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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: イタリア

『 続・夕陽のガンマン 地獄の決斗 』 -20世紀最高傑作のひとつ-

Posted on 2024年3月31日 by cool-jupiter

続・夕陽のガンマン 地獄の決斗 100点
2024年3月30日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:クリント・イーストウッド イーライ・ウォラック リー・ヴァン・クリーフ
監督:セルジオ・レオーネ

 

『 続・夕陽のガンマン 』の劇場再上映。『 オッペンハイマー 』の劇場公開期間はまだ続くだろうが、本作は今を逃すと一生観られないかもしれない。ということでこちらのチケットを購入。

あらすじ

時はアメリカ南北戦争の最中。賞金稼ぎのブロンディ(クリント・イーストウッド)と賞金首のトゥーコ(イーライ・ウォラック)、そして北軍士官のエンジェル・アイ(リー・ヴァン・クリーフ)の3名は、20万ドルもの大金がどこかに隠されていることを知り、互いに協力し、互いに出し抜きあい、金貨の隠し場所を探っていき・・・

ポジティブ・サイド

キャラ、ストーリー、演出、撮影、音楽など、すべてが完璧。4Kではなく2Kで劇場鑑賞したのも良かったかもしれない。3時間弱もなんのその。うちの親父は十三の映画館で公開当時に観たと言っていたが、同じ経験ができたのは嬉しい。

 

3人のキャラが立っているのが素晴らしい。The Good のブロンディも実は全然良い奴ではないし、The Bad のエンジェル・アイも自分なりの正義を貫く男。卑劣漢(この訳はすごい)のトゥーコの優れたプロフェッショナリズムと隠れた家族愛。この3人は表情だけで物語れるのだ。

 

本作のストーリーや演出がもたらした影響は途轍もなく大きい。観ていて「あ、あの映画のあのシーンはここからインスパイアされたんだな」と感じるシーンが随所にある。最も分かりやすいには、ハン・ソロがグリードをテーブル下から射殺するシーン。あれはエンジェル・アイのオマージュだろう。

 

この時代はフィルム撮影なので、撮ったその場で再生することには色々と制約があったはず。なので、役者もそんなに簡単にNGは出せない。しかし、本作ではロングのワンカットがかなり多用されている。前にも述べたが、トゥーコがガンショップであれこれと吟味するシーンや砂漠でボトルを放り投げて、そのボトルが砂丘の斜面を絶妙に転がっていくシーンなどは、今見ても鳥肌が立つほど素晴らしい。

 

そして何といってもエンニオ・モリコーネの音楽が圧倒的な臨場感と没入感をもたらしている。テーマ音楽の笛の根だけで無限の荒野を前進している気分になれるし、The Ecstacy of Gold を背景にサッドヒル墓地を駆け回るトゥーコはまさに黄金の魔力に憑りつかれた男の欲望の強さ、人間の本能的なものと、一つの旅の終着点にたどり着いた哀愁の両方を感じさせる。決闘シーンの The Trio の雄大さは言わずもがなだが、途中で挿入される『 夕陽のガンマン 』のオルゴールの旋律と、その後に続く銃声の数々、そこに3人の表情を映し出すことで、それぞれが過去に行ってきた決闘の数々を観る側に想起させる。徹底的にビジュアル・ストーリーテリングに徹するセルジオ・レオーネのまさに面目躍如だ。

 

劇場再公開期間中にできるだけ多くの人に鑑賞してほしい。鑑賞後は『 サッドヒルを掘り返せ 』も観てみよう。

 

ネガティブ・サイド

なし。

 

総評

『 バック・トゥ・ザ・フューチャー 』シリーズの大ファンであるJovian妻は『 荒野の用心棒 』は知っていたが、本作は初見。それでもかなり面白いと感じてくれた(第一声が「まあまあやな」だが、これは最大級の賛辞)。『 オズの魔法使 』や『 テルマ&ルイーズ 』を観た時にも感じたが、映画館はもっと名作のリバイバル上映をやっていい。コロナ禍でのジブリ映画の再演が好例。『 風と共に去りぬ 』とか、それこそ『 用心棒 』は、ぜひ大画面と大音響で鑑賞したい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

follow ~ through

~を完遂する、の意。劇中ではエンジェル・アイが When I’m paid, I always follow my job through. = 「報酬を受け取ったら、常に依頼を完遂するのが俺だ」みたいなことを言っていた。テニスやゴルフは打つ前にテイクバックを行い、球を打ち、フォロースルーをしっかり行う。このイメージで覚えよう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 オッペンハイマー 』
『 梟ーフクロウー 』
『 12日の殺人 』

続 夕陽のガンマン MGM90周年記念ニュー・デジタル・リマスター版 [Blu-ray]

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  • クリント・イーストウッド
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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, S Rank, イーライ・ウォラック, イタリア, クリント・イーストウッド, スペイン, リー・ヴァン・クリーフ, 監督:セルジオ・レオーネ, 西ドイツ, 西部劇, 配給会社:アーク・フィルムズLeave a Comment on 『 続・夕陽のガンマン 地獄の決斗 』 -20世紀最高傑作のひとつ-

『 帰れない山 』 -悠久の山と永遠の友情-

Posted on 2023年5月18日 by cool-jupiter

帰れない山 70点
2023年5月14日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ルカ・マリネッリ アレッサンドロ・ボルギ
監督:フェリックス・バン・ヒュルーニンゲン シャルロッテ・ファンデルメールシュ



山好きの嫁さんが観たいというのでチケット購入。なかなか見応えのある人間ドラマだった。

 

あらすじ

両親とともに山を訪れた少年ピエトロは、同い年の牛飼いの少年ブルーノと出会い、山を二人で巡るうちに無二の親友となる。しかし運命のいたずらで、二人の別れは唐突に訪れた。時は流れ、大人になった二人は、以前のように友情を育んでいくが・・・



ポジティブ・サイド

男二人の物語といっても『 エゴイスト 』のような関係性ではなく、純粋な友情物語。特に都会育ちで山という大自然に魅せられるピエトロと、山育ちで、それでいて都市への憧憬を秘めているブルーノという、非常に対照的な二人の描き方が秀逸だ。自分の親が自分よりも友人の方を褒めてしまう。そうした経験をしたことのある人は存外に多いはず。本作でも、ピエトロとブルーノは互いにリスペクトしながらも、そうした少し危うい友情を育んでいく様がこの上なくリアルだ。

 

