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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 韓国

『 聖女 Mad Sister 』 -韓流アトミック黒髪の爆誕-

Posted on 2020年5月4日 by cool-jupiter

聖女 Mad Sister 65点
2020年5月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:イ・シヨン パク・セワン
監督:イム・ギョンテク

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200504230112j:plain
 

『 THE WITCH 魔女 』や『 悪女 AKUJO 』に続く、韓流・戦うヒロイン(?)の系譜に連なる一作というTSUTAYAの触れ込みに惹かれた。またプロットも韓国映画ではずれが極めて少ない復讐もの。ということで借りてみた。

 

あらすじ

過剰防衛による服役を終えた警備員のイネ(イ・シヨン)は、軽度の知的障がいを持つ妹ウネ(パク・セワン)のもとへ帰ってくる。再会を喜ぶ二人。しかしウネは学校でいじめの対象になっており、美人局的な仕事をさせられていた。ヤクザ者の手に落ちたウネを取り戻すべく、イネは動き出すが・・・

 

ポジティブ・サイド

いきなり『 ミッドサマー 』の「顔面破壊」を彷彿させるオープニングである。否が応にも惨劇への期待・・・ではなく予感が高まる。そして、その予感は正しかった。韓国映画の特徴は容赦のないバイオレンス描写にあるが、本作でもそれは健在。というか、『 THE WITCH 魔女 』や『 悪女 AKUJO 』のような斬新なアトラクション的カメラワークよりも、オーディエンスに劇中キャラクターが感じる痛みを伝えることにフォーカスしたカメラワークと演出が非常に多い。たいていの人はドアに指を挟んだ経験があるだろうグロ描写は極まるとコメディになるが、本作は視覚的に気持ち悪いということ感覚的に痛いということの差をよく理解した者によって作られている。

 

男を踏みつけるという一種のメタファー的な行為は『 ワンダーウーマン 』でも取り入れられていた(鐘楼のスナイパーのシーン)が、本作の聖女もやっぱり男を踏みつける。なぜに赤いワンピースとハイヒールで大立ち回りを演じるのかと疑問に思うが、中盤のとある踏み付けシーンの痛みを倍加させるためである。終盤には『 アトミック・ブロンド 』のシャーリーズ・セロンばりにハイヒールを武器に転化。お約束の攻撃だが、これも痛い。主演のイ・シヨンは元ボクサーというよりも元総合格闘家、いや、それ以上の何かだ。パンチのみならずキック(膝蹴り含む)に関節技まで織り交ぜて、ナイフ、スタンガン、銃と武器の扱いにも長けている。警備員ではなく、どう考えても『 アジョシ 』同様に韓国軍の特殊部隊上がりとしか思えない。ノースタントでこなしたという数々のアクションは必見。特に中盤の対ヤクザの車内バトルは、一瞬で車の中から外に移動するカメラワークとロングのワンカット構成で見ごたえは抜群、見ているこちらの痛覚もばっちり刺激される。

 

その聖女に引けを取らないのは妹ウネを演じたパク・セワン。韓国映画は『 殺人の追憶 』や『 母なる証明 』のように障がい者を重要な役に配置することが多い。それは取りも直さず、障がい者への接し方について伝えたいメッセージがあるということだ。ウネの受ける暴力と性的な虐待は正視に堪えない。『 トガニ オサキナ瞳の告発 』同様に、精神的にかなり削られる描写が多い(尺はそれほど長くないが)。だからこそ、聖女の過剰とも思える暴走が観る側に勧善懲悪的なアクションとしての説得力を抱かせる。このコントラストのつけ方は恐ろしいほどに鮮やかだ。『 スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼 』の白石麻衣が「体を張った」だの「体当たりの演技」だのとちやほやされるうちは、日本の10代20代の女優は韓国の同年代女優たちには勝てない。

 

日本はテレビドラマ『 聖者の行進 』以降、障がい者への容赦のない暴力やレイプを真正面から映し出す作品はあまり作られてこなかった。あったとしても『 パーフェクトワールド 君といる奇跡 』や『 レインツリーの国 』など、どこかromanticというよりもfantasticalな作風の映画ばかりである(『 こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 』は実話ベースなのでちょっと違う)。『 37セカンズ 』のダークな一面をもっと映し出すような作品は、日本でも作れるはずだし、そのような作品を作らねばならないという意識の作り手もいるはずだ。リメイクするか、日本オリジナルのマッド・シスターを生み出してほしい。

 

ネガティブ・サイド

イネは服役帰りという設定だが、このあたりが説得力に欠ける。なぜイネは起訴され、有罪判決を受け、刑務所に行かざるを得なかったのか。事の顛末は中盤に明らかになるが、これで執行猶予がつかない韓国司法に喝!イネの過失はほとんどないだろう。もっとアクシデント、あるいはイネのミスの要素が多くないと、イネの服役に説得力がない。

 

バトルシーンのクオリティが終盤に近付くにつれ低下していくようにも感じた。『 悪女 AKUJO 』は序盤、中盤、終盤ともに隙のない上質のアクションを放り込んできたが、最終盤の大乱闘の迫力が序盤、中盤のそれを上回らなかった。角材という割と身近にある(少なくとも銃や刃物よりは)ものを使ったのはグッドアイデア。問題は、それを使っての驚くべきバトルシーンの演出の不足である。そうだ、いつの間に左拳にバンデージを巻いたのだろうか?

 

総評

韓国映画界からは“バーズ・オブ・プレイ”に参加できそうなタフな女性ヒーローが陸続と生み出されている。そのことが韓国映画特有のバイオレンスや容赦のない愛憎劇の要素をいささかも減じていない。日本でリメイクにトライしてほしいと思える作品である。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

オンニ

女性が年上の姉妹あるいは女性を呼ぶときの呼称、つまりは「お姉さん」である。血縁の有無に関係なくこのように呼ぶところは日本語との共通点である。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクション, イ・シヨン, パク・セワン, 監督:イム・ギョンテク, 配給会社:カルチュア・パブリッシャーズ., 韓国Leave a Comment on 『 聖女 Mad Sister 』 -韓流アトミック黒髪の爆誕-

『 悪魔の倫理学 』 -Demons live inside us-

Posted on 2020年5月3日2020年5月3日 by cool-jupiter

悪魔の倫理学 60点
2020年5月1日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:イ・ジェフン ムン・ソリ
監督:パク・ミョンラン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200503003535j:plain
 

近所のTSUTAYAで『 悪魔を見た 』が借りられていたので、すぐそばにあった本作をチョイス。これはこれでなかなかの出来栄えだった。韓国人は内面と外面が演技に直結しているのがいい。

 

あらすじ

女子大生のジナが死んだ。殺害されたのだ。それにより、ジナと不倫関係にあった大学教授、ジナの生活を盗聴することに喜びを感じる警察官の隣人、そしてジナに多額の借金を押し付けるヤクザ者、それぞれの悪魔的な内面が露わになっていき・・・

 

ポジティブ・サイド

どいつもこいつも、清々しいまでに嫌な奴らである。『 アウトレイジ 』の【 全員悪人 】ならぬ【 全員嫌な奴 】である。そうした連中を見ていても、腹立たしい気分にならない。これは凄いことである。大学教授や警察官は往々にして嫌味ったらしい人種であるが、嫌味ったらしさ全開でいることが、時に同情的に、時に滑稽に映る。そのすべてがサスペンスフルな終盤につながっていく。

 

印象的なのは高利貸しの男。長広舌からの女性への暴言および暴力、そして「 我怒る、ゆえに我あり 」という哲学者デカルトのパロディ。「ラテン語では・・・」のくだりが途中で終わってしまったので、第二外国語で古典ラテン語を学んだJovian先生が補足する。“Irascor ergo sum”= I get angry, therefore, I am. 韓国らしいと言えば韓国らしい。

 

