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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 配給会社:ショウゲート

『 プロジェクト・サイレンス 』 -パニック映画の佳作-

Posted on 2025年3月16日 by cool-jupiter

プロジェクト・サイレンス 65点
2025年3月15日 T・ジョイ梅田にて鑑賞
出演:イ・ソンギュン チュ・ジフン
監督:キム・テゴン

 

『 PMC ザ・バンカー 』、『 パラサイト 半地下の家族 』、『 最後まで行く 』などで、爽やかながらもダークサイドを秘めた演技を見せてきたイ・ソンギュンの遺作ということでチケット購入。

あらすじ

国家安保室の行政官ジョンウォン(イ・ソンギュン)は、娘を空港に送る途中、濃霧による多重衝突事故に巻き込まれる。橋が孤立する中、政府が秘密裏に進める対テロ兵器である軍用犬も事故によって放たれてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

序盤はハイペースで進む。主要なキャラクターたちの背景を簡潔に描き、しかもそれが後半から終盤にかけて効いてくる。この脚本家=監督はなかなかの手練れ。多重衝突事故やヘリの墜落、橋の部分的な崩落などもCGながら見応えは抜群。予告編で散々観ていても、本番となるとハラハラドキドキさせられた。

 

序盤であっさりと襲い来るモンスターの正体は犬であるとばらしてしまうのも潔い。犬といっても軍用犬なので強い。一般の成人男性がそこらの野良犬が本気で襲い掛かってきたのを撃退しようとしても、勝率は20%もないだろう。軍人さんが次々にやられていくのもお約束とはいえ納得しよう。

 

橋の上でいつの間にやら結成されるチームが多士済済。政府高官の父と反抗期の娘、踏み倒されたガソリン代を徴収しに来た不良店員とその愛犬、ゴルファーの妹とちょっと間抜けなその姉、認知症の妻を甲斐甲斐しく世話する夫、そしてプロジェクト・サイレンスの研究者の一員である博士。彼ら彼女らの、時にはエゴ丸出しの言動がいつの間にやらファミリードラマやヒューマンドラマとして成立してくるから不思議で面白かった。

 

『 工作 黒金星と呼ばれた男 』では小憎らしさ満開の北朝鮮軍人、『 暗数殺人 』で人を食ったような殺人犯を演じたチュ・ジフンがコミック・リリーフを演じていたのには笑った。完全なる役立たずかと思いきや、とある大技で犬を一時的に撃退したり、最終盤にはとあるアイテムで大活躍したりと、ユーモアある役も演じられる役者であることを証明した。

 

主役のイ・ソンギュンは医師や社長の役も似合うが、今回は次期大統領候補を陰から支える国家公務員役を好演。明晰な頭脳で誰を助け、誰を助けないのか、またどんな情報をどのような形で公開・共有するのかを瞬時に判断する狡猾な男を好演。娘に対しても冷淡に見える態度を取っていたが、それは早くに妻をなくしてしまって以後、娘との距離の取り方を学ぶことができなかった可哀そうなファミリーマンに見えてくるから不思議。よくこんな短い時間にあれもこれもとヒューマンドラマ的な要素を詰め込めるなと感心する。

 

犬との戦い、政府の救助、生存者の脱出劇が交錯して、サスペンスに満ちた90分が続く。韓国映画のパニックものの佳作。特に予定のない週末なら、映画館で本作を鑑賞しよう。

 

ネガティブ・サイド

対テロリストのために研究・開発してきたと言うが、攻撃のトリガーが声だというのはどうなのか。そもそも事前にテロリストの声など入手できるのか。できたとして、その声をいつ、どこで、どうやって聞かせるのか。音は当然、音速でこちらに迫ってくるが、たとえば1km先の目標テロリストが大声をあげたとして、犬が犬がそれをキャッチするのに3秒かかり、なおかつ現場に急行するのに平均時速60kmで走っても1分。役に立つのか?

 

老夫婦の扱い方があんまりではないか。韓国もアメリカのようなプラグマティックな社会になりつつあるのだろうか。

 

総評

頭を空っぽにして楽しめる作品。ホラー要素もないので、怖いのはちょっと・・・という向きも大丈夫。自己中心的な人間の集まりが、いつの間にか熱い連帯を構成するのは韓国映画のお約束で、本作もその例に漏れない。続編の予感も漂わせているが、本作一作だけで完結しているし、そうあるべき。配信やレンタルを待つのも手だが、韓国映画のファンならば劇場鑑賞をお勧めしたい。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ソンゴ

選挙の意。センキョとソンゴ。確かに音は近い。残念ながら今の韓国は漢字をまともに習った世代がどんどん高齢化しているので、若い世代は筆談で中国人や日本人と意思疎通できないと言われている。いくら右傾化が進んでも、漢字を捨てるなどという残念な決断をしないことを祈る。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 ロングレッグズ 』
『 ゆきてかへらぬ 』
『 ミッキー17 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, イ・ソンギュン, スリラー, チュ・ジフン, パニック, 監督:キム・テゴン, 配給会社:ショウゲート, 配給会社:ハピネットファントム・スタジオ, 韓国Leave a Comment on 『 プロジェクト・サイレンス 』 -パニック映画の佳作-

『 嗤う蟲 』 -村八分の恐怖-

Posted on 2025年2月1日 by cool-jupiter

嗤う蟲 60点
2025年1月31日 T・ジョイ梅田にて鑑賞
出演:深川麻衣 若葉竜也 田口トモロヲ
監督:城定秀夫

 

『 アルプススタンドのはしの方 』、『 愛なのに 』の城定秀夫が監督ということでチケット購入。

あらすじ

杏奈(深川麻衣)と輝道(若葉竜也)の夫婦は都会から田舎に移住。杏奈はイラストレーターとして、輝道は農家として働いていた。地域の顔役の田久保(田口トモロヲ)をはじめ、村人たちは二人を歓迎するが・・・

ポジティブ・サイド

移住者に対する村の歓待がエスカレートしていく前半、そして村の闇が垣間見える中盤、そしてタイトルの意味がはっきりとする終盤と、非常にテンポよく進んでいく。しかし、細部の描写はかなりねっとりしている。人間関係の力学が都会のそれとはかなり違い、ここまで大袈裟ではないにしろ、ド田舎で似たような状況を目撃してきたJovianは結構なリアリティを感じた。

 

徐々に村のシステムに取り込まれていく夫と、リモートで働く妻のコントラストも際立っていた。そして妻の妊娠と、村を挙げての不穏なまでの歓迎ムードが否が応にも観る側の不安を掻き立てる。そしてその不安は現実として襲い掛かってくる。鑑賞後にJovian妻は開口一番、「田口トモロヲはいつも顔と名前が一致せんわ」と言っていたが、本人が聞けばガッツポーズをするだろう賛辞である。それぐらいキレッキレの演技だったし、杉田かおるの行き過ぎた近所のおばさん感や、片岡礼子の壊れた中年女性感、そして松浦祐也の絶望で暴走した中年男性像など、役者の演技が本作を引き締めていた。

 

