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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: クライムドラマ

『 アンダードッグ 二人の男 』 -とにかく鉄拳、やっぱり鉄拳-

Posted on 2020年12月14日 by cool-jupiter

アンダードッグ 二人の男 55点
2020年12月13日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ミンホ マ・ドンソク キム・ジェヨン チョン・ダウン
監督:イ・ソンテ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201214215838j:plain
 

『 アンダードッグ 』が個人的には少々消化不良気味だったため、ストーリーやキャラクターについてあまり深く考える必要のなさそうな本作を近所のTSUTAYAでセレクト。とにかくマ・ドンソクと来れば鉄拳なのである。

 

あらすじ

バイクや車の窃盗、万引き品の違法転売をしながらストリートで生きるジニル(ミンホ)たちは、バイクの転売に失敗、無一文になる。ジニルの恋人ガヨン(チョン・ダウン)が売春客を取るが、そこに現れたのはカラオケ店経営者のヒョンソク(マ・ドンソク)だった。ジニルたちはヒョンソクのクルマとクレジットカードを盗み出すが、カードの決済情報からすぐにヒョンソクに補足されてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

韓国のストリートというのは容赦の無い世界であると感じる。ストーリーとしては『 ギャングース 』に近い。刑務所上がりの半端者たちが、やはり半端な生き方しかできずに街を彷徨うところなど、韓国も日本も社会のセーフティネットの底が抜けてしまっているところは同じのようである。一方の主人公であるミンホは気の強さはあるもののケンカの腕はそれほどでもなく、頭の回転もそこまで速いほうではない。だが、恋人を一途に守ろうとする気概だけは見上げたもの。売春もしくは美人局の客がその筋の人間だった、あるいは自分の手に負える相手ではなかったというのは『 聖女 Mad Sister 』でもお馴染みの展開。ミンホがマ・ドンソクと対峙する場面では格の違いを見せつけられているのだが、ここで相手に向かっていけるのは男の証明だ。

 

そのジニルの追撃者、ソンフンを演じたキム・ジェヨンの凄みよ。モデル上がりの俳優らしいが、これは間違いなく兵役経験者、あるいはテコンドーやボクシングの心得がある。暴力シーンが生々しい。パンチの放ち方が素人ではない。そして狂人そのものの目つき。ジニルらを追いかける目つき、仲間に半笑いで謝罪を要求する時の目つきなど、クスリをやっている人間のそれとしか思えない。『 アジョシ 』の噛みつき攻撃にも驚嘆したが、本作でソンフンは禁断のサッカーボールキックを披露。こんなのは『 デッドプール 』ぐらいでしか見たことがない。演技者としてのキャリアは浅いようだが、それでもこれだけの演技を見せるのは本人の才能と努力か、それとも監督の演出力か。イってしまった目のソンフンと『 息もできない 』のサンフンの対決を、個人的に見てみたい。

 

マ・ドンソクもいつも通りの剛腕キャラなのだが、家族、特に娘という明確な弱点を持つことで、ガキンチョたちとある意味で対等の地点に引きずり下ろされてしまう。それによって本来の力関係ならば生まれることのないスリルやサスペンスが生まれている。表社会と裏社会のちょうど中間に生きるような存在で、冷酷無比に見えて、実は血も涙もあるタイプ。こういうキャラクターは確かにマブリーの得意とするところなのだろう。

 

ジニルたち、マ・ドンソク、そしてソンフンの三つ巴の争いがラストに収れんしていくプロセスは非常にスピーディーだ。クライムドラマとしても見応えがある。頭を空っぽにして90分鑑賞できる作品である。

 

ネガティブ・サイド

クライマックスの展開があまりにも衝撃的すぎて、これは減点対象である。普通に最後はヒョンソクがミンホにもサンフンにも鉄拳制裁し、サンフンは刑務所に送り返し、ミンホとガヨンはヒョンソクのカラオケ店で死ぬまで働く・・・ではダメだったのだろうか。このエンディングは、最後の最後に監督がすべてを放り出したかのように映る。

 

警察が無能というのは韓国映画の鉄則だが、それでもジニル4人組をここまで放置というか、犯罪をさせておくだろうか。4人組でつるんでいる窃盗団など、すぐに捕まりそうなものだが。まあ、韓国映画の警察にツッコミを入れるのは野暮というものか。邦画の警察とは違うのだ(邦画の警察も、最近ちょっと怪しくなってきているが)。

 

ジニルの実父の遺産のエピソードは不要。完全にノイズだった。マ・ドンソクがカードと車を取り返しにやって来た時に「育ててくれた叔父さんを裏切るとは」という内容をアリバイ作りに喋っていた内容が伏線になっていたのは感心するが、ならば本当にジニルが叔父さんを裏切ったエピソードを臭わせるべきだった。ジニルがstreet smartなバッド・ボーイでないと、他の仲間たちとの連帯感の説明がつかなくなる。

 

そのジニルの仲間のボンギルに、見せ場が一つもないとはこれいかに。「ここでアイツに礼を言わないと一生後悔しそうだ」と格好いいセリフで出陣しながら、ソンフンに文字通りに一蹴されるとは・・・ 同じことはボンギルの彼女のミンギョンにも当てはまる。

 

総評

『 スタートアップ! 』からコメディ要素を抜いて、『 悪人伝 』の三つ巴の争い要素をプラスしたような作品である。面白さとしては『 スタートアップ! 』 < 本作 <『 悪人伝 』である。別にマ・ドンソクでなくともよかったのではないかと思う(キム・ユンソクやチェ・ミンシクが良かったというような意味ではない、念のため)。これも典型的なrainy day DVDだろう。自粛を強制されそうな週末もしくは長期休暇時のお供にするのがよいかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

イーセッキ

『 スタートアップ! 』でも何十回と聞こえてきたが、本作でも同じくらい聞こえてくる表現。意味は「この野郎」。北野武映画を韓国語に訳した時にも、イーセッキが何十回と字幕もしくは吹き替えで使われるのだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, キム・ジェヨン, クライムドラマ, チョン・ダウン, マ・ドンソク, ミンホ, 監督:イ・ソンテ, 配給会社:マクザム, 韓国Leave a Comment on 『 アンダードッグ 二人の男 』 -とにかく鉄拳、やっぱり鉄拳-

『 悪人伝 』 -The Gangster, The Cop and The Devil-

Posted on 2020年7月20日2021年1月21日 by cool-jupiter

悪人伝 65点
2020年7月19日 心斎橋シネマートにて鑑賞
出演:マ・ドンソク キム・ムヨル キム・ソンギュ
監督:イ・ウォンテ

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『 犯罪都市 』の暴力刑事から一転、マ・ドンソクが極道の組長として、連続殺人鬼を追うという悪人vs悪人、そこに刑事も加わるという三つ巴のクライムドラマ。少々意味不明な部分もあるが、全体的にはソリッドにまとまった秀作。

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あらすじ

ヤクザの組長チャン・ドンス(マ・ドンソク)はある夜、追突事故に遭う。穏便に済ませようとしたところ、突然相手に刺される。何とか撃退したもののドンスは重傷を負う。一方でチョン刑事(キム・ムヨル)は犯行を連続殺人鬼によるものと推測。ドンスに情報を渡すように迫るが・・・

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ポジティブ・サイド

原題はThe Gangster, The Cop, The Devilである。『 続・夕陽のガンマン 』=The Good, The Bad and The Uglyを彷彿させる。三つ巴の戦いには独特の面白さがある。それが極道、警察、連続殺人犯というところが、いかにも韓国らしいではないか。韓国映画における警察はしばしば無能もしくは腐敗の象徴として描かれる。つまり、この戦いに一見すると善人がいないのである。つまり、そこに裏切りの予感が常に漂っている。それが物語にサスペンスをもたらしている。

 

刑事が異様な熱血で、正義と法の執行のためなら、正義と法を曲げても構わない。そこまで暴走する雰囲気を湛えている。まるで『 エンドレス 繰り返される悪夢 』に出てくるもう一人のループ現象に囚われた男のような必死さで、各方面に突っかかって食らいついて行く。『 アウトレイジ ビヨンド 』における小日向文世演じる刑事のように、悪と悪を争わせて漁夫の利を狙うなどということはしない。どこまでも直情径行で、だからこそ自分の信念を法に優先させるという暴走をしそうだと感じられる。相手が極道の組長でもシリアルキラーであろうと妙に自信満々で、どこかの時点と唐突にサクッと刺される、あるいは撃たれる予感も漂わせる、何とも危ういキャラである。そんな男がどういうわけかだんだんと応援したくなる奴に見えてくるから不思議だ。傍若無人な暴力刑事が、血気盛んな熱血刑事に華麗なる変貌を遂げるその仕組みに興味がある方は、ぜひ鑑賞しよう。

