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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: アメリカ

『 ハリエット 』 -英傑を神格化しすぎたか-

Posted on 2020年6月7日2021年1月21日 by cool-jupiter

ハリエット 65点
2020年6月6日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:シンシア・エリヴォ ジャネール・モネイ
監督:ケイシー・レモンズ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200607223959j:plain
 

これまでにも『 グリーンブック 』や『 アメリア 永遠の翼 』、『 2019年総括と2020年展望 』など、当ブログでもハリエット・タブマンについては何度か触れてきた。その映画がついに公開である。極端な話、Jovianはコロナ禍の今年はこれと『 ゴジラVSコング 』だけで良いとすら思っていたほどである。Don’t get your hopes up …

 

あらすじ

アラミンタ・ロス(シンシア・エリヴォ)は、メリーランド州で奴隷として過酷な労働に従事させられていた。ある時、さらに過酷な南部へ売り出されることになったミンティはブローダス家から逃げ出し、自由のある北部を目指す。無事に逃げ切ったミンティは、名をハリエットに変え、南部奴隷の解放に尽力するようになり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200607224019j:plain
 

ポジティブ・サイド

Jovianは英会話講師(現在はトレイナー業務がメインになっている)で、特にTOEFL iBTを担当することが多かった。なのでアメリカ近現代史はそれなりに勉強せざるを得なかったし、その中で最も多く名前が出てくる人物というのはユリシーズ・グラント、ジョージ・ワシントン、ハリエット・タブマン、ジョン・ミューアあたりだろうか。トレイラーでシンシア・エリヴォを見た時、キャスティングの正しさを直感した。そして実際に本編を観て、キャスティングの正しさを確認できた。シンシア・エリヴォは、演技力だけではなく歌唱力と存在感でハリエット・タブマンという立志伝中の英傑をスクリーン上に現出せしめた。特に印象的だったのは「決めつけないで!」と一喝するシーン。女性だとか黒人だとかの前に、人間としての尊厳を問う、非常に鋭い演出だったと感じた。

 

公開のタイミングが良いのか悪いのか分からないが、警察官によるジョージ・フロイド氏の殺害事件、それに対する抗議(暴動は除く。あの大多数はよその土地から来た火事場泥棒であることが判明している)が静かな内戦状態(英語ではThe Civil War = 内戦 ≒ 南北戦争)になっているところを見れば、黒人差別問題の根深さがどこまで遡れるかが分かるだろう。そうした奴隷たちが歌うバラードが一種の暗号として働くところは、史実を知る者としてニヤリとさせられた。同時に、作業の手を止めると容赦なく暴力を振るわれる労働環境にも慄然とさせられた。自分がテキストや問題集、ネット上のpassageで知っていたハリエット・タブマンとその時代が、情報ではなく、現実として迫ってきたからだ。

 

ハリエットの女モーゼとしての活躍は目覚ましい。Jovianの知識では彼女は北部のフィラデルフィアに脱出後に19回南部へ旅立ち、合計で200~300人(一説には800人とも)の脱出を助けたとも言われているが、本作は70人という数字を呈示した。それもリアリスティックな数字だろう。徒歩で、集団で、馬と犬と銃で追ってくる相手から数日~数十日を逃げ切るというのがどれほど大変なことか。そうした逃走劇の難しさも本作は描いている。

 

当然ながら、歌や音楽も素晴らしい。特にTheme Songである“Stand up”は、『 キャッツ 』の主題歌“Beautiful Ghosts”に勝るとも劣らない哀切さと希望への確信をもって歌われているし、サム・クックの“A change is gonna come”とボブ・マーレーの“Redemption Song”のように聞く者にインスピレーションを与えてくれもする。これもまたシンシア・エリヴォの起用が正解たる理由である。

 

それにしても日本の映画レビューサイトや評論家は、ハリエット・タブマンを指して「紙幣に載るのは黒人女性として初」のような御幣のある表現、あるいは自分自身が誤解している、もしくは勉強不足であることを露呈してしまうかのような書き方をするのだろうか。ハリエット・タブマンは黒人女性として初なのではなく、女性として初であり、もっと言えばアメリカ紙幣にこれまで顔が載ったのはすべて大統領である。ゆえにハリエット・タブマンを正確に評するなら、「大統領以外でアメリカ紙幣に載った人物」となる。そして2020年現在、アメリカ史に女性大統領は存在していないし、今年2020年に女性候補者が立つ見込みもない。

 

ネガティブ・サイド

ハリエットが散発的な失神症状に悩まされていたのはよく知られている。だが、意識を喪失している間に神と交信していた、というのは初めて聞いた。おそらくケイシー・レモンズ監督の独自解釈なのだろうが、ハリエットの妙な神格化はやめてほしかった。『 ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男 』にもあったように、沼地の渡れるポイントを知るごく一部の人間、のような描かれ方の方が好ましかった。劇中でも川を渡っていたが、実際にハリエットが追っ手を振り切るのに使った地形は沼が最も多かったとされている(Jovianが文献などで知る限りでは)。その卓越した自然の観察力と洞察力、人間の五感と運動能力をフルに駆使して追走者から毎回見事に逃げおおせる、という描写はできなかったのだろうか。

 

ジョー・アルウィン演じる領主の描写にも不満である。これではまるで『 ジャンゴ 繋がれざる者 』のディカプリオではないか。もちろん、当時の白人地主がああいう格好であったことは承知している。それでも、これではあまりにもstereotypicalであるし、ハリエットの追走者として役不足である。

 

ハリエット・タブマンと言えば「地下鉄道」、「地下鉄道」と言えばハリエット・タブマンのはずだが、肝心かなめのこの人的ネットワークがほとんど描写されなかった。地下鉄道のユニークなところは黒人と白人、両方で構成されているところで、なおかつそのネットワークの全容を知る人間がほとんどいなかった、と考えられているところである。実際に劇中でも、逃走奴隷をかくまったとしてハリエットの父が追われることになるが、組織の全容を知る人間が増えるとそれだけ危険が増す。誰か一人でも捕まって拷問されてしまったら組織として一巻の終わりだからである。そうした人的ネットワークの広大さと緻密さ、その大きさを全て知っている組織人かつ一匹狼のハリエットという人間像が打ち出されなかったのは個人的には少しがっかりであった。

 

総評

普通に面白い作品、標準以上のレベルに仕上がった伝記映画のはずだが、観る側が期待に胸を高鳴らせすぎたようである。ただし、これはハリエット・タブマンをそれなりによく知っている人間の感想である。実際にJovianの嫁さんはかなり感動したらしく、本作を絶賛していた。現実の世界と本作を重ね合わせて見ることで、様々なものが浮かび上がって来るという意味では、単なるエンタメ的な伝記以上の価値があるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

emancipation

「自由」、「解放」といった意味である。劇中ではfreedomやliberationといった語が使われていたと記憶しているが、emancipationはなかった。だが、アメリカの奴隷解放には、このemancipationが使われている。Freedom, liberation/liberty, emancipationの使い分けが適宜にできるようになれば、英検1級レベルの手前ぐらいだと判断できる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アメリカ, ジャネール・モネイ, シンシア・エリヴォ, 伝記, 歴史, 監督:ケイシー・レモンズ, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 ハリエット 』 -英傑を神格化しすぎたか-

『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』 -POVの火付け役-

Posted on 2020年6月1日 by cool-jupiter

ブレア・ウィッチ・プロジェクト 60点
2020年5月31日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ヘザー・ドナヒュー マイケル・C・ウィリアムズ ジョシュア・レナード
監督:ダニエル・マイリック エドゥアルド・サンチェス

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ウィルスやゾンビ以外にメジャーな超自然的存在(supernatural beings)といえば、やはり魔女だろう。『 ウィッチ 』のような傑作も生まれている。だが、本作の価値はPOVをメジャーなものにしたことだろう。

