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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ラブロマンス

『 ロミオとジュリエット 』  -20世紀の名作の一つ-

Posted on 2022年3月6日 by cool-jupiter

ロミオとジュリエット 95点
2022年3月1日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:オリヴィア・ハッセー レナード・ホワイティング
監督:フランコ・ゼフィレッリ

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『 ウェスト・サイド・ストーリー 』および『 ウェスト・サイド物語 』の元ネタである,

シェークスピアの名作『 ロミオとジュリエット 』。いくつかある映画化作品の中でも、おそらく本作が最も完成度が高いだろう。中学2年の時に初めてVHSで観て衝撃を受けたし、大学生の頃にも3回ぐらい観た。久しぶりに再鑑賞したが、間違いなく timeless classic である。

 

あらすじ

イタリアのベローナ。モンタギューとキャピュレットの両家は不和で、街では家中の者同士が騒乱を引き起こしていた。モンタギューの一人息子のロミオ(レナード・ホワイティング)はキャピュレットの舞踏会に潜入、そこで一人娘のジュリエット(オリヴィア・ハッセー)と出会う。二人は一瞬にして激しい恋に落ちるが・・・

 

ポジティブ・サイド

プロダクションデザインが出色。中世イタリアの雰囲気がよく出ている。日本の古き良き時代劇も例外なく街並みや屋敷や衣服や調度品が真に迫っているが、本作におけるそれらの再現度の高さは素晴らしかったと感じる。

 

主演の二人も輝かしかった。レナード・ホワイティングは本作以外ではさっぱりで、まるでマーク・ハミルのようだ。しかし、それだけ強烈なインパクトを与えたとも言える。仲間が喧嘩で流血しているというのに、一人で街はずれの森を優雅に闊歩しながら恋煩いをこじらせる。それもこれも、ジュリエットに一目惚れして総てがバラ色に。しかし、親友のマキューシオの死にはちゃんと激昂する。若気の無分別と辞書で引けば、例としてロミオ・モンタギューが出てきそうである。ロミオについて特筆すべきは、イケメンでありながらイケメンの余裕が全くないところだろう。シェークスピアは同時代人であるフランシス・ベーコンの格言、”It is impossible to love and to be wise.” を知っていたのだろう(二人が同一人物という説をJovianは取らない)。10代男子の頭の中の80%は異性への興味で、その興味の95%は肉欲、性欲だ。日本の漫画原作の青春恋愛ものの多くは何とかの一つ覚えのごとく学園祭の出し物で『 ロミオとジュリエット 』を上演するが、ロミオ=単なるイケメンであり、そのアホっぷりにフォーカスできていない。このロミオの恋は盲目、恋をしながら賢いままではいられないという人間の普遍的な在り方が限りなくリアルに感じられた。

 

オリヴィア・ハッセーも初めてVHSで観た時は雷に打たれたようなショックを受けたのを覚えている。それまでは『 ネバーエンディング・ストーリー 』の幼ごころの君の大ファンだったJovian少年は、この瞬間からオリヴィア・ハッセー/ジュリエットがアイドルになった。くるくる変わる表情に清楚をにじませるたたずまい、けれど舞踏会の場でロミオを焦らす様には百戦錬磨のような雰囲気も醸し出す、今風の言葉で言えば年下のお姉さんキャラ。それでも乳母や母の前では、年齢相応の幼さが前面に出てきていた。フランコ・ゼフィレッリ監督はよくここまで演出できたなと感心させられる。撮影時に15~16歳だったらしいが、一瞬とはいえトップレスを見せるというのも素晴らしい女優魂だと思う。

 

アクロバティックなカメラワークが技術的に不可能な時代だが、その代わりにカメラと役者の距離感が絶品。冒頭のちょっとしたいざこざから大きなケンカに発展する流れのスムーズさは『 ウェスト・サイド物語 』の prologue に負けず劣らずの出来。またティボルトとマキューシオの決闘の馬鹿馬鹿しさと深刻さの同居は、それこそキャピュレットとモンタギューが反目すること自体の馬鹿馬鹿しさと深刻さの表れで、それを傍観者視点と当事者視点が入り混じるように撮影したのは上手いと感じた。マキューシオの役者は、舞台俳優がそのままスクリーンに再現されたようで素晴らしかった。出てくるたびに場を自分のものにしてしまう。フィルムの時代なので、気軽に撮ってその場で編集できたわけでもない。なので、セリフから動きまでを完全にマスターしておく必要がある。マキューシオ役をはじめ、舞台のバックグラウンドを持った役者が多く出演していたのだろう。カメラ・オペレーターと役者が互いの仕事を理解しながら各シーンを生み出していったことが窺える。

 

ロミオとティボルトの決闘シーンも真に迫っていた。途中で上着を脱いだり、土埃を浴びるシーンがあるが、すべてのシーンが linear に撮影されていたので臨場感があったし、ワンカットがかなり長かった。BGMのない決闘シーンは『 アジョシ 』のラストのナイフバトルを彷彿させた。壁や階段から落ちるシーンもあり、どれくらいリハーサルが可能だったのだろうか。スローモーションや派手なBGMで乱闘シーンを誤魔化す多くの現代映画は、もっと役者への演出で臨場感を生み出せるということを知るべきだと思う。

 

そうはいっても音楽の力も重要で、本作で言えばニーノ・ロータの ”Love Theme” が要所で流れる。それが 物悲しさや儚さを感じさせる。また舞踏会で歌われる “What is a youth?” の歌詞が物語全体の通奏低音になっている。この楽曲と物語が完璧に合っていて、映画のレベルをさらに一段上げている。フランコ・ゼフィレッリとニーノ・ロータのペアは、G・ルーカスとJ・ウィリアムズ、セルジオ・レオーネとエンニオ・モリコーネのような組み合わせだと評して良いと思っている。 

 

ロレンス神父やジュリエットの乳母など、脇を固めるキャラクターにも血肉が通っている。二人ともロミオやジュリエットの幸福を祈って行動するが、些細な誤解やすれ違い、思いの違いから悲劇に至る。特に乳母がジュリエットにロミオを見限るように諭すシーンは衝撃的である。乳母の一種の裏切り行為は、ティボルトを失い、ロミオまで追放されてしまったジュリエットにとってはこの世に未練などなくなってもおかしくない。誰も悪など目指していない。ただ憎い相手がいる。しかし、それは個人ではなく家名である。家名は記号であって、実体ではない。ジュリエットの発する “What’s in a name?” という問いは、現代なら “What’s in a nationality?” や “What’s in a color of skin?” 、”What’s in a gender?” などとも言い換えられるだろう。悲恋の物語の最も成功した映画化というだけではなく、20世紀の古典と言っても良い傑作だろう。

 

ネガティブ・サイド

ロレンス神父はジュリエットに「42時間で目覚める」と伝えていたが、夜の9時あるいは10時に服毒したとして、目覚めるのは夕方の5時あるいは6時。ところが実際にジュリエットが目覚めたのは真夜中。薬の効き目にはブレがあって当然とはいえ、ここだけはフランコ・ゼフィレッリ監督の責に帰さなけれなならない。

 

総評

シェークスピアが天才的だなと思うのは、非常に小さな世界の小さな出来事を、これほどドラマチックに、かつ普遍的な事象として描き切ったこと。フランコ・ゼフィレッリは自ら脚本も手掛け、監督として若い二人の演出にも腐心しただろうが、その苦労は実った。This timeless classic will stand the test of time forever. 教育者の端くれがこんなことを言ってはいけないのかもしれないが、日本の中学高校のカリキュラムにヘッセの『 デミアン 』と『 車輪の下 』を読むこと、そして『 ロミオとジュリエット 』を鑑賞することを組み込んでほしい。それほど若い世代こそ観るべき傑作に仕上がっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a Capulet

キャピュレット家の一員の意。有名なバルコニーのシーンでのジュリエットがロミオに「モンタギューの名前を捨てて」と独り言ちて、”Then I’ll no longer be a Capulet.” = そうすれば私もキャピュレット家の者であることをやめる、と続く。「a + 固有名詞」は色々な用法があるが、英語を教える仕事に従事する人以外は「そんなのがあるのか」ぐらいの意識でよい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1960年代, S Rank, イギリス, イタリア, オリヴィア・ハッセー, ラブロマンス, レナード・ホワイティング, 監督:フランコ・ゼフィレッリLeave a Comment on 『 ロミオとジュリエット 』  -20世紀の名作の一つ-

