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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 歴史

『 2人のローマ教皇 』 -アカデミー賞助演男優賞決定-

Posted on 2020年1月5日2020年1月5日 by cool-jupiter

2人のローマ教皇 85点
2020年1月4日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:ジョナサン・プライス アンソニー・ホプキンス
監督:フェルナンド・メイレレス

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アカデミー賞助演男優賞はアンソニー・ホプキンスで決まりである。主演のジョナサン・プライスは回想シーンが中盤に挿入されている(=若い別の役者が演じるパートがある)ぶんだけ、『 ジョーカー 』のホアキン・フェニックスに分があると感じている。それでも『 天才作家の妻 40年目の真実 』の嫌味な夫を遥かに上回る好演であった。

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あらすじ

2012年、ベネディクト16世(アンソニー・ホプキンス)は新ローマ教皇として、カトリックの最高指導者となる。しかし、側近の不祥事によりその地位基盤は揺らいでいた。そんな折、かねてからカトリックの在り方に批判的だったアルゼンチンのベルゴリオ枢機卿から辞任の申し出を受ける。それを受理する代わりに、教皇はローマおよびバチカンでベルゴリオと対話を繰り返していく・・・

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ポジティブ・サイド

これは素晴らしいドラマである。ドラマの基本は対話であるが、これほど対話を軸に鮮やかに展開されていくドラマは、ちょっと思いつかない。『 マリッジ・ストーリー 』を遥かに上回るカタルシスが待っている。2019年11月に来日したフランシスコ教皇こそがベルゴリオ枢機卿その人である。彼はイエズス会出身であると知れば、親近感を感じる日本人は多いだろう。ぜひ多くの日本の映画ファンに観て欲しいと思う。なぜなら本作のジャンルは歴史であり伝記であるが、そのメッセージは極めて現代的なものだからである。

 

本作で繰り広げられるベネディクト16世とベルゴリオ枢機卿の対話には、非常に人間らしい要素が詰まっている。言い換えれば、信仰の在り方や教会内の政治力学などが話題になることはそれほど多くない。聖職者といえど人間であり、人間であるからには苦悩に苛まれる。そんな二人の男の対話である。まるで仏教のようであるが、れっきとしたキリスト教のカトリック教徒の伝記物語である。それだけ普遍性のある事柄であり、とっつきやすいとも言える。

 

具体的には劇場もしくはNetflixで鑑賞して頂きたいが、彼ら二人の対話は『 沈黙 サイレンス 』のテーマである神の沈黙があり、『 PK 』が言うところの回線の問題がある。つまり、非常に高位な宗教家や聖職者も、極めて世俗的な問いを持ち、極めて世俗的な迷いを抱いているということである。それは一介のサラリーマンが人生の意味を問うのと同じである。

 

ベルゴリオには複雑な背景がある。我々はなんだかんだで平和な日本に暮らしている。「戦後74年とは、我々が74年間戦争をしていないということである。我々はこれを戦後100年、戦後200年にしていかなければならない」と言ったのは誰だったか。『 サッドヒルを掘り返せ 』で、『 続・夕陽のガンマン 』撮影当時のスペインは軍事政権によって支配されていたということを知ったが、アルゼンチンも1976-1982年にかけて軍事独裁政権が成立していたことを不勉強故に知らなかった。大学生の時に、日本初のワールドカップ出場をテレビで色々な外国人と観ていたが、その時に日本を破ったアルゼンチンからの留学生が「この調子でイングランドも倒すぜ!」と息巻いていたことから、フォークランド紛争のことを教えてもらっていたというのに・・・ 今さらながらにそのようなことを思い出して、学ぶべき時に学ばなかったことを後悔している。

 

閑話休題。軍事政権下のアルゼンチンで行った宗教活動および政治活動を、ベルゴリオは悔いている。軍事政権とは、言論封殺を是とする政治体制である。そのことを現代日本に生きる我々はどう見るべきなのだろうか。敗戦日を終戦記念日という具合に奇妙な言い換えを行うことで、歴史から目をそらしてはいないか。ベルゴリオの「告解によって加害者は救済されても、被害者は救済されない」という言葉は、教会の役割を超えた何かを厳しく批判しているのではないか。時あたかも第三次世界大戦前夜の様相を呈している中、どこまでも対話によって相互理解を希求する2人の老人。そして、争うのであれば健全な形で争おうではないかと訴えかけるようなエンディングのシークエンス。教皇の座を得て、教皇の座を譲る。明仁天皇の生前退位はこれにインスパイアされたのではないか。そして、その教皇が来日をしたばかりというタイミングでこの作品が日本で公開されるのは偶然ではないだろう。対話せよ、というメッセージを受け取ろう。それが理性的な近代人たる我々の責務である。

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ネガティブ・サイド

二人とも英語が上手過ぎである。『 ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命 』のジェシカ・チャステインのように、わざと訛った英語を話すのはさすがに無理があり過ぎたか。

 

バチカンのスキャンダルについてもう少し尺を割くべきだったのではないだろうか。令和になり、セクハラは罪であるという意識がようやく国として生まれつつある日本には、カトリック聖職者による少年少女、さらには乳幼児への性的虐待がどれほどのダメージになったのかは想像が難しいかもしれない。まあ、日本に合わせてNetflixも映画は作らんわな。詳しく知りたいという向きには『 スポットライト 世紀のスクープ 』をお勧めしておく。

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総評

アンソニー・ホプキンスとジョナサン・プライスという二代巨匠の激突である。『 あなたの旅立ち、綴ります 』を観て、シャーリー・マクレーンほどの女優になると、演じる acting ではなく、なりきる being の境地に至るのだなと感じたことがある。それを思い出した。

 

 

Jovianのワンポイント英会話レッスン

Taken out of context

ベルゴリオの言う「言葉を切り取られた」という台詞である。日本の政治屋連中が「メディアに言葉を切り取られた」と言ったら、“My words were taken out of context.”と脳内翻訳してみよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, アルゼンチン, アンソニー・ホプキンス, イギリス, イタリア, ジョナサン・プライス, 伝記, 歴史, 監督:フェルナンド・メイレレス, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 2人のローマ教皇 』 -アカデミー賞助演男優賞決定-

『 KESARI ケサリ 21人の勇者たち 』 -トンデモ史実のトンデモ映像化-

Posted on 2019年12月15日2019年12月19日 by cool-jupiter
『 KESARI ケサリ 21人の勇者たち 』 -トンデモ史実のトンデモ映像化-

KESARI ケサリ 21人の勇者たち 65点
2019年12月14日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:アクシャイ・クマール
監督:アヌラーグ・シン

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インド映画を鑑賞する時、たまには頭を空っぽにして『 バーフバリ 』のようなアクションを楽しんでみたいと思う。なので近所のTSUTAYAで本作をピックアウト。真面目に鑑賞してもそれなりに面白く、アクションだけに注目しても、まあまあ面白い作品であった。

 

あらすじ

1897年、英国領インドの北方、パキスタンとアフガニスタンとの国境地帯。イシャル・シン(アクシャイ・クマール)はイスラム教徒パシュトゥーン人の女性への蛮行を見逃せず、命令違反を犯してその女性を救う。そのため僻地の通信基地、サラガリ砦に左遷されてしまう。そこには通信兵21名と調理人1名のみが配属されていた。一方で、パシュトゥーン人は他部族と連合を組み、1万人規模でのインド侵攻を目論んでいて・・・

 

ポジティブ・サイド

21対10,000という荒唐無稽な史実の戦闘に目をつけたのは面白い。日本で言うならば桶狭間の戦いや立花道雪vs島津および北九州豪族連合軍、それらよりもさらに酷い数的不利での戦いである。つまり結末は見えている。後はどう料理するかである。その意味では、いくらでもドラマチックな演出を施すことができる。本作はボリウッドらしく、荒唐無稽なバトルアクションを練り上げた。

 

