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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ロマンス

『 パスト ライブス/再会 』 -初恋は実らない-

Posted on 2024年4月14日 by cool-jupiter

パスト ライブス/再会 65点
2024年4月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:グレタ・リー ユ・テオ
監督:セリーヌ・ソン

 

大学開講の第1週で多忙につき、簡易レビュー。

あらすじ

12歳のノラ(グレタ・リー)とヘソン(ユ・テオ)は互いに思いあっていたが、ノラの両親のカナダ移住に伴って離れ離れになってしまう。24歳でオンラインで再会を果たす二人だったが、やがて疎遠になってしまう。そして36歳、ヘソンは休暇でニューヨークを訪れ、ノラと再会することになり・・・

ポジティブ・サイド

監督の自伝的要素が非常に強く、パーソナルな面で突き刺さるものが多かった。特に Facebook のような Social Media でかつての知人友人を見つけて連絡が取れてしまうというのは過去にはありえない、現代に特有の事象。似たような経験があるという30代、40代、50代は多いのではないだろうか。

 

イニョンという考え方はアジア、特に仏教圏、輪廻転生の概念が普及している地域の人間には分かりやすい。イニョンとはいわゆる縁起のこと。本作がアカデミー賞にノミネートされたというのは、ここらへんがアメリカ人に新鮮だったのもあるからでは?

 

ヘソンとアーサーの距離感、またノラとアーサーの距離感が絶妙だった。アメリカ人がアメリカで異邦人の気持ちになる。これもアカデミー会員の心の琴線に触れたシーンかなと思う。

 

ネガティブ・サイド

男はいくつになっても男の子のままというある種の偏見を飲み屋に集まる変わらない面々で描くというのは少々芸がないと感じた。いや、これも一種の同族嫌悪かな。

 

結局のところ、両親のエゴに振り回された子どもたちの話だったのでは?という印象が拭えなかった。割と引っ越しばかりで、それが嫌だった自分が強く思い出されたからな気がしないでもないが。

 

総評

『 僕の好きな女の子 』をもっとドラマチックに、もっと哲学的にしたものだったなという印象。運命というにはあまりにも淡すぎて、悲恋というのはあまりにも濃い。ぜひパートナーと鑑賞してほしい。Jovianと妻の感想は多くの点で非常に対照的だった。逆に結婚という因習は、そうした互いの違いから以下に目をそらし続けるのに役立つかということが逆接的に感じられるかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Lives

lifeの複数形は正しくはライブズとスではなくズとなる。Black lives matter もブラック・ライブズ・マターと報じられていた。一方でワーナー・ブラザースのように、公式にズではなくスを使っている組織もある。まあ、発音は正確に越したことはない。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 あまろっく 』
『 貴公子 』
『 ブルックリンでオペラを 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アメリカ, グレタ・リー, ユ・テオ, ロマンス, 監督:セリーヌ・ソン, 配給会社:ハピネットファントム・スタジオ, 韓国Leave a Comment on 『 パスト ライブス/再会 』 -初恋は実らない-

『 雨とあなたの物語 』 -韓流ロマンスの佳作-

Posted on 2022年1月13日 by cool-jupiter

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雨とあなたの物語 70点
2021年1月10日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:カン・ハヌル チョン・ウヒ カン・ソラ
監督:チョ・ジンモ

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『 ただ悪より救いたまえ 』鑑賞時に、劇場内の販促物で本作も知った。面白そうだと直感し、チケットを購入。シネマート心斎橋の韓国映画には基本的にハズレがない。

 

あらすじ

冴えない二浪生のヨンホ(カン・ハヌル)は、ある日、小学校の時の同級生女子ソヨンを思い起こし、彼女に手紙を書く。その手紙を受け取ったソヨンの妹ソヒ(チョン・ウヒ)は、病気の姉に成り代わり、「質問しない、会いたいと言わない、会いに来ない」という約束のもと、文通を続けていくが・・・

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ポジティブ・サイド

毎年数千万枚単位で年賀状の数が減っていると報じられているが、そんな中でも『 ラストレター 』は久しぶりに手紙にフォーカスした映画だった。そして韓国も負けじと手紙が鍵となる作品を送り出してきた。

 

日本は大学全入時代になって久しいが、韓国は今でもすごい受験熱らしい。『 少年の君 』

では中国の受験戦争の怖さが描かれ、日本でも松田優作主演の『 家族ゲーム 』のような時代もあったが、冒頭にいきなり出てくる予備校教師の圧倒的なモラハラっぷりが逆に笑える。そんな中でヨンホは浪人仲間のスジン(『 サニー 永遠の仲間たち 』のリーダー役のカン・ソラ)と出会う。立ち食いおでんの店で、おでんとスープを注文し、それを強引にヨンホに支払わせるという美少女にあるまじき振る舞い。その後もヨンホに飾らない好意をぶつけ、one night stand もOKという剛の者・・・と見せて、これが実に一途で純な女子なのである。意味が分からんという人こそ、本作を鑑賞すべし。

 

本作は現在のシーンと回想シーンを織り交ぜるストーリーテリングで、小学生時代のヨンホとソヨンの淡く儚い関係が描かれ、現在では浪人中というアイデンティティの定まらないヨンホと、職人であるその父、そしてビジネスマンである兄の関係が描き出される。同じように、病気のソヨンとその妹ソヒの関係、そして母の営む古本屋の様子もていねいに映し出される。手作りの小物や古本といった、時代に取り残されそうな、しかし手触りのあるものが両者に共通してあり、だからこそ手紙という媒体が古ぼけておらず、逆にとてもナチュラルなコミュニケーション手段に映る。この手紙にしても色々な工夫がされていて、「あなたに太陽が降り注ぐ魔法をかけました」といったような文言には???となったが、意味が分かってびっくり。こんなロマンチックな魔法、自分でも高校生ぐらいの時に思いついてみたかった。文通を続けるヨンホとソヒが絶妙にすれ違うシークエンスにはやきもきさせられた。

 

決して会えない二人。過ぎて行く時間。ヨンホは大学進学をやめ、傘職人になるために日本に向かう。自分をいつまでも好いてくれるスジンを後に残していくことになるが、この時のスジンがまた、どこまでも健気なのが泣かせる。それでもスジンと付き合うことのないヨンホの姿に、ソヨンへの思慕の大きさが見えてくる。傘職人として独り立ちしたヨンホを不意に訪ねてくるスジンに、ヨンホが手渡す惜別の傘の美しさには正直泣けた。

 

12月31日に雨が降ればソヨンに会えると信じて、ひたすらに待ち続けるヨンホの健気さと一途さよ。もう決して出会えないのだと分かっていても、それでも待ち続ける姿には胸を打たれる。そうそう、エンディングのクレジットが始まったからといって、席を立ったり、あるいは再生を途中で止めてはいけない。ビックリする展開が待っている。いや、これはキャスティングの勝利だなあと思う。意味が分からんという人、やはり鑑賞すべし。

