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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: サスペンス

『 望み 』 -親のリアルな心情を抉り出す-

Posted on 2020年10月14日2022年9月16日 by cool-jupiter

望み 75点
2020年10月11日 MOVXあまがさきにて鑑賞
出演:堤真一 石田ゆり子 岡田武史 清原果耶
監督:堤幸彦

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『 十二人の死にたい子どもたち 』でも述べたが、堤幸彦監督は良作と駄作を一定周期で生み出してくる御仁である。本作は良作である。安心してチケットを買ってほしい。

 

あらすじ

規士(岡田武史)は怪我でサッカーを辞めてから、悪い連中と付き合うようになってしまったらしい。冬休みの終わり、ふらっと家を出た規士は、そのまま家に帰ってこなくなった。そして、規士の同級生が殺害されたとのニュースが。犯人は逃走中。そして、もう一人被害者がいるとの情報も。規士は加害者なのか、それとも被害者なのか・・・

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ポジティブ・サイド

これは『 ひとよ 』に勝るとも劣らない良作である。母が殺人者だったら、そして母が殺したのが父だったら、残された家族はそれを赦せるのか、赦せないのかを『 ひとよ 』はドラマチックに描き切った。本作は、息子が殺人者なのか、それとも息子は殺害されてしまったのか、という究極のジレンマに引き裂かれる家族の姿を実にリアルに映し出した。

 

堤真一演じる父親は、息子が殺人者であってほしくはない、むしろ被害者であってほしいと願ってしまう。一方、石田ゆり子演じる母親は、息子が生きているのなら殺人犯であってくれて構わないと願っている。どちらかが正解であるとは言えない。息子が罪を犯していようがいまいが、自分の元に帰ってくれさえすればいい。そうした母親の狂気にも似た執念を我々は『 母なる証明 』に見た。石田ゆり子は世間を敵に回しても息子を愛する母親像を打ち出した点で、篠原涼子や吉田羊らの同世代から一歩抜け出したといえるかもしれない。

 

堤真一も魅せる。父親として、息子を信じているからこそ、殺人などありえない。そんなことをするわけがないし、できるはずもない。だから被害者の側だろうと考える。それは残酷と言えば残酷だが、息子を心から信頼しているとも言える。それも一つの愛情の形だろうし、そこに正誤も優劣もない。自宅前に押し掛けるマスコミに対しても真摯に対応するし、マスコミの誘導に引っかかって声を荒げてしまうのは、裏表のない人間性の表れである。

 

それにしても、本作に描かれるマスコミのウザさ加減よ。これは取りも直さず昨今の本邦のマスコミの低レベル化への痛烈かつストレートな批判だろう。報道とは面白可笑しく行うものではないし、取材とは物語を構築するために行うものではない。メディアは事実の確認(いわゆるファクト・チェック)をまず行うべきであって、都合の良い情報ばかりを提示して、視聴者を躍らせてはならないのだ。そう、一般人もある意味で同罪である。コロナ禍の最中にある今、自粛警察だとかマスク警察だとかが跋扈し、偏狭な正義感から他者を叩くことを是とする人間が増えた(というよりも可視化された、と言うべきか)。本作はそうした日本人の残念な習性を見事に先取りして映し出したと言える。他にも『 白ゆき姫殺人事件 』が描き出したSocial Mediaの中の無数の無責任な発言および発言者を、本歌取りするかの如く、より鮮やかに描き出した。我々は本来、無関係であるはずだが、そこであることないこと、好き勝手に書くことに慣れているし、そうした情報を受け取ることにも慣れ切っている。それがいかにグロテスクなことかを、監督や脚本家、原作者は糾弾している。

 

いやはや、最近の邦画では珍しいまでに人間の在り方を直截に描き出し、人間の心情をとことん抉り出した傑作である。

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ネガティブ・サイド

あまりに警察が無能すぎる。これはちょっとどうかと思う。警察をとことんコケにするのが様式美になっている韓国映画ではないのだ。普通なら、刃物の存在について父が証言しているのだから、その刃渡りや形状と遺体の刺し傷を照合する必要があるし、その刃物の購入経路や購入者についても調べるはずだ。なによりも、父親が「私が預かっている」と明言しているにせよ、その現物を確認するだろう。それに、行方不明届けを提出することに決めたのなら、規士の部屋を一通り見て回って、行き先などの手がかりも探すだろう。生活安全課の元警察官のJovian義父が本作を観てどう思うか。

 

本作のラストの余韻も少々疑問である。『 ウインド・リバー 』のように、現実を拒絶するのではなく現実を受け入れたからこその結末なのだろうが、それにしても以下白字自転車の数が3台から2台に減るのは、さすがに物分かりが良すぎでは?

 

ラストの俯瞰のショットも芸がない。監督自身の作風なのかもしれないが『 人魚の眠る家 』と瓜二つではないか。このような家族がこの世界にはきっとたくさんあるのだと言いたいようだが、ワンパターンなショットは頂けない。

 

総評

多少の弱点はあるものの、2020年の邦画では、まず白眉である。俳優陣の演技も堂に入っているし、音楽も情感をかき立てる。なによりも現代社会を撃つメッセージを強烈に放っている。我々自身をこの家族に置き換えて観ることもできるし、この家族を取り巻く関係者として観ることも、そして無責任な傍観者として観ることも可能である。いずれの見方であっても、本作はとても深く力強い印象を残すことだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

common sense

「常識」の意。しばしばhave common sense = 常識がある、use common sense = 常識を働かせる、という具合に使う。日本語の常識には「当たり前の知識」という意味があるが、こちらは「当たり前の感覚」というニュアンスである。劇中でとあるキャラクターが言う「常識ってもんをわきまえろ!」を試訳するなら、“Don’t you have any common sense?”(お前には常識がないのか?)になるだろうか。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, 堤真一, 岡田武史, 日本, 清原果耶, 監督:堤幸彦, 石田ゆり子, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 望み 』 -親のリアルな心情を抉り出す-

『 ブリング・ミー・ホーム 尋ね人 』 -韓国社会の闇と、そこに差し込む一条の光-

Posted on 2020年9月21日2021年2月23日 by cool-jupiter

ブリング・ミー・ホーム 尋ね人 75点
2020年9月20日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:イ・ヨンエ ユ・ジェミョン
監督:キム・スンウ

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『 人数の町 』の序盤、日本社会の闇を表す統計が次々に表示されて、我々は日本社会の闇の部分をファンタジー形式で見せつけられた。一方で本作は韓国社会の闇の部分をリアリズムを以って描き出してきた。はっきり言って滅茶苦茶もいいところなのだが、その荒唐無稽なストーリーを最後まで緊迫感あふれる展開でまとめたのは見事としか言いようがない。

 

あらすじ

看護師のジョンヨン(イ・ヨンエ)は6年前に7歳の息子が行方不明になってしまった。以来、夫と共に息子を探し回っていたが、ある時、夫が交通事故で死亡してしまう。憔悴するジョンヨンの元に息子ユンスに似た子どもを釣り場で見たとの情報が寄せられる。その子は息子ユンスなのか、そしてジョンヨンはユンスを救い出せるのか・・・

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ポジティブ・サイド

恐ろしいまでに救いがないストーリーである。韓国は善人1、悪人9か、それ以上に悪人だらけの社会なのかと思わされてしまう。日本の出生率も超低水準でほぼ横ばいだが、お隣の韓国では何と1.0を割っている。日本も子どもに優しくない社会だとしばしば指摘されるが、あちらは輪をかけて酷いらしい。子どもを救い出す話でありながら、子どものいたずらで序盤早々にジョンヨンの夫は死亡してしまう。最初は『 アジョシ 』のマンソン兄弟率いる犯罪集団からの誘導メールかと思ったが、これが子どものいたずらということで、観る側は一気にやり場のない感情に襲われる。そして、その感情の矛先を向ける相手を求めてしまう。何と残酷で、しかし効果的な導入部であることか。脚本も書いたキム・スンウ監督はこれが長編商業映画のデビュー作というから驚きである。全編に不吉で不穏な空気が充満し、どのような事件が起きてもおかしくないという、ただならぬ雰囲気がどこまでも持続する。早くもナ・ホンジン2世が現れたのか。

 