『 ウエスト・サイド・ストーリー 』 -細部を改悪すべからず-

Posted on 2022年2月24日2022年3月4日 by cool-jupiter

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ウエスト・サイド・ストーリー 65点
2022年2月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アンセル・エルゴート レイチェル・ゼグラー リタ・モレノ
監督:スティーブン・スピルバーグ

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傑作『 ウエスト・サイド物語 』をスティーブン・スピルバーグがリメイク。鑑賞前は期待3、不安7だったが、観終わってみればまあまあ満足できた。しかし、キャラクターたちの根幹を揺るがすような改変があったのは大いに気になった。

 

あらすじ

再開発の波が押し寄せるマンハッタンのウエスト・サイド。イタリア系のジェッツとプエルトリコ系のシャークスは、ストリートで抗争を繰り広げていた。ジェッツのボスであるリフはシャークスのボス、ベルナルドにダンス・パーティーの会場で決闘を申し込もうとする。その場に、かつての兄貴分トニー(アンセル・エルゴート)を誘うが・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭からスッと物語世界に入っていくことができた。オリジナルでは摩天楼のそびえる大都市の一角にひっそりと生きる不遇な少年たちの姿を活写したが、本作では解体されるスラム街を映し出した。今はもう存在しない街区だが、そこで繰り広げられるドラマを忘れてはならないというメッセージであったかのようだ。

 

レナード・バーンスタインの音楽とスティーブン・ソンドハイムの歌詞はまさに timeless classic。冒頭のジェッツの面々の指パッチンからの集結とベルナルドを始めとするシャークスとの遭遇、そこからの大乱闘までの流れはオリジナルを尊重しつつも、新たな味付けを施していて、これはこれでありだと感じた。いくつかの歌とダンスのシーンが大胆にシャッフルされていたが、トニーが ”Cool” をリフに対して歌うのは説得力があったし、このシーンでトニーの度胸や腕っぷしが垣間見えたのも良かった。

 

アンセル・エルゴートは『 ベイビー・ドライバー 』でダンスの素養を見せつつ、歌については音痴っぽく思えたが、今作では素晴らしい歌唱力を披露。”Something’s coming” や “Maria” はリチャード・ベイマーよりも遥かに上手く歌っていたと評していいだろう。歌声に関しては、マリアを演じたレイチェル・ゼグラーも圧巻のパフォーマンス。名曲 “Tonight” もナタリー・ウッド(の吹き替え)の歌声からレイチェル・ゼグラーの歌声にJovianの脳内で書き替えられた。それほどのインパクトがあった。マリア役のオーディションに3万人から応募があったと読んだが、『 ラ・ラ・ランド 』のような熾烈なオーディションが彼の国では行われているのだなと実感した。 

 

どこか憎めなかったリフのキャラクターが本作では凶悪な悪ガキにグレードアップ。賛否両論ある改変だろうが、Jovianはこれを賛と取った。銃社会アメリカの深刻さは増すばかりだが、その銃をプエルトリコ人ではなくアメリカ人が調達してきたという視点をアメリカ人であるスピルバーグが呈示することの意味は大きい。前作ではどこからともなく銃が湧いてきて、確かに不可解だった。また  “Gee, Officer Krupke” を歌うメンバーからリフを外すことで、アイスの影が薄くなったという逆効果はあったが、ジェッツの面々のキャラがオリジナルよりも立つようになった。

 

オリジナルのトニーとマリアが、それこそ貴族であるロミオとジュリエットばりに能天気だったところも改められている。恋に浮かれて “Maria” を歌うトニーが、マリアのバルコニーに上っていくシーンはまんま『 ロミオとジュリエット 』かつ『 ウエスト・サイド物語 』。しかし、トニーとマリアの間には鍵のない扉があった。もちろん迂回してトニーは登っていくのだが、この改変は上手いと思った。心の距離が縮まっていれば、物理的な距離もあっという間に縮まる・・・訳ではない。心にバリアはなくとも、社会にはバリアがある。そうしたことを示唆していた。他にもトニーがリフの人生をトラブルの連続だったと説明したところで、「私たちの人生は楽だと言いたいの?」とマリアが言い返すシーンにはびっくりさせられた。こうしたシーンがあるとないでは、二人の人間性の深みというか奥行きが全然違ってくる。一目で恋に落ちるのは簡単だが、「恋は盲目」というファンタジーではなく、現実に則した物語なのだということを強く意識させられた。このセリフのやり取りだけでもリメイクの意味は確かにあったと思った。

 

トニーとマリアの二人が疑似結婚式を挙げるシーンも良い具合にアップグレードされていた。pickup linesばかりをスペイン語で学ぼうとするトニーだが、マリアが述べる誓いのスペイン語が最初は何のことか分からずにいる時、そしてそれを理解した瞬間のチャーミングさが何とも好ましく映った。『 ちょっと思い出しただけ 』の言う通りに踊りは言葉の壁を超えるが、人を愛する真摯な気持ちも言葉の壁を超えるのだ。

 

オリジナルではほとんど役立たずだったチノにも変化が加えられており、ジェッツの面々の方が引き立てられているように感じていたが、これでフェアになったと感じた。

 

ドクの店のおじいちゃん、『 ロミオとジュリエット 』のロレンス神父がバレンティーナというおばあちゃんに置き換えられているが、なんと演じているのはオリジナルのアニタ役、リタ・モレノ。80代後半にして圧巻の歌声で “Somewhere” を歌い上げる姿に tears in my eyes。 

 

ミュージカル映画としてはかなりの面白さである。祝日の昼間だったせいか、観客は中年から高齢者ばかりだったが、若い人たちのデートムービーとしても鑑賞に堪えるはずである。

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ネガティブ・サイド

前半と後半でトーンが一貫していなかったように見えた。オリジナルを割と丁重になぞっていた前半に比べ、後半に行くほどに『 ロミオとジュリエット 』のイメージが色濃く浮かび上がってくるようだった。リメイクならオリジナルに忠実であるべきで、元ネタの元ネタまで取り込もうとするのはあまりに野心的すぎるだろう。

 

ベルナルドがボクサーだという設定は不要だ。袴田巌を擁護する輪島功一ではないが、ボクサーはナイフなど使わない(と信じている)。フェリックス・トリニダードやウィルフレド・ゴメスが本作を観たら何と思うだろうか。

 

リフのワル度がアップしたのはOKだが、ストリートの子どもの落書きを踏みにじるシーンはどうかと思った。オリジナルでは公園の地面にチョークで絵を描く子どもたちを意識的に避けている=子どもには手を出さないという矜持があったのに、本作はいとも簡単にその一線を超えてしまった。

 

ダンスシーンでの ”Mambo” の前に司会者に輪を二つ作るように呼びかけられたシーンでも、警察官に言われて輪を作るのはどうかと思う。オリジナルではリフが司会者の呼びかけに最初に呼応した。これによってリフの器の大きさが見えたのだが。Prologueの後にシャークスがプエルトリコ国歌を歌い、リフはリフでシュランク警部を小馬鹿にしてみせた。その反骨精神を貫くべきではなかったか。

 

“America” を日が降り注ぐストリートで歌い上げるのは良かったが、決闘の時まで騒ぎは無しだというリフとベルナルドの約束は何だったのか。天下の往来の交通を乱すのは騒ぎではないと言うのか。

 

オリジナルはすべてウエスト・サイドの片隅でドラマが繰り広げられたが、今作ではサブウェイに乗って街区の外へ出ていってしまった。これには違和感を覚えずにいられなかった(その先のシーンは素晴らしかったのだが)。

 

『 ウエスト・サイド物語 』と言えば、ベルナルドらの「あのシルエット」がトレードマークだったが、リメイクではあのポーズはなし。使ってはいけない契約でもあったのだろうか。

