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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: 広瀬すず

『 流浪の月 』 -善悪の境目はどこにあるのか-

Posted on 2022年5月24日 by cool-jupiter

流浪の月 70点
2022年5月21日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:松坂桃李 広瀬すず
監督:李相日

『 悪人 』、『 怒り 』の李相日監督の作品。今回も人間社会の善悪や強弱について、非常に示唆に富む作品を送り出してきてくれた。

 

あらすじ

家に居場所のない10歳の少女・家内更紗は、ある夏、佐伯文(松坂桃李)の家で過ごすことになる。しかし、文は警察に逮捕され、更紗は元の家に帰ることに。15年後、恋人と同棲する更紗(広瀬すず)は、思わぬ場所で文と再会することになり・・・

以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

まずは主演の松坂桃李と広瀬すずの脱皮に感銘を受けた。広瀬すずは冒頭からベッドシーンを披露。見せてはいないが、脱いではいるし、触らせてもいる横浜流星爆発しろ。『 ラストレター 』のような静かな役もあったが、基本的に天真爛漫な役ばかりを演じてきた広瀬すずが、初めて陰のあるキャラクターになりきったように思う。バイトに恋人との生活にと、充実した生活を送っているように見えるが、その目は常に空虚だった。文と再会してからの目とそれまでの目、あるいは文を見る目と恋人の亮君を見る時の目の違いに注目してほしい。この目の演技は素晴らしいの一語に尽きる。李相日監督の演技指導もあるだろうが、広瀬自身の演技力向上も大きいだろう。

 

松坂桃李も負けていない。『 空白 』では徐々に目から生気が抜けていく青年を演じたが、本作では最初から最後まで空っぽの目をしていた。その空っぽの目の奥には、しかし、ある光景が焼き付いていた。人生のある時点で目にしてしまったその光景によって、文の目には現実ではなく「自分」しか映らなくなってしまった。しかし、そこに更紗という存在が現れ、空っぽの目に徐々に力が戻っていく、という『 空白 』とは逆の演技を見せた。役者として着実にレベルアップしているという印象である。また、脱ぎっぷりという意味では『 娼年 』に次ぐ、ショッキングなシーンがある(『 いのちの停車場 』でも脱いでいたが、あれはノーカウント)。Jovianは看護学校で習った内容をうっすら覚えていたが、文はかなりの確率で先天的な染色体異常だろう。まあまあの確率で男は美形になるが不能になるという疾患があったと記憶している。その意味では松坂桃李のキャスティングは正解である。

 

かつての二人の幸せだった時間を回想しつつ、物語は現在を冷静に追っていく。誘拐の被害者として憐憫の情を集める更紗と、前科者としての烙印を押されっぱなしの文が、それゆえに互いを求め合うという展開には胸を打たれる。弱者とは誰なのか?善とは、そして悪とは何であるのか?当人ではどうにもならない属性をもって人を判断する、あるいは当人のものではない属性をその人に押し付ける行為を差別と定義づけるならば、更紗と文は紛れもなく被差別者であり、二人の周囲の人間の多くは差別者である。

 

「死んでもバレてほしくないことがバラされてしまう」という序盤の文の言葉、さらに「人は見たいように人を見る」という更紗の言葉から、文は真性のロリコンではなく、ロリコンを隠れ蓑に自分の性的不能を誰からも隠し通したかった、というのが真相か。だからこそ、過去のトラウマからセックスに嫌悪感を抱く更紗との奇妙な連帯関係が成立したのだろう。

 

様々に歪な親子の関係をまざまざと見せつけ、家族というものに対する希望を消していく。『 真っ赤な星 』同様に寄る辺ない二人の逃避行を予感させて物語は静かに閉じていく。この何とも言えない苦味の余韻こそ、本作が観る側に与えたかったものなのだろう。現代社会における人間関係、就中、家族に代わる新しい関係性の模索こそが、一種のタブーでありながらも今まさに求められていることであると思う。

ネガティブ・サイド

松坂桃李も子役をもっと使えなかったのだろうか。少年院に入ったということは犯行当時は未成年。『 娼年 』の時点で大学生役はギリギリセーフだが、今作での大学生役は相当無理があった。

 

広瀬すずの子役は顔の造形がそっくりでびっくりしたが、少女時代の方が声が低いとはこれいかに。まあ、似た顔と似た声なら、似た顔の方が探しやすいか。

 

ファミレスでのバイトで本名を名乗るのは現代ではほとんどないと思われる。冒頭、スマホを観ていたガキンチョどもが2007年のニュースを指して「15年前か」のように言っていたが、2022年ならファミレスでもコンビニでもコールセンターでも、労働者はほぼ全員が源氏名を名乗っている。特に更紗のようなバックグラウンドの持ち主が馬鹿正直に本名を名乗るのは非現実的に過ぎる。

 

児童相談所に通報があったわけでもないのに、いきなりリカを保護する道理はいくら警察でもないだろう。また逮捕状がない=任意同行を求めているはずなのに、実力行使に出る警察を見て、頭がクラクラした。元警官のJovian義父なら憤慨したことだろう。

 

総評

邦画特有の弱点も抱えているが、完成度の高い非常にシリアスな物語である。現代社会への鋭い問題提起も行うという、李相日監督らしい作品である。松坂桃李、広瀬すず共に表現者としての階段を確実に一歩昇ったという印象を受ける。高校生、大学生の子どもがいる親御さんは、家族で鑑賞してみてはどうか。親子関係、友人関係などについて考察を深める良いきっかけとなることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

drift away

徐々に消えていく、の意。劇中で更紗が文に語る「二人で流れていこう」の私訳。ネタバレ回避のためにそのやりとりを英語にすると

文: People might take notice of us.
更紗:Then, we can drift away.

