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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 国内

『 エターナルズ 』 -スーパーヒーロー映画の限界か-

Posted on 2021年11月12日 by cool-jupiter

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エターナルズ 30点
2021年11月6日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ジェンマ・チャン アンジェリーナ・ジョリー マ・ドンソク
監督:クロエ・ジャオ

 

『 アベンジャーズ / エンドゲーム 』以後、はじめて新キャラを本格的に導入する本作。だが、過去のスーパーヒーロー作品のパッチワークにしか見えなかった。個人的には、霧の良いところでMCUから離脱してもいいのかなという気持ちになった。

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あらすじ

宇宙の創世期。セレスティアルは太陽を生み出し、生命を育む星々を育てた。しかし、そこにはデヴィアントという想定外の凶悪な生物も生まれてしまった。セレスティアルのアリシェムは地球に巣食うデヴィアントに対処するため、エイジャックやイカリスらのエターナルズを地球に送り込んだ。以来7000年間、エターナルズはデヴィアントから地球人を守護してきた。そして、サノスとアベンジャーズの戦いが終わった今、再びデヴィアントたちが姿を現わして・・・

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ポジティブ・サイド

『 シャン・チー テン・リングスの伝説 』から、明らかにMCU(というかディズニーか)もアジア系のオーディエンスへの配慮を始めている。『 クレイジー・リッチ! 』の嫌味な元カノが実質的な主役だし、我らが鉄拳オヤジのマ・ドンソク、『 ビッグシック ぼくたちの大いなる目ざめ 』のクメイル・ナンジアニの起用など、明らかに diverstiy と inclusion を意識している。なぜ地球の危機を西洋人だけが解決しようとする、あるいは解決する力を持っているのかは、常々西洋世界以外を困惑させていた。地球の危機には地球規模で対処すべきで、映画界もその方向にシフトしていっているのだということ、MCU新フェースの作品が基軸として打ち出してくれたことは素直に評価したい。

 

『 アイアンマン2 』や『 キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー 』あたりから顕著にヒーローの人間部分にフォーカスし始めたが、本作でもエターナルズの面々の人間的な面を描くことに腐心していた。『 ワンダーウーマン 』が切り開いた女性というヒーローが主役を張るという方向性が成功を収めたことで、マイノリティをヒーローにするのは個人的にはありだと思う。同性愛者や聴覚障がい者がヒーローというのも、バービー人形に車椅子バージョンや義肢装着バージョンがあったり、子供向けアニメ番組の主役が補聴器装用者(Super Rubyなど)だったりすることを知っていれば、このあたりの印象はガラリと変わることだろう。

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ネガティブ・サイド

以下、ネタバレあり

一番の不満はエターナルズの面々の強さがよく分からないところ。というか強そうには見えないのに「俺たちはアベンジャーズより全然強いんだが?」的な言葉をポンポン発するところが意味不明。別にJovianはアベンジャーズを贔屓にしているわけではない。ただ「サノスも俺たちが出張っていればなあ」やら、「アベンジャーズからキャプテン・アメリカもアイアンマンもいなくなったから、お前リーダーやってくれば?」のような会話は、白けるばかりだ。強さのインフレはある意味しゃーないとはいえ、ここまで露骨に言葉で説明する必要があったのかどうかは疑問だ。

 

そもそもデヴィアンツの強さがよく分からない。縄文時代ぐらいの人間を襲っていたのだろうが、これでは強さが分からない。それこそ『 アベンジャーズ 』でハルクが一撃KOしたリヴァイアサンのような巨大な敵、太古の怪獣のような存在であれば、まあ分かる。けれど実際は現代の普通の銃器でそれなりダメージを与えられる相手。これを倒すためにエターナルズが送り込まれてきたとなると、「エターナルズってホンマは弱いんちゃうの?」と感じざるを得ない。

 

冒頭のエターナルズの面々のデヴィアンツとのバトルも既視感ありあり。スーパーマンにクイックシルバーまたはフラッシュ、ミスティーク、アイアンマンなどなどで、「いや、これもう散々観ただろ」というシーンのオンパレード。普通のSFアクションものならド迫力のシーンなのかもしれないが、スーパーヒーローものとしては陳腐の一言。マ・ドンソクといえば確かに鉄拳なのだが、それはもうハルクだけで十分。

