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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: アメリカ

『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』 -そして伝説へ...-

Posted on 2019年4月28日2020年1月28日 by cool-jupiter

アベンジャーズ / エンドゲーム 80点
2019年4月27日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ロバート・ダウニー・Jr. クリス・エヴァンス クリス・ヘムズワース ジョシュ・ブローリン
監督:アンソニー・ルッソ ジョー・ルッソ

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全宇宙の生命の半分を消し去ったサノス。半分が消えたスーパーヒーロー達。彼ら彼女らが復讐者(The Avengers)となって、サノスに戦いを挑む・・・というストーリーではない。これはアイアンマンやソー、キャプテン・アメリカがヒーローとしての生き方以外を模索し、その上でヒーローたることを決断する物語なのだ。少なくともJovianはそのように解釈した。

 

あらすじ

 サノス(ジョシュ・ブローリン)に大敗北を喫したアベンジャーズ。アイアンマン(ロバート・ダウニー・Jr.)は宇宙を漂い、地球への帰還は絶望的。キャプテン・アメリカ(クリス・エヴァンス)は何とか前に進もうとしていたが、ソー(クリス・ヘムズワース)は自暴自棄になっていて、初期アベンジャー達は打倒サノスに団結できずにいたが・・・

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  • 以下、シリーズ他作品のマイルドなネタばれに類する記述あり

 

ポジティブ・サイド

 『 キャプテン・マーベル 』は正にMCUの繋ぎ目であった。冒頭の20分で「第一部、完!」的な超展開が待っている。これは笑った。いや、本作の全編にわたって、特に前半はユーモアに満ちている。『 バック・トゥ・ザ・フューチャー 』と『 ターミネーター 』という、タイムトラベルものの優れた先行作品に大いなる敬意を表しつつ、それらへのオマージュを見せつつ、新たな物語世界を創り出し、完結させた。

 

アクション面で語ることはあまりない。何故なら褒め言葉に意味など無いからである。これだけの映像を構想した監督、それを現実のものにした俳優陣や演出、大道具、小道具、衣装、CG、VFXなどを手掛けた裏方さんたち全てに御礼申し上げる。

 

キャプテン・アメリカやソーについても多くを語りたいが、自分が最も打ちのめされた、そして最も素晴らしいと感じたのは、トニー・スターク/アイアンマンだった。彼が人の子として、人の親として、一人の男として、そしてスーパーヒーローとしての全ての生き方を全うできたことが、これ以上ない迫真性と説得力を以って伝わってきた。彼はある意味で常に父のハワード・スタークの影にいた。そのことは『 アベンジャーズ 』でも『 キャプテン・アメリカ / シビル・ウォー 』でも明白だった。父と息子の対話というのは、母と娘のそれとは何かが異なる。そのことを非常に大げさに描き切ったものに『 プリンセス・トヨトミ 』があったが、今作におけるトニー・スタークは、息子、父親、夫、ヒーローとしての生を成就し、全うしたと言える。彼が娘にかける母親に関する言葉、妻にかける娘に関する言葉の簡潔にして何と深いことか。世の男性諸賢は彼なりの愛情表現に見習うところが多いのではないか。彼は社長という一面はなくしても、技術者としての顔は残していた。そしてヒーローとしても。思えば全ては『 アイアンマン 』のラストの記者会見での“I am Iron Man.”から始まったのだ。滂沱の涙がこぼれた。

 

ネガティブ・サイド

前作『 アベンジャーズ / インフィニティ・ウォー 』で全世界の映画ファンが最も度肝を抜かれたのは、冒頭のロキの死亡と、ハルクがサノスとガチの殴り合いで完敗を喫したことだったのではないか。であれば、本作に期待するのはインクレディブル・ハルクの捲土重来がまず一つ。しかし、どうもそれが個人的にはイマイチだった。もちろん大きな見せ場はあるのだが、『 アベンジャーズ 』で“I’m always angry.”と不敵に言い放ってからのパンチ一撃でチタウリをKOしたインパクトを超えるシーンはなかった。

 

スカーレット・ウィッチとドクター・ストレンジの共闘も予想していたが、それもなかった。ヴィジョンは復活の対象ではないのだから、誰かがそこをスポット的に埋めるだろうと予想していて、それができるのはドクター・ストレンジだけだという論理的帰結には自信を持っていたがハズレてしまった。しかし、真面目な話、ヒーローが多すぎて見せ場が分散されすぎている。というか、キャプテン・アメリカの強さのインフレと、キャプテン・マーベルの素の強さがおかしい。生身のブラック・ウィドウはお役御免(トレーラーのような、射撃を練習するシーンはあったか?)、ホークアイも基本的には走り回る役というのに、キャプテン・アメリカのこのドーピング、優遇っぷりと、キャプテン・マーベルのストーンの運搬役には不可解さすら感じた。マーベルなら楽勝でストーン使用のインパクトに耐えられたのでは?

 

個人的にもうひとつピンと来なかったのはタイムトラベル理論。ブルース・バナーによれば、時間とは、小林泰三の短編小説『 酔歩する男 』の理論のようであり、また哲学者アンリ・ベルクソンの純粋接続理論のようなものでもあるらしいが、それはエンシェント・ワンが劇中で説明したマルチバース理論(と基にした因果律と多世界解釈)と矛盾しているように感じた。最大の謎は、なぜアントマン/スコット・ラングはタイムトラベル実験で年を取ったり若返ったりしたのか。時間の流れが異なる量子世界内をトニー・スターク発明のGPSを使って、時空間上の任意の点を目指すのがタイムトラベルであれば、トラベラー自身の年齢が上下するのは理屈に合わない。いや、それ以上にキャプテン・アメリカの最後の選択。それは美しい行為なのかもしれないが、論理的に破綻している。インフィニティ・ストーンを使って現在を修正し、その上で過去にストーンを戻し、過去の世界線はそのままに、現在の世界線もそのままに、そして人々の記憶や意識はそのまま保持する、というのはギリギリで納得がいくが、それもこれも全てを吹っ飛ばすキャプテン・アメリカの選択は美しいことは間違いないが、パラドクスを生んだだけのように思えて仕方が無かった。

 

総評

これはフィナーレであると同時に、新たな始まりの物語でもある。そのことは劇中のあちこちで示唆されている。しかし、それ以上に本作はトリビュートであり、様々な先行作品へのオマージュにも満ちている。そうしたガジェットを楽しむも良し、純粋にストーリーを追うことに集中しても良し、ここから先に広がるであろう新たな世界を想像するのも良し。連休中に一度は観ておくべきであろう。

 

そうそう、ポストクレジットの映像は何もない。トイレを我慢しているという人は、エンドクレジットのシーンで席を立つのもありだろう。しかし、映像はないのだが、興味深い音が聴ける。その音の意味するところを想像したい、という向きは頑張って座り続けるべし。

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, アメリカ, クリス・エヴァンス, クリス・ヘムズワース, ジョシュ・ブローリン, ヒューマンドラマ, ロバート・ダウニー・Jr., 監督:アンソニー・ルッソ, 監督:ジョー・ルッソ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』 -そして伝説へ...-

