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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 渡辺大知

『 Ribbon 』 -メッセージのある青春映画-

Posted on 2022年3月3日2022年3月3日 by cool-jupiter

Ribbon 65点
2022年2月27日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:のん 能年玲奈 山下リオ 渡辺大知
監督:のん 能年玲奈

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のん(能年玲奈)による主演・脚本・監督作品。メジャーな舞台への復帰を模索するばかりでなく、今後はこういった方向の表現者であることを希求するのも良いのではないか。そう思える出来映えだった。

 

あらすじ

2020年、突如訪れた新型コロナ禍により、大学の卒業制作展が中止となった。制作意欲を失った美大生のいつか(のん)は、手持無沙汰のままステイホームする。ある時、運動不足解消のために散歩を始めたいつかは、近所の公園で不審な若い男性と遭遇するようになり・・・

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ポジティブ・サイド

『 ちょっと思い出しただけ 』や『 真・鮫島事件 』でもコロナ禍は描かれていたが、本作は物語の根幹にコロナ禍が据えられているという点で意義深いと思う。Jovianは一応、2020年春から大学での語学教育に携わっているので、いつかの物語をかなり自分の教え子の経験に重ねて観ることができた。

 

コロナ禍というタイムリーかつシリアスな問題を扱いながらも、のん演じるいつかのアンニュイな日常生活風景には、どこか牧歌的な感じも漂う。いつかの母、父、そして妹が次々といつかのアパートにやって来るが、これが非常に濃い面々。完全防御の汗だくの格好でやってきて手料理を振る舞ってくれる母に、不審者撃退用さすまたを持ち運んでいて職質されたという父に、これまた職質上等スタイルの妹。この上なく深刻なはずの世相が、とてもユーモラスなものになっている。受けて立つのんもなかなかの演技。『 私をくいとめて 』の充実したおひとり様ライフとは対照的に、グダグダの日常を送る姿にも説得力があった。

 

印象に残ったのは圧倒的に母親。いくらなんでも描きかけの絵を捨てるかと思うが、こういう母親は実際に結構な数が存在しているように思う。Jovianも大昔、一人暮らしをしているところに訪ねてきた母親によって、部屋の掃除をしてもらいつつも、大学時代のノートや思い出の品をゴミとして処分されそうになった経験がある。なので、いつかの怒りに共感するところ大だった。

 

コロナ禍によって顕著に変化したのは、人と人との距離だろう。ソーシャル・ディスタンスという物理的な距離も変化したし、ZoomやGoogle Meetなどのツールによって、リアルスペースで出会うことなく仕事をしていくことにも我々は慣れてきた。しかし、見逃してはならないのは、自分と自分との距離まで離れてしまったことだろう。離人症とまでは言わないが、コロナ禍という現実を受け入れられず、精神を病み、休学・退学になってしまった学生もたくさん出たのである。本来あるべき自分になろうとしていたのに、それを阻まれてしまった。その苦悩は若者ほど大きいだろう。「私ってこんなに承認欲求強かったんだあ」といつかと平井は自覚する。その欲求の根源、いつかにとっては中学時代の忘れてしまっていた青春の一コマをやがて回想するようになるという脚本はなかなかの手練れだと感じた。

 

マスクで顔の半分が見えず、誰が誰だか確信が持てない、あるいは素顔を知らないというのは現代人あるあるで、のんが渡辺大知演じる公園の男と絶妙な距離を保つ一連の流れは非常に上質なコント。いや、笑ってはいけないのだが、これはのんがこうした距離感を呵々として笑い飛ばしたいという願望をストレートに表現したのだと受け取ろうではないか。

 

最後にささやかに開かれる卒展に、芸術は人の心を動かす力を持っているのだというメッセージを受け取った。新人監督かつ新人脚本家・のんのまっすぐな心意気は確かに伝わった。

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ネガティブ・サイド

タイトルのリボンがいちかの心情を表していたのだろうが、いかにもCGといった演出には感心しない。美大生の心をリボンの色と動きで表現しようと試みたのだろうが、それならいつかを絵描きではなく、ダイレクトにファインアート作家の卵に設定すればよかった。その方がより自然である。または、いつかが色とりどりのペンキを心象風景のキャンバスにぶちまける様をリボンで表しても良かった。それならリボンの意味もあろうというものだ。いつかの美術のバックグラウンドとリボンがあまり結びついていないのは残念である。

 

親友の平井との諍いは不要。物語を大きく動かしたかったのだろうが、もっと静かに動かしつつ、なおかつ迫真性のあるドラマは生み出せたはず。たとえば、卒展が中止になり、涙ながらに自らの作品を破壊する学生たちの姿が冒頭で映し出されたが、そこから急遽、大学側がオンラインでバーチャル展覧会を開催すると決定、学生たちには歓喜と混乱が広がり・・・という筋立てであれば、多くの大学の2020年および2021年の大学祭と重なるところが多く、リアルな人間ドラマにつなげられただろうと思う。

 

終盤のシーンでも、大声やら大きな音を出してはいけないシチュエーションで思いっきり大声や騒音を出すのはどうかと思った。それが青春の一つの形だとは思うが、リアリティは感じなかった。同じく、BGMを多用しすぎだと感じた。色々と凝りたくなるのだろうが、思い切ってそぎ落とす方が効果的な場合もある。

 

総評

多くの娯楽や芸術に「不要不急」というレッテルが貼られた2020年。確かに不急かもしれないが、不要ではないだろうと思う。そうした憤りや不満を、文書や動画ではなく、映画作品として発表してしまうのだから、大したものだと思う。多くの映画人が記者会見やホームページ、SNSなどで意見を発してきたが、作品という形で「芸術は人間にとって必要なものなのだ」と静かに、しかし高らかに宣言したのは邦画では本作が初めてではないか。ぜひ多くの映画ファンに鑑賞いただきたいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a job offer

