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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: アメリカ

『 オズの魔法使 』 -20世紀の最高傑作-

Posted on 2020年6月12日2020年8月16日 by cool-jupiter
『 オズの魔法使 』 -20世紀の最高傑作-

オズの魔法使 100点
2020年6月9日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:ジュディ・ガーランド
監督:ビクター・フレミング

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200612005142j:plain
 

『 ジュディ 虹の彼方に 』が公開されてからわずか3か月。まさか本作を映画館で観ることができる日が来るとは。コロナに感謝・・・とは口が裂けても言えないが、それでも1990年代にアメリカで『 スター・ウォーズ 』のオリジナル三部作(リマスター版)が劇場でリバイバル上映された時は、多くのファンが熱狂したのだろう。平日の朝だったためか、Jovian以外は女子大生二人組とおじさん一人、おばさん一人しか見当たらなかった。それでもTOHOシネマズには感謝しかない。

 

あらすじ

カンザスに暮らすドロシー(ジュディ・ガーランド)は、虹の向こうにより良い世界があることを夢想していた。ある日、竜巻がカンザスを襲う。風で飛ばされた窓で頭を打ったドロシーは、気が付くと魔法の国オズに飛ばされていた。そして、ドロシーの家は西の悪い魔女を下敷きにしていた・・・

 

ポジティブ・サイド

陳腐な感想であるが、ジュディ・ガーランドが歌う“Over the Rainbow”が素晴らしい。フィルムそのものがまだまだ貴重な時代、ロングのワン・カットで一気に歌い上げる。そして歌い終わった直後、すぐそばでたたずむトトにキスをする。これは監督の意図した演出なのか、それともジュディ・ガーランド自身の自発的な演技なのか。ここではないどこかを夢想した少女が、家族ではなく犬によって現実に引き留められた瞬間である。このシーンがあるからこそ、“There is no place like home.”と祈るシーンが際立つ。

 

そのトトの演技も堂に入ったものである。犬の演技としては『 野性の呼び声 』などは問題にならない(というか、あちらは人間が演じている)。『 パターソン 』のネリーと互角だろうか。籠から飛び出すシーン、窓からドロシーの部屋に飛び込んでくるシーン、魔女に向かってキャインと吠えるシーン、全てが絵になる犬である。

 

ドロシーを出迎えるのがマンチキンというのもいい。言ってみればミゼットの町なのだが、『 ウィロー 』と同じく、現実的な非現実さを生み出すとともに、社会のdiversityとinclusivenessへの遠回しな批判にもなっている。元々のミス・ガルチもカンザスの大地主で土地の者に対して横暴に振る舞っていたことが伺い知れるが、西の悪い魔女もマンチキンを搾取していたことは想像に難くない。そういう見方が原作小説の発表から100年が過ぎた今も出来るのだ。

 

ミュージカルとしても特級品である。特に“We’re off to see the wizard”のシークエンスは、役者の演技と楽曲のリズムとクオリティが高いレベルで融合している。ドロシーの10代少女の躍動感のあるステップ、かかしのふにゃふにゃなステップ、ブリキ男のカクカクとしたステップ、臆病なライオンのネコ科を思わせる意外としなやかな足さばきから生まれるステップをYouTubeで観よ。ジュディ・ガーランドは赤いハイヒールで華麗なステップを踏んでいる!その他のキャストのダンスも見事。先日、『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』でカイロ・レン/ベン・ソロを卒業したアダム・ドライバーがコレオグラファーとの議論で「カイロ・レンはそんな動きはしない」とこだわりを見せたと言われている。演技者として絶賛されているアダム・ドライバーのこだわりを100年近く前の役者たちが持っていた、あるいは監督のフレミングがしっかりとそう映るように演出したということに畏敬の念を抱く。

 

“If I only had a brain”、“If I only had a heart”、“If I only had the nerve”の3曲のインパクトも強烈である。特にかかしとブリキ男のダンスは幼少の頃に何度も観ては一緒に踊っていたように記憶している。そして、ブリキ男の左右に体をグイーンと傾けて、倒れそうだけれど倒れないという演出は、マイケル・ジャクソンのゼロ・グラビティとして80年代に蘇った。そう、ちょうどマイケル・ジャクソンが音楽と映像をパーフェクトに結び付けた新時代である。MJのゼロ・グラビティのインスピレーションは、本作にあったと言われている。それだけ象徴的な映画なのである。

 

色々と記憶に残るシーンが多い本作だが、最も強烈な印象を残しているのは、やはり悪い西の魔女だ。緑の肌に漆黒の衣装、神出鬼没で炎とともに現れ煙とともに消えていく。そしてほうきに乗って、ブルーインパルスもかくやのcontrailを引いていく。その笑い声と笑い方はジャバ・ザ・ハットのペット、コワキアン・モンキーに受け継がれている。多くの兵士(『 スター・ウォーズ 』でルークやハン・ソロ、チューバッカがトゥルーパーに変装するネタ元も本作だ、間違いない)を従えながらも、しかし死亡するや否や、その部下たちはドロシーたちに感謝の念をもってひざまずく。これもまた当時の資本家と小作人の関係を戯画化し、さらに批判しているシーンである。こうした社会的なメッセージがそこかしこにあるのだ。また魔女の弱点が水というのもいい。M・ナイト・シャマランの『 サイン 』も、本作にインスパイアされたのではないのかと勝手に想像している。また、久々に“Over the Rainbow”とセットで本作を観て、Trouble melts like lemon dropsという歌詞に魔女の死に様が暗示されていることに気づいた。なるほど。

 

大道具や小道具、美術も良い仕事をしている。かかしやライオン、ブリキ男の衣装や顔のメイクアップにはケチのつけようがないし、マンチキンの国の建物や道は今見ても張りぼてには見えない。遠景が描かれた絵は、当時の遠近法と風景描写技術の粋だろう。ドロシーのパーティーが遠くに歩いていくたびに“We’re off to see the wizard”が歌われるが、その歌の切れ目と一行がカーブを曲がっていく、あるいは坂道を下っていくのが見事にシンクロしていて、なおかつ遠近法を壊さないギリギリのラインにもなっている。それらを完璧に収めたカメラワークも見事の一語に尽きる。

 

本作と全く同じテーマを異なるアプローチで追求したのがメーテルリンクの『 青い鳥 』だろう。結局、現代の作品から古典に至るまで、本作が及ぼした影響はあまりにも巨大で不滅である。職場の50代のイングランド人に最近尋ねたことがある。「Rod Stewartの“Sailing”は、本当にRod自身が言うように英国では第二の国歌のようなものなのか?」と。曰はく、「俺より上の世代ではそうだろう」と。同じように20代と30代のアメリカ人にも尋ねてみたことがある。「“Over the Rainbow”は第二のアメリカ国歌か?」と。答えは二人とも「然り」であった。

 

オズの国が現実なのか幻想なのか、それはどちらでもよい。いかようにも解釈可能なところが素晴らしいのである。ただ、ドロシーがマンチキンやグリンダらと話す時には使わず、かかし、ブリキ男、ライオンと話す時には使う特定の語彙がある。そこに注目すれば、オズの国の正体が見えてくる。これまでに何度も鑑賞しているのに気付かなかった。鑑賞するたびにこうした発見をもたらしてくれるのも、本作が名作たるゆえんである。

 

ネガティブ・サイド

無い。いや、無いことはないのだが、画質や音質にケチをつけても意味はない。

 

総評

20世紀の最高傑作と勝手に断言する。エンターテインメント性と社会的なメッセージの両方を併せ持っている。そのどちらにおいても、現代に通じる。むしろ、普遍性を持つと言うべきか。小学生ぐらいの子どもを持つ親は、ぜひ我が子に見せてあげてほしい。高校生や大学生のカップルは、ぜひ劇場で鑑賞してみてほしい。オールド映画ファンもこれを機に劇場へGo! だ。暗転した劇場で白黒~セピアなカンザスが、彩り鮮やかなオズの国に切り替わるシーンの感動は、劇場でこそ体験すべきである。そして、極上の歌と踊りと語りを大画面で心ゆくまで堪能しようではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

courage

ライオンが欲しがる勇気である。英会話講師としてよく受ける質問の一つに「courageとbraveryはどう違うんですか?」というものがった。「courage bravery differenceでググってください」と言いたかったが、そこはグッとこらえて、受講生の中から答えを引っ張り出さねばならない。それこがex(外へ)+duco(導く)=educateである。Enjoy = 楽しむ、enlarge = 拡大する、encourage = 勇気を与える、ここまで引き出せれば、courageとは、振り絞る勇気であると分かる。一方でbraveryは元々備えている勇気である。良い教師ほど教えないものである。

