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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: アニャ・テイラー=ジョイ

『 ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー 』 -続編にも期待-

Posted on 2023年5月7日 by cool-jupiter

ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー 70点
2023年5月6日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:クリス・プラット アニャ・テイラー=ジョイ
監督:アーロン・ホーバス マイケル・ジェレニック

 

嫁さんが観たいというのでチケット購入。普通に面白かった。

あらすじ

ニューヨークで配管工として独立したマリオ(クリス・プラット)とルイージは、ブルックリンの地下で土管に吸い込まれたことで、謎の世界へワープしてしまう。その途中でルイージはダークランドへ、マリオはキノコ王国へ。世界征服をもくろむクッパを倒し、弟を救出すべく、マリオはピーチ姫(アニャ・テイラー=ジョイ)に会いに行くことになり・・・

ポジティブ・サイド

ニューヨークの下水道には100年近く前に発生した、とあるミームがある。リゾート地で買ってきた赤ちゃんクロコダイルを飼いきれなくなって、下水に放したら、繁殖してしまった・・・というもの。『 アメイジング・スパイダーマン 』の下敷きでもある。そうした不思議な空間、ニューヨークの地下水道から異世界にワープするという展開には説得力があった。

 

クッパの暴君っぷりも堂に入ったもの。よくよく考えれば毎回広大なエリアを支配下におさめ、膨大な数と種類の配下を従えるゲーム世界の大ボス。ドラクエシリーズの魔王と変わらない貫禄だ。それでもクッパが愛されるのは、ピーチ姫に恋焦がれるという側面があるからだろう。森見登美彦風に言えば「成就した恋ほど語るに値しないものはない」わけで、逆に言えばクッパの恋は決して成就しないからこそ、マリオの世界は拡大し続けてきたとも言える。今作のクッパはピアニストにして歌手でもあり、クッパの新たな側面を追求したという意味でも興味深い。

 

そのクッパの love interest たるピーチ姫が、今回はさらわれない。逆にクッパに敢然と立ち向かうお姫様像を打ち出してきた。アニャ・テイラー=ジョイの声もマッチしている。『 シュガー・ラッシュ 』前のディズニーには絶対に出てこないタイプのプリンセスだが、まったく違和感はなかった。ピーチ姫の出自に関しても一部が明らかにされていたのも良い。キノコ王国の姫がキノコではなく人間である、ということを全く疑問視しなかった自分が恥ずかしい。全然 critical thinking できていなかった。

 

マリオとルイージの関係性も過不足なく描写されていた。頼りになる兄と頼りない弟で、兄が弟を常にフォローしてやる。序盤のニューヨークの街中でゲームさながらの横スクロールで移動していくシーンには笑ってしまうと同時に唸らされた。その弟が終盤で兄のピンチを勇気を振り絞って体で食い止めるという展開には手に汗握ったし、二人でクッパを撃破する展開には思わず柏手を打った。

 

『 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー VOLUME 3 』が意図的に politically correct な内容に作られているのに対して、本作はほとんどナチュラルに politically correct な作品に仕上がっているということにも驚かされるが、だからこそビデオゲーム分野でマリオは最も売れたフランチャイズになっているのだろう。

ネガティブ・サイド

音楽がほとんど全部オーケストラ化されていたのは少々やりすぎに感じた。ファミコンの最大4音とまではいかないが、冒頭のようなシンプルなBGMおよび効果音がもう少しあっても良かったと思う。

 

とあるキャラの誕生を匂わせるポスト・クレジットシーンがあるが、『 GODZILLA(1998) 』のように、続きはテレビで!とならないことを祈る。

 

総評

Jovian世代だと、マリオはだいたいファミコンで1~3、スーパーマリオワールド、マリオカート、スーパーマリオ64、あとはドクターマリオとか、ゴルフ、テニスあたりもプレーした記憶がある。ただ、プレーしたゲームが1作だけでも鑑賞に支障はない。極端な話、マリオのゲームを一切プレーしたことがなくても、マリオがどんなキャラでどんなゲームなのか、何となく知っているだけでも楽しめるはずだ。ファミリーで鑑賞するもよし、デートムービーとして鑑賞するもよし、もちろんお一人様での鑑賞でもOKである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Will you marry me?

説明不要。プロポーズの言葉の定番。ポイントは語尾を上げないこと。これは機能疑問文である。大人の恋愛映画では死ぬほど聞こえてくるし、現実でも頻繁に使われる。ちょっと古い話だが、1996年のウィンブルドンの伊達公子vsシュテフィ・グラフで、観客が “Steffi! Will you marry me?” と叫んだシーンを知っている人もいるはず。Jovianは当時高校生で、リアルタイムでテレビで観ていた。ちなみにグラフはすかさず “How much money do you have?” と応えた。映像がYouTubeにあったので興味がある向きはどうぞ。 

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 放課後アングラーライフ 』
『 不思議の国の数学者 』
『 高速道路家族 』

 

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Posted in 国内, 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アクション, アニメ, アニャ・テイラー=ジョイ, アメリカ, クリス・プラット, 監督:アーロン・ホーバス, 監督:マイケル・ジェレニック, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー 』 -続編にも期待-

『 ザ・メニュー 』 -Don’t just eat. Taste.-

Posted on 2022年11月27日 by cool-jupiter

ザ・メニュー 70点
2022年11月26日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:レイフ・ファインズ アニャ・テイラー=ジョイ ニコラス・ホルト
監督:マーク・マイロッド

あらすじ

有名シェフのジュリアン・スローヴィク(レイフ・ファインズ)が手がける、孤島のレストラン「ホーソン」を訪れたマーゴ(アニャ・テイラー=ジョイ)とタイラー(ニコラス・ホルト)たち。絶品料理の数々に感動するタイラーを横目に、マーゴは違和感を覚える。そしてコースが進むにつれ、シェフの凝らした趣向がどんどんとエスカレートし、ある時ついに一線を越えてしまい・・・

ポジティブ・サイド

何とも奇妙な趣向を凝らした映画である。これでもかと瀟洒な料理を見せつけつつ、作り手たちが届けたいメッセージは食べ物に関することではない。食べ物を味わう姿勢、もっと言えば芸術作品そのものを味わう姿勢についてだ。

 