 

あらすじ

ヘザー(ヘザー・ドナヒュー)、マイク(マイケル・C・ウィリアムズ)、ジョシュ(ジョシュア・レナード)の3人は大学の課題としてドキュメンタリーを撮ることにした。そして、ブレアの魔女、ブレア・ウィッチについての映画を撮ろうと地元の人間にインタビューをする。そして3人は魔女のいるとされる森に踏み入って行くが・・・

 

ポジティブ・サイド

これは確か大学生の頃に同じ寮に住んでいた先輩が近所に出来たばかりのTSUTAYAで借りてきたんだった。そう、5~6人で一緒に観たと記憶している。確かアメリカ人OYR(One Year Regular=1年だけの留学生)が前年にアメリカで異例のヒットをしたとか何か言っていたんだったか。2000年か2001年のことでまさにインターネットの黎明期と発展期の間だった。国際基督教大学生だった自分たちは普通に英語のサイトにもアクセスしていて、まさにThe Blair Witch Projectのホームページを見て、「え?ヘザー・ドナヒューって本当に行方不明なの?」とか、「なるほど、アメリカでは子どもから若年層で行方不明者が出ると、牛乳パックに尋ね人情報が貼られるのか」と社会勉強になった覚えがある。

 

はっきり言って、オチを知っている状態で観ると本作は面白くも何ともない。ただし、まっさらな状態で鑑賞した当時は、今にもジャンプ・スケアがあるのではないかとビクビクしながら観ていたのを覚えている。鬱蒼とした森には何かがある。そうした予感を抱かせる描写は『 ウィッチ 』にしっかりと受け継がれている。

 

また、『 イット・カムズ・アット・ナイト 』(拍子抜け作品だったが、COVID-19が猖獗を極めていたタイミングで鑑賞すると、また違った感想になっただろうか)と同じく、邪悪な超自然的な要素が忍び寄ってきたとき、最も恐るべきは他者となる。人間同士が最も怖い。そうした、ある意味で人間存在に普遍的な弱さや醜さ、邪さをしっかりと捉えているとこもポイントが高い。

 

廃屋のシーンは鳥肌ものである。Jovianは初回に観て、さっぱり意味が分からなかった。一緒に観た先輩や同級生の面々も同じだったようだ。先輩がTSUTAYAに返しに行く前に、もう一度観たいと言って、その場でsecond viewingをしたと記憶している。そして、冒頭の街の人たちのインタビューを聞いて凍り付いた。まさに身も凍る思いがした。すべてはクライマックスのある瞬間のための演出だったわけである。

 

POVのホラーという新生面を開拓した本作であるが、おそらく現代の映画ファンの鑑賞には耐えないだろう。だがそれは、一昔前の野球選手を見て、「現代に比べると大したことねーな」という感想を抱くのと同じである。すべては積み重ねられており、それが進歩につながっているのである。

 

ネガティブ・サイド

81分と短い作品だが、こうした作品こそ70分ちょうどに短縮できないだろうか。Jovianは映画の長さとして2時間弱を推奨する者だが、このような一発勝負のモキュメンタリーは、伏線を回収する際の鮮やかさが肝になる。観客の記憶にいろいろなものがしっかりと残っているうちに勝負のタイミングを持ってきてもよかったのではないか。

 

不満のもう一つは、ヘザー以外の男性二人のキャラが立っていないこと。ベタだが、マッチョ系とインテリ系にしてしまっても良かったのではないか。「動物でも幽霊でもぶちのめしてやるぜ」みたいな脳筋男と、不可解な現象でも無理やり科学的に説明してしまうような頭でっかちのコンビが対立していく過程の方が、よりサスペンスが生まれたはずだ。

 

これを指摘しては元も子もないが、1990年代後半にあれだけ長時間撮影できるようなハンディカムは存在しなかったし、大容量バッテリーの登場もまだだった。ヘザーがあらゆるものを撮影・録画したがるのは迫真性があったが、現実的ではなかった。

 

総評

古典と言うにはまだまだ新しいが、それでも本作は一種の古典である。POVやファウンド・フッテージものの先駆的作品で、映画(に限らずエンタメ・フィクション作品)において最も大切なのはアイデアであることを世界に知らしめた功績は大きい。そういえば当時は寮のみんなでホラー映画を観るのが何故か流行っていた。『 リング 』や『 催眠 』、『 オーディション 』など。ファウンド・フッテージではなくファウンド・テープものだと中井 拓志の小説『 レフトハンド 』もイージー・リーディングの傑作だった。映画館もfully operationalにはまだ遠い。自分の青春時代である90年代後半の作品も、もう少し頻繁に渉猟してみようか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

pleasantly surprised

「嬉しい驚き」の意味である。これもよくあるコロケーション(共に使われることが多い語の組み合わせ)である。I was pleasantly surprised to hear that the Oscar went to Parasite. のように使う。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 1990年代, C Rank, アメリカ, ジョシュア・レナード, ヘザー・ドナヒュー, ホラー, マイケル・C・ウィリアムズ, 監督:エドゥアルド・サンチェス, 監督:ダニエル・マイリック, 配給会社:アスミック・エース, 配給会社:クロックワークス, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』 -POVの火付け役-

『 アウトブレイク 』 -アメリカの本音が詰まったウィルス・パニック映画-

Posted on 2020年5月31日 by cool-jupiter

アウトブレイク 70点
2020年5月27日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ダスティン・ホフマン ケビン・スペイシー モーガン・フリーマン
監督:ウォルフガング・ペーターゼン

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これは確か高校3年生ぐらいの時にWOWOWだかレンタルVHSだかで家族そろって観た記憶がある。エボラ出血熱のニュースがその2~3年前にあり、人食いバクテリアなる言葉が人口に膾炙するようになった時代だったように思う。本作もまたCOVID-19禍によって再評価が進む作品の一つだろう。

 

あらすじ

サム(ダスティン・ホフマン)はアフリカで未知のウィルスが猛威を振るうの目の当たりにして、アメリカ本土も警戒の要ありと認めた。だが軍の上層部や政府は動かない。そうしている間にも、シーダー・クリークという田舎町で突如謎の感染症によって人々が死に始める。サムはこの苦境に立ち向かえるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

単純に未知の病原体が現れて人類を恐怖と混乱のただ中に放り込む・・・というだけのストーリーではない。そこには職業人と家庭人の両立をできなかった男の悲哀があり、軍という自制が必要な組織体の自制の無さという問題があり、なおかつ自然と人間の適切な距離の問題がある。さらに過剰とも思えるほどのヘリコプター・アクションもあり、よくこれだけのストーリーを2時間に凝縮したなと、脚本家と監督、そして編集の手腕に感心させられる。

 

25年前の映画だが、現代にも通じる点としてウィルスが変異する点が挙げられる。COVID-19もアジア株とヨーロッパ株の2種に大別できるとされているが、実際は何十にも何百にも枝分かれしているとされる。小説および映画化もされた『 パラサイト・イブ 』では「ミトコンドリアは人間の10倍の頻度で変異する、つまり人間の10倍のスピードで進化する」とされていた。微生物を人間がどうこうしようというのが、そもそもおこがましいことなのかもしれない。ましてや兵器にしてやろうなどと。そうしたことも本作から学べるのだ。

 