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 1930年代, SS Rank, アメリカ, ジュディ・ガーランド, ファンタジー, ミュージカル, 監督:ビクター・フレミング, 配給会社:MGM映画会社Leave a Comment on 『 オズの魔法使 』 -20世紀の最高傑作-

『 ルース・エドガー 』 -多面的な上質サスペンス-

Posted on 2020年6月10日2022年3月7日 by cool-jupiter

ルース・エドガー 70点
2020年6月7日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ケルビン・ハリソン・Jr ナオミ・ワッツ オクタビア・スペンサー
監督:ジュリアス・オナー

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“Black Lives Matter”の抗議運動は止まりそうもない。もちろん、良い意味で止まってほしいと切に願う。『 ハリエット 』で描かれた「地下鉄道」が黒人と白人の両方によって運営されていたように、差別する側が廃止する運動を起こさないことには、問題は解決しない。そしてかの国の白人大統領は市民に銃口を向けることを厭わぬ姿勢を鮮明に打ち出している。そんな中、アメリカからまたも秀作が送り出されてきた。

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あらすじ

ルース(ケルビン・ハリソン・Jr)は裕福な白人家庭に養子として育った優等生。だが、高校教師のハリエット・ウィルソン(オクタビア・スペンサー)はルースの書いたあるレポートをきっかけに彼の心の闇を嗅ぎつけて・・・

 

ポジティブ・サイド

物語の振り子があっちこっちにすごい勢いで振れていく。白人vs黒人というような紋切り型の対立軸はここにはない。あるのはできる黒人と落ちこぼれの黒人の対立軸、白人とアジア系の対立軸、血のつながった家族と養子縁組をした家族、とにかくそこかしこに火種・・・と言っては大げさだが、人間関係を緊張させる要素が潜んでいる。そうした人間関係の中心に位置するのがルースであり、彼の言動は学校や家庭といった水面に良い意味でも悪い意味でも常に波紋を呼ぶ。この見せ方は上手い。巧みである。日本の少女漫画を映画化した作品でも、完璧超人な男子キャラが学校の外ではトラブルや心の闇を抱えていることが多い。だが本作のルースは、その闇の深さや濃さを容易に周囲の家族や教師に悟らせない。いや、映画を観る者すらもある意味では彼に翻弄される。いったいルースは善量なのか、それとも悪辣なのか。彼が善だとすれば、様々な対立軸の総てにおいて善なのか。そうした観る側の疑問がそのまま劇中でサスペンスを盛り上げる。

 

見た瞬間に分かることだが、主人公ルースは黒人、両親は白人。ああ、養子なのか、ということがすぐに察せられるが、interracial marriageやinterracial relationshipsという言葉が存在するように、人種と人種の間には越えがたい壁、埋めがたい溝がある。そして戦争・紛争の絶えない地域で幼少期を過ごしたルースが、アメリカという“一見すると平和な国”に順応するのはたやすくなかったであろうことも容易に想像がつく。Jovianは両親に「子育てに見返りなんかないで。親からしたら、子どもが一人で歩いたり、言葉をしゃべったりしただけで満足や」と言われたことがある。このあたりが血のつながりと養子の差、違いなのかと少しだけ思う。無償の愛を注ぐ母エイミーと父ピーターが、実子ではないルースに対して疑念を生じさせていく過程には、胸が締め付けられるような悲しみと、怒りの感情が呼び起こされるような身勝手さの両方がある。両親、特に母エイミーの視点からルースの行動を見ると、思い通りにならない我が子への苛立ちの気持ちが、血がつながっていないからこそ増幅される、だからこそエイミーはそれを必死で抑え込もうとする、という二重の苦悩が見えてくる。いやはや、なんとも疲れる映画体験である。

 

だが最も我々を披露させるのはオクタビア・スペンサー演じるハリエットである。彼女自身、黒人として様々な経験を経て教師という職業に身を捧げている。同じ教育に携わる者としてJovianはハリエットの善意が理解できる。黒人にはそもそもチャンスがあまり巡ってこない。だからこそ、そのチャンスを確実につかめそうなルースをさらに引き上げるために、劣等生の黒人生徒を排除した。ハリエットはそれを善意で行っている。Jovianは映画を鑑賞しながら、岡村隆史の「コロナ後の風俗を楽しみにしよう」という旨の発言、そしてその発言の擁護者たちを思い起こしていた。「岡村は女性を貶めたのではなく、一部の人間を励まそうとしていた」という論理である。ちょっと待て。善意に基づいた言動なら、その結果が苦痛をもたらしても正当化されるというのか?これではまるで戦前の大東亜共栄圏建設のスローガンと同じではないか。そしてこのようなエクストリームな論理がある程度幅を利かせているところに、戦後75年にして、日本がいまだに“戦争”を総括できないという貧弱な歴史観しか持たないことを間接的に証明している。

 

Back to track. 教師たるハリエットの誤りは明白である。だがそのハリエットが、自身だけではなく身内に苛まれていることを、とてつもなくショッキングな方法で我々は見せつけられる。ハリエットの教育方法は本当に誤りなのか、ハリエットが一部の生徒に厳しく接することは彼女の罪なのか、と我々は自問せざるを得なくなる。

 

最終盤のルースの行動によって、我々は彼の本当の姿はこうだったのか!と、これまたショッキングな方法で見せつけられる。だが、ラストのラストで彼が取る行動、そして見せる表情には『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』のように自分から逃げようとしているかのようである。だが、彼が逃げようとしている自分とは誰か?善良な優等生ルースなのか、それとも狡知に長けた怪物なのか。その解釈は観る者に委ねられているのだろう。

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ネガティブ・サイド

D-runnerの正体が明かされない。かなり高い確率でデショーンなのだろうと思われるが、もう少しD-runnerがいったい誰なのかを示唆してくれる描写が欲しかったところ。この文字面だけでは drug-runnerに思えてしまい、かなり剣呑である。そういう効果を狙ってのことだろうが。

 

ステファニー・キムというキャラクターは素晴らしかったし、演じた役者も見事の一語に尽きる。だが、彼女にこそルース並みの演出を求めるべきではなかったか。本作は視点によって、また対立軸のこちらかあちらかで善と悪がころころと入れ替わる。そのことにキャラクターだけではなく観る側も振り回される。だが、ステファニー・キムのようなキャラクターこそ、劇中登場人物は振り回されるが、観ている我々は「ははーん、こいつは本当はこうだな」と思わせる、あるいはその逆で、登場人物たちは一切振り回されないが、観ているこちらはステファニーの本性、立ち位置について考えが千々に乱れてまとめようにもまとめられない、そんな工夫や演出があってしかるべきだったと思う。

 

本作は珍しく校長が無能である。いや、『 ワンダー 君は太陽 』や『 ミーン・ガールズ 』でも分かるように、アメリカの校長というのは有能、または威厳の持ち主でないと務まらない。なぜこの人物がこの学校で校長をやっているのか、そこが腑に落ちなかった。

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総評

秀逸なサスペンスである。現代アメリカ社会の問題がこの一本に凝縮されている。こうした作品を鑑賞することは、現代日本人にとって決して無駄なことではない。日本の小学校では両親の片方が日本人、もう片方がフィリピン人、ブラジル人、イラン人という生徒が増加傾向にある。そのこと自体の是々非々は問わない。しかし確実に言えることは、いずれそうしたinterracialな出自の子たちの中から超優等生が生まれてくる、ということである。日本の学校、そして社会・国家はそうした子をどう受容するのか。本作は一種の教材であり、未来のシミュレーションでもある。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

keep ~ in the loop

常に~を情報共有の輪に入れておく、のような意味である。作中では母エイミーが息子ルースに「私たち、最近keep each other in the loopができてなかったでしょ」と言っていた。日常生活で使っても良いが、どちらかというとビジネスの場で使うことが多いように思う。単にin the loopという形でも使われることが多い。実際にJovianの職場でもイングランド人が“Why am I not in the loop?”と立腹する事案が先日発生した。同僚や家族、友人とはkeep each other in the loopを心がけようではないか。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, オクタビア・スペンサー, ケルビン・ハリソン・Jr., サスペンス, ナオミ・ワッツ, 監督:ジュリアス・オナー, 配給会社:キノフィルムズ, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 ルース・エドガー 』 -多面的な上質サスペンス-

