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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 映画

『 走れ!T校バスケット部 』 -スポーツものとしても青春ものとしても中途半端-

Posted on 2018年11月6日2020年1月15日 by cool-jupiter

走れ!T校バスケット部 40点
2018年11月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:志尊淳 椎名桔平 佐野勇斗 早見あかり
監督:古澤健

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監督が古澤健ということで不安はあった。この人はスリラーは作れても、漫画を映画化するとイマイチになってしまうからだ。では、実話ベースの映画作りはどうか。随所に光るものは見えたが、色々なものを追求しようとしたせいで、どれもこれも中途半端になってしまったような印象を強く持った。

 

あらすじ

子どもの頃からバスケが大好きだった田所陽一(志尊淳)は、母親を早くに亡くしたために父親(椎名桔平)と二人暮らし。特待生としてバスケ強豪校に入学したものの、ふとしたきっかけから陰湿ないじめの標的に。バスケを辞め、ただの高校・・・ではなく、多田野高校、通称T高に転校してきた。バスケはもうしないと誓っていた陽一だったが、自分に真摯に向き合ってくれる大人や級友たちのおかげでバスケを再開。しかし、そのことを父親にはなかなか打ち明けられず・・・

 

ポジティブ・サイド

もしもこれが少年漫画あるいは少女漫画なら、母親不在という設定は編集者によって強硬に反対されていただろう。息子という存在を際立たせる親は、何よりも母親だからだ。ごくごく最近の映画に限ってみても、『 ハナレイ・ベイ 』、『 エンジェル、見えない恋人 』、『 パーフェクトワールド 君といる奇跡 』など、息子に寄り添うのはたいてい母親だ。それは『 ビブリア古書堂の事件手帖 』にも共通していた。父親が息子に真剣に向き合う物語は、これまではありそうでなかなか作られてこなかったのではないか。本作の事情とは異なるが、日本の離婚率もまあまあの水準まで高まってきている。性差によって役割を固定せず、家庭内の仕事をするべき人間が行うということを明示してくれているのは非常に貴重なことであると思う。椎名桔平の演技および演出も良かった。佐々木蔵之介のテレビ映画『 その日のまえに 』で、酒の力を借りて子に語り掛けようとして、逆に一喝されてしまうというシーンがあった。父は息子相手に高圧的になっても、へりくだっても、ましてや真正面からではなく搦め手で攻めようなどとはかんがえてはならないのだ。そうした父と息子の厳しくも理想的な関係を本作は描き出す。この部分がしかし、本作のハイライトになってしまった。

 

ネガティブ・サイド

本作をどのジャンルに分類すべきかと尋ねられて、悩む人は多いだろう。ヒューマンドラマであり、スポ根物語であり、ビルドゥングスロマンであり、社会派でもあるからだ。しかし、タイトルにバスケット部とあるからにはスポーツものの要素が最も強いはずだし、実際にはバスケットボールをプレーしているシーンは、いくつか合成やCGがあったように見えたが、役者たちがかなり練習してきたことが見て取れた。それでも、いくつかのシーンには???となったことを覚えている。NBAは確かフリースローは10秒以内に放らないとバイオレーションとなるが、日本の高校の試合では何秒だ?また、フリースローはジャンプしながら放ってはならないはず・・・

 

終盤前にサプライズキャラが登場し、バスケに関するアドバイスをくれるシーンがあるが、これが全くもってちぐはぐだった。それは助言の内容ではなく、その助言が物語の展開や進行にまったく影響を及ぼさないことだ。陽一と他のチームメイトの間に実力的なギャップがある。それは分かっている。だからこそ、試合では仲間を活かそうとするよりも自分の力だけで決めに行くような決断も必要になる。一瞬の迷いが命取りになる。というアドバイスは、全く生かされなかった!白瑞高校を倒すために、非情とも言える個人技連発を予感させるような前振りをしながら、見事に伏線を回収せず。これはスポーツものでは決してない。そうそう、シュートの角度とスウィッシュの方向が一致しない描写もあった。左45度からシュートしたのに、ボールは右45度からスウィッシュしてくるとか、編集はいったい何をやっているのだ?

 

いまさら言っても詮無いことだが、T高の田所陽一にフォーカスするのではなく、日川高校の田中正幸にフォーカスするべきだった。もちろん、日大アメフト部の超悪質タックル問題を思わせるような描写もあり、時代の要請に上手く答えられている面もあったが、肝心の物語があまりにもテーマを拡散させすぎて、一貫性を欠いてしまっているという印象はどうしても否めない。実話ベースではなく、バスケ漫画を原作に映画を作るべきだったのではないか。まあ、この分野には『フライング☆ラビッツ』という珍作があるので、一定以上の水準ならどれでも良作に見えてしまうものだが。

 

最後に、志尊淳に英語くらいは喋らせよう。吉田羊に英語指導した先生を連れてきて猛特訓すれば、モーガンさんともっとスムーズにコミュニケーションが取れたはずだ。バスケの練習で忙しかったなどというのは言い訳だ。これからの世代の役者も、英語くらいある程度使えて当然にならなくてはならない。福士蒼汰が英検2級合格をネタに使うようでは、日本のエンターテイメント業界の先細りは見えている。

 

総評 

悪質ないじめ描写から、予定調和的なエンディングまで、最後まで観る者を引っ張る力はある。しかし、楽しませる力はない。特に細部のリアリティと全体像との整合性、一貫性にこだわるようなうるさい映画ファンには非常に物足りなく映ることであろう。椎名桔平ファンなら要チェックと言えるかもしれない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, 佐野勇斗, 志尊淳, 日本, 早見あかり, 椎名桔平, 監督:古澤健, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 走れ!T校バスケット部 』 -スポーツものとしても青春ものとしても中途半端-

『 スマホを落としただけなのに 』 -スマホという楔は人間関係を割るのか繋ぎ止めるのか-

Posted on 2018年11月5日2019年11月21日 by cool-jupiter

スマホを落としただけなのに 40点
2018年11月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:北川景子 田中圭
監督:中田秀夫

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181105012648j:plain

原作とほんの少しだけ異なるところもあれば、大胆な改変を加えたところもある。それらの変化を好意的に受け止めるか、それとも否定的に評価するかは、意見が分かれるところだろう。しかし、一つはっきりと言えることがあるとすれば、今作のトレーラーを作った人間は万死に値する・・・とまでは言わないが、はっきり言って猛省をしなければならない。これから本作を観ようと思っている人は、できるだけ予告編やトレーラーの類からは距離を取られたし。

 

あらすじ

富田誠(田中圭)は営業先に向かうタクシーにスマホを置き忘れてしまう。恋人の稲葉麻美(北川景子)が電話したところ、たまたまそのスマホを拾ったという男に通じ、横浜の喫茶店に預けるというので、ピックアップすることになった。しかし、その時から富田のクレジットカードの不正利用やSNSのアカウント乗っ取りなど、誠と麻美の周辺に不穏な動きが見られるようになる。時を同じくして、山中から黒髪の一部を切り取られた女性の遺体が次々と見つかり・・・

 

ポジティブ・サイド

犯人の怪演。まずはこれを挙げねば始まらない。少年漫画と少女漫画を原作に持つ映画が溢れ、役者というよりもアイドルの学芸会という趣すら漂う邦画の世界で、それでもこのような役者が出て来てくれることは喜ばしい。頑張れば香川照之の後継者になれるだろう。

 