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ネガティブ・サイド

過去と現在を行ったり来たりするが、Jovianの妻はどれがいつなのかを把握するのに、一部手間取ったとのこと。Jovianはそうでもなかったが、観る人によっては時系列的に今がどこなのかは確かに分かり辛い構成かもしれない。

 

ヨンホが傘職人になろうと思い立つ過程をもう少し丹念に描写してくれてもよかったのではないか。もちろん父の影響、そして兄への反発からだろうが、なぜそこで日本を修行の地に選んだのかという説明も少しでいいから欲しかった。

 

ヨンホが8年という歳月を待つことに費やすわけだが、そこでスジン以外にもう一人、小学校以来の悪友を登場させても良かった。きっと彼は良い奴のままだろう。周りがどんどんと変わり続ける中で、変わらぬ想いを抱き続けるのは並大抵のことではない。変わらないままにいてくれる親友という存在も、本作に居場所はあっただろうと感じた。

 

総評

韓国映画といえば容赦ないバイオレンス映画、あるいは経済格差を直視したドラマのイメージが強いが、優れたロマンスも数多く生み出している。それも甘酸っぱさを前面に押し出したような作品だけではなく、『 建築学概論 』のような恋のほろ苦さを思い起こさせる名作も多い。本作はほろ苦さを味わわせてくれる作品で、少ない登場人物で濃密なドラマを生み出している。まるでフランスのミステリ小説のような味わいの作品である。雨の日こそ本作を劇場鑑賞しよう。あるいはレンタルや配信で観るのも趣があっていいだろう。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

イーセッキ

こんなコテコテのロマンスでも、イーセッキ=「この野郎」という卑罵語が出てくるのが韓国らしいと言えば韓国らしい。北野武の映画を外国人が観れば「この野郎」という日本語をすぐに覚えるのと同じで、韓国映画はどんなジャンルでもイーセッキやケーセッキといった悪罵が頻出する。つくづく近くて遠い国である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, カン・ソラ, カン・ハヌル, チョン・ウヒ, ロマンス, 監督:チョ・ジンモ, 配給会社:シンカ, 韓国Leave a Comment on 『 雨とあなたの物語 』 -韓流ロマンスの佳作-

『 少年の君 』 -中国映画の渾身の一作-

Posted on 2021年8月7日 by cool-jupiter

少年の君 85点
2021年7月31日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:チョウ・ドンユィ イー・ヤンチェンシー
監督:デレク・ツァン

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嫁さんが面白そうだと言っていたので、チケット購入。鑑賞後は「中国映画はいつの間にかここまで来ていたのか」と自らの蒙を啓かれたように思えた。チンピラと少女の邂逅物語としては『 息もできない 』以上ではないかと感じた。

 

あらすじ

高校3年生のチェン・ニェン(チョウ・ドンユィ)はいじめを苦に飛び降り自殺をした同級生の遺体にシャツを被せてあげた。それがきっかけで今度はチェン・ニェン自身がいじめの標的にされてしまう。ある日、下校にチンピラ同士のケンカに遭遇したチェン・ニェンはシャオベイ(イー・ヤンチェンシー)という不良少年と知り合って・・・

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ポジティブ・サイド

中国=学歴社会であることがよくわかる。Jovianも大学時代に何人かの中国人留学生塗料で一緒に暮らしたことがあるが、日本の学生よりもはるかにたくさん勉強する。何故そんなに勉強するのかと一度尋ねたことがあるが「俺たちは勉強量と知人友人の数が帰国後の地位と収入に直結するから」という答えだった。ちなみにロシア人も同じようなこと言っていた。超学歴社会と加熱する受験戦争の下地は2000年ごろには既にその萌芽はあったわけである。

 

そんな学校社会において、萌芽のような甘ったるいボーイ・ミーツ・ガールが展開されるはずがない。甘酸っぱいキスなどとは言えない、チンピラたちに強制されたキスから始まるチェン・ニェンとシャオベイの関係。どこかキム・ギドクの『 悪い男 』を彷彿させる。憎しみで結ばれる男と女ではないが、チェン・ニェンとシャオベイは社会に居場所がない孤独な者たちという点で結ばれ、歪であるがゆえに、その関係はますます強まっていく。ロマンス映画ならば、男女の関係が近くなっていく様を楽しめるが、この二人の距離はある時点まで常に一定だ。

 

随所で挿入される暴力シーンにいじめのシーン。五輪たけなわの日本であるが、小山田圭吾のいじめ武勇伝に再び注目が集まっているが、まるでその現代版いじめを見るかのようであり、結構しんどい思いをさせられる。そのいじめの背景にあるのは、貧富の格差に受験の重圧である。それを感じさせるシーンが随所で挿入されるため、いじめる側にもそれなりの理があるかのように感じてしまい、ゾッとした。

 

シャオベイの無言のプレッシャーによりいじめから解放されたチェン・ニェンが、一瞬のスキをついて凄絶な虐待を食らう展開は、言葉そのままの意味で胸糞が悪くなった。それを知ったシャオベイの怒り、走り出そうとするシャオベイを制止するチェン・ニェン。そして二人してバリカンで髪を刈り上げるシーンは、『 アジョシ 』のウォンビンの決意を想起させた。

 

ある大事件の発覚。その後の二人の思いやりと共謀。特に対面した二人が言葉ではなく表情だけでやり取りするシーンでは鳥肌が立った。もちろん顔面で演技するのは役者にとって基本中の基本であるが、二人の表情だけでのコミュニケーションを見ている自分の頭に、次々に二人の言葉が溢れてきたのだ。「この物語をここまで丹念に追ってきたのなら、二人の間で交わされる言葉が何だかわかるでしょ?」とデレク・ツァン監督は言っているわけである。この演出の冴えと観客への信頼よ。特にチェン・ニェンを演じたチョウ・ドンユィの演技力は、この場面だけではなく全編を通じて遺憾なく発揮された。アジアでトップクラスの女優であることは疑いようもない。

 

最後の監視カメラの映像にも様々な意味が込められている。今見ているものは幻なのだとも、あるいは幻ではないのだとも解釈できる。そんな映像だ。同時に、中国が恐るべき監視社会で、いじめは絶対に許さない、誰かが必ず見ているのだ、というメッセージであるとも受け取れる。冒頭のチョウ・ドンユィがある生徒に向ける眼差しとラストシーンの眼差しを対比させれば、中国社会の優しやと恐ろしさの両方が実感できる。いやはや、凄い映画である。

 

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ネガティブ・サイド

物語上のキーパーソンとしての刑事の存在感が途中で消えてしまう。この刑事は、言うなれば監視中国社会の擬人化であり、なおかつ一党独裁共産党の善の部分の具現化でもある。本作自体が国家的な規模で製作された虐め撲滅キャンペーン推進コマーシャル動画なのだから、この刑事の存在を消してしまうような筋立てはいかがなものか。

 