のような感じになるだろうか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 広瀬すず, 日本, 松坂桃李, 監督:李相日, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 流浪の月 』 -善悪の境目はどこにあるのか-

『 いのちの停車場 』 -2021年邦画のクソ映画・オブ・ザ・イヤー候補-

Posted on 2021年6月24日 by cool-jupiter

いのちの停車場 20点
2021年6月13日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:吉永小百合 松坂桃李 広瀬すず 西田敏行
監督:成島出

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現在、本業が多忙を極めているため、鑑賞記事をやや簡素化しています。

 

あらすじ

救急一筋のベテラン、白石咲和子(吉永小百合)は、無免許にもかかわらず医行為を行った野呂(松坂桃李)をかばって辞職。郷里の石川の「まほろば診療所」で在宅医療に従事することになる。院長の仙川(西田敏行)や訪問看護師の星野(広瀬すず)らと出会い、医療というものを見つめ直していくが・・・

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ポジティブ・サイド

松坂桃李が文字通りの意味のパンツ一丁で頑張った。『 娼年 』でも体を張ったが、あちらはリハーサルを何度もできるだろうが、今作のパンツ一丁シーンはリハは無理だろう。

 

松坂桃李が「息子」を演じるシーンも良かった。

 

石川の小京都らしさも堪能できるのは楽しい。モンゴル料理も食べたくなる。

 

ネガティブ・サイド

原作小説を読んでいないので何とも言えないが、脚本家の平松恵美子が原作を読み間違えている。あるいは自分の趣味を混ぜすぎている。そのどちらかだろうと感じる。この人は家族をテーマにするのが得意なのだろうが、そうではないテーマで執筆すると『 旅猫リポート 』みたいなトンデモ作品を書いたりしてしまう。

 

本作の何がダメなのか。

 

1.リアリティの欠如

冒頭から重度熱傷かつ心停止の患者がかつぎこまれてくるが、その現場を指揮する佐和子が声は小さいわ、動きはとろいわで、まったくもって救急のベテランに見えない。Jovianは看護学校2年ちょっとで中退の経歴の持ち主であるが、それでも実習で受け持ち患者さんが急変して死にそうになった場面に2度出くわした。医師も看護師も超早口で、センテンスでなどしゃべらない。「バイタルサインを教えてください」などありえない。

 

医師「バイタル!」

看護師「呼吸14、熱発(「ねっぱつ」と読む。発熱の書き間違いではない)なし、98の60、パルス90、意識レベル200!」

 

のようなやりとりになる。日本中どころか世界中でそうだと断言する。本作での演技指導や医療の指導はどうなっているのだ?

 

2.救急医療と在宅医療の違いが描けていない

患者の個別性を抜きにして、とにかく救命を第一義とする救急と、ほとんど全員が慢性疾患の在宅患者へのケアの違い、そのコントラストがまったく見えない。星野が佐和子を指して「仙川先生とはずいぶん違いますね」と言うシーンがあるが、具体的にどう違うのかを説明するセリフも場面もない。なんじゃそりゃ。『 けったいな町医者 』のように医療=往診であるというのは伝わるが、ゴミ屋敷の掃除とかするか?これは原作通りのエピソード?多分違うな。住人がなぜ家をゴミ屋敷にしてしまうのか、その心理を勉強せずに脚本家が入れ込んだシーンだろう。脚本家は今からでも遅くないのでけったいな町医者=長尾先生のところに行ってみっちり勉強すべきだ。

 

3.エピソードを詰め込みすぎ

次から次へと人が死んでいくが、ドラマチックさも何もない。舞妓さんとかIT社長とかばっさり省いてよかった。小児がんの子どもをメインに据えて、その子の治療と野呂との関わり、さらに周辺の人間模様をじっくりと描写しながら、合間合間にその他の患者さんへの往診シーンをはさんでいく形式の方が絶対にドラマが盛り上がったと思う。悪いけれど石田ゆり子も全カットで。

 

4.キャスティングのミス

1.とも関連するが、吉永小百合がダメダメ。田中泯と親子役って、この二人は完全に同世代やろ・・・ 本来の佐和子役には沢口靖子や木村多江、夏川結衣あたりを充てるべきだった。また広瀬すずにも多大なる違和感。訪問看護師は広瀬すずというか星野麻世の年齢やキャリアで出来る仕事ではない。看護の専修学校を出て21歳、そこから病院で臨床経験を最低でも5~6年は積まないと勤まらない。いったん専門分野が決まればそれが変わることがほとんどない医者と違い、看護師は耳鼻科で1年、消化器内科で2年、手術室勤務で2年、急性期病棟で2年・・・といったキャリアの積み方はそれなりに大きな病院であれば珍しくもなんともない。逆にこれぐらいの経験がないと、薬もない、器具もない、人手もないという完全アウェーの訪問先での看護など出来ない。原作の星野も20代前半?いや、原作者の南杏子は医師なので、星野という人物をそんな風に設定しているはずはない。そう信じる。

