Skip to content

英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

  • Contact
  • Privacy Policy
  • 自己紹介 / About me

タグ: 配給会社:東北新社

『 ブリングリング 』 -泥棒、ダメ、絶対-

Posted on 2021年5月9日 by cool-jupiter

ブリングリング 50点
2021年5月8日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ケイティ・チャン エマ・ワトソン イズラエル・ブルサール
監督:ソフィア・コッポラ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210509194932j:plain
 

時間つぶしにTSUTAYAで借りてきた。難解な哲学書を読んでいて、頭をリセットする必要がある。そうした時には、何も考えていないティーンの映画でも観るに限る。これは偏見かな。

 

あらすじ

マーク(イズラエル・ブルサール)は転校先で出会ったレベッカ(ケイティ・チャン)に誘われ、ふとしたことから空き巣と窃盗の共犯になってしまう。やがてニッキー(エマ・ワトソン)らも加わり、彼らはハリウッドのセレブたちの留守を狙って、豪邸への侵入を繰り返すようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

ティーンの日常風景が生々しい。ドロドロとした虐めや派閥争いではなく、淡々とした友情を淡々と描き出す序盤は、ドキュメンタリーのようにも感じられた。元が実話だからしょうがない。何度も侵入されては、色んなものを盗まれるパリス・ヒルトンだが、実際に自宅を撮影用に提供したというのだから、商魂たくましいと言うしかない。その豪邸の広さ、物の多さ、そして至るところから発せられる強烈なナルシシズムからは、確かにティーンならずとも惹きつけられてしまうカリスマ性を感じる。

 

戦利品のアイテムや金を使ってガキンチョどもが何をするかと言えば、お定まりのショッピングにドラッグ、そしてクラブ通い。このあたりは大人も子どももアメリカ人らしさ全開という感じがする。『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』のディカプリオも目のくらむよう大金を稼いで、同じようなことをやっていた。これも陳腐でありながら生々しい。リアルであると感じる。

 

生々しいのは、犯行に及ぶティーンたちの無計画性。そして、今風の言葉で軽く評するなら、自己承認欲求の強さ。なぜセレブ宅への侵入と窃盗の現場で写真を撮るのか、そしてそれをSocial Mediaに上げてしまうのか。なぜ自分たちの盗みを同級生たちに自慢してしまうのか。そして、犯行現場で素手であれやこれやをべたべたと触って指紋を残すのか。帽子もかぶらず、髪の毛も落としまくっていくのか。『 アメリカン・アニマルズ 』での、凝りに凝った犯行計画を練り上げていく過程とは対照的に、本当に何も考えずに次から次へと犯行を繰り返すブリング・リングの面々には嫌悪感すら催してしまう。観る側をこのような気持ちにさせた時点で、本作は一定の成功を収めていると言えるだろう。

 

ネガティブ・サイド 

『 スプリング・ブレイカーズ 』は青春への決別を映し出していたが、本作で描かれるブリングリングの連中は、マークを除いて全員アホである。反省の色が見られない。いや、反省しないだけならいいのだが、その原因を何らかの形で劇中で提示すべきだろう。ホームスクーリングや離婚した両親など、思わせぶりな描写は多いが、それは事実であって仮説の形にはなっていない。有罪が確定しているにもかかわらず、自らの将来をメディアに高らかに語ったり、事件の真相を知りたければ自分のウェブサイトを見ろと宣伝するニッキーは、どこまでも薄っぺらい。本当なら、そうしたティーンのアホな自己承認欲求をかなえる手伝いをするような映画ではなく、何が彼女たちをそこまで駆り立てたのかを考察し、そこを盛り込むべきだった。

 