 

エターナルズの面々の能力全般にポテンシャルが感じられないのが痛い。ドルイグのマインド・コントロールというのは人間だけに効いて、デヴィアンツには効かないのか?だったら、その能力を使って一体セレスティアルは何をしろと言いたいのか。ファストスも科学技術の天才であるならば、核兵器の開発を嘆くのではなく、それよりもっと前の段階で太陽光発電やら地熱発電の sustainable energy といった領域の技術をバックアップしときなさいよ。スプライトも成長したいだとか恋がしたいだとか言うなら、バーで幻影を使って男をひっかけるのではなく、(見た目の上で)同世代の男(女でも可)とデートして、初々しくキスに失敗する、あるいはやたらとキスがうまくて相手がドン引きする、などの描写がないと説得力が生まれない。

 

人間的なヒーロー像の追求は別に結構だが、ゲイのカップルの物語などは、次回作以降にじっくりと掘り下げるべきで、本作のように一人一人のエターナルズの面々の背景にフォーカスしてしまうと、時間がいくらあっても足りない。実際に本作は2時間半の長丁場でありながら、最も求められているはずのアクションがあまりにも中途半端で、エンターテイメントとして大いに不満が残る。かといって個々の背景についても掘り下げは中途半端である。

 

宇宙規模の壮大なスケールの物語ではあるが、これはすでに『 ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス 』で使われたネタで、新鮮味はなかった。また、デヴィアンツがあまり強くないことから、エターナルズ同士が争わざるを得なくなるが、これも『 シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ 』で既に使われたネタである。

 

サノスの弟もいらない。次のフェイズに行くなら、前のフェイズのラスボスネタは引っ張らなくていい。または前のフェイズのラスボスを落とすことで、次の敵の格を上げようとしなくていい。もうここまでくると、ストーリーを紡いでいるのではなくマーチャンダイズに使えるキャラを登場させているようにしか見えない。次作のクオリティ次第ではMCUから抜けてもいいような気がしてきた。

 

総評

MCUもネタ切れに近いのだろうか。何もかもが既視感ありありだった。ぶっちゃけ『 ファンタスティック4(1994) 』(ところで何回再映画化されるの?)と同レベルの作品に思える。ここまで来たら、もうデッドプールやゴーストライダーもMCUに放り込んで、『 怪獣総進撃 』みたいなハチャメチャ展開にしてもらいたい。本作はかなり好き嫌いが別れることだろうが、MCUになじみのない人にお勧めできない。これだけは断言できる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

move in 

引っ越しする、の意。たいていの場合、だれか意中の相手のいる街へ引っ越したり、あるいは同居や同棲を開始するための引っ越しのために使う。古い洋楽を好む人なら、イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリーの『 秋風の恋 』(I’d Really Love to See You Tonight)のサビの歌詞、I’m not talking bout moving in, and I don’t wanna change your life. で知っていることだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, アクション, アメリカ, アンジェリーナ・ジョリー, ジェンマ・チャン, マ・ドンソク, 監督:クロエ・ジャオ, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 エターナルズ 』 -スーパーヒーロー映画の限界か-

『 ひらいて 』  -閉じこめられた気持ちの人々に贈る-

Posted on 2021年11月7日 by cool-jupiter

ひらいて 70点
2021年11月3日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:山田杏奈 佐久間龍斗 芋生悠
監督:首藤凜

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普通のヒロインを決して演じない期待の若手、山田杏奈。あらすじも予告編も観ず、チケット購入。

 

あらすじ

同じクラスのたとえ(佐久間龍斗)に密かに恋焦がれる愛(山田杏奈)。ある時、龍斗が隠し持つ手紙を盗み、彼が同じ学校の美雪(芋生悠)と付き合っていることを知る。複雑な想いを抱いた愛は、美雪に近づき、友達となっていくが・・・

