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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 配給会社:東映

『 ブルーサーマル 』 -もっと空を飛ぶことにフォーカスせよ-

Posted on 2022年6月9日 by cool-jupiter

ブルーサーマル 60点
2022年6月5日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:堀田真由
監督:橘正紀

『 トップガン マーヴェリック 』を2週連続で鑑賞して、頭が機内モードならぬ飛行機モードである。地元の映画館でグライダーの映画をやっていると知り、チケットを購入。

 

あらすじ

サークル活動や恋など、夢野キャンパスライフに憧れて青凪大学に入学した都留たまき(堀田真由)は、テニスサークルへの体験入会中に航空部のグライダーの翼を破損させてしまう。弁償するため航空部に雑用係として入部したたまきは、主将の倉持が操縦するグライダーで初めて空を飛んだことで、空に魅了されてしまい・・・

ポジティブ・サイド

空を飛ぶ映画というと『 BEST GUY 』や『 風立ちぬ 』、『 トリガール! 』などが思い浮かぶが、本作では内燃機関あるいは人力などの動力源なしに飛ぶグライダーという点が非常にユニーク。『 天空の城ラピュタ 』でパズーとシータが乗り込む凧型グライダーぐらいしか思いつかない。そんなグライダーを駆って、大空を舞う航空部の存在というのをJovianは本作で初めて知った。鳥人間コンテストはある時期から半分以上ぐらいのコンテスタントはお笑い要員だったが、航空部は機体に登場するにあたって医師による健康診断も必要と、相当に本格的である。こういった細かな描写がしっかりしているところが素晴らしい。リアリティが実感できる。

 

グライダーには動力がないので、風を捕まえて飛ぶしかない。そこで上昇気流を利用するわけだが、稀に雲(積乱雲をイメージすると言い)などがない場所で発生する認識しづらい上昇気流をブルーサーマルと呼ぶらしい。幸せの青い鳥ならぬ青い上昇気流である。ただ、blue thermal という英語はググった限りでは存在しないようである。おそらく和製英語、それもグライダー界隈のジャーゴンであると思われる。

 

閑話休題。たまきが所属することになる航空部の面々も多士済済。なぜか友達になるより前に付き合う(?)ことになってしまう空知や技量抜群のパイロットである倉持らとの出会いが、たまきを大きく変えていくこと。ベタではあるが、青春の爽やかなビルドゥングスロマンになっている。特に印象的なのは、たまきが他大学との合同練習で出会うライバルおよび意外な人物。典型的な関西人が現れてたまきに突っかかってくる。また、たまきに心理的なプレッシャーを与えてくるもう一人の人物は、観る側もささくれだった心持ちにさせる。たまきがこのねじれた人間関係にどうアプローチしていくのかが物語の大きな見どころになる。

 

もう一つ、空自体の高さや広さも見どころである。遠くの景色や地面の描写が丁寧で、『 トップガン マーヴェリック 』とまではいかないが、空を飛ぶ感覚を味わわせてくれる。いくつかある飛行シーンはなかなかのカタルシスをもたらしてくれる。疾走するような飛行ではなく、風をつかむ飛び方、浮遊感のある飛び方である。絶対ないのだろうが、4DXやMX4Dで体験してみたいと思わせてくれた。

ネガティブ・サイド

飛ぶ楽しさは堪能できるものの、その前に必要な座学がまったく共有されないので、たまきが空知や他の部員たちに色々と叱られる部分で共感できない。『 トップガン マーヴェリック 』でマーヴェリックがF-18の極太の戦技マニュアルをゴミ箱に捨てていたが、あれは ”If you think, you’re dead.” な本能型の天才パイロットの成せる業。本来ならば、空を飛ぶとはどういうことかを、ほんの3分程度で良いのでたまきに学ばせるシーンを映すことで、観る側にも翼が破損することの危険性、機体整備の重要性、航空力学、気象学などをダイジェストで伝えるべきだった。それがないためにたまきが工具を紛失するところや、逆に機体のバンク角はどれくらいが適切で、どれくらいが攻めた角度になるのかが分からなかった。少なくともJovian妻はそのあたりがチンプンカンプンだったとのことである。

 

全体的に内容を詰め込みすぎとの印象である。その割には様々な人間関係が深まっていかない、あるいは追求すべきドラマが放置されたままというのが多い。倉持や空知以外の部員との関係も特に描かれないし、ライバル大学の部員たちの関係も深堀りされない。ここなどは、倉持とたまきの師弟関係とのコントラストを描く絶好の機会なのに、脚本ではみすみすスルーしてしまっている。誠に惜しいと言わざるを得ない。

 

たまきが序盤に心肺能力の高さを見せるのはスポーツのバックグラウンドがあることから納得できるが、グライダーのバンク角を正確に推測する眼力あるいは体性感覚の鋭さについては、なにも情報はなし。たまきが天性のフライヤーで、説明はつかないものの、天才的な飛行の感性や感覚を披露していくのか?と思わせて、そういった展開もなし。キャラの深堀りが適切になされていなかった。同様のことは空知や倉持、朝比奈や羽鳥にも当てはまった。

総評

恋愛感情は否定しないが、それが芽生える瞬間の説得力が非常に弱い。そこは思い切って全部省いて、2時間弱のすべてをグライダーの整備や操縦、様々なパイロットたちとの切磋琢磨を描くことに費やすべきだったと感じる。ただ、青春アニメ映画なので色恋の一つや二つは許容すべきなのかもしれない。底が気にならない向きであれば、グライダーで空を飛ぶ若者たちの豊饒な物語が味わえることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

replacement

「代わり」の意。代わりを見つける= find a replacement というのはよく使われるコロケーションである。英会話初級から中級ぐらいの人は知っておきたい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, アニメ, 堀田真由, 日本, 監督:橘正紀, 配給会社:東映, 青春Leave a Comment on 『 ブルーサーマル 』 -もっと空を飛ぶことにフォーカスせよ-

『 ハケンアニメ! 』 -ブラック労働現場は無視されたし-

Posted on 2022年5月26日 by cool-jupiter

ハケンアニメ! 60点
2022年5月22日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:吉岡里帆 中村倫也 柄本佑 尾野真千子
監督:吉野耕平

 

「嫁さんが 観たいというので 劇場へ」と一句できた。それはさておき、辻村深月原作とは知らずに鑑賞した。『 冷たい校舎の時は止まる 』と『 かがみの孤城 』は傑作である。

あらすじ

斎藤瞳(吉岡里帆)は、とあるアニメ作品と出逢った衝撃から、務めていた県庁の職を辞し、アニメ業界に飛び込んだ。それから7年、新人監督としてデビューすることになった瞳は、プロデューサーの行城(柄本佑)の仕掛けによって、天才の誉れ高い王子千晴(中村倫也)と対談することになった。王子こそ、瞳がアニメ業界を志望するきっかけになった作品の生みの親だったのだ。対談の中で瞳は、王子の作品に勝って、覇権を手にすると高らかに宣言するが・・・

ポジティブ・サイド

Jovianは「映画を作る映画」が好きだが、アニメを作る映画というのも悪くないと感じた。アニメ制作については、ジブリ読本のようなものを読んだり、宮崎駿や庵野秀明のドキュメンタリー番組を観たりして得られる程度の知識しかない。その意味では本作の鑑賞は面白い体験でもあった。

 