まず、砦に立てこもる。当たり前である。そして手当たり次第に迫り来る敵を撃つ。戦略も戦術も作戦も、この規模の数的不利では意味を成さない。撃って撃って撃ちまくるしかない。下手に小賢しい作戦を用いない分、シク教徒の矜持が素直に表れていて分かりやすい。パシュトゥーン人も、作戦らしい作戦もなく烏合の衆が、バタバタと倒れていく。アホである。痛快である。まるで『 スター・ウォーズ 』世界のトルーパーの如しである。それでも彼我の戦力差はいかんともしがたく、ついに門扉は破られる。

 

あの時代、あの地域では近接戦闘では銃器を使わないという暗黙のルールがあるのか、ここからは手持ちの獲物でのバトル・シークエンスに突入する。ここでのアクシャイ・クマール演じるイシャル・シンのアクションは、『 マトリックス 』的であり、ゲームの『 三国無双 』や『 戦国無双 』的であり、韓国映画的でもある。特に高くジャンプしてからの回転切りは韓国ドラマや韓国映画で何千何万回と見たアクションである。これについては、 

1.韓国映画がインド映画を真似ている
2.インド映画が韓国映画を真似ている
3.コレオグラファーが共通の学びの土台を持っている
4.偶然の一致である

などが考えられる。インド人の一番の留学先はやはり英国らしいが、韓国人はソウル大学以外のどこで映画や演劇を学ぶのだろうか。それともソウル大学の教授陣が英国などで学んだ背景があるのだろうか。本作を観ながら、そのような比較文化論も考えてしまった。つまりは、日本のゲームや韓国映画的なデタラメなパワーを、インド映画もやはり持っているということである。『 散り椿 』や『 居眠り磐音 』のような、正統的な剣術も悪くないが、『るろうに剣心 京都大火編 』の左之助vs安慈のようなクレイジーなバトルを邦画でもっと見てみたい。そんなふうにも思わされた。

 

イシャルの人間造形も良い。自らの信念を軍の規律よりも優先し、良き家庭人であり、良き地域人であり、厳しい上官であり、部下への思いやりも持ち合わせている。砦では仏頂面を通しているが、ユーモアを解する心もある。そして敵と味方を人道的に区別できる。つまりはヒーローなのである。これが『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』その人である。このような男になってみたい。

 

少人数で拠点に立てこもるというと、本能寺の変の際の二条城が思い出される。掘りもあって、武家御城とも称され、武器弾薬もたんまりあったであろう二条城に500人が籠城したにもかかわらず、明智勢1万数千の前に一時間で陥落させられたという史実(?)のシミュレーションを本作を通じて行ってみるのも面白いかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

中盤から終盤にかけてのバトルシーンに比して、序盤のイシャルとパシュトゥーン人との闘いは迫力を欠いていた。冒頭の非常に説明的なナレーションと図示的な映像から、さらにインド、ロシア、英連邦なども絡んでの国際情勢と国境の云々を語って、いきなり観る側の眠気を誘うのだから、それを吹っ飛ばすだけの迫力を伴ったアクションが欲しかった。正直なところ、この冒頭のバトルでは近接での殴り合いやチャンバラにスピードやパワーが不足していた。

 

終盤のバトルでも、いくつか不自然な編集が目に付いた。最も残念だったのは背中から出血しているイシャルの格闘シーン。衣服にまだ赤い血がへばりついているショットと、土ぼこりや泥と混じり合った血が完全に乾いているショットが混在していた。デパルマ・タッチやブレット・タイムで撮影しているものだから、余計にそうしたおかしな点が目立つ。これは非常に大きな減点材料である。

 

イシャルは倒れた敵兵は敵兵ではないという慈悲の哲学に忠実であり、ジュネーブ条約の定める傷病者取り扱いの体現者でもある。その一方で、捕虜の取り扱いに関して信じられないほど非人道的な行為も行っている。これは史実なのだろうか。それとも映画オリジナルの演出なのだろうか。いずれにしろ、Jovianはこれを見て『 ハクソー・リッジ 』のデズモンドと日本兵を思い起こした。いくら戦争とはいえ、やってはいけないこともあるはずだ。これによってイシャルのヒロイズムがいくぶん弱められている。

 

21人の兵士が勲章を贈られ、顕彰されたのは当然であるが、サラガリの戦いの英語版のWikipedia記事によると、one civilian employeeがいたということである。これが料理長かどうかの記述はなかったが、デズモンド・ドス的な活躍を見せた彼にも、エンドクレジットで何らかの言及が欲しかった。

 

総評

インドという国の中だけでも複数の民族、複数の言語、複数の宗教が混在しているのに、そこに更に植民地と属国の関係と他国の他部族、他宗教勢力、さらに国境線も絡めたストーリーというのは、極東の島国の我々にはもはり理解不能である。史実や国際政治、紛争史を学ぼうなどという心構えは一切不要である。単純にボリウッドアクションを楽しむか、という気持ちで鑑賞するのが正しい態度である。これは英雄譚であって、ドキュメンタリー的な何かを期待してはいけない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話

Cock-a-doodle-doo.

鶏の鳴き声、コケッコッコーの英語である。ここからcookという動詞を聴きとるのは、確かに難しいことではない。Cookという動詞とバトルに無理やり関連を見出すなら、俳優のドウェイン・“ザ・ロック”・ジョンソンのWWE(WWFと言うべきか)の“If you smell what the Rock is cooking!”を知っていれば、アメリカのオールドプロレスファンと話す時に盛り上がれるかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクシャイ・クマール, アクション, インド, 歴史, 監督:アヌラーグ・シン, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 KESARI ケサリ 21人の勇者たち 』 -トンデモ史実のトンデモ映像化-

『 アイリッシュマン 』 -M・スコセッシの心の原風景-

Posted on 2019年12月4日2020年4月20日 by cool-jupiter

アイリッシュマン 65点
2019年12月1日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ロバート・デ・ニーロ アル・パチーノ ジョー・ペシ
監督:マーティン・スコセッシ

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『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』がQ・タランティーノの心の原風景を映画化したものだとすれば、本作はM・スコセッシの心の原風景を映画化したものなのではないか。これが観終わって一番に感じたことである。

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あらすじ

時は第二次大戦後の1950年代。マフィアの台頭と抗争の華やかなりし時代。フランク・シーラン(ロバート・デ・ニーロ)はマフィアのラッセル・“ルース”・バッファリーの下でヒットマンとして働いていた。彼は頭角を現し、全米トラック組合「チームスター」のトップであるジミー・ホッファ(アル・パチーノ)の知音となるが、それは更なる暴力稼業の始まりで・・・

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ポジティブ・サイド

この映画を私的に表現するなら、(『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』+『 ゴッドファーザー 』+『 ゴッドファーザー PART II 』+『 ゴッドファーザー PART III 』+『 グッドフェローズ 』+『 アウトレイジ 』)÷(『 JFK 』+『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』)だろうか。つまり、懐かしさの中に悪辣さ、悪辣さの中にある懐かしさ、そこに真実を追い求めようとするストーリーであるように感じられたのである。

 

『 ジョーカー 』でも健在をアピールしたロバート・デ・ニーロが、意気軒高、老いて益々盛んな様を銀幕に刻み付けた。タクシー・ドライバー・・・じゃなかった、トラック・ドライバーが何の因果かマフィアの暴力のお先棒を担ぐようになるまでの経緯を、煤けた空の元で重厚に描かれる。一昔前には日本でもデコトラがちらほらと生き残っていたが、確かに『 トラック野郎 』には荒くれ者が多いようである。ただし、“アイリッシュマン”のフランク・シーランには戦争のバックグラウンドがある。戦争であれ抗争であれ、先に撃った奴が有利であることを、この男はよくよく知っている。いったい何人を殺すのかというぐらいに劇中でも殺しまくるが、フランクの狙撃は全てが近距離、それもほとんどゼロ距離で行われる。これは相手の懐に完全に入り込み、確実に命中させ、なおかつ反撃を食らわないという確信がなければできないことである。フランクが殺しの方法論や哲学を語るシーンはないが、それでもヒットマンとしての確立された自己があるということが如実に伝わってくる。稼業が何であれ、仕事人ならばこのようなプロフェッショナルでありたい、そう思わせるだけの迫力がある。ロバート・デ・ニーロ、健在である。