タイトルにある蟲の意味は終盤ではっきりする。我々は虫を農薬で殺したり、手でつぶしたり踏みつぶしたりするが、それが中央と地方の構図に非常に似通っていることに慄然とする。特に能登半島の復旧の遅さなどは、地理的な難しさもあるが、それ以上に政治的な力学が要因になっているように思えてならない。エンドクレジット後にも短い映像があるので見逃すことなかれ。それが何のメタファーなのか、というよりも何のメタファーだと解釈するのかで自身の感性や思考が見えてくるはずだ。

 

ネガティブ・サイド

杏奈と輝道がなぜ田舎移住を決断したのかがよく見えなかった。無農薬に対するこだわりの背景などが描かれていれば、輝道が田久保に屈していくという過程に観る側がもっと杏奈に同調して切歯扼腕できたのにと思う。

 

また移住して2~3年は経過したと思われるが、そのあたりの描写がもう少しあっても良かった。たとえば畑や田んぼの様子だったり、あるいはどんな虫がどんな植物についていたり、あるいは虫がまったく姿を消してしまったりといった描写を要所で入れていれば、それだけで季節の移り変わりを明示できたはず。

 

総評

『 ヴィレッジ 』には及ばないが、『 変な家 』や『 みなに幸あれ 』といった珍品よりは遥かに面白い。今後ますます人口減少が進んで、地方はさらに衰退していく。本作で描かれたような村が生まれてきても驚きはない。同時に都市部でも経済格差や人種・国籍などで「こちら側」と「あちら側」に住民が分断されていく。行き着くところは日本という国家が世界から村八分にされること。製作者の意図ではないだろうが、そんなことまで考えさせられた作品。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

rural migration

田舎移住の私訳。というか、田舎移住はしばしば rural migration と表現される。あるいは urban-to-rural migration のように、都市から田舎への移住と明確にすることもある。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 アット・ザ・ベンチ 』
『 怪獣ヤロウ! 』
『 雪の花 ―ともに在りて― 』

 

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Posted in 未分類Tagged 2020年代, C Rank, サスペンス, 日本, 深川麻衣, 田口トモロヲ, 監督:城定秀夫, 若葉竜也, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 嗤う蟲 』 -村八分の恐怖-

『 ひらいて 』  -閉じこめられた気持ちの人々に贈る-

Posted on 2021年11月7日 by cool-jupiter

ひらいて 70点
2021年11月3日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:山田杏奈 佐久間龍斗 芋生悠
監督:首藤凜

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普通のヒロインを決して演じない期待の若手、山田杏奈。あらすじも予告編も観ず、チケット購入。

 

あらすじ

同じクラスのたとえ(佐久間龍斗)に密かに恋焦がれる愛(山田杏奈)。ある時、龍斗が隠し持つ手紙を盗み、彼が同じ学校の美雪(芋生悠)と付き合っていることを知る。複雑な想いを抱いた愛は、美雪に近づき、友達となっていくが・・・

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ポジティブ・サイド

山田杏奈が相変わらず良い。普通のヒロインは市場に溢れかえっているが、この年齢で普通ではない役ばかりを演じるのは本人も事務所も本格派志向である証明だろう。無邪気な笑顔と邪悪な笑顔を一本の作品の中で繊細に、しかし大胆に使い分けられる女優は多くはない。首藤監督の演技指導もあるのだろうが、愛という複雑な女子高生のリアリティをしっかりと引き出した。

 

対する薄幸の美少女然とした芋生悠の存在感も素晴らしい。『 ピンカートンに会いにいく 』に出演していたそうだが、印象には残っていない。しかし『 ソワレ 』や『 ある用務員 』など、Jovianが観たいなと感じていながら観る機を逸した作品で主役級を演じている。本作でも病気持ち、友達なし、かつ秘密の恋人がいる女子高生という役柄で、強烈な印象を残している。その多くは、純朴そうに見える笑顔と、戸惑いと好奇心のはざまでもだえる表情、そして強い拒絶を雄弁に物語る目の力による。美少女という印象は受けないルックスだが、実際の高校の教室にいれば、クラスで2番か3番目くらいの可愛らしさだろうと思う。

 

PG12というよりも、PG15ぐらいじゃないのかというシーンが出てくるが、もっと邦画全体でこういうシーンはあっていい。少女漫画系の映画では、ヒロインのライバルが相手の男に色仕掛けを使ったりするが、愛は龍斗と美雪に肉体関係がないと知るや、その両方と関係を持とうとする寝業師。綿矢りさの描く女性キャラはどれもこれも一筋縄ではいかないが、身勝手であざとく、それでいて純な乙女心のようなものも併せ持つキャラを山田は好演した。

 

タイトルの『 ひらいて 』を動詞の命令形と解釈するべしということがオープニングで示唆されるが、最後にはこの『 ひらいて 』は、愛が心を開いた状態で、ということを意味する接続助詞に見えてくる。一筋縄ではいかないヒロイン像を追究しようとする山田杏奈の面目躍如たる作品。

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ネガティブ・サイド

各家庭にもう少しフォーカスがあっても良かったように思う。美雪は母親が鍋を調理する傍らで、進学を機に東京に出たい=家を出たいという願望を吐露するが、そこは母に「お父さんが帰ってきたら」とかわされる。愛も、かなり暗くなるまでゲーセンで遊んでいたり、深夜に家を抜け出したりと、かなり奔放な家庭にいるが、逆の見方をすれば親は子供に無関心とも言える。こうした閉塞的、窮屈な環境についての描写がもう少しあれば、なぜ家や街を出たいのかがより鮮明に伝わる。やや同工異曲の感のある『 君が世界のはじまり 』の方が、そのあたりの環境と心理の変化の描写が巧みだった。

 

夜の教室で愛がたとえに拒絶されるシーンのセリフがぎこちなかった。原作を尊重したのかもしれないが、映画のセリフではなく小説のセリフというか、異様に芝居がかったセリフ回しで、緊張感のあるシーンの雰囲気が壊されていると感じた。

 

総評

粗はあるが、そこは主人公の愛と同じく、本作も奇妙なパワーで前進していく。愛というキャラクターを同一視するのは難しいが、青春の一時期、恋という感情に文字通りに狂わされるというのは、程度の差こそあれ、誰にでもある話。愛と美雪、愛とたとえの関係は極端であっても特異ではない。コロナ禍によって閉塞感が増した世の中だが、理屈ではなく気持ちで動いていくキャラの物語というのも、今という時代に案外マッチしているのかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

diabetes 

「糖尿病」の意。発音はダイアビーティーズ。アクセントはビーに置く。学生ならまだしも、塾や予備校だと、ディアベテスやらダイアビーツと発音するトンデモ講師が結構いる。いくらでも発音チェックするツールがあるのだから、そうしたものを活用できないエセ英語講師は退場してほしいと思う。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, 佐久間龍斗, 山田杏奈, 監督:首藤凜, 芋生悠, 配給会社:ショウゲート, 青春Leave a Comment on 『 ひらいて 』  -閉じこめられた気持ちの人々に贈る-

『 21ブリッジ 』 -プロットはありきたりだが、迫力は十分-

Posted on 2021年4月11日 by cool-jupiter

21ブリッジ 55点
2021年4月9日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:チャドウィック・ボーズマン J・K・シモンズ ステファン・ジェームス
監督:ブライアン・カーク

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ブラックパンサーのチャドウィック・ボーズマンの遺作。マンハッタン封鎖という壮大なスケール+話題性に惹かれて鑑賞。エンタメの面だけ見れば上々である。

 