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総評

歌と踊りの素晴らしさは維持されているし、一部見事にアップグレードされたものもある。単純なエンタメとして十分に楽しめることができるし、オリジナルが有していた社会的なメッセージをより明確に、より先鋭化した形で提示することにも成功している。ただ、一部に加えられた些少な改変が、キャラクターの根幹に関わる部分を揺るがしていたりする点は大きなマイナスである。グリードがハン・ソロ相手に発砲し、それをハンが避けたのと同じくらいに酷い改変だと感じた。ただそんなことを気にする人は間違いなくマイノリティだ。ぜひ多くの人に鑑賞いただきたいと思う。そのうえでオリジナルと比べてみるのも一興だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

catch someone by surprise

誰かを驚かせる、の意。割とよく使われる表現なので、英語学習者なら知っておきたい。Taylor Swiftの ”Mine” でも使われている。文脈によっては「不意を突く」、「不意打ちする」のような意味にもなる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, アメリカ, アンセル・エルゴート, ミュージカル, ラブロマンス, リタ・モレノ, レイチェル・ゼグラー, 監督:スティーブン・スピルバーグ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ウエスト・サイド・ストーリー 』 -細部を改悪すべからず-

『 ちょっと思い出しただけ 』 -鮮やかな回想劇-

Posted on 2022年2月20日2022年2月20日 by cool-jupiter

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ちょっと思い出しただけ 75点
2022年2月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:池松壮亮 伊藤沙莉 河合優実
監督:松居大悟

 

『 くれなずめ 』や『 君が君で君だ 』など、終わらない青春、あるいは青春を引きずる姿を追究してきた松居大悟監督の最新作。またJovianの大学の後輩がプロデューサーも務めている。

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あらすじ

ダンサーだったが、怪我で舞台の照明係に転身した照生(池松壮亮)。タクシー運転手としてコロナ不景気に翻弄される葉(伊藤沙莉)。葉はある客を乗せたことで、照生と付き合っていた、かつての日々を思い起こして・・・

 

ポジティブ・サイド

一年の特定の日付だけを映し出していく構成というと『 弥生、三月 君を愛した30年 』に少し似ているところがあるが、それを名作『 ペパーミント・キャンディー 』のように過去に逆行していく形で提示していくところがユニークだと感じた。作品によっては、視点が今なのか、それとも回想なのか分かり辛いものもあるが、本作はマスク着用や手洗いが生活様式として定着したところから始まっているので、現在と回想の見分けが容易。これは思わぬコロナの副産物だろう。

 

池松壮亮演じる照生が夢と現実の狭間でもがく姿に激しく共感する。同時に軽蔑のような念も覚える。それはおそらく、多くの男が持つ大人になってしまった自分と若者のままでいたい自分の葛藤を具象化させられたかのように感じるからだ。男は基本アホなので、付き合っている女性はいつまでも自分を好いてくれると思い込んでいるし、相手の言う「何があっても好き」のような言葉も鵜呑みにしてしまう。鑑賞中に何度「照生、このアホ、そこはそうちゃうやろ」と思ってしまったか分からない。

 

葉を演じた伊藤沙莉は、これが代表作になるのではないか。決して美人ではないのだが、ある瞬間にめちゃくちゃ可愛く見えるのは本人の力なのか、それともメイクアップアーティストやカメラマンの力なのか。『 息もできない 』のキム・コッピのように、大声を張り上げることも、とびきりチャーミングな笑顔を見せることもできる女優。ラブシーンも普通にいけそう。一番可愛らしいと感じたのは、タクシーを降りるところを照生に止められるシーン。ここでの葉のはしゃぎっぷりは恋する女子の演技としては白眉だろう。浮かれていながらも「言葉にしてほしい」という女子が共通して持つ強烈な願望が駄々漏れになっていて、非常に微笑ましく、かつ恐ろしい。男性諸君、言葉にすることの重要性をゆめ忘れることなかれ。

 

回想を経るごとにちょっとした小道具の存在の有無や照生の行動の違いなどが明らかになっていき、どんどんと物語に引き込まれていく。ただ時間をさかのぼりながらも、未来に向かっている部分もあった。永瀬正敏演じる、待っているおじさんがそれで、このサブプロットはなかなかにパンチが効いている。妻を待ち続ける=妻に執着し続ける姿は、そのまま照生の未来に見えてくるし、事実その通りである。というか、男全般に当てはまるわ、これ。『 パターソン 』でも何気ない日常の連続をある意味で壊す役割を演じた永瀬が、今度はその何気ない日常を延々と続ける姿はある意味で感動的でもあった。

 

男女の幸せだった日々が、理想と現実のはざまで少しずつずれていってしまうという意味では『 花束みたいな恋をした 』とも共通するところがある。しかし、本作では男の情けなさというか、女々しさ(この言葉が不適切でないことを祈る)が存分に表出されていて、かなり酸っぱさ濃いめの甘酸っぱい物語に仕上がった。松居大悟は作家性とエンタメ性をバランスよく表現できる監督で、氏の作品は今後も要チェックであると感じた。

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ネガティブ・サイド

言葉とダンスに関する問答が印象的だったが、特にダンスに関する部分はもっと突き詰められたのではないかと思う。外国映画は字幕か吹き替えかは、それこそ観る側が自由に選択すればよいと思う。ただ、言葉にしてくれないと分からないという時の言葉というのは、言語に関係があることなのか?とは感じた。何語で発話しようとも、なんらかの感情や思考が表現されたという事実は変わらないだろう。

 

もうひとつ、ダンスは言語を超えるというのにも大いに納得したが、ぜひ照生が葉に踊って見せるシーンをもっと取り入れてほしかった。愛情を踊りで伝える照生と、そのメッセージを受け取りながらも十分に解釈しきれない葉のコントラストがあれば、甘酸っぱさの甘さと酸っぱさが両方増しただろうと思う。

 

総評

男性の過去の恋愛への執着を描いた『 僕の好きな女の子 』と対を成すかのような作品。女性が過去の恋愛をいかにカジュアルに忘却できるかを、非常に説得力のある形で描き出している。男性が覚えているのに対し、女性は思い出す(その前提には「忘れる」がある)ものなのだ。そういうわけで、デートムービーにはあまり向かないかもしれない。どちらかというと、男女ともにおひとり様での鑑賞が望ましいと思われる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

pop the question

直訳すれば「例の質問をポンッと出す」の意、意訳すれば「プロポーズする」の意。プロポーズの言葉は十中八九、”Will you marry me?”(最後は falling tone で)である。疑問文=質問であるが、語尾は上げずに下げて言うべし。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ラブロマンス, 伊藤沙莉, 日本, 池松壮亮, 河合優実, 監督:松居大悟, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 ちょっと思い出しただけ 』 -鮮やかな回想劇-

『 ウエスト・サイド物語 』 -ミュージカル映画の金字塔-

Posted on 2022年2月20日2022年2月20日 by cool-jupiter

ウエスト・サイド物語 80点
2022年2月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ナタリー・ウッド ジョージ・チャキリス リチャード・ベイマー ラス・タンブリン リタ・モレノ
監督:ロバート・ワイズ ジェローム・ロビンス

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S・スピルバーグが本作をリメイクしたというニュースは2年前からあったと記憶しているが、公開がここまで遅れるとは。本作も小学生の時にVHSで観て以来、多分10回ぐらいは観ている。久しぶりに再鑑賞して、やはり時を超える傑作だと感じた。

 

あらすじ

ニューヨークのマンハッタン。イタリア系のジェット団とプエルトリコ系のシャーク団は、ストリートで抗争を繰り広げていた。ダンス・パーティーの場で、ジェット団のボスであるリフ(ラス・タンブリン)のかつての兄貴分トニー(リチャード・ベイマー)は、シャーク団のボス、ベルナルド(ジョージ・チャキリス)の妹、マリア(ナタリー・ウッド)と皮肉にも運命的な出会いを果たす・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭の音楽だけで、ある意味で物語の全てが描かれている。この色とりどりに変わっていくロゴ画面とサントラのコンビネーションの素晴らしさは、『 2001年宇宙の旅 』の冒頭数分の真っ暗な画面と雑音、そこから太陽が輝き出す瞬間に大音量で流れる『 ツァラトゥストラはかく語りき 』に匹敵する。というか。『 2001年宇宙の旅 』よりも本作の方が古かった。ロバート・ワイズの先見性よ。