「就職内定」の意。an offer of employment もよく使われる。「内定をもらう」という動詞には、get や receive が使われることもセットで覚えておきたい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, のん, 山下リオ, 日本, 渡辺大知, 監督:のん, 能年玲奈, 配給会社:イオンエンターテイメント, 青春Leave a Comment on 『 Ribbon 』 -メッセージのある青春映画-

『 僕の好きな女の子 』 -Boys be romanticists-

Posted on 2020年8月19日2021年1月22日 by cool-jupiter

僕の好きな女の子 70点
2020年8月17日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:渡辺大知 奈緒
監督:玉田真也

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テレビドラマの『 まだ結婚できない男 』と邦画『 ハルカの陶 』を観て、奈緒という女優を今後マークしようと思っていた。その奈緒と、Jovian一押しの俳優、渡辺大知の共演である。というわけで平日の昼間から劇場へ行ってきた。

 

あらすじ

加藤(渡辺大知)は脚本家。美帆(奈緒)は写真家兼アルバイター。二人は大の親友だが、加藤は美帆に恋心を抱いていた。けれど、告白することで、二人の関係が変わってしまうことを恐れている。加藤は美帆との距離を縮められるのか・・・

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ポジティブ・サイド

渡辺大知が『 勝手にふるえてろ 』の二とは真逆のキャラクターを好演。好きだという気持ちを意中の相手にストレートにぶつけられない世の男性10億人から、無限の共感を呼ぶパフォーマンスである。または『 愛がなんだ 』のテルコと同じく、好きだというオーラを全身から発しながらも、相手がそれに気づいてくれない、それでも満足だという少々屈折した一途キャラ。これまた世の男性5億人からの共感を呼ぶであろう。人は誰でもできない理由を思いつくことに関しては天才かつ饒舌なのだが、そのことが加藤とその悪友たちとの他愛もない喋りの中によく表れている。単なる喋りではなく、渡辺の目の演技にも注目である。さりげない演技ではなく分かりやすい演技、しかし、わざとらしい演技ではない。目で正の感情や負の感情を語っていて、美帆と共有する時間を知っているオーディエンスには伝わるが、美帆と共有する時間を知らない悪友たちには、その目の語る事柄が伝わらないという憎い演出である。

 

奈緒演じるヒロインの美帆をどう捉えるかで本作の評価はガラリと変わる。加藤の悪友の言うようにビッチ(という表現は不穏当だと思うが)と見るか、計算ずくで加藤をキープし続ける小悪魔なのか、それとも本当に男女の友情を信じて維持している、ある意味で非常に純粋な女なのか。Jovianは小悪魔であると感じた。理由は二つ。1つには写真。被写体に対する愛情がないと撮れない写真というものがある。それは、例えば『 思い、思われ、ふり、ふられ 』のカズが撮った写真であったり、『 マーウェン 』のマークが撮る人形の写真だったりする。そうしたものは一目見れば分かるし、そうした写真を無意識で撮ったとすれば、撮影者は小悪魔ではなく悪魔であろう。理由のその二は、公園で泣く美帆と、その彼氏である大賀の所作。大賀に責められたから泣いたのではなく、自分の意識していない薄汚れた面に気付いてしまって泣いたのだろう。大賀が慰めるように肩に手をかけていたのは、美帆を思いやる以上に「今は涙をこらえろ。加藤にその涙を見せるな」という意味だと受け取った。このあたりは観る人ごとに解釈が分かれるものと思う。

 

大賀と渡辺の喫茶店での対峙シーンは素晴らしい。『 聖の青春 』の松山ケンイチと東出昌大の食堂での語らいを彷彿とさせた。大賀は登場時間こそ少ないものの、スクリーンに映っている時間は、画面内のすべてを支配したと言っても過言ではない。

 

全編が芝居がかっていて、劇作家である玉田真也監督の真骨頂という感じである。居酒屋のシーンや加藤の自宅のシーンなど、下北沢の芝居小屋で見られそうなトーク劇だった。あれだけ軽妙かつ切れ味鋭いシーンをどうやって撮ったのだろう。すべて台本通りなのだろうか。それとも、大まかな方向性だけを与えて、役者たちのインスピレーションに任せて何パターンか撮影して、その中から良いものを選んできたのだろうか。

 

Jovianは東京都三鷹市の大学生だったので、井の頭公園はまさに庭だった。渡辺大知の卓抜した演技だけではなく、馴染みのある風景がいくつも出てきたことで、作品世界に力強く引き込まれた。井の頭公園で歌うギタリストの歌も素晴らしくロマンチックだった。世の細君および女子にお願いしたいのは、パートナーが沈思黙考していたら、是非そっとしておいてやってほしい。本当に考え事に耽っていることもあるが、過去の美しい思い出を反芻している時もあるから。

 

ネガティブ・サイド

加藤の職業が脚本家というのは、少々無理があると感じた。実際にテレビで放映されているわけで、美帆がそれを観ないという保証はどこにもない。又吉のエッセイが原作ということだが、加藤は駆け出しの小説家ぐらいで良かったのではないか。それなら出版前の原稿を仲間内でわいわいがやがやと論評合戦してもなんの問題もない。ジュースもケーキも手渡せないようなヘタレな加藤が、美帆との時間をそのままテレビドラマのネタにしてしまうというのは、キャラ的に合っていないと思えた。

 

萩原みのり演じる加藤の女友達、または徳永えり演じる美帆のビジネスパートナーに、何か波乱を起こして欲しかった。自分が誰かを好きな気持ちを、その誰かは決して気付いていてくれない。そのことを加藤自身が図らずも実践してしまうというサブプロットがあれば、またはそうした思考実験的なもの(たとえばドラマの脚本の推敲の過程で)を挟む瞬間があれば、よりリアルに、よりドラマチックになったのではと思う。