二人が大人になって再会するシーンもリアルである。すぐさま再会を喜んで意気投合・・・しない。互いに一瞥をくれるだけ。これは二人が大人になったということ。小学校、中学校の親友と別々の高校に行くことになり、いつの間にやら疎遠になるのは非常にありふれたこと。それは世界が広がるから。しかし、そうした広い世界で、20代後半以降に友人関係に慣れれば、それは子どもの頃の友人とは全く違う意味での友人になれる。ブルーノとピエトロはまさにそれ。大人になった彼ら二人だが、それでも世界を見聞して教養もあるピエトロと、誰よりも山を知っているが俗世の垢にまみれていないブルーノの対比が際立っていく。奥さんに怒鳴りつけられるブルーノには、ひたすらに感情移入してしまった(Jovianもよく浮世離れしていると言われる)。

 

山小屋を立てるという行為は、一つには山に生きるというマニフェストだろう。もう一つは、その山には帰る場所がある、というメッセージでもあるはずだ。世界に山は数あれど、俺とお前にとっての山とは、ここなんだ。そういうことなのだと思う。

 

それにしても序盤の少年二人が遊ぶ山の美しさに、大人になった二人が対峙する山の厳しさよ。Jovianは新婚旅行で数年前にカナダのバンフに行ったが、ロッキー山脈の氷河は永久不変に見えて、実は年間数センチずつ動いている。同じように山脈も少しずつ削られながらも隆起することで、不変であるように映る。人間関係、就中、友情も様々な変化を経ながらも永続していくのだろう。人間の一生は山の命に比べればとてつもなく短いが、その友情の雄大さや悠久さは山に劣ることはない。

 

ネガティブ・サイド

アスペクト比が4:3だったのは何故だ?通常の2.35:1では不都合があったのだろうか。人間だけを映すなら前者でもいいのだろうが、アルプスの大自然を映し出すには不適切だった。監督あるいは撮影監督にはどのような意図があったのだろう。

 

2時間30分はかなり長く感じた。2時間ちょうどにまとめられなかったか。編集でカットできそうなシーンがいくつかあった。街でのメールチェックのシーンなどはもっと短くするか、あるいはバッサリとカットできただろうと思う。

 

総評

男同士の関係性を描く映画としては『 君の名前で僕を呼んで 』に次ぐかもしれない。大自然の美しさとある意味での残酷さ、その中に垣間見える崇高さを余すところなく映し出した、ヨーロッパらしい作品。デートムービーには向かないが、夫婦でじっくり鑑賞するのはありだろう。

 

Jovian先生のワンポイントイタリア語レッスン

Come stai

コメ・スタイと発音する。意味は How are you? である。おそらく Ciao = チャオと並んで最もポピュラーなイタリア語だろう。知っておいて損はない表現だ。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 放課後アングラーライフ 』
『 高速道路家族 』
『 最後まで行く 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アレッサンドロ・ボルギ, イタリア, ヒューマンドラマ, フランス, ベルギー, ルカ・マリネッリ, 監督:シャルロッテ・ファンデルメールシュ, 監督:フェリックス・バン・ヒュルーニンゲン, 配給会社:セテラ・インターナショナルLeave a Comment on 『 帰れない山 』 -悠久の山と永遠の友情-

『 リバイアサン 』 -海洋ホラーSFの佳作-

Posted on 2023年5月13日 by cool-jupiter

リバイアサン 65点
2023年5月13日 YouTubeにて鑑賞
出演:ピーター・ウェラー
監督:ジョルジ・バン・コストマス

『 アビス 』、『 スフィア 』に続いて、懐かしの映画鑑賞。確か、親戚の家でテレビ放送されていたのを観た記憶がある。字幕なしでも、まあまあ理解できた自分を褒めたい。

 

あらすじ

地質学者のベック(ピーター・ウェラー)率いる海底探査チームのメンバーが、ソ連の沈没船『リバイアサン』から回収した酒を飲んでしまった。これにより、メンバーの肉体が遺伝的に変異し、人を襲う化け物になってしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

当時はまったく気付かなかったが『 エイリアン 』と『 エイリアン2 』にプロットやキャラクター、プロダクションデザインまで何もかもがそっくり。オリジナリティの無さと見ることもできるが、Jovianはオマージュだと捉えたい。

 

海底基地は宇宙船ノストロモ号の雰囲気とよく似ているし、その中を静かに徘徊しながら成長するモンスターというのも、まんまゼノモーフ。そして本社は本社でベックら現場の人間のピンチにもかかわらず、彼ら彼女らを切り捨てるかのような判断を下す。これもまんまウェイランド・ユタニ社。さらにコンピュータに問いかけて、答えをもらおうとするのもマザーと同じ。だが、このシーンはAIの登場によって古さどころか先見の明を示した優れたシーン(を換骨奪胎したもの)として再評価されるべきだろう(そもそも『 エイリアン 』も『 2001年宇宙の旅 』へのオマージュ満載なのだから)。

 

ホラーとしてもなかなかに秀逸。クルーの手のひらに口ができるシーンは、『 ブレードランナー 』の目潰しシーンや『 ザ・フライ 』の耳がポロリと落ちるシーンと並んで、Jovian少年にトラウマを植えつけた。

 

いつの頃からかCG全盛になってしまったが、1980年代あるいはそれ以前の映像からは生の質感が強く感じられる。個人的には「古き良き」という表現は好きではないが、本作はその形容詞がふさわしいと思う。

 

ネガティブ・サイド

ピーター・ウェラーのキャラが弱い。序盤から中盤にかけては海洋や地学の知識を生かして状況を前に進めていくが、アクションおよびホラーが全面に出てくる後半ではそうした背景が生きてこない。このあたり、『 エイリアン 』で宇宙船を知り尽くしていたリプリーとは大きな差がつく。

 

『 スフィア 』や『 アビス 』同様に、「いやいや、そこは泳がれへんやろ」というところを平気で泳いでいく。これはもう海洋ホラーの一種の様式美として受け入れるしかないのだろうか。

 

最後のサメは必要だったか?むしろ海面に上がってきたクリーチャーがホオジロザメを一瞬で血祭にあげるようなシーンこそが求められていたのでは?