他に不足を感じたのは、マスコミ及び大衆の反応の描写。アホなティーンがある意味で同じくらいアホなセレブに経済的な痛撃を一時的にも加えたこと、そしてそれを口コミおよびSocial Mediaを通じて一時的にもセンセーションを作り出したことを、当時のニュース映像と対比する形で挿入すべきだった。そこをもう少し手厚く描写しないと、ブリングリングの連中が特別だったことになり、ごく一部の無軌道な若者、若気の無分別の物語になってしまう。そうではなく、若いうちは(老いてからでも)誰でも道を踏み外す可能性があること。そして、セレブであろうが誰であろうが、情報の取り扱い、そのリテラシーについてもっと注意を要すべしという教訓が伝わってこない。

 

エマ・ワトソンは悪い女優ではないが、特別に良い女優でもないと今作の演技から感じた。ハリポタのハーマイオニーというはまり役は、『 スター・ウォーズ 』におけるルークやハン・ソロと同じく、役者の素の顔を引き出す演出が奏功したというのが大きい。本作のエマ・ワトソンのあざとさはあまりにも意図的で、逆に演技くさくなっている。本当のエマ・ワトソンの演技を観たい向きは『 ウォールフラワー 』を鑑賞すべし。 

 

総評

ハリウッドの豪邸に入り込んで、好き勝手なことをする。そんなことが出来るんかいなと思ってしまうが、『 ビバリーヒルズ・コップ2 』でもエディ・マーフィーが同じようなことをやっていたなと思い出した。つまりは出来てしまうし、実際にそうした事件が起きた。盗みに入る方もアホだなと思うし、盗みに入られる方もアホだなと思う。『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』のシャロン・テートの教訓からセレブたちは学んでいないのかと考えさせられるが、この能天気さや鷹揚さもアメリカの特徴なのだろう。暇つぶし用、典型的な a rainy day DVDである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

for all I know

文頭または文末に使って、「多分」、「もしかしたら」という意味を加える。

For all I know, the champion could lose.

I want to be a politician. I could even become Prime Minister for all I know.

のように使う。関西人ならば語尾につける「知らんけど」とほぼ同じだと説明すれば一発で理解できるかもしれない。知らんけど。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村   

Posted in 国内, 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, イギリス, イズラエル・ブルサール, エマ・ワトソン, クライムドラマ, ケイティ・チャン, ドイツ, フランス, 日本, 監督:ソフィア・コッポラ, 配給会社:アークエンタテインメント, 配給会社:東北新社Leave a Comment on 『 ブリングリング 』 -泥棒、ダメ、絶対-

『 オフィシャル・シークレット 』 -公と私の関係性を鋭く問う-

Posted on 2020年8月30日2021年1月22日 by cool-jupiter

オフィシャル・シークレット 70点
2020年8月28日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:キーラ・ナイトレイ レイフ・ファインズ マット・スミス
監督:ギャビン・フッド

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200830133727j:plain
 

原題は“Official Secrets”、本編中では「公務秘密」と訳されている。公文書の改竄が公然と行われ、公務員がそれを苦に自殺までしているというのに、この国(日本)は何も変わらない。だが、それは海の向こうの島国、英国でも同じらしい。10年以上前の実話に基づく本作が、日本社会の「今」をこれほど鋭く抉っているのは、日本がそれだけ英米の後追いをしている証拠なのだろう・・・

 

あらすじ

マンダリンに堪能なキャサリン・ガン(キーラ・ナイトレイ)は、GCHQで中国関連の盗聴に従事していた。ある日、国連安保理の非常任理事国の担当者たちを盗聴するようにとの通達が部署全体に届く。正当性のない戦争を国連で正当化させるための裏工作だと感じ取ったキャサリンは、そのメールをリークすることを決断するが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200830133747j:plain
 

ポジティブ・サイド

イラク戦争そのものについては無数の映画が作られている。政治の側からCIAの闇を暴いた『 ザ・レポート 』や『 バイス 』のように国の権力構造の不正を分析するもの、『 記者たち 衝撃と畏怖の真実 』のように弱小メディアが国家の大嘘を暴くというものまで、アメリカがアメリカ自身を暴く作品が生み出されるようになってきた。もちろん『 ウォードッグス 』のような戦争にちゃっかり寄生する輩を面白おかしく活写する作品も作られており、イラク戦争という大義なき虐殺に関してはアメリカは徐々に正しい距離感を学びつつあるようである。本作はそうしたイラク戦争の不当性をイギリス側から見たという点が新しい。