童顔と年齢のギャップでかわいいと評判の千葉雄大もやっと少し殻を破ってくれたか。刑事として奮闘するだけではなく、序盤に見せた容疑者を鼻で笑う表情に、何かが仕込まれた、もしくは何かを背負ったキャラなのかと思わされたが、その予感は正しかった。役者などというものはギャップを追求してナンボの商売なのだから、もっともっとこのような演出やキャスティングを見てみたいものだ。

 

本作は観る者に、現代の人間関係がいかに濃密で、それでいていかに空虚で希薄なのかを思い知らせてくれる。ちょっとした録音メッセージ、メール、テキスト、スタンプなど、生身の触れあいなどなくとも、スマホを介在して何らかのコンタクトをするだけで、人は人を生きているものと考えてしまうことに警鐘を鳴らしている。この点について実にコンパクトにまとめているのが、THIS IS EXACTLY WHAT’S WRONG WITH THIS GENERATIONというYouTube動画である。英語のリスニングに自信がある、または自動生成の英語字幕があれば意味は理解できるという方はぜひ一度ご視聴いただきたい。

 

ネガティブ・サイド

原作小説と映画版では色々と違いが見られるが、その最大のものは麻美の設定であろう。はっきり言ってネタばれに類する情報なのだが、なぜかトレーラーで思いっきり触れられている。なぜこのようなアホなトレーラーを作ってしまうのか。そのトレーラーの北川景子も髪の長さが全く違って、なおかつ踏切の中に佇立するという、いかにもこれから死にますよ的な雰囲気を漂わせている。もうこれだけで、原作を既読であろうと未読であろうと、仕込まれた設定がほぼ読めてしまう。実際にJovianは観る前からこの展開の予想はできていたし、そのような人は日本中に1,000人以上はいたのではなかろうか。原作のその設定が映画的に活かしきれない、難しい、微妙だ、というのなら、その痕跡自体も消し去ってほしかった。なぜ冒頭のシーンで北川景子のキャット・ウォークをヒップを強調するカメラアングルで捉える必要があったのか。それは麻美がアダルトビデオに出演していた過去を持っていたからに他ならない。このあたりは中高生も注意喚起の意味で見るべき作品としての性格からか、全く別の設定に変えられているが、それなら痕跡すら残さず一切合財を変えてしまうべきだった。この辺りはエンディングのシークエンスでも強調されていることなので、なおのことそう思ってしまった。

 

また犯人像があまりにも分かりやす過ぎる。これも原作の既読未読にかかわらず、分かる人にはすぐ分かってしまう。もちろん、トリックらしいトリックを使う、いわゆるミステリとは異なるジャンルの作品なのだから、そこは物語の主眼ではない。しかし、驚きは最も強烈なエンターテインメントの構成要素なのだ。だからこそ我々は「ドンデン返し」というものに魅せられるのである。本作はこの部分が圧倒的に弱い。これはしかし、同日に『 search サーチ 』という近いジャンルに属する圧倒的に優れた作品を鑑賞したせいであるかもしれない。いや、それでも映画化もされた小説『 アヒルと鴨のコインロッカー 』というお手本であり、乗り越えるべき先行作品もあるのだから、そのハードルは超えて欲しかったが、本作はそのレベルにも残念ながら達していない。

 

総評

もっともっと面白い作品に仕上げられたはずだが、残念ながら原作小説以上の出来にはならなかった。時間とお金に余裕があるという人は、是非『 search サーチ 』と本作の両方を観て、比較をしてみよう。前者の持つ突き抜けた面白さが本作にはなく、極めて無難な映画になっていることに否応なく気付かされてしまうだろう。北川景子ファンならば観ておいても損は無い。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, サスペンス, ミステリ, 北川景子, 日本, 田中圭, 監督:中田秀夫, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 スマホを落としただけなのに 』 -スマホという楔は人間関係を割るのか繋ぎ止めるのか-

『 search サーチ 』 -新境地を切り拓いた新世代の映画誕生-

Posted on 2018年11月4日2019年12月21日 by cool-jupiter

search サーチ 80点
2018年11月3日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:ジョン・チョウ デブラ・メッシング ミシェル・ラー
監督:アニーシュ・チャガンティ

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原題は ”Searching”。離陸と飛行は大成功、きれいに着陸するはずが墜落炎上した感のある『 アンフレンデッド 』と傑作サスペンス『 ゴーン・ガール 』を見事に換骨奪胎した傑作が誕生した。まさに時代の要請する作品というか、テレビドラマの『 リゾーリ&アイルズ ヒロインたちの捜査線 』や『 CSI:科学捜査班 』でPCをカタカタカタッと操作するだけで様々な情報を引き出してくるのを見て、そこまで鮮やかに何でもかんでも分かるのか?と疑問に思った向きはきっと多くいるに違いない。そんな疑問を持ったことがある人は是非とも本作を見よう。コンピュータ・リテラシー、インターネット・リテラシーの何たるかを知ることもできるし、人間の抱える様々な業を垣間見ることもできる。

 

あらすじ

デビッド・キム(ジョン・チョウ)とパメラは娘、マーゴット(ミシェル・ラー)を儲ける。彼女の成長と家族の歩みを都度PCに保存するという几帳面な幸せ家族だった。しかし、パメラが病死。父はそれでも気丈に娘の成長を記録し、父親業に邁進する。しかしある日、マーゴットと連絡が取れなくなる。杳として居場所が知れない娘を探すために、デビッドは警察の捜査・捜索と並行して、各種Socian Mediaなどのネット世界に飛び込んでいく。だが、そこで知ったのは、娘のまったく知らない一面で・・・

 

ポジティブ・サイド 

『 アンフレンデッド 』はチャット画面オンリーで進行したが、本作はそれをさらに押し広げて、ネットの世界全体を映し出していく。といっても、我々が見るのは電子がケーブル内を駆け巡るようなイメージではなく、もっぱらPCのディスプレー上に映し出されるブラウザや各種サイト、マウスやアイコンなどである。これは現代人に刺さる。PCやスマホの利便性が非常に高い世界、梅田望夫の言葉を借りれば「ネットのあちら側」に「もう一つの地球」が存在するような世界を、本作は確かに描き出した。これは新時代のアートというよりも同時代のアート、コンテンポラリー・アート(contemporary art)と見なされるべきだろう。しかし、全編これPC操作画面とはあまりにも大胆だ。それがハマるのだから面白いし、恐ろしい。

 

何と言っても、テキストによるやりとりの臨場感。我々もLINEやMessengerのようなアプリを日々使ってコミュニケーションを取っているが、文字を打っては消し、少し書き直したり、あるいは全て消してメッセージ自体を送らなかったりということが時々あるはずだ。頭を冷やすためだったり、相手を思いやってのことだったりと、我々の心の中は文字で表される部分もあれば、その文字の打ち方や書き方、あるいは文字にしようとして文字にならない部分にも現れる。本作はその部分をこれでもかと追求する。決して安易にキャラクターに独り言を喋らせて、観客にていねいに説明しようとしたりはしない。これが実に心地よい。

 

主人公デビッドを演じたジョン・チョウの卓越した存在感と演技力も称賛に値する。IT企業に勤める(というか在宅ワークか)やり手で、PCやネット上の各種ツールを巧みに使いこなす様は、シリコン・バレーで働く中年オヤジの能力の高さを証明し、我々を驚かし続ける。これが次世代の働き方なのか、と。であると同時に、娘と不器用な方法でしか向き合うことしかできない父親という人種の普遍的な悲哀も内包していた。後者の表現力を持つ役者は日本にも沢山いるが、前者を違和感なく表現しきれる役者は40代以上ではなかなか思いつかない。ましてやその両方を一人でこなせる役者となると・・・ まさにハマり役にしてジョン・チョウのキャリア・ハイのパフォーマンスであろう。

