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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 配給会社:Netflix

『 グッド・ナース 』 -医療とは何かを問う-

Posted on 2022年10月26日 by cool-jupiter

グッド・ナース 65点
2022年10月22日 心斎橋シネマートにて鑑賞
出演:ジェシカ・チャステイン エディ・レッドメイン
監督:トビアス・リンホルム

傑作の誉れ高い『 アナザーラウンド 』の脚本を手掛けたトビアス・リンホルムの監督作品。主演に『 女神の見えざる手 』のジェシカ・チャステインということでチケット購入。

あらすじ

シングルマザーの看護師エイミー(ジェシカ・チャステイン)は心臓病を抱えていたが、健康保険に加入できるまで、まだ数か月の勤務を要していた。そんな時、ベテラン看護師チャーリー(エディ・レッドメイン)がやってくる。二人は意気投合し、チャーリーはエイミーを公私で支えていく。しかし、チャーリーの着任以来、病院では患者の不審死が相次いで・・・

ポジティブ・サイド

dark cinematography が冴える。普通、薄暗い画面というものはあまり歓迎されないが、物語全体を貫く疑念が、本作では暗さという形で全編にわたって視覚的に表現される。夜勤のシーンが多く、当然のように病棟は消灯されている。このことが不自然な暗さへの違和感を緩和している。

 

ジェシカ・チャステインはアクション映画に出演するよりも、サスペンスやヒューマンドラマ方面にもっと出るべき。看護師としての演技は堂に入ったもの。注射前にシリンジをコンコンとやるのは、まさに看護師あるある。最初の心臓発作の際は、患者の体位変換の只中で、急性腰痛症、いわゆるギックリ腰の発症かと勘違いした。2000年代初頭はアメリカでも体圧分散マットはまだ普及していなかったか。様々なシーンでジェシカ・チャステインの見せる多くの所作や立ち居振る舞いは看護師をよくよく研究していて、実にリアルだった。まさに good nurse 。 

 

対するエディ・レッドメインのベテラン看護師ぶりにも説得力があった。死亡した老女の体を丁寧に清拭する様には真面目な職業人で、死者の尊厳を守ろうとする人間らしさも感じられた。エイミーと友情を紡ぎ、エイミーの娘たちにも positive male figure として接する姿は、こちらもまさに good nurse 。しかし、病棟で患者の不審死が続くようになってから、徐々に観客の疑念が大きくなってくる。

 

警察の介入、そして病院の不可解な対応・・・というよりもあからさまな隠蔽工作に慄然とする。警察の捜査にこっそりと協力するエイミーだが、ここでは病院どころか市議会議員や検察までもが事件に対してみて見ぬふり。アメリカの警察が悪というのはお定まりであるが、これはフィクションではなく実話。このあたりから、エイミーとチャーリーの友情に一気にサスペンス要素が盛り込まれてくる。徐々にあらわになるチャーリーの過去、そしてチャーリー自身が語る元妻や子どもとの関係についても、観る側はエイミー同様にますます疑心暗鬼になってくる。

 

エイミーとチャーリーの最後の面会のピーンと張りつめた緊張感は素晴らしい。これ見よがしなBGMもわざとらしいカメラワークもなく、二人の役者の演技合戦に委ねた感じがした。実際、チャーリーの犯行の動機が不明である以上、下手な味付けは不要だろう。脚本家が変に出しゃばらなかったことも奏功している。最後に明かされる事実については衝撃的の一語に尽きる。アメリカのヘルスケア・システムの歪さはある程度知っていたが、ここまでだったとは・・・。まさに事実は小説よりも奇なり。

 

ネガティブ・サイド

エイミーの心筋症は物語を重くするファクターであり、彼女がチャーリーに頼るようになる重要な契機でもある。その病気がドラマ作りにあまり寄与していない。チャーリーへの疑惑が深まるか、というタイミングで心臓の発作が・・・ 娘たちに対しても親身に接してくれるチャーリーを疑うとは何事かという葛藤が・・・のようなシーンがあってもよかったのではないか。

 

チャーリーが取り調べ室でぽつぽつと語り始めるシーンは少し陳腐に感じた。そこに至るまでの過程がこれ以上ないほどにスリリングだったので、ここで拍子抜けしてしまうのは作劇上、誠に惜しいと言わざるを得ない。

 

ほんの少しだけ医学的な知識が必要になるが、最小限の説明すらなし。日本の映画やドラマのように何もかもを台詞で説明するのもどうかと思うが、まったく説明がないのもやや不親切か。

 

総評

これが実話というのだから恐れ入る。エンディングで明かされる数字には震えあがるしかない。近年、エッセンシャル・ワーカーとして看護師という職業への認知がアップデートされているが、元より看護は医行為を含み、医行為は侵襲を伴うものが多い。今も現役看護師であるJovian母は、よく胸骨圧迫で患者さんの肋骨を折っていた(本人談)。

J「それでどうやったん?」
母「アカンかったわ」

みたいな会話は普通だった。チャーリーのような bad nurse を擁護するつもりは毛頭ないが、人間にダメージを与える行為への看護師の心理的閾値が低いのは間違いない。ではどうすればよいのか?その答えが本作である。看護師はペアで働かせるべし。一人でなにもかもさせてはならない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

At the end of the day

その日の終わりに、という意味ではない。これは「結局は」、「最終的には」、「つまるところ」のような意味。劇中では

At the end of the day, we are here for you.
結局のところ、我々は皆さんの味方です。

のように使われていた。結論や重要な点を述べる前に、At the end of the day と言うようにしてみよう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 秘密の森の、その向こう 』
『 窓辺のテーブル 彼女たちの選択 』
『 アムステルダム 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アメリカ, エディ・レッドメイン, サスペンス, ジェシカ・チャステイン, 伝記, 監督:トビアス・リンホルム, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 グッド・ナース 』 -医療とは何かを問う-

『 グレイマン 』 -頭を空っぽにして楽しむべし-

Posted on 2022年8月18日 by cool-jupiter

グレイマン 65点
2022年8月15日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ライアン・ゴズリング クリス・エヴァンス アナ・デ・アルマス
監督:アンソニー・ルッソ ジョー・ルッソ

 

Netflix製作・配給の映画。典型的な popcorn flick である。アクション満載なのは楽しいが、すべてがどこかで観た構図なのが玉に瑕。

 

あらすじ

長期服役中だったが、CIAの工作員としてスカウトされたコードネーム、シエラ・シックス(ライアン・ゴズリング)。ある時、タイのバンコクでターゲットを暗殺するが、その男は自らを元シエラ・フォーだと言い、シックスにとある機密情報を託す。シックスは同作戦に従事したミランダ(アナ・デ・アルマス)にフォーのことを告げる。同時に、CIA本部では、冷酷非情な工作員ロイド・ハンセン(クリス・エヴァンス)がシックス暗殺に向けて動き始めて・・・

ポジティブ・サイド

とにかく最初から最後までど派手なアクションの連続。格闘戦あり、ナイフ使いあり、銃撃あり、カーチェイスあり、爆発ありと何でもござれ。戦闘の舞台もバンコクから始まり、ウィーン、プラハ、クロアチアなど正に世界を股にかける工作員たちのスーパーバトル。CGと実写の両方が使われているが、どちらにも相当のカネが費やされている。アクションを期待するなら、You will get your money’s worth. その期待は裏切られることはないだろう。

 

はじめはブレードランナーVSキャプテン・アメリカぐらいに思っていたが、とんでもない。シエラ・シックスは『 ブラック・ウィドウ 』よりも強いのではないか。観る側にそう思わせるだけのド派手なアクションのオンパレードである。

 

カナダでは「ライアンと言えばゴズリング」と言われるぐらいの人気俳優だが、ライアン・ゴズリングの北米大陸どころか、名実ともに世界的スーパースターになった。本作でもその地位を更に固めることになったと言えるだろう。『 ナイスガイズ! 』のようなコメディ・アクションから、本作のようなシリアス・アクションまで、その演技ボキャブラリーは巨大。わずか数秒だけしか画面に映らないが、ムキムキの体も作ってきた。

 

悲しい過去を背負った男が、友情、そして新たな愛情の対象を見つけ、それを命がけで守る姿は美しい。ライアン・ゴズリングのファンなら本作は必見だろう。『 アメリカン・アサシン 』が面白かったと感じた向きにもお勧めだ。スペシャリストvsスペシャリストという分野に新たな快作が送り出されてきた。次回作への期待も膨らむ。Netflix限定配信などと言わず、ぜひ劇場公開を!