 

不遇への不満、怒りから、胸の高鳴りから愛まで、すべてが見事な歌と踊りで表現されている。冒頭のジェット団の指パッチンと口笛が印象的な『 Prologue 』、絢爛豪華な中に危うさも感じさせる『 Dance at the Gym 』、アメリカの正の面と負の面をユーモラスに歌い踊り上げる『 America 』、決闘と逢瀬の両方を待ち焦がれる、おそらく本作で最も有名な『 Tonight 』、同じく不朽の名作『 サウンド・オブ・ミュージック 』を強く予感させる『 I Feel Pretty 』など、レナード・バーンスタインの音楽が冴えわたる。

 

ダンスも息を呑むほどの素晴らしさ。特にベルナルド役のジョージ・チャキリスとリフ役のラス・タンブリンがやはり目を引く。一つ一つのダンスシーンやその導入部分もロングのワンカットが多用されていて、臨場感抜群。衣装や背景も1960年代の雰囲気を醸し出している。トニーの歌う『 Something’s coming 』のシーンは『 イン・ザ・ハイツ 』を彷彿とさせた。というか、あちらが本作にインスパイアされたと見るべきか。

 

マリアとトニーの出会いのシーンは『 フランシス・ハ 』でフランシスが開陳していた愛の定義に合致する。すなわち、周囲に多くの人がいるにもかかわらず、誰も自分たちに気付かない。しかし、自分たちはお互いに相手こそが運命の人だと理解しているという瞬間を共有できることだ。子どもの頃に見て美しいと思ったが、今見てもやはり美しいシーンだ。カメラの性能だとかそういうことではなく、人間の本質が捉えられているからだろう。

 

ストーリーはまんま『 ロミオとジュリエット 』だ。敵対関係にある陣営の男女が恋に落ちる。しかし、悲劇が・・・ 思えば、10年ぐらい前まではグローバル化だ多様化だと声高に叫ばれていたが、それはつまり世界がそれだけ分断されていた証拠なのだろう。修身斉家治国平天下と言うが、まず修身のレベルからして難しい。いつの時代、どの地域でも、個人レベルですら本当に理解し合い、愛し合うのは難しい。いや、個人同士は上手くいっても、その個人が属するちょっとした集団同士が仲良くするのは、どういうわけか難しい。『 シュリ 』や『 JSA 』を観ても分かる通り、同じ民族ですら個人同士では愛し合えても、国同士では分かり合えない。陳腐な筋立てだが、どういうわけか胸を打つ。憎しみからは何も生まれない。マリアの言葉が強く響く。

 

ネガティブ・サイド

スペイン語を使う場面がもう少しあってもよかったように思う。特にチノがダンス・パーティーの場でマリアに「帰ろう」と呼びかけるのは英語ではなくスペイン語であるべきだろう。

 

クラプキ巡査の去り際、緊急通報が入ったというのにパトカーが一切サイレンを鳴らないのは何故なのか。

 

映画の出来そのものとは関係ないが、漫画に出てくる Captain Marvel をマーヴェル船長と訳してしまうのは時代のせいか。それでもDVDにする頃にはアメコミの知識も少しは日本に入ってきていたと思うが。

 

総評

まごうことなき傑作。スピルバーグがリメイクしたくなるのも分かるが、よほど良い味付けのアイデアがないと、失敗は目に見えている。鑑賞するのが楽しみなような、怖いような。今度は元ネタである『 ロミオとジュリエット 』を再鑑賞しようかな。というか、買おうかな。ミュージカルには興味がないという向きにもお勧めしたい。『 ベイビー・ドライバー 』と同じく、最初の10分を楽しめれば、後はエンディングまで一直線である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Beat it

「失せろ」の意。マイケル・ジャクソンの『 今夜はビート・イット 』のおかげで、80年代が青春だったという世代なら、発音や意味はお馴染みだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1960年代, アメリカ, ジョージ・チャキリス, ナタリー・ウッド, ミュージカル, ラス・タンブリン, ラブロマンス, リタ・モレノ, リチャード・ベイマー, 監督:ジェローム・ロビンス, 監督:ロバート・ワイズ, 配給会社:シネカノンLeave a Comment on 『 ウエスト・サイド物語 』 -ミュージカル映画の金字塔-

『 ソラリス 』 -会えない人に会うということは?-

Posted on 2021年12月27日 by cool-jupiter

ソラリス 60点
2021年12月21日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョージ・クルーニー
監督:スティーブン・ソダーバーグ

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『 ドント・ルック・アップ 』という地球滅亡もの、さらになかなか終わらないコロナ禍のせいで、ついつい本作に手を出してしまった。古い方の『 惑星ソラリス 』は確か高校生ぐらいの時にテレビ放送で観た。こちらは確か大学卒業後に観た記憶がある。約20年ぶりの再鑑賞である。

 

あらすじ

精神科医のケルビン(ジョージ・クルーニー)は、惑星ソラリスの軌道上で観測任務にあたる友人から「来てほしい」との依頼を受ける。現地に赴いたケルビンは一部のクルーの死亡を知る。残ったクルーに話を聞くが、要領を得ない。そんな中、ケルビンの元に亡き恋人、ハリーが現れて・・・

 

ポジティブ・サイド

SFというジャンルは基本的に論理による面白さを追求するものである。論理とは科学的な思考である。その意味でSF=Science fictionである。けれども、f の字を fantasy であると解釈することもある。『 スター・ウォーズ 』はSFと見せかけたファンタジーであり、おとぎ話である。では本作はどうか。これは fiction と fantasy を上手い具合に配分していると言える。

 

死人が生き返るというのは邦画では結構お馴染みで『 黄泉がえり 』や『 鉄道員(ぽっぽや) 』など、これまで数多く作られてきている。ただ、本作のユニークなところは舞台が地球ではなく宇宙空間であるところ。つまり、生き返っても絶対にそこには来れない場所であるところである。この蘇ってきた存在が持つ記憶というのも非常にユニーク。恩田陸の小説『 月の裏側 』の着想はおそらく本作および原作だろう。

 

アッと驚くとまでは言わないが、ある種のミステリを読み慣れている、あるいは観慣れている人なら予想できる展開だろう。それでもJovianも初見では唸らされた。この人間ではない存在と人間の奇妙な交流と、人間の定義 - つまり見た目なのかコミュニケーション能力なのか、それとも記憶なのか - が本作の眼目である。『 アド・アストラ 』や『 ミッドナイト・スカイ 』のような思弁的な物語を好む向きに、コロナ禍の今こそ鑑賞いただきたい作品である。逆の意味で会いたくなくなったりするかもしれないが。

 

ネガティブ・サイド

オリジナルの『 惑星ソラリス 』も本作も、悪いけれども退屈極まりない。探査船内のショットにしても、クルー以外には誰もいないことを強調するためのアングルで構成されているが、そんなことは観る側全員が分かっている。だからこそ、いるはずのない子どもを追うケルビンの表情であったり、その逸る足取りであったりを映すなど、緊張感やサスペンスを生み出すようなカメラワークが欲しかった。

 

ケルビンとハリーの恋愛回想シーンもかなりくどいという印象。ソダーバーグはこれをSFではなくラブロマンスと解釈したのかもしれないが、それは原作者であるスタニスワフ・レム御大へのリスペクトに欠ける。ジャンルを変えるにしてもヒューマンドラマにしておくべきで、それなら愛憎のどちらも描くことができた。

 

BGMの使い方も気になった。楽曲のクオリティではなく、音楽そのものが果たして必要だったか疑問に感じた。ほぼ探査船内と回想シーンだけで構成されている本作からは、BGMは極力そぎ落とすべきだった。音楽の力で観る側の思考や感情に影響を与えるのは映画の技法の一つではあるが、本作本来の極めて思弁的なSFという性格を打ち出すには音楽は邪魔であったように思う。

 

総評

コロナ禍収束の兆しが世界的に見えない。日本も水際対策に失敗した後で水際対策を強化するありさま。帰省についても政府は「慎重に判断を」と言うばかり。Zoom飲み会なるものも提案され、実行された瞬間に廃れた。「直接に出会う」ということの意味が見直されている時代だからこそ、本作のような思弁的な作品が新たな意味を帯びるのだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Depends