 

対するヤクザのマ・ドンソクも、いわゆる任侠道を往くような男ではなく、己の欲望と野望のために無法を是とし、殺人を厭わない悪人だ。子どもに少々甘いというか、妙に優しい側面を見せたりもするが、そうした顔は決して前面に出てこないし、まなじりを下げることはあっても、それは優しさではなく暴力を予感させる不敵な笑み。実は良い人的なエピソードを取り入れそうなところで、そうしたシーンはことごとく回避される。実際はドンス組長のちょっと意外な優しい側面を強調するシーンも撮ったかもしれない。しかし、それを編集でそぎ落としたのは英断だった。また、『 アジョシ 』のマンソク兄弟のような、人間を人間と思わないような非人道的なビジネスに手を出していないことで、悪(あく)ではなく悪(わる)にとどまっている。ワルはワルのままの方が生き生きしていて、見ていて面白いから。腕っぷしにモノを言わせて殴りまくるのは『 犯罪都市 』と同じ。違うのは、そこに明確な血の臭いと痛みがあること。中盤の大立ち回りや、クライマックスの殺人鬼への殴打の連発シーンでは、爽快感と痛みを両方同時に味わえる。まさに“マ・ドンソク”時間とも言うべき、不思議な味わいの時間である。

 

これだけ濃いメンツに追われる殺人鬼=The Devilもしっかりとキャラが立っている。次から次に行きずりに人を殺し、ニーチェやキルケゴールなどの哲学書を読み、熱心に教会に通うというキャラで、高い知能と人生への深い思索を備えたサイコパスである。だが、そんなインテリ設定など吹っ飛ばすような不気味な目、そして笑いがこの悪魔にはある。他者の生殺与奪の権を握ることに快感を覚えるというパーソナリティは間違いなく異常者であり、『 暗数殺人 』のテオとは方向性こそ異なるものの、異常性では全く引けを取っていない。こんな奴でも法治国家で逮捕されれば、人権が確保され、弁護士が付き、そして心神耗弱を理由に罪が軽くなる。直接的な証拠がないために法廷で裁けない。それを知っているから、どこまでも強気でいる。韓国の殺人鬼というのは、アメリカやロシアの大量連続殺人犯に負けず劣らずの異常者で、日本ではちょっと見られないタイプである。キム・ソンギュという役者の狂いっぷりには感銘を受けた。

 

何をどうやってもハッピーエンドにはならないストーリー展開だが、一つ言えることは、一度歩むと決めた道なら死ぬまでその道を歩き続けなければならないということか。法が裁けぬ悪ならば無法者が裁いてくれようというプロットは爽快であり痛快である。勧善懲悪に飽きたという向きは是非とも劇場へ。

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ネガティブ・サイド

アクションとアクションのつなぎ目が少々粗いシーンがある。具体的には中盤のドンスとチョン刑事が、刺客集団を撃退するシーン。『 オールド・ボーイ 』の廊下での大立ち回りを再現せよ、とまでは思わないが、もっと一連の格闘アクションの一つ一つを編集で連続したものに見せるのではなく、実際にひとつの連続したアクションとして撮影できなかったか。

 

警察の捜査を描く過程が少々ずさんだ。例えば殺人鬼が飲食をしたと思われる店のゴミである焼酎の瓶を選り分けるシーンは何だったのか。結局、目当ての瓶は見つかり、そこから唾液は採取できたのか、できなかったのか。また若手連中に犯人のクルマを鑑識させるが、ハンドルカバーに残った血痕を見つけるのに、そこまで時間がかかるか?犯人が手で触れているはずの箇所なのだから、真っ先に調べると思うが。それに途中でドンスの策謀で、犯人の遺留品を使って敵対するヤクザの組長をヒットマンに暗殺させるが、これまでの殺人鬼の殺しの手口と全く異なるのに、道具だけで同一犯と断定するのは少々性急に過ぎはしないか。韓国映画では警察はしばしば無能の極みに描かれるが、ここまで無能ではないはずだ。

 

そろそろ終わりかという終盤での展開が少し中だるみする。最後の刑務所うんぬんのくだりはバッサリとカットして、ビジュアルで説明すればそれで事足りたはずだ。また最後のマ・ドンソクの台詞も蛇足だったと感じた。

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総評

マ・ドンソクのマ・ドンソクによるマ・ドンソクのための映画である。北野武の往事は、「バカヤローッ!」、「この野郎!」と凄みながら相手を殴っていたが、それをマブリーの腕力でやると何かが違う。コメディの度合いと同時に恐怖の度合いも上がるという、なんとも不思議な現象が起きる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

ヒョンニム

あちらのヤクザの世界は親子ではなく兄弟関係になるらしい。下の者は上の者をヒョンニム=兄様と呼ぶ。ヒョン=兄、ニム=様である。ただ実際は兄貴ぐらいの意味合いでも使われる。吉本でも同門の若手は先輩をしばしば兄貴や兄さんと呼ぶ。『 トガニ 幼き瞳の告発 』で校長の双子の弟が兄を「ヒョン」と呼んだところ、「学校ではそう呼ぶな」とたしなめられていた。他には、『 パラサイト 半地下の家族 』のポン・ジュノ監督がアカデミー賞監督賞の受賞スピーチでタランティーノを指して「クエンティン・ヒョンニム」と言っていたのが印象的だ。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, C Rank, キム・ソンギュ, キム・ムヨル, クライムドラマ, マ・ドンソク, 監督:イ・ウォンテ, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 悪人伝 』 -The Gangster, The Cop and The Devil-

『 犯罪都市 』 -韓流・マル暴奮闘記-

Posted on 2020年7月9日 by cool-jupiter

犯罪都市 65点
2020年7月8日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マ・ドンソク ユン・ゲサン チン・ソンギュ
監督:カン・ユンソン

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『 エクストリーム・ジョブ 』の面白刑事チン・ソンギュが悪役を演じてブレイクしたという映画。安定のマ・ドンソク劇場であり、適度なユーモアがあり、韓国テイストの暴力描写もある。

 

あらすじ

衿川警察の強力班の刑事マ・ソクト(マ・ドンソク)はその強面と腕っぷしで地元ヤクザのいざこざを解決してきた。しかし、中国からやってきたチャン・チェン(ユン・ゲサン)率いる朝鮮族マフィアが台頭。事態は警察、韓国ヤクザ、中国マフィアの三つ巴の抗争の様相を呈し始めて・・・

 

ポジティブ・サイド

マ・ドンソクの魅力が本作でも爆発している。その腕っぷしでヤクザでも何でも平手で張り倒して、問答無用で言うことを聞かせる。それがなんともユーモラスだ。なんとなくNBAの往年のスター、チャールズ・バークレーやシャキール・オニールを思わせる。ガキ大将がそのままデカく成長しただけのように見える。そこが逆にかっこいい。警察というガッチガチの縦割り組織に身を置きながらも、どこか自由人的な雰囲気も感じさせる。お世辞にも美男子とは言えないが、顔の美醜を超越したカリスマ的なオーラもある。中尾彬をごつくしたような渋さもある。

 

主人公がこれだけキャラが立っていると、悪役側も相当な悪でなければ務まらないが、ユン・ゲサンとチン・ソンギュ演じる朝鮮族の高利貸し男の冷酷無比かつ残忍、さらに狂暴なキャラ設定は、確かにマ・ドンソクと鮮やかなコントラストを成している。序盤に出てくる韓国ヤクザをとことんまで舐め腐った態度に、有無を言わせぬ暴力。はっきり言って人間を人間と思っていない。それはそのまま、彼ら朝鮮族の延辺やハルビンでの扱われ方なのだろう。日本の半グレというのがどの程度のワルの集団なのかはよく知らないし知りたくもないが、この朝鮮族のような失うものがない人間たち、目の前の人間から奪い取ることしか考えない人間の集団ではないことを祈りたい。