 

それにしても本作で要所要所に挿入される2003~2004年の実際のニュース映像の生々しさよ。特に盲目的な対米従属路線を突っ走る当時の英国首相のトニー・ブレアを見ると、当時の小泉内閣総理大臣、そして現(元と言うべきか)安倍内閣総理大臣を見るようである。WMD=Weapons of Mass Destruction=大量破壊兵器を「まだ見つかっていないが存在を確信している」というブレアにも頭を抱えてしまうが、「無いものを無いと証明できなかったイラクが悪い」と平然と言ってのけた小泉純一郎を思い出して、五十歩百歩という諺を思い出した。なぜか英国の告発スキャンダルとは思えず、日本映画をイギリス風にリメイクしたのかとすら感じられるのである。

 

イギリス映画ファンならば本作の俳優陣の演技に納得することだろう。特にキーラ・ナイトレイは Career High と言ってよいほどの圧巻のパフォーマンス。表情と口調、立ち居振る舞いでキャラの心情をダイレクトに届けてきた。特に自分こそが告発者だと名乗り出るシーン、そしてクルド系トルコ人の夫とのテレビのチャンネル争いおよび熱の入った口論は途轍もなくリアルに感じられた。彼女の告発内容を記事にする記者を演じるのはマット・スミス。『 新聞記者 』のシム・ウンギョンとは全く異なるテイストのジャーナリストだが、幅広い人脈でスパイ顔負けの取材や情報収集活動を行う敏腕記者で、不正のにおいを感じ取れば、社の方針がどうであれ、とことん突き詰める行動型の記者という点ではシム・ウンギョンそっくり。もしも戦地のイラクに派遣されれば『 プライベート・ウォー 』のメリー・コルビンのような雄々しい従軍記者になるのだろう。キャサリン・ガンの無罪を主張する弁護士を演じるレイフ・ファインズも圧倒的な存在感を放つ。弁護士は社会正義の追求だけではなく、紛争の予防および調停を最も大事にすると言われるが、クライアントの要望に応えることも大きな責務だ。そこで放たれる論理のウルトラCには誰もが腰を抜かすこと請け合いである。事件に巻き込まれた時には、このような弁護士を頼りたい。

 

冒頭の裁判開始のシーンは、そのままクライマックスの法廷シーンにつながるが、ここでの検察と判事と弁護士のやりとりは余りにも予想外である。歴史的な(といって2020年からすれば十数年前だが)事実や経緯を知らない者からすれば、この裁判は類まれなる茶番であり、なおかつ壮大なドラマであると言える。この弁護士が構築した論理とそれを証明する手続きについてよくよく考えてみれば、何のことはない、この弁護士とキャサリン・ガンは根っこの部分では同じなのだ。つまり、公私の公=職業人としての使命と、私=個人としての使命が相反した時、「私」を選ぶという点だ。それはプライベートな付き合い云々ではなく、自分の心に何が正しいかを問い続ける姿勢である。重ねて言うが、英国の話なのに日本の話に見えるところが多々ある。現代人必見の一作だろう。

 

ネガティブ・サイド

キャサリン・ガンというキャラクターのバックボーンをもう少し掘り下げる描写があれば、イギリス国内的にも、イギリス国外の映画市場でも、もっと観客を呼び込めたのではないだろうか。キャサリンはアジア滞在歴が長く、特に日本の広島にいたということはもっと強調されてよかったと感じる。また、夫との馴れ初めについても、会話以上の描写があってもよかった。またブッシュやブレアのニュース映像がふんだんに使われているのだから、このキャサリン・ガンの告発事件を報じた本物の新聞記事や本物のニュース映像も見てみたかった。

 