ごく少数の客が船に乗り、孤島のレストランに向かう様子は『 ナイル殺人事件 』を彷彿させ、否が応でもサスペンスが盛り上がる。孤島で出迎えてくれるエルサの存在がさらに不穏な空気を充満させる。この役者、ホン・チャウさんというらしい。方向性は全然違うが、『 カメラを止めるな! 』の竹原芳子(どんぐり)並みのインパクトを残したと思う。今後、どんどん売れて、最終的にミシェル・ヨーの領域を目指してほしい。

 

閑話休題。レイフ・ファインズ演じるシェフは技巧の限りを尽くしたフルコースを振る舞うが、一品ごとに小咄を挿入してくる。そこで彼が言う「ただ単に食べてはいけません。味わってください」=Don’t just eat. Taste. こそが本作のメッセージ、いや裏メッセージと言うべきか。芸術を消費するな、ちゃんと鑑賞しろという、一種の批判になっている。ごく最近、ファスト映画のアップロード者2名に5億円という目玉が飛び出るような賠償金請求が出たが、Jovianはこの判決はありだと考える。抑止力になることもそうだが、なによりファスト映画を消費することによって、映画を観たと堂々と言えるような風潮を世間に広めてはならないと思うからだ。

 

本作でもレストランオーナーの友人だという3人組が「一回あのレストランに言っておけば箔がつく」と話すシーンがあるが、これは味を楽しむ姿勢ではなく、単なるステータスを獲得しようという姿勢である。Jovianと同世代なら T.M.Revolution の『 WHITE BREATH 』の歌詞、「タランティーノぐらいレンタルしとかなきゃなんて、殴られた記憶もロクにないくせに」 を思い出すかもしれない。殴られる痛みを知らないのに、暴力的な映画を鑑賞して、その真価が分かるのか?という疑問である。ニコラス・ホルト演じるタイラーを通じて、シェフはこのことを非常に痛烈に批判してくる。こんなブログ書いてる俺も大丈夫かいなと心配になってきた。

 

最後の一品の際に、マーゴが機転を利かして虎口を脱するが、この知恵は見事だった。結局のところ、ファスト映画の消費や、あるいは配信などの形態に、古き良き劇場鑑賞という経験そのものが屈してしまう。それが認められない映画人による壮絶な自爆テロ的な寓意をはらんだ結末なのかと思う。

 

ネガティブ・サイド

『 フード・ラック!食運 』と同じく、食材の調達や調理のシーンが決定的に不足していた。撮影開始の前のロケハンや、大道具・小道具の作成、衣装の用意、役者のリハなど、映画製作もカメラが回り始めるよりも前の方が重要であると思う。料理も同じで、キッチンで調理をする前の段階こそが大事で、牡蠣を取るシーンにもっとクローズアップしたり、ハチミツや鶏卵を収穫するシーンを挿入することも出来たはずだ。またレイフ・ファインズ自身の調理シーンも、もう少し欲しかった。

 

趣向の一つとしての男性だけの逃走タイムは何だったのだろう。

 

アニャ・テイラー=ジョイのキャラの職業もちょっと捻りすぎかなと感じた。また。エルサとの対決の結果は、レストランの惨状とは無関係なので、そこをどうカバーするのだろうという疑問は残った。

 

総評

アニャ・テイラー=ジョイがR15+ということで、ついに脱ぐのか?という期待が高まったが、そういう意味でのR指定ではないので、スケベ映画ファンは期待してはいけない。またグルメ映画だと思ってもいけない。本作は一種のシチュエーション・スリラーだと思うべきだ。そのうえで豪華な食材=有名俳優を使って、美味を極めた料理=極上の映画を送り届けてきたと解釈すべし。つまり、レストラン「ホーソン」のゲスト=映画の観客なのだ。それを念頭に置いて鑑賞されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

theater

普通は劇場という意味だが、これは a theater のように冠詞がつく場合。劇中では、This is theater. = これはお芝居よ、のように使われていた。書籍『 マネーボール 』の原書でも、アート・ハウ監督のダグアウトでの在り方が、Everything was theater. =「何もかもが芝居なのだ」と訳されていた。a theater と theater の区別が適切にできれば、英検準1級以上はあるだろう。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 ザリガニの鳴くところ 』
『 サイレント・ナイト 』
『 母性 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アニャ・テイラー=ジョイ, アメリカ, スリラー, ニコラス・ホルト, レイフ・ファインズ, 監督:マーク・マイロッド, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ザ・メニュー 』 -Don’t just eat. Taste.-

『 キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱 』 -伝記映画の佳作-

Posted on 2022年11月3日 by cool-jupiter

キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱 70点 
2022年10月30日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:ロザムンド・パイク サム・ライリー アニャ・テイラー=ジョイ
監督:マルジャン・サトラピ

 

怪作『 ハッピーボイス・キラー 』の監督が、マダム・キュリーを料理するという。そして演じるは円熟味を増したロザムンド・パイクということでチケット購入。

あらすじ

マリ・スクウォドフスカ(ロザムンド・パイク)は、大学で満足なラボを与えられずにいた。そんな中、マリはピエール・キュリー(サム・ライリー)と出会い、交際し、結婚してキュリー夫人となる。二人は共同で研究を積み重ね、ついにマリは大発見を行うが・・・

 

ポジティブ・サイド

キュリー夫人というとラジウム発見のイメージが強い。というか、それしか知らなかった。本作を鑑賞して、かなり脚色されている点はあるのだろうが、単なる科学者ではない人間マリ・キュリーが分かった気がする。

 

本作は非常にユニークな構成だ。いきなりキュリー夫人の死亡直前から始まる。そして、彼女が自身の人生を走馬灯のように振り返る形で、物語が提示されていく。不遇の研究者時代に出会った夫ピエール、結婚、出産、放射能の発見、ノーベル賞受賞などがドラマチックに描かれていく。印象的なのは、明らかにキュリー夫人の死後のイベントも回想されるところ。たとえばヒロシマへの原爆投下や、チョルノービリ(チェルノブイリ)の原発事故などがある。自身の発見が、世界を良い方向にも悪い方向にも変えうるということは作中でも言及されていたが、それを具体的なビジョンとして見せることで、キュリー夫人の卓越した想像力を見事に表していた。

 

