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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: ホラー

『 ザ・スイッチ 』 -コメディ・ホラーの良作-

Posted on 2022年6月5日 by cool-jupiter

ザ・スイッチ 70点
2022年6月1日 レンタルBlu rayにて鑑賞
出演:ヴィンス・ヴォーン キャスリン・ニュートン
監督:クリストファー・ランドン

公開時、MOVIXあまがさきで見逃してしまった作品。コメディ色の強いヴィンス・ヴォーンが殺人鬼・・・ではなく殺人鬼の体に乗り移った女子高生を演じる。この設定だけで惹きつけられるではないか。

 

あらすじ

冴えない女子高生ミリー(キャスリン・ニュートン)は、ホームカミングの夜に伝説の殺人鬼ブッチャー(ヴィンス・ヴォーン)に襲われる。しかし、不思議な短剣がミリーの肩に突き立てられた瞬間、二人の体が入れ替わってしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭から夏恒例の糞ホラー映画そのままの展開。酒を飲みながら怪談に興じ、セックスに耽る。これは100%死ぬサインである。ここでの殺しのシーンもなかなかグロテスクで見応えがある。内気な少女が運悪く連続殺人鬼に襲われるところまではあらすじにある通りだが、そこに至るまでにミリーの家族関係、学校での人間関係、そして物語上の重要な伏線の全てが無理なく詰め込まれている。なかなか練られた脚本である。

 

入れ替わり後は、ミリーのパートはホラーに、ブッチャーのパートはコメディとなる。ここでの主役二人の演技は見物である。見る者すべてを獲物として捉えるサイコパスの目をしたミリーは、あらゆる場面で惨劇の予感をもたらす。一方で巨大中年殺人鬼のブッチャーは、その表情、しゃべり、所作、立ち居振る舞いの全てが女子校生で、その一挙手一投足に笑ってしまう。この入れ替わってしまった二人が元に戻るためにスラップスティック・コメディとスプラッター・ホラー的な展開が同時進行するというところが独特で秀逸。特にブッチャーの体に入ってしまったミリー/ブッチャーが、親友のナイラとジョシュに自分こそがミリーだと信じてもらうために奮闘する一連の流れには笑わずにはいられない。一方で、ブッチャー/ミリーが気に食わない教師を殺害するシーンは、まさに『 13日の金曜日 』。

 

24時間以内に儀式を行わないと、両者の魂は入れ替わったまま。儀式のために奮闘するミリー/ブッチャーとナイラ、ジョシュの3人と、その周囲の人間も巻き込んで物語は加速する。友情あり、恋愛あり、見失っていた家族愛の再発見ありと、これでもかと詰め込みつつも、軽妙なテンポで物語は進んでいく。序盤のちょっとした一言が大きな伏線になっているなど芸も細かい。最後の最後まで観る側を飽きさせはしないぞ、というサービス精神も嬉しい。

 

設定だけで勝負しているように見せて、さにあらず。ヴィンス・ヴォーンは思いっきり女子校生になりきっているし、キャスリン・ニュートンはシリアルキラーが憑依したかのような鬼気迫る演技を見せる。映画を良作にするのは、脚本と演技の両方だなとあらためて得心した。

 

ネガティブ・サイド

冒頭以外の殺害シーンにゴア要素が足りない。いけ好かない技術の教師をブッチャー/ミリーが殺すシーンは、それこそ精巧な人体模型を作って撮影してほしかった。『 ザ・ハント 』のような低予算映画でも内臓やら血しぶきやらが飛び散るシーンには力を入れていたのだから、本作でも頑張って欲しかった。パーティーの裏で殺される男子3人も同様。あまりやりすぎると、ミリーがミリーの体に戻った時にピンチに陥ってしまうのは分かるが、そんなことまで気にする視聴者はいない。

 

終盤でダンス・パーティーが中止にされてしまうが「廃工場でやればいい」というブッチャー/ミリーのアイデアにまるで全校生徒が乗ったのかというぐらいに人が集まったが、あれだと兄弟姉妹や友人などを通じて一発で親や警察にばれるだろう。魂の入れ替わりという非現実な設定のためにも、その他のプロットは極力現実的にすべきだった。

 

総評

コロナ禍の最中に劇場公開されたホラー映画という点で『 ウィッチサマー 』と重なるが、完成度はこちらの方がはるかに上。ゴアに課題を残すも、ティーンの友情や家族愛もしっかり描写されるし、若い男女の淡い恋愛を、少年と中年オヤジの形で描いてしまうのには、笑ってしまいつつも感動してしまう。コメディ色が薄れつつあった近年のヴィンス・ヴォーンが原点に立ち返った面白コメディである。冒頭の血みどろの殺人シーンさえクリアできれば、ティーンの友情物語を堪能できるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Que Será, Será

What will be, will be. の意。英語スペイン語とでも言おうか。意味としては「なるようになる」で ”Let it be” に近い。元々のスペイン語にはない表現。その意味では『 ターミネーター2 』の ”No problemo” 的であるとも言える。「ケセラセラ」自体は日本語にもなっているはずだが、大学生ぐらいの若者にはまったく通じない。これは世代のせいなのか、それとも時代のせいなのか。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, ヴィンス・ヴォーン, キャスリン・ニュートン, コメディ, ホラー, 監督:クリストファー・ランドン, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 ザ・スイッチ 』 -コメディ・ホラーの良作-

『 ダニエル 』 -イマジナリーフレンドの恐怖-

Posted on 2022年5月14日 by cool-jupiter

ダニエル 65点
2022年5月11日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マイルズ・ロビンス パトリック・シュワルツェネッガー
監督:アダム・エジプト・モーティマー

近所のTSUTAYAの準新作コーナーで発見。100円クーポンで借りてきた。なかなか面白いではないか。

 

あらすじ

家族に問題を抱えるルーク(マイルズ・ロビンス)は、自分の家を出て大学に入学する。しかし、社交性の無さから上手くいかない。ルークは、少年時代に母親によって封じ込められたイマジナリーフレンドのダニエル(パトリック・シュワルツェネッガー)に助けを求める。ダニエルの助言によって前向きになれたルークは友人や恋人もでき、順風満帆な生活を満喫するようになったが・・・

 

ポジティブ・サイド

主演のマイルズ・ロビンスは『 テルマ&ルイーズ 』のスーザン・サランドンと『 ショーシャンクの空に 』のティム・ロビンスの子だという。二世俳優なわけだが、オーラのようなものは一切感じさせない、いわゆる陰キャがよく似合っている。対するは『 ミッドナイト・サン タイヨウのうた 』のパトリック・シュワルツェネッガー、言わずと知れたアーノルド・シュワルツェネッガーの息子で、父親譲りのカリスマ性を見せつつも、影や闇を感じさせるキャラを好演した。

 

イマジナリーフレンドは多重人格と同じく、それ自体が解き明かされるべき謎であることが多いが、本作ではそこから一歩踏み込んで、イマジナリーフレンドに翻弄され、支配される恐怖を描いている。ただし、そこに至るまでにダニエルによってルークが世界へと一歩を踏み出し、様々な人間関係を作り上げていく、信頼や尊敬を得ていく過程が詳細に描かれる。そこにフェアな伏線も張られている。ダニエルはイマジナリーフレンドなのか、それとも何かそれ以上の存在なのか?