『 ウォールフラワー 』 -青春の甘さと苦さを思い出す-

Posted on 2019年4月27日2020年1月29日 by cool-jupiter

ウォールフラワー 70点
2019年4月25日 レンタルDVD鑑賞
出演:ローガン・ラーマン エマ・ワトソン エズラ・ミラー
監督:スティーブン・チョボウスキー

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日本であろうとアメリカであろうと、学校には冷酷非情な生態系が存在する。スクールカーストというやつだ。高校生という、ちょうど大人と子どもの中間にある存在は、時に非常に脆く、時に非常に危うく、時に非常に強かで逞しい。そんな時期を追体験させてくれるのが本作である。

 

あらすじ

チャーリー(ローガン・ラーマン)は高校入学初日に、誰とも友達になれなかった。国語教師のアンダーソン先生(ポール・ラッド)にはポテンシャルを認められるも、生徒達とはどうしても距離が生まれてしまう。しかし、ある時、フットボールの試合で上級生のパトリック(エズラ・ミラー)とその義理の妹サム(エマ・ワトソン)と知り合い、友達になる。しかし、チャーリーにはある秘密があって・・・

 

ポジティブ・サイド

上級生にして親友となるパトリックを演じるエズラ・ミラーの演技。これは素晴らしい。『 ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅 』、『 ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生 』では完全なるダウナー系(にしてマグマをため込むタイプ)を演じ、『 ジャスティス・リーグ 』ではフラッシュという天然アッパー系キャラを演じていた。次代のハリウッドを牽引する可能性を秘めた役者であり、アダム・ドライバー並みか、それ以上に活躍できるポテンシャルがありそうだ。本作でも優しさと包容力がありながら、自分なりの闇や負の側面をも抱えたキャラを見事に体現した。登場の瞬間から観る者に違和感を抱かせるのだが、そそっかしい人は妙な演技と勘違いしてしまうかもしれない。それは妙なのではなく、分かりにくい分かりやすさ、もしくは分かりやすい分かりにくさなのだ。特に珍しい属性ではないので、慣れた人ならすぐに見抜くだろうし、慣れていない人でもすぐに納得できるだろう。このあたりの演技のさじ加減が絶妙なのである。

 

エマ・ワトソンも魅せる。なぜかダメ男とばかり付き合ってしまう女性は、往々にして良い女なのだ。いや、女が器量よしだから、そばに立つ男のダメさが余計に際立つのだろうか。本作にはハーマイオニーの面影は無い。ダニエル・ラドクリフが『 ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館 』や『 ヴィクター・フランケンシュタイン 』でハリーのイメージを払しょくしたのと同じく、今作はエマ・ワトソンは非常に racy なバックグラウンドを有する slutty なキャラを具現化した。これらの英単語の意味を調べるのが億劫な人は是非本作を鑑賞しよう。

 

原題の The Perks of Being a Wallflower とは、壁の花でいることの利点、ぐらいの意味か。パーティーなどで部屋の中央に陣取る花形ではなく、壁に背をつけて時間をつぶす、いわゆるはみ出し者キャラのことである。ローガン・ラーマンもそうしたキャラを説得力ある形で体現した。彼にはとある秘密(というか特徴)があり、まるで『 君が君で君だ 』の尾崎豊的なところがある。というか、普通の男であればこうした特徴を大なり小なり有しているものであるし、Jovianはこのキャラクターがいたく気に入った。学校でまともに話せるのが先生だけ、という状態から同世代の友人を得て、恋の素晴らしさを知り、また恋の恐ろしさを知る(それは自分の弱さや残酷さを知ることでもある)というビルドゥングスロマンが、心の琴線に触れるのだ。詳しくは観てもらうしかないが、チャーリーの“理屈”に賛同しする、あるいは同じように感じたことがあると思い当る男性連中は多いはずだ。

 

そうそう、国語教師のポール・ラッドも良い味を出していた。千万言を費やすよりも、自分の愛読書を読んでもらう方が、思いやりや尊敬、信頼の気持ちをより強く表すことができる。そんな理想的な教師像を彼の姿に見た。俺もこんな風になりたいなと思えた。

 

ネガティブ・サイド

チャーリーに仕込まれたトリックというか、とあるトラウマの秘密が、ややありきたりである。極端な話、漫画『 ベルセルク 』のガッツの抱えるトラウマと同質のものの方がよりインパクトがあり、なおかつパトリックという兄貴キャラとの整合性というか、相性の面でもより良かったのではないかと思う。

 

また、チャーリーの家族との触れあい、交流の場面がもっと欲しかった。チャーリーという主人公が、どのように変わり、また変われないのかを最もよく知るのは、やはり家族だからだ。

 

もう一つ、チャーリーの恋の始まり方の説得力が弱かった。この恋の終わり方がハチャメチャなので、始まりもある意味ではもっとぶっ飛んだ、若気の無分別で良かった。ここでの無分別というのは性欲と恋心を混同するというような意味ではなく、周囲に遅れているのではないかという焦燥感や異性への純粋な好奇心、そうしたものから偶発的に始まってしまった関係だったほうが、チャーリーというキャラによりマッチしていたように思う。

 

総評

青春ものとして佳作である。日本で同じテーマを描こうとしても、様々な意味で難しいだろう。しかし、こうしたはみ出し者たちの心温まる交流風景や衝突、断絶を経ての成長物語は普遍的なテーマであるはずで、誰が観ても何がしかのメッセージを受け取ることができるし、共感を呼び起こされるはずである。高校生以上なら充分に理解ができるはずだし、青春のほろ苦さを予習もしくは追体験することができる。お勧めの一作である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, エズラ・ミラー, エマ・ワトソン, ヒューマンドラマ, ローガン・ラーマン, 監督:スティーブン・チョボウスキー, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 ウォールフラワー 』 -青春の甘さと苦さを思い出す-

『 シンデレラ 』 -CG臭さを除けば良作-

Posted on 2019年4月25日2020年1月28日 by cool-jupiter

シンデレラ 70点
2019年4月22日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:リリー・ジェームズ ケイト・ブランシェット
監督:ケネス・ブラナー

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2015年に大阪ステーションシティシネマかどこかで観たんだったか。リリー・ジェームズの可愛らしさとケイト・ブランシェットの憎たらしさが素晴らしいケミストリーを生み出していた。なんとなく手持ち無沙汰だったので、仕事帰りにふらふらとTSUTAYAに吸い込まれ、借りてしまった。

 

あらすじ

エラ(リリー・ジェームズ)は優しい父と母のもと、幸せに包まれて暮らしていた。しかし、母はエラに「勇気と優しさを忘れないように」言い残して急死してしまう。父娘で生きていきながらも、父は再婚を決意。その相手のトレメイン夫人(ケイト・ブランシェット)と連れ子たちと何とか一つ屋根の下で暮らしいたが、旅先で父までもが急死してしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

なんと言ってもシンデレラを演じたリリー・ジェームズの魅力が大きい。『 おしん 』もかくやという虐待を受けながらも健気に生きるエラの姿に、万感胸に迫る思いである。だが、本作のオリジナリティ、つまり貢献はシンデレラ以前のエラとその父と母との精神的に円万で豊かな家庭に育っていたことを短い時間で過不足なく伝えてくれたことである。もちろんシンデレラのストーリーは世界中の誰もが知っているわけだが、だからこそシンデレラというキャラクターに感情移入することが容易い。ただ、追体験できるキャラの感情の深さは、必ずしも感情移入の易しさとは相関しない。むしろ逆だろう。シンデレラというのは可哀そうな少女であるという我々の先入観を一度壊してくれた本作の脚本は、非常に優れたものと評価したい。