ネガティブ・サイド

アクションの規模は空前絶後だが、全てのシーンに既視感を覚える。『 ミッション:インポッシブル 』シリーズからジェイソン・ボーンのシリーズまで、どこかで観た銃撃戦だったりカーチェイスだったり、肉弾戦だったりする。観ている最中は手に汗握るが、観終わって少し時間が経つと、興奮したことは覚えていても感銘を受けたシーンがほとんどなかったことに気付く。

 

また悲しい過去を背負った男が少女を守るために闘うというプロットでは『 アジョシ 』が先行している。アクションのスケールでは本作の勝ちだが、チャ・テシクとシエラ・シックスが素手もしくはナイフで戦えば、チャ・テシクが勝つ構図しか見えない。本作はそういう感想を抱かせる作品である。

 

悪役のクリス・エヴァンスはそれなりに新鮮だったが、劇中で盛んに sociopath と形容される悪役そのまんま。予想通りの悪でしかない。爪をはぎとっていく拷問シーンはまあまあの迫力だが、それとても『 ただ悪より救いたまえ 』のインナムが錆びた極太ばさみで拷問相手の指を切り落としていくシーンと比較してしまうと、非常に小物っぽくなってしまう。それこそエヴァンス演じるロイドは、それこそ『 ただ悪より救いたまえ 』のレイ以上の狂気を放つ極悪人であるべきだった。このあたり、監督の演出の弱さか、それともエヴァンスがキャプテン・アメリカの殻を破れないのか。

 

最大の問題は、あれだけ他国で大暴れしておきながら、肝心のCIAがまったく揺らいでいないところである。他国であれだけ警察官や一般市民を殺傷すれば、CIA長官どころかアメリカ大統領の首が飛ぶだろう。エンディングで( ゚Д゚)ハァ?となること請け合いである。

 

総評

シネ・リーブル梅田の新音響を利用したodessa上映回に行ってきたが、Netflix配信=個人用デバイスでの鑑賞では味わえない音響と音圧だった。odessa上映ではなくても、大画面かつ大音響を堪能する価値のあるアクション巨編である。頭を空っぽにして、とにかく2時間ハラハラドキドキを味わいたいなら、本作鑑賞は must だろう。ぜひ劇場鑑賞を。 

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Heads will roll.

直訳すれば「首が転がるだろう」の意。転じて「リストラが行われるだろう」ということを意味するが、劇中では文字通りの意味で、首が転がる=死人が出るの意味で使われていた。実際のセリフでは Heads would roll. と仮定法だったが、 普通の学習者であれば「リストラが計画されている」という意味だけ押さえておけばよい。

 

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tick, tick…BOOM! チック、チック…ブーン!

Posted on 2022年2月3日2022年2月3日 by cool-jupiter

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tick, tick…BOOM! チック、チック…ブーン! 80点
2022年1月30日 塚口サン投稿を表示サン劇場にて鑑賞
出演:アンドリュー・ガーフィールド アレクサンドラ・シップ ロビン・デヘスス 
監督:リン=マニュエル・ミランダ 

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2021年にシネ・リーブル梅田で見逃してしまった作品。塚口サンサン劇場でリバイバル上映。地元のミニシアターに感謝である。

 

あらすじ

ダイナーで働きながらミュージカル作曲家として世に出ようともがくジョナサン(アンドリュー・ガーフィールド)。役者志望だった友人も広告会社に就職し、まもなく30歳になるというのに何者にもなれていない自分に焦りを覚える。長年取り組んできたミュージカルのワークショップに全力で取り組むジョナサンだが・・・

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ポジティブ・サイド

アンドリュー・ガーフィールドは今まさに円熟期にあるのだろう。夭折したジョナサン・ラーソンを演じるだけではなく、故人の心の奥底にあったであろう感性や衝動を音楽やダンスの形で見事に吐き出した。意外と言っては失礼だが、素晴らしい歌唱力を披露してくれた。『 マリッジ・ストーリー 』のアダム・ドライバーよりも上手い。ダンスも『 メインストリーム 』の最終盤に見せてくれた見事なパフォーマンスで、そのダンス能力の高さは証明済み。今回もダイナーなどで見事な踊りを見せた。

 

見た目もジョナサン・ラーソン本人に似ているのがプラスだったのか。まさにハマり役。日本でもアメリカでも、おそらく世界のどこでも30歳というのは一つの区切りだろう。何者にでもなれるというポテンシャルが認められる、一種のモラトリアムとしての20代が終わっていくという焦燥感は、味わった者にしか分からない。今でこそ転職を2度3度行うことが一般的になってきたが、一昔前の日本では就職=就社で、自分=会社だった。自分のアイデンティティーを会社に預けることの是非はともかく、30歳にして売れない役者、売れない音楽家、売れない絵描きでいることのいたたまれなさが痛切なまでに伝わってきた。

 

『 ジェクシー! スマホを変えただけなのに 』のアレクサンドラ・シップ演じるガールフレンドのスーザンが、現実を否応なく突き付けてくる。医大生からダンサーに転身、ダンス講師としての職を得たスーザンが、自分と一緒にニューヨークから出て、田舎で素朴に暮らしてほしいと願ってくることを、いったい誰に責められようか。このあたり、『 ラ・ラ・ランド 』と似ているようで少し違う。夢を取るのか、自分を取るのか。日本風に言えば、「仕事と私とどっちが大事?」に近いだろうか。「あなたの夢を尊重するから、私の夢も尊重して」という、ややファンタジックな『 ラ・ラ・ランド 』とは違って、本作は非常にリアルである。現実的である。伝記物語なのだから当然と言えば当然なのだが、ジョナサンやスーザンの苦悩が、我がことのように感じられた。様々な楽曲もシーンとキャラの心情にマッチしていて、ミュージカル好きのJovianも十分に満足できた。

 

サブプロットとして、役者志望だった親友マイケル(ロビン・デヘスス)が、マイノリティとしての属性を見事に体現していた。マイケルとジョナサンの関係の変化、そして関係の維持が、ミュージカル『 RENT / レント 』の骨子になっていることが伝わってきた。もちろん、『 RENT / レント 』を観たことがない人でも、二人の友情と現実への向き合い方のスタンスの違いは、重厚かつ感動的なドラマとして堪能できることは間違いないので、ご安心を。

 

ジョナサンの生き様、そして現実のある意味での非情さに、打ちのめされる人もいるかもしれない。しかし、ジョナサンたちが自分なりの生を生きようとする姿に胸を打たれない人はいないだろう。

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ネガティブ・サイド

文句なしの傑作だが、映画と舞台の住み分けというか、ステージ・パフォーマンスをそのまま映画化したような構成が気になった。予備知識なしで鑑賞したが、途中まで「これは、スパービア後の作品が Tick tick … boom で、その劇を劇中劇化したのだな」と勘違いしていた。それぐらい、映画ではなく舞台に見えた。映画には映画の技法があって、舞台には舞台の技法がある。マイケルの新居で踊るシーンなどは、映画ではなく舞台である。

 

ソンドハイムとそれっぽい批評家のコメント合戦も、ギャグだと思えば面白いのかもしれないが、少し上滑りしているように聞こえた。

 