ロイ・フラーとピエール・キュリーの交流も個人的に興味深かった。フラーが当時の最先端科学と踊りを融合させようとしたことはよく知られている。その後、スピリチャルな方面に傾倒していったのも史実。観ているうちは「自分には興味深いが、このパート要るかな?」と感じてしまったが、これは浅慮だった。このフラーとの交流が、中盤以降に思いがけない形で人間マリ・キュリーをクローズアップすることにつながる。マルジャン・サトラピ監督はかなりの手練れである。ロイ・フラーについて知りたいという人は『 ザ・ダンサー 』を鑑賞されたし。

 

悲惨極まる戦争に対しても、殺傷のためではなく人命救助のために物理学の知識と技術を応用したことを不勉強にして知らなかった。フローレンス・ナイチンゲールより2世代ほど下のマリ・キュリーであるが、ほぼ同時代人と言ってよいだろう。ナイチンゲールも知識と技術をクリミア戦争の野戦病院で発揮したが、マリ・キュリーもそうだったのか。女性として、妻として、母として、そして科学者として生きるマリ・キュリーの生涯と、過去・現在・未来をすべて俯瞰するかのような構成がよくよくマッチしている。『 ドリーム 』よりもシリアスさは上だが、そちらを楽しめた向きは、きっと本作も堪能できるはず。

ネガティブ・サイド

マリ・キュリーの苦闘を描くことに多大な時間を費やしているが、厳しさや険しさが前面に出すぎていたと感じる。彼女にもほのぼのとした家族の団らんや、夫婦としての睦まじい関係性はあったはず。そうした面に光を当てることがなかったのは残念である。当時の世相や、彼女自身の在フランスのユダヤ系ポーランド人というバックグラウンドがあったのは事実だろうが、もう少し想像力を発揮して、人間味のあるマリ・キュリーを描き出してほしかった。

 

娘夫婦もノーベル賞を受賞したことに触れられなかったのは何故なのだろう。

 

邦題が今一つ。キュリー夫人というのは馴染みのある名前であるが、敢えて「マリ・キュリー 天才科学者の愛と情熱」のような邦題にしても良かったのではないか。映画が描いたのは夫人としての面だけではなく、母親や科学者としての面も多かったのだから。

 

総評

猿橋勝子も苦労したが、それよりもっと苦労したのがキュリー夫人なのだなと、しみじみ思う。こうした作品を観ると、人類は進歩しているのか、それとも進歩していないのか分からなくなってくる。一つ言えるのは、作り手はそんな短絡的な結論は求めていないということ。放射能の放つ妖しい光を、美しいものにできるのか、それとも破滅的なものにしてしまうのか。それはマリ・キュリーの後半生の生き方を参考にしてください、というのがマルジャン・サトラピ監督のメッセージなのだろうと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

speak for oneself

「自らのために語る」が直訳だが、これはしばしば無生物を主語に取る。

His achievement speaks for itself.
彼の業績は(誰かが語るまでもなく)素晴らしいものである。

These facts speak for themselves.
これらの事実を見れば(誰かが説明しなくても)分かる。

The results spoke for themselves.
結果がすべてを物語っていた(誰かが説明せずともすぐに分かった)。

のように使う。

 

次に劇場鑑賞したい映画

『 窓辺のテーブル 彼女たちの選択 』
『 天間荘の三姉妹 』
『 王立宇宙軍 オネアミスの翼 』

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アニャ・テイラー=ジョイ, イギリス, サム・ライリー, ヒューマンドラマ, ロザムンド・パイク, 伝記, 歴史, 監督:マルジャン・サトラピ, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 キュリー夫人 天才科学者の愛と情熱 』 -伝記映画の佳作-

『 ラストナイト・イン・ソーホー 』 -夢は大都市に飲み込まれるのか-

Posted on 2021年12月13日2021年12月13日 by cool-jupiter

ラストナイト・イン・ソーホー 75点
2021年12月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:トマシン・マッケンジー アニャ・テイラー=ジョイ
監督:エドガー・ライト

f:id:Jovian-Cinephile1002:20211213215427j:plain

『 ベイビー・ドライバー 』のエドガー・ライト監督の最新作。ダークな物語を明るくポップなチューンに乗せて魅せるという持ち味は、本作でも遺憾なく発揮されている。Jovian一押しのアニャ・テイラー=ジョイの出演作でもあり、見逃す手はない。

 

あらすじ

デザイン専門学校に入学したエロイーズ(トマシン・マッケンジー)は寮になじめず、ソーホーのアパートで一人暮らしを始める。ある日、エロイーズは1960年代のソーホーでクラブの歌手になろうとするサンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)の夢を見る。それ以来、夜ごとにサンディとシンクロしていくエロイーズだったが、サンディは徐々にソーホーの闇に墜ちていくことになり・・・

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ポジティブ・サイド

オープニングから、本職のダンサーさながらに古い音楽に合わせて踊るトマシン・マッケンジーが光る。死んだ母親が見えるという奇妙な力を持ちつつも、希望を胸に抱き、片田舎から都ロンドンへと旅立つ様、そしてロンドンに到着した瞬間から味わう違和感。そして学生寮のルームメイトや同期と馴染めぬままに、アパート暮らしを始めるまでがあっという間のテンポである。大都会とそこに暮らす人々に馴染めないという、祖母の懸念通りのエロイーズであるが、ここまでのシーンを明るい色使いと明るい音楽で描くことで、エロイーズが夢の中でサンディと徐々に同化していく過程が、ムーディーな音楽でもって描き出されるダークで淫靡なソーホーと、鮮やかなコントラストになっている。

サンディと同じブロンドに染め、サンディの着ていた衣装を実際にデザインしてみることで、生き生きと輝きだすエロイーズだが、夢の中でサンディがだんだんと60年代のソーホーの暗部に囚われていくにつれ、現実のエロイーズも「霊が見える」という能力のせいで浸食されていく。

 

この男に食い物にされてしまう女性という構図が、1960年代でも21世紀であっても本質的には変わっていないことを本作は大いに印象付ける。その意味で、2010年代から急速に大量生産されるようになってきた gender inequality の是正を訴える作品群のひとつのように思える。が、実体はさにあらず。詳しくは書けないのだが、脚本も手掛けたエドガー・ライト監督は、単なるMeToo映画を世に送り出してきたわけではない。これは一筋縄ではいかない作品である。

