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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 配給会社:ツイン

『ズーム/見えない参加者 』 -Zoomらしさをもっと前面に出せ-

Posted on 2021年1月16日 by cool-jupiter

ズーム/見えない参加者 30点
2021年1月16日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ヘイリー・ビショップ
監督:ロブ・サベッジ

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Jovianは2017年の秋ごろから当時の仕事およびプライベートでZoomを使っていた。有料版を使い始めたのは2020年からだが、Zoomにはまあまあ詳しい方だと自負している。劇場予告を観て「遂に出るべくして出できたな」と感じた。が、甘かった。これは英国版『 真・鮫島事件 』であった。

 

あらすじ

コロナ禍でロックダウン中の英国で、ヘイリー(ヘイリー・ビショップ)は友人たちとZoom降霊会を開催する。だが、参加者のジェマが実在しない死者の話をしてしまったことで、本来呼び出されるべきではない霊が現れてしまい、ヘイリーたちは数々の怪異に見舞われてしまい・・・

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ポジティブ・サイド

無名に近い俳優たちだらけだが、そのおかげでリアリティが生まれている。『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』でも顕著だったが、こうしたアイデア一発勝負のホラーには有名キャストはノイズとなる。どうしても作り物感が生まれてしまうからだ。彼ら彼女らの話し振りも、なかなかにダーティーで、それが逆に親密さを感じさせる。実際にZoom飲み会をやっている面々というのは、往々にしてこういう関係性なのだろうと思わせる。ヘイリーとジェマの迫真の演技は見ものである。

 

スマホの顔認証や、コンピュータ音声に特有のサーっというホワイトノイズやクリック音もなかなか効果的。下手に大きな効果音を使うよりも、静かな耳慣れた音の方が恐怖感を演出しやすい。これはZoomに慣れた人ほど感じやすいはずだ。

 

科学的な知識の普及と浸透により、超自然的な現象は一時期後退していった。それでも携帯の普及と共に『 着信アリ 』が出てきたように、Zoomに代表されるウェブ会議システムのような新しいテクノロジーが生まれれば、やはりホラー映画がそこから生まれる。凡作ではあるが、暇つぶしにはなる。

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ネガティブ・サイド

全編がZoom上で行われること以外は、凡百のホラー映画と何一つ変わらない。「ここで大きなが音がするぞ」とか「ここでこけおどしのオブジェが出てくるぞ」という予感がことごとく的中する。まるでホラー映画の作り方の教科書を読んだ高校生あたりが作ったかのようにすら感じられる。実際に、細部にこだわらなければ、類似の作品は高校生に手に入るリソースだけでも十分に制作可能だろう。低予算であるならば、それこそアイデアにこだわるべきで、ホラーとして新しい何かを提供しようという製作者側の気概は一切感じ取ることができなかった。

 

いわゆるZoomらしさが一切なかったのは残念で仕方がない。Zoomが他のウェブ会議システムに比べて優っている(優っていた)点は、主に

 

1.お手軽さ

2.画面共有

3・ブレイクアウトルーム

 

だった。もっとこれらの特徴を生かしたホラーを構想すべきだろう。たとえばZoomはその参加の「お手軽さ」ゆえにZoom爆撃と呼ばれる悪質な乱入事件が世界で相次いで行われていた。そうした愉快犯(高校生男女数人がいいだろう)が大学のオンライン授業に爆撃を仕掛けて楽しんでいたところ、ランダムに入力したミーティング・パスコードによって入ってはいけない領域に迷い込んでしまい・・・というようなストーリーである。

 

「画面共有」や、それに類するファイル交換にフィーチャーするなら、例えば画面共有をすると参加者を映すウィンドウが縮小する。そこで共有を解除してギャラリービューに戻してみると、参加者が増えている。それも他人が乱入してきたのではなく、参加者Aと参加者A’が生まれて、自分同士で通話できてしまう。他の参加者は呆然とそれを眺めて・・・というようなプロットも割と簡単に思いつく。

 

ブレイクアウトルームでも恐怖は生み出せる。Jovianは大学の英語の非常勤講師を自身で行っていたり、あるいは派遣元企業の担当者としてそうした講師の授業をオブザーブ(ビデオをマイクもOFF)してフィードバックすることもある。某大学のオンライン授業をオブザーブした際に、ブレイクアウトルームに割り振られたので、学生のペアワークの様子を見学させてもらおうと思ったが、スクリーンネームを適当な6桁の数字にしていたせいで「え、誰これ?なんで6桁なん?学生じゃない?やばいやばい、怖い怖い、誰?」と学生に言われてしまった苦い経験がある。なので舞台を大学にして、オンライン授業でブレイクアウトルームに参加者を割り振るごとに、一人また一人で学生がZoom上からも、そして自宅からも消えていく。あるいはブレイクアウトルームの中だけで起きる怪奇現象があり、ホストも他の参加者もそのことになかなか気づいてくれず・・・といった物語も作ろうと思えば作れるのではないか。

 

Zoomならではの恐怖要素をもっともっと追求した作品は、今後インディーズで、もしくは高校生や大学生の映研やら、サンデー・アート・スクールのプロジェクトなどから生まれてくると思われるが、それに先立って本作はZoomの魅力と魔力を世に発信すべきだった。

 

そうそう、Zoomのギャラリー・ビューでは喋っている人の表示枠が黄色の太線で囲われるが、本作にはそれが無かった。監督および編集者の完全なるミスだろう。

 

最後のメイキング映像は完全なる蛇足。観ずに劇場を後にしてもなんの問題もない。

 

総評

クソホラー映画である。『 search サーチ 』のようなクオリティを期待するとがっかりさせられること必定である。68分(本編後のボーナス映像を除けば、おそらく60分)という短さで、なおかつ1000円でチケットを購入できるので、暇つぶしと割り切れるホラー愛好家のみにお勧めしておく。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be on lockdown

ロックダウン中である、の意。London is on lockdown.のように使う。どこかのアホな知事が不用意に発話したことから、意味や解釈に誤りが生じた語。決して「都市封鎖」という意味ではない。字義どおりに解釈すれば、都市封鎖=都市へ入ること、そしてその都市から出ることを禁じる措置であって、都市内での人々の移動は自由である。「国境を封鎖する」と聞けば、入国や出国が禁じられるが、国内の移動が制限されるとは誰も受け取らないだろう。Lockdown = 外出制限または移動制限と訳すべきと思う。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, E Rank, イギリス, ヘイリー・ビショップ, ホラー, 監督:ロブ・サベッジ, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『ズーム/見えない参加者 』 -Zoomらしさをもっと前面に出せ-

『 サスペクト 哀しき容疑者 』 -追跡者にして逃亡者-

Posted on 2020年8月27日 by cool-jupiter

サスペクト 哀しき容疑者 70点
2020年8月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:コン・ユ パク・ヒスン
監督:ウォン・シニョン

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コン・ユといえば『 トガニ 幼き瞳の告発 』や『 新感染 ファイナル・エクスプレス 』のような、非肉体系の俳優という印象だったが、本作では『 アジョシ 』のウォンビンに対抗するかのような華麗かつ残虐なアクションにチャレンジして、ある程度の成功を収めたと言える。

 

あらすじ

脱北した元精鋭工作員のドンチョル(コン・ユ)は、愛する妻子を殺害した犯人を追って韓国で運転代行業を営んでいる。ある夜、韓国経済界の実力者でドンチョルも世話になっていたパク会長の殺害現場に居合わせたドンチョルは暗殺者を撃破。しかし、逆に殺人犯としてミン・セフン大佐(パク・ヒスン)に執拗に追われることになる・・・

 

ポジティブ・サイド

まずコン・ユがここまで格闘アクションをこなすのかとびっくりさせられる。『 The Witch 魔女 』の魔女ジャユンかと見紛う体術を見せたりもする。日本で言えば向井理がバリバリの格闘シーンを演じるような感じだろうか。この強烈な違和感がどんどんと消えていく序盤から中盤、そして終盤にかけての疾走感は素晴らしい。節目節目に格闘、カーチェイス、爆発、狙撃をまじえてくるので中だるみを感じることが全くない。