 

またシンデレラというキャラの味付けも評価できる。動物とコミュニケーションが取れるというのはいかにも童話チックであるが、このエラというキャラクターは行商の旅に出る父に、最初に肩に触れた木の枝をお土産にしてほしいと願うような娘なのである。つまりは花鳥風月を愛し、動物と話す娘という、ファンタジー世界の住人なのである。こうしたキャラの背景への肉付けがあってこそ、かぼちゃの馬車やトカゲの御者などへの違和感が生じない、もしくは最小限に抑えられるのである。文字で読む、あるいは絵本で単純なビジュアルを消化するだけであれば、このような細工は不要である。しかし、映画という芸術媒体は、時に暴力的なほどに観る者の視聴覚に訴えねばならない。ネズミたちとエラのほのぼの交流はプロットの面でしっかりと機能していたし、だからこそフェアリー・ゴッドマザーの魔法にも説得力があった。

 

それ以上にキャラを具現化していたのはケイト・ブランシェット。意地悪な継母をシンクロ率400%で演じていた。シンデレラを虐げるだけではなく、自らの娘たちを王子に見初めさせようという財産目当て丸出しの根性がしかし、母親らしい愛情の発露でもあるというところがいじましい。この人にも哀れな面はある。人の価値を強さ、それは賭け事で測られるような胆力であったり、もちろん財力であったり、当然のように権力でもあるわけだが、そうした「強さ」で人の価値が決まると思っている。それはエラの母の教えとは真逆を行く。だからこそシンデレラの勇気と優しさの放つ光がその輝きを増す。単純なコントラストだが、シンデレラが光り輝くのは、トレメイン夫人の心の暗黒面の深さ故であると思えてならない。演技派ケイト・ブランシェットの面目躍如である。

 

ネガティブ・サイド

全編にCG臭が強烈に漂っている。無限の財力を誇るディズニーなのだから、花火ぐらいは本物を使おうよと言いたい。それともCGの方が、もはや本物の花火よりも安いのだろうか。安いのだろうな。肖像画を描かれるのは苦手だというキット王子の台詞は、そのままディズニーアニメーターの「手描きはどうも苦手で・・・」という心境の代弁だったのであろう。そう捉えさせて頂く。

 

ボール(舞踏会)の時の青いドレスは良いとして、エラの衣装はやや胸元が開き過ぎではないか。個人的には眼福に思うが、ファミリー向けの映画なのだから、もう少し普通のコスチュームで良かったのではないかと感じた。

 

総評

ディズニーらしい丁寧な作りで、ストーリーやキャラクターの背景をしっかり描けている、あるいは受け手側の想像力を適切に刺激するような描写ができている。CG多用がどうしても目に付くが、『 くるみ割り人形と秘密の王国 』ほど酷いものではない。大人でも安心して鑑賞できる作品に仕上がっている。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ケイト・ブランシェット, ファンタジー, リチャード・マッデン, リリー・ジェームズ, 監督:ケネス・ブラナー, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 シンデレラ 』 -CG臭さを除けば良作-

『 バイス 』 -権能委任の恐ろしさを描く伝記物語-

Posted on 2019年4月23日2020年1月29日 by cool-jupiter

バイス 70点
2019年4月21日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:クリスチャン・ベール エイミー・アダムス スティーブ・カレル サム・ロックウェル
監督:アダム・マッケイ

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タイトルのバイス=Viceは、Vice President=副大統領の副であり、悪徳の意味でもあるはずだ。いまだに記憶に新しいG・W・ブッシュ政権下のアメリカによるイラク攻撃、その決定の中枢にいたチェイニー副大統領の伝記映画である本作は、アメリカの負の側面だけではなく、民主主義国家の負の側面をも映し出している。

 

あらすじ

ワイオミング州でうだつのあがらない男だったディック・チェイニー(クリスチャン・ベール)は妻のリン(エイミー・アダムス)に叱責されたことで発奮。政界に入り、実力者ラムズフェルド(スティーブ・カレル)の元で政治を学び、頭角を現していく。浮き沈みを経ながらも、やがてブッシュ大統領(サム・ロックウェル)に副大統領として求められるまでになるが・・・

 

ポジティブ・サイド 

現在進行形のアメリカ現代史における一大転換点は、おそらくオバマ大統領による「アメリカはもはや世界の警察ではない」宣言であると考える。その背景にあるのは、他国へのいらざる容喙に理も利も無いことへの悟りであろう。冒頭で若きディック・チェイニーは酒場のケンカで挑発してくる相手をぶん殴り、反撃を食らい、留置所にぶち込まれたところを、妻の嘆願で解放された。そして、後年、大統領以上の権力者になった彼は、挑発してきたわけでもない相手をぶん殴り、反撃を食らうことになる。イスラム国なるテロ組織の台頭が、実はブッシュ政権の身から出たサビだったことを思えば、この男が文字通りの意味で吊るし上げを食らっていないことが不思議でならない。日本に住む我々としては、核兵器を所有し、長距離ミサイル開発をいつまでたっても凍結しようとしない北朝鮮は、危なっかしいことこの上ない存在である。その一方で、大量破壊兵器を確実に有している北朝鮮にアメリカが一発の爆弾も投下しない事実をイラクの無辜の民の目で見れば、とうてい承服しがたいことだろう。勘違いしないでもらいたいが、Jovianは北朝鮮を爆撃せよと主張しているわけではない。想像力を持つことを忘れてはならないと言いたいだけである。『 シン・ゴジラ 』は傑作ポリティカル・サスペンスだったが、「政治家目線の物語にどうしても入っていけなかった、何故なら自分はどうやってもゴジラに為す術なく殺される一小市民だから」という声も確かに聞かれた。テロには決して賛同しないが、「WMDを持っていない」と潔白を主張し、国連やCIAも「無い」と報告したイラクが爆撃され、「WMDを持っている」と世界に声高に喧伝する北朝鮮が無傷とあらば、その二重基準っぷりにアメリカにキレるイラク人やムスリムがいてもおかしくない。本作が素晴らしいのは、政治、それも政権の中枢を描きながら、一般庶民の目線を常に忘れないところにある。本作の謎のナレーター=ストーリーテラーがそれであるが、その目線を通じて、我々はheartless killerという言葉を否応なく想起させられる。身震いさせられてしまうのだ。

 

そんなディック・チェイニーを演じたのはクリスチャン・ベール。彼もジェシカ・チャステインと同じく、クソ映画に出演することはあっても、その演技がクソであったことは一度もなかった。体重の増減が話題になることが多いが、声、口調、表情、眼差し、歩き方、立ち居振る舞いに至るまで、恐ろしいほどの説得力を生み出していた。Jovianはチェイニー副大統領を具に見てきたわけではないが、今作におけるクリスチャン・ベールの演技は、『 ボヘミアン・ラプソディ 』のラミ・マレックとも優劣をつけがたい程のものがある。同じ賛辞はブッシュを演じたサム・ロックウェルにも当てはまるし、パウエル国務長官やライス大統領補佐官など、ヘアスタイリストさんやメイクアップ・アーティストの方々は素晴らしい仕事をしたと言える。ブライアン・メイを演じたグウィリム・リーも、メイクさんの力無しにはあれほど似ることは決してなかったのだ。あらためて裏方さんの労力に敬意を表したくなる映画を観た。