 

ダニエルの支配が始まるにつれて、ルークが自身のメンタルを疑い、そのルーツを母親に求める流れも悪くない。二重人格を幼少期の虐待に帰するというのは定番中の定番だが、イマジナリーフレンドを一種の「遺伝性の疾患」だと捉えるのはユニークだと感じた。これによって、築き上げてきたポジティブな人間関係が一気に悩ましいものに転化した。

 

ダニエルの正体が陳腐であることは否めないが、そこに至る過程のサスペンスやホラーの要素は結構楽しめる。体の移り変わりや口を引き裂いての体内侵入シーンなどは、低予算映画にしてはかなり頑張っているほうだろう。最後の対決シーンも客観的に見れば子供騙しだが、そう感じさせない脚本やキャラクター設定の妙がある。万人受けはしないだろうが、ロビンス2世やシュワちゃん2世がもっと売れてくれば、再評価されるようになりそうな作品。

 

ネガティブ・サイド

ちょっとBGMや効果音が過剰だと感じた。特に人間の心理的な弱さを突くタイプのサスペンスやホラーは、音をもっと控えめにして、観る側・聞く側の自己内対話をそこはかとなく促すべきだと思う。

 

ダニエルによる虚々実々のルーク指南にもう少し時間をかけても良かったと感じる。幼少期に封じ込めた友人にしても、ある程度の年齢に達してから打ち解けるというか、受け入れるのがあまりにも早すぎた。序盤でもう少しルークがカウンセラーとダニエルの間でどっちつかずのような状態を呈していれば、ダニエルの悪魔的な魅力やカリスマ性がもっと際立ったはず。

 

総評

色々と甘いところも多いが、作り込まれているところは作り込まれている。予算がないということは、逆に制作側がやりたいことを反映しやすいということなのだろう。『 ドクター・スリープ 』や『 悪魔を憐れむ歌 』、『 シェルター 』を楽しめたという人なら、本作もそれなりに楽しめるに違いない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

nail it

それを釘付けにする、それを釘で打つという意味だが、実際は「上手くいく」、「成功する」という意味。強調する時には nail the shit out of it と言ったりもする。

Matt Reeves directed the new Batman movie and nailed the shit out of it.
マット・リーブスは新しいバットマン映画を監督し、大成功を収めた。

のように使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, パトリック・シュワルツェネッガー, ホラー, マイルズ・ロビンス, 監督:アダム・エジプト・モーティマー, 配給会社:フラッグLeave a Comment on 『 ダニエル 』 -イマジナリーフレンドの恐怖-

『 N号棟 』 -国内クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補-

Posted on 2022年4月30日 by cool-jupiter

N号棟 10点
2022年4月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:萩原みのり 筒井真理子
監督:後藤庸介

超絶駄作である。ジャパネスク・ホラーは夜明け前どころか丑三つ時にすらなっていないのではないか。『 成れの果て 』の萩原みのりを目当てにしていたが、チケット購入ではなくポイント鑑賞。その判断は正しかった。

 

あらすじ

死恐怖症を抱える女子大生の史織(萩原みのり)は、元カレが卒業制作のロケハンのために廃団地に行くというので、強引について行く。団地の敷地に入るも、そこには住人が住んでいた。史織が「入居希望者です」と言うと、管理人らは親切に団地を案内してくれるが・・・

以下、ネタバレあり

 

ポジティブ・サイド

安楽死あるいは尊厳死の是非に対する一つの回答を呈示した点だけは評価できる。もう一つだけ評価するのは、萩原みのりの cleavage ぐらいか(Silly me! = アホな俺)。

ネガティブ・サイド

冒頭から『 ポルターガイスト 』へのオマージュと思しき真夜中のテレビの砂嵐画面だが、ちょっと待て。アナログ放送は2011年に終了している。だったら本作はGoogle Earthリリース(2005年)よりも後で、2011年よりも前?いや、スマホでGoogle Earthを使って、地方の一地点にピンを貼って、しかも人間の顔が見えるほどの高解像度の画像が得られるようになったのは震災後、2015年だとか、そのへんだったはず。冒頭の時点から「いつの時代だ、これは?」と思い、物語に入っていけなかった。

 

肝心の団地も全然怖くない。二番煎じと言われようと『 呪怨 』のようなコテコテのホラーっぽさが必要だった。親切そうな団地の面々が態度を豹変させるのも中途半端。地方の人間が突然に不機嫌になる、あるいはよそよそしくなる様については、後藤庸介監督は横溝正史を読むなどして勉強した方がいい。

 

団地の幽霊(?)も、これまた怖くない。ジャンプ・スケアにありがちなびっくりさせる効果音を多用しなかったが、それがあっても怖くなかっただろうし、あってもやはり怖くなかっただろう。というのも、すべてがテンプレ通りというか、ここでこうなりそうだ、という予感が全部的中するから。別に自画自賛しているわけではない。ちょっと映画を観慣れた人なら、次の展開、次の演出を容易に想像できるだろう。これで怖がれというのは無理がある。

 

無理があるのは団地の仕組み(?)も同様だ。謎の投身自殺はそれはそれで不気味だが、なぜ肝心の死体にクローズアップしない?なぜ肝心の死体を映さない?この人は死んだ、間違いなく死んだという印象を観る側に焼き付けるショットや演出がないために、その後の展開に驚きや戸惑いが生まれない。また、ことあるごとにカメラを回させる史織だが、役立たずの元カレが死体を撮影しないために、史織がタナトフォビアであるがネクロフォビアではない、むしろネクロフィリア的な気質が備わっているという重要な事実を描写する機会を逸している。脚本上の致命的なミスだろう。この描写が欠けているせいで、その後の史織の活劇がすべてギャグに見えてしまう。

 

白日の下でのランチや謎の踊りは明らかに『 ミッドサマー 』へのオマージュだろうが、完全に空回りしている。やるなら徹底的に白い太陽に映える白い装束、そして一糸乱れぬ踊りが名状しがたい不安感を呼び起こす。そんなシーンを模索すべきだった。それに『 ミッドサマー 』へのオマージュなら

1)死体の損壊

2)セックスシーン

この2つの方が本作には合っていたはずだ。1)については、せっかくそれらしいシーンがあったのに何もかもが中途半端(「俺だって、こんなことやりたくねー」の男はその後どうなったのだ?)。2)は、それこそ団地に泊まる羽目になった史織と元カレが、怪奇現象からの現実逃避のために肉欲に溺れるという絶好のサブプロットが追求できたはずなのに、あっさりとそれもパス。がっかりである。