あらすじ

マンハッタンで警察官8人が射殺されるという事件が発生した。警察官殺しの犯人を過去に何度も射殺してきたアンドレ・デイビス(チャドウィック・ボーズマン)刑事が犯人を逮捕するため、マンハッタンを全面封鎖するが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210411111508j:plain

ポジティブ・サイド

チャドウィック・ボーズマンの雄姿が光る。冒頭の査問シーンから、容赦なく相手を射殺していくタイプかと思いきや、血も涙もある人間だった。認知症の母親をいたわる姿に、Mama’s boyとしての顔と、激務である刑事の仕事に誇りを持っているというプロフェッショナリズムの両方が見えた。これがあるためにラストの言葉による対決が説得力を持っていた。

 

犯人たちを追跡するシークエンスも大迫力。追いかけるデイビスは『 チェイサー 』のキム・ユンソクばりに走る走る、逃げる。犯人の一人であるマイケルも『 哀しき獣 』のハ・ジョンウばりに逃げる逃げる。マンハッタンの街中や道路、地下鉄、住宅などを縦横無尽に駆け巡る追跡&逃走劇は、邦画では描けない臨場感。追う者と追われる者がいつしか自分たちだけの一体感を得ていくというのは、よくある話であるが、それゆえに説得力がある。

 

ハリウッド映画で感じるのは、銃撃のリアリティ。銃撃されたことはないけれど、色々なものが確実に伝わってくる。Jovianは大昔に一度だけアメリカで銃を撃ったことがあるけれど、銃器って重いんだ。それを扱っている人間の体の動きや姿勢、撃った後の反動、それに音響などの迫真性がたまらなく恐ろしい。こればっかりは邦画が逆立ちしても勝てない領域(勝つ必要はないけれど)。

 

チャドウィック・ボーズマンのファンならば、彼の雄姿を目に焼き付けるべし。

 

ネガティブ・サイド

デイビスのキャラクターをもう少し深堀りすることはできなかったか。警官殺しを容赦なく殺すというのは、なかなか強烈なキャラクターだ。だからこそ、冒頭で描かれる彼の父親の死や、実際に彼が行ってきた容疑者や犯人の射殺に至る経緯をもっと詳しく見せる必要がある。それが中途半端ゆえに「あれ、撃ち殺すんじゃないの?」という疑問がわき、それが「ああ、撃ち殺せないプロット上の理由があるのね」とつながってしまう。このあたりからストーリーの全体像が読めてしまうし、2020年夏の米ウィスコンシン州のジェイコブ・ブレイク事件を彷彿させる、無抵抗な人間を警察が容赦なく射殺・銃撃するシーンを見せられれば、否が応でも黒幕の存在にはピンとくる。韓国映画の警察が無能というのは常識だが、アメリカ映画の警察が味方とは限らないというのもまた常識である。

 

デイビスの孤立無援、孤軍奮闘っぷりばかりが目立つが、「ヨランダ」にもう少し後半に出番があってもよかったのではないか。「ケリー」の方にはあるのだから、ここはバランスをとってほしかった。というか、ヨランダがデイビスにかけてきた電話はいったい・・・

 

総評

警察という仕事の困難さはJovianも義理の親父から何度か聞かされた。しかし、警察という仕事の誇らしさもそれ以上に聞かされた。そういう意味で、マンハッタン封鎖作戦以降は、警察1vs警察の物語として観るべし。ただしデイビスの人間性はうまく描出されていたが、デイビスの警察官としてのバックグラウンドがほとんど描かれなかった点が惜しい。同じようなテーマの『 ブラック アンド ブルー 』の方が面白さは上だと感じた。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be on borrowed time

『 サヨナラまでの30分 』で紹介した live on borrowed time とほぼ同じ意味である。つまり、借り物の時間で存在している=死ぬのは時間の問題、ということ。劇中のアメリカの警察の恐ろしさを実感させてくれるセリフである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, J・K・シモンズ, アクション, アメリカ, ステファン・ジェームス, チャドウィック・ボーズマン, 中国, 監督:ブライアン・カーク, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 21ブリッジ 』 -プロットはありきたりだが、迫力は十分-

『 フェアウェル 』 -生者必滅、会者定離-

Posted on 2020年10月4日2022年9月16日 by cool-jupiter
『 フェアウェル 』 -生者必滅、会者定離-

フェアウェル 75点
2020年10月2日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:オークワフィナ
監督:ルル・ワン

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『 オーシャンズ8 』や『 クレイジー・リッチ! 』などで存在感を発揮したオークワフィナの主演作。設定は陳腐だが、キャラクターの造形と文化背景の描写の巧みさで、良作に仕上がっている。

 

あらすじ

ニューヨークに暮らすビリー(オークワフィナ)は、中国の祖母ナイナイが末期がんで余命3か月と知らされる。親戚一同は最後に彼女と出会うためにビリーのいとこのフェイクの結婚披露宴を画策する。告知すべきと信じるビリーだが、中国には治らない病気については本人に告げないという伝統があるため、親族は反対する。そんな中、ビリー達とナイナイの最後に過ごす数日が始まり・・・

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ポジティブ・サイド

Based on an actual lie = 本当にあった嘘に基づく、というスーパーインポーズから始まるのはなかなか珍しい。普通は、Based on a true story = 実話に基づく、である。なかなか洒落が効いている。

 

いきなり小ネタを挟むが、中国の伝統医学は我々の常識、というよりも西洋医学的な常識とは異なっている。つまり、医者は人々に健康指導をすることで報酬をもらう。なので、人々がなんらかの病気に罹患してしまうと、それは医者としての職務に失敗したとみなされ、報酬を受け取れなくなる。人々がケガや病気になって、それを治療することで謝礼を受け取る西洋的・近代的な医療とは非常に対照的である。そうした予備知識を以って本作を鑑賞すれば、単なる告知問題を超えた、一種の東西文明論により深く入り込んでいけるはずである。

 

本作のテーマは、Is it wrong to tell a lie? =「嘘をつくことは間違っているのか?」である。これはJovianも大学の西洋哲学入門か何かで議論をしたことがあるし、看護学校でも「善行の原則」や「真実の原則」やらで、やはりディベートをしたことがある。個人的な結論は、「時と場合と相手による」である。本作で親族たちがナイナイにつく嘘はセーフなのか、アウトなのか。それは個々人が劇場で確かめるべきだろう。

 

アメリカで学芸員になることを目標にしながらもなかなか夢がかなわないビリーという人物の造形がリアルだ。オークワフィナの愁いを帯びた表情が真に迫っている。移民(実際の彼女はピーター・パーカー/スパイダーマンと同じく生粋のニューヨーカーだが)として、アメリカと中国、どちらにもルーツを持ち、どちらにもルーツを持っていないという背景が、祖母ナイナイとの別離を特別に難しいものにしている。そのことが痛いほどに伝わって来る。

 

その祖母ナイナイの貫禄とコミカルさは、亡くなった祖母を思い起こさせた。孫の結婚式のあれこれに口を出し、家の中での食事ではあれこれと指図し、祖父の墓参りでは「いやいや、なんぼ星になったいうても、平凡な一般人の祖父ちゃんにそこまでの願い事を叶える力はないやろ」と思わせるほどの願い=親族の幸福を祈る様は、まるでうちの母が他の祖母そっくり。東北アジア人というのはそれぞれに全然違う民族のはずだが、文化的・精神風土的な根っこは同じか、極めて近いのだろう。

