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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 日本

OVER DRIVE

Posted on 2018年6月3日2020年1月10日 by cool-jupiter

OVER DRIVE 60点

2018年6月2日 MOVIXあまがさきにて観賞
主演:東出昌大 新田真剣佑 森川葵 北村匠海
監督:羽住英一郎

各場面は面白い。しかし、一つの繋がったストーリーとして見ると、完成度の低さというか編集の荒さというか、統一されていないという印象を強く受ける。また、主役が東出なのか真剣佑なのか、それがはっきりと確信できたのはエンドクレジットだった。色々な意味で評価の別れる作品になると思われる。

気性の荒い、怖いもの知らずの弟にしてドライバーである直純(真剣佑)と、寡黙にして真摯なメカニックの篤洋(東出昌大)。兄弟とは思えないほど、ある意味でビジネスライクな距離でラリーに臨むその関係性の背景には、幼馴染の女性の存在があった。はっきり言ってありがちな話すぎて、いつ、何が何故、どのようにして起こったのか、ということを観客として早く知りたい、という気持ちになれなかったのが大きな問題の一つ。つまり、この映画のテーマは兄弟の和解と再生の話なのか、それとも『シン・ゴジラ』や『グッドモーニングショー』のような、ドライバーやメカニックのリアリティを映し出すお仕事ムービーなのか、そこが最後まではっきりしないのだ。例えば、冒頭すぐに、若い兄弟が拳を合わせるシーンがあるのだが、そこで2人の表情は映し出されない。最終レースの直前、トラブルを乗り越えた兄弟が再び拳を合わせる感動的なシーンがあるのだが、そこで直純が初めてと言っても良い、穏やかで静かで、それでいて力強さを感じさせる笑顔を見せる。無邪気にお互いを信頼し合えた頃に戻れたことを実感させるお涙頂戴ポイントなのだが、肝心の仲睦まじい頃の兄弟の描写が不足しているために、個人的にはイマイチ乗れなかった。

また、お仕事ムービーとして見た時、モータースポーツというのはある意味で究極のチームスポーツなのだから、全体の尺をもう5分伸ばして、チームのメカニック全員に何らかの見せ場を用意するべきだった。例えば、東出が森川葵演じるマネジメント役に開発中のターボチャージャーの仕組みやスペックを専門用語を遠慮会釈なく交えながら説明するのと同じような場面を全員に与えてやって欲しかった。そうした描写を以後ほとんど加えなかったせいで、森川自身がラリー担当の仕事に全力を尽くそうと思えるきっかけが、東出にちょっと優しくされたことだけであるかのように、つまりとても皮相的に映ってしまった。またお仕事ムービーであるならば、森川のキャラ自身のプロフェッショナリズムも盛り込むべきだったが、これは見事に失敗。はっきり言って、会社の仕組みや仕事の難しさを舐めている若造にしか見えない場面があり、さらにカーパーツが飛び交い、部外者がマシンに触れるだけでも失格になってしまうようなピットの場面でもスカートをはいているというアマチュア精神。本来なら東出もしくは吉田鋼太郎のキャラクターに叩き出されても文句は言えないはずなのだが・・・ また、仕事に本当に焦点を当てるのなら、ライバルチームのドライバーの北村匠海のトレーニングシーンやマシンを整備するシーンなども、ほんの一瞬で良いので取り入れるべきだった。インタビューで真剣佑が切れてしまうシーンがあるのだが、そうした対照性の描写が一切ないために、直純というキャラがただの癇癪持ちに堕してしまう瞬間があるのが残念であった。

ことほど然様に軸が定まらない映画である。しかし、レースの描写はCG全開のシーンを除けば、非常に良く練られているし、作られている。安易にスーパードライビングテクニックを使うこともなく、アクシデントをデ・パルマ・タッチで不必要に大袈裟に描くこともしなかった。ドライバーの受ける重圧も描かれるし、ナビゲーターの渋さや縁の下の力持ち振りはしっかりと伝わってきた。そこは評価しなくてはならない。深く考えながら見ると粗が目立ってしまうが、各場面ごとの盛り上がりに上手く乗れれば、かなり楽しめる作品だろう。観る人を選ぶ映画であると言える。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, アクション, 新田真剣佑, 日本, 東出昌大, 監督:羽住英一郎, 配給会社:東宝Leave a Comment on OVER DRIVE

トリガール!