 

特にカーチェイスは韓国の狭く入り組んだ路地を豪快に走破し、そんな馬鹿なという超絶テクニックで階段をクルマで降りたりもする。副題にある哀しき~は『 哀しき獣 』を意識してのことだろう。あちらはタクシー運転手、こちらは運転代行業。運転が上手いのは当たり前なのだ(上手過ぎではないかと思うが・・・)。邦画では『 プラチナデータ 』が、主人公が真犯人を追いかけながら自らも追われるというプロットだったが、二ノ宮演じる科学者がなぜあれだけ運動神経がよく、なおかつ単車の運転に長けているかの説明はゼロ。2010年代前半で、すでに邦画は韓国映画に負けていたのか。クルマのバリケードをある方法で突破するシーンには笑うと同時に感心もした。現実に実行できそうだぞ、と。とにもかくにも、本作のカーチェイスシーンおよびカーアクションは必見である。

 

パク会長殺害のミステリもストーリーを引っ張る重要な要素となる。食糧難ながらも軍拡に勤しむ北朝鮮へ重要な贈り物を携えて尋ねる予定だったというパク会長は、いったい何を手土産にしていたのか。それは朝鮮半島の緊張を高める代物なのか、それとも融和の機運を高める契機になるのか。ドンチョルの逃走とセフンの追撃が単なる個人の因縁ではなく、朝鮮半島の命運をも握っていると感じさせてくれる。ベタではあるが、まさに手に汗握る展開である。

 

ドンチョルとセフンの因果が交わる時に真相が明らかになる。追う者と追われる者の間に秘かに芽生えた奇妙な連帯感も、ベタではあるが胸を熱くしてくれる。シリアス一辺倒ではなく、セフン大佐の部下が要所要所でユーモアを発揮。アクション、ミステリ、サスペンス、ユーモアを実に適度に織り交ぜた韓流アクションの快作である。

 

ネガティブ・サイド

本作の最大の欠点はオリジナリティの欠如である。北朝鮮の元スパイという要素をごっそり取り除けば、かなりの部分は『 ジェイソン・ボーン 』の焼き直しである。また、一見すると細身の優男が実は凄腕の殺人マシーンというのは『 アジョシ 』のチャ・テシクの二番煎じ。そして、断崖絶壁を訓練で登るのは『 ミッション・インポッシブル 』とトム・クルーズ/イーサン・ハント。北朝鮮と韓国の男同士のほのかで奇妙な交流は『 JSA 』が遥かに先行していて、なおかつ優っている。そもそも妻子を殺された男が復讐のために立ち上がるというプロットが古い。小説から映画まで手垢にまみれまくった題材である。どこかで観たことがある構図や人間関係が多いのが本作の残念なところである。

 

細かいところではドンチョルが妻子の仇を前にして、あっさりと逃げられてしまうところ。普通、両足を撃つか何かして逃げられない、もしくは闘いになったときにアドバンテージをとれるようにするのではないかと思うが。まして、銃を持っているという絶対的な距離のアドバンテージを自分から相手の掌の文字を読みたいからと歩いて近づくか?サスペンスフルなシーンではあるが、現実味があるとは言い難かった。

 

ドンチョルの有能さを強調するあまり、北朝鮮が現実以上の脅威に描かれていた。本当にドンチョル級の工作員を養成する機関であれば、あそこまで過酷な訓練は課さないだろう。金の卵であるが孵化する確率は3%というのは馬鹿げている。自分が総書記なら機関のトップを間違いなく更迭する。

 

総評

韓国映画お得意の北朝鮮絡みのアクションであり、ミステリであり、サスペンスであり、ヒューマンドラマである。ハリウッドから直輸入したと思しきシーンのオンパレードであるが、それが見事に韓流のテイストと融合している。またコン・ユという俳優の底力と、彼の潜在能力を余すところなく引き出す脚本、そして監督の演出力にも舌を巻いた。ハリウッドのスパイ映画、アクション映画に飽きてきたという向きにこそ、本作を強くお勧めしたい。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

イーセッキ

セフン大佐が何回口にしたか分からないぐらい「イーセッキ」を連発している。イー=この、セッキ=野郎。イーセッキ=この野郎である。英語だと、You bastard、日本語だと、テメーこの野郎、ぐらいだろうか。『 アウトレイジ 』の韓国語吹き替えだと100回ぐらいイーセッキと聞こえてくるような気がする。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アクション, コン・ユ, パク・ヒスン, 監督:ウォン・シニョン, 配給会社:ツイン, 韓国Leave a Comment on 『 サスペクト 哀しき容疑者 』 -追跡者にして逃亡者-

『 新感染 ファイナル・エクスプレス 』 -韓国産ゾンビ映画の傑作-

Posted on 2020年5月17日 by cool-jupiter

新感染 ファイナル・エクスプレス 75点
2020年5月16日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:コン・ユ チョン・ユミ マ・ドンソク チェ・ウシク シム・ウンギョン
監督:ヨン・サンホ

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COVID-19のおかげでゾンビ映画的な世の中が現実化してしまった。だが、いち早くCOVID-19を抑え込んだ(ように現時点では見える)国もある。そう、韓国である。その韓国が生んだ傑作ゾンビ映画を、今というタイミングで見直す意味はきっとあるはずである。

 

あらすじ

ファンドマネージャーのソグ(コン・ユ)は離婚調停中。一人娘のスアンが釜山に向かうのに随行するため高速鉄道KTXに乗る。その頃、各地では謎のゾンビが出現していた。そして、KTX車内にもゾンビの影が迫って・・・

 

ポジティブ・サイド

『 トガニ 幼き瞳の告発 』のコン・ユが嫌な奴に見える。これはすごいことである。もちろん、そうした人間が変化していく様を描くことが本作の眼目の一つであるが、コン・ユという俳優の高い演技力を大いに堪能できるのが本作の収穫である。子役のスアンと顔立ちが似通っているという点もポイントが高い。親子であるという説得力が生まれ、だからこそコン・ユのダメな父親としての演技が光る。演技力という点ではKTX車内にゾンビウィルスを持ち込むシム・ウンギョンの演技も見逃せない。ゾンビ映画の文法に忠実に乗っ取りながらも、動けるゾンビを新しい形で提示した。特に子泣き爺的に標的にかぶりつく動作は、かまれている女性の火事場の馬鹿力的な描写とあいまって、妙なリアリティがあった。だが、なんといっても娘スアンの魂の泣き声の悲痛さよ。日本でもこれぐらいの金切り声で泣ける子役が欲しい。

 

ゾンビが跋扈する世界の恐ろしさは無論、襲い掛かって来るゾンビにある。だが、それ以上の恐怖は人間同士が疑心暗鬼になることだ。もっと言えば、その人間の本性が露わになることと言ってもいい。主人公のソグが自分と娘だけが助かればいいと身勝手な考えに囚われている中で、周囲の人間も自己中心的になる者、利他的になる者と分断されていく。

その過程の描写がねちっこい。特に必死で最前線を潜り抜けてきた者たちに対して容赦なく浴びせられる罵詈雑言は聞くに堪えない。胸が痛む。まるで現今の日本の医療従事者の家族へのいじめのようではないか。こうした、必死に戦う者への差別的な言動は普遍的に見られるもののはずである。なぜなら世界中のゾンビ映画に共通する文法だからである。クリシェと言えばクリシェであるが、今という時代に見返すといくつも発見がある。

 

ゾンビ発生の原因の一端を主人公ソグが担っていたという設定もなかなか良い。本作は詰まるところ、韓国社会における富裕層と中流層、そして下層社会民の分断を遠回しに批判しているのだ。マネーゲームに興じられるような強者の横暴が、巡り巡って大多数の庶民に多大な迷惑と被害を与えているのだぞ、というのが本作の脚本家と監督のメッセージである。いやはや、これはかなりの傑作である。