 

総評

カップルのデートムービーに向くかと言われれば難しい。かといって友達以上恋人未満な関係の相手と観に行くのにも向かない。畢竟、一人で観るか、あるいは夫婦で観るかというところか。Jovianは一人で観た。井の頭公園や渋谷が庭だ、という人には文句なしにお勧めできる。ラストは賛否両論あるだろうが、男という面倒くさい生き物の生態の一面を正確に捉えているという点で、Jovianは高く評価したい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

lover

「恋人」の意。日常会話ではほとんど使わない。日本語でも「カレシ」、「カノジョ」の方が圧倒的に使用頻度が高いのと同じである。劇中で二度歌われる『 友達じゃがまんできない 』の歌詞、「あなたの恋人になりたい」が泣かせる。「あなたの恋人にしてほしい」ではないのである。加藤にはTaylor Swiftの“You Are In Love”と“How You Get The Girl”、そしてRod Stewartの“No Holding Back”と”When I Was Your Man“を贈る。いつかドラマの挿入歌にでも使ってほしい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, ラブロマンス, 奈緒, 日本, 渡辺大知, 監督:玉田真也, 配給会社:吉本興業Leave a Comment on 『 僕の好きな女の子 』 -Boys be romanticists-

『 勝手にふるえてろ 』 -理想と現実のはざまで悶えろ-

Posted on 2020年6月17日 by cool-jupiter

勝手にふるえてろ 80点
2020年6月13日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:松岡茉優 渡辺大知 北村匠海
監督:大九明子

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これは確か2017年の年末と2018年の年始にシネ・リーブル梅田で観たんだったか。男とか女とか関係なく、自分の古傷、封印していたほろ苦い思い出を無理やり呼び起こされ、それをズタボロに引き裂かれ、しかし最後に肯定してもらえたような気分になった。映画館にはまだまだ少々行きにくい。なので面白さが保証された過去作を観るのも有意義だろう。

 

あらすじ

江藤良香(松岡茉優)は24歳OL。中学二年生の頃から一(北村匠海)に恋焦がれている。だが、ある時、会社の同期の二(渡辺大知)が猛アプローチを仕掛けてきた。大好きだけれど手が届かない一か、好きではないけれど自分を好いてくれる二か、良香は思い悩むのだが、ある出来事をきっかけに一に会おうと思い立つ・・・

 

ポジティブ・サイド

青春とは不思議なもので、長い人生の中では比較的短い期間に過ぎないが、その時に受けた影響は何年も何十年も残る、あるいは続くことがある。往々にしてその影響は歳月を経て希釈されるものだが、中には逆に強化してしまう者もいる。その代表例が主人公の江藤良香だ。

 

中学二年生の頃から一途に一に懸想して・・・と言えば聞こえは良いかもしれないが、これはもはや重度の中二病である。そうした痛い女を松岡茉優は見事に体現してくれた。ソーシャルな意味でのコミュニケーションが上手いのか下手なのか分からないキャラクターで、我々はそれをパブリックな自分とプライベートな自分を華麗に使い分ける、ある意味で立派な女性像として許容する。こうしたキャラ造形は見事だし、実際にそのように映る演出も随所に挿入されている。個人的に感じ入ったのは、良香が自分で自分にアンモナイトの化石をプレゼントとして贈るところ。玄関のむこう側とこちら側で、キャラクターがガラリと入れ替わるシーンは、良香の二面性を大いに印象付けた。こうした良香のイメージが後半の怒涛の展開とドンデン返しを大いに盛り上げる。

 

二である渡辺大知も、いつも通りの三枚目キャラながら、人間の本質の部分では熱血漢、けれど表面的にはストーカー気質という少々一通りでないキャラを好演。なんというか、ラブコメやラブロマンスやヒューマンドラマの文法に全く従わないキャラである。なので、良香と同じく、観る側が共感するようになるのに少々時間がかかる。けれど、現実にこのような男がいれば、それはよっぽど根が野暮か、さもなければよっぽど自分に正直であるかのどちらかだろう。いや、男性だけではなく女性でもそうだ。八切止夫は著書『 信長殺し、光秀ではない 』で「人間関係とは一にかかって、いかに相手に自分のこと良いように誤解させるかだ」と喝破していた。それをしない人間というのは逆に信用できる。二はそういう男である。

 

それにしても松岡茉優は本当に代表作を作り上げたなと思う。『 脳内ポイズンベリー 』の真木よう子と吉田羊を同居させたような女で、なおかつ社会性に欠ける言動=二のみならず観ている観客全員をドン引きさせる大嘘を、いたって大真面目につくところ。さらには会社を休んで自宅で過ごす様のあまりにも健康的な健全さ。世俗の歓楽には興味はなく、自分の価値観だけで十分に満足できるという、仙人のようである。一方でそうした生活を長くし過ぎたせいで、一を好きなだけで満足できる人生を10年間過ごしてきたせいで、もはや軌道修正できるかできないかギリギリのところにいる様が、多くの男女の共感も呼びやすい。『 電車男 』の逆というと変だが、構図としてはそうである。人間関係というと非常にニュートラルに聞こえるが、そこになんやかんやのドロドロとした、決して綺麗ではないものがある。だが、それらすべてが汚泥であるわけではない。ふとした言動が誰かを傷つけたりすることはある。二がそうした俗世の在り方を良香に説く様には、なにかこちらが圧倒されるようなリアリティがある。自分は知らないところで他人を傷つけてOKでも、他人が自分を傷つけることは許さない。そんな良香、さらには全ての中二病経験者に、雨中の二が切々と語りかけてくる様は感動的である。こんな痛い女を包み込めるのは、こんな泥臭い男しかいない。そんな、一歩間違えればセクシズムと受け取られかねないことも本作についてなら言える。そんなパワーを放つ快作である。

 

ネガティブ・サイド

辞表とはなんだ?退職願ではないのか?と、昨年、会社に退職届を出したJovianが突っ込んでみる。綿矢りさのミス?それとも小説の編集者や校正も見逃していた?脚本にする時に間違えた?