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ポジティブ・サイド

山田杏奈が相変わらず良い。普通のヒロインは市場に溢れかえっているが、この年齢で普通ではない役ばかりを演じるのは本人も事務所も本格派志向である証明だろう。無邪気な笑顔と邪悪な笑顔を一本の作品の中で繊細に、しかし大胆に使い分けられる女優は多くはない。首藤監督の演技指導もあるのだろうが、愛という複雑な女子高生のリアリティをしっかりと引き出した。

 

対する薄幸の美少女然とした芋生悠の存在感も素晴らしい。『 ピンカートンに会いにいく 』に出演していたそうだが、印象には残っていない。しかし『 ソワレ 』や『 ある用務員 』など、Jovianが観たいなと感じていながら観る機を逸した作品で主役級を演じている。本作でも病気持ち、友達なし、かつ秘密の恋人がいる女子高生という役柄で、強烈な印象を残している。その多くは、純朴そうに見える笑顔と、戸惑いと好奇心のはざまでもだえる表情、そして強い拒絶を雄弁に物語る目の力による。美少女という印象は受けないルックスだが、実際の高校の教室にいれば、クラスで2番か3番目くらいの可愛らしさだろうと思う。

 

PG12というよりも、PG15ぐらいじゃないのかというシーンが出てくるが、もっと邦画全体でこういうシーンはあっていい。少女漫画系の映画では、ヒロインのライバルが相手の男に色仕掛けを使ったりするが、愛は龍斗と美雪に肉体関係がないと知るや、その両方と関係を持とうとする寝業師。綿矢りさの描く女性キャラはどれもこれも一筋縄ではいかないが、身勝手であざとく、それでいて純な乙女心のようなものも併せ持つキャラを山田は好演した。

 

タイトルの『 ひらいて 』を動詞の命令形と解釈するべしということがオープニングで示唆されるが、最後にはこの『 ひらいて 』は、愛が心を開いた状態で、ということを意味する接続助詞に見えてくる。一筋縄ではいかないヒロイン像を追究しようとする山田杏奈の面目躍如たる作品。

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ネガティブ・サイド

各家庭にもう少しフォーカスがあっても良かったように思う。美雪は母親が鍋を調理する傍らで、進学を機に東京に出たい=家を出たいという願望を吐露するが、そこは母に「お父さんが帰ってきたら」とかわされる。愛も、かなり暗くなるまでゲーセンで遊んでいたり、深夜に家を抜け出したりと、かなり奔放な家庭にいるが、逆の見方をすれば親は子供に無関心とも言える。こうした閉塞的、窮屈な環境についての描写がもう少しあれば、なぜ家や街を出たいのかがより鮮明に伝わる。やや同工異曲の感のある『 君が世界のはじまり 』の方が、そのあたりの環境と心理の変化の描写が巧みだった。

 

夜の教室で愛がたとえに拒絶されるシーンのセリフがぎこちなかった。原作を尊重したのかもしれないが、映画のセリフではなく小説のセリフというか、異様に芝居がかったセリフ回しで、緊張感のあるシーンの雰囲気が壊されていると感じた。

 

総評

粗はあるが、そこは主人公の愛と同じく、本作も奇妙なパワーで前進していく。愛というキャラクターを同一視するのは難しいが、青春の一時期、恋という感情に文字通りに狂わされるというのは、程度の差こそあれ、誰にでもある話。愛と美雪、愛とたとえの関係は極端であっても特異ではない。コロナ禍によって閉塞感が増した世の中だが、理屈ではなく気持ちで動いていくキャラの物語というのも、今という時代に案外マッチしているのかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

diabetes 

「糖尿病」の意。発音はダイアビーティーズ。アクセントはビーに置く。学生ならまだしも、塾や予備校だと、ディアベテスやらダイアビーツと発音するトンデモ講師が結構いる。いくらでも発音チェックするツールがあるのだから、そうしたものを活用できないエセ英語講師は退場してほしいと思う。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, 佐久間龍斗, 山田杏奈, 監督:首藤凜, 芋生悠, 配給会社:ショウゲート, 青春Leave a Comment on 『 ひらいて 』  -閉じこめられた気持ちの人々に贈る-