警察官で盗聴魔の男も魅せる。日本でリメイクするなら、この役は伊藤淳史で決まりだろう。警察官でありながらも盗聴という犯罪行為にのめりこむ。その背徳的な快楽に抗えない、非常に情けない様を見事に体現した。こういう色々なものを内に秘める、溜め込むタイプほど、爆発すると怖いものである。そして実際に爆発した。これも韓国らしいと言えば韓国らしい。

 

大学教授のオッサンもキャラが立っている。中年のプロフェッサーが若々しい女子大生と関係を持つというのはこれ以上ないクリシェであるが、本作でこの教授を際立たせているのは、妻の存在とその関係性であろう。不倫した夫に、「プロポーズの時の言葉を思い出せるか?」と問うのは、古今東西のクリシェである。ドラマの『 スウィート・ホーム 』でも、布施博がしどろもどろになりながらも、何とか山口智子に正解を伝えたシーンを当時10代半ばの純粋純情純朴だったJovian少年は緊張感をもって眺めていた。「浮気はしたらあかんな。もし浮気しても、初心を忘れたらあかんな」と思ったものである。この大学教授のプロポーズの言葉は、多くの男から喝采と共感を集めることであろう。彼こそ、男の中の男である。男はよく頭と性器それぞれに脳があるなどと言われるが、蓋し真実であろう。世の男性諸氏は、この大学教授に共感するか、それとも反感するかを、よくよく分析されたい。それにより自分の心根が見えてくる。教授という非常なるインテリ人種が、下半身に支配されているという事実に、我々はほくそ笑むと同時に心胆寒からしめられるのである。

 

だが、『 悪魔の倫理学 』という邦題の“悪魔”が指す存在は別にいる。ボワロー&ナルスジャックの小説『 悪魔のような女 』を例に挙げるまでもなく、「悪魔のよう」という形容詞はしばしば女性に使われる。小悪魔的、という語は好個の一例だろう。日本語でも、我々はしばしば「鬼嫁」とか「鬼婆」とか、鬼という言葉を女性につけるではないか。既婚女性を「鬼女」と略すのもむべなるかな。男というのはアホな生き物であり、女性というのは悪魔的にしたたかな生き物である。これまた韓国らしいと言えば韓国らしい。

 

ネガティブ・サイド

盗聴という隠微な趣味を描写するのに、もう少し別の演出方法があったのにと思う。ジナの寝室からの嬌声を聞くことにこの上ない喜びを見出すのに、ジナの声をダイレクトにオーディエンスに聞かせるのではなく、イヤホンからほんのわずかにその声が漏れ聞こえる。そして、その声に恍惚とした表情で聞き入るイ・ジェフンを映し出せなかったか。『 建築学概論 』でも、なかなか意中の女子とお近づきになることができなかった男子大学生的に、あるいは『 アンダー・ユア・ベッド 』的な、触れたくても触れられない、あるいはそもそも触れなくても満たされてしまう。そんな屈折した性癖を、もっと効果的に演出することができたはずだ。もっと言えば、盗撮は必要なかった。やるとすればどちらかだけで良い。

 

誰もかれもがキャラが立っているのは本作のポジティブであるが、キャラが立ちすぎているせいでストーリーがなかなか前進しないところも少々気になった。キャラを映すことが、ストーリーの発展とイコールにならないところはマイナスである。

 

とある血の海のシーンは決定的にダメだ。カメラが映り込んでしまっている。一部の例外的な映画を除いて、カメラの存在を観る側に意識させた時点で負け、失敗作なのである。ましてや、カメラをうっすらレベルではなく、これほどはっきりくっきりと映してしまったというのは、本作の製作・編集上の大失敗である。

 

総評

こういう作品は、だいたいにおいて言葉と言葉のぶつかり合いで男たちは自分の思いの丈、思慕の念の深さを競い合うものだが、韓国映画はそんな生ぬるいやり方は好まない。きわめてフィジカルなやり取りにまで行き着く。クライマックスの、文字通りの意味でのタマの取り合いは非常にエキサイティングだ。そしてそれ以上に、エンディングのシークエンスは、我々善良かつ小心な男性を震わせる。途中の展開がもたつくが、a rainy day DVDとして鑑賞するのが良いだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I think, therefore I am.

中世フランスの哲学者デカルトの思想の根幹、「我思うゆえに我あり」である。ラテン語ではCogito ergo sum. である。I ~, therefore I am. はパロディ化するのに適したテンプレートである。自分で

I eat, therefore I am.

I work, therefore I am.

I study, therefore I am.

などと自分バージョンの格言を作ってみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, イ・ジェフン, サスペンス, ムン・ソリ, 監督:パク・ミョンラン, 韓国Leave a Comment on 『 悪魔の倫理学 』 -Demons live inside us-

『 アジョシ 』 -孤高の韓流ダーク・ナイト-

Posted on 2020年4月26日2020年12月13日 by cool-jupiter

アジョシ 80点
2020年4月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ウォンビン キム・セロン 
監督:イ・ジョンボム

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200426120104j:plain
 

『 母なる証明 』のウォンビンが、『 オールド・ボーイ 』のキーワード、孤独で過去に囚われた“アジョシ”になる。それだけで、何か胸が締め付けられていくような気分になる。そして、実際にこれほど胸が締め付けられる作品は極めてまれである。

 

あらすじ 

場末の質屋を営むテシク(ウォンビン)は、隣の部屋の娘、ソミ(キム・セロン)とささやかな交流を持っていた。だが、ソミの母親が地下組織から麻薬を掠め取ったことから、ソミは麻薬と人身売買をなりわいとする組織に連れ去られてしまう。テシクはソミを助け出すべく、動き出す・・・

 

ポジティブ・サイド

カメラワークや照明、小道具に大道具まで、あらゆるスタッフが奮闘したことが伝わってくる、まぎれもない傑作。その中でも、役者の存在感が際立っている。特に子役キム・セロンは、出演時間こそ短いものの、印象的なシーンをいくつも残した。特に序盤、路地での悲痛なまでの心情の吐露。これには打ちのめされた。劇中のテシクならずとも、子どもがこのように大人に対してくれば、どのような凍てついた心も溶けるだろうし、どのような燃え盛る怒りも静まるのではないか。『 トガニ 幼き瞳の告発 』でも感じたが、韓国映画は子役/子どもであっても、演出面で容赦も妥協もしない。苛烈で過酷な環境に置かれた子どもたちの姿には吐き気を催すが、その中にあってもソミの純粋さと優しさは失われない。殺し屋相手にも無垢でまっすぐな視線でもって語りかけ、傷口に絆創膏を貼ってやる。その行為はソミというキャラをしっかり立たせ、さらに終盤の展開への伏線としても機能している。なんという無駄のない、計算された脚本か。

 

だが、役者でいえば何と言ってもウォンビンだ。ウォンビンの存在感、アクション、韓国の俳優らしから無表情の演技、しかしその目は言いようのない怒りや悲しみを何よりも雄弁に語っている。ポリティカル・コレクトネスに無頓着だった時代、我々はよく「男は黙って・・・」という枕詞を多用していた。ほとんど台詞らしい台詞を発することのないテシクは、その意味では古き良き男の像を体現していた。ソミを拉致したラム兄弟一味の用心棒であるラム・ロワンとのトイレでの決闘シーンは、清潔なトイレに血が飛び散るという光景が、血の赤をより際立たせる。かなり狭い空間でのバトルであるにも関わらず、カメラアングルも多彩で、hand to hand combatのシーンもロングのワンカット。両者ともに魅せる。『 不能犯 』の宇相吹正そっくりのいでたちと髪型から、中盤にバリカンで髪を一気に刈り上げ変身するシーンは鳥肌もの。見事に割れた腹筋がサービスで披露されるからではない。『 続・夕陽のガンマン 』で、イーライ・ウォラックの演じた The Ugly のトゥーコさながらに、自分の銃の状態を手触りと音で確かめるからだ。我々はこの瞬間、テシクの底知れなさに戦慄する。同時に、テシクがマンソク兄弟とその一味にもたらすであろう死と破壊への期待が、否が応にも高まる。