 

5.テーマ性の欠如

在宅医療と安楽死が二大テーマのはずだが、前者も後者もどちらも描き切れていない。特に安楽死。『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』という超絶クソ駄作があったが、安楽死の難しさとは、それを施す側と施される側の認識の齟齬にある。安楽死を望むのは、文字通りの意味で死が安楽につながるからだ。さらに、その死に尊厳があるからだ。自分はこれだけの苦しみに耐えてきた。死ぬことでしか逃れられない苦痛に、自分は限界まで耐えたという人間の尊厳がそこにある。「人間は生きたように死ぬ」とは看護師歴数十年のわが母の言であるが、死は生の反対概念ではなく、生の成就である。何故本作で佐和子は父に対して、どっちつかずのあいまいな答えしか出せなかったのか。相手の名前すら知らずに治療して、それでも治療の甲斐なく死んでいくこともある救急の現場から、慢性期の在宅患者にじっくりと寄り添っていくというコントラストが描けない、ゴミ屋敷をきれいに掃除した瞬間に住人が死ぬという意味不明な描き方をする脚本家や監督では、このテーマは扱いきれないのか。原作小説ではどうなっているのだろう・・・

 

総評

成島監督よ、『 ソロモンの偽証 』は傑作だったのに、なぜ本作ではこうなった。よほどの松坂桃李ファンや広瀬すずファンでなければ観る必要なし。文句なしの駄作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. There wasn’t anything noteworthy in this film.

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, ヒューマンドラマ, 吉永小百合, 広瀬すず, 日本, 松坂桃李, 監督:成島出, 西田敏行, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 いのちの停車場 』 -2021年邦画のクソ映画・オブ・ザ・イヤー候補-

『 一度死んでみた 』 -バランスが少々悪いコメディ-

Posted on 2020年3月22日2020年9月26日 by cool-jupiter

一度死んでみた 55点
2020年3月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:広瀬すず 吉沢亮 堤真一
監督:浜崎慎治

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『 一度死んでみた 』の映画化作品。映画化されても、原作の持っている構造的な欠点は何一つ解消されていない。だが、映像化には成功したと言えるだろう。なぜなら、キャラクターが血肉を得て、背景が色鮮やかに再現されたからだ。

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あらすじ

野畑七瀬(広瀬すず)は製薬会社社長の野畑計(堤真一)が大嫌い。そんな父が死んだ。「一度死んで二日後に蘇る薬」を飲んだからだ。開発中の若返りの薬を巡る競合他社からのスパイを炙り出すためだったが、復活を前に計は荼毘に付されることに。七瀬は、存在感の希薄な社員、松岡(吉沢亮)と共に計を救おうと奔走するが・・・

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ポジティブ・サイド

原作ではスッカスカだった様々な事物の描写が見事に映像化された。これは素晴らしい。特に「デスデスデス」のメタル『 一度死んでみた 』は、劇場では予告編の前の時間にかなり流されていて、その再現度(というか説得力)の高さにびっくりした。本編でもフルで見られるので是非とも堪能してほしい。『 サヨナラまでの30分 』のライブよりも、こちらの告別式・・・ではなくミサの方が、個人的には楽しめた。他にも「ま・さ・に」や、藤井さんの不思議なたたずまいや、ドラムソロと山手線駅名歌唱、さらに「ここよー!」など、ぼんやりとしたイメージでしか把握できていなかったディテールがリアリティのある映像になっていた。このあたりは浜崎慎治監督の手腕によるものと認められる。CMというのは見た目一発で視聴者に色々なものを伝えなくてはならない。そのあたりの手練手管は見事だった。

 

全編を93分にまとめたのも見事。変に細部に凝ることなく、原作の持ち味であるテンポの良さをそのまま映像化する際に保ったのは好判断であった。タイムリミットのある物語というのは、どこかで緩急をつけることで終盤のリミット近くのサスペンスを盛り上げるのが定石。本作はその部分をクリスマスイブのお通夜を情感たっぷりに、ロマンティックな予感を漂わせつつ、しかしコメディ路線にのっとって描いた。つまりはファミリーや中高生カップルでも安心して観られる作りになっているということである。アップダウンにメリハリがあるので、体感では75分ぐらいの上映時間に感じられた。ジェットコースター的な展開の映画としては、なかなかにハイレベルな作品である。

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ネガティブ・サイド

テンポの良さとは対照的に、物語全体のトーンは全くもって一貫性を有していない。大部分はスラップスティック・コメディなのだが、一部にシリアスなドラマあり、一部にロマンスありと、ところどころで監督が変わったのかと思うぐらいに変調する。最も違和感を覚えたシークエンスは、葬儀場(?)を確保するまでのコメディ調と、そこからのライブ・・・ではなくミサだった。“水平リーベ僕の船”も悪くないのだが、原作に逆らってでも“一度死んでみた”と順番を入れ替えてもよかった。「デスデスデスデス!」で一気にミサを盛り上げ、このエモーショナルなバラードを後ろに持ってきた方が終盤の流れに調和するし、しんみりとしたムードの中、これ幸いとばかりに悪人たちが棺桶を運ぶ絵の卑劣さと間抜けさが際立ったはずだ。