 

一番意味不明なのは、死者が蘇ってくる前に、団地の住民全体でヒステリーを起こすところ。なんか意味あるの?シュールすぎて怖くないし、かといって笑えるでもない。まったくもって意味不明。この絵が恐怖を喚起すると思っていたのなら、後藤監督は金輪際ホラーには手を出さない方がいい。だいたい幽霊も、物を落としたり窓を開けたりはしても、直接危害を加えてくることがゼロなのだから、怖がりたくても怖がれない。というか、筒井真理子の恋人役の霊(?)と肉体、あれはどういう関係?死体の処理は?意味わからん・・・

 

幽霊と暮らしているから死は怖くないという理論は理解できなくもないが、それは史織の抱えるタナトフォビアの解決にはならないだろう。それこそ『 シックス・センス 』のような、「実はもう死んでました」路線で行くべきではなかったか。または『 カメラを止めるな! 』のように、ある時点までの展開はすべて映像作品でした、この映像を使って、観た人を団地におびき寄せます・・・のようなプロットは模索できなかったか。「自分ならここはああする、あそこはこうする」と必死に考えることでしか眠気と格闘できなかった。それぐらい酷い作品である。

 

総評

こんなクソ作品に時間もカネも費やすべきではない。言葉は悪いが、ダメな監督がダメな脚本を映画にしたとしか言えない。2022年に関しては『 大怪獣のあとしまつ 』という couldn’t be any worse な作品が存在するのが救いだが、そうでなければクソ映画オブ・ザ・イヤーの最右翼である。予告で流れてきた『 “それ”がいる森 』は、果たして本作を上回るか、下回るか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. This was such an awful movie that I need to forget it as soon as possible.

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, ホラー, 日本, 監督:後藤庸介, 筒井真理子, 萩原みのり, 配給会社:SDPLeave a Comment on 『 N号棟 』 -国内クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補-

『 エイリアン 』 -SFとホラーの完璧な融合-

Posted on 2022年4月10日 by cool-jupiter

エイリアン 90点
2022年4月4日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:シガニー・ウィーバー トム・スケリット 
監督:リドリー・スコット

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220410160215j:plain



小学生の頃に親父とVHSで観た。その後も何度か観た記憶があるが、とにかくチェスト・バスターのシーンが強烈すぎて、まともに観られなかったことだけはよく覚えている。同時期に確かジェフ・ゴールドブラム主演の『 ザ・フライ 』もテレビか何かで観て、そちらも小学生にはトラウマだった。今回、あらためて本作を鑑賞して、大傑作である。『 プロメテウス 』、『 エイリアン: コヴェナント 』の流れでこの古典的傑作をレンタル。大学の新年度開講前という超絶繁忙期だが、repeat viewingしてしまった。

 

あらすじ

貨物船ノストロモ号は謎の信号を受信、クルーは惑星LV-426に向かう。異星文明の宇宙船内部でクルーの一人が謎の生物に襲われ昏睡状態に。回復したかに見えたクルーの胸部からエイリアンが誕生。航海士リプリー(シガニー・ウィーバー)たちはエイリアンの駆除に乗り出すが・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭の宇宙船のシーンは『 スター・ウォーズ 』そっくりだが、これは両者が『 2001年宇宙の旅 』に強烈にインスパイアされているからだ。宇宙とは未知の空間で、未知であることは恐怖あるいは畏怖の対象になる。エイリアンという存在が恐怖の成分を完璧なまでに体現しており、宇宙船という典型的なSFのガジェットが、嵐の山荘や絶海の孤島といったクローズド・サークルになっており、そのことがミステリ要素とホラー要素をこれでもかというぐらいに際立たせている。

 

その宇宙船の造形は内部も外部も完璧である。CGでは出せない質感がありありと感じられ、それが物語の迫真性を大いに高めている。またLV-426に不時着している異星文明による宇宙船のあまりにも不吉すぎる外観と内部も、ホラー映画としての本作の価値を高めている。特にスペースジョッキーの謎のミイラは、死体発見=ミステリという定石通り。そこからフーダニットを否応なく考えさせられるが、本作は謎を謎のままに徹底したホラー路線へ舵を切ることで宇宙の神秘と恐怖を一挙に増幅させた。

 

1970年代といえば『 スター・ウォーズ 』と同世代。つまりCGなどなかった時代。だが、フェイス・ハガーやチェスト・バスター、ビッグチャップの造形も息を呑むほどのおぞましさ=素晴らしさ。H・R・ギーガーが手がけたこれらのデザインが構成に及ぼした影響は枚挙にいとまがない。Jovianの世代であればゲームの『 メトロイド 』が一例だし、もっとメジャーなところで言えば漫画『 ドラゴンボールZ 』のフリーザの第3形態もゼノモーフをモチーフにしていることは疑いようがない(鳥山明の作品は様々な古典映画の intertextuality の見本市である)。このエイリアンの造形の巧みさが「怖い、見たくない」と「怖い、けどもっと見たい」という二律背反の欲求を呼び起こす。

 

このエイリアンが、一人また一人とクルーを殺戮していくシーンは、ホラー映画の文法に非常に忠実。宇宙そして宇宙船という環境で怪物が人間を殺していくというのは、言葉にすると陳腐もしくはギャグに感じられるが、それらが完璧なマリアージュを果たすとこれほどの傑作になるのだと証明したリドリー・スコットの功績は果てしない。

 

アンドロイドと船を統括するマザーという人工知能の存在も、現代の視点からは逆に新鮮に映る。人工知能が人間をリードし、人間がその助言や指令を受け入れるという世界観は確実に浸透しつつある。チェスや将棋の世界ではAI無しには研究はもはや成り立たない。医学や天文学の分野でもデータ分析や画像解析はAIの独擅場である。電車や自動車でも自動運転に実現の目途が立ちつつあり、船や飛行機、さらには宇宙船も時間の問題だろう。

 

アンドロイドのアッシュの一種の反乱は、政府ではなく超巨大企業が世界を牛耳るようになりつつある現代の延長線上の近未来への警告と受け取れなくもない。また個人的にいたく感心したのが、リプリーがノストロモ号のマザーコンピュータに”You, bitch!”と叫ぶシーン。母 vs 母 という構図は『 エイリアン2 』のものだと思っていたが、実は本作の時点でそうした対決の萌芽が見られていた。これを見事に引き継いだJ・キャメロンには流石である。

 

これを映画館で観られた人が羨ましい。Jovianが生まれた年に公開された作品だが、どこかでリバイバル上映してくれないだろうか。

 