 

クライマックスのアジトでの銃撃戦とナイフバトルはアクション映画のバトルの最高峰だろう。普通にテシクも手傷を負うところがよい。凡百のアクション映画は主人公が息も切らさず雑魚敵をなぎ倒していくが、普通はそれだけ動けば、どんな超人でもゼーゼーハーハー状態である。韓国映画がこだわりまくる血しぶきと土埃の演出は本作でも健在。肋骨の隙間を探るように連続で何度も雑魚敵の胸を刺していくテシクには戦慄させられる。単に殺すのではなく、苦痛を与えて殺す。その行為自体が強烈なメッセージだ。相手を殴る時には、頬は拳で、顎は掌底でヒットするようにしているところも見逃せない。そんなにベアナックルで殴りまくったら、普通に骨折するだろうというアクション映画は星の数ほど存在するが、ここでもテシクの体に染みついた殺人術、そのプロフェッショナリズムが見て取れる。ラム・ロワンとのナイフバトルは緊張感の極致。『 初恋 』の日本刀チャンバラをさらにクロースレンジに、さらに高速にした感じで、ヤクザではなく元軍人同士の戦いの様相が色濃く出た。テシクの禁断の噛みつき攻撃には痺れた。韓国映画にはタブーがないのか。

 

本作は登場人物すべてのキャラが立っている。悪役であるマンソク兄弟の悪逆非道さ、児童売買を斡旋し、警察のガサ入れにも平然とカップラーメンをすすり続ける老婆、車イスに乗った障がい者(のフリをした運び屋)に躊躇なく容赦なくドロップキックを見舞う刑事、常に煙草をくゆらせながらも、ここぞというところで煙草を自重する刑事、韓国版『 ローン・ガンメン 』のような警察官、ソミの万引き行為にも鷹揚に構える雑貨屋の店主など、雑多な人間がそれぞれにしっかりと輝いている。2010年代で最高の韓国映画の一本だろう。

 

ネガティブ・サイド

児童売買および監禁をしているばあさんに天誅は下らないのか。もちろん起訴されて間違いなく有罪判決が下るのだろうが、我々が欲するのはもっと直接的な罰の描写である。Jovianが監督なら、不敵にラーメンをすすり続けるばあさんからカップを奪い取り、汁ごと顔面に叩きつける。刑事にそれをさせる。これぐらいの演出は長幼の序を重んじる韓国といえど許容範囲内だろう。

 

ラム・ロワンとテシクの決闘で炸裂した禁断の噛みつきだが、ロワンの手に噛み跡をつけることができれば、まさにパーフェクトだったはず。画竜点睛を欠いたとまでは言わないが、まことに惜しいところだった。

 

後は、テシクの悲しい過去にもう一言だけあれば尚よかった。具体的には決して出会うことのなかった我が子が女の子だった、と分かるシーンがあれば、ソミとテシクの関係性により説得力が生まれたはずだ。

 

総評

児童売買、児童労働、麻薬密売、臓器密売。韓国社会の闇がすべて凝縮されたかのような作品である。そうした問題を決して放置してはならないという社会的メッセージを、凄惨なアクションを通じてオーディエンスに届けてきた。まさにエンターテインメント性と作家性の完全なる融合である。イ・ジョンボム監督の最高傑作で、これ以上のものは最早作れないだろう。絶対に無理だと思うが、日本でもリメイクしてほしい。とりあえずマンソク兄弟の弟は渡辺大知で。テシク役は『 図書館戦争 THE LAST MISSION  』で岡田准一と対決しそうで対決しなかった松坂桃李で。日活か東映が北野武に10億渡して監督させるべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

So what?

「それがどうした?」の意である。かなり挑発的な表現なので、使いどころに注意のこと。

例)

“The restaurant I went to yesterday was awesome.” “So what?”

“I passed the exam!” “So what?”

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, ウォンビン, キム・セロン, 監督:イ・ジョンボム, 配給会社:東映, 韓国Leave a Comment on 『 アジョシ 』 -孤高の韓流ダーク・ナイト-

『 悪女 AKUJO 』 -遊園地のアトラクション的アクションの数々を体験せよ-

Posted on 2020年4月19日 by cool-jupiter

悪女 AKUJO 80点
2020年4月19日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:キム・オクビン
監督:チョン・ビョンギル

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200419233311j:plain
 

劇場公開当時、心斎橋シネマートに行こう行こうと思いつつも、スルーしてしまった作品。近所のTSUTAYAでやっと準新作から旧作扱いに。満を持してレンタル。うーむ、韓国映画界では良い意味で頭のおかしい才能が育つのだなと感心してしまった。

 

あらすじ

スクヒ(キム・オクビン)は、殺し屋として自分を育てたジュンサンを愛し、結婚する。だが、そのジュンサンが敵対組織に暗殺されてしまう。復讐の鬼と化したスクヒは、敵アジトに乗り込み、数十人を皆殺しにする。逮捕されたスクヒは、その戦闘力から国家情報機関の手先として10年間働くことになり・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭の1分間はまるでFPS(first person shooter)のゲームである。ゲームセンターにあるゾンビを撃ち殺しまくるアレである。次の1分間は一人称視点での『 シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション 』で冴羽獠がジェロム・レ・バンナらを相手に大乱闘を繰り広げたシーンの屋内版である。そこからナイフバトルが1分間。逆手でナイフを使うのは『 96時間 』へのオマージュか。そして徒手空拳バトルが1分間。ブラック・ウィドウ的な黒のタイトスーツで、鉄棒を使ったジャッキー・チェン的アクションを彷彿させる。オープニングの掴みのシークエンスとしては、近年では『 ベイビー・ドライバー 』に次ぐものであったように感じた。

 

その他のアクションも楽しい。『 ニキータ 』や『 ジョン・ウィック 』的な、スタンディングのガン・アクションに、どこからどう見ても『 キル・ビル 』へのオマージュとしか思えない花嫁姿での銃撃。本作には古さと新しさが同居している。

 

個人的に最も面白いと感じたのは、高速走行バイクでの日本刀バトル。特に数台のバイクがカメラを一気に追い越したところを180度パンした瞬間に、視点がバイクと同じ高速移動に移行するシーンは、まさに観る者に疾走感を味わわせてくれる。そして漫画としか思えないような走行中のバイク同士のチャンバラ劇。最近リメイクが発売されたゲーム『 ファイナルファンタジーⅦ 』のバイクバトルを思い出させてくれた。日本刀を前輪ホイールに突き刺してバイクを止めるのは『 デッドプール 』へのオマージュか。そうそう、バイクのシーンではないが『 アトミック・ブロンド 』的なロープ・アクションもあった。

 

最終盤には邦画『 初恋 』がアニメーションでお茶を濁してしまったクルマの大ジャンプを敢行。そして、小説『 ブラック・プリンス 』に漫画『 シティーハンター 』、映画『 スター・ウォーズ 』が何度も繰り返し描いてきた師弟対決、そして親子対決(厳密には本作は夫婦対決だが、エンタメで分類すれば親子対決だろう)。ボンネットからクルマを運転するという狂気のカーチェイスからバス車内に飛び込んでの大乱闘は、手に汗握るを超えて笑うしかない仕上がり。『 オールド・ボーイ 』のチェ・ミンシクが金づちなら、本作のキム・オクビンは手斧。『 The Witch 魔女 』のジャユンに並ぶ韓流女性ダークヒーローの誕生である。『 ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY 』で、Birds of preyに入れてもらえるだろう。いや、逆に喧嘩になって皆殺しにしてしまうかもしれない。ハリウッドあたりが『 ジョン・ウィック 』ならぬ『 ジェーン・ウィック 』みたいなパロディを作ってくれないから。

 