 

広瀬すずのハイキックについても・・・浜崎監督はまだまだ分かっていない。見せてはダメなのだ。いや、見えてはいないが、演出が実に中途半端だ。『 ダンス ウィズ ミー 』の三吉彩花のように照れることなく恥じることなく見せてしまうか、あるいは『 はじまりのうた 』のキーラ・ナイトレイの教えのごとく、見る者に想像をさせねばならない。

 

これでもかと原作小説に忠実だったのに、何故に最後の最後で小説の描写と異なる画を撮ってしまったのか。本作のメッセージの一つは「言葉にしないと分からない」だったのではないか。最後の最後のシーンが全体のトーンを壊してしまった。終わりよければすべて良しなのだが、終わり悪ければすべて悪しである。

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総評

コンテンツの面では十分に面白い。フォームの面では改善の余地がある。ただ、ひねくれた映画マニアでもないかぎり、フォームなどは気にするべきではないし、気にしてもしょうがない。料理がそれなりに美味しければ、食器が多少おかしくても許容すべきだろう。そのことで過度の料理人を責めても意味はあまりない。逆に言えば、長編映画初監督にしてこれだけディテールを再現する力があるのだから、浜崎慎治というオールド・ルーキーには期待できるのではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You stink.

「くーさーい!」の英訳である。年頃の娘にこう言われる男親の悲哀はいかばかりか。なお、同様の台詞は『 トップガン 』でマーヴェリックがスライダーに言い放っていた。ちなみに国際的に活躍する公認会計士の方から「“These numbers stink.”とは時々言いますね」と聞いたことがある。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, コメディ, 吉沢亮, 堤真一, 広瀬すず, 日本, 監督:浜崎慎治, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 一度死んでみた 』 -バランスが少々悪いコメディ-

『 ラストレター 』 / Last Letter

Posted on 2020年1月24日 by cool-jupiter

Last Letter  70 / 100
At MOVIX Amagasaki, on January 24th, 2020
Main Cast: Masaharu Fukuyama, Ryūnosuke Kamiki, Nana Mori, Suzu Hirose, Takako Matsu,
Director: Shunji Iwai

 

ラストレター 70点
2020年1月24日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:福山雅治 神木隆之介 森七菜 広瀬すず 松たか子
監督:岩井俊二

 

Before going in, I was a bit apprehensive because the trailers seemed to give away a bit too much. However, this film proved to be a lot better than I assumed it would be.

 

鑑賞前は、トレイラーがややネタバレ過ぎではないかと心配していた。しかし、実際の映画は思っていたよりも遥かに良い出来だった。

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Plot Summaries

Yuri – played by Takako Matsu – was attending a class reunion on behalf of her deceased elder sister Misaki – played by Suzu Hirose. Mistaken for her sister, Yuri had to start corresponding with Kyoshiro Otosaka – played by Masaharu Fukuyama –, her own first love and her sister’s ex boyfriend. And so, their bizarre correspondence began …

 

あらすじ

裕里(松たか子)は死去した姉・未咲(広瀬すず)の同窓会に出席して、姉の死を知らせようとした。だが、姉と間違われてしまった裕里は、自身の初恋の人であり、姉の大学時代の交際相手だった乙坂鏡史郎(福山雅治)と文通を始めることになってしまった。それは自分の娘と姉の娘が、未咲の人生を追体験することにも重なっていき・・・

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Positives

Great camerawork. The director of photography really did an awesome job framing nearly every shot so beautifully and quietly. Most of the shots in Acts 1 & 2 were dimly lit as hardly any lighting was provided, or so it seemed. However, that’s what made the picture of two girls walking together amazingly impressive as they shone in broad daylight in their full glory. It just made me feel as if the two girls, Ayumi and Soyoka, were reincarnations of their mothers. This is the kind of scene you have to see in a darkened theater.

 

I also liked the background music. The piano sounds make you feel serene and calm. Lately, there are many Japanese films that use orchestra as if to say “This is where you shed tears, Go ahead!” and those films just get on my nerves. I think director Shunji Iwai, along with Takeshi Kitano, is the best filmmaker in Japan who knows how to use discreet, transparent music. The tick tuck sound of a clock in Ayumi’s home was memorable as it made it much clearer that there was no one around. A beautiful entanglement of light and shade and sound and silence was simply breathtaking. While there are many creators who try to be artistic but end up being artsy, Shunji Iwai is definitely the one who is artistic not because he tries to be but because HE IS. You have got to love his works.

 

The scene where Kyoshiro visited his deceased first love was purely heart-wrenching. He hadn’t been able to move on for 25 years, and now he has to. The fact that the girl you were once in a relationship with is gone forever without you knowing that life was such a bi*ch to her is crushing. Whatever happened, Kyoshiro left Misaki, and that’s where her life began to get darkened. Being about as old as Kyoshiro, I was able to what was going on in his head. If I was a teenager or in my twentieth, it would be virtually impossible for me to sympathize with him in this moment. Tears welled up in my eyes as his lonely soul finally had the moment of redemption.