 

本作では銃火器が使用されない。その代わりに『 聖女 Mad Sister 』でも使われた長柄ハンマー、『 哀しき獣 』のミョン愛用の手斧など、『 アジョシ 』のテシクのナイフなど、ダメージを与える以上に痛みを与える武器が多用される。視覚的に痛いのだ。よくここまでやれるなと呆れると同時に感心させられる。

 

本作では印象的なアクションシーンが二つある。一つは中盤の朝鮮族マフィアと韓国ヤクザの大乱闘。特に消火器が噴霧された中でのワンカット(に編集された)チャン・チェンとイス組の組長の殺し合いは必見。もう一つは、ラストのチャン・チェンとマ・ソクトのステゴロ。その戦う環境も強烈だし、バトルそのものも周囲を破壊しまくる大迫力。パンチを決定打にするのではなく、submission maneuverを極めてしまうところが妙にリアルだ。

 

適度にひねりもあるし、オチもそれなりに痛快。スカッとした気分になりたい梅雨空の日にちょうど良いだろう。

 

ネガティブ・サイド

ラストのバトルシーンで、何箇所かスタント・ダブルを使っている。できればマ・ドンソクとユン・ゲサンにすべて演じてほしかった。興行収入で『 アジョシ 』超えと言われてもピンとこない。ウォンビンはアクションを全部自分でこなしたではないか。

 

見事な死亡フラグを立てるキャラが予想に反して生き残る。それは別に良い。だが、そこで人が変わってしまうのはどうなのか。あのようなシチュエーションを潜り抜けたら、もっと慎重に、あるいはもっと臆病になってしまうと思うのだが。某キャラクターの豹変ぶりがチト説明しづらいように思う。

 

また広域警察や公安まで出張って来る事態になるのだが、もっと中央の権威というものを呵々と笑い飛ばすような演出が欲しかった。ソウルから来た刑事に握手すると見せかけて、その手を握りつぶすシーンがあるが、この情けないオッサンを班長の代わりにはできなかったか。すなわち、各シーンでリーダーシップを発揮しようとするも微妙に浮いてしまうというキャラだ。本作は究極的にはdick-measuring contest、すなわちアホな男たちの意地の張り合いなのだ。だからこそ、体面やら中央の権威やらはノイズになるのである。

 

総評

普通に面白い作品である。朝鮮族についての背景知識がなくとも、単にヤクザの抗争だと思えばそれで充分。主人公が「気は優しくて力持ち」的な作品にはハズレが少ない。予定調和的であるが、良い意味で手堅くまとまっている。本作か『 新感染 ファイナル・エクスプレス 』を鑑賞すれば、マ・ドンソクのファンになること請け合いである。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

カッカチュセヨ

Jovianはこれまでに二回韓国に行ったことがある。そこで非常に重宝したのが、この「カッカチュセヨ」である。値切り交渉ができるところが大阪人と韓国人の共通点である(とヒョーゴスラビア共和国民のJovianが言ってみる)。このチュセヨも便利な表現で何か欲しい時には、全部これで通じる。20年前にガイドさんに教えてもらって、今でも覚えているのが「パチュセヨ(ご飯ちょうだい)」と「ムルチュセヨ(水ちょうだい)」である。これらは実際に大阪・鶴橋のおばちゃん達には通じた。カッカチュセヨも通じたが、飲食代はさすがに負けてくれないのが鶴橋である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクション, クライムドラマ, チン・ソンギュ, マ・ドンソク, ユン・ゲサン, 監督:カン・ユンソン, 配給会社:ファインフィルムズ, 韓国Leave a Comment on 『 犯罪都市 』 -韓流・マル暴奮闘記-

『 哀しき獣 』 -韓国ノワールの秀作-

Posted on 2020年6月25日 by cool-jupiter

哀しき獣 75点
2020年6月23日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ハ・ジョンウ キム・ユンソク
監督:ナ・ホンジン

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『 暗数殺人 』のキム・ユンソクに痺れたので、本作もさっそくレンタル。韓国社会および朝鮮族というアウトサイダーのダークサイドをまざまざと見せつけられた。

 

あらすじ

中国・延辺朝鮮族自治州のタクシー運転手グナム(ハ・ジョンウ)は借金で首が回らず、妻を韓国に出稼ぎに出していた。だが、妻とも連絡が途切れた。そんな時、犬商人のミョン(キム・ユンソク)から韓国である人物を殺害すれば借金と同額の報酬を約束された。グナムは意を決して黄海を渡るのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

暴力の描写に一切の妥協をしない韓国映画界の中でも、ナ・ホンジン監督は図抜けている。『 チェイサー 』のキム・ユンソクは殴る蹴るの暴行だったが、本作ではハ・ジョンウもキム・ユンソクも手斧や刃物で相手を傷つけ、殺しまくる。良い意味でも悪い意味でも度肝を抜かれたのが、ミョンがぶっとい牛骨で敵を撲殺していくシーン。さっきまで自分たちが鍋で食っていたものを武器にするのは、映画史上に残る珍演出ではなかろうか。骨で何かをぶっ叩くシーンがこれほど印象的なのは『 2001年宇宙の旅 』の冒頭のサル以来ではないか。これは誉め言葉である。『 アジョシ 』のテシクの洗練された殺人術ではなく、本能のままに殺していく、まさに獣である、

 

暴力だけではない。走る。走って走って走りまくる。『 チェイサー 』でも走りまくったハ・ジョンウとキム・ユンソクがさらに走る。『 ターミネーター2 』のロバート・パトリックを彷彿させる走りっぷりである。人間にも動物にも、闘争・逃走反応(Fight-or-flight-response)というものがあるが、本作のグナムは逃走から闘争へとドンドンと狂暴化していく。走って逃げた先が袋小路であれば、牙を剥くしかない。窮鼠猫を嚙むというのは真実である。

 

本作は前半と後半でがらりと趣が変わる。ソウルに渡ったグナムがターゲットの店を入念に下見して行動パターンを掴むまではクライムドラマ風味だが、ターゲットが死んだところから、一気に逃走サスペンスになりアクション映画にも変貌する。『 逃亡者 』のリチャード・キンブルもかくや、というほどの逃走劇。ビルの壁を伝い、窓を突き破ってクルマの上に落下し、路地を走ってパトカーを振り切り、大通りを突っ切って事故を誘発して、警察から逃げおおせる。山を越えるし、検問も逃げ切る。原題の英語版は“The Fugitive”ではないのかと思ったほどだ。この警察からも裏社会からも追われるという緊張感と恐怖は、ちょっと想像がつかない。大型船をめぐる逃走劇と闘争劇がクライマックス近くにあるが、『 AI崩壊 』の入江監督は、本作をもっと研究すべきだったのだろう。それぐらい、船の中でのバトルシーンには迫力と迫真性がある。狂乱の逃走劇は、実際には様々なカットを編集しているだけとはいえ、ジャンパーが切り裂かれた時に羽毛がひらひらと舞うシーンを挿入することで、一連のシークエンスに見せることに成功している。これはすごい演出である。

 

本作を観ていると、本当に身につまされる。朝鮮族という、中国人でもなく韓国人でもない立場の人間とは、いったい何なのか。寄る辺ない人間にも、やはり寄る辺は必要なのだ。グナムは確かに甲斐性無しであるが、だからといって妻への思慕の念や子への愛情までも否定されてよい存在ではない。特に何度も夢に見る妻との閨房のシーンの切なさは、男やもめならずとも容易に想像がつくだろう。哀しき男だ。だが本作の邦題は『 哀しき獣 』である。その意味は、ラストシーンで明らかになる。この救いの無さに救いを感じることができる自分に虚しい乾杯をあげたいと思う。

 

ネガティブ・サイド

ミョンの大暴れシーンで二度ほど画面がセピア色に変わるが、これは不要な演出。頸動脈から血液がドバっ、というシーンや脳天がカチ割られるシーンでこれが起こるが、そこをカラーで映し出してこその韓国映画ではないのか、ナ・ホンジン監督。

 