ネガティブ・サイド

アクションはどれもこれも秀逸だが、同じ女性工作員との木刀バトルのシーンだけがイマイチだった。もっと尺を長く取るか、あるいは額から流血ではなく、腕や足に内出血させるような、観ているこちらが痛みをリアルに想像してしまうような演出が欲しかった。木刀とは、流血させるというよりも、打撃でダメージを与える武器だろう。

 

女衒としての諜報活動を見破られるシーンで、妙な血しぶきのかかり方があった。目の前で向かい合っている仲間が後ろから首を切られたのに、その返り血が正面にいるスクヒの顔にまともに当たっていたが、これはおかしい。仕込みの血袋からCG処理まで、韓国映画らしい血みどろの演出に凝っていたが、このシーンだけは決定的におかしいと感じた。

 

それにしても我々は『 ユージュアル・サスペクツ 』以来、足をひきずって歩く男を信じられなくなってしまった。邦画の『 愚行録 』しかり。このあたりはクリシェが過ぎたように思う。

 

ストーリーもあってないようなもの。古今東西、死ぬほど量産されてきた「死んだはずの奴が生きていた」と「出会ってはいけなかった二人」の物語のちゃんぽん。闘って何が解決するのか分からないが、闘わないことには何も解決しないというWWE的なノリで進んでいく。薄っぺらいのだ。しかし、孔子曰はく「備わらんことを一人に求むるなかれ」である。

 

総評 

日本でもリメイクすべし。スクヒは戸田恵梨香。クォン部長は真飛聖。ジュンサンは筧利夫。ヒョンスは大谷亮平。監督は、アイデア豊富な一点突破型の新人を思い切って抜擢すべし。上田慎一郎的な、一つのテイストに秀でた才能は日本にも眠っているはず。そうした在野の士を辛抱強く掘り起こしていくことが今後の邦画界に求められる。無難にまとまった作品はいらない。一芸に秀でたタレントを発掘し磨くべし。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

カジャ

軽く「さあ、行こう」みたいな場面でたびたび使われている。調べてみたら、やはりその通りの意味だった。言葉の意味はいきなり調べるのではなく、状況から類推する癖をつけておこう。語彙力=既知の言葉の量+未知の言葉の意味を推測する力、である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, キム・オクビン, 監督:チョン・ビョンギル, 配給会社:KADOKAWA, 韓国Leave a Comment on 『 悪女 AKUJO 』 -遊園地のアトラクション的アクションの数々を体験せよ-

『 オールド・ボーイ 』 -韓国ノワールの面目躍如-

Posted on 2020年4月14日2020年4月15日 by cool-jupiter

オールド・ボーイ 80点
2020年4月12日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:チェ・ミンシク カン・へジョン
監督:パク・チャヌク

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200414233705j:plain
 

心斎橋シネマートで韓国映画を観たいが、それもままならない。ならば近所のTSUTAYAの韓国映画コーナーで面白そうなものを借りてくるだけである。

 

あらすじ

オ・デス(チェ・ミンシク)はある日、突然誘拐され、以来15年間監禁されていた。部屋の壁を何とか削りながら、なんとか自力で脱出を果たせるかという時に、彼は突然解放される。途方に暮れるオ・デスは、しかし、自分を監禁した者への復讐を誓い・・・

 

ポジティブ・サイド

日本の漫画が原作ということだが、この映画のプロットと原作はどれくらい似通っているのだろうか。妥協しないバイオレンス・アクションと度肝を抜かれる展開に、2000年代の韓国映画の底力を見たような気がする。

 

あれよとあれよという間にオ・デスが監禁され、観る側はオ・デスと共に「何故?」「どこ?」「誰?」といった疑問を抱・・・く間もなく、オ・デスは復讐を誓い、ガムシャラに体を鍛え、『 ショーシャンクの空に 』のアンディのごとく、脱出を図る。そしていざ・・・という時に勝手に解放される。ここまでの展開のジェットコースター的なスピードよ。作る側は早くオ・デスを暴れさせたい、観る側は早くオ・デスが大暴れし、監禁された謎が解かれるのを見たい。両者の思いが見事にシンクロする。粗っぽく進行するのと、念入りに描写しながらもそのねちっこさを一切感じさせずスピーディーに進むのは全然違う。前者はアマチュアの仕事、後者はプロの仕事である。

 

シャバに舞い戻ったデスは、町のチンピラとの乱闘からイカの踊り喰いまで、監禁されていたとは思えないほどの健康的な振る舞いを見せる。いや、健康的というよりも、火山が噴火前にマグマをとことん溜め込むかのように、デスは監禁部屋の一室でマグマを内に溜め込んでいたのだ。デスとミドの出会いのシーンは一見して意味不明である。これもあれよあれよという間に話が進み、一気に恋仲になり燃え上がる二人になる。このあたりは昭和や平成初期の任侠映画や、アメリカン・ニューシネマの逃亡物のようである。それにしても、ミドを演じるカン・ヘジョンの何と官能的で魅力的であることか。『 RED 』の夏帆の2度目のラブシーンも艶めかしかったが、デスとのまぐわいは動物的と言おうか、愛情表現や濃密なコミュニケーションではなく、本能的につながってしまったという印象を強く受けた。美しいラブシーンではなく、荒々しいセックス。この演出が後々、二重の意味で効いてくる。一つはデスが自分を「獣にも劣る人間」と語るところ、もう一つは終盤のドンデン返しである。この計算された粗さと荒々しさというのがパク・チャヌク監督の持ち味なのだろうか。

 

アクションも楽しい。見ごたえがある。特に廊下の大立ち回りは、ロングのワンカットになっており、どれだけリハーサルを重ねたのか、心配になるほどの上々のクオリティ。何が素晴らしいかと言えば、ちゃんと主役の息が切れるアクションになっていること。これが例えばランボーやイーサン・ハント、ジェームズ・ボンドなら、息も乱さず雑魚を一掃するが、オ・デスはそうではない。テレビのボクシングを見様見真似で練習し、決して殴り返してこない壁を相手にパンチングを行い、妄想の中でスパーリングをこなしてきたのである。何人かを撃退したところでゼーゼーハァハァである。世間の評判はイマイチだったが、Jovianは同じ理由でシャーリーズ・セロンの『 アトミック・ブロンド 』を高く評価している。いくら主人公が強くても、息は絶対に切れるのである。それにしてもこの廊下の大乱闘の完成度の高さよ。特に、オ・デスが角材を右でガードしてからの左ストレートのカウンターを見舞う様は芸術的だ。

 

アクション以外の映像芸術面でも魅せる。デスが母校を訪ねるシーンも印象的。ホームページに映る校庭、そこで遊んでいる生徒たち、という動画が流れていると思わせて、そこにデスの乗る車が走って来るという映像のつなぎ方には唸らされた。セピア色の後者をかけるかつての自分を追いかけるシーンはベタな演出だが、謎解きの本質に迫る感じがしてグッド。手鏡と窓というガジェットの使い方も印象的である。それにしても、韓国というのは美女でも美少女でもどんどん脱ぐのだなと感心する。青春というのはキラキラと輝いている一方で、ドロドロの性欲に支配されている時期でもある。ついつい勢いでセックスしました、までは行かなくても過激なペッティングをしてしまいました、というのは説得力ある展開である。それもこれも、女優さんが文字通り一肌脱ぐから成立するんだよな。日本の二十歳前後の女優も頑張ってほしい。

 