総評

日本でミュージカル『 RENT 』を観たという人は、だいたい宇都宮隆バージョンを観たことだろう。宇都宮隆はJovianと同じく、ロッド・スチュワート信者である。それはさておき、1990年代はまだまだエイズやゲイに対する社会の理解は深くなかった。今は違う。そういう意味では、ジョナサン・ラーソンは類まれなるアーティストにしてビジョナリーであったとも言える。アンドリュー・ガーフィールドは役者・表現者としてますます脂がのってきた。彼のファンも、彼のファンでなくとも、ミュージカル好き、または映画好きなら、本作を是非ともウォッチ・リストに加えてほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Break a leg

『 グランドピアノ 狙われた黒鍵 』で少し触れた表現。意味は「幸運を祈る」である。これは theater language で、ネイティブ相手でも通じないことがある。実際にJovianの同僚でも、theater や film studies のバックグラウンドを持つ者は知っていても、business management や history のバックグラウンドを持つ者は知らなかったりする。基本的には、音楽や芝居の前に使う表現である。日常会話ではあまり使わないが、映画好きかつ英語好きなら知っておいて良いだろう。

 

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『 ドント・ルック・アップ 』 -壮大な風刺コメディ-

Posted on 2021年12月19日 by cool-jupiter

ドント・ルック・アップ 80点
2021年12月18日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:レオナルド・ディカプリオ ジェニファー・ローレンス
監督:アダム・マッケイ

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『 バイス 』や『 マネー・ショート 華麗なる大逆転 』のアダム・マッケイ監督が、なんとも小気味良いコメディかつ壮大な現代世界の風刺劇を送り出してきた。エンタメ性と社会性はこうやって両立させるのだというお手本のような作品である。

 

あらすじ

大学院生のケイト(ジェニファー・ローレンス)は天文観測中に偶然にも彗星を発見する。連絡を受けた教官のミンディ教授(レオナルド・ディカプリオ)は彗星の軌道計算を行うが、その結果は地球への衝突であった。二人はなんとかこのことを世に知らせ、対策に乗り出そうとするが・・・

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ポジティブ・サイド

映画『 エンド・オブ・ザ・ワールド 』のシチュエーションに、機本伸司の小説『 僕たちの終末 』の要素を足したような物語、つまりはありふれたストーリーなのだが、これがべらぼうに面白いのである。その秘密は何か。

 

第一に、人間があまりにも人間らしいのである。だいたい終末ジャンルの作品は、映画であれ小説であれ、メインのキャラクターは、終末に対して懐疑論者であっても非常に理知的で理性的である。しかし本作は違う。メリル・ストリープ演じるアメリカ合衆国大統領が自国の天文学者の切なる声にまともに耳を傾けない。その理由が極めて(アホな)政治的な理由なのだから面白い。

 

ディカプリオ演じるミンディ教授もジェニファー・ローレンス演じる博士課程のケイトも、世間に対して彗星衝突の脅威を伝えようとしていく中で、自身のプライベートな生活がボロボロになっていく様が笑えると同時に哀しい。が、哀しさよりも可笑しさの方が勝っている。ホワイトハウスに訴えてもダメだった二人が、今度はテレビ局に赴くが、頭のおかしい人扱いされて終わり。そこでディカプリオは milfy なTVアンカーに上手く食われてしまい、家庭崩壊に一直線。ケイトもケイトで、テレビで絶叫してしまったせいで恋人にあっさり振られてしまう。どこまでもシリアスな話なのに、常に笑いに転化してしまうアダム・マッケイの手腕にも笑ってしまうしかない。

 

しかし、シリアスに捉えようとも、頭のおかしい学者の妄言と捉えようとも、彗星の接近は事実なのである。ここで観る側としてはどうしたって新型コロナのパンデミックの始まりとその後の展開を思い起こさずにはいられない。「コロナはただの風邪だ」と力説する者、「コロナは生物兵器である」と断定する者、「マスクは無意味」論者、「ワクチンで5Gに操られる」という陰謀論者などなど、21世紀も20年になんなんとする今という時代が、実は中世の啓蒙の時代と対して知的レベルは変わらないのではないかと思わされてしまう。劇中でも同じように「彗星は実在しない」として、空を見上げるな = “Don’t look up!”をスローガンにする勢力が登場する。元米大統領のD・トランプがマスク着用を小馬鹿にしていた、さらにその反マスクの姿勢に共感する共和党支持者に奇妙なまでにそっくりである。 

 

本作は、一見突拍子もないSF物語に見えるが、実際は現実世界の分断を大いに嗤うブラック・コメディである。大統領首席補佐官が労働者階級をあざ笑うかのようなスピーチをしつつ、その労働者たちがその演説を支持する様はとことん皮肉で笑えるのだが、そうした人々を笑う我々も実は笑っていられない。特に熱心な自民や維新の支持者は、一度冷静に考えてみるべきである。

 

本作のタイトルである Don’t look up には様々な意味が込められている。「上を見るな」とう意味だが、この上というのは物理的な方向としての上だけではなく、社会経済的階級あるいは権力構造の上の方を見るなという意味であるとも受け取れる。あるいは「調べ物をするな」という意味にも解釈可能である。実際に政治指導者層や超富裕層は、ピンチを自らの利に変えようとする、というか変えてしまう。その一方で、自らの提唱する政治・経済理論の正当性を決して検証しようとしない。このあたり、失われた30年と言われながらも、常に財政出動に及び腰かつ雇用の非正規化に邁進するばかりのどこかの島国は、曲学阿世のエセ学者・竹中平蔵や、イソジンでコロナが減らせるとエビデンスも糞もない「嘘のような嘘の話」を振りまいた吉村洋文らがペテン師であるということにいい加減に気が付くべきである。 

 

ディカプリオの見せる迫真の演技と渾身の演説が、漫画的なコマ割りのごとく良い感じにぶつ切りにされて、さらに笑いと悲哀を誘う。メリル・ストリープによる大統領役や、その息子のジョナ・ヒル補佐官の存在感も大きく、出てくるたびに「アホか、こいつら」と思わせてくれる。一方で、物語は進行していくにつれてドンドンと深刻さを増してくる。それまでは平穏な日常を過ごしていた人々も、look up して彗星が視認できるようになると、さすがに事の深刻さを理解する。つくづく Seeing is believing. で、そういう意味では目に見えないコロナウィルスの存在をいまだに疑う人々が一定数存在することには一定の説得力がある。

 

すべてを笑いに転化しようとする本作であるが、クライマックスは二つの意味で笑えない笑いをもたらす。一つには、いわゆるトリクルダウン理論を彗星を使って本当に行ってしまい、その結果として大多数の一般庶民が苦しみ死んでいく様を淡々と描いているから。もう一つには、人類滅亡の結末として、社会の上層に位置する人々を徹底的にコケにしているから。なんとも言えぬ余韻を残す本作であるが、ブラック・コメディの傑作であることは間違いない。

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ネガティブ・サイド

ネットフリックス映画ということで、自宅鑑賞を前提にしているのかもしれないが、『 アイリッシュマン 』といい、本作といい、映画館で鑑賞するには膀胱への負担が大きい。映画は2時間ちょうどか、それをやや下回るぐらいがちょうどよい。

 

ケイトとその恋人との別れのその後、特にヒメシュ・パテルの役とティモシー・シャラメの役の対比がなされる場面があれば、なお良かった。

 

字幕にいくつかミスがあった。序盤で comet を「惑星」、終盤近くで best and brightest を「最新鋭」と する字幕があった。映画の欠点ではないが、一応指摘しておく。

 

総評

一言、傑作である。『 アルマゲドン 』や『 ディープ・インパクト 』の頃のような、無邪気なハリウッド映画の面影は全くなく、かといってエンタメ性の追求を忘れたわけでもない。『 シン・ゴジラ 』で日本はアメリカを容赦ない侵略国として描いたが、本作ではアメリカ人自身がアメリカ国家をそのように描いている。アメリカという国の精神的な成長を見る思いである。世界的な混乱を生むという意味ではコロナと彗星を重ね合わせて見ることも十分に可能である。観ている最中にはずっと笑えて、観終わった後にも笑える。しかし、笑いの裏にある現実批判の意味を悟れば、笑えなくなる。なんとも深みと苦みのある、大人の映画である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

sit tight and assess

「静観して精査する」の意。コロナ禍の始まりにおいて、我が国のアホな大臣が連発していた「高い緊張感をもって状況を注視する」という、「実質的には何もしません」宣言と同じような表現がアメリカにもあるようだ。ちなみにここでの sit は「座る」という意味ではなく「そのままでいる」という意味。sit still = じっとしている、sit idle = (機械などが)アイドリング状態である・使用中ではない、のように使われる。 