『 デッド・ドント・ダイ 』 -Old habits die hard.-

Posted on 2020年6月9日2021年1月21日 by cool-jupiter

デッド・ドント・ダイ 60点
2020年6月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ビル・マーレイ アダム・ドライバー セレーナ・ゴメス
監督:ジム・ジャームッシュ

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監督がジャームッシュでメインキャストにアダム・ドライバーがいる。それだけで劇場鑑賞する理由としては十分である。傑作『 パターソン 』のクオリティは期待してはいけない。それでも、なんらかのゾンビ映画の新味を期待するのは罪ではないだろう。

 

あらすじ

地球の極でアメリカ政府は水圧破砕工事を行った。その結果、地球の自転軸に狂いが生じ、日照時間が異様に長くなり、あるいは夜が明けなくなってしまった。そして月は邪悪な波動を放つようになった。その結果、死者がゾンビとして蘇るようになった。田舎町センターヴィル警察署所長ロバートソン(ビル・マーレイ)とピーターソン巡査(アダム・ドライバー)たちは、町を救うことができるのか・・・

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ポジティブ・サイド

ゾンビの発生を天文学的なスケールで説明しようとしたのは珍しい。あったとしても隕石と共に未知の病原体がやってきて・・・というような『 ブロブ/宇宙からの不明物体 』や『 遊星からの物体X 』(ナード男の店にわざとらしく飾られているところにニヤリ)的なものではない。地球の自転軸が狂ってしまうという、ある意味で『 ザ・コア 』的なもの。これによって不自然に昼が長くなり、また夜が明けなくなり、そして逢魔が時がずっと続いてしまうという不思議な世界観が成立した。このアイデアはなかなか面白い。同時に時計が止まったり、スマホの充電がいきなり切れたりと、不吉な予感を煽るのも上手い。

 

あちこちに先行ゾンビ映画へのオマージュがある。『 ゾンビーノ 』でも“Old habits die hard.”=昔からの癖はなかなか改まらない、と言われていたように、本作のゾンビは生前に好きだったものにどうしようもなく惹かれてしまう。その対象はコーヒーであったり、ファッションであったり、片思いの相手だったりと様々だ。これも『 ナイト・オブ・ザ・リビングデッド 』へのオマージュだろう。スモンビなる言葉が生まれて久しい。日本ではそれほど人口に膾炙していないが、歩きスマホが大問題になっている国々では結構使われているようだ。ゾンビが生者だった頃の属性を継承するのがこれまでのゾンビ映画の文法だったが、本作は生者にゾンビそのものを投影している。生きていても死んでいても変わらないではないか、と。深く考えることなく、目の前の自分の好物だけに集中する。それはおそらく現代人に最も目立つ特徴だろう。ジャームッシュ流の批判である。

 

パトカーで町を見回るビル・マーレイとアダム・ドライバーのコンビの掛け合いが面白い。天変地異のただ中にありながら、どこか日常を思わせる。そのアンバランスさが本作をドラマとコメディのどちらかに偏り過ぎないようにしている。ゲームの『 バイオハザード 』のごとき世界がアベニューに現出するなか、パトカーで町を見回る3人組の掛け合いも楽しい。一人は恐怖に駆られ、一人は勇気と不安のはざまで揺れ動き、一人は物語の結末を確信している。そう、この物語では特定の人間は地球に不要であると判断されているようなのだ。ジャームッシュの意図は別にあるのだろうが、COVID-19によって浮かび上がってきた「ソーシャル・ディスタンス」なる概念、そして中国の空が晴れ渡ったり、インドのガンジス川の水が澄んだりと、人間がコロナ禍と呼んでいる現象が地球にとってはどうなのかというパラダイム・シフトが起きつつある。そうした現実を背景に本作を観た時、監督の意図とは異なるメッセージを観る側は受け取ることだろう。本作では森に暮らす世捨て人のボブが小説『 白鯨 』を拾うこと。そして、COVID-19の死者が欧米で異様に多く、アジアで異様に少ないこと。この二つをくっつけて考えてみよう。そうすれば、本作はコメディではなく、ブラック・コメディへと鮮やかに変身する。

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ネガティブ・サイド

ティルダ・スウィントン演じるゼルダというキャラクターは不要だと感じた。もしくは、もっとキャラを改変するか、あるいはダイレクトに『 キル・ビル 』のユマ・サーマンを模してしまえば良かったのではないか。名前がゼルダで見た目がエルフ、それが長剣を振るうとなると、どうしたってゲーム『 ゼルダの伝説 』のリンクを想起せざるを得ない。オマージュをささげるなら、ゲームのキャラではなく映画のキャラにしてほしい。

 

そのスウィントン演じるゼルダの裏設定にも( ゚Д゚)ハァ?である。これではまるで『 アンダー・ザ・スキン 種の捕食 』のパクリに近い。というか、これではオマージュとは呼べないだろう。さらに『 未知との遭遇 』もそこに混じる(要素は反対だが、造形がそっくり)となると、これも萎えてしまう。どうせスター・ウォーズネタを込めているのだから、アダム・ドライバーに持たせる刃物もダンビラではなくライトセイバー・・・ではなく竹刀のような形の剣にすればよかったのにと思う。映画に込めるメッセージばかりに神経が行ってしまい、小道具や美術がおろそかになってしまっていたか。

 

セレーナ・ゴメスの扱い方が雑というか、妙なキラキラマークは要らない。カメラワークや演出で見せてこそだろう。『 スプリング・ブレイカーズ 』のように、セレーナ・ゴメス(やその他のキャスト)をカメラワークと照明、衣装、メイクで充分に輝かせることが出来たはずだ。これだけキャスティングにカネを使っているのだから、裏方にカネを回せない、もしくは手間暇かけてディレクションできないというのは本末転倒ではないか。

 

総評

映画館がついに本格始動をし始めた。しかし、どこも座席間を開けている。おかげでJovianも嫁さんと離れ離れで鑑賞している。だが、そうした時こそ思弁的なメッセージを含む映画をじっくりと鑑賞するチャンスとは言えまいか。その意味では、本作は徐々にwithコロナに移行しつつあり、なおかつ第二波の襲来に備えつつある今こそ、じっくりと鑑賞すべき価値を持っていると言える。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Oh boy

「少年よ!」という意味ではない。もちろん文脈によってはそういう意味を帯びるだろうが、これは「あれまあ」や「おやおや」や「うわー」や「ひえー」のような意味もある。つまりは感嘆詞である。Boy単独で使うことも多いが、その場合は、I played tennis yesterday. Boy, am I sore today. = 機能テニスをしたんですが、いやはや今日は筋肉痛ですよ、という具合に倒置が起こる。自分で使いこなせる必要はないが、聞いた時に分かるようにしておくと吉。“Oh boy”という感嘆詞は、セサミストリートのエルモがしょっちゅう口にしている。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, スウェーデン, セレーナ・ゴメス, ビル・マーレイ, ブラック・コメディ, 監督:ジム・ジャームッシュ, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 デッド・ドント・ダイ 』 -Old habits die hard.-

『 ハリエット 』 -英傑を神格化しすぎたか-

Posted on 2020年6月7日2021年1月21日 by cool-jupiter

ハリエット 65点
2020年6月6日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:シンシア・エリヴォ ジャネール・モネイ
監督:ケイシー・レモンズ

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これまでにも『 グリーンブック 』や『 アメリア 永遠の翼 』、『 2019年総括と2020年展望 』など、当ブログでもハリエット・タブマンについては何度か触れてきた。その映画がついに公開である。極端な話、Jovianはコロナ禍の今年はこれと『 ゴジラVSコング 』だけで良いとすら思っていたほどである。Don’t get your hopes up …

 