終盤のドンデン返しは、箱の時点で感づいた。デヴィッド・フィンチャーの『 セブン 』以来、このような展開で箱を見ると中に最悪のものが入っているといやでも想像するようになってしまった。今作でもその予感は正しかった。うーむ、悔しいなあ。なぜ15年なのか。なぜ監禁者はデスを殺さなかったのか。なぜ監禁者は暴れまわるデスを一思いに始末しないのか。ここらあたりをとことん突き詰めて考えれば、人によってはあらすじから結末が読み解けるかもしれない。真相を知ったデスの振る舞いは、演技の域を超えてほとんど発狂した人間のそれである。イカの踊り喰いも、ある意味ではこの行動の前振りだったのか。ラストのデスの表情が物語るものは何か。『 殺人の追憶 』のソン・ガンホのラストの表情と並ぶ、渾身の顔面の演技である。やっていることは『 母なる証明 』の母に通底するものがあるのだが、これが韓国流の父性や母性の解釈なのだろう。人間の弱さや醜さ、汚さから絶対に目をそらさないという強さが、そこにはある。

 

それにしても本作の俳優さんたちは、なぜか日本の俳優に雰囲気がそっくりな人が多い。北村有起哉や中村獅童、千原せいじに水原希子などの顔がパッと浮かんできた。

 

ネガティブ・サイド 

15年ぶりに外の世界で出てきて、いきなり違和感なく携帯電話やパソコンを使うというのは少々疑問だ。この当時の携帯やPCは、『 スティーブ・ジョブズ 』が目指したような“子どもや高齢者でも直感的に使うことができるインターフェース”は実装されていない。テレビでプロダクトを見たからといって、いきなりそのまま使える代物ではない。解放された直後のオ・デスがもっと時の流れに戸惑うシーンが欲しかった。

 

欲を言えば、オ・デスが金づちをメイン・ウェポンに選ぶくだりをもっときっちりと描いてほしかった。DVDのカバーにもなっている、妖しいオーラを放つ不気味な中年が金づちを振りかぶっているという構図のインパクトは非常に大きい。このトレードマークとも言える金づちとデスの結びつきを示す演出が欲しかった。

 

総評

大傑作である。暴力も性も人間の業も、全てひっくるめてパーフェクトに近い。ハリウッドでリメイクされているが、これは日本版のリメイクも作るべきだ。というか、原作漫画は日本産なのだから、日本こそ本作を映画化すべきだ。制作委員会がガタガタうるさいのだろうが、日活あたりが腹をくくって制作費3~4億円ぐらいポンと出してくれないかな。主演は音尾琢真で、監督は三池崇史かなあ。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

アジョシ

「おじさん」の意である。劇中で何度も何度も使われるので、すぐにわかる。英語でも韓国語でもロシア語でも、語学学習で大切なことは“正しい文脈の中で学ぶ”ということである。そうした意味で、映画は語学学習の非常に大きな助けになってくれる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, A Rank, カン・ヘジョン, スリラー, チェ・ミンシク, 監督:パク・チャヌク, 配給会社:東芝エンタテインメント, 韓国Leave a Comment on 『 オールド・ボーイ 』 -韓国ノワールの面目躍如-

『 エンドレス 繰り返される悪夢 』 -韓流タイム・ループの佳作-

Posted on 2020年4月13日2020年9月20日 by cool-jupiter

エンドレス 繰り返される悪夢 65点
2020年4月11日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:キム・ミョンミン ピョン・ヨハン チョ・ウニョン
監督:チョ・ソンホ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200413221923j:plain
 

COVID-19の感染爆発の重大局面(というかすでに爆発してるでしょ・・・)により映画館はどこも休業。仕方がない。家のテレビでDVDやAmazon Prime Videoを観るしかないのである。家ではどうしても他に気を取られることがある。なので、軽めのシチュエーション・スリラーでも観るか、と本作を借りてきた。

 

あらすじ

外国帰りの心臓血管外科医のジュニョン(キム・ミョンミン)は娘との待ち合わせ場所に急いでいた。しかし、娘は交通事故により死亡。次の瞬間、ジュニョンはソウル到着前の機上の人に戻っていた。再び、娘の元に向かうジュニョンだが、やはり娘は死んでしまう。ループするたびに何とか手を尽くすがジュニョンはどうしても娘を助けられない。だが、そこのもう一人ループしている男、ミンチョル(ピョン・ヨハン)も加わり・・・

 

ポジティブ・サイド 

タイムループものは、タイムトラベルものや記憶喪失ものと並んで、出だしの面白さが保証されているジャンルである。ただし、話のオチをつけるのが難しい。その意味では、本作はかなり健闘している。『 オール・ユー・ニード・イズ・キル 』と同じような展開、つまりだんだんと主人公がタイムループ現象を理解し、理詰めで少しずつ状況を打開していく流れは、説得力がある。

 

序盤のジュニョンの試行錯誤が、観る側が「ここで、こうしてみたら?」というアイデアとかなり一致するのは非常に心地いい。観ていてストレスになるようなアホな行動をジュニョンがとらないのもポイントが高い。成功しないと分かっていても、ジュニョンを応援したくなるのだ。チョ・ソンホ監督、なかなかの手練れである。

 

謎解き要素だけではなく、適度なアクションやカーチェイスもあり、単純に画面を眺めているだけでもそこそこ楽しめる。またネタバレを極力避けて書くが、本作を動かしていく三人の男たちの熱演は、相当数の男性の共感を得ることだろう。ある者は父親として、ある者は夫として、またある者は高い倫理観を備えたプロフェッショナルとして、彼らの物語を見つめるだろう。ヒューマンドラマとしても、一定の水準に達している。

 

ネガティブ・サイド

タイムループ現象に関して論理的な説明を求める向きには不適な作品である。例えば小林泰三の短編『 酔歩する男 』を読んで、「ふざけるな!」と憤慨するようなSFファンは決して本作を観るべきではない。

 

また一部のキャラクターが常軌を逸した行動をとり続けるが、そうした行動の過激さに眉をひそめるような向きにもお勧めはできない。というか、エクストリームさが特色の韓国映画全般に当てはまることだが、大袈裟な事柄を「大袈裟すぎる」として、現実的・理性的な描写を求めるのはお門違いである。

 

結構なゴア(血みどろ)の描写もあるので、耐性のない人は注意のこと。

 

総評

凡百のタイムループものかと思いきや、意外な掘り出し物である。『 殺人の告白 』からアクションシーンを極力減らして日本風に料理した『 22年目の告白 -私が殺人犯です- 』ように、邦画界にはぜひ本作のリメイクにトライしてほしい。その時は『 ブラインド 』を見事に換骨奪胎して『 見えない目撃者 』を作り上げた森純一監督にメガホンを託したい。コロナで引きこもるなら、本作をウォッチ・リストに加えられたし。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ネガ

韓国語で「私が」「僕が」の意味である。韓流ドラマや韓国映画でしょっちゅう聞こえてくるのでご存じの方も多いことだろう。「ネガ+動詞」のパターンを身に着ければ、動詞のボキャブラリーを増やすだけで表現力も増す。語学学習の王道は、一定のパターンに一つずつ習熟していくことである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, キム・ミョンミン, サスペンス, スリラー, チョ・ウニョン, ピョン・ヨハン, ミステリ, 監督:チョ・ソンホ, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 エンドレス 繰り返される悪夢 』 -韓流タイム・ループの佳作-

『 トガニ 幼き瞳の告発 』 -精神的に削られる傑作-

Posted on 2020年4月11日 by cool-jupiter

トガニ 幼き瞳の告発 80点
2020年4月9日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:コン・ユ チョン・ユミ
監督:ファン・ドンヒョク

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200411141316j:plain
 

心斎橋シネマートに行くことができないので、近所のTSUTAYAでずっと気になっていた作品をレンタル。傑作であったが、鑑賞には精神的なスタミナが必要である。2時間の作品を全て観るのに、三日を要してしまった。

 