『 そして、バトンは渡された 』 -トレイラーを観るべからず-

Posted on 2021年11月7日2021年11月7日 by cool-jupiter

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そして、バトンは渡された 20点
2021年10月31日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:永野芽郁 石原さとみ 田中圭
監督:前田哲

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トレイラーを観て「なるほど、大体こういうストーリーのはずだが、どこかでひねりを入れてくるに違いない」と期待して、チケット購入。ひねりは全くなかった。感動の押し売りは結構である。

 

あらすじ

いつでも笑顔の優子(永野芽郁)は、血のつながらない父、森宮さん(田中圭)と二人暮らし。これまでに苗字が4回も変わったことから、学校に友達もいない。ある時、優子は卒業式の合唱のピアノを担当することになる。そこで出会った同級生の早瀬のピアノ演奏に、優子は心を奪われて・・・

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ポジティブ・サイド

みぃたんを演じた子役の稲垣来泉が印象に残った。子どもと動物は時々予想のはるか上を行くことがある。稲垣が演じることでみぃたんというキャラの健気さ、気丈さ、明るさ、そして憂げな感じが巧みに描出されていた。

 

田中圭は『 哀愁しんでれら 』とは全く違うテイストが出せていた。今後は『 アウトレイジ 』の椎名桔平のような武闘派ヤクザ役に期待。

 

一応、色々な伏線的なものがフェアに張られているところは評価したい(ちょっとあからさますぎだとは思うが)。

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ネガティブ・サイド

 

以下、ネタバレあり

 

原作小説は未読だが、映像化に際してかなり改変されていることだろう。改悪と言うべきか。本というのは自分のペースでページをめくっていくことができるので、物語を自分なりに消化しながら進んでいくことができる。本作はペーシングの面でかなりの問題を抱えている。2時間17分の作品であるが、体感では2時間40分ほどに感じた。前半と後半でもっとメリハリをつければ2時間ちょうどにできたはず。『 いのちの停車場 』でも感じたことだが、削るべきは削らねば。

 

キャラの行動原理が色々と意味不明だ。大森南朋演じる最初かつ実の父親のあまりの無軌道ぶりに本気で怒りを覚えた。「家族なら俺の夢についてこい!」って、アホかいな。いや、夢を持つことは全然否定しないし、むしろ素晴らしいし応援したい。問題は、ブラジル行きを誰とも相談することなく決め、また勝手に会社も辞めてしまったこと。若気の至りで済ませられるものではない。また若気の至りと言えるような年齢のキャラでもない。普通に成熟したカップルでも、パートナーにそれをやられたらかなりの確率で破局だろう。それに梨花の病気のことを知っていながら、気候も食事も言語も文化も違うブラジルに移り住もうというのは、非人間的とすら感じる。手紙のやりとり云々を絡めて美談にしようとしているが、やってしまったことが社会人失格、家庭人失格なので、終盤の父親巡りで「はい、ここで感動してくださいよ」というシーンではひたすらに白けるばかりであった。

 

田中圭演じる森宮さんの価値観もおかしい。いや、森宮さんというか原作者や脚本家の思想かな。やたらと「俺は父親なんだから」と口にし、職場では損な役回りながらも真面目に働き、家では料理を始め家事もこなす。再婚することなく、女の影もなく、酒も断って、子育てに邁進する。それは美しい。けれど、それが全て「バトン」を渡すためって何やねん。優子はモノ扱いなのか。しかも、渡す先の男に優子も森宮もそろって「ピアノ弾け」って、音大なめてるやろ。芸術の分野で一回レール外れてから元に戻るのがどれだけ大変か。そこから音楽一つで食っていけるようになるのがどれだけ大変か。しかも預金たんまりの通帳を渡しておきながら「これから大変だぞ」って、思いやりなのか嫌味なのか。こんな風に感じるのはJovianがひねくれ者だからなのか。いやいや、優子自身も大手レストランをあっさり自分から辞めているわけで、料理人でも音楽家でも、一本立ちへの道のりは険しい。それを分かっていて、片方に甘く、片方に厳しいというのは、古い父親像と新しい父親像が悪い意味で混淆している。自分というものがない、単に物語を都合よく進めていくだけのデウス・エクス・マキナとしか思えなかった。