 

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『 ミッドナイト・スカイ 』 -ディストピアSF風味の人間ドラマ-

Posted on 2021年1月20日 by cool-jupiter

ミッドナイト・スカイ 60点
2021年1月17日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ジョージ・クルーニー フェリシティ・ジョーンズ デヴィッド・オイェロウォ カイル・チャンドラー ケイリン・スプリンゴール
監督:ジョージ・クルーニー

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Netflix作品の劇場公開。『 アイリッシュマン 』や『 シカゴ7裁判 』と同じく、目ざとい劇場が公開してくれたので、チケット購入とあいなった。

 

あらすじ

末期がんを患うオーガスティン・ロフタス(ジョージ・クルーニー)は、地球の滅亡が迫る中、北極の天文台に残ることを決断する。孤独の中で最後の日々を送る中、基地内に一人の物言わぬ少女、アイリスを発見する。ある時、宇宙船アイテルの乗組員サリー(フェリシティ・ジョーンズ)らが地球への帰途にあると知ったオーガスティンは、なんとかそれを阻止しようと交信を試みるが・・・

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ポジティブ・サイド

なんとも静謐な物語である。小説の映画化らしいが、日本なら誰が構想しそうな物語だろうか。『 インターステラー 』のように地球そのものが人類に牙をむいてきた結果として、人類が滅亡に追い込まれるという設定に、何をどうしてもコロナ禍について考えないわけにはいかない。変異種が出現して、それが日本に入ってきたことで、ぼんやりとではあるが、自らの死を意識したという人は少なからずいるのではないか。ウィルスと癌の違いはあれど、本作を通じて我々は最期の日々をどのように過ごすのかをシミュレートしているような気分になる。

 

映像というか、撮影もいい。オーガスティンが独りで基地に暮らす冒頭のシーンの数々は、常に引いた視線から。そして、アイリスとの邂逅を果たしたところからは、常にアイリスとのセットのショット。これはとある意図に基づいたカメラワークであることが後々に判明する。

 

それにしてもアイリスを演じたケイリン・スプリンゴールという少女の存在感よ。台詞を一度しか発さない(それもオーガスティンの想像)にもかかわらず、観る者の目をひきつけてやまない。静と動の切り替えが巧みというか、子どもらしさと子供らしからぬところが同居しているというか。特に目力を感じさせる表情が印象的で、あの顔で見つめられると、たとえジョージ・クルーニーでも心の奥底まで見透かされるような心地になるのではないか。マッケナ・グレイスやジェイコブ・トレンブレイの後継者が現れたと言える。

 

アイテル号のクルーでは、やはりフェリシティ・ジョーンズ演じるサリーの存在感が際立つ。実際に妊婦として撮影に臨んだというから驚きだ。元々、ヒロインというよりはヒーロータイプの役者だったが、本作ではさらに新境地を切り開いた。「女は弱し、されど母は強し」と言われるが、ならば妊婦とはいかなる存在か。命のゆりかごそのもので、まさに死につつある地球を「母なる大地」や「母なる星」とも呼ぶ。そう考えれば、サリーは新天地のイブになるのだろう。

 

地球が滅びゆく原因については明示されないが、“We failed to look after the place while you were away”や“Underground, only temporarily”というようなオーガスティンの台詞から色々と想像をめぐらすのも一興。そうして死に行く中、それでも希望に思いを馳せずにはいられないという人間の業は、それでも美しい。

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ネガティブ・サイド

SFのふりをした人間ドラマではあるが、SF部分をもう少し凝ってほしいもの。原作『 世界の終わりの天文台 』は1950年代または60年代の出版物なのかと思ったら、2010年代発行だった。以下、主に科学的な面からのツッコミ。

 

オーガスティンが極寒の海に放り出されるシーンがある。そこである程度泳ぐのは、まあ納得できないことはない。しかし、その後に氷上に辛くも脱した場面は納得できない。猛吹雪の中、濡れた衣服を着ていれば、あっという間に凍死するだろう。かといって服を脱いでも、すぐに凍死する。どうなっているのだ?まさかこれもhallucinationだとでも言うのか。

 

『 アド・アストラ 』では、海王星まで到達するのが早すぎると感じたが、本作では通信と通信の間隔が短すぎる。電波の速度は光の速度と等しいが、それでも地球とアイテル号の間を行きかうのに数秒、または1分ぐらいかかってもおかしくないはず。そもそも木星の衛星から地球に帰還するまでにクライオ・スリープ技術を使っているのだから、宇宙船の航行速度は光速の数百分の一のはず。なおかつ船員が目覚めたのは地球が目視できない位置(というか、普通の視力の人なら地球の地表からでも木星は目視できるのだが・・・)。ならば通信は、非常にストレスフルになるが、一方がしゃべって1分待つ、返事を1分待つ、などのイライラするような演出を少しでも取り入れるべきだった。途中で通信を途絶させてご都合主義的に復活、宇宙船がどんどん地球に近づいて、タイムラグがなくなったと説明すればよい。というか、天文台からアイテル号の位置を補足しながら、「交信可能になるまで11時間です」って、どういうこっちゃ・・・太陽系内にはミノフスキー粒子が充満しているのか。

 

アイテル号が『 パッセンジャー 』のアヴァロン号にそっくりなのは肯定的に捉えられるが、『 ゼロ・グラビティ 』さながらの浮遊小天体やデブリの爆撃を喰らう演出はもう食傷気味である。というか見飽きた。実際の宇宙は超を何回つけても足りないくらいにスッカスカな空間で、あのような事故など起きない。『 パッセンジャー 』の被弾に説得力があったのは、数十年も航行していたからで、アイテル号はせいぜい数か月だろう。

 

妊婦にEVAを任せるという船長の判断も良く分からない。というか、夫でしょ?父親でしょ?身重の嫁さんを銀河宇宙線が飛び交う宇宙空間に送り出すとは、いったいどういう了見なのだ?

 

ことほどさように科学的な見地(それも素人の)からはツッコミどころ満載であるが、SFのふりをした人間ドラマだと思って鑑賞するのが吉である。

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総評

静かに、しかし力強く愛の力を描いた秀作である。『 インターステラー 』とも共通する点として、愛の力は時に時空すらも易々と超えるという作り手の信念のようなものがある。それを陳腐と見るか、偉大と見るかは人によって意見が分かれるところだろう。そうそう、アイリスが一度だけ言葉を発するシーンがあるが、そこでは字幕ではなく英語の台詞の方に集中してほしい。字幕はネタバレに直結しているからだ。何故こういう訳をしてしまうのか、首をかしげてしまう。普通に「あの人を愛してたの?」で良かったのではないか・・・

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Polaris

SolarisではなくPolaris。意味は「北極星」である。『 ハリエット 』でも、自由の地である北を目指すための“The Guiding Star”として言及されていた。一般的な会話ではThe Pole StarまたはThe Polar Starという形で使われることが多い。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, SF, アメリカ, カイル・チャンドラー, ケイリン・スプリンゴール, ジョージ・クルーニー, デヴィッド・オイェロウ, ヒューマンドラマ, フェリシティ・ジョーンズ, 監督:ジョージ・クルーニー, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 ミッドナイト・スカイ 』 -ディストピアSF風味の人間ドラマ-

『 シカゴ7裁判 』 -年間最優秀海外映画候補の最右翼-

Posted on 2020年10月24日2021年1月18日 by cool-jupiter
『 シカゴ7裁判 』 -年間最優秀海外映画候補の最右翼-

シカゴ7裁判 85点
2020年10月21日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:エディ・レッドメイン サシャ・バロン・コーエン ジョセフ・ゴードン=レヴィット
監督:アーロン・ソーキン