ミョンがグナムに殺しの依頼をする背景と真相は、かなり拍子抜けさせられるものである。というか、『 新感染 ファイナル・エクスプレス 』でも感じたが、韓国ではバス会社の社長や常務というのは、社会的に決して尊敬されない、逆に忌避され疎外される存在なのだろうか。財閥の人間とまでは言わないが、もっと社会的に実力のある人間であるように描写すべきだ。上級国民が下級国民を使嗾して悪事を働かせた。それが自らに盛大なしっぺ返しとして返ってきた。このようなプロットは書けなかったか。本作における朝鮮族には、あまりにも救いや希望がなさすぎる。

 

グナムがたびたび妻との房事を夢に見るが、それによりエンディングのシーンの悲哀が逆に少し薄れてしまっているように感じた。最後の最後に一瞬、妻のことを思い出す。あるいは、いざ殺人という瞬間に妻の顔が脳裏をよぎる。それぐらいの演出の方が個人的には望ましかった。

 

総評

原題は『 黄海 』=The Yellow Sea、すなわち朝鮮半島と中国の間の海である。中国人でも韓国人でもない朝鮮族の悲哀の象徴なのだろう。本作はテーマだけではなく技法でも優れている。グナムの髭の伸び具合をよくよく観察してみよう。時間の経過がリアルに感じられるはずである。そして、グナムが持ち運んでいる指の汚れ具合や腐敗具合にも注目しよう。一昔前の邦画の任侠映画における指が、いかに作り物然としているのかが一目瞭然である。バイオレンス描写に耐性がないのなら、本作を観てはならない。耐性があるのなら観よう。韓国映画の特徴と魅力が本作にたっぷりと詰まっている。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

オイ

日本語でも「おい」という相手に対する呼びかけの言葉として使われている。日韓共通語かと思わせて、さにあらず。英語でも“Oi!”という表現は、話し言葉でも書き言葉でも使われる。意味もやはり「おい」である。なにか間投詞として人間の根本的な言語感覚に普遍的に訴える音の響きがあるのかもしれない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, キム・ユンソク, クライムドラマ, ハ・ジョンウ, 監督:ナ・ホンジン, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 哀しき獣 』 -韓国ノワールの秀作-

『 テルマ&ルイーズ 』 -抑圧された女性の絆とロードトリップ-

Posted on 2020年5月24日2020年9月26日 by cool-jupiter

テルマ&ルイーズ 85点
2020年5月23日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ジーナ・デイビス スーザン・サランドン
監督:リドリー・スコット

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確か中学生ぐらいの時に親父がVHSを買っていたように思う。自分では観なかったが。テレビドラマ『 リゾーリ&アイルズ 』のとあるエピソードで、アイルズ先生がリゾーリの自宅に「一緒に観よう」と持ってきたのが本作。そこで興味を持った。自粛ムードを吹っ飛ばすにはちょうど良いと思い、兵庫県から大阪府へ(といっても直線距離で8kmほど)。

 

あらすじ

専業主婦のテルマ(ジーナ・デイビス)とウェイトレスのルイーズ(スーザン・サランドン)は週末の旅行に出かける。日頃、夫によって抑圧されていたテルマは、立ち寄ったバーで男性と意気投合し、酒とダンスに興じる。だが、レイプされそうになったところをルイーズに救われる。ルイーズはしかし、侮辱的な言葉を発する男を射殺してしまう。テルマとルイーズの二人は逃げるしかなくなり・・・

 

ポジティブ・サイド

『 運び屋 』や『 グリーンブック 』、『 ダンス ウィズ ミー 』のように、ロードムービーは定期的に生み出されている。その中でも本作は白眉である。抑圧から解放がある一方で、解放された先に抑圧がある。物語の進行やキャラクターの造形がひと通りではない。

 

シネマグラフィーも素晴らしい。薄暗いダイナー、そして薄暗い室内、そして全体的に日照の少ない街並みから始まって、アメリカ中西部から南西部にかけてロードトリップに出るのだが、ストーリーが進行するほどに画面にどんどんと色が出てくる。だが、ある時からその色が黄色の砂と赤茶けた岩の色に塗りつぶされていく。それはテルマとルイーズの二人のキャラクターが内面的に変化していく様と不思議なコントラストを成している。人間的に成長したくましくなっていく、あるいはクールに見えた人間が狼狽え、取り乱していく。そうしたキャラクターの心情が画面の色使いで伝わってくる。CM監督出身の巨匠リドリー・スコットらしい手腕である。

 

そのリドリー・スコットの投げかけてくるメッセージは明確である。弱者を虐げるな、ということである。テルマもルイーズも悪くない。悪いのは、テルマをレイプしようとしたハーランであるし、彼女の話をまともに聞こうともせず、浮気には精を出す夫である。ルイーズも男には恵まれているように見せて、そうではない。明確には明かされないが、悲しい過去がある。『 ジョーカー 』でも感じたことだが、弱者を踏みつけてはならない。弱者とは持たざる者である。失うものがない者は恐れるものがない。恐れるものがない者は、一線を越えてしまってもおかしくない。リドリー・スコットというと『 エイリアン 』や『 ブレードランナー 』のようにSFのイメージが強い。しかしその実態は、抑圧された環境下での人間の変化だったのではないだろうか。

 

テルマとルイーズが行く先々で罪を犯していく。本来ならば陰鬱な逃避行のはずが、爽快感が感じられるのは何故か。それは人間の本性がむき出しになっていくからだ。ルイーズは恐ろしい剣幕で「テキサスには行くな」とテルマに迫る。テルマはルイーズに「警察と取引したのか」と食ってかかる。共犯として協力し合わなければならない二人の間にすら緊張が走る瞬間がある。それすらも爽快なのだ。なぜそうなのか。それは劇場または自宅で観て、ぜひとも確かめてみてほしい。

 

ネガティブ・サイド

マイケル・マドセン演じるジミーが、とにかく男の中の男である。ルイーズに「警察には何もしゃべらないで」と頼まれて、実際に何もしゃべらなかったと推測されるのだが、そのシーンが欲しかった。テルマの夫のダリルのクソっぷりと対比させることはできなかったのだろうか。数少ない、魅力ある男性キャラだったのだが。

 

二人を追う刑事ハルも味のあるキャラだったが、その描写が少々弱い。ブラピ演じるJDと取調室で二人だけになるシーンでは、連れの刑事の「ヒューッ」という口笛から何らかの惨劇が予想されたが、いくらなんでも生ぬるすぎる。あの程度の責めでブラピが急に語尾に sir をつけて話すようになるとは考えづらい。この叩き上げの刑事をもう少し掘り下げてほしかった。

 

逃避行の発端となった酒場の女性従業員のような、二人の協力者となるような女性サブキャラがもう少しいれば良かったのにとも思う。何らかの事情を察した女性が、テルマとルイーズの逃避行を、陰ながらサポートすると演出もあってよかったのではないか。トランクに閉じ込められた警察官にタバコの煙を吹きかけてやるという演出も悪くはなかったが、より better な演出はもっといくらでもあったはずである。

 

総評

ロードムービーにしてアメリカン・ニューシネマの傑作である。80~90年代のヒットソングでHans Zimmerの音楽と鮮やかな色遣い溢れる画面とが相まって、芸術的とさえ言える美しさも備えている。道なき道を爆走するテルマとルイーズの姿に心を動かされない人がいようか。現代にも通じるメッセージが明確に込められており、そしてそれは未来へもつなげていくべきメッセージである。このような映画こそ、次世代に残していきたいし、映画館でリバイバル上映をもっと盛んに行ってほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

figure out

フィギュア・スケートのフィギュアの主な意味は、「形」や「数字」である。つまり、figure outとは、形や数字として出す、という意味である。figure out a mystery=謎を解く、figure out what to do=どうすべきを考える、という具合に使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, A Rank, アメリカ, クライムドラマ, ジーナ・デイビス, スーザン・サランドン, ブラッド・ピット, 監督:リドリー・スコットLeave a Comment on 『 テルマ&ルイーズ 』 -抑圧された女性の絆とロードトリップ-

『 スプリング・ブレイカーズ 』 -Nothing Lasts Forever-

Posted on 2020年4月28日 by cool-jupiter

スプリング・ブレイカーズ 50点
2020年4月27日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジェームズ・フランコ セレーナ・ゴメス ヴァネッサ・ハジェンズ アシュリー・ベンソン レイチェル・コリン
監督:ハーモニー・コリン