 

総評

海洋モンスターパニックものとして結構面白い。このジャンルが好きならば、ぜひ鑑賞を。CGではないクリーチャーの質感、とくにネバネバヌメヌメ系が好みなら尚のことお勧めである。ピーター・ウェラーの代表作は文句なしに『 ロボコップ 』だが、本作は次点に来てもいいような気がする。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

could use ~

『 スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 』でも紹介した表現。~があるといい、の意味。劇中では Hell, I could use a day off! = 私だって丸一日の休みが欲しいわ!のように使われていた。今年度はクライアント大学のテストが大幅増となり、毎日が早出残業のJovianは Hell, I could use a week off! という気分である。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 放課後アングラーライフ 』
『 不思議の国の数学者 』
『 高速道路家族 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1980年代, C Rank, SF, アメリカ, イタリア, ピーター・ウェラー, ホラー, 監督:ジョルジ・バン・コストマス, 配給会社:松竹富士Leave a Comment on 『 リバイアサン 』 -海洋ホラーSFの佳作-

『 ロミオとジュリエット 』  -20世紀の名作の一つ-

Posted on 2022年3月6日 by cool-jupiter

ロミオとジュリエット 95点
2022年3月1日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:オリヴィア・ハッセー レナード・ホワイティング
監督:フランコ・ゼフィレッリ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220306135521j:plain

『 ウェスト・サイド・ストーリー 』および『 ウェスト・サイド物語 』の元ネタである,

シェークスピアの名作『 ロミオとジュリエット 』。いくつかある映画化作品の中でも、おそらく本作が最も完成度が高いだろう。中学2年の時に初めてVHSで観て衝撃を受けたし、大学生の頃にも3回ぐらい観た。久しぶりに再鑑賞したが、間違いなく timeless classic である。

 

あらすじ

イタリアのベローナ。モンタギューとキャピュレットの両家は不和で、街では家中の者同士が騒乱を引き起こしていた。モンタギューの一人息子のロミオ(レナード・ホワイティング)はキャピュレットの舞踏会に潜入、そこで一人娘のジュリエット(オリヴィア・ハッセー)と出会う。二人は一瞬にして激しい恋に落ちるが・・・

 

ポジティブ・サイド

プロダクションデザインが出色。中世イタリアの雰囲気がよく出ている。日本の古き良き時代劇も例外なく街並みや屋敷や衣服や調度品が真に迫っているが、本作におけるそれらの再現度の高さは素晴らしかったと感じる。

 

主演の二人も輝かしかった。レナード・ホワイティングは本作以外ではさっぱりで、まるでマーク・ハミルのようだ。しかし、それだけ強烈なインパクトを与えたとも言える。仲間が喧嘩で流血しているというのに、一人で街はずれの森を優雅に闊歩しながら恋煩いをこじらせる。それもこれも、ジュリエットに一目惚れして総てがバラ色に。しかし、親友のマキューシオの死にはちゃんと激昂する。若気の無分別と辞書で引けば、例としてロミオ・モンタギューが出てきそうである。ロミオについて特筆すべきは、イケメンでありながらイケメンの余裕が全くないところだろう。シェークスピアは同時代人であるフランシス・ベーコンの格言、”It is impossible to love and to be wise.” を知っていたのだろう(二人が同一人物という説をJovianは取らない)。10代男子の頭の中の80%は異性への興味で、その興味の95%は肉欲、性欲だ。日本の漫画原作の青春恋愛ものの多くは何とかの一つ覚えのごとく学園祭の出し物で『 ロミオとジュリエット 』を上演するが、ロミオ=単なるイケメンであり、そのアホっぷりにフォーカスできていない。このロミオの恋は盲目、恋をしながら賢いままではいられないという人間の普遍的な在り方が限りなくリアルに感じられた。

 

オリヴィア・ハッセーも初めてVHSで観た時は雷に打たれたようなショックを受けたのを覚えている。それまでは『 ネバーエンディング・ストーリー 』の幼ごころの君の大ファンだったJovian少年は、この瞬間からオリヴィア・ハッセー/ジュリエットがアイドルになった。くるくる変わる表情に清楚をにじませるたたずまい、けれど舞踏会の場でロミオを焦らす様には百戦錬磨のような雰囲気も醸し出す、今風の言葉で言えば年下のお姉さんキャラ。それでも乳母や母の前では、年齢相応の幼さが前面に出てきていた。フランコ・ゼフィレッリ監督はよくここまで演出できたなと感心させられる。撮影時に15~16歳だったらしいが、一瞬とはいえトップレスを見せるというのも素晴らしい女優魂だと思う。

 

アクロバティックなカメラワークが技術的に不可能な時代だが、その代わりにカメラと役者の距離感が絶品。冒頭のちょっとしたいざこざから大きなケンカに発展する流れのスムーズさは『 ウェスト・サイド物語 』の prologue に負けず劣らずの出来。またティボルトとマキューシオの決闘の馬鹿馬鹿しさと深刻さの同居は、それこそキャピュレットとモンタギューが反目すること自体の馬鹿馬鹿しさと深刻さの表れで、それを傍観者視点と当事者視点が入り混じるように撮影したのは上手いと感じた。マキューシオの役者は、舞台俳優がそのままスクリーンに再現されたようで素晴らしかった。出てくるたびに場を自分のものにしてしまう。フィルムの時代なので、気軽に撮ってその場で編集できたわけでもない。なので、セリフから動きまでを完全にマスターしておく必要がある。マキューシオ役をはじめ、舞台のバックグラウンドを持った役者が多く出演していたのだろう。カメラ・オペレーターと役者が互いの仕事を理解しながら各シーンを生み出していったことが窺える。

 

ロミオとティボルトの決闘シーンも真に迫っていた。途中で上着を脱いだり、土埃を浴びるシーンがあるが、すべてのシーンが linear に撮影されていたので臨場感があったし、ワンカットがかなり長かった。BGMのない決闘シーンは『 アジョシ 』のラストのナイフバトルを彷彿させた。壁や階段から落ちるシーンもあり、どれくらいリハーサルが可能だったのだろうか。スローモーションや派手なBGMで乱闘シーンを誤魔化す多くの現代映画は、もっと役者への演出で臨場感を生み出せるということを知るべきだと思う。

 

そうはいっても音楽の力も重要で、本作で言えばニーノ・ロータの ”Love Theme” が要所で流れる。それが 物悲しさや儚さを感じさせる。また舞踏会で歌われる “What is a youth?” の歌詞が物語全体の通奏低音になっている。この楽曲と物語が完璧に合っていて、映画のレベルをさらに一段上げている。フランコ・ゼフィレッリとニーノ・ロータのペアは、G・ルーカスとJ・ウィリアムズ、セルジオ・レオーネとエンニオ・モリコーネのような組み合わせだと評して良いと思っている。 

 

ロレンス神父やジュリエットの乳母など、脇を固めるキャラクターにも血肉が通っている。二人ともロミオやジュリエットの幸福を祈って行動するが、些細な誤解やすれ違い、思いの違いから悲劇に至る。特に乳母がジュリエットにロミオを見限るように諭すシーンは衝撃的である。乳母の一種の裏切り行為は、ティボルトを失い、ロミオまで追放されてしまったジュリエットにとってはこの世に未練などなくなってもおかしくない。誰も悪など目指していない。ただ憎い相手がいる。しかし、それは個人ではなく家名である。家名は記号であって、実体ではない。ジュリエットの発する “What’s in a name?” という問いは、現代なら “What’s in a nationality?” や “What’s in a color of skin?” 、”What’s in a gender?” などとも言い換えられるだろう。悲恋の物語の最も成功した映画化というだけではなく、20世紀の古典と言っても良い傑作だろう。

 