イギリスが歴史的に盗聴で世界の強国の地位を維持してきたという説明もどこかで少しだけ欲しかった。『 イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密 』で描かれたエニグマ解読器を独自開発することに成功した英国は、そのことを秘匿。ナチス・ドイツ敗戦後にエニグマを世界各国の諜報に使わせつつ、自らはちゃっかりとそれらの暗号を解読し続けるという詐欺的な行為で世界の指導的地位を固めていたという歴史的事実の延長線上に本作はあるのだ、ということをもっと明確にすべきだった。

 

キャサリン・ガンの言う「国家ではなく国民に仕えている」というセリフは印象的であるが、ドラマチックではない。ここまでストレートに表現する必要はあるのだろうか。GCHQの職員である以上に一個人なのだということを表明するセリフが望まれていたと思う。この部分だけは妙に理屈っぽく感じられ、キャサリンという感情に強く動かされるキャラクターが首尾一貫性を欠いていたように思う。

 

総評

これは傑作である。こうした一個人の奮闘が国家の、そして国際的な欺瞞を暴くという実話がこれほどリアルに物語化された例は少ない。一方で、ブッシュやブレアといった列強のトップの政治家が今も戦争責任を問われずにいるという慄然とさせられる。歴史はわずか20年足らずで風化してしまうのか。今というタイミングで本作が制作されたことそのものが大きなメッセージになっている。すなわち、己の正義を常に問い続けよ、精神は国家に完全従属させるなということである。なんと耳の痛い教訓ではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Whistleblower

『 スノーデン 』でも紹介した表現。日本ではwhistleblowerはだいたい冷や飯を食わされる羽目になるが、そうした社会風土もさすがにそろそろ変わっていかなければならないだろう。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, イギリス, キーラ・ナイトレイ, サスペンス, マット・スミス, レイフ・ファインズ, 伝記, 家督:ギャビン・フッド, 歴史, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:東北新社Leave a Comment on 『 オフィシャル・シークレット 』 -公と私の関係性を鋭く問う-

『 コレット 』 -震えて眠れ、男ども Again-

Posted on 2019年5月19日2020年2月8日 by cool-jupiter

コレット 70点
2019年5月19日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:キーラ・ナイトレイ
監督:ウォッシュ・ウエストモアランド

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190519223735j:plain

『https://jovianreviews.com/2018/09/05/movie-review-tully/ タリーと私の秘密の時間 』で描かれた男という生き物の生活能力の低さと、『 天才作家の妻 40年目の真実 』で晒された男という生き物の病的に肥大化しやすいエゴが、本作によってまたも満天下に晒されてしまった。Jovianが鑑賞した劇場でも、お客さんの7割5分は女性であった。男は本能的、直観的に本作を避けているのだろうか。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190519223922j:plain

あらすじ

 

自然豊かな地方で育ったガブリエル・コレット(キーラ・ナイトレイ)は、物書きのウィリーとの結婚により、花の都パリに移り住む。ウィリーはコレットの文才を見抜き、彼女に「クローディーヌ」シリーズを代筆させる。しかし、浪費家な夫と才能豊かな妻は徐々にすれ違い・・・

 

ポジティブ・サイド

フランスの作家で読んだことがあるのは、マルセル・プルースト、アルベール・カミュ、ジャン=ポール・サルトル、セバスチャン・ジャプリゾ、ジョルジュ・ランジュラン(彼は少し違うか)ぐらいだろうか。シドニー=ガブリエル・コレットという作家は始めて知った。ディズニーは作品の映画化に際して盛んにフェミニスト・セオリーを実践しているが、世界にはまだまだ発掘されるべき女性がいるものである。

 

キーラ・ナイトレイは、言葉は悪いが薹が立ってきたなと感じていた。しかし、本作では片田舎の純朴そうな少女から、パリのサロンでも堂々と立ち振る舞う淑女に、そして年上の夫を容赦なく怒鳴りつける芯のある妻に、そして自らの才能と能力を駆使し、心が命じるままに寝るべき相手や仕事を共にする相手を選ぶという強かさを備えた個人を見事に具現化した。ジェニファー・ローレンスが『 レッド・スパロー 』で我々の度肝を抜いたほどではないが、久々に胸も晒してくれる。彼女は色気、色香、艶というものをボディライン、スタイルの良し悪しではなく、大げさな言い方をすれば生き方そのもので体現してくれる。