冒頭は『 ER 緊急救命室 』の影響の色濃いロングのワンカットで、アニメ制作現場とそこで働く様々な職種の人間を映し出す。このシーンは非常に印象的で、アニメ業界へのイントロダクションとして素晴らしいものだったと感じる。

 

瞳と王子の対談は迫力満点。一億総オタクという言葉を「上から目線」と切って捨て、リア充という存在の対にあるのはみじめなオタクではなく別の形のリア充であるということを宣言するシーンは、アニメに限らず漫画やゲーム、ラノベなど他ジャンルのクリエイターたちの声をも代弁していたものだろう。それを受けても果敢に王子に宣戦布告する瞳の姿に、胸が熱くならずにいられようか。瞳と王子の両者の芯の強さを見せる名場面だった。

 

テレビアニメと映画の最大の違いは、その鑑賞方法にある。すなわち前者は実況中継可能で、後者は実況中継が不可能である。あるいは、前者は個人で鑑賞し集団で楽しむもの、後者は集団で鑑賞し個人で楽しむもの、と言い換えられるかもしれない。『 天空の城ラピュタ 』のテレビ放映時に一時期流行った「バルス祭り」は、その最たるものと言えるかもしれない。それを想起させるSNSへの書き込みテキストが画面を埋め尽くす様はなかなかに壮観だった。このテキストのスーパーインポーズの印象度は『 白ゆき姫殺人事件 』に次ぐ。

 

本作の一種のビルドゥングスロマンである。瞳という一人のキャリアウーマンの成長物語でもあり、同時に人間としての成長物語でもある。『 見えない目撃者 』と本作で、吉岡里帆はセクシーさを強調することなく売り出せるようになったという意味では、吉岡本人の成長にもなっている(『 ホリック xxxHOLiC 』は現時点では鑑賞予定なし)。監督だからといっても所詮は新米。絶対権力者でも何でもなく、実績やカリスマ性があるわけでもない。けれども自分のアニメ作りに懸ける想いはひたすらに真摯で、だからこそ次第に周囲のスタッフたちをも巻き込めるだけの熱量を生み出せたのだと納得できるだけの成長を見せてくれた。瞳を支えるプロデューサーを演じる柄本佑が業界人っぽさを好演。実に嫌味ったらしい男をけれんみたっぷりに演じている。最初は「なんだこいつは?」と感じるのだが、物語が進むにつれて、この男の一挙手一投足にグイグイと引き込まれてしまう。その絶妙な仕掛けを知りたい人はぜひ本作を鑑賞されたし。

 

対する王子と、彼を支えるプロデューサーの尾野真千子のコンビも魅せる。天才的なクリエイターで、初発作品があまりにも high quality だったせいで、二作目や三作目も標準以上の出来映えなのに、物足りなさを感じてしまう。映画や文芸の世界でたまにいる(森博嗣のデビュー作『 すべてがFになる 』が一例ではないか)が、アニメ界も同様だろう。そうした天才の虚飾の仮面とその奥の素顔を、中村倫也が好演している。それを支える尾野真千子が、会社上層部の指令と王子のわがままの間で悪戦苦闘する様は、サラリーマンの激しい共感を呼ぶ。

 

アニメで覇権を取ろうとする少々珍しい作品だが、それも大切な日本文化の一つ。感動的な作品ではあるので、週末の予定に入れておくのも良いだろう。意外にデートムービーにも使えるはず。そうそう、ポストクレジットシーンがあるので、慌てて席を立たないように。

ネガティブ・サイド

冒頭で気になったのが「アニメ」の発音、そのアクセントの位置。ナレーションはアに強勢を置いていたが、キャラクターの多くはメに強勢を置いていた。統一する必要はないだろうが、それでも業界人はメに強勢、その他の人々はアに強勢と、使い分けを徹底することもできただろうにと思う。

 

アニメ作りの現場で声優の収録シーンにばかりフォーカスが当たっていたが、もっとBGMや効果音にも焦点を当ててほしかった。特に瞳が作る『 サウンドバック 奏の石 』は、音がテーマなのだから、コンポーザーやミキサー、フォーリー・アーティストこそ脚光を浴びるべきではなかったか。

 

冒頭でプロデューサーがオープニング・ロゴのデザインにケチをつけていたが、そんな越権行為が現実に存在するのか。プロ野球チームのGMが選手の打撃フォームや投球フォームを力づくで矯正したら大問題だろうと思うが。

 

本作の最大の欠点は日本的デスマーチをある意味で礼賛してしまっているところ。そして、有能なクリエイターに正当な対価ではなく情でもって仕事を依頼するところだろう。神作画と称賛されるようなクリエイターをこんな風に使うからこそ大企業なのかもしれないが、これでは日本のクリエイターは国内向け資本相手に仕事しなくなる。もしくはクリエイター志望者そのものが減って、ピラミッドの頂点がどんどん低くなる。由々しき問題だ。デスマーチを是とするのもいかがなものか。助監督が味噌汁を作って頑張ると同レベルの、元・制作進行、現プロデューサーがおにぎりを作って頑張るというのは美しいことは美しいが、そこに美徳を見出せるのはせいぜい1980年代生まれまでではないか。今の30代以下は、本作に映し出される労働の現場をどう見るだろうか。好意的に見る者がマイノリティであることは間違いない。

 

総評

良くも悪くも『 バクマン。 』そっくりである。個の力を最大限に称揚するのは確かに美しいが、そこに芸術的な美しさは見えない。また、日本的な超人的な個の働きへの依存と現場の空気に染まるという「失敗の本質」が色濃く出た作品でもある。だが、それはそれ、である。そうした日本の伝統的にダメな部分はいったん忘れて物語世界に没入できさえすれば、クリエイターたちを取り巻く豊かな人間ドラマが味わえるだろう。鑑賞時には思い切って片目をつぶろうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

emerge victorious

瞳が王子に「勝って、覇権を取ります!」と宣言した台詞の私訳。 I will emerge victorious. = 私が勝者になる、という意味で覇権うんぬんではないのだが、そこは訳出不要と判断。emerge victorious というのはボクサーが計量後の記者会見などで使うのをよく聞く。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, ヒューマンドラマ, 中村倫也, 吉岡里帆, 尾野真千子, 日本, 柄本佑, 監督:吉野耕平, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 ハケンアニメ! 』 -ブラック労働現場は無視されたし-

『 さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅 』 -Adieu Galaxy Express-

Posted on 2022年4月27日 by cool-jupiter

さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅 55点
2022年4月24日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:野沢雅子 池田晶子
監督:りんたろう

『 銀河鉄道999 』の続編。これまたアクション多め、かつ旅情もしっかり感じさせてくれる作品。ただ展開の強引さは否めないし、前作の大部分を否定する作りはいかがなものかと思う。

 

あらすじ

惑星メーテルから地球に帰還した鉄郎(野沢雅子)は機械化人と人間の戦乱にその身を投じていた。劣勢の中、メーテルから「999へ乗りなさい」とのメッセージを受け取った鉄郎は、再び銀河鉄道999に乗り込み、アンドロメダを目指すが・・・

ポジティブ・サイド

ある意味で『 ターミネーター 』を先取りしたかのような戦火のただ中にいきなり放り込まれるオープニングはかなりの迫力。ここで次々に倒れていく大人の戦士たちが渋い。ドラマチックな死に方などせず、アッという今に死んでいく。水木しげるが最も顕著だが、松本零士も世代的に10代20代の頃など元兵士が周りにたくさんいたことだろう。そうした人々が描く戦争のリアリティには胸が潰れそうになる。

 