 

多少気になったのがフレディ。『 ボヘミアン・ラプソディ 』前の作品であるが、それでももう少し似せる努力はしてほしい。同時にやはり松岡茉優は顔が整い過ぎていて、中学時代の良香には苦しかった。いかに野暮ったく描いても栴檀は双葉より芳しである。

 

片桐はいりのキスシーンは必要か?ぎりぎりで見せないようにするほうが、観る側はかえって想像力をそそられる。想像力がテーマの一つである本作には、そうした映さない映し方がふさわしかったのでは?

 

総評

Third viewingだったが、それでも面白い。見るたびに発見ができる。松岡茉優は極めて薄い化粧で、ちょっとした照明の工夫で明るい時と落ち込んでいる時、自分の世界にいる時と会社などの他人の世界にいる時で、光量が使い分けられている。ストーリーやキャラクター以外の映画作りの技法の面でも優れた、近年の邦画の一つの到達点である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

go extinct

絶滅する、の英語である。become extinctも同じくらい使われる。絶滅すべ~きで~しょう~か~?を、“I should let my love go extinct, shouldn’t I?”とすれば、収まりがよく聞こえる。英語のフレーズやセンテンスは、リズムと一緒に覚えよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, A Rank, ラブコメディ, ラブロマンス, 北村匠海, 日本, 松岡茉優, 渡辺大知, 監督:大九明子, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 勝手にふるえてろ 』 -理想と現実のはざまで悶えろ-

『 ギャングース 』 -半端者たちの中途半端な物語-

Posted on 2019年12月31日 by cool-jupiter

ギャングース 50点
2019年12月30日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:高杉真宙 渡辺大知 加藤諒 金子ノブアキ
監督:入江悠

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東宝シネマズ梅田で昨年公開していたのを見逃したので、あらためてDVD鑑賞。日本の暗部を上手くエンターテインメント風にまとめてはいるが、最後の最後のショットは人によって好みや解釈が分かれるところだろう。それが入江監督の意図なのかもしれないが。

 

あらすじ

サイケ(高杉真宙)、カズキ(加藤諒)、タケオ(渡辺大知)は少年院上がりの3人組。まともに社会復帰ができない彼らは、半グレ集団からのタタキ(窃盗)を稼業にしていた。そして3人で3000万円を貯めて、正道に立ち返ることを目標にタタキに邁進していくが・・・

 

ポジティブ・サイド

若手俳優たちが躍動している。ヤクザ映画が時代と共に減産となり、入れ替わるかのように盃ごととは異なる次元のアンダーグラウンド世界を描く作品が映画や漫画、小説でも増えてきた。特に高杉真宙は『 君が君で君だ 』のクズ彼氏役が今一つだったが、『 見えない目撃者 』で悪ぶった10代を好演。そして本作でも少年院あがりの半端者をしっかり表現できていた。この調子で精進して第二の菅田将暉を目指すべし。

 

Jovianのお気に入り俳優である渡辺大知も光っていた。『 ここは退屈迎えに来て 』でも、子ども時代になかなか決着をつけられない半端な大人キャラ、さらにはLGBTQをも思わせる役を演じていたが、本作でも爽やかながらに前科者というギャップのあるキャラを、明るさあと腕っ節の両方で描出した。

 

だが何と言っても白眉は加藤諒だろう。三枚目キャラでありながらも最も重い因果を背負っているというギャップがたまらない。刹那的な生き方 ― それはつまり牛丼だ ― を追い求めるのは、一日を生きることにも苦労したことの裏返しである。犯罪を行うことに最も屈託がなさそうに見えるのは、それだけ普通の生活を送ってこなかったことの証明でもある。幸せになりたい、そして誰かを幸せにしてやりたいと心から素直に願えるのは、幸せの閾値が低いからである。それは不幸なことかもしれない。幸せな体験が少ないことを意味するから。一方で、それは幸せなことかもしれない。ありふれたことにも幸せを見出せるから。このカズキというキャラクターをどう捉えるかが、その人の心の豊かさ、または貧しさの度合いを測るリトマス試験紙になっている。そしてカズキは『 存在のない子供たち 』のゼインでもある。詳しくは作品を鑑賞されたし。ところで、このキャラの前科を描くシーンおよび家は『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』で鶴瓶が妻と間男を刺殺した家だろうか。家もそっくりに見えるし、殺人に至る流れもそっくりであり。

 

金子ノブアキの番頭ぶりも良い。番頭と言えば漫画『 魔風が吹く 』が思い出されるが、金子も負けていない。オレオレ詐欺の前に従業員に対してmotivational speechを行う様は圧巻である。チンピラ的な役が多かったが、年齢相応に存在感やカリスマ性も増してきた。ピエール瀧の後釜を本気で狙ってほしいと思う。

 

MIYAVIも悪くなかった。『 BLEACH 』では信じられないほどの大根演技を披露したが、本作では喋りだけではなく格闘アクションも披露。『 影踏み 』の山崎まさよしのように音楽と演技の二足のわらじを履き続けられるかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

事実を取材したというが、リアリティの欠如も多い。半グレの借りている貸倉庫を急襲してタタキを行うのは分かる。半グレは警察に被害届を出すことをためらうからだ。だが、鍵を壊された貸倉庫の業者はためらうことなく被害届を提出するだろう。それとも貸倉庫自体が半グレの経営によるものなのか?そのような描写はなかった。

 

また、今日のメシ代にも困る奴らがクルマを乗り回していることにも違和感を覚えた。ガソリン代はどうやって捻出している?そもそも免許を持っているのか?車検などをしっかりクリアできている車両なのか?車両保険はどうなっている?いままで一度も検問や職質にひっかからなかったとでも言うのか?