 

ネガティブ・サイド

走るゾンビは世界的にもだんだんと描かれるようになってきているが、本作でも健在。だが、上空のヘリコプターから落ちてきたゾンビやどう見ても脚や背骨が損傷しているだろうゾンビまでもが走りまくるのはいかがなものか。腕が異様な方向に曲がったまま走るゾンビは面白かったので、もっと足を引きずるゾンビ、高速で這うゾンビなど、走る以外の方法で迫りくるゾンビも見たかった。これは贅沢か。

 

途中、コン・ユ、マ・ドンソク、チェ・ウシクでパーティーを組むところで何故か上着を抜き出す男たち。いや、皮膚の露出は抑えろ。それに、携帯を使ってのトラップはなかなか良かった。であるならば、各車両に残された荷物を漁って、もっと使えそうなアイテムを探すべきではないか。女性もののカバンにはかなりの確率でスマホが入っているだろうし、旅行客の荷物ならタオル類などもあるだろう。力業以外の知恵の部分がもう少し見たかった。

 

ラストはかなり評価が分かれるところだろう。『 殺人の追憶 』や『 母なる証明 』のように、「え?」と思わせるエンディングの方が結果的によりドラマチックに、よりシネマティックになったのではないだろうか。

 

総評

本邦でも『 カメラを止めるな! 』や『 アイアムヒーロー 』、『 屍人荘の殺人 』など、近年でもゾンビ映画は制作され続けている。おそらくゾンビ映画もしくは未知のウィルス系の作品はメジャーやインディーを問わず今後も世界的な需要があるだろう。そこで日本はどんな作品を世に問うことができるか。本作は邦画が乗り越えるべき一つのハードルを示していると言える。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

クロニカ

「だから」の意味。「パパは自部勝手だ。だからママも逃げたんだよ」というセリフがあったが、話の文脈がはっきりしていると、どんな言葉もインプットしやすい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, コン・ユ, シム・ウンギョン, スリラー, チェ・ウシク, チョン・ユミ, パニック, マ・ドンソク, 監督:ヨン・サンホ, 配給会社:ツイン, 韓国Leave a Comment on 『 新感染 ファイナル・エクスプレス 』 -韓国産ゾンビ映画の傑作-

『 バハールの涙 』 -女、命、自由の時代を求めて-

Posted on 2020年3月14日 by cool-jupiter

バハールの涙 70点
2020年3月11日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ゴルシフテ・ファラハニ エマニュエル・ベルコ
監督:エバ・ユッソン

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『 パターソン 』でパターソンの愛妻ローラを演じたゴルシフテ・ファラハニの主演映画。英語、フランス語、ペルシャ語にクルド語まで解すとは、いったいどんな才媛なのだ。本作では一転、武器を取り、女性部隊を率いる勇猛な女性役。日本からこういう女優が出てこないのは何故なのだ?

 

あらすじ

バハール(ゴルシフテ・ファラハニ)はある日、ISの襲撃を受け、夫は殺され、息子は連れ去られ、自らと妹も拉致され、凌辱された。なんとか脱出したバハールは、女性部隊「太陽の女たち」を結成する。彼女たちを取材するジャーナリストのマチルド(エマニュエル・ベルコ)も、徐々にバハールの信頼を得ていく・・・

 

ポジティブ・サイド

ゴルシフテ・ファラハニの憂いを帯びた表情が何とも言えず良い。閉ざされ冷え切った心の奥底には、しかし、マグマが煮えたぎっている。そんな相反するような属性を併せ持つキャラクターをしっかりと体現した。バハールという女性は架空の存在のようであるが、その存在感は群を抜いている。小説や映画にありがちな、一見すると小市民だが、実は特殊部隊上がりだったとか、幼少から格闘技や暗殺術を叩き込まれていたといったような、ある意味でお定まりの背景を持っていないことが、逆にリアリティを高めている。平塚らいてうは「元始、女性は太陽だった」という言葉を残した。太陽は光と熱の塊であるが、表面よりも内部の方に圧倒的なエネルギーを蓄えている。植物にその無限のエネルギーを分け与え、我々動物はそのおこぼれに頂戴している。バハールをはじめとした「太陽の女性たち」が歌う「女、命、自由の時代」の歌には、名状しがたい力が溢れている。彼女らの歌う「女 命 自由の時代」というのは、それこそ「男 死 束縛の歴史」が続いてきたことへの痛烈な批判である。これを中東だけの事象であると思い込むことなかれ。ほんの1世紀前の極東の島国は、アジア中に死と破壊をもたらす戦争への道を、男だけの論理の世界で突き進んでいったのである。バハールが常に虚無的な表情で銃を手に持っているのは、それだけ目の前の現実に抑圧されているからに他ならない。我々も妻や母が虚無的な表情になっていないか、少しは気を配ろうではないか。

対照的に、エマニュエル・ベルコ演じるマチルドは、明らかに『 プライベート・ウォー 』のメリー・コルビンだろう。ホムスで逝ったコルビンの意思を受け継ぐかのように、マチルドはホムスの爆撃で片目を失明し、それ以来眼帯を巻いている。そのマチルドも、ジャーナリストとしての報道の使命を果たすことや真実を追求するために記者をしているわけではない。コルビンと同じく、市井の名もなき人々との出会いを羅針盤に、彼女は戦地を取材している。「我々は世界のことを考えすぎている」と養老孟司は喝破したが、本当は生身の人間に思いを馳せるべきなのだ。空爆があったとか、災害があった、疫病が流行したというニュースに触れる時、その地域にリアルタイムで生きる人々を想像する力を育むべきなのだ。彼女が自らを突き動かす行動原理を語る時、我々はバハールとマチルドが同志であることを知る。「女は弱し、されど母は強し」とはよく言ったものである。

 

本作は赤と黒が入り混じった光の使い方が印象的である。人間の内部のドロドロとした感情と、「太陽の女たち」を取り巻く現実のダークさ、不透明さを象徴しているかのようである。どこか『 エイリアン2 』を思わせる光の使い方である。

 

良いところなのかどうかは微妙だが、本作を鑑賞するにあたって、中東情勢やイスラム国の台頭、クルド人の歴史などを詳しく知っている必要はない。バハール、そしてコルビン・・・ではなくマチルドという個人の生き様に注目すべし。

 

ネガティブ・サイド

アクションやヒューマンドラマの演出がやや弱い。ストーリーそのものが充分にドラマチックであるからだろうか。ペルシャ絨毯の上に女性たちがどっかと腰を下ろして、各自銃の手入れに余念のない様子は印象的だった。いかにも非日常、緊急事態である。このような何気ない描写の中に感じる違和感=非常時、異常事態のただ中、というものをもっと使ってほしかったと思う。

 

後は石頭の男性司令官を、もうちょっと柔軟に描けなかっただろうか。あれでは融通さに欠けるただの無能、しかも下手をすればへっぴり腰のオッサンにしかならない。女性・母というもののしたたかさを描くために、男性をことさらアホに描く必要はない。男は元来、アホである。だからこそISを作ったり、そこに参加したりするわけである。

 

総評

一言、良作である。派手なドンパチはないが、それでも戦闘の緊迫感は伝わってくるし、なによりもバハールとコルビンの生き様がこの上なく inspirational である。戦争、紛争のニュースに接する時、我々は「あー、なんかやってるな」ぐらいにしか感じないが、それでもそこには生きた人間、死んでいく人間が存在することをこのような映画を通してあらためて知らされた。戦地のスーパーマンではなく、人間として強さの純度を高めた個人の物語であり、非常に現代的な作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You name it.