前作よりもさらに西部劇のテイストがアップ。特にオルゴールが重要な役割を果たすシーンは、どうやっても『 夕陽のガンマン 』を思い起こさずにはいられない。鉄郎との間に芽生える奇妙な友情は、前作で過ぎ去ってしまった少年時代の再来だった。このエピソードがないと、鉄郎の少年時代との決別、すなわち literal な意味での父親殺しが達成されず、物語に決着がつけられない。

 

幽霊列車の描写も興味深い。原作漫画の銀河鉄道は国鉄どころか省電のごとき権威で列車のスムーズな運航を至上命題にしていたが、それが堂々と押しのけられるのだから、この幽霊列車のインパクトは大きかった。元ネタはおそらく『 ソイレント・グリーン 』だろう。何のことだか分からないという人は、決してググらないように。また、この幽霊列車は個人的にはFF6の魔列車の元ネタになったのではないかと思っている。間テクスト性が多く見られる作品というのは、それだけ先行作品をリスペクトし、後発作品にリスペクトされているということだろう。そういう意味では黒騎士ファウストも漫画『 キングダム 』の王翦将軍の元ネタになっている?

 

謎の美女メーテルの神秘のヴェールをはぎとってしまった前作を逆手にとって、そのメーテルに別の属性を与えることによって新たな物語を作るのは見事。ミステリアスな美女との旅は、それだけでドラマになる。

 

ネガティブ・サイド

前作と同じで、やはりキャプテン・ハーロックやエメラルダスが前面に出すぎている。これらのキャラは原作漫画やテレビアニメでもたまに出てくるから良かったのだが、2時間の映画でこれだけの頻度で登場すると、さすがに少々煩わしい。

 

機械人間が接種・・・ではなく摂取する「命の灯」のアイデアは悪くはないが、取って付けたような設定にしか見えない。なぜ機械化人は戦争で人間を生け捕りにするのではなく、殺そうとするのか。道理に合わない。プロメシュームの意思は地球には届かない?そんな馬鹿な。それにいくら機械化人が超長命だといえど、戦争の前線に出てきて盛大に散るだろうか。前作の機械伯爵と同じく、頭部など重要部位を破壊されれば、機械化人の生命もそこで終わる。機械と人間の戦争は考えられなくもないが、機械化人と人間の戦争は考えにくい。

 

最も釈然としないのは「サイレンの魔女」と呼ばれる大暗黒彗星。都合よく現れて、機械化人および機械化文明のエネルギーを根こそぎ吸い取っていくが、なぜ機械エネルギーを吸い取って、生きた生命体のエネルギーは吸い取らないのか。本作では機械化人は「命の灯」をエネルギー源にしていることが明示されたが、それと人間の命の違いは何であるのか。またアルカディア号からの砲撃ビームを捻じ曲げるほどの重力あるいは吸引力を有しているのに、鉄郎と黒騎士ファウストの決闘においてはお互いに獲物をまっすぐに打ち合うという矛盾した描写も見られる。このデウス・エクス・マキナによる物語の強引な畳み方は納得しがたい。

 

総評

前作よりもパワーダウン。しかし前作のテーマであった「そして少年は大人になる」についてはしっかりと継承されていた。冒頭で鉄道を999に乗せんと奮戦する中高年オヤジたちのカッコよさよ。不惑を超えて彼らの男らしさにしびれた。もちろん、若い世代が観ても楽しめる要素はいっぱいある。これもGWに親子二代、できれば父と息子のペアで鑑賞してほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

if you like

メーテルから鉄郎に「あなたさえよければ、どこかの惑星で死ぬまで一緒に暮らしてもいい」と言う場面がある。「あなたさえよければ」というのは日本語でもよく使う表現で、これの英訳が ”if you like” である。

I can live with you on some planet for the rest of my life, if you like.

のように使う。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1980年代, C Rank, アドベンチャー, アニメ, 日本, 池田晶子, 監督:りんたろう, 配給会社:東映, 野沢雅子Leave a Comment on 『 さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅 』 -Adieu Galaxy Express-

『 銀河鉄道999 』 -A Never Ending Journey-

Posted on 2022年4月24日 by cool-jupiter

銀河鉄道999 70点
2022年4月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:野沢雅子 池田晶子
監督:りんたろう

どういうわけかこのタイミングで本作のデジタルリマスター版が劇場公開。『 ネバーエンディング・ストーリー 』に続いて、A Never Ending Journey へ。

 

あらすじ

星野鉄郎(野沢雅子)は機械伯爵の人間狩りによって母を殺されてしまう。復讐を誓う鉄郎は宇宙のどこかにあると噂される無償で機械の体を与えてくれる星に向かうため、メガロポリスのスラム街で銀河鉄道999の切符を手に入れるチャンスをうかがう。そんな時、鉄郎は自分に銀河鉄道999のパスをくれるという謎の美女メーテル(池田晶子)と出会い・・・

ポジティブ・サイド

冒頭から貧富の格差を描くシーンにぎょっとさせられた。本作が公開された1979年はJovianの生年である。イラン・イラク戦争前夜で、景気が良い時代とは言えないが、それでも経済的な格差の萌芽はすでに当時あったのだろう。松本零士の炯眼と言えるかもしれない。

 

鉄郎とメーテルが999に乗って赴く先がそれぞれに興味深い。特に土星の衛星タイタンが『 オブリビオン 』以前にフィーチャーされているのも先見の明があると感じた。冥王星が惑星から準惑星に格下げになったのは仕方ないが、だからといってその独特の軌道=彷徨う星としての性格が失われたわけでもない。今日では冥王星は実は内部に熱源を持っているとされるが、そのことが本作の価値を損なうわけでもない。宇宙には常にロマンがあり神秘がある。宇宙空間を記者が走るのだ。本作はサイエンス・フィクションではなくファンタジーであり、アドベンチャーである。

 

キャプテン・ハーロックにエメラルダス、海賊アンタレスやトチローなど、主要な登場人物が皆アウトローなのも良い。人間的な秩序が行き渡った宇宙は冒険の対象にはなりえない。特にトチローは(Jovianの勝手な推測だが)松本零士その人の東映・・・ではなく投影だろうと感じる。男は見た目ではなく甲斐性。強い思いに支えられた生き様があれば、エメラルダスのような美女とも添い遂げられる。

 

キャラクターで最も印象深いのは、やはりメーテル。切れ長の目に面長の金髪美女。しかし、服装は上から下まで黒というコントラスト。フードにコートと非常に厚い着こなしだが、脱ぐ時は脱ぐというギャップ。漫画でも映像でも魅せる。主役である鉄郎も漫画のユーモラスなところはそのままに、シリアスさを増したキャラ造形で、漫画の方が男の子なら、映画では「男の子」と「男」の中間だろうか。本作は人類全体の「幼年期の終わり」=Childhood’s End を描いているが、同時に星野鉄郎の「少年期の終わり」=Boyhood’s End をも描いている。

 

銀河鉄道の実現は難しそうだが、軌道エレベーターは何とかなるかもしれない。機械の体は難しくても、人体の一部の機械化なら可能かもしれない。作品自体はレトロだが、現代から未来にかけて考えるべき材料をたくさん含んだ良作だろう。懐かしのテーマソングと共に宇宙旅行に思いを馳せるのも一興である。