そのような中で孤軍奮闘するイ・ヨンエの気高さと必死さ、慈しみと憎しみを同居させた圧倒的な存在感と演技力は、『 親切なクムジャさん 』から14年ものブランクがあったとは到底思えない。親が我が子に対して持つ執念とも言うべき愛情を全身で体現してくれた。『 母なる証明 』のキム・ヘジャ、『 悪の偶像 』のソル・ギョングに次ぐ、狂気にも近い親の情念を感じ取ることができる。オープニングで泥だらけの浜辺を呆然自失して力なく歩く姿に、いったい彼女の身に何が起きたのかと思わされ、後は一気の展開に引き込まれるのみ。

 

ラストで彼女が見せる表情の複雑さは筆舌に尽くしがたいものがある。同じ感想を抱いてしまうが、『 MOTHER マザー 』の長澤まさみ、『 人魚の眠る家 』の篠原涼子、『 ハナレイ・ベイ 』の吉田羊に、このような表情を見せてほしかったのだ。感情を表情に表すのは容易い。そして、感情を観る側に伝えるのは役者の仕事の第一である。だが、役者が観る側に感情を想起させるような表情を見せるというのは、似て非なることだろう。『 殺人の追憶 』のラストのソン・ガンホの表情にも通じるが、イ・ヨンエのその表情の中に宿る感情が歓喜なのか落胆なのか。そのどちらとも受け取れるし、どちらとも決めかねる。要は、あなたは希望を見出せますか?と我々が問われているのである。

 

このイ・ヨンエを取り巻くのが、ほとんど全員悪人である。なんと親族までが味方ではないのだ。現場となるマンソン釣り場のファミリーも曲者ぞろい。常識人に見えた男も、一皮むけば身勝手な前科者に過ぎない。そして児童を身体的にも精神的にも性的にも虐待しているとしか思えない不気味な肥満男に、母親面して子どもに苛烈に接する女性たち。このような絶対的なアウェーでジョンヨンが対峙するホン警長は、なんと『 エンドレス 繰り返される悪夢 』のタクシー運転手カンシクではないか。韓国の警察というのは汚職警官か、さもなくば無能警官しかいないのかと映画を観るたびに思うが、ユ・ジェミョンは汚職警察官にして性根まで腐った人間を怪演した。ギャグになる一歩手前のテンションの高さでジョンヨンを追跡するホン警長は、まさにホラー映画的である。そして、このモンスターの死に様も凄絶の一語。海とは母であり、母とは海なのだ。

 

徹頭徹尾、救いのない物語であるが、人生にはどこかで光明が差し込んでくるもの。だからこそ決してあきらめてはいけないのだというメッセージは確かに伝わって来る。親ならずとも大人であれば、本作のメッセージの重みは理解できるはずだ。

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ネガティブ・サイド

序盤に顔見せ程度にしか出てこないスンヒョン君とは何だったのか。もちろん、自分自身も親に捨てられ、養子として大きくなったバックグラウンドを持つという点は大きな意味を持っているし、物語の行く末を暗示もしている。だが、ジョンヨンの危機に駆けつけることもないし、エンディングで再登場するわけでもない。もっとこのキャラを有効活用する方法はあったはずである(ホン警長に立ち向かって激闘の末に殺される、または釣り場のファミリーに嬲り殺しにされるetc)。同じことは義理の弟夫婦にも言える。

 

ホン警長の部下であり警察官としての良心を持った警察官もいるが、この男もタレコミだけしてお役御免。そんな馬鹿な・・・ やはりマンソク釣り場に駆けつけて、警察官としての職務を果たして華々しく殉職すべきだった。

 

ユンスには様々な身体的特徴があり、その一つに副爪があるのだが、これが遺伝性なのか、それとも爪の手入れが悪いため、あるいは靴の問題など後天的にそうなったのかの説明や描写がなかった。遺伝性であれば遺伝する。後天的なものであれば、靴や爪切りの方法を変えれば治る可能性がある。父親か、または母親ジョンヨンの足の小指の爪に関する何らかのショット、または台詞が必要だったのではないだろうか。

 

総評

社会の闇の部分、そして人間の闇の部分をこれでもかと見せつけられる。観終わった頃には、観客の精神はズタボロである。それはサスペンスが持続したからではない。自分の心の中に、マンソン釣り場のファミリーのような考え方や感じ方が宿っていることを思い知らされるからである。だが、そんな人間社会であっても希望は捨ててはいけない。明けない夜はない。ほんのわずかではあるが、しかし確実にそう感じさせてくる。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ミアネ

「ごめんね」の意味。『 国家が破産する日 』でも紹介した表現。ていねいな言い方ではミアナンミダ=ごめんなさい、となる。英語でもThank you. と Sorry / Excuse me. を適宜に使えれば何とかなるように、韓国語でもコマウォ=「ありがとう」とミアネ=「ごめんね」で何とかコミュニケーションは取れるはずである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, イ・ヨンエ, サスペンス, ユ・ジェミョン, 監督:キム・スンウ, 配給会社:ザジフィルムズ, 配給会社:マクザム, 韓国Leave a Comment on 『 ブリング・ミー・ホーム 尋ね人 』 -韓国社会の闇と、そこに差し込む一条の光-

『 妖怪人間ベラ 』 -竜頭蛇尾のサイコサスペンス・スリラー-

Posted on 2020年9月18日2022年9月15日 by cool-jupiter

妖怪人間ベラ 50点
2020年9月13日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:森崎ウィン emma 桜田ひより
監督:英勉

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『 ぐらんぶる 』は悪いが予告編だけ観て、「これは時間とカネの無駄かな」と感じたが、同じ監督がどうしてなかなかのサイコサスペンスを送り出してきた。惜しむらくはラストに失速してしまったこと。着地さえしっかりしていれば、今年の邦画トップ5に入れたかもしれない。

 

あらすじ

新田康介(森崎ウィン)はTVアニメ『 妖怪人間ベム 』のコンプリートDVDボックス発売の仕事の際に、幻の最終回を観ることになる。その衝撃的な展開を目の当たりにした康介は徐々に精神のバランスを崩していく。その頃、ある高校に謎めいた少女、ベラ(emma)が転校してきていた・・・

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ポジティブ・サイド

ベラを演じたemmaは不気味さと可憐さを両立させるという稀有な役割をしっかりとこなした。『 富江 』や『 貞子 』とは異なる方向性のキャラクターで、現代的かつ正統的ゴシック・キャラクターになっていた。

 

桜田ひより演じるキャラの狂いっぷりもなかなか。青春とはキラキラと輝くだけではなく、どす黒い情念も渦巻いているもの。ベラという相反する属性の魅力を持つキャラにあてられた人間の無様さや非情さを体現していた。

 

だが、やはり一番の狂いっぷりを発揮したのは森崎ウィンだろう。豹変という表現にふさわしい変わり方で、家の電話で部長と話す時のそれは、そんじょそこらのホラー映画以上の怖さだった。手斧を抱えて家族を追うのは『 シャイニング 』のジャック・ニコルソンへの大胆なオマージュで、本家に劣らぬ恐怖と迫力を生みだせていた。

 

今という時代に妖怪にフィーチャーする意味を考えてみるのも面白いだろう。Jovianの世代では妖怪と言えば鬼太郎であってベムではなかったが、両者に共通するのは人間の与り知らぬ領域で人間に害為す存在と戦っているということだ。元々、彼ら妖怪は日本人の差別意識の裏返し的な存在だったと思われるが、コロナ禍で浮き彫りになったエッセンシャル・ワーカーという存在がどういうわけか世間からいわれのない差別を受けているという今日的背景を透かして本作を鑑賞するのも、それはそれで乙なものである。

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ネガティブ・サイド

これはもうラストの展開に尽きる。キャストの無駄遣いもいいところだし、原作『 妖怪人間ベム 』の作品に宿る精神をぶち壊すかのような展開にはめまいがしてしまった。CGも低品質だし、とあるアイテムの使い方も間違えている(タバコは吸いこまないと火がつかない)。無理やりこうやって終わらせるしかなかったのか・・・

 

人間関係の描写も弱い。というか、康介が綾瀬の葬式を訪ねる必然性が見当たらなかった。芸能事務所とDVD制作・販売の仕事をつなげる描写をほんの少しでも入れておくべきだろう。

 