 

主演を務めたトマシン・マッケンジーは、今もっとも旬なニュージーランド人俳優と言える。美少女が、そのキャリアの初期にホラー(っぽい)作品に出演するのは日本でも海外でも、まあ大体同じなのだろう。ホラーで頭角を現したという点ではアニャ・テイラー=ジョイも同じ。『 ウィッチ 』は正真正銘のホラーで、アニャはそこから同世代の女優たちの中から一歩踏み出した感がある。

 

エロイーズとサンディの人生が思わぬ形で交錯することになる終盤からは、まさにジェットコースター。エドガー・ライトの作劇術の巧みさに乗せられ、一気にエンディングにまで連れていかれてしまう。最後に流れる ナンバー『 Last Night in Soho 』 のサビの “I let my life go”という一節が強烈だ。この歌は、誰が誰に向けて歌っているのか。それが理解できれば、本作は男性にとってはホラーとなる。

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ネガティブ・サイド

エロイーズが夜な夜な見るビジョンについて、なんらかの補足というか、ルールらしきものの描写が必要だったのではないかと思う。田舎を旅立つ直前に祖母とエロイーズが「見えること」、「感じること」について言葉を交わすシーンがあったが、字幕に訳出されない英語台詞の中にも、エロイーズが「何を」「どのように」見えてしまうのかについては一切触れられていなかった。例えばの話だが、エロイーズが目にする母の姿は、実は自分を見守ってくれているものなのだ、のような描写があれば、恐怖とその後の納得の感覚が、どちらも強化されただろうと思う。

 

同じく、ハロウィンの時にエロイーズが見てしまうビジョンの源泉は何だったのだろうか。ジョンと自分の(夜の)関係を、思い切りバイオレントに表したもの?このあたりも少々矛盾というか説明材料不足であるように感じた。

 

総評

本作については、ジャンル分けが非常に難しい、というよりもジャンルを明言してしまうこと自体が重大なネタバレとなりかねない。それだけ危うい構成でありながら、鑑賞中は I was on the edge of my seat = 夢中になってスクリーンにくぎ付けだった。結構ショッキングな瞬間もあったりするが、デートムービーにもなるし、都市出身者や田舎出身者。現代主義者と懐古主義者の視点から様々なコントラストに注目することもできる。ホラーと宣伝されているからと敬遠することなかれ。素晴らしいエンタメ作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a bad apple

悪いリンゴ、転じて「腐ったリンゴ」となる。作中では bad apples と複数形で使われていた。一定以上の世代なら、ドラマ『 金八先生 』の腐ったミカン理論を知っていることだろう。あれと意味は全く同じである。要は、周りに悪影響を与える存在、という意味である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, B Rank, アニャ・テイラー=ジョイ, イギリス, トマシン・マッケンジー, ホラー, 監督:エドガー・ライト, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 ラストナイト・イン・ソーホー 』 -夢は大都市に飲み込まれるのか-

『 マローボーン家の掟 』 -精緻に作られた変則的スリラー-

Posted on 2020年4月21日 by cool-jupiter

マローボーン家の掟 65点
2020年4月20日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョージ・マッケイ アニャ・テイラー=ジョイ
監督:セルヒオ・G・サンチェス

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アニャ・テイラー=ジョイが出ていたら、とりあえず観る。それがJovianのポリシーである。『 1917 命をかけた伝令 』で堂々たる演技を見せたジョーイ・マッケイも英国紳士然としていて好感が持てる。これはきっと良く出来たクソホラーに違いない。そう思っていたが、どうしてなかなかの佳作であった。

 

あらすじ

辺鄙な街はずれで暮らすマローボーン家。長男のジャック(ジョージ・マッケイ)はアリー(アニャ・テイラー=ジョイ)と恋仲になっていた。しかし、母ローズが亡くなってしまう。兄弟たちはジャックが法的に成人と認めらる21歳になるまで、母の死を秘匿することを誓う。だが、虐待者であり殺人者の父の影が屋敷に迫っていて・・・

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ポジティブ・サイド

どこかロン・ウィーズリー/ルパート・グリントを思わせる顔立ちのジョージ・マッケイが輝いている。母代わりに一家を主導する者として、青春のただ中の青年として、そして父親に立ち向かう長兄として、様々な役を一手に引き受けている。『 1917 命をかけた伝令 』でも序盤はあどけなさを残しつつ、中盤のある女性との交流からエンディングまでの流れで一人前の男の顔になっていた。なんとも男前な役者である。

 

本作のテイストを一言で説明するのは難しい。『 ヘレディタリー/継承 』と『 スプリット 』と『 ジョジョ・ラビット 』を足した感じとでも言おうか。ジュブナイルで始まり、サスペンスが盛り上がり、スーパーナチュラル・スリラーのテイストが色濃く現れてくる中盤までは、まさにホラーの王道。このあたりまでは「ああ、やっぱり良く出来たクソホラーだな、こりゃ」と高を括っていた。だが、本作が本当に面白くなるのはここからである。前半~中盤ははっきり言って盛り上がりに欠ける展開だが、全てはあるプロットのためなのである。やはり白字で書くが、『 カメラを止めるな! 』とまでは行かなくとも、『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』ほどにはぶっ飛ばされる。悔しいなあ、こんな演出に引っかかるなんて。しかし、伏線の張り方としては、これは非常にフェアであると言える。物語のどの部分を見返しても、ちゃんと筋が通っている。

 

最終盤は山本弘の短編小説『 屋上にいるもの 』を思い起こさせる。同時に、作中の様々なキャラクターやガジェットがどれもこれも見事なコントラストを成していることにも気づかされる。またまた悔しいなあ、こんな仕掛けに気づかないとは。観終わってDVDプレーヤーのトレーを開けて、また悔しい思いをさせられた。これはジェームズ・アンダースンの小説『 証拠が問題 』を出版した東京創元社の Good job のパクリ見事な模倣、オマージュになっているではないか。借りる時にも気付けなかったのか。アニャ大好き、『 スプリット 』大好きな、このJovianが・・・

 