ネガティブ・サイド

原作漫画の主要なエピソードを詰め込みすぎな感じがする。アンタレスやエメラルダス、キャプテン・ハーロックなどはいずれもお馴染みのキャラだが、一作に全員を集めてしまうのは少々やりすぎ。鉄郎に何かピンチやトラブルがあるたびに彼ら彼女らが現れる。これではデウス・エクス・マキナと変わらない。もう少し鉄郎とメーテルの二人旅と言うことを強調した作りにはできなかっただろうか。

 

後はメーテルの正体というか、鉄郎の母との関係が少し曖昧だった。機械伯爵に剥製にされた母とプロメシュームの与えた肉体との関係については、もっとはっきりさせるか、あるいはもっとぼんやりさせた方がよかった。

 

総評

あまり小難しいことを考えなくても、アクション多めのアドベンチャー映画になっているので、小さな子どもでも楽しめる構成になっている。ブルートレインに乗ってあちこちへ旅したという世代は、ちょうど本作をリアルタイムで観た、あるいはテレビ放映などで見た世代だろう。ぜひ親子二代で劇場鑑賞してほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

miss one’s stop

電車やバスで「乗り過ごす」ことを言う。誰しも一度は経験があるだろう。個人的に最もショックだったのは、新幹線で新大阪で降りるはずが、福山まで行ってしまったこと。I missed my stop and found myself at Fukuyama station. 

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1970年代, B Rank, アドベンチャー, アニメ, 日本, 池田晶子, 監督:りんたろう, 配給会社:東映, 野沢雅子Leave a Comment on 『 銀河鉄道999 』 -A Never Ending Journey-

『 牛首村 』 -ジャパネスク・ホラー完全終了-

Posted on 2022年2月23日 by cool-jupiter

牛首村 10点
2022年2月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:Kōki, 萩原利久 芋生遥
監督:清水崇

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『 犬鳴村 』、『 樹海村 』に続く「恐怖の村」シリーズ第3弾。ジャパネスク・ホラーに一抹の希望を抱いて観たが、前二作に負けず劣らずの超絶駄作だった。 I gave up on 清水崇. 

 

あらすじ

奏音(Kōki,)はボーイフレンドの蓮(萩原利久)に、心霊スポット潜入動画を教えてもらう。そこには自分と瓜二つの女子高生が映っており、しかもそこで行方不明になっていた。何かを感じ取った奏音は蓮と共に撮影が行われた廃墟のある富山県へと向かうが・・・

 

以下、ネタバレあり

ポジティブ・サイド

飛び降りシーンが何度もリフレインされるところは少しだけ disturbing だった。

 

芋生悠が渾身の顔芸を披露しており、そこは評価せねばなるまい。『 犬鳴村 』の無表情なブレイクダンスは、怖さよりも滑稽さが遥かに優っていて、そこはさすがに反省材料にしたのだろうと思う。 

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ネガティブ・サイド

まず牛の首というのがよく分からない。牛首村と最初の心霊スポット潜入につながりがない。『 樹海村 』は青木ヶ原樹海、『 犬鳴村 』は犬鳴トンネルと、分かりやすい元ネタがあった。一方で、牛の首というのは???肝心の牛首村も、別に牛を飼っている様子はなく、この牛の首というものに最初から最後まで必然性が感じられなかった。「牛の首」という怪談の中身がすっからかんだったのと同様、物語もすっからかんという印象。

 

いまさら双子がどうこうとか何周遅れの『 シャイニング 』へのオマージュなのか。それにクソ田舎の集落に双子が生まれすぎ。集団心理もあるとはいえ、あのような露骨な口減らしに加担できるというのは、それだけの頻度であのような儀式を行っているわけで、やはりどう考えてもおかしい。一卵性双生児が自然分娩で生まれる率は0.4%。1000回に4回なわけで、穴倉の奥底に定期的に捨てられる双子の片割れを食料にアヤコが生き延びるにしても、月に一度ぐらいのペースでないと餓死するだろう。人口40万人台の尼崎市の年間出生数が4000件を少し上回る程度なので、月1で食料が供給されるには年間12人の双子が生まれる必要がある。年間12人の双子ということは一人だけで生まれてくるのはその250倍、すすなわち3000人。牛首村の人口は30万人ちょっとと見積もられる・・・って、んなアホな。劇場鑑賞中にも???だったが、あらためて計算してみて更に??????となった・

 

そもそも3歳だか4歳そこらで子どもが神隠しに遭ったというのに、双子のもう片方が行方不明の方を助けてきたというのは、親や周りの大人がいかに子どもに目を配っていないかの証拠だろう。一人いなくなったら、もう片方からは余計に目が離せなくなると思うが。またそんなことがあった村からは家族そろって脱出するのが普通の判断ではないか。なぜ奏音と父は東京に出て、詩音と母は村に残ったのか。そのあたりの説明も全くないし、推測できるような材料も提示されなかった。

 

キャラクターの行動原理も謎だ。ネット隆盛、SNS全盛時代の若者が、いきなり現地に赴くか?動画配信アカウントから普通に Instagram だか Facebook のアカウントに行けるのだから、そこから相手にコンタクトを試みる方が自然だろう。なんなら顔写真を送ってやればいい。それを一切せず、後から「実はあいつら全員死んでる」とか言われても、はあ?としか思えない。詩音も顔出しNGだというなら、何故被り物を脱ぐのか。いや、SNSで顔出ししている以上、動画配信などやればあっという間に顔など割れるだろう。いじめのような構図がそこにあるのは分かったが、それでも詩音の行動は意味不明だ。アヤコの呪いの対象も、本来なら詩音や奏音ではなく、同じ双子の片割れであるタエコになるのではないのか。もしくは、古くから村にいる年寄り連中か。発狂しているから手当たり次第に呪うのだ、というのなら松尾諭の死に方にも納得が行く。しかし、だったら何故に奏音の恋人の方は呪い殺されて、詩音の恋人の方は呪い殺されなかったのか(異世界に連れ込まれはしたが)。

 

廃墟そのものもリアリティが足りない。作られた廃墟にしか見えない。そういう意味ではストーリー自体はこけおどしだった『 コンジアム 』のプロダクションデザインだけは素晴らしかった。坪野鉱泉ホテルは遠目には『 ホテルローヤル 』のさびれたラブホのように見えたし、中の荒れ具合も一時期ニュースで話題になった鬼怒川温泉の廃墟ホテルの方が、中はよっぽど不気味だった。この坪野鉱泉と牛首村の穴蔵が実はつながっていて水だけは湧いている、ということなら、アヤコのサバイバルにも少しだけリアリティが出てくるのだが、そんな描写も一切なし。心霊現象を見せたいのか、それとも生きている人間やそこから生み出される風習の怖さを見せたいのか、そこの軸がはっきりしていないのが大きな弱点だ。

 

細部にもおかしな描写がいっぱいだ。いくら富山とはいえ真夏に窓ガラスが結露するか?しかも朝ではなく夜に。どれだけ短時間で寒暖の差がつくというのか。また、10年以上にわたって文字通りの意味で野ざらし雨ざらしにされていたちょうちょの墓がそのままの形で残っていることに座席から滑り落ちそうになった。富山のあの地域は風も吹かないし雨も降らないし雑草も一切生えないのか。そんなことはないだろう。実際に劇中でも2度雨が降っているし、そのうちの2回目は結構な土砂降りだ。あれでミニ盛土と墓標となる石が10年以上手つかずというのは説得力ゼロだ。

 