様々な展開が虚実皮膜の間にたゆとう本作だが、実の部分の細部に粗が目立った。清水尋也のキャラクターが康介に「そろそろ会社に出た方がいいっすよ」的なアドバイスを送るが、会社をさぼってベムにのめり込んでいるという描写はなかったし、オフィスで上司が「あいつは何故出勤してこない?」と言うようなシーンもなかった。また綾瀬の死の真犯人など、警察がちょっと捜査すれば一発で判明するだろう。そんな相手がずっと野放しになっているのは何故なのか。

 

ベラと康介の接触の回数が少なすぎる。あるいは、接触に濃密さが圧倒的に不足していた。きっかけは幻の最終回だったかもしれないが、康介の狂気の触媒はベラとの出会いだったのは間違いない。ならば、ベラと康介の邂逅をよりドラマチックなものにするか、あるいは接触の回数をもう少し増やすべきだっただろう。

 

総評

かなり観る人を選ぶであろう。ホラーは苦手という人は避けたほうが良いかもしれない。逆にホラー好きなら終盤の手前まではかなり楽しめることだろう。『 妖怪人間ベム 』の知識が皆無な人が本作を観るとは思えないが、なんらかの知識を持っていることが望ましい。いったん鑑賞を始めてしまえば、シーンとシーンのつながりの悪さには目をつぶるべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take medicine

薬を飲む、の意。受験英語では今でもdrink medicineは誤りだと教えることがあるらしいが、液体の薬ならdrink medicineと言ってもOKである。だが、一般的には take medicine の使用頻度が高い。medicineのところにa pillやa tablet、syrupやa cough dropなど具体的な薬を表す語を入れて使ってみよう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, emma, サスペンス, スリラー, 日本, 桜田ひより, 森崎ウィン, 監督:英勉, 配給会社:DLELeave a Comment on 『 妖怪人間ベラ 』 -竜頭蛇尾のサイコサスペンス・スリラー-

『 青くて痛くて脆い 』 -意識狭い系の青春映画-

Posted on 2020年8月31日2022年9月15日 by cool-jupiter

青くて痛くて脆い 50点
2020年8月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:吉沢亮 杉咲花 岡山天音 松本穂香
監督:狩山俊輔

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『 君の膵臓をたべたい 』は良作だったが、同作のイメージをぶっ壊すと宣言して書いたとされる本作も、まばゆく輝く女の子に憧憬を抱く男の物語という点では目新しいものではなかった。おそらく、高校生や大学生が観れば異なる感想になるのだろうが、おっさんには刺さらなかった。

 

あらすじ

田端楓(吉沢亮)は他人を傷つけたくない、他人に傷つけられたくないという大学一年生。そんな楓が、世界から暴力・貧困・差別をなくそうと願う秋好寿乃(杉咲花)に出会い、彼女に引っ張られ、秘密結社サークル「モアイ」を立ち上げるが・・・

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ポジティブ・サイド

まさにタイトル通りの男、青臭くて、言動が痛くて、そのくせハートだけは妙に脆いという、誰にとっても思い当たるところのあるキャラクターを吉沢が見事に怪演した。他人に関心がないというのは自意識過剰の裏返しで、他人にどうこう思われるぐらいなら、他人から距離を取ってしまえという思考もまた自意識過剰の裏返しである。おっさんになって自らの過去を振り返れば、「ああ、自分にもそんな時期があったな」と一笑に付すことができるが、10代後半、あるいは20歳前後のまだ何者にもなれていない若者の中には本作の楓に魂を持っていかれるほどの影響を受ける者がいてもおかしくない。それほど吉沢の演技は際立っている。人間の心の非常にダークな部分を隠すことなくさらけ出しているからだ。特に、他人とのつながりを「間に合わせ」と表現するところでは唸らされた。ちょっと愚痴を聞いてほしい相手、ちょっと一緒に酒を飲んでほしい相手、一晩だけ一緒に過ごしてほしい相手(という相手は本編には出ないが)等々の間に合わせ的な人間関係は極めて一般的だが、子どもにはそうではない。それこそ、一瞬一瞬の人間関係が宝石のような価値を持っている。そうした輝きに背を向ける楓というキャラクターの屈折っぷり=闇の深さは、近年の漫画や小説の映画化作品の中でも突出している。

 

また、一種の叙述トリックが仕掛けられているところも野心的だ。なにがどういうトリックなのかには言及できないが、これはなかなかに気の利いた演出である。

 

モアイを潰そうと画策する過程で悪友役の岡山天音も好演。一匹狼の楓に共感してモアイに潜入するも、ミイラ取りがミイラになるの諺通りにモアイにオルグされる様はまあまあ見応えがあった。そのモアイの幽霊部員役の松本穂香が物語を地味に、しかし確実に盛り上げる。無防備に見えて隙が無く、難攻不落に見えて落ちる時はあっさりと陥落。しかし、男の掌の上で踊ることは決してなく、逆に男を手玉に取る悪女の雰囲気すらも醸し出す。『 君が世界のはじまり 』と比較すれば、その演技の幅の広さは同世代(20代前半)では頭一つ抜けている。テンさんこと清水博也も味わい深い。『 愚行録 』や『 屍人荘の殺人 』に出てきそうな大学生と見せかけて・・・というキャラクターである。人は見かけによらない、あるいは人を見かけで判断してはならないという好個の一例である。

 

こうした、一癖ある面々と田端楓と秋好寿乃の織り成す物語は、現役の大学生にこそ堪能してもらいたいと思う。

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ネガティブ・サイド

編集の粗がひどく目立つシーンが多い。秘密結社「モアイ」のイメージ図をバックにした楓と寿乃のスナップショットで、寿乃はオーバーオールを着ているのに出来上がった写真はスエットだけ?になっていなかったか。また、楓目線で寿乃と向き合うショットでも、寿乃の目の角度がおかしい。二人は相当に身長差があり、いくら楓が猫背といっても、向き合って、あごを引いて笑っている寿乃の目がまっすぐ前を見つめるのはありえない。

 

モアイのとあるメンバーが行っている不正行為を内部告発することに葛藤するというのも、傍から見れば滑稽千万である。(老害と化した)ダウンタウンの松本人志が「(東出昌大の)不倫を暴いた週刊誌の記者はどんな気持ちなのか?」という疑問を発していたが、悪事(不倫が悪かどうか、悪だとしてどのような性質で、どの程度の悪なのか、それは措いておく)を暴くことに良心の呵責を感じるとすれば、その悪事が自分にとって近しい人によってなされた時、あるいは告発によって自分の近しい人がダメージを受ける時ぐらいだろう。そういう意味では、自らモアイと寿乃から距離を置いた楓は、距離こそあるものの、つながりを維持しているに等しい。やり方を間違えているのだ。本当にリベンジをしたいのなら、モアイよりも大きい、あるいは秀でた組織を作る、あるいは組織に拠らず個として強く生きていけるように精進することだ。

 

こうした見方はいい年こいたオッサンのものであることは自覚している。寿乃が作ったモアイの目指すところは究極的にはニーチェの言う「超人」であり、サルトルの言う「アンガージュマン」である。なりたい自分になった、作りたい世界を作ったという結果ではなく、その過程そのものに意味があると考える。自分が主体的に動くのと同様に、他者も自分と同じような主体であるのだと認識するところから始まるのだ。本作も2時間かけて楓がそのことを自覚する過程を描いていると受け取れなくもないが、その描写があまりにも稚拙である。創始者や共同創始者が弾き飛ばされるストーリーなど星の数ほど存在する(『 スティーブ・ジョブズ 』など)。本作はどちらかというと、【社会運動はどうやって起こすか】における最初のフォロワーとしての楓にフォーカスできなかったがために、その後の展開すべてが陳腐に見えてしまった。理屈っぽく映画を観てしまう向きには、お勧めできる作りになっていない。

 

総評

良い点、悪い点、それぞれに目立つ。ある一点やある方向には思いっきり振り切れているという印象だが、その一方でディテールには粗が目立つ。あまり深く考えず、若気の無分別の物語に身を任せれば、邦画ではなかなかお目にかかれない一種の暴走型青春サスペンスとして楽しめるのではないだろうか。『 キングダム 』のイケメン吉沢ではなく、『 リバーズ・エッジ 』のような、ちょっと頭がおかしいキャラを演じる吉沢を観たいというファンにこそお勧めしたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

make a difference

変化を生み出す、の意。往々にして「良い変化を生む」の意味で使われる。同質性を重んじる日本語とは異なり、英語圏では他との違い=良いことだという概念がある。これは頭で理解するよりも肌で実感すべきことなのだろう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, サスペンス, 吉沢亮, 岡山天音, 日本, 杉咲花, 松本穂香, 監督:狩山俊輔, 配給会社:東宝, 青春Leave a Comment on 『 青くて痛くて脆い 』 -意識狭い系の青春映画-