さらにこの刑事、終盤でサラっととんでもないセリフを吐くが、これは終始感情を押し殺しているチェン・ニェンの感情爆発シーンを描くためのやや不自然かつ唐突なお芝居に見えてしまった。

 

総評

『 共謀家族 』にも度肝を抜かれたが、本作はさらにその上を行く。もちろん『 羅小黒戦記~僕が選ぶ未来~ 』という傑作もあったが、これはアニメ作品。実写で、人間関係や学校・受験というシステムの暗部を真正面から捉えつつ、瑞々しく、そして痛々しいガール・ミーツ・ボーイな物語を送り出してきた中国映画界に脱帽する。今作も、韓国映画と同じく、いわば国策映画。Jovianは中国共産党を支持する者ではないが、それでも中国社会が自国の闇をさらけ出し、なおかつそこに介入し、改善していくのだという力強いメッセージを発していることは評価したい。なによりも主演のチョウ・ドンユィが素晴らしすぎる。仕事が超絶繁忙期にもかかわらず半休を取って『 ソウルメイト 七月と安生 』を鑑賞すべく、チケットを買った。中国が韓国のような映画先進国になる日も近そうである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

used to V

劇中でチェン・ニェン自身が説明しているように、現在にはもう失われてしまった過去の営為を表現する際に使われる表現。あまり知られていないが、否定形や疑問形でも使われる。疑問形の場合は

Did you use to live here? = 前はここに住んでたの?

のように使う。否定形の場合は、

I never used to live here. = ここに住んだことはない。

のように never を使うことが今は主流になっている。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, イー・ヤンチェンシー, チョウ・ドンユィ, ロマンス, 中国, 監督:デレク・ツァン, 配給会社:クロックワークス, 香港Leave a Comment on 『 少年の君 』 -中国映画の渾身の一作-

『 1秒先の彼女 』 -台湾ロマンスの佳作-

Posted on 2021年7月14日 by cool-jupiter

1秒先の彼女 65点
2021年7月10日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:リー・ペイユー リウ・グァンティン
監督:チェン・ユーシュン

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『 あの頃、君を追いかけた 』と同じく台湾映画。変則ロマンスというのは大体ハズレがない。本作も腑に落ちない点はあれど、恋愛映画としての面白さを保っている。

 

あらすじ

郵便局職員のシャオチー(リー・ペイユー)は、仕事もプライベートも充実していない。しかしある日、公園でたまたま参加したダンスレッスンで、イケメン講師に声を掛けられ、七夕バレンタインにデートの約束をする。しかし当日、シャオチーが目を覚ますと、バレンタインデーは終わっていて、自分にはその一日の記憶がない。消えた一日の謎を探るべくシャオチーは動き出すが・・・

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ポジティブ・サイド

リー・ペイユーの魅力にいつの間にか絡めとられる。パッと見でそこまでの美人ではないのに、いつの間にかチャーミングに見えてくる不思議。『 はちどり 』のキム・セビョクの凛とした女性像とは異なり、アラサー女子に突如モテキがやってきたぜ、ひゃっほー!のような笑顔。何を浮かれてるんだ?という気持ちにならず、微笑ましくなってくるのは、それだけリー・ペイユーが共感を呼ぶ演技をしているからだ。表情、そして全身で喜びを表現すれば、それだけ本人の魅力も増す。ある意味で『 アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング 』などと同系統の作品とも言える。

 

けれど本当の主役は実はもう一人のなんでもワンテンポ遅いグアタイだった。詳しくは語れないのだが、この主人公の行動は多くの男性の共感を呼び、そして多くの女性をドン引きさせることだろう。Jovianはグアタイにシンクロし、Jovian嫁はグアタイを白眼視していたからだ。しかし、よくよく考えてほしい。こういう好きな人を遠くから見守っているだけで満たされるというキャラクターは確かに気持ち悪い。だからといって、そうした人物が突如ヒロインを口説いてきて、上手くいくだろうか。いかない。男の願望キモイと思うのは勝手であるが、プラトニックな願望をキモイと思うということはどういうことであるのか。そのように感じる人、特に女性はよくよく自分の胸に手を当てて自問してみるべきだろう。

 

分類上は時間系ファンタジー・ロマンスになるかな。『 ぼくは明日、昨日のきみとデートする 』や『 夏への扉 ーキミのいる未来へー 』を楽しめる向きならチケットを買うべし。

 

ネガティブ・サイド

あまり真面目に「時間」について考察するのは無意味だとわかっているが、やはり海がザバーンとなっているシーンは気になった。同じく、この世界の描写の方法からすると、七夕バレンタインデーを失くしているのはシャオチー以外の多くの人も当てはまるのではないか。シャオチーが「今日は何曜日?」と街中の人に尋ねて「月曜日」と返ってくるのは、その瞬間は良いが、物語が進み、真相が見えてくるにつれて、「ん?」と思わざるを得ない。ここはシャオチーがなんでもワンテンポ早いからで説明できるものではない。

 

グアタイとシャオチーの因縁というか、すれ違いの歴史をもう少し丁寧に描写してほしかったと思う。いや、十分に丁寧なのだが、どれだけのテンポのずれが積もり積もると空白の一日が生じるのかというヒントのようなものが欲しかった。

 

シャオチーが気に入っている深夜ラジオ番組のDJも、終盤にもう一度登場してよかったのにと思う。

 

総評

普通に良い話である。といのは男性目線の感想か、女性から見ると極めてキモイ話のようである。けれど、その生々しさこそが人間を描いている証ではないか。原作は少女漫画でござい、という映画が氾濫している邦画界はキャラクターは描けても人間が描けていない。人間模様が見たいという映画ファンは、チケットを買って台湾映画に投資しようではないか。

 

Jovian先生のワンポイント中国語レッスン

的

中国語であるが、日本語にも取り入れられている表現。名詞にくっつけて「~な」という形容詞的用法にできたり、「~の」という所有格的な用法にもできる。Jovianの大学1年生時代に同じ寮で暮らしたオーストラリア系中国人が持っていたCDアルバムが台湾のバンド、動力火車の『 明天的明天的明天 』だった。意味を尋ねたところ、”Tomorrow’s tomorrow’s tomorrow”との答え。中国語も面白いなと感じた瞬間だった。その友人とは今でもFacebookでつながっている。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, ファンタジー, リー・ペイユー, リウ・グァンティン, ロマンス, 台湾, 監督:チェン・ユーシュン, 配給会社:ビターズ・エンドLeave a Comment on 『 1秒先の彼女 』 -台湾ロマンスの佳作-

『 ラスト・サンライズ 』 -中華SFの凡作-

Posted on 2021年2月25日2021年2月25日 by cool-jupiter

ラスト・サンライズ 50点
2021年2月23日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジャン・ジュエ ジャン・ラン
監督:レン・ウェン