 

それにしても、ダメな男、ダメな夫をあらゆる意味で具現化するドミニク・ウェストの芸達者ぶりよ。飴と鞭ではないが、折檻と愛情の両輪で、金のなる木である妻をコントロールしていたはずが、いつの間にか自分という人間の醜さ、弱さ、至らなさというものがどんどんと浮き彫りになってくるという展開には、昭和や平成の初め頃まで量産されていた、ヤクザ映画、任侠映画にそっくりだなと思わされた。どういうわけか女性という生き物には、男がふとした弱さを見せると、そのギャップにコロッといってしまう傾向がある。一方で、本作のコレットはそうした女性性を持ちつつも、女性であることを軽々と超えていく強さと自由な精神も有している。この男女の奇妙な夫婦関係は最終的に破局に終わるわけだが、結婚という奇妙な因習の限界と奥深さを表しているとも言える。共働きの夫婦で鑑賞して観れば、自分達の新たな一面に気付かせてくれるかもしれない。または、性生活、もしくは子どもを作る作らないで互いの考えに微妙な齟齬がある夫婦で鑑賞するのもありだろう。そう、子どもである。パリの文壇を席巻するのみならず、一般女性の偶像にまで昇華されたクローディーヌというキャラクターは、コレットの子どもなのだ。娘なのだ。冒頭で描かれるコレットの両親の関係、コレットとの親子関係に是非とも注目をしてほしい。そして、親にとって子とは何か。子を産み育てるのに、男はどこまで必要なのかという根源的な問いに、コレットの生きざまは一つの示唆的な答えを与えてくれる。クライマックスのキーラ演じるコレットの内面の吐露をしっかりと受け止めて欲しい。本作を観たからと言って夫婦関係に亀裂が入るようなことはない。むしろ、夫婦の対話、向き合い方について学べるはずだ。独身はパートナーと、既婚者は配偶者と観るべし。

 

ネガティブ・サイド

なぜフランス映画界は、ガブリエル・コレットその人の映画化を英米に委ねてしまったのだろうか。フランス人が脚本を作り、フランス人が演じ、フランス人が監督した「コレット映画」を観てみたかったと思うし、フランスversionが製作されるなら、喜んでチケットを買わせてもらう。立ち上がれ、フランス映画界よ! This begs for a French remake, c’mon!

 

クローディーヌというキャラクターもの以外の作品が当時のパリおよびフランスでどのように受け止められたのかを、劇中でもっと知りたかったと思うし、コレットの華やかにして異端児的な恋愛遍歴についても、もっと描写が欲しかった。というか、このような立志伝中の人物を描写するのには2時間ではそもそも不足だったか。パントマイムや両刀使いの描写をばっさりと切って、「クローディーヌ」シリーズの生みの親としての顔にフォーカスしても良かったのではないかと思う。さあ、フランス映画界よ、リメイク製作の機運は高まっているぞ。It’s about f**king time for a remake, French cinema!

 

総評

『 天才作家の妻 40年目の真実 』と同じスコアをつけさせてもらったが、エンターテインメント性では本作が優る。女性という生き物が生物学的に優れている(=子どもを産める)ことのみならず、個としての強さと弱さの両方を併せ持ち、それでいて夫婦というものの在り方についても教えてくれる、貴重な伝記映画である。『 アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 』と同じく、真実を事実の集積以上の意味で映し出している。単なる女性のエンパワーメント映画ではないので、男性諸氏も臆することなく劇場へと向かうべし。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190519223854j:plain

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, イギリス, キーラ・ナイトレイ, ヒューマンドラマ, 伝記, 監督:ウォッシュ・ウェストモアランド, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:東北新社Leave a Comment on 『 コレット 』 -震えて眠れ、男ども Again-