『 オフィシャル・シークレット 』 -公と私の関係性を鋭く問う-

Posted on 2020年8月30日2021年1月22日 by cool-jupiter

オフィシャル・シークレット 70点
2020年8月28日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:キーラ・ナイトレイ レイフ・ファインズ マット・スミス
監督:ギャビン・フッド

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原題は“Official Secrets”、本編中では「公務秘密」と訳されている。公文書の改竄が公然と行われ、公務員がそれを苦に自殺までしているというのに、この国(日本)は何も変わらない。だが、それは海の向こうの島国、英国でも同じらしい。10年以上前の実話に基づく本作が、日本社会の「今」をこれほど鋭く抉っているのは、日本がそれだけ英米の後追いをしている証拠なのだろう・・・

 

あらすじ

マンダリンに堪能なキャサリン・ガン(キーラ・ナイトレイ)は、GCHQで中国関連の盗聴に従事していた。ある日、国連安保理の非常任理事国の担当者たちを盗聴するようにとの通達が部署全体に届く。正当性のない戦争を国連で正当化させるための裏工作だと感じ取ったキャサリンは、そのメールをリークすることを決断するが・・・

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ポジティブ・サイド

イラク戦争そのものについては無数の映画が作られている。政治の側からCIAの闇を暴いた『 ザ・レポート 』や『 バイス 』のように国の権力構造の不正を分析するもの、『 記者たち 衝撃と畏怖の真実 』のように弱小メディアが国家の大嘘を暴くというものまで、アメリカがアメリカ自身を暴く作品が生み出されるようになってきた。もちろん『 ウォードッグス 』のような戦争にちゃっかり寄生する輩を面白おかしく活写する作品も作られており、イラク戦争という大義なき虐殺に関してはアメリカは徐々に正しい距離感を学びつつあるようである。本作はそうしたイラク戦争の不当性をイギリス側から見たという点が新しい。

 

それにしても本作で要所要所に挿入される2003~2004年の実際のニュース映像の生々しさよ。特に盲目的な対米従属路線を突っ走る当時の英国首相のトニー・ブレアを見ると、当時の小泉内閣総理大臣、そして現(元と言うべきか)安倍内閣総理大臣を見るようである。WMD=Weapons of Mass Destruction=大量破壊兵器を「まだ見つかっていないが存在を確信している」というブレアにも頭を抱えてしまうが、「無いものを無いと証明できなかったイラクが悪い」と平然と言ってのけた小泉純一郎を思い出して、五十歩百歩という諺を思い出した。なぜか英国の告発スキャンダルとは思えず、日本映画をイギリス風にリメイクしたのかとすら感じられるのである。

 

イギリス映画ファンならば本作の俳優陣の演技に納得することだろう。特にキーラ・ナイトレイは Career High と言ってよいほどの圧巻のパフォーマンス。表情と口調、立ち居振る舞いでキャラの心情をダイレクトに届けてきた。特に自分こそが告発者だと名乗り出るシーン、そしてクルド系トルコ人の夫とのテレビのチャンネル争いおよび熱の入った口論は途轍もなくリアルに感じられた。彼女の告発内容を記事にする記者を演じるのはマット・スミス。『 新聞記者 』のシム・ウンギョンとは全く異なるテイストのジャーナリストだが、幅広い人脈でスパイ顔負けの取材や情報収集活動を行う敏腕記者で、不正のにおいを感じ取れば、社の方針がどうであれ、とことん突き詰める行動型の記者という点ではシム・ウンギョンそっくり。もしも戦地のイラクに派遣されれば『 プライベート・ウォー 』のメリー・コルビンのような雄々しい従軍記者になるのだろう。キャサリン・ガンの無罪を主張する弁護士を演じるレイフ・ファインズも圧倒的な存在感を放つ。弁護士は社会正義の追求だけではなく、紛争の予防および調停を最も大事にすると言われるが、クライアントの要望に応えることも大きな責務だ。そこで放たれる論理のウルトラCには誰もが腰を抜かすこと請け合いである。事件に巻き込まれた時には、このような弁護士を頼りたい。

 

冒頭の裁判開始のシーンは、そのままクライマックスの法廷シーンにつながるが、ここでの検察と判事と弁護士のやりとりは余りにも予想外である。歴史的な(といって2020年からすれば十数年前だが)事実や経緯を知らない者からすれば、この裁判は類まれなる茶番であり、なおかつ壮大なドラマであると言える。この弁護士が構築した論理とそれを証明する手続きについてよくよく考えてみれば、何のことはない、この弁護士とキャサリン・ガンは根っこの部分では同じなのだ。つまり、公私の公=職業人としての使命と、私=個人としての使命が相反した時、「私」を選ぶという点だ。それはプライベートな付き合い云々ではなく、自分の心に何が正しいかを問い続ける姿勢である。重ねて言うが、英国の話なのに日本の話に見えるところが多々ある。現代人必見の一作だろう。

 

ネガティブ・サイド

キャサリン・ガンというキャラクターのバックボーンをもう少し掘り下げる描写があれば、イギリス国内的にも、イギリス国外の映画市場でも、もっと観客を呼び込めたのではないだろうか。キャサリンはアジア滞在歴が長く、特に日本の広島にいたということはもっと強調されてよかったと感じる。また、夫との馴れ初めについても、会話以上の描写があってもよかった。またブッシュやブレアのニュース映像がふんだんに使われているのだから、このキャサリン・ガンの告発事件を報じた本物の新聞記事や本物のニュース映像も見てみたかった。

 

イギリスが歴史的に盗聴で世界の強国の地位を維持してきたという説明もどこかで少しだけ欲しかった。『 イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密 』で描かれたエニグマ解読器を独自開発することに成功した英国は、そのことを秘匿。ナチス・ドイツ敗戦後にエニグマを世界各国の諜報に使わせつつ、自らはちゃっかりとそれらの暗号を解読し続けるという詐欺的な行為で世界の指導的地位を固めていたという歴史的事実の延長線上に本作はあるのだ、ということをもっと明確にすべきだった。

 

キャサリン・ガンの言う「国家ではなく国民に仕えている」というセリフは印象的であるが、ドラマチックではない。ここまでストレートに表現する必要はあるのだろうか。GCHQの職員である以上に一個人なのだということを表明するセリフが望まれていたと思う。この部分だけは妙に理屈っぽく感じられ、キャサリンという感情に強く動かされるキャラクターが首尾一貫性を欠いていたように思う。

 

総評

これは傑作である。こうした一個人の奮闘が国家の、そして国際的な欺瞞を暴くという実話がこれほどリアルに物語化された例は少ない。一方で、ブッシュやブレアといった列強のトップの政治家が今も戦争責任を問われずにいるという慄然とさせられる。歴史はわずか20年足らずで風化してしまうのか。今というタイミングで本作が制作されたことそのものが大きなメッセージになっている。すなわち、己の正義を常に問い続けよ、精神は国家に完全従属させるなということである。なんと耳の痛い教訓ではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Whistleblower

『 スノーデン 』でも紹介した表現。日本ではwhistleblowerはだいたい冷や飯を食わされる羽目になるが、そうした社会風土もさすがにそろそろ変わっていかなければならないだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, イギリス, キーラ・ナイトレイ, サスペンス, マット・スミス, レイフ・ファインズ, 伝記, 家督:ギャビン・フッド, 歴史, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:東北新社Leave a Comment on 『 オフィシャル・シークレット 』 -公と私の関係性を鋭く問う-

『 エミリー・ローズ 』 -法廷サスペンスの変化球-

Posted on 2020年8月15日 by cool-jupiter

エミリー・ローズ 60点
2020年8月14日 レンタルDVDにて鑑
出演:ローラ・リニー トム・ウィルキンソン ジェニファー・カーペンター
監督:スコット・デリクソン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200815175512j:plain
 