 

本作は『 ブラック・クランズマン 』と同じく、過去の事実を基にした映画でありながら、製作者の視線は過去ではなく現代にある。民主主義、特に間接民主主義とはごく少数の人間に権能を委任してしまうことである。もちろんそれだけなら何も問題は無い。問題なのは、civil servant=公僕であるべき政治家に委任された権力の強さ、大きさに対して大多数の民衆が無自覚になってしまうことである。そのことを本作は衝撃的なエピソードでギャグにしか思えないスキットで描き切る。どこかの島国の政治状況にも通じるところがあるようだ。野党が何をやっても与党および内閣が全く揺るがなかったのが、大阪のおもろいおっちゃんおばちゃんの学校経営屋が、あわや内閣を吹っ飛ばしかけたのは何故か。それは、その事件が人々の耳目を集めたからである。権力者の持つ力の大きさに気付いたからである。忖度などという言葉が定着してしまった

 

ネガティブ・サイド

エンディングのテーマソング。とある名作ミュージカルの名曲が歌われる。このブラックユーモア、ブラックコメディをアメリカ人はいったいどう観たのか。どう感じたのか。今度、同僚のアメリカ人に尋ねておこうと思う。Jovian個人としては、かなり微妙に感じた。いや、というよりも「お前ら、これでもアメリカ大好きだろ?」という声が聞こえてくるようで、何ともやりきれない気分にさせられた。なぜこの選曲だったのか。

 

また、劇中ではしきりにとある政治理論が説明されるが、そんなものは無しに事実を淡々と積み上げていくことで、チェイニーという政治家がその掌中に着々と権力を収めていく様子を描くことはできなかったのか。同じく、チェイニーとその妻の自室内でのやりとりなど、想像の産物でしかないシーンを、シェイクスピア風に再構築する必要などあっただろうか。『 JFK 』のジムとリズのような会話で良かったのだ。それで充分にリアリティを生み出せたはずだ。冒頭から、We did our fucking best.などと言い訳をしていたが、fuckingの部分がこれか・・・と慨嘆させられた。

 

総評 

『 記者たち 衝撃と畏怖の真実 』とセットで鑑賞すると、奥泉光の言葉を借りるならば、アメリカという国の精神にも陰影が生じてきたようだ。自国に誇りを持つことは健全である。しかし、その誇りの根拠になるものは自らが常に探し、維持し続けねばならない。弱点は見られるものの、このような映画を生み出す硬骨のアメリカ人の心意気には敬意を表するしかない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, エイミー・アダムス, クリスチャン・ベール, サム・ロックウェル, スティーブ・カレル, ブラック・コメディ, 伝記, 監督:アダム・マッケイ, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 バイス 』 -権能委任の恐ろしさを描く伝記物語-

『 ビューティフル・ボーイ 』 -ドラッグ依存からの再生を信じる物語-

Posted on 2019年4月19日2020年2月2日 by cool-jupiter

ビューティフル・ボーイ 70点
2019年4月18日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:スティーブ・カレル ティモシー・シャラメ
監督:フェリックス・バン・ヒュルーニンゲン

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元プロ野球選手の清原和博、そしてミュージシャンかつ俳優のピエール瀧など、日本でも違法薬物に手を染めてお縄を頂戴する羽目に陥る人間は定期的に現れる。だが、彼ら彼女らの問題は薬物ではない。そのことを本作はうっすらと、しかし、はっきりと宣言する。単に父子の愛の美しさを称揚する映画だと思って鑑賞すると、ショックを受けるかもしれない。

 

あらすじ

フリーランスで文筆業を営むデビッド・シェフ(スティーブ・カレル)は、息子ニコラス(ティモシー・シャラメ)が薬物に徐々にはまっていくのを見ながらも、どこかで楽観視していた。自分も経験してきた、若気の無分別だと。しかし、ニックの依存症は深刻さを増すばかりで・・・

 

ポジティブ・サイド

ダークサイドに堕ちていくティモシー・シャラメ。もしも今、『 スター・ウォーズ 』のエピソードⅢをリメイクするなら、アナキン役はこの男だろう。そう思わせるほどの迫真性があった。クスリでハイになった人間を描くには二通りが考えられる。『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』のディカプリオやジョナ・ヒルのように徹底的にコメディックに描くか、あるいは『 レクイエム・フォー・ドリーム 』のように徹底的にシリアスに描くかだ。本作は明確に後者に属する。

Jovianは煙草を止めて7年9カ月になるが、チャンピックスが効き始める前、手持ちの煙草の箱が空になった時が最もしんどかった。イライラするので夜に近所を散歩していたら、目の前を歩くオッサンが火がついたままの煙草をポイ捨てした。それを拾ってスパスパ吸ってやりたい衝動に駆られたのを今でもよく覚えている。本作はクリスタル・メスという薬物の依存症を描くが、おそらくこの薬の魔力は煙草の1,000万倍ではきかないと思われる。もはや自分の意志で何とかなるものではないのだ。

ティモシー・シャラメは『 ステイ・コネクテッド つながりたい僕らの世界 』ではアンセル・エルゴートにボコられてしまったが、今作で役者としてもキャリアの面でもアンセルを抜いたと言ってよい。少年の無邪気さをその目に宿しながら、どこか世界を斜に構えて見るところがある。それでいて、血のつながらない母や弟や妹にも愛情たっぷりに接する。しかし、文筆と絵画の才に秀でた彼が内に秘めていた黒い想念は、ホラー映画かくあるべしと思えてくるほどの恐怖を観る側に与えてくる。なぜなら、そこにいるビューティフル・ボーイは素の彼ではなく、薬に操られるがままのマリオネットだからである。

父を演じたスティーブ・カレルは今まさに円熟期を迎えている。アメリカ社会が必要であり理想と考えるpositive male figureの役割を果たすことに心魂を傾注するが、それは決して無条件に息子を信頼することではない。彼は完璧超人でも聖人君子でも何でもない。至って普通の男なのである。怒りで声を荒げてしまうこともあるし、息子の助けを拒絶することもある。自分の非力、無力を痛感し、専門家にも頼る。等身大の父親なのだ。『 エンド・オブ・ザ・ワールド 』ではダウナー系の中年を、『 バトル・オブ・ザ・セクシーズ 』や『 プールサイド・デイズ 』では嫌味な男をそれぞれ好演していたが、『 40歳の童貞男 』を超える代表作になったと言ってよいだろう。

 

ネガティブ・サイド

デビッドまでがドラッグをやる描写は必要だったのだろうか。いや、アメリカ人に「ドラッグをやったことはあるか?」と尋ねるのは愚の骨頂であるらしいことからして、息子と一緒になってハッパを吸い込むぐらいなら良い。しかし、スラム街で売人から購入した白い粉を鼻からスーッと吸引する場面は必要だっただろうか。あれは、観る側の想像力に委ねるような描写や演出の方がより効果的だったように思う。