 

ストーリー以外の演出面でも不満が残る。ピアノにフォーカスするのなら、いっそのこと劇中BGMは全部ピアノにしてしまうぐらいの思い切りがあっても良かったのではないか。また優子がピアノを好きになるシーンの演出も弱く感じた。友達がピアノを習っているから、というくだりは不要であると感じた。母子家庭になってしまったことで、友達の親が「みぃたんとはあまり付き合っちゃいけません」的なことを言うシーンがあり、さらに傷心のみぃたんがピアノの音に癒され、ピアノを心底好きになる。そんなシーンが望ましかった。雨の中でピアノの音に合わせて踊るみぃたんはシネマティックだったが、ここをそれこそ『 雨に唄えば 』のジーン・ケリー並みにみぃたんを躍らせていれば、みぃたんにとってのピアノの意味がもっと大きくなり、そのピアノを弾く早瀬くんへの思慕も大きくなった。これならもっと説得力があった。

 

石原さとみの梨花という母親像の好き嫌いは言うまい。ただ『 母なる証明 』のキム・ヘジャや『 MOTHER マザー 』の長澤まさみのような強烈な母性があったかというと否である。母親であろうとする姿に絶対性がなかった。

 

総評

世間の評価がやたら高いが、これこそ典型的な感動ポルノでは?邦画の悪いところが全部詰まった作品にしか思えなかった。キャラの行動原理が、自分自身の思考や信念、哲学に基づいたものではなく、観る側を感動させるためには何が必要か、で決まっているように見えて仕方がなかった。まるで昔の徳光和夫の感動押し売り家族再会バラエティーを見ているかのよう。Jovianがひねくれているのか、それとも予定調和の感動物語の需要が高いのか。まあ、両方だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

give someone away

someone =「誰か」だが、ほとんどの場合、ここには bride =「花嫁」が入る。『 マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー 』でソフィが、”Who’s gonna give me away?”というシーンがあったが、これは「結婚式の場で父が娘を新郎に手渡す」という意味である。ごく限定されたシチュエーションでしか使わない表現だが、知っておいて損はない。give ~ away は、「~をどんどん与える」というコアのイメージを押さえておけば、『 プラネタリウム 』でも触れた”Maybe your smile can lie, but your eyes would give you away in a second.”の意味もすぐに類推できるはずである。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, E Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 永野芽郁, 田中圭, 監督:前田哲, 石原さとみ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 そして、バトンは渡された 』 -トレイラーを観るべからず-

『 CUBE 一度入ったら、最後 』 -クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補-

Posted on 2021年10月25日 by cool-jupiter

CUBE 一度入ったら、最後 10点
2021年10月24日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:菅田将暉
監督:清水康彦

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低予算シチュエーション・スリラーの金字塔『 CUBE 』の日本版リメイク。というよりも世界初のリメイク。類似の作品は当時から今まで陸続と生み出されてきたが、今というタイミングで日本がリメイクするからには、相当凝ったアイデアがひねりだされたのだろうと好意的に解釈して劇場へ。

あらすじ

後藤(菅田将暉)は、目が覚めると謎の部屋の中にいた。そこでは自分と同じように、訳も分からずこの場所に連れてこられた人間たちがいた。彼らは脱出を試みるが、部屋によっては致死的なトラップが仕掛けられいる。果たして生きて脱出できるのか・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭の男の死に様は、まあ及第点か。原作ではいきなりサイコロステーキにされていて、その衝撃とおぞましさゆえに、我々は一気にキューブという謎の領域のとりこになった。今作の冒頭シーンを見てJovianは不謹慎にも『 フード・ラック!食運 』や『 THE 焼肉 MOVIE プルコギ 』を思い起こしてしまった。鑑賞後に妻を焼肉に誘ったが、変な目で見られてしまった。