 

アル・パチーノ演じるジミー・ホッファも素晴らしい。チラッと名前を聞いたことがあるぐらいの人物だったが、そのカリスマ的な演説力と行動力、クレイジーなまでの権力欲、律儀にもほどがある連帯意識、破滅に向かっていたとしか思えない自意識は、『 スカーフェイス 』や『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』での演技に並ぶものと評したい。本人は怒り狂っているのだが、その様が意図せざるユーモアになっているシーンもいくつかある。「どのトニーだ?」の問いかけには、笑ってしまうこと請け合いである。

 

ルースを演じたジョー・ペシには、日本でいえば國村隼的な迫力がある。好々爺に見えて恐い。こんな爺さんがボソッと何かを呟いたら、忖度の一つや二つ、誰でもしてしまいそうだ。小柄な俳優が暗黒街の大物を演じることで、無言の圧力や不気味なオーラといった名状しがたい雰囲気が醸し出されている。彼の味方にせよ敵にせよ、関わりのある人間のほとんどがまともな死に方をしていない。そんな彼自身がまともな死を迎えられたのかどうか。観る者の想像に委ねられている部分もあるが、“Ill weeds grow fast.”とは、このような事柄を指すのだろうか。

 

本作は家族のストーリーでもある。より正確に言えば、親子のストーリーである。父が娘に寄せる愛情、そして娘が父に向ける軽蔑の眼差しの物語である。ヒットマンとして数々の殺しを請け負い、様々な犯罪をほう助してきた男も、その内側には人並みの愛情を持っている。アメリカ犯罪史の生き証人でもあるフランクは関係者の全てが鬼籍に入っても沈黙を保ち続けた。しかし、自らの愛情を隠すことはできなかった。何と悲しい男であることか。誰かが自分を訪ねてくるという希望にすがるフランクの姿を、人間らしさの表れと見るか、それとも哀れで孤独な末路と見るか。それはNetflixで確かめるか、もしくはレンタルできるまで待ってから確かめて欲しい。

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ネガティブ・サイド

アメリカ史についてある程度の知識がないと、何のことやら理解が難しい場面が多い。そういう意味でも冒頭に挙げたマフィア、ギャング系の映画のいくつかは鑑賞しておくことが望ましいのかもしれない。マフィア間の抗争や他グループとの抗争、国家権力との闘争など、彼らが現代に残した影響は計り知れない。ボクシングでは、ギブアップの意思表示のためには本来ならタオルは投入しない。それは大昔のことである。正しくは、セコンドがリングサイドに立ってタオルを振るのである。これは、まさにこの映画の描く時代に、自分の側のボクサー(それはギャンブルの対象でもある)がピンチに陥った時に、観客席からタオルを投げ込んで一次的に試合をストップさせてしまう不届き者が後を絶たなかったからである。こうしたチンピラ行為は、今では連邦法で取り締まられる。つまり、FBIに逮捕されてしまう。マフィアやギャング連中の何たるかを、劇中でもう少し詳しく描いて欲しかった。この映画を鑑賞するのはデ・ニーロやパチーノのファンがマジョリティかもしれないが、全員が全員、こうした歴史的背景に詳しいわけではない筈である。実際にJovianも前半はところどころがちんぷんかんぷんであった。

 

その前半のパチーノやデ・ニーロにはデジタル・ディエイジングが施されているが、これが気持ち悪いことこの上ない。『 キャプテン・マーベル 』のサミュエル・L・ジャクソンは普通に受け入れられたが、本作は無理である。特にアル・パチーノが不気味で仕方がなかった。『 アリータ バトル・エンジェル 』のアリータはだんだんと可愛らしく見えてきたが、今作の前半のパチーノは人間が機械的な仮面をかぶって演技をしているように見えて、とにかく気持ちが悪かった。これは何なのだろうか。

 

あとはとにかく長い。漫画『 クロス 』でもハリウッドのプロデューサーであるジャック・ザインバーグが「間にほどよく休憩をはさんだ3時間超の映画を作りたい」と言っていたが、インド映画のようなIntermissionをはさむことはできないのだろうか。それともNetflix映画にはそのような配慮は無用なのだろうか。長さは措くとしても、ペーシングに難がある。ジミー・ホッファが退場してからが異様に長く感じられる。ここからはアクションらしいアクションやサスペンスがなくなり、どちらかというとフランクの内省が焦点になるからだが、このパートだけでも10分は削れたのではないか。もしくは、もう少しメリハリのある作りにできたのではないか。自宅で適度に自分のペースで観ることができるように計算して作られたのかもしれないが、映画の基本は照明にしろ音響にしろ長さにしろ、劇場鑑賞を旨とすべしだと思いたい。

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総評

Netflix映画で、期間限定でミニシアターで公開されている。『 アナイアレイション 全滅領域 』もそうだった。Jovianはこちらはレンタルで観た。今秋、どこの映画館も一律に値上げを行ったが、年間50本を映画館で観るとするなら5000円、100本観れば10000円である。ボディブローのように財布には効いてくるかもしれない。本作を劇場鑑賞して、Netflixなどの配信サービス加入を真剣に考え始めている。アナログ人間のJovianにそう思わせてくれるだけの力のある作品であることは疑いようもない。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

That does it.

「 ひどすぎるぞ! 」、「 我慢ならん 」のような意味である。『 デッドプール 』でも、コロッサスに気を取られていたデッドプールがフランシスを逃がしてしまった時に、この台詞を叫んでいた。さあ、仕事や学校で気に食わないこと、理不尽なことがあった時には、心の中で“That does it!”と叫ぼうではないか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, アル・パチーノ, サスペンス, ジョー・ペシ, ロバート・デ・ニーロ, 伝記, 歴史, 監督:マーティン・スコセッシ, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 アイリッシュマン 』 -M・スコセッシの心の原風景-

『 ファースト・マン 』 -宇宙飛行士を生還させた家族の絆-

Posted on 2019年11月28日 by cool-jupiter

ファースト・マン 60点
2019年11月26日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ライアン・ゴスリング クレア・フォイ ジェイソン・クラーク カイル・チャンドラー
監督:デイミアン・チャゼル

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かんとk 

劇場鑑賞しようと思い、できなかった作品は毎年いくつもある。本作もその一つ。『 アド・アストラ 』は面白さとつまらなさを同居させた作品だったが、静謐な雰囲気のSFを観たいという欲求を蘇らせてくれた。めでたくTSUTAYAで準新作になったので借りてきた。

 

あらすじ

宇宙飛行士のニール・アームストロング(ライアン・ゴスリング)は、飛行訓練に励んでいた。ソ連との宇宙開発競争に後れを取っていたアメリカは、J・F・ケネディ大統領の掛け声の下、人類初の月面着陸を目指していた。しかし、そこには家族との別離の苦悩、経済格差、そして飛行士の命を奪う事故など、問題が数多く存在しており・・・

 