ダスティン・ホフマンの名探偵も斯くやの快刀乱麻を断つがごとしの推理や論理展開の速さは必見。そして「自分を抜きにしてアメリカの防疫を語るな!」というプライドとプロフェッショナリズム。日本にこれほど熱く有能な科学者や官僚はいるのだろうかと思われてしまう。モーガン・フリーマンやドナルド・サザーランドのいかにもアメリカ軍人らしい冷徹さも、そのコントラストが際立っている。その裏には少数を切り捨てることで絶対的多数を守ろうと決断する者たちの姿が見えるからだ。シーダー・クリークを爆撃し、ウィルスおよび感染者を文字通りに一掃しようと立案する大統領補佐官らしき男の官僚連中への「この顔を刻み付けろ!一生思い出す顔だ!」という怒声は、果たしてダイヤモンド・プリンセス号を見捨てた(としか思えない)日本政府の中でも聞かれたのだろうか。フィクションと現実を比較しても詮無いことだが、現実がフィクションに侵食されている今こそ、現実を鋭く批判検証せずに、いつするというのか。

 

アクションも熱い。現代ならおそらく95%はCGで描いてしまうであろうヘリコプターのチェイスと曲芸飛行を、おそらく9割は実物、1割は模型(ハンマーヘッドターンはさすがに模型だろう)だと思われるが、それでもこのヘリコプターアクションのシークエンスは90年代の作品では『 ターミネーター2 』のそれに次ぐクオリティであると感じた。相当な腕っこきパイロットを連れてきたのだろうな。

 

ネガティブ・サイド

ヘリコプターの燃費が良すぎる。通常巡航速度以上の飛行をずっと続けて、なおかつ戦闘機動も織り交ぜ、なおかつ巡航速度を超大幅に下回る飛行を行いつつも、給油なしで飛び続けるあのヘリコは一体全体何であるのか。またAWACSがついていながら軍用ヘリをロストするというのも頂けない。カーナビがついているのに迷子になった、あるいは暗視スコープをつけているのに暗闇でこけてしまった、そういうレベルの盛大なミスである。さすがにちょっとご都合主義が過ぎやしないか。

 

ケビン・スペイシーの感染シークエンスが不可解だ。あの一瞬でウィルスを吸い込んでしまうだろうか。あれでは、防護服周辺に来た人間全員に感染してもおかしくないではないか。その後のラボの人間が誰も発病していないところを見ると、防護服に穴が開いた瞬間に感染というのも大げさすぎる演出だと感じた。

 

土壇場での血清培養も、シーダー・クリークのような地方の片田舎でどのように行ったのだろうか。厳密な温度管理や滅菌処理など、かなり大掛かりな施設が必要となるはずだが、「いいぞ、もっとドンドン作れ!」とはこれいかに。

 

総評

色々と不可解な面もあるが、ヒューマンドラマの要素とSFの要素、そして家族愛や友情の要素に、『 ランペイジ 巨獣大乱闘 』が前面に出しきれなかった人間vs自然のような視点までも包含した、ジャンル横断的な傑作である。願わくば、『 Search サーチ 』のような様式、すなわち全編これ顕微鏡下の映像だけで送る最近・ウィルスのパニック・スリラーも観てみたい。映画関係者よ、作るなら今だ!

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’m on it.

itは大抵の場合、何らかの仕事やミッションを指す。「自分がそれを担当します」、「今取り組んでいるところです」のような意味で、日常会話というよりは、どちらかというと職場でよく使われる表現。実際にJovianの職場でも、

 

X: “We need to make a guideline for this.”「ガイドラインが必要だな」

Y: “I’m on it.”「私が作成します」

 

のようなやりとりはまあまあの頻度で聞こえてくる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, B Rank, アメリカ, ケビン・スペイシー, スリラー, ダスティン・ホフマン, モーガン・フリーマン, 監督:ウォルフガング・ペーターゼン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 アウトブレイク 』 -アメリカの本音が詰まったウィルス・パニック映画-

『 テルマ&ルイーズ 』 -抑圧された女性の絆とロードトリップ-

Posted on 2020年5月24日2020年9月26日 by cool-jupiter

テルマ&ルイーズ 85点
2020年5月23日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ジーナ・デイビス スーザン・サランドン
監督:リドリー・スコット

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確か中学生ぐらいの時に親父がVHSを買っていたように思う。自分では観なかったが。テレビドラマ『 リゾーリ&アイルズ 』のとあるエピソードで、アイルズ先生がリゾーリの自宅に「一緒に観よう」と持ってきたのが本作。そこで興味を持った。自粛ムードを吹っ飛ばすにはちょうど良いと思い、兵庫県から大阪府へ(といっても直線距離で8kmほど)。

 

あらすじ

専業主婦のテルマ(ジーナ・デイビス)とウェイトレスのルイーズ(スーザン・サランドン)は週末の旅行に出かける。日頃、夫によって抑圧されていたテルマは、立ち寄ったバーで男性と意気投合し、酒とダンスに興じる。だが、レイプされそうになったところをルイーズに救われる。ルイーズはしかし、侮辱的な言葉を発する男を射殺してしまう。テルマとルイーズの二人は逃げるしかなくなり・・・

 

ポジティブ・サイド

『 運び屋 』や『 グリーンブック 』、『 ダンス ウィズ ミー 』のように、ロードムービーは定期的に生み出されている。その中でも本作は白眉である。抑圧から解放がある一方で、解放された先に抑圧がある。物語の進行やキャラクターの造形がひと通りではない。

 

シネマグラフィーも素晴らしい。薄暗いダイナー、そして薄暗い室内、そして全体的に日照の少ない街並みから始まって、アメリカ中西部から南西部にかけてロードトリップに出るのだが、ストーリーが進行するほどに画面にどんどんと色が出てくる。だが、ある時からその色が黄色の砂と赤茶けた岩の色に塗りつぶされていく。それはテルマとルイーズの二人のキャラクターが内面的に変化していく様と不思議なコントラストを成している。人間的に成長したくましくなっていく、あるいはクールに見えた人間が狼狽え、取り乱していく。そうしたキャラクターの心情が画面の色使いで伝わってくる。CM監督出身の巨匠リドリー・スコットらしい手腕である。

 

そのリドリー・スコットの投げかけてくるメッセージは明確である。弱者を虐げるな、ということである。テルマもルイーズも悪くない。悪いのは、テルマをレイプしようとしたハーランであるし、彼女の話をまともに聞こうともせず、浮気には精を出す夫である。ルイーズも男には恵まれているように見せて、そうではない。明確には明かされないが、悲しい過去がある。『 ジョーカー 』でも感じたことだが、弱者を踏みつけてはならない。弱者とは持たざる者である。失うものがない者は恐れるものがない。恐れるものがない者は、一線を越えてしまってもおかしくない。リドリー・スコットというと『 エイリアン 』や『 ブレードランナー 』のようにSFのイメージが強い。しかしその実態は、抑圧された環境下での人間の変化だったのではないだろうか。

 

テルマとルイーズが行く先々で罪を犯していく。本来ならば陰鬱な逃避行のはずが、爽快感が感じられるのは何故か。それは人間の本性がむき出しになっていくからだ。ルイーズは恐ろしい剣幕で「テキサスには行くな」とテルマに迫る。テルマはルイーズに「警察と取引したのか」と食ってかかる。共犯として協力し合わなければならない二人の間にすら緊張が走る瞬間がある。それすらも爽快なのだ。なぜそうなのか。それは劇場または自宅で観て、ぜひとも確かめてみてほしい。

 

ネガティブ・サイド

マイケル・マドセン演じるジミーが、とにかく男の中の男である。ルイーズに「警察には何もしゃべらないで」と頼まれて、実際に何もしゃべらなかったと推測されるのだが、そのシーンが欲しかった。テルマの夫のダリルのクソっぷりと対比させることはできなかったのだろうか。数少ない、魅力ある男性キャラだったのだが。

 