また、ジョン・レノンの“ビューティフル・ボーイ”は劇中ではほとんど聞けない。看板に偽りありとまでは言わないが、拍子抜けだった。デビッドは言葉でも文字でもニックにビューティフル・ボーイと語りかけるが、本来のボーイたるべきニックの弟にはそのようには呼びかけない。このあたりの父と息子たちへの接し方の違いを、もう少し丹念に描写するシーンが欲しかった。

物語のペーシングにもやや難ありである。「え、まさかこれで終わり?」というシーンが何度かあるのである。また、時系列的に混乱を呼びかねない描写もいくつかある。回想シーンなのか現在のシーンなのか分かりにくいというのがJovianの嫁さんの感想であった。このあたり演出力は『 マンチェスター・バイ・ザ・シー 』の方が優っている。

 

総評

違法薬物の使用で芸能人がしょっ引かれるのは何年かに一度のお約束であるが、本作公開のタイミングは、その意味ではパーフェクトである。薬物そのものの恐ろしさもあるが、結局は薬物に頼らざるを得ない原因があるということを、繰り返しになるが、本作は暗示的に、しかし、力強く明示する。中学生ぐらいの子どもがいれば、親子で劇場鑑賞するのも良いだろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, スティーブ・カレル, ティモシー・シャラメ, ヒューマンドラマ, 監督:フェリックス・バン・ヒュルーニンゲン, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 ビューティフル・ボーイ 』 -ドラッグ依存からの再生を信じる物語-

『 ミーン・ガールズ 』 -高校という生態系の派閥権力闘争物語-

Posted on 2019年4月17日2020年2月2日 by cool-jupiter

ミーン・ガールズ 65点
2019年4月15日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:リンジー・ローハン レイチェル・マクアダムス アマンダ・セイフライド
監督:マーク・ウォーターズ

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高校に限らず、小学校の高学年くらいから女子は独特の群れを形成し、行動する習性が観察され始める。そしてそこには必然的に中心 vs 周辺、または頂点 vs 底辺といった序列が生まれる。本作は女子高生の闘争物語であり、アマンダ・セイフライドの映画デビュー作であり、その他の中堅キャストの若かりし頃を振り返ることもできる作品である。

 

あらすじ

ケイディ・ハーロン(リンジー・ローハン)はアフリカ育ちの16歳。動物学者の両親の仕事の関係でホームスクーリングを受けていたが、16歳にしてアメリカの高校に入学することに。そこには様々な種類の動物たち・・・ではなく、人間関係のグループが存在していた。当然のように底辺グループに属すようになったケイディは、ひょんなことからレジーナ(レイチェル・マクアダムス)とその取り巻きのカレン(アマンダ・セイフライド)のグループ、頂点グループの“プラスティックス”に属することになり・・・

 

ポジティブ・サイド

『 THE DUFF/ダメ・ガールが最高の彼女になる方法 』でも描かれた学校という舞台、いや、本作風に言えば学校という生態系におけるカースト制度が、もっとどぎつく描写される。『 ステータス・アップデート 』ではカーストの頂点捕食者の交代劇が行われたが、本作のプロットも似たようなものである。ただし本作のユニークさは、主人公のケイディがダブル・エージェントであるところだ。底辺グループの仲間に頼まれ、頂点グループの情報を流しつつ、自身はしっかりと栄光の階段を上って行くところは『 アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング! 』のようである。2004年の作品ということで、これらすべての要素の始祖が本作であるはずはないのだが、本作が現代の視点で観ても充分に面白いと感じられる要因は、学校裏サイト的なガジェットを有しているところである。これは古くて新しいネタである。

 

中盤から終盤にかけて、このガジェットが原因で騒動が勃発する。それにより、アメリカの学校もアフリカのサバンナと同じく、弱肉強食の生態系であることが漫画的に露呈する。だが、この騒乱を収める大人たち=教師たちのやり方には感心した。日本でも最近、校則をすべて廃止するに至った高校がニュースになったが、そこの高校の校長先生は、きっと本作の校長先生と多くの共通点を持つに違いない。日本でもアメリカでも、良い教師は往々にしてプライベートな属性、例えば父親であったり母親であったり、あるいは夫であったり妻であったりという顔を見せることで、生徒から異なる認知を受けるようになることが多い。実際に『 スウィート17モンスター 』で使われた手法は、大体それであった。だが、本作の教師たちはどこまでも教師に徹する。教師が主人公でもない映画にしては珍しい。校長先生と数学教師にはJovian個人として最大限の敬意を表したい。

 

本作はまた、アマンダ・セイフライドの映画デビュー作でもある。その他、レイチェル・マクアダムスの若い頃にお目にかかることも可能だ。アン・ハサウェイのファンなら『 プリティ・プリンセス 』を見逃せないように、アマンダのファンは本作を見逃すべきではないだろう。

 

ネガティブ・サイド

主人公のケイディが学校に馴染むのが少し早すぎるように感じた。学校、なかんずくアメリカのそれには冷酷非情な生態系が存在することは『 ワンダー 君は太陽 』などで充分に活写されてきた。アフリカ帰りのweirdoであるケイディが“プラスチックス”のメンバーになるまでに、もう少しミニドラマが必要だったように思う。彼女の狡猾さは生まれ持ったもの、もしくはアフリカで身に付けたものではなく、生来の頭の良さを無邪気に、なおかつ意図的に悪い方向に使ったものであるという描写は、リアリティに欠けていたからだ。

 

後はケイディの父と母の存在感がもう一つ弱かった。ホームスクールをしていたということは、父と母が教師でもあったわけで、初めての学校でケイディの感じる戸惑いが、アフリカとの違いばかりというのもリアリティに欠ける。親に教わることと他人に教わること。その違いも学校という舞台のユニークさを際立たせる演出として必要だったように思う。

 

総評

普通に良作ではなかろうか。邦画が学校を舞台にすると、往々にして恋愛または部活ものになってしまう。ちょっと毛色が違うかなというものに『 虹色デイズ 』があった。野郎同士の友情にフォーカスするという点では本作の裏腹。女同士の人間関係に着目した作品では『 リンダ リンダ リンダ  』があった。これらの作品を楽しめたという人なら、本作も鑑賞して損をすることは無いだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, アマンダ・セイフライド, アメリカ, コメディ, リンジー・ローハン, レイチェル・マクアダムス, 監督:マーク・ウォーターズ, 配給会社:UIPLeave a Comment on 『 ミーン・ガールズ 』 -高校という生態系の派閥権力闘争物語-

『 孤独なふりした世界で 』 -やや竜頭蛇尾なディストピアもの-

Posted on 2019年4月15日2020年2月2日 by cool-jupiter

孤独なふりした世界で 55点
2019年4月11日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ピーター・ディンクレイジ エル・ファニング
監督:リード・モラーノ

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人類滅亡ものはフィクションの世界ではそれこそ星の数ほど生産されてきた。しかし、近年ではディストピア後の世界をどう生きるかに焦点が当てられているように思う。本作もそうした潮流に乗った作品である。