エンディングも味わい深い。『 ゴーストランドの惨劇 』はとてつもない悲劇だが、ある意味ではこの上なく幸せな状態でもあった。これもまた、一つの愛のカタチなのだろう。

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ネガティブ・サイド

日本の宣伝広報が言うような、5つの掟というのは、話の本筋でも何でもない。古くは『 ヘルハウス 』、近年では『 パラノーマル・アクティビティ 』や『 インシディアス 』といった屋敷や館に巣食う何かを呼び起こさないようにルールを守る。あるいは、その何かに立ち向かうというストーリーに見せかけているのは何故なのか。羊頭狗肉の誹りを恐れないのか。まあ、ちょっとでも下手な売り出し方をすると、本作の面白いところをスポイルしてしまうという懸念は理解できなくもないが、そこを巧みに宣伝するのが腕の見せ所というものだろう。安易なクソホラーに見せかけたPRは評価できない。

 

アニャ・テイラー=ジョイの出番が少ないし、見せ場もほとんどない。『 ウィッチ 』的な、人里離れた森でジャックら兄弟と不思議な出会い方をしたところでは、「ああ、ここからアニャがロマンスとミステリ/ホラー要素をバランスよく体現していくのだろうな」と予感させて、しかし実際はほとんど退場状態。スリラーやサスペンスの申し子のアニャをもっと効果的に使える脚本や演出があったはずだ。アリーはアリーで、母親から苛烈な仕打ちを受けていてだとか、あるいは以前に付き合った男がとんでもないDV野郎で、ジャックといい雰囲気になっても体が無意識に拒絶してしまうだとか、なにか不安感や緊張感を盛り上げる設定を盛り込めたのに、と感じる。

 

総評

一時期、高齢者の死亡を届け出ずに、年金を不正に受給し続ける世帯がたくさんあったと報じられたことがあった。まあ、今でも日本の津々浦々で起きていることだろう。それにプラスして、世界中の人間が“家に引きこもっている”という現状を下敷きに本作を観ると、なかなかに興味深い。ホラーというよりも、スリラーやサスペンスである。ホラーはちょっと・・・という向きも、ぜひ家に引きこもって観てみよう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I don’t have all day.

直訳すれば「一日全部を持っているわけではない」=「そんなに暇ではない」=「早くしてくれ」となる。取引先に電話してみたら「確認して、すぐに折り返しますね」と言われた。しかし、30分待っても1時間待っても連絡がない。そういった時に心の中で“C’mon, I don’t have all day.”=おいおい、早くしてくれよ、と呟いてみよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, アニャ・テイラー=ジョイ, アメリカ, ジョージ・マッケイ, スペイン, スリラー, 監督:セルヒオ・G・サンチェス, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 マローボーン家の掟 』 -精緻に作られた変則的スリラー-

『 サラブレッド 』 -一筋縄ではいかない女の友情-

Posted on 2019年10月7日2020年4月11日 by cool-jupiter

サラブレッド 65点
201910月3日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:オリビア・クック アニャ・テイラー=ジョイ
監督:コリー・フィンリー

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Jovianは『 ウィッチ 』以来、アニャ・テイラー=ジョイの大ファンである。映画ファンならば、○○が出演していたら観る、あの監督の作品は観る、あの脚本家の作品は絶対にチェックする、そういう習性があるものだろうが、アニャはJovianの一押しなのである。

 

あらすじ

感情のないアマンダ(オリビア・クック)と彼女の家庭教師を引き受けている旧友のリリー(アニャ・テイラー=ジョイ)。二人は奇妙な友情を育んでいた。そして、リリーは憎い継父の殺害計画をアマンダと共に練るようになるが・・・

 

ポジティブ・サイド

これまでも胸元を露わにする服装はちらほら着用してくれていたが、今回は遂に水着を解禁。アニャのファンは狂喜乱舞すべし。というのは冗談だが、それでもプールに潜るアニャは大画面に大いに映える。彼女はどこかファニー・フェイスなのだが、水中で目を閉じて黒髪がたゆたうに任せるアップのショットはひたすらに cinematic である。

 

オリビア・クックも魅せる。『 ラ・ラ・ランド 』でエマ・ワトソンが桁違いの演技力を見せつけたが、冒頭のリリーの住む屋敷を散策して回るシーンと、テレビを観ながら泣いて見せるシーンは、オリビアの演技力の高さを大いに物語っている。

 

監督のコリー・フィンリーは舞台の演出家で、映画の監督はこれが初めてのようだ。先に述べたアマンダの屋敷を見て回るシーンはロングのワンカットで撮影されており、カメラ・オペレーターが役者との絶妙な距離感を保ちつつ、どこか『 バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) 』を彷彿させるドラムを主旋律にした人間の不安を掻き立てるようなBGMが奏でられる。『 記憶にございません! 』の中井貴一と吉田羊の情事前のシーンは技術的に際立っていたが、映画的な技法としての完成度は本作のオープニングシーン(馬の後である、念のため)の方が上である。Establishing Shotの極致であり、迷走する人間関係と心理のメタファーになっている。

 

殺人を計画するにあたって、チンケなドラッグ・ディーラーを使うところもよい。やるかやらないか分からない、そんな根性がありそうでなさそうな pathetic な男と、獣性を秘めた女性たちのコントラストがサスペンスを盛り上げている。男という生き物は本質的には女の引き立て役なのかもしれない。Rest in peace, Anton Yelchin.