Posted on 2018年5月31日2020年1月10日 by cool-jupiter

トリガール! 50点

2018年5月30日 レンタルDVDにて鑑賞
主演:土屋太鳳 間宮祥太朗
監督:英勉

英監督については、貞子シリーズと『ヒロイン失格』が駄作、『あさひなぐ』は佳作、その他は未見ということで、さほど期待せずに本作を借りてきた。結果は可もなく不可もなくといったところ。メリットとデメリットの両方を感じさせる作品であった。

メリットに関しては、土屋太鳳の少し異なる面が引き出されていたということ。これまではやたらとブリっ子役ばかりをあてがわれていたが、やっと毒のあるキャラも演じられるようになってきた。一浪して工業大学に入学してきた鳥山ゆきな(土屋太鳳)がひょんなことから人力飛行サークルに入会するところから始まる。大学行きのバスでいきなりメガネ男子に四方を囲まれてパニックになるシーンが、これから登場するパートナーを見事に予感させるコントラストになっている。そう、メガネをかけて出てくる奴は恋愛対象外ですよ、とのっけから教えてくれているわけだ。なんという分かりやすさ。オタクが恋愛対象外なのではなくメガネが恋愛対象外なのだ。そそっかしい人は混乱するか憤慨してしまうかもしれないが。

そのお相手は間宮祥太朗演じる坂場大志。非常に分かりやすい。なぜならメガネをかけていないけれど、オタク趣味全開だからだ。涼宮ハルヒとクローズが好きとか、もはや観る者を笑わせにかかってきているとしか思えない。そんな間宮も、桐谷健太とかぶる演技を見せつつも、演技力では桐谷よりも上であることを立派に証明している。元々『ライチ☆光クラブ』から『帝一の國』に至るまでエキセントリックな役でこそ輝くタイプ。今回もハマり役であったと評価できる。だが、それはあくまで演技者としてであって、登場人物としてではない。

本作のデメリットは明白で、ストーリー展開のペースが滅茶苦茶であること、そして人力飛行サークルの努力や醍醐味が充分に掘り下げられた形で描かれていないことだ。中盤のミーティング風景や材料の組み立て過程などをもう少し深めることができていれば、単に鳥人間コンテストを目指すサークルを舞台にした物語からもう一段上のリアリズムを得られただろうに。それを欠いてしまったが故に坂場が前年の失敗からあと一歩を踏み出せなくなってしまった場面に深みが生まれてこないのだ。観る者は皆、「ああ、こいつは見た目とは裏腹にオタク趣味をこじらせた不器用な奴だからこそ、仲間が苦労して作り上げてくれた飛行機を琵琶湖の藻屑にしてしまった罪悪感に苛まされているんだな」と思いたいのに、単に足がつかないくらい深い水場が怖いのだと言うのだ。いや、百歩譲ってそれが本当の理由だとしても、その恐怖を克服するために仲間が飛行機作りに費やした涙と苦労に思いを馳せて・・・というシーンが一瞬でもあれば納得できるのだ。

本作は土屋太鳳の新たな一面と間宮祥太朗の安定した演技に寄りかかり過ぎて、物語に深みを与えることに失敗した、あるいはそのことを放棄した。英監督の手腕の限界とも言えよう。しかし、この二人以外にも魅力的な俳優が結構あれこれ出演しているし、ナダル演じるペラ夫は漫画の『 げんしけん 』の部長的なポジションながら、精神的になかなか大学生を卒業できないヤングアダルトを上手く表現できていた。観て満足できるかと問われれば否だが、損をしたと感じるほどでもない。梅雨の時期に何もすることがなければ、レンタルなどで楽しむ分には良いのではないか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ロマンティック・コメディ, 土屋太鳳, 日本, 監督:英勉, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on トリガール!

ラブ×ドック

Posted on 2018年5月29日2020年1月10日 by cool-jupiter

『ラブ×ドック』 35点

2018年5月27日 高槻アレックスシネマにて観賞
主演:吉田羊 野村周平
監督・脚本:鈴木おさむ

*本文中に一部ネタバレあり

この映画のデモグラフィックは一体どこにあるのであろうか。30代後半~40歳ぐらいの女性がメインターゲットとしてまず思い浮かぶが、その場合、観客は吉田羊に感情移入すべきなのか、それとも大久保佳代子に感情移入をすべきなのか。端的に言えば、Jovianは吉田のキャラクターは全く好きになれなかった。理由は後述したい。

物語はナレーションで、35歳から40歳の吉田羊演じる郷田飛鳥の人生を描くと宣言するところから始まる。飛鳥がIT社長宅で豪勢な夕食を作って、プロポーズされるのを待つのだが、ここで観客はいきなり飛鳥の本性を見せつけられる。過去に同じ相手からプロポーズを受けた時に、相手の事業がまだ軌道に乗っていないということから結婚に踏み切れなかったが、今やビジネスは順調に拡大、前途にも不安が無さそうだ、となったところで相手の気を惹こうと豪華なディナーを作るところでドン引きである。少なくとも自分は引いたし、嫁さんも引いていた。ある程度の年齢に達していながら独身である、しかし早く結婚したいんだ、という気持ちを爆発させる女子を描いて世界中の女子の共感を得たブリジット・ジョーンズは、女のダメダメな部分を凝縮させたようなキャラがしかし、どういうわけかイケメン2人の間で行ったり来たりをしてしまう、というご都合主義ゆえに大ヒットした。しかし、郷田飛鳥が体現しているのは女のダメな部分ではなくイヤな部分だろう。開始5分でいきなりキャラに嫌悪感を抱かせるとは・・・ ここから鈴木おさむ監督はどのようにひっくり返してくるのか・・・という期待は大いに裏切られるのであった。