 

展開のスピードとダイナミックさ、伏線とその回収、極めてデジタルなBGM、アメリカ社会の俯瞰と縮図、人間愛と人間の醜さ、それら全てがぶちこまれていながら2時間以内に収めてしまう卓越した脚本と監督と編集の術。M・ナイト・シャマランに続く、インド系アメリカ人の素晴らしい作り手が現れた。

 

 

ネガティブ・サイド

敢えて弱点を上げるならば、あまりにデジタル・ヘビーなところ。PCやネットに世界にどっぷりと浸かっている人間でなければ、そもそも意味が分からないという場面も多い。というか、ほとんど全部だ。たとえばJovianの同世代なら、半分程度は間違いなく本作を楽しめるだろうが、Jovianの両親世代となると、どうだろうか。『 クレイジー・リッチ! 』の冒頭で、モブが各種アプリで一挙に情報を通信、共有していたシーンが何のことやら分からなかった、という声も聞いたことがある。

 

敢えてもう一つ注文をつけるとするなら、それはエンディングのクレジットシーンだろうか。『 ピッチ・パーフェクト ラスト・ステージ 』は冒頭の配給会社のロゴのシーンから、アカペラ・モード全開で、一気に物語世界に入って行けた。同じく、最近は上映が終わり、劇場が明るくなると、人々は真っ先にスマホの電源をONにする。そこまで見越して、クレジット・シーンをPC画面上のあれやこれやと関連した構成、たとえば『 バクマン。』が漫画の単行本の背表紙を効果的に用いたような、そんなクレジットが見られれば、映画世界と現実世界がシームレスに結ばれたかのような感覚を我々は味わえただろう。しかし、それは無い物ねだりというものだろうか。

 

総評

一言、傑作である。今年、というか今月中に絶対に劇場で観るべき一本である。今後、こうしたスタイルの映画が陸続と生産されると予想される。『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』がPOVに火をつけたように、本作もPC画面上で繰り広げられるドラマというジャンルに火をつけた元祖として、評価されるだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, サスペンス, ジョン・チョウ, ミステリ, 監督:アニーシュ・チャガンティ, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 search サーチ 』 -新境地を切り拓いた新世代の映画誕生-

『 タイヨウのうた 』 -深夜ドラマのクオリティから脱却できていない残念な作品-

Posted on 2018年11月3日2019年11月21日 by cool-jupiter

タイヨウのうた 30点
2018年10月31日 レンタルDVD鑑賞
出演:YUI 塚本高史 麻木久仁子 岸谷五朗 通山愛里
監督:小泉徳宏

 

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『 ミッドナイト・サン タイヨウのうた 』の元ネタである。近所のTSUTAYAがリコメンドしていたので借りてみたが、色々な意味で残念な作品であった。『 ちはやふる 』の脚本/監督を努めた小泉徳宏も、こういった作品を撮ることて腕を磨いていたと思うべきなのだろう。

 

あらすじ

太陽光アレルギーの薫は、いつも窓からバス停を眺めていた。そこに気になる男の子がいるからだ。夜に外出しては駅前で歌う薫(YUI)は、しかし、ひょんなことからいつも見ていた男子高校生の孝治(塚本高史)と出会い、パニックに。素っ頓狂な猛烈アピールをしてしまうのだが、そこを親友に制止されてしまう。しかし、薫と孝治の距離は確実に縮まっていく・・・

 

ポジティブ・サイド

岸谷五朗はアメリカ版のリメイクと比較しても、説得力のある父親像を描出できていた。言葉と行動が直結しているタイプ、直情型の親父で、だからこそ娘への愛情が時には大声であったり、大げさなアクションであったりという分かりやすい形で表出されていた。我が子が難病だからといって自分まで暗くなるまい。病気の娘にはできるだけ普通の形で接してやりたい。そうした気持ちをストレートに出す父親として良い味を出せていた。しかし、諸手を上げて褒められるのはそこまでで、後はことごとく後発のリメイクに軍配が上がる。

 

ネガティブ・サイド

酷評をさせてもらえるならば、これは映画ではない。ミュージック・ビデオだ。薫はキャラクターであって、YUIという歌手ではない。映画製作側にどのような思惑があったのかは邪推するしかないが、映画は歌手のプロモーションのために製作されているのではない。なぜ薫の歌を聴かせなければならないシーンで、スタジオ録りの歌のアフレコを聞かされなければならないのか。もちろん、YUIを見たくて本作を見る人も一定数存在することは確かだ。しかし、銀幕の中では本人ではなくキャラクターになってもらいたい。

 

更に指摘せねばならないことは、総じて役者の演技力が低いということ。特に薫の親友役の通山愛里は、高校の学芸会並みの棒読み演技を披露する。というよりも、脚本家の罪も重い。日本語のネイティブスピーカーが、「彼」とか「彼女」といった三人称を使うことがあるのかどうか、普通の頭で普通に考えてもらいたい。

 

さらにドラマ版にある程度、忠実であろうとした結果、存在感・・・というよりも存在意義の疑われるキャラクターも出てきた。その最たるものは母親、ついで孝治の悪友2人。リメイクはこれらをバッサリと切り捨ててしまうことで、かえってドラマ性を高めることに成功した。なぜなら家族の団らんシーンを削り、その分、ケイティ(=薫)とクイン(=美咲)のガールズ・トークに時間を割くことで、ケイティは卑屈でも何でもない、非常に少女らしい感性や思考の持ち主であることが強調されていた一方で、元祖の方では病気持ちの可哀そうな女の子として見られたくないという心理を示唆する場面がほぼゼロという有様。もちろん観る側としてはそこを想像できるわけだが、ドラマ的なノリであれもこれもと詰め込んだせいで、主役にとって、もしくは物語全体にとって不可欠な描写が削られては本末転倒だろう。Re・リメイクを期待したいが、10年後でも厳しいだろうなと思わざるを得ない。

 

最後に、物語後半のバス停のシーンで、影の向きが決定的におかしいシーンがある。なぜ人間の影の向きだけがその方向にその長さで伸びるのだ?と思わされるシーンが存在するのだ。もちろん、その反対方向に照明がいるからなのだが、編集時点で誰もこれに気がつかなかったのだろうか。本作はある意味、XPという悲劇的な病気のせいで、太陽光の有無、その強弱、向きなどに過敏にならざるを得ないのだ。それは登場人物にしても観客にしても同じ。にも関わらず、このような初歩的かつ致命的なミスを犯してしまっては・・・

 

総評

深夜ドラマのダイジェストだと思えば鑑賞に堪えないことはない。しかし、これ一作で原作の世界観を受け手に伝えられているかというと甚だ疑問が残る。本作を見たならば、その直後にアメリカ版リメイクも直後に観るべし。作品の優劣に関して、残念なコントラストが見出されるであろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2000年代, E Rank, YUI, ラブロマンス, 塚本高史, 岸谷五朗, 日本, 監督:小泉徳宏, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 タイヨウのうた 』 -深夜ドラマのクオリティから脱却できていない残念な作品-

『 ハナレイ・ベイ 』 -異国の島で見出すは夢か現か幻か-

Posted on 2018年11月3日2020年9月21日 by cool-jupiter

ハナレイ・ベイ 70点
2018年10月28日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:吉田羊 佐野玲於 村上虹郎 佐藤魁 栗原類 
監督:松永大司

 