夏と言えばサメ映画とホラー映画である。サメの方は『 海底47m 古代マヤの死の迷宮 』でノルマは達成。ホラーの方は地雷臭しか漂ってこないが『 事故物件 怖い間取り 』を劇場鑑賞予定である。TSUTAYAでふと目に入った本作、何と『 やっぱり契約破棄していいですか!? 』のトム・ウィルキンソン出演作ではないか。『 ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談 』のようなテイストかと思ったが、法廷サスペンスだった。

 

あらすじ 

大学生のエミリー・ローズ(ジェニファー・カーペンター)が死亡した。彼女を救おうとエクソシズムを実行したムーア神父(トム・ウィルキンソン)は過失致死の容疑で逮捕拘留される。教区は彼を救うべく、秘密裏に敏腕弁護士のエリン(ローラ・リニー)に弁護を依頼するが・・・

 

ポジティブ・サイド 

これが実在の事件に基づいているということに、まず驚かされる。同時に、どれだけ科学的な知識が増大し普及しても、人間は非科学的な事象を信じる余地を脳と心に残しているのだなと感じる。「悪魔が存在すること」と、「悪魔が存在すると信じること」は、全く別のことである。これは「超自然的な力が存在すること」と「超自然的な力が存在すると信じること」と言い換えてもよい。同時に「科学的に説明がつく」ということと、「科学以外の視点から説明ができる」ということが、背反するのか両立するのかを考えてみるのも面白い。こうすれば本作のテーマを身近に感じられる日本人も多いのではないか。「そんな馬鹿な」と思う向きもあるだろうが、某プロ野球チームの監督が、かつて「手かざし療法」にハマっていたこと、また病魔に侵された某水泳選手にも「手かざし」の噂がついて回るのは何故なのか。末期がん患者本人やその家族が民間療法に頼って死亡、などというニュースも時折報じられるが、こうした一見すると非合理的な事件に法律や科学はどのように切り込んでいけるのか。

 

1970年代ぐらいまでは、狐憑きなどは日本でもまだまだ身近な現象だった。50代以上の年齢層ならば、本作のエミリー・ローズの悪魔付きの描写にはそれなりに説得力を感じるのではないだろうか。また、かなり激しいてんかん発作を見たことがある、という人ならば、検察側の主張するエミリーの疾患に説得力を感じるだろう。Jovianも一度職場で、二度目は路上で見たことがあるが、あれは怖いものである。看護学校に通ったというバックグラウンドがなければ逃げ出していたかもしれない。人がいきなり「キィーーーーーー!」という奇声をあげて、両手両足を不自然な方向に曲げて、その場でバタリと倒れるのだ。てんかんで説明がつくかもしれないが、それがてんかんではなく悪魔憑き、あるいは狐憑きではないと誰が言えるのだろうか。

 

医学の側面からねちねちと攻める検察と、宗教学の面で守勢に回る弁護側。一転、意外な学説を唱える学者の登場や、医師の論理のちょっとした綻びを見逃さずに突くエリンの姿は、法廷もののジェットコースター的展開としても及第点。また、悪魔祓いの儀式を録音したテープを再生するシーンと、その後の検察と弁護側の丁々発止のやり取りは手に汗握る・・・とまでは言わないが、陪審員の評決や裁判官の判決にどのような影響を与えるのかと、固唾をのんで見守ってしまった。そして、数ある法廷ものの中でも、この判決は凄い。どこまでが事実で、どこからが脚色なのかは分からないが、エンターテインメントとしても上々であると感じた。

 

感覚としては高野和明の小説『 K・Nの悲劇 』の読後感に近い。スーパーナチュラル・スリラーと現実的・科学的な説明の間を揺れ動く物語が好きだという人なら、鑑賞しない手はない。

 

ネガティブ・サイド

オープニングからして『 エクソシスト 』へのオマージュというかパクリである。古びた館を見上げる初老の男性。「なるほど、彼がエクソシストなのか」と思わせて、まさかの検視官(medical examiner)というオチ。いきなり観る者をズッコケさせてどうする?

 

たびたび挿入されるエリンやムーア神父の身に迫る怪異のシーンは、どれもこれも単なるジャンプ・スケア以下の迫力。はっきり言ってホラー映画の文法に忠実に作られているとは言い難い(かと言って、忠実に作れば作るほどクリシェ満載となり怖さも面白さも減ってしまうのだが)。法廷の場で軽い幻覚を見たり、あるいはちょっとした金縛りに遭うなどすれば、ムーア神父の言う「闇の力」の存在を少しは感じられたはずだ。または「闇の力云々」には一切言及しないでもよかった。「この法廷は闇の力に覆われている」という神父の発言は蛇足であった。

 

クライマックスの録音テープのシーンでは、再生終了後に陪審員の面々の表情にもっとクローズアップしても良かったのではないだろうか。自分が理性的に悪魔の存在と悪払いの儀式の妥当性を信じられるかどうか。そこが本作の眼目なのだから。

 

総評

ホラー要素が少々あるが、ホラー映画ではない。子ども向けとは決して言えないし、高校生ぐらいでも理解は難しいのではないかと思う。しかし、法とは何か。信仰とは何か。赦しとは何か。そういったテーマについて考えたことがある、もしくは考えてみたいという向きには、本作は格好の材料となる。法律とは人間を縛るものではなく、人間を人間らしくあらしめるために存在しているのだから。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

schizophrenic

カタカナで表記するのは難しいが「スキッツォフレニック」と発音する。意味は「統合失調症の患った」という形容詞的な意味である。疾患や不調は多くの場合、形容詞で表現される。

 

I am diabetic. = 私は糖尿病です。

She is autistic. = 彼女は自閉症なんです。

Are you anemic? = あなたは貧血なのですか?

 

もちろん、have + 名詞で表現することもできるが、英語学習の中級者以上なら、疾患は形容詞で表現するように心がけてみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, アメリカ, サスペンス, ジェニファー・カーペンター, トム・ウィルキンソン, ホラー, ローラ・リニー, 監督:スコット・デリクソン, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンタテインメントLeave a Comment on 『 エミリー・ローズ 』 -法廷サスペンスの変化球-

『 トンネル 闇に鎖された男 』 -閉所恐怖症は観るべからず-

Posted on 2020年8月5日 by cool-jupiter

トンネル 闇に鎖された男 60点
2020年8月4日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ハ・ジョンウ ペ・ドゥナ オ・ダルス
監督:キム・ソンフン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200805232318j:plain
 

北海道の豊浜トンネル岩盤崩落事故を思い出させる内容である。あの時は現場責任者が被害者家族をマスコミと勘違いして「偉そうに言うな!」みたいなことを言って大問題になっていたっけ。当時高校生だったJovianは連日連夜、マスコミがニュースでこの事故を時に真剣に、おちゃらけて取り上げていたのを覚えている。

 

あらすじ

家族の元へと車を飛ばすイ・ジョンス(ハ・ジョンウ)は、トンネルの突然の崩落事故で生き埋めになってしまう。手元にあるのはスマホ、ペットボトル2本分の水、そして娘へのプレゼントであるケーキのみ。彼は救助が来るまで生き延びることができるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

シチュエーション・スリラーと見せかけて、サスペンスでもありファミリードラマでありヒューマンドラマでもある。適度に韓国の大企業や政府への批判も織り交ぜられているのも韓国映画らしいところ。地震大国の日本でも、本作のようなアクシデントは起こりうるし、実際に1990年代後半にはJR西日本の新幹線のトンネルでコンクリート剥落事故が多発したことを覚えている人も多いだろう。コンクリートというものは、いつかは劣化するものなのだ。荒唐無稽なシナリオに思えるが、実は十分にリアルな状況設定なのだ。

 

閉じ込められることになるハ・ジョンウの演技力が素晴らしい。しぶとく生き残った男の安堵と不安の両方を一人芝居で演じきった。特に印象的だったのはペ・ドゥナ演じる妻と電話で話すシーン。「朝ごはんをしっかり食べろ」という台詞のあまりの場違いさにズッコケると同時に、その台詞の重み、すなわち、トンネル内で生き埋めになっていても大丈夫、お前はお前の日常を生きろ、という夫から妻へのメッセージに、胸が押しつぶされそうに感じた。自分が同じ状況に陥った時、こんな言葉が口から出てくるだろうか、と。トンネル内にもう一人と一匹の生存者がいると分かってからのジョンスの行動も重い。自分なら貴重な水を分け与えられるだろうかと思う。状況がリアルなため、ジョンスというキャラクターに感情移入がしやすく、それゆえに彼の言葉や行動の一つひとつが観る側に問いを投げかけてくる。