ネガティブ・サイド

ロレンス神父はジュリエットに「42時間で目覚める」と伝えていたが、夜の9時あるいは10時に服毒したとして、目覚めるのは夕方の5時あるいは6時。ところが実際にジュリエットが目覚めたのは真夜中。薬の効き目にはブレがあって当然とはいえ、ここだけはフランコ・ゼフィレッリ監督の責に帰さなけれなならない。

 

総評

シェークスピアが天才的だなと思うのは、非常に小さな世界の小さな出来事を、これほどドラマチックに、かつ普遍的な事象として描き切ったこと。フランコ・ゼフィレッリは自ら脚本も手掛け、監督として若い二人の演出にも腐心しただろうが、その苦労は実った。This timeless classic will stand the test of time forever. 教育者の端くれがこんなことを言ってはいけないのかもしれないが、日本の中学高校のカリキュラムにヘッセの『 デミアン 』と『 車輪の下 』を読むこと、そして『 ロミオとジュリエット 』を鑑賞することを組み込んでほしい。それほど若い世代こそ観るべき傑作に仕上がっている。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a Capulet

キャピュレット家の一員の意。有名なバルコニーのシーンでのジュリエットがロミオに「モンタギューの名前を捨てて」と独り言ちて、”Then I’ll no longer be a Capulet.” = そうすれば私もキャピュレット家の者であることをやめる、と続く。「a + 固有名詞」は色々な用法があるが、英語を教える仕事に従事する人以外は「そんなのがあるのか」ぐらいの意識でよい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1960年代, S Rank, イギリス, イタリア, オリヴィア・ハッセー, ラブロマンス, レナード・ホワイティング, 監督:フランコ・ゼフィレッリLeave a Comment on 『 ロミオとジュリエット 』  -20世紀の名作の一つ-

『 2人のローマ教皇 』 -アカデミー賞助演男優賞決定-

Posted on 2020年1月5日2020年1月5日 by cool-jupiter

2人のローマ教皇 85点
2020年1月4日 シネマート心斎橋にて鑑賞
出演:ジョナサン・プライス アンソニー・ホプキンス
監督:フェルナンド・メイレレス

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アカデミー賞助演男優賞はアンソニー・ホプキンスで決まりである。主演のジョナサン・プライスは回想シーンが中盤に挿入されている(=若い別の役者が演じるパートがある)ぶんだけ、『 ジョーカー 』のホアキン・フェニックスに分があると感じている。それでも『 天才作家の妻 40年目の真実 』の嫌味な夫を遥かに上回る好演であった。

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あらすじ

2012年、ベネディクト16世(アンソニー・ホプキンス)は新ローマ教皇として、カトリックの最高指導者となる。しかし、側近の不祥事によりその地位基盤は揺らいでいた。そんな折、かねてからカトリックの在り方に批判的だったアルゼンチンのベルゴリオ枢機卿から辞任の申し出を受ける。それを受理する代わりに、教皇はローマおよびバチカンでベルゴリオと対話を繰り返していく・・・

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ポジティブ・サイド

これは素晴らしいドラマである。ドラマの基本は対話であるが、これほど対話を軸に鮮やかに展開されていくドラマは、ちょっと思いつかない。『 マリッジ・ストーリー 』を遥かに上回るカタルシスが待っている。2019年11月に来日したフランシスコ教皇こそがベルゴリオ枢機卿その人である。彼はイエズス会出身であると知れば、親近感を感じる日本人は多いだろう。ぜひ多くの日本の映画ファンに観て欲しいと思う。なぜなら本作のジャンルは歴史であり伝記であるが、そのメッセージは極めて現代的なものだからである。

 

本作で繰り広げられるベネディクト16世とベルゴリオ枢機卿の対話には、非常に人間らしい要素が詰まっている。言い換えれば、信仰の在り方や教会内の政治力学などが話題になることはそれほど多くない。聖職者といえど人間であり、人間であるからには苦悩に苛まれる。そんな二人の男の対話である。まるで仏教のようであるが、れっきとしたキリスト教のカトリック教徒の伝記物語である。それだけ普遍性のある事柄であり、とっつきやすいとも言える。

 

具体的には劇場もしくはNetflixで鑑賞して頂きたいが、彼ら二人の対話は『 沈黙 サイレンス 』のテーマである神の沈黙があり、『 PK 』が言うところの回線の問題がある。つまり、非常に高位な宗教家や聖職者も、極めて世俗的な問いを持ち、極めて世俗的な迷いを抱いているということである。それは一介のサラリーマンが人生の意味を問うのと同じである。

 

ベルゴリオには複雑な背景がある。我々はなんだかんだで平和な日本に暮らしている。「戦後74年とは、我々が74年間戦争をしていないということである。我々はこれを戦後100年、戦後200年にしていかなければならない」と言ったのは誰だったか。『 サッドヒルを掘り返せ 』で、『 続・夕陽のガンマン 』撮影当時のスペインは軍事政権によって支配されていたということを知ったが、アルゼンチンも1976-1982年にかけて軍事独裁政権が成立していたことを不勉強故に知らなかった。大学生の時に、日本初のワールドカップ出場をテレビで色々な外国人と観ていたが、その時に日本を破ったアルゼンチンからの留学生が「この調子でイングランドも倒すぜ!」と息巻いていたことから、フォークランド紛争のことを教えてもらっていたというのに・・・ 今さらながらにそのようなことを思い出して、学ぶべき時に学ばなかったことを後悔している。

 

閑話休題。軍事政権下のアルゼンチンで行った宗教活動および政治活動を、ベルゴリオは悔いている。軍事政権とは、言論封殺を是とする政治体制である。そのことを現代日本に生きる我々はどう見るべきなのだろうか。敗戦日を終戦記念日という具合に奇妙な言い換えを行うことで、歴史から目をそらしてはいないか。ベルゴリオの「告解によって加害者は救済されても、被害者は救済されない」という言葉は、教会の役割を超えた何かを厳しく批判しているのではないか。時あたかも第三次世界大戦前夜の様相を呈している中、どこまでも対話によって相互理解を希求する2人の老人。そして、争うのであれば健全な形で争おうではないかと訴えかけるようなエンディングのシークエンス。教皇の座を得て、教皇の座を譲る。明仁天皇の生前退位はこれにインスパイアされたのではないか。そして、その教皇が来日をしたばかりというタイミングでこの作品が日本で公開されるのは偶然ではないだろう。対話せよ、というメッセージを受け取ろう。それが理性的な近代人たる我々の責務である。

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ネガティブ・サイド

二人とも英語が上手過ぎである。『 ユダヤ人を救った動物園 アントニーナが愛した命 』のジェシカ・チャステインのように、わざと訛った英語を話すのはさすがに無理があり過ぎたか。

 