ネガティブ・サイド

会社の指令でLV-426に降り立つわけだが、そのことをウェイランド社に報告する様子がない。また、ジョン・ハートが最初に死んだ時にも会社に報告する必要があるのではないだろうか。

 

総評

『 エイリアン 』シリーズをひとつも観たことがなくても、エイリアンと聞けばグロテスクな宇宙生物をイメージする人は多いだろう。それが本作の持つ影響力の大きさである。事実かどうかは定かではないが、外国人登録の訳語として Alien Registration が使われていたが、本作公開後に一部の自治体では Foreign Registration に変えた、という話を聞いたことがある。 とにかく様々なジャンルのメディアに計り知れない影響を及ぼしたのである。コロナ禍の原因、それに対する一つの実験的対処として本作を鑑賞することも可能である。時代を超えた名作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

quarantine

「隔離」「検疫」の意。2020年以降に最も知られるようになった語彙の一つだろう。元々はラテン語の quadraginta = 40 から来ている。Valentine(ヴァレンタイン)とつづりが似ているが、発音はクウォランティーンである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1970年代, S Rank, SF, アメリカ, シガニー・ウィーバー, トム・スケリット, ホラー, 監督:リドリー・スコット, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 エイリアン 』 -SFとホラーの完璧な融合-

『 牛首村 』 -ジャパネスク・ホラー完全終了-

Posted on 2022年2月23日 by cool-jupiter

牛首村 10点
2022年2月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:Kōki, 萩原利久 芋生遥
監督:清水崇

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220223194100j:plain

『 犬鳴村 』、『 樹海村 』に続く「恐怖の村」シリーズ第3弾。ジャパネスク・ホラーに一抹の希望を抱いて観たが、前二作に負けず劣らずの超絶駄作だった。 I gave up on 清水崇. 

 

あらすじ

奏音(Kōki,)はボーイフレンドの蓮(萩原利久)に、心霊スポット潜入動画を教えてもらう。そこには自分と瓜二つの女子高生が映っており、しかもそこで行方不明になっていた。何かを感じ取った奏音は蓮と共に撮影が行われた廃墟のある富山県へと向かうが・・・

 

以下、ネタバレあり

ポジティブ・サイド

飛び降りシーンが何度もリフレインされるところは少しだけ disturbing だった。

 

芋生悠が渾身の顔芸を披露しており、そこは評価せねばなるまい。『 犬鳴村 』の無表情なブレイクダンスは、怖さよりも滑稽さが遥かに優っていて、そこはさすがに反省材料にしたのだろうと思う。 

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ネガティブ・サイド

まず牛の首というのがよく分からない。牛首村と最初の心霊スポット潜入につながりがない。『 樹海村 』は青木ヶ原樹海、『 犬鳴村 』は犬鳴トンネルと、分かりやすい元ネタがあった。一方で、牛の首というのは???肝心の牛首村も、別に牛を飼っている様子はなく、この牛の首というものに最初から最後まで必然性が感じられなかった。「牛の首」という怪談の中身がすっからかんだったのと同様、物語もすっからかんという印象。

 

いまさら双子がどうこうとか何周遅れの『 シャイニング 』へのオマージュなのか。それにクソ田舎の集落に双子が生まれすぎ。集団心理もあるとはいえ、あのような露骨な口減らしに加担できるというのは、それだけの頻度であのような儀式を行っているわけで、やはりどう考えてもおかしい。一卵性双生児が自然分娩で生まれる率は0.4%。1000回に4回なわけで、穴倉の奥底に定期的に捨てられる双子の片割れを食料にアヤコが生き延びるにしても、月に一度ぐらいのペースでないと餓死するだろう。人口40万人台の尼崎市の年間出生数が4000件を少し上回る程度なので、月1で食料が供給されるには年間12人の双子が生まれる必要がある。年間12人の双子ということは一人だけで生まれてくるのはその250倍、すすなわち3000人。牛首村の人口は30万人ちょっとと見積もられる・・・って、んなアホな。劇場鑑賞中にも???だったが、あらためて計算してみて更に??????となった・

 

そもそも3歳だか4歳そこらで子どもが神隠しに遭ったというのに、双子のもう片方が行方不明の方を助けてきたというのは、親や周りの大人がいかに子どもに目を配っていないかの証拠だろう。一人いなくなったら、もう片方からは余計に目が離せなくなると思うが。またそんなことがあった村からは家族そろって脱出するのが普通の判断ではないか。なぜ奏音と父は東京に出て、詩音と母は村に残ったのか。そのあたりの説明も全くないし、推測できるような材料も提示されなかった。

 

キャラクターの行動原理も謎だ。ネット隆盛、SNS全盛時代の若者が、いきなり現地に赴くか?動画配信アカウントから普通に Instagram だか Facebook のアカウントに行けるのだから、そこから相手にコンタクトを試みる方が自然だろう。なんなら顔写真を送ってやればいい。それを一切せず、後から「実はあいつら全員死んでる」とか言われても、はあ?としか思えない。詩音も顔出しNGだというなら、何故被り物を脱ぐのか。いや、SNSで顔出ししている以上、動画配信などやればあっという間に顔など割れるだろう。いじめのような構図がそこにあるのは分かったが、それでも詩音の行動は意味不明だ。アヤコの呪いの対象も、本来なら詩音や奏音ではなく、同じ双子の片割れであるタエコになるのではないのか。もしくは、古くから村にいる年寄り連中か。発狂しているから手当たり次第に呪うのだ、というのなら松尾諭の死に方にも納得が行く。しかし、だったら何故に奏音の恋人の方は呪い殺されて、詩音の恋人の方は呪い殺されなかったのか(異世界に連れ込まれはしたが)。

 

廃墟そのものもリアリティが足りない。作られた廃墟にしか見えない。そういう意味ではストーリー自体はこけおどしだった『 コンジアム 』のプロダクションデザインだけは素晴らしかった。坪野鉱泉ホテルは遠目には『 ホテルローヤル 』のさびれたラブホのように見えたし、中の荒れ具合も一時期ニュースで話題になった鬼怒川温泉の廃墟ホテルの方が、中はよっぽど不気味だった。この坪野鉱泉と牛首村の穴蔵が実はつながっていて水だけは湧いている、ということなら、アヤコのサバイバルにも少しだけリアリティが出てくるのだが、そんな描写も一切なし。心霊現象を見せたいのか、それとも生きている人間やそこから生み出される風習の怖さを見せたいのか、そこの軸がはっきりしていないのが大きな弱点だ。

 

細部にもおかしな描写がいっぱいだ。いくら富山とはいえ真夏に窓ガラスが結露するか?しかも朝ではなく夜に。どれだけ短時間で寒暖の差がつくというのか。また、10年以上にわたって文字通りの意味で野ざらし雨ざらしにされていたちょうちょの墓がそのままの形で残っていることに座席から滑り落ちそうになった。富山のあの地域は風も吹かないし雨も降らないし雑草も一切生えないのか。そんなことはないだろう。実際に劇中でも2度雨が降っているし、そのうちの2回目は結構な土砂降りだ。あれでミニ盛土と墓標となる石が10年以上手つかずというのは説得力ゼロだ。