That depends. の省略形。意味は「時と場合によりけりだ」である。How long does it take to make curry? = 「カレーを作るのにどれくらいの時間がかかる?」という質問は、レトルトなのか、それともすじ肉のワイン煮込みベースのカレーなのかで、数分から数日まで答えが変わってくる。そうした質問に対して Depends. / That depends. と返すようにしよう。

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, SF, アメリカ, ジョージ・クルーニー, ラブロマンス, 監督:スティーブン・ソダーバーグ, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 ソラリス 』 -会えない人に会うということは?-

『 ビューティー・インサイド 』 -韓流ファンタジーの秀作-

Posted on 2021年5月18日 by cool-jupiter

ビューティー・インサイド 80点
2021年5月15日 Amazon Prime Videoにて鑑賞
出演:ハン・ヒョジュ イ・ドンフィ
監督:ペク

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210518003548j:plain
 

ファンタジーといっても剣と魔法と竜の世界ではない。実験的なラブロマンスと言った方が正しいかもしれない。ハン・ヒョジュの魅力が存分に堪能できるが、それ以上に恋愛や人間関係の本質についての深い考察がある。

 

あらすじ

キム・ウジンは18歳の頃から、寝て起きるたびに顔かたちが変わってしまうようになった。以来、人と会うことができず、交流があるのは母親と親友のサンベク(イ・ドンフィ)だけ。家具のデザイナーとして、ネットを使ってビジネスで生計を立てていた。ある時、家具屋で働くイス(ハン・ヒョジュ)に一目惚れしたウジンは、彼女にふさわしい顔になるのを待って、イスをディナーに誘うが・・・

 

ポジティブ・サイド

ハン・ヒョジュがひたすらに魅力的である。ドラマ『 トンイ 』は全話リアルタイムで観たが、ドラマよりも映画の方が映えるように思う。びっくりするような美人ではないが、いつまでも眺めていたくなる美しさがある。どこか上流階級の匂いを放っているが、嫌味なところが一切ない。Jovianも大昔のガールフレンドに「女の子はいつも不安でいっぱいなんだぞ」と説教されたことがあるが、そうした不安を表す表情も素晴らしいと思う。ハン・ヒョジュを指して清純派女優と評する日本の映画レビューサイトやライターが多いが、何か思い違いをしているように思う。濡れ場を演じないのが清純派ではない。濡れ場を演じても、色気よりも美しさや気高さを感じさせる。清純派とは、そういう女優を指す。その意味では、ハン・ヒョジュは『 ただ君だけ 』でも本作でも証明したように、間違いなく清純派であろう。まあ、濡れ場といっても肝心なところは何も見えない非常にソフトな描写なんだけれどもね。

 

他の主要キャラとしては、ウジンの親友のサンベクがクッソ面白い。邦画のロマンスでは、主人公の男の親友は往々にして物分かりの良い理解者で、非常に清い友情を保っている。だが、このサンベク。中年おばちゃんになってしまったウジンとの会話で、「俺の好きな日本の女優は?」と問い、しかもその答えが「蒼井そら」。笑うしかない。さらに、ウジンとイスのALX事務所でのお寿司デートの現場で、ラブチェアを揺らしながら「やめて、やめて」と日本語で言う。こんなん笑うしかないやん。しかし、この男、バカではない。親友をイスに取られたことの悔しさを隠そうとしない男らしさがある。本物の友情がある。そして、イスに対して本当自分が感じていることを告げるだけの度胸と、イスにどう思われても構わないというだけの度量がある。なぜ邦画はこういう脇役を生み出せないのか。

 

順調に見えたウジンとイスの関係だが、ちょっとしたことをきっかけに綻びが生まれてしまう。だが、ウジンは男というアホな生き物なので、不安な女子であるイスの気持ちが分からない。このあたりのすれ違いには純粋に胸が痛くなる。『 ただ君だけ 』でも、終盤にハン・ヒョジュが主人公に気づかずに行ってしまうという、胸が潰れそうになるシーンがあるが、本作はそれをなぞっている。いや、ある意味では『 ただ君だけ 』以上に辛く悲しい。なぜなら、ウジンには顔がなく、イスもウジンの顔を思い出せないから。触ったり、声を聴いたりしたら認識できるわけではないということがウジンの悲劇性を高めている。

 

しかし、よくよく考えてみれば、我々の顔だって年月とともに変わる。20歳と40歳で全然違う顔になっている者もいれば、40歳と70歳で別人になる者だって珍しくない。人を愛するとは、人を愛することであって顔を愛することではない。『 君の名は。 』で少し述べたが、夫婦とはお互いにしか通じないジェスチャーやパロールを作り上げる過程と言えなくもない。そういう意味で、ウジンとイスの関係は、恋人同士よりも夫婦になってこそ輝くものであるように思う。これは素晴らしい恋愛ファンタジーだ。

 

ネガティブ・サイド

素朴な疑問として、ウジンはどうやって運転免許を取ったのだろうか。18歳で寝るたびに顔が変わってしまうようになったというが、その時は制服を着ていた。つまり高校生だったわけで、車の免許はいつ取ったのだろう。何かそのあたりの描写が欲しかった。

 

終盤でウジンは韓国の外に行ってしまうわけだが、パスポートはどうやって取得したのか。日本ではどんなに早くても申請から受け取りまでは1週間はかかるはず。韓国は1~2日で発行されるのだろうか。仮に同じ顔で受け取れたとしても、渡航先のチェックをどうやって潜り抜けたのだろうか。国内のどこか別の都市で良かったのではないかと思う。

 

総評

韓国映画の極端さが良い方向に出た秀作。超極端な設定ながら、人間関係・男女関係の普遍的な芯は外していないという丁寧なつくり。主役を100人以上が演じながら、違和感を抱かせない演出力。日本ネタや日本語セリフもあるので、韓国映画ファンのみならず、邦画ファンにも堪能してほしい。若いカップルの巣ごもり鑑賞にも適しているし、ベテラン夫婦も大いに楽しめるはずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

There’s no one here by that name.

「ここにそのような名前の者はおりません」の意。電話での応答にも使える。ついつい with that name と言いたくなってしまうが、こういう場合の前置詞は by である。 go by the name of  ~ =「~という名前で通っている」または go by the nickname of ~ =「~というニックネームで通っている」というような時にも by を使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, イ・ドンフィ, ハン・ヒョジュ, ファンタジー, ラブロマンス, 監督:ペク, 配給会社:ギャガ・プラス, 韓国Leave a Comment on 『 ビューティー・インサイド 』 -韓流ファンタジーの秀作-

『 パーム・スプリングス 』 -結婚について考えよ-

Posted on 2021年4月14日 by cool-jupiter

パーム・スプリングス 70点
2021年4月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アンディ・サムバーグ クリスティン・ミリオティ J・K・シモンズ
監督:マックス・バーバコウ

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無名キャストたちが主演を張りながらも、アメリカではかなりの高評価だったことからチケットを購入。タイムトラベルものやタイムループものは出だしは絶対に面白いのだが、着地に失敗することも多い。本作はちゃんと着地できている。

 

あらすじ

結婚式で出会ったナイルズ(アンディ・サムバーグ)とサラ(クリスティン・ミリオティ)は、二人でロマンチックな雰囲気に。しかし、そこへ謎の老人ロイ(J・K・シモンズ)が現れ、ナイルズにボーガンの矢を放つ。ナイルズは「来るな!」と言い残して、赤い光を放つ洞窟の中に消えていく。ナイルズを追って洞窟に入ったサラは、気が付くとその日の朝に戻っていて・・・

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ポジティブ・サイド

同じ一日を何度も繰り返すという作品には『 オール・ユー・ニード・イズ・キル 』があるが、ある意味ではこちらのナイルズの方があちらのトム・クルーズよりも遥かに深刻で、なおかつ状況を楽しんでいる。冒頭のシークエンスから笑ってしまう。起き抜けにいきなり一戦交えるナイルズとそのガールフレンドのミスティだが、ナイルズはまったく興奮しておらず、ミスティも「時間がないから」と言って、ナイルズに自分で出すように言うが、そのそばで”Shit!”を連発するミスティを見つめるナイルズの表情が様々なことを物語っている。物語の中盤以降にこの顔を思い浮かべれば、アンディ・サムバーグの演技力・表現力の豊かさを称賛できるはずだ。