 

親族の結婚式を前に、親戚が一堂に会して食卓を囲む。そんなシーンの連続であるにもかかわらず、本作にはドラマがある。それはナイナイに確実に忍び寄る病魔と、そのことをほとんど感じさせないナイナイの健啖家ぶりと矍鑠とした立ち居振る舞いのギャップによるものだ。ある意味でディアスポラ=離散家族であるビリーの親族は、皆それぞれに複雑な背景を持っている。だが、共通していることは、ナイナイがいなければ彼ら彼女は誰一人としてこの世に誕生しなかったということである。言葉にできない感情。しかし、それが言葉になる時、人はこのようになるのかというスピーチのシーンには感涙してしまった。また、ビリーが母との言い争いで、祖母に寄せる思いを溢れ出させるシーンには胸がつぶれた。陳腐なドラマであるはずなのに、心が震わされる。本作は観る者の肉親の情の濃さを測るリトマス試験紙のようだ。

 

ネガティブ・サイド

一部の肉親以外のキャラの作り方が粗雑である。ナイナイの同居人の高齢男性は、最後に何か活躍するだろうと思ったが、何もなし。何だったのだ、このキャラは。

 

フェイク結婚披露宴の新婦であるアイコの扱いも酷い。確かに日本人は感情の表出がヘタであるが、感情を出さないからといって感情が無いわけではない。もう少しアイコをhumanizeするためのシーンが必要だったと思う。

 

いくつかのシーンに医学的な矛盾が見られる。まず、序盤でナイナイが受けていたのはMRI検査(音がドンドンガンガンしていた)で、大叔母さんの言う「CT検査」ではない。肺がんであれば、圧倒的にCT適応で、MRI適応ではないはずだ。このことは肺以外への転移を強く示唆している。したがって、・・・おっと、これ以上は言ってはいけないんだった。

 

総評

文化の違いはあれど、人の死、それも身近な人、血のつながりのある人との別れを悼む気持ちは普遍的なものだろう。そうした部分を直視した本作は、洋の東西や時代を問わず、広く観られるべきである。これまではチョイ役でしかなかったオークワフィナの、とてもヒューマンなところが見られる。本作は彼女の代表作にして出世作になることは間違いない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

bid farewell to ~

「~に別れを告げる」の意。かなり格式ばった表現で、カジュアルな話し言葉ではめったに使わない。最近のニュースでは“Microsoft will officially bid farewell to its web browser Internet Explorer 11 in 2021”(マイクロソフト、2021年に自社のウェブブラウザ、インターネット・エクスプローラーに正式に別れを告げる)というものがあった。生まれたからには必ず死ぬし、出会ったものには必ず別れの時が来る。そんな御別れの表現である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, オークワフィナ, ヒューマンドラマ, 監督:ルル・ワン, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 フェアウェル 』 -生者必滅、会者定離-

『 ジェクシー! スマホを変えただけなのに 』 -気軽に笑える安心コメディ-

Posted on 2020年8月25日2021年1月22日 by cool-jupiter

ジェクシー! スマホを変えただけなのに 65点
2020年8月22日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:アダム・ディバイン アレクサンドラ・シップ
監督:ジョン・ルーカス スコット・ムーア 

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監督および脚本は『 ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い 』のジョン・ルーカスとスコット・ムーアのコンビ。となると、大いに笑えてちょっぴり考えさせられるコメディに仕上がっているのは間違いない。日本版の副題は『 スマホを落としただけなのに 』のパロディだが、ホラー要素はないので安心して観に行ってほしい。

 

あらすじ

フィル(アダム・ディバイン)はスマホ依存症。ある時、街中で偶然にケイト(アレクサンドラ・シップ)と知り合うも、直後にアクシデントでスマホが壊れてしまう。新しいスマホを手に入れたフィルは、「あなたの生活向上を支援します」というジェクシーというAIと奇妙な共同生活を始めるのだが・・・

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ポジティブ・サイド

主役のフィルはなんと『 ピッチ・パーフェクト 』と『 ピッチ・パーフェクト2 』のトレブルメーカーズの嫌味な男筆頭のバンパーを演じたアダム・ディバインではないか。ベラーズの面々は男とのある意味でとても不毛な惚れた腫れたの関係から華麗に卒業していったが、こちらは対極的にお一人様を楽しむ優雅な中年男。『 結婚できない男 』の阿部寛とは方向性がまるで違うが、フィルのような独身貴族は全世界で軽く数百万人は存在するのではないか。それほどリアルな人物の造形であり描写である。まず、職業がネット記事のライターというところが笑わせる。誰しも「○○○がオワコンである5つの理由」とか「株で成功する人が共通して持つ3つの習慣」といった、テンプレ感丸出しの記事を読んだことがあるだろう。つまり、常日頃から我々をスマホにくぎ付けにすることに血道を上げる職業人なのだ。この情けないやら有り難いやらの中間の存在のフィルに感情移入できるかどうかが大きなポイント。もしも、「何だ、つまんねー主人公だな」と感じるなら本作はスルーしよう。「なんか親近感がある」と思えれば劇場へ行こう。

 

スマホに気を取られて道を歩いていて人にぶつかってしまう。その時、ぶつかった相手ではなく自分のスマホの方を気にかけてしまうフィルに、「人の振り見て我が振り直せ」と感じる人も多いはずだ。だが人間万事塞翁が馬。これがもとでケイトに出会い、ケイトとの出会いがジェクシーとの出会いをもたらしたのだから。ケイト演じるアレクサンドラ・シップのフィルモグラフィーを見て、こちらにもびっくり。なんとあの怪作『 X-MEN:ダーク・フェニックス 』のストームではないか。だが本作ではミュータントではなくいたって普通の人間。というよりもいたって普通の女子である。笑顔がチャーミングで、それでいて野暮なフィルのデートの誘いを快諾。半年ぶりにすね毛を剃ったという女子力ゼロの発言から、小洒落た高級レストランを出て街中のバーへ。あれよあれよの夜中のサイクリング軍団への合流から、深夜の路上の情熱的で扇情的なキス。日本の少女漫画の映画化では絶対に描けないような極めてリアルな大人のデートである。そのすべてに輝きを与えているのは他ならぬケイト。正直、なぜこれで男がいないのかと訝しくなるが・・・おっと、これ以上は劇場で確かめてほしい。

 

スマホと人間の恋愛というと『 her 世界で一つの彼女 』という優れた先行作品がある。あちらは純粋なSFだったが、こちらは純粋なコメディ。そのことを象徴的に表すのが、ジェクシーとフィルのテレホンセックス。言葉で互いを高め合うのではなく、充電用ケーブルのコネクタをスマホ本体に抜き差しするという物理的なセックス。もう笑うしかない。トレイラーで散々映されているから、このぐらいはネタバレにはならないだろう。ジェクシーの魅力は何と言ってもuncontrollableなところ。電源を切ろうにも切らせてくれないし、フィルのプライバシーや口座、SNSにも易々とアクセス。生活を向上させてくれるかどうかはビミョーであるが、フィルを生き生きとさせていることは間違いない。ケイトと自分を比較して「あの女にはポケモンGOもGoogle Mapsもない」と言い放つ。それがフィルにはそれなりに堪える台詞なのだから、情けないやら身につまされるやらで、なんだかんだで笑ってしまう。