ホラー映画としての演出も栗シェのオンパレードで最早ギャグの領域。「ここでこうなるぞ」、「次はこれやな」という予感が次々と当たる。ちょっとホラーを観ている映画ファンのほとんどはこのように感じたのではないだろうか。ポストクレジットのシーンが始まった途端に「おいおい、『 犬鳴村 』エンドちゃうやろな」と不安になったが、やっぱり『 犬鳴村 』エンドだった。頼むから捻らんかい。クリシェはもうええっちゅうねん。

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総評

『 恐怖の村 』シリーズの中でも飛びぬけて怖くない。このシリーズは盛り下がる一方である。こんな作品の制作者側にカネなど一銭もやってたまるかと思う。無料クーポンで鑑賞した自分を褒めてやりたい。Kōki,が望んで出演したのか、それとも親の七光りなのかは分からないが、役者の才能は感じない。恐怖の村シリーズは駄作揃いだったが、三吉彩花や山田杏奈など、キャスティングは頑張っていた。Kōki,は三吉のようなルックスやスタイルはないし、山田のような表現者にもならないだろうとは感じた。ホラー映画好きにお勧めできる作品では決してないし、だからといってホラー初心者にお勧めするのも難しい。一つ言えるのは、清水崇はもうホラーを作らないほうが良いということぐらいか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I need to forget about this terrible movie ASAP.

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, Kōki, ホラー, 日本, 監督:清水崇, 芋生悠, 萩原利久, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 牛首村 』 -ジャパネスク・ホラー完全終了-

『 大怪獣のあとしまつ 』 -クソ映画・オブ・ザ・イヤー決定-

Posted on 2022年2月6日 by cool-jupiter

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大怪獣のあとしまつ 0点
2022年2月5日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山田涼介 土屋太鳳 濱田岳
監督:三木聡

 

怪獣というのはJovianの好物テーマである。2021年の夏頃だったか、本作のトレイラーを観て「ついに来たのか」と胸躍らせるテーマの作品に興奮したが、実物を鑑賞して心底がっかり。まだ2月だというのに、本作が年間ワースト映画に決定したと断言する。

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あらすじ

巨大怪獣が、ある日突然謎の光に包まれて死んだ。安堵する政府だったが、残された死体は徐々に腐敗・膨張し、ガス爆発を起こす。死体処理の責任者に抜擢されたのは特務隊員のアラタ(山田涼介)は、怪獣の後始末のために動くが、そこには元恋人の雨音ユキノ(土屋太鳳)、そして彼女の夫にして総理秘書官の雨音正彦(濱田岳)の姿もあり・・・

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ポジティブ・サイド

ない。

 

監督・脚本の三木聡と、プロデューサーまわりの人間は、二度と映画作りに関わらないでもらいたい。

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ネガティブ・サイド

以下、ネタバレあり

 

本作が『 シン・ゴジラ 』を始めとする多くの先行怪獣映画にインスパイアされたのは火を見るよりも明らか。それ自体は一向に構わない。さらにコロナ禍によって明らかになった日本政府の無能っぷりをあざ笑うのも構わない。問題は『 シン・ゴジラ 』の謡っていた日本=《現実》VSゴジラ=《虚構》が、実は有能な日本政府=虚構、ゴジラ≒原発あるいはコロナ=現実になったということを、全く下敷きにできてない作劇術にある。

 

設定にもキャラクターにもリアリティがない。『 シン・ゴジラ 』が却下した矢口とカヨコのロマンスネタを、本作はわざわざ放り込んできた。それが物語に一切の広がりを与えていないし、キャラクターの背景やキャラ同士の関係にも深みを与えていない。ひたすらに平板で薄っぺらい。『 シン・ゴジラ 』自体がヱヴァンゲリヲンとの壮大なマッシュアップであるが、本作はエヴァの要素を皮相的には取り入れつつも、物語性の面では何一つ引き継げていない。ゴジラやエヴァが面白いのは、自衛隊やネルフなどの機関の背後に、無数の人々の姿、そのエネルギー、仕事、協力、献身を感じ取ることができるからだ。本作はそうした背景の広がりや深みを一切考慮することなく、ひたすら内向きに展開する。閣僚同士の馴れ合いに、夫婦だの元カノ元カレといった極めて閉鎖的な人間関係にすべてを還元して、大怪獣という日本および日本国民が一丸となって闘うべき、そして処理すべき問題であるという意識を放棄している。それは冒頭の緊急速報のイタズラでも明らかである。普通、このような世界観であのようなイタズラをする、もしくは怪獣が死んだと考えられて、わずか10日であのようなおもちゃが作られて、売られるはずがない。そんなものが市場に出れば袋叩きにあうだろうし、使う人間も袋叩き似合うだろう。そうなっていない時点で、本作の提示する世界観はギャグ以外の何者でもない。

 

ギャグならギャグに振り切ってくれればいいのだが、どのシーンをとっても笑えない。蓮舫ネタはすべて滑っている。またギャグのつもりでやっているのかもしれないが、隣国をネタに笑いを取ろうとする試みも盛大に失敗している。笑いとは対象との距離から生まれるもので、隣国が言いそうなことをそのまま劇中で繰り返しても面白くない。そこを笑いのネタにするのなら、隣国の特徴を極限まで肥大化させるべきだ。「怪獣を死に至らしめた光は、我が偉大なる書記長の神通力によるものである。よって怪獣の死体は偉大なる我が国に属するのは当然のことである」というようなことを、民族衣装を着た老年女性アナウンサーに仰々しく喋らせるぐらいすべきである。

 

肝腎かなめの怪獣のあとしまつネタが、どれもこれも現実的な考証に基づいていない。陸に上がった鯨の死体が腑排ガスによって爆発するように、怪獣の死体が膨張して爆発するところまでは納得できる。問題は、それに対応する特務隊や国防軍のアホさ加減である。なぜ何の防護服も着用せずに怪獣に接近するのか。なぜ怪獣の体液をアホほど浴びた面々が、シャワーだけで無罪放免なのか。あらゆる機関で検査を受けるに決まっているだろう。また、怪獣が爆発するというのに、事前に何の防御壁らしきものも、ガスマスクも用意していない前線基地とは一体何なのか。自衛隊の面々が本作を見たら、頭を抱えることだろう。

 

あとしまつの作戦その一として凍結させるというのも、またもや『 シン・ゴジラ 』ネタ。それだけならまだしも、液化炭酸ガスで凍らせるというが、それだけの量の液化炭酸ガスなるものをどうやって用意するのか。『 シン・ゴジラ 』のヤシオリ作戦で準備された血液凝固剤はおそらく数千リットル。この数千リットルを用意するために、巨災対の面々は各方面に頭を下げまくった。本作にそのような描写は毫もなかった。怪獣の体表から体内深部まで凍結させるとなると、少なく見積もっても怪獣と同質量の液化炭酸ガスが必要である。シン・ゴジラの体重が9万2千トン。9万2千トンのガスなど製造できないし、貯蔵もできないし、もちろん輸送もできない。それに、河川上でそんな凍結作戦を実行すれば、河ごと凍るに決まっている。そうなれば、ダムを決壊させることなく河川の氾濫が起きる。しかし、そうはならなかった。監督権脚本の三木聡は、いったいどこまで考察したのか。それとも考察はそもそもしていないのか。

 