 

To think, when writing a letter, you are conversing with yourself. You write as you read and you read as you write. In your head is the person who will receive the letter. This is how Kyoshiro, an unpopular novelist, created his first and only book whose title was Misaki. That was his way of keeping Misaki alive. Now, the bizarre correspondence has brought Misaki back to life one more time, and that is the beauty of this story. All the characters relived the life of Misaki, and so, they start to live their lives. The Last Letter from Misaki, the mother, to Ayumi, her daughter, was meant to pass the torch of life. Great stuff.

 

ポジティブ・サイド

何とも美しい、そして計算されたカメラワークである。基本的には序盤から中盤にかけてのほとんどのショットは暗く、極力照明を使わず自然光のみを頼りに撮影されているが、だからこそ終盤の陽光をいっぱいに浴びる鮎美と颯香の姿が際立って美しい。暗転した劇場の大画面で観るとなおさらにそう感じる。

 

ピアノをメインにした控えめで淡い旋律も心地よい。壮大なオーケストラで「はい、ここが涙を流す場面ですよ」と出しゃばる邦画は結構多い。削ぎ落された、透明感あるBGMの使い手となると日本では北野武と岩井俊二が双璧だろうか。鮎美の家の時計のチクタク音も、周囲の静寂を引き立てている。光と影と音と静寂のコラボレーションが素晴らしい。芸術的であろうとして失敗する作家は多いが、岩井俊二は芸術的であろうとして芸術的な作品を送り出せる稀有な監督である。

 

未咲の思い出に囚われて前に進むことができなかった鏡史郎が、美咲の仏壇を訪れ、沈黙のうちに語らうシーンは胸が締め付けられるようだ。未咲の暗く、辛い人生の責任の一端が自分にもあるのだと自分を責める鏡史郎の気持ちが手に取るように分かる。これはおっさんにしかできないだろう。10代では到底不可能。20代後半でも無理だろう。そんな不甲斐ない男の魂も最後には救済されることに、落涙した。

 

思うに手紙というのは、自己内対話なのだ。書きながら読む、読みながら書く。その自己内対話の繰り返しが未咲という小説として結実した。そして今また文通という形で未咲が語られることで、それぞれの人生が動き出す。未咲は生きていたし、今後も未咲は語りかけてくる。なぜなら未咲の思い出は鮎美に受け継がれたから。

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Negatives

The biggest gripe I have with this film is that there are a couple of characters whose story arcs were left half-explored, one being that of Yuri’s husband and the other being that of Yuri’s mother in law.

 

Also, I just didn’t understand why Kyhoshiro never picked up on the difference between the handwriting of the letters. His knowing that Yuri was pretending to be Misaki wasn’t a good explanation, for there were two kinds of letters, those sent by Yuri and those sent by Ayumi. It’s unthinkable that Kyoshiro, a novelist who is into writing stuff with pencils, never noticed the handwriting differences

 

I wish that the makeup artists could have done a better job. Misaki and Ayumi, both played by Suzu Hirose, and the high school girl Yuri and Soyoka, both played by Nana Mori, matched the description right down to a tee and that caused me some confusion. If they resembled just a little less, the drama revolving around them would have been much more compelling.

 

ネガティブ・サイド

裕里の義母と夫をめぐる物語にしっかりとして決着(という表現は大げさかもしれないが)をつけてほしかったと思う。裕里はある意味で過去に一区切りをつけて現実に帰っていくわけで、その現実の先にある少々やっかいな夫と義母の姿を見たかったと思うのである。

 

また鏡史郎が手紙の筆跡の違いに気が付かないことにも納得がいかない。裕里が未咲のふりをしていたと知っていたということは答えにならない。いずれにしても裕里の筆跡と鮎美の筆跡は異なっているはずで、文筆を生業にする者の端くれの鏡史郎がそのことを一顧だにしないのは不自然である。塾かどこかで手書きの作文か小論文を教えているのだから猶更にそう感じる。

 

メイクアップアーティストの方々がもうひと頑張りして、未咲と鮎美、裕里と颯香をもう少しだけ「似ていない」ように見せてくれたらと思った。そっくりな親子というのは存在するが、これではまるで一卵性双生児である。髪型だけではなく、肌の色や肌質、鼻の形、目尻などはもう少し細工をできたのにと思う。似ていないところを出すことで、似ているところを強調する技法を追求してほしかった。

 

Recap

This is a well-shot, well-acted and well-directed film. Going back and forth between the past and the present and Miyagi and Tokyo felt like a smooth ride. Retelling the story of a deceased person is kind of a cliché, but the letter correspondence is such an old communication that it’s new today. And when a new story is penned by a director as good as Shunji Iwai in a well thought-out and well-executed manner, you get a masterpiece.