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『 アジョシ 』のあまりにも重い余韻を中和しようとアニメの『 11人いる! 』を鑑賞したが、効果は薄かった。こういう時は脳みそを使わずに済む作品を観るべし。というわけで近所のTSUTAYAで観た瞬間に「これだ!」と確信した。

 

あらすじ

 

大学生のフェイス(セレーナ・ゴメス)、キャンディ(ヴァネッサ・ハジェンズ)、ブリット(アシュリー・ベンソン)、コティ(レイチェル・コリン)の4人組は春休み=スプリング・ブレイクにフロリダ旅行に出かけようと計画する。勢いで行った強盗で思いがけぬ大金を手にした4人だが、当然警察に見つかる。彼女らは窮地を麻薬の売人のエイリアン(ジェームズ・フランコ)に救われて・・・

 

ポジティブ・サイド

本作のような作品は何をもってポジティブと見なすかが難しい。開始5分はビーチで乱痴気騒ぎに興じる若い男女(ポロリやモロ出しもあるよ!)にありふれたBGM。次の3分は大学の授業中に猥談する女子大生、次の25分は途中に強盗行為も挟みつつ、基本的には水着、おっぱい、酒、たばこ、ドラッグ、直接的な描写こそないものの乱交である。30分画面をながめていて、ずっと水着、おっぱい、酒、たばこ、ドラッグの描写しかない。なんという金太郎飴的な作りか。だが、自ら望んでこういう映画を借りたのだ。アシュリー・ベンソンらの健康的な水着姿やトップレス姿を楽しもうではないか。

 

最も目についたのは麻薬の売人のジェームズ・フランコの怪演。銀歯をぎらつかせながら放蕩生活を送るポン引き的な外見で、札束とドラッグと銃火器をたんまり溜め込んだ謎の男で、しゃべり方がまさに南部のストリート育ちという感ありあり。さらに日本で例えるなら、シンナーのやりすぎで前歯と前歯の隙間がすっかすかに空いた人間が、空気を漏らしながら喋っている感じ。怖い。そしてキモイ。逆フェラをかます様子は、単純に滑稽で、それでいて剣呑だ。笑顔が特に不気味で、『 スパイダーマン 』シリーズのハリー役の頃の若々しさや、能天気と言えるほどの無邪気さはまったくない。極端な役はある意味で演じやすいとはいえ、これはイメージが変わりすぎ。フランコの顔や雰囲気が好きというライトなファンは、本作は敬遠した方が良いかもしれない。

 

アホな女子大生たちの刹那的な歓楽の享受がテーマであるように見るが、さにあらず。ブレイカーズの面々は必ずしも皆が同じというわけでなない。信心深い者もいれば、用心深い者もいる。一方で今しか見えていないように見えるお馬鹿女子も、旅先のフロリダから家族に連絡を入れ、春休み明けには学業に本腰を入れると真面目な顔で宣言する。そしてそれは嘘ではない。もしもその場しのぎの嘘ならば、電話を切った直後に仲間と一緒に大笑いするだろうからだ。そんなシーンはなかったし、彼女ブレイカーズは反応の仕方こそ違えど、青春の終わりを予感している。日本でも成人式の日に酒をがぶ飲みしたり、喧嘩したり、周囲に迷惑をかけて「こんなことができるのも今日が最後っすから!」みたいな連中が昔も今も存在している。本当は成人式は「こんなことができなくなる最初の日」だ。青春との別れを従容と受け入れる者もいれば、その別れから全力で走り去ろうとする者もいる。あまりにも紋切り型で金太郎飴のような作りの前半の描写の意味が、最後の最後で明らかになる。Spring Break Forever! 本作を日本版に換骨奪胎したのが『 チワワちゃん 』であろう。

 

ネガティブ・サイド

事件らしい事件が起きて、ドラマが動き出すまで1時間かかる。展開が恐ろしいほどにスローである。もちろん、全ては意図があっての構成なのだろうが、レンタルやストリーミングで自宅でこれを見るとなると、普通に寝てしまう人が続出するだろう。というか、映画館でも寝てしまうのでは?

 

ブレイカーズの面々の退屈なキャンパスライフや、満たされないセックスライフを描くシーンがあれば、フロリダの解放感やパリピな人々との交流の楽しさがもっと伝わったのでは?また、フェイスやコティがグレイハウンド・バスでフロリダを去って家路に着く流れは、もう少し尺を取っても良かった。明らかに南国な植物が繁茂するエリアから、だんだんと無機質な背景に変わっていく様をバスの車窓を通じて見せれば、フロリダから物理的に離れていくことが、若さとの精神的な決別になるというシネマティックな表現になっただろうにと思う。

 

J・フランコ演じるエイリアンは実に味のあるキャラクターだが、『 スカーフェイス 』を常時再生しているというのは、演出的に外れている。アル・パチーノの壮絶な生き様と死に様をリスペクトしているなら、同じように壮絶に生き、壮絶に死んでいってほしい。生き方そのものが軽佻浮薄なのは良いとしても、死に方がちょっと・・・ 若気の無分別を象徴するキャラクターで、だからこそキャンディとブリットは、イエスを裏切った直後のユダよろしく、エイリアンにキスをするのだろう。エイリアンの生き方をもっとギャングスターらしくするか、死に様をもっとドラマチックにするか。さもなくば『 スカーフェイス 』に言及するくだりを丸ごと削除すべきだろう。

 

総評

思いがけず深いテーマが潜んでいるが、単純にパリピな若者たちがワーワーキャーキャーやっていて、ところどころにセクシーな姿態が見られるというBGVとしても観ることができる。というか、そういう作品を自分でチョイスしたんだった。20歳前後ならば、感情移入できるかもしれないが、中年が鑑賞すると「自分にもこんな時期があったな」と懐かしく振り返るか、「自分にはこんな時期はなかった」と恨めしくなってしまうかのどちらかだろう。ある意味、空っぽな青春だったか充実した青春だったかを確認するためのリトマス試験紙のような映画である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Nothing lasts forever.

劇中の台詞でないが、まさに青春時代は永遠には続かない。Nothing lasts forever. は直訳すれば「永遠に続くものは何もない」、意訳ならば「どんなものでもいつかは終わる」ということである。楽しい青春時代も、現在のようなコロナ禍も、何事もいつかは終わりを迎えるものなのである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アシュリー・ベンソン, アメリカ, ヴァネッサ・ハジェンズ, クライムドラマ, ジェームズ・フランコ, セレーナ・ゴメス, レイチェル・コリン, 監督:ハーモニー・コリン, 配給会社:トランスフォーマーLeave a Comment on 『 スプリング・ブレイカーズ 』 -Nothing Lasts Forever-

『 ギャングース 』 -半端者たちの中途半端な物語-

Posted on 2019年12月31日 by cool-jupiter

ギャングース 50点
2019年12月30日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:高杉真宙 渡辺大知 加藤諒 金子ノブアキ
監督:入江悠

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東宝シネマズ梅田で昨年公開していたのを見逃したので、あらためてDVD鑑賞。日本の暗部を上手くエンターテインメント風にまとめてはいるが、最後の最後のショットは人によって好みや解釈が分かれるところだろう。それが入江監督の意図なのかもしれないが。

 

あらすじ

サイケ(高杉真宙)、カズキ(加藤諒)、タケオ(渡辺大知)は少年院上がりの3人組。まともに社会復帰ができない彼らは、半グレ集団からのタタキ(窃盗)を稼業にしていた。そして3人で3000万円を貯めて、正道に立ち返ることを目標にタタキに邁進していくが・・・

 

ポジティブ・サイド

若手俳優たちが躍動している。ヤクザ映画が時代と共に減産となり、入れ替わるかのように盃ごととは異なる次元のアンダーグラウンド世界を描く作品が映画や漫画、小説でも増えてきた。特に高杉真宙は『 君が君で君だ 』のクズ彼氏役が今一つだったが、『 見えない目撃者 』で悪ぶった10代を好演。そして本作でも少年院あがりの半端者をしっかり表現できていた。この調子で精進して第二の菅田将暉を目指すべし。

 

Jovianのお気に入り俳優である渡辺大知も光っていた。『 ここは退屈迎えに来て 』でも、子ども時代になかなか決着をつけられない半端な大人キャラ、さらにはLGBTQをも思わせる役を演じていたが、本作でも爽やかながらに前科者というギャップのあるキャラを、明るさあと腕っ節の両方で描出した。