あらすじ

アラミンタ・ロス(シンシア・エリヴォ)は、メリーランド州で奴隷として過酷な労働に従事させられていた。ある時、さらに過酷な南部へ売り出されることになったミンティはブローダス家から逃げ出し、自由のある北部を目指す。無事に逃げ切ったミンティは、名をハリエットに変え、南部奴隷の解放に尽力するようになり・・・

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ポジティブ・サイド

Jovianは英会話講師(現在はトレイナー業務がメインになっている)で、特にTOEFL iBTを担当することが多かった。なのでアメリカ近現代史はそれなりに勉強せざるを得なかったし、その中で最も多く名前が出てくる人物というのはユリシーズ・グラント、ジョージ・ワシントン、ハリエット・タブマン、ジョン・ミューアあたりだろうか。トレイラーでシンシア・エリヴォを見た時、キャスティングの正しさを直感した。そして実際に本編を観て、キャスティングの正しさを確認できた。シンシア・エリヴォは、演技力だけではなく歌唱力と存在感でハリエット・タブマンという立志伝中の英傑をスクリーン上に現出せしめた。特に印象的だったのは「決めつけないで!」と一喝するシーン。女性だとか黒人だとかの前に、人間としての尊厳を問う、非常に鋭い演出だったと感じた。

 

公開のタイミングが良いのか悪いのか分からないが、警察官によるジョージ・フロイド氏の殺害事件、それに対する抗議(暴動は除く。あの大多数はよその土地から来た火事場泥棒であることが判明している)が静かな内戦状態(英語ではThe Civil War = 内戦 ≒ 南北戦争)になっているところを見れば、黒人差別問題の根深さがどこまで遡れるかが分かるだろう。そうした奴隷たちが歌うバラードが一種の暗号として働くところは、史実を知る者としてニヤリとさせられた。同時に、作業の手を止めると容赦なく暴力を振るわれる労働環境にも慄然とさせられた。自分がテキストや問題集、ネット上のpassageで知っていたハリエット・タブマンとその時代が、情報ではなく、現実として迫ってきたからだ。

 

ハリエットの女モーゼとしての活躍は目覚ましい。Jovianの知識では彼女は北部のフィラデルフィアに脱出後に19回南部へ旅立ち、合計で200~300人(一説には800人とも)の脱出を助けたとも言われているが、本作は70人という数字を呈示した。それもリアリスティックな数字だろう。徒歩で、集団で、馬と犬と銃で追ってくる相手から数日~数十日を逃げ切るというのがどれほど大変なことか。そうした逃走劇の難しさも本作は描いている。

 

当然ながら、歌や音楽も素晴らしい。特にTheme Songである“Stand up”は、『 キャッツ 』の主題歌“Beautiful Ghosts”に勝るとも劣らない哀切さと希望への確信をもって歌われているし、サム・クックの“A change is gonna come”とボブ・マーレーの“Redemption Song”のように聞く者にインスピレーションを与えてくれもする。これもまたシンシア・エリヴォの起用が正解たる理由である。

 

それにしても日本の映画レビューサイトや評論家は、ハリエット・タブマンを指して「紙幣に載るのは黒人女性として初」のような御幣のある表現、あるいは自分自身が誤解している、もしくは勉強不足であることを露呈してしまうかのような書き方をするのだろうか。ハリエット・タブマンは黒人女性として初なのではなく、女性として初であり、もっと言えばアメリカ紙幣にこれまで顔が載ったのはすべて大統領である。ゆえにハリエット・タブマンを正確に評するなら、「大統領以外でアメリカ紙幣に載った人物」となる。そして2020年現在、アメリカ史に女性大統領は存在していないし、今年2020年に女性候補者が立つ見込みもない。

 

ネガティブ・サイド

ハリエットが散発的な失神症状に悩まされていたのはよく知られている。だが、意識を喪失している間に神と交信していた、というのは初めて聞いた。おそらくケイシー・レモンズ監督の独自解釈なのだろうが、ハリエットの妙な神格化はやめてほしかった。『 ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男 』にもあったように、沼地の渡れるポイントを知るごく一部の人間、のような描かれ方の方が好ましかった。劇中でも川を渡っていたが、実際にハリエットが追っ手を振り切るのに使った地形は沼が最も多かったとされている(Jovianが文献などで知る限りでは)。その卓越した自然の観察力と洞察力、人間の五感と運動能力をフルに駆使して追走者から毎回見事に逃げおおせる、という描写はできなかったのだろうか。

 

ジョー・アルウィン演じる領主の描写にも不満である。これではまるで『 ジャンゴ 繋がれざる者 』のディカプリオではないか。もちろん、当時の白人地主がああいう格好であったことは承知している。それでも、これではあまりにもstereotypicalであるし、ハリエットの追走者として役不足である。

 

ハリエット・タブマンと言えば「地下鉄道」、「地下鉄道」と言えばハリエット・タブマンのはずだが、肝心かなめのこの人的ネットワークがほとんど描写されなかった。地下鉄道のユニークなところは黒人と白人、両方で構成されているところで、なおかつそのネットワークの全容を知る人間がほとんどいなかった、と考えられているところである。実際に劇中でも、逃走奴隷をかくまったとしてハリエットの父が追われることになるが、組織の全容を知る人間が増えるとそれだけ危険が増す。誰か一人でも捕まって拷問されてしまったら組織として一巻の終わりだからである。そうした人的ネットワークの広大さと緻密さ、その大きさを全て知っている組織人かつ一匹狼のハリエットという人間像が打ち出されなかったのは個人的には少しがっかりであった。

 

総評

普通に面白い作品、標準以上のレベルに仕上がった伝記映画のはずだが、観る側が期待に胸を高鳴らせすぎたようである。ただし、これはハリエット・タブマンをそれなりによく知っている人間の感想である。実際にJovianの嫁さんはかなり感動したらしく、本作を絶賛していた。現実の世界と本作を重ね合わせて見ることで、様々なものが浮かび上がって来るという意味では、単なるエンタメ的な伝記以上の価値があるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

emancipation

「自由」、「解放」といった意味である。劇中ではfreedomやliberationといった語が使われていたと記憶しているが、emancipationはなかった。だが、アメリカの奴隷解放には、このemancipationが使われている。Freedom, liberation/liberty, emancipationの使い分けが適宜にできるようになれば、英検1級レベルの手前ぐらいだと判断できる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アメリカ, ジャネール・モネイ, シンシア・エリヴォ, 伝記, 歴史, 監督:ケイシー・レモンズ, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 ハリエット 』 -英傑を神格化しすぎたか-

『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』 -POVの火付け役-

Posted on 2020年6月1日 by cool-jupiter

ブレア・ウィッチ・プロジェクト 60点
2020年5月31日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ヘザー・ドナヒュー マイケル・C・ウィリアムズ ジョシュア・レナード
監督:ダニエル・マイリック エドゥアルド・サンチェス

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ウィルスやゾンビ以外にメジャーな超自然的存在(supernatural beings)といえば、やはり魔女だろう。『 ウィッチ 』のような傑作も生まれている。だが、本作の価値はPOVをメジャーなものにしたことだろう。

 

あらすじ

ヘザー(ヘザー・ドナヒュー)、マイク(マイケル・C・ウィリアムズ)、ジョシュ(ジョシュア・レナード)の3人は大学の課題としてドキュメンタリーを撮ることにした。そして、ブレアの魔女、ブレア・ウィッチについての映画を撮ろうと地元の人間にインタビューをする。そして3人は魔女のいるとされる森に踏み入って行くが・・・

 

ポジティブ・サイド

これは確か大学生の頃に同じ寮に住んでいた先輩が近所に出来たばかりのTSUTAYAで借りてきたんだった。そう、5~6人で一緒に観たと記憶している。確かアメリカ人OYR(One Year Regular=1年だけの留学生)が前年にアメリカで異例のヒットをしたとか何か言っていたんだったか。2000年か2001年のことでまさにインターネットの黎明期と発展期の間だった。国際基督教大学生だった自分たちは普通に英語のサイトにもアクセスしていて、まさにThe Blair Witch Projectのホームページを見て、「え?ヘザー・ドナヒューって本当に行方不明なの?」とか、「なるほど、アメリカでは子どもから若年層で行方不明者が出ると、牛乳パックに尋ね人情報が貼られるのか」と社会勉強になった覚えがある。