序盤の英語とフランス語とクルド語が入り混じっている場面で使われていた。意味は「その他にも色々ある」のような漢字である。実際の使い方についてはこの動画を見てもらえるとよく分かるだろう。こういった何気ない表現を会話やスピーチ、プレゼンの中で自然に使えれば英会話の中級者である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, エマニュエル・ベルコ, ゴルシフテ・ファラハニ, ジョージア, スイス, ヒューマンドラマ, フランス, ベルギー, 監督:エバ・ユッソン, 配給会社:コムストック・グループ, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 バハールの涙 』 -女、命、自由の時代を求めて-

『 PMC ザ・バンカー 』 -無国籍軍のUnsung War-

Posted on 2020年3月4日2020年9月26日 by cool-jupiter

PMC ザ・バンカー 70点
2020年3月1日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:ハ・ジョンウ イ・ソンギュン
監督:キム・ビョンウ

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原題はTake Point、つまり「最前線に行く」である。韓国と北朝鮮を隔てる38度線の地下で繰り広げられる戦闘を描いている。面白いなと思うのは、米朝首脳会談、その先の米大統領選がストーリーの下敷きになっているところ。2018年制作ということは、企画はその数年前だろう。制作者に先見の明があったのかもしれない。

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あらすじ

傭兵エイハブ(ハ・ジョンウ)は仲間と共に38度線地下のバンカーから北朝鮮の要人を拉致、護送する任務をCIAより受ける。だが現場に現れたのは最高指導者、通称キング。それでも作戦は結構され、簡単に成功・・・したかに見えた。しかし、米中の二超大国の政治的思惑に翻弄され、エイハブは一転、キング暗殺犯に仕立て上げられてしまう。唯一の挽回策は敵だらけのバンカーから生きてキングを脱出させることだけ・・・

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ポジティブ・サイド

大阪ステーションシティシネマで見逃した『 神と共に 』の穴埋めとばかりに、ハ・ジョンウ主演の本作を鑑賞したが、何と渋い役者であることか。太々しさの内に優しさを内包しつつ、それでいて容赦のない傭兵のリーダーを見事に体現した。英語も普通に堪能である。というか、日本の役者でここまで出来るのは平岳大ぐらいか?『 決闘の大地で 』のチャン・ドンゴン、『 マグニフィセント・セブン 』のイ・ビョンホンの100倍ぐらい英語のセリフをしゃべっている。1~2年の学習ではないはず。『 リンダ リンダ リンダ 』のぺ・ドゥナや『 新聞記者  』や『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』のシム・ウンギョン、『 焼肉ドラゴン 』のキム・サンホのように、韓国の役者は日本語も流暢に操る。つまりは、韓国エンタメ界は外国志向なのだ。『 パラサイト 半地下の家族 』は、そのトレンドの一つの帰結であった。日本も続かなければならない。

 

Back on track. 英語が飛び交う本作であるが、韓国映画お得意の血と硝煙と土埃のリアリティは本作でも健在である。日本のガン・アクションというと『 Diner ダイナー 』みたいな周回遅れの演出になったりするが、さすがに(今でも厳密な意味では戦時下の)韓国の作る映画である。本作は銃撃戦の激しさに加えて、独特のカメラアングルも冴える。具体的には小さなボール状の移動式スパイカメラ視点の映像。床にへばりついた視点から壁を這う視点、天井の梁の上からの視点など、通常ではありえないアングルからの映像がスリリングだ。

 

主人公の名前がエイハブだというのも面白い。言わずと知れたメルヴィルの『 白鯨 』のキャプテン・エイハブである。グレゴリー・ペックが不気味に手招きするエンディングが印象的だった。Jovianと同世代なら、漫画『 魁!!男塾 』のキャプテン鱏破布を思い出す人もいるかもしれない。軍人が義手や義足、義眼だったりするのは珍しいことではないが、エイハブが義足になった経緯がクライマックスにしっかりと関連してくる演出が心憎い。このラストのアクションシーンは非常にリアルである。空気抵抗が確かにそこにはあった。韓国の空挺部隊所属軍人がアドバイザーにいるのだろうか。

 

『 パラサイト 半地下の家族 』の金持ち父さんを演じたイ・ソンギュンも医師を熱演。インテリ役が似合うが、それだけではない。泥臭さや汗臭さを放つ演技を全く厭わない本格派でもある。エイハブと互いを「韓国人」、「北朝鮮人」と呼び合う様が滑稽であると同時に、同じ言語を話すにもかかわらず分断された民族であることの悲哀をも表している。朝鮮半島が超大国の代理戦争の舞台となったことは『 スウィング・キッズ 』でも描かれていた。そこで戦う傭兵たちがアメリカへの不法移民たちであるという対比がいい。無国籍軍の男たちが、超大国の兵隊相手に必死の抵抗を見せる。そうした姿に自分を重ね合わせてしまう観客も多いのではないだろうか。

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ネガティブ・サイド

エイハブと奥さんのやりとりは正直なところ不要だった。カネにしか興味がないはずの傭兵が、実は誰よりも熱く仲間思いであるという設定だけで充分である。続編はないはずだが、万が一にも制作されれば、悪役はエイハブの家族を人質にする、あるいはターゲットにするはずである。『 エクスペンダブルズ 』のように、チームのメンバーが家族であるという作りで充分である。

 

序盤のもたもたした展開もマイナスである。特にエイハブが序盤で動けなくなるのが痛い。アクション映画なのに、主人公がアクションをしない。もちろん、エイハブはエイハブで奮闘するのだが、我々が見たいのは銃撃戦や格闘なのである。

 

序盤のポリティカルなあれやこれやの説明もくどかった。CIAエージェントのマックとエイハブの対話も、本当なら緊張感あふれるものであるはずだが、このパートもだらだらしたものに映った。序盤の様々な要素を引き締め、無国籍な傭兵たちとエイハブの関係をもう少し深めておけば、エイハブがユン医師を“仲間”と見なすようになる過程により一層のリアリティと説得力が生まれたと思うのだが。

 

総評

韓国映画の真骨頂である激しいアクションは本作でも健在である。同時に時代を先読みしたかのような導入に、大国・隣国に翻弄される近現代史の悲哀を脚本に上手く落とし込んだ作りになっている。セリフの7割ほどが英語であるのも、アメリカ市場、英語圏市場を見据えてのことだろう。邦画もこれに負けてはならない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

It’s every man for himself.

「(この状況では)自分の身は自分で守れ」の意である。英語音声の戦争ゲームやWWEのRoyal Rumbleでよく聞こえてくる決まり文句である。おそらく戦争映画でもバンバン使われてきたフレーズであるし、これからもドンドン使われるフレーズのはずである。たしか『 レザボア・ドッグス 』のセリフで聞こえてきた気がする。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アクション, イ・ソンギュン, ハ・ジョンウ, 監督:キム・ビョンウ, 配給会社:ツイン, 韓国Leave a Comment on 『 PMC ザ・バンカー 』 -無国籍軍のUnsung War-

『 KESARI ケサリ 21人の勇者たち 』 -トンデモ史実のトンデモ映像化-

Posted on 2019年12月15日2019年12月19日 by cool-jupiter
『 KESARI ケサリ 21人の勇者たち 』 -トンデモ史実のトンデモ映像化-

KESARI ケサリ 21人の勇者たち 65点
2019年12月14日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:アクシャイ・クマール
監督:アヌラーグ・シン

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インド映画を鑑賞する時、たまには頭を空っぽにして『 バーフバリ 』のようなアクションを楽しんでみたいと思う。なので近所のTSUTAYAで本作をピックアウト。真面目に鑑賞してもそれなりに面白く、アクションだけに注目しても、まあまあ面白い作品であった。

 

あらすじ

1897年、英国領インドの北方、パキスタンとアフガニスタンとの国境地帯。イシャル・シン(アクシャイ・クマール)はイスラム教徒パシュトゥーン人の女性への蛮行を見逃せず、命令違反を犯してその女性を救う。そのため僻地の通信基地、サラガリ砦に左遷されてしまう。そこには通信兵21名と調理人1名のみが配属されていた。一方で、パシュトゥーン人は他部族と連合を組み、1万人規模でのインド侵攻を目論んでいて・・・