二人を追う刑事ハルも味のあるキャラだったが、その描写が少々弱い。ブラピ演じるJDと取調室で二人だけになるシーンでは、連れの刑事の「ヒューッ」という口笛から何らかの惨劇が予想されたが、いくらなんでも生ぬるすぎる。あの程度の責めでブラピが急に語尾に sir をつけて話すようになるとは考えづらい。この叩き上げの刑事をもう少し掘り下げてほしかった。

 

逃避行の発端となった酒場の女性従業員のような、二人の協力者となるような女性サブキャラがもう少しいれば良かったのにとも思う。何らかの事情を察した女性が、テルマとルイーズの逃避行を、陰ながらサポートすると演出もあってよかったのではないか。トランクに閉じ込められた警察官にタバコの煙を吹きかけてやるという演出も悪くはなかったが、より better な演出はもっといくらでもあったはずである。

 

総評

ロードムービーにしてアメリカン・ニューシネマの傑作である。80~90年代のヒットソングでHans Zimmerの音楽と鮮やかな色遣い溢れる画面とが相まって、芸術的とさえ言える美しさも備えている。道なき道を爆走するテルマとルイーズの姿に心を動かされない人がいようか。現代にも通じるメッセージが明確に込められており、そしてそれは未来へもつなげていくべきメッセージである。このような映画こそ、次世代に残していきたいし、映画館でリバイバル上映をもっと盛んに行ってほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

figure out

フィギュア・スケートのフィギュアの主な意味は、「形」や「数字」である。つまり、figure outとは、形や数字として出す、という意味である。figure out a mystery=謎を解く、figure out what to do=どうすべきを考える、という具合に使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, A Rank, アメリカ, クライムドラマ, ジーナ・デイビス, スーザン・サランドン, ブラッド・ピット, 監督:リドリー・スコットLeave a Comment on 『 テルマ&ルイーズ 』 -抑圧された女性の絆とロードトリップ-

『 42 世界を変えた男 』 -Take him out to the ballgame-

Posted on 2020年5月19日 by cool-jupiter

42 世界を変えた男 60点
2020年5月19日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:チャドウィック・ボーズマン ハリソン・フォード
監督:ブライアン・ヘルゲランド

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MLBも日本プロ野球も開幕が遅れている。球春未だ来たらず。ならば野球映画を観る。大学生の頃に観たトミー・リー・ジョーンズ主演の『 タイ・カップ 』もなかなかに刺激的だったが、second viewingならこちらにすべきかと思い直した。

 

あらすじ

第二次大戦後の1947年、ブルックリン・ドジャースGMのブランチ・リッキー(ハリソン・フォード)は、ニグロ・リーグのスターの一人、ジャッキー・ロンビンソン(チャドウィック・ボーズマン)を史上初の黒人選手としてMLBに招き入れる。そしてロビンソンは、差別や偏見にプレーで対抗していく・・・

 

ポジティブ・サイド

JovianがMLBのことを知ったのは中学生ぐらい、青島健太がやっていたBSスポーツニュースを通じてだったか。マイケル・ジョーダンがバスケを引退、野球に転向というニュースにびっくりしたのを覚えている。その翌年ぐらいか、野茂英雄が海を渡ったのは。その頃から日本でも本格的にメジャーリーグが認知され始め、イチローと新庄のメジャー行きで完全にMLBが身近なものになったと感じられるようになった。個人的には大学生の頃に読んだパンチョ伊東の『 野球は言葉のスポーツ 』で、メジャーの歴史の広さと深さに初めて触れたと感じた。ニグロ・リーグの消滅(人によっては発展的解消とも呼ぶが)を、MLBへの人材流出が続く日本にも重ね合わせた名著だった。

 

本作は差別と融和の構造を鮮やかに描き出している。当時の野球人たちのロビンソンへの反応と同じくらいに、一般人であるファンの差別が恐ろしい。純粋無垢に見える野球少年が、差別思想に凝り固まった大人たちの圧力に屈して罵りの言葉を吐き出す様はグロテスクである。本作はそうした目をそむけたくなる、耳をふさぎたくなるようなシーンを真正面から描く。そうすることで、差別する者の醜さを炙り出す。これは怖い。自分にも何らかの意味での差別思想がないとは言い切れない。そうした時に、ロビンソンを口汚く罵るフィリーズのチャップマン監督を思い出そうではないか。こんな人間になってはおしまいである。

 

本作ではハリソン・フォードが光っている。基本的にフォードは(トム・クルーズや木村拓哉と同じく)誰を演じてもハリソン・フォードになってしまう。だが、本作では実在したブランチ・リッキーの模倣に徹した。それが奏功した。Jovianは東出昌大は当代きっての大根役者だと断じるが、『 聖の青春 』の羽生善治の物真似は素晴らしかった(というか、東出に演技をさせなかった監督の手腕なわけだが)。ブランチ・リッキーの表情、声、話し方、立ち居振る舞い、思想信条を研究して、役をものにしたというよりも、まさに物真似をした。フォードのファンならば必見の出来に仕上がっている。

 

主役を張ったチャドウィック・ボーズマンも好演・はっきり言って顔立ちはロビンソン本人には似ていないのだが、苦悩を内に秘めて、しかしフィールドでそれを決して表に出さない。かといって、ほぼ同時代人であるジョー・ディマジオのようなcool-headedなプレーヤーでもない。投手を挑発し、観客をエキサイトさせる一流アスリートである様を体現している。

 

ネガティブ・サイド

肝心かなめの野球シーンに迫力がない。本作は伝記であり、ヒューマンドラマであるが、スポーツ映画ではなかった。残念ながら野球をしている時のボーズマンは、最もロビンソンから離れた存在に見えてしまった。『 フィールド・オブ・ドリームス 』のシューレス・ジョー・ジャクソンが何故か右利きにされていたが、レイ・リオッタのスイングには力強さとキレがあった。『タイ・カップ 』のトミー・リー・ジョーンズの走塁と殺人スライディングにはスピードと躍動感(と殺気)があった。残念ながら、チャドウィック・ボーズマンのスイングにはパワーが欠けているし、走塁にはスピードがない。守備にしても『 マネーボール 』のクリス・プラットの方が(一塁手としては)遥かに様になっている。

 

史実として、リッキーはニグロ・リーグの最優秀選手を連れてきたわけではない。折れない心の持ち主をpick outしたとされている。だが、パンチョ伊東らの著書やその他の研究によると、当時のジャッキー・ロビンソンはニグロ・リーグ全体で上から3~4番手という、トップ中のトップだったことは間違いないようである。であるならば、当時の白人が持っていなかった異質なスピード、異質なパワーというものを、もう少しはっきりとした形で描き出すべきだったと思う。

 

また野球そのものの描写もめちゃくちゃである。いくら何でも一塁から離れてリードを取り過ぎだし、絶妙のタイミングの牽制球で、帰塁のタイミングも遅いのにセーフになったりしている。また、劇中でビーンボールや頭部直撃デッドボールも描かれるが、それらの投球が『 メジャーリーグ 』のチャーリー・シーンの荒れ球よりも速い。というか、佐々木朗希のストレートよりも速く見えるビーンボールもあるなど、野球に対する愛情もしくは造詣、または競技経験のある者が作ったとは思えないCGピッチングには、正直なところかなり呆れてしまった。

 

総評 

ジャッキー・ロビンソンと聞いて「誰?」となる人も若い世代には多いだろう。それは仕方がない。オリックス時代のイチローを全く知らない世代の野球ファンもいるのだ。そのイチローがMLB1年目に新人王(とMVP!)を獲得した時に「日本のプロ野球で実績充分な者をMLBは新人扱いするのか?」とMLB内外で論争が沸き起こった。その当時に下された結論は「ニグロ・リーグのトップスターだったジャッキー・ロビンソンもMLBでは新人で、それゆえに新人王を獲得した」というものだった。イチローの偉業の向こうにロビンソンがいる。差別に屈しなかった男の物語には食指が動かない向きも、イチローの先達の物語になら興味を抱くのではないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

as you see fit

「あなたの好きなように」、「あなたが適切だと思えば」の意。

 