 

六龍天が本当に口にするのもはばかられるほどヤバい組織であるという設定はよい。だが、そのトップが腕っぷしで勝負するタイプというのはどうなのだ?ヤクザなら銃やドスを普通に持っている。自分自身が武装していなくても、取り巻きが短刀やスタンガンなどの武器を携帯していないのは不自然極まりない描写に感じられた。

 

本作の裏テーマは、「家族とは何か」である。『 万引き家族 』を観るまでもなく、血のつながりは濃いものであるが、血のつながりよりも濃いものもあるのである。それは『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』のテーマでもあった。カズキは疑似的な妹ができるのだが、彼女を引き取ろうという気概はないのか。家族とは作り上げるもの、そしてどんな形であれ最終的には離散するものでもある。子どもとは巣立ちしてナンボなのである。少年院を出たということは少年だったということである。だが、いつまでも少年ではいられない。この3人組は友情を確かめつつも、成長と独立を志向すべきだった。それこそが本当の意味のカタルシスにつながる。エンディングのショットは解釈が割れるだろう。幸せは平々凡々な瞬間に存在するという意味にも受け取れるし、他人の幸せに関心を払う人間など現代には存在しないという風にも受け取れるからである。Jovianは前者の説を取りたい。何故なら、それこそが全編をかけて本作が追い求めてきた真実だからである。だからこそ入江監督には、曖昧な映像ではなく、しっかりとした意図が込められた画で最後を締めて欲しかった。

 

総評

半グレは残念ながら日本社会に根を張ってしまった。そうした半グレを逆に狙う少年たちの物語は、それだけで痛快である。同時にそうした世界に足を踏み入れてしまうことのリスクも一応描かれている。そして、幸せとは何かを考えるきっかけにもなる本作は、中高生の教育用に案外向いているのかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Let us do this heist!

タタキという言葉は完全にジャパニーズ・スラングである。だが、英語では強盗・窃盗はheistという。「このタタキ、やらせて頂きます!」も上の英文でOK。ちなみにheistという単語は傑作映画『 ベイビー・ドライバー 』で頻出する。動詞の選択に迷った時はdoでOKである。

do a presentation   プレゼンをする

do a movie review   映画のレビューを行う

do some cooking   料理をする

do some laundry   洗濯をする

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, D Rank, クライムドラマ, 加藤諒, 日本, 渡辺大知, 監督:入江悠, 配給会社:キノフィルムズ, 金子ノブアキ, 高杉真宙Leave a Comment on 『 ギャングース 』 -半端者たちの中途半端な物語-

『 わたしは光をにぎっている 』 -東京の一隅に居場所を見出す少女の物語-

Posted on 2019年11月24日2020年4月20日 by cool-jupiter

わたしは光をにぎっている 65点
2019年11月23日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:松本穂香 渡辺大知 光石研
監督:中川龍太郎

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高校生ぐらいの頃は、本屋に行っては背表紙のタイトルだけ見てミステリやサスペンス小説を買っては読んでいた。本作は久々に、タイトルだけで鑑賞を決めた作品である。あらすじやキャストなど、事前の情報は極力仕入れずに鑑賞した。その甲斐もあってか、思いのほか楽しむことができた。

 

あらすじ

両親を早くに亡くした宮川澪(松本穂香)は、民宿を営む祖母に育てられた。だが祖母の入院により、その民宿も閉業。父の古い友人である三沢京介(光石研)の元に身を寄せる。スーパーでバイトを始めた澪だったが、長続きしなかった。澪はやがて京介の営む銭湯・伸光湯を手伝うようになる。その界隈では映像作家の緒方銀次(渡辺大知)らとの出会いもあり、澪は少しずつ世界との関わりを学んでいく・・・

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ポジティブ・サイド

現代日本の閉塞感、それにより生じる息苦しさ、もっと言えば生き辛さを克服していく過程の切り取った作品である。舞台が東京の下町の銭湯に設定されている点がよい。Jovianの出身地の兵庫県尼崎市は、昔に比べて数は相当に減ったものの、それでも昔ながらの銭湯が結構残っている。そこには独自の人間関係や生活のリズムといった、ユニークな生態系が存在している。Jovianは月に1~2回ぐらい銭湯に行くので、本作の世界にスッと入って行くことができた。

 

無口な少女である澪が東京の洗礼を浴びるシーンは少し痛々しい。東京では、人間関係が役割によって規定されている。店員は客の声を聞くものである。ただ、無防備に近い状態の人間がサンドバッグにされてよい道理はないし、正社員だからといってアルバイトと話す時に目を合わせなくてよいということもない。とにかく上京してすぐの澪は居場所のない無力な存在なのである。これによって観客は澪を応援したくなってしまう。これで澪を「どんくさい奴だな」と思ってしまう人は『 翔んで埼玉 』を観て、東京の富や権力が何によってもたらされ、維持されているのかを、再確認した方がよい。

 

伸光湯に居場所を見出していく澪と、その澪に仕事の在り方を見せる京介の疑似的な親子関係は清々しい。自身も口数の少ない京介である。浴場の掃除の仕方をあれこれと口で教えたりはしない。まず自分がやってみる。それを澪にやらせていく。頭を下げるべきところでは頭を下げ、しかし、それによって澪を叱責したりはしない。炉にもくもくと木を放り込んでいく姿は一つのプロフェッショナリズムの極まった形だろう。『 羊と鋼の森 』でもやや偏屈な調律師を演じた光石研は、いぶし銀の代名詞である。