吉田鋼太郎演じるペイストリーショップ経営者との不倫は、色気もなければ罪悪感を感じさせる描写もない。挙句、「どうも奥さんとは別れてくれるっぽいんだよね~」や大久保佳代子演じる親友・細谷千種から注意されても「私は大丈夫だよ」と能天気に返すところなど、イヤな女っぷり全開のまま。もう一度強調しておきたいが、ブリジットがあれだけ世界中の女子から愛されたのは、彼女がダメなところを隠さない女だったからだ。イヤとダメの違いに注意されたい。イヤ=打算的、ダメ=努力できないと考えてもらえればいい。飛鳥と千種の会話から明らかになるが、ミスコンに勝つために美人が少ない(飛鳥曰く「ブスが多い」)大学を選んで入学した、美人が少ない(飛鳥曰く「ブスが多い」)演劇部を選んで入部し、芸能界入りを窺っていた、など観る者をドン引きさせるイヤな要素をこれでもかと並べ立ててくる。このことが後に、飛鳥と千種の対立軸に発展するのだが・・・

2人目の玉木宏演じるスポーツジムのインストラクターとも、成行きのままにベッドイン。相手は千種がほのかな想いを寄せている男性であると知りつつ、その千種を使って2人きりのデートに持ち込むところなど、この女に罪悪感は無いのかと思わされる。そしてそのまま千種に交際の報告する。絶交される。そりゃそうだ。

3人目は野村周平演じる星矢。この男が飛鳥の本命にして・・・ あまり書くとレビューを通り越してしまうので控えるが、ここで飛鳥は観る者の共感を決して得られないであろう選択肢を選んでしまう。これまで自分の年齢など気にかける素振りもなかったのに、ほんの少しの出来事でそれまでに築き上げてきた自己像を自ら破壊してしまう。星矢と別れた飛鳥はこれまで以上にパティシエとしての仕事に精を出すものの、そこに予想しなかった客がやって来て・・・

さて、ここまで長々とレビューを読んで頂いたわけですが、いつになったら物語の焦点であるラブ×ドックが出てくるのかと訝しくなってくる頃でしょう。ご安心めされ。広末涼子の経営するラブ×ドックはあっても無くても物語に特に影響を与えることはない。本来ならば、一人また一人と飛鳥が出会いを経験するたびにラブ×ドックに赴き、何らかのカウンセリングを受けたり怪しげな注射をされたりすることで、事態が思わぬ方向に進展して・・・とならなければおかしいのだが、そんな展開は一切無い。完全に脚本段階でのミスというか、深夜ドラマを2時間枠にしてキャスティングだけ豪華にして作ってみました感が漂っている。これを観るぐらいなら、もっと有意義な金と時間の使い方を探すべきだ。よほど出演者に思い入れがないと、劇場観賞はキツイだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ロマンティック・コメディ, 吉田羊, 日本, 監督:鈴木おさむ, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on ラブ×ドック

『 恋は雨上がりのように 』 -おっさん映画ファンはとにかく観るべし-

Posted on 2018年5月27日2020年2月13日 by cool-jupiter

『恋は雨上がりのように』 70点
2018年5月26日 MOVIXあまがさきにて観賞
主演:小松菜奈 大泉洋
監督:永井聡

*本文中に映画のプロットに関するやや詳しい記述あり

小松菜奈のキャリアにおいて、この作品はベストである。原作の橘あきらの再現度の高さもさることながら、その目力を遺憾なく発揮することのできる作品と監督にようやく巡り合えたか。これまでの出演作、たとえば『 ぼくは明日、昨日のきみとデートする 』にせよ『 バクマン 』にせよ、小松の存在感に頼っていた感があった。しかし本作はまぎれもなく小松の演技力によって成立した力作である。

小松菜奈演じる橘あきらは陸上選手として優秀な記録も持ち、将来も嘱望されていたが、アキレス腱断裂により部活動は半引退状態。ファミレスのアルバイトに精を出す日々。バイト仲間や職場の古株は大泉洋演じる店長をうだつの上がらない男として全く評価しない。しかし、そんな冴えない中年男に惹かれ、思い切り素直に気持ちをぶつけていくも、最初の告白は全くの空振り(ここまではトレイラーにあるのでネタバレにはならないと判断)に終わってしまう。

「誰かのことをたまらなく好きだ」という気持ちが溢れ出る時、人はとんでもない行動を取ってしまうことがある。しかし、それが恋愛感情というモノなのだ。シャツのシーンはドン引きする向きよりも、共感出来てしまう向きの方が遥かに多いのではないか。なぜなら恋する若者であのようなことをできたら・・・と夢想しない者はいないだろうし、好きな女の子のリコーダーを実はこっそり吹いたことがある、などというのはこの数十年間、日本の津々浦々で実際のネタとして報告されてきているではないか。そして病院に連れて行ってもらったその日の夜の悶々とした様子や、車中での小悪魔的な目線など「小松菜奈って、ここまで色気あったっけ?」と思わされた諸兄も多いはず。永井聡監督、なかなかの手練れである。同工異曲の面白作品ではアメリカ映画の『 スウィート17モンスター 』がある。十七歳の女子高生が暴走してしまうシーンだけなら、こちらも負けていない。