Make changes as you see fit.  好きなように変更を加えてくれ。

Raise your hand and ask questions as you see fit.  挙手をして好きなように質問したまえ。

 

職場で使うとちょっとかっこいい。ぜひ機会を見つけて口に出してみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, チャドウィック・ボーズマン, ハリソン・フォード, ヒューマンドラマ, 伝記, 監督:ブライアン・ヘルゲランド, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 42 世界を変えた男 』 -Take him out to the ballgame-

『 ウォー・ドッグス 』 -まっとうに生きるべし-

Posted on 2020年5月6日 by cool-jupiter

ウォー・ドッグス 65点
2020年5月6日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョナ・ヒル マイルズ・テラー アナ・デ・アルマス ブラッドリー・クーパー
監督:トッド・フィリップス

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アベノマスクなる、とても使い物になるとは思えない品質のクソ製品が、木っ端役人によって提案され、得体の知れない会社によって調達され、国中に支給され始めている。そこで本作を思い出した。有事の裏では、常に機を見るに敏なmoney-hungry dogsが暗躍しているものなのかもしれない。

 

あらすじ

時はイラク戦争とその後始末のただ中。デビッド(マイルズ・テラー)はうだつが上がらない仕事に従事していたが、ひょんなことから銃火器を売りものにする旧友のエフレム(ジョナ・ヒル)と共に仕事をすることになる。やがて二人はアメリカ国防総省に武器弾薬を納入する仕事に目をつけ・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200506155630j:plain
 

ポジティブ・サイド

マイルズ・テラーとジョナ・ヒルが、若く無鉄砲な若者二人組を好演している。アホかと思う面も多々あるが、特にエフレムのメンタル・タフネスと着眼点は起業を志す者なら大いに参考になるだろう。小学生の頃の昔話や与太話で定期的に盛り上がるところがガキンチョのメンタリティそのままで、子どものまま大きくなってしまったところを見事に表している。相方のデビッドの精神構造も見上げたもの。とある入札を見事に勝ち取るのだが、二位との差額を聞いて「国民の税金が節約できた」と言い切る、その言や良し。

 

『 バイス 』を事前に観ておくと、当時の(といってもたかが十数年前)のアメリカの政治的背景がよく分かる。同時に、戦争=経済活動と言い切るところもアメリカらしくてよろしい。というよりも、人類の歴史上、戦争の99%は経済的な理由で起こっている(宗教戦争に見える十字軍遠征さえ、本質的には交易の一大拠点であるコンスタンティノープルをキリスト教勢力が欲したというのが真相である)。本作は、しばしばヒューマンドラマに還元されてしまいがちな戦争の最前線ではなく、その銃後で何が起きていたのかを描く点がユニーク。『 バイス 』において、D・チェイニーは9.11の際に危機ではなく好機を見出していた。エフレムも、イラク戦争の後始末に危機ではなく商機を見出している。煎じ詰めれば、トッド・フィリップスは戦争という営為を嗤っているのだろう。『 シン・ゴジラ 』でも松尾スズキ演じるジャーナリストが「東日本の地価が暴落する一方で、西日本の地価が高騰している。面白いですな、人の世は」と語っていた。国難や有事をチャンスと捉える人間を褒めているのではない。半ば呆れている。トッド・フィリップスも本作におけるエフレムやデビッドをそのように見ている。デビッドも?と思う向きもあるだろうが、最後の最後のシーン(それが事実がどうかはどうでもよい)が意味するところを考えれば、その答えはおのずと明らかである。

 

それにしても、『 プライベート・ウォー 』でホラー的に描かれた検問シーンが、本作では見事にコメディになっている。同じイラク戦争でも、描く角度が異なれば、これほどに印象が異なるのかと考えさせられる。トッド・フィリップス監督は『 ジョーカー 』において、社会の分断と棄民政策から生まれた鬼子としてのジョーカーの誕生を描いたが、戦争という社会の異常事態からは常に何かしらの鬼子が生まれてもおかしくないのだぞ、と警告を発しているかのようにも見える。それは考え過ぎだろうか。

 

ネガティブ・サイド

どうしても『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』と比較されてしまうだろう。そして、比べるまでもなく本作の完敗である。ペニー・ストックを舌先三寸で見事に売りつけ、そこからのし上がっていく様をテンポよく描いた『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』に比べると、ジョナ・ヒル演じるエフレムの事業は目のつけどころはシャープであるものの、そこからトントン拍子にパイのかけらを美味しく頂戴していくシーンがなかった。ストーリーに説得力がなかった(実話に説得力も何もないと思うが)。

 

ジョナ・ヒル自身のパフォーマンスも『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』のそれには劣る。若きアントレプレナーの事業や経営への意識の違いが、やがて関係の破綻・破局につながっていくというストーリーの見せ方は『 ソーシャル・ネットワーク 』の方が一枚も二枚も上手だった。エフレムというキャラクターが十分に肉付けされていないからだろう。ところかまわずカネで女を買いまくっているが、高校の時に女に手酷い目にあわされたというような逸話の一つにでも言及してくれれば、観る側の捉え方も少しは変わる。また、『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』におけるディカプリオが、創業の功臣メンバーの女性に非常に人間味あふれるサポートを施していた逸話があったが、エフレムに何か一つでも会社や従業員に対する想いを見せる演出が欲しかった。それがないために、最初から最後まで小悪党にしか見えなかった。

 

総評

普通に面白いブラック・コメディである。総理大臣肝入りの数百億円規模の事業の裏側で何が起こっていたのかを、本作を下敷きにあれこれ想像してみるのも興味深いだろう。同時に、夫婦の在り方の軸には正直さが、ビジネスの在り方の軸には真っ当さが必要であるという当たり前の教訓をも教えてくれるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

read between the lines

「行間を読む」の意である。これは何も読書に限ったことではない。エフレムの言う“All the money is made between the lines.”=すべてのカネは行間から生まれる、は蓋し真実である。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アナ・デ・アルマス, アメリカ, ジョナ・ヒル, ブラック・コメディ, ブラッドリー・クーパー, マイルズ・テラー, 伝記, 監督:トッド・フィリップスLeave a Comment on 『 ウォー・ドッグス 』 -まっとうに生きるべし-

『 ハンナ 』 -凡百のアクション映画-

Posted on 2020年5月5日 by cool-jupiter

ハンナ 40点
2020年5月5日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:シアーシャ・ローナン ケイト・ブランシェット
監督:ジョー・ライト

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近所のTSUTAYAがこのご時世にもかかわらず、いや、このご時世だからか大繁盛していて、本命(多くは準新作)がどれもこれも借りられている。たまたま目についたシアーシャの“顔”だけで借りてきた。この判断は失敗だった。

 

あらすじ

フィンランドの人里離れた森でCIA工作員だった父から語学や一般教養、そして格闘術を叩き込まれた少女ハンナ(シアーシャ・ローナン)に、ついに外の世界へ巣立つ時期がやってきた。だが、かつての父の同僚メリッサ(ケイト・ブランシェット)がハンナを執拗に追跡してきて・・・

 

ポジティブ・サイド

ハンナが各国の言語を流暢に操るシーンはとてもクールである。同時に初めて出会う人々とずれたコミュニケーションを取る様は非常に滑稽でもある。どこか『 ターミネーター 』的である。クリシェであるが、そこはまあまあ面白い。

 

年端のいかない暗殺者というのは死ぬほど量産されてきたキャラで、化粧っ気がゼロだが、そこが魅力的でもある。野生児の風味があるところがいい。アクション、特に近接格闘前に逃げるところに動物らしさが見て取れる。Fight or flightである。