『 パーソナル・ショッパー 』 -霊に取り憑き、取り憑かれた霊媒師-

Posted on 2018年12月25日2019年12月6日 by cool-jupiter

パーソナル・ショッパー 60点
2018年12月14日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:クリステン・スチュワート
監督:オリビエ・アサイヤス

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181225235530j:plain

Personal Shopper

近年の映画界は“幽霊”というものを少しシリアスに捉え始めたのだろうか。『 ルームロンダリング 』や『 A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー 』などの佳作が見られたが、その静かなブームの火付け役は本作だったのかもしれない。

 

あらすじ

モウリーン(クリステン・スチュワート)は、急死した兄と生前に約束をしていた。どちらか死んだ者が、生きている側にサインを送ると。彼らは霊媒師なのだ。兄からのサインを待ちながら、パーソナル・ショッパーとして有名モデルのファッション関連の買い物を代行する仕事に明け暮れるモウリーンの携帯に、ある時、不可思議なメッセージが届き始める・・・

 

ポジティブ・サイド

これは単なる幽霊の物語でもなければ、ホラー映画でもない。もちろん幽霊は登場するのだが、それはある種のガジェットとしてしか機能しない。兄の突然の死、フラストレーションの募る仕事、希薄な人間関係。こうした一連のストレスと謎のショートメッセージがモウリーンが自らに課した禁忌の扉を少しずつ開放していく。それは華やかな衣装に身を包むことであったり、性欲に身を任せたりであったりと様々だ。霊というのは不思議なもので、自分に関係のある者(例えばご先祖様など)の霊については我々はその実在を信じやすい。一方で、自分と関係の無い人間の霊の存在は、客観的にはともかく、主観的に信じようとする人はまず存在しない。つまり、モウリーンが劇中で見せる不可解ともいえる行動の数々は、彼女が彼女でない何者かになっていることを強く示唆する。そうでなければ、誰が兄の霊が見ているかもしれないと感じている中で自慰に耽るだろうか。『 ルームロンダリング 』は自分とは無関係な人間の霊を成仏させていきながらも、その行為の原点は肉親であった。『 A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー 』は、妻への思慕の念から不思議な時間の円環を巡る幽霊の物語であった。誤解を恐れず言い切ってしまえば、霊とは自分の半身( significant other )なのだ。普通は逆である。霊とは、この世に未練を残したまま死んだ者の残滓、と理解されている。しかし、本作はさらに一歩踏み込んで、自分を形作る非常に重要な部分でありながら、決して自分自身ではない者、それが霊という存在に仮託されているのではないかと提唱する。生きた人間には悩みは尽きないが、霊にもジレンマやコミュニケーション不全というものがあるのだ。

 

ネガティブ・サイド

非常に難解な構成である。もちろん、物語のこの部分はあれの比喩だな、とか、このXとあのYは見事な相似形になっているな、ということであれば割と分かり易い。しかし、これほどヒントの少ない映画というのも珍しいのではないか。なにしろ、ラストシーンまで到達しても、「ああ、あのシーンが伏線だったのか」と思えることが皆無なのだから。もちろん、受け取り手側の無知および無力もあろうが、カンヌ映画祭で絶賛とブーイングの両方を浴びたというのもむべなるかなである。

 

自分ではない誰かになろうとする。それは普遍的なテーマであるが、霊の力を借りて、あるいは例の存在にかこつけて描くべきテーマだったのだろうかとの疑問は残る。これほど訳が分からず色々と考えさせられたのは久しぶりでもある。『 2001年宇宙の旅 』とまで言わないが、『 ノクターナル・アニマルズ 』に並ぶ、混乱系の映画である。それも心地よい混乱ではない。眩暈、吐き気がするような混乱で、この感覚を心地よいと思う向きと不快に思う向きの両方が存在するはずだ。Jovianは残念ながら前者である。

 

