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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 国内

『 名も無き世界のエンドロール 』 -伏線の張り方はフェア-

Posted on 2021年2月2日 by cool-jupiter

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名も無き世界のエンドロール 60点
2021年1月30日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:岩田剛典 新田真剣佑 山田杏奈 中村アン
監督:佐藤祐市

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“ラスト20分の衝撃”のような刺激的な惹句に興味を抱くと同時に警戒心も抱いた。“62分後の衝撃”の『 ピンクとグレー 』が個人的にはイマイチだったし、岩田主演つながりで言えば『 去年の冬、きみと別れ 』のトリックというか構成を見破ったJovianなのである。本作についても「楽しみたい」4と「見破りたい」6で臨んだ。割と早い段階でプロットの裏側は読めたが、それでも物語そのものはそれなりに楽しむことができた。

 

あらすじ

友達思いのキダ(岩田剛典)とドッキリ仕掛けが大好きなマコト(新田真剣佑)は幼馴染にして親友。二人は同じ板金塗装屋に勤めていた。ある日、高級車を破損させた謎めいた美女リサ(中村アン)と出会ったマコトは、リサに釣り合う男になるために、板金塗装屋を辞めていった。キダも勤め先を辞め、裏社会で「交渉人」として頭角を現すようになった。二人は再会し、ある計画を実行に移すことになり・・・

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ポジティブ・サイド

岩田剛典といえば芝居がかった芝居をする役者だったが、本作ではその外連味が良い方向に作用していたように思う。それもこれも、全てはある目的のための周到な準備とその遂行過程だからだ。そのため「芝居をしているという芝居」をしている岩田が、上手くプロットにハマった。同じことはマコトを演じる新田真剣佑にも当てはまる。演技をしているのではなく、「演技をしているという演技」をしている。佐藤祐市監督の演出だとすれば、それは成功を収めている。

 

プロポーズ大作戦の標的である中村アン演じるリサの存在感もなかなかのものだ。有力な国会議員の娘というポジションが似合っている。魔性の女的な魅力を備え、なおかつ高圧的で下々の者を見下ろすかのような特権階級意識があふれる女である。本作を鑑賞する諸兄は、マコトになったつもりでリサを追いかけてみよう。リサを自分のものにしたい。自分だけのものにしたい。そうした気持ちになれるかどうか。なれるとしたら、その思いの強さはどこから生まれるのか。何故それだけの想いの強さを持続できるのか。そのあたりをよくよく考えてみれば、案外あっさりと真相にたどり着けるかもしれない。

 

本作は過去シーンと現在シーンを交互に丁寧に描写する。その際に必ず画面が暗転するので、観る側としては状況を常に整理して追いかけやすい。なおかつ、過去には存在して現在には存在しない人物。印象に残る行動の習慣。随所に挿入される意味ありげなショット。というか、大いに意味があるショットか。これらを丁寧に消化し、キダとマコトに自身を重ね合わせて見れば、答えはおのずと見えてくる。伏線があからさますぎず、かといって些細でもない。ちょうど良い塩梅である。ある意味で非常に現代的・現実的な手法で展開されるストーリーなので、ミステリ初心者にちょうど良い作品と言えるかもしれない。

 

クライマックスの撮影ロケ地はJovianが教えている大学の目と鼻の先である。『 ハルカの陶 』でも強く感じたが、自分の良く知る景色が映画に出てくると不思議と良い気分になる。ここだけで5点オマケしておく。

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ネガティブ・サイド

やっぱり「ラスト20分の衝撃」という惹句はアカンでしょ・・・。これだとミステリ愛好家、または鍛えの入った映画ファンに対する挑戦のように聞こえる。その割に、話の作りは素直で、伏線の張り方も真っ当だ。これで驚くのは中学生ぐらいだろうか。

 

戸籍の買い取りおよび乗っ取りの部分にはリアリティが感じられたが、劇中で語られるような印象的なエピソード持ちの名前や経歴を使うのは、普通に考えてかなりリスキーだと思うが。会社経営者に華麗に転身するところでもそうだが、国会議員の娘とお近づきになるのであれば、相当の身辺調査を覚悟しなければならないだろう。

 

伏線以外の部分にかなり意味不明なパートがある。「さびしい」と「さみしい」の感覚の違いは、本当の家族と疑似的な家族との距離感の違いから生まれるのかなと勝手に好意的に解釈してみたが、キダの言う「ファミレスのナポリタンが好き」という台詞には何の裏付けもなかった。ほんの一瞬でも、裏社会に生きるようになったキダがファミレスでナポリタンを注文する、それをどこか感慨にふけりながら食べるようなシーンがあれば、物語もキャラクターもぐっと深みが増したと思われる。

 

交渉人としてのキダを柄本明は褒めていたが、あれでは裏社会でのし上がれないだろう。「リサと別れろ」と言ってしまっては、その交渉(と見せかけた脅し)の後にリサに近付く男の差し金であることがばれてしまう。相手に尻尾を掴ませないためには「女がいるなら別れろ、仕事も明日から一週間休め、ひと月以内にこの家からも引っ越せ」という具合に複数の具体的な要求を伝えるべきと思う。「本当のことを言う」というキダの習性を柄本演じる貿易会社の親玉は褒めていて、Jovianはこれを皮肉と受け止めたのだが・・・。

 

総評

ミステリ映画の入門編である。デートムービーにもちょうど良いかもしれない。つまりはライトなファン向けである。『 オールド・ボーイ 』や『 親切なクムジャさん 』といった系列のストーリーが好きな人なら、本作もそれなりに楽しめるはず。そうそう、ポートアイランドに縁のある神戸市民にもお勧めをしておきたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

negotiator

「交渉人」の意。ネゴシエーションは日本語にも定着している語彙だが、その語源・由来を知る人は少ないのではないか。otiumという「余暇」や「平和」を意味するラテン語の単語にneg = 無い(negativeやneglectの接頭辞)という意味がくっついたものである。つまり、交渉事というのは時間を要するもので、余暇が奪われてしまうような活動だとローマ人たちは考えていたのだろう。形態素や語源からボキャビルにアプローチするのも一興である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, ミステリ, ロマンス, 中村アン, 山田杏奈, 岩田剛典, 新田真剣佑, 日本, 監督:佐藤祐市, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズLeave a Comment on 『 名も無き世界のエンドロール 』 -伏線の張り方はフェア-

『 樹海村 』 -『 犬鳴村 』から成長・発展なし-

Posted on 2021年1月31日 by cool-jupiter

樹海村 20点
2021年1月30日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:山田杏奈 山口まゆ
監督:清水崇

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売り出し中の山田杏奈の主演作品。Jovianはホラーはまあまあ好きなので、この期に及んでもジャパネスク・ホラーに期待を抱いている。人生と最もたくさん本を読んでいた時期の90年代からゼロ年代に読んだホラー小説の数々に感銘を受けたからだ。日本には良いホラー映画を生み出す土壌があると、今でも信じたいのだ。だが、しかし・・・

 

あらすじ

引きこもりの響(山田杏奈)はYouTuberが富士の樹海を探索する配信動画を観ていた。しかし、そのYouTuberの身に異変が起きて動画は終了してしまう。その後、姉の引っ越し先で偶然に見つけた箱により、響の家族や友人たちは恐るべき怪異に見舞われることになり・・・

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ポジティブ・サイド

量産型の低級ホラー = 美少女がキャーキャー叫ぶという図式が本作にはない。それは主演の山田杏奈の存在感のおかげだろう。『 屍人荘の殺人 』でも感じたことだが、この女優は感情を抑えた演技をした時にこそ光る。また、見方によってはかなりエロチックなシーンが挿入されており、清水監督の女優・山田杏奈への惚れ込み具合が伺える。

 

いくつかのショットが印象的だった。あるキャラクターがとある事件後に見せる能面のような笑顔、そしてドアを閉めた先のすりガラス越しに見せるモザイク模様の絶対的な拒絶の表情はホラー映画の絵として完璧だった。

 

本編終了後にいきなり帰っていった人も数人見たが、数年後の世界を描いたスキットがある。ま、別に見たからといって何がどうこうなる内容ではないのだけれど。

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ネガティブ・サイド

出だしが『 犬鳴村 』とそっくり同じである。アホなYouTuberがたくさん存在することは否定できない現実であるが、『 貞子 』でも使われたネタで、そろそろ新味を出す必要がある。まさか恐怖の村シリーズ第3弾作品の冒頭も、こんな作りになっているとは思いたくないが・・・

 