ポジティブ・サイド

ライアン・ゴズリングはやはり当代随一の役者の一人であると感じる。内に秘めた感情を表には出さない。しかし、それを表出する時には、静かに、しかし激しく表出する。『 ドライブ 』で愛しのアイリーンが人妻と分かって意気消沈している時に、以前のクライアントが話しかけてきたのを静かに、しかし力強い脅し文句ではねつけるシーンがあったが、今作でもよく似たシーンがある。そこではさらに孤独感のにじみ出る強い拒絶を見せる。我々は宇宙飛行士と聞くと、肉体は壮健で頭脳は聡明、危機において心を乱さず、統率力も抜群であると思い込みがちである。いや、実際はその通りなのだろうが、そうした超人的な属性を以ってしても、アストロノートも一人の人間であるという事実は変わらない。一人の組織人であり、家庭人であり、社会の一成員であるということである。上司に報告し、同僚と競い合う。そうした意味ではサラリーマンでも共感できるところ大である。また、子どもを失うという例えようもない悲しみを胸に秘めていたり、妻と言い争いになってしまったり、子どもいる前で仕事の苛立ちを爆発させてしまったりと、これまた既婚サラリーマンあるあるを見せてくれる。そうなのだ。これはスーパーヒーローの物語ではなく、宇宙飛行士という国家的英雄の本当の姿を映し出す物語なのだ。

 

『 ブレス しあわせの呼吸 』でもダイアナを好演したクレア・フォイは、普通ではない男と結婚した女性という役がハマるタイプか。漫画『 ファントム無頼 』でも太田指令や西川など、現役パイロットとして常に死の危険と隣り合わせであることから妻に不安を与えていることが描かれていた。戦闘機パイロットでもそうなのだ。まして宇宙飛行士。そして、文字通りに前人未到の月面着陸ミッション。鬼気迫る表情で子どもたちに話すように促すクレアを見て、「母は強し」という格言の意味を再確認した。

 

ラストシーンも趣が深い。言葉はなくともニールの頭の中が、文字通り見て分かるのである。他にもアームストロングのひげの長さでさりげなく時間経過を知らせる演出なども芸が細かい。映像芸術として随所に秀逸な画が挿入されているところが光っている。

 

ネガティブ・サイド

本作はSFと見せかけた伝記映画でありヒューマンドラマである。その点だけを見れば合格点だが、月への飛行および着陸ミッションのスペクタクルが少々弱い。それが本作の眼目ではないにしろ、余りにもその部分を芸術的に描き過ぎている。冒頭の訓練飛行シーンの方がスリリングだった。もっともこれは最初からネタがばれている歴史物の宿命でもあるのだが。

 

荒涼とした月面に初めての足跡を残した時、「人類」という単語をアームストロングは使った。その人類とは、誰なのか。『 アルキメデスの大戦 』や『 風立ちぬ 』と同じく、巨額の税金が国家的なプロジェクトに注ぎ込まれる一方で、その割りを食うのは常に庶民である。黒人が貧しい暮らしを余儀なくされる一方で、白人が月に行く。そのような社会的な矛盾をも背負って月へ飛んだアームストロングが月面から地球を見た時に胸に去来した思いは何であったのか。それは観る者の想像力に委ねられている。しかし『 ドリーム 』でケヴィン・コスナーが、『 インターステラー 』ではマイケル・ケインが、それぞれにフロンティア進出の必要性を語っていたように、アメリカ人(ゴズリングはカナダ人だが)というのはフロンティア開拓を無条件に是とする傾向がある。当時の社会情勢について、アームストロング自身の口から何かが語られていたのは間違いないはずで、それを使うか、あるいは現代風にアレンジして、現代向けのメッセージとして再発信はできなかったのだろうか。このあたりがアメリカ人の楽観的過ぎる気質なのだろうか。何でもかんでもファミリー万歳はもうそろそろ卒業すべきだろう。

 

総評

SF映画ではなく歴史映画、伝記映画、そしてヒューマンドラマである。ZOZOを絶妙のタイミングでほっぽり出した無責任男の宇宙旅行計画あり、民間のスペースポートの開港が間近に迫っているとのニュースもあり、我々は再び月を目指そうとしている。その意味で、人類で初めて月に降り立ったニール・アームストロングの人生を追体験することは、我々一人ひとりが来るべき未来をシミュレートすることになるのかもしれない。『 アド・アストラ 』や『 メッセンジャー 』など、思弁的なSFが作られる土壌がハリウッドにあるのであれば、誰か水見稜の小説『 マインド・イーター 』をハリウッドに売り込んでくれないだろうか。もしくは日本でアニメーション映画化してほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Out of this world

 

直訳すれば、「この世界の外側へ」であるが、実際の意味は「この世のものとは思えないほど素晴らしい」である。記者たちに夫の宇宙飛行について尋ねられたジャネットが当意即妙に“Out of this world!”と答えたシーンから。ジェームズ・P・ホーガンの小説『 内なる宇宙 』でも似たような会話があった。以下、手持ちの本から引用。

“What on earth are you doing here?” Hunt had to force himself to hold a straight face until he had gone through the motions of looking up and about.

“I could say the same about you — except that ‘earth’ is hardly appropriate.”

 

これは宇宙船の中でのジーナとハントの会話である。on earthの使い方が適切ではないのではないか?とEnglishmanのハントがアメリカ人のジーナをからかっている。ホーガンの≪巨人≫三部作も、誰か映像化してくれないものだろうか。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, カイル・チャンドラー, クレア・フォイ, ジェイソン・クラーク, ヒューマンドラマ, ライアン・ゴズリング, 伝記, 歴史, 監督:デイミアン・チャゼル, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 ファースト・マン 』 -宇宙飛行士を生還させた家族の絆-

『 アルキメデスの大戦 』 -戦争前夜に起こり得たリアルなフィクション-

Posted on 2019年8月8日2020年4月11日 by cool-jupiter

アルキメデスの大戦 80点
2019年8月4日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:菅田将暉 柄本佑 浜辺美波
監督:山崎貴

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戦艦大和を知らない日本人は皆無だろう。仮に第二次大戦で沈没した大和のことを知らなくとも、漫画および映画にもなった『 宇宙戦艦ヤマト 』やかわぐちかいじの漫画『 沈黙の艦隊 』の独立戦闘国家やまとなど、戦艦大和はシンボル=象徴として日本人の心に今も根付いている。それは何故か。やまとという名前が日本人の大和魂を震わせるからか。本作は、戦艦大和の建造の裏に大胆なドラマを見出した傑作フィクションである。

 

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あらすじ

時は第二次世界大戦前夜。日本は世界の中で孤立を深め、欧米列強との対立は不可避となりつつあった。そこで海軍は新たな艦船の建造を計画、超巨大戦艦と航空母艦の二案が対立する。戦艦の建造予算のあまりの低さに疑念を抱いた山本五十六は、数学の天才の櫂直(菅田将暉)を旗下に招き入れ、その不正を暴こうとするが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 風立ちぬ 』と共通点が多い。戦争前夜を描いていること、主人公がややコミュ障気味であること、その主人公が数学者・エンジニア気質であることなど、本当にそっくりである。菅田将暉演じるこの数学の天才児は、どことなく機本伸司の小説『 僕たちの終末 』の岡崎のような雰囲気も纏っている。「それは理屈に合わない」という台詞を吐きながらも、滅亡のビジョンを眼前に想像してしまうと、間尺に合わない選択をしてしまうところなど瓜二つである。つまり、男性にとって非常に感情移入しやすいキャラクターなのだ。男という生き物は、だれしも自分の頭脳にそれなりの自信を持っているものなのだ。俺が経営幹部ならこんな判断はしない。俺が政治家ならこういう施策を実施する。そういった脳内シミュレーションを行ったことのない男性は皆無だろう。同時に、男はある意味で女性以上に感情に振り回される生き物でもある。面子、プライド、沽券。こういった理屈で考えれば切り捨てるべき要素に囚われるのも男の性である。櫂という漫画的なキャラクターにして非情にリアリスティックでもあるキャラクターを十全に演じ切った菅田将暉は、20代の俳優陣の中ではトップランナーであることをあらためて証明した。

 