 

ホラー映画としての演出も栗シェのオンパレードで最早ギャグの領域。「ここでこうなるぞ」、「次はこれやな」という予感が次々と当たる。ちょっとホラーを観ている映画ファンのほとんどはこのように感じたのではないだろうか。ポストクレジットのシーンが始まった途端に「おいおい、『 犬鳴村 』エンドちゃうやろな」と不安になったが、やっぱり『 犬鳴村 』エンドだった。頼むから捻らんかい。クリシェはもうええっちゅうねん。

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総評

『 恐怖の村 』シリーズの中でも飛びぬけて怖くない。このシリーズは盛り下がる一方である。こんな作品の制作者側にカネなど一銭もやってたまるかと思う。無料クーポンで鑑賞した自分を褒めてやりたい。Kōki,が望んで出演したのか、それとも親の七光りなのかは分からないが、役者の才能は感じない。恐怖の村シリーズは駄作揃いだったが、三吉彩花や山田杏奈など、キャスティングは頑張っていた。Kōki,は三吉のようなルックスやスタイルはないし、山田のような表現者にもならないだろうとは感じた。ホラー映画好きにお勧めできる作品では決してないし、だからといってホラー初心者にお勧めするのも難しい。一つ言えるのは、清水崇はもうホラーを作らないほうが良いということぐらいか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I need to forget about this terrible movie ASAP.

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, F Rank, Kōki, ホラー, 日本, 監督:清水崇, 芋生悠, 萩原利久, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 牛首村 』 -ジャパネスク・ホラー完全終了-

『 コンジアム 』 -韓国ホラー映画の不発弾-

Posted on 2022年2月6日 by cool-jupiter

コンジアム 50点
2022年2月4日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ウィ・ハジュン イ・スンウク
監督:チョン・ボムシク

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近所のTSUTAYAで目についた。確か塚口サンサン劇場かどこかで上映していた時に、スルーしてしまった作品。サスペンスでは文句なしの韓国映画だが、ホラーではどうか。うーむ・・・という出来だった。

 

あらすじ

廃墟となったコンジアム精神病院への潜入ルポをYouTube配信しようというハジュン(ウィ・ハジュン)とその仲間たち。各種機材やカメラ、そして少々の演出も準備して臨んだ撮影だが、徐々に怪奇現象が起こり始め・・・

 

ポジティブ・サイド

このコンジアム廃病院は、何と実在するようである。セットや大道具、小道具では出せないおどろおどろしさが建物内には確かに充満していた。精神病院に首吊り自殺だの集団自殺だの人体実験だのといった属性を付与していくのは、現代日本だと難しそう。差別的、あるいは既に存在する差別を助長するかどで、そんな設定の映画や小説があれば、すぐに糾弾されるように思う。それをやってしまう韓国のエンタメ追求精神よ。

 

YouTuberとホラーという点では『 貞子 』よりもこちらが先行していた。その着眼点も悪くない。ホラー映画では登場人物の真後ろや真横から怪異がいきなり登場するのが最早お約束だが、今回の潜入パーティーのメンバーは皆、全身にカメラ装備。あらゆる角度を撮影していている。これにより、多くのホラー作品にありがちな「そのショットは誰が撮っているの?」という問い、すなわちカメラマンの存在を観る側の意識から消すことに役立っている。

 

このカメラマンの存在というのが、後半に明らかになる序盤にすでに起きていた怪奇現象につながっていて、これには少し唸らされた。

 

ジャケット裏の黒目少女はインパクトがあったが、これはマイナスか。ただし、彼女がしゃべる異言には一瞬だけ怖くなってしまったことは告白しておかねばなるまい。

 

ネガティブ・サイド

廃病院に行くまでは『 キャビン 』のように男女がワイワイしている。それはいい。だが、コンジアム病院に行くまでが長く感じられるし、肝腎のコンジアム病院内でも、ことが起こり始めるまでがひたすらに長い。定番のホラー的な展開になるまでに58分を要するというのは、いかがなものか。

 

霊の起こす怪異も、すでにどこかで見たものばかり。廃病院のただならぬ雰囲気を伝えるのに腐心しすぎて、観る側に恐怖の感情を催させることに失敗している。YouTuberの潜入レポートなら、雰囲気を伝えるだけで十分。しかし、これは潜入YouTuberを題材にした映画。捉えるべきはキャラクターの感じる恐怖。その意味では、多彩かつ臨場感あるカメラワークそのものは興味深かったものの、彼ら彼女らの恐怖の感情を存分に映し出したとは言い難い。その意味では『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』は素晴らしかった。何も起きていないのに恐怖する学生たちの様を赤裸々に映し出していた。

 

マネキンやかつらなどのガジェットもジャパネスク・ホラーで散々扱われて手垢がついている。それを使うというのは感心しない。『 パラノーマル・アクティビティ 』から『 サイレントヒル 』まで、どこかで観たシーンや演出の繰り返しで、60分以降は完全に惰性で画面を眺めるだけになってしまった。

 

隊長のハジュンが、隊員からのギャラのアップ要求を受けるシーンも何か違うのではないか。逆にハジュンの方から隊員にギャラアップを申し出て、撮影を完了させる意志を見せるべきだったように思う。韓国語の「生きよう」の字が「死のう」に変わるのを見たことで弱気になるのなら、そもそもコンジアム病院に突撃しないだろうし、隊員が不甲斐ないからと自ら出陣もしないだろうと思う。

 

ハジュンの死に方も怖くない。例えば、霊に捕まって、どこかに閉じ込められて、救いの手が伸びてきたので力いっぱい掴んだ。しかし、それが実は序盤にロッカーに手を入れてきた隊員の女子の手で・・・という展開で暗転して終わり、という展開なら、観ているこちらも相当なショックを受けただろう。

 

総評

サスペンスでは邦画は韓国映画に手も足も出ないが、ホラーならまだまだ勝てるかな。とは言え、『 牛首村 』の出来映えによっては、ジャパネスク・ホラーもいよいよ終焉し、韓国映画に全ジャンルで抜かれてしまうかもしれない。大して怖い作品ではないので、ホラー映画に興味があるけれど、どれを入門編に選んでよいか分からない、という向きにお勧めできる程度の怖さである。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

チンチャ

廃病院内でパーティーの面々が何度も何度も「チンチャ、チンチャ」と言っている。字幕は「本当だよ!」だったような。雰囲気的には「マジだって」、「ホントなんだよ」のような、カジュアル要素が感じられた。一時期、女子高生の間で「チンチャそれな」というフレーズが流行っていたらしいが、実際にそういうノリで使う言葉なのだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, イ・スンウク, ウィ・ハジュン, ホラー, 監督:チョン・ボムシク, 配給会社:ブロードウェイ, 韓国Leave a Comment on 『 コンジアム 』 -韓国ホラー映画の不発弾-