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ネガティブ・サイド

登場人物があまりにも少ないせいで、オリビアの感情の欠落が周囲の人間にどのように受けとめられてきたのか、あるいは受け入れられずにきたのかが分からなかった。ちょっとエキセントリックな奴、と思われるだけならいいが、「サラブレッドを殺した奴」というのはちょっと違うと思う。走れなくなった馬を安楽死させるのは、割とよく知られた事実であるし、レースに勝てず気性が穏やかな馬は、乗馬クラブに行き、レースに勝てず気性が荒い馬は動物園で肉食動物のエサにされている。これもよく知られた事実である。馬を殺したこと、その方法が残虐であったことを指してアマンダを「ヤバい奴」に認定するのはちょっと納得がいかなかった。これはJovianの実家がかつては焼肉屋で、Jovian自身も小学校6年生の時に牛の屠殺場に実際に親子で見学に行った経験を持つからかもしれない。

 

継父を殺したいほど憎く思っている背景の描写も弱い。登場シーンからして張りつめた空気が二人の間に漂っているが、そうした緊張感の漲るシーンをもう2,3か所、時間にして2~3分ほどでよいので、各所に挿入されていれば、劇中に二つ存在する真夜中のシーンのサスペンスがもっと盛り上がったのにと思う。

 

総評

女は怖い。つくづくそう感じさせてくれる。女性に対して満腔の敬意と言い知れぬ恐怖を抱くJovianのような小市民は、本作のような女の物語を非常に怖く、危うく感じる。これはネガティブにではなく、作品に対するポジティブな賛辞である。小市民男性は本作を観て、男と言う生き物のケツの穴の小ささを再確認しよう。亭主関白を自認する人は観ないことをお勧めする。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

outside the box

 

しばしば think outside the box という使い方をする。直訳すれば「箱の外で考える」だが、意訳すれば「固定観念にとらわれることなく考える」、「既存の枠組みを超えて思考する」ということ。これができるかどうかが、学生にとっても社会人にとっても、ますます重要になってくるだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アニャ・テイラー=ジョイ, アメリカ, オリビア・クック, サスペンス, 監督:コリー・フィンリー, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 サラブレッド 』 -一筋縄ではいかない女の友情-

『 ミスター・ガラス 』 -内向きに爆発したシャマラノヴァース-

Posted on 2019年1月25日2019年12月21日 by cool-jupiter

ミスター・ガラス 55点
2019年1月20日 東宝シネマズ伊丹にて鑑賞
出演:サミュエル・L・ジャクソン ブルース・ウィリス ジェームズ・マカヴォイ アニャ・テイラー=ジョイ
監督:M・ナイト・シャマラン

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シネマティック・ユニヴァース=Cinematic Universeが花盛りである。アベンジャーズに代表されるMarvel Cinematic Universeに、ゴジラを中心に展開されていくであろうモンスター世界=Monsterverse、『 ザ・マミー/呪われた砂漠の王女 』の不発により始まる前に終わってしまったDark Universeなどなど。そこにシャマラン世界、すなわちShyamalan Universe、略してシャマラン・ヴァースもしくはシャマラノヴァースとも呼ばれている。今作は『 アンブレイカブル 』と『 スプリット 』の正統的続編なのである。期待に胸を膨らませずにいられようか。

 

あらすじ

フィラデルフィアには監視者と呼ばれる男がいた。警察が捉えられない悪を裁くのだ。彼の名はデイヴィッド・ダン(ブルース・ウィリス)。触れることで悪を感知する不死身の肉体を持つ男。その頃、ケヴィン・ウェンデル・クラム(ジェームズ・マカヴォイ)は4人の女子高生を誘拐、監禁していた。24の人格を宿す人ならざる人。この二人の出会いを待ち構えていた精神分析医のサラ。彼女の施設には狂人にして天才、極度に脆い身体を持つミスター・ガラスことイライジャ(サミュエル・L・ジャクソン)も収容されていた。彼女は彼らに、超人など存在しないということを証明しようとして・・・

 

ポジティブ・サイド

ジェームズ・マカヴォイの多重人格者の演技。これだけでチケット代の半分になる。特に9歳児のヘドウィグの演技は前作に引き続き、圧倒的である。少年の心の無邪気さと不安定さを一瞬で表現するところは圧巻。同僚のロンドナーも、「演技力では、ジェームズ・マカヴォイ >>> ベネディクト・カンバーバッチ、トム・ヒドゥルストン、マイケル・ファスベンダー」と認めている。一度演じた役とはいえ、こうも簡単にあれだけの役を再現できるのかと感心させられる。

 

そしてまさかのスペンサー・トリート・クラークの再登場。父親に銃まで向けたあの息子も、今ではすっかり父ダンのサポーター役が板に付いた。というか、子どもの頃と顔が全く変わっていない。ハーレイ・ジョエル・オスメントも面影をかなり残しているが、ジェイソン・トレンブレイも今の顔のまま大人になるのだろうか。

 

閑話休題。ビーストとダンの対決は、日本のキャラクターの対決に例えるとするなら、『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 』の志々雄真実と『 魁!!男塾 』の江田島平八を闘わせるようなものだろうか?もしくは、ウルトラマンとゴジラの対決か?何が適切な例えになるのか分からないが、とにかくこの対決はシャマランファン垂涎のマッチアップなのである。一人自警団を実行していくであろうダンには強力なライバルが必要だった。しかし、普通の人間ではとうていダンには歯が立たない。であるならば、普通ではない人間が必要となる。バットマンがジョーカーを呼び寄せたように。またはスーパーマンにとってのレックス・ルーサーのように。それにしても、今作を観てやっと前作『 スプリット 』における駅と花束の意味が分かった。だからこそ本作のタイトルは『 ミスター・ガラス 』なのだ。誰よりも弱い身体を持つが故に、その頭脳は誰よりも冴える。何という男なのだろうか。演じ切ったサミュエル・L・ジャクソンにも脱帽だ。

 

ネガティブ・サイド

これはネタばれだが、特にメジャーなネタばれでもないので書いてしまう。一体全体、催眠ストロボとは何なのだ?いや、原理はどうでもいい。9歳児のヘドウィグならまだしも、デニスやバリーやパトリシアまでもが、「目をつぶる」という余りにも簡単な回避方法を思いつかないのは何故だ?