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TSUTAYAの準新作コーナーでたまたま目についたのでレンタル。『 羅小黒戦記~僕が選ぶ未来~ 』のクオリティは期待していなかったが、それでも中国がカンフーもの以外のジャンルにも本格進出しつつあるのだと感じさせてくれた。

 

あらすじ

ヘリオス社が供給する太陽光エネルギーで稼働する中国社会。天文学者スン・ヤン(ジャン・ジュエ)は近傍の恒星の消滅と太陽の明滅減少に懸念を抱いていた。ある朝、突如として太陽が消滅。電力は失われ、都市機能は麻痺。スン・ヤンは隣人チェン・ムー(ジャン・ラン)と共にある場所に向かおうとするが・・・

 

ポジティブ・サイド

太陽に異常が起きるという映画には怪作『 サンシャイン2057 』があるが、他はちょっと思いつかない。火星はいっぱいあるのに。この一点だけでも本作には価値がある。永久不滅の象徴でもある太陽が消える。それも文字通りに忽然と。この出だしは絶対に面白いに違いないと直感したし、事実、面白かった。

 

EVが当たり前の社会で、深圳あたりでは現金の方が珍しくなっていると聞くが、決済もすべて電子マネーな世の中。また『 her 世界でひとつの彼女 』のサマンサを彷彿させるイルサというAIにもニヤリ。近未来の社会を描いているが、そこに確かなリアリティがある。だからこそ、太陽が消えてしまうという荒唐無稽なプロットにもついて行こうという気になれる。

 

本作は正確にはSFではなく、ロードムービーだ。彼女いない歴=年齢の野暮天男スン・ヤンと、家族と微妙な距離関係にあるチェン・ムーの二人が、人類の滅亡が確定した世界で希望を求めて寄り添いながら旅をしていく物語である。どこか『 エンド・オブ・ザ・ワールド 』に似ているか。ロマンスの予感を漂わせながら、微妙な距離を保ち続ける二人というところがアジア的でよろしい。これが凡百のハリウッド映画だと、『 アルマゲドン 』のリヴ・タイラーよろしく、すぐにイチャイチャが始まるのだろうが、そこはさすがに中華映画。節度を守るところが潔い。

 

太陽消滅後の世界の描き方も、政治的・経済的な方面に偏らず、あくまで主役の二人にフォーカスし続ける。そのため、いらぬことを考える必要なくスン・ヤンとチェン・ムーの旅路を見守ることに集中できる。二人が道路わきでカップラーメンをすするシーンがとても印象的だった。そして旅路の果てに夜空に広がる幻想的としか言いようのない映像は、中華映画の黎明期を暗示していたのかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

極力、スン・ヤンとチェン・ムー以外を映さないようにしているが、それでも色々なところでボロが出ている。一番「ん?」となるのは、二人の乗る車の影の有無や方向。太陽も月明かりも街路灯もなくなった世界で、車は地面に思いっきり濃い影を落としている。しかも、あるショットでは車の右に影があるのに、次の瞬間には影が左に移動したりしている。無茶苦茶もいいところだ。

 

また太陽の消失から地球の気温が急激に低下した世界にもかかわらず、吐く息が白かったり、白くなかったりしている。『 パブリック 図書館の奇跡 』と同じミスである。だが本作の方がミスの度合いは大きい。外では吐く息が白くならないのに、車に乗り込んだ途端に息が白くなったりするのだから。そんな馬鹿な・・・

 

クライマックスの幻想的な夜空は美しいが、科学的にどうなっているのか。真っ暗な球体が夜空に浮かんでいて、それが一目で木星と金星だと、どのようにして認識できるのか。というか、内惑星の金星と外惑星の木星が地球から見て同一方向に並ぶのは、数日では不可能だろう。惑星と惑星の間の距離を甘く考えすぎだ。わずか数日で木星が地球の側までやって来る(あるいは地球が木星に引き寄せられる)のも同様の理由で非科学的に過ぎる。『 アド・アストラ 』と同じミスだ。また、実際に木星が地球からあの大きさに目視できる距離にあれば、地球などは完全に木星のロシュ限界を超えている。つまりはボロボロに引き裂かれてしまうはず・・・

 

総評

政治的・経済的な混乱の描写は最小限にとどめたので、そのあたりのパニック描写は矛盾をきたすほどではない。しかし、科学的に考えてしまうとドツボにハマる。なので、ハードコアなSF小説やSF映画ファンには決して勧められない。ロードムービーの変化球ながらも、奥手な男と勝ち気な女子という王道的なロマンスのジャンル混合作品として観るのが吉だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

tomorrow

言わずと知れた「明日」の意。中学生や高校生がこの単語をつづる時、しばしばtommorowと書いたり、tommorrowと書いたりする。tomorrowはtoとmorrowに分解できる。Morrowというのは「次の日」の意味で、これはmorningとも語源を同じくしている。日本語でも朝(あさ)と書いて朝(あした)と読むことがあるのが面白いところ。morningにはmが一つしかないと分かれば、tomorrowにもmは一つだと分かる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, ジャン・ジュエ, ジャン・ラン, ロマンス, 中国, 監督:レン・ウェン, 配給会社:竹書房Leave a Comment on 『 ラスト・サンライズ 』 -中華SFの凡作-

『 名も無き世界のエンドロール 』 -伏線の張り方はフェア-

Posted on 2021年2月2日 by cool-jupiter

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名も無き世界のエンドロール 60点
2021年1月30日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:岩田剛典 新田真剣佑 山田杏奈 中村アン
監督:佐藤祐市

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“ラスト20分の衝撃”のような刺激的な惹句に興味を抱くと同時に警戒心も抱いた。“62分後の衝撃”の『 ピンクとグレー 』が個人的にはイマイチだったし、岩田主演つながりで言えば『 去年の冬、きみと別れ 』のトリックというか構成を見破ったJovianなのである。本作についても「楽しみたい」4と「見破りたい」6で臨んだ。割と早い段階でプロットの裏側は読めたが、それでも物語そのものはそれなりに楽しむことができた。

 

あらすじ

友達思いのキダ(岩田剛典)とドッキリ仕掛けが大好きなマコト(新田真剣佑)は幼馴染にして親友。二人は同じ板金塗装屋に勤めていた。ある日、高級車を破損させた謎めいた美女リサ(中村アン)と出会ったマコトは、リサに釣り合う男になるために、板金塗装屋を辞めていった。キダも勤め先を辞め、裏社会で「交渉人」として頭角を現すようになった。二人は再会し、ある計画を実行に移すことになり・・・

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ポジティブ・サイド

岩田剛典といえば芝居がかった芝居をする役者だったが、本作ではその外連味が良い方向に作用していたように思う。それもこれも、全てはある目的のための周到な準備とその遂行過程だからだ。そのため「芝居をしているという芝居」をしている岩田が、上手くプロットにハマった。同じことはマコトを演じる新田真剣佑にも当てはまる。演技をしているのではなく、「演技をしているという演技」をしている。佐藤祐市監督の演出だとすれば、それは成功を収めている。