一方の店長は、くたびれた大人の男よろしく、頭で考えた結果、色々なものを拒絶する。それはあきらとの仲であったり、別れた妻との関係修復であったり、あるいは小説家への志してあったり、会社での出世もそうである。年齢や世間からの目(「その世間様っつうのを連れてこんかい!!」と怒鳴る『 焼肉ドラゴン 』も楽しみである)などを理由に、まっすぐに迫って来るあきらをとにかく受け流そうとする姿勢に、元TOKIOの山口メンバーにもこのような思料があれば・・・と不謹慎にも考えてしまった。

この手の映画ではやや珍しくあきらは女友達と対立してしまう。部活とバイト、友情と色恋、どちらが大切なのだ、と。しかし、唐突ではなく、ほんのちょっとした前振りを積み重ねて行きながらのケンカなので、たとえば『 ママレード・ボーイ 』であったような唐突過ぎるケンカになっていない。この対立の構図そのものが、まさに雨降って地固まるを描いており、ここでも作品全体に通低する”雨”が現れてくる。

雨で印象的なシーンは2つ。学校からの帰り道で店長との出会いを回想するシーンと、バイトのシフト外で店長を訪ねてしまうシーン。特に後者では、そろそろフィジカルコンタクトを描く頃合いかと思わせて・・・ 割と簡単に手をつないだりキスしたりしてしまう最近のコミックの映画化作品は、今作のビルドアップから大いに学ぶべきだろう。こうした積み重ねが停電シーンという一つのピークに向けて、上手く収斂されていっている。

最近の邦画(などと書くと自分がオッサンになってしまったことを白状しているようだが)が少しおざなりにしている風景や街中のワンショット、ワンカットが時間の経過や登場人物の心情、物語の行く末をさりげなく、しかし確実に描写することに成功しており、これは大学の映画学科の教科書に載せるのは大袈裟にしても、アマチュア作家などは大いに真似をすべき解りやすさだ。

脇役陣では、淡々と、しかしせっせと母親役に勤しむ吉田羊に何故かホッとさせられ、店長の旧友役を好演した戸次重幸に勇気をもらった。しかし、この映画はやはり小松菜奈の出演作ではベストである。そう断言する根拠はエンディングの邂逅シーンに凝縮されている。陸上競技の描写については門外漢なので避けたいが、あなたが小松菜奈ファンであるならば文句なしにお勧めできるし、特に小松菜奈のファンではないというのなら、これを機に彼女のファンになってほしい。近年の漫画原作の映画化では『 坂道のアポロン 』に並ぶ、いや超える作品だ。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ロマンス, 大泉洋, 小松菜奈, 日本, 監督:永井聡, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 恋は雨上がりのように 』 -おっさん映画ファンはとにかく観るべし-

『 GODZILLA 決戦機動増殖都市 』 -奇を衒い過ぎたゴジラ映画-

Posted on 2018年5月24日2020年2月13日 by cool-jupiter

『GODZILLA 決戦機動増殖都市』 65点
2018年5月21日 東宝シネマズ梅田にて観賞
主演:宮野真守(ハルオ役)
監督:静野孔文 瀬下寛之

* 本文中でネタバレになるような部分は白字で記入

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非常に評価が難しい作品である。劇場で観賞中、「面白いじゃないか」と感じている自分と「はぁ?」と感じている自分が同居していたからだ。近いうちに『 GODZILLA 怪獣惑星 』(45点ぐらいに思えたが、再採点の要ありと認む)をレンタルで観て、もう一度劇場で観賞したいと思う。それから追記するのも、それはそれでありだろう。