そのYouTuberが分け入っていく樹海の森も既視感ありありである。森の中で突如現れる石や木の枝を組み合わせた不思議なオブジェは『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』のそれとそっくり。誰も住んでいるはずのない樹海の中に人間の痕跡が・・・と思わせたいのだろうが、もっと上手いというか、日本的なオブジェなどは構想できなかったか。

 

樹海村という村落をタイトルに持ちながら、その村の存在が本編が怪死・・・じゃなくて開始されてから相当に経たないとフィーチャーされない。樹海という場の魔力がコンセプトなのか、樹海に村落を形成するに至った人間たちの恐ろしさを描くのか、それとも主人の響の家族にまつわる物語にしたいのか。そのあたりの軸がブレブレである。某総理大臣の政策方針のブレ具合と、これはいい勝負である。

 

肝心な点として、何でもって観客を怖がらせたいのかがハッキリしない。これが本作(に限らず近年の邦画ホラーの多く)の弱点である。響の妄想(その源が彼女個人なのか、それとも家系にあるのかは本編終了後のエンドロール中のスキットで明らかになる)、統合失調症の症状によるものなのか、それとも樹海村の呪いが厳然たる事実として存在するのか。そのあたりの虚実をはっきりさせず、「え?これは一体どういうこと?」という観る側の疑問を常に刺激することが求められていたはずなのだ。謎が恐怖を呼び、恐怖が次の謎を呼ぶという基本がなっていない。本作は、妄想も呪い(呪いのコトリバコというオブジェは本当に必要か?)も、どちらも中途半端に描いたのが最大の失敗である。

 

最終盤の展開もシラケる。これもまんま『 シャイニング 』や『 ドクター・スリープ 』の輝きのパクリではないのか。いや、パクリの域にも至っていないか。

 

訳の分からん村人のゾンビもどきに今どき恐怖を感じられるか?國村準を使うなら『 哭声 コクソン 』並みに、スーパーナチュラルなホラー世界と人間の業の世界を行き来する世界観を構築してほしかった。これでは凡百以下のホラー映画である。

 

総評

『 事故物件 怖い間取り 』で「我々がかつて敬服した中田秀夫監督はもう死んだ。そう思うしかない。冥福を祈る」と書かせてもらったが、全く同じことが清水崇監督にも当てはまる。『 富江 』や『 呪怨 』の清水崇は死んだ。冥福を祈る。この恐怖の村シリーズって、まだ続けるの?こんなプロジェクトに血道を上げても、時間とカネとエネルギーの無駄でしかないと思うが・・・。1990年代から2000年代にかけて豊かに花開いたホラー・ジャパネスクは2010年代から2020年にかけて急速に劣化した、と後の世に評価されるだけだと思われる。いっそのこと『 八つ墓村 』とか現代風にリメイクしたら?

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

exorcize

お祓いする、の意。ホラー映画の金字塔『 エクソシスト 』でもお馴染み。はっきり言ってクリシェである。効かないと分かっているが、それでもやらないといけない。邦画の中でお祓いが効果的だったとされる作品を思い返そうとしたら、『 陰陽師 』あたまりまで遡る必要があるだろうか。ホラーちゃうけど。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, ホラー, 山口まゆ, 山田杏奈, 日本, 監督:清水崇, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 樹海村 』 -『 犬鳴村 』から成長・発展なし-

『 ガメラ 大怪獣空中決戦 』 -特撮映画の金字塔の一つ-

Posted on 2021年1月27日 by cool-jupiter

ガメラ 大怪獣空中決戦 80点
2021年1月24日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:伊原剛志 中山忍 藤谷文子 小野寺昭
監督:金子修介

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邦画の落日が叫ばれて久しい。いつの間にか小説や漫画の映像化を作業のように淡々とこなすようになってしまったのは何故なのか。「日本にはアニメがある」という声も聞こえないではないが、『 ウルフウォーカー 』や『 羅小黒戦記~僕が選ぶ未来~ 』のような傑作が海の向こうで作られていること、そして『 劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編 』(未見)が映画界の救世主のように扱われていることに一掬の、いや多大な不安を覚える。だが、日本にはまだ特撮映画、そして怪獣映画というジャンルが残されている!

 

あらすじ

太平洋上で巨大な漂流環礁が発見された。時を同じくして姫神島で住民が消失する事件が発生。その直前の無線では「鳥」が言及されていた。島を訪れた鳥類学者・長峰(中山忍)の前に、羽毛の無い巨大な鳥を発見する。同じ頃、海上保安庁の米森(井原剛志)と保険会社の草薙(小野寺昭)は、環礁で発見された碑文を解読。環礁はガメラ、怪鳥はギャオスという古代怪獣であることが判明して・・・

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ポジティブ・サイド

これは確か高校生の時に岡山市内の映画館で父親と観た記憶がある。その後、20代後半にDVDでも観た。今回で3度目の鑑賞である。ガメラと言えば「 強いぞガメラ♪ 」の歌詞がJovianの脳内に響いてくるが、Jovianはリアルタイムで昭和ガメラは鑑賞できていない。すべてVHS鑑賞である。そうした意味で、本作を劇場、しかもDolbyCinemaで鑑賞できたことは僥倖以外の何物でもない。

 

まず、タイトルロゴの演出が恐ろしくカッコいい。『 ゴジラvsデストロイア 』のそれを彷彿させる(というか、こちらの方が後発)素晴らしい出来栄え。そこから謎の環礁、そして巨鳥の出現と矢継ぎ早の展開で、観る側をぐいぐいと引き込んでくる。そのタイミングで中山忍演じる長峰を登場させることで青年から中年までの怪獣オタクのハートもがっちりとゲット。少年層には藤谷文子を配するなど、手抜かりはない。ここが『 ゴジラ 』シリーズとの違い。『 ゴジラ 』世界でヒロインと呼べるのは、おそらく三枝未希だけだろう。

 

閑話休題。本作は怪獣映画であると同時に政治的なリアリズムを追求した『 シン・ゴジラ 』の先行作品とも言える。ガメラやギャオスといった怪獣を捕獲するか駆除するかといった議論の生々しさは、確かに『 シン・ゴジラ 』に受け継がれている。もうひとつゴジラつながりで言えば、本作は『 ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 』、いわゆるGMKの先行作品的な側面も有している。つまり、人間と怪獣の戦いを経て、人間と怪獣の共闘に至るという点だ。

 

その怪獣バトルも、樋口真嗣の手腕もあって、特撮の醍醐味が存分に味わえる。CGでは決して出せない建物が破壊されるときの臨場感、そして大規模なミニチュアのセットの中で繰り広げられる着ぐるみvs着ぐるみのぶつかり合いの質感。これらが高精細になった映像とクリアな音質によって、より迫真性を増している。特にラストのコンビナートの大爆発シーンは、『 ゴジラ対メカゴジラ 』のコンビナートの爆発に勝るとも劣らない。これらの大迫力を体験させてくれた梅田ブルク7様々である。

 

人間キャラクターが魅力的だが、やはりそれ以上に怪獣たちが個性を発揮しているところが素晴らしい。ギャオスの雛が共食いをするところ、成長したギャオスが人間を貪り食うところに、ギャオスという怪獣が紛れもないヴィランであることが伝わって来る。同時に、小難しい理屈をこねる環境庁の役人の屈折と変節に、人間、特に大人もあてにならない、信用できないという思いを(オッサンになった今も)強くする。そんな中で、子どもの味方であろうとするガメラ、人間に攻撃されても一切反撃しないガメラは、やはり純粋にヒーローである。単に敵対的な怪獣を攻撃してくれる=善という図式ではない。人間の愚かさをそこに挟むことで、ガメラの立ち位置がより明確になっている。

 

空中決戦という、ゴジラにはほぼ不可能な(といっても、ゴジラも空を飛んだことはあるが)スペクタクルはまさにスリル満点。成長したギャオスが東京の空を縦横無尽に飛び回り、自衛隊の放ったミサイルがギャオスを追尾する最中、東京タワーに命中してしまうといアイデアは、もしかすると海を越えて『 GODZILLA 』(1998)をインスパイアした可能性もあるのではないか。折れた東京タワーの中腹あたりに鎮座するギャオスのシルエットはまさに邪竜。地の底から現れたガメラとの空中戦、そしてクライマックスの爆発散華へと至るシークエンスは、特撮および怪獣映画のエッセンスのすべてが詰まっている。まさに金子修介監督および樋口真嗣特技監督の面目躍如である。邦画は死につつあるが、怪獣ジャンルまで死なせてはならない。