 

プロポーズ大作戦の標的である中村アン演じるリサの存在感もなかなかのものだ。有力な国会議員の娘というポジションが似合っている。魔性の女的な魅力を備え、なおかつ高圧的で下々の者を見下ろすかのような特権階級意識があふれる女である。本作を鑑賞する諸兄は、マコトになったつもりでリサを追いかけてみよう。リサを自分のものにしたい。自分だけのものにしたい。そうした気持ちになれるかどうか。なれるとしたら、その思いの強さはどこから生まれるのか。何故それだけの想いの強さを持続できるのか。そのあたりをよくよく考えてみれば、案外あっさりと真相にたどり着けるかもしれない。

 

本作は過去シーンと現在シーンを交互に丁寧に描写する。その際に必ず画面が暗転するので、観る側としては状況を常に整理して追いかけやすい。なおかつ、過去には存在して現在には存在しない人物。印象に残る行動の習慣。随所に挿入される意味ありげなショット。というか、大いに意味があるショットか。これらを丁寧に消化し、キダとマコトに自身を重ね合わせて見れば、答えはおのずと見えてくる。伏線があからさますぎず、かといって些細でもない。ちょうど良い塩梅である。ある意味で非常に現代的・現実的な手法で展開されるストーリーなので、ミステリ初心者にちょうど良い作品と言えるかもしれない。

 

クライマックスの撮影ロケ地はJovianが教えている大学の目と鼻の先である。『 ハルカの陶 』でも強く感じたが、自分の良く知る景色が映画に出てくると不思議と良い気分になる。ここだけで5点オマケしておく。

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ネガティブ・サイド

やっぱり「ラスト20分の衝撃」という惹句はアカンでしょ・・・。これだとミステリ愛好家、または鍛えの入った映画ファンに対する挑戦のように聞こえる。その割に、話の作りは素直で、伏線の張り方も真っ当だ。これで驚くのは中学生ぐらいだろうか。

 

戸籍の買い取りおよび乗っ取りの部分にはリアリティが感じられたが、劇中で語られるような印象的なエピソード持ちの名前や経歴を使うのは、普通に考えてかなりリスキーだと思うが。会社経営者に華麗に転身するところでもそうだが、国会議員の娘とお近づきになるのであれば、相当の身辺調査を覚悟しなければならないだろう。

 

伏線以外の部分にかなり意味不明なパートがある。「さびしい」と「さみしい」の感覚の違いは、本当の家族と疑似的な家族との距離感の違いから生まれるのかなと勝手に好意的に解釈してみたが、キダの言う「ファミレスのナポリタンが好き」という台詞には何の裏付けもなかった。ほんの一瞬でも、裏社会に生きるようになったキダがファミレスでナポリタンを注文する、それをどこか感慨にふけりながら食べるようなシーンがあれば、物語もキャラクターもぐっと深みが増したと思われる。

 

交渉人としてのキダを柄本明は褒めていたが、あれでは裏社会でのし上がれないだろう。「リサと別れろ」と言ってしまっては、その交渉(と見せかけた脅し)の後にリサに近付く男の差し金であることがばれてしまう。相手に尻尾を掴ませないためには「女がいるなら別れろ、仕事も明日から一週間休め、ひと月以内にこの家からも引っ越せ」という具合に複数の具体的な要求を伝えるべきと思う。「本当のことを言う」というキダの習性を柄本演じる貿易会社の親玉は褒めていて、Jovianはこれを皮肉と受け止めたのだが・・・。

 

総評

ミステリ映画の入門編である。デートムービーにもちょうど良いかもしれない。つまりはライトなファン向けである。『 オールド・ボーイ 』や『 親切なクムジャさん 』といった系列のストーリーが好きな人なら、本作もそれなりに楽しめるはず。そうそう、ポートアイランドに縁のある神戸市民にもお勧めをしておきたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

negotiator

「交渉人」の意。ネゴシエーションは日本語にも定着している語彙だが、その語源・由来を知る人は少ないのではないか。otiumという「余暇」や「平和」を意味するラテン語の単語にneg = 無い(negativeやneglectの接頭辞)という意味がくっついたものである。つまり、交渉事というのは時間を要するもので、余暇が奪われてしまうような活動だとローマ人たちは考えていたのだろう。形態素や語源からボキャビルにアプローチするのも一興である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, ミステリ, ロマンス, 中村アン, 山田杏奈, 岩田剛典, 新田真剣佑, 日本, 監督:佐藤祐市, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズLeave a Comment on 『 名も無き世界のエンドロール 』 -伏線の張り方はフェア-

『 飛べない鳥と優しいキツネ 』 -生きづらさを抱える少女に捧ぐ-

Posted on 2020年5月18日2020年10月13日 by cool-jupiter

飛べない鳥と優しいキツネ 70点
2020年5月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:キム・ファンヒ スホ
監督:イ・ギョンソプ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200518233644j:plain
 

近所のTSUTAYAで狙っている『 悪魔を見た 』と『 チェイサー 』が常に借りられている。そんなバイオレンスものを観てはならぬという天の声だろうか。だったら全然テイストの違う青春ものでも観るかと、本作を借りてきた

 

あらすじ

ミレ(キム・ファンヒ)は、ネットゲームと小説の執筆に没頭して、現実逃避していた。だが現実の世界の友だち作りも少しずつ上手く行っていた。そんな時、耽溺していたゲームの配信終了の知らせが届く。傷心のミレはネットで知り合ったヒナという人物に会いに行くが・・・

 

ポジティブ・サイド

主演のキム・ファンヒの、何と地味で、それゆえに何と輝いていることか。思春期という時代は様々なこと、たとえば初恋であったり男女交際であったり、あるいは知的生産活動であったり、あるいは人間関係の拡大(たとえそれがネットゲームの世界であっても)にいそしむ時期である。そうした子どもと大人の中間的な存在をキム・ファンヒは見事に体現した。『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』の南沙良を見た時と同じようなインパクトを感じた。彼女の無表情や小声に騙されてはいけない。それはすべてラストに爆発するための大いなる伏線なのだ。

 

韓国の映画を見ていて思うのは、人と人の距離が近いということ。それは時に抱擁という形を取ったり、あるいは容赦のない攻撃の形も取りうる。前者の例は『 建築学概論 』のスンミンが悪友の腕の中で泣きじゃくるシーンであり、後者は本作のイジメであろうか。大昔のテレビドラマ『 人間・失格〜たとえばぼくが死んだら 』のような、いわば子どもだらけの伏魔殿というか、『 ミーン・ガールズ 』からコメディ要素を抜くとこんな感じになるのだろうか。『 地獄少女 』の冒頭にあるようなイジメ描写が続く様は、かなりの鬱展開と言える。だが、これもミレの無表情と同様に、必要な描写なのだ。どうか辛抱してお付き合い頂きたい。

 