あらすじ

人類が死滅した世界で、一人黙々と生きるデル(ピーター・ディンクレイジ)。彼は空き家を片付け、死体を穴に埋め、生活に使えるものを回収して、生きていた。しかし、ある時、グレース(エル・ファニング)という女性がデルの街にやってくる。人間嫌いのデルは、グレースとの共同生活を始めるが・・・

ポジティブ・サイド

ビジュアル・ストーリーテリングに徹している作品である。何かが起きて人類の大半が死滅してしまったことが示唆されるが、それが何であったのかは決して明かされない。しかし、それを推測するヒントというか材料は、スクリーンの端々に散りばめられている。それは時に映像であったり、事物であったり、人間の死骸であったり、動物の存在と不在であったりする。魚釣りはできる。人間の死骸はネズミやカラスに食い荒らされてはいない。小鳥の囀りが聞こえる。犬が登場する。建物などが破壊されたわけではない。イスに座ったまま死んだ人もいる。さあ、こうした描写から何が人類滅亡の原因になったのかを考えてみようではないか。

『 クワイエット・プレイス 』や『 死の谷間 』と同じく、本作も具体的に何が起きたのかを決して安易にキャラに喋らせたりはしない。そこのところに好感が持てる。デルというキャラが図書館を根城にしているのも象徴的である。書物を読むという行為は極めて能動的であるが、書物の方から我々に話しかけてくることは決してない。それが映画であっても音楽であっても同じで、デルは能動的に働きかけることができる対象には能動的でいられるが、自分が受動的にならざるをえない対象、それは往々にして他者なのであるが、それに対しては極めて脆弱もしくは攻撃的になる。死体を無造作に引きずり、月曜日の朝のゴミ出しの如くポイッと穴に捨てていく様は、異様である。

こうした、ある意味では極まったmisanthropeであるデルはグレースとの出会いと生活によってどう変わっていくのか。または変わらないのか。このあたりの説明描写も巧みである。映像と役者の演技にそれを語らしめるからだ。本作は中盤までは、それなりに面白い。そこから先を楽しめるかどうかは、おそらく鑑賞者の経験値に依るだろう。SF、特にディストピアものを数多く消化した人ならば、やや拍子抜けさせられるだろう。しかし、こうしたジャンルへの造詣が深くないという人であれば、ある程度は混乱させられつつも、楽しめるはずだ。

ネガティブ・サイド

中盤以降は、残念ながらどこかで観たり聞いたり読んだりしたストーリーのパッチワークである。詳しくはネタばれになるので書かないが、グレースに『 アンダー・ザ・スキン 種の捕食 』を思わせるネタを仕込むのはどうなのだろう。人類の大半が死滅してしまった原因の一つとして考えられないでもないが、そこを微妙な加減でぼやかしているからこそ、前半が際立つのだ。そのテンションやトーンは後半でも維持すべきだった。また日本の漫画で映画化もされた『 ドラゴンヘッド 』にもそっくりという展開も、個人的には買えない。

本作のその他の弱点としては、サウンドトラックが本編ストーリーとケンカしているということが挙げられる。また、デルの住む世界の静謐さを際立たせたい意図が込められているのだろうが、サウンドのボリュームが不意・不必要に大きいと感じられるシーンも多数存在する。このあたりも減点材料である。

総評

弱点を抱えてはいるものの、導入部から中盤までは引き締まっている。台詞の少なさに辟易してしまう人には向かないが、映像そのものや役者の演技からストーリーを読み取れる人なら、本作の前半は必見である。日本にもピーター・ディンクレイジのような渋い役者が必要だ。本作のエンディングについて、より深く考察してみたいという向きには、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『 不死の人 』をお勧めしておきたい。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190415014212j:plain

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アメリカ, エル・ファニング, ピーター・ディンクレイジ, 監督:リード・モラーノ, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 孤独なふりした世界で 』 -やや竜頭蛇尾なディストピアもの-

『 ルビー・スパークス 』 -小説は事実よりも奇なり-

Posted on 2019年4月11日2020年2月2日 by cool-jupiter

ルビー・スパークス 70点
2019年4月10日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ポール・ダノ ゾーイ・カザン
監督:ジョナサン・デイトン バレリー・ファリス

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190411164359j:plain

『 バトル・オブ・ザ・セクシーズ 』デイトンとファリスの夫婦監督の作品である。本と現実世界がリンクしてしまうという筋立ては古今東西、無数に作られてきた。古くは『 ネバーエンディング・ストーリー 』、割と最近のものだと

『 主人公は僕だった 』。作者が自らが想像および創造したキャラクターに恋するプロットも陳腐と言えば陳腐だ。日本では、漫画の『 アウターゾーン 』にそんなエピソードがあったし、その作者の光原伸も、自らの生み出したミザリィに恋していたのではなかろうか。

あらすじ

弱冠19歳と時のデビュー作で文壇を席巻したカルヴィン(ポール・ダノ)は、以来10年にわたって書けずにいた。しかし、ある時、夢にインスピレーションを得て、ルビー・スパークス(ゾーイ・カザン)というキャラを着想する。カルヴィンは執筆に没頭するうちに、ルビーに恋焦がれるようになるが、ある日、なんとルビーが目の前に現れ・・・

ポジティブ・サイド

カルヴィンというキャラクターの外面のなよなよしさ、そして胸の内に秘めたマグマのようなエネルギー。相反する二つの要素をポール・ダノは見事に同居させ、表現した。動きの貧弱さと眼鏡の奥に光る眼差しの強さと弱さ、そして意外なほどに攻撃的な口調が、このキャラの複雑さを物語る。作家というのは往々にして難しい生き物だ。綾辻行人は東日本大震災後に「書けなくなった」と語ったが、人命を小道具にするミステリ作家ならではの症状だろう。カルヴィンも同じで、父の死や、かつてのガールフレンドとの別れが、書けない自分の理由の一部を為している。我が恩師の一人、並木浩一は、作家には想像力と構想力が必要と説いた。想像力=他者になる力、構想力=世界を仕上げる力、という定義である。カルヴィンは、まず間違いなく構想力優位の作家である。ルビーとの関係に幸福を見出すカルヴィンには、しかし、ルビーの目から見た自分自身の姿がない。つまり、カルヴィンは自分で自分を知らない。そのことをルビーは最初の出会いでいきなり喝破する。愛しい相手が自分に抱いてくれる感情が変わりそうになった時、本当ならば自分が変わらねばならない。しかし、カルヴィンは創造主であるが故にその選択肢を拒否する。本作は青年の成長物語ではあるが、成長できない青年のダークサイドを見せつけるという逆説的な手法を取る。これが面白く、なおかつ背筋に何か冷たいものを感じさせられるような恐怖感や不安感も駆り立ててくる。

また脚本も書き、タイトルロールも務めたゾーイ・カザンも称賛に値する。可愛らしく、それでいて理知的で、創造性に富み、社交性も豊か。最もその魅力が際立つのは、序盤で嫉妬心から悪態をつきまくり、駄々をこねる様だ。暴れる女は無理矢理でも抱きしめなさい。なぜなら、その怒りの大きさが対象への愛情の大きさなのだから、と彼女自身が高らかに宣言しているかのようだ。

