまさに人形のような可愛らしさで、やはりホラー映画は美少女または美女の顔が苦痛にゆがむのを眺めて悦に入るための小道具であることを実感。そうした王道、場合によってはこの上なく陳腐な展開を、超絶技巧で圧縮してしまった本作は、近年のホラーの中でも出色の出来である。ベスの最後の意味深な台詞にもにやり。ホラー映画にこそ余韻が必要なのである。

 

ネガティブ・サイド

展開は途中までは陳腐そのものであるが、こけおどし的な手法の多用も陳腐である。つまり、ジャンプスケアが多すぎるのである。いつになったら「怖い」と「びっくりする」をホラー製作者たちは区別するようになるのか。『 来る 』や『 貞子 』が怖くないのも、作り手が怖がらせようと意識しすぎるからだ。視覚的に怖がらせるのであれば、『 エクソシスト 』の、ベッド上で、膝から上だけでドッタンバッタンするシーン、首が180度回転するシーン、仰向けのまま階段を這い降りるシーンでもう十分に怖い。そうではなく、もっと映画を観終わってからも誰かに心臓を握りしめられているような感覚を味わわせてほしいのだ。例えば『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』の意味不明なラストのテント内のシーンが、序盤の街の声を思い出すことによって、とてつもなく恐ろしいものに変貌したり、あるいは黒沢清監督の『 CURE 』のラストシーンの一見何気ない行動をとっているように見えるウェイトレスなど、考えることによって生まれてしまう恐怖感が、もっと欲しいのだ。

 

個人的に他にも気になったのは、オープニングがまるっきり『 レディ・バード 』だったこと。これもこれで、一種のホラー映画のオープニングあるあるなのだろうか。母と娘の関係を深読みしすぎてしまったようである。これは狙ったmisleadingなのだろうか。

 

総評 

ホラー映画ファンならば劇場へGoだ。美少女好きな映画ファンも劇場へGoだ。幽霊はちょっと・・・という方には朗報だ!本作はそのタイトルにもかかわらず、幽霊は出てこない!とにかく劇場にGoだ!

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I can’t wrap my mind around ~

 

wrap one’s head around ~ = ~を理解する、という慣用表現。

 

Once you are able to wrap your head around Blade Runner, go for 2001: A Space Odyssey.

I still can’t wrap my head around what this company is aiming to do with this project.

 

等のような使い方をする。自分でも練習してみよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アナスタシア・フィリップス, エミリア・ジョーンズ, カナダ, クリスタル・リード, スリラー, テイラー・ヒックソン, フランス, ホラー, 監督:パスカル・ロジェ, 配給会社:アルバトロス・フィルムLeave a Comment on 『 ゴーストランドの惨劇 』 -変化球ホラー映画-

『 ガーンジー島の読書会の秘密 』 -絆と信頼の物語-

Posted on 2019年9月7日2020年4月11日 by cool-jupiter

ガーンジー島の読書会の秘密 70点
2019年9月1日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:リリー・ジェームズ
監督:マイク・ニューウェル

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Jovianはアンニャ・テイラー=ジョイ、ヘイリー・スタインフェルド、そしてリリー・ジェームズ推しである。『 シンデレラ 』以来、彼女の虜なのである。どれくらいファンなのかというと、彼女が脱いでいる『 偽りの忠誠 ナチスが愛した女 』は観ないと決めているほどである。なので、どうしても点数が甘くなるのである。

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あらすじ

 

作家のジュリエット(リリー・ジェームズ)は、偶然からガーンジー島の住民と文通を始める。そして、ナチス占領下で始まったガーンジー島の読書会に惹かれ、ついに島を訪れる。しかし、そこには会の創始者であるエリザベスの姿がなかった。ジュリエットは島民たちとの交流を通じて、真相を追うが・・・

 

ポジティブ・サイド

ナチス・ドイツに占領されていた島の住民が抱える秘密となれば、その中の一人あるいは相当数がダブル・エージェントだったと考えるのが自然だろう。冷戦時代をフィーシャーしたスパイ小説や現代のスパイ映画に余りにたくさん接してしまうと、戦時の秘密=裏切りという思考の陥穽にはまってしまう。本作はそのようなclichéにはあらず。また、島民たちの人間関係にもダークな面はあるものの、横溝正史が描いたりするような日本の閉鎖的な田舎のそれではないので、安心してほしい。

 

リリー・ジェームズは本作でも可憐である。しかし、単なる可憐な花ではない。彼女は文通から始まったガーンジー島の住民との交流と、島への訪問、そして読書会への参加に大いなる喜びを感じながらも、その喜びがロンドンで得られるそれはとは異なる類のものであることにも気づいてしまう。これは、ジュリエットが与えられる幸せではなく、自らが幸せを掴み取りにいく物語なのである。女性に対しては自立を促すメッセージ性を有しており、男性に対しては自身を持つように促すメッセージ性を有している。