 

16歳の少女らしく、開放的な世界でのアバンチュール的展開もある。ここで妙なときめきを感じたりしないところもgood。ストーリー進行を妨げていない。友人となるソフィーとのsleep-overも良いムードである。血も涙もない殺人者ではなく、かといって動物的な勘性だけに染まっているわけではない。ある意味でとても無垢な少女という印象を観る者に刻み付けてくれた。

 

10代のシアーシャを本作で堪能されたし。

 

ネガティブ・サイド

トム・ホランダーの演じる追走者一味がかなり間抜けだ。迷路状の貨物置場でチェイスしている最中に口笛を吹くか?ここでのロングのワンカットは緊迫感溢れるシークエンスだったが、ホランダーの口笛がその空気をぶち壊しにしたように感じた。他にも余裕をぶっこいておきながらエリックの逃走を許す。あるいは格闘戦で普通に負けるなど、とてもCIAエージェントたるマリッサが「裏の仕事を任せたい」と頼る相手とは思えない。見た目も間抜けで実力もイマイチ。なぜこのような設定になってしまったのか。

 

『 オールド・ボーイ 』でも感じたことだが、なぜハンナは初めて触れるパソコン、そしてインターネットを使いこなせるのか。父親から話に聞いていたとはいえ、数分で使いこなせる代物ではないはずだ。また、元CIAであるエリックの情報がネットでほいほいと簡単に手に入るのもおかしい。本物のCIA職員からすれば噴飯ものだろう。

 

マリッサの行動も意味不明なものが多い。サイレンサーを持っているなら、毎回それを使えと言いたい。なぜ街中で銃をぶっ放す時に使わないのか。そして、わざわざ仕留めた相手をよっこらせとばかりに運んだというのか。そんなことをしている暇があるのなら、ハンナというターゲットをしっかりと追いかけろと言いたい。

 

そのハンナとマリッサの対決シーンも腑に落ちない。フィンランドの雪原および森林をホームに育ったハンナが、なぜ待ち伏せて狙い撃ちする戦術を選択しなかったのか。せっかくの決め台詞が、やはり間抜けに聞こえてしまう。全く同じ構図の絵作りをしている作品に『 ウインド・リバー 』がある。完成度はそちらの圧勝である。

 

字幕が余計なことをしている。どの部分とは言わないが、ケイト・ブランシェットの台詞とだけ指摘しておく。

 

総評

凡百のアクション映画である。10代のシアーシャ・ローナンが見られるということぐらいしか特徴がない。だが、シアーシャのファンならば観ておく価値はある。大女優や大俳優の多くも、クソ映画に出演して腕を磨いたのだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

gross

GNP = Gross National Productのgrossだが、日常会話では圧倒的に「キモイ」の意味で使われる。同義語はcreepyやobnoxiousである。劇中では、朝ごはんとして皮剥ぎのウサギを調達してきたハンナに、ソフィーが一言“That’s gross.”=「キモイよ」と言い放つ。服でも食べ物でも容姿でも言動でも、なんでもgrossと言うことで不快感や嫌悪感を表明することができる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アクション, アメリカ, ケイト・ブランシェット, シアーシャ・ローナン, 監督:ジョー・ライト, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 ハンナ 』 -凡百のアクション映画-

『 her 世界でひとつの彼女 』 -いつか間違いなく到来する世界-

Posted on 2020年5月5日2020年5月5日 by cool-jupiter

her 世界でひとつの彼女 70点
2020年5月4日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ホアキン・フェニックス スカーレット・ジョハンソン ルーニー・マーラ
監督:スパイク・ジョーンズ

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人との物理的な接触を減らせと言われて久しい。実際にJovianも減らそうと試みている。一方でオンライン飲み会など、新しい形の関係が模索されている。そこで本作を思い出した。ハンズフリーでスマホで誰かと話す人々を街中で見かけるのは最早当たり前である。だが、その通話の相手が人間でなくなる時代は、案外すぐそこまで来ているのではないだろうか

 

あらすじ

手紙の代書屋セオドア(ホアキン・フェニックス)は妻キャサリン(ルーニー・マーラ)と離婚協議中。そんな時、サマンサと自身を名付けた新型OSとの対話に、セオドアは少しずつ没入していくようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

少し進んだ都市、少し進んだ建築、少し進んだゲーム、少し進んだPC。時代や場所を敢えて特定しないことで、そうした現実の少し先にあるかもしれない世界がリアルに感じられる。そう、リアルが本作のテーマである。特に人間の感情のリアル。リアルであるということは、事実である、本当であるということ必ずしもイコールではない。いや、事実という言葉も、定義が難しい。事実であるかどうかは、実体があるかどうか、と言い換えるべきかもしれない。

 

非人間との関係、その行き着く先の一つであるセックスはますますリアルになりつつある。『 ブレードランナー2049 』をある意味で先取りした本作は、あらゆるものがセックス・オブジェクトになりうる時代を非常に力強く予感させてくれる。テレフォン・セックスの極まった形と言おうか、セオドアとサマンサのセックスは実に感応的である。官能的ではなく、感応的なのである。

 

セオドアの仕事が手紙の代書屋というところがいい。口下手な男だが文章を物すのは上手い。極端なのだ。コミュニケーションの様態は4つ分類される。すなわち、

1)Real Time – Real Space (例 会話)

2)Real Time – Not Real Space (例 電話)

3)Not Real Time – Real Space (例 伝言メモ)

4)Not Real Time – Not Real Space (例 手紙)

である。セオドアの仕事はもっぱら3)か4)に分類される。すなわち、リアルタイム(同時)のコミュニケーションには長けていないのだ。そんな彼が、サマンサとの会話にだんだんと没入していく過程が心地よくもあり、また少しうすら寒くも感じる。科学技術が進歩した世界では物質的に我々は満たされている。その一方で、リアルなコミュニケーションを喪失しつつあることも事実である。我々が真に求めているのは、他者との交流によって得られる満足感や安心感であり、他者とはその媒体に過ぎないのではないかと疑念が生まれてくる。そうした心理的な動きを、セオドア演じるホアキン・フェニックスは持ち前の表現力で我々にしっかりと感じさせてくれる。

 

本作にはちょっとしたどんでん返しがある。まるで小説『 幼年期の終り 』の逆バージョンである。これはかなり秀逸なラストであると感じた。「本人が実在性を認めるならばそれはリアルなのではないか」というのが本作の問題提起であり、「失って初めて実在性を認められるものもあるのではないか」というのがラストの余韻である。いや、違うか。RealとNot Realの境界を揺らがせると同時に強固にもする本作は、一通りではない解釈が可能な近未来SFの良作である。

 

ネガティブ・サイド

セオドアが就寝前に出会い系チャットを使うシーンは、もっと違う形の方がよかった。奇妙な設定に性的に興奮する女性とのコミュニケーションで萎えてしまうというのではなく、普通の女性との普通のコミュニケーションにどうしても満ち足りた気分になれないという、どこか欠けた男という設定の方がよかった。現実の女性が気持ち悪いからOSのサマンサに恋をするというわけではないが、皮相的にそう見えてしまうのはマイナスである。

 

最後のオチに至る過程が少々アンフェアである。Jovianは二度目の鑑賞なので、あれこれとバックグラウンドに注目しながら鑑賞したが、背景の人間たちが背景だった。詳しくはネタバレになるので言えないが、ちょっとした場面の背景にセオドアと全く同じことをやっている人間がチラッとでも映っていれば、良作を超えて傑作になれたかもしれない。

 