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ネガティブ・サイド

以下、ネタバレあり

何というか、何がしたいのかさっぱり分からない作品。随所に原作の良さを消して、邦画のダメなところが前面に出てしまっている。予告編で語られていた職業年齢が、本編ではほとんど触れられない。原作では職業・肩書とキャラのキューブ内で果たすべき役割がかなりの程度リンクしていたが、こちらのリメイクはその設定を完全無視。なぜか喋らない中学生も、深い設定などなく単なる人見知りって、脚本家はアホなんかな。

岡田将生の内面を表現するのに部屋の色をその都度変えるのも、観る側を馬鹿にしている。オリジナルでは人間関係のいざこざは赤い部屋で起きていて、それがゆえにカザンは青の部屋を好んでいた。人間を状況や背景に合わせるべきなのに、背景や状況を人間に合わせている。「こうすべれば分かりやすいでしょ?」とでも言いたいのだろうが、キューブの魅力の多くは、その意味不明さ、理解不能性から来ている。同時に、いかに人間が状況によってその行動や思考を変えられてしまうかの象徴でもある。そこを敢えて分かりやすくするというのは、ありがた迷惑というやつであるし、キューブという構造の本質を見誤っている。

死のトラップについても大いに不満が残る。特定の人間の感情に反応してトラップが発動したり、発動しなかったというのは、もはや単なるご都合主義にしか見えない。原作の面白さの一つに、素数を含む数字の部屋は罠(だが、実際は素因数の種類が1つなら罠)という、人間の感情を露わにしていくキューブという領域で、理性と論理が大いなる武器として働く、そしてそれが大きな落とし穴になっているということが挙げられる。こうすれば大丈夫だけれど、一歩間違えれば死ぬ。その緊張感があったればこそ、原作のクエンティンは絶対に音や声を出してはいけない部屋の場面で、カザンに対してマジ切れした。トラップを辛くも逃れることはあっても、場合によってはトラップが発動しないなどということは絶対にあってはならないのである。ついでに言うと、音を立ててはいけない部屋でBGMを流すとか、監督はアホなんかな。

他にも気になったのはキャラの死にざま。特に斎藤工。体のその部位に大ダメージを受けたとて、その瞬間に吐血などありえない。それを必要以上にスローモーションかつ顔面アップにする必要性もない。死ぬときは淡々と死んでいく。それが『 CUBE 』の良さであり、低予算ホラーや低予算シチュエーション・スリラーの様式美なのだ。そうすることによって、次に誰が死ぬか分からないという緊張感が生まれるわけだ。『 ザ・ハント 』のエマ・ロバーツがヨーイドンで、しかも何の特別な演出もなく死んだことで、観る側は「一体全体これから何がどうなるのだ?」というスリルとサスペンスを味わえるわけで、キャラの死に特別な演出を施してしまうと、「ああ、ここからはしばらく誰も死なないのね」と、逆に中だるみを作ってしまう、

岡田将生と吉田鋼太郎もギャーギャーうるさいだけ。最初は60代は20~30代を踏みつけて生きているということに内心で激しい憤りを描いているキャラなのかと思うシーンがあったが、それを全部事細かに言葉にしてどうする。世代間格差は確かに日本的なテーマであるが、『 CUBE 』という世界的なネームバリューのある作品のリメイクを、世界ではなく日本に問おうというスケールの小ささが気に入らない。もしそれをやりたいのなら、それこそ日本的な陰湿さや、慇懃丁寧さの中に垣間見える悪意のようなものを際立たせるべきで、単に極限状況に置かれたキャラが発狂してワーキャー言うだけでは、凡百のシチュエーション・

スリラーと何も変わり映えしない。

菅田将暉のキャラに変なバックグラウンドを持たせる必然性も無し。なんでここで超絶駄作『 秘密 THE TOP SECRET 』的な映像を見せられねばならんのか。さらにこれは『 CUBE 』のリメイクのはずが、なぜか『 キューブ2 』の要素まで入り込んでいるではないか。