 

『 ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男 』と同じく、リリー・ジェームズがタイプライターをカタカタと叩き、『 マイ・ブックショップ 』的な雰囲気がほんのり漂うガーンジー島の物語は、戦争後に個人が依って立つべき生きる基準のようなものが示してくれる。

 

ネガティブ・サイド

ガーンジー島の読書会の面々は、少し口が軽すぎる。スリルやサスペンスが今一つ盛り上がらない。なぜエリザベスの姿が見えないのか。彼女が消えた理由は何か、どこへ行ったのか。それらが解き明かされる際のカタルシスが弱い。というのも、それがある意味でデウス・エクス・マキナ的にもたらされるからである。

 

またジュリエット自身が少々無節操に見えてしまうのも弱点である。アメリカ人の婚約者とガーンジー島の読書会のメンバーの間で揺れ動くのは、clichéと言えばclichéであるが、許容可能な定番設定である。しかし、編集者の男性にまで思わせぶりな態度を取る必要はない。というよりも、このキャラは普通に女性で良かったのではないか。何でもかんでも現代的にアレンジすれば良いというわけではない。

 

島の人間関係に、あまりにも戦争が影を落とし過ぎているのも、ちと気になった。日本ほどではないだろうが、英国も多様な文化を誇る島国。それはつまり、多種多様な人間関係の模様があるということである。それが、あまりにも戦争一色に塗り変えられたように感じられた。島民たちの間にはもっと清々しく、もっとドロドロした人間模様が戦争前からあったはずだ。それが感じ取れなかった。そういうものを消し去ってしまうのが戦争だと言ってしまえばそれまでかもしれないが。

 

総評

ヒューマンドラマの佳作である。ミステリ要素もサスペンス要素もそれほど強くないが、島民たちが触れようとしない真実の物語が、主人公の成長の軌跡と不思議なシンクロをしているところが印象的である。ぜひ劇場にどうぞ。一人でも多くの方に、リリー・ジェームズのファンになってもらいたいものである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Off you go.

 

『 デッドプール 』でもエド・スクラインが使用していた台詞である。「もう行ってくれ」、「出て行け」、「さあ、行った行った」のようなニュアンスで捉えればよいだろう。

 

I am all ears.

『 GODZILLA ゴジラ 』でデヴィッド・ストラザーンが渡辺謙に言う台詞でもある。「聞こう」、「ぜひ聞きたい」、「あなたの話をしっかりと聞くつもりだ」というニュアンスと思えばよい。

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イギリス, フランス, ラブロマンス, リリー・ジェームズ, 監督:マイク・ニューウェル, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 ガーンジー島の読書会の秘密 』 -絆と信頼の物語-

『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』 -パラレル・ワールド・ハリウッド・ストーリー-

Posted on 2019年9月6日2020年4月11日 by cool-jupiter

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 65点
2019年9月1日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:レオナルド・ディカプリオ ブラッド・ピット マーゴット・ロビー
監督:クエンティン・タランティーノ

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映画のタイトルとは何か。それは映画のプロットの究極の要約であり、映画のキャッチコピーでもある。つまり、これは昔話なのだ。昔話については『 サッドヒルを掘り返せ 』で少し触れた。端的に言えば、昔話とは心の原風景の物語である。そう、これはタランティーノの心の原風景にあるハリウッドの物語なのだ。

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あらすじ

リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)は俳優。そのスタントマンのクリス・ブース(ブラッド・ピット)はショーファーにしてシャペロン、公私にわたって兄弟以上妻未満のパートナーだった。だが、プロデューサーからはイタリアで映画に出演しろと言われ、リックは自分が落ち目であることを悟る。しかし、自宅の隣に『 ローズマリーの赤ちゃん 』の監督として絶大な人気を誇っていたロマン・ポランスキーとその妻にして女優のシャロン・テート(マーゴット・ロビー)が引っ越してきたことで、リックの役者魂は再び燃え上がり・・・

 

ポジティブ・サイド

レオナルド・ディカプリオは一作ごとに役者としての階段を駆け上がっていくようだ。どの作品を観ても、それがディカプリオの最高傑作のような気がしてくる。というのは、Jovianがディカプリの代表作の『 タイタニック 』を今もって未鑑賞だからなのだろうか。劇場公開時、Jovianは大学一年生だったが、当時のdream girlから「一緒に観に行こう」と言われて、それを言葉通りに受け取ってしまった。いつの間にか劇場公開は終わってしまっていた。少年老い易く、恋実り難し。