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原作は村上春樹とのこと。Jovianは読書家であると自負しているが、村上春樹は読んだことが無い。これからも読まないだろう。同じことは東野圭吾にも当てはまる。彼の作品は2冊だけ買ったが、どちらも最初の20ページで挫折した。本作品を鑑賞するに際して、一抹の不安があったが、それは杞憂であった。

 

あらすじ

サチ(吉田羊)は一人息子のタカシ(佐野玲於)がハワイのハナレイ・ベイで死亡したと連絡を受ける。サメに襲われ、右足を噛みちぎられた死体の身元確認を粛々と行うサチ。手形を取ったので持ち帰ってほしいという地元の女性の声も聞き入れることができない。息子との関係は決して良好なものではなかった。しかし、あまりに突然の息子の死を受け止める術を知らないサチは、それから10年間、毎年ハワイのハナレイ・ベイを訪れ、日がな一日、読書をして過ごすようになる。ある時、日本人サーファーから「片足の日本人サーファーがいる」との噂を耳にしたサチは・・・

 

ポジティブ・サイド

ハワイの自然の美しさと恐ろしさは誰もが知るところである。キラウエア火山からの噴石が遊覧船を直撃したというニュースもあった。しかし、そんな自然の猛威、暴威などは描写されない。冒頭のタカシの死で充分だ。島民が「この島を嫌いにならないでほしい」という切なる願いは、しかし、サチには受け入れられない。まるでDV被害に遭った妻が、それでも家に帰ってしまうように、カウアイ島を毎年訪れてしまうサチに対して、無性に悲しみと憐れみを感じてしまった。サチは島を愛しているのではない。島を受け入れようとしても、それができない。息子の命が絶たれた呪われた土地に縛りつけられているのだ。一人息子を失ったという、行き場を無くした悲しみを胸にハワイを彷徨するサチは、まるで鬼子母神のようですらある。

 

鬼夜叉にも心は有る。E・キューブラー・ロスの『 死ぬ瞬間 』の考え方を敷衍、援用するとすれば、サチはタカシの死を「 受容 」する段階の手前で止まってしまっている。死とは、『 君の膵臓をたべたい 』や『 サニー 永遠の仲間たち 』で述べたことがあるが、生物学的な意味での生命活動を終えること=死では決してない。死とは、相手が生き生きとしていた記憶をこれからも持ち続けるのだという決意によって規定される現象である。葬式とは死を確認する儀式ではなく、思い出を共有する儀式だ。その意味で、サチは息子の死を受け入れられない。タカシの生の記憶があまりにもネガティブなそれであるからだ。そんな形で息子と離別したくはなかった。そのような後悔の念に心の奥底で苛まされている女の心情を、あてどもなく彷徨い続けることでこれ以上なく描出してくれた吉田羊は、表現者としての階段をまたさらに一歩上ったのではないか。『 ラブ×ドック 』や『 コーヒーが冷めないうちに 』といった珍品への出演が目立っていたが、ここに来て一気に株を上げてきた。この母親像は『 スリー・ビルボード 』のミルドレッドに迫るものがあるし、片親像としては『 ウィンド・リバー 』のランバートと相通ずるものがある。

 

本作は大人の映画でもある。安易にナレーションや、説明的な台詞を使わない。ドラマチックなBGMを挿入しない。兎にも角にも、ひたすら吉田羊にフォーカスすることで、いかに彼女の抱える闇が暗く、深いものであるのか、それが逆説的に愛の大きさを表すのだということ、観る者に明示しない手法を称賛したい。何でもかんでも説明したがる作品が増えてきている中、もう少し観客を信用してもよいのではないかと常々思っていた。本作には我が意を得たりとの思いをより一層強くさせられた。

 

そうそう、吉田羊の英語。あれこそが、日本の普通の学習者が目指す姿であるべきだ。はっきり、ゆっくり、難しい語彙などは用いずに、相手の目を見て話す。外国語を話すときは、この姿勢が大切だ。自身の英語力の低さに悩まされるサラリーマンも、ここから何某かのインスピレーションを得られるはずだ。

 

ネガティブ・サイド

これは監督の意向なのだろうが、サーファー役の二人は、少し滑舌が悪いのではないだろうか。素人っぽさを意識したと言えばそれまでなのだろうが、この2人組が喋ると、ただでさえゆったりと感じられるハワイの時間が、さらにスローに感じられた。また、ブルーシートを使った疑似サーフィンシーンでのカメラ目線は必要だったか。全体的にスリムダウンすれば、もう5~10分は短縮できたはずだ。本作のように、ただひたすらに歩くシーンを追う映画は、存外に観る者の体力を消費させる。90分ちょうどぐらいが望ましかった。

 

総評

これは高校生~大学生ぐらいの男子向けなのではないだろうか。男という生き物は、どういうわけか何歳になっても、母親に何か言われると反発してしまう性の持ち主だ。だが、本作を見て何かを感じ取れれば、それは男として一皮むけた証になるかもしれない。静かだが、力強い余韻を残してくれる傑作である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, ファンタジー, 吉田羊, 日本, 監督:松永大司, 配給会社:HIGH BROW CINEMALeave a Comment on 『 ハナレイ・ベイ 』 -異国の島で見出すは夢か現か幻か-

『 ピッチ・パーフェクト ラストステージ 』 -考えるな、感じろ-

Posted on 2018年11月1日2019年11月21日 by cool-jupiter

ピッチ・パーフェクト ラスト・ステージ 65点
2018年10月28日 大阪ステーションシネマにて鑑賞
出演:アナ・ケンドリック レベル・ウィルソン ヘイリー・スタインフェルド ブリタニー・スノウ アンナ・キャンプ ジョン・リスゴー ジョン・マイケル・ヒギンズ
監督:トリッシュ・シー

 

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女子高生がそのまま女子大生になり、女子寮でワイワイギャーギャーと騒ぐノリの本シリーズも遂に卒業、完結編。前二作で発展を見せたベラーズの主要な面々とトレブルメーカーズやその周辺の男子らとの関係を、本作は開始3分で切って捨てるかのごとく説明してしまう。なるほど、ベラーズの面々が思い悩む対象はもはや男ではないというわけだ。さて、では本作で彼女らは何から卒業するのだろうか。

 

あらすじ

バーデン大学の名門アカペラ部ベラーズ。世界大会で優勝を成し遂げ、アカペラに注いだ青春も終わりを告げた。メンバーそれぞれが社会の荒波に乗り出していったが、ある者は父親不明の子を宿し、ある者は会社を辞め、ある者は失業中で、と皆が皆、順風満帆というわけではなかった。 そんな折に元ベラーズの面々にエミリー(ヘイリー・スタインフェルド)からリユニオンの招待状が届く。ベッカ(アナ・ケンドリック)やエイミー(レベル・ウィルソン)らは勇んで駆けつけるのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

こうしたシリーズ物の常として、過去のキャラとの再会は絶対に不可欠の要素である。ゲロ吐きオーブリ-やステイシーらもしっかりと登場してくれる。もちろん例の審査員二人組もいるので安心してほしい。ステイシーに至っては、妊娠中だ。時の流れだけではなくキャラクターたちの年齢の積み重ね、状況や人間関係の変化、それでも変わらないアカペラへの情熱やベラーズへの愛着が、開始10分で全て描かれる。『 ジュラッシク・ワールド 』が不評だったのは、懐かしのグラント博士やマルコム博士を登場させなかったことが一因だ。一方で、『 スター・ウォーズ/フォースの覚醒 』は過去作の振り返りやファンサービス要素をてんこ盛りにしてしまったところが一部のファンの不興を買った。本作は、そのあたりをかなり良い塩梅にまとめていると言える。何よりもシリーズ恒例だった、ステージ・パフォーマンス中の粗相がないのだ。アホな女子大生物語では最早ないのですよ、と製作者がファンにメッセージを送っているのである。