杏のキャラクターが最後に問いかける対象が見えてしまってはダメだ。ここまで徹底的に日本という特有のマーケット向けに作ったからには、最後の最後に語りかける相手は劇場鑑賞者、あるいは配信やディスクメディアの視聴者であるべきだ。つまりは第四の壁を突破するべきだった。それならこのような中途半端なメッセージにも意味は見いだせる。日本という小さく狭い箱庭に閉じ込められた八方ふさがりなあなたたち。一度の失敗ですべてがダメになる理不尽な社会。皆で協力して生き延びられますか?これなら分かる。しかし、最後の最後の絵では、鑑賞者は当事者ではなくあくまで観測者。これではキューブという領域に観る者を誘いこめない。なぜこんな引きにしたのか、不思議でならない。

星野源の主題歌がローカリゼーションに拍車をかける。誰の要望でこんなテイストの楽曲に?原作観たか?あるいは本作すら観たか?あるいはコンセプト聞いたか?清水監督は観終わった観客にどういう感情を抱いてほしいのか?あるいは、観客のどういった情動を引き出したいのか?星野源は悪いアーティストではないと思うが、エンディング曲は完全に out of place だった。

総評

残念ながらリメイク失敗である。分かってはいたけれども大惨事に仕上がってしまった。少なくともJovianが期待する水準ではなかったし、真新しいアイデアもなかった。『 おとなの事情 スマホをのぞいたら 』のように、各国に特有のアイデアを持ち込める原作ではないし、かといってローカルな社会事情を反映させるには『 ザ・ハント 』のような過激なグロ描写による露骨な格差描写もなかった。総てが中途半端以下。直近で鑑賞した『 ビースト 』や『 殺人鬼から逃げる夜 』が世界のマーケットを意識して作られているのに対し、完全に内向きなオーディエンスしか意識できない邦画という残酷なコントラストが際立ってしまった。原作を知らないなら、鑑賞もありだろう。だが、その場合、極力割引やポイントで鑑賞すべし。Jovianはポイントでタダチケをゲットした。こんな映画に興収を上げさせてはならない。

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Sorry, no lessons. I need to forget this steaming load of bullshit ASAP.

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, F Rank, シチュエーション・スリラー, 監督:清水康彦, 菅田将暉, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 CUBE 一度入ったら、最後 』 -クソ映画・オブ・ザ・イヤー候補-

『 GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 』 -先見性に満ちた傑作SF-

Posted on 2021年10月10日 by cool-jupiter

GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 85点
2021年10月7日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:田中敦子 大塚明夫 山寺宏一
監督:押井守

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緊急事態宣言の解除は喜ぶべきことだが、明らかにノーマスクの人間や、あごマスクで飛沫を飛ばす人間も増えた。映画館好きとしては、以前のような人手の少なさや間隔を空けての崎瀬販売が望ましかったが、そうも言ってはいられない。ならば人が少ない時間帯を狙って、本作をピックアウト。

 

あらすじ

近未来。全身を義体化した公安9課の少佐こと草薙素子(田中敦子)はサイバー犯罪や国際テロと日々戦い続けていた。ある時、国際指名手配されている謎のハッカー「人形使い」が日本に現われ、草薙素子は相棒のバトーやトグサらと共に捜査に乗り出すが・・・

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ポジティブ・サイド

新劇場版の『 攻殻機動隊 』はビジュアルからして「うーむ・・・」だったし、スカーレット・ジョハンソン主演の『 ゴースト・イン・ザ・シェル 』は原作および本作にあった哲学的命題を完全無視していて、これまた「うーむ・・・」だった。そこで初代アニメーションの本作である。確か公開当時リアルタイムでは鑑賞できず、WOWOWで放送されたのを家族で観たんだったか。その後、大学の寮でもジブリアニメ研究にやってきたスコットランド人と一緒に観た。

 

3度目の鑑賞で最初に強く印象に残ったのは、バトーが素子に向ける視線。いや、視線を逸らすところと言うべきか。冒頭で素子がいきなり服を脱ぎ捨てるところからして面食らうが、その直後に素子の全身が義体であることを散々に見せつけられる。にもかかわらず、バトーは素子の裸から思わず目をそらす。確か高校生および大学生のJovianも、いたたまれなさを覚えたように記憶している。すぐそばに家族や友人がいたということもあるだろう、けれど、今の目で見て思ったのは「なぜバトーは全身サイボーグの素子の裸を観ることに羞恥心あるいは罪悪感を抱くのか?」ということである。