バチカンのスキャンダルについてもう少し尺を割くべきだったのではないだろうか。令和になり、セクハラは罪であるという意識がようやく国として生まれつつある日本には、カトリック聖職者による少年少女、さらには乳幼児への性的虐待がどれほどのダメージになったのかは想像が難しいかもしれない。まあ、日本に合わせてNetflixも映画は作らんわな。詳しく知りたいという向きには『 スポットライト 世紀のスクープ 』をお勧めしておく。

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総評

アンソニー・ホプキンスとジョナサン・プライスという二代巨匠の激突である。『 あなたの旅立ち、綴ります 』を観て、シャーリー・マクレーンほどの女優になると、演じる acting ではなく、なりきる being の境地に至るのだなと感じたことがある。それを思い出した。

 

 

Jovianのワンポイント英会話レッスン

Taken out of context

ベルゴリオの言う「言葉を切り取られた」という台詞である。日本の政治屋連中が「メディアに言葉を切り取られた」と言ったら、“My words were taken out of context.”と脳内翻訳してみよう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, アルゼンチン, アンソニー・ホプキンス, イギリス, イタリア, ジョナサン・プライス, 伝記, 歴史, 監督:フェルナンド・メイレレス, 配給会社:NetflixLeave a Comment on 『 2人のローマ教皇 』 -アカデミー賞助演男優賞決定-

『 続・夕陽のガンマン 』 -20世紀の映画の最高傑作のひとつ-

Posted on 2019年3月28日2020年1月9日 by cool-jupiter

続・夕陽のガンマン 95点
2019年3月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:クリント・イーストウッド リー・ヴァン・クリーフ イーライ・ウォラック
監督:セルジオ・レオーネ

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 これは西部劇という枠を超えた、20世紀の映画の一つの到達点である。映像と音楽の幸福なる結婚、役者と演技の完璧なシンクロ。Timeless Agelss Classicである。いかなる西部劇が今後生み出されても、本作を超えることはできないだろう。

あらすじ 

時はアメリカ南北戦争の最中。賞金稼ぎのブロンディ(クリント・イーストウッド)と賞金首のトゥーコ(イーライ・ウォラック)、そして北軍士官のエンジェル・アイ(リー・ヴァン・クリーフ)の3名は、20万ドルもの大金がどこかに隠されていることを知り、互いに協力し、互いに出しぬき合い、金貨の隠し場所を探っていき・・・

ポジティブ・サイド

本作の進行はビジュアル・ストーリーテリングの極致である。最初の10分、およびラストの10分(厳密にはエンディング直前に叫び声があるが)に台詞がないのである。だが、それで充分に話が通じるのだ(キャラ紹介のために文字がスーパーインポーズされるが、これぐらいは大目に見よう)。これは実験的にこのような作りにしたのではなく、全編を通じてのセルジオ・レオーネの作家性の発露と捉えるべきだろう。映像によって物語を語らしめる。それこそが映画の基本にして究極の技法なのだが、本作では全編通じて台詞が非常に少ない。一番ペラペラしゃべるのはThe Uglyのトゥーコで、The GoodのブロンディやThe Badのエンジェル・アイはぼそぼそと話すことはあれど、むしろ表情、目の動き、立ち居振る舞いで自己表現している。このあたりは『 荒野の用心棒 』、『 夕陽のガンマン 』にも共通していたが、それがさらに洗練されたと言える。劇中のとあるシーンでのトゥーコの台詞、“When you have to shoot, shoot. Don’t talk.”は至言であろう。映画製作者たる者、この台詞を胸に刻まぬこと無かれ。Shootには「撃つ」という意味に加えて、「撮影する」という意味もあるのだ。

セルジオ・レオーネ監督は絵コンテを作らなかったと言われているが、どうやって数々のシーンを構想し、それを一発で撮影したのだろうか。汽車から飛び降りるシーンや手錠を切るシーン、さらにブロンディが砂の斜面を転げ落ちるシーンに、トゥーコがそこに瓶を転がしてブロンディにぶつけるシーンなどは、リハーサルなどできるものではないだろう。仮に何度も練習できたとしても、莫大な時間と労力が必要だっただろう。全てのシーンが絵になると称賛される本作であるが、その芸術性は元より、そうした絵作りの裏にあった労苦はどれほどのものだっただろうか。裏方さんたち及び俳優陣には相当にきついものだったろう。特に、南北戦争シーンでは大量の火薬を使用。結構危ない距離で大砲の弾が着弾するようなシーンがそこかしこにあり、しかもそれがワンテイクで近距離と遠距離、画面の奥深くでも煙が上がり、兵士が吹っ飛ぶのである。撮影当時のスペイン・フランコ軍事政権から兵士1000名を借りてきたということだが、軍隊同士の容赦ない火力がぶつかりあうシーンは、時代も手法も全く異なるが、迫真性において『 ハクソー・リッジ 』にも負けていない。橋を爆破するシーンでは本当にレンガ大の岩が猛スピードでカメラ手前に弾着する。塹壕に身を隠していたのは替え玉だったというから、もう何と言うか・・・

本作の素晴らしさは、そうしたマスの部分だけではなく、ディテールにも宿る。象徴的なのは、トゥーコが武器屋で銃を調達するシーン。まず銃の質感が良い。Jovianは2003年にロサンゼルスを旅行した時に、実弾を何発か撃ったことがある。その時の銃の重み。それを思い出した。木の台に銃身を置いた時の「ゴトリ」、「ガチャ」という擬音語。邦画が毎回疎かにするシーンである。例えば『 アウトレイジ 』で椎名桔平演じる水野が、逃亡前に調達した銃をテーブルに置く時のカチャ、コト、というしょぼい音が思い出される(『 アウトレイジ 』そのものは佳作である)。トゥーコが色々な銃の色々なパーツをあれこれと吟味するシーンに、我々はこの男がただの醜い男なのではなく、立派な賞金首であり、腕利きのガンマンであり、自分の商売道具に一方ならぬ知識と執着を持った仕事人であることを知る。イーライ・ウォラック会心の演技であろう。それはトゥーコがブロンディを追跡する際の煙草を拾い上げて吸うシーンで頂点に達する。役者の演技と監督の意図する絵作り、ストーリーテリングが完璧に一致した瞬間の一つである。

リー・ヴァン・クリーフ演じるエンジェル・アイにも、どれほどの称賛を贈っても贈り足りない。『 夕陽のガンマン 』の弱点というか、観る者の期待を裏切ったところに、一流のプロフェッショナル同士が闘うと一体どうなるのかということを、最後まで追求しなかったところである。クリーフの眼光炯炯たる目つき、顔つきは元々悪玉のそれに近い。その悪玉っぷりが存分に味わえることで、ドル箱シリーズファンのストレスも本作で一挙に解消される。