 

オ・ダルス演じる救助チームの責任者キム・デギョンも人間味があふれる男である。マスコミを一喝して、スカッとさせてくれる。一方で、彼は当事者でありながら当事者ではない。警察も消防も医療従事者も、対象には「あれしなさい、これしなさい」と気軽にアドバイスを送るが、「じゃあ、あんたはやったことあるんか?」と問いたくなったことがある人は多いだろう。Jovianと同じく不惑あたりの年齢の人は、健康診断のたびに「三食バランスよく食べなさい、早寝早起きをしなさい、1週間のうち2~3日はじんわりと汗をかく運動を1時間以上しなさい、ストレスを解消しなさい、酒を減らしなさい・・・」って、ドクター、あなたはそれが全部実践できているのですか?と、いつも尋ねたくなる。このオ・ダルスも、ジョンスにめちゃくちゃなアドバイスを送るが、言うは易く行うは難しをまさに実践する。人を救う職業に従事するのに理想的な男である。

 

ジョンスの嫁を演じたペ・ドゥナも素晴らしい。出番こそ少ないが、要所要所で確実なインパクトを残す。印象的だったのは現場で働く者たちに料理を作って給仕するシーン。そして、ジョンスに電話で「死ね!」と一喝するシーンだ。鬼嫁と勘違いすることなかれ。このような嫁を持つことができる男は果報者である。だが圧巻なのは、ラジオ局のシーンである。こればかりは鑑賞してもらうしかない。『 キャスト・アウェイ 』や『 ハリエット 』など、多くの作品に共通する展開ではあるが、やはりこうしたシーンは涙なしには見られない。万感胸に迫るものがあった。

 

大企業や政治家、そして一般大衆までも巻き込んで、鋭く韓国社会を撃つ。一人の人間の命の重さを正面から描く。台風や地震で家屋が倒壊して閉じ込められた、という時のサバイバル方法を学ぶことができる点もユニークだ。最後の最後に、ジョンスが観る者を最高にスカッとさせてくる。韓国映画ファンならチェックしてみて損はないだろう。

 

ネガティブ・サイド

やや記憶があいまいになっているかもしれないが、「有線のドローンを作らせて取り寄せろ」と言われたドローン・オペレーターが「アメリカのオンタリオですよ」と返すが、オンタリオはカナダではないか?それともこれは韓流ジョークなのだろうか。

 

あるパグ犬が重要な役割を演じているのだが、この犬の story arc が最後には不明になる。『 パターソン 』のネリーに近いレベルの神演技を見せるテンイが、ジョンスの家に招き入れられないなどということがあってよいのだろうか。とうてい承服しがたい。

 

最も不満に思うのは、後半のジョンスのサバイバルの過程がぱったりと描かれなくなることだ。途中までは日が経つごとにジョンスの髭がどんどん伸びていったが、それ以外の描写も欲しかった。たとえば爪の伸びや、あるいは皮膚の垢。または、頬がかなりこけてしまっている、という絵があってもよかった。極限状態を、それでも生き抜いた男の苦闘の跡がもっと目に見える形で表現されていれば、という点が惜しまれる。

 

総評

登場人物は少ないが、それでも2時間きっちりとドラマを生み出し、観る側を引き付ける力を持っている。脚本の力、そして役者の演技力の賜物である。『 リンダ リンダ リンダ 』のペ・ドゥナがなんとも milfy になっているので、彼女のファンは絶対に観よう。フェイクニュースや、マスコミの報道の在り方、そして我々のニュースの“消費”の仕方などについても多くの示唆を与えてくれる社会派映画でもある。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ウェ

とある長官の一言。意味は「なぜ」である。英語の Why? によく似ている。これも色々な韓国映画でちらほらと聞こえてくる定番の語彙だろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, オ・ダルス, サスペンス, ハ・ジョンウ, ヒューマンドラマ, ペ・ドゥナ, 監督:キム・ソンフン, 配給会は:アルバトロス・フィルム, 韓国Leave a Comment on 『 トンネル 闇に鎖された男 』 -閉所恐怖症は観るべからず-

『 ブラック アンド ブルー 』 -傷だらけの逃亡者-

Posted on 2020年8月1日2021年1月22日 by cool-jupiter

ブラック アンド ブルー 75点
2020年7月31日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ナオミ・ハリス タイリース・ギブソン
監督:デオン・テイラー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200801133656j:plain
 

Black Lives Matter運動前に制作された映画。黒人市民ではなく黒人警官がこれでもかと虐げられる映画。しかも、その被害者=主役が女性というのも個人的にはタイムリー。ニューオーリンズについては最近見たこのTED TALKS、女性への侮辱的な言動についてはこのYouTube動画が興味深い。事前にこれらを予習しておくのもありだろう。

 

あらすじ

アリシア(ナオミ・ハリス)は新人警察官だが、黒人というだけで一部の同僚から侮辱的な扱いを受けていた。ある夜勤でアリシアは先輩警察官と共に廃工場へ向かった。そこでアリシアは刑事が麻薬の売人を射殺するのを目撃した。自身も撃たれるアリシアだが、防弾ベストのおかげでなんとか助かる。すべてを収めたボディカメラを罪証隠滅のために取り戻そうとする汚職警察官たち、そして彼らの陰謀によりギャングからもアリシアは追われることになり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200801133717j:plain
 

ポジティブ・サイド

ニューオーリンズのイメージが一変すること請け合いである。オーリンズとはフランスのオルレアンの英語読みである。『 セルフレス/覚醒した記憶 』で若い肉体を手に入れたベン・キングスレーが悠々自適に街角のミュージシャンの演奏に耳を傾けていた異国情緒あふれる街。空港にルイ・アームストロングの名前をつける街。本作が映し出すニューオーリンズにはそんな呑気な光景は一切出てこない。『 華氏119  』でのミシガン州フリントのように、忌避された土地、警察官すらも近寄らない土地が舞台のすべてである。『 ブラインドスポッティング 』でも黒人と白人の友情が静かに壊れていく過程に緊張感が感じられたが、本作が生み出すサスペンスはそれをはるかに上回る。ギャングと警察が特定の個人を追うという構図は『 悪人伝 』と同じだが、そこにコミカルさはない。『 哀しき獣 』並みの絶望感だけがそこにある。拳や道具、せいぜい刃物で戦う韓国人に比べるとアメリカ人はあまりにも銃火器を使いすぎである。銃の威力も怖いのだが、誰もかれもがそれを持っていること、そして躊躇せず使おうとするところが恐ろしい。

 

アリシアが追われる展開までが非常にスピーディーだが、そこに至るまでの短時間にこれでもかとアリシアが虐げられる。ジョギング中に後ろから来たパトカーにいきなり呼び止められ、白人警官に暴力的に身分照会させられる。「指名手配犯に似ていた」と言い訳されるが、後ろから顔も見ることができないのによくもそんな言い訳ができるなと、一瞬で腹立たしい気分にさせられる。かと思えば、アリシアが黒人コミュニティ内でも「警察官だから」という理由だけで疎外されるシーンを挿入してくる。この孤立無援の感覚がアリシアの逃亡劇の恐怖とサスペンスを否が応にも盛り上げる。

 

BGMと様々な楽曲もアリシアに感情移入するオーディエンスの不安感をさらに煽る。『 ルース・エドガー 』のBGMも我々の心を落ち着かないものにさせるものだったが、ラップや金属音強めのBGMはそれを聴く者の心をざわつかせる効果があるようだ。映画的な文法に沿って言えば「まだ主人公は大丈夫なはず」という場面も、音楽と効果音の力が非常に強く、ハラハラドキドキが持続させられる。

 

アリシアとなし崩し的に逃亡することになるマウスが味わい深いキャラである。白人側に立つのか、黒人側に立つのか。警察官の側に立つのか、市民の側に立つのか。アリシアは複雑な選択を迫られるが、そうした二項対立的な選択肢しか存在しないことを、この映画は糾弾している。マウスはそうした疑問に一定の答えを呈示する役回りだ。この地域では黒人といえども警察官はお断りだという拒否感と、困っている人間を助けなければならないという良心とのジレンマは、そのままアリシアがかつて抱いていた心情である。