 

前作であれほどまでにベティ・バックリー演じるカウンセラーに自らの存在する意味、全ての人格は主人格のケヴィンを守るために存在するのだと、ビーストはケヴィンの究極の守護者なのだと確信していたにも関わらず、謎の研究者のほんの少しの言葉で、なぜあれほどまでにパトリシアたちは動揺するのか。同じことを描くにしても、前回のような本格的な、徹底的なカウンセリングシーンが欲しかった。これではフレッチャー博士も浮かばれない。

 

また本来の主人公であるミスター・ガラス、イライジャの天才性と狂人性の描写がもう一つ弱かった。いや、天才性は最後に爆発したが、『 アンブレイカブル 』で階段から落ちながらも、とある事柄を確認したことで浮かべた不気味極まりない笑顔。あれに優る狂気の表情が見られなかったのはマイナスだろう。イライジャの思考はそれが思い込みであれ、信念であれ、確信であれ、誰よりも強い。その想念の強さと大きさを宿したようなアクションまたは表情がどうしても見てみたかったが。

 

最後に個人的なネガティブを一つ。ケイシーを演じたアニャ・テイラー=ジョイの出番が少ない。Jovianは彼女とヘイリー・スタインフェルド推しなのである。

 

総評

色々と腑に落ちないこともあるが、『 アンブレイカブル 』がデイヴィッド・ダンがスーパーヒーローとして覚醒する物語で、『 スプリット 』はスーパーヴィランの誕生物語だった。狂人ミスター・ガラスはスーパーヒーローなのか、それともスーパー・ヴィランなのか。それは観る者が直接その目で確認すべきなのだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アニャ・テイラー=ジョイ, アメリカ, サスペンス, サミュエル・L・ジャクソン, ジェームズ・マカヴォイ, ブルース・ウィリス, ミステリ, 監督:M・ナイト・シャマラン, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ミスター・ガラス 』 -内向きに爆発したシャマラノヴァース-

『 スプリット 』 -多重人格ものの傑作にしてシャマラン復活の狼煙-

Posted on 2018年5月21日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:スプリット 75点
場所:2017年5月21日 東宝シネマズ梅田にて観賞
主演:ジェームズ・マカヴォイ アニャ・テイラー=ジョイ
監督:M・ナイト・シャマラン

*注意 本文中に本作のネタバレあり

M・ナイト・シャマランの映画は当たりと外れの落差が大きすぎる。しかし、本作は当たりなので安心して観賞してほしい・・・と言えないのが難しいところ。まず『スプリット』を本当の意味で理解し、咀嚼するためには『シックス・センス』、『アンブレイカブル』、『サイン』の全て、もしくはいずれかを観ておかなければならないからだ。

ストーリーは単純で、ジェームズ・マカヴォイ演じる正体不明の男がアニャ・テイラー・ジョイ演じるケイシーを含む女子高生3人を誘拐・監禁するところから始まる。そこで彼女らは自分たちを攫った男はDID(dissociative identity disorder)=解離性同一性障害、つまりは多重人格であることを知る。複数の人格の中には若い女性、9歳児、デザイナー、屈強な成人などがおり、中には話の通じる人格、上手く利用できそうな人格として現れるものもいるのだが、どういうわけケイシーはあまり動揺を見せず、淡々と状況に対処し、9歳児を上手く騙す手前までは行く。ここに至って観る者は「何故ケイシーはこの状況に対処できるのか」と不審に思うが、巧みに挿入されるケイシー自身の過去のフラッシュバックが徐々にその全体像を現わしてくることで、彼女の冷静さや強かさに納得できてしまう。

マカヴォイは定期的にカウンセラーと会いながらも、カウンセラーを欺こうとする。その一方で彼女の理解や協力を得ようとする動きも見せるなど、誘拐・監禁と同じく、観る者に疑念を植え付けていく。同時にビーストという人格の出現を予期させるも、カウンセラーは当初、「それはファンタジーである」として受け容れない。一体、このストーリーはどこに向かって進んでいくのか、観客が予測をつけられないままにビーストが出現し・・・

というのが大筋だが、詳しくは観て確かめてもらうしかない。賞賛すべきは、まず何と言っても複数人格を見事に演じ分けたジェームズ・マカヴォイに尽きる。圧巻なのは物語中盤のカウンセラーとの面談シーンで、数十秒、時には数秒間隔で人格を切り替えてみせるという離れ業を成し遂げた。また終盤にも人格が次々に入れ替わりながら心の声を叫んでいくというシーンは鳥肌もの。またこの時のカメラワークは恐ろしいほど完ぺきな角度とタイミングでマカヴォイの表情を捉えている。練りに練られて撮影されたシーンで、映画製作の時のお手本として取り上げたくなるような名シーンだった。

ケイシー役のアニャも負けていない。9歳児を巧みに操縦したかと思えば、その9歳児の迫力に圧倒されてしまうのだが、恐怖を飲み込む演技が非常に上手い。恐怖していることを9歳児には悟らせないように、しかし観る者に非常に分かりやすい形で伝えるという、矛盾する演技を堪能させてくれる。またそのシーンで9歳児バージョンのマカヴォイがダンスを披露してくれる。不気味さという点では、劇中随一だ。シャマラン監督に言わせると、死んでしまった人格がそのダンスを通じて蘇ってくることを表現しているとのことで、実に不安を掻き立てるワンシーンに仕上がっている。

物語の締めには何とデイビッド・ダンが登場し、ミスター・グラスに言及する。この瞬間、あるシャマラン信者は歓喜したであろうし、あるシャマラン信者は茫然自失したであろう。『スプリット』は『アンブレイカブル』の世界のスーパーヴィラン誕生の物語であり、この多重人格男は次回作でアンブレイカブルを体現するD・ダンことブルース・ウィリスとの対決が決定しているのだ。ダンがこの多重人格男に触れた時、一体何を読み取るのか、そして狂人ミスター・グラスは何をたくらみ、仕掛けてくるのか。今から2019年の新作『グラス(仮題)』公開が待ち遠しい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アニャ・テイラー=ジョイ, アメリカ, ジェームズ・マカヴォイ, スリラー, 監督:M・ナイト・シャマラン, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 スプリット 』 -多重人格ものの傑作にしてシャマラン復活の狼煙-

『 モーガン プロトタイプ L-9 』 -父親殺しの失敗作-

Posted on 2018年5月20日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:モーガン プロトタイプ L-9 40点
場所:2017年8月 レンタルDVDにて自宅観賞
出演:アニャ・テイラー=ジョイ ケイト・マーラ ミシェル・ヨー
監督:ルーク・スコット

巨匠リドリー・スコットの息子ルークの監督作品、となればある種の期待と一抹の不安を抱いて観賞に臨まざるを得ない。ましてテーマが人工生命。人工知能をいきなり通り越して人工生命ともなれば、そこで描かれる物語は、倫理、技術、文化、文明、政治、経済などを何かしらの形で反映させていなければならない。ちょうど『エイリアン』の世界では、超長距離貨物宇宙船が現代の貨物船ぐらいのノリで描かれていたように、人工生命の前段階にあるであろう、ロボットや人工知能についてもある種の説得力を以ってその存在を示唆してくるであろうと予想していた。そしてその予想は裏切られた。父を殺そうとして失敗する息子は大洋の向こうにもこちら側にもいるものである。