 

一方で、しっかりと笑うべきシーンも用意してくれている。何よりも笑ってしまったのが、ジョン・リスゴーがChicagoの“素直になれなくて”のあの一節を熱唱するところ。『 マンマ・ミーア! 』でピアース・ブロスナンが歌うS.O.Sを上回る惨劇である。周りが皆、本職ではないとはいえ、それなりに歌唱力のあるメンツ揃いだから、なおさらその酷さが光り輝く。

 

本作は色々な意味で、父親というpositive male figureたるべき存在がフォーカスされる。家父長制的な面を家庭内に色濃く残すアメリカ社会に女性として出ていく面々がいる中で、ある者は戦い、抗い、ある者は素直に愛情を打ち明ける。家族の在り方を社会の在り方に重ね合わせているわけだ。のみならず、ベラーズというファミリーの物語にも一つの終止符が打たれるわけだが、そこには『 焼肉ドラゴン 』に見られた家族像と共通するものが確かにあった。少しだけだが、ほろりとさせられた。

 

ネガティブ・サイド

監督がころころ変わるシリーズなので仕方がないのかもしれないが、アフレコの多用はいかがなものか。シリーズで一番アガるのは、やはりリフ・オフ対決で、本作でも漏れなくリフ・オフはある。しかしながら、そこでアフレコをあからさまに用いてしまうと対決の臨場感が薄れてしまう。ここはどうしてもマイナスの評価をつけざるを得ない。

 

またコンテストが米軍基地慰問ツアーというのは、あまりにも能天気すぎやしないか。今作の大きな肝は、体は大きくなっても頭や心はどこか子どものままのベラーズの面々が、精神的な成長と成熟を果たすことだったはずだ。米軍のためにエンターテインメントを提供するというのはWWEなどもやってきたことで、それ自体は別に構わない。しかし本作のテーマに沿っているかと言われれば疑問である。キャラ設定の都合でこうなりましたという感が拭えない。一方で、メンバーが巻き込まれるアクシデントの解決には米軍は動かない。もう少し何か、ストーリーにリアリティというか深みというか、一貫性が欲しかった。

 

総評

前二作(『 ピッチ・パーフェクト 』、『 ピッチ・パーフェクト2 』)を鑑賞していないと何のことやら分からないシーンや人間関係もあるが、本作からいきなり見始めても、なんとなく楽しむ分には問題ないだろう。できればレンタルやネット配信で復習してから劇場へ行ってもらいたいが、何かの間違いでチケットが手に入った、友人知人に誘われたという人は、臆することなく行ってみよう。

 

ところで、本作鑑賞前にグッズ売り場を覗いていたら、とある観客が売り場の係員に本作を指して「これってどういう映画なんですか?」と尋ねていた。その答えが奮っていた。『いやあ、僕も観たわけじゃないんですが、たしかオペラの話だったような・・・』いやいや、アカペラとオペラは全くの別物やで?と無関係ながら突っ込みを入れられなかった自分に今も悔いが残っている。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アナ・ケンドリック, アメリカ, ヒューマンドラマ, ヘイリー・スタインフェルド, 監督:トリッシュ・シー, 配給会社:シンカ, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 ピッチ・パーフェクト ラストステージ 』 -考えるな、感じろ-

『 エンジェル、見えない恋人 』 -ねっとりした男性視点を堪能できる作品-

Posted on 2018年10月31日2019年11月20日 by cool-jupiter

エンジェル、見えない恋人 60点
2018年10月27日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:エリナ・レーベンソン フルール・ジフリエ マヤ・ドリー ハンナ・ブードロー
監督:ハリー・クレフェン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181031015254j:plain

フランス小説、特にミステリが一時期は好きだった。アメリカ産の小説は、人物紹介欄にたいてい15~20人の記載があるものだが、フランス産ミステリは少人数、5~8人ぐらいで、非常に読みやすい。なおかつ、ミステリなのか超常的なスリラーなのか見分けがつかないような作品を送り出す作家も多い。カトリーヌ・アルレーが好個の一例である。そんなフレンチ・テイストの興味深い作品(ベルギー産)が生み出された。原題は“Mon Ange”、My Angelの意である。

 

あらすじ

あるマジシャン夫婦がステージで消失マジックを行っていたのだが、夫の方が本当に消えてしまった・・・ その後、身籠っていた妻(エリナ・レーベンソン)は「目に見えない透明な男児」を出産し、Mon Angeと名付け、密かに育てる。エンジェルはすぐそばの家の盲目の少女マドレーヌ(ハンナ・ブードロー、マヤ・ドリー、フルール・ジフリエ)と友達になり、共に成長する。片方は目が見えず、片方は姿が見えない。それゆえに惹かれ合う二人。しかし、マドレーヌが目の手術を受けるために家を離れることに、そしてエンジェルの母とも別離の時が迫っていた・・・

 

ポジティブ・サイド

盲目の少女もしくは女性が、異形の、または異相の男を愛するというのは、古今東西で特に珍しいプロットではない。この系統の変化球では漫画『 HUNTER×HUNTER 』のコムギとメルエムが最近では記憶に新しい。しかし、片方が盲目、もう片方が透明というのは記憶にないし、少しググってみてもそれらしきプロットは見当たらなかった。これはアイデアの勝利であろう。透明人間というアイデアそれ自体はH・G・ウェルズの時代から存在するが、それをロマンティックに描き、なおかつ一定の成功を収めたところに本作の貢献がある。

 

まず、ヒロインのマドレーヌの幼少時代を演じたハンナ・ブードローと少女時代を演じたマヤ・ドリーが素晴らしい。盲目は人生最大の悲劇と言う人すらいるが、そのことが陰のあるキャラクターを生み出すのではなく、逆にエンジェルをエンパワーするようなエネルギーのあるキャラクターを生んでいる。実際にかくれんぼではマドレーヌは常にエンジェルを見つけてしまう。これがどれほどエンジェルの心に安心感を与えたことか。また、そうしたキャラクターの心情をむやみにナレーションにしてしまわないところもポイント高し。この監督は、観客を信頼している。その意気や良し。しかし、本作で最大の存在感を放つのは、エンジェルの母親である。ベルギーにも菩薩様がいるとすれば、このような女性(×じょせい× ○にょしょう)であろう。母性と辞書で引けば、挿絵はこの人だろうなと思わせるほどの説得力ある演技を披露してくれた。拍手である。

 

『 君の名前で僕を呼んで 』と同じく、人工的なBGMがほとんどなく、オーガニックな音や生活に根差した基調音で静かに満たされたシークエンスの連続は、主役二人の存在感を逆に大きく際立たせた。『 スターウォーズ/最後のジェダイ 』や『 君の名は 』のように全編が一種のミュージックビデオという作品もあるが、今作のような心地よい静謐さと適度な生活感をもたらすBGMも非常に良いものである。

 

ネガティブ・サイド

本作はPG12なのだが、実際はR15+ではなかろうか。エンジェルとマドレーヌのまぐわいは、確かに透明ならそうなるだろうなという部分をねっとりと描写する。だが、そこには美しさはあっても新しさは無い。こうした描写はインディ系、もしくは実験的なマイナー映画が既にやりつくした感がある。違いは前者は consensual で、後者は non-consensual だということ。

 