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ネガティブ・サイド

漂流環礁の調査シーンの引きのショットでは、海とプールの合成の粗さが目立つ。時代的な制約か。他にも橋の上でギャオスが米森、長峰、子どもを襲おうとするシーンではギャオスの飛行による衝撃波が生じないところが気になった。直前に犬やおばちゃんを襲うシーンでは、自転車を吹っ飛ばすほどの威力の衝撃波を生み出しているのに。この橋の上のシーンで、風で米森や長峰が風で子どもから引き離されたところにギャオスが突撃、子どもが大ピンチという瞬間にガメラが子どもをかばって負傷する、という流れなら、ガメラ=子どもの味方という図式がもっと理解しやすくなったと思われる。

 

あとは中山忍と藤谷文子の棒読み演技か。ビジュアルは文句なしだが、セリフ回しが拙すぎる。といっても『 ゴジラvsビオランテ 』の沢口靖子ほど酷くはないのだけれど。

 

そうそう、エンドクレジットでは“アニマトロニクス”であるべき箇所が“アニマトロクス”となっていた。シミュレーションがしばしばシュミレーションと言われていたように、英語とはまだまだ距離があった90年代を思い出させてくれた。

 

総評

知名度ではゴジラに劣るが、ガメラもまた日本の誇るべき怪獣の一方の雄である。実際に、ブルク7で本作鑑賞後に「大画面で観られて良かった!」「崇高な映画!」と感想を述べあう若い男子三人組を目撃した。おそらく元々怪獣ファンなのだろうが、それでも令和の時代に昭和生まれの怪獣(平成ガメラだが)の雄姿を映画館で拝めるということには、歴史的な意義がある。工場で大量生産するかの如くテンプレ的な映画が量産される邦画の世界の関係者は、怪獣、そして特撮というジャンルにかつてどれほどのエネルギーが注ぎ込まれていたのかを思い返すべきだろう。そして、60代以上の世代はぜひ孫たちにガメラを体験させてあげてほしい。いわゆる昭和のプロレス的なノリのゴジラ映画とは違い、かなり現実的な考察がなされている平成ガメラであるが、そうした作品こそ子どものうちに味わわせてあげてほしい。そのように切に願う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

How dare you!

環境活動家のグレタ・トゥーンベリの決め台詞。意味は「よくもそんなことができますね」である。中山忍演じる長峰が、ギャオスの捕獲から駆除へと方針転換した木っ端役人に対して「勝手過ぎます!」と一喝した台詞の私訳。逐語訳ならば“Too selfish!”とか“So egoistic!”となるのだろうが、より丁寧に“How dare you say that!”または“How dare you change policies!”となるだろうか。相手の言動に悪い意味で驚いたりした時、呆れたりした時に“How dare you!”と心の中で叫ぼうではないか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1990年代, A Rank, 中山忍, 伊原剛志, 小野寺昭, 怪獣映画, 日本, 監督:金子修介, 藤谷文子, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 ガメラ 大怪獣空中決戦 』 -特撮映画の金字塔の一つ-

『 さんかく窓の外側は夜 』 -ホラーならホラー路線に振り切れ-

Posted on 2021年1月25日 by cool-jupiter

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さんかく窓の外側は夜 45点
2021年1月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:岡田将生 志尊淳 平手友梨奈 滝藤賢一
監督:森ガキ侑大

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『 シン・ゴジラ 』で布告された緊急事態宣言も、現実の日本では二度目の発出。慣れとは怖いものだ。「コロナより怖いのは、私たち人間ね」と言いたくなるニュースがこの半年は多かった。「呪いよりも怖いのは人間なのか?」との問いを立てて本作を鑑賞した。

 

あらすじ

幼いころから幽霊が見えてしまう三角(志尊淳)は、ひょんなことから除霊ができる冷川(岡田将生)の相棒として仕事をすることになる。ある時、冷川の馴染みの刑事・半澤(滝藤賢一)から持ち込まれた事件を捜査しているうちに、ヒウラエリカ(平手友梨奈)という謎の女子高生の存在が浮上し・・・

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ポジティブ・サイド 

完全に偏見なのだが、『 ストレイヤーズ・クロニクル 』および『 秘密 THE TOP SECRET 』が超絶駄作(特に前者)だったため、岡田将生が主役級という作品は避けていた。が、『 星の子 』での演技はなかなかのものだったので、もうそろそろ無意味な偏見から解放されてもよい頃合いと思い、本作を鑑賞。演じやすい=特徴を出しやすいキャラクターという面に救われている面はあるものの、冷川という癖のある男を好演できていた。さわやかなイケメンというのは時と共に消費されつくして次世代に取って代わられるもの。今後は自信満々で鼻持ちならない系のキャラを極めていくのもいいだろう。『 君が君で君だ 』の向井理のようなチンピラ役にも挑戦してもらいたい。

 

除霊する時に、その霊の生前をうかがい知れるイメージを挿入するのは、なかなか親切な演出だと感じた。バディものの変形とはいえ、これほどあからさまに野郎同士の身体接触を決めのシーンとして描くのは、今日の目で見ると違和感というか、逆に新鮮味が感じあれる。

 

呪いや幽霊一辺倒になるのではなく、滝藤賢一演じる「信じない」キャラという存在が物語を引き締めている。J・ピール監督の『 ゲット・アウト 』でも主人公の親友が極めて堅実かつ現実路線の男(ギャグやユーモア担当でもある)だったおかげで、荒唐無稽なストーリーが“現実”と上手く対比された。滝藤演じる半澤刑事は、同じような作用を本作にもたらしている。

 

「簡単な除霊作業」の先に壮大な陰謀が隠されている、という展開も王道でよろしい。超自然的な現象の根本を人知の及ばない領域に求めるのではなく、そうした超自然的な現象をも人間の業の一部に組み込んでしまうというのは現代的である。カルトの存在を真正面から描くという意味では、本作は邦画の中では珍しいと言える。近年では『 スペシャルアクターズ 』や『 星の子 』ぐらいだろうか。本作のシリアスさは、これらの中間ぐらいである。

 

目に見えない存在が人間に害をなす。これまではそうした存在の代表は幽霊だった。今ではウィルスが大きく存在感を増してきており、こうした現実がフィクションである物語の奥行きを深めている。そうした見方をすれば、単なる中途半端なBL物語以上のものとして鑑賞することができる。

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ネガティブ・サイド

最初に劇場で予告編を観た時は、「すわ、オリジナル脚本か?」と思ったのだが、これもやはり漫画原作だった。そのせいか、各エピソードやキャラの背景描写が非常に底浅い、もしくはつながりやまとまりに欠ける。最も気になったのは、志尊淳演じる三角。幼少の頃に同級生が川で幽霊に襲われる(多分、死んだ)という経験がトラウマになっているのではないのか。にもかかわらず、冷川と組んでの最初の除霊作業で自身も水難事故に遭いかけるとか、おかしいだろう。さらに冷川から「霊はたいていは無害」とか説明されて反論もしないのは何故だ?例を見るたびに「うわっ」と驚くのも妙だ。散々見てきたでのははないのか。自身のトラウマ体験と折り合いをつけられずに生きてきたという背景が全く活かされていない。また、逆にラストの母親とのシーンでは空回りになってしまっている。原作の漫画はおそらく大部のエピソードでもってこのあたりの流れを描いているのだろうが、2時間足らずの映画では完全に描写不足。志尊淳の芝居(特に涙のシーン)は全編を通じてかなり良かっただけに、なおのこと物語とキャラと演技者の乖離が悪い意味で目立ってしまった。

 

平手友梨奈は『 響き-HIBIKI- 』の主人公役でインパクトを残したが、本作ではさっぱりだった。ミステリアスな雰囲気を出したいのは分かるが、それはその異能性ゆえに周囲から浮いてしまうことで放たれるもの。女子高生と言いながら、学校や同級生の描写がほとんどと言っていいほど存在しない本作では、その属性は不要だったのでは?むしろ『 ジオラマボーイ・パノラマガール 』の神奈川ケンイチのように、学校に行かず日夜街を徘徊して、人間の悪意をばらまいている、あるいは吸収している存在に描いた方が面白かったのではないか。

 

その人間の悪意が“言葉”だという点にも正直なところ拍子抜けさせられた。それも『 白ゆき姫殺人事件 』の二番煎じにもなれていないように見えた。言葉が悪意で、それが呪いとして成就しないのは、それを巧みに利用する者が存在するからだという背景はもっと丁寧に、なおかつ説得力のある方法で描けたはずなのだ。

 

クライマックスの“貯金箱”の描写もチープの一語に尽きる。これ以外にも、バラバラ殺人の被害者のパーツを集めて一つの人体に再構成するというサブプロットで、つなぎ合わされた死体が腐敗していない謎が最後まで説明されないなど、色々な要素を置いてきぼりにしたまま物語が進んでいく。続編制作に色気を持たせる終わり方だが、これだけとっちらかった序章では『 ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章 』の二の舞を演じることになるだろう。