 

渡辺大知のキャラも良い味を出している。伸光湯は平成どころか昭和の風情を残した貴重な銭湯である。その界隈も古き良き時代の名残を我々に伝えてくれるものである。そうしたものを映像という形で残そうという試みは、中川龍太郎監督自身の意識の表れなのだろう。

 

監督のこだわりはカメラワークにも表れている。普通の映画と比べて、ロング・ショットが多用されている。一つには、澪の孤独を視覚的に分かりやすく示すためであり、一つには、澪のパーソナル・スペースに徐々に他人が入ってこれるようになってきたことを示すためである。番台をしている澪を窓の外から映すシーンでは、東京の片隅で確かにこのような形で存在し、生活している人間がいるのだということを印象付けた。カメラワークも冴える作品である。

 

ネガティブ・サイド

澪の入浴シーンまでロング・ショットで撮影するとは、中川監督に喝!・・・というのは、もちろん冗談である。

 

冗談はさておき、スーパー銭湯でも昔ながらの銭湯でも、「脱衣所でスマホ・携帯を使用しないでください」という注意書きが貼られる時代である。同性の裸を見たいという男性も存在するし、女性が盗撮した動画を男性側に提供することもありうるのである。嫌な時代である。だからこそ、脱衣所や浴場そのものも映し出すことにトライすべきではなかったか。伸光湯は澪の居場所となるだけではなく、地域の人々の憩いの場であったり、認知症が進んだ老人の行き先であったりするわけである。そうした下町人情を映し出す必要もあったと思う。『 テルマエ・ロマエ 』という優れた先行作品もある。『 サウナのあるところ 』というモザイクすらかけなかった作品もあるのである。

 

エンディングは味わい深い。ただ、『 スリー・ビルボード 』のように、その一瞬先を見たいというこちらの欲求を満たしてくれるものではなかった。セルフ・ネグレクト気味の京介の目に映る成長した澪の姿。例えばそれは笑顔であったり、快活な声であったり、あるいはテキパキとした仕事ぶりであったり、何でもよいのだ。「そこは観る人の想像力に委ねます」という中川監督の意図も分かる。だが、「過去の名言を語る男に未来はない」ように、我々はその先を見たいのである。

 

総評

格差が定着した感のある日本である。しかし、日々を精いっぱい生きることが無意味なわけでは決してない。澪や京介の不器用な生き方は、むしろ好ましくすら映る。銭湯要素がやや少なめなのが残念だが、社会的なメッセージと人間ドラマを両立させた邦画の佳作である。スルーしてきた『 湯を沸かすほどの熱い愛 』を観てみたいという気分になった。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Use your imagination.

 

京介の「想像力を働かせろよ」という台詞の私訳である。~を働かせる=let ~ workなどと公式にあてはめてはいけない。英語を使うコツは、簡単な動詞を駆使することである。「常識で考えろ」というのも、”Use common sense.”と言うのだと覚えておこう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, ヒューマンドラマ, 光石研, 日本, 松本穂香, 渡辺大知, 監督:中川龍太郎, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 わたしは光をにぎっている 』 -東京の一隅に居場所を見出す少女の物語-

『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』 -エンディングにぶっ飛ばされる-

Posted on 2019年10月15日2020年8月29日 by cool-jupiter

ブルーアワーにぶっ飛ばす 65点
2019年10月13日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:夏帆 シム・ウンギョン 渡辺大知 南果歩
監督:箱田優子

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シム・ウンギョンが熱い。日本語にはまだまだ違和感が残るが、数年もすれば日本映画界にとって欠かせないピースになるのではないだろうか。『 新聞記者 』と本作において、私的2019年海外最優秀俳優賞でホアキン・フェニックスの次点につけている。

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あらすじ

CMディレクターの砂田夕佳(夏帆)は既婚、子どもなしの30歳。職場の同僚と不倫関係にあり、仕事も修羅場続き。ある日、病気の祖母を見舞うために帰郷することになった砂田は、友人の清浦(シム・ウンギョン)の運転で茨城を目指すが・・・

 

ポジティブ・サイド

Jovianは出身地は兵庫県だが、岡山県に8年暮らし、東京でも10年半を暮らした。大都市、まあまあ都会、ド田舎の全てを肌で知っていると思っている。そういう背景を持つ人間には、痛いほどに伝わるサムシングが本作には確かにある。都市の変化は激しい。一方で、日本昔話級の田舎には、目で見て分かる変化はほとんど起きていない。だが、それは一つの幻想である。変わらないように見える人間も確実に変わっていく。当たり前だが、人間は年老いていく。そして、どんな人間にも幼少期がある。田舎がダサい、カッコ悪い、居心地悪いと感じるのは、それが自分で自分を好きになれない部分を投影しているからだろう。逆に言えば、田舎に帰省してホッとするという向きには本作の砂田の痛々しさは伝わらないのかもしれない。それでも、清浦が隠そうとしない旺盛な好奇心や高いコミュニケーション力は、誰でも好ましく感じるに違いない。その感覚を大切にしなくてはならない。人間、ポジティブに感じられることを基軸に考え、行動したいものである。

 