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同僚のカナダ人とイングランド人が絶賛していた本作。“You must watch it.”と言われたからには観るしかない。Don’t get your hopes up.と自分に言い聞かせながら鑑賞した。これは年間最優秀映画候補の筆頭である。それほどのインパクトを感じた。

 

あらすじ

1968年、シカゴ。平和的な反戦抗議デモの参加者が民主党大会の会場を目指していた。だが、ふとしたきっかけで警察とデモ参加者が衝突、多数の負傷者が出る。デモの首謀者として逮捕、起訴された7人の男たちは裁判にかけられた。果たして彼らは無罪を勝ち取れるのか・・・

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ポジティブ・サイド 

2020年10月に公開(Netflixだが)されるということは、普通に考えれば映画の撮影はその約1年前。つまり、Black Lives Matter運動の発生以前。1960年代の事柄なので、構想自体は10年前に既に持っていたとしておかしくないが、それでも映画化に実際に動けるのはさらに1~2年前の2017~2018年頃だろうか。この時点でアメリカや香港のような極めて大規模な民衆主導のデモが発生するだろうということ、そしてその契機が警察などの国家権力がそれを暴力で鎮圧しようとしたことであったことを予見した映画人は『 ジョーカー 』の監督トッド・フィリップス以外にはアーロン・ソーキンぐらいだったのだろう。まさに炯眼である。

 

小難しい理屈は抜きにしても、本作は娯楽映画としても一級品である。オープニングのシークエンスからして、観客を一気に映画世界に引きずり込む。ベトナム戦争や公民権運動のことなど全く知らないという人には厳しいかとも感じたが、さにあらず。ベトナム戦争に派遣される兵士の数が「そんな馬鹿な」という勢いで増加していく。しかも、その映像がどこか明るくポップで、場面の移り変わりも小気味がいい。そしてマーティン・ルーサー・キングとロバート・ケネディの死を、どこかしらコミカルな銃撃音で片づけてしまうところで、この軽妙なテンポはさらに勢いづく。エディ・レッドメイン演じるトム・ヘイデンやサシャ・バロン・コーエン演じるアビー・ホフマンが次々にセリフをつないで、「いざ鎌倉!」とばかりにシカゴを目指していく。この10分足らずのオープニング・シークエンスだけでも何回も観たい。

 

時の政権が変わって、これまでお咎めなしだったシカゴ7ともう一人の裁判が急遽開かれる。どこかの島国の政治家夫婦を思い出させるではないか。この裁判というのが、はっきり言って出来レース。それまで接点のなかった7人を、シカゴの暴動を共謀して扇動したという、まさに「共謀罪」で吊るし上げることを目的にしているからだ。この時の判事が完全なる耄碌じじいで、軽度の認知症、人種差別主義者、弱い者いじめ、夜郎自大、傲岸不遜と、なにどうやったら人間的にこれほど欠陥のある判事になれるのかという、分かりやすすぎるヴィランである。通常、法廷ものといえば『 エミリー・ローズ 』のように、ヴィランは検察官であろう。判事が明確に敵というのは、なかなか珍しい。このホフマン判事を演じたフランク・ランジェラの卓抜した演技力のおかげで、観る側は否応なくシカゴ7の面々に感情移入してしまう。そして、国家権力の志向する正義に疑念を抱き、個々人が心に秘める正義を後押ししたくなる。それこそが本作を現代に放つ意義、監督からのメッセージである。

 

それにしても本作の検察および警察のやり口の汚さには辟易させられる。コミカルな序盤に、サスペンスフルな中盤の法廷闘争。判事の横暴だけではなく、検察の仕掛ける場外乱闘に、緊張が一気に高まっていく。それによってシカゴ7+1の代理人を務めるクンスラー弁護士の人間味と正義感が際立っている。まさに市井の弁護士という感じだが、それに対峙するエリート検察のジョセフ・ゴードン=レヴィットが、冷静冷徹ではあるが冷酷ではない、国家権力を振りかざせる立場にありながら自制心を有している。この二人が証人に対して尋問を行っていくシーンの数々は法廷ものとして見ても素晴らしい出来栄え。

 

クライマックスには心震わされた。この裁判はそもそも何を争っているのか。流血沙汰の暴動を扇動したのはデモ隊なのか警察官なのか。しかし、デモはそもそも何故組織され、行われたのか。それは、ベトナム戦争というアメリカ史における汚点(と敢えて言う)、その無益な戦傷者と戦死者のためである。国権の発動たる軍事力の行使への不信、そして国権の一角である司法への不信。アメリカ近代史の事件を描いた本作であるが、それが今日、このタイミングで公開されることの意義は大きいし、日本に住まう我々にとっても大いなる衝撃を持って迫ってくる作品である。

 

ネガティブ・サイド

シカゴ7+1であったボビー・シールの物語をサブプロットに上手く組み込めなかったのかと思う。彼の所属するブラックパンサー党への関心やその歴史的解釈や再評価への機運が、映画『 ブラックパンサー 』の公開および主演のチャドウィック・ボーズマンの急逝で高まっているからである。

 

トンデモ判事のその後の歴史的評価はまったくもって思った通りだったが、ジョセフ・ゴードン=レヴィット演じたシュルツ検察官のその後についても知りたかったと思う。

 

総評

政治サスペンスとしては『 女神の見えざる手 』と並ぶ作品で、法廷闘争劇としては『 判決、ふたつの希望 』に次ぐ大傑作である。米大統領選を前にNetflixで公開されたが、『 アイリッシュマン 』の時と同じく、こうした映画を上映してくれる劇場がある。検察官に正義感や良心はあるのか。判事に公正かつ中立的な判断力はあるのか。警察は自制心を持っているのか。本作の描く歴史を他山の石とできるかどうかが日本の分かれ目である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a contingency plan

emergency=「緊急事態」はTOEIC650点レベルの人なら8~9割は知っているだろうが、contingency=「不測の事態」となると、TOEIC800点レベルだろうか。しばしば、“Always have a contingency plan.”=「常に不測の事態に備えておけ」という警句の形で使われる。原発事故後は政府や東電が「想定外」という言葉を何とかの一つ覚えのように使っていたが、アホな政治家やインフラ事業者に対するcontingency plansを我々庶民は持てないのだろうか。

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『 2人のローマ教皇 』 -アカデミー賞助演男優賞決定-

Posted on 2020年1月5日2020年1月5日 by cool-jupiter

2人のローマ教皇 85点
2020年1月4日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:ジョナサン・プライス アンソニー・ホプキンス
監督:フェルナンド・メイレレス

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アカデミー賞助演男優賞はアンソニー・ホプキンスで決まりである。主演のジョナサン・プライスは回想シーンが中盤に挿入されている(=若い別の役者が演じるパートがある)ぶんだけ、『 ジョーカー 』のホアキン・フェニックスに分があると感じている。それでも『 天才作家の妻 40年目の真実 』の嫌味な夫を遥かに上回る好演であった。

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あらすじ

2012年、ベネディクト16世(アンソニー・ホプキンス)は新ローマ教皇として、カトリックの最高指導者となる。しかし、側近の不祥事によりその地位基盤は揺らいでいた。そんな折、かねてからカトリックの在り方に批判的だったアルゼンチンのベルゴリオ枢機卿から辞任の申し出を受ける。それを受理する代わりに、教皇はローマおよびバチカンでベルゴリオと対話を繰り返していく・・・

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ポジティブ・サイド

これは素晴らしいドラマである。ドラマの基本は対話であるが、これほど対話を軸に鮮やかに展開されていくドラマは、ちょっと思いつかない。『 マリッジ・ストーリー 』を遥かに上回るカタルシスが待っている。2019年11月に来日したフランシスコ教皇こそがベルゴリオ枢機卿その人である。彼はイエズス会出身であると知れば、親近感を感じる日本人は多いだろう。ぜひ多くの日本の映画ファンに観て欲しいと思う。なぜなら本作のジャンルは歴史であり伝記であるが、そのメッセージは極めて現代的なものだからである。