『 ラストナイト・イン・ソーホー 』 -夢は大都市に飲み込まれるのか-

Posted on 2021年12月13日2021年12月13日 by cool-jupiter

ラストナイト・イン・ソーホー 75点
2021年12月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:トマシン・マッケンジー アニャ・テイラー=ジョイ
監督:エドガー・ライト

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211213215427j:plain

『 ベイビー・ドライバー 』のエドガー・ライト監督の最新作。ダークな物語を明るくポップなチューンに乗せて魅せるという持ち味は、本作でも遺憾なく発揮されている。Jovian一押しのアニャ・テイラー=ジョイの出演作でもあり、見逃す手はない。

 

あらすじ

デザイン専門学校に入学したエロイーズ(トマシン・マッケンジー)は寮になじめず、ソーホーのアパートで一人暮らしを始める。ある日、エロイーズは1960年代のソーホーでクラブの歌手になろうとするサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)の夢を見る。それ以来、夜ごとにサンディとシンクロしていくエロイーズだったが、サンディは徐々にソーホーの闇に墜ちていくことになり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211213215445j:plain

ポジティブ・サイド

オープニングから、本職のダンサーさながらに古い音楽に合わせて踊るトマシン・マッケンジーが光る。死んだ母親が見えるという奇妙な力を持ちつつも、希望を胸に抱き、片田舎から都ロンドンへと旅立つ様、そしてロンドンに到着した瞬間から味わう違和感。そして学生寮のルームメイトや同期と馴染めぬままに、アパート暮らしを始めるまでがあっという間のテンポである。大都会とそこに暮らす人々に馴染めないという、祖母の懸念通りのエロイーズであるが、ここまでのシーンを明るい色使いと明るい音楽で描くことで、エロイーズが夢の中でサンディと徐々に同化していく過程が、ムーディーな音楽でもって描き出されるダークで淫靡なソーホーと、鮮やかなコントラストになっている。

サンディと同じブロンドに染め、サンディの着ていた衣装を実際にデザインしてみることで、生き生きと輝きだすエロイーズだが、夢の中でサンディがだんだんと60年代のソーホーの暗部に囚われていくにつれ、現実のエロイーズも「霊が見える」という能力のせいで浸食されていく。

 

この男に食い物にされてしまう女性という構図が、1960年代でも21世紀であっても本質的には変わっていないことを本作は大いに印象付ける。その意味で、2010年代から急速に大量生産されるようになってきた gender inequality の是正を訴える作品群のひとつのように思える。が、実体はさにあらず。詳しくは書けないのだが、脚本も手掛けたエドガー・ライト監督は、単なるMeToo映画を世に送り出してきたわけではない。これは一筋縄ではいかない作品である。

 

主演を務めたトマシン・マッケンジーは、今もっとも旬なニュージーランド人俳優と言える。美少女が、そのキャリアの初期にホラー(っぽい)作品に出演するのは日本でも海外でも、まあ大体同じなのだろう。ホラーで頭角を現したという点ではアニャ・テイラー=ジョイも同じ。『 ウィッチ 』は正真正銘のホラーで、アニャはそこから同世代の女優たちの中から一歩踏み出した感がある。

 

エロイーズとサンディの人生が思わぬ形で交錯することになる終盤からは、まさにジェットコースター。エドガー・ライトの作劇術の巧みさに乗せられ、一気にエンディングにまで連れていかれてしまう。最後に流れる ナンバー『 Last Night in Soho 』 のサビの “I let my life go”という一節が強烈だ。この歌は、誰が誰に向けて歌っているのか。それが理解できれば、本作は男性にとってはホラーとなる。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211213215502j:plain

ネガティブ・サイド

エロイーズが夜な夜な見るビジョンについて、なんらかの補足というか、ルールらしきものの描写が必要だったのではないかと思う。田舎を旅立つ直前に祖母とエロイーズが「見えること」、「感じること」について言葉を交わすシーンがあったが、字幕に訳出されない英語台詞の中にも、エロイーズが「何を」「どのように」見えてしまうのかについては一切触れられていなかった。例えばの話だが、エロイーズが目にする母の姿は、実は自分を見守ってくれているものなのだ、のような描写があれば、恐怖とその後の納得の感覚が、どちらも強化されただろうと思う。

 

同じく、ハロウィンの時にエロイーズが見てしまうビジョンの源泉は何だったのだろうか。ジョンと自分の(夜の)関係を、思い切りバイオレントに表したもの?このあたりも少々矛盾というか説明材料不足であるように感じた。

 

総評

本作については、ジャンル分けが非常に難しい、というよりもジャンルを明言してしまうこと自体が重大なネタバレとなりかねない。それだけ危うい構成でありながら、鑑賞中は I was on the edge of my seat = 夢中になってスクリーンにくぎ付けだった。結構ショッキングな瞬間もあったりするが、デートムービーにもなるし、都市出身者や田舎出身者。現代主義者と懐古主義者の視点から様々なコントラストに注目することもできる。ホラーと宣伝されているからと敬遠することなかれ。素晴らしいエンタメ作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a bad apple

悪いリンゴ、転じて「腐ったリンゴ」となる。作中では bad apples と複数形で使われていた。一定以上の世代なら、ドラマ『 金八先生 』の腐ったミカン理論を知っていることだろう。あれと意味は全く同じである。要は、周りに悪影響を与える存在、という意味である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アニャ・テイラー=ジョイ, イギリス, トマシン・マッケンジー, ホラー, 監督:エドガー・ライト, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 ラストナイト・イン・ソーホー 』 -夢は大都市に飲み込まれるのか-

『 リトル・ジョー 』 -静謐&ノイズ系ホラー-

Posted on 2021年11月29日2021年11月29日 by cool-jupiter

リトル・ジョー 65点
2021年11月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:エミリー・ビーチャム ベン・ウィショー
監督:ジェシカ・ハウスナー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211129193017j:plain

シネ・リーブル梅田で上映していたが、見逃してしまった作品。こけおどしで溢れる昨今のホラーの中では異色の仕上がりとなった。

 

あらすじ

アリス(エミリー・ビーチャム)は、その匂いを嗅ぐことで多幸感が得られるという「リトル・ジョー」という新種の植物を開発し、息子のジョーにプレゼントにした。しかし、「リトル・ジョー」の花粉を吸ったジョーは普段と少し異なる言動を取り始めた。同じころ、花粉を吸い込んだ助手のクリス(ベン・ウィショー)も、奇妙な振る舞いを見せ始めて・・・

 