はっきり言って、出てくるキャラの行動が全て不可解すぎる。特に主役の人工生命モーガン(アニャ・テイラー=ジョイ)と面談セッションを持つ男性があまりにも非合理的で、モーガンが危険であるというよりも、モーガンというプログラムにバグを人為的に生じさせるのが狙いなのかと勘繰ってしまうほどだった。

SFサスペンス、もしくはSFスリラーの趣を漂わせながら進んで行くのが、ある時点からSFアクション映画になってしまうのも残念なところ。この手の失敗の最大級の見本としてはトム・クルーズ主演の『ザ・マミー 呪われた砂漠の王女』が挙げられる。元々はホラーであることが期待されていたはずが、開始2分でアドベンチャーを予感させ、その1分後にはアクション物になり、ようやくホラーの雰囲気が漂ってきたところでコメディ要素を放り込み、中盤から終盤にかけてははモンスター映画になるという、まさに軸が定まらない話だった。

本作はそこまで迷走はしていないものの、観る者が抱く予感を悪い意味で裏切ることが多い。また副題にもう少し細工を凝らしても良かったのではないか。普通に考えれば、プロトタイプL-1からL-8はどこに行った?となるだろう。

色々と酷評してしまったが、光る部分もある。それはやはりアニャ・テイラー=ジョイ。元々は『スプリット』を劇場観賞して、驚天動地のエンディングに打ち震えたのだが、結末と同じくらいアニャ・テイラー=ジョイの演技にも感銘を受けたし、将来性も感じた。無邪気でなおかつ残酷さも秘める少女から、弱さと強かさを同居させるキャラまで演じてきたが、なかなか二面性のある役というのは演じ切れるものではない。それをキャリアの若い段階でこれほど立て続けにオファーが来ているというのは、やはり業界でも注目の若手として高く評価されているのだろう。今後も応援をしていきたい女優である。というわけで、本作はアニャ・テイラー=ジョイのファンにだけお勧めできる映画である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アニャ・テイラー=ジョイ, アメリカ, 監督:ルーク・スコット, 配給会社:20世紀フォックスLeave a Comment on 『 モーガン プロトタイプ L-9 』 -父親殺しの失敗作-

『 ウィッチ 』 -魔女映画の新境地-

Posted on 2018年5月20日2020年1月10日 by cool-jupiter

題名:ウィッチ 70点
場所:2017年7月 シネリーブル梅田にて観賞
主演:アニャ・テイラー=ジョイ
監督:ロバート・エガース

魔女映画の傑作(公開当時)と言えば『 ブレアウィッチ・プロジェクト 』が想起される。レンタルビデオで観た時はあらゆるシーンの意味が分からず、その場でもう一度見直したら、いくつか背筋が凍るような場面があった。ホラー映画は一部の傑作を除いてあまり楽しむことはそれ以来なかったが、本作は久しぶりの個人的ヒットであった。

冒頭、主人公一家が追放されるシーンの直後に森の遠景を映し出す、いわゆるEstablishing Shotがあまりにも暗く、家族の今後の生活に暗雲が立ち込めていることを明示していた。

しばらくは平穏に過ごす家族に、しかし災いが訪れる。赤ん坊がいきなり消えてしまうのだ。その場で子守りをしていたアニャ・テイラー=ジョイ演じるトマシンは家族の中で立場を失っていく。

この作品を観賞する上では、アメリカの家族文化やキリスト教に関する一定の理解があることが望ましい。それによって主導的な役割を果たそうとする父親を見る目が大きく変わってくるだろう。

本作では魔女が何度かその姿を見せる。時に不気味な老婆であったり、時に妖しい美女であったりと、観る者をも惑わせる。魔女は姿を変えるのか、と。姿かたちが特定できない魔物のような存在を描いたホラーの傑作と言えば『遊星からの物体X』が思い出される。一人また一人と隊員が死んでいく中で、誰が”The Thing”であるのかが分からないのが最大の恐怖。それと同じように、家族は次第に疑心暗鬼に駆られていく。中盤においては双子の妹が重要な役割を担うが、彼女らを見ていて不覚にもニコラス・ケイジ版の『ウィッカーマン』を思い浮かべてしまった。時に幼い少女の無邪気さほど邪悪なものは無いということを我々は思い知らされてしまう。

物語が進む中で、ついにはトマシンの弟も魔女の手にかかり死んでいくのだが、このシーンは筆舌に尽くしがたい恐ろしさを醸し出すことに成功している。観る者は魔女の呪いの恐ろしさと、家族の反応の異様さの両方に恐怖を感じるであろう。魔女がもたらす災いにより家族が崩壊していく様を目の当たりにすることで、人間が本質的に恐れるのは人間ならざる者ではなく、人間そのものであることが露わになる。そのことは実は、冒頭で共同体から追放される家族自身がすでに経験していることでもあったのだ。人間関係の崩壊、それこそが本作のテーマであると思わせておきながら、しかし思いもよらぬ結末が待っている。この結末をあるがままに受け取ることによって、劇中の魔女の不可解さが説明される。それと同時に、ある肝心なシーンが意図的に映し出されていないことが別の解釈の余地を観る者に与えている。この映画の視聴後の虚脱感はヘレン・マクロイの『暗い鏡の中に』を想わせる。こちらも同工異曲の小説で、かなり古い作品ではあるものの、現代にも通じる面白さを秘めている。

本作で他に注目すべきは、音楽の恐ろしさと英語の古さ。一瞬の不協和音でびっくりさせてくるようなこけおどしではなく、脳に響いてくる不協和音とでも言おうか。また英語の古さがリアリティを与え、非現実的な物語に逆に更なる深みを与えることに成功している。カジュアルな映画ファンにはキツイかもしれないが、スリラーやサスペンスが好きな向きにもお勧めしたい一本。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アニャ・テイラー=ジョイ, アメリカ, カナダ, ホラー, 監督:ロバート・エガース, 配給会社:インターフィルムLeave a Comment on 『 ウィッチ 』 -魔女映画の新境地-

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