総評

映画は基本的には、映像、監督、演技の三要素で採点すべきだ。本作はその三要素ではすべて平均以上のものを持っているが、必ずしも万人向けではない。カンヌですら意見が絶賛と酷評に分かれたと言うのだから、カジュアルな映画ファンの胃袋には少々重いかもしれない。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, クリステン・スチュワート, サスペンス, フランス, ホラー, ミステリ, 監督:オリビエ・アサイヤス, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:東北新社Leave a Comment on 『 パーソナル・ショッパー 』 -霊に取り憑き、取り憑かれた霊媒師-

『追想』 -掛け違ったボタンは元に戻るのか-

Posted on 2018年8月26日2020年1月10日 by cool-jupiter

『追想』 60点

2018年8月26日 大阪ステーションシネマにて観賞
出演:シアーシャ・ローナン ビリー・ハウル エミリー・ワトソン 
監督:ドミニク・クック

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180826223855j:plain

原題は”On Chesil Beach”、「チェシル・ビーチにて」となるだろうか。原作の小説ではタイトルは『初夜』となっているようだ。つまり、結婚後、初の夜とその夜の営みを指す。性行為を子どもを作るために持つ、というカップルは少ないだろう。というか、性行為のほとんどは愛情またはコミュニケーションの延長もしくは一形態であって、子どもを作るためという共通の目的を持って行為を持つ割合は低い、と言い直すべきか。性行為に関する認識は時代によって変わるし、地域によっても変わるし、もちろん個々人によっても変わってくる。本作は若くして出会い、結婚した2人の結婚初日、馴れ初めと交際、その後を三幕形式でフラッシュバックを交えて描いていく。

第一幕は、若い二人の結婚式直後の様子を描く。フローレンス(シアーシャ・ローナン)は英国上流階級出身の教養あるお嬢様。エドワード(ビリー・ハウル)は悲劇的な事故から若年性認知症を患う母を持つ下層社会出身者。二人は新婚ホヤホヤにもかかわらず、いや、それ故にか、やけにぎこちない。ベッドインに向けてエドワードは一人で盛り上がるが、フローレンスは何故かはぐらかし続ける。その合間に第二幕、つまり二人の馴れ初めから交際の模様が描き出される。非常に対称的なペアで、1960年代という政治的な動乱の時代を背景に、社会階層の分断の様子も静かに、しかし力強いタッチで画面に映し出される。そんな中でも、フローレンスの献身性やコミュニケーション力、家政能力は卓越しており、エドワードの父は ”Marry her.” =「結婚しろ」と即座に息子にアドバイスするほど。これほど率直な結婚の勧めは、近年だと『ジオストーム』の大統領の ”Marry her.” ぐらいしか思いつかない。しかし、結婚という因習は、当時も今もこれから先も、目に見えて若部分の相性の良し悪しと、決して人目に触れない部分での相性の良し悪しの両方で維持されるものなのだ。本作は、本来なら人目に触れない性の領域に光を当てた、ダークストーリーである。どのあたりがダークなのかは実際に観賞してもらうとして、最も目を惹かれたのは第三幕、すなわち別離したその後である。

劇場は日曜日ということもあり、かなりの入りであった。そのほとんどが中年夫婦と思しきカップルであったのは果たしで偶然だろうか。本作が提示するテーマは、セックスの相性や良し悪しという皮相的なものでは決してない。愛は性行為が無くとも成立するし、そのことを鮮烈に描いたのが小説の映画化としては珠玉の名作『彼女がその名を知らない鳥たち』ではなかったか。反対に、愛の大部分をセックスに負っている映画としては昭和や平成の初めごろまで量産されていたヤクザ映画であろう。女をこれでもかといたぶったヤクザが、情感たっぷりに涙を流しながら「ごめん。ホンマにごめん。でも、お前のことを愛してるんやからこうなってしまうんや」という、紋切り型の洗脳セックスとでも呼べばいいのか、そういう作品が溢れていた。