あらすじ

恩師の紹介で地方の聴覚障がい者学校に赴任した美術教師カン・イノ(コン・ユ)は、そこで校長や教諭による生徒への性的虐待や暴行が行われていることを知る。人権センターの活動家ユジン(チョン・ユミ)と共に、彼らを告発するが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 岸和田少年愚連隊 』ならば笑い飛ばせるような教師から生徒への暴力も、聴覚障がい者への平手打ち連発やストンピングというのは笑えない。最初こそ憤りを感じたものの、だんだんとそれが恐怖に代わり、最後には吐き気になった。2時間5分の映画なのに、開始35分の時点で、もう観る側の精神はズタボロである。容赦のない体罰、いや暴力、虐待の嵐が吹き荒れている。そんなシーンの直後に挿入される無邪気な天使の笑顔。この落差は何なのだ。ここから勧善懲悪物語が本格的にスタートするのだという予想はしかし、見事に裏切られる。開始54分ちょうどで、ホラー映画的な展開に。初日はここで観るのをいったんストップしてしまった。近所のTSUTAYAで色々と借りてきたのはよいが、観る順番を間違えたようである。

 

それでもカン先生やユジンの尽力もあり、悪徳教師らを一気に逮捕。裁判に持ち込んだまではいいが、ここでも精神を削られる展開が。『 記者たち 衝撃と畏怖の真実 』のオープニングで、車イスの軍人に「起立して右手を上げて宣誓しなさい」と軍事法廷の裁判官が述べ、瞬時に己の愚を悟り、謝罪するシーンがある。対照的に、本作の裁判長(野間口徹によく似ている)は聴覚障がいの傍聴人らに口頭で注意をし、「手話通訳をつけてほしい」と叫ぶユジンを容赦なく退廷させる。公正公平な裁判制度とは何なのか、慨嘆させられる。そして、見た目だけではすぐに分からない障がいの持ち主に対する配慮のあるべき姿についても考えさせられる。『 37セカンズ 』という良作が邦画の世界でも生み出されるようになってきた。今こそ『 レインツリーの国 』のようなファンタジー・ロマンスではなく、聴覚障がい者による骨太の人間ドラマの制作が待ち望まれる。

 

それにしても、暴力シーンにせよレイプシーンにせよ、子ども相手にここまでやるのかと心配になってくる。『 PERFECT BLUE 』の暴行凌辱シーンの撮影では、男優が未麻を気遣うシーンが見られたが、韓国の子役たちのメンタルケアは万全なのだろうか。まあ、万全だからこうして公開されているのだろうが、『 韓国映画 この容赦なき人生 〜骨太コリアンムービー熱狂読本〜 』が言うところの【そこまでやるか、韓国。ついていけるか、日本】である。少女が無理やり手籠めにされるだけではなく、男性が少年を“愛でる”シーンは、凡百のホラーよりもよほど恐ろしいシーンである。観ていて本当に胸が締め付けられるような苦しさを感じる。特にミンス役の子の泣きと嗚咽の演技には魂を持っているかれそうになった。障がいを持つ子どもの演技としては『 ギルバート・グレイプ 』におけるレオナルド・ディカプリオに並ぶと感じた。子役だけではなく大人も見せる。特にユン・ジャエ先生、怖すぎである。日本で同じレベルの狂気の演技にトライしてほしいのは市川実日子か。時にgoing overboardな韓国俳優の演技であるが、本作ではその過剰なまでの演技が物言えぬ子どもらとのコントラストを特に際立たせた。

 

クライマックスの法廷からエンディングまでは『 黒い司法 0%からの奇跡 』的な展開を期待させてくれる。そして我々は地獄に突き落とされるような気分を味わう。このような気持ちになったのは、カトリーヌ・アルレーの小説『 わらの女 』や江戸川乱歩の小説『 陰獣 』を読んで以来・・・というのは大袈裟かもしれない。だが、この報われないエンディングこそが、公開当時の韓国社会を突き動かす原動力となったのだろう。『 殺人の追憶 』もそうだが、優れた映画というのは商業的・芸術的な媒体には留まらないものなのである。

 

ネガティブ・サイド

主人公の動きがとろい。もたもたしすぎである。ネチネチと小言を言う母親との絡みも中途半端であるように思う。カン先生の父性を描写するために、敢えて父性の欠如を描くのは悪いアイデアではない。ただ、子どもを病弱にする必要はなかった。言葉はアレだが、カン先生の子どもは健常な健康優良児に設定すればよかった。

 

またカン先生の恩師の教授に、もっと善人っぽい顔の人をキャスティングできなかったのか。普通っぽい人であるせいで、恩師からのプレッシャーがカン先生にそれほど強く重くのしかからないように見えてしまった。

 

総評

社会性と娯楽性(良い意味でも悪い意味でも)を兼ね備えたコリアン・ムービーの傑作である。この映画の公開を機に、事件の再捜査と法整備がなされ、再審理も行われたという。現実の事件が映画となり、映画が現実に影響を及ぼす。韓国社会における映画がどういったものであるのかを垣間見ることもできる。作品としては、非常に素晴らしい出来であるが、repeat viewingをしたいとは一切思わない。それほど精神的にキツイ映画である。鑑賞前後にメンタルを整える準備をされたし。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語会話レッスン

ペゴパ

「おなか減った」の意である。語尾を上げて、ペゴパ?(⤴)とすれば疑問文にもなる。韓国旅行(2021年以降か)で地元の食堂などに入った時に使ってみようではないか。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, コン・ユ, サスペンス, チョン・ユミ, 監督:ファン・ドンヒョク, 配給会社:CJ Entertainment Japan, 韓国Leave a Comment on 『 トガニ 幼き瞳の告発 』 -精神的に削られる傑作-

『 建築学概論 』 -初恋は実らない-

Posted on 2020年3月18日 by cool-jupiter

建築学概論 75点
2020年3月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:オム・テウン ハン・ガイン イ・ジェフン ペ・スジ
監督:イ・ヨンジュ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200318221726j:plain
 

あらすじ

設計事務所に勤めるスンミン(オム・テウン)のもとに、大学時代の初恋の相手、ソヨン(ハン・ガイン)が訪ねてきた。家を建ててほしいというのだ。スンミンは大学時代のソヨンとの出会い、そして恋に落ちていく過程を徐々に思い出していき・・・

 

ポジティブ・サイド

初恋が実る人というのは、いったいどれくらいいるのだろうか。おそらく数パーセントではないだろうか。それぐらい、初恋というのは実らない。この言葉が一種の格言になるのは、それだけ多くの人の実体験に裏付けられているからに他ならない。本作は、その初恋の甘さ、そして酸っぱさ、さらには苦みも思い起こさせてくれる秀作である。

 

邦画の世界は、右を向いても左を向いても高校生のラブストーリーだらけだが、実際に我々が共感しやすいのは大学生のラブストーリーの方である。アルバイトができるのである程度のカネを持っているし、学年にもよるが酒を飲める。夜のクラブで踊り明かすこともできるし、なんならホテルに泊まる(性交目的ではなく)こともできるというのは『 猟奇的な彼女 』が映し出してくれた。大学生の恋愛の方が realistic なのである。日本の、特に少女コミックを原作とする邦画は、総じてファンタジーであり、おとぎ話である。

 

本作は、というか韓国映画というのは女性を必ずしも神格化=romanticizeしない。本作のヒロインのソヨン(大学生パート)はと言えば、「クロヤロー」、「ちくしょう」、「ムカつく」といった卑罵語を使って我々を戦慄させる。まるでゲーム『 ファイナルファンタジーX-2 』でユウナが「ムカつき」と言った時のような衝撃である。ソユンほどの美少女がこれほど口汚く何かを罵るのも韓国映画のパワーだろう。女性に変な幻想を抱かせない。これも重要な教育的役割と言えるかもしれない。さらに凄いのは、とある夜のバス停のシーンだろう。ごく最近、『 犬鳴村 』の冒頭で似たようなシーンがあったが、とにかく落差の激しさが全然違う。ある意味で『 猟奇的な彼女 』の電車内での嘔吐シーンを超えるインパクトをピュアなハートを持った男性に与えてくる。もちろん、ソヨンはがさつなだけの女性ではない。韓国風の指切りげんまんのシーンは、そんじょそこらの邦画のラブストーリーを一発で吹っ飛ばしてしまうほどの破壊力を秘めている。ペ・スジがとにかく可愛すぎるのである。