クリント・イーストウッド演じるブロンディは最初はトレンチコート姿で登場するが、物語の終盤に無言のうちに、The Good=善玉であることを証明するシーンがある。そこでのブロンディの変身は鳥肌ものである。馬さばき、射撃、煙草をつねにくゆらせるダンディズム、それら全ても、この瞬間を成立させるための小道具だったのかと思われた。この瞬間に我々は思い知る。「 この世には2種類の人間がいる。クリント・イーストウッドに痺れる者と、クリント・イーストウッドにこれから痺れる者だ」と。

クライマックスは映像と音楽と迫真の演技に圧倒されるばかりである。ブロンディの薄い切れ長の目とエンジェル・アイの射抜くような目、そしてトゥーコのぎょろ目が交錯し、互いが互いを視線だけで制し合うこの緊張感は、あらゆる映画体験の中でもトップであろう。エンニオ・モリコーネの ”The Trio” は20世の映画サントラの最高傑作のひとつであると評しても異論は出まい。もちろん、“The Ecstasy of Gold”もその一つである。

ネガティブ・サイド

強いて挙げるとするなら、メッセージ性の弱さだろうか。北軍所属のエンジェル・アイが悪玉であるのは分かりやすいが、それは軍事力批判というよりも、内戦批判だろうか。暴力を礼賛するわけではないが、決して否定はしない。法を無視するわけではないが、自らが自らに課したルールの方を重んじる、そうした強かな個の在り様が入り乱れる様は、善だ悪だと一緒くたにはできない。だからこそ、最後の最後の叫び声なのだろう。強いて挙げれば、原題が弱いのかもしれない。

総評 

これは傑作中の傑作である。20世紀最高の映画のひとつであると勝手に宣言させてもらう。おそらく世界にはこの意見に賛同してくれる人が一千万のオーダーで存在するはずだ。もうこの映画を観終わった瞬間の放心状態よ。気がついた時にはサントラを自分用に編集していた。本作は映像の面でも音楽の面でもキャラクターの面でも、世界中のあらゆる表現媒体に影響を及ぼしたと言っても過言ではない。我々は今後もこのような古典的名作を語り継いでいかなければならない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1960年代, S Rank, イーライ・ウォラック, イタリア, クリント・イーストウッド, リー・ヴァン・クリーフ, 監督:セルジオ・レオーネ, 西部劇, 配給会社:ユナイトLeave a Comment on 『 続・夕陽のガンマン 』 -20世紀の映画の最高傑作のひとつ-

『 夕陽のガンマン 』 -マカロニ・ウェスタンの傑作-

Posted on 2019年3月25日2020年4月26日 by cool-jupiter

夕陽のガンマン 80点
2019年3月21日 レンタルDVD
出演:クリント・イーストウッド リー・ヴァン・クリーフ
監督:セルジオ・レオーネ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190325023300j:plain

クリント・イーストウッドとリー・ヴァン・クリーフの立ち居振る舞い、会話、銃撃。もうこの二人の存在感だけで満足できる。小学3年生ぐらいの時に、やはり親父と一緒にVHSで観た記憶がある。その頃はストーリーがほとんど分かっていなかった。それでもイーストウッドが帽子を何度も何度も銃で弾き飛ばすシーンは強烈な印象を幼心に残した。

あらすじ

賞金稼ぎのモーティマー大佐(リー・ヴァン・クリーフ)と、同じく賞金稼ぎのモンコ(クリント・イーストウッド)は、協力して賞金首の集団、インディオ一味を一網打尽にし、賞金を山分けすることに同意する。インディオ一味を内部から撹乱するために、モンコは一味に加わるが・・・

ポジティブ・サイド

本作も『 荒野の用心棒 』と並ぶマカロニ・ウェスタンの傑作である。のみならず、映画的技法においても最高峰であろう。ナレーションもなく、不必要に説明的な台詞をだらだらと喋るキャラもいない。ほんのちょっとしたショットの構図、キャラの表情や動きで、背景にあるストーリーやキャラの思考や感情が伝わる。冒頭のリー・ヴァン・クリーフの登場シーンと決闘シーンは象徴的である。牧師にしては鋭すぎる眼光、歴戦の強者に特有の話しぶり、そして彼我の獲物の射程距離を完全に把握した上での、余裕のある決闘シーン。演技と映像による語り、ビジュアル・ストーリーテリングの教科書に絶対に記載されなくてはならない場面である。

エンニオ・モリコーネの音楽についても触れないわけにはいかない。『 荒野の用心棒 』と同じく、乾いた大地と奥行きのある空を想起させるメロディラインに、火薬と血の臭いを感じさせる低音ヴォーカル、そして孤高の賞金稼ぎのシルエットをまぶたの裏に否応なく浮かび上がらせてくる口笛の旋律。エンニオ・モリコーネは、ジョン・ウィリアムズやハンス・ジマーに肩を並べる作曲家と評しても異論は出ないだろう。邦画の世界における伊福部昭か、それとも武満徹にも例えられるべき存在である。

クライマックスの決闘シーンのオルゴールの音色は永遠にも感じられる。この音楽が鳴りやんで欲しくない、と強く願ったが、それは『 ボヘミアン・ラプソディ 』における“We are the champions”について感じた気持ちと全く同質のものだった。これが鳴り終われば、この男の命の火が消えてしまう、という。

クリント・イーストウッドの変わらぬ存在感と、リー・ヴァン・クリーフの、ある意味での主役以上の存在感が、本作を傑作にしている。劇画『 ゴルゴ13 』の中には、プロがプロに依頼をする、またはプロがプロと共闘する話があるが、そうしたエピソードの源泉は本作にあったとしても不思議ではない。いや、本作のように銃で会話をするという技法を、漫画原作のなんちゃってコメディ映画の『 ルパン三世 』(監督:北村龍平 主演:小栗旬)が取り入れている(ルパンが五右衛門の銃を撃つシーン)ということが、本作が世界中の映画製作者に有形無形の巨大な影響を及ぼした証左ではあるまいか。一言、Timeless Classicである。

ネガティブ・サイド

モーティマーがインディオ一味を追う動機がなかなか明かされないことで、物語のトーンが安定しない。具体的には、この男が敵なのか味方なのか、観ている側が疑心暗鬼になってしまう。Jovianは彼の登場の仕方、その目つき、顔つきからして、「ははあ、こいつが今作のイーストウッドの敵役だな」と早合点してしまった。

銃撃によるコミュニケーションは痺れるほどにクールだが、果実を取ろうとする少年を助けるために、あそこまで撃ちまくる必要はあるのか。ちょっと手元が狂った、または少年が思わぬ動きをしてしまえば、過失致死傷害罪で自分が賞金首になってしまうだろう。