 

ヒロインのサラは大きな目が特徴的な妙齢の女性。しかし、妹が結婚するというのに本人は独身、家族の態度も何やらよそよそしい。パーティーでも一人で延々と飲むタイプで、社交的には見えない。割とすぐに本人の口から語られることだが、いろいろちょっとアレな人なのだ。この序盤の家族、特に父親の言動をしっかりと覚えておくと、終盤の物語の舞台裏(タイムループ現象の謎ではない)が明らかになる瞬間に役立つ。

 

ナイルズがミスティの浮気に傷心して、それを見たサラがナイルズを癒してやりたくなってしまい・・・という部分だけ見ればよくある三文芝居なのだが、ここの作りが非常によく、二人の盛り上がりにリアリティがある。と同時に、実はこのプロット自体が・・・と、これ以上は書いてはいけないんだった。

 

色々あってループ世界を楽しむ二人の様子を観るのはこちらも楽しくなってくる。実際に自分でもこういう行動をとるだろうな、という大胆な行動をとってくれるのだ。だって死んでもリセットされる(一応痛みは感じるらしい)だけで、どんなリスクだって取り放題なのだから。つまり、二人は二人だけの世界で生きているわけだ。というあたりで愚鈍なJovianは、これが恋愛および結婚生活の象徴であることに気が付いた。恋愛をしているときは無敵な感じがする。そして結婚当初もそうである。しかし、だんだんと二人だけの生活を続けていくと、そこに新鮮味を感じられなくなってくる。そうした時にどうすべきなのか。これはある意味で結婚観を問われる映画である。Jovianは結婚とは「その相手と一緒に年を取っていきたいと思えるかどうか」だと考えている。もちろん、「その相手との間に子を持ちたい」だとか「その相手と一緒に子供を育てたい」、「その相手と一緒に笑いたい」、「その相手と一緒に苦労をしたい」など、これは人の数だけ答えがある問いだ。不正解と言える答えはあるだろうが、唯一の正解などというものは存在しない。

 

タイムループもラブコメ要素も普通といえば普通だが、本作のメッセージは「結婚について真剣に考えてほしい」ということなのだろうと受け取った。もしも独身者や「結婚?しねーよ」と言う人は、絵本の『 100万回生きたねこ 』を読んでから、本作を鑑賞されたし。そうすればナイルズの決断について、より深く共感できるようになるはずである。

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ネガティブ・サイド

J・K・シモンズの出番はもっとあってよかった。というか、時々現れて殺しに来ると言いながら、実際にやってくるのは2回だけ。これだけでは拍子抜けだ。もちろん、なぜあんまりやって来ないのかは後から説明されるが、前半で能天気に楽しむナイルズとサラに a change of pace をもたらすために、もう少し高い頻度で殺しに現れてほしい。そうすれば、無意味だと感じてしまうようになる生にも何らかの意味があるはずだと考えるきっかけになったのではないか。

 

素朴な疑問が二つ。一つは、サラがタイムループからの脱出方法を実験するためにヤギを使うのだが、なぜサラはそのヤギがタイムループをしていると知っていたのだろう。あるいは、ヤギを洞窟の赤い光に連れ込んだのだろうか。であれば、その描写はカットしてはいけなかったのではないか。

 

疑問のもう一つは、タイムループの内と外。この終わり方だと、タイムループは実はタイムループではない。あるいは『 アベンジャーズ/エンドゲーム 』のように、時間線=意識線のような時間構造を想定しなければならないが、だとするとサラが独学していた量子力学は・・・まあ、これはタイムトラベルの原理と同じで深く考えてはいけない領域か。

 

総評

余計な登場人物や余計なサブプロットもなく90分でサクッと終わるので非常に観やすい。一部、性的な描写もあるが露骨なものではない(一応、PG12である)ので、高校生ぐらいならデートムービーとして鑑賞することもできそうだし、夫婦で鑑賞すればさらに味わい深くなること間違いなしである。コメディ調でありながら、訴えてくるテーマはシリアス。しかしシリアスさは感じさせず、ライトなノリで最後まで楽しめる。結構な掘り出し物だと思うので、映画ファンならチケットを買われたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

cheat on somebody

日本語でもチートという片仮名で根付いているが、英語ではcheat on somebody = 誰かという相手を裏切って浮気をする、の意味。cheat on Nancyというのはナンシーが浮気相手という意味ではないので注意。この場合、裏切られたのはナンシーである。cheat in an exam=試験でカンニングをする、というのも割と使われる表現である。cheat = 何らかの不正行為を行う、と理解しておこう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, J・K・シモンズ, アメリカ, アンディ・サムバーグ, クリスティン・ミリオティ, ラブコメディ, ラブロマンス, 監督:マックス・バーバコウ, 配給会社:プレシディオ, 香港Leave a Comment on 『 パーム・スプリングス 』 -結婚について考えよ-

『 花束みたいな恋をした 』 -青春と現実の境目が痛い-

Posted on 2021年2月7日2021年2月8日 by cool-jupiter
『 花束みたいな恋をした 』 -青春と現実の境目が痛い-

花束みたいな恋をした 75点
2021年2月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:菅田将暉 有村架純
監督:土井裕泰

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昨今の邦画では珍しい、映画オリジナル作品。それだけで劇場に向かう価値はある。同じように感じた人が多かったのか、MOVIXあまがさきの5番シアターには老若男女が詰めかけていた。実際の映画の仕上がりも標準以上のものだった。

 

あらすじ

大学生の山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)は終電を逃してしまったことから偶然に出会う。サブカル趣味が共通する二人はたちまちのうちに意気投合。やがて付き合うことになるが・・・

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ポジティブ・サイド

 

以下、ネタバレに類する記述あり

 

主演の二人がスターでありながら、まったくオーラを発していないところが素晴らしい。まさに等身大の大学生からひよっこ社会人という感じである。おそらく本作が刺さるのは、菅田将暉や有村架純の同世代ではなく、Jovianのような中年世代の方だろう。少女漫画の実写映画化のプロットやキャラクターの背景からは「ああ、俺にもこんな青春があったなあ」とは思えないが、本作の麦と絹の二人からはそれが濃密に感じられる。はたから見れば何のことか分からない話題で盛り上がれるというのは、特に東京の大学生には重要である。地方から出てきて、全く新しい人間関係をゼロから構築する中で同好の士を見つけることは至上ミッションなのだ。大学の部活やサークル、同好会に居場所を見出せれば良いが、それができなかった場合は外に居場所を見つけなくてはならない。麦と絹は一種のアウトサイダー同士なのだ。麦と絹が互いの文庫本を見せあって破顔一笑するシーンでは、大学時代に栗本薫の『 グイン・サーガ 』シリーズや小野不由美の『 十二国記 』シリーズの話題で盛り上がれる女子に出会ったことを思い出した(その女子とは友達で終わってしまった・・・)。作家や作品名などに固有名詞がバンバン出てくるが、そこは自分なりに脳内で改変して楽しめばいい。これはそういう映画である。

 

麦と絹のフリーター同士の交際から同棲、そして徐々に生活に齟齬が生まれてくる流れも巧みで自然だ。自然と言うのは、よくあることという意味ではなく、誰もが自分なりに置き換えて消化できるエピソードになっているということだ。麦が絹に自作のガスタンク映画を見せてやり、その長さに思わず寝入る絹の寝顔を見つめる麦の表情が印象的で、Jovianは『 ロード・オブ・ザ・リング/旅の仲間 』を有楽町で一緒に観た大学の同級生(友達で終わった女子ね・・・)を思い出した。

 