 

Back on track. ディカプリオ演じるリック・ダルトンも、文字通り生涯最高の演技を劇中で披露する。『 ジャンゴ 繋がれざる者 』の解剖生理学の講義およびメイドの脅迫シーンに匹敵するように感じた。タランティーノとディカプリオにはgreat chemistryが存在するのは間違いない。彼が呟く“Rick Fucking Dalton”という一言は、『 ボヘミアン・ラプソディ 』でラミ・マレックがリハーサルの最後にクイーンのメンバーにエイズであることを告げた後に、自分はパフォーマーであり、“Freddie Fucking Mercury”だと宣言した一言と全く同じ意味とニュアンスだ。本作はリック・ダルトンではなく、レオナルド・ディカプリオその人の練習やリハーサル・シーンも垣間見え、レオ様ファンにとって貴重な資料的作品にも仕上がっている。

 

ブラッド・ピットはディカプリオの影法師的存在だが、最良の友人でもある。そして中盤に大きな見せ場が待っている。デヴィッド・フィンチャー監督の『 セブン 』と『 ファイト・クラブ 』を彷彿とさせるシークエンスは、サスペンスとテンションの山場である。そして最終盤にはタランティーノをタランティーノたらしめる最大の要素の一つ、すなわち“暴力”が爆発する。言葉そのままの意味で笑ってしまうほどにユーモラスで、しかし、BGM無しで鑑賞すれば、低級スナッフフィルムかと見紛うチープな凄惨さである。おまけの部分は『 ゴーストバスターズ 』的なギャグシーンである。

 

タランティーノが『 続・夕陽のガンマン 』を激賞していることはよく知られているが、本作は彼のマカロニ・ウェスタンへの愛着とオマージュに満ちている。タランティーノにとっての心の原風景は1960年代終盤のハリウッドとマカロニ・ウェスタンなのだろう。『 アンダー・ザ・シルバーレイク 』はハリウッドのアンダーグラウンドな面に光を当てた。『 ラ・ラ・ランド 』はロサンゼルスという土地へのラブレターだった。タランティーノは、ダークにしてチアフルなパラレル・ワールドのハリウッド世界がここに完成した。これでタランティーノも思い残すことが一つ減ったのだろう。『 マーウェン 』と同じく、芸術は人間よりも長く生きる。人間は変わるが、芸術は変わることなく存在し続ける。

 

ネガティブ・サイド

タランティーノはブルース・リーを一体何だと思っているのか。『 キル・ビル 』で見せたブルース・リーへのリスペクトは見せかけに過ぎなかったのか。それとも、タランティーノが評価するブルース・リーは俳優としてのブルース・リーであり、ブルース・リーその人の哲学や格闘能力ではなかったのか。ブルース・リーがハリウッドに及ぼした、そして現代にも残した影響の大きさを考えれば、本作におけるブルース・リーの扱いには賛否両論が出るだろう。というか、否が圧倒的に多いのではないだろうか。

 

“The Haunting of Sharon Tate”(邦題『 ハリウッド1969 シャロン・テートの亡霊 』)のニュースをたまたま読んでいたからよかったものの、Jovianの嫁さんはプロット全体を通じて何を言わんとしているのか、さっぱり分からなかったようである。確かに親切な作りであるとは言えない。ナタリー・ウッドをネタにするにしても、皆が皆、『 ウエストサイド物語 』などを観ているわけでもないはずだ。もう少し、この仮想のハリウッドについて説明的な要素が欲しかった。

 

総評

『 パルプ・フィクション 』のクオリティを期待してはならない。シャロン・テートやナタリー・ウッドについての知識がほんの少しでもあれば話は別だが、予備知識なしで観てしまうと、「各シーンは笑えたし、泣けたし、震えたけど、全体としては何だったんだ?」となってしまうだろう。劇場に向かうのであれば、これはクエンティン・タランティーノがハリウッドに関する記憶や思い出を自分なりに美化したパラレル・ワールド物語なのだと承知しておこう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’m sorry about that.

 

ディカプリオがこう言って涙を流すシーンがある。ポイントはaboutという前置詞である。be sorry about ~で、~について謝る、ごめん、すまない、などの意味になる。対して、be sorry for ~で、~を気の毒に思う、という感じの意味になる。前置詞に関しては覚えてしまうのが早道だが、文字だけではなく、状況とセットで覚えた方が断然良い。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, ブラック・コメディ, ブラッド・ピット, マーゴット・ロビー, レオナルド・ディカプリオ, 監督:クエンティン・タランティーノ, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』 -パラレル・ワールド・ハリウッド・ストーリー-

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