 

それにしても韓国の俳優の表現力の豊かさよ。「俺はソヨンの幸せだけを祈るよ」と本心とは異なるセリフを吐くときのイ・ジェフンの遠くを見る目の虚ろさ、さらに「僕の目の前から-」という言葉を絞り出したときの目の力は、ジャ〇ーズ事務所のアイドルには出せない表現力だ。街中で怒鳴り合うおばちゃんたちを背景に、ひたすら静の演技を貫く若手俳優。奥が深い。唐田えりかも日本に居場所がないのなら、韓国でオーディションを受けまくればいいのだ。

 

ネガティブ・サイド

ぺ・スジとハン・ガインが似ていない。オム・テウンとイ・ジェフンも顔かたちは全く似ていないが、動いている時、しゃべっている時、表情がある時はびっくりするぐらいに似ている。おそらく『 君の膵臓をたべたい 』の小栗旬と北村匠海のように表情や歩き方などを合わせたのだろう。同じような努力がぺ・スジとハン・ガインの間でなされなかった、あるいはなされてはいたが不十分だったというのは減点材料である。過去と現在を行き来する見せ方においては、キャラクターの同一性・一貫性というものが重要なのである。

 

ある事象を目撃し、聞き耳も立ててしまったスンミンがソヨンに別れを告げるシーンは素晴らしかった。であるならば、スンミンがその事象を起こした人物に一発お見舞いする、あるいは軽蔑の眼差しを向けるでも無視するでもなんでもいい。なんらかのアクションを起こしてほしかった。自分が恋焦がれる女性が、自分以外の男と談笑しているのを見るだけで胸が張り裂けそうになったという男性は、現代日本にも一千万人単位で存在するはずである。そして男、特に童貞は『 君が君で君だ 』の尾崎豊のごとく、きわめてたくましい妄想力の持ち主である。スンミンが現実に行動を起こせないまでも、メガネの先輩に対してなんらかの“恨”の情を抱いてくれれば、観る側はもっとスンミンに感情移入ができたのだが。

 

総評

これこそ日本でリメイクすべきである。過去と現在を行き来する展開といえば『 君の膵臓をたべたい 』が思い起こされる。月川翔監督および月川組のスタッフで是非ともリメイクをしてほしい。『 見えない目撃者 』という成功事例もある。今こそ、韓国映画を解剖し、再構築し、そのエッセンスを吸収する時である。やろうぜ、日本映画界!

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ガンベイ

カタカナで見ると何のことか分からないが、映像を字幕つきで見るとすぐにわかる。すなわち「乾杯」である。それに対して「(ガ)ッチャン」と返すのも、なかなか洒落ていて面白いではないか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イ・ジェフン, オム・テウン, ハン・ガイン, ぺ・スジ, ロマンス, 監督:イ・ヨンジュ, 配給会社:アットエンタテインメント, 韓国Leave a Comment on 『 建築学概論 』 -初恋は実らない-

『 殺人の追憶 』 -人間の内面を鋭く抉る秀作-

Posted on 2020年3月17日2020年9月26日 by cool-jupiter

殺人の追憶 80点
2020年3月15日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:ソン・ガンホ
監督:ポン・ジュノ

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シネマート心斎橋がポン・ジュノ特集を再開してくれたおかげで、本作を劇場鑑賞することができた。ポン・ジュノは異才・異能の持ち主である。人間の内面をこれほど透徹した目で見つめられるのは、映画監督というよりも哲学者、芸術家気質だからではないだろうか。

 

あらすじ

時は1986年、場所はソウルのはずれの田舎町。同じ手口による女性の連続殺人事件が起こる。捜査を担当するパク刑事(ソン・ガンホ)は、ソウル市内から派遣されてきたソ・テユン刑事と対立しながらも捜査を進めていく。だが、それでも殺人事件は起こり続け・・・

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ポジティブ・サイド

韓国映画のごく大雑把な特徴は、描写のリアリティとエネルギーである。特に暴力に関しては、全く逃げることなく容赦のない演出を繰り出してくる。ただ単にバイオレンスを映し出しているわけではない。一方が他方に無条件に暴力をふるうことができるのは、そこに力の不均衡があるからである。それは例えば警察という国家権力の後ろ盾を持った組織に属していることであったり、あるいは相手が知的障がい者であったりするからである。ポン・ジュノが本作(そして彼の作品に通底するテーマとして)を通じて描き出し批判するのは、暴力の発生を触媒する理不尽な社会的および心理的なメカニズムである。

 

そのことはソン・ガンホ演じるパク刑事とソ・テユン刑事のほとんどと言っていいほど噛み合わないコンビネーションによって表現されている。根拠がまったくないにも関わらず観相術の達人を自称するパク刑事は、初対面のソ・テユン刑事に勘違いからドロップキックを浴びせ、しこたまパンチも食らわせた。つまりは人を見る目もなく、人の話も聞かないダメ警察官である。一方でソ・テユン刑事は冷静沈着かつ理知的で、「書類は嘘をつかない」を信条に、科学的に、理性的に捜査を進めていく。模範的な刑事と言えよう。だが、ある時点から、この二人の属性のバランスが逆転していく。どんどんと冷静になっていくパク刑事、どんどんと理性を失い暴力に走り出すソン刑事という具合に。その過程が、お互いの捜査の進捗によって可視化されている点が非常にユニークだ。特にパク刑事は「犯人には陰毛が生えていない」という仮説に基づいて、銭湯をはしごする様は滑稽である。だが本人はいたって真面目なのだ。同時に、老若男女に丁寧に聞き込みをし、ほんのわずかな手がかりも逃さず、着実に事件の真相に迫っていくソ刑事は、まっとうな捜査を進めていくほどに暴力への衝動に抗えなくなっていく。この対比が実によく描けている。暴力を食い止めるために暴力が必要なのか。暴力を食い止めるためには非暴力をもってせねばならないのか。ポン・ジュノが投げかける問いに答えは出せない。

 

本作は映画の技法の面でも粋を凝らしている。特に冒頭、現場保全をしようと大声で周囲に注意しまくるパク刑事のロングのワンカットや、スナックでの口論から所長の嘔吐までのワンカットが印象的だ。また、犯人と思しき男との路地裏の追跡劇、そして犬の遠吠えまでのサスペンスあふれるシークエンスは岩代太郎の音楽の力も大きい。犯行がしばしば灯火管制の夜に行われるというのも興味深い。町の暗さに感化されて、人間の内面の闇が暴れだすのか、それとも人が住居にこもるのをチャンスとばかりに犯行に走るのか。

 

ミステリ作品としても秀逸。日本語とも共通する韓国語のとある言語的特性を巧みに使った伏線は見事(Jovian嫁は即座に見破っていたようだが・・・)。被疑者の身体的な特徴と犯行に使われた道具との間の矛盾を的確に指摘するソ刑事の味がいい。また、とある条件のそろった日に殺人を重ねるというのは映画『 ミュージアム 』の元ネタになったのではないかとも感じた。

 

最後の最後にソン・ガンホが見せる表情。すべてはこれに尽きる。後悔に驚愕、そして疑惑と確信を両立させる渾身の顔面の演技である。これによって我々はパク刑事やソ刑事の経験した内面の変化、すなわち暴力衝動が劇中のキャラクターたちだけのものではなく、自身の内面に潜む闇として確かに存在するものであるという真実を突きつけられるのである。このような形で第四の壁を突き破って来るとは、ポン・ジュノというのはつくづく稀有なクリエイターである。

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ネガティブ・サイド

ソ刑事が寝落ちしてしまうシーン、そしてその後に車のエンジンがかからずに、被疑者を乗せたバスを追跡できなかったというシーンが、かなりご都合主義的に見えた。交代制で見張っている言われていたし、刑事は基本的に単独行動はしないものだ。車のエンジンがかからないというのも、それ以前になんらかのそうした前振りとなる描写が必要だった。

 

犯行のパターンが解析できたところで、なぜラジオ局に働きかけないのか。特定の手紙を受け取ったら警察に連絡するように言えるはずだ。Jovianが警察署長あるいは担当の刑事なら絶対にそうする。頭脳明晰なソ・テユンの考えがそこに至らなかったというのは少々信じがたい。

 

最後に、チョ刑事の足はどうなった?