 

ストーリーは完全に予定調和で、ランタイムも90分を切るというコンパクトな作りである。脇を固めるキャラも人間味があるし、マイケル・ペーニャは『 アントマン 』並みのマシンガントークで相変わらず笑わせてくれるし、フィルの生活はスマホを片時も手放せない現代人なら、思わず理解してしまったり共感してしまうシーンのオンパレードである。何も考えずに80分笑って、時々はスマホから離れて友人や恋人、家族と語らおう。そんな気にさせてくれるはずだ。

 

ネガティブ・サイド

スマホショップの老婆は必要だったか。いや、必要だったのは分かるが、何らかのキーパーソンであると見せかけて、これでは・・・。『 ステータス・アップデート 』の不思議なアプリ入りのスマホのように、特定の人物からしか手に入らない特別なスマホとAIという設定の方が良かったのではないか。フィルのようなスマホのヘビーユーザーなら、ジェクシーのことを「なんかヤバいぞ」と感じた瞬間にその場でググるはずだし、新しくできた友人たちにジェクシーというAIを知っているかと尋ねることもできたはずだ。ジェクシー搭載のスマホがありふれたものなのか、それとも希少なのか。そこがはっきりしない点が釈然としなかった。

 

主人公のフィルがジャーナリスト志望という点もストーリーとは密接にリンクしていなかった。ジェクシーに振り回される自分を題材に、【 スマホに振り回されないための10の心得 】みたいな記事を書いてバズる、あるいはマイケル・ペーニャ演じる上司にしこたま怒られる、という展開があっても良かったように思う。そうした経験が肥やしになってこそ、ラストが光り輝くのだろう。

 

細かい点ではあるが、土砂降りの雨のシーンとその後の会社のシーンがつながっていなかた。フィルはびしょ濡れ、オフィスの大きな窓からは陽光が燦々、というのは邦画でもちらほら見られるミスだ。

 

総評

本作は様々な層を楽しませるだろう。高校生以上のカップルや夫婦で楽しんでも良し。もちろん優雅な独身貴族も歓迎だ。そして、あなたがトム・クルーズの大ファンだというなら、本作は決して見逃してはならない。Jovianは何が何でも字幕派だが、本作に関しては日本語吹き替えにも興味がある。誰か吹き替え版の感想を詳細にどこかに書いてくれないかな。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

think outside the box

『 サラブレッド 』でも紹介したフレーズ。マイケル・ペーニャ演じるボスが会議中に言う台詞。意味は「既存の枠組みにとらわれずに考える」である。ビジネスパーソンなら知っておきたいし、実践もしたい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アダム・ディバイン, アメリカ, アレクサンドラ・シップ, コメディ, 監督:ジョン・ルーカス, 監督:スコット・ムーア, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 ジェクシー! スマホを変えただけなのに 』 -気軽に笑える安心コメディ-

『 パッセンジャーズ 』 -ライトな映画ファン向けか-

Posted on 2020年7月23日 by cool-jupiter

パッセンジャーズ 50点
2020年7月20日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:アン・ハサウェイ パトリック・ウィルソン
監督:ロドリゴ・ガルシア

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200723010128j:plain
 

飛行機墜落ものというと『 ノウイング 』(監督:アレックス・プロヤス 主演:ニコラス・ケイジ)を思い出す(冒頭だけだが)。これがけっこうな珍品で、面白くもあり、つまらなくもあった。以来、飛行機墜落ものにはあまり食指が動かくなくなった。しかし、心斎橋シネマートで『 アフターマス 』(監督:エリオット・レスター 主演:アーノルド・シュワルツェネッガー)あたりから墜落ものも、ポツポツと再鑑賞し始めた。これもそのうちの一本。

 

あらすじ

飛行機墜落事故が発生。多数が死亡したが5名は生き残った。その生存者のカウンセリングを担当することになったクレア(アン・ハサウェイ)だったが、セッションを欠席した生存者が1人また1人と姿を消していく。クレアは事故の真相を何とか探ろうとするのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

アン・ハサウェイが相変わらず魅力的である。『 プラダを着た悪魔 』から『 シンクロナイズドモンスター 』まで、年齢を重ねつつも、魅力を増している。おそらく本作ぐらいが、いわゆる girl と woman のちょうど境目ぐらい(実際の役でもそうだ)で、それゆえに無垢な学生、姉との関係に悩む妹、男性と情事に耽る大人の女性などの多彩な面を見事に演じ分けている。彼女のキャリアにおけるベストではないが、間違いなく on the right side の演技である。

 

作品としては非常に分かりにくい。それは、「はは~ん、これは実はこういう話だな」ということがすぐに読めるからである。たいていの人は「これはアン・ハサウェイがセラピーをしていると見せかけて、実はセラピーを受けている側なのだ」と思うことだろう。Jovianは割とすぐにそう直感したし、映画や小説に慣れた人なら、あっさりとそう思えるだろう。それこそが本作の仕掛ける罠である。

 

「なるほど、そう来るか」

 

素直にそう感心できる twist が待っている。

 

本作の最初の展開に騙される人、あるいはそれを見破れる人は、以下のような作品に親しんでいる人だろう。以下、白字。

 

『 シックス・センス 』

『 アメイジング・ジャーニー 神の小屋より 』

『 ラスト・クリスマス 』

『 ムゲンのi 』

 

人によっては ( ゚Д゚)ハァ? となるだろうが、真相に至るまでには結構フェアに伏線が張られている。例えば寒中水泳のシーン、あるいは線路のシーン。このあたりをちょっと考えれば、誰もが何かがおかしいと感じられることだろう。それに、多くのキャラクターのふとした言動や、人間関係、他キャラとの交流のあり方もヒントになる。2000年代にもなると、ありふれた謎解きにも変化球が色々と混ざって来る。本作は、ただのシュートかと思ったらシンカーだった。そんな一品である。

 

ネガティブ・サイド

ちょっと風呂敷を広げ過ぎている。こういうのは中盤と終盤の twist のインパクトで勝負するしかない作品で、そこに至るまでがかなり間延びしているように感じられる。93分の映画だが、75分でも良かったのではないかと思えるのだ。エリックが壁を塗りたくるシーンや屋上にクレアを誘うシーンは削除できた。あるいは大幅に短縮しても、特にラストのインパクトに影響を及ぼさないだろう。

 

事故を起こした航空会社が、その自己の生存者を監視し、追跡し、拉致しているのではないかというクレアの推理は、はっきり言って迷推理である。生存者の名前は大々的に報じられるだろうし、そうした人間が本当に失踪したならば、周囲の人間が絶対に気付くし、捜索届を出したり、マスコミにも知らせたりするだろう。人間は陰謀論が大好きなのだから。一人ひとり消えていくのではなく、単にセラピーを欠席して、日常生活に帰っていった、という説明はできなかったか。

 

クレアとエリックのロマンスがどうにもこうにも陳腐である。アン・ハサウェイ演じるクレアから見たエリックが、一人の男性としての魅力に欠ける。いや、説得力に欠けると言うべきか。アン・ハサウェイから見て、危なっかしい弟のような存在、あるいは幼馴染のような友達以上恋人未満のような存在に見えないのだ。多面的なアン・ハサウェイの魅力とパトリック・ウィルソンのキャラ設定が、どこかミスマッチなのだ。