 

総評

出演者の演技は総じて悪くない。だが、脚本と演出が破綻してしまっている。コロナ禍という現実を下敷きに本作を観るという醍醐味もあるにはあるが、ストーリーを純粋に楽しむ、キャラクターの背景や経験を追体験するという映画的な楽しみ方は難しい。岡田や志尊のファンにならば勧められるか。Jovianは滝藤賢一目当てだったので、彼のパートだけはまあまあ楽しめた。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

cast a curse on ~

~に呪いをかける、の意。普通に考えれば日常生活で使うことはない表現だが。ファンタジーやホラーではたまに聞こえてくる表現。単に“I’ll curse you”または“Curse you”=呪ってやる、とも言うが、日本語でも「呪いをかける」の方が「呪ってやる」よりも本格的に聞こえるように、英語でもcast a curse on ~の方がシリアスに聞こえる。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ホラー, 岡田将生, 平手友梨奈, 志尊淳, 日本, 滝藤賢一, 監督:森ガキ侑大, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 さんかく窓の外側は夜 』 -ホラーならホラー路線に振り切れ-

『 おとなの事情 スマホをのぞいたら 』 -平均的なコメディ-

Posted on 2021年1月15日 by cool-jupiter

おとなの事情 スマホをのぞいたら 55点
2021年1月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:東山紀之 常盤貴子
監督:光野道夫

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原作も、2019年に心斎橋シネマートで公開されていた韓国版リメイクも未鑑賞。ということは新鮮な目で本作を味わえるわけで、期待を胸に劇場へ。そこそこのコメディに仕上がっていた。

 

あらすじ

雇われ店長とその妻、パラリーガルの夫と子だくさんの妻、たたき上げの美容整形外科医の夫とテレビでも活躍する精神科医の妻、そして独身で塾講師の三平(東山紀之)はCAFFE ANGELAに集って晩餐を楽しんでいた。ふとしたことからスマホをテーブルに置き、通話やメールを全員に公開するというゲームを行うことに。そして、着信やメールのたびに、隠されていた秘密や人間関係が露わになっていき・・・

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ポジティブ・サイド

腹筋やらジョギングを欠かさないというマッチョなイメージの東山紀之が非常に良い味を出している。男らしいからではない。5ちゃんの塾講夜話をしげしげと眺めていそうな、どこか浮世離れした塾講師をリアルに体現できていた。

 

パラリーガルの田口浩正も素晴らしい。曲者ぞろいの晩餐会参加者の中でコミックリリーフをほぼ一手に引き受けていた。顔面で演技ができるタイプで、表情がくるくる変わり、心情をダイレクトに伝えられるのが強み。のみならず、土着的な中年日本人顔で、とにかく親近感が湧くのである。東山紀之と絶妙な掛け合いを披露してくれるが、数多くの中年男性映画ファンが感情移入し、なおかつ声援を送るのは、東山ではなく田口だろう。

 

電話の着信やメールやテキストの受診のたびに明かされていく秘密も、まあまあ面白いし、中には心臓が飛び出るかと思うほどのシリアスな通話もあったりする。秘密の大部分は夫婦関係に属するものなので、脛にやましいところがある諸兄は細君を劇場鑑賞のお供に誘わないこと。『 喜劇 愛妻物語 』を本当に喜劇として受け取れる夫婦なら、全く問題ないだろう。

 

役者同士の演技合戦や、テンポの良い進行、ほとんど一か所だけで展開されるし、時間もわずか一晩のこと。『 キサラギ 』を楽しめたという人なら、チケットを買って損はない(『 キサラギ 』の方が面白さという点では上だろうけれど)。

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ネガティブ・サイド

これだけの演技派をそろえたのだから、アンサンブル・キャストに徹してほしかった。明らかに木南晴夏のスクリーン・タイムは短かったように感じる。もちろん、魂の絶叫や意外なところからのメール受信など見せ場はあったが、ゲームの言い出しっぺであるためか、他キャラよりも目立たなかった。

 

鈴木保奈美と益岡徹の夫婦仲の崩壊とそこからの回復は、なんというか非常にシラケるものだった。木南晴夏にも突っ込まれていたが、良い話でも何でもない。そもそも精神科医の妻が、「夫が自分に話してくれないことがある!」と憤慨するのがおかしい。話の内容ではなく、話さないという態度などから鑑別(別に病気ではないが)していくというプロフェッショナルな姿勢が見られなかった。他のキャラが仕事をネタにした話をする、あるいは職務で身に着いた喋りや振る舞いを見せているだけに、鈴木保奈美のキャラだけはもう少し深掘りができたのではないかと思ってしまった。

 

益岡徹が最後に種明かし的に語り始めるパートもノイズだった。おそらくこの部分が日本版リメイクで付け加えられた部分なのだろう。序中盤でちらっと見せられていたガジェットや、各キャラの発する伏線となる台詞を丁寧に説明したくなるのは分かるが、これはミステリではなくシチュエーション・コメディ。もっとスパッと説明するか、あるいは回想シーンにしてしまっても良かった。引っかかるのは「11月下旬に台風が本州、しかも関東にやってきて、建物の3階まで浸水するような大雨を降らせるか?」という疑問である。まあ、深く考えては負けなのだろう。

 

総評

突出した面白さがあるわけではないが、かといってチケット代を損したなどという気分にはならない。Jovianと同世代なら、すっかりmilfyになった常盤貴子目当てで劇場を訪れるのも良いだろう。誰と一緒に観に行くかで感想が変わるかもしれない。そうそう、一つだけアドバイスするが、ファミリーで見に行ってはいけない。直接的なラブシーンなどはないが、気まずくなること請け合いである。子どもが小学生ぐらいなら、質問攻めにされることだろう。タイトル通り、「おとな」が楽しむ作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You’ve got mail.

「あなたはメールを受け取りました」の意。劇中でメールを受信するたびにスマホがこのように喋ってくれる。トム・ハンクスとメグ・ライアンの『 ユー・ガット・メール 』の原題も“You’ve Got Mail”である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, コメディ, 常盤貴子, 日本, 東山紀之, 監督:光野道夫, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンタテインメントLeave a Comment on 『 おとなの事情 スマホをのぞいたら 』 -平均的なコメディ-

『 ブラック校則 』 -常識を疑え、行動せよ-

Posted on 2021年1月7日 by cool-jupiter

ブラック校則 70点
2021年1月4日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:モトーラ世理奈 佐藤勝利 高橋海人
監督:菅原伸太郎

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縁あって大阪や奈良の高校で英検やTOEICの対策講座を受け持たせて頂いているが、校則というのは学校によってまちまちである。象徴的なのはスマホの扱いだろう。学校に入った瞬間からスマホ禁止、朝のホームルームでスマホを没収する本作さながらの高校もあれば、休み時間は使用OKの学校、放課後になれば校内でも使用可能な学校など様々である。スマホ使用の是非はさておき、スマホを禁じる校則に納得している高校生には、Jovianはまだお目にかかったことが無い。

 

あらすじ

校門で生徒の髪型や服装のチェックに余念がない教師たちを疑問に感じていた創楽(佐藤勝利)は、希央(モトーラ世理奈)という同級生に一目惚れしてしまう。しかし、希央は栗色の髪を黒く染めるようにと指導されていた。希央には地毛証明書が出せないある事情があったのだ。不登校になった希央を救うため、創楽は親友の中弥(高橋海人)とともに、ブラック校則打破のため立ち上がるが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 風の電話 』で存在感を発揮したモトーラ世理奈が、本作でも変わらぬ存在感を見せつける。別に台詞が多かったり、大仰なアクションを演じるわけではない。その逆で、希央が何か長広舌を振るったり、キャットファイトをしたりするシーンなどは存在しない。ほとんど全編を通じて、ただ静かに場面に溶け込んでいるだけで、これほどの存在感を発揮する10代はそれほど多くないだろう。普段が能面のように無表情なため、ほんのわずかに笑っただけでとびっきりチャーミングに見える。生まれながらの美少女には決して出せない魅力が、モトーラ世理奈にはある。今後さらに数多くの作品に出演してほしいものである。

 