 

ラストのアリシア、警察、ギャングのバトルは壮絶の一語に尽きる。暗闇での接近戦は『 チェイサー 』のハ・ジョンウとキム・ユンソクの格闘を彷彿させ、またクライマックスの二転三転する形勢は冷や汗と鳥肌、両方を体感できた。

 

カメラが重要なモチーフになっている本作であるが、デオン・テイラー監督のメッセージはシンプルだ。見てほしい、そして見せてほしいということだ。差別。貧困。汚職。暴力。目を背けるな。そこには常に誰かがいる。その誰かとは肌の色や性別で区別される存在ではない。その誰かは、別の誰かにとっての子であり、父であり、友であり、同僚なのだ。親がいない人間はいない。社会的に親が存在しないことはあるが、生物学的には絶対に存在する。誰かは確実に誰かの息子であり娘である。人が人を見る時、属性ではなく関係で見る。それこそが求められる一つの答えなのではないだろうか。

 

ネガティブ・サイド

様々な場面でのアリシアの行動に合理性や一貫性がない。序盤にカネを払わずコーヒーを買っていく同僚に代わりにカネを店に置いていく一方で、中盤の逃亡中に同じマウスの店でいきなり飲料品をゴクゴク飲みだす。緊急時なのでそれは構わないが、その後、警察の制服を脱ぐところ=一人の人間に戻るところで、代金を払うと申し出る、それをマウスが「要らない」と返すようなやりとりが必要だったのではと思う。あるいは編集でカットしのだろうか。人間同士のやり取りが、相手の帯びる属性で変わってしまうという重要なテーマを、もう少し掘り下げるべきではなかったか。

 

軍人としての経験豊富なアリシアが、武装したギャング連中に追われていることを知りながらあれだけ簡単に道路などの遮蔽物のない空間に飛び出たりするだろうか。司令部への通報を簡単に諦めたりするだろうか。プロットを前に進めるための、かなり強引なご都合主義に感じた。そこでそのスマホを手に入れろ!という場面もあっさりとスルーしてしまう。このあたりは脚本段階で改善の余地があったはずだ。

 

総評

黒人差別問題だけなら、本作の評価はここまで高くはならない。ハリケーン・カトリーナによって街が破壊され、放棄されてしまった。そこに我々はもっと注意を払わねばならない。50年に一度とされる大豪雨や洪水が2~3年に一度起きる国に日本はなってしまった。また#MeToo運動に見られるように、女性への差別問題の根深さも近年あらためて浮き彫りになった。人は人に狼 homo homini lupusや武器の下では法も沈黙する intra arma silent legesという状態からはそろそろ本当に脱出しなければならない。娯楽性とメッセージ性の両方を持つ、隠れた傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Way to go

「よくやった」、「おめでとう」、「グッジョブ!」の意。同僚や家族が良い仕事を成し遂げたら、“Way to go!”と声をかけるようにしよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アクション, アメリカ, サスペンス, タイリース・ギブソン, ナオミ・ハリス, 監督:デオン・テイラー, 配給会社:イオンエンターテイメントLeave a Comment on 『 ブラック アンド ブルー 』 -傷だらけの逃亡者-

『 パッセンジャーズ 』 -ライトな映画ファン向けか-

Posted on 2020年7月23日 by cool-jupiter

パッセンジャーズ 50点
2020年7月20日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:アン・ハサウェイ パトリック・ウィルソン
監督:ロドリゴ・ガルシア

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200723010128j:plain
 

飛行機墜落ものというと『 ノウイング 』(監督:アレックス・プロヤス 主演:ニコラス・ケイジ)を思い出す(冒頭だけだが)。これがけっこうな珍品で、面白くもあり、つまらなくもあった。以来、飛行機墜落ものにはあまり食指が動かくなくなった。しかし、心斎橋シネマートで『 アフターマス 』(監督:エリオット・レスター 主演:アーノルド・シュワルツェネッガー)あたりから墜落ものも、ポツポツと再鑑賞し始めた。これもそのうちの一本。

 

あらすじ

飛行機墜落事故が発生。多数が死亡したが5名は生き残った。その生存者のカウンセリングを担当することになったクレア(アン・ハサウェイ)だったが、セッションを欠席した生存者が1人また1人と姿を消していく。クレアは事故の真相を何とか探ろうとするのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

アン・ハサウェイが相変わらず魅力的である。『 プラダを着た悪魔 』から『 シンクロナイズドモンスター 』まで、年齢を重ねつつも、魅力を増している。おそらく本作ぐらいが、いわゆる girl と woman のちょうど境目ぐらい(実際の役でもそうだ)で、それゆえに無垢な学生、姉との関係に悩む妹、男性と情事に耽る大人の女性などの多彩な面を見事に演じ分けている。彼女のキャリアにおけるベストではないが、間違いなく on the right side の演技である。

 

作品としては非常に分かりにくい。それは、「はは~ん、これは実はこういう話だな」ということがすぐに読めるからである。たいていの人は「これはアン・ハサウェイがセラピーをしていると見せかけて、実はセラピーを受けている側なのだ」と思うことだろう。Jovianは割とすぐにそう直感したし、映画や小説に慣れた人なら、あっさりとそう思えるだろう。それこそが本作の仕掛ける罠である。

 

「なるほど、そう来るか」

 

素直にそう感心できる twist が待っている。

 

本作の最初の展開に騙される人、あるいはそれを見破れる人は、以下のような作品に親しんでいる人だろう。以下、白字。

 

『 シックス・センス 』

『 アメイジング・ジャーニー 神の小屋より 』

『 ラスト・クリスマス 』

『 ムゲンのi 』

 

人によっては ( ゚Д゚)ハァ? となるだろうが、真相に至るまでには結構フェアに伏線が張られている。例えば寒中水泳のシーン、あるいは線路のシーン。このあたりをちょっと考えれば、誰もが何かがおかしいと感じられることだろう。それに、多くのキャラクターのふとした言動や、人間関係、他キャラとの交流のあり方もヒントになる。2000年代にもなると、ありふれた謎解きにも変化球が色々と混ざって来る。本作は、ただのシュートかと思ったらシンカーだった。そんな一品である。

 

ネガティブ・サイド

ちょっと風呂敷を広げ過ぎている。こういうのは中盤と終盤の twist のインパクトで勝負するしかない作品で、そこに至るまでがかなり間延びしているように感じられる。93分の映画だが、75分でも良かったのではないかと思えるのだ。エリックが壁を塗りたくるシーンや屋上にクレアを誘うシーンは削除できた。あるいは大幅に短縮しても、特にラストのインパクトに影響を及ぼさないだろう。

 

事故を起こした航空会社が、その自己の生存者を監視し、追跡し、拉致しているのではないかというクレアの推理は、はっきり言って迷推理である。生存者の名前は大々的に報じられるだろうし、そうした人間が本当に失踪したならば、周囲の人間が絶対に気付くし、捜索届を出したり、マスコミにも知らせたりするだろう。人間は陰謀論が大好きなのだから。一人ひとり消えていくのではなく、単にセラピーを欠席して、日常生活に帰っていった、という説明はできなかったか。

 

クレアとエリックのロマンスがどうにもこうにも陳腐である。アン・ハサウェイ演じるクレアから見たエリックが、一人の男性としての魅力に欠ける。いや、説得力に欠けると言うべきか。アン・ハサウェイから見て、危なっかしい弟のような存在、あるいは幼馴染のような友達以上恋人未満のような存在に見えないのだ。多面的なアン・ハサウェイの魅力とパトリック・ウィルソンのキャラ設定が、どこかミスマッチなのだ。

 

総評

アン・ハサウェイのファンならば観よう。こういった作品はドンデン返しを楽しむためのもので、そこに行くまでに退屈してしまうという向きにはお勧めできない。ディープな映画ファンならば、あれこれと先行作品を思い浮かべるだろうし、もっと鍛えられた映画ファンならば、この変化球が曲がり始めた瞬間に軌道を見切ってしまうかもしれない。結局、お勧めできるのはアン・ハサウェイのファンであるというライトな映画ファンになるだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

work one’s ass off

「働きまくる」の意である。もうすぐ子どもが生まれるのか?じゃあ、がむしゃらに働かないとな!=You’re going to have a baby soon? Well, someone has got to work his ass off! などのように使う。同じような表現に、laugh one’s ass off = 爆笑する、というものがある。こちらは laugh my ass off = LMAO や、rolling on the floor laughing my ass off = ROFLMAO などの略語の形でネット上で見たことがある人もいるかもしれない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, D Rank, アメリカ, アン・ハサウェイ, サスペンス, パトリック・ウィルソン, ミステリ, 監督:ロドリゴ・ガルシア, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 パッセンジャーズ 』 -ライトな映画ファン向けか-