 

総評

アン・ハサウェイのファンならば観よう。こういった作品はドンデン返しを楽しむためのもので、そこに行くまでに退屈してしまうという向きにはお勧めできない。ディープな映画ファンならば、あれこれと先行作品を思い浮かべるだろうし、もっと鍛えられた映画ファンならば、この変化球が曲がり始めた瞬間に軌道を見切ってしまうかもしれない。結局、お勧めできるのはアン・ハサウェイのファンであるというライトな映画ファンになるだろうか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

work one’s ass off

「働きまくる」の意である。もうすぐ子どもが生まれるのか?じゃあ、がむしゃらに働かないとな!=You’re going to have a baby soon? Well, someone has got to work his ass off! などのように使う。同じような表現に、laugh one’s ass off = 爆笑する、というものがある。こちらは laugh my ass off = LMAO や、rolling on the floor laughing my ass off = ROFLMAO などの略語の形でネット上で見たことがある人もいるかもしれない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, D Rank, アメリカ, アン・ハサウェイ, サスペンス, パトリック・ウィルソン, ミステリ, 監督:ロドリゴ・ガルシア, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 パッセンジャーズ 』 -ライトな映画ファン向けか-

『 ワイルドローズ 』 -County Girl found country comforts-

Posted on 2020年6月29日2021年1月21日 by cool-jupiter

ワイルドローズ 70点
2020年6月27日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ジェシー・バックリー ジュリー・ウォルターズ ソフィー・オコネドー
監督:トム:ハーパー

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『 イントゥ・ザ・スカイ 気球で未来を変えたふたり 』のトム・ハーパー監督と『 ジュディ 虹の彼方に 』でジュディ・ガーランドのマネージャー役を演じたジェシー・バックリーが送る本作。英国は世界的なミュージシャンを生み出す土壌があり、それゆえに実在および架空の音楽家や歌手にフォーカスした映画も多く生み出されてきた。本作もそんな一作である。

 

あらすじ

 

ローズリン・ハーラン(ジェシー・バックリー)は刑務所あがり。カントリー歌手になる夢を追い続けるため、かつて働いていたクラブに出向くも、そこにはもう自分の居場所はなかった。ローズリンはシングルマザーとして生計を立てるために、母(ジュリー・ウォルターズ)の紹介で資産家のスザンナ(ソフィー・オコネドー)の家で掃除人としての職を得るが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200629193822j:plain
 

ポジティブ・サイド

刑務所を颯爽と去っていくローズリンがバスの中で聞いているのは『 Country Girl 』。初めて聞く曲だったが、“What can a poor boy do?”の一節に、頭をガツンと殴られたような衝撃を覚えた。これはローリング・ストーンズの名曲『 Street Fighting Man 』のサビの出だしの歌詞と全く同じではないか。ロンドンには俺っちみてえな悪ガキの居場所はねえんだ!と叫ぶ。最高にロックではないか。それのカントリー・ミュージック版ということか。また『 Country Girl 』のサビの締めが“Country Girl gotta keep on keeping on”というのも、『 ハリエット 』の『 Stand up 』の歌詞とそっくり。冒頭のこのシーンだけで一気にストーリーに引き込まれた。

 

昭和や平成初期のヤクザ映画だと、主人公が刑務所から出所してくると、まずは酒か、それともセックスかというのがお定まりだったが、この主人公のローズリンは日本の任侠映画文法を外さない。いきなりの野外セックスから子どもに会いに自宅へ、そのままかつての職場のクラブへ出向きビールで乾杯と来る。こうした女性像を気風がいいと受け取るか、未熟な大人と受け取るかで本作の印象はガラリと変わる。カントリー・ミュージックに傾倒する人間は、だいたいが現状に満足していない。自分はあるべき自分になっておらず、いるべき場所にいない。往々にしてそのように感じている。学校でいじめられていたという歌姫テイラー・スウィフトもカントリー・ミュージックに傾倒していたし、『 耳をすませば 』でも天沢聖司は自らの居場所をコンクリート・ロードの西東京ではなくイタリアに見出した。こうした姿勢はポジティブにもネガティブにも捉えられる。現状からの逃避と見るか、それとも向上心の表れと見るか。それは主人公ローズリンと見る側との距離感次第だろう。

 

『 ベイビー・ドライバー 』のベイビーさながらにヘッドホンをつけて音楽にのめりこみながら掃除機をかけるローズリンの姿は滑稽である。『 バック・トゥ・ザ・フューチャー 』でギターをかき鳴らして自分の世界に没入してしまうマーティーと同じようなユーモアがある。一方で、現状を打破するための行動が取れない。自分には才能がある。歌っていればチャンスがやって来る。それは古い考えである。作曲家の裏谷玲央氏は「今は作曲家は音楽だけ作っていればいい時代じゃないですよ、プロデューサーも兼ねないと」と言っておられた。至言であろう(作曲家を「英語講師」に、音楽を作るを「英語を教える」に置き換えても通じそうだ)。セルフ・プロデュースが必要な時代なのである。そこで重要な示唆を与えてくれるスザンナが良い味を出している。『 ドリーム 』(原題: Hidden Figures)でも、NASAおよびその前身組織で活躍した女性の影には有力な男性サポーターがいたという筋立てになっていたが、本作でローズリンを支えるのは女性ばかりである。男はバックバンドのメンバーやセックスフレンドである。これは非常にユニークな作りであると感じた。『 ジュディ 虹の彼方に 』ではシングルマザーで仕事もろくに無いジュディを支えたのは市井の名もなき男性ファンたちだったが、紆余曲折あってナッシュビルにたどり着いたローズリンは、コネになりそうな出会いを紹介してくれるという男性の誘いをあっさりとふいにする。「え?」と思ったが、彼女の行動や思想はある意味で首尾一貫しているのである。

 

『 ジュディ 虹の彼方に 』と言えばジュディ・ガーランド、ジュディ・ガーランドと言えば『 オズの魔法使 』、そのテーマはThere’s no place like home.ということである。黄色いレンガの道を辿っていけばエメラルド・シティーにたどり着けるかもしれない。けれども、本当にカンザスに帰るためには自分が真に求めるものを強く心に思い描かなければならない。ともすれば子どものまま大人になったように見える自己中心的で粗野で卑近なローズリンであるが、彼女が最後にたどり着いた場所、そして歌にはそれまでの彼女の姿を一気に反転させるようなサムシングがある。これは究極的には母と娘の物語であり、positive female figureによって少女から女性へと成長するビルドゥングスロマンでもある。ジェシー・バックリーの歌唱力は素晴らしいとしか言いようがない。音楽とストーリーがハイレベルで融合した良作である。

 

そうそう、劇中でJovianが物心ついた時から聴き続けて、今も現役のRod Stewart御大の名前も出てくる。スコットランド出身の大物と言えば、Jovianの中ではロッド・スチュワートとジェームズ・マカヴォイなのである。