 

ポジティブ・サイド

21対10,000という荒唐無稽な史実の戦闘に目をつけたのは面白い。日本で言うならば桶狭間の戦いや立花道雪vs島津および北九州豪族連合軍、それらよりもさらに酷い数的不利での戦いである。つまり結末は見えている。後はどう料理するかである。その意味では、いくらでもドラマチックな演出を施すことができる。本作はボリウッドらしく、荒唐無稽なバトルアクションを練り上げた。

 

まず、砦に立てこもる。当たり前である。そして手当たり次第に迫り来る敵を撃つ。戦略も戦術も作戦も、この規模の数的不利では意味を成さない。撃って撃って撃ちまくるしかない。下手に小賢しい作戦を用いない分、シク教徒の矜持が素直に表れていて分かりやすい。パシュトゥーン人も、作戦らしい作戦もなく烏合の衆が、バタバタと倒れていく。アホである。痛快である。まるで『 スター・ウォーズ 』世界のトルーパーの如しである。それでも彼我の戦力差はいかんともしがたく、ついに門扉は破られる。

 

あの時代、あの地域では近接戦闘では銃器を使わないという暗黙のルールがあるのか、ここからは手持ちの獲物でのバトル・シークエンスに突入する。ここでのアクシャイ・クマール演じるイシャル・シンのアクションは、『 マトリックス 』的であり、ゲームの『 三国無双 』や『 戦国無双 』的であり、韓国映画的でもある。特に高くジャンプしてからの回転切りは韓国ドラマや韓国映画で何千何万回と見たアクションである。これについては、 

1.韓国映画がインド映画を真似ている
2.インド映画が韓国映画を真似ている
3.コレオグラファーが共通の学びの土台を持っている
4.偶然の一致である

などが考えられる。インド人の一番の留学先はやはり英国らしいが、韓国人はソウル大学以外のどこで映画や演劇を学ぶのだろうか。それともソウル大学の教授陣が英国などで学んだ背景があるのだろうか。本作を観ながら、そのような比較文化論も考えてしまった。つまりは、日本のゲームや韓国映画的なデタラメなパワーを、インド映画もやはり持っているということである。『 散り椿 』や『 居眠り磐音 』のような、正統的な剣術も悪くないが、『るろうに剣心 京都大火編 』の左之助vs安慈のようなクレイジーなバトルを邦画でもっと見てみたい。そんなふうにも思わされた。

 

イシャルの人間造形も良い。自らの信念を軍の規律よりも優先し、良き家庭人であり、良き地域人であり、厳しい上官であり、部下への思いやりも持ち合わせている。砦では仏頂面を通しているが、ユーモアを解する心もある。そして敵と味方を人道的に区別できる。つまりはヒーローなのである。これが『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』その人である。このような男になってみたい。

 

少人数で拠点に立てこもるというと、本能寺の変の際の二条城が思い出される。掘りもあって、武家御城とも称され、武器弾薬もたんまりあったであろう二条城に500人が籠城したにもかかわらず、明智勢1万数千の前に一時間で陥落させられたという史実(?)のシミュレーションを本作を通じて行ってみるのも面白いかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

中盤から終盤にかけてのバトルシーンに比して、序盤のイシャルとパシュトゥーン人との闘いは迫力を欠いていた。冒頭の非常に説明的なナレーションと図示的な映像から、さらにインド、ロシア、英連邦なども絡んでの国際情勢と国境の云々を語って、いきなり観る側の眠気を誘うのだから、それを吹っ飛ばすだけの迫力を伴ったアクションが欲しかった。正直なところ、この冒頭のバトルでは近接での殴り合いやチャンバラにスピードやパワーが不足していた。

 

終盤のバトルでも、いくつか不自然な編集が目に付いた。最も残念だったのは背中から出血しているイシャルの格闘シーン。衣服にまだ赤い血がへばりついているショットと、土ぼこりや泥と混じり合った血が完全に乾いているショットが混在していた。デパルマ・タッチやブレット・タイムで撮影しているものだから、余計にそうしたおかしな点が目立つ。これは非常に大きな減点材料である。

 

イシャルは倒れた敵兵は敵兵ではないという慈悲の哲学に忠実であり、ジュネーブ条約の定める傷病者取り扱いの体現者でもある。その一方で、捕虜の取り扱いに関して信じられないほど非人道的な行為も行っている。これは史実なのだろうか。それとも映画オリジナルの演出なのだろうか。いずれにしろ、Jovianはこれを見て『 ハクソー・リッジ 』のデズモンドと日本兵を思い起こした。いくら戦争とはいえ、やってはいけないこともあるはずだ。これによってイシャルのヒロイズムがいくぶん弱められている。

 

21人の兵士が勲章を贈られ、顕彰されたのは当然であるが、サラガリの戦いの英語版のWikipedia記事によると、one civilian employeeがいたということである。これが料理長かどうかの記述はなかったが、デズモンド・ドス的な活躍を見せた彼にも、エンドクレジットで何らかの言及が欲しかった。

 

総評

インドという国の中だけでも複数の民族、複数の言語、複数の宗教が混在しているのに、そこに更に植民地と属国の関係と他国の他部族、他宗教勢力、さらに国境線も絡めたストーリーというのは、極東の島国の我々にはもはり理解不能である。史実や国際政治、紛争史を学ぼうなどという心構えは一切不要である。単純にボリウッドアクションを楽しむか、という気持ちで鑑賞するのが正しい態度である。これは英雄譚であって、ドキュメンタリー的な何かを期待してはいけない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話

Cock-a-doodle-doo.

鶏の鳴き声、コケッコッコーの英語である。ここからcookという動詞を聴きとるのは、確かに難しいことではない。Cookという動詞とバトルに無理やり関連を見出すなら、俳優のドウェイン・“ザ・ロック”・ジョンソンのWWE(WWFと言うべきか)の“If you smell what the Rock is cooking!”を知っていれば、アメリカのオールドプロレスファンと話す時に盛り上がれるかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクシャイ・クマール, アクション, インド, 歴史, 監督:アヌラーグ・シン, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 KESARI ケサリ 21人の勇者たち 』 -トンデモ史実のトンデモ映像化-

『 国家が破産する日 』 -韓流社会派サスペンスの秀作-

Posted on 2019年11月28日2020年4月20日 by cool-jupiter

国家が破産する日 75点
2019年11月24日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:キム・ヘス ユ・アイン ホ・ジュノ チョ・ウジン ヴァンサン・カッセル
監督:チェ・グクヒ

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国家が破産するとは過激なタイトルである。しかし、現実に国家が破産することはありうる。記憶に新しいところではギリシャだろうか。では、その前は?それはお隣の韓国だった。1997年当時、Jovianは高校生だったためか、韓国のデフォルトに関するニュースは記憶にない。だが、そのために余計なことを考えることなく素直に物語に入って行くことができた。

 

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あらすじ

1997年、韓国銀行の通貨政策チーム長ハン・シヒョン(キム・ヘス)は、国家破産の危機が迫っていることに気付いた。政府は国民に周知せず、極秘裏に対策を進めようとする。一方、金融コンサルタントのユン・ジョンハク(ユ・アイン)は独自にデフォルトの危機を察知、大儲けを企む。町工場の経営者ガプス(ホ・ジュノ)は大手百貨店から大口の注文を受けるも、現金決済ではなく手形決済を受け入れていた・・・

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ポジティブ・サイド

キム・ヘス演じるチーム長がひたすらにクールである。どこか『 シン・ゴジラ 』で尾頭ヒロミを演じた市川実日子を思わせる。相手が上司であろうと上級官僚であろうとIMFの専務理事であろうと、自分の信念に基づいて、言わなければならないことは言う。女性であっても男性であっても、これができる人間は多くない。こうした人物の下で、あるいはこうした人物と共に働ければ、それは果報である。