麦の趣味であり夢であるイラストレーター、絹の趣味である「ラーメンと女子大生のブログ」が、二人の生活に占める割合が変化していく様が演出の妙。イラストで身を立てようとして上手く行かない麦と、ラーメン屋巡りはスパッと辞めてしまったかに見える絹。男は年齢を重ねてロマンチストになるが、女性は年齢を重ねてリアリストになっていくという対比が見えて、上手いなと感じた。就職および仕事を巡っての心の在りようの変化も真に迫っている。『 何者 』でも共演した二人だからこそ、このあたりの芝居も非常にスムーズ。

 

別れのシーンも秀逸。これって俺の話なのか・・・、と困惑させられ、同時に痛く共感させられたのが、別れを切り出された麦が、絹に結婚を提案するところだ。若気の至りなのか、自分も血迷って別れ話の席で全く同じことをしたことがある。脚本家・坂元裕二の体験でもあるのか、それとも男性に普遍的な思考回路なのか。おそらく後者なのだと思うが、このシーンでは我あらず涙ぐんでしまった。その後に二人に別れを決断させる演出は反則。このシーンは絶対にB’zの『 いつかのメリークリスマス 』の最後の歌詞にインスパイアされている。間違いない。勝手に断言させてもらう。若者向けではなく、中年向け映画であると、ここで確信した。

 

劇中、邦画では珍しく駅名や地名がポンポン出てくる。飛田給と言えば東京外大。その昔に何回か合コンしたが、戦果ゼロ。明治大は高校の同級生が通っていたので、何度か訪れたことがある。そして何と一瞬だけではあるが、三鷹市芸術文化センター、通称ゲーセンが映っていたではないか。国際基督教大学出のJovianにとって馴染みのあるスポットである。自分のよく知る景色が出てきたことで、ここでもやはり5点オマケしておく。

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ネガティブ・サイド

いつ頃から、「好きです、付き合ってください」が「付き合ってください」だけOKというふうに変わったのだろうか。15~20年ぐらい前は「好きです」がないと、「付き合ってください」につながらなかったと記憶しているが、いつの間にやら「え、俺らってもう付き合ってるでしょ?」みたいな時代になったのか。『 勝手にふるえてろ 』でも松岡と渡辺のそんなシーンがあったが、本作ぐらい中年層にアピールする作品ならば、その世代の若い頃の恋愛文法に従ってほしかった。

 

冒頭から独白が多すぎるようにも感じた。キャラクターの心情を言葉で観客に効かせるのは悪いことではない。それが効果的であることも多い。けれども、本作のように観る側の経験や記憶、感情を刺激する作りであるならば、すべてを麦と絹に語らせるのではなく、行間に余裕を持たせた語りをさせるべきではなかったか。

 

引っかかったのは、麦が絹の髪をドライヤーで乾かしてやるところ。女性の髪に触るという行為は、めちゃくちゃハードルが高い行為に思えるのだが。俺が立派なオッサンの完成だからかな。このエピソードは三日間セックスしまくった後のシャワー後の方がよりリアリティがあったのでは?

 

自称・映画好きが『 ショーシャンクの空に 』を挙げるシーンで麦も絹も表情が凍り付くが、別ええやんけ・・・。『 ショーシャンクの空に 』も、別に最初から大ヒットしたわけじゃなく、徐々に人気が上がっていったメインストリームではなかった作品。ここは『 スター・ウォーズ 』とか『 アベンジャーズ 』と言わせるべきだった。

 

総評

劇場にたくさん来ていたが、10代20代には積極的にはお勧めしない。『 僕の好きな女の子 』同様に、30代40代にこそ観てほしいと個人的に思う。ハッピーエンドでもなくバンドエンドでもない。人生の中で確かにそこにあった青春を、時をかけて慈しめるようになった世代向けの作品。鑑賞後、なぜか無性にB’zのミニアルバム『 FRIENDS 』を聞きたくなった。中年男性B’zファンなら共感してくれるものと思うし、そうでなくとも青春の1ページを確かに思い起こさせてくれることだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Those were the days.

劇中の「楽しかったね」の私訳。『 ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打上げ計画 』でも紹介した表現。語学学習はある程度の丸暗記が必要だが、一定以上のレベルに達したら状況とセットで理解することを目指すべし。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ラブロマンス, 日本, 有村架純, 監督:土井裕泰, 菅田将暉, 配給会社:リトルモア, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 花束みたいな恋をした 』 -青春と現実の境目が痛い-

『 ミッドナイト・イン・パリ 』 -時よ流れよ、お前は美しい-

Posted on 2020年12月4日 by cool-jupiter

ミッドナイト・イン・パリ 70点
2020年12月2日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:オーウェン・ウィルソン レイチェル・マクアダムス マリオン・コティヤール レア・セドゥー
監督:ウッディ・アレン

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近所のTSUTAYAで秋の夜長フェア的にリコメンドされていた作品。今はもう秋ではなく冬だろうと思ったが、久しぶりにウッディ・アレンでも鑑賞して天高く馬肥ゆる秋の夜長の気分だけでも味わおうと思った次第である。

 

あらすじ

脚本家のギル(オーウェン・ウィルソン)は婚約者イネズ(レイチェル・マクアダムス)とその両親と共にパリに旅行に来ていた。深夜のパリで偶然に乗り込むことになったクルマは、なんとギルを1920年代のパリに連れて行き、多くの歴史上の作家や芸術家と交流することに。それ以来、ギルは夜な夜なパリの街に繰り出しては、不思議な時間旅行に出かけて・・・

 

ポジティブ・サイド

画面に映し出されるパリのあれやこれやが精彩を放っている。パリではなく巴里と表記してみたい。そんな風情にあふれている。パリに暮らしている人間の視点ではなく、パリに憧れる人間の視点である。『 プラダを着た悪魔 』でも描かれたが、アメリカ人もフランスに憧れ抱くのだ。

 

ギルが夜ごとに体験する1920年代の華やかなりしパリの街と歴史的な文化人との交流は、見ているだけでエキサイティングだ。その一方で、昼の現実世界で見て回る芸術作品は物の鑑賞になってしまっている。そして、ギルとイネズの共通の友人であるポールがクソつまらない蘊蓄を喋ること喋ること。どこかで見たような奴だなと思ったら、なんのことはない、自分である。現実のJovianも時々こうなっている。人の振り見て我が振り直せ。

 

昼間の現実と夜の過去世界。ヘミングウェイやサルバドール・ダリがカリカチュアライズされる一歩手前で生命を与えられているのがウッディ・アレンらしいところ。個人的にはT・S・エリオットの登場シーンに痺れた。幻想的な雰囲気の中、ギルがある人物に重要なヒントを与えたり、あるいは現実の世界の小説の描写に心臓が止まるほどの衝撃を受けたりと、徐々に虚実皮膜の間がぼやけてくる感覚にゾクゾクさせられる。同時に、現在ではなく過去に囚われることの愚かしさや恐ろしさも感じられ始める。といっても極度の不安や恐怖がもたらされるわけではない。今そこにある現実から逃避することは誰にでもあるが、その「誰にでもあること」を客観視した時、本当に大切なことが見えてくる。ゲーテは『 ファウスト 』をして「時よ止まれ、お前は美しい」と言わせたが、ウッディ・アレンは「時よ流れよ、お前は美しい」と言うのかもしれない。

 

秋の夜長にはちょうど良い作品。本質的には『 レイニーデイ・イン・ニューヨーク 』と同じで、主人公はウッディ・アレン自身の欲望・願望の投影だろう。歴史に名を刻んだ文化人と交流し、魔性の女と恋に落ち、婚約者と別れて、しかし現地で偶然に出会った女性と恋の予感を漂わせる。これがアレンの願望でなければ何なのか。多くの男性はアレンと己を重ねることだろう。

 

ネガティブ・サイド

ヘミングウェイの言う「真実の愛は死を少しだけ遠ざける」という哲学の開陳には眉をひそめざるを得なかった。Jovianは東洋人であるからして仏教が説くところの愛別離苦の方がしっくりくる。愛しているからこそ永遠の別れ=死が怖くなる、って聖帝サウザーか・・・

 

フィアンセのイネズのキャラが少々うるさすぎた。もちろん、ウッディ・アレンその人が嫌いなタイプを具体化したキャラクターに仕上がっているわけだが、それが行き過ぎているように感じた。ラスト近くでギルと破局する前に、とんでもない逆ギレをしてくれるが、そこは最後に「こう言えば満足?」ぐらいの台詞を最後につけてほしかった。色々な経験を積んできたギルはこれに動じなかったが、普通の男ならば精神の平衡を保つことができないほどの痛撃を心に食らったはずである。