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ネガティブ

ローズリンのキャラクターが過剰に就職されているように感じた。間抜けなところはいい。許すことができる。ロンドン行きの高速列車内で上着とカバンを置きっぱなしにして結果的に紛失または盗難被害に遭うわけだが、それは彼女のドジである。そしてドジとは時に愛嬌とも捉えられる。一方で掃除人として雇ってもらっている家の酒を勝手に飲むのは頂けない。これはドジや間抜けで説明がつく行動ではない。囚人仲間や看守、守衛たちから“Don’t come back.”と言われ、意気揚々とシャバに舞い戻ってきたというのに、白昼堂々と窃盗を働くとはこれ如何に。この辺で結構な人数のオーディエンスが彼女に真剣に嫌悪感を抱き始めることだろう。高いワインの瓶を落として割ってしまったぐらいで良かったのだが。

 

母と娘の距離というテーマでは『 レディ・バード 』の方が優っていると感じた。車を運転することで初めて見えてくる世界がある。自分が大人になった、社会の一員になったと感じられる一種の儀式である。レディ・バードはここで母親の視点を初めて追体験する。それが強烈なインパクトで彼女に迫ってくる。本作におけるローズリンの改心というか、人間的な成長にもとある契機があるのだが、その描き方にパンチがなかった。ベタな描き方(かつ微妙なネタバレかもしれないが)かもしれないが、ナッシュビルでたまたま立ち寄ったベーカリーのおばちゃんの仕事っぷりがあまりにもプロフェッショナルだったとか、もしくは親子で楽しくピザを頬張る光景をピザ屋で見ただとか、なにかローズリンのパーソナルな背景にガツンと来るような描写が欲しかった。

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総評

音楽映画のラインナップにまた一つ、良作が加わった。これまでの女性像をぶち壊す、力強い個人の誕生である。『 母なる証明 』の母や『 ストーリー・オブ・マイ・ライフ 私の若草物語 』の四姉妹ように、ステレオタイプを打破する力を与えてくれる作品である。ただし、自力でキャリアを切り拓いてきたという独立不羈の女性は本作のローズリンを敵視するかもしれない。なぜならJovianの嫁さんは全く物語にもキャラクターにも好感を抱いていなかったから。デートムービーに本作を考えている男性諸氏は、パートナーの背景や気質についてよくよく熟慮されたし。それにしても英国俳優の歌唱力よ。『 ロケットマン 』のタロン・エジャートンも素晴らしかったが、ジェシー・バックリーはそれを上回る圧巻のパフォーマーである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

out of place

場違い、状況にふさわしくない、という意味。エンドロールで流れる“That’s the view from here”の冒頭で

 

Wear this, don’t wear that, don’t step out of place

Just smile, don’t say too much, put that makeup on your face

Just keep pretendin’ you’re having a good time

‘Cause that’s the price of fame when you’re standing in the line

 

という歌詞がある。文脈からしてstep out of place = 場違いな行動に出る、だろう。残念なことに字幕では「外に出るな」と訳されていたが、これは明確に間違い。訳す時はまず全体像を見て、意味を類推し、それから辞書を引くべきである。ここでは最後の部分のstand in the lineとstep out of placeが意味上の対比になっていることが分かる。列に並ぶ=秩序に従う、列から出る=秩序を乱す。普通はstep out of lineと言うことも多いが、step out of placeという用法も少数ながら見つかった。また同僚のカナダ人にも確かめている。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イギリス, ジェシー・バックリー, ジュリー・ウォルターズ, ソフィー・オコネドー, ヒューマンドラマ, 監督:トム・ハーパー, 配給会社:ショウゲート, 音楽Leave a Comment on 『 ワイルドローズ 』 -County Girl found country comforts-

『 ゾンビーノ 』 -人間とゾンビの共生は可能か-

Posted on 2020年6月4日 by cool-jupiter

ゾンビーノ 65点
2020年6月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:キャリー=アン・モス ビリー・コノリー クサン・レイ
監督:アンドリュー・カリー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200604222657j:plain
 

間もなく「withコロナの時代」になると言われている。コロナは未知のウィルスであり、それはゾンビや魔女に例えられるだろう。そうした異形の存在と人類が平和共存できるかどうか。さらには高度に発達したAIと人類の共生は可能か。陳腐なテーマであるが、今という時代においては重要な問いである。

 

あらすじ

放射能のせいで死者がゾンビとしてよみがえる世界。だがゾムコム社の開発した首輪により、ゾンビは無害・無力化された。そうした世界で、ティミー(クサン・レイ)は母親が見栄で手に入れてきたゾンビによっていじめっ子たちからたまたま救われる。ティミーはゾンビ(ビリー・コノリー)にファイドと名付け、奇妙な友情を育んでいくが・・・

 

ポジティブ・サイド

ゾンビは元々ブードゥーの呪いによる産物とされているが、普通に考えればそれはない。かなりの確率で、脳血管障害で仮死状態に陥った者が息を吹き返した、だがその時に構音障害や構語障害、あるいは片麻痺などを発症したのだろう。そうした人物が都合の良い単純労働力と見なされ、生かされていた。それがゾンビのルーツだろう。本作のゾンビはもちろん人を襲うのだが、それがゾンビの主たる属性にはなっていない。ゾンビが労働力として、あるいは愛玩動物として扱われる社会を描いており、これは極めてユニークな世界観だ。

 

ティミーとファイドの友情は、abnormalでありながらも美しい。ゾンビというある意味で絶対服従してくれる危険な存在と友情を育むのは、どこかロボットと疑似父子・疑似親友関係を結ぶ『 ターミネーター2 』のジョン・コナーとT-800のようであり、異形の存在者との奇妙な友情という点では『 グーニーズ 』のチャンクとスロースを思い起こさせる、ほっこり系でもある。それだけなら動物との友情やロボットとの友情と特に変わりはない。本作の貢献は、キャリー=アン・モス演じるティミーの母とゾンビであるファイドとの、奇妙な関係とその劇的な帰結にある。その脇には、女性ゾンビのタミーとの関係を深める脇役もいる。ゾンビと共存する世界というのは、ある意味でゾンビと本当の家族になることだ。家族がゾンビ化して葛藤する映画はおそらく2000本ほど存在するだろうが、ゾンビと家族になる映画というのは、おそらく20本以下ではないだろうか。本作はその貴重な一本である。

 

本作はほのぼの映画である反面、強烈な社会風刺でもある。ゾンビという物言わぬ、思考力を持たぬ、搾取される側であり、なおかつ人間性を喪失した存在という属性の諸々が、人類そのものに一挙に投影されることになるからである。これには恐れ入った。冒頭のコメディックなナレーションと白黒映像は大いなる伏線である。本作は多くの男性諸氏の心胆を寒からしめるのではないか。同時に、人間と非人間の関係性、その境目を大いに揺さぶってくる。コメディでありならがコメディの枠を大いに超えた良作である。

 

ネガティブ・サイド

コメディとして『 ショーン・オブ・ザ・デッド 』のような突き抜けた面白さがない。ティミーの父親の抱えるトラウマがそもそも面白くないのだ。葬式にこだわる気持ちは分からないでもないが、そうした気持ちがこれだけ持続するからには、ゾムコム社も当初はテクノロジーに欠陥があって、ゾンビを飼いならすことにはしばしば失敗した、そして多くの犠牲がその過程で出た。そうした歴史的な経緯が必要だっただろう。

 