それと、観客への信頼の度が過ぎるというか、全編ほとんどがエンジェル目線で進むため、男性視点としては説得力を持つが、女性目線で見た時はどうなるのだろうか。エンジェルの顔や体は想像もしくは妄想で補ってくださいというのは、さすがに甘えすぎのような気もするが。『 何者 』では「どんな作品でもアイデア段階では傑作なんだ」という趣旨の台詞があったが、確かに顔が見えなければどんな男もイケメンの可能性は残る。しかし同時にオペラ座の怪人の可能性もあるわけだが。

 

エンジェルの父親は結局どこへ消えたのかという疑問や、エンジェルの存在が数年にも亘って施設に露見することがなかったのは何故かという疑問には、答えは一切呈示されない。その他、透明人間ものにおいてはクリシェと化した要素も一切が排除され、ややリアリティに欠ける世界観が構築されてしまっているのが残念なところである。

 

総評

デートムービーにちょうど良いだろう。しかし、高校生カップルには微妙かもしれない。大学生でもどうだろうか。逆に、付き合う前の仲の良い男女で鑑賞すべきかもしれない。エンジェルとマドレーヌの関係が友達から恋人へと発展し、難しい局面を乗り越え、思いっきりポジティブな解決策をひねり出して見事な円環を形作る過程を見るのは、カップルよりも友達向きである。20代独身サラリーマンは、違う部署のちょっと気になるあのコを誘ってみてはどうか。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, エリナ・レーベンソン, ハンナ・ブードロー, フルール・ジフリエ, ベルギー, マヤ・ドリー, ラブロマンス, 監督:ハリー・クレフェン, 配給会社:アルバトロス・フィルムLeave a Comment on 『 エンジェル、見えない恋人 』 -ねっとりした男性視点を堪能できる作品-

『 ここは退屈迎えに来て 』 -青春と現実の光と影のコントラストが映える-

Posted on 2018年10月29日2019年11月4日 by cool-jupiter

ここは退屈迎えに来て 50点
2018年10月25日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:橋本愛 門脇麦 成田凌 渡辺大知
監督:廣木隆一

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181029013048j:plain

以下、ネタばれに類する記述および私的考察あり

 

小説でも映画でもゲームでも、まず手に取ってみたくなる、もしくはクリックしてみたくなるのは、そのタイトルが魅力的なものである時だ。タイトルが魅力的というのは、こちらがそのタイトルの意味をもっと深く知りたい、と思わせるような妖しい力を持っているということだ。少年時代に『 ドラゴンクエスト 』や『 ファイナルファンタジー 』と出会った方々ならば、そのタイトルの不可思議さに惹き付けられた記憶、印象が鮮明であると思う。本作はしかし、先行する魅力的なタイトルを持つ映画と同じレベルに達しなかった作品である。

 

あらすじ

私(橋本愛)は東京で過ごすこと10年、「何者」かになることができず地元に帰り、フリーのタウン誌の記者をしている。ある時、友人の誘いで高校時代の憧れの存在だった椎名(成田凌)に会いに行くことになる。一方では、高校時代の椎名の彼女「あたし」(門脇麦)は、地元の冴えない男と付き合いながらも、椎名のことを吹っ切れずにいる。青春の輝き、東京への憧憬、椎名という太陽のような存在。誰もが何かを抱えて生きていく姿を、時系列を変えて、オムニバス的に活写していく作品。

 

ポジティブ・サイド

まず、最も強く印象に残ったのは渡辺大知演じる新保だった。Jovianの気のせいなのかも知れないが、おそらくゲイもしくはバイセクシャル、もしかしたらトランス・ジェンダーなのではなかろうか。本人がそれを自覚できていないのかもしれないが。煙草の吸い方が、男のそれではないように思えて仕方がなかった。また、終盤に新保が原付きで疾走する場面があるのだが、そこでの光の使い方には是非とも注目してほしいと思う。あれは乳房の象徴にしか見えなかった。独特の哲学を持つキャラで、「幸福であるためには、まず何よりも孤独であれ」などとまるでアリストテレス哲学のような思想を披歴してくれる。彼の幸福論および死生観は、Jovianのそれと近く、ある観客によっては非常に強く共感でき、また別の観客によっては嫌悪の対象となろう。どう感じるか気になる方は、劇場へ行くべし。

 

本作は『 桐島、部活やめるってよ 』と同工異曲の青春群像劇である。青春というよりも、モラトリアムと言った方が近いだろうか。椎名という太陽のような存在に照らされていた高校時代が、ある者にとっては神話的な崇高さを帯びているところが、滑稽ではあるがリアリティの源泉にもなっている。程度の差こそあれ、こうした傾向は青春を完全な過去という遠近法で見られる人にならば、ある程度共通してみられるものだ。アメリカのちょっとしたテレビドラマや映画の同窓会シーンでは、アメフトの試合のあのパスが云々、野球の試合のあの補殺が云々、プロムで誰それと誰それが云々・・・ 人は誰もが否応なく成長するが、その成長を拒む人もいるし、個人の内面レベルで成長を拒む部分も存在する。そうした、ある意味では非常にダークな心の領域を本作は見事にあぶり出す。同様のテーマの作品に興味があれば、『ワン・ナイト』(原題は”Ten Years”)をお勧めしたい。

 

この作品の特徴として、閉鎖空間でのロングのワンカットを多用するということが挙げられる。ワンカットと言えば『 カメラを止めるな! 』が近年の白眉だが、こちらは車内、室内、ファミレス内、ラブホ内、ゲーセン内と、とにかく閉鎖空間での撮影にこだわりを見せる。このことが、観る者に否応なしに最も閉鎖された空間=人間の心を意識させる。本作は椎名という太陽に照らされた者たちと、椎名の陽の部分にまったく興味のない者たちとに二分される。そんな彼ら彼女らの紡ぐアンソロジーを、時系列をバラバラに描くのだが、全てが終盤近くのとあるシーンに収斂するにつれて、その意図が見えてくる。製作者が観客を信頼しているということで、私的に評価したい。

 

そうそう、本作はタイトルをスクリーンに映し出すシーンが完璧なのである。『 アメリカン・アサシン 』並みに素晴らしい。これがあるから、色々とケチをつけたくなる箇所があっても、上手くまとまったなという印象を持てるのだ。

 

ネガティブ・サイド

残念ながら、すでに『 勝手にふるえてろ 』で使われたネタである。こうしたトリックというかツイストは、どうやっても最初に使った者/物の勝ちなのである。もしも『 勝手にふるえてろ 』を未見なら、すぐに観よう。

 

渡辺大知と片山友希以外の若手キャストが、全体的に力不足である。特に橋本愛は、役者業は厳しいかもしれない。『 貞子3D 』や『 Another アナザー』のように、あまり喋らない役であれば良いが、基本的に台詞に抑揚が無さ過ぎる。棒読みとまでは言わないが、どんな作品に出ても、結局は「ああ、いつもの橋本愛か」と思えてしまう。これがニコラス・ケイジやトム・クルーズのレベルにまで突き抜けてしまえば良いのだが、日本でそんな俳優はあまり見当たらない。強いて言えば北野武ぐらいか。本人が本人を演じるのが一番うまいというタイプの役者だ。あるいは、どんな役も自分色に染めてしまうという、演技力ではなく素の存在感、カリスマ、オーラ、そういったもので勝負できる力。橋本愛はそのレベルにはいないし、今後も行かないだろう。と書いてきて、もう一人思い当たった。樹木希林である。一癖あるおばあちゃんキャラは全部この人だった。『 万引き家族 』然り、『 海街Diary 』然り、『 我が母の記 』然り。合掌。

 