本作は冒頭からいきなり大迫力の戦闘シーンが繰り広げられる。『 シン・ゴジラ 』を手掛けた白組だが、They did an amazing job again! プレステ6かプレステ7ぐらいのCGに思える。思えば『 空母いぶき 』のF-22もどきはプレステ4ぐらいのグラフィックだった。戦闘シーンの凄惨さは写実性や迫真性においては『 ハクソー・リッジ 』には及ばないが、それでも近年の邦画の中では出色の完成度である。特に20mmまたは30mm砲の機銃掃射を生身の人間が浴びればどうなるかを真正面から描いたことは称賛に値する。何故なら、それがリアリティの確保につながるからだ。漫画『 エリア88 』でグエン・ヴァン・チョムがベイルアウトした敵パイロットに機関砲を浴びせるコマがあるが、あの描写は子供騙しである。もしくは編集部からストップがかかり、修正要請が出されたものである。70年以上前の第二次大戦時の戦闘機であっても、その機銃を浴びれば人間などあっという間に肉塊に変身する。そこを逃げずに描いた山崎監督には敬意を表する。

 

本作は今という時代に見事に即している。戦争前夜に、戦争を止めようと奔走した人物が存在したというフィクションがこの時代に送り出される意味とは何か。それは今日が戦争前夜の様相を呈しているからである。前夜という言葉には語弊があるかもしれない。本作は実際には日本の真珠湾奇襲の8年前を描いているからだ。戦争とは、ある日突然に勃発するものではない。その何年も前から萌芽が観察されているものなのだ。現代日本のpolitical climateは異常ではないにしても異様である。圧力をかけるにしろ対話による融和を志向するにせよ、その相手は北朝鮮であるべきで韓国ではない。自民党幹部および安倍首相はアホなのか?そうかもしれない。しかし、我々は第4代アメリカ合衆国大統領のジェームズ・マディソンの言葉、“The means of defense against foreign danger, have been always the instruments of tyranny at home.”=「 外敵への防衛の意味するものは、常に国内における暴政の方便である 」を思い出すべきだろう。自民党がやっていることは庶民を苛めつつも、庶民の溜飲を下げるような低俗なナショナリズムの煽りでしかない。株価は上がっていると強調しながら賃金は下がっている。雇用は改善していると言いながら、正社員は激減している。身を切る改革を謳いながら、議員定数を増やしている。国益を守り抜くと言いながら、韓国相手の巨大な貿易黒字を捨ててしまっている。そんな馬鹿なと書いている自分でも思うが、これがすべて事実なのだ。国外脱出をしたくなってくる。『 風立ちぬ 』でも二郎が、国の貧しさと飛行機パーツの価格の高さの矛盾を嘆いていたが、櫂も新戦艦の建造費用を「貧しい国民が必死に払った税金」だと喝破する。戦艦大和に込められた思想的な部分を抜きにこのシーンを見れば、クソ性能で超高価格のF-35なるゴミ戦闘機がどうしても思い浮かぶ。身銭を切って幻想を買う。この大いなる矛盾が戦争前夜の特徴でなければ、一体全体何であるのか。『 主戦場 』でミキ・デザキは日本がアメリカの尖兵として戦争に送り込まれることを危惧していたが、そうした問題意識を高めようとする映画を製作しようとしう機運が映画界にあり、そうした映画を製作してやろうという気概を持つ映画人が存在することは誇らしいことである。

 

本作の見せ場である新型戦艦造船会議は、コメディックでありサスペンスフルである。『 清州会議 』的な雰囲気を帯びていながらも、本作の会議の方が緊迫感があるのは、それが現代に生きる我々の感覚と地続きになっているからだろう。一つには税金の正しい使い道の問題があるからであり、もう一つには大本営発表の正しさの検証妥当性の問題があるからである。この会議で日本映画界の大御所たちが繰り広げる丁丁発止のやり取りを、その静かな迫力で一気に飲み込んだ田中泯演じる平山忠道の異様さ、不気味さが、その余りの正々堂々たる姿勢と相俟って、場の全員を沈黙に追いやる様は圧巻である。彼の言う「国家なくして国民なし」という倒錯した哲学は、『 銀河英雄伝説 』のヤン・ウェンリーがとっくの昔に論破してくれているが、それでも国家は国民に先立つ考える人間の数がどこかの島国で増加傾向にあるようだ。憂うべきことである。

 

登場する役者全員の演技が素晴らしく、CGも高水準である。脚本も捻りが効いており、原作者および監督のメッセージも伝わってくる。『 空母いぶき 』に落胆させられた映画ファンは、本作を観よう。

 

ネガティブ・サイド

一部のBGMが『 ドリーム 』や『 ギフテッド 』とそっくりだと感じられた。数式をどんどんと計算・展開していく様を音楽的に置き換えると、どれもこれも似たようなものになるのかもしれないが、そこに和のテイストを加えて欲しかった。『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』ではオリジナルの伊福部サウンドを再解釈し、大胆なアレンジを施してきた。もう少しサウンド面で冒険をしても良かった。

 

Jovianは数学方面にはまったく疎いが、物語序盤で櫂が鮮やかに扇子の軌道計算を行っていた場面は疑問が残る。1930年代にカオス理論があっただろうか。扇子のような複雑な形状の物体は、いくら比較的狭い室内で無風状態であるとはいえ、カオス理論なしには計算不可能なような気がする。それ以前に、櫂は巻尺は常に携行しているが、重さを測るためのツールは持っていないだろう。扇子の重量を計算に入れずに、いったいどうやって軌道計算したというのか。大いに疑問が残った。

 

また数学者が主役で、戦時に活躍するとなると、どうしても『 イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密 』を想起する。櫂の計算能力は天才的ではあるものの、発想力という意味ではアラン・チューリングには及ばなかったように思う。船の建造費を導き出す方程式にたどり着いたのは見事だったが、悪魔の暗号機エニグマに対抗するには、計算ではなく計算機械が必要なのだという非凡な発想を最初から持っていたチューリングの方が、どうしても一枚上手に思えてしまう。事実は小説よりも奇なりと言うが、櫂というfictionalなキャラクターにもっとfictitiousな数学的才能や手腕をいくつか付与しても良かったのではなかろうか。

 

総評

娯楽作品としても芸術作品としても一線級の作品である。日本人の心に今も残る戦艦大和の裏に、驚くべきドラマを想像し、構想し、漫画にし、それを大スクリーンに映し出してくれた全てのスタッフに感謝したい。いくつか腑に落ちない点があるが、それらを差し引いても映画全体として見れば大幅なプラスである。今夏、いや今年最も観るべき映画の一つだろう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, A Rank, サスペンス, ヒューマンドラマ, 日本, 柄本佑, 歴史, 浜辺美波, 監督:山崎貴, 菅田将暉, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 アルキメデスの大戦 』 -戦争前夜に起こり得たリアルなフィクション-

『 哲人王 李登輝対話篇 』 -様々な点で更なる深堀りが必要な作品-

Posted on 2019年7月7日2020年4月11日 by cool-jupiter

哲人王 李登輝対話篇 40点
2019年7月4日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:桃果 てらそままさき
監督:園田映人

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人に勧められて鑑賞。元々少し興味があったので、劇場上映最終日に出陣。着眼点は悪くないと思うが、映画的演出の面、さらに歴史を見つめる視座・視覚にまだまだ改善の余地ありと言わざるを得ない。

 

あらすじ

女子大生の山口まりあ(桃果)は現代の世界の在り方に疑問を抱いていた。悪くなっていくだけの世界に絶望したまりあは湖への投身自殺を図る。しかし、その時、まりあの心に語りかけてくる声があった。それは台湾の元総統・李登輝の声だった。李登輝は言う。あなたの心を変えてみたい。だから私の話を聞いて欲しい。それまで、あなたの命は私に預けるように、と。かくして、李登輝とまりあの心の対話が始まった・・・

 