政府ではなく企業がでかい顔をする世界というのは確かに近未来的であるが、本作の世界観とは合わない。経済=金銭の授受が絡むと、様々な境目がそれだけで揺らぐからだ。人はカネのためならプライドも捨てられるし、衣服だって脱ぐ。近未来SFの要素は歓迎だが、あまりにも現実社会とリンクした要素は不要である。そうした経済優位の社会を描くのなら、それこそゾンビという労働力をいかに搾取できるかが社会的地位の高さにつながっているというディストピアを描くべきだったと思う。

 

グロいシーンは不要だったように思う。真夜中に月を背景に立ち上がる老婆のシルエット、のように序盤から中盤にかけてはボカした描写だけで良かった。そうすることで、後半のストーリーがよりカラフルになったはずだし、タミーを愛するナード男の怒りにも共感しやすくなったことだろう。

 

総評

多様性の重要さが叫ばれて久しい。その一方で差別問題の根深さが浮き彫りになる事件も頻発している。Homo homini lupusな世界が現出する一方で、橋や塔や動物やゲームのキャラクターと結婚する者も出てくる時代である。そして、新型コロナウィルスの出現で、ソーシャル・ディスタンスなる概念と行動まで生まれた。人間同士の関係がまさに揺らいでいる。本作は10年以上前の作品であるが、人間と非人間との奇妙な関係の醸成にフォーカスしている。今こそ再鑑賞すべき時を迎えていると言えるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

There is no such thing as ~

~などというものは存在しない、の意である。劇中では There is no such thing as a stupid question. = マヌケな質問なんてないんだよ、というふうに使われていた。

 

There is no such thing as a perfectly safe drug.

There is no such thing as a foolproof plan.

 

といった感じで使う。職場であなたの提案が上司や同僚の抵抗にあったら、“There is no such thing as a risk-free investment/project!”と反論しよう。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2000年代, C Rank, カナダ, キャリー=アン・モス, クサン・レイ, コメディ, ビリー・コノリー, 監督:アンドリュー・カリー, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 ゾンビーノ 』 -人間とゾンビの共生は可能か-

『 ぼくのエリ 200歳の少女 』 -人間らしさの根源に迫る-

Posted on 2020年5月10日 by cool-jupiter

ぼくのエリ 200歳の少女 70点
2020年5月8日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:カーレ・ヘーデブラント リーナ・レアンデション
監督:トーマス・アルフレッドソン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200510205717j:plain
 

韓国映画やアメリカ映画のような、胃にかなり重く来るような食べ応えの作品を立つ続けに見ると、やはり北欧産の映画に惹かれてしまう。色々なものをそぎ落とす演出と世界観は、時に不思議な魅力を生み出す。ゾンビものもいいが、吸血鬼ジャンルも、このご時世にはいいのかなと感じた。

 

あらすじ

学校でいじめられている内気な少年のオスカー(カーレ・ヘーデブラント)は、隣室に引っ越してきた謎めいた少女エリ(リーナ・レアンデション)と出会う。同じ頃、近隣では、血を抜き取られるという殺人事件が起こるようになり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200510205749j:plain
 

ポジティブ・サイド

キャスティングがとにかく素晴らしい。オスカーを演じたカーレ・ヘーデブラントもエリを演じたリーナ・レアンデションも、このタイミングでしか撮れない絵を見事に作り出している。『 ネバーエンディング・ストーリー 』のバスチアンやアトレーユ、幼心の君や、『 スタンド・バイ・ミー 』の4人組、『 ぼくらの七日間戦争 』の1年2組の面々らのように、主演の二人は大人と子どもの境目であるという奇妙な存在感を大いに発揮していた。

 

安易に人外のモンスターが登場する=ホラー映画、に仕立て上げないところにも好感が持てる。これは人間の物語で、もっと言えば人間が人間らしくある、あるいは人間らしさを失うこととは何かを問うている。我々はよく「人命ほど尊いものはない」と口にする一方で、「けしからん、死刑にせよ!」などと勝手に他者を断罪したりする。いじめっ子や問題のある親のせいで、学校にも家にも居場所がないオスカーが、吸血鬼エリと親しく交わることを誰が咎められようか。『 東京喰種 トーキョーグールhttps://jovianreviews.com/2019/08/14/tokyo-ghoul/ 』と同工異曲の作品であるが、オスカーの方がより社会的に疎外された存在であるため、エリとの交流の儚さがより際立っている。

 

エリとホーカンの関係も象徴的だ。実に甲斐甲斐しく夜な夜な血液集めに奔走するホーカンは、何故に好き好んで少年を狙うのかと思っていたが、それ自体が伏線だったとは。ある意味で少年の心のままに老齢に達してしまったホーカンと永遠に老いることのないエリの奇妙な共生関係は、エリとオスカーの未だ見ぬ将来について実に示唆的だ。

 

オスカーに拒まれて血を流すエリの不気味なまでの美しさは、映像美の一つの到達点ではないだろうか。そして、最終盤の、荒れ狂うエリの狂暴さとその場面の静謐さのコントラストも実に鮮やかである。北欧産のスリラーにしてヒューマンドラマの良作である。

 

ネガティブ・サイド

1時間26分48秒時点のボカシ、これは果たして必要だったか。「女の子じゃないよ」というエリの言葉は二通りに解釈できる。すなわち、1) 自分は女の子と呼ばれるような年齢ではない、そして2) 自分は性別的に女ではない、である。おそらく、その両方と解釈すべきなのだろうが、ここは恐れることなく“そのもの”、あるいは“そのものの痕跡”を見せてほしかった。あるいは、『 11人いる! 』のフロルの裸を目撃したアマゾンのごとく、オスカーにもっと分かりやすい反応をさせても良かったのではないか。

 

エリに襲われたことで半吸血鬼化した人物が、太陽光にあたってしまったことで焼け死ぬシーンがあるが、いくら何でも大げさすぎる演出ではないか。『 ミュージアム 』の殺人鬼ぐらいの演出で良かったのだが。

 

ヴァンパイアの特徴である「招かれないと部屋に入れない」を効果的に使っていた一方で、「影がない」という特徴は反映されず、ばっちり影ができていたり、「鏡に映らない」という衝撃的な画作りもできたはずだが、それもなし。特に鏡を使った印象的なカメラワークが随所にあるのだから、これは是非やってみてほしかった。元々太陽光を浴びられないエリなのだから影の件は置いておくにしても、鏡に映らないにはぜひ挑戦してほしかった。

 

総評

医療従事者の子どもが学校でいじめられているという、なんともやりきれない気分にさせられるニュースが報じられている。いじめっ子には直ちにやり返せとは思わないが、疎外がどのような結果につながるかについては真剣に考えなければならないだろう。誰かのために必死に生きる。その結果、残虐なことも起こりうる。それを美しいと思えることが人間らしい思いやりなのか。何とも言えない余韻を残す佳作である。

 

Jovian先生のワンポイントスウェーデン語レッスン

gå

英語にすると、go=行く、の意である。エリがオスカーにこのように叫ぶシーンがある。英語のgoは「ゴウ」だが、こちらは「ガウア」という感じ。むやみに辞書を引くのではなく、状況から未知の言葉の意味を類推する癖をつけておこう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, カーレ・ヘーデブラント, スウェーデン, ヒューマンドラマ, レーナ・リアンデション, 監督:トーマス・アルフレッドソン, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 ぼくのエリ 200歳の少女 』 -人間らしさの根源に迫る-

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