 

本作で繰り広げられるベネディクト16世とベルゴリオ枢機卿の対話には、非常に人間らしい要素が詰まっている。言い換えれば、信仰の在り方や教会内の政治力学などが話題になることはそれほど多くない。聖職者といえど人間であり、人間であるからには苦悩に苛まれる。そんな二人の男の対話である。まるで仏教のようであるが、れっきとしたキリスト教のカトリック教徒の伝記物語である。それだけ普遍性のある事柄であり、とっつきやすいとも言える。

 

具体的には劇場もしくはNetflixで鑑賞して頂きたいが、彼ら二人の対話は『 沈黙 サイレンス 』のテーマである神の沈黙があり、『 PK 』が言うところの回線の問題がある。つまり、非常に高位な宗教家や聖職者も、極めて世俗的な問いを持ち、極めて世俗的な迷いを抱いているということである。それは一介のサラリーマンが人生の意味を問うのと同じである。

 

ベルゴリオには複雑な背景がある。我々はなんだかんだで平和な日本に暮らしている。「戦後74年とは、我々が74年間戦争をしていないということである。我々はこれを戦後100年、戦後200年にしていかなければならない」と言ったのは誰だったか。『 サッドヒルを掘り返せ 』で、『 続・夕陽のガンマン 』撮影当時のスペインは軍事政権によって支配されていたということを知ったが、アルゼンチンも1976-1982年にかけて軍事独裁政権が成立していたことを不勉強故に知らなかった。大学生の時に、日本初のワールドカップ出場をテレビで色々な外国人と観ていたが、その時に日本を破ったアルゼンチンからの留学生が「この調子でイングランドも倒すぜ!」と息巻いていたことから、フォークランド紛争のことを教えてもらっていたというのに・・・ 今さらながらにそのようなことを思い出して、学ぶべき時に学ばなかったことを後悔している。

 

閑話休題。軍事政権下のアルゼンチンで行った宗教活動および政治活動を、ベルゴリオは悔いている。軍事政権とは、言論封殺を是とする政治体制である。そのことを現代日本に生きる我々はどう見るべきなのだろうか。敗戦日を終戦記念日という具合に奇妙な言い換えを行うことで、歴史から目をそらしてはいないか。ベルゴリオの「告解によって加害者は救済されても、被害者は救済されない」という言葉は、教会の役割を超えた何かを厳しく批判しているのではないか。時あたかも第三次世界大戦前夜の様相を呈している中、どこまでも対話によって相互理解を希求する2人の老人。そして、争うのであれば健全な形で争おうではないかと訴えかけるようなエンディングのシークエンス。教皇の座を得て、教皇の座を譲る。明仁天皇の生前退位はこれにインスパイアされたのではないか。そして、その教皇が来日をしたばかりというタイミングでこの作品が日本で公開されるのは偶然ではないだろう。対話せよ、というメッセージを受け取ろう。それが理性的な近代人たる我々の責務である。

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ネガティブ・サイド

二人とも英語が上手過ぎである。『 ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命 』のジェシカ・チャステインのように、わざと訛った英語を話すのはさすがに無理があり過ぎたか。

 

バチカンのスキャンダルについてもう少し尺を割くべきだったのではないだろうか。令和になり、セクハラは罪であるという意識がようやく国として生まれつつある日本には、カトリック聖職者による少年少女、さらには乳幼児への性的虐待がどれほどのダメージになったのかは想像が難しいかもしれない。まあ、日本に合わせてNetflixも映画は作らんわな。詳しく知りたいという向きには『 スポットライト 世紀のスクープ 』をお勧めしておく。

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総評

アンソニー・ホプキンスとジョナサン・プライスという二代巨匠の激突である。『 あなたの旅立ち、綴ります 』を観て、シャーリー・マクレーンほどの女優になると、演じる acting ではなく、なりきる being の境地に至るのだなと感じたことがある。それを思い出した。

 

 

Jovianのワンポイント英会話レッスン

Taken out of context

ベルゴリオの言う「言葉を切り取られた」という台詞である。日本の政治屋連中が「メディアに言葉を切り取られた」と言ったら、“My words were taken out of context.”と脳内翻訳してみよう。

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『 アイリッシュマン 』 -M・スコセッシの心の原風景-

Posted on 2019年12月4日2020年4月20日 by cool-jupiter

アイリッシュマン 65点
2019年12月1日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ロバート・デ・ニーロ アル・パチーノ ジョー・ペシ
監督:マーティン・スコセッシ

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『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』がQ・タランティーノの心の原風景を映画化したものだとすれば、本作はM・スコセッシの心の原風景を映画化したものなのではないか。これが観終わって一番に感じたことである。

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あらすじ

時は第二次大戦後の1950年代。マフィアの台頭と抗争の華やかなりし時代。フランク・シーラン(ロバート・デ・ニーロ)はマフィアのラッセル・“ルース”・バッファリーの下でヒットマンとして働いていた。彼は頭角を現し、全米トラック組合「チームスター」のトップであるジミー・ホッファ(アル・パチーノ)の知音となるが、それは更なる暴力稼業の始まりで・・・

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ポジティブ・サイド

この映画を私的に表現するなら、(『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』+『 ゴッドファーザー 』+『 ゴッドファーザー PART II 』+『 ゴッドファーザー PART III 』+『 グッドフェローズ 』+『 アウトレイジ 』)÷(『 JFK 』+『 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド 』)だろうか。つまり、懐かしさの中に悪辣さ、悪辣さの中にある懐かしさ、そこに真実を追い求めようとするストーリーであるように感じられたのである。

 

『 ジョーカー 』でも健在をアピールしたロバート・デ・ニーロが、意気軒高、老いて益々盛んな様を銀幕に刻み付けた。タクシー・ドライバー・・・じゃなかった、トラック・ドライバーが何の因果かマフィアの暴力のお先棒を担ぐようになるまでの経緯を、煤けた空の元で重厚に描かれる。一昔前には日本でもデコトラがちらほらと生き残っていたが、確かに『 トラック野郎 』には荒くれ者が多いようである。ただし、“アイリッシュマン”のフランク・シーランには戦争のバックグラウンドがある。戦争であれ抗争であれ、先に撃った奴が有利であることを、この男はよくよく知っている。いったい何人を殺すのかというぐらいに劇中でも殺しまくるが、フランクの狙撃は全てが近距離、それもほとんどゼロ距離で行われる。これは相手の懐に完全に入り込み、確実に命中させ、なおかつ反撃を食らわないという確信がなければできないことである。フランクが殺しの方法論や哲学を語るシーンはないが、それでもヒットマンとしての確立された自己があるということが如実に伝わってくる。稼業が何であれ、仕事人ならばこのようなプロフェッショナルでありたい、そう思わせるだけの迫力がある。ロバート・デ・ニーロ、健在である。

 

アル・パチーノ演じるジミー・ホッファも素晴らしい。チラッと名前を聞いたことがあるぐらいの人物だったが、そのカリスマ的な演説力と行動力、クレイジーなまでの権力欲、律儀にもほどがある連帯意識、破滅に向かっていたとしか思えない自意識は、『 スカーフェイス 』や『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』での演技に並ぶものと評したい。本人は怒り狂っているのだが、その様が意図せざるユーモアになっているシーンもいくつかある。「どのトニーだ?」の問いかけには、笑ってしまうこと請け合いである。

 

ルースを演じたジョー・ペシには、日本でいえば國村隼的な迫力がある。好々爺に見えて恐い。こんな爺さんがボソッと何かを呟いたら、忖度の一つや二つ、誰でもしてしまいそうだ。小柄な俳優が暗黒街の大物を演じることで、無言の圧力や不気味なオーラといった名状しがたい雰囲気が醸し出されている。彼の味方にせよ敵にせよ、関わりのある人間のほとんどがまともな死に方をしていない。そんな彼自身がまともな死を迎えられたのかどうか。観る者の想像に委ねられている部分もあるが、“Ill weeds grow fast.”とは、このような事柄を指すのだろうか。