また、名シーンであるはずの帽子を撃ち続けるシーンを経ても、帽子にキズひとつ、穴ひとつ見当たらないのはどういうわけなのだ。小学生の時から持ち続けていた鮮烈な記憶が、少し怪我されてしまったようにすら感じた。血を一滴も流さない死体なども、せっかくのテーマ音楽のノイズになってしまっている。

総評

弱点は抱えていても、それを上回る面白さがある。また、西部劇という枠だけに括られない、バディムービーであり、ロードムービーでもある。クリント・イーストウッドの渋すぎる演技とリー・ヴァン・クリーフの存在感、モリコーネの音楽とレオーネによる監督術の全てが高次元で融合した傑作である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 1960年代, A Rank, イタリア, クリント・イーストウッド, リー・ヴァン・クリーフ, 監督:セルジオ・レオーネ, 西部劇, 配給会社:UALeave a Comment on 『 夕陽のガンマン 』 -マカロニ・ウェスタンの傑作-

『 荒野の用心棒 』 -マカロニ・ウェスタンの記念碑的作品-

Posted on 2019年3月23日2020年1月9日 by cool-jupiter

荒野の用心棒 75点
2019年3月18日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:クリント・イーストウッド
監督:セルジオ・レオーネ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190323021251j:plain

言わずと知れた黒澤明監督の『 用心棒 』のリメイクである。無許可での制作だったというが、そういう時代だったのだ。日本漫画界の巨匠、手塚治虫の『 ジャングル大帝 』もディズニーの『 ライオンキング 』に無断で換骨奪胎される時代だったのだ。

あらすじ

ニュー・メキシコの集落にある男がやって来た。その男はジョー(クリント・イーストウッド)。集落はロホス兄弟とバクスターの二つの勢力によって二分されていたが、ジョーは早撃ちであっという間にバクスターの手下たちを撃ち殺し、ロホス兄弟に与するのだが・・・

ポジティブ・サイド

エンニオ・モリコーネの音楽。これだけで荒野の光景がこの目に浮かぶ。彼の音楽では『 続・夕陽のガンマン 』の“The Good, The Bad and The Ugly”が最も有名なのは間違いないだろうが、恐らく“さすらいの口笛”もサントラとしての完成度では負けていない。音楽だけで物語を紡ぎ出せる、ビジュアル・ストーリーテリングならぬオーディオ・ストーリー・テリングである。これほどのインパクトある映画音楽はニーノ・ロータの音楽で彩られる『 ロミオとジュリエット 』、そしてビル・コンティの“Going The Distance”、“Gonna Fly Now”、そして“The Final Bell”で十全に語り尽される『 ロッキー 』ぐらいであろうか。『 炎のランナー 』の“Vangelis”も加えても良いかもしれない。

役者に目を移せば、クリント・イーストウッド! 馬に乗り、荒野を巡り、ポンチョを羽織り、帽子を目深にかぶり、常に煙草をくゆらせる孤高のガンマン。架空のキャラクターにこれほどの血肉を与えた例を他に知らない。強いて挙げるなら、『 帝都物語 』の魔人・加藤保憲を具現化した嶋田久作と、ハリソン・フォード演じる『 スター・ウォーズ 』のハン・ソロぐらいだろうか。

本作が後世の映画に与えた影響の巨大さについてはどれほどの文字数を費やしても足りることは無い。冒頭でジョーが訪れる酒場がCantina=カンティーナなのである。つまり、『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望 』でベン・ケノービとルーク・スカイウォーカーがハン・ソロとチューバッカと出会う場所なのである。そして『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3 』のマーティとビフの決闘。その元ネタがここにある。そして、撃たれた男が二階(というか、高いところ)から転落するクリシェ。この元ネタもここにあるのだ。

『 用心棒 』も大昔、親父と一緒にVHSで観た記憶がある。そちらもいつかレビューしたい。

ネガティブ・サイド 

細部にリアリティを欠く面をどう評価するかは難しい。それでも、ジョーの早撃ちシーンの銃の焦点が微妙に合っていないところや、しこたま痛めつけられたジョーが何とか脱出し、建物の入り口に火をつけるところが、ガソリンでも事前に撒いていたのかというぐらい派手に炎上するのは、やはりリアリズムに欠けるとして減点せねばならない。

また、墓場でのロホス陣営とバクスター陣営の撃ち合いも、いくらなんでも不自然というか、おかしいということに気がつかなければ、それこそおかしい。

後は川べりの騎兵隊を機関銃で全滅させるシーンで、馬がほとんど倒れない。騎乗している役者が、自分が倒れる時に、上手に馬にも倒れてもらうようにすべきだった。そうしてこそ、機関銃の圧倒的な威力と迫力に説得力が生まれたのが。

総評

今の目で見れば、お約束的な展開や腑に落ちない展開のオンパレードである。しかし、それは次代を超えて受け継がれる普遍性とクリシェ、そして時間と共に風化せざるを得ないように分けて考える必要がある。前者の面で評価すれば、本作は間違いなく映画史に刻まれる一本である。クリント・イーストウッドの伝説はここから始まったのだ。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1960年代, B Rank, イタリア, クリント・イーストウッド, 監督:セルジオ・レオーネ, 西部劇, 配給会社:東和Leave a Comment on 『 荒野の用心棒 』 -マカロニ・ウェスタンの記念碑的作品-

『ALONE アローン』 ―実存主義的な問いからのプレッシャーに如何に抗うか―

Posted on 2018年7月6日2020年2月13日 by cool-jupiter

ALONE アローン 70点

2018年7月5日 シネ・リーブル梅田にて観賞
出演:アーミー・ハマー アナベル・ウォーリス トム・カレン
監督:ファビオ・レジナーロ ファビオ・ガリオーネ

*以下、少量のネタバレあり

これはアーミー・ハマーの代表作になるのではないか、そんな印象を劇場でまず受けた。『ソーシャル・ネットワーク』では嫌な双子の両方を、『君の名前で僕を呼んで』では最初は少し取っ付きにくそうなあんちゃんを見事に演じてくれていたが、今作では意志の強さと肉体の強靭さ、そしてそれらに似合わない(というよりも、それらにふさわしい)人間性の持ち主を演じている。ふと、ジェームズ・P・ホーガンの小説『 星を継ぐもの 』のコリエルを演じさせるとすれば、それはアーミー・ハマーしかいない。個人的にはそう思えるほどだった。恐ろしいほどのハマり役である。『 ベイビー・ドライバー 』におけるアンセル・エルゴート並みにハマっているし、キマっている。