総評

本作と同工異曲に感じられるのが、ゲーム『 エースコンバット3 エレクトロスフィア』や『 メタルギアソリッド2 サンズ・オブ・リバティ 』であろうか。時系列的には逆か。もしくはJ・P・ホーガンの小説『 ガニメデの優しい巨人 』や『 巨人たちの星 』のゾラックが可愛くて仕方がない、というSFファンならば、本作はかなり楽しめるはず。一般人向けとはとても言い難い作品であるが、刺さる人にはとことん刺さる作品のはずである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

call it a night

call it a dayという形でもよく使われる。「それ(=状況)を夜(一日)と呼ぶ」が直訳で、意訳すれば「これで一日をおしまいにする」ということになる。call it a career=引退する、という表現を使うアスリートやパフォーマーも時々見かける。英語学習の初級者から中級者の間なら、知っておくべき表現である。

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, スカーレット・ジョハンソン, ホアキン・フェニックス, ルーニー・マーラ, ロマンス, 監督:スパイク・ジョーンズ, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 her 世界でひとつの彼女 』 -いつか間違いなく到来する世界-

『 パーティで女の子に話しかけるには 』 -変則的かつ王道なボーイ・ミーツ・ガール-

Posted on 2020年5月1日 by cool-jupiter

パーティで女の子に話しかけるには 70点
2020年4月29日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:エル・ファニング アレックス・シャープ ニコール・キッドマン
監督:ジョン・キャメロン・ミッチェル

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ウィルスといえば本作も忘れてはならない。コロナもウィルス。『 貞子 』もある意味ウィルス(意味が分からない人は小説『 リング 』を読むべし)。そして本作もある意味でウィルスの物語である。

 

あらすじ

 

時は1977年、場所はロンドン。高校生のエン(アレックス・シャープ)は、ひょんなことからザン(エル・ファニング)という少女と出会う。意気投合する二人。エンはたちまちザンに恋するが、ザンは実は宇宙人で・・・

 

ポジティブ・サイド

原作はニール・ゲイマン。『 ピープルVSジョージ・ルーカス 』で創作について印象的なコメントを発していた小説家で、オンラインのcreative writing講座の広告で最近はよく見かける。

 

なんとも不思議なボーイ・ミーツ・ガールである。異星人に恋をするストーリーは、それこそ『 火星のプリンセス 』(『 ジョン・カーター 』として映画化されている)の昔(1910年代)から存在する。本作がユニークなのは、パンクという反体制・反社会・反規範のイデオロギーを個性の尊重=individualityと対比させた点にある。このことが喜劇にも悲劇にもなっている。

 

喜劇だなと感じられるのは、パンクについて語ることで意気投合するエンとザン。寒空の下で、ボロボロの木造部屋で、パンクについて語らう。まったくロマンチックではない。漫画『 CUFFS ~傷だらけの地図~ 』で、主人公とヒロインが夜空の下でB級アクション映画についてこんこんと語り合うシークエンスがあったが、ロマンチックさのかけらもないシーンこそロマンチックに見えるものである。キス、あるいはセックスをする直前が最も盛り上がるという一昔前の少女漫画的な描写になっていないところもいい。なにしろ、エンはザンに吐しゃ物をぶっかけられるからである。ザンはある意味で英国版『 猟奇的な彼女 』なのである。このように、エンという何者にもなれていない少年が、ザンと知り合って男に脱皮していく過程には、実にほほえましいものがある。だが、そのほほえましさが胸に刺さるシーンも見逃せない。決められたルールに反逆すること、それがパンク・ロックの精神であるが、母親に反発し、逃げた父親を今でも尊敬するエンに、ザンの何気ない一言が突き刺さるシーンは強烈である。少年はこのように大人になっていく。精神的な意味での父親殺しこそ、西洋文学の一大テーマなのである。

 

悲劇だなと感じられるのは、タイムリミット。恋とは障害があればあるほど激しく燃え上がるものだが、48時間という時間の制約はいかんともしがたい。『 はじまりのうた 』や『 ベイビー・ドライバー  』でも用いられた、一つのイヤホンやヘッドセットを二人でシェアするという演出は本作でも健在。実際にDVDのジャケットにも使われている。これがすべてだろう。 限られた時間では、時に言葉は無力である。B’zの『 Calling 』の歌詞にある通り“言葉よりはやく分かり合える”のが、音楽を通じて時に可能になる。こうした直感的な交信とでも言うべき現象は古典映画『 未知との遭遇 』から小説『 鳥類学者のファンタジア 』まで、古今東西に共通のようである。こんなに深く分かり合えるのに、交わることができない。何と切ないことであろうか。もう一つの悲劇的要素はザンの種族のある習性。ニール・ゲイマンは冨樫義博の漫画『 レベルE 』を読んでいたのかと勘ぐってしまう。現実的に考えれば、大人は子どもを食い物にするなというメッセージなのだろうが。

 

エル・ファニングは安定の演技力と存在感で不思議ちゃんを好演。本作でのパンクでロックなインプロビゼーションは『 ティーンスピリット 』の歌唱シーンを全て吹っ飛ばすような迫力とエモーションに満ち満ちている。また、川面を行くカモの群れがちょうど良いタイミングで現れガーガー鳴いているのを指して“What are they saying?”と言ったのはアドリブっぽく感じられた。もしも本当にアドリブなら大したもの。計算ずくのショットなら、ジョン・キャメロン・ミッチェル監督の会心の絵作りだろう。ザンの放つ「あなたのウイルスになりたい」との一節が、今という時期だからこそ、いっそう強烈に響いてくる。恋愛経験のない、あるいは好きな人と付き合った経験のない男女は、本作のラストにエンの親友のヴィックがくれるアドバイスにしっかりと耳を傾けよう。『 ハナレイ・ベイ 』のサチのアドバイスと双璧を成す金言である。

 

ネガティブ・サイド

随所にどこかで見た何かが満載である。PTステラを最初に目にした瞬間、『 怪獣総進撃 』のキラアク星人または『 三大怪獣 地球最大の決戦 』の金星人の女王様かと思った。ゴジラはグローバル・アイコンなので、ミッチェル監督が観ていたとしても何の不思議もないが、もうちょっと捻るというか、工夫が欲しかった。あとは『 アンダー・ザ・スキン 』的な演出かな。これも気になった。ストーリーをシュールなSFにしたいのか、ボーイにとってのガールとは、別の星からやって来たエイリアンのようなものという実感を絵にしたかったのかが、少々分かりにくかった。

 

難点のもう一つは、ニコール・キッドマンとエル・ファニングの英語か。これでバリバリのロンドナーで御座い、というのは無理がある。頑張って似せようとしているのは分かるが、『 ブレス しあわせの呼吸 』のアンドリュー・ガーフィールドにも及んでいない。アメリカ・イギリス合作だが、イギリス単独資本で作るべきだった。その方がリアリティも生まれたし、何よりも本作の横軸であるエンとザンの恋愛関係と対照をなす縦軸、つまり様々な親子関係に、もう一本の線が通ったと思うのだ。そこが惜しい。

 

総評

 

普通に面白い。パンクの何たるかをよくわからなくても、「そいつはロックだな」、「そんなのはロックじゃねえ!」みたいなノリが分かれば十分である。性別云々を言うのは野暮だしpolitically correctでもない。しかし、本作はぜひ中学生・高校生あたりの男子に観てほしい。女の子ってのは別の生き物に思える時があるが、それは本当にそうだからだ。話しかける時はプレイボーイぶらなくていい。王子様である必要もない。日本映画界が安易に量産する漫画原作の恋愛映画だけではなく、こういう映画も時々は観てほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Rise up