ポジティブ・サイド

台湾という、ある意味で誰もが余りはっきりと理解していない国に焦点を当てるというのは、着眼点として優れている。そして、地政学的に複雑な場所に位置する台湾が辿ってきた数奇な歴史は、日本が歩んでいたかもしれないifの歴史とシンクロする、あるいはオーバーラップするところも多いだろう。2014年のロシアのクリミア併合や今も続く北方領土問題、前世紀末から続く周辺諸国による南沙諸島の領有争い及び中国の実効支配化、更に尖閣諸島への進出など、現代においても領土的野心を捨てていない大国がすぐ近くに存在するという現実を念頭に置いた上で李登輝の話に耳を傾ければ、グローバリゼーションが着々と進行する中で、どのように「民族自決」にも重きを置いていくべきなのかが見えてくる。

 

歴史を過去の物語とせず、現代を把握する上での貴重な羅針盤や航海図として見るのならば、それは正しい歴史の見方であると思う。そのことがある程度達成されていることが本作の貢献であろう。

 

ネガティブ・サイド

大きくは二つある。まず、まりあというキャラクターがあらゆる意味で駄目駄目である。世界には飢えた子どもがいる、戦争、紛争が絶えない地域がある。自分たちはそれをニュースとして消費するだけである。こんな世界に誰がした?こんな世界に生きる価値は無い!だから死ぬことにする・・・って、アホかいな。ティック・クアン・ドックみたいに燃えるプラカードとして国会議事堂前で絶命するぐらいしてみろ、とまでは言わない。ただ希死念慮を抱く前に、「こんな世界に誰がした?」という問いかけに、自分で答えようとする意気込みぐらい持ちなさい。大学生だろう。色々勉強してみたが、現代史はあまりにも複雑に絡まり合っていて何が何だか分からない、自分はやっぱり無力だ・・・という流れも何もなしに、「死にます」では誰の共感も得られない。2分でいいから、まりあの勉強、および無力感を味わうシーンを挿入できなかったのか。ストーリーボードの時点でそもそもそんな構想は存在しなかったのか。またはポスプロの編集でカットされたのか。いずれにしても、まりあというキャラクターを立たせるのに失敗している。

 

二つには、歴史を単眼的に捉えている点である。複眼的ではないということである。では複眼的とは何か。これについては色々と分析できるが、Jovianが主に用いる思考法は以下である。すなわち、「事実」と「真実」の両方を考える、ということである。

 

まず李登輝総統が語る日本軍による台湾統治の物語は紛れもない真実であろう。しかし事実は、日本が軍事力によって台湾を支配したということである。台湾がそのことによって発展し、教育を授けられ、日本に恩義を感じたというのは真実である。しかし、日本は台湾及び台湾人のために開発援助を行ったのではない。台湾が日本の一部になったからそうしたのである。日本政府が日本の国土を適切に開発し、自国民に適切な教育を与えるのは理の当然である。事実はこうである。それを台湾の人たちがありがたく受け取ってくれたことが真実である。本作は真実の方にばかり焦点を当て、事実を顧みることに余りにも無頓着であるように映った。日本は教育熱心だったのは事実である。そのことは、例えば岡山県の閑谷学校の歴史を見ればよい。藩から独立した財源を確保することで、藩政に支障が出た時や財政難にあっても、教育活動が絶えることなく行われるような仕組みが江戸時代にはすでに存在していたのだ。閑谷学校の例があまりにもマイナーだと言うなら、寺子屋のことを考えるのも良いだろう。日本は大昔から自国民の教育に熱心だった。これは素晴らしい点である。日本の美徳と言ってよい。これは事実である。台湾の人が日本の教育をありがたく思った。これは真実である。台湾は当時、日本の一部だった。これは事実である。日本は自国民たる台湾の人々に教育を施した。これは事実である。事実は事実で、真実は事実に解釈を加えたもののことである。そして、解釈は自分で行うものである。まりあは余りにも無邪気に李登輝の語る真実を受け止め過ぎている。それがJovianの印象である。事実と真実を峻別できていない、すなわち批判的思考=Critical Thinkingができていない。それが、まりあというキャラクターの最大の欠点である。まるで小林よしのりの『 ゴーマニズム宣言 』に次々に洗脳されていった2000年前後の憐れな大学生たちを思い出した。『 主戦場 』には、日本の未来への眼差しがあった。本作は現実の肯定および受容で立ち止まってしまった。そこにある質的な差は大きい。

 

映像芸術としても粗が目立つ。実写とアニメーションの混合という点では『 真田十勇士 』という駄作が思い出される。本作のアニメーションは欠点とまでは言えない。しかし。余りにも数多く繰り出されてくるクリシェなショットには頭痛がしてきた。具体的には、まりあの振り返りである。廊下を歩くまりあがふと立ち止まり、振り返る。まりあの向こうにはまばゆい光が輝き、それがまりの輪郭をより強く際立たせ・・・って、これは美少女にフォーカスしたアホなラブコメなのか?まりあが自殺を図って、気を失って、目を覚ますところでも、なぜか服がピンクのワンピースに変化していたが、その時のまりあの寝姿がグラビアアイドルのそれだった。だから、そういう構図のショットはラブコメまたは純粋なロマンスもの、またはアイドルにのイメージビデオでやってくれ。園田監督のセンスを大いに疑う。

 

総評

本作を見て、「嗚呼、日本はやはり素晴らしかった」と思える人はあまりにも純粋無垢である。勘違いしないで頂きたいが、Jovianは別に日本の歴史の全てをネガティブに捉えているわけではない。ただし、歴史の一部だけを切り取って、それを現状の肯定の材料にするという思考方法に大いなる疑問を抱いているだけである。子曰く、「過ちて改めざる 是を過ちと謂う」。Jovianは第二次大戦について絶対に譲ることのできない日本の過ちとして、学徒動員を挙げる。兵隊が尽きたら降伏せよ。軍人ではない市民を戦争に駆り出すな。日本政府そして日本国民の大部分はそのことに無自覚である。外国人からの評価を以って、自身の評価につなげるべからず。自身の歴史を引き受けよ。その上で現状だけではなく未来に目を向けよ。しがないサラリーマン英会話講師の精いっぱいの叫びである。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, アニメ, てらそままさき, 日本, 桃果, 歴史, 監督:園田映人, 配給会社:レイシェルスタジオLeave a Comment on 『 哲人王 李登輝対話篇 』 -様々な点で更なる深堀りが必要な作品-

『 パドマーワト 女神の誕生 』 -インド叙事詩の絢爛たる映像化作品-

Posted on 2019年6月10日2020年4月11日 by cool-jupiter

パドマーワト80点
2019年6月9日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ディーピカー・パードゥコーン ランビール・シン シャーヒド・カプール
監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリー

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監督はインドの黒澤明と呼ばれているらしい。しかし、黒澤は音楽に一家言はあっても、自分で音楽を創り出すことはしなかった。そうした意味では、サンジャイ・リーラー・バンサーリーはスコット・スピア-やジェレミー・ジャスパーのようなマルチな才能の持ち主と言うべきなのかもしれない。世代的にも、ちょうど黒澤と彼らの間に属しているようだ。

 

あらすじ

傾城の美女パドマーワティ(ディーピカー・パードゥコーン)はメーワール国の王ラタン・シン(シャーヒド・カプール)と結ばれ王妃となる。しかし、デリーでスルタンとなったアラーウッディーン(ランビール・シン)はとあることからパドマーワティに執着するようになり、ついにはメーワール国へと出兵する・・・

 

ポジティブ・サイド

相変わらずの映像美である。ディズニーの実写版『 アラジン 』は、トレイラーの絵があまりにも綺麗過ぎて、つまり本物であるように感じられず、どうにも食指が動かないが、本作はこれまでのインド映画の文法から外れることなく、動物以外には極力CGを使わずに実物、または精巧なセット、大道具、小道具を駆使して映像美を生み出している。

 

そして音楽も良い。BGMや効果音にどこか techy なところを感じさせつつも、基本は非常にオーガニックな音なのである。50代の監督だが、音楽にしても最先端の機器や技術を貪欲に取り入れているのだろう。特にパドマーワティの舞う「グーマル」とアラーウッディーンの舞う「カリバリ」が強く印象に残った。前者は30kgにもなる衣装を身につけての舞踊と知ってびっくり。後者はアッラーウッディーンの悪逆無道さと純粋なまでの強欲さが鬼気迫る表情と力強い踊りで表現されており、ひとつのハイライトになっている。インド映画にハマって日は浅いが、このようなダークなトーンのダンスシーンは珍しいのではないだろうか。