 

通貨危機を利用して一攫千金を目論むユン・ジョンハクというキャラも面白い。安定した職を文字通りに捨ててしまい、一発逆転の大勝負に出て、見事に大金を手に入れる。しかし、彼がカネと引き換えに失ったものは・・・ 経済の破滅に乗じてひと財産築く話は古今東西によくある話である。近年では『 マネー・ショート 華麗なる大逆転 』がまさにそうだった。『 ゴールド/金塊の行方 』も、ある意味では危機に乗じて大きく儲ける話だと言えるかもしれない。ジョンハクの生き方を見習おうとは思わないが、彼のような野望には憧れるという向きには、上の二作品を勧めたい。

 

町工場のガプスが個人的には最も刺さった。好景気に沸く国、大手の百貨店との大口取引、これで従業員にさらに仕事を提供できるし、妻も働きに出ずに済む。娘の学費の工面もできる。庶民の望みうる幸せに手が届こうかという時に、危機が襲い来る。現金決済。日本のバブル全盛時を経験した世代は、銀行からの借入金を現金で受け取り、商売上の大きな取引においても札束を詰めたスーツケースを持参していたと言う。韓国の事情は分からないが、日本ではようやくキャッシュレスが浸透しつつある。しかし、そこにはユン・ジョンハクの言う“与信”の問題が常につきまとう。日本でもキャッシュレス決済ではなく現金決済の方が安全安心だという声が大きな災害のたびに聞かれる。本作は日本にとって他山の石となるだろうか。

 

本作は『 シン・ゴジラ 』と同じく、超高速会話劇でもある。山場は二つ。パク・デヨン演じる財務次官とハン・シヒョンの丁々発止のやり取り。政府は事態を公表し、国民への被害を最小限に抑えるべしと主張するシヒョン。それをせせら笑うかのように反論を述べる次官の対立では、特にパク・デヨンの憎たらしいまでの演技が冴え渡る。もう一つの山場はIMF専務理事とのホテルの密室でのやり取り。ヴァンサン・カッセルは『 トランス 』に出ていたのを覚えている。IMFからの金融支援の条件として外資による韓国上場企業の株の保有率の上限アップや正規労働者の解雇の容易化と非正規労働者の増加などを淡々と条件として突き付けてくる理事に対し、シヒョンは理路整然と反論する。やはり『 シン・ゴジラ 』の矢口蘭堂の如く、政府上層部や国際機関に対しても毅然とした態度を崩さない。日韓ともに、このようなヒーローを生み出すということは、現実の政治や経済が上手く言っていないことの証明でもある。会話劇でスリルとサスペンスが生み出されるのは、往々にして法廷闘争ものだが、政治・経済系のドラマでもこれができるというのは新鮮な体験だった。

 

最後の最後に映し出される並木通りの摩天楼の何と寒々しいことか。まるで大阪の淀屋橋か本町のオフィス街を観るようだが、そこにあるのはバベルの塔か、それとも砂上の楼閣か。

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ネガティブ・サイド

パク・シヒョンという魅力的なキャラクターの肩書がチーム長であるが、チームとしての強さや見せ場に乏しかったように思う。序盤で各種資料を言われるよりも前に揃え、チーム長に恭しくコートを着せるメンバーたちは確かに頼もしく映ったが、彼ら彼女らの協力や水面下での働きにフォーカスするシーンがあれば尚よかった。

 

ジョンハクの豹変っぷりも理解できなことはないが、元々金融屋として働いていた男である。Jovianも昔々信販会社で働いていたので分かる。血も涙もない人間が出世するのがあの業界である。さらなる儲けの為にそこを飛び出した男に、良心の呵責などを求めるのは無い物ねだりである。ジョンハクという超絶ポジティブキャラクターは、それこそ徹頭徹尾ハゲタカとして描写した方がスカッとしたことだろう。

 

総評

日本でもこのような話を作ってもらいたい。心からそう思える良作である。ぜひ市川実香子を起用して日本版の政治経済サスペンスものを作ろう。二番煎じが何だ。山一証券の破綻を2時間で映画にすべし。監督は『 空飛ぶタイヤ 』の本木克英か、『 七つの会議 』の福澤克雄で。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語会話レッスン

ミアネ

 

韓国語で「ごめん」の意である。『 猟奇的な彼女 』で“彼女”が山に登ったキョヌに向かって大声で名前を呼んだ後、涙声で「ミアネ」と呟くシーンのインパクトはあまりにも強烈だ。韓国語は英語よりも日本語話者の耳に馴染みやすいので学びやすい。韓国旅行に行く時は、「~~~チュセヨ」、「ケンチャナ」、「コマウォ」そして「ミアネ」だけ覚えていれば、後は度胸で何とかなる。Jovianが保証する。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, キム・ヘス, サスペンス, 監督:チェ・グクヒ, 配給会社:ツイン, 韓国Leave a Comment on 『 国家が破産する日 』 -韓流社会派サスペンスの秀作-

『 ホームステイ ボクと僕の100日間 』 -生まれ変わりものの佳作-

Posted on 2019年11月6日2020年4月20日 by cool-jupiter

ホームステイ ボクと僕の100日間 65点
2019年11月4日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:ティーラドン・スパパンピンヨー チャープラン・アーリークン
監督:パークプム・ウォンクム

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森絵都の原作小説『 カラフル 』は未読。原恵一監督によるアニメ化作品も未鑑賞。それでも『 バッド・ジーニアス 危険な天才たち 』のスタッフが製作しているからには、一定水準以上のクオリティが担保されているはずと確信してチケットを予約。確かに一定の面白さはあった。

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あらすじ

ボクは死んだ。しかし、「あなたは当選しました」という謎の声が聞こえた。気がつくと、そこは霊安室。ボクは“ミン”(ティーラドン・スパパンピンヨー)という17歳の男子の身体に生まれ変わったのだ。しかし、謎の存在である管理人は告げる、「 100日以内にミンの死の真相を突き止めなければ、お前の魂は永遠に消滅する 」と。ボクはミンが何故死んだのかを突き止められるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

まずタイという国が輪廻転生をテーマにした原作を見逃さなかったことが素晴らしい。たとえば『 怪しい彼女 』のような若返りをテーマにした作品には普遍性がある。それは古今東西を問わず、人類が共通して抱く夢だからだ。一方で輪廻転生はそうではない。死生観は文化圏や宗教によって大きく異なるからである。タイという国民のほとんど全員が仏教徒である国、さらに日本のような大乗仏教ではなく、上座部仏教の国が輪廻転生的な生まれ変わりをテーマにした作品を独自に翻案することは必然なのかもしれない。

 

新生ミンの学校生活は青春の甘酸っぱさが感じられた。「ああ、俺にもこんな青春があったな」という気分になれた。特にチャープラン・アーリークン演じるパイとの交流は、橋の上での健全な意味での若気の無分別の発露あり、嬉し恥ずかしのファーストキスありと、青春映画のお手本のような作りになっていた。特にキスの後のパイの達成感と余裕の両方を思わせる微笑は、ミンの先輩にしてチューターという立場もあるだろうが、いわゆるお姉さんキャラ然としたオーラを放っていた。日本のアイドル的な女優連中も、この表情や仕草、所作はよくよく研究した方がよい。

 

同じマスゲーム部員のサルダー・ギアットワラウット演じるリーも味のあるキャラである。典型的な異性の友達的なキャラであり、ミンに心奪われた瞬間に色気ではなく食い気を放つところもポイントが高い。そしてミンが全くリーの恋心に気付かず、それでも無意識のうちにリーの心を掴んで離さない言動をしてしまうところも何とも罪作りである。「ああ、俺にもこんな青春があったな」という気分になれた。

 

マスゲームが終盤のシネマティックかつドラマティックな演出に一役買っており、ボクがミンの謎を探り当てる際の大きなヒントの役割を果たしている。これにはハッとさせられた。日本の原作も子の通りなのだろうか。だとすれば、原作者の森絵都は映像化を意識して執筆していたと見て間違いないだろう。