 

だが何と言っても白眉は加藤諒だろう。三枚目キャラでありながらも最も重い因果を背負っているというギャップがたまらない。刹那的な生き方 ― それはつまり牛丼だ ― を追い求めるのは、一日を生きることにも苦労したことの裏返しである。犯罪を行うことに最も屈託がなさそうに見えるのは、それだけ普通の生活を送ってこなかったことの証明でもある。幸せになりたい、そして誰かを幸せにしてやりたいと心から素直に願えるのは、幸せの閾値が低いからである。それは不幸なことかもしれない。幸せな体験が少ないことを意味するから。一方で、それは幸せなことかもしれない。ありふれたことにも幸せを見出せるから。このカズキというキャラクターをどう捉えるかが、その人の心の豊かさ、または貧しさの度合いを測るリトマス試験紙になっている。そしてカズキは『 存在のない子供たち 』のゼインでもある。詳しくは作品を鑑賞されたし。ところで、このキャラの前科を描くシーンおよび家は『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』で鶴瓶が妻と間男を刺殺した家だろうか。家もそっくりに見えるし、殺人に至る流れもそっくりであり。

 

金子ノブアキの番頭ぶりも良い。番頭と言えば漫画『 魔風が吹く 』が思い出されるが、金子も負けていない。オレオレ詐欺の前に従業員に対してmotivational speechを行う様は圧巻である。チンピラ的な役が多かったが、年齢相応に存在感やカリスマ性も増してきた。ピエール瀧の後釜を本気で狙ってほしいと思う。

 

MIYAVIも悪くなかった。『 BLEACH 』では信じられないほどの大根演技を披露したが、本作では喋りだけではなく格闘アクションも披露。『 影踏み 』の山崎まさよしのように音楽と演技の二足のわらじを履き続けられるかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

事実を取材したというが、リアリティの欠如も多い。半グレの借りている貸倉庫を急襲してタタキを行うのは分かる。半グレは警察に被害届を出すことをためらうからだ。だが、鍵を壊された貸倉庫の業者はためらうことなく被害届を提出するだろう。それとも貸倉庫自体が半グレの経営によるものなのか?そのような描写はなかった。

 

また、今日のメシ代にも困る奴らがクルマを乗り回していることにも違和感を覚えた。ガソリン代はどうやって捻出している?そもそも免許を持っているのか?車検などをしっかりクリアできている車両なのか?車両保険はどうなっている?いままで一度も検問や職質にひっかからなかったとでも言うのか?

 

六龍天が本当に口にするのもはばかられるほどヤバい組織であるという設定はよい。だが、そのトップが腕っぷしで勝負するタイプというのはどうなのだ?ヤクザなら銃やドスを普通に持っている。自分自身が武装していなくても、取り巻きが短刀やスタンガンなどの武器を携帯していないのは不自然極まりない描写に感じられた。

 

本作の裏テーマは、「家族とは何か」である。『 万引き家族 』を観るまでもなく、血のつながりは濃いものであるが、血のつながりよりも濃いものもあるのである。それは『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』のテーマでもあった。カズキは疑似的な妹ができるのだが、彼女を引き取ろうという気概はないのか。家族とは作り上げるもの、そしてどんな形であれ最終的には離散するものでもある。子どもとは巣立ちしてナンボなのである。少年院を出たということは少年だったということである。だが、いつまでも少年ではいられない。この3人組は友情を確かめつつも、成長と独立を志向すべきだった。それこそが本当の意味のカタルシスにつながる。エンディングのショットは解釈が割れるだろう。幸せは平々凡々な瞬間に存在するという意味にも受け取れるし、他人の幸せに関心を払う人間など現代には存在しないという風にも受け取れるからである。Jovianは前者の説を取りたい。何故なら、それこそが全編をかけて本作が追い求めてきた真実だからである。だからこそ入江監督には、曖昧な映像ではなく、しっかりとした意図が込められた画で最後を締めて欲しかった。

 

総評

半グレは残念ながら日本社会に根を張ってしまった。そうした半グレを逆に狙う少年たちの物語は、それだけで痛快である。同時にそうした世界に足を踏み入れてしまうことのリスクも一応描かれている。そして、幸せとは何かを考えるきっかけにもなる本作は、中高生の教育用に案外向いているのかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Let us do this heist!

タタキという言葉は完全にジャパニーズ・スラングである。だが、英語では強盗・窃盗はheistという。「このタタキ、やらせて頂きます!」も上の英文でOK。ちなみにheistという単語は傑作映画『 ベイビー・ドライバー 』で頻出する。動詞の選択に迷った時はdoでOKである。

do a presentation   プレゼンをする

do a movie review   映画のレビューを行う

do some cooking   料理をする

do some laundry   洗濯をする

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, D Rank, クライムドラマ, 加藤諒, 日本, 渡辺大知, 監督:入江悠, 配給会社:キノフィルムズ, 金子ノブアキ, 高杉真宙Leave a Comment on 『 ギャングース 』 -半端者たちの中途半端な物語-

『 ジョーカー 』 -救世主の誕生秘話-

Posted on 2019年10月9日2021年11月7日 by cool-jupiter

ジョーカー 85点
2019年10月5日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ホアキン・フェニックス ロバート・デ・ニーロ
監督:トッド・フィリップス

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Believe the hype. という表現がある。「誇大広告を信じろ」、つまり「ガチですごいんだ」という意味である。公開前から世界中の批評家やPR担当者たちは本作を手放しで絶賛した。否が応にも期待が高まる。往々にして、Hype can ruin a film. 一部に誤っていると思われる広告やキャッチコピーの類もあるが、本作は間違いなく傑作である。

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あらすじ

アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は、緊張すると笑ってしまうという障がいを抱えながらも、ゴッサムの片隅でピエロ稼業をしながら、コメディアンになることを夢見ていた。母親と二人暮らしで、フランクリン・マレー(ロバート・デ・ニーロ)がホストのテレビ番組を楽しんでいた。だが、街も人々も彼の存在をどこまでも軽んじる。そんな時、同僚から護身用にとアーサーは拳銃を手渡され・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭から異様な雰囲気である。男は笑いながら苦しんでいる。笑い過ぎて、呼吸ができず苦しくなったわけではない。その笑い声には陽気さはなく、悲愴感が漂う。笑うことそのものが苦しみで、その苦しみが更なる笑いをもたらしている。そのようにすら感じられる。何ともダークで不安を煽るオープニングである。

 

すでに世界中で100万回指摘されていることだが、やはり『 タクシードライバー 』によく似ている。その一方で必ずしも似ているばかりでもない。トラヴィスは劇中で最後に自分を袖にした女を華麗に見限るが、アーサーはそうではない。トラヴィスは劇中でも現実世界(我々の生きている映画の外の世界、の意)でも信者を得るが、アーサーは劇中では信者を、現実世界では共感者を得ている。トラヴィスは非モテ男の支持を得た一方で、アーサーの支持基盤は社会の底辺に生きる者、あるいは社会から疎外された者たちだろう。彼の住む集合住宅はオンボロもいいところで、立地も街の中心部から相当に離れている。なおかつ駅から降りてとんでもない上り階段に臨まなくてはならない。街には行政的な課題が山積しているが、市政は動かない。このような地域や状況は、先進国と言われる国でも密かに進行しつつある事態である。これだけでも我々はアーサーやその道化師仲間たちに共感させられる。底辺にいる俺たちだって生きているんだ。この時点で彼らにシンクロしてしまう人間は相当に多いはずだ。そのタイミングを狙って、DCやワーナーは本作を世に送り出してきたのではないか。だとすれば、マーケティング戦略としては満点であろう。

 

日本との類似を指摘する声も多い。実際にJovianもそう思う。十把一絡げに言ってしまえば、いわゆる嫌韓嫌中な方々がアーサーと同じような境遇にいそうだ。偏見であることは承知しているが、どうしても本作はそのように観る者に迫ってくる。社会が悪い。俺は悪くない。俺という人間が生まれきたことには意味があるはずだ。俺の生まれはこの国で、俺の親はこの立派な国の人間だ。そのような妄想的観念が覆された時に人はどうなるのか。KKKの熱心なメンバーがDNA鑑定を受けたら、4代前に黒人がいた、という話は実はよく聞こえてくる。それを機に改心する者もいれば、自殺する者もいたという。自分という人間の出自に関心を持つことは至極当然であろう。問題はそれに強すぎるこだわりを持つことだ。だが、アーサーのように社会に無視され、奪われ、虐げられるだけの者が、他に何を拠り所に生きろと言うのか。