 

総評

カメラワークが素晴らしく、演技も良い。そしてディレクションにも文句なし。過去と現在、宮城と東京とを行き来する構成にも混乱はなく、スムーズに進行する。亡くなった人物の物語を語ることはクリシェであるが、文通という形を現在に蘇らせたのはユニークである。そして岩井俊二に物語を紡がせれば、傑作が生まれるのである。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 広瀬すず, 日本, 松たか子, 森七菜, 監督:岩井俊二, 神木隆之介, 福山雅治, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 ラストレター 』 / Last Letter

『 ルパン三世 THE FIRST 』 -Lupin is back in action!-

Posted on 2019年12月11日2020年4月20日 by cool-jupiter

ルパン三世 THE FIRST 65点
2019年12月8日 東宝シネマズなんばMX4Dにて鑑賞
出演:栗田貫一 小林清志 浪川大輔 沢城みゆき 山寺宏一 吉田鋼太郎 藤原竜也 広瀬すず
監督:山崎貴

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フランスのアルセーヌ・ルパンに、日本の和のテイストと鼠小僧のエッセンスを加えてルパン三世が帰ってきた。小栗旬バージョンの実写はどのキャストも頑張っていたものの、峰不二子役の黒木メイサが残念ながらノイズだった。ならばと3DCGアニメでルパンたちを蘇らせた。この判断は正解である。『 ドラゴン・クエスト ユア・ストーリー 』の傷も少しは癒された。

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あらすじ

時は第二次大戦。稀代の考古学者ブレッソンは、ある宝のありかを示した日記、“ブレッソン・ダイアリー”をナチスに狙われていた。時は流れ、パリにてお披露目されるそのダイアリーをルパン三世(栗田貫一)が狙って現れる。レティシア(広瀬すず)という考古学者の卵の少女と共に、ルパンは宝の謎解きに乗り出すが・・・

 

ポジティブ・サイド

ルパン三世とは何か。それは大泥棒にして義賊、犯罪者にして正義漢、破廉恥にして紳士、そうした非常に矛盾に満ちたキャラクターである。かかる複雑な属性がルパンの大いなる魅力になっていて、そのことは本作でもいかんなく発揮されている。例えば不二子に対しては「報酬は俺の体で」と下品なオファーをする一方で、レティシアには「いい女になれ」と優しく諭す。元々の漫画では、割とすぐにすっぽんぽんになって不二子に襲いかかっていたが、一般大衆アニメになるにつれて、そうしたエロ要素が薄れてきた。本作はルパンのそうしたスケベ属性を残している。山崎監督のルパン三世へのリスペクトは本物だと思える。

 

他のキャラも立っている。常にルパンに先んじて、しかし途中でルパン一味に合流しながらも、最後には美味しいところを奪っていく峰不二子。今回はつまらないものを斬らずに、斬るべきものを一刀両断に斬る石川五ェ門。超絶ドライブ・テクニックと超絶射撃テクニックを披露する次元大介。そして、おそらくララ・クロフトよりも強くてセクシーな峰不二子。まさに役者がそろっている。彼ら彼女らが生き生きと銀幕上を動くだけで、実に楽しく感じられる。

 

ストーリーも悪くない。ナチス第三帝国の復活ネタは古くは小説では『 ブラジルから来た少年 』、近年の映画でも『 アイアン・スカイ 』や『 帰ってきたヒトラー 』など、いつの時代でも掘り起こされるテーマだ。それこそ、ヒムラーやゲッベルスが映画化される日も近いはずである。また戦後70数年になんなんとする今、ナチス・ドイツは日本の若い世代にはファンタジー的な存在になりつつもある。そうした世界でルパンという架空のキャラクターを活躍させることで、かえってリアリティを増しているようにすら感じられた。

 

ストーリーはテンポよく進むし、スリルとサスペンスとユーモアの配分も見事である。ルパン三世とその仲間たちは見事に復活したと言えるだろう。なによりも名曲“ルパン三世のテーマ”が流れてくるだけで、少年時代が蘇ってくる。“ゴジラのテーマ”や“ロッキーのテーマ”と並んで、それが聞こえてくるだけで物語世界に一気に引き込まれるように感じる。THE FIRSTと副題にあることから、THE SECONDやTHE THIRDへの期待もふくらむ。

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ネガティブ・サイド

アクションシーンやプロットのあまりにも多くの部分がクリシェである。クリシェという言葉が辛辣に過ぎるなら、過去の名作へのオマージュが多過ぎると言い換えればよいだろうか。パッと思い浮かぶだけでも

 

映画『 インディ・ジョーンズ/最後の聖戦 』

映画『 ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル 』

映画『 ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション 』

映画『 天空の城ラピュタ 』

映画『 ルパン三世 』(実写版)

TVアニメ『 未来少年コナン 』

TVアニメ『 ふしぎの海のナディア 』

 

などが挙げられる。特にお宝の封印は、びっくりするほど『 インディ・ジョーンズ/最後の聖戦 』のそれにそっくりである。正直なところ、本作にはオリジナリティは認められない。

 

またヒロインであるレティシアの年齢はいったいどうなっているのだ?物語冒頭では赤ん坊で、その後十年だか十二年が経過したところで、美術館のキュレーター的ポジションについているというのか。大学への進学を夢にしているところからも10代後半であると思われるが、それでもやはりこのヒロインは年齢不詳である。

 

総評

個人的にはアクションに胸が躍り、ユーモアには笑顔にさせられたが、ストーリーそのものには驚きはなかった。劇場鑑賞後、Jovianの嫁さんは「サイコー!」と言っていた。そこまで良かったか?と思ったが、同じく観客にいた6人組アラサー女子たちが滂沱の涙を流しながら、シアター内でも劇場ロビーでも称賛の言葉を次々に述べていた。観る人によって異なる感想を抱くということの好例である。ルパン三世のファンであってもそうでなくても、チケット代に見合うエンターテインメント作品にはなっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

If you are an archaeologist, you have got to be a romanticist.