 

家族や友人が皆、キャラクターが立っていて個性的である。映像的にも息を呑むような演出が随所にあるので、観ていて単純に飽きない。冒頭数分のスーパーナチュラルなテイストの部分を抜ければ、高校生~大学生のデートムービーに好適かもしれない。

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ネガティブ・サイド

ストーリーの進め方に難がある。各サイトのあらすじやトレーラーでも言及されている“パソコン”に行き着くまでが長い。また、すぐ上でも言及したが、映画のトーンが一定していない点も気になる。冒頭だけを取り出せば、まるでホラーかスーパーナチュラルスリラー映画である。それが青春恋愛ものになり、そして中盤以降は家族を巡るサスペンスものになるのだから。全体を貫くトーンとして、例えばミステリ色をもっと基調にするなどの工夫はできたはずだ。“管理人”もそこかしこで登場するが、奇妙な空間演出は最初の一回だけでお腹いっぱいである。あとは、普通の人間の中に不意に紛れ込んで、ミンに謎解きを急げと呟くだけのキャラで良かったように思う。タイは世界最大の仏教国で、輪廻転生の考え方が浸透しているのだから、ミンが当選した「経緯」は謎であっても、ミンが当選した「事実そのもの」に殊更に超自然的な要素を加味しなくてもよいだろう。

 

また、ミンの自殺の真相も正直なところ、拍子抜けである。いや、パイの裏事情には同情しないこともないが、特に家族を巡る謎解きに関しては、西洋東洋の伝統的な家族観の違いが出ている。例えば『 アバウト・レイ 16歳の決断 』のレイと本作のミンはほぼ同世代である。しかし、現実を粛々と受け入れたレイと現実から逃避したミンのコントラストは、個人というよりも文化圏の違いだろう。(そうした意味では『 凛 りん 』というのは設定だけはそれなりに異色でユニークな作品だったなと思い出された。)「こんな人生なら誰でも自殺したくなる!」というミンの台詞は、死=消滅という文化圏ではなく、死んでも生まれ変わるという宗教的観念が浸透した社会、つまり非常にローカルな心の叫びに聞こえてしまった。

 

また展開が全体的にスローである。100日というのが長すぎるのかもしれない。真相究明までのカウントダウンを30日にして、ストーリー全体をもっと圧縮できなかっただろうか。ミンが、彼を取り巻く人間関係の闇を知っていくシーンの一つひとつが結構くどいように感じられた。若者の心に一挙にダメージを与えるなら、ジワジワと一発一発パンチを当てていくよりも、問答無用なコンビネーションパンチを顔面に叩き込んだ方がより効果的だったはずだ。

 

総評

タイ映画は確実に進化しているようである。他国の作品を上手く換骨奪胎して、まるで自国オリジナルのような作品に仕上げてしまうのだから、大したものである。またチャープラン・アーリークンは、日本語や韓国語を頑張って習得すれば、絶対に日韓の映画界からお呼びがかかるはず。国際的なスターを目指してほしい。やや拍子抜けなミステリ要素にさえ期待しなければ、それなりに楽しめる佳作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Do you want to go eat some shaved ice?

 

劇中のリーの台詞、「かき氷を食べに行こう」の英訳である。Do you want to V?は「Vしたいですか?」以外に、「一緒にVしない?」のような勧誘の意味を持つこともある。詳しくは『 アナと雪の女王 』(今も未鑑賞である!)のこの楽曲

www.youtube.com

を参照されたい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, タイ, チャープラン・アーリークン, ティーラドン・スパパンピンヨー, ファンタジー, 監督:パークプム・ウォンクム, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 ホームステイ ボクと僕の100日間 』 -生まれ変わりものの佳作-

『 ガリーボーイ 』 -インドの矛盾を暴き、乗り越えていくビルドゥングスロマン-

Posted on 2019年10月27日2020年4月11日 by cool-jupiter

ガリーボーイ 80点
2019年10月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ランビール・シン アーリアー・バット シッダーント・チャトゥルベーディー カルキ・ケクラン
監督:ゾーヤー・アクタル

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野村周平主演の『WALKING MAN 』と本作を比較して、やはりインド映画好きのJovianはこちらを選んだ。『 パティ・ケイク$ 』のインド版のようなものと思っていたが、実際は近年のボリウッドが目指す娯楽性と社会派メッセージの両方を備えた良作であった。

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あらすじ

ムラド(ランビール・シン)はムンバイの貧民窟の問題のある家庭に暮らす大学生。悪友と車上盗を行うなどしながらも、幼馴染にして医大生のサフィナ(アーリアー・バット)と交際していた。ある日、ムラドは大学のイベントでシェール(シッダーント・チャトゥルベーディー)のラップを聴いたことで、自身もラップに開眼。二人でラップにのめり込んでいくが・・・

 

ポジティブ・サイド

劇中でも一瞬だけ触れられる通り、これは『 パティ・ケイク$ 』よりも『 スラムドッグ$ミリオネア 』の方がジャンル的にはやや近いか。ラップでサクセスを追求していく男の物語であるが、そこにあるのはインド社会の大いなる矛盾と、自身の生き様について抱える葛藤である。ラップの良いところは、元手がゼロ円で始められるところである。必要とされるのはリズム感とインスピレーション。その二つをムラドが有していることが、序盤にさりげなく描かれている。観光客に家の中にまでずかずかと踏み込まれ、勝手に写真は撮られ放題。まるでオブジェか何かのように扱われるムラドがラップを口ずさむシーンは、この男が凡百のガリーボーイではなく、ひとかどのガリーボーイであることを言葉数少なく、声も小さく、しかし雄弁に物語っていた。

 

ムラドが日の当たらない場所から日の当たる場所に出ていくきっかけになったシェールとの出会いも鮮烈だ。ラップという黒人音楽の一つの完成形が、インドという全く異なる土地で大きく花開いている背景には、複雑な民族問題、宗教問題、社会問題(カースト制度)、さらに貧富の格差の拡大問題がある。本作はそれらにはフォーカスしない。しかし、それらを隠さずに正面から描き切る。何かを元凶に描くのではなく、満たされない現状から雄々しく抜け出していく男の姿は、我々をこれ以上なく勇気づけてくれる。

 

何よりも、ムラドが当初は抵抗することが出来なかった父に立ち向かえるようになったのが大きい。『 シークレット・スーパースター 』でも描かれていた通り、インドにおける父親像は(山岡士郎視点での)海原雄山のごとき暴君である。その暴君を相手に立ち上がるムラドの姿に、インド社会全体を支配する権威への反抗を重ね合わせて見ることができるだろう。

 

本作の肝となるべきラップもハイレベルだ。字幕担当の方は大変な苦労をされたものと思う。『 ジョーカー 』でもcentsとsenseをかけて、「高価」と「硬貨」と訳し分けたのは上手いと感じたが、本作でもラッパーたちは韻を踏みまくる。字幕にも要注意だし、耳に自信のある人はヒンディー語の歌詞にも耳を傾けてみよう。

 

ラッパーたちの姿も実に見事に活写されている。プロモビデオの製作シーンでは、ムラドが才気煥発する様が映し出されている。カラフルさにはやや欠ける本作であるが、スラム街を縦横無尽に駆けて歌うムラドとシェールは、乾いた色合いの画面にダイナミズムを与えていた。また光を使った演出で目についたのは、ムラドが駐車場に停めた車の中でイヤホンを装用してラップを歌いまくるシーン。『 ベイビー・ドライバー 』冒頭のアンセル・エルゴートを彷彿させるパフォーマンスだが、周囲のビルから車体に降り注ぐ黄金色のカクテル光線が決してムラドには降り注がない。そして観客にもムラドの声は聞こえない。この降り注ぐ光を浴びることができないというシーンは、最終盤に劇的なコントラストをもたらす。ベタな演出ではあるが、見事なものだと唸らされた。