ある時点から明確な希死念慮を抱くようになるミレだが、それが薄れていく瞬間がある。ネットで知り合ったヒナと一緒にピザを頬張る姿からは生命力があふれてくるようである。食べるとは生きることそのものである。まるで『 風の電話 』で、どのシーンを見ても、誰かが何かを食べていたことを思い出す。

 

本作は随所に面白いカメラワークがある。夜の街中でミレとヒナが手紙を読み合うシーンでは『 3D彼女 リアルガール 』の文化祭的なシーンはシネマティックかつドラマチックだった。他にもランの植木鉢を抱えて廊下を走るミレの姿を左右から映し出す演出は、そのシーンの滑稽さと相まって不思議な時間を演出していた。その後は『 町田くんの世界 』に負けず劣らずのファンタジー展開となるが、それぐらいは目をつぶってほしい。女子中学生の成長物語として、普遍的な何かを感じられる良作である。

 

ネガティブ・サイド

ミレが心の拠りどころにしているオンライン・ゲームの描写が弱い。というか、実写化する必要があるのだろうか。もちろん、ネトゲの世界を実写で描く意義のある作品はいくらでも考えられるが、本作は違うだろう。描くべきはネトゲ内のコミュニケーションの在り方、そしてそこに没入する孤独な少女の姿だ。ゲーム音楽家の裏谷玲央氏は「昔も今もゲームはコミュニケーション・ツールです」と断言しておられたが、蓋し真理であろう。ミレが欲していたのはゲーム体験ではなく、他プレーヤーとパーティーを組んで、ともに何かを成し遂げることだったのだから。そのあたりの描写の薄さ、中途半端な実写化が、ミレに「ヒナに会わなければならない」と感じさせることに寄与していない。

 

ミレの家庭環境が改善された様子が描かれなかったのも気になる。父親と対峙せよ、とまでは思わないが、教師に対してとんでもない行動に出たように、父親に対しても何らかの反抗を見せてほしかった。

 

あとはヒナに秘められた因果か。もちろん物語の進行上、容易く想像はつくのだが、そこから講演でフリーハグを提供するようになっていった過程を、ほのめかす程度でよいので描写してほしかった。ある意味でヒナは自己満足の世界に溺れている。その背景を知らせてくれれば、人が生きることは綺麗ごとではないという真実が垣間見えたのだが。

 

総評 

これまた韓国産の良作である。イジメ描写の容赦の無さに、邦画との違いを思い知らされる。一方で、思春期に普遍的に共通する悩みや友情の美しさも称揚しているため、物語自体には比較的入っていきやすい。案外、中高生が親子で鑑賞してもよいかもしれない。どこか『 エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へhttps://jovianreviews.com/2019/09/23/eighth-grade/ 』に通じるものが本作にはある。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

クロム

これも簡単、「それなら」の意である。それなら一緒に宿題をしよう。それなら今日のメシは俺が作ろう。そういう時の「それなら」である。何度でも強調するが、言葉を学ぶ時にコンテクストを絶対に無視してはならない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, キム・ファンヒ, スホ, ヒューマンドラマ, ロマンス, 監督:イ・ギョンソプ, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 飛べない鳥と優しいキツネ 』 -生きづらさを抱える少女に捧ぐ-

『 月極オトコトモダチ 』 -男女の友情は成立するか-

Posted on 2020年5月14日 by cool-jupiter

月極オトコトモダチ 55点
2020年5月12日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:徳永えり 橋本淳
監督:穐山茉由

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200514203303j:plain
 

男女の友情は成立するか否か。こうした問いそのものに、個人的的には意味がないと思っている。これが普遍的な命題になりうるとはJovianは思わない。男女というのは何歳の男女なのか。友情の定義とは何か。セックスフレンドとは友達なのか愛人関係なのかそれ以外の関係なのか。正解はない。だが、答えは様々にありうる。

 

あらすじ

WEBメディライターの望月那沙(徳永えり)は、レンタル友だち柳瀬草太(橋本淳)と出会う。そして二人の関係を記事にしていく。一方で、那沙のルームメイトの珠希は音楽を通じて草太と距離を縮めていく。那沙は草太との関係をどうすべき悩み苦しみ・・・

 

ポジティブ・サイド

何とも不思議なリアリティに満ちている。それは男女の友情をテーマにした物語から生じているのではなく、アラサー女子のそれらしい立ち居振る舞いやルームメイトとの関係性、仕事への打ち込み具合、そうしたものがとてもリアルに感じられる。それは徳永えりが正に等身大の、結婚願望がなさそうである、かつバリキャリになりきれないアラサー女子を自然体に見える形で演じているからだろう。そして、そうしたキャラクター同士の掛け合いをごくナチュラルな視点から撮影し、かつごくナチュラルに発生する対話に巻き込んでいく。映画というよりは演劇的である。この演劇的な演出がストーリーテリングの上で奏功している。

 

「コントロールできたら恋じゃない」、「コントロールできたら、それは愛」といった格言めいたセリフが飛び交うのもドラマ的だ。Jovianがあまり滔々と堂々と女性論をぶつと妻に殺されるので、ごく一般的な男性論だけを語らせてもらえれば、男は脳で考えている。だが、脳内の思考のおよそ3~4割は下半身由来であると思われる。これが中学生や高校生だと脳内思考の7~8割は下半身由来だろうか。どうすれば、この下半身からの支配から逃れられるのか。その答えの一つが草太の言うスイッチなのだろう。そのスイッチがどういったものであるのか、興味のある男性はぜひ本作を鑑賞されたい。

 

本作のテーマは『 はじまりのうた 』のダンとグレタの関係の相似形であり、『 娼年 』の逆バージョンであり、『 “隠れビッチ”やってました。 』の裏バージョンでもある。男女の関係、と言えば、そのまま肉体関係を指すことが多いが、それすなわち関係の進展もしくは破綻とはならない。答えのない問いかけに一定の答えを出そうとしたという意味で、本作のチャレンジは認められるべきである。

 

ネガティブ・サイド

Jovianは映画の長さは1時間30分~1時間55分ぐらいが理想的だと思っている。その意味では本作は1時間18分と少々物足りない。『 生理ちゃん 』も75分と少々物足りなかったが、やはり映画は2時間弱はあって欲しいと思うのである。

 

砂浜でのサッカーシーンはノイズであるように感じた。女性が得意げに球を扱う。男性がドリブルで女性の股抜きをする。その象徴するところは極めて性的である。こうした演出を挿入するなら、それこそ挿入直前まで描いて、しかしやはり未遂に終わりました。これでよかったのではないか。

 

那沙が珠希と衝突するのもクリシェでしかない。ドラマとは意外性から生み出されるべきで、普通に予想される事柄から生み出されるべきではない。気になっている男が、自分の友人と共同で何かをおこなっている。その姿にたまらない嫉妬や焦り、敗北感を募らせる。いったい、いつの時代の少女漫画なのか。那沙の会社の編集長ではないが、いつまで純情ぶっているのか。

 

総評

着眼点は良いと思うが、その後の展開にひねりがない。いつの頃からか、オタク連中は日常系の深夜アニメをありがたがるようになったが、映画がそれをやってはおしまいである。もし、そうした方向に舵を切るなら、例えば『 セトウツミ 』のように、独特の見せ方を追求すべきである。そうした意味では、カジュアルな映画ファン向けではあるが、ディープな映画ファン向けな作りにはなっていない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

How about if we go out?