構成はユニークである。オープニングシーンでは、ブルーアワーに田舎のけもの道を話しながら疾走する幼女を描き、エンディングでは茨城から東京への家路をブルーアワーにひた走る車を描く。本作の特徴は、その説明の少なさ、徹底して映像で語ってやろうという意気込みにある。冒頭から不倫相手との同衾シーン、そこから帰宅に至るシークエンスであるが、これがかなり不自然な画の繋がり方なのである。え、そこで切って、そこに繋げるの?という編集である。これはいきなり失敗作・・・いやいや実験的作品なのか?との杞憂は、中盤に至っても消えない。『 ダンス・ウィズ・ミー 』のようなロードムービーを予感させた瞬間には、もう別シーンに切り替わっていたりと、常に観ているこちらの虚を突くような展開が続く。だが、どうか辛抱して欲しい。全てはある演出のためのもので、それが全て明らかになるエンディング・シーンは絶対に席を立ってはならない。

 

映像といえば、清浦が常に手にしているビデオカメラも重要なガジェットになっている。いつ、どこにそれがあり、誰がどういったタイミングでそれを使うのかに、これから鑑賞する方は是非注意を払ってみてほしい。同じく、出番が可哀そうなぐらいに少ない渡辺大知のシーンにも、是非とも注意を払ってみてほしい。

 

夏帆の母親役に果歩。名前だけではく、外見もかなり似せてきている。メイクアップアーティストさんやヘアドレッサーさんはGood job! である。

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ネガティブ・サイド

夏帆は良い意味で円熟期を迎えつつあるようだ。しかし、悪く言えばマンネリズムに陥る危機を迎えているとも言える。『 きばいやんせ!私 』の貴子というキャラクターと今作の夕佳というキャラクターは、重複するところがかなりある。彼女自身、あるいは彼女のハンドラー達は、型にはめないように注意をしてほしいもの。

 

東京という虚飾に塗れた都市と、その周辺・従属地域の対比という構図は、すでに『 翔んで埼玉 』や『 ここは退屈迎えに来て 』にて用いられた、いわば手垢のついたものである。そこに新たな視点を提供するという野心的な試みは本作にはなかった。シム・ウンギョンの演じる清浦の出身地を湘南ではなく、韓国のソウルもしくは釜山という大都市にするか、あるいは韓国の田舎出身にしてしまった方が、対比が鮮やかになったのではないだろうか。異邦人の目から見た日本国内の地域差というのは、これまで映画では取り上げられなかった視座ではないだろうか。ただ、それをやってしまうと、物語の根幹部分が崩れるという諸刃の剣でもあるが。

 

また、『 イソップの思うツボ 』で感じたアンフェアさが本作にも感じられる。もちろん、こちらは伏線を見事に回収しているのだが、その手法の鮮やかさ、インパクトの強さにおいて『 勝手にふるえてろ 』には及んでいない。この部分において斬新なアイデアを披露してくれていたら、たとえそれが失敗に終わっても、個人的には野心作として非常に好ましく思えたのだが。

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総評

かなり観る人を選ぶかもしれない。生まれも育ちも東京23区内です、両親の実家もそれぞれ名古屋と横浜です、などという人には正直なところ勧め難い。けれど、アラサー女子が感じる閉塞感や焦燥感を感じ取ることができれば、それで充分かもしれない。自分の頭と心が一致していないと感じることがあれば、本作から何かを感じ取ることができるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Oh, good for you.

 

序盤の夏帆の「 へー、良かったね 」という台詞である。日本語と同じで、祝福の意味でも皮肉の意味でも使われる。表現として何一つ難しいことはない。これも機会を見つけて使ってみるべし。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, シム・ウンギョン, ヒューマンドラマ, 南果歩, 夏帆, 日本, 渡辺大知, 監督:箱田優子, 配給会社:ビターズ・エンドLeave a Comment on 『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』 -エンディングにぶっ飛ばされる-

『 ここは退屈迎えに来て 』 -青春と現実の光と影のコントラストが映える-

Posted on 2018年10月29日2019年11月4日 by cool-jupiter

ここは退屈迎えに来て 50点
2018年10月25日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:橋本愛 門脇麦 成田凌 渡辺大知
監督:廣木隆一

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以下、ネタばれに類する記述および私的考察あり

 

小説でも映画でもゲームでも、まず手に取ってみたくなる、もしくはクリックしてみたくなるのは、そのタイトルが魅力的なものである時だ。タイトルが魅力的というのは、こちらがそのタイトルの意味をもっと深く知りたい、と思わせるような妖しい力を持っているということだ。少年時代に『 ドラゴンクエスト 』や『 ファイナルファンタジー 』と出会った方々ならば、そのタイトルの不可思議さに惹き付けられた記憶、印象が鮮明であると思う。本作はしかし、先行する魅力的なタイトルを持つ映画と同じレベルに達しなかった作品である。

 

あらすじ

私(橋本愛)は東京で過ごすこと10年、「何者」かになることができず地元に帰り、フリーのタウン誌の記者をしている。ある時、友人の誘いで高校時代の憧れの存在だった椎名(成田凌)に会いに行くことになる。一方では、高校時代の椎名の彼女「あたし」(門脇麦)は、地元の冴えない男と付き合いながらも、椎名のことを吹っ切れずにいる。青春の輝き、東京への憧憬、椎名という太陽のような存在。誰もが何かを抱えて生きていく姿を、時系列を変えて、オムニバス的に活写していく作品。

 

ポジティブ・サイド

まず、最も強く印象に残ったのは渡辺大知演じる新保だった。Jovianの気のせいなのかも知れないが、おそらくゲイもしくはバイセクシャル、もしかしたらトランス・ジェンダーなのではなかろうか。本人がそれを自覚できていないのかもしれないが。煙草の吸い方が、男のそれではないように思えて仕方がなかった。また、終盤に新保が原付きで疾走する場面があるのだが、そこでの光の使い方には是非とも注目してほしいと思う。あれは乳房の象徴にしか見えなかった。独特の哲学を持つキャラで、「幸福であるためには、まず何よりも孤独であれ」などとまるでアリストテレス哲学のような思想を披歴してくれる。彼の幸福論および死生観は、Jovianのそれと近く、ある観客によっては非常に強く共感でき、また別の観客によっては嫌悪の対象となろう。どう感じるか気になる方は、劇場へ行くべし。