あらすじでご存知の通り、砂漠で地雷を踏んでしまって動けない。救助まで52時間。なにをどうやって凌ぐのか。襲い来る砂嵐、夜の闇としじまに紛れて忍び寄る狼の群れ、容赦なく照りつける太陽、凍てつく夜の冷気、飢え、そして渇き。極限状況を生き延びるために必要なことは何なのか。この映画のキーワードに”Move on”というものがある。「前に進む」という意味だが、これは物理的に体を動かしてそうするの意と、出来事や話題を振り切って新しいものに向かって進んでいくの意、両方を持っている。足を一歩前に踏み出せないことで、ハマー演じるマイクは過去に踏み出せなかった数々の一歩が胸に去来する。陳腐ではあるが『 モリーズ・ゲーム 』や『 ハクソー・リッジ 』にも見られたような父親殺しもその中には含まれている。念のために言うが、犯罪としての殺人ではなく文学的・精神的な意味での父殺しである。また重要な狂言回しとしてベルベル人の男が登場する。彼は片言の英語でマイクの心の隙間を浮き彫りにする。それはこんな具合だ。

「なぜ地雷を踏んだ?」
『ここが地雷原だと知らずに迷い込んだからだ』
「なぜここに来た?」
『任務があったからだ』
「なぜ任務があった?」
『戦争だからだ』
「なぜ戦争に来る?」
『俺が兵士だからだ』
「なぜ兵士になった?」
『俺には守るべきものがもうないからだ』

(あくまで記憶を頼りにしているので、多少の不正確さはご容赦を)

ここで、序盤に散々ほのめかされていた恋人ジェニーとの関係、母との別離、その他多くのしがらみについて、観客は知ることになる。それでも一歩を踏み出せないマイク。それは本当はその一歩を誰よりも踏み出したかったからなのだ。ベルベル人の男の言葉に、マイクは自分でも気づいていなかった本心を知ることになる。第一次および第二次湾岸戦争に従事した兵士が帰国後PTSDを発症する率が異様に高かったとされるのは、戦場での悲惨な体験が一番の要因であると思われるが、極限的な状況に追い込まれることで、マイクのように過去のトラウマが一時に刺激されてしまうことも事由の一部としてあったのではなかろうか。お前は一体何者なのだという実存主義的な問いほど恐ろしいものは、実はこの世にはないのかもしれない。

劇場鑑賞でもレンタルでもストリーミングサービスでも何でも良い。マイクの生のこの一瞬をぜひ追体験してほしいと思う。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アーミー・ハマー, アメリカ, イタリア, スペイン, スリラー, 監督:ファビオ・ガリオーネ, 監督:ファビオ・レジナーロ, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『ALONE アローン』 ―実存主義的な問いからのプレッシャーに如何に抗うか―

『 君の名前で僕を呼んで 』 -映像美と音声美と一夏の恋-

Posted on 2018年5月17日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:君の名前で僕を呼んで 80点場
所:2018年5月6日 MOVIX尼崎にて観賞
主演:アーミー・ハマー ティモシー・シャラメ
監督:ルカ・グァダニーノ

*注意 本文中に本作および他作品のネタバレあり

部隊は1983年の北イタリア、大学教授が大学院生のオリヴァーを別荘に招くところから物語は始まる。知的かつマッチョな大学院生(アーミー・ハマー)は教授の息子のエリオ(ティモシー・シャラメ)と徐々に距離を縮めていく。公開前や公開当初はゲイ同士の恋愛と誤解する向きもあったようだが、主演の2人はストレートもしくはバイセクシュアルである。惹かれ合うきっかけなど何でもいい。男が女に最初に、かつ最も強力に惹かれるのは往々にしてフィジカル面の魅力だ。そのことを恐ろしいほど分かりやすく我々アホな男性映画ファンに突き付けてきたのは『ゴーストバスターズ』(2016)だった。ヘムズワース演じるアホなイケメン受付男を救うのに、なぜ彼女らはあれほど血道を上げたのか。

本作品は逆に、男同士が惹かれ合うのにどれほど重大な理由が必要なのかを大いに疑問視する。北イタリアでの一夏のアバンチュールだと言ってしまえばそれまでなのだが、それがあまりにも美しく描かれている。ここでいう美しさとは”自然な美しさ”ということ。開放的・解放的な気分になって、ついついベッドインしてしまいました、的なノリではなく、芸術論や歴史的な認識に纏わる知的な会話から、一緒に街までサイクリングするなど、観る者がゆっくりと彼らの交流に同調していけるように描かれているのだ。『無伴奏』はお互いが雄になって相手を激しく求め過ぎていたように見えたし『怒り』では一方の男が他方の男を乱暴に犯しているように見えた。もちろん、異なる物語の似たようなシーンを比較しても意味は無いのだが、相手のことを徐々に、しかし確実に好きになっていくというプロセスを邦画2作は欠いていた。この交流の美しさは是非多くの映画ファンに味わってほしいと思う。

テクニカルな面で注目すべき点は2つ。一つはBGM。多くは合成されたり編集されたものだと思われるが、実に多くの小川のせせらぎ、木々のそよめき、牛の鳴き声、蝿の飛ぶ音などが効果的に使われていた。ほんの少しのオーガニックな音で、観客はその場にいるような気持ちになれるものなのだ。『ラ・ラ・ランド』の冒頭の高速道路のダンスシーンに、ほんのちょっとした風の音やクルマの走行音やクラクション、遠くの空から聞こえてくる飛行機のジェットエンジン音などがあれば、「あなたがこれから体験する世界は全て作りものですよ」的ながっかり感を味わわなくても済んだのだが。ぜひ本作では、映像美だけではなく音声の美も堪能してほしいと思う。

もう一つの注目点は、やたらと画面に映りこむ蝿だ。ほんの少しネタばれになるが、エンディングのシークエンスでエリオの肩にずっと蝿が止まっているのだ。これが何を意味するのかは見る者それぞれの解釈に委ねられるべきなのだろう。

この映画の結末部分のカタルシスは『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い 』に並ぶものがある。息子が男相手に一夏の秘め事に耽るのを、親としてはどう見守るべきなのか。ロッド・スチュワートの代表曲の一に”Killing of Georgie”というものがある。Georgieというゲイの男を人生を歌ったものだ。我が子がストレートでないということに戸惑う親は、ぜひ本作に触れてほしい。何かしらのインスピレーションを必ず受け取ることができるはずだ。

日本では、同性婚を巡っては自治体レベルで認めるところが出てきてはいるものの、国民全体で考えるべきという機運の高まりはまだ見られない。「同性とも結婚できるようになる」ということを何故か「同性と結婚せねばならぬ」と感じる人が多いようだ。また夫婦は必ず同姓であるべしという、ある意味で完全に世界に取り残された日本という国に住まう人に、なにかしらのインパクトを与えうる傑作としてお勧めできる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アーミー・ハマー, アメリカ, イタリア, ティモシー・シャラメ, ブラジル, フランス, ロマンス, 監督:ルカ・グァダニーノ, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 君の名前で僕を呼んで 』 -映像美と音声美と一夏の恋-

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