 

「私たち、付き合ってみる?」「俺たち、付き合ってみる?」の意味である。劇中ではどちらの意味で使われていたか、興味があれば確かめて頂きたい。How about if S + V? = SがVしてみてはどうだろうか? という意味である。How about S + V? でも同じである。TOEFLのリスニングなどでは頻出であるし、TOEICでもたまに聞こえてくる表現である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ロマンス, 徳永えり, 日本, 橋本淳, 監督:穐山茉由, 配給会社:SPOTTED PRODUCTIONSLeave a Comment on 『 月極オトコトモダチ 』 -男女の友情は成立するか-

『 her 世界でひとつの彼女 』 -いつか間違いなく到来する世界-

Posted on 2020年5月5日2020年5月5日 by cool-jupiter

her 世界でひとつの彼女 70点
2020年5月4日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ホアキン・フェニックス スカーレット・ジョハンソン ルーニー・マーラ
監督:スパイク・ジョーンズ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200505180420j:plain
 

人との物理的な接触を減らせと言われて久しい。実際にJovianも減らそうと試みている。一方でオンライン飲み会など、新しい形の関係が模索されている。そこで本作を思い出した。ハンズフリーでスマホで誰かと話す人々を街中で見かけるのは最早当たり前である。だが、その通話の相手が人間でなくなる時代は、案外すぐそこまで来ているのではないだろうか

 

あらすじ

手紙の代書屋セオドア(ホアキン・フェニックス)は妻キャサリン(ルーニー・マーラ)と離婚協議中。そんな時、サマンサと自身を名付けた新型OSとの対話に、セオドアは少しずつ没入していくようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

少し進んだ都市、少し進んだ建築、少し進んだゲーム、少し進んだPC。時代や場所を敢えて特定しないことで、そうした現実の少し先にあるかもしれない世界がリアルに感じられる。そう、リアルが本作のテーマである。特に人間の感情のリアル。リアルであるということは、事実である、本当であるということ必ずしもイコールではない。いや、事実という言葉も、定義が難しい。事実であるかどうかは、実体があるかどうか、と言い換えるべきかもしれない。

 

非人間との関係、その行き着く先の一つであるセックスはますますリアルになりつつある。『 ブレードランナー2049 』をある意味で先取りした本作は、あらゆるものがセックス・オブジェクトになりうる時代を非常に力強く予感させてくれる。テレフォン・セックスの極まった形と言おうか、セオドアとサマンサのセックスは実に感応的である。官能的ではなく、感応的なのである。

 

セオドアの仕事が手紙の代書屋というところがいい。口下手な男だが文章を物すのは上手い。極端なのだ。コミュニケーションの様態は4つ分類される。すなわち、

1)Real Time – Real Space (例 会話)

2)Real Time – Not Real Space (例 電話)

3)Not Real Time – Real Space (例 伝言メモ)

4)Not Real Time – Not Real Space (例 手紙)

である。セオドアの仕事はもっぱら3)か4)に分類される。すなわち、リアルタイム(同時)のコミュニケーションには長けていないのだ。そんな彼が、サマンサとの会話にだんだんと没入していく過程が心地よくもあり、また少しうすら寒くも感じる。科学技術が進歩した世界では物質的に我々は満たされている。その一方で、リアルなコミュニケーションを喪失しつつあることも事実である。我々が真に求めているのは、他者との交流によって得られる満足感や安心感であり、他者とはその媒体に過ぎないのではないかと疑念が生まれてくる。そうした心理的な動きを、セオドア演じるホアキン・フェニックスは持ち前の表現力で我々にしっかりと感じさせてくれる。

 

本作にはちょっとしたどんでん返しがある。まるで小説『 幼年期の終り 』の逆バージョンである。これはかなり秀逸なラストであると感じた。「本人が実在性を認めるならばそれはリアルなのではないか」というのが本作の問題提起であり、「失って初めて実在性を認められるものもあるのではないか」というのがラストの余韻である。いや、違うか。RealとNot Realの境界を揺らがせると同時に強固にもする本作は、一通りではない解釈が可能な近未来SFの良作である。

 

ネガティブ・サイド

セオドアが就寝前に出会い系チャットを使うシーンは、もっと違う形の方がよかった。奇妙な設定に性的に興奮する女性とのコミュニケーションで萎えてしまうというのではなく、普通の女性との普通のコミュニケーションにどうしても満ち足りた気分になれないという、どこか欠けた男という設定の方がよかった。現実の女性が気持ち悪いからOSのサマンサに恋をするというわけではないが、皮相的にそう見えてしまうのはマイナスである。

 

最後のオチに至る過程が少々アンフェアである。Jovianは二度目の鑑賞なので、あれこれとバックグラウンドに注目しながら鑑賞したが、背景の人間たちが背景だった。詳しくはネタバレになるので言えないが、ちょっとした場面の背景にセオドアと全く同じことをやっている人間がチラッとでも映っていれば、良作を超えて傑作になれたかもしれない。

 

総評

本作と同工異曲に感じられるのが、ゲーム『 エースコンバット3 エレクトロスフィア』や『 メタルギアソリッド2 サンズ・オブ・リバティ 』であろうか。時系列的には逆か。もしくはJ・P・ホーガンの小説『 ガニメデの優しい巨人 』や『 巨人たちの星 』のゾラックが可愛くて仕方がない、というSFファンならば、本作はかなり楽しめるはず。一般人向けとはとても言い難い作品であるが、刺さる人にはとことん刺さる作品のはずである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

call it a night

call it a dayという形でもよく使われる。「それ(=状況)を夜(一日)と呼ぶ」が直訳で、意訳すれば「これで一日をおしまいにする」ということになる。call it a career=引退する、という表現を使うアスリートやパフォーマーも時々見かける。英語学習の初級者から中級者の間なら、知っておくべき表現である。

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, スカーレット・ジョハンソン, ホアキン・フェニックス, ルーニー・マーラ, ロマンス, 監督:スパイク・ジョーンズ, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 her 世界でひとつの彼女 』 -いつか間違いなく到来する世界-

『 パーティで女の子に話しかけるには 』 -変則的かつ王道なボーイ・ミーツ・ガール-

Posted on 2020年5月1日 by cool-jupiter

パーティで女の子に話しかけるには 70点
2020年4月29日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:エル・ファニング アレックス・シャープ ニコール・キッドマン
監督:ジョン・キャメロン・ミッチェル