 

はっきり言って、オチを知っている状態で観ると本作は面白くも何ともない。ただし、まっさらな状態で鑑賞した当時は、今にもジャンプ・スケアがあるのではないかとビクビクしながら観ていたのを覚えている。鬱蒼とした森には何かがある。そうした予感を抱かせる描写は『 ウィッチ 』にしっかりと受け継がれている。

 

また、『 イット・カムズ・アット・ナイト 』(拍子抜け作品だったが、COVID-19が猖獗を極めていたタイミングで鑑賞すると、また違った感想になっただろうか)と同じく、邪悪な超自然的な要素が忍び寄ってきたとき、最も恐るべきは他者となる。人間同士が最も怖い。そうした、ある意味で人間存在に普遍的な弱さや醜さ、邪さをしっかりと捉えているとこもポイントが高い。

 

廃屋のシーンは鳥肌ものである。Jovianは初回に観て、さっぱり意味が分からなかった。一緒に観た先輩や同級生の面々も同じだったようだ。先輩がTSUTAYAに返しに行く前に、もう一度観たいと言って、その場でsecond viewingをしたと記憶している。そして、冒頭の街の人たちのインタビューを聞いて凍り付いた。まさに身も凍る思いがした。すべてはクライマックスのある瞬間のための演出だったわけである。

 

POVのホラーという新生面を開拓した本作であるが、おそらく現代の映画ファンの鑑賞には耐えないだろう。だがそれは、一昔前の野球選手を見て、「現代に比べると大したことねーな」という感想を抱くのと同じである。すべては積み重ねられており、それが進歩につながっているのである。

 

ネガティブ・サイド

81分と短い作品だが、こうした作品こそ70分ちょうどに短縮できないだろうか。Jovianは映画の長さとして2時間弱を推奨する者だが、このような一発勝負のモキュメンタリーは、伏線を回収する際の鮮やかさが肝になる。観客の記憶にいろいろなものがしっかりと残っているうちに勝負のタイミングを持ってきてもよかったのではないか。

 

不満のもう一つは、ヘザー以外の男性二人のキャラが立っていないこと。ベタだが、マッチョ系とインテリ系にしてしまっても良かったのではないか。「動物でも幽霊でもぶちのめしてやるぜ」みたいな脳筋男と、不可解な現象でも無理やり科学的に説明してしまうような頭でっかちのコンビが対立していく過程の方が、よりサスペンスが生まれたはずだ。

 

これを指摘しては元も子もないが、1990年代後半にあれだけ長時間撮影できるようなハンディカムは存在しなかったし、大容量バッテリーの登場もまだだった。ヘザーがあらゆるものを撮影・録画したがるのは迫真性があったが、現実的ではなかった。

 

総評

古典と言うにはまだまだ新しいが、それでも本作は一種の古典である。POVやファウンド・フッテージものの先駆的作品で、映画(に限らずエンタメ・フィクション作品)において最も大切なのはアイデアであることを世界に知らしめた功績は大きい。そういえば当時は寮のみんなでホラー映画を観るのが何故か流行っていた。『 リング 』や『 催眠 』、『 オーディション 』など。ファウンド・フッテージではなくファウンド・テープものだと中井 拓志の小説『 レフトハンド 』もイージー・リーディングの傑作だった。映画館もfully operationalにはまだ遠い。自分の青春時代である90年代後半の作品も、もう少し頻繁に渉猟してみようか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

pleasantly surprised

「嬉しい驚き」の意味である。これもよくあるコロケーション(共に使われることが多い語の組み合わせ)である。I was pleasantly surprised to hear that the Oscar went to Parasite. のように使う。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 1990年代, C Rank, アメリカ, ジョシュア・レナード, ヘザー・ドナヒュー, ホラー, マイケル・C・ウィリアムズ, 監督:エドゥアルド・サンチェス, 監督:ダニエル・マイリック, 配給会社:アスミック・エース, 配給会社:クロックワークス, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』 -POVの火付け役-

『 アウトブレイク 』 -アメリカの本音が詰まったウィルス・パニック映画-

Posted on 2020年5月31日 by cool-jupiter

アウトブレイク 70点
2020年5月27日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ダスティン・ホフマン ケビン・スペイシー モーガン・フリーマン
監督:ウォルフガング・ペーターゼン

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これは確か高校3年生ぐらいの時にWOWOWだかレンタルVHSだかで家族そろって観た記憶がある。エボラ出血熱のニュースがその2~3年前にあり、人食いバクテリアなる言葉が人口に膾炙するようになった時代だったように思う。本作もまたCOVID-19禍によって再評価が進む作品の一つだろう。

 

あらすじ

サム(ダスティン・ホフマン)はアフリカで未知のウィルスが猛威を振るうの目の当たりにして、アメリカ本土も警戒の要ありと認めた。だが軍の上層部や政府は動かない。そうしている間にも、シーダー・クリークという田舎町で突如謎の感染症によって人々が死に始める。サムはこの苦境に立ち向かえるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

単純に未知の病原体が現れて人類を恐怖と混乱のただ中に放り込む・・・というだけのストーリーではない。そこには職業人と家庭人の両立をできなかった男の悲哀があり、軍という自制が必要な組織体の自制の無さという問題があり、なおかつ自然と人間の適切な距離の問題がある。さらに過剰とも思えるほどのヘリコプター・アクションもあり、よくこれだけのストーリーを2時間に凝縮したなと、脚本家と監督、そして編集の手腕に感心させられる。

 

25年前の映画だが、現代にも通じる点としてウィルスが変異する点が挙げられる。COVID-19もアジア株とヨーロッパ株の2種に大別できるとされているが、実際は何十にも何百にも枝分かれしているとされる。小説および映画化もされた『 パラサイト・イブ 』では「ミトコンドリアは人間の10倍の頻度で変異する、つまり人間の10倍のスピードで進化する」とされていた。微生物を人間がどうこうしようというのが、そもそもおこがましいことなのかもしれない。ましてや兵器にしてやろうなどと。そうしたことも本作から学べるのだ。

 

ダスティン・ホフマンの名探偵も斯くやの快刀乱麻を断つがごとしの推理や論理展開の速さは必見。そして「自分を抜きにしてアメリカの防疫を語るな!」というプライドとプロフェッショナリズム。日本にこれほど熱く有能な科学者や官僚はいるのだろうかと思われてしまう。モーガン・フリーマンやドナルド・サザーランドのいかにもアメリカ軍人らしい冷徹さも、そのコントラストが際立っている。その裏には少数を切り捨てることで絶対的多数を守ろうと決断する者たちの姿が見えるからだ。シーダー・クリークを爆撃し、ウィルスおよび感染者を文字通りに一掃しようと立案する大統領補佐官らしき男の官僚連中への「この顔を刻み付けろ!一生思い出す顔だ!」という怒声は、果たしてダイヤモンド・プリンセス号を見捨てた(としか思えない)日本政府の中でも聞かれたのだろうか。フィクションと現実を比較しても詮無いことだが、現実がフィクションに侵食されている今こそ、現実を鋭く批判検証せずに、いつするというのか。

 

アクションも熱い。現代ならおそらく95%はCGで描いてしまうであろうヘリコプターのチェイスと曲芸飛行を、おそらく9割は実物、1割は模型(ハンマーヘッドターンはさすがに模型だろう)だと思われるが、それでもこのヘリコプターアクションのシークエンスは90年代の作品では『 ターミネーター2 』のそれに次ぐクオリティであると感じた。相当な腕っこきパイロットを連れてきたのだろうな。

 

ネガティブ・サイド

ヘリコプターの燃費が良すぎる。通常巡航速度以上の飛行をずっと続けて、なおかつ戦闘機動も織り交ぜ、なおかつ巡航速度を超大幅に下回る飛行を行いつつも、給油なしで飛び続けるあのヘリコは一体全体何であるのか。またAWACSがついていながら軍用ヘリをロストするというのも頂けない。カーナビがついているのに迷子になった、あるいは暗視スコープをつけているのに暗闇でこけてしまった、そういうレベルの盛大なミスである。さすがにちょっとご都合主義が過ぎやしないか。

 

ケビン・スペイシーの感染シークエンスが不可解だ。あの一瞬でウィルスを吸い込んでしまうだろうか。あれでは、防護服周辺に来た人間全員に感染してもおかしくないではないか。その後のラボの人間が誰も発病していないところを見ると、防護服に穴が開いた瞬間に感染というのも大げさすぎる演出だと感じた。

 

土壇場での血清培養も、シーダー・クリークのような地方の片田舎でどのように行ったのだろうか。厳密な温度管理や滅菌処理など、かなり大掛かりな施設が必要となるはずだが、「いいぞ、もっとドンドン作れ!」とはこれいかに。

 

総評

色々と不可解な面もあるが、ヒューマンドラマの要素とSFの要素、そして家族愛や友情の要素に、『 ランペイジ 巨獣大乱闘 』が前面に出しきれなかった人間vs自然のような視点までも包含した、ジャンル横断的な傑作である。願わくば、『 Search サーチ 』のような様式、すなわち全編これ顕微鏡下の映像だけで送る最近・ウィルスのパニック・スリラーも観てみたい。映画関係者よ、作るなら今だ!