レティシアの「考古学者ならロマンチストじゃないと」という台詞である。ロマンチストは英語ではromanticist=ロマンティシストである。このように一般論を語る時は、しばしば主語をyouに設定するのが英語の特徴である。Jovianがアメリカ人の友人から聞いたこれと同じ構文として“If you don’t know about Harriet Tubman, you are not American.”というものがある。ここでは彼はyouを使ったが、これがJovianを指すものではないことは明らかである。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, アドベンチャー, ミステリ, 小林清志, 広瀬すず, 日本, 栗田貫一, 浪川大輔, 監督:山崎貴, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 ルパン三世 THE FIRST 』 -Lupin is back in action!-

『SUNNY 強い気持ち・強い愛』 -オリジナルには及ばないリメイク-

Posted on 2018年9月2日2020年2月14日 by cool-jupiter

SUNNY 強い気持ち・強い愛 50点

2018年9月1日 東宝シネマズ梅田にて観賞
出演:篠原涼子 広瀬すず 板谷由夏 山本舞香 池田エライザ 小池栄子 野田美桜 ともさかりえ 田辺桃子 渡辺直美 富田望生 リリー・フランキー
監督:大根仁

 

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オリジナルは韓流映画の『サニー 永遠の仲間たち』である。それを日本流にリメイクしたのが本作である。すでにオリジナルのレビューで懸念を表してはいたが、ミュージカル映画ではないのだから、エンターテインメント要素を極力排したとしても面白さを維持できるような作品を目指すべきだったのだ。というよりも、特定のデモグラフィックだけをターゲットにすることで、他の観客層を排除しかねない描写や台詞を持ってくる意図がよく分からない。もちろん、過度のバイオレンスやホラー要素、エロティックな描写は、一定の年齢層以下には見せるべきではないだろう。しかし、それとこれとは話は別で、ストーリーを見せたいのか、小室サウンドの宣伝および90年代の懐古主義をやりたいのか、その峻別ができないような作品に仕上がってしまっている。本作を純粋に楽しめる中高大学生が果たしてどれだけいるのだろうか。冒頭近く、久保田利伸の『LA・LA・LA LOVE SONG』が流れ、現在が過去に切り替わるシーンにそのことが凝縮されている。おそらく映画ファン100人に尋ねれば、80人以上が『ラ・ラ・ランド』を思い浮かべた、と答えるであろう。個人的には同作冒頭の高速道路のシーンはあまり好きになれなかったが、今作の歌とダンスシーンはもっと酷い。クオリティが低いわけではない。高い。しかし映画のテーマにそぐわない。ミュージカルでも無いのに、なぜミュージカル風味に仕立てるのか。

尺の関係だろうか、オリジナル版から一人減らしてしまったのも残念至極。これのせいで、芹香(板谷由夏/山本舞香)のかつてのリーダーとしての威厳と面影が蘇ってくるような温かみのある厳しさというものが全カットされてしまった。いくつかの歌と踊りのシーンを削れば、2時間に収まる脚本にできただろう。こうしたところから、本作が小室サウンドのプロモーションなのか、それとも映画という芸術的・文学的表現なのかが判断できないのだ。本作が本当に発するべきだったのは、オリジナルが力強く発していた「あなたは確かに生きていたし、これからも私たちの心の中で生き続ける」というメッセージを日本風に練り直して伝えることであるべきだったのだ。同時に、90年代をまるで輝かしさばかりが目立つ時代に映し、社会問題でもあったブルセラショップや援助交際の描写は抑えめにしていたことも気になった。オリジナルにあった人生や社会の暗部に、同じだけ斬り込めなかったのは何故か。世界は、ロッキー・バルボアの言葉を借りるまでもなく「陽の光や虹だけで出来ているわけでなく、意地汚い場所」(The world ain’t all sunshine and rainbows. It’s a very mean and nasty place.)なのだ。そのことを原作に最も近い形で表現してくれたともさかりえには拍手を贈りたい。

演技の面で言えば、広瀬すずはかなり忠実にオリジナルのシム・ウンギョンをコピーしていた。この点は非常に好意的に評価したい。一方で、淡路島弁が少し、いや、かなりおかしい。淡路島は不思議な地域で、兵庫と徳島の両属のようなもので、だが方言は播州弁と東部岡山弁のちゃんぽんのようなものだ。それが忠実に再現出来ていたかと言うと疑問であったし、さらに奈美(篠原涼子/広瀬すず)を淡路島出身に設定してしまったことが、あるキャラクターのバックグラウンドとそのキャラと奈美の関係に、いささかの矛盾を生んでしまっているような気がしてならない。こればかりは兵庫、大阪、徳島の人間でないと分からないかもしれない。しかし、感じる者にはそう感じられてしまうのだ。

全体として見れば、優れたオリジナル作品を可能な限り忠実に時にはコピーし、時にはトレースし、ところによっては大胆な改変を加えるか、もしくはバッサリと切り落としてしまった作品だ。細かい部分だが、担任の先生の妊娠ネタが全て削られていたり、逆に奈美の兄がエヴァンゲリオンにハマって働きもしないぷータローになっていたり(原作では、過激な労働運動にのめり込むあまり、反政府活動にまで踏み込んでしまっていた)と、ちょっと何かが違うのではないかと思わされる場面が多々あった。現実の社会が不安定であっても、女子高生の友情は不滅だというコントラスト際立つ構図であったはずが、リメイク版では、女子は輝き、少年~青年はオタクになり、オッサンは援助交際に走るという、非常に内向きな論理の世界を見せられてしまった。それが大根仁の解釈なら、それはそれとして尊重する。だが評価はしない。