まずはポジティブな感想から。ストーリー全体を通して、非常に明確にテーマを打ち出している。今作のテーマは2つ。人とは何か。そして怪獣とは何か。前作の段階では、なぜ二万年後の世界なのか、なぜ宇宙人との邂逅と交流が描かれなければならないのか、釈然としないまま物語が進んだが、今作ではその理由が明らかになる。人が人たる所以は、人間らしさを発揮できるということだ。Human であることの条件は humane であることだ。フツアの民を原始人と見下すビルサルドは、自らの肉体と精神に対してすら不寛容であることを貫く。この一貫性は観る者にショックを与えると同時にカタルシスももたらす。なぜなら自分たちと彼らとは違う人間なのだ、と自分を安心させることができるからだ。人間らしさとは寛容であるべき対象と不寛容であってもいい対象を選り分けるのだ。同じことはエクシフにも当てはまる。彼らの神を信じる者を増やすべく前作から謎の布教活動に勤しんでいるが、その意図の裏にあるものが本作では垣間見られた。一応それが何であるのか明示されるのかがエンドクレジット後に明かされるので、最後まで席を立たないように(ただし、そこで言及されるものの正体に全く見当がつかないという人は、そもそもこの作品を観る資格がまだないのかもしれない)。ここでも、種族を超えて共通の神を信じる者が人間であるという、寛容と不寛容の同居が見られる。このことが、おそらく2つ目のテーマ、怪獣の怪獣性に関わっている。ゴジラ映画に特に代表される怪獣の怪獣性とはハイデガー哲学の世界の世界性みたいなもの、と解してよい。怪獣という存在に接するとき、人は憂慮する。なぜなら怪獣は、世界を破壊するからだ。それは時に、原水爆の恐怖(初代ゴジラ)であったり、公害による環境破壊(ヘドラ)であったり、自然災害と人災(シン・ゴジラ)といった形で立ち現れる。本アニメシリーズでは、怪獣は人間を超える者として描かれる。科学技術の埒外、宗教などの精神世界の領域、生物と非生物の境界線上の存在として現れてくる怪獣は、それに接する者に解釈を委ねる。これは庵野監督がシン・ゴジラで取った方法論と共通している。シン・ゴジラのシンに漢字を当てるなら?という問いに長谷川博己と竹野内豊は神の字を、石原さとみは芯の字を、松尾諭は進の字をあてていた。個人的には侵または震の字をあてている。斯様に人によって解釈が別れるのが怪獣の怪獣性たる所以で、前作ではっきりとしなかったゴジラという<存在>の<存在性>がハルオたちだけではなく観る者にも突き付けられてくるのが本作の魅力になっている。

ここからはネガティブな感想を。斬新性とは裏腹に、あまりにもどこかで観たことがある要素が多すぎる。加古作品へのオマージュであればよいのだが、どうもそうではないらしい。まずヴァルチャー。名前を聞いた瞬間に、マイケル・キートンか?と思ってしまった。さらにその性能や見た目も『 アイアンマン 』シリーズのウォーマシンのようだ。また決戦機動増殖都市というタイトルから『 BLAME! 』か?と連想したら、本当にそれっぽいものだった。もしくはエヴァンゲリオンの第三東京市か。フツアの民も、もののけ姫+小美人にしか見えなかった。またGODZILLAそのものもシン・ゴジラを想わせるフォルムで、それはそれで悪い選択ではないが、アニメ作品であり、これだけ独自の解釈を施した作品でもあるからには、もっと新しいゴジラの側面を見てみたかった。メカゴジラは、ゴジラ世界の文法からは外れているが、広く日本の漫画やジャパニメーションの文脈には合致するものであり、本家本元のゴジラも多少は時代に合わせたアップデートがあってもいい。もう少しだけオリジナリティを持ったゴジラと出会いたかった。

本作は三部作の2つ目にあたる。卵、双子、小美人、神と言えば<彼女>しかいないし、星を滅ぼす存在、金色、三つ首と言えば、アイツしかいない。つまり、次作で〇〇〇とも◎◎◎とも我々は出会えるわけだ。そのことに一抹の不安を抱きつつも、喜ばない、興奮しない理由はまるで見当たらない。2018年11月を首を長くして待ちたい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, アニメ, 宮野真守, 日本, 監督:瀬下寛之, 監督:静野孔文, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 GODZILLA 決戦機動増殖都市 』 -奇を衒い過ぎたゴジラ映画-

『 いぬやしき 』 -人間の在り方、命の使い方を追窮する-

Posted on 2018年5月17日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:いぬやしき 65点
場所:2018年5月4日 大阪ステーションシネマにて観賞
主演:木梨憲武 佐藤健
監督:佐藤信介

30代後半~40代前半ぐらいの客層は、ほぼ無条件にこの映画の木梨に同情、共感できると思われる。なぜなら、その世代が小学生~中学生ぐらいの頃がとんねるずの全盛期だったからだ。それが、このような絵に描いたように落ちぶれたサラリーマンを演じていることに、軽い衝撃を受ける人も多かろう。そして佐藤監督はまさにその効果を狙っている。

対するは佐藤健。28歳にして、テレビドラマでも映画でも高校生役を無理なく演じることができる役者で、漫画原作の映画でも上手くキャラを作り、キャラを表現できるということは『 るろうに剣心 』で証明済みだ。本作でも高校生にありがちなニヒルさとある種の無邪気さを同居させ、ある時は母親思いの良き男の子、ある時は無味乾燥なターミネーターとして、人間性と非人間性の狭間を自在に行き交っていた。木梨と佐藤のコントラストだけでも、この映画は成功していると言える。

本作のテーマはHumanity=ヒューマニティ、つまり人間性である。人間を人間たらしめるもの、それは何か。もちろん人間としての肉体を持つことではない。人間の形をした悪魔は時に実在するからだ。では、人間を人間たらしめる条件とは何か。本作はそれに愛を挙げている。母親への愛、娘への愛、異性への愛、様々な愛の形が存在するが、特に最初の2つの愛がフォーカスされている。これは特に新しい問題提起でも何でもない。このテーマを追求した傑作に『 第9地区 』(主演:シャールト・コプリ― 監督: ニール・ブロムカンプ)という先行作品がある。興味のある向きは是非参照されたい。