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’m on it.

itは大抵の場合、何らかの仕事やミッションを指す。「自分がそれを担当します」、「今取り組んでいるところです」のような意味で、日常会話というよりは、どちらかというと職場でよく使われる表現。実際にJovianの職場でも、

 

X: “We need to make a guideline for this.”「ガイドラインが必要だな」

Y: “I’m on it.”「私が作成します」

 

のようなやりとりはまあまあの頻度で聞こえてくる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, B Rank, アメリカ, ケビン・スペイシー, スリラー, ダスティン・ホフマン, モーガン・フリーマン, 監督:ウォルフガング・ペーターゼン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 アウトブレイク 』 -アメリカの本音が詰まったウィルス・パニック映画-

『 テルマ&ルイーズ 』 -抑圧された女性の絆とロードトリップ-

Posted on 2020年5月24日2020年9月26日 by cool-jupiter

テルマ&ルイーズ 85点
2020年5月23日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ジーナ・デイビス スーザン・サランドン
監督:リドリー・スコット

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確か中学生ぐらいの時に親父がVHSを買っていたように思う。自分では観なかったが。テレビドラマ『 リゾーリ&アイルズ 』のとあるエピソードで、アイルズ先生がリゾーリの自宅に「一緒に観よう」と持ってきたのが本作。そこで興味を持った。自粛ムードを吹っ飛ばすにはちょうど良いと思い、兵庫県から大阪府へ(といっても直線距離で8kmほど)。

 

あらすじ

専業主婦のテルマ(ジーナ・デイビス)とウェイトレスのルイーズ(スーザン・サランドン)は週末の旅行に出かける。日頃、夫によって抑圧されていたテルマは、立ち寄ったバーで男性と意気投合し、酒とダンスに興じる。だが、レイプされそうになったところをルイーズに救われる。ルイーズはしかし、侮辱的な言葉を発する男を射殺してしまう。テルマとルイーズの二人は逃げるしかなくなり・・・

 

ポジティブ・サイド

『 運び屋 』や『 グリーンブック 』、『 ダンス ウィズ ミー 』のように、ロードムービーは定期的に生み出されている。その中でも本作は白眉である。抑圧から解放がある一方で、解放された先に抑圧がある。物語の進行やキャラクターの造形がひと通りではない。

 

シネマグラフィーも素晴らしい。薄暗いダイナー、そして薄暗い室内、そして全体的に日照の少ない街並みから始まって、アメリカ中西部から南西部にかけてロードトリップに出るのだが、ストーリーが進行するほどに画面にどんどんと色が出てくる。だが、ある時からその色が黄色の砂と赤茶けた岩の色に塗りつぶされていく。それはテルマとルイーズの二人のキャラクターが内面的に変化していく様と不思議なコントラストを成している。人間的に成長したくましくなっていく、あるいはクールに見えた人間が狼狽え、取り乱していく。そうしたキャラクターの心情が画面の色使いで伝わってくる。CM監督出身の巨匠リドリー・スコットらしい手腕である。

 

そのリドリー・スコットの投げかけてくるメッセージは明確である。弱者を虐げるな、ということである。テルマもルイーズも悪くない。悪いのは、テルマをレイプしようとしたハーランであるし、彼女の話をまともに聞こうともせず、浮気には精を出す夫である。ルイーズも男には恵まれているように見せて、そうではない。明確には明かされないが、悲しい過去がある。『 ジョーカー 』でも感じたことだが、弱者を踏みつけてはならない。弱者とは持たざる者である。失うものがない者は恐れるものがない。恐れるものがない者は、一線を越えてしまってもおかしくない。リドリー・スコットというと『 エイリアン 』や『 ブレードランナー 』のようにSFのイメージが強い。しかしその実態は、抑圧された環境下での人間の変化だったのではないだろうか。

 

テルマとルイーズが行く先々で罪を犯していく。本来ならば陰鬱な逃避行のはずが、爽快感が感じられるのは何故か。それは人間の本性がむき出しになっていくからだ。ルイーズは恐ろしい剣幕で「テキサスには行くな」とテルマに迫る。テルマはルイーズに「警察と取引したのか」と食ってかかる。共犯として協力し合わなければならない二人の間にすら緊張が走る瞬間がある。それすらも爽快なのだ。なぜそうなのか。それは劇場または自宅で観て、ぜひとも確かめてみてほしい。

 

ネガティブ・サイド

マイケル・マドセン演じるジミーが、とにかく男の中の男である。ルイーズに「警察には何もしゃべらないで」と頼まれて、実際に何もしゃべらなかったと推測されるのだが、そのシーンが欲しかった。テルマの夫のダリルのクソっぷりと対比させることはできなかったのだろうか。数少ない、魅力ある男性キャラだったのだが。

 

二人を追う刑事ハルも味のあるキャラだったが、その描写が少々弱い。ブラピ演じるJDと取調室で二人だけになるシーンでは、連れの刑事の「ヒューッ」という口笛から何らかの惨劇が予想されたが、いくらなんでも生ぬるすぎる。あの程度の責めでブラピが急に語尾に sir をつけて話すようになるとは考えづらい。この叩き上げの刑事をもう少し掘り下げてほしかった。

 

逃避行の発端となった酒場の女性従業員のような、二人の協力者となるような女性サブキャラがもう少しいれば良かったのにとも思う。何らかの事情を察した女性が、テルマとルイーズの逃避行を、陰ながらサポートすると演出もあってよかったのではないか。トランクに閉じ込められた警察官にタバコの煙を吹きかけてやるという演出も悪くはなかったが、より better な演出はもっといくらでもあったはずである。

 

総評

ロードムービーにしてアメリカン・ニューシネマの傑作である。80~90年代のヒットソングでHans Zimmerの音楽と鮮やかな色遣い溢れる画面とが相まって、芸術的とさえ言える美しさも備えている。道なき道を爆走するテルマとルイーズの姿に心を動かされない人がいようか。現代にも通じるメッセージが明確に込められており、そしてそれは未来へもつなげていくべきメッセージである。このような映画こそ、次世代に残していきたいし、映画館でリバイバル上映をもっと盛んに行ってほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

figure out

フィギュア・スケートのフィギュアの主な意味は、「形」や「数字」である。つまり、figure outとは、形や数字として出す、という意味である。figure out a mystery=謎を解く、figure out what to do=どうすべきを考える、という具合に使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, A Rank, アメリカ, クライムドラマ, ジーナ・デイビス, スーザン・サランドン, ブラッド・ピット, 監督:リドリー・スコットLeave a Comment on 『 テルマ&ルイーズ 』 -抑圧された女性の絆とロードトリップ-

『 42 世界を変えた男 』 -Take him out to the ballgame-

Posted on 2020年5月19日 by cool-jupiter

42 世界を変えた男 60点
2020年5月19日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:チャドウィック・ボーズマン ハリソン・フォード
監督:ブライアン・ヘルゲランド

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MLBも日本プロ野球も開幕が遅れている。球春未だ来たらず。ならば野球映画を観る。大学生の頃に観たトミー・リー・ジョーンズ主演の『 タイ・カップ 』もなかなかに刺激的だったが、second viewingならこちらにすべきかと思い直した。