本作のカメラワークはユニークである。カルヴィンはしばしば建物や車、部屋という仕切られた空間で非常に弱い照明の光の下で映し出される。対照的に、ルビーは開放的な衣装や環境で、たっぷりと光を注がれる。ダウナー系男子とアッパー系女子の対照性が終盤に交わる時、光と影、どちらがその濃さを増すのか。Fantasticalなラブロマンスと見るか、変化球的なサスペンスと見るか。二人の織り成すケミストリーは最終的に何を生み出すのか。時々スローダウンしてしまう箇所もあるが、全体的には100分程度で綺麗にまとまった良作である。

ネガティブ・サイド

カルヴィンの家族を巡る物語は、もう少し深堀りできたのではなかろうか。このストーリーの流れでアントニオ・バンデラスが陽気にニコニコ笑うおじさんを演じているのを見れば、バイオレンスを含む何らかの陰鬱な出来事があったと想像してもおかしくはない。実際はそんなことはないのだが、ややミスキャスティングかつミスリーディングであるように感じた。

カルヴィンの兄嫁のスーザンとルビーの絡みも欲しかった。また、カウンセラーのローゼンタール先生とルビーにも何らかの接点が欲しかったと思う。ルビーという存在の虚構性ゆえに自分の周りに実在する人間に、なかなかルビーを紹介できないカルヴィンの気持ちは分からないでもない。けれども、ルビーという女子の心の変化を読み取るには、もう少し丁寧な人間関係の描写が必要だったと考えてしまうのは、Jovianが男性だからなのだろうか。

総評

本作の放つメッセージは詰まるところ、庵野秀明が『 新世紀エヴァンゲリオン 』の劇場版で観客に痛烈な形で放ったメッセージと同質のものである。つまり、「外に出ろ、俗世に交われ」ということだ。愛はそこに唯あるだけのものではない。自分が誰かを愛し、誰かから愛されるのなら、その愛を常に保ち続けるために動きなさい、働きなさい、変わりなさいということだ。婚活がなかなかうまくいかない男性には、本作は案外ためになる視聴覚的テキストになるのではないだろうか。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ゾーイ・カザン, ポール・ダノ, ラブロマンス, 監督:ジョナサン・デイトン, 監督:バレリー・ファリス, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 ルビー・スパークス 』 -小説は事実よりも奇なり-

『記者たち 衝撃と畏怖の真実 』 -気骨の記者たちの姿に個の強さを見る-

Posted on 2019年4月8日2020年2月2日 by cool-jupiter

記者たち 衝撃と畏怖の真実 70点
2019年4月6日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ウッディ・ハレルソン ジェームズ・マースデン
監督:ロブ・ライナー

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9.11当時、Jovianは大学4年生だった。大学の寮のテレビで、飛行機がWTCに突っ込む映像を観て青ざめていたアメリカ人のdorm mateたちのことは今でも忘れられない。あれから20年近くが経とうとする今、この映画が作られ、公開される意味は何か。当時の日本の政治状況と世界市民の声を覚えていて、そして2010年代後半、特に米トランプ政権誕生以後の権力とニュース・情報・報道の関係を考えるならば、受け取るべきメッセージは自ずから明らかである。

あらすじ

ナイト・リッダー社の記者、ジョナサン・ランデー(ウッディ・ハレルソン)とウォーレン・ストロベル(ジェームズ・マースデン)は、9.11発生からアルカイダとイラク・フセイン政権を結びつけ、第二次湾岸戦争に突き進もうとするブッシュ政権に疑問を抱く。取材を通じて、彼らは政権中枢の権力者の嘘を暴いていくが・・・

ポジティブ・サイド

珍しく良い邦題である。原題はShock and Aweであり、これが「衝撃と真実」の意なのだが、同時にこれは米軍がフセイン政権打倒の軍事行動に名付けた作戦名でもあるのである。フセインを逮捕し、殺害し、その死骸を海に遺棄するという暴挙に出たオバマ政権であるが、その結果として中東はどうなったか。ISISの台頭およびその他の小部族の乱立と割拠により、戦争前よりも混迷度の度合いを増している。だが、そうした面に光を当てる映画作りはマイケル・ムーアに任せよう。

本作が描き出すのは、記者としての矜持と批判の精神、そして不屈の行動力をもって躍動する2人のバディである。彼らの人間性や私生活も描かれはするものの、スクリーンタイムの大部分は彼らの職務たるジャーナリストとしての取材活動に充てられる。それが、セミ・ドキュメンタリー・タッチで描かれるのだ。この“タッチ”というのが味噌である。本作は、報道ドキュメンタリーではなく、さりとてサスペンス要素満載だった『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 』のようなシリアスなドラマでもない。適度なリアリズム感覚とでも言おうか、ランデーとストロベルの上役にして監督をも務めるロブ・ライナーの現実感覚がここに見て取れる。彼は国家権力の暴走の可能性を注視しながらも、市井の人々の良心にも望みを抱いている。このあたりが、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 』当時のベトナム戦争と、本作の映し出す第二次湾岸戦争、イラク戦争との違いであり、共通点でもある。

『 ブラック・クランズマン 』や『 ビリーブ 未来への大逆転 』でも、アメリカ市民は“Hell no! We won’t go!”と叫んで戦争反対への意思表示をしていた。それは戦争に関する情報があまりにも少なく、不正確だったからだ。しかし、この現代という時代、様々なメディアがあり、情報ソースがあり、それらに容易にアクセスできる環境も整備されているにもかかわらず、なぜ戦争が始まってしまったのか。国家規模で開戦に突き進んでしまったのは、いかなる機序によってだったのか。それがまるでどこかの島国にそっくり当てはまるように見えてしまうのは、Jovianの杞憂に過ぎないのか。それとも、2002~2003年にかけて、戦争への道をひたすらに邁進するアメリカに“Show the flag!”と言われた翌日に「アメリカを支持する!」と世界に先駆けて宣言した、小泉総理・自民党総裁を思い起こさせて来るような、ショッキングな世界市民のデモ映像が当時の不穏な空気を、そして現代においても勤労統計の不正操作や様々な公文書の改竄疑惑が晴らされていないということを、どうしても想起させられるからなのか。

権力とメディアの双方に信を置くことが難しくなっているこの時代、そして社会に生きる者として、客観性(それは劇中では数字に象徴される)と良心の重要性を訴えかけてくる本作は高校生、大学生以上の日本人にとって必見かもしれない。

ネガティブ・サイド

現実が充分にドラマチックであるせいか、チェイニーやラムズフェルド、ブッシュらのスピーチやコメントがテレビ画面に映るたびに、それは圧倒的なリアリティを帯びる。当たり前だ。実在する人物が現実に発した言葉なのだから。問題は、それらのパートとのバランスを取るべき記者たちの人間の部分、私生活の部分が弱いことである。例えば、ストロベル記者の love interest になる女性リサ(ジェシカ・ビール)は完全に都合のよい狂言回しだった。

同じく、ランデーの妻ヴラトカ(ミラ・ジョボビッチ)の存在感ももう一つである。ユーゴスラビア系のルーツを持つのであれば、NATOによるユーゴ空爆の話なども交え、いかにアメリカが変わらないのかをもっと厳しく追及できたはずだ。あまりにも中道を行き過ぎたか、もう少し劇的な要素が織り交ぜられていても良かったのではないか。