ダムを決壊させて、水洗トイレのごとく押し流すというのも、アイデアとしては悪くないが、その作戦の成功率を押し上げようという試みが一切ないのはどういうわけだ?たとえば、怪獣手前に即席でもよいので可能な限り河岸段丘を作って、水流の圧をアップさせようだとか、それこそ海上自衛隊の艦艇と怪獣を係留して引っ張るだとか、国力を挙げての作戦という感じが一向に伝わってこない。コメディだから・・・と思ってはならない。笑えるのは対象と距離があるからこそで、努力をつぎ込んだからこその結果との落差が笑いを呼ぶのであって、失敗が予想できるところで失敗しても、何も笑えない。

 

腐敗ガスを上空に飛ばすというのも笑止千万。そんなガスを噴出させる箇所、その角度をちょっと間違えただけでアウトという精度や確度を求められるミッションなら、それこそ風向きがちょっと変わった、風がちょっと強くなった、または弱くなっただけでアウトではないか。元焼肉屋としてこのアイデアは買いたかったが、あまりのアホさ加減に擁護のしようがない。ミサイルを撃ち込むという国防軍の作戦にしても、一発目のミサイルが何者かに迎撃されているのだから、その邪魔者の正体を確認したり、排除したりせずに、作戦を続行するのは不可解の極みである。

 

クライマックスの展開には開いた口が塞がらない。デウス・エクス・マキナと聞いて、個人的にゲーム『 Remember11 』を思い出したが、アレよりも更にひどいエンディングを見ることになるとは思わなかった。ウルトラマンを馬鹿にしているとしか思えないし、ゴジラも馬鹿にしているとしか思えない。

 

ポスト・クレジットにもワンシーン挿入されているが、観る価値なし。観れば腹が立つこと請け合いである。本気なのかどうか知らないが、続編を作るなら勝手にやってくれ。その時には、ゴジラファン、ウルトラマンファン、ガメラファン、その他もろもろの特撮ファンや、ライトな映画ファン以外の映画ファン全てを敵に回すことになるだろう。

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総評

金曜の夜に韓国ホラーの『 コンジアム 』を鑑賞していたが、どうしてもこちらを先にレビューせねばと思った。まさか0点をつける作品に出会うことがあるとは思わなかった。観てはならない。チケットも買ってはならない。関連グッズも購入してはならない。高く評価している評論家やレビュワーがいれば、それは利害関係者によるステマである。この作品の制作に関わった人間すべての頭を角材で思いっきりぶっ叩いてやりたい。心の底からそれほどの怒りが湧いてきた。「ごみ溜めにも美点を見出す」ことを美徳とするJovianですら、この作品の何かしらを評価するのは無理である。ミシュラン風に評価すれば、マイナス5つ星である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I need to forget about this shitty movie ASAP.

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, コメディ, 土屋太鳳, 山田涼介, 怪獣, 日本, 濱田岳, 監督:三木聡, 配給会社:東映, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 大怪獣のあとしまつ 』 -クソ映画・オブ・ザ・イヤー決定-

『 孤狼の血 LEVEL2 』 -狼は滅びていない-

Posted on 2021年8月22日2022年5月7日 by cool-jupiter

孤狼の血 LEVEL2 75点
2021年8月21日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:松坂桃李 鈴木亮平 村上虹郎 西野七瀬
監督:白石和彌

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『 孤狼の血 』の続編。松坂桃李がキャラクターとしても役者としても成長していることを証明したが、対する鈴木亮平がもっと恐ろしかった。

あらすじ

平成3年、広島。かつての仁正会と五十子会の抗争は、大上と日岡(松坂桃李)の奮闘によって手打ちに終わり、治安が取り戻されていた。しかし、超武闘派の上林(鈴木亮平)の出所により2代目五十子会に亀裂が入り、尾谷組との対立構造も先鋭化していく。日岡は騒乱を防ぐべく、チンタ(村上虹郎)をS=スパイとして上林組に送り込むが・・・

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ポジティブ・サイド

鈴木亮平演じる上林が言葉そのままの意味でヤバすぎる。まさに『 仁義なき戦い 』の世界観で、弱きを助け強きを挫くという任侠道などあったものではない。弱きを挫き、強きも挫くという、まさに悪い意味での極道。一般人が抱くヤクザへのイメージを極限まで肥大化させるとこんな奴になるのだろうという極悪人になっている。ただ悪いだけではなく頭も切れる。殺人事件の捜査でアジトに不意打ちをかけてきた日岡の尋問に対する切り返しは見事だったし、”ビジネス”を食らい、自身の叔父貴にあたる人物まで食らうという貪欲さとカリスマは、単なる暴力男に出せるオーラではなかった。白石監督の演出もあるのだろうが、鈴木亮平の役作りも大きい。デニーロ・アプローチが注目されがちだが、今作でも野生の肉食獣のような肉体美を披露してくれた。凶暴ヤクザを演じる力があるのが証明されたが、やりすぎである。これを超える演技は無理に思える。ヤクザ役のオファーはしばらく来ないだろう。Jovianのトラウマでもある目潰しをやりまくるのもポイントは高かった。『 ドント・ブリーズ2 』でも「勘弁してくれ」と感じたが、立て続けに見ること目潰しへのトラウマが少し減った気がする。

上林と対峙する日岡は前作から大きく成長した。オーソドックスな役よりも普通ではない役の方が成長できるのか。ヤクザをコントロールしようとしてヤクザそのままになってしまった大上の後継者に成長しつつあるように思えた。特に血まみれ、泥まみれになって戦うシーンが数多く出てくる。かなりきつめのアクションシーンが長めのワンカットで収められているが、事前の稽古は相当に大変だっただろう。正に体当たり。糞便を食わされた前作の大上の域には達していないが、それはまだまだ成長の余地があるということと解釈しておこう。

演技者として他にも印象に残ったのはチンタを演じた村上虹郎。在日のチンピラだが、ヤクザになりきれない半端者。普通のあんちゃんの顔とヤクザに取り込まれてしまった男の顔へ変貌する様はこの若い役者の確かな実力を感じさせる。チンタの魅せる実の親への盲目的な愛と上林が見せる盃ごとの親への盲目的な愛が奇妙な相似形になっていて、上林の上昇とチンタの転落のコントラストが大きく際立っている。

劇中でとあるキャラクターが共産党をユーモラスにディスるシーンは二重の意味で面白い。自分の行いを悪だと分かって悪行に手を染める者と、自分の行いを善だと信じて悪行に手を染める、いわゆる確信犯との違いを嗤うシーンだが、ここでは共産党員を嗤いながら、自分の信念に忠実な上林というヤクザと、これまた自分の信念に忠実な日岡という刑事が嗤われている。「お前らは根っこでは同じだよ」というわけだ。

物語は全編を通じて説教臭さとはほとんど無縁。重厚な人間ドラマだった前作の世界観を引き継ぎつつ、作風をガラリと変えてアクション方向に踏み切った判断は正解。最近の邦画がなかなか描けない人間が生きて人間が死んでいくという濃厚な物語に仕上がった。是非とも劇場でご覧いただきたい。

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ネガティブ・サイド

前作から引き続き登場する安芸新聞の記者が言う「表現の自由」は、「報道の自由」の間違いだろう。なぜこのようなミスがチェック段階で発見されず、なおかつ撮影まで行ってしまったのだろうか。

吉田鋼太郎のヤクザの親分役はさっぱりだった。元々のイメージも実際の演技もコミカルすぎて、物語世界から浮いていた。ミスキャストのように感じた。

西野七瀬の演技は悪いものではなかったが、平手打ちの力のなさや、声を張り上げるべき場面での声量の小ささは減点せざるをえない。

前作で大上が抱えていた秘密の大きさと深さから受けた衝撃があるので、今作のとある展開には驚きがなかった。「警察とはそういう組織である」ということを日岡は前作で学んだのではないか。