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ネガティブ・サイド

サフィナのキャラクターは、もう少し普通にはならなかったのだろうか。実在の人物に基づいていると言われればそれまでだが、ドキュメンタリーではないのだから、適度に人物や出来事を美化したり、あるいはぼかしたりすることは許されるだろう。癇癪持ちというのを通り越した、エクストリームな暴力女の元に戻っていく(?)ムラドに共感することは難しかった。

 

犯罪行為に手を染め続ける旧友との距離感も観ているこちらとしては、なかなか把握しづらかった。ムラド自身の生い立ち、これまでに共に積み重ねてきた濃密な時間という、サフィナと共通する要素がムラドを繋ぎ止めているのだろう。ただ車上盗は何とか許容できても、子どもを巻き込んだ drug trafficking は許容できない。これも事実だと言われてしまえばそれまでだが、自分で持つにはかなりヘビーな交遊関係である。

 

総評

ラップの素養が無いJovianにも楽しめた。ラップのハードコアなファンには粗が目に付くかもしれないが、それでもランビール・シンのパフォーマンスは圧倒的である。様々な社会的矛盾に押し潰されそうになりながらも、決して膝を屈しないムラドは多くの人を勇気づけることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You’re gonna kill it.

 

カルキ・ケクラン演じるスカイがステージに向かうムラドにかけた言葉がこれだった。直訳すると意味が分からなくなるが、kill it = 上手くいく、やり遂げる、成功する、というような意味である。ただ基本的にはネイティブ・スピーカーにしか通用しないだろう。インドのようにテレビ番組の半分が英語音声という国なら話は別かもしれないが。イディオムを使いこなせれば中級者以上だが、こういう表現はあまり推奨されない。日本のビジネスマンの多くが英語でコミュニケーションを取る相手は、北米やヨーロッパではなく東南アジアやラテンアメリカ諸国になっている。最大公約数的な英語をKISS(Keep it simple and short)の法則に従って使うのが無難である。

劇中の冒頭でムラドが聴いていたのは

www.youtube.com

だった。Rod Stewartの歌声は、麻薬のようである。一度聴いてしまうと忘れられない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, インド, ヒューマンドラマ, ランビール・シン, 監督:ゾーヤー・アクタル, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 ガリーボーイ 』 -インドの矛盾を暴き、乗り越えていくビルドゥングスロマン-

『 SANJU サンジュ 』 -歌と踊りが少なめのシリアスなインド映画-

Posted on 2019年6月20日2020年4月11日 by cool-jupiter

SANJU サンジュ 80点
2019年6月16日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:ランビール・カプール アヌシュカ・シャルマ ソーナム・カプール
監督:ラージクマール・ヒラーニ

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ラージクマール・ヒラーニ監督の『 きっと、うまくいく 』と『 PK 』は極上のエンターテインメント作品であった。本作はどうか。やはり傑作であった。

 

あらすじ

サンジャイ・ダット(ランビール・カプール)、通称サンジュはインドの人気俳優。しかし、母の早すぎる死、ドラッグへの惑溺、恋人との別離から彼の人生は転落していく。そして、銃の所持による逮捕、さらにはテロ事件への関与も疑われたサンジュは遂に塀の向こうの人となる。サンジュはしかし、諦めていなかった。信頼できる作家に自分の伝記を書いてもらい、世間に自らの実像を知らせようとしていた・・・

 

ポジティブ・サイド

『 きっと、うまくいく 』でもアーミル・カーンが40代にして大学生役を演じたが、ランビール・カプールも負けていない。『 PK 』の、どこか憎めない兄貴、知らないところで大活躍の兄貴、なんでこんなことになってしまうんだと思わされてしまう兄貴。そんな兄貴を演じたサンジャイ・ダットの波乱万丈を絵にかいたような人生、それを映画化するにあたって、ランビール・カプールも念入りに顔と体を作ってきた。ぎこちない演技、父とのかかわりとプレッシャー、ひょんなことから手を出してしまったドラッグ、無二の親友との出会い、ハイになってしまったまま迎えた恋人との破局、獄中生活のすべてが迫真性を有している。というのも、メディアが報じるサンジュの姿と、我々が追いかけるサンジュの姿に常にずれが生じるからだ。伝記作家ウィニー(アヌシュカ・シャルマ)が取材していく中で浮かび上がっていくサンジュの姿は、それを語る者によって変化する。陰影が強くなるのだ。誰が見ても同じ、誰が語っても同じという人物は極めて皮相的だ。人間というのは、重層的な存在なのだ。そして時に応じて変化する。そうした人間本来のありうべき姿を見事に描出したランビール・カプールは、表現者としての階段をまた一歩上に登ったのではないだろうか。彼のサンジャイ・ダットのportrayalは完璧に思える。

 

ソーナム・カプールも称賛したい。『 パッドマン 5億人の女性を救った男 』では道ならぬ恋慕をするキャリアウーマンを演じたが、今作では悲劇のヒロインに。彼女も an epitome of Indian beauty の一人だろう。美女の顔が悲嘆で歪むのを見るのは、大変なる痛苦である。それをもっと見たいと思ってしまうのは、Jovianにはサドマゾヒスティックな嗜好があったのだろうか。

 

しかし何よりも称賛に値するのはサンジュの無二の親友カムレーシュを演じたヴィッキー・コウシャルだ。メイクアップアーティストやヘアスタイリストの貢献度も大のはずだが、何よりも本人の演技力が光る。若かりし頃と現在とで、サンジュ本人よりも成長や老成の跡が見られる。そして、サンジュ本人は底抜けに明るく、ダークサイドから這い上がってくる強さも併せ持つ、不撓不屈の男でもある。そんなサンジュの苦悩を、カムリが対照的に映し出す。何年も音信不通であり、サンジュの逮捕を伝える新聞記事の切れっぱしを後生大事に持ち歩き、無二の知音を得た夜のことを、まるで昨日のことであるかのように鮮明に思い出せる。女性に対してもプラトニックで、男の純粋さの全てを体現したかのようなキャラクターである。このような友を持つことができる男は果報者である。タイガー、タイガー!

 

実在の映画俳優をフィーチャーしているだけあって、古今東西の映画の小ネタも大量にちりばめられている。最も分かりやすいのは『 ロッキー4 炎の友情 』のトレーニングシーンだろうか。『 ロッキー 』ではなく、『 ロッキー4 炎の友情 』というところが渋い。

 

歌と踊りは少なめであるが、その不満はエンドクレジットが解消してくれる。この何とも可愛らしいダンスは、『 帝一の國 』における美美子のパフォーマンスに優るとも劣らない。というのは、Jovianがもはや美少女よりもオッサンに感動させられる精神年齢に達してしまった証拠なのだろか。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190620150643j:plain
 

ネガティブ・サイド

アヌシュカ・シャルマの出番が少ない。

アヌシュカ・シャルマの出番が少ない。

アヌシュカ・シャルマの出番が少ない。

アヌシュカ・シャルマの出番が少ない。

 

 

総評

一人の俳優の人生が、インドの社会構造や歴史とリンクしていく様は圧巻である。のみならず、友情の普遍性や家族愛、人間の尊厳という時代や地域を超えて語るべきテーマを、陳腐になる一歩手前で感動的に描くことこそヒラーニ監督の手腕であろう。作品全体にややダークなトーンが貫かれているという点で、『 きっと、うまくいく 』や『 PK 』のような一部だけがダークな作品よりも、少し入りにくいかもしれない。ただ、そのことが本作の大きな減点要因にはならない。ぜひ多くの方にサンジュの人生の追体験をしていただきたい。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190620150440j:plain

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アヌシュカ・シャルマ, インド, ソーナム・カプール, ヒューマンドラマ, ランビール・カプール, 監督:ラージクマール・ヒラーニ, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 SANJU サンジュ 』 -歌と踊りが少なめのシリアスなインド映画-

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