生真面目な創楽と脱力系の中弥のコンビも、若手ジャニーズとは思えない演技力。滝沢がトップになったことでルックスやトーク、歌やダンスよりも演技力重視になってきたのだろうか。青春ドラマにありがちな順調な滑り出し、快調に物事が進んでいくが、しかし・・・という展開にならない。最初こそ勢い良く立ち上がったものの、主役とその親友がはっきり言って優柔不断の役立たずである。これはなかなかにユニークな物語である。この主人公、本当に情けない。エアギターから虚しさのあまり叫び出し、そこをかなり年の離れた妹の口撃でコテンパンにされてしまう。クラスでもカースト上位ではなく、かといって下層でもなく、という位置づけ。本人はかなりのハンサムボーイだが、表情の暗さや立ち居振る舞いが負のオーラを醸し出している。監督の演出か、それとも本人の演技力によるものなのか。モトーラ世理奈に恋焦がれるなら、イケメン高校生ではなく、こうした等身大の高校生でないと駄目だ。そうした意味で、佐藤勝利をキャスティングした時点で本作は半分は成功している。

 

その他にもほっしゃん演じる体罰教師は、Jovianの中学にいた某教師と雰囲気や言動がそっくりで、ちょっと引いた。今でこそ暴力教師、あるいは生徒から教師に対する暴力がカメラに撮られ、すぐにネット上で拡散してしまうが、20年前、30年前は『 ぼくらの七日間戦争 』の大地康雄や倉田保昭の演じた教師、本作の手代木のような教師が実際に存在したのである。本作は現在の10代よりも、30代や40代こそがリアリズムを感じられる作品なのかもしれない。

 

校内でスマホを禁じられ、その他の校則でがんじがらめにされた生徒がどうなるのか。Jovianは落書きとその連鎖に痛く感じ入った。書かれている内容こそ違えど、これはまさに中井拓志の小説『 quarter mo@n 』そっくりではないか。生徒から何かを奪っても、彼ら彼女らはその代替を見つけるものだ。『 quarter mo@n 』はある意味で時代を先取りしすぎた作品である。1999年刊行の書籍だが、ぜひ令和の若者にも読んでもらいたい。こうしたネット黎明期の作品に面白さを感じる向きは奥泉光の『 プラトン学園 』もどうぞ。

 

ダメダメな主人公を軸に、周囲のキャラクターたちも動き出し、圧倒的なパフォーマンスの見られるクライマックスにつながっていく。あるキャラが絞り出す魂の叫びは、『 ブラインドスポッティング 』のクライマックスのラップを彷彿させた。はっきり言って荒唐無稽もいいところのご都合主義的な展開なのだが、それを吹き飛ばすほどのパワーをこのシーンから感じた。最後に訪れるカタルシスも良い。元々、創楽が立ち上がったのは何のため、誰のためだったのか。様々な伏線が最後に一つにつながり、大団円となるラストの爽快感よ。

 

Libertyとfreedomのつづりミスで英語教師のJovianは「ははーん、これはアレだな」とピンと来たが、最後の最後のメッセージもなかなかに秀逸だ。そう、これは高校生に向けられたものではない。現状を是とする思考停止を打破せよ、という作り手のメッセージなのだ。幅広い世代に観てほしいと思える邦画である。

 

ネガティブ・サイド 

ラストに至るまでのサブプロットがとにかく多いし、時間もかかる。だからこそラストの大逆転感が生まれるのだろうが、それでも途中の展開はかなりの中だるみに思える。ここで主人公側に何らかの小さな希望が見える展開、あるいは蹉跌を経験するシーンを挟むべきではなかったか。

 

成海璃子の元カレが云々という背景も不必要ではなかったか。高校という一つの閉じた小宇宙の中で、ブラック校則がどれほどヤバいルールなのかを描き出すことを通じて、「世の中全般に迎合するな、疑え、行動しろ」という激を飛ばすのが本作の狙いのはず。であるなら、ブラック校則以上にネガティブな現実は不要である。

 

手代木を封じ込めるネタが結局はミチロウと同じく、暴力動画をネタにした恐喝とは・・・ もっとなにか別のアイデアがあってしかるべきだろう。例えば、毎朝回収されるスマホを模型と入れ替えて○○を▲▲している証拠を押さえるとか、または・・・って、これ以上書くと犯罪者予備軍と思われるのでやめておく。たた、体制を打破するために出来るもっと別のことがあったのは確かである。

 

総評

公開当時に劇場鑑賞できなかったことが悔やまれる。校則を社則、教師を上司と読み替えれば、社会人目線でも楽しむ(苦しむ?)ことができるジャニタレが主演かよ、と鼻白む向きにこそお勧めしたい上質な青春ドラマに仕上がっている。モトーラ世理奈の出番こそ少ないが、ファンならば本作は必見であろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

emancipation

freedomとlibertyについては劇中で振れられていたので、ここではemancipationを紹介したい。意味は「解放」であるが、その用例はほとんど「奴隷解放」である。The Emancipation Proclamation = A・リンカーンによる奴隷解放宣言である。他にも、他国の占領や政治的な影響力からの解放についても使われる。英検準1級以上、TOEFL iBT80点以上、IELTS Academicで6.0以上を目指すなら、知っておきたい語彙。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, モトーラ世理奈, 佐藤勝利, 日本, 監督:菅原伸太郎, 配給会社:松竹, 青春, 高橋海人Leave a Comment on 『 ブラック校則 』 -常識を疑え、行動せよ-

2020年総括と2021年展望

Posted on 2021年1月1日2021年1月1日 by cool-jupiter

2020年総括

やはりコロナ禍に触れないわけにはいかない。Jovianの実家はかつて焼肉屋であり、O-157と狂牛病によるダメージがいかに痛撃であったのかを身をもって知っている。あの2001年の悲劇と同規模、いやそれ以上の惨禍が、焼肉業界だけではなく飲食業界全体、さらには旅行や映画にも及んだ。新作映画がことごとく公開延期され、海外の有力とされた映画のいくつかは配信に流れた。「ニューノーマル」という言葉が新しい意味を帯びた2020年だったが、2021年についても予断を許さない。

しかし、「一生に一度は、映画館でジブリを。」とのキャッチフレーズで『 風の谷のナウシカ 』や『 もののけ姫 』がリバイバル上映されるなど、温故知新の一年でもあったと思う。9.11以降にハリウッドの作劇術がガラリと変わったように、2020年は映画産業(もちろん、ほとんどあらゆる産業もだが)がガラリと変わった一年として後世の歴史家に記されることだろう。

 

それでは個人的な各賞の発表を。

 

2020年最優秀海外映画

『 シカゴ7裁判 』

アーロン・ソーキンが(コロナとは異なる意味での)時代の節目をその炯眼でもって見通していたとしか思えない。それほど完璧なタイミングでのリリースだったと思う。民主運動とは何か。国家権力とは何か。コロナ以前の世界で最も問われていたテーマを、1960年代から見事に現代につなげてくれた。それもとびっきりのエンターテインメント性を備えて。Netflix映画だが、アカデミー賞を受賞してもまったくおかしくないクオリティの作品であろう。

 

次点

『 ウルフウォーカー 』

とびきりユニークな線画アニメーションで非常に土着的な物語を描きながら、そこに見えてくるのは気高く孤高に生きることを是とする哲学。『 羅小黒戦記~ぼくが選ぶ未来~ 』と次点を争ったが、共存共栄を敢えて志向しない本作の独自性の方を紙一重の差で評価したい。

 

次々点

『 シュヴァルの理想宮ある郵便配達員の夢 』

 フランス映画=男女のドロドロの情念とヌードと濡れ場、というJovianの蒙を啓いてくれた作品。

 

2020年最優秀国内映画

『 風の電話 』

コロナによって先行するあらゆる社会問題がかき消された感のある2020年であるが、本作の提示した原発事故の問題および日本社会の分断化、その結果として生じてきた子どもの孤食問題。商業性と芸術性、そして社会性の全てを高い次元で備えた邦画の傑作。

 

次点

『 私をくいとめて 』

能年玲奈の魅力と演技力が爆発した作品。ごくごく限られた人々にしか当てはまらないのかもしれないが、原作小説および映画は聖典として長く読まれ、鑑賞され続けていくことだろう。

 

次々点

『 37セカンズ 』

邦画の世界でタブーとされてきた事柄をこの一作だけで次々に打破した。

 

2020年最優秀海外俳優

オークワフィナ

『 フェアウェル 』で見せた高い演技力で選出に異論無し。アイデンティティを巡る物語の需要は今後高まることはあっても下がることはないだろう。そうした物語が良作と呼べるかどうか、主人公およびメインキャラクターの演技力が及第に達しているかどうかは、本作のオークワフィナが基準になることだろう。

 