閑話休題。本作の最大の弱点(になっているかもしれない)ポイントは、東京に住んでいる人間に、果たしてどれだけ響くかということだろう。ここで言う東京とはもちろん東京都のことではない。地理的あるいは行政的な区分での東京は、東京ではない。Jovianも東京のど真ん中(地理的な意味で)に10年半住んでいたことがあるから分かる。我々が東京と言う時、それは往々にして山手線の内側もしくは周辺であったり、吉祥寺、高円寺、中野などのちょっとした離れ、隠れ家的な雰囲気の街までである。立川は決して東京ではない。況や奥多摩をや。実際にJovianの大学のクラスメイト(正確にはセクションメイト)が、「私は浦和(当時はまだ浦和市だった)に住んでるから、池袋まで40分ぐらい。八王子の人は新宿に出るのに50分ぐらいかかるから、その意味では浦和は八王子より東京なんだよ」と言ったのをよく覚えている。また寮の同級生も「木更津は確かに遠いけど、アクアライン通ったら近いんだっつーの」と言っていたのも覚えている。東京には強烈な重力がある。東京までの距離の近さを競うような意識が近隣の県や市町村にあり、それは東京都内でも同じだった。そうした東京の内部にどっぷり浸かっている人は、本作を見て「超楽しい」と言うだろうか。それとも悲憤慷慨するだろうか。おそらくどちらでもない。無関心を装うか、無関心を貫くかだろう。東京に住んだことがある、あるいは東京の空気がどんなものかを知っていなければ、本作のアイロニーが届かないというのは残念なことだ。

 

総評

観る人を相当に選ぶだろうなと思う。高校生以下はおそらく除外されるし、40代以上の男性にとっては精神的にきつい描写がある。ガールズトークが花開くシーンはそれなりに楽しめるので、「私」もしくは「あたし」に近いアラサー女子にこそ観られるべき作品であるのかもしれない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 成田凌, 日本, 橋本愛, 渡辺大知, 監督:廣木隆一, 配給会社:KADOKAWA, 門脇麦Leave a Comment on 『 ここは退屈迎えに来て 』 -青春と現実の光と影のコントラストが映える-

『 ムーンプリンセス 秘密の館とまぼろしの白馬 』 -可もなく不可もないファンタジー-

Posted on 2018年10月25日2019年11月3日 by cool-jupiter

ムーンプリンセス 秘密の館とまぼろしの白馬 50点
2018年10月23日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ダコタ・ブルー・リチャーズ ヨアン・グリフィズ ティム・カリー
監督:ガボア・クスポ

 

近所のTSUTAYAで、“J・K・ローリングのお気に入り”という触れこみに惹かれてレンタル。あまり期待はしていなかったが、王道というか正直というか、素直に100分ほどの時間が流れた。当たりではないが、外れと断じるほどでもないという印象。

 

あらすじ

父をがギャンブルで借金をこさえたまま死亡してしまったため、マリア(ダコタ・ブルー・リチャーズ)はロンドンから遠く離れたムーンエーカーの領主ベンジャミン・メリウェザー(ヨアン・グリフィズ)に引き取られることとなる。父の残した本と養育係ヘリオトロープだけを共にムーンエーカーへ向かうも、ド・ノワール族に襲われたり、不思議な幻を見たりと、マリアの身の回りに不可解な出来事が頻発する。それは、ムーンプリンセスの伝説とその呪いが原因で、その呪いを解くためのタイムリミットはすぐそこまで迫っていたのだった・・・

 

ポジティブ・サイド

マリアを演じたダコタ・ブルー・リチャーズは、ロシアのフィギュア・スケーターのようと言おうか、妖精のような妖しい魅力を放っていた。彼女を見るだけでもオッサン映画ファンは癒されるのではないか。

 

そして『 ファンタスティック・フォー 』シリーズのミスター・ファンタスティックでお馴染みの好漢ヨアン・グリフィズの嫌な男の演技。これが以外にハマる。しかし、どういうわけか物語が進むにつれて、嫌さが薄れ、可哀そうな男に見えてくるから不思議だ。本作では存分にウェールズ訛りで話しているので、余計に生き生きと聞こえる。それが気難しい領主役に味わいを与えている。

 

副題にある、秘密の館の秘密の大部分を司るファンタジーには非常にありがちなキャラが、実に重厚な存在感を発揮する。こういう重々しくも、軽いノリのキャラクターを演じきれるキャラクターは、ミゼットを除外するにしても、日本にはなかなか見当たらない。子のキャラだけで、ファンタジー要素の半分以上を体現したと言っても過言ではない。

 

ネガティブ・サイド

マリアに付き添うミス・ヘリオトロープが事あるごとに burp = げっぷをするのには何か意味があったのだろうか。『 打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? 』(アニメ版)の「いい女を見るとうんこしたくなる」並みにどうでもいいネタだ。

 

また、ティム・カリーの存在感がイマイチなのは、やはり IT = イットのピエロ役の影響が強すぎるからか。ティム・カリーとジョニー・デップは、素顔またはメイクが薄い役をやると外れになる率が高い気がする。『 シザーハンズ 』、『 パイレーツ・オブ・カリビアン 』は当たりで、他は・・・『 ダークシャドウ 』など例外もあるが、『 トランセンデンス 』は酷い出来だった。

 

閑話休題。キャストで最も残念なのは初代のムーン・プリンセス。ちと大根過ぎやしないか?特にムーンエーカー谷に呪いがかけられる大事な場面での長広舌はあまりに硬すぎるし、棒読み過ぎる。

 

また、ややネタばれ気味だが、副題にもあるまぼろしの白馬は特に重要な役割を果たすことはない。まあ、原題は ” The Secret of Moonacre” =「ムーンエーカー峡谷の秘密」なので、これはちと説明過剰である。

 

総評

大人が真剣に鑑賞するには厳しい部分もあるものの、『 くるみ割り人形と秘密の王国 』に出演しているマッケンジー・フォイ以上にインパクトのあるダコタ・ブルー・リチャーズとの出会いだけでもレンタルの価値はある。ライトなファンタジーを楽しみたい向きならば、鑑賞しても時間の無駄になることはないだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, D Rank, イギリス, ダコタ・ブルー・リチャーズ, ティム・カリー, ファンタジー, ヨアン・グリフィズ, 監督:ガボア・クスポLeave a Comment on 『 ムーンプリンセス 秘密の館とまぼろしの白馬 』 -可もなく不可もないファンタジー-

『 泣き虫しょったんの奇跡 』 -実話ベースだが、細部にリアリティを欠く-

Posted on 2018年10月24日2019年11月3日 by cool-jupiter

泣き虫しょったんの奇跡 60点
2018年10月21日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:松田龍平 渋川清彦 イッセー尾形
監督:豊田利晃 

f:id:Jovian-Cinephile1002:20181024024021j:plain

将棋界が熱い。昨年2017年の羽生善治の前人未到、空前絶後の永世七冠達成と藤井聡太フィーバー、さらに加藤一二三の完全タレント化、それ以前にも映画化された『 聖の青春 』やアニメおよび映画化された『 三月のライオン 』など、将棋ブームが到来し、定着しつつあるようだ。もちろん、コンピュータ将棋の恐るべき進化、特に将棋電王戦でのプロ棋士の通算成績での負け越しや叡王戦での名人・佐藤天彦の完敗を忘れるべきではないだろう。もちろん将棋は偉大なるボードゲームで、その目的の第一は楽しむことである。当然、そこから派生するエンターテインメントも豊かに生まれてきた。近年だけでも小説『 盤上のアルファ 』がNHKでテレビドラマ化される見込みであるし、元奨作家による『 サラの柔らかな香車 』、『 サラは銀の涙を探しに 』も上梓された。そんな中、満を持して瀬川晶司の『 泣き虫しょったんの奇跡 』が映画化と相成った。