本作のもう一つのテーマは「生きる」ということ。「生きる」とはどういう意味か。もちろん肉体が生命活動(呼吸など)を行っている、という意味ではない。ある命が、そのエネルギーを正しい方法で使用することを「生きる」と定義づけられるのではないか。その証拠に、我々は使命を果たした時にイキイキするではないか。大きな仕事を完成させて、家でひとっ風呂を浴びる、その後に冷えたビールを飲んだ時に「生き返った」と感じた経験のある人は多いはずだ。それは、我々は使命を果たした、つまり命を正しく使ったからに他ならない。

この作品は、観る者に「どのように命を使うのか」を問いかけてくる。殺戮マシンと化した佐藤の生き方に共感しても全くおかしくはないし、命を救うことに生き甲斐を見出した木梨を応援してもいい。観る者の心を激しく揺さぶる力を持った映画で、性別、年齢を問わず、幅広い層にお勧めできる良作である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, SF, 佐藤, 佐藤健, 日本, 木梨憲武, 監督:佐藤信介, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 いぬやしき 』 -人間の在り方、命の使い方を追窮する-

『 となりの怪物くん 』 -孤独な怪物のビルドゥングスロマン-

Posted on 2018年5月16日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:『となりの怪物くん』 55点
場所:2018年5月4日 MOVIXあまがさきにて観賞
主演:菅田将暉 土屋太鳳 池田エライザ 浜辺美波
監督:月川翔

原作の漫画の方では怪物である春はもっとぶっ飛んでいて、雫の方はもっと冷淡だったように思うが、そこは映画という枠組みに上手く嵌め込むためか、キャラ設定がややトーンダウンしていたようだ。

菅田将暉はさすがの安定感で、奇声を上げてニカッと笑うキャラが良く似合う。またはシリアスさの中に無邪気さを織り交ぜることにも長けている。けれど、なにか影が薄いのだ。存在感が無いというわけではなく、精神に陰影を持つキャラをなかなか演じる機会がないせいか、その高い演技力のポテンシャルはこれまで十全に引き出されてこなかった。そして本作でも従来通りの菅田将暉だ。

相対する土屋太鳳もややマンネリ気味か。同世代のフロントランナーの一人、広瀬すずがやや迷走を見せているが、土屋はいつになったら新境地に挑戦していくのか。こんなことを言うと完全にオッサンの世迷言か妄想になるのかもしれないが、いつの間にやら一定の年齢に達していて、ある時突然「脱いでもOK」になった蒼井優みたいになってしまうのでは?それはそれで歓迎する向きも多かろうが。それでも保健室で夕陽を浴びながら春に迫っていくシーンは、これまでにない色気があった。撮影監督や照明、メイクさんの手腕もあるだろうが、土屋本人の役者としての成長を垣間見れたような気がした一瞬でもあった。

少し残念だったのは委員長の浜辺美波の出番がかなり少なかったこと。「え、これでお役御免?」みたいな感じでフェードアウトしてしまう。『君の膵臓をたべたい』から着実なステップアップを見せてくれるかと期待したが・・・ それでもこの子の眼鏡姿は西野七瀬の眼鏡っ子ver並みに似合っている(と個人的に確信している)。池田イライザは反対にほとんど印象に残らなかった。

ストーリーは分かりやすく一本調子とも言えるが、春が家族に対して抱える苦悩を、なぜ雫は素直に共感できなかったのか。母親の不在とその距離、その穴埋めが、春の境遇への理解を妨げたというのなら、もう少しそれを感じさせるシーンが欲しかった。周囲の人間がさせてくれること、してほしいと思うことは、往々にして自分のやりたいこととは一致しない。必ずしも一致したから良い結果になるわけではないのだが、春という怪物の居場所が家庭にあるのだと雫が確信できるようなショットが一瞬でもあれば、物語全体の印象も大きく変わっていたはずだ。編集で泣く泣く監督もカットしたのかもしれないが。

月川監督は小説や漫画の映画化を通じて着実にキャリアを積み重ねている。オリジナルの脚本に出会って、それをどのように料理してくれるのか、今後にも期待できそうだ。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ロマンティック・コメディ, 土屋太鳳, 日本, 監督:月川翔, 菅田将暉, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 となりの怪物くん 』 -孤独な怪物のビルドゥングスロマン-

『 ラプラスの魔女 』 -奇想、天を動かさない-

Posted on 2018年5月14日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:ラプラスの魔女 40点
場所:2018年5月4日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:桜井翔 広瀬すず 福士蒼汰 豊川悦司
監督:三池崇史