Jovianの属する業界にも、ちょっと前にやってきた会社の名前である(スペルは違うが)。「立ち上がれ」の意味であるが、get upやstand upと何が違うのか。get up = 寝ている状態から起き上がる、stand up = 座っている状態から立ち上がる、である。rise up の意味する「立ち上がる」は“立ち上がれ、立ち上がれ、立ち上がれ、ガンダム”ということである。意味が分からないという人は、周りの40歳以上の男性に尋ねてみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, アレックス・シャープ, イギリス, エル・ファニング, ニコール・キッドマン, ロマンス, 監督:ジョン・キャメロン・ミッチェル, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 パーティで女の子に話しかけるには 』 -変則的かつ王道なボーイ・ミーツ・ガール-

『 スプリング・ブレイカーズ 』 -Nothing Lasts Forever-

Posted on 2020年4月28日 by cool-jupiter

スプリング・ブレイカーズ 50点
2020年4月27日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジェームズ・フランコ セレーナ・ゴメス ヴァネッサ・ハジェンズ アシュリー・ベンソン レイチェル・コリン
監督:ハーモニー・コリン

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『 アジョシ 』のあまりにも重い余韻を中和しようとアニメの『 11人いる! 』を鑑賞したが、効果は薄かった。こういう時は脳みそを使わずに済む作品を観るべし。というわけで近所のTSUTAYAで観た瞬間に「これだ!」と確信した。

 

あらすじ

 

大学生のフェイス(セレーナ・ゴメス)、キャンディ(ヴァネッサ・ハジェンズ)、ブリット(アシュリー・ベンソン)、コティ(レイチェル・コリン)の4人組は春休み=スプリング・ブレイクにフロリダ旅行に出かけようと計画する。勢いで行った強盗で思いがけぬ大金を手にした4人だが、当然警察に見つかる。彼女らは窮地を麻薬の売人のエイリアン(ジェームズ・フランコ)に救われて・・・

 

ポジティブ・サイド

本作のような作品は何をもってポジティブと見なすかが難しい。開始5分はビーチで乱痴気騒ぎに興じる若い男女(ポロリやモロ出しもあるよ!)にありふれたBGM。次の3分は大学の授業中に猥談する女子大生、次の25分は途中に強盗行為も挟みつつ、基本的には水着、おっぱい、酒、たばこ、ドラッグ、直接的な描写こそないものの乱交である。30分画面をながめていて、ずっと水着、おっぱい、酒、たばこ、ドラッグの描写しかない。なんという金太郎飴的な作りか。だが、自ら望んでこういう映画を借りたのだ。アシュリー・ベンソンらの健康的な水着姿やトップレス姿を楽しもうではないか。

 

最も目についたのは麻薬の売人のジェームズ・フランコの怪演。銀歯をぎらつかせながら放蕩生活を送るポン引き的な外見で、札束とドラッグと銃火器をたんまり溜め込んだ謎の男で、しゃべり方がまさに南部のストリート育ちという感ありあり。さらに日本で例えるなら、シンナーのやりすぎで前歯と前歯の隙間がすっかすかに空いた人間が、空気を漏らしながら喋っている感じ。怖い。そしてキモイ。逆フェラをかます様子は、単純に滑稽で、それでいて剣呑だ。笑顔が特に不気味で、『 スパイダーマン 』シリーズのハリー役の頃の若々しさや、能天気と言えるほどの無邪気さはまったくない。極端な役はある意味で演じやすいとはいえ、これはイメージが変わりすぎ。フランコの顔や雰囲気が好きというライトなファンは、本作は敬遠した方が良いかもしれない。

 

アホな女子大生たちの刹那的な歓楽の享受がテーマであるように見るが、さにあらず。ブレイカーズの面々は必ずしも皆が同じというわけでなない。信心深い者もいれば、用心深い者もいる。一方で今しか見えていないように見えるお馬鹿女子も、旅先のフロリダから家族に連絡を入れ、春休み明けには学業に本腰を入れると真面目な顔で宣言する。そしてそれは嘘ではない。もしもその場しのぎの嘘ならば、電話を切った直後に仲間と一緒に大笑いするだろうからだ。そんなシーンはなかったし、彼女ブレイカーズは反応の仕方こそ違えど、青春の終わりを予感している。日本でも成人式の日に酒をがぶ飲みしたり、喧嘩したり、周囲に迷惑をかけて「こんなことができるのも今日が最後っすから!」みたいな連中が昔も今も存在している。本当は成人式は「こんなことができなくなる最初の日」だ。青春との別れを従容と受け入れる者もいれば、その別れから全力で走り去ろうとする者もいる。あまりにも紋切り型で金太郎飴のような作りの前半の描写の意味が、最後の最後で明らかになる。Spring Break Forever! 本作を日本版に換骨奪胎したのが『 チワワちゃん 』であろう。

 

ネガティブ・サイド

事件らしい事件が起きて、ドラマが動き出すまで1時間かかる。展開が恐ろしいほどにスローである。もちろん、全ては意図があっての構成なのだろうが、レンタルやストリーミングで自宅でこれを見るとなると、普通に寝てしまう人が続出するだろう。というか、映画館でも寝てしまうのでは?

 

ブレイカーズの面々の退屈なキャンパスライフや、満たされないセックスライフを描くシーンがあれば、フロリダの解放感やパリピな人々との交流の楽しさがもっと伝わったのでは?また、フェイスやコティがグレイハウンド・バスでフロリダを去って家路に着く流れは、もう少し尺を取っても良かった。明らかに南国な植物が繁茂するエリアから、だんだんと無機質な背景に変わっていく様をバスの車窓を通じて見せれば、フロリダから物理的に離れていくことが、若さとの精神的な決別になるというシネマティックな表現になっただろうにと思う。

 

J・フランコ演じるエイリアンは実に味のあるキャラクターだが、『 スカーフェイス 』を常時再生しているというのは、演出的に外れている。アル・パチーノの壮絶な生き様と死に様をリスペクトしているなら、同じように壮絶に生き、壮絶に死んでいってほしい。生き方そのものが軽佻浮薄なのは良いとしても、死に方がちょっと・・・ 若気の無分別を象徴するキャラクターで、だからこそキャンディとブリットは、イエスを裏切った直後のユダよろしく、エイリアンにキスをするのだろう。エイリアンの生き方をもっとギャングスターらしくするか、死に様をもっとドラマチックにするか。さもなくば『 スカーフェイス 』に言及するくだりを丸ごと削除すべきだろう。

 

総評

思いがけず深いテーマが潜んでいるが、単純にパリピな若者たちがワーワーキャーキャーやっていて、ところどころにセクシーな姿態が見られるというBGVとしても観ることができる。というか、そういう作品を自分でチョイスしたんだった。20歳前後ならば、感情移入できるかもしれないが、中年が鑑賞すると「自分にもこんな時期があったな」と懐かしく振り返るか、「自分にはこんな時期はなかった」と恨めしくなってしまうかのどちらかだろう。ある意味、空っぽな青春だったか充実した青春だったかを確認するためのリトマス試験紙のような映画である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Nothing lasts forever.

劇中の台詞でないが、まさに青春時代は永遠には続かない。Nothing lasts forever. は直訳すれば「永遠に続くものは何もない」、意訳ならば「どんなものでもいつかは終わる」ということである。楽しい青春時代も、現在のようなコロナ禍も、何事もいつかは終わりを迎えるものなのである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アシュリー・ベンソン, アメリカ, ヴァネッサ・ハジェンズ, クライムドラマ, ジェームズ・フランコ, セレーナ・ゴメス, レイチェル・コリン, 監督:ハーモニー・コリン, 配給会社:トランスフォーマーLeave a Comment on 『 スプリング・ブレイカーズ 』 -Nothing Lasts Forever-

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  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に cool-jupiter より
  • 『 キングダム2 遥かなる大地へ 』 -もう少しストーリーに一貫性を- に イワイリツコ より

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