 

戦闘シーンは『 バーフバリ 王の凱旋 』には及ばないものの、『 キングダム 』と同水準かそれ以上であると言える。とはいっても、映画『 キングダム 』では大兵力と大兵力のぶつかり合いが(まだ)描かれていないので、これはアンフェアな評価なのかもしれない。とある攻城兵器をCGで描いているのだが、これが全体の調和を崩さないのだから、インドのCG製作技術の高さを認めないわけにはいかない。というか、同じ予算で同じCGを作らせたら、全体的にはインドの方が日本より上かもしれない。一騎討ちもかなりロングのワンテイクを繋ぎ合わされており、作り手の意気込みがうかがえる。

 

しかし、何と言っても役者、演技者、表現者としての白眉はランビール・シンに尽きる。パドマーワティは戦を「正義と悪の戦い」という二項対立で捉えるが、アラーウッディーンは単なる悪には留まらない魅力がある。スルタンである伯父を弑逆しながらもその家臣団を変わらずに統率し、甥の毒矢に倒れながらも、家来たちに動揺は見られなかった。つまりはカリスマの持ち主なのだ。ラタン・シンとの会談時に、「歴史とは燃やせば消える紙のことではない」と喝破されながらも、「私の名前を記さない歴史書に意味は無い」という断言で応じる胆力。どこぞの歴史修正主義者たちも、これぐらいの神経の図太さを持ってみてはどうか。

 

現代的なメッセージも含まれている。殉死を奨励するわけではないことは冒頭でも明示されるが、死を以ってしかできない抗議というのは確かにある。ベトナムの仏僧ティック・クアン・ドックが燃えるプラカードになった事件を知っている人も多いはずだ。傾城の美女を巡って男どもドンパチとチャンバラを繰り返すだけのアクション映画ではなく、女性同士の連帯、女性の知略と勇気をもしっかりと描き出しているのが本作の特徴である。このような描写がしっかりしているからこそ、クライマックスのシーンがなおのこと際立つ。『 バーフバリ 王の凱旋 』とは一味もふた味も違うが、本作も確かに傑作である。

 

ネガティブ・サイド

アラーウッディーンの側近となる奴隷の活躍はどこだ?思わせぶりに登場して、暗殺者やスパイ、破壊工作員として大いにその腕を振るうのではと予感させておきながら、大した活躍は無かった。何という肩すかし。

 

叙事詩の内容と異なるのかもしれないが、デリー軍とメーワール国の二度目の戦争では、ぜひ周辺諸国の連合軍が結成されると思っていたが、これも無し。衣装やセットに予算をつぎ込み過ぎたのか。欲を言えば、単純明快なバトルシークエンスがもう少しだけ欲しかった。

 

パドマーワティと妃殿下の対立シーンも、ややノイズであるように感じられた。妃殿下はいっそのこと存在ごとばっさりカットして、上映時間を150分程度に抑える工夫をしても良かったのではないかと考える。

 

総評

スペクタクルである。ロマンである。インド映画に外れなしである。アクション映画ファンも、サスペンス映画ファンも、ミュージカル好きでさえも唸らせる作品が届けられた。ぜひ劇場で堪能して欲しいと思う。その場合は、事前のトイレはしっかりと。鑑賞中の水分摂取もほどほどに。Jovianの鑑賞回でも、少なくとも5人はトイレに立っていたので。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, インド, シャーヒド・カプール, ディーピカー・パードゥコーン, ランビール・シン, 歴史, 監督:サンジャイ・リーラー・バンサーリー, 配給会社:SPACEBOXLeave a Comment on 『 パドマーワト 女神の誕生 』 -インド叙事詩の絢爛たる映像化作品-

『 キングダム 』 -続編が期待できる序章-

Posted on 2019年4月21日2020年1月29日 by cool-jupiter

キングダム 75点
2019年4月21日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:山崎賢人 吉沢亮 橋本環奈 長澤まさみ 
監督:佐藤信介

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Jovianも毎週欠かさずYoung Jumpを買っては漫画『 キングダム 』を読んでいる。この映画化には心躍るのと同時に、一抹の不安もあった。大河ドラマ的なスケールでありながら、水戸黄門的なお約束チャンバラを適度に、しかしハイレベルに交えて一つのエピソードを描くとなると、それなりに手練れの監督が必要となる。『 曇天に笑う 』、『 BLEACH 』と剣戟乱舞はそれなり魅せるものの、肝心のストーリー部分で???とさせられた佐藤信介監督は、今回は及第点以上の仕事をしてくれた。

 

あらすじ

時は紀元前3世紀。場所は中国西方の大国「秦」。奴婢の信(山崎賢人)と漂(吉沢亮)は、剣の修行に励み、いつか天下の大将軍になることを夢見ていた。そんな時、漂が宮仕えに召し出される。立身出世の機と思われたが、その漂が殺されてしまう。漂の遺言の場所に駆け付けた信は、漂と瓜二つの少年、秦王嬴政と出会う・・・

 

ポジティブ・サイド

 漫画の実写化において、キャラの再現性の高さは絶対にはずしてはならないポイントである。そこを微妙に外したのが『 ルパン三世 』であり、そこを絶妙に表現したのが『 銀魂 』だった。奇しくも両方とも小栗旬が主演。本作はどうか。

山崎賢人と信のシンクロ率:85%
吉沢亮と漂および政のシンクロ率:95%
橋本環奈と河了貂のシンクロ率:99%
長澤まさみと楊端和のシンクロ率:85%
大沢たかおと王騎のシンクロ率:80%
本郷奏多と成蟜のシンクロ率:90%

であった。つまり、かなり良い感じなのである。特に山崎賢人は、演技にもう少しメリハリが欲しいが、今作では脳筋的なキャラを演じ切れていた。信の魅力は一にかかってその純粋さ、ひたむきさ、そして直感的に本質を把握してしまう感性の鋭さにある。『 羊と鋼の森 』以来、「俺、かっこいいだろ?」的なキャラもこなせるようになってきた。今後の成長にも期待したいし、この信にはもう一度スクリーンで再会したいと思えた。

 

吉沢もやっと代表作たりうる役に巡り合えたのではないか。彼が出る映画はハズレ映画という私的ジンクスを払拭してくれた。原作の政のニヒルでいて、しかし熱量を内に秘めた若王を忠実に演じていた。まだまだ学ぶべきことは多いが、この調子で着実に実績を積み上げていけば高良健吾の後継者になれそうだ。

 

本作のチャンバラは『 るろうに剣心 』のそれを彷彿させる。もちろん、あちらは剣客漫画でこちらは戦争漫画なので、正式にはジャンルが異なる。しかし、『 スター・ウォーズ 』シリーズのようなファンタジー世界の殺陣ではなく、ジュラルミンの剣と剣とが響き合うお馴染みの世界での剣劇である。この剣の腕でのしあがろうとするところに歴史的なロマンがあり、なおかつそれが現代日本の社会状況とも大いに重なるところに、本作が今というタイミングで実写映画化された意義が認められる。

 

就職氷河期世代を「人生再設計第一世代」などと名称変更したところで何も変わりはしない。変えるべきは世代に付ける名前ではなく、社会の構造である。奴隷は何をやっても奴隷、奴隷の子も奴隷という『 キングダム 』世界の価値観をぶち壊してやろうという気概に満ちた信と漂の物語、過去の非を素直に認め謝罪し、それでも未来を力強く語る、そして「世界はそうあるもの」という固定観念を力でぶち壊してやろうという大望を胸に秘める政の眼差しは、現代日本への婉曲的なエールでもある。原作ファンも、そうではない人も、本作から何かを感じ取ってもらえれば幸いである。