 

本作は家族のストーリーでもある。より正確に言えば、親子のストーリーである。父が娘に寄せる愛情、そして娘が父に向ける軽蔑の眼差しの物語である。ヒットマンとして数々の殺しを請け負い、様々な犯罪をほう助してきた男も、その内側には人並みの愛情を持っている。アメリカ犯罪史の生き証人でもあるフランクは関係者の全てが鬼籍に入っても沈黙を保ち続けた。しかし、自らの愛情を隠すことはできなかった。何と悲しい男であることか。誰かが自分を訪ねてくるという希望にすがるフランクの姿を、人間らしさの表れと見るか、それとも哀れで孤独な末路と見るか。それはNetflixで確かめるか、もしくはレンタルできるまで待ってから確かめて欲しい。

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ネガティブ・サイド

アメリカ史についてある程度の知識がないと、何のことやら理解が難しい場面が多い。そういう意味でも冒頭に挙げたマフィア、ギャング系の映画のいくつかは鑑賞しておくことが望ましいのかもしれない。マフィア間の抗争や他グループとの抗争、国家権力との闘争など、彼らが現代に残した影響は計り知れない。ボクシングでは、ギブアップの意思表示のためには本来ならタオルは投入しない。それは大昔のことである。正しくは、セコンドがリングサイドに立ってタオルを振るのである。これは、まさにこの映画の描く時代に、自分の側のボクサー(それはギャンブルの対象でもある)がピンチに陥った時に、観客席からタオルを投げ込んで一次的に試合をストップさせてしまう不届き者が後を絶たなかったからである。こうしたチンピラ行為は、今では連邦法で取り締まられる。つまり、FBIに逮捕されてしまう。マフィアやギャング連中の何たるかを、劇中でもう少し詳しく描いて欲しかった。この映画を鑑賞するのはデ・ニーロやパチーノのファンがマジョリティかもしれないが、全員が全員、こうした歴史的背景に詳しいわけではない筈である。実際にJovianも前半はところどころがちんぷんかんぷんであった。

 

その前半のパチーノやデ・ニーロにはデジタル・ディエイジングが施されているが、これが気持ち悪いことこの上ない。『 キャプテン・マーベル 』のサミュエル・L・ジャクソンは普通に受け入れられたが、本作は無理である。特にアル・パチーノが不気味で仕方がなかった。『 アリータ バトル・エンジェル 』のアリータはだんだんと可愛らしく見えてきたが、今作の前半のパチーノは人間が機械的な仮面をかぶって演技をしているように見えて、とにかく気持ちが悪かった。これは何なのだろうか。

 

あとはとにかく長い。漫画『 クロス 』でもハリウッドのプロデューサーであるジャック・ザインバーグが「間にほどよく休憩をはさんだ3時間超の映画を作りたい」と言っていたが、インド映画のようなIntermissionをはさむことはできないのだろうか。それともNetflix映画にはそのような配慮は無用なのだろうか。長さは措くとしても、ペーシングに難がある。ジミー・ホッファが退場してからが異様に長く感じられる。ここからはアクションらしいアクションやサスペンスがなくなり、どちらかというとフランクの内省が焦点になるからだが、このパートだけでも10分は削れたのではないか。もしくは、もう少しメリハリのある作りにできたのではないか。自宅で適度に自分のペースで観ることができるように計算して作られたのかもしれないが、映画の基本は照明にしろ音響にしろ長さにしろ、劇場鑑賞を旨とすべしだと思いたい。

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総評

Netflix映画で、期間限定でミニシアターで公開されている。『 アナイアレイション 全滅領域 』もそうだった。Jovianはこちらはレンタルで観た。今秋、どこの映画館も一律に値上げを行ったが、年間50本を映画館で観るとするなら5000円、100本観れば10000円である。ボディブローのように財布には効いてくるかもしれない。本作を劇場鑑賞して、Netflixなどの配信サービス加入を真剣に考え始めている。アナログ人間のJovianにそう思わせてくれるだけの力のある作品であることは疑いようもない。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

That does it.

「 ひどすぎるぞ! 」、「 我慢ならん 」のような意味である。『 デッドプール 』でも、コロッサスに気を取られていたデッドプールがフランシスを逃がしてしまった時に、この台詞を叫んでいた。さあ、仕事や学校で気に食わないこと、理不尽なことがあった時には、心の中で“That does it!”と叫ぼうではないか。

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『 マリッジ・ストーリー 』 -既婚者、観るべし-

Posted on 2019年12月2日 by cool-jupiter

マリッジ・ストーリー 75点
2019年11月30日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:アダム・ドライバー スカーレット・ジョハンソン ローラ・ダーン
監督:ノア・バームバック

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シネ・リーブル梅田でいつぞやにパンフレットとポスターを見て、面白そうだと直感した。それからトレーラーも観ず、他サイトのレビューも読まず、公式サイトにも行かずに、完全に予備知識なしの状態で劇場鑑賞した。予想と全く違ったが、なかなかに面白い作品だった。

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あらすじ

女優のニコール(スカーレット・ジョハンソン)と舞台監督のチャーリー(アダム・ドライバー)の夫婦は、離婚を協議中だった。しかし、ふとしたことから互いに弁護士を立てて争うことになり、胸の奥底にあった思いが噴出してしまい・・・

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ポジティブ・サイド

スカーレット・ジョハンソンにしてもアダム・ドライバーにしても、オーラが隠しようのない領域にいる。そんな二人を凡百の夫婦にするのではなく、女優と舞台監督に設定したのが奏功している。両者とも、自己を表現することを生業にしているからである。芝居がかった台詞や仕草も、この設定のおかげでナチュラルなものに映る。実際に、ニコールとローラ・ダーン演じる弁護士のはじめての会話は、相当に芝居がかっている。ほぼ定点観測カメラでロングのワンカットを取り切ったが、この場面は映画というよりも舞台演劇のようだった。

 

アダム・ドライバーも魅せる。几帳面に家事をこなす子煩悩の父親でありながら、いかにもアメリカ的な封建的・家父長的な面も持っている。併せ、妻の母親とも友達のような関係を作ることができるナイスガイでもある。これができる男は強い。素直に心からそう思う。終盤の夫婦喧嘩は売り言葉に買い言葉で罵り合いがどんどんとエスカレート。最後には思わず心にもないことを叫んでしまい、後悔の念に打ちひしがれ、崩れ落ちて行く。密室に男女二人が寄り添い合う様は、夫婦という関係の一筋縄ではいかない難しさがよくよく表れていた。

 

子はかすがいと言うが、子は庇護者の顔色をよく観察している者でもある。同僚のアメリカ人は子どもを一年間アメリカの祖父母に預ける形で留学させたが、子どもはアメリカ滞在中は父母の不満を漏らして祖父母の庇護を巧みに得、日本に帰ってからは祖父母の不満を述べて以前よりも手厚い庇護を得ているという。我々はしばしば子どもを純粋無垢な存在だと認識している。純粋の部分は否定しないが、無垢という点に関しては検討が必要だろう。映画や文学においてもそれは同じである。

 

本作はアメリカの地域性の違い、そのコントラストを映し出してもいる。日本で言えば関東と関西だろうか。寒くて住居も小さく生活圏が比較的狭くなりがちなニューヨーク。温暖で、住宅が広く、どこへ行くにも車が必需品なロサンゼルス。それはまるで男と女の生物学的な差異を象徴しているかのようでもある。

 

知り合いの弁護士の方が常々おっしゃるのは、弁護士を立てる前に当事者で徹底的に話し合うべき、もしくは協議の前に弁護士の助言を仰ぐべき、ということである。もちろん商売でそう言っている面もあるだろうが、本作のようなドラマを観ると、これは真正の忠告であることがよく分かる。いったん離婚の手続きを弁護士に委ねてしまえば、お互いの減点材料の探り合いと責め合いになってしまう。弁護士の仕事は紛争の解決であるが、紛争の予防も仕事の柱である。弁護士の全てが『 ジュラシック・パーク 』に出てくるblood-sucking lawyerではないと信じているが、弁護士は誰も彼もがある程度は人の生き血をすすって金儲けをしている面は否定できない。離婚に際しての財産分与のあれこれを活写している点は実に参考になる。