ポジティブ・サイド

どこか彼岸花を連想させるリトル・ジョーという植物が、とても妖しげな雰囲気を放っている。それは、全編を通じて独特の色使いと、ノイズとも言えるBGMが、不協和音を奏でながらも、一つのハーモニーとして機能しているからだろう。「赤」の使い方としては、『 シックス・センス 』のシャマランを思わせる。リトル・ジョーという植物の持つ魔力のようなものが、この赤の使い方によって際立つ。少なくとも見る側にとってはそのように映る。オリエンタルなBGM(というか日本人の作曲家なのね)も、リトル・ジョーが画面に映る際のノイズとあいまって、観る側の心をざわつかせる。

 

アリスと息子ジョーの関係の変化も自然である。思春期の息子が母親に隠し事をする、あるいは言動が以前と変わってしまう。それは当たり前のことである。しかし、そこにリトル・ジョーの花粉吸引をまじえることで、独特のスリルが生まれている。また、ベン・ウィショー演じる助手のクリスの変化も興味深い。詳しくはネタバレになってしまうが、ヨーロッパあるいは日本には「リトル・ジョー」を購入する理由がたくさんありそうである。

 

ジョーや、そのガールフレンドの演技はなかなかのものである。瞬きを極力しないというのは演技者の基本だが、それに加えて無表情なのに雄弁な表情ができることに恐れ入った。特にジョーのガールフレンド役の女の子は不気味なこと、この上なかった。アリスが定期的に訪れるカウンセラーも、アリスに傾聴するふりをしながら、実に底浅い心理分析を行い、やはり観る側を苛立たせる。愛犬ベロを失った(というか・・・)同僚ベラの言動のあれこれも、観る側を戸惑わせる。リトル・ジョーは無害なのか、有害なのか。

 

植物が人間を操るということにリアリティを感じられるかどうかが胆だが、実際に植物は多くの動物を操っている。繁殖の時期になると、花粉の飛ばしをよくするために、はなびらを敢えてトカゲ好みの味に変える植物もあるぐらいなのだ。植物の力、そして人間の生物学的かつ社会的・心理的な弱さを知っている人であれば、本作は非常に不愉快かつ興味深いものになるはずだ。『 リトル・ショップ・オブ・ホラーズ 』へのオマージュが盛り込まれているらしいが、Jovianは中学生の時に読んだ『 トリフィド時代 』を思い出した。これもまた本作の持つ英国らしさゆえなのだろう。

 

ネガティブ・サイド

研究所の同僚のベラとその愛犬ベロの関係の変化を、もっとじっくりと描いてほしかった。犬は人間の何万倍、下手したら何億倍の嗅覚性能を誇るのだから、リトル・ジョーの香りや花粉から受ける影響も、(理論的には)もっと大きいはず。ここを丹念に描いておけば、アリスが気付くキャラクターたちの変化と、観る側が気付くキャラクターたちの変化がシンクロする、あるいはギャップを生み出すことできる。それによって、観る側がアリスに「おーい、気付け気付け」のように感じられ、それが更なるサスペンスになっただろう。

 

リトル・ジョーの香りをかいだ人間たちのインタビューを、もう少しじっくり見たかった。This is not the woman I used to know. = これは私が知る女性ではない、というセリフは認知症のパートナーを持つ人間の定番のセリフであるが、具体的に相手のどんなところからそう感じるようになってしまったのかを見せてくれていれば、リトル・ジョーの魔力にもっと説得力が生まれただろうと思う。

 

総評

昨今のホラー、なかんずくアメリカで夏に大量に公開されるものは、観客を怖がらせるのではなく、驚かせている。本作は、迫力こそないものの、神経にじわじわ来る『 ゴースト・ストーリーズ 英国幽霊奇談 』のような感じである。本作を面白いと感じて、なおかつ活字にアレルギーのない人は、鯨統一郎の『 ヒミコの夏 』も詠まれたし。または恐怖を快楽に変えて人間を操る生物のストーリーならば貴志祐介の『 天使の囀り 』も傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

talk back

「返事をする」、「言い返す」の意。劇中では前者の意味で使われているが、実際のコミュニケーションでは後者の意味、特に「口答えする」という意味合いで使うことが多い。一時期のアップルやIBMには、If you talk back, you’re fired. = 口答えするならクビだ、みたいなスーパーバイザーがたくさんいたことだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, イギリス, エミリー・ビーチャム, オーストリア, スリラー, ドイツ, ベン・ウィショー, ホラー, 監督:ジェシカ・ハウスナー, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 リトル・ジョー 』 -静謐&ノイズ系ホラー-

『 ウィッチサマー 』 -凡百の夏ホラー

Posted on 2021年8月27日 by cool-jupiter

ウィッチサマー 50点
2021年8月22日 レンタルBlu rayにて鑑賞
出演:ジョン=ポール・ハワード パイパー・カーダ
監督:ブレット・ピアース ドリュー・T・ピアース

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210827204613j:plain

サム・ライミが絶賛していたと聞いて、期待に胸を躍らせて2021年2月のこと。コロナによって劇場鑑賞の気を逸し、満を持してレンタルにて鑑賞。やはり Don’t get your hopes up.

 

あらすじ

両親が離婚したベン(ジョン=ポール・ハワード)は、ひと夏を父の経営するヨットクラブでのバイトのために費やそうとしていた。ある時、隣家の女性の様子がおかしいことに気付く。調べるうちに、その女性は人間の記憶を消す魔女であることが分かり・・・

 

ポジティブ・サイド

魔女というのは何も『 ウィッチ 』のように中世を舞台にする必要はない。アイデア次第でいくらでも勝負できるジャンルであると感じる。本作も、チャレンジ精神は評価したい。面白いなと感じたのは、魔女の特性。記憶を消すというのはどちらかというと超能力の類に思えるが、それを魔女の力であると納得させてくれる。周りの人間の記憶がどんどん消され、自分だけが記憶と正気を保っているというのは、観ていてかなりスリリングだった。周囲の誰も分かってくれず、自分だけが恐怖の存在に気付いているという点で『 イット・フォローズ 』とよく似ている。

 

魔女という荒唐無稽な存在を対極に、ティーンエイジャーのひと夏の体験要素を盛り込むことで、『 13日の金曜日 』シリーズの初期作品のような空気が流れていた。Campyであるが、たまにはこういう nostalgy も悪くない。

 

魔女そのもののビジュアルもなかなか。それなりに怖いし、けれども何か立ち向かえそうな気もする。魔女の住処にベンが乗り込んでいって対決する終盤は、まんま『 IT 』(特にテレビ映画の方)のクライマックス。これまた懐かしい空気である。

 

最終盤のどんでん返しも、まあまあである。

 

ネガティブ・サイド

80年代の量産型ホラーの雰囲気を漂わせるなら、お色気シーンも作るべきだった。プールのシーンは期待させてくれたが、男の裸を見せてどうする。

 