 

あらすじ

第二次大戦後の1947年、ブルックリン・ドジャースGMのブランチ・リッキー(ハリソン・フォード)は、ニグロ・リーグのスターの一人、ジャッキー・ロンビンソン(チャドウィック・ボーズマン)を史上初の黒人選手としてMLBに招き入れる。そしてロビンソンは、差別や偏見にプレーで対抗していく・・・

 

ポジティブ・サイド

JovianがMLBのことを知ったのは中学生ぐらい、青島健太がやっていたBSスポーツニュースを通じてだったか。マイケル・ジョーダンがバスケを引退、野球に転向というニュースにびっくりしたのを覚えている。その翌年ぐらいか、野茂英雄が海を渡ったのは。その頃から日本でも本格的にメジャーリーグが認知され始め、イチローと新庄のメジャー行きで完全にMLBが身近なものになったと感じられるようになった。個人的には大学生の頃に読んだパンチョ伊東の『 野球は言葉のスポーツ 』で、メジャーの歴史の広さと深さに初めて触れたと感じた。ニグロ・リーグの消滅(人によっては発展的解消とも呼ぶが)を、MLBへの人材流出が続く日本にも重ね合わせた名著だった。

 

本作は差別と融和の構造を鮮やかに描き出している。当時の野球人たちのロビンソンへの反応と同じくらいに、一般人であるファンの差別が恐ろしい。純粋無垢に見える野球少年が、差別思想に凝り固まった大人たちの圧力に屈して罵りの言葉を吐き出す様はグロテスクである。本作はそうした目をそむけたくなる、耳をふさぎたくなるようなシーンを真正面から描く。そうすることで、差別する者の醜さを炙り出す。これは怖い。自分にも何らかの意味での差別思想がないとは言い切れない。そうした時に、ロビンソンを口汚く罵るフィリーズのチャップマン監督を思い出そうではないか。こんな人間になってはおしまいである。

 

本作ではハリソン・フォードが光っている。基本的にフォードは(トム・クルーズや木村拓哉と同じく)誰を演じてもハリソン・フォードになってしまう。だが、本作では実在したブランチ・リッキーの模倣に徹した。それが奏功した。Jovianは東出昌大は当代きっての大根役者だと断じるが、『 聖の青春 』の羽生善治の物真似は素晴らしかった(というか、東出に演技をさせなかった監督の手腕なわけだが)。ブランチ・リッキーの表情、声、話し方、立ち居振る舞い、思想信条を研究して、役をものにしたというよりも、まさに物真似をした。フォードのファンならば必見の出来に仕上がっている。

 

主役を張ったチャドウィック・ボーズマンも好演・はっきり言って顔立ちはロビンソン本人には似ていないのだが、苦悩を内に秘めて、しかしフィールドでそれを決して表に出さない。かといって、ほぼ同時代人であるジョー・ディマジオのようなcool-headedなプレーヤーでもない。投手を挑発し、観客をエキサイトさせる一流アスリートである様を体現している。

 

ネガティブ・サイド

肝心かなめの野球シーンに迫力がない。本作は伝記であり、ヒューマンドラマであるが、スポーツ映画ではなかった。残念ながら野球をしている時のボーズマンは、最もロビンソンから離れた存在に見えてしまった。『 フィールド・オブ・ドリームス 』のシューレス・ジョー・ジャクソンが何故か右利きにされていたが、レイ・リオッタのスイングには力強さとキレがあった。『タイ・カップ 』のトミー・リー・ジョーンズの走塁と殺人スライディングにはスピードと躍動感(と殺気)があった。残念ながら、チャドウィック・ボーズマンのスイングにはパワーが欠けているし、走塁にはスピードがない。守備にしても『 マネーボール 』のクリス・プラットの方が(一塁手としては)遥かに様になっている。

 

史実として、リッキーはニグロ・リーグの最優秀選手を連れてきたわけではない。折れない心の持ち主をpick outしたとされている。だが、パンチョ伊東らの著書やその他の研究によると、当時のジャッキー・ロビンソンはニグロ・リーグ全体で上から3~4番手という、トップ中のトップだったことは間違いないようである。であるならば、当時の白人が持っていなかった異質なスピード、異質なパワーというものを、もう少しはっきりとした形で描き出すべきだったと思う。

 

また野球そのものの描写もめちゃくちゃである。いくら何でも一塁から離れてリードを取り過ぎだし、絶妙のタイミングの牽制球で、帰塁のタイミングも遅いのにセーフになったりしている。また、劇中でビーンボールや頭部直撃デッドボールも描かれるが、それらの投球が『 メジャーリーグ 』のチャーリー・シーンの荒れ球よりも速い。というか、佐々木朗希のストレートよりも速く見えるビーンボールもあるなど、野球に対する愛情もしくは造詣、または競技経験のある者が作ったとは思えないCGピッチングには、正直なところかなり呆れてしまった。

 

総評 

ジャッキー・ロビンソンと聞いて「誰?」となる人も若い世代には多いだろう。それは仕方がない。オリックス時代のイチローを全く知らない世代の野球ファンもいるのだ。そのイチローがMLB1年目に新人王(とMVP!)を獲得した時に「日本のプロ野球で実績充分な者をMLBは新人扱いするのか?」とMLB内外で論争が沸き起こった。その当時に下された結論は「ニグロ・リーグのトップスターだったジャッキー・ロビンソンもMLBでは新人で、それゆえに新人王を獲得した」というものだった。イチローの偉業の向こうにロビンソンがいる。差別に屈しなかった男の物語には食指が動かない向きも、イチローの先達の物語になら興味を抱くのではないだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

as you see fit

「あなたの好きなように」、「あなたが適切だと思えば」の意。

 

Make changes as you see fit.  好きなように変更を加えてくれ。

Raise your hand and ask questions as you see fit.  挙手をして好きなように質問したまえ。

 

職場で使うとちょっとかっこいい。ぜひ機会を見つけて口に出してみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, チャドウィック・ボーズマン, ハリソン・フォード, ヒューマンドラマ, 伝記, 監督:ブライアン・ヘルゲランド, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 42 世界を変えた男 』 -Take him out to the ballgame-

『 ウォー・ドッグス 』 -まっとうに生きるべし-

Posted on 2020年5月6日 by cool-jupiter

ウォー・ドッグス 65点
2020年5月6日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョナ・ヒル マイルズ・テラー アナ・デ・アルマス ブラッドリー・クーパー
監督:トッド・フィリップス

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アベノマスクなる、とても使い物になるとは思えない品質のクソ製品が、木っ端役人によって提案され、得体の知れない会社によって調達され、国中に支給され始めている。そこで本作を思い出した。有事の裏では、常に機を見るに敏なmoney-hungry dogsが暗躍しているものなのかもしれない。

 

あらすじ

時はイラク戦争とその後始末のただ中。デビッド(マイルズ・テラー)はうだつが上がらない仕事に従事していたが、ひょんなことから銃火器を売りものにする旧友のエフレム(ジョナ・ヒル)と共に仕事をすることになる。やがて二人はアメリカ国防総省に武器弾薬を納入する仕事に目をつけ・・・

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ポジティブ・サイド

マイルズ・テラーとジョナ・ヒルが、若く無鉄砲な若者二人組を好演している。アホかと思う面も多々あるが、特にエフレムのメンタル・タフネスと着眼点は起業を志す者なら大いに参考になるだろう。小学生の頃の昔話や与太話で定期的に盛り上がるところがガキンチョのメンタリティそのままで、子どものまま大きくなってしまったところを見事に表している。相方のデビッドの精神構造も見上げたもの。とある入札を見事に勝ち取るのだが、二位との差額を聞いて「国民の税金が節約できた」と言い切る、その言や良し。

 