総評 

弱点はあれど、本作は今というタイミングで送り出される価値のあった作品である。そしてそれはアメリカのみならず、多くの国家と国民にとって共通の事象を浮き彫りにする。すなわち、国家あっての国民なのか、それとも国民あっての国家なのかということである。『 銀河英雄伝説 』のヤン・ウェンリーの言葉、「政治の腐敗とは 政治家が賄賂を取ることじゃない それは政治家個人の腐敗であるにすぎない 政治家が賄賂を取っても  それを批判できない状態を政治の腐敗と言うんだ」ということを、我々はゆめ忘れてはならない。イラク戦争絡みの映画で、戦争と一個人の生き様が見事に交錯する作品として、シリアスな『 ゼロ・ダーク・サーティ 』、どこまでもユーモラスな『 オレの獲物はビン・ラディン 』などもお勧めできる。特に後者は、国家や国民という枠組みを笑い飛ばす破壊力を秘めた珍品である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, ウッディ・ハレルソン, ジェームズ・マースデン, ヒューマンドラマ, 監督:ロブ・ライナー, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『記者たち 衝撃と畏怖の真実 』 -気骨の記者たちの姿に個の強さを見る-

『 ブラック・クランズマン 』 -事実は小説よりも奇なり-

Posted on 2019年4月3日2020年2月2日 by cool-jupiter

ブラック・クランズマン 70点
2019年3月31日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:ジョン・デビッド・ワシントン アダム・ドライバー
監督:スパイク・リー

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原題はBlacKkKlansman、黒人のKKKメンバー男性の意である。冒頭からいきなり『 風と共に去りぬ 』のワンシーンが流される。あのスパイク・リーがスカーレット・オハラを好意的に見ているとは思えないので、これには何らかの意図があるのは間違いない。このシーンをEstablishing Shotとして見るならば、プロットは白人優越世界の終焉を予感させるものであろう。だが、スパイク・リーはそんな単純な人物では全くなかった。

あらすじ

時は1970年代。ベトナム戦争への厭戦気分が反戦運動に変わりつつあるアメリカ。コロラド州コロラドスプリングスで初めて黒人警官として採用されたロン・ストールワース(ジョン・デビッド・ワシントン)は、ある時、勢い余ってKKKに突撃電話。トントン拍子に話は進み、KKKメンバーと会うことに。しかし、彼は黒人。そこで同僚のフリップ・ジマーマン(アダム・ドライバー)が対面に赴くことに。電話でロン、対面はフリップという、前代未聞の二人一役潜入捜査が始まり・・・

ポジティブ・サイド

『 ゲット・アウト 』監督のジョーダン・ピールが製作として参加していることで、ユーモアとサスペンスがハイレベルで融合した佳作に仕上がっている。主演を努めたジョン・デビッド・ワシントンがとにかく面白い。笑える。黒人差別丸出しの同僚警察官に対する怒りのシャドーボクシングというかシャドー空手がとにかくコミカルだ。なるほど、これはシリアス一辺倒の映画ではありませんよ、とスパイク・リーは冒頭のワンシーンとの対比で観客に告げているわけだ。実際にジョン・デビッド・ワシントンの電話シーンはハチャメチャな面白さである。何しろ、ノリと勢いだけで黒人警官がKKKに電話をして、見ているこちらの心臓が鷲掴みにされるぐらいドキッとする差別的言辞を弄して、相手の懐に飛び込むのである。差別を笑いに転化するのは不謹慎かもしれない。しかし、『 翔んで埼玉 』でも明らかになったように、差別とは本人のものではない属性を本人の意に反して押し付けるものである、今作では被差別対象である黒人自身が黒人をクソミソにけなしまくるのがとにかくとにかく痛快なのである。

だが、本作は決してコメディ一辺倒なのではない。差別の醜悪さを描き出す実話を基にしたサスペンス映画であり、警察バディムービーであり、ヒューマンドラマでもある。むしろヒューマンドラマでしかない、とさえ言えるかもしれない。黒人のロン、ユダヤ系のフリップの二人は共にKKKからすれば排除、攻撃の対象である。敵の敵は味方などという単純な人間関係はそこにはない。ロンとフリップの間に思わぬ形で友情が花開いたりすることはなく、二人はどこまでも警察官という一点でつながる。おそらく人間同士が関係を築くのは、それだけで充分なのではないだろうか。互いが互いの仕事をリスペクトする。それだけで争いや諍いは相当に減らせるはずなのだ。

ともするとコメディになりがちなジョン・デビッド・ワシントンとはある意味で大局的なアダム・ドライバーは、警察であることやユダヤ系であることが露見しそうになるたびに、汚い差別意識丸出しの言辞を弄して、状況をサバイブしていく。とある絶体絶命に思えたシーンを切り抜けるため、彼がロンに向かって実弾を発砲するのだが、その時の口調と表情!鬼気迫る演技と言おうか、イラクにも実際に赴いた軍人上がりにこそ出せる味があった。善のルーツを持つ悪のプリンス、カイロ・レンを演じるにふさわしい役者であることをあらためて満天下に示したと言えるだろう。

本作は、最後の最後に衝撃的な絵を持ってくる。これを蛇足と見るか、これこそがスパイク・リーの本当に見せたいものなのだと見るかで、本作の評価はガラリと変わる。Jovianはこれこそがスパイク・リーの問題意識なのであると受け取った。ストーリー自体は、ゴキゲンな黒人警官がアホな差別主義者の白人の横っ面を見事に張り倒すというものなのだが、スパイク・リーの意図するものは、『 評決のとき 』におけるマシュー・マコノヒーの弁論と同質のものであろう。非常に痛切に考えさせられる映画である。

ネガティブ・サイド

Based on a true storyやInspired by a true event系の映画は近年、大量生産されてきた。粗製乱造とまでは言わないが、さすがにそろそろ食傷気味である。この手の差別の恐ろしさ、その知性と思考能力の欠落具合は『 私はあなたのニグロではない 』、『 デトロイト 』、『 ジャンゴ 繋がれざる者 』、『 ビールストリートの恋人たち 』、『 グリーンブック 』などでもう十二分に描かれてきた。KKKを告発したいのではなく、人々が心の中に頑強に持つ固定観念、硬直した思考を討ちたいのだろう。スパイク・リーほどの映画人であれば、自分でオリジナルの物語を紡げるはずだし、紡ぎ出さなければならない。

総評

ポール・ウォルター・ハウザー演じるKKKメンバーは『 アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 』でも陰謀論全開にして、思考能力ゼロ、コミュニケーション能力ゼロ、批判精神ゼロという頭の悪すぎる男を演じていたが、これを他山の石とせねばならない。宗教団体を支持母体とする政党や、カルト的な思想信条を隠そうともしない団体からの指示を受ける与党、そして不健全な思考の右翼化を見せる高齢世代。そうした者たちの背後に透けて見えるのは、全て同質のものなのだ。それはちくま新書『 私塾のすすめ: ここから創造が生まれる 』で梅田望夫と齋藤孝が共通して闘う敵と同じものである。ゆめゆめ他国の過去の出来事と思うことなかれ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, コメディ, ジョン・デビッド・ワシントン, ヒューマンドラマ, 監督:スパイク・リー, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 ブラック・クランズマン 』 -事実は小説よりも奇なり-

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