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200501001004j:plain
 

ウィルスといえば本作も忘れてはならない。コロナもウィルス。『 貞子 』もある意味ウィルス(意味が分からない人は小説『 リング 』を読むべし)。そして本作もある意味でウィルスの物語である。

 

あらすじ

 

時は1977年、場所はロンドン。高校生のエン(アレックス・シャープ)は、ひょんなことからザン(エル・ファニング)という少女と出会う。意気投合する二人。エンはたちまちザンに恋するが、ザンは実は宇宙人で・・・

 

ポジティブ・サイド

原作はニール・ゲイマン。『 ピープルVSジョージ・ルーカス 』で創作について印象的なコメントを発していた小説家で、オンラインのcreative writing講座の広告で最近はよく見かける。

 

なんとも不思議なボーイ・ミーツ・ガールである。異星人に恋をするストーリーは、それこそ『 火星のプリンセス 』(『 ジョン・カーター 』として映画化されている)の昔(1910年代)から存在する。本作がユニークなのは、パンクという反体制・反社会・反規範のイデオロギーを個性の尊重=individualityと対比させた点にある。このことが喜劇にも悲劇にもなっている。

 

喜劇だなと感じられるのは、パンクについて語ることで意気投合するエンとザン。寒空の下で、ボロボロの木造部屋で、パンクについて語らう。まったくロマンチックではない。漫画『 CUFFS ~傷だらけの地図~ 』で、主人公とヒロインが夜空の下でB級アクション映画についてこんこんと語り合うシークエンスがあったが、ロマンチックさのかけらもないシーンこそロマンチックに見えるものである。キス、あるいはセックスをする直前が最も盛り上がるという一昔前の少女漫画的な描写になっていないところもいい。なにしろ、エンはザンに吐しゃ物をぶっかけられるからである。ザンはある意味で英国版『 猟奇的な彼女 』なのである。このように、エンという何者にもなれていない少年が、ザンと知り合って男に脱皮していく過程には、実にほほえましいものがある。だが、そのほほえましさが胸に刺さるシーンも見逃せない。決められたルールに反逆すること、それがパンク・ロックの精神であるが、母親に反発し、逃げた父親を今でも尊敬するエンに、ザンの何気ない一言が突き刺さるシーンは強烈である。少年はこのように大人になっていく。精神的な意味での父親殺しこそ、西洋文学の一大テーマなのである。

 

悲劇だなと感じられるのは、タイムリミット。恋とは障害があればあるほど激しく燃え上がるものだが、48時間という時間の制約はいかんともしがたい。『 はじまりのうた 』や『 ベイビー・ドライバー  』でも用いられた、一つのイヤホンやヘッドセットを二人でシェアするという演出は本作でも健在。実際にDVDのジャケットにも使われている。これがすべてだろう。 限られた時間では、時に言葉は無力である。B’zの『 Calling 』の歌詞にある通り“言葉よりはやく分かり合える”のが、音楽を通じて時に可能になる。こうした直感的な交信とでも言うべき現象は古典映画『 未知との遭遇 』から小説『 鳥類学者のファンタジア 』まで、古今東西に共通のようである。こんなに深く分かり合えるのに、交わることができない。何と切ないことであろうか。もう一つの悲劇的要素はザンの種族のある習性。ニール・ゲイマンは冨樫義博の漫画『 レベルE 』を読んでいたのかと勘ぐってしまう。現実的に考えれば、大人は子どもを食い物にするなというメッセージなのだろうが。

 

エル・ファニングは安定の演技力と存在感で不思議ちゃんを好演。本作でのパンクでロックなインプロビゼーションは『 ティーンスピリット 』の歌唱シーンを全て吹っ飛ばすような迫力とエモーションに満ち満ちている。また、川面を行くカモの群れがちょうど良いタイミングで現れガーガー鳴いているのを指して“What are they saying?”と言ったのはアドリブっぽく感じられた。もしも本当にアドリブなら大したもの。計算ずくのショットなら、ジョン・キャメロン・ミッチェル監督の会心の絵作りだろう。ザンの放つ「あなたのウイルスになりたい」との一節が、今という時期だからこそ、いっそう強烈に響いてくる。恋愛経験のない、あるいは好きな人と付き合った経験のない男女は、本作のラストにエンの親友のヴィックがくれるアドバイスにしっかりと耳を傾けよう。『 ハナレイ・ベイ 』のサチのアドバイスと双璧を成す金言である。

 

ネガティブ・サイド

随所にどこかで見た何かが満載である。PTステラを最初に目にした瞬間、『 怪獣総進撃 』のキラアク星人または『 三大怪獣 地球最大の決戦 』の金星人の女王様かと思った。ゴジラはグローバル・アイコンなので、ミッチェル監督が観ていたとしても何の不思議もないが、もうちょっと捻るというか、工夫が欲しかった。あとは『 アンダー・ザ・スキン 』的な演出かな。これも気になった。ストーリーをシュールなSFにしたいのか、ボーイにとってのガールとは、別の星からやって来たエイリアンのようなものという実感を絵にしたかったのかが、少々分かりにくかった。

 

難点のもう一つは、ニコール・キッドマンとエル・ファニングの英語か。これでバリバリのロンドナーで御座い、というのは無理がある。頑張って似せようとしているのは分かるが、『 ブレス しあわせの呼吸 』のアンドリュー・ガーフィールドにも及んでいない。アメリカ・イギリス合作だが、イギリス単独資本で作るべきだった。その方がリアリティも生まれたし、何よりも本作の横軸であるエンとザンの恋愛関係と対照をなす縦軸、つまり様々な親子関係に、もう一本の線が通ったと思うのだ。そこが惜しい。

 

総評

 

普通に面白い。パンクの何たるかをよくわからなくても、「そいつはロックだな」、「そんなのはロックじゃねえ!」みたいなノリが分かれば十分である。性別云々を言うのは野暮だしpolitically correctでもない。しかし、本作はぜひ中学生・高校生あたりの男子に観てほしい。女の子ってのは別の生き物に思える時があるが、それは本当にそうだからだ。話しかける時はプレイボーイぶらなくていい。王子様である必要もない。日本映画界が安易に量産する漫画原作の恋愛映画だけではなく、こういう映画も時々は観てほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Rise up

Jovianの属する業界にも、ちょっと前にやってきた会社の名前である(スペルは違うが)。「立ち上がれ」の意味であるが、get upやstand upと何が違うのか。get up = 寝ている状態から起き上がる、stand up = 座っている状態から立ち上がる、である。rise up の意味する「立ち上がる」は“立ち上がれ、立ち上がれ、立ち上がれ、ガンダム”ということである。意味が分からないという人は、周りの40歳以上の男性に尋ねてみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, アレックス・シャープ, イギリス, エル・ファニング, ニコール・キッドマン, ロマンス, 監督:ジョン・キャメロン・ミッチェル, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 パーティで女の子に話しかけるには 』 -変則的かつ王道なボーイ・ミーツ・ガール-

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