 

総評

巴里に行ってみたくなる映画である。パリではなく巴里。Jovianの嫁さんはその昔、ルーブル美術館の女性職員に「英語を喋るな、フランス語で喋れ」と言われたことを今も憤慨している。いつかヨーロッパを旅行できるようになったら、嫁さんのリベンジを果たすためにも、そして深夜の巴里をぶらつくためにも、フランスに行ってみたい。そして『 シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい! 』のエドモン・ロスタンと幻想の世界で語らってみたいものである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

come out of left field

野球由来の慣用表現。外野の左翼からやって来る=突然に予期しないことがやって来る、の意。しばしば、

This might be coming out of left field, but …

こんなことを言うと唐突かもしれないけれど・・・

のような形で使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, アメリカ, オーウェン・ウィルソン, スペイン, マリオン・コティヤール, ラブコメディ, ラブロマンス, レア・セドゥー, レイチェル・マクアダムス, 監督:ウッディ・アレン, 配給会社:ロングライドLeave a Comment on 『 ミッドナイト・イン・パリ 』 -時よ流れよ、お前は美しい-

『 ジオラマボーイ・パノラマガール 』 -主題にフォーカスを-

Posted on 2020年11月11日2022年9月19日 by cool-jupiter

ジオラマボーイ・パノラマガール 40点
2020年11月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山田杏奈 鈴木仁 森田望智
監督:瀬田なつき

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『 リバーズ・エッジ 』の原作者・岡崎京子の作品を瀬田なつきが脚本および監督として映画化。岡崎京子の作品にそれほど親しんできたわけではないが、それでも本作は原作の読み込み不足あるいは瀬田監督自身の自分のカラーの出し過ぎであることは分かる。主題が読み取れないのだ。

 

あらすじ

渋谷ハルコ(山田杏奈)はある夜、倒れている神奈川ケンイチ(鈴木仁)に一目惚れしてしまう。これは世界の運命をも変えてしまう恋に違いないと舞い上がるハルコ。しかし、ケンイチはマユミ(森田望智)というオトナの女性に強く惹かれており・・・

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ポジティブ・サイド

『 わたしに××しなさい! 』や『 小さな恋のうた 』で確かな存在感を示してきた山田杏奈が主演だと、テアトル梅田のパンフレットで知った。ならば、あらすじも不要だし、トレイラーも劇場で目に入ってきたもの以外はシャットアウト。その上で鑑賞した。山田杏奈のありふれた女子高生としての存在感には説得力があるし、恋に恋をするという乙女チックな顔も上手く描出できていた。

 

ラストの手前、早朝の街をトボトボと歩く際の「つまらない男とつまらないセックスをしてしまった」という顔の演技は素晴らしかった。10代でこれだけ細やかな顔面の演技ができる役者は珍しいと思われる。瀬田監督が山田からこの顔を引き出すことができたのなら、それは自身の体験談をよくよく彼女に言い聞かせたのだろう(と下世話な邪推をしてみる)。10代俳優の中ではフロントランナーであることは間違いない。

 

謎めいた女性ナオミを演じた森田望智も独特の存在感を発揮した。最初はチョイ役なのかと思ったが、物語が進むにつれて「ああ、こういう話なのか」とすんなりと納得できた。それはナオミの放つ妖艶な雰囲気によるところが大で、童顔かつ幼児体形なハルコ(あくまで比較の上である)とのコントラストが大いに際立っていた。それは容姿だけではなく、異性との向き合い方、恋愛観やセックス観にも当てはまり、10代同士のピュアな恋物語の予感を良い意味でも悪い意味でも叩き壊している。『 影踏み 』の中村ゆりのような30代に成長していってほしいものである。

 

無秩序な東京の街の片隅で秘かに繰り広げられる人間模様だけは、それなりにしっかり描けていたのではないか。

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ネガティブ・サイド

なんでこんなにキャラクターがどいつこいつも、文字通りにクルクルと回るのか。舞台劇のノリなのか。特定キャラクターだけの動きであれば、そのキャラの特徴なのかなとも感じられるが、誰もかれもがクルクル回るのは不自然以外のなにものでもない。

 

一体全体、いつの時代にフォーカスしているのか。全体的に初期平成臭が漂う。小沢健二の“ラブリー”とは古すぎる。おそらく「いつか誰かと完全な恋に落ちる」ということを強調したいのだろうが、今どきの女子高生が小沢健二を歌うだろうか?やっているゲームも最新作であるが、ストⅡ。それもコンソール型。一方で、インスタグラムやタピオカも同時に存在している。様々な点で時代とガジェットにずれを感じてしまうのである。

 

神奈川ケンイチというキャラクターの思考や行動の原理も謎だ。いきなり高校を辞めるのは、まあ、そういう衝動に駆られることもあるだろうと一応の納得はできるが、男性教師にキスをすることに何らかの意味があるのか?「だって17歳なんですから」というケンイチの台詞は何も説明していない。ここからゲイへの道を歩んでいく、あるいは『 サタデーナイト・チャーチ 夢を歌う場所 』のようにクィアの世界に旅立っていくというのなら、全く違和感はない。しかし、まず最初にやることがスケボー、そしてナンパ。ここでもノリが平成である。90年代&スケボーなら『 mid90s ミッドナインティーズ 』で十分に満たされた。

 

ハルコというキャラの見せ方も古い。一目惚れを表現するのに、雷鳴の効果音というのはどうなのだろうか。しかも音だけ。そうした演出が全編で満遍なく使われているというのならそれも構わない。それが本作のテーマにマッチする作劇術だと監督が判断したのだろうから。しかし、その後にそんな演出は皆無。どうせ一か所だけ馬鹿馬鹿しいのなら『 岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇 』のような落雷演出でもすればよかったのではないか。それに友達2人と一緒に常に3人組というのも冗長だ。実際に一人はクラブの後にフェードアウト。だったら最初から親友は一人でいい。Jovian嫁も「親友2人おって、片方は誕生日パーティーに呼んで、もう片方は呼ばへんなんかありえへん」と全く納得していなかった。

 

もっとも意味が分からないのは「知的生命体がいるとされる小惑星の接近」である。成海璃子のキャラが自分たち家族の写真を眺めるハルコに「それね、今となっては貴重でしょ」という思わせぶりな台詞や、ケンイチが学校を辞めたのと同じノリで自殺してしまう学生のニュースなど、何か一筋縄ではいかない世界観が暗示されるが、それがすべて無秩序に拡大する東京のスプロール現象にかき消されている。この世界観も90年代まんまだが、オリジナルを尊重するにせよ自身の解釈を盛り込むにせよ、やるならもっと上手にやるべきだろう。ケンイチの部屋のポスターが『 2001年宇宙の旅 』とはこれいかに。だったら『 E.T. 』、『 未知との遭遇 』、『 遊星からの物体X 』、『 妖星ゴラス 』、『 ブロブ/宇宙からの不明物体 』、『 アルマゲドン 』など、宇宙から何かが地球に接近しつつあることを暗示する映画のポスターを貼るべきではないのか。

 

最初から最後まで、一貫して世界観についていけないし、一部のキャラクターの行動原理が理解できない。端的に言って映画化失敗であろう。

 

総評

映像もストーリーもキャラクターも中途半端である。おそらく瀬田監督自身、原作を十分に消化しきれていないのではないか。しかし、発展途上の才能たちの演技に魅力を感じたり、あるいは岡崎ワールドの造詣が深い人であれば、本作を十二分に堪能することができるかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Are you having fun?

成海璃子がクラブで山田杏奈に言う「楽しんでる?」という台詞。Have fun. = じゃあね、楽しんできてね、という使い方も併せてマスターしておきたい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, ラブロマンス, 山田杏奈, 日本, 森田望智, 監督:瀬田なつき, 配給会社:イオンエンターテイメント, 鈴木仁, 青春Leave a Comment on 『 ジオラマボーイ・パノラマガール 』 -主題にフォーカスを-

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