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ネガティブ・サイド

キャラの再現度は高かったが、いくつか個人的にこれを省いてはならないだろうと感じていた要素が欠落していた。いくつか実例を挙げれば、楊端和の「一人十殺」、「一人三十殺」である。壁の「動かぬ!」も何故省いた。あれこそが壁の壁たる様式美だというのに。

 

その楊端和を演じた長澤まさみはアクションはそれほど得意ではなさそうだ。運動神経という点では土屋太鳳や杉咲花を抜擢するべきだったのだろうが、彼女らには山界の死王のオーラは出せない。それもあって、余計に楊端和のアクションシーンの貧弱さが目に付いてしまった。

 

また左慈とランカイの順番を入れ替えてしまったのは何故なのだろう。剣と剣の対決を最後に描きたかったのは分かるが、信というキャラの最大の魅力は剣力、剣腕だけではなく、その直感の鋭さなのだ。玉座にふんぞり返る成蟜に言い放つ「その化け物以外に誰もお前を体を張って守ろうとしない」という原作の台詞は、やはり省いてはいけなかった。

 

総評

『 BLEACH 』という駄作から見事なリバウンドを佐藤監督は果たした。原作ファンとして腑に落ちないところもあるが、映画的スペクタクルは十分に達成されているし、キャラクター再現度も高い。またBGMも各シーンにかなりマッチしていた。『 ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章 』は残念ながら続編政策の必要性は感じないが、本作は第二弾(蛇管平原?)、第三弾(馬陽防衛戦?)まで、しっかりと製作をしてほしい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, アクション, 吉沢亮, 山崎賢人, 日本, 歴史, 監督:佐藤信介, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメント, 配給会社:東宝, 長澤まさみLeave a Comment on 『 キングダム 』 -続編が期待できる序章-

『 ジャッキー ファーストレディ 最後の使命 』 -JFK夫人の知られざる姿-

Posted on 2018年10月11日2019年8月24日 by cool-jupiter

ジャッキー ファーストレディ 最後の使命 50点
2018年10月9日 レンタルDVD鑑賞
出演:ナタリー・ポートマン
監督:パブロ・ラライン

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これは観る人を相当に選ぶ映画である。JFK関連の作品というのは、ある意味でオリバー・ストーン監督の『 JFK 』で完成してしまっているわけで、これを超えるには2028年から暫時に公開される膨大な量の資料を基にした作品が作られるまで待たねばならないだろう。しかし、それもあと10年の辛抱と思うべきなのか、まだ10年も辛抱しなければならないのかと思うべきなのか。

 

あらすじ

1963年11月22日のJFKの暗殺からの4日間を、ジャクリーン・ケネディ・オナシスの視点から独自に描く。非業の死を遂げたケネディの喪に服すに際して、名家であるケネディ家の意向や、大統領警護のシークレット・サービス、ホワイトハウス関連のお歴々、リンドン・B・ジョンソン大統領らの思惑を超えたところで、JFKの死を悼み、悲しみ、国民にその死の衝撃の大きさを物語ることで、逆に彼の生の大きさ、深さ、豊かさを印象付けることに成功した、稀代のファーストレディ。その地位を徐々に喪失していくさまが、自身のアイデンティティ喪失に重なる。だからこそ、夫の死を誰よりも効果的に演出しようと抗う夫人の姿を描く、ユニークな作品。

 

ポジティブ・サイド

まず、主演のナタリー・ポートマンの演技力が光る。1960年代の口調を自分の物として吸収し、使いこなしている。なおかつ、記者に語る時の口調とホワイトハウスで語る口調が明らかに異なるのだ。これは脚本や演出の妙とも言えるが、翻訳・字幕のレベルで再現するのは難しい。なお、吹き替えがどうなっているのかは未鑑賞ゆえ評価を措きたい。これは、たとえば前アメリカ大統領のバラック・オバマが大統領職に立候補した時から大統領就任中まで一貫して、スピーチのレジスター(言語の使用域)を巧みに変えていたことに通じる。例えばオバマは、アメリカ南部の労働者階級が多い地域で演説する際には、”We’re gonna ~” と言い、逆にアメリカ北部の都市地域での演説では、”We are going to ~” と言っていた。作中のジャッキーもこれと同じで、実際の本人もおそらくファーストレディとして口調や立ち居振る舞いは、ジャクリーン一個人のものとは違っていたはずだ。こうした些細かもしれない違いを、ノン・ネイティブであるナタリーがしっかりと把握し、演じていたことは大きなプラス評価につながる。

 

また、ジャッキーが美術品を蒐集していた理由も非常に興味深い。なぜなら、『ゲティ家の身代金』におけるジャン・ポール・ゲティと全く同じ哲学、芸術観を彼女が有していたことが明らかになるからだ。この彼女の直観と、それに基づく卓越した実行力は確かにJFKの名を不滅にした。アメリカ人は、ちょっと教養ある階級であれば歴代の大統領の名前をだいたいは暗唱できるらしい。だが日本に住む我々はどうであろうか?伊藤博文の名前はパッと出てきても、例えば第二次世界大戦への参戦時の総理は東条英機であるとパッと言える人は多いだろうが、敗戦時の総理大臣の名前が出てくるだろうか?そんな歴史に疎い日本人でも、アメリカ史において暗殺された大統領は?と尋ねれば、秒でリンカーンとケネディの名前を出すであろう。もちろん、暗殺というインパクトは要因としては大きい。それでも、世界の歴史において暗殺された人は?と問いの範囲を広げてみても、人々が真っ先に挙げるであろう名前はJFKであると予想される。直近のインパクトとしては、北朝鮮の金正男の方が圧倒的に記憶に残っているはずだが、それでもJFKだろう。その最大の要因をジャッキー夫人に求めることはさほど難くない。そのことを確認することができるのが本作の功績である。

 

ネガティブ・サイド

残念ながら、マイナス点も目立つ。それは、アメリカ史に興味のない人は、ほぼ惹きつけられないだろうということだ。また、アメリカ史に興味のある人は、ある意味でもっと惹きつけないかもしれない。JFK暗殺の真相の一端、もしくは新解釈でも見せてくれるのかと期待してしまうとガッカリすること請け合いである。Jovian自身がまさにそうだった。この分野に関心を持つ人は、トランプ現大統領が検討中の1960年代当時の捜査資料の一般公開の前倒しと共に期待しようではないか。

 

本作の弱点としてもう一つ述べておかねばならないのは、ファーストレディとしてのジャッキーと一人の女性としてのジャッキーの境目が非常に曖昧模糊としている、ということである。もちろん、ファーストレディとしての人格と、その人の人格は別物であるべきだが、某島国のファーストレディが用いた(と疑われている)奇妙な政治力学を目の当たりにした我々からすると、少し釈然としないものが残るのも事実である。これはあくまで実話をベースにしたセミドキュメンタリー風の娯楽映画であるのだから、第一婦人のアッキー、ではなくジャッキーと一個人としてのアッキー、じゃなかったジャッキーを、混然とした形で描く必要はなかったのではないかと思うのである。もちろん、アイデンティティ・クライシスが大きなテーマになっているのだから、そうした内面のせめぎ合いを外面の演技に反映させることは大事だが、そこをもう少し見る者に分かりやすい形に dumb down / water down させることはできなかったか。いや、演技レベルを下げろというわけではないのだが・・・

 

総評

冒頭に評したように、見る者を選ぶ映画である。アクションもなく、サスペンスもない。しかし、響く人には響く映画であろう。内面の悲しみを強さに転化させ、健気に気丈に振る舞う女性の姿から何某かを受け取れる感性があれば、レンタルして来ても損はないだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, チリ, ナタリー・ポートマン, ヒューマンドラマ, フランス, 歴史, 監督:パブロ・ラライン, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 ジャッキー ファーストレディ 最後の使命 』 -JFK夫人の知られざる姿-

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