 

総評

『 パラサイト 半地下の家族 』以上、『 母なる証明 』に並ぶ大傑作である。重ねてシネマート心斎橋に感謝。劇場支配人の鑑賞眼の鋭さと商売人として機を見るに敏なところ、その両方のおかげで本作を大スクリーンで鑑賞できた。このレベルの邦画は、黒澤明とは言わないまでも小津安二郎まで遡らなくてはならないのではないか。邦画は10年前の時点で既に韓国映画に抜かれていたようである。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

チョンマリヤ?

「本当か?」の意である。これも劇中で何度も出てくるので、把握しやすい。チョンマル=本当、となるようだ。関西弁の「ホンマ」と音がそっくりである。ヤというのは中国語・漢文で言うところの「也」だろう。これをつけて語尾をrising toneにすれば疑問文の出来上がりである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, A Rank, サスペンス, ソン・ガンホ, ヒューマンドラマ, ミステリ, 監督:ポン・ジュノ, 配給会社:シネカノン, 韓国Leave a Comment on 『 殺人の追憶 』 -人間の内面を鋭く抉る秀作-

『 PMC ザ・バンカー 』 -無国籍軍のUnsung War-

Posted on 2020年3月4日2020年9月26日 by cool-jupiter

PMC ザ・バンカー 70点
2020年3月1日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:ハ・ジョンウ イ・ソンギュン
監督:キム・ビョンウ

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原題はTake Point、つまり「最前線に行く」である。韓国と北朝鮮を隔てる38度線の地下で繰り広げられる戦闘を描いている。面白いなと思うのは、米朝首脳会談、その先の米大統領選がストーリーの下敷きになっているところ。2018年制作ということは、企画はその数年前だろう。制作者に先見の明があったのかもしれない。

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あらすじ

傭兵エイハブ(ハ・ジョンウ)は仲間と共に38度線地下のバンカーから北朝鮮の要人を拉致、護送する任務をCIAより受ける。だが現場に現れたのは最高指導者、通称キング。それでも作戦は結構され、簡単に成功・・・したかに見えた。しかし、米中の二超大国の政治的思惑に翻弄され、エイハブは一転、キング暗殺犯に仕立て上げられてしまう。唯一の挽回策は敵だらけのバンカーから生きてキングを脱出させることだけ・・・

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ポジティブ・サイド

大阪ステーションシティシネマで見逃した『 神と共に 』の穴埋めとばかりに、ハ・ジョンウ主演の本作を鑑賞したが、何と渋い役者であることか。太々しさの内に優しさを内包しつつ、それでいて容赦のない傭兵のリーダーを見事に体現した。英語も普通に堪能である。というか、日本の役者でここまで出来るのは平岳大ぐらいか?『 決闘の大地で 』のチャン・ドンゴン、『 マグニフィセント・セブン 』のイ・ビョンホンの100倍ぐらい英語のセリフをしゃべっている。1~2年の学習ではないはず。『 リンダ リンダ リンダ 』のぺ・ドゥナや『 新聞記者  』や『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』のシム・ウンギョン、『 焼肉ドラゴン 』のキム・サンホのように、韓国の役者は日本語も流暢に操る。つまりは、韓国エンタメ界は外国志向なのだ。『 パラサイト 半地下の家族 』は、そのトレンドの一つの帰結であった。日本も続かなければならない。

 

Back on track. 英語が飛び交う本作であるが、韓国映画お得意の血と硝煙と土埃のリアリティは本作でも健在である。日本のガン・アクションというと『 Diner ダイナー 』みたいな周回遅れの演出になったりするが、さすがに(今でも厳密な意味では戦時下の)韓国の作る映画である。本作は銃撃戦の激しさに加えて、独特のカメラアングルも冴える。具体的には小さなボール状の移動式スパイカメラ視点の映像。床にへばりついた視点から壁を這う視点、天井の梁の上からの視点など、通常ではありえないアングルからの映像がスリリングだ。

 

主人公の名前がエイハブだというのも面白い。言わずと知れたメルヴィルの『 白鯨 』のキャプテン・エイハブである。グレゴリー・ペックが不気味に手招きするエンディングが印象的だった。Jovianと同世代なら、漫画『 魁!!男塾 』のキャプテン鱏破布を思い出す人もいるかもしれない。軍人が義手や義足、義眼だったりするのは珍しいことではないが、エイハブが義足になった経緯がクライマックスにしっかりと関連してくる演出が心憎い。このラストのアクションシーンは非常にリアルである。空気抵抗が確かにそこにはあった。韓国の空挺部隊所属軍人がアドバイザーにいるのだろうか。

 

『 パラサイト 半地下の家族 』の金持ち父さんを演じたイ・ソンギュンも医師を熱演。インテリ役が似合うが、それだけではない。泥臭さや汗臭さを放つ演技を全く厭わない本格派でもある。エイハブと互いを「韓国人」、「北朝鮮人」と呼び合う様が滑稽であると同時に、同じ言語を話すにもかかわらず分断された民族であることの悲哀をも表している。朝鮮半島が超大国の代理戦争の舞台となったことは『 スウィング・キッズ 』でも描かれていた。そこで戦う傭兵たちがアメリカへの不法移民たちであるという対比がいい。無国籍軍の男たちが、超大国の兵隊相手に必死の抵抗を見せる。そうした姿に自分を重ね合わせてしまう観客も多いのではないだろうか。

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ネガティブ・サイド

エイハブと奥さんのやりとりは正直なところ不要だった。カネにしか興味がないはずの傭兵が、実は誰よりも熱く仲間思いであるという設定だけで充分である。続編はないはずだが、万が一にも制作されれば、悪役はエイハブの家族を人質にする、あるいはターゲットにするはずである。『 エクスペンダブルズ 』のように、チームのメンバーが家族であるという作りで充分である。

 

序盤のもたもたした展開もマイナスである。特にエイハブが序盤で動けなくなるのが痛い。アクション映画なのに、主人公がアクションをしない。もちろん、エイハブはエイハブで奮闘するのだが、我々が見たいのは銃撃戦や格闘なのである。

 

序盤のポリティカルなあれやこれやの説明もくどかった。CIAエージェントのマックとエイハブの対話も、本当なら緊張感あふれるものであるはずだが、このパートもだらだらしたものに映った。序盤の様々な要素を引き締め、無国籍な傭兵たちとエイハブの関係をもう少し深めておけば、エイハブがユン医師を“仲間”と見なすようになる過程により一層のリアリティと説得力が生まれたと思うのだが。

 

総評

韓国映画の真骨頂である激しいアクションは本作でも健在である。同時に時代を先読みしたかのような導入に、大国・隣国に翻弄される近現代史の悲哀を脚本に上手く落とし込んだ作りになっている。セリフの7割ほどが英語であるのも、アメリカ市場、英語圏市場を見据えてのことだろう。邦画もこれに負けてはならない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

It’s every man for himself.

「(この状況では)自分の身は自分で守れ」の意である。英語音声の戦争ゲームやWWEのRoyal Rumbleでよく聞こえてくる決まり文句である。おそらく戦争映画でもバンバン使われてきたフレーズであるし、これからもドンドン使われるフレーズのはずである。たしか『 レザボア・ドッグス 』のセリフで聞こえてきた気がする。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アクション, イ・ソンギュン, ハ・ジョンウ, 監督:キム・ビョンウ, 配給会社:ツイン, 韓国Leave a Comment on 『 PMC ザ・バンカー 』 -無国籍軍のUnsung War-

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