フローレンスとエドワードのようなカップルは実は現代でも珍しくないのではないだろうか。一昔前は成田離婚なるワードがあったが、そうしたスピード離婚の背景には少なからず、本作が提示するテーマに関連したものがあったことは疑いの余地は無い。性的にかなり奔放になった現代、男女ともに晩婚化の傾向が進み、未婚率および離婚率が高止まりしているのも、フローレンスやエドワードのようなカップルが静かに増殖しているからなのか。

人間の心の中の仄暗い領域に光を当てる作品の常で、本作の Establishing Shot も非常に薄暗い。フラッシュバック手法が多用される本作に置いて、説明不足に感じる一瞬のフローレンスのフラッシュバックは、観る者によってはトラウマを刺激されかねないような想像力を喚起させる。しかし、その暗さから某かの教訓を引き出すことができるだろうと思わせるところに本作の価値がある。シアーシャ・ローナンのファンも、そうでない映画ファンも、時間があれば劇場に足を運んでみて観ても良いだろう。

 

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村  

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, イギリス, シアーシャ・ローナン, ヒューマンドラマ, 監督:ドミニク・クック, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:東北新社Leave a Comment on 『追想』 -掛け違ったボタンは元に戻るのか-

最近の投稿

  • 『 今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は 』 -青春の痛々しさが爆発する-
  • 『 28週後… 』 -初鑑賞-
  • 『 28日後… 』 -復習再鑑賞-
  • 『 異端者の家 』 -異色の宗教問答スリラー-
  • 『 うぉっしゅ 』 -認知症との向き合い方-

最近のコメント

  • 『 i 』 -この世界にアイは存在するのか- に 岡潔数学体験館見守りタイ(ヒフミヨ巡礼道) より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に cool-jupiter より
  • 『 貞子 』 -2019年クソ映画オブ・ザ・イヤーの対抗馬- に 匿名 より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に イワイリツコ より

アーカイブ

  • 2025年5月
  • 2025年4月
  • 2025年3月
  • 2025年2月
  • 2025年1月
  • 2024年12月
  • 2024年11月
  • 2024年10月
  • 2024年9月
  • 2024年8月
  • 2024年7月
  • 2024年6月
  • 2024年5月
  • 2024年4月
  • 2024年3月
  • 2024年2月
  • 2024年1月
  • 2023年12月
  • 2023年11月
  • 2023年10月
  • 2023年9月
  • 2023年8月
  • 2023年7月
  • 2023年6月
  • 2023年5月
  • 2023年4月
  • 2023年3月
  • 2023年2月
  • 2023年1月
  • 2022年12月
  • 2022年11月
  • 2022年10月
  • 2022年9月
  • 2022年8月
  • 2022年7月
  • 2022年6月
  • 2022年5月
  • 2022年4月
  • 2022年3月
  • 2022年2月
  • 2022年1月
  • 2021年12月
  • 2021年11月
  • 2021年10月
  • 2021年9月
  • 2021年8月
  • 2021年7月
  • 2021年6月
  • 2021年5月
  • 2021年4月
  • 2021年3月
  • 2021年2月
  • 2021年1月
  • 2020年12月
  • 2020年11月
  • 2020年10月
  • 2020年9月
  • 2020年8月
  • 2020年7月
  • 2020年6月
  • 2020年5月
  • 2020年4月
  • 2020年3月
  • 2020年2月
  • 2020年1月
  • 2019年12月
  • 2019年11月
  • 2019年10月
  • 2019年9月
  • 2019年8月
  • 2019年7月
  • 2019年6月
  • 2019年5月
  • 2019年4月
  • 2019年3月
  • 2019年2月
  • 2019年1月
  • 2018年12月
  • 2018年11月
  • 2018年10月
  • 2018年9月
  • 2018年8月
  • 2018年7月
  • 2018年6月
  • 2018年5月

カテゴリー

  • テレビ
  • 国内
  • 国内
  • 映画
  • 書籍
  • 未分類
  • 海外
  • 英語

メタ情報

  • ログイン
  • 投稿フィード
  • コメントフィード
  • WordPress.org
Powered by Headline WordPress Theme