 

あらすじ

しょったんこと瀬川晶司は、勉強でも運動でも特に取り柄のない小学生。しかし将棋が大好きな子だった。兄やクラスメイト、隣の家の子らと切磋琢磨するうちに、プロ棋士の存在を知り、それに憧れ、奨励会に入会する。しかし、そこは天才少年、神童たちが鎬を削る過酷な世界だった。しょったんは青春を将棋に懸けるのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

松田龍平の演技が光る。顔は瀬川棋士に似ているとも似ていないとも言えるのだが、それはオールデン・エアエンライクがハリソン・フォードに似ている程度には似ていると言えよう。つまり、それほど似ていない。が、雰囲気が実によく似ている。

 

だが、松田よりも特筆すべきは豊川孝弘役(と敢えて書く)を演じた渋川清彦だ。豊川はNHK杯での二歩による反則負けで一躍その名を全国に轟かせ、その後も地味にB1に昇給したり、バラエティやネット配信などで得意の親父ギャグを連発するなど、加藤一二三には及ばないものの、棋界の変人の末席に連なる人物と言える。風貌も相当に似ているし、話し方や表情などもかなり似せる努力をしていたのが見て取れる。その豊川本人が久保役で出演していることにも笑ってしまった。

 

しかし、本作で最も強烈なインパクトを残してくれたのはイッセー尾形である。しょったんの通う将棋道場の席主であり、将棋の技術ではなく、心構えの師匠役を完璧に演じてくれた。はっきり言って序盤の主役はイッセー尾形である。人によっては松たか子であると言うかもしれないが、Jovianの目にはイッセー尾形がより強力な輝きを放っているように映った。

 

将棋というのは躍動感にはどうしても欠けてしまう。それは『 聖の青春 』や『 三月のライオン 』でも、しっかりと描くことはできなかった部分だが、本作は飛車が盤の端から端まで動くのを接写することで、躍動感を生み出した。ありきたりなようでいて、実は新しいこの撮影手法には大いに喝采を送りたい。漫画『 月下の棋士 』の氷室将介のように大きく振りかぶって駒を打ちつけてしまうような演出は一二三だけで十分だ。

 

瀬川の少年時代に少し時間を割きすぎとの印象も受けたが、松たか子演じる小学校の担任の言葉が瀬川にとっての心の拠り所でもあり、またある意味での呪いになってしまっていることを描き出すためには致し方なかったのだろう。実際に将棋指し=芸術家+研究家+勝負師なわけで、この勝負師という部分の弱さ=優しさが対局の相手を利することになってしまう場面がある。情けを知るトップのプロ棋士ならいざ知らず、奨励会の、しかも3段リーグという鬼の棲家では、この甘さは致命傷だ。実際に妻夫木聡演じる奨励会員が「ここでは友達を無くすような手を指さないと勝てない」とこぼすが、これは紛れもない事実だ。激辛流で名人位まで獲った男もいるのだ。そうした弱さを、非常に分かりやすい形で観客に伝えることは、将棋指しの世界の厳しさをそれだけ浮き彫りにしてくれる。元奨の監督ならではであろう。

 

なお、もしもまだ本作を未見で劇場鑑賞を考えている方がいれば、ぜひこちらのニコニコ動画を参照されたい。原作書籍『 泣き虫しょったんの奇跡 』以外に予習しておくべきものがあるとすれば、この動画である。1から5まであるが、ぜひ参照されたい。

 

ネガティブ・サイド

残念ながら、いくつかの弱点も存在する。現実世界に符合しないものが多々描写もしくは説明されるのだ。いくつか気になった点を挙げると、しょったんと親友が将棋道場に足繁く通う描写と説明だ。土日になると開店時間の11:00にすぐに入店したと言うが、瀬川が小学校高学年から中学生にかけての時代はまだ学校週休二日制は導入されていなかった。小学校でも5-6年生は3~4時間目までは授業があったはずで、土曜の11:00に入店は難しいのではないか。また1980年代初頭(‘80~’82)に、電車の駅にはアイスクリームの自販機は無かった。

 

他にも明らかに事実とは異なる描写が見られた。プロ編入試験がプロ相手に3勝と説明されたが、実際は奨励会員に女流棋士も試験官を務めたのだから、この説明はおかしい。一般人の監督であればリサーチ不足と切って捨てるだけだが、元奨の監督なのだから、ここは厳しく減点せざるを得ない。他にも、棋士や奨励会員が一手を指す時に、持ち駒を使う描写がやけに多い。素人のへぼ将棋ならまだしも、プロ一歩手前の実力たちの対局を描くにあたって、この辺は少し気になった。

 

また、瀬川のプロ編入試験の5局目で席主や元奨連中が一様に瀬川のニュースを知って驚くのだが、これも不自然極まりない演出だ。将棋の駒の動かし方すら知らない人間であればいざ知らず、瀬川のプロ編入試験は大々的に報じられていたし、一局ごとにテレビやネットで中継され、藤井聡太の連勝中ほどではないが社会現象化していたのだ。

 

最後に、日本将棋連盟執行部にプロ編入を嘆願する際のプロ側の態度。あれはどれほど事実に即しているのだろうか。当時の連盟会長の米長は、常に“行乞の精神”を説いていた。名人戦の移管問題でとんでもない騒動を引き起こしたが、逆に言えば話題作りに長けた男でもあった。名人位には特権的な意識を抱いていただろうが、プロ棋士という地位や肩書に胡坐をかいて、あれほどの特権意識をひけらかす男だっただろうか。このあたりに豊田監督の限界を見るように思う。元奨の残念さという点では、電王戦FINALで21手で投了した巨瀬亮一を思い出す。FINALはハチャメチャな手が飛び出しまくる闘いの連続で、特に第一局のコンピュータの水平線効果による王手ラッシュ、第二局のコンピュータによる角不成の読み抜け(というか、そもそも読めない)など、ファンの予想の斜め上を行く展開が続いた。特に第二局は、▲7六歩 △3四歩 ▲3三角不成 という手が指されていれば一体どうなっていたのか。

 

閑話休題。元奨の中には将棋界に憎悪を抱く者も少なくない。豊田監督は駒の持ち方、指し方に強いこだわりを示していたそうだが、心のどこかに将棋および将棋界へのネガティブな感情がなかっただろうか。監督が強くこだわるべきリアリティにこだわれなかったせいで、傑作になれたであろうポテンシャルを発揮できないままに本作は完成させられてしまった。そんな印象を受けた。

 

総評

ライトな将棋ファンには良いだろう。特に観る将ならより一層楽しめるだろう。将棋は何も指すだけが魅力ではなく、それを指す人間の面白さも大事なのだ。でなければ、誰が棋士の食事にまで関心を持つというのか。一方でディープでコアな将棋ファンの鑑賞に耐えられる作品かと言うと、そこは難しい。シネマチックにすることとドラマチックにすることは似て非なるもので、リアリティをそぎ落とすことでしか追求できない面白さもあるが、本作には当てはまらない。良い作品ではあるが、将棋ファンを唸らせる逸品ではない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, イッセー尾形, ヒューマンドラマ, 伝記, 日本, 松田龍平, 渋川清彦, 監督:豊田利晃, 配給会社:東京テアトルLeave a Comment on 『 泣き虫しょったんの奇跡 』 -実話ベースだが、細部にリアリティを欠く-

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