悪い予感はしていた。個人的には東野圭吾の小説とは全く波長が合わないのだ。これまでに2冊試しに買って読もうとしてみたものの、その両方とも最初の20ページで放り出してしまった。とにかく文章の波長が合わない。そうとしか言いようのない相性の悪さがある。さらに三池監督が手がけた東野小説の映画化作品では『麒麟の翼』は普通に面白いと感じられたが原作東野、監督大友啓史の『プラチナデータ』は控えめに言って珍作、率直に言えば駄作だった。豊川悦司が無能すぎる刑事を好演していたから尚更だ。だからこそ悪い予感を抱いていたのだ。その予感は裏切られなかった。

まず主演の片方、広瀬すずの魅力を引き出せていない。広瀬自身、『第三の殺人』や『先生! 、、、好きになってもいいですか?』で、これまでの天真爛漫一辺倒キャラ(もちろん『海街diary』のような例外というかキャリア初期作品もあるが)からの脱皮を模索しようとしているようだが、残念ながらその試みはここまで実を結んではいない。小松菜奈や中条あやみに抜かれてしまうかも?

さらに主役の桜井の演技力が絶望的なまでに低い。彼の場合は当たり役に出会えていないだけかもしれないが、それなりの長さのキャリアを積み重ねてきてこの体たらくでは、今後も事務所、グループの看板だけでしか勝負できない三流役者のままだ。厳しい評価だが、そう断じるしかない。TVドラマ『謎解きはディナーの後で』の頃から演技のぎこちなさは際立っていたが、もう伸び代はなさそうだ。ただ同テレビドラマおよび原作小説は、そのお嬢様の推理、執事の推理ともに噴飯物だったのだが。

その他、福士蒼汰、リリー・フランキーや志田未来などのキャストは完全に予算の無駄使いだろう。脇を固めるキャラはそれに長けたベテラン、もしくは今後に期待できる若手に任せるべきだ。

脚本に目を向けると、元ネタであるラプラスの悪魔を何か捉え違えているように思えてならない。森羅万象を知りうる、計算しうる知性というものが存在するとしても、それが人間の心理を読めるものと同義ではないだろうし、ましてや知能や知識が向上するわけでもないだろう(”知能”と”知性”の違いについては山本一成著『人工知能はどのようにして 「名人」を超えたのか?』参照のこと)。こうした新人類、超知性の描き出し方については高野和明の『ジェノサイド』という大傑作の小説が存在するわけで、素手で乱闘する公安などを劇中に登場させては、かえってサスペンスやリアリティを失わせるという逆効果になる。知性をテーマに物語を組み立てるなら、徹頭徹尾そこに拘るべきで、ちょっと格闘シーンも入れておくか、という気持ちで脚本を作ったのなら大間違いだ。原作未読者にこんなことを言う資格はないかもしれないが、小説を映像化するのなら、原作の描写に忠実である必要などない。原作が伝えようとしているエッセンスの中で、映像の形で最も上手に伝えられる、見せられるものを映像化すべきなのだ。

その他に気になったシーンとしては、サイコロの目を予測するシーン。計算に必要なデータ全てがあれば、超知性のリソースならサイコロの出す目を計算で導き出すことも可能だろうが、明らかにサイコロそのものが見えない状態から振られたサイコロの出目まで言い当てるのは矛盾だ。紙飛行機のシーンは建物全体の空調や、場合によっては外の風の流れまで計算しなくてはならないし(そしてそのデータは得られない)、鏡を使うシーンでは、日光の強さや角度は密室の中でも時計さえあれば計算できるとして、雲やその他の人工的遮蔽物の可能性はどのようにして除外できたのか。途中から全てがご都合主義になってくる。

ただ、こうした酷評は全てJovianの個人的感性が原作者や映画製作者の感性と波長が合っていないことから来ているので、異なる人が観れば異なる感想を抱いても全く不思議はない。主要キャストや原作者、監督のファンだという人にとっては良いエンターテインメントに仕上がっているのかもしれない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ミステリ, 広瀬すず, 日本, 桜井翔, 監督:三池崇史, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 ラプラスの魔女 』 -奇想、天を動かさない-

『 ママレード・ボーイ 』 -ダメ映画の作り方を学びたければ本作を観るべし-

Posted on 2018年5月14日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:ママレード・ボーイ 15点
場所:2018年5月3日 MOVIXあまがさきにて観賞
主演:桜井日奈子 吉沢亮
監督:廣木隆一

本来ならこの映画のレビューをもっと早くすべきだったのかもしれない。なぜなら、よほど原作もしくは俳優陣に思い入れのある方でなければ、この映画を観賞することはお金と時間の浪費になるからだ。もしくはダメ映画の教材として、大学の映画サークルなどがDVD/ブルーレイ、その他デジタルメディアであーだこーだと分析しながら観る分には良いのかもしれない。

主役の二人の演技は可もなく不可もなくといったところ。吉沢亮の方は随所にポテンシャルを感じさせる若さゆえの脆さや弱さ、不安定さを感じさせるところもあった。彼の女性ファンならその点だけでも観る価値はあるかもしれない。