 

結婚というのは難しい。テレビドラマ『 まだ結婚できない男 』でも阿部寛が結婚にまつわる各種の名言を引用するエピソードが最近あったが、本ブログ的には『 ゾンビランド:ダブルタップ 』のウィチタの台詞、「結婚したカップルがすることは一つ、離婚することよ!」を引くべきなのだろう。そのとおりになってしまったチャーリーとニコールの夫婦を、それでも応援したいという気持ちにさせてくれる本作は、既婚者にこそぜひ観て欲しいと思える仕上がりである。

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ネガティブ・サイド

ローラ・ダーン演じる弁護士のテンションが高すぎないだろうか。聖母マリアについて語るシーンは良いとしても、その他のシーンでの彼女のテンションの高さが、映画のトーンとマッチしていないように感じられた。チャーリー側が最初に接触したレイ・リオッタ演じる弁護士が典型的なblood-sucking lawyerだった。そのテンションに合わせるなら、その男の登場シーンが来てからでよかった。大女優と大監督の采配にケチをつけても詮無いことだが。

 

息子のヘンリーが失読症気味であること、その息子の読解の訓練に甲斐甲斐しく付き添うチャーリーの姿が争点にならないのは何故なのか。弁護士はもっとチャーリーのプラスの点を見るべきだ。

 

そのアダム・ドライバーは思わぬ歌唱力を披露してくれるが、日本語の歌詞が一部間違っている。字幕翻訳には字数制限という大きな制約があるのは承知しているが、二番以降の歌詞が命令形になっていることには、それなりの意味がある。そこを訳出できていなかったのは翻訳家の大きな減点材料となる。英語リスニングに自信のある人は、耳を澄ませて歌詞と字幕の意味を比較してみよう。

 

総評

結婚生活の負の側面が噴出するが、『 ゴーン・ガール 』と違って、結婚生活の闇の面は出てこない。そうした意味では、未婚者にも本当はお勧めすべきなのかもしれない。結婚の終わりは関係の終わりではなく関係の変化である。日本も離婚率が3割に達しているが、それはこの男女の関係の因習を新しく捉え直す時代に入ってきた、あるいはそうした世代が増加してきたことの証左だろう。であるならば、高校生や大学生あたりも室内デート・ムービーとして鑑賞してもいいのかもしれない。つまりは万人向きの良作ということである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

put ~ away

 

~を片づける、の意である。

 

散らかってるおもちゃを片付けなさい = Put the toys away.

本を片付けなさい = Put your books away.

服を片付けなさい = Put the clothes away.

 

ただし、部屋を片付けるや、机を片付ける(机そのものではなく、机の上の物を片付ける)場合には、異なる表現になる。Word for wordではなく、状況に応じて言葉や表現の意味を理解するように努めるべし。成人の学習者なら尚更である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アダム・ドライバー, アメリカ, スカーレット・ジョハンソン, ヒューマンドラマ, 監督:ノア・バームバック, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 マリッジ・ストーリー 』 -既婚者、観るべし-

『 アナイアレイション 全滅領域 』 -難解SFの佳作がまた一つ-

Posted on 2019年4月29日2020年1月28日 by cool-jupiter

アナイアレイション 全滅領域 70点
2019年4月28日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ナタリー・ポートマン オスカー・アイザック
監督:アレックス・ガーランド

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『 エクス・マキナ 』のアレックス・ガーランド監督作品で、Netflixオンリーでしか視聴できなかったものが、満を持してDVDその他媒体でavailableになった。ということで、さっそく近所のTSUTAYAに・・・行くと既に全滅であった。仕方なく、電車で数駅先のTSUTAYAで無事に借りてくることができた。

 

あらすじ

シマーと呼ばれる謎の領域が突如、出現した。軍は偵察隊を送り込むも帰還せず。唯一帰ってきたケイン(オスカー・アイザック)は重体。妻の分子生物学者レナ(ナタリー・ポートマン)は、真実を明らかにするため調査隊に志願する。レナ達がシマー内部で見たものは、遺伝子の屈折により、異様に変化した動植物たちだった・・・

 

以下、ネタばれに類する記述あり

ポジティブ・サイド

20世紀最大の科学的発見は、アインシュタインの相対性理論とワトソン、クリック両名による遺伝子の二重らせん構造の発見であろう。『 ジュラシック・パーク 』のイアン・マルコム博士(ジェフ・ゴールドブラム)の言葉を借りるならば、“Genetic power is the most awesome force the planet’s ever seen”なのである。遺伝子の変異により異形のモンスターと化したクリーチャーと戦うだけならば、これまでに何千本と製作されてきた。本作のユニークさは、恩田陸の小説『 月の裏側 』的なところにある。生き物が、その生き物らしさを保持しながらも違う生き物に変化してしまう不気味さ。人間が人間的でありながら人間ではなくなることの不気味さ。そうした雰囲気が全編に漂っている。かなりグロい描写があるので、耐性の無い人は避けた方が無難かもしれない。しかし、本作が最も際立っているのは、クリーチャーの鳴き声だろう。これにはJovianも怖気を振るった。

 

本作は序盤から生物の細胞分裂の話が繰り返される。基本的には細胞が分裂したことで新たに生まれる細胞は、元の細胞と同じである。しかし、そこに何らかのコピーエラーが生じるのが変異であり、シマーはどうやら非自然的な変異を促すものであるということが、映像や語りを通じて伝わってくる。それがリアルタイムで進行するところも恐ろしい。漫画『 テラフォーマーズ 』でも進化を強制する仕組みのようなものが火星に存在することが示唆されているが、あちらは数十年から数百点のスパンの話であるが、本作は調査隊チームのメンバーの身体の変化がリアルタイムで進行する。思わず吐き気を催すような変化もあり、やはりかなり観る人を選ぶ作品であると言えるだろう。

 

終盤に登場する宇宙生物は、おそらくミクロレベルでの遺伝子の振る舞いを生物というマクロレベルの行動に反映させているのであろう。変化は模倣から始まるのだ。『 旧約聖書 』の「 創世記 」にも、“我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう”というImago Dei=神の似姿という思想が見られる。そうか、これは宇宙人による回りくどいパンスペルミア・プロジェクトなのか。レナだけが生き残ることができたのも、他のメンバーには生に執着する理由が薄い一方で、レナは大学の同僚と不倫してセックスに耽るなどの生殖の能力と意思がある(ように見える)。Annihilationという原題の意味するところ、それは既存の遺伝子の緩やかな消滅=新しい遺伝子の繁栄だろうか。レナとケインは、同じく聖書から引くならば、新たなアダムとイブになるのだろうか。何とも不思議なSFを観た。そんな感覚が鑑賞後に長く続く映画である。

ネガティブ・サイド

レナの不倫相手が黒人学者というのは良い。遺伝子のミックス具合がその方が高いからである、であるならば、原作どおりに調査隊チームのメンバーも民族的に多様多彩なメンバーは揃えられなかったのだろうか。

 

また科学者で結成されたチームであるにもかかわらず、目の前にある重要な情報源に飛びつかないのは何故なのか。科学者を科学者たらしめるのは旺盛な好奇心と批判精神のはずである。それらがこのチームのメンバーには決定的に欠けている。先遣隊が残した情報を全て検証することをしないとは・・・ 著しくリアリティに欠ける行為で、個人的には納得がいかなかった。

 

総評 

極めて晦渋な作品である。系統としては『 2001年宇宙の旅 』や『 ブレードランナー 』、『 惑星ソラリス 』に属する、難解SFである。しかし、考察の材料はおそらく全て作品中で呈示されている。Jovianも初見では消化しきれていない部分があることは自覚している。いつかrepeat viewingをして、更に考察を深めて見たいと思う。

 

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