総評

どう考えても LEVEL3 に続くのだろう。日岡が狼の幻影を探し求めるのは、かつての大上、そして自身の中にある凶暴性の幻影を追っているように思えてならない。松坂桃李は『 不能犯 』、『 娼年 』あたりから演技の幅を如実に広げてきたが、本作でさらにその印象を強めた。さらに強烈なインパクトを残したのは鈴木亮平。小栗旬よりもハリウッドに近いのでは?ヤクザの没落と悲哀を描いた『 ヤクザと家族 The Family 』や『 すばらしき世界 』が目立つ2021年であるが、本作のような正統的なヤクザ映画もまだまだ面白さを保っている。日岡という刑事、松坂桃李という役者のビルドゥングスロマンとして必見である。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

freedom of the press

「報道の自由」の意。どういうわけか the freedom of the press や the freedom of press、freedom of press のように微妙に間違った形が散見される(特に受験業界)。

報道の自由を行使する = use freedom of the press

報道の自由を抑圧する = suppress freedom of the press

のように使う。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, アクション, 日本, 村上虹郎, 松坂桃李, 監督:白石和彌, 西野七瀬, 配給会社:東映, 鈴木亮平Leave a Comment on 『 孤狼の血 LEVEL2 』 -狼は滅びていない-

『 シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 』 -少年よ、大人になれ-

Posted on 2021年6月30日 by cool-jupiter

シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 75点
2021年3月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:緒方恵美 林原めぐみ 宮村優子 坂本真綾
監督:鶴巻和哉 中山勝一 前田真宏
総監督:庵野秀明

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仕事が忙しすぎるのだが、週末ぐらいはなんとか時間を作れるので、公開終了前に再鑑賞。

 

あらすじ

葛城ミサト率いるヴィレはパリ市街をコア化から解放するために使徒もどきと激闘を繰り広げていた。その頃、カヲルを失って放心状態になっていたシンジ(緒方恵美)は日本の第三村で大人になったトウジやケンスケと再会して・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭の使徒もどきvsヴンダーの搭載艦&マリは圧巻のスペクタクル。この部分だけでも繰り返し観たいと思わせる迫力。

 

大人になったトウジやケンスケが、壊れてしまった世界の再建に微力ながら貢献している様に、本来の大人のあるべき姿を見る思いである。子ども=性と労働から疎外された存在であるなら、大人とは性と労働に従事する存在だから。

 

シンジの立ち直りと綾波のそっくりさんやアスカとの精神的な別れを経て、父親であるゲンドウを精神的に殺すに至る過程。そして海という母の羊水の象徴から抜け出て、また別の海=マリに向かっていくという流れに再鑑賞でシンクロできた。綾波、式波、真希波の軍艦名ばかりが注目されるが、マリ=Mari=Mare=イタリア語の海の複数形だということも強調されてよいはずだ(牽強付会という自覚はある)。

 

ゲンドウとシンジの一騎打ちは初回鑑賞時と同じく笑った。再鑑賞では、精神的な意味での父親殺し以上に、あまりにも自分の欲望に素直でいるために結果として素直になれないという逆説的な自分の心の葛藤を表しているように感じられた。

 

結局のところ、シンジ=庵野秀明の自己投影だという構図が最後まで維持された。いや、『 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に 』で「現実=夢の終わり」と明言した、あの嫌な庵野がいなくなったと言うべきか。嫌な庵野というのは、現実で満たされない自分を虚構の作品の中でも満たそうとしない屈折した精神構造の持ち主という意味である。庵野も大人になったということか。mellowになったと言い換えてもいい。エヴァンゲリオンが存在しない世界というのは、もはや胎内回帰を必要としない世界ということで、男が母親離れするのは妻ができた時と相場が決まっている。マリ=安野モヨコだと巷間よく言われることだが、正にその通りなのだろう。おめでとう、碇シンジ=庵野秀明。君は自慰にふける少年を脱して、愛し愛される大人になったのだ。

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ネガティブ・サイド

サクラたちがシンジをどこまで敵視する描写がくどい。トウジからの手紙を受け取ったサクラがちょっと改心、あるいは回心するような描写が欲しかったと思う。

 

今更ケチをつけてもしょうがないが、宇多田ヒカルの歌う『 One Last Kiss 』や『 Beautiful World 』のストレートすぎる歌詞が新世紀エヴァンゲリオンの世界観に合わないように感じる。どうしようもなく。『 残酷な天使のテーゼ 』や『 魂のルフラン 』、『 心よ原始に戻れ 』が持っていた強烈な寓話性が感じられない。

 

総評

びっくりしたのが、再鑑賞時の劇場の客の入り。底を脱したとはいえコロナ禍のただ中で4割ほど入っていた。そして観客のほとんど全員がリアルタイム世代のJovianよりも若かった。20歳前後と思しき女子やナード男子4人組など、どう考えても彼ら彼女らも再鑑賞組。リアルタイム世代以外でもファンになり、完結作品を何度もしっかり見届けるファンがいることを知って、邦画(アニメだが・・・)もまだ死んでいないと思わされた。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

doggo

犬のちょっと可愛らしい言い方。つまり、ワンコくんの試訳。たぶん、劇中の大部分でマリはシンジをpuppyと呼んでいるのだろうが、最後の最後だけはdoggoと呼んでいるような気がする。doggoは元々はインターネットスラングかつインターネットミームだったのだが、今では普通に会話でも使うようになった。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, アニメ, 坂本真綾, 宮村優子, 日本, 林原めぐみ, 監督:中山勝一, 監督:前田真宏, 監督:鶴巻和哉, 総監督:庵野秀明, 緒方恵美, 配給会社:カラー, 配給会社:東宝, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 』 -少年よ、大人になれ-

『 いのちの停車場 』 -2021年邦画のクソ映画・オブ・ザ・イヤー候補-

Posted on 2021年6月24日 by cool-jupiter

いのちの停車場 20点
2021年6月13日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:吉永小百合 松坂桃李 広瀬すず 西田敏行
監督:成島出

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現在、本業が多忙を極めているため、鑑賞記事をやや簡素化しています。

 

あらすじ

救急一筋のベテラン、白石咲和子(吉永小百合)は、無免許にもかかわらず医行為を行った野呂(松坂桃李)をかばって辞職。郷里の石川の「まほろば診療所」で在宅医療に従事することになる。院長の仙川(西田敏行)や訪問看護師の星野(広瀬すず)らと出会い、医療というものを見つめ直していくが・・・

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ポジティブ・サイド

松坂桃李が文字通りの意味のパンツ一丁で頑張った。『 娼年 』でも体を張ったが、あちらはリハーサルを何度もできるだろうが、今作のパンツ一丁シーンはリハは無理だろう。

 

松坂桃李が「息子」を演じるシーンも良かった。

 

石川の小京都らしさも堪能できるのは楽しい。モンゴル料理も食べたくなる。

 

ネガティブ・サイド

原作小説を読んでいないので何とも言えないが、脚本家の平松恵美子が原作を読み間違えている。あるいは自分の趣味を混ぜすぎている。そのどちらかだろうと感じる。この人は家族をテーマにするのが得意なのだろうが、そうではないテーマで執筆すると『 旅猫リポート 』みたいなトンデモ作品を書いたりしてしまう。

 

本作の何がダメなのか。

 

1.リアリティの欠如

冒頭から重度熱傷かつ心停止の患者がかつぎこまれてくるが、その現場を指揮する佐和子が声は小さいわ、動きはとろいわで、まったくもって救急のベテランに見えない。Jovianは看護学校2年ちょっとで中退の経歴の持ち主であるが、それでも実習で受け持ち患者さんが急変して死にそうになった場面に2度出くわした。医師も看護師も超早口で、センテンスでなどしゃべらない。「バイタルサインを教えてください」などありえない。

 

医師「バイタル!」

看護師「呼吸14、熱発(「ねっぱつ」と読む。発熱の書き間違いではない)なし、98の60、パルス90、意識レベル200!」

 

のようなやりとりになる。日本中どころか世界中でそうだと断言する。本作での演技指導や医療の指導はどうなっているのだ?