次点

スシャント・シン・ラージプート

『 きっと、またあえる 』の大学生役の演技は最高だった。鑑賞後に死去を知って愕然とした。インド映画界のみならず、世界の映画界が一つの宝石を失ってしまった。

 

次々点

チョン・ユミ

『 82年生まれ、キム・ジヨン 』の、まさに憑依されたとしか思えない演技は圧巻だった。

 

2020年最優秀国内俳優

仲野太賀

助演の『 僕の好きな女の子 』と主演の『 泣く子はいねぇが 』の二作品で選出に文句なし。表現者として飛躍を見せた一年だったと言えよう。30歳まで今の成長ペースを保つことができれば、邦画の世界の欠くべからざるピースとなることは間違いない。

 

次点

渡辺真起子

『 風の電話 』の叔母さん、『 37セカンズ 』の母親役で残したインパクトは大きかった。登場時間の短さと観客に与える印象の大きさは必ずしも比例しないことの好例。

 

次々点

水川あさみ

『 喜劇 愛妻物語 』と『 滑走路 』、『 アンダードッグ 』の三作を評価する。『 ミッドナイトスワン 』は2021年にとっておきたい。

 

2020年最優秀海外監督 

キム・ボラ

『 はちどり 』の演出および映像の鮮烈さが強く印象に残っている。М・スコセッシ監督の“The most personal is the most creative”=「最も個人的な事柄が最も創造的な事柄である」という哲学を作劇術のすべてに応用したことから選出。

 

次点

ウッディ・アレン

『 レイニーデイ・イン・ニューヨーク 』の軽妙洒脱なテンポでのストーリーテリングは、ウッディ・アレン以外にはなしえない職人芸である。

 

次々点

ジョン・チェスター

『 ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方 』で証明したドキュメンタリー映画の撮影および編集は一級品。

 

2020年最優秀国内監督

河瀨直美

『 朝が来る 』で鮮やかに、リアルに映し出した夫婦像および家族観は、令和日本のひとつの規範となるに違いない。

 

次点

内山拓也

『 佐々木、イン、マイマイン 』のあまりにも直球過ぎる、そして変化球過ぎる青春ドラマは20代かつ長編デビュー作というタイミングでしか作りえなかったのではないか。

 

次々点

城定秀夫

『 アルプススタンドのはしの方 』で、異色のシチュエーション青春ドラマを作り上げた。

 

海外クソ映画オブ・ザ・イヤー

『 ティーンスピリット 』

音楽うんぬんよりも、主人公のヴァイオレットの抱える問題がどのように解消されていくのかが全く不完全に消化されてしまった。エル・ファニングのキャリアの中でも最低レベルの作品だろう。

 

次点

『 キャッツ 』

 糞のようなCG演出と気持ちの悪い動きに、アレルギーを発症しそうになった。ミュージカルの『 キャッツ 』の持っていた感動を呼ぶポイントを全てスポイルした、完全なる映画化失敗作品の金字塔。

 

次々点

『 ディック・ロングはなぜ死んだのか 』

 

英語レビューでは賛7否3ぐらいだったが、個人的には本作とは全く波長が合わなかった。

 

国内クソ映画オブ・ザ・イヤー

『 事故物件 怖い間取り 』

これで決まりでしょ。観終わった瞬間から決まっていた。これを超えるクソ映画を作れる才能というのは、カンヌや米アカデミーで受賞できるぐらいの才能が必要なのではないか。

 

次点

『 ドクター・デスの遺産 BLACK FILE 』

 

命の重さをこれほど軽んじた作品は近年ちょっと思いつかない。のみならず警察が常識外れの無能であり、しかも物語のリアリティを担保すべき事物および人物の描写が荒唐無稽もいいところである。クソ映画の教材のような作品である。

 

次々点

『 ヲタクに恋は難しい 』

『 記憶屋 あなたを忘れない 』との壮絶なデッドヒートを制して次々点に選出。これもクソ映画として、大学や専門学校の映像学科で分析の対象になるぐらいしかないでしょ。

 

2021年展望

去年も楽しみにしていた『 ゴジラVSコング 』がまたまた延期。とにかくコロナ禍が収束してくれないことには身動きが取れない。ジブリ作品のリバイバル上映など思わぬ副産物も生まれたが、コロナが業界に与えた影響は計り知れない。

 

アメリカでは今後は映画館で公開とウェブ配信を同時に行っていく流れになりそうだという。映画を暗転した劇場で観賞するという営為に、音響や動く座席、匂い、水しぶきなどの効果も加わるか形で劇場は進化してきた。それが止まるのか、それとも別方向に進化していくのか。

 

何はともあれ、2021年の世界平和を祈りたい。

 

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『 AWAKE 』 -もっと綿密な取材を-

Posted on 2020年12月31日 by cool-jupiter

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AWAKE 50点
2020年12月29日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:吉沢亮 若葉達也 落合モトキ 寛一郎
監督:山田篤宏

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Jovianの映画以外の趣味として、ボクシング観戦、テニス、そして将棋がある。実際に2015年の電王戦も、それをさらにさかのぼる渡辺明 vs ボナンザ戦もリアルタイムで観ていた。阿久津主税 vs AWAKEに着想を得た本作はどうか。将棋の部分のリアリティが不足していたと言わざるを得ない。

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あらすじ

奨励会の大一番で幼少期からのライバル・浅川陸(若葉竜也)に敗れた清田英一(吉沢亮)は、将棋から足を洗い、大学に入学するも、将棋意外に人とのかかわりを持てない英一は孤立。しかし、自宅で父親がコンピュータ将棋をしているのを見て、大学の人工知能研究同好会に向かい、そこで磯野(落合モトキ)と出会う。英一は将棋プログラムの開発に没頭するようになり・・・

 

ポジティブ・サイド 

吉沢亮といえば『 リバーズ・エッジ 』、『 キングダム 』、『 青くて痛くて脆い 』など、どこかダークサイドを内に秘めたキャラを演じることに長けている。その力を今作でも遺憾なく発揮している。碁打ちや将棋指しは完全情報ゲームで戦っているので、建前上そして理論上は勝ち負けに運の要素はない。すべては実力で決まる(ことになっている)。そうした勝負の最中の敗北を悟った瞬間の目の演技は見事だった。また、『 聖の青春 』で東出昌大が羽生の仕草を完コピしていたのを参考にしていたのだろう。羽生の癖をよくよく研究していると思しき演技にも好感が持てた。

 

若葉竜也演じる浅川陸が阿久津主税に似ているかというと、さにあらず。現実の阿久津は、飲む打つ買うの三拍子そろった昭和気質の悪童・・・ではなく、酒とパチンコを嗜む現代的な将棋指しである。ただ、本作は阿久津のドキュメンタリーではないので、そこのディテールにこだわる必要なし。棋士とはどういったたたずまいの生き物なのか、どういった生態なのかを描出できていれば合格。その意味では、和服で対局室に向かう浅川の姿は、写真集『 棋神 』に掲載されている谷川浩司を意識したとしか思えない構図のショットあり、往年の中原誠の所作をコピーしたと思われるタイトルホルダーあり、また大山康晴の格言「助からないと思っても助かっている」を忠実に表す局面ありと、将棋ファンのノスタルジーを大いに刺激してくれる。

 

ストーリーも現実の改変度合いが適度だったと感じた。現実の電王戦2015は、双方ともに納得のいく展開でも結末でもなく、ソフト開発者にも阿久津にも賛否両論があった。そうした現実のドロドロはいったん無視して、清田と浅川を幼少期からのライバルという設定を導入したのは面白かった。棋譜を読み込むことが生活の一部だった清田が、プログラミングの教科書を読むだけで丸暗記するところは、非現実的でありながら「元奨ならありそうだ」と思えた。またプロ棋士浅川が将棋以外はからっきしの音痴であるという設定もリアルだ。漫画『 将棋の渡辺くん 』を読めばわかるが、トッププロは著しく家事家政能力やその他の日常生活関連の知識や技能に乏しいことが多い(渡辺は徐々に料理ができるようになったようだが)。プロ棋士を変に天才や超人のように描かないところも、本作のテイストに合っていた。

 

浅川とAWAKEの決戦の緊張感は、リアルタイムで当時の対局を見守っていた頃のハラハラドキドキを思い起こさせてくれた。結末が分かっていても、それでも安心できない。当時の対局の空気感を本作は見事に蘇らせている。当時を知る人も知らない人も、人間とコンピュータが激突することの意味を改めて現代に問い直すために、本作を鑑賞されたし。