『 悪の偶像 』 -信じさせる者は救われるのか-

Posted on 2020年7月5日2021年1月21日 by cool-jupiter

悪の偶像 70点
2020年7月4日 心斎橋シネマートにて鑑賞
出演:ハン・ソッキュ ソル・ギョング チョン・ウヒ
監督:イ・スジン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200705171545j:plain
 

『 哭声 コクソン 』に続いて、またも人間の信念や信仰、信条を揺るがすような作品である。ただし、こちらはホラーではなくポリティカル・サスペンス。しかし、韓国映画お得意のグロ描写は健在。どこまで行くのか、韓国映画界よ。

 

あらすじ

市議会議員にして時期知事の有力候補のミョンヒ(ハン・ソッキュ)の息子ヨハンが飲酒ひき逃げ事件を起こし、あろうことか死体を自宅に持ち帰ってきた。死体遺棄を隠し、ひき逃げだけでミョンヒはヨハンを自首させる。しかし、目撃者である被害者の新妻リョナ(チョン・ウヒ)の存在が判明。真相が判明することを防ぐためにミョンヒはリョナを追う。一方、被害者の父親であるジュンシク(ソル・ギョング)も、リョナが妊娠していることを知り、なんとかして彼女を見つけ出そうと奮闘するが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200705171604j:plain
 

ポジティブ・サイド

『 母なる証明 』は問答無用の大傑作だった。韓国における母と息子の絆の強さとその闇の深さには圧倒されるものがあった。本作は、半分は『 父なる証明 』であると言ってよいだろう。議員ミョンヒのボンクラ息子、小市民ジュンシクの知的障がいを持っていた息子。特に後者の父子関係は強烈だ。冒頭のナレーションで、父が息子の射精を手伝ってやったと語られるのだ。『 母なる証明 』でも息子の立ち小便をキム・ヘジャ演じる母がじーっと凝視するという異様なシーンがあったことが思い出される。親と子の距離が異様に近いのだ。『 37セカンズ 』でも母と子のやたらと近い入浴シーンがあったが、それでも障がいを持つ子と親の距離感というものに驚かされるし、そうしたものを描き切る韓国映画の凄みよ。

 

そして“父”というワードに神を見出すことは、韓国がキリスト教国であるという背景を考えれば、それほど難しいことではない。劇中およびエンドクレジットで流れる“Agnus Dei”は神の子羊、すなわちイエス・キリストの象徴である。イエスは原罪を背負って死に、人類を救済したとされる。本作で死んだのは誰か。そしてイエスの母マリアは処女懐胎したと言われている。本作で懐胎したのは誰か。そして、それは誰の子なのか。父のイメージに挑戦し、それを壊そうとする本作は、韓国という国全体の家父長的な社会制度を糾弾していると見るのは、それほど穿った見方ではないだろう。

 

現代は誰もがイメージに生きている時代と言える。大昔から人間はイメージを相手に押し付けてきた生き物であったが、現代はその性向がさらに強化された時代であると言える。ソーシャル・ディスタンスならぬサイコロジカル・ディスタンスとでも言おうか。心理的に自分に近い人間を応援し、心理的に自分から遠い人間を排撃しようとする。それが本作におけるテーマの一つである。イメージを駆使して他者との心的距離を縮めようとする政治家ミョンヒの、恐るべき策略が炸裂する中盤以降、物語は一気に暴力と破壊と殺人の色合いを濃くしていく。

 

自らも誘拐・監禁・暴行に手を染めるハン・ソッキュ、買春や偽装結婚など愛する家族のためなら犯罪もなんのそののソル・ギョング。彼ら名優の演技対決も見ものであるが、一番はチョン・ウヒの狂気だろう。弱い立場にありながらも彼女自身は決して弱くはない。追われ、監禁され、虐待されても、感覚を研ぎ澄ませてチャンスをうかがっている。まさに獣である。日本で渡り合えるのは安藤サクラぐらいか。顔が怖いから怖いのではない。『 パラサイト 半地下の家族 』でも強調されたある感覚を何気なく語るシーンの秘めた迫力が恐ろしいのである。繰り返しになるが、まさに獣である。弱肉強食である。

 

そして最終盤の事件。人間がいかにイメージに弱いかを物語る大事件が起きる。いや、起こされる。例えるのが非常に難しいが、敢えて言えば芸能人のスキャンダルに近いか。別に自分に被害が生じたわけでもないのに、我々はそれまでに好感を抱いていた人物を蛇蝎のごとく忌み嫌うようになることがある。まさに心理的なdistancingである。父と父との対決は、ここに来て一気に国家・国民を揺るがすレベルに到達する。そしてエンディング。原作ではどうなっているのだろうか。字幕が途中から一切表示されなくなる。当然韓国語なので、韓国語が分かる人間にしか分からない。だが、それで良いのだろう。そこに映し出されないイメージ(具体的には身体のあるパーツ)を我々は想像し、そこで語られるメッセージを我々は想像する。そしてエンディングの讃美歌、Agnus Dei。生贄としてささげられているのは誰なのか。ここでミョンヒの肩書が原発対策委員長だったことを思い出して背筋が凍る人もいるだろう。

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ネガティブ・サイド

本作のキーパーソンの一人であるリョナは『 哀しき獣 』でフォーカスされた朝鮮族の女性である。つまりは外国人である。もちろん強制送還や不法滞在というキーワードでそれは十分に理解できるが、世界をマーケットにしたい映画であるなら、もう少しキャラクターの背景を深掘りする描写が必要ではなかったか。事実、Jovian妻はストーリー展開に時々ついていけなかったようである。

 

ミョンヒの息子はどうなったのだ?事件の発端のこの男の罪状や体調が途中から皆目わからなくなってしまった。

 

ジュンシクがリョナのために用意した証明書。これが思わぬところで思わぬ人物に大ダメージを与えるが、狙っていたことなのだろうか。それとも本人が語るように「書類上のこと」に過ぎなかったのだろうか。序盤に思わぬ嫌疑を受けるジュンシクであるが、中盤にしっかりとビジュアル・ストーリーテリングを通じてredeemされる。そうした描写が欲しかった。このスッキリしない感じは少々気持ちが悪い。

 

総評

父なる証明の物語。つまり父の狂気の愛情の物語としては傑作である。また、サスペンスとしてもクライムドラマとしても、韓国映画来意容赦の無いテイストで描かれており、このジャンルでも及第点以上である。だが、本作をより面白くしているのは日本の政治状況ではないだろうか。奇しくも今日(2020年7月5日)は東京都知事選。横文字の濫用とメディア露出を駆使する、つまりはイメージ戦略第一の現職は勝てるのか。勝つとしたら、他候補にどれだけの差をつけるのか。または差がつかないのか。今秋にも衆議院解散の噂がささやかれるが、「やってる感」の演出、つまりはイメージ戦略だけの政権与党はどうなのか。結果はどう出るのか。そうしたことを頭の片隅で意識しながら鑑賞すれば、自分が迷える子羊なのか、迷わされる子羊なのかが明確になるかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

idol

idol = 偶像である。つまりは憧憬の対象である。日本語で言うアイドルは往々にしてpop starと訳される。この語で感慨深く思い出されるのは2008年12月6日のボクシング、マニー・パッキャオvsオスカー・デラホーヤ戦。勝者のパッキャオが敗れたデラホーヤに“You’re still my idol.”と伝えると、デラホーヤが“No, now you are my idol.”と応えた。その様子はこの動画の40:50で視聴可能だ。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, B Rank, サスペンス, ソル・ギョング, チョン・ウヒ, ハン・ソッキュ, 監督:イ・スジン, 配給会社:アルバトロス・フィルム, 韓国Leave a Comment on 『 悪の偶像 』 -信じさせる者は救われるのか-

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