ジャンプ・スケアをやたらと多用するのはいかがなものか。雰囲気は80年代でもいいが、演出の技法まで昔のものを使ってどうする。とはいうものの、今に至るまでジャンプ・スケアは一つの様式美で、これを使わないホラーというのも考えにくいという皮肉ではあるが。

 

どんでん返しがかなり読みやすい。記憶がなくなるという一種のトリックをミステリならどう料理するかを考えれば、答えはおのずと見えてくる。Jovianお勧めの『 ムゲンのi 』を律儀に読了した人なら、途中でピンと来るはずだ。

 

最大の問題は、ラストシーン。映画の印象のかなりの部分はラストのインパクトあるいは余韻で決まる。本作のようなホラーは、観る側に「え、これってまさかそういうこと?」と考えさせるべきで、「ああ、そうなのね」と納得させるような終わり方は悪手である。そう考えると『 殺人の追憶 』のラストは、インパクトという面でも余韻を残すという面でもパーフェクトだったなあと思い起こされる。

 

総評

「全米で5週連続興収1位」というのは歴然たる事実だが、コロナ禍で映画館がどこも壊滅状態、新作も延期に次ぐ延期という中で達成されたこの記録にまんまと騙されてしまった。クソホラー映画とまでは言わないが、極めて凡庸なホラーとしか言えない。ホラー好きなら、格安レンタルまたは配信まで待つのが吉である。スルーも当然、選択肢である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Don’t forget me.

「忘れないでね」の意。ディズニー映画の Theme Song に ”Remember Me”というのがあったが、 意味はほとんど同じである。forgetという動詞は「忘れる」以外にも類似の多彩な意味があり、これを使いこなせれば英語中級者以上である。その一例として Forget it. というものがある。気になる人はこちらを参照のこと。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, D Rank, アメリカ, ジョン=ポール・ハワード, パイパー・カーダ, ホラー, 監督:ドリュー・T・ピアース, 監督:ブレット・ピアース, 配給会社:AMGエンタテインメントLeave a Comment on 『 ウィッチサマー 』 -凡百の夏ホラー

『 クワイエット・プレイス 破られた沈黙 』 -第3作に続くか-

Posted on 2021年6月27日 by cool-jupiter

クワイエット・プレイス 破られた沈黙 75点
2021年6月20日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:エミリー・ブラント キリアン・マーフィー ミリセント・シモンズ
監督:ジョン・クラシンスキー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210627025358j:plain

『 クワイエット・プレイス 』の続編。音を立てると化け物がすっ飛んでくるという設定の妙葩今作でも健在。さらにホラーでありながら、見事なファミリードラマにしてビルドゥングスロマンに仕上がっている。

 

あらすじ

エヴリン(エミリー・ブラント)は生まれたばかりの赤ん坊と娘のリーガン(ミリセント・シモンズ)、息子のマーカスと共に新たな家を求めて旅をしていた。そこで偶然にもかつての友人、エメット(キリアン・マーフィー)と出会う。しかし、彼は「生き残っている人間に救う価値などない」と言ってエヴリンへの助力を断る・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210627025437j:plain

ポジティブ・サイド

すべての根源である Day 1 も適度に謎めいていて良い。超巨大宇宙船の全貌を見せないのは、まだまだ続きがあるという予告のようでもある。またリーガン視点(聴点と言うべきか)で物語が描写されるシーンでは、違う意味でのサスペンスが生まれる。音が一切聞こえなくなるため、死角の出来事に対して無防備になってしまう。「志村、うしろー!」的なアレである。単純だが、この演出は効果的だった。

 

エミリー・ブラントが今作でも戦う母親像を好演。『 オール・ユー・ニード・イズ・キル 』や『 ボーダーライン 』のような戦う女性として輝きを放っていたが、今シリーズではそこに母親属性が加わった。それもPolitically correctな理由で戦っているのではなく、生存のために戦っている。しかし、元々強い女性だから生き残っているのではなく、その強さを夫から受け継いだという設定もいい。

 

前作は『 死の谷間 』のように一つの場所、一つのコミュニティでの物語だったのが、今作では世界が一気に広がった。前作で生まれた赤ん坊がいつ泣き出すか分からないというスリルの元だが、泣き声を予防・防止する方法も現実的。ミリセント・シモンズ演じる長女リーガンと頼りない長男マーカスの壮大なるビルドゥングスロマンになっている点にも感銘を受けた。positive male figureがいなくとも家族は大きく育つようにも見えるが、やはりpositive male figureの存在が必要だ。しかし、安易に新しい男を迎えるのではなく、死んだ夫・父親の精神を受け継いでいくという筋立ては、陳腐ながら、なんと説得力があるのか。

 

二ヵ所で同時進行するクライマックスはまさに手に汗握る鳥肌もののスリルとサスペンス。知恵と勇気で怪物に立ち向かうエミリー・ブラントは美しいの一語に尽きるし、雄々しく立ち上がる長男の姿は感涙もの。単純明快にして非常にpredictableな展開であるにも関わらず、ここまで心が揺さぶられるのは何故か。その仕組みを知りたい人は、前作を鑑賞の上、劇場へ赴かれたし。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210627025501j:plain

ネガティブ・サイド

序盤のところどころでジャンプ・スケアが使われるのが気に入らない。そういうこざかしい演出は不要である。

 

荒廃した世界で怖いのは生き残った人間、というのは映画に限らず創作物の文法に等しいが、それでも今作の生き残り組のワル達にはリアリティがない。いったいあの方法で何を手に入れたいのか。どうせなら『 新 感染半島 ファイナル・ステージ 』並みに怪物を飼って遊んでいるといったぶっ飛んだ描写が観てみたかった。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20210627025516j:plain

総評

『 ZOOM / 見えない参加者 』という珍品も制作される当世だが、ハウリングがいかに耳障りなものであるかを体感した人も多いことだろう。ビデオ会議が極めて一般的になった今という時代に鑑賞することで、逆にリアリティを増している。「音を立てたら超即死」という極めてドギツイ宣伝文句も、「咳やくしゃみをしたらアウト」という現代に重なるところがあり面白い。三作目も作られそうだ。期待して待ちたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

How do you say ~ ?

「~はどう言う?」という意味。物語の序盤で何気なく出てくるが、実は非常に重要な伏線になっている個所で使われている表現。How do you say otsukaresama? や、How do you say ittekimasu?というのは英語話者が日本語を習い始めた時に言う定番表現である。What do you call ~? もよく使う。よくこの二つを混同して、What do you say ~?やHow do you call ~?と言ってしまう人がいるので、そこだけは注意のこと。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アメリカ, エミリー・ブラント, キリアン・マーフィー, サスペンス, ホラー, ミリセント・シモンズ, 監督:ジョン・クラシンスキー, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『 クワイエット・プレイス 破られた沈黙 』 -第3作に続くか-

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