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ネガティブ・サイド

人間の、特に将棋に夢破れた人間の負の感情がストレートに吐露されたイベントだった電王戦の空気が再現され、棋士の姿も将棋ファンを満足させる程度には練り上げていた。決定的に欠けていたのは、電王戦に至るまでの歴史的な経緯だ。特にボナンザのソースコードが公開されたというくだりは不要だろう。そこに言及してしまうと渡辺明 vs ボナンザが存在したことになってしまう。そうするとドワンゴが主催する電王戦というイベントの重みが急に軽くなってしまう。また、清田のメンターでありパートナーとなる磯野は「将棋は完全情報ゲームだから、それを解明しても人類の進歩に寄与しない」と吐き捨てていたが、だったら何故全幅探査型のボナンザのコードにあれほど興奮するのか、不思議でならなかった。磯野がコンピュータ将棋に前のめりになるきっかけのようなものを30秒でよいので描くべきだった。

 

ボナンザという現実のソフトの名前を出しながら、GoogleがGeegloに、WikipediaがWakipediaになっているのもいかがなものか。変えるべきは阿久津や巨瀬氏の名前であって、その他の人物や事物、出来事については現実に即したもののままで良かった。また、「私は失敗などしていない。上手く行かない方法を1万通り見つけただけだ」と嘯いたのはトーマス・エジソンだが、何故か磯野はそれを息子のチャールズ・エジソンの言葉にしている。このあたりの現実世界とのシンクロしない点がリアリティを殺いでおり、そこが大いに不満である。

 

何名かの女性キャラクターもノイズだ。浅川の姉や磯野の妹は完全に不要なキャラ。もしも登場させるなら、もっと浅川や磯野のキャラクター背景を掘り下げるために使うべきで、残念ながら本作の本筋に彼女らの居場所はなかった。

 

重大なミスも散見された。2点だけ指摘する。電王戦前の浅川の段位が「七段」 、電王戦終局直後の記者の呼びかけが「浅川八段」、そして翌日の新聞の見出しでは「浅川七段」。この大ポカに脚本段階でも撮影段階でも編集段階でも誰も気付かなかったのだろうか。もう一点はとある縁台将棋的な場面。「それは教えてもらって打ってるんだぞ」という台詞が気になった。確かに直前には持ち駒を「打った」が、その次の手は盤上の駒を「指して」いたのではなかったか。上で「碁打ちや将棋指し」と敢えて書いたが、囲碁は打つ、将棋は基本は指す、持ち駒は打つものである。将棋の素人ならまだしも、『 聖の青春 』や『 3月のライン 』では決して見られなかったミスである。製作者側の取材や勉強が不足していると感じる。

 

最後に・・・プロのタイトル戦経験者と2枚落ちで指せるガキンチョとはいったい・・・6枚落ちではなく?プロと2枚落ちで指せる(≠勝てる)=アマチュア3段レベルで、小学生になったばかりぐらいの子が・・・はっきり言って藤井聡太レベルの器だろう。つまり、非現実的だ。最後にスクリーンに映し出されるキャプションも、「今日も人間同士の戦いは続いている」などで終わっていれば、電王戦だろうと伝統的な将棋だろうと、結局は人間と人間のぶつかり合いなのだな、と納得できたのだが。

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総評

日本将棋連盟も制作に協力していたようだが、実在のプロ棋士をモデルにしたと思しきキャラクターは数えるほどしかいない。将棋界の面白さは、1.将棋というゲームの面白さ、2.将棋指したち自身の面白さ、の二つで成り立っている。将棋というゲームの面白さを映画で描くことは困難だ。だが、将棋指しの面白さを伝えることは比較的容易だろう。テレビで加藤一二三を見て「このじいさん、面白い」と多くの人が感じているではないか。浅川や清田という人間にもっとフォーカスを当てた物語を作るべきだった。ライトな将棋ファンならまだしも、生粋の長年の将棋ファンをも唸らせるクオリティには本作は残念ながら達していない。

 

私的電王戦雑感

『 泣き虫しょったんの奇跡 』で以下のように述べていたので引用する。

 

元奨の残念さという点では、電王戦FINALで21手で投了した巨瀬亮一を思い出す。FINALはハチャメチャな手が飛び出しまくる闘いの連続で、特に第一局のコンピュータの水平線効果による王手ラッシュ、第二局のコンピュータによる角不成の読み抜け(というか、そもそも読めない)など、ファンの予想の斜め上を行く展開が続いた。特に第二局は、▲7六歩 △3四歩 ▲3三角不成 という手が指されていれば一体どうなっていたのか。

 

Jovianは個人的には巨瀬氏は28角を誘導されたからといって投了すべきではなかったと今でも強く思っている。劇中でも少年時代の清田が奨励会幹事に「自分の力でどうしようもなくなったら投了するんだ」と諭されていたが、それは明確な詰みがある、一手一手の寄りで受けがない、攻防ともに見込みがないなどの局面でのこと。とんでもない悪手を指したから投了というのが許されるのは、芸術家気質の強い棋士(例:谷川浩司)ぐらいのもの。最低限、飛車で馬がボロッと取られるところまでは指すべきだった。投了するならばそこの局面であるべきだった。本作を通じてプロ棋士の姿がほとんど見えてこないのは、それだけプロが電王戦、なかんずくAWAKEの開発者の巨瀬氏に複雑な感情を抱いているからだと見ることもできる。本作で提示される清田の葛藤にどれだけ共感できるか、そこは人によってはかなり難しいのではと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

awake

劇中では動詞として紹介されていたが、実際は形容詞として使われることの方が圧倒的に多い(動詞で“眠りから覚ます”、“覚醒させる”のならawakenを使う)。職場で眠気に襲われてコーヒーを淹れてくる際に

 

I need some coffee to keep myself awake.

眠らないようにするためにコーヒーが必要だよ

 

と一声かけてみよう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 吉沢亮, 寛一郎, 日本, 歴史, 監督:山田篤宏, 若葉竜也, 落合モトキ, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 AWAKE 』 -もっと綿密な取材を-

『 星屑の町 』 -映画の形をした舞台劇-

Posted on 2020年12月30日 by cool-jupiter

星屑の町 60点
2020年12月28日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:のん(能年玲奈) 大平サブロー ラサール石井 小宮孝泰
監督:杉山泰一

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『 私をくいとめて 』は劇場鑑賞できたが、こちらはたしか春に緊急事態宣言で見逃した。能年玲奈に再会したいと願い、近所のTSUTAYAでレンタル。思いがけないヒューマンドラマであった。

 

あらすじ

売れない歌謡グループ「山田修とハローナイツ」は、リーダーの修(小宮孝泰)の故郷に巡業にやってきた。修の弟・英二は、自分の息子とその幼なじみ・愛(のん)に結ばれてほしいと思っていた。けれども愛には東京に出て歌手になりたいという夢があった。ひょんなことから自分の父親が「ハローナイツ」にいるのではないかと考えるようになった愛はハローナイツへ加入したいと言い出し・・・

 

ポジティブ・サイド

のん、普通に歌が上手い。もちろん口パクなのだが、それはほとんどすべての音楽映画に当てはまること。特に感心したのはギターを弾きながらオーディションを受けるシーン。のんの新たな魅力を本作は開拓したと言える。

 

愛が一度上京して悪徳プロダクションに騙されたという背景情報も説得力がある。まるで能年玲奈からのんに改名するという現実世界での経緯が、本作のプロットを重複するように感じる。売れようと必死になることは決して否定されてはならない。大切なのは、売れようとする手段であり、そのためにいかに努力できるか。のんと愛がその点で大きく重なって見えた。

 

同じように、ナイツのボーカル役を務めた大平サブローも意外な歌唱力を披露。ナイスガイと見せかけたその裏に色々な因果を含めた男で、これも吉本の闇営業問題でのサブロー自身のコメントを思い起こさせる。売れることと売れないこと。そこに至る手段の是非は別として、売れることそのものは決して否定されるべきではない。

 

全編を通じて歌われる楽曲が一部を除いてノスタルジーを呼び覚ます。本格的な昭和の歌謡曲をなんとなくしか知らないJovian世代だが、1975年よりも前の生まれの世代なら、歓喜の涙に濡れる選曲になっているだろう。

 

ドラマパートも大いに盛り上がる。特にハローナイツの面々が小学校内の控室内で繰り広げる暴露劇の連続から生まれる緊張感は『 キサラギ 』の会話劇に勝るとも劣らない。各シーンを別アングルから撮影したのではなく、各アングルから複数のワンカットを撮影してつなぎ合わせたのだろうか。それほどの臨場感が生まれている。

 

地方と東京、若者と高齢者、男と女、個と集団。様々な対立軸が描かれ、時に衝突し時に融和する。これはなかなかの秀作である。

 