 

2.救急医療と在宅医療の違いが描けていない

患者の個別性を抜きにして、とにかく救命を第一義とする救急と、ほとんど全員が慢性疾患の在宅患者へのケアの違い、そのコントラストがまったく見えない。星野が佐和子を指して「仙川先生とはずいぶん違いますね」と言うシーンがあるが、具体的にどう違うのかを説明するセリフも場面もない。なんじゃそりゃ。『 けったいな町医者 』のように医療=往診であるというのは伝わるが、ゴミ屋敷の掃除とかするか?これは原作通りのエピソード?多分違うな。住人がなぜ家をゴミ屋敷にしてしまうのか、その心理を勉強せずに脚本家が入れ込んだシーンだろう。脚本家は今からでも遅くないのでけったいな町医者=長尾先生のところに行ってみっちり勉強すべきだ。

 

3.エピソードを詰め込みすぎ

次から次へと人が死んでいくが、ドラマチックさも何もない。舞妓さんとかIT社長とかばっさり省いてよかった。小児がんの子どもをメインに据えて、その子の治療と野呂との関わり、さらに周辺の人間模様をじっくりと描写しながら、合間合間にその他の患者さんへの往診シーンをはさんでいく形式の方が絶対にドラマが盛り上がったと思う。悪いけれど石田ゆり子も全カットで。

 

4.キャスティングのミス

1.とも関連するが、吉永小百合がダメダメ。田中泯と親子役って、この二人は完全に同世代やろ・・・ 本来の佐和子役には沢口靖子や木村多江、夏川結衣あたりを充てるべきだった。また広瀬すずにも多大なる違和感。訪問看護師は広瀬すずというか星野麻世の年齢やキャリアで出来る仕事ではない。看護の専修学校を出て21歳、そこから病院で臨床経験を最低でも5~6年は積まないと勤まらない。いったん専門分野が決まればそれが変わることがほとんどない医者と違い、看護師は耳鼻科で1年、消化器内科で2年、手術室勤務で2年、急性期病棟で2年・・・といったキャリアの積み方はそれなりに大きな病院であれば珍しくもなんともない。逆にこれぐらいの経験がないと、薬もない、器具もない、人手もないという完全アウェーの訪問先での看護など出来ない。原作の星野も20代前半?いや、原作者の南杏子は医師なので、星野という人物をそんな風に設定しているはずはない。そう信じる。

 

5.テーマ性の欠如

在宅医療と安楽死が二大テーマのはずだが、前者も後者もどちらも描き切れていない。特に安楽死。『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』という超絶クソ駄作があったが、安楽死の難しさとは、それを施す側と施される側の認識の齟齬にある。安楽死を望むのは、文字通りの意味で死が安楽につながるからだ。さらに、その死に尊厳があるからだ。自分はこれだけの苦しみに耐えてきた。死ぬことでしか逃れられない苦痛に、自分は限界まで耐えたという人間の尊厳がそこにある。「人間は生きたように死ぬ」とは看護師歴数十年のわが母の言であるが、死は生の反対概念ではなく、生の成就である。何故本作で佐和子は父に対して、どっちつかずのあいまいな答えしか出せなかったのか。相手の名前すら知らずに治療して、それでも治療の甲斐なく死んでいくこともある救急の現場から、慢性期の在宅患者にじっくりと寄り添っていくというコントラストが描けない、ゴミ屋敷をきれいに掃除した瞬間に住人が死ぬという意味不明な描き方をする脚本家や監督では、このテーマは扱いきれないのか。原作小説ではどうなっているのだろう・・・

 

総評

成島監督よ、『 ソロモンの偽証 』は傑作だったのに、なぜ本作ではこうなった。よほどの松坂桃李ファンや広瀬すずファンでなければ観る必要なし。文句なしの駄作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. There wasn’t anything noteworthy in this film.

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, ヒューマンドラマ, 吉永小百合, 広瀬すず, 日本, 松坂桃李, 監督:成島出, 西田敏行, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 いのちの停車場 』 -2021年邦画のクソ映画・オブ・ザ・イヤー候補-

『 シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 』 -少年、神話にならず-

Posted on 2021年3月11日 by cool-jupiter

シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| ??点
2021年3月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:緒方恵美 林原めぐみ 宮村優子 
監督:庵野秀明

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ちょっと頭が混乱している。何か大きな感動を味わったような気もするし、肝心なところは有耶無耶なまま騙されたような気もする。レビューも書けそうにない。前3作はすべて劇場で観たが、最後のQから何年経ったのか。やはり復習鑑賞無しで臨むのは無理があったか。

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以下、取り留めのないメモ

 

・トウジやケンスケ、委員長が「大人」になっていることを素直に嬉しく思えた。子ども=性と労働から解放されている者、大人=性と労働に関わる者である。

 

・第三村のパートが少し冗長か。

 

・碇ゲンドウがひたすらキモイ。これはもう昔からそうだが、ユイと再会したいと願いつつ、結局そこにあるのは胎内回帰願望。人類補完計画と大仰に銘打っても、結局はユイを抱きたい、ユイに抱かれたいという非常に幼児的な欲求でしかないように思う。

 

・綾波の笑顔は、やはり絵が粗い最初期のものが一番ステキだなと感じる。

 

・アスカ、報われない女・・・

 

・マリ、いい女。

 

・『 残酷な天使のテーゼ 』も『 魂のルフラン 』も流れなかった。:||という反復記号の意味は・・・?

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210311175018j:plain元々のテレビアニメはJovianが高校生の頃に深夜放送していた。当時は“知る人ぞ知るアニメ”だったように思う。それこそクラス人数30人のうち、見ていたのは自分含め3人ぐらいしかいなかった。そこから一つの大きな潮流が生まれ、そして完結するという事象をリアルタイムに体験することができたのは僥倖だが、作品そのものを楽しめたのかどうか、それが自分でも分からない。本作で碇シンジはエヴァンゲリオンから「卒業」したわけだが、これはクリエイターとしての庵野秀明にとってプラスになるのか、マイナスになるのか。阪神淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件で閉塞感に満ちた世界から、ある意味で逃避できる作品だったのかな。かつて庵野から「いい加減、目を覚ませ」と痛烈なメッセージをリアルに受け取った世代としては、本作が完結であると受け止めづらい。そう感じるのは碇シンジが音になってしまったからなのか、庵野秀明が大人になってしまったからなのか、自分が大人になってしまったからなのか、それとも自分が大人になり切れていないからなのか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, アニメ, 宮村優子, 日本, 林原めぐみ, 監督:庵野秀明, 緒方恵美, 配給会社:カラー, 配給会社:東宝, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 』 -少年、神話にならず-

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