『 バイス 』を事前に観ておくと、当時の(といってもたかが十数年前)のアメリカの政治的背景がよく分かる。同時に、戦争=経済活動と言い切るところもアメリカらしくてよろしい。というよりも、人類の歴史上、戦争の99%は経済的な理由で起こっている(宗教戦争に見える十字軍遠征さえ、本質的には交易の一大拠点であるコンスタンティノープルをキリスト教勢力が欲したというのが真相である)。本作は、しばしばヒューマンドラマに還元されてしまいがちな戦争の最前線ではなく、その銃後で何が起きていたのかを描く点がユニーク。『 バイス 』において、D・チェイニーは9.11の際に危機ではなく好機を見出していた。エフレムも、イラク戦争の後始末に危機ではなく商機を見出している。煎じ詰めれば、トッド・フィリップスは戦争という営為を嗤っているのだろう。『 シン・ゴジラ 』でも松尾スズキ演じるジャーナリストが「東日本の地価が暴落する一方で、西日本の地価が高騰している。面白いですな、人の世は」と語っていた。国難や有事をチャンスと捉える人間を褒めているのではない。半ば呆れている。トッド・フィリップスも本作におけるエフレムやデビッドをそのように見ている。デビッドも?と思う向きもあるだろうが、最後の最後のシーン(それが事実がどうかはどうでもよい)が意味するところを考えれば、その答えはおのずと明らかである。

 

それにしても、『 プライベート・ウォー 』でホラー的に描かれた検問シーンが、本作では見事にコメディになっている。同じイラク戦争でも、描く角度が異なれば、これほどに印象が異なるのかと考えさせられる。トッド・フィリップス監督は『 ジョーカー 』において、社会の分断と棄民政策から生まれた鬼子としてのジョーカーの誕生を描いたが、戦争という社会の異常事態からは常に何かしらの鬼子が生まれてもおかしくないのだぞ、と警告を発しているかのようにも見える。それは考え過ぎだろうか。

 

ネガティブ・サイド

どうしても『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』と比較されてしまうだろう。そして、比べるまでもなく本作の完敗である。ペニー・ストックを舌先三寸で見事に売りつけ、そこからのし上がっていく様をテンポよく描いた『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』に比べると、ジョナ・ヒル演じるエフレムの事業は目のつけどころはシャープであるものの、そこからトントン拍子にパイのかけらを美味しく頂戴していくシーンがなかった。ストーリーに説得力がなかった(実話に説得力も何もないと思うが)。

 

ジョナ・ヒル自身のパフォーマンスも『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』のそれには劣る。若きアントレプレナーの事業や経営への意識の違いが、やがて関係の破綻・破局につながっていくというストーリーの見せ方は『 ソーシャル・ネットワーク 』の方が一枚も二枚も上手だった。エフレムというキャラクターが十分に肉付けされていないからだろう。ところかまわずカネで女を買いまくっているが、高校の時に女に手酷い目にあわされたというような逸話の一つにでも言及してくれれば、観る側の捉え方も少しは変わる。また、『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』におけるディカプリオが、創業の功臣メンバーの女性に非常に人間味あふれるサポートを施していた逸話があったが、エフレムに何か一つでも会社や従業員に対する想いを見せる演出が欲しかった。それがないために、最初から最後まで小悪党にしか見えなかった。

 

総評

普通に面白いブラック・コメディである。総理大臣肝入りの数百億円規模の事業の裏側で何が起こっていたのかを、本作を下敷きにあれこれ想像してみるのも興味深いだろう。同時に、夫婦の在り方の軸には正直さが、ビジネスの在り方の軸には真っ当さが必要であるという当たり前の教訓をも教えてくれるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

read between the lines

「行間を読む」の意である。これは何も読書に限ったことではない。エフレムの言う“All the money is made between the lines.”=すべてのカネは行間から生まれる、は蓋し真実である。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アナ・デ・アルマス, アメリカ, ジョナ・ヒル, ブラック・コメディ, ブラッドリー・クーパー, マイルズ・テラー, 伝記, 監督:トッド・フィリップスLeave a Comment on 『 ウォー・ドッグス 』 -まっとうに生きるべし-

『 ハンナ 』 -凡百のアクション映画-

Posted on 2020年5月5日 by cool-jupiter

ハンナ 40点
2020年5月5日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:シアーシャ・ローナン ケイト・ブランシェット
監督:ジョー・ライト

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近所のTSUTAYAがこのご時世にもかかわらず、いや、このご時世だからか大繁盛していて、本命(多くは準新作)がどれもこれも借りられている。たまたま目についたシアーシャの“顔”だけで借りてきた。この判断は失敗だった。

 

あらすじ

フィンランドの人里離れた森でCIA工作員だった父から語学や一般教養、そして格闘術を叩き込まれた少女ハンナ(シアーシャ・ローナン)に、ついに外の世界へ巣立つ時期がやってきた。だが、かつての父の同僚メリッサ(ケイト・ブランシェット)がハンナを執拗に追跡してきて・・・

 

ポジティブ・サイド

ハンナが各国の言語を流暢に操るシーンはとてもクールである。同時に初めて出会う人々とずれたコミュニケーションを取る様は非常に滑稽でもある。どこか『 ターミネーター 』的である。クリシェであるが、そこはまあまあ面白い。

 

年端のいかない暗殺者というのは死ぬほど量産されてきたキャラで、化粧っ気がゼロだが、そこが魅力的でもある。野生児の風味があるところがいい。アクション、特に近接格闘前に逃げるところに動物らしさが見て取れる。Fight or flightである。

 

16歳の少女らしく、開放的な世界でのアバンチュール的展開もある。ここで妙なときめきを感じたりしないところもgood。ストーリー進行を妨げていない。友人となるソフィーとのsleep-overも良いムードである。血も涙もない殺人者ではなく、かといって動物的な勘性だけに染まっているわけではない。ある意味でとても無垢な少女という印象を観る者に刻み付けてくれた。

 

10代のシアーシャを本作で堪能されたし。

 

ネガティブ・サイド

トム・ホランダーの演じる追走者一味がかなり間抜けだ。迷路状の貨物置場でチェイスしている最中に口笛を吹くか?ここでのロングのワンカットは緊迫感溢れるシークエンスだったが、ホランダーの口笛がその空気をぶち壊しにしたように感じた。他にも余裕をぶっこいておきながらエリックの逃走を許す。あるいは格闘戦で普通に負けるなど、とてもCIAエージェントたるマリッサが「裏の仕事を任せたい」と頼る相手とは思えない。見た目も間抜けで実力もイマイチ。なぜこのような設定になってしまったのか。

 

『 オールド・ボーイ 』でも感じたことだが、なぜハンナは初めて触れるパソコン、そしてインターネットを使いこなせるのか。父親から話に聞いていたとはいえ、数分で使いこなせる代物ではないはずだ。また、元CIAであるエリックの情報がネットでほいほいと簡単に手に入るのもおかしい。本物のCIA職員からすれば噴飯ものだろう。

 

マリッサの行動も意味不明なものが多い。サイレンサーを持っているなら、毎回それを使えと言いたい。なぜ街中で銃をぶっ放す時に使わないのか。そして、わざわざ仕留めた相手をよっこらせとばかりに運んだというのか。そんなことをしている暇があるのなら、ハンナというターゲットをしっかりと追いかけろと言いたい。

 

そのハンナとマリッサの対決シーンも腑に落ちない。フィンランドの雪原および森林をホームに育ったハンナが、なぜ待ち伏せて狙い撃ちする戦術を選択しなかったのか。せっかくの決め台詞が、やはり間抜けに聞こえてしまう。全く同じ構図の絵作りをしている作品に『 ウインド・リバー 』がある。完成度はそちらの圧勝である。

 

字幕が余計なことをしている。どの部分とは言わないが、ケイト・ブランシェットの台詞とだけ指摘しておく。

 

総評

凡百のアクション映画である。10代のシアーシャ・ローナンが見られるということぐらいしか特徴がない。だが、シアーシャのファンならば観ておく価値はある。大女優や大俳優の多くも、クソ映画に出演して腕を磨いたのだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

gross

GNP = Gross National Productのgrossだが、日常会話では圧倒的に「キモイ」の意味で使われる。同義語はcreepyやobnoxiousである。劇中では、朝ごはんとして皮剥ぎのウサギを調達してきたハンナに、ソフィーが一言“That’s gross.”=「キモイよ」と言い放つ。服でも食べ物でも容姿でも言動でも、なんでもgrossと言うことで不快感や嫌悪感を表明することができる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アクション, アメリカ, ケイト・ブランシェット, シアーシャ・ローナン, 監督:ジョー・ライト, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 ハンナ 』 -凡百のアクション映画-

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