ネガティブ・サイド

歌のパートとドラマパートのつなぎが非常にぎくしゃくしていると感じられた。ある歌の歌詞にある“テールランプ”や“窓ガラス”などは、作中で効果的にそのビジュアルをいくらでも示すことができたはずだ。オリジナル曲の“Miss You”にしても同じで、この旋律をBGMに愛の幼馴染の男が農作業に勤しむ姿、あるいは愛の母親がスナックで一人寂しく食器を洗うシーンなどを挿入することで、歌のメッセージをより際立たせることもできたのにと思う。全体的に舞台をそのまま映画にしたようなもので、映画の技法(特に撮影における)が効果的に使われているとは言い難い。

 

全体的なトーンも一貫しない。のんの本格的な登場までが長すぎるし、のんが登場してもストーリーに本格的に絡んでくるまでが、またも長い。ナイツの面々の職人芸の域に達した丁々発止のやり取りは痛快ではあるが、そこへの力の入れ具合が強すぎる。これなら「のん」抜きで物語を作れてしまうではないか。愛の父親は誰なのか?それはナイツの中にいるのか?というサブ・プロットについても消化不良のまま終わってしまうのは頂けない。

 

また、個人的にはこの結末は受け入れがたい。愛がナイツに新規加入後、とんとん拍子に売れていく過程のあれやこれやや、ナイツの面々とのチームワークを醸成するシーンを描かないことには、愛の最後の選択に説得力が生まれないだろう。

 

歌詞が画面にスーパーインポーズされるのはありがたいサービスだが、一か所にミスが「二人で書いたこの絵、燃やしましょう」は、正しくは「描いた」である。

 

総評

のんの魅力は遺憾なく発揮されているものの、その絶対量が少ない。また、ストーリーのつなぎや一部キャラクターの心情や行動がぎくしゃくしてしまっている。けれど、古き良き歌謡曲が全編を彩り、今や遠くになりにけりな昭和という時代の懐かしむという意味では、本作は成功している。若い映画ファンはのんを、中年以上の映画ファンは歌謡に注目して観るのが吉である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

look back

「後ろを見る」の意。劇中でのんが「わだず、もう後ろは振り返らね」という台詞。物理的に後ろを向く場合と過去に目を向ける場合の両方に使う。後者の意味で使う場合は、look back on ~という形になる。使用例としてはOasisの『 Don’t look back in anger 』を聴いてほしい。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, C Rank, のん, ヒューマンドラマ, ラサール石井, 大平サブロー, 小宮孝泰, 日本, 監督:杉山泰一, 能年玲奈, 配給会社:東映ビデオLeave a Comment on 『 星屑の町 』 -映画の形をした舞台劇-

『 映画 えんとつ町のプペル 』 -下を向くな、上を見よう-

Posted on 2020年12月28日 by cool-jupiter
『 映画 えんとつ町のプペル 』 -下を向くな、上を見よう-

映画 えんとつ町のプペル 60点
2020年12月26日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:窪田正孝 芦田愛菜
監督:廣田裕介

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201228225204j:plain
 

キングコング西野がうんたらかんたらと言われているが、Jovianはクラシカルな芸人にしか知らない。テレビで観るのは大御所の漫才か吉本新喜劇ぐらいなのだ。本作はそのビジュアルとキャラクターに惹かれて鑑賞した。何の贔屓目も無しに良作と言えると思う。

 

あらすじ

常に煙に覆われたえんとつ町のゴミ集積場に流星が舞い降りた。その流星はゴミを引き寄せ、ゴミ人間(窪田正孝)に。ゴミ人間はえんとつ町でプペル(芦田愛菜)と運命的な邂逅を果たす。プペルは、かつて父が語っていた、晴れない空の向こうに星があることを信じていて・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201228225237j:plain
 

ポジティブ・サイド

冒頭からスタジオ4℃の絢爛豪華なアニメーションが映える。Jovianが知る最も古いスタジオ4℃の作品はゲーム『 エースコンバット04 』の紙芝居風CG劇だが、時代を経ることでこれほどに表現の幅が出てくるものなのかと素直に感心する。この映像体験は大画面でこそ体験されるべきだろう。

 

キャラクターの造形もなかなかだ。適度にデフォルメされたアニメ的な人物像、なかんずく主人公のルビッチは、庇護したいという気持ちを観る側に生じさせるだけではなく、その成長を見守りたいという気持ちにもさせてくれる。つぶらな瞳の奥底に意志の強さが垣間見えるのだ。相棒となるゴミ人間のプペルの形や声もいい。思わぬスペクタクルから始まる二人の友情に思わず胸が熱くなってしまった。というか、友達を通り越してお前らはもう戦友だろう?と感じてしまった。ルビッチとプペルの交流のすべてが実に微笑ましく、だからこそ生じる関係の亀裂とその真相が明かされるとき、我々は友情の本当の意味を知る。

 

えんとつ町の秘密も(一点を除けば)なかなかに練られていると思う。子どもなら異端審問所が悪、真実を追求するルビッチやプペルが善、という二項対立的な見方をすることもできるし、10代後半以上なら善悪や正誤以上に信念を貫き通すことの尊さを感じ取ることもできる。大人であれば、陳腐ではあるが、非常にダイレクトに閉塞感の横溢する日本社会批判になっていることに気付くだろう。

 

原作の絵本は未読だが、エンタメ映画としては良いペースで物語を展開できている。100分というのはちょうどよい塩梅に感じた。年末年始にちびっ子を映画に連れていくなら、ドラえもんよりも本作を選ぶべし。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20201228225304j:plain
 

ネガティブ・サイド 

Spectacularな映像という意味ではオリジナリティはまったくない作品である。えんとつ掃除の人夫が勢ぞろいしてアクションするのは『 メリー・ポピンズ 』で既視感ありありだし、トロッコによるスピード・アクションは『 インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説 』をどうしたって彷彿させるし、終盤の船のシーンはまんま『 アポカリプト 』と『 ハウルの動く城 』である。えんとつ町そのものもゲーム『 ファイナルファンタジーVII 』の都市ミッドガルに道頓堀と東大阪の要素を付け足したようなもの(これは大阪人なら感じ取れるはず。生粋の南大阪人のJovian嫁が感じたことで手、兵庫人のJovianも同じように感じた)。

 

えんとつ町の貨幣制度は非常に興味深いが、法定通貨の交換可能性を担保(あるいは強制)しているのは一体誰なのか。異端審問所?普通に考えれば、長い年月を経過するほどに物々交換制度に移行していきそうなものだが。世界史上における戦争の99%は経済戦争であるが、貨幣を奪おうとして戦争が起こった例などほとんど存在しない。狙われるのは資源であって貨幣ではない。なかなか練られた世界観だが、ここだけは決定的な違和感を覚えた。

 

ストーリー全体も『 天空の城ラピュタ 』と『 天国から来たチャンピオン 』のごった煮。せっかく映像はcinematicに映えているのだから、もっと映像で物語るべきだ。劇中に2~3度挿入される歌もノイズに感じた。語るのではなく感じ取らせる、映像と音楽と効果音と物語でそれを行う。それが映画である。ストーリーのメッセージ部分をナレーションで伝える最終盤の展開にもやや興ざめ。これでは本当に絵本か紙芝居だ。次回作以降では廣田裕介監督のoriginalityとcreativityに期待をしたい。

 

総評

各所のレビューでは絶賛コメントが溢れているが、おそらくかなりの割合がサクラだろう。良作ではあるが傑作ではない。もちろん、面白さの基準は人それぞれだが、映画という媒体として評価されるべき点(脚本、演出、撮影etc)に触れたものが非常に少ないところが気になる。オリジナリティの無さも癖の無さ、つまり万人に受け入れられやすい作りになっていると見ることもできる。すべては相対的なのだ。今後鑑賞される諸賢は、主人公ルビッチの言うように「見ていないのにどうして分かる?」というニュートラルな姿勢で臨まれたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

look up

上を見る、の意。Look up at ~で、~を見上げる、と言える。Look up to ~は本来は「~を尊敬する、敬愛する」の意味だが、同じように「~を見上げる」の意味で使われることがあるのは『 ボヘミアン・ラプソディ 』の“Open your eyes, look up to the skies and see”の歌詞からも分かる。他にもlook ~ up in a dictionary = ~を辞書で調べる、という用法もある。別にa dictionaryのところはwikipediaでもdatabaseでも何でもよい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, アドベンチャー, アニメ, 日本, 監督:廣田裕介, 窪田正孝, 芦田愛菜, 配給会社:吉本興業, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 映画 えんとつ町のプペル 』 -下を向くな、上を見よう-

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