良く練られたコピーである。しかし、オリジナルの暗さと明るさのコントラスト、世界の美しさと残酷さの対比が再現できておらず、中途半端な歌と踊りでお茶を濁してしまった作品、という印象に留まってしまったのは非常に残念である。観るのならばオリジナルをお勧めしたい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ヒューマンドラマ, リリー・フランキー, 広瀬すず, 日本, 池田エライザ, 監督:大根仁, 篠原涼子, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『SUNNY 強い気持ち・強い愛』 -オリジナルには及ばないリメイク-

『 ラプラスの魔女 』 -奇想、天を動かさない-

Posted on 2018年5月14日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:ラプラスの魔女 40点
場所:2018年5月4日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:桜井翔 広瀬すず 福士蒼汰 豊川悦司
監督:三池崇史

悪い予感はしていた。個人的には東野圭吾の小説とは全く波長が合わないのだ。これまでに2冊試しに買って読もうとしてみたものの、その両方とも最初の20ページで放り出してしまった。とにかく文章の波長が合わない。そうとしか言いようのない相性の悪さがある。さらに三池監督が手がけた東野小説の映画化作品では『麒麟の翼』は普通に面白いと感じられたが原作東野、監督大友啓史の『プラチナデータ』は控えめに言って珍作、率直に言えば駄作だった。豊川悦司が無能すぎる刑事を好演していたから尚更だ。だからこそ悪い予感を抱いていたのだ。その予感は裏切られなかった。

まず主演の片方、広瀬すずの魅力を引き出せていない。広瀬自身、『第三の殺人』や『先生! 、、、好きになってもいいですか?』で、これまでの天真爛漫一辺倒キャラ(もちろん『海街diary』のような例外というかキャリア初期作品もあるが)からの脱皮を模索しようとしているようだが、残念ながらその試みはここまで実を結んではいない。小松菜奈や中条あやみに抜かれてしまうかも?

さらに主役の桜井の演技力が絶望的なまでに低い。彼の場合は当たり役に出会えていないだけかもしれないが、それなりの長さのキャリアを積み重ねてきてこの体たらくでは、今後も事務所、グループの看板だけでしか勝負できない三流役者のままだ。厳しい評価だが、そう断じるしかない。TVドラマ『謎解きはディナーの後で』の頃から演技のぎこちなさは際立っていたが、もう伸び代はなさそうだ。ただ同テレビドラマおよび原作小説は、そのお嬢様の推理、執事の推理ともに噴飯物だったのだが。

その他、福士蒼汰、リリー・フランキーや志田未来などのキャストは完全に予算の無駄使いだろう。脇を固めるキャラはそれに長けたベテラン、もしくは今後に期待できる若手に任せるべきだ。

脚本に目を向けると、元ネタであるラプラスの悪魔を何か捉え違えているように思えてならない。森羅万象を知りうる、計算しうる知性というものが存在するとしても、それが人間の心理を読めるものと同義ではないだろうし、ましてや知能や知識が向上するわけでもないだろう(”知能”と”知性”の違いについては山本一成著『人工知能はどのようにして 「名人」を超えたのか?』参照のこと)。こうした新人類、超知性の描き出し方については高野和明の『ジェノサイド』という大傑作の小説が存在するわけで、素手で乱闘する公安などを劇中に登場させては、かえってサスペンスやリアリティを失わせるという逆効果になる。知性をテーマに物語を組み立てるなら、徹頭徹尾そこに拘るべきで、ちょっと格闘シーンも入れておくか、という気持ちで脚本を作ったのなら大間違いだ。原作未読者にこんなことを言う資格はないかもしれないが、小説を映像化するのなら、原作の描写に忠実である必要などない。原作が伝えようとしているエッセンスの中で、映像の形で最も上手に伝えられる、見せられるものを映像化すべきなのだ。

その他に気になったシーンとしては、サイコロの目を予測するシーン。計算に必要なデータ全てがあれば、超知性のリソースならサイコロの出す目を計算で導き出すことも可能だろうが、明らかにサイコロそのものが見えない状態から振られたサイコロの出目まで言い当てるのは矛盾だ。紙飛行機のシーンは建物全体の空調や、場合によっては外の風の流れまで計算しなくてはならないし(そしてそのデータは得られない)、鏡を使うシーンでは、日光の強さや角度は密室の中でも時計さえあれば計算できるとして、雲やその他の人工的遮蔽物の可能性はどのようにして除外できたのか。途中から全てがご都合主義になってくる。

ただ、こうした酷評は全てJovianの個人的感性が原作者や映画製作者の感性と波長が合っていないことから来ているので、異なる人が観れば異なる感想を抱いても全く不思議はない。主要キャストや原作者、監督のファンだという人にとっては良いエンターテインメントに仕上がっているのかもしれない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ミステリ, 広瀬すず, 日本, 桜井翔, 監督:三池崇史, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 ラプラスの魔女 』 -奇想、天を動かさない-

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