この映画を駄作にしている要因は主に2つ。第一に、意図の読めないカメラワーク。3~4か所ほどかなり長めのワンショットを使っていたが、カメラが無意味にズームイン、ズームアウトを行っていた。主役2人しかそこにいないということを強調したかったのかもしれないが、そこで映す=見せるべきは2人の表情や息遣いであって、監督や撮影監督の自己満足ではない。

第二に、前後のつながりを一切欠いた杜撰な脚本。主役2人がどのタイミングで相手に好意を持ったのか、そんなものは一切描かれないまま突如、2人が付き合うようになる。また朝と思わせて昼、昼と思わせて夕方だったというシーンがあったり、わずか数分で季節を一つ二つ飛ばしたシークエンスもあった。登場人物の服装や街並みのちょっとしたワンショットなどから受け手に季節の移り変わりや時間の経過を見せるのは当たり前過ぎる手法だが、今作はそれらをほぼ一切拒否。非常に斬新だ。惜しむらくはこのメソッドを取り入れよう、と思う同業者は皆無であろうと予想されること。またクライマックスの真実が明らかになるシーンでは、明らかにそこに言及する必要のない人名や人間関係が語られる。両親が語るその内容は観客に向けてのもので子どもたちに必要なものではなかった。監督、脚本家、編集担当者の誰もこのことに気づかなかったのだろうか。

とにかく脚本が致命的に悪い。そしてところどころで使われるロングのショットが物語の進行を異様にスローテンポにし、さらに主役2人の心の動きを観る者に一切読み取らせないようにするという誰も得しないカメラワーク。努々この作品を映画館で観るなかれ。時間とカネを浪費するだけに終わってしまうであろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, F Rank, ロマンス, 廣木隆一, 日本, 桜井日奈子, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 ママレード・ボーイ 』 -ダメ映画の作り方を学びたければ本作を観るべし-

『 孤狼の血 』 -円熟期を迎えた役所広司の面目躍如-

Posted on 2018年5月13日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:『孤狼の血』 75点
場所:2018年5月13日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:役所広司 松坂桃李 真木よう子
監督:白石和彌 

役所広治 の刑事役で印象的なものと言えば個人的には『 CURE キュア 』と『 渇き 』を挙げるが、今作でそれらを超えたと評しても良いだろう。広島を舞台にしたやくざ同士の抗争前夜、と聞けばそれだけで実録シリーズの高倉健が想起されるが、白石監督がそれらを言わば先行テクストとしたのは明白だ。ちょうど2016年の『シン・ゴジラ』が『日本のいちばん長い日』のオマージュだったように。刑事なのかヤクザなのか見分けがつかない二課の暴れん坊ガミさんに、なぜかタッグを組まされる松坂桃李 演じる新米刑事の日岡のコントラストがまず観る者を物語世界に引き込んでいく。何がガミさんを駆り立てるのか、そのガミさんに振り回される日岡の狙いは・・・ というところまで話は一気に進んでいく。組同士の対立構造を初めのうちに頭に入れておかないと、あまりのテンポの良さにヤクザ映画を見慣れていない人は戸惑ってしまうかもしれない。ただ見るべき個所は対立の構図ではなく、ガミさんの行動原理。ガミさん自身が語る”正義”と”法”の在り方は今現在の日本の闇を実に開けっ広げにえぐっている。

脇を固める役者陣では真木よう子 が白眉。『 新宿スワン 』の山田優の役をそっくりそのまま受け継いで再撮影できないだろうか、とまで思えた。そして滝藤賢一は安定の滝藤賢一。『 SCOOP 』での人情味と激情の両方を宿した副編集長役も良かったが、この男の本領は顔芸と狼狽にある。阿部純子は今作で初めて目にしたが、何という色気だろうか。セクシーさではなく色気。特に最初に日岡をアパートに連れ込んだところで、日岡の方を一瞬振り返るシーンがあるのだが、あれは相当監督に指導されたか、そうでなければ本人の勘の良さか。とにかく非常に印象に残る場面の一つだった。

反対に残念だったのは、中村獅童の新聞記者と竹野内豊のヤクザ。前者のポジションに獅童を持ってくる必然性は無かったし、後者の役どころは残念ながら開始2分でショボさが際立っていた。同じ白石作品の『彼女がその名を知らない鳥たち』ではクズを無難に演じてはいたが、ヤクザを演じるには本人に声の張りやそもそもの迫力が足りない。

それにしても、このところの松坂桃李の出演作はすべて彼自身のビルドゥングスロマンになっているものが多い。『 娼年 』然り、『 不能犯 』然り、『 ユリゴコロ 』然り。俳優として脱皮を目指そうという心意気やよし。しかしやや方向性を見失いつつあるような気がしないでもない。エキセントリックな役もしっかりモノにできるということは『ピースオブケイク』で証明済み。そろそろ松坂桃李というキャラの映画を観てみたい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ミステリ, 役所広司, 日本, 白石和彌, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 孤狼の血 』 -円熟期を迎えた役所広司の面目躍如-

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