 

本作は『 桐島、部活やめるってよ 』と同工異曲の青春群像劇である。青春というよりも、モラトリアムと言った方が近いだろうか。椎名という太陽のような存在に照らされていた高校時代が、ある者にとっては神話的な崇高さを帯びているところが、滑稽ではあるがリアリティの源泉にもなっている。程度の差こそあれ、こうした傾向は青春を完全な過去という遠近法で見られる人にならば、ある程度共通してみられるものだ。アメリカのちょっとしたテレビドラマや映画の同窓会シーンでは、アメフトの試合のあのパスが云々、野球の試合のあの補殺が云々、プロムで誰それと誰それが云々・・・ 人は誰もが否応なく成長するが、その成長を拒む人もいるし、個人の内面レベルで成長を拒む部分も存在する。そうした、ある意味では非常にダークな心の領域を本作は見事にあぶり出す。同様のテーマの作品に興味があれば、『ワン・ナイト』(原題は”Ten Years”)をお勧めしたい。

 

この作品の特徴として、閉鎖空間でのロングのワンカットを多用するということが挙げられる。ワンカットと言えば『 カメラを止めるな! 』が近年の白眉だが、こちらは車内、室内、ファミレス内、ラブホ内、ゲーセン内と、とにかく閉鎖空間での撮影にこだわりを見せる。このことが、観る者に否応なしに最も閉鎖された空間=人間の心を意識させる。本作は椎名という太陽に照らされた者たちと、椎名の陽の部分にまったく興味のない者たちとに二分される。そんな彼ら彼女らの紡ぐアンソロジーを、時系列をバラバラに描くのだが、全てが終盤近くのとあるシーンに収斂するにつれて、その意図が見えてくる。製作者が観客を信頼しているということで、私的に評価したい。

 

そうそう、本作はタイトルをスクリーンに映し出すシーンが完璧なのである。『 アメリカン・アサシン 』並みに素晴らしい。これがあるから、色々とケチをつけたくなる箇所があっても、上手くまとまったなという印象を持てるのだ。

 

ネガティブ・サイド

残念ながら、すでに『 勝手にふるえてろ 』で使われたネタである。こうしたトリックというかツイストは、どうやっても最初に使った者/物の勝ちなのである。もしも『 勝手にふるえてろ 』を未見なら、すぐに観よう。

 

渡辺大知と片山友希以外の若手キャストが、全体的に力不足である。特に橋本愛は、役者業は厳しいかもしれない。『 貞子3D 』や『 Another アナザー』のように、あまり喋らない役であれば良いが、基本的に台詞に抑揚が無さ過ぎる。棒読みとまでは言わないが、どんな作品に出ても、結局は「ああ、いつもの橋本愛か」と思えてしまう。これがニコラス・ケイジやトム・クルーズのレベルにまで突き抜けてしまえば良いのだが、日本でそんな俳優はあまり見当たらない。強いて言えば北野武ぐらいか。本人が本人を演じるのが一番うまいというタイプの役者だ。あるいは、どんな役も自分色に染めてしまうという、演技力ではなく素の存在感、カリスマ、オーラ、そういったもので勝負できる力。橋本愛はそのレベルにはいないし、今後も行かないだろう。と書いてきて、もう一人思い当たった。樹木希林である。一癖あるおばあちゃんキャラは全部この人だった。『 万引き家族 』然り、『 海街Diary 』然り、『 我が母の記 』然り。合掌。

 

閑話休題。本作の最大の弱点(になっているかもしれない)ポイントは、東京に住んでいる人間に、果たしてどれだけ響くかということだろう。ここで言う東京とはもちろん東京都のことではない。地理的あるいは行政的な区分での東京は、東京ではない。Jovianも東京のど真ん中(地理的な意味で)に10年半住んでいたことがあるから分かる。我々が東京と言う時、それは往々にして山手線の内側もしくは周辺であったり、吉祥寺、高円寺、中野などのちょっとした離れ、隠れ家的な雰囲気の街までである。立川は決して東京ではない。況や奥多摩をや。実際にJovianの大学のクラスメイト(正確にはセクションメイト)が、「私は浦和(当時はまだ浦和市だった)に住んでるから、池袋まで40分ぐらい。八王子の人は新宿に出るのに50分ぐらいかかるから、その意味では浦和は八王子より東京なんだよ」と言ったのをよく覚えている。また寮の同級生も「木更津は確かに遠いけど、アクアライン通ったら近いんだっつーの」と言っていたのも覚えている。東京には強烈な重力がある。東京までの距離の近さを競うような意識が近隣の県や市町村にあり、それは東京都内でも同じだった。そうした東京の内部にどっぷり浸かっている人は、本作を見て「超楽しい」と言うだろうか。それとも悲憤慷慨するだろうか。おそらくどちらでもない。無関心を装うか、無関心を貫くかだろう。東京に住んだことがある、あるいは東京の空気がどんなものかを知っていなければ、本作のアイロニーが届かないというのは残念なことだ。

 

総評

観る人を相当に選ぶだろうなと思う。高校生以下はおそらく除外されるし、40代以上の男性にとっては精神的にきつい描写がある。ガールズトークが花開くシーンはそれなりに楽しめるので、「私」もしくは「あたし」に近いアラサー女子にこそ観られるべき作品であるのかもしれない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 成田凌, 日本, 橋本愛, 渡辺大知, 監督:廣木隆一, 配給会社:KADOKAWA, 門脇麦Leave a Comment on 『 ここは退屈迎えに来て 』 -青春と現実の光と影のコントラストが映える-

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