 

アーサーがジョーカーに変貌していく過程にリアリティがあるかと問われれば、無いと答える。ひょんなことから銃を手に入れ、ふとしたきっかけで発砲せざるを得なくなることに必然性はない。だが、自分がそうした立場に置かれた時、どのように反応するだろうかという思考実験の材料にはなる。アーサーという個人に特徴的な意図せざる笑いがこみ上げてくるというコンディションを抱えており、それは確かにハンディキャップになっている。けれども、それが彼がジョーカーに変わっていく触媒ではない。アーサーをジョーカーに変えたものは、陳腐な表現をすれば社会の闇である。寄る辺なき者たちは、きっかけさえあればジョーカーになり得る。本作はそのように主張しているかのようだ。もっと言えば、悪とは善の対立概念ではない。悪とは善の欠如でもない。悪とは、それ自体が救いになりうる。そのような逆説を本作は提示している。クライマックスのジョーカーは、誰がどう見てもゼーロータイによって実際に担ぎ上げられてしまったイエス・キリストのアナロジーに他ならない。もしくは『 Vフォー・ヴェンデッタ 』のパラレル・ユニバースであるとも言えるかもしれない。

 

ホアキン・フェニックスの怪演には感動を覚えたが、特にとあるシーンでアーサーがじっと沈黙するシーンには身震いした。その黒い両目の奥に譬えようのない怒りと悲しみを感じ取ったからだ。目の演技としては今年一番と言っても差し支えないだろう。仮面をかぶる、あるいは顔面に過剰なメイクアップを施す。それは内心にある全ての負の感情を覆い隠すためのものである。顔では笑って、心では泣いている。もしくは顔は笑って、心は怒っている。そのような二律背反のキャラクターをJ・フェニックスは、ジャック・ニコルソンやヒース・レジャーと遜色ないレベルで演じ切った。米アカデミーがどのように反応するのかは分からないが、『 ドント・ウォーリー 』と本作で、本ブログにおける2019年の海外最優秀俳優はJ・フェニックスで決まりである。

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ネガティブ・サイド

終盤のテレビ番組開始前に、アーサーは少し喋りすぎだったように感じる。具体的に言えば、ロバート・デ・ニーロに“Can you introduce me as Joker?”と全てを尋ねる必要はなかった。単に、“Can you introduce me as … ”で、いったん別の場面へカット。そこから出演ゲストの紹介場面に戻って来た時に、初めて“Joker”という名前に言及した方が、よりドラマチックだったはずだ。陳腐と言われるかもしれないが、『 ダークナイト 』においても、バットマンが実際に劇中で“ダークナイト”と呼称されるシーンは最終盤だった。それゆえにそのシーンは観る者に鳥肌を立たせるほどの衝撃を与えた。ジョーカーという名前、顔、風貌にもっとインパクトを与える演出があったはずである。

 

また、これは映画に対する不平不満ではないが、【 本物の<悪>を観る覚悟はできたか? 】だとか【 本当の悪は笑顔の中にある 】というキャッチコピーこそ、誇大広告だろう。アメリカで一番多く使われたと思しき販促フレーズの一つは“PUT ON A HAPPY FACE”であるようだ。「幸せの仮面をかぶれ」という意味である。アーサーという人物の人生そのものがある意味で仮面であることを絶妙に言い表している。単に刺激的なキャッチコピーをつけてみました、というだけでは短期的な利益にはなるかもしれないが、長期的には信用を無くすだけだろう。PR担当企業にはよくよく考えてもらいたい。

 

総評

非常に野心的で挑戦的な映画である。悪が救いであると、ここまで高らかに謳い上げた作品は少ないのではないか。アーサーという心優しい、ある意味でとても哀れな男が壊れていく様には同情を禁じ得ない。しかし、その同情が共感に、共感が信仰に、信仰が人々の具体的な行動に結びついてしまった時、悲劇は起こる。これは純然たるフィクションなのだろうか。それとも現実世界のシミュレーションなのだろうか。一つだけ言えるのは、本作が今年を代表する一本であることは間違いないということである。

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Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

EVERYTHING MUST GO

 

直訳すれば「あらゆるものが消えねばならない」だが、これでは意味不明だ。この go の使い方から“Let it go”を連想できれば英語学習の中級者またはそれ以上のレベルと言える。劇中での使われ方を見れば一目瞭然で「全品売り尽くしセール開催中」というような意味である。Jovianは実際に15歳でアメリカ、ニューヨークを旅行中にこの表示を見たことがあるし、その後のドラマや映画でもチラホラ見かける。知っておいて損はない表現である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, クライムドラマ, ヒューマンドラマ, ホアキン・フェニックス, ロバート・デ・ニーロ, 監督:トッド・フィリップス, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ジョーカー 』 -救世主の誕生秘話-

『 バットマン 』 -ダークヒーロー誕生物語-

Posted on 2019年9月9日 by cool-jupiter

バットマン 70点
2019年9月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マイケル・キートン ジャック・ニコルソン ビリー・ディー・ウィリアムズ
監督:ティム・バートン

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やはり新作DC映画『 ジョーカー 』の封切を前に、復習の意味で鑑賞。ちなみに『 スーサイド・スクワッド 』を見直す予定はない。ハーレイ・クインの単独映画リリース前には最鑑賞するかもしれない。

 

あらすじ

ゴッサムシティには犯罪が絶えない。しかし、警察が取り締まれない悪人たちを夜毎に制裁するバットマン(マイケル・キートン)がいた。その正体は大富豪のブルース・ウェイン。そして、犯罪組織内の仲間割れでジャック・ネイピア(ジャック・ニコルソン)は警察とバットマンに追われる。辛くも逃れた彼はしかし、ジョーカーへと変貌してしまった・・・

 

ポジティブ・サイド

オープニングのダークでおどろおどろしい雰囲気の映像に、ダニー・エルフマンのTheme Musicが奮っている。アニメの「バットマ~ン!」ではなく、「ダダダダーダ」の旋律が、どこか危うい力強さを感じさせる。これによって観る者は一気にゴッサムに入っていくことができる。素晴らしいシークエンスである。

 

またマイケル・キートンも、ベン・アフレック並みにハマっている。というか、ベン・アフレックがマイケル・キートン並みにハマっていると評すべきか。クリスチャン・ベールはバットマンとして卓越した演技を見せたが、最もブルース・ウェインに近いのはキートンであるように感じる。鼻持ちならない金持ちで、プレイボーイなところがよく似合っている。また、バットマンとしての演技でも魅せる。特に、振り向き様や真上を見上げる瞬間の身のこなし、その時にピタリと動きを止めて見せるところから、原作コミックの絵を忠実に再現しようとしていることが分かる。ティム・バートンの美意識とマイケル・キートンのプロフェッショナリズムが上手く相互作用した。

 

だが、何と言ってもジャック・ネイピアおよびジョーカーを演じたジャック・ニコルソンだろう。『 シャイニング 』はホラー映画の金字塔として今も燦然と輝いている。そのことは『 レディ・プレイヤー1 』を観てもよく分かる。その狂気が今作でも爆発。しかも真っ白の顔がルージュの口紅のようなもので常に笑った顔にメイクアップされ、しかも紫のスーツ!完全にイカれているのが外見からだけでも分かるが、行動もinsaneの一言。曲撃ちで元々の組織のボスを撃ち殺したかと思えば、『 ゴーストバスターズ(1984) 』のマシュマロマン的な人形に詰め込んだ毒ガスを散布したりと、犯罪者を通り越して大量殺人者、無差別テロリストである。このジョーカーも相当に恐い。バットマン自身が原作コミックに忠実に動いていたり、ゴッサムの街そのものが『 シザーハンズ 』や『 スリーピー・ホロウ 』的な世界観を纏っている、つまり、この世ならざる幻想世界のような雰囲気を醸し出す中で、容赦なく人を殺して回るジョーカーは決して道化師ではない。また、『 ダークナイト 』の名シーンである、バットマンがジョーカーを轢き殺さんと真正面から対峙する構図は、すでに本作で描かれていた。すなわちバットウィングで上空からジョーカーを射撃するバットマンと、超長砲身の銃でバットウィングを撃墜せんとするジョーカーの対決シーンである。このシーンを観るのは三度目だが、何度観ても手に汗握る名シーンである。

 

もう一つ、ジャック・ネイピアの若い頃を演じた俳優が良い。ジャック・ニコルソンを若返らせれば、確かにこうなるだろうという容姿である。ハンニバル・レクター/アンソニー・ホプキンスの若き頃を演じたギャスパー・ウリエルを思い起こした。余談だが、Jovianの同僚イングランド人はマッツ・ミケルソンをホプキンス以上と激賞する。

 

コミカルなダークさ、hand to handの格闘アクション、バットモービルやバットウィングなどの大型ガジェットなども見物で、バットマンというアメリカで最も有名な(Jovian調べ:同僚アメリカ人2人にアンケート調査)スーパーヒーローとそのarchnemesisであるジョーカーとの対決を堪能できる逸品である。

 

ネガティブ・サイド

ゴードンやデントの存在感の無さ。特にビリー・ディー・ウィリアムズは空気なのかと思えるほど、劇中で存在感を発揮しない。ハービー・デントの名が泣くではないか。

 

また執事アルフレッドの存在感も今一つだ。両親を早くに亡くして、というか殺されてしまったブルース・ウェインの心の拠りどころの大部分はこの老執事にあるのだから、彼にもそれなりの見せ場が欲しかった。飲食物を手配したり、取材費を渡してやったり以外にもするべきことはあったはずだ。アルフレッドがブルース人生におけるpositive male figureである演出があってしかるべきだった。この部分が欠けてしまっているが為に、バットマンがなぜ夜な夜な悪と戦うのかという動機づけの説明、または観る側に推測させる材料が不足してしまっている。

 

キム・ベイシンガーのキャラクターが個人的にはハマっているようには見えなかった。大富豪と二人っきりでディナーを楽しみ、同衾しながら、翌朝には「普段の自分はこんなことしない」と、そのことを後悔するなど、キャラクターがぶれまくっている。ゴッサムにカマトトは似つかわしくない。

 

総評

ジョーカーの登場シーンで頻繁に流れる“Beautiful Dreamer”が摩訶不思議な雰囲気を生み出している。ティム・バートン世界とゴッサムは相性が良さそうだ。リアル路線のバットマンおよびスーパーヒーローものも悪くないが、幻想的な世界で繰り広げられるバットマンとジョーカーの攻防の面白さは、とてもユニークである。『 ダークナイト 』のジョーカーはカリスマ性を感じさせるが、波長が合えばこちらのジョーカーの方がチャーミングかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

How much do you weigh?

 

「体重はどれくらいだ?」の意味である。“What do you weigh?”も同じくらい良く使われる表現である。こんな表現を頻繁に使うのはボクシング関係者および熱心なボクシングファンくらいであろうが、覚えておいて損になるものでもない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 1980年代, B Rank, アクション, アメリカ, クライムドラマ, ジャック・ニコルソン, ビリー・ディー・ウィリアムズ, マイケル・キートン, 監督:ティム・バートン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 バットマン 』 -ダークヒーロー誕生物語-

『 ダークナイト 』 -ヒーローの限界を露わにする野心作-

Posted on 2019年9月8日2019年9月8日 by cool-jupiter

ダークナイト 75点
2019年9月2日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:クリスチャン・ベール ヒース・レジャー アーロン・エッカート
監督:クリストファー・ノーラン

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DC映画『 ジョーカー 』の封切を前に、復習の意味で鑑賞。シーザー・ロメロが演じたジョーカーまでは、さすがにさかのぼる余裕はなかった。

 

あらすじ

犯罪の絶えないゴッサム・シティに新たな犯罪者、ジョーカー(ヒース・レジャー)が現れた。ブルース・ウェイン/バットマン(クリスチャン・ベール)はゴードン警部補やハービー・デント検事と共に、次から次へと引き起こされるジョーカーの犯行を止めるべく奔走するが・・・

 

ポジティブ・サイド

バットマンというキャラは時代と共に変化する。当初は殺人も厭わないキャラで、生み出された時代背景を反映し、栄えあるfirst villainは日本人マッドサイエンティストだったようである。バットマンというキャラは顔がほとんど隠れてしまっているわけで、表情の演技が難しい。そこをクリスチャン・ベールは目と声、そして立ち居振る舞いと格闘アクションで存分に表現した。

 

だが、月並みではあるが、本作で称賛すべきはヒース・レジャーなのだろう。ジョーカーに関しては、ジャック・ニコルソンのイメージが最も強くJovianには残っているが、このジョーカーはこのジョーカーで類稀なる説得力を有している。冷酷無比、悪逆非道だからヴィランであるわけではない。見方を変えれば、スーパーヒーローというのは、悪役たちを片っ端から問答無用で始末しているわけで、彼ら彼女らこそ冷酷無比にして、悪逆非道であるとの見方も成り立つわけである。ジョーカーをそこをさらにひっくり返した。端的に言えば「バットマンよ、俺を殺せ」というのジョーカーのメッセージなわけで、正義と悪が戦っているわけではない。戦っているのはどちらも悪だと言いたいわけだ。仮面を脱げ、というのは、善人ぶるのをやめろ、ということだ。そのことは、クライマックスの客船と囚人船の対比で明らかになる。だが、ここでストーリーは見事に転換する。多くの人が既に本作を鑑賞済みと思われるが、まだ観ていないという方も当然おられよう。タイトルがダークナイト=闇の騎士であることには大いなる意味が込められている。武士道は主君のために死ぬことを是とし、騎士道は名誉や正義や真実といった抽象概念に奉仕し、それらを具現化することを是としていることの対比が思い起こされよう。バットマンが掲げる正義の理想は、決して赫耀たる光輝を帯びた正義ではない。陳腐ではなるが、我々はヴィランやヒーローを超えたところに正義を見出す。このパラダイム・シフトこそが本作の最大の貢献だろう。

 

ネガティブ・サイド

トゥー・フェイスの存在感が今一つである。完全にジョーカーに呑まれているように思う。だが、作品自体のテーマが正義と悪の不可分性、両者の境目の不可知性なのだから、その境界線上の存在であるトゥー・フェイスには相応の存在感が求められる。これでは、ただの頭脳明晰な悪人ではないか。バットマンが必殺仕事人なら、デントは長谷川平蔵であるべきではないか。コイントスの結果によって正義と悪の両方向に極端に揺れ動く様が、もう一つ弱かった印象である。まあ、このヒース・レジャーと共演するというのは、ライブ・エイドでクイーンの後にパフォームするようなものではあるが・・・

 

ジョーカーの異常性や危険性を際立たせる演出がもう少しあってもよかった。『 ダークナイト ライジング 』でアルフレッドが、「ベインと戦ってはいけない。あなたに勝ち目はない」と忠告したような演出が、今作のジョーカーにあっても良かった。ジョーカーの危険性はその強さではなく、その狂った哲学にあるからだ。戦いの土俵に上がってしまうことそれ自体が危険な行為であるという映画的な技法による説明があってもよかった。

 

総評

ジョーカーが取調室で不敵に言い放つ、“You complete me.”が全てである。人間は陰と陽が入り混じって生きているように、絶対的に正義を悪を区別できるものではない。Marvel Cinematic Universeではなトニー・スターク/アイアンマンの営為が、しばしば破壊的なアフターマスをもたらすが、今作のジョーカーは、スケールでは大きく劣るものの、残すインパクトはアイアンマンのそれに全く負けていない。むしろ上回っている。スーパーヒーローものとしては異色の作品にして大胆不敵な野心作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Ta-da!

 

Tah-dah!と書かれることもある。ジョーカーが序盤に鉛筆を消して見せるシーンで言い放つ。感嘆表現で、日本語の「ジャジャーン!」にあたると思ってよい。『 デッドプール 』でも盲目老婆のルームメイトであるアルが、棚を組み立て、イスに座る瞬間に発している台詞である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, アーロン・エッカート, アクション, アメリカ, クライムドラマ, クリスチャン・ベール, ヒース・レジャー, 監督:クリストファー・ノーラン, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 ダークナイト 』 -ヒーローの限界を露わにする野心作-

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