 

これは難しい問いである。一つにはバトーは生身の女性の裸に反応したわけではなく、女体という「記号」に反応したと考えられる。もう一つには、素子が恥じらわなかったということも挙げられる。素子の側が「見るな」という素振りを見せたり、あるいは言葉を口にしていれば、「でもそれって義体じゃねーか」という反論が可能になる。つまり、居心地の悪さを感じるのは自分ではなく素子の側となる。人間が人間であるためにはどこまでの義体化が許容されるのか。漫画『 火の鳥 復活編 』からの変わらぬテーマである。人間と機械の境目はどこにあるのか。生命と非生命の境界はどこなのか。全編にわたって、そのことが静かに、しかし雄弁に問われている。

 

生命哲学=命とは何かという問いは20世紀初頭から盛んに問われてきていたが、1990年代前半の時点で、インターネット=膨大な情報の海という世界観の呈示ができたのは、士郎正宗や押井守の先見性だと評価できる。若い世代には意味不明だろうが、Windows95以前の世界、PCで何をするにもコマンド入力が求められた時代だったのだ(その時代性は指を義体化させ、超高速でキーボードをたたくキャラクター達に見て取れる)。直接には描かれることはないが、ネット世界の豊饒さと現実世界の汚穢が見事なコントラストになっている。『 ブレード・ランナー 』と同じく、きらびやかな摩天楼と打ち捨てられた下流社会という世界観の呈示も原作者らの先見性として評価できるだろう。

 

本作が投げかけたもう一つの重要な問いは「記憶」である。自己同一性は「意識」ではなく「記憶」にあるということを、本作はそのテクノロジーがまだ本格的に萌芽していない段階で見抜いていた。現に人格転移ネタはフィクションの世界では古今東西でお馴染みであるが、1990年代においては西澤保彦の小説『 人格転移の殺人 』でもゲーム『 アナザー・マインド 』でも、移植・移動の対象は意識であって記憶ではなかった。だが、記憶こそが人格の根本であり、それを外部に移動させられるということが人類史上の一大転換点だったという2003年の林譲治の小説『 記憶汚染 』まで待たなければならなかった。ここにも本作の恐るべき先見性がある。

 

原作漫画において「結婚」と表現された、素子と人形使いの出会いと対話であるが、生命の本質を鋭く抉っている。『 マトリックス レボリューションズ 』でエージェント・スミスが喝破する”The purpose of life is to end.” = 「生命の目的とは終わることだ」という考えは、間違いなく本作から来ている。ウォシャウスキー兄弟(当時)も、本作の同作への影響を認めている。サイバーパンクであり、ディストピアであり、期待と不安に満ちた未来へのまなざしがそこにある。劇中およびエンディングで流れる『 謡 』のように、総てが揺れ動き、それでいて確固たる強さが感じられる作品。日本アニメ史の金字塔の一つであることは間違いない。

 

ネガティブ・サイド

都市の光と影の部分にフォーカスしていたが、地方や外国はどうなっているのだろう。特に序盤で新興の独裁国へのODAの話をしていたが、そこにもっと電脳や義体の要素を交えてくれていれば、これが全世界的な未来の姿であるという世界観がより強化されたものと思う。

 

「感度が良い」とされる9課の自動ドアであるが、いったい何に感応していたのだろうか。赤外線ではないだろうし、重量でもない。だとすればいったい何に?

 

総評

4K上映とはいえ、元がCGではなく手描きであるが故の線の太さや粗さは隠しようがない。しかし、面白さとは映像美とイコールではない。ごく少数の登場人物と実質ひとつの事件だけで、広大無辺な情報と電脳、そして義体化の先の世界にダイブさせてくれる本作こそ、クールジャパンの代名詞であろう。クールジャパンとは博物館のプロデュースではなく、ユニークさのプロデュースである。『 花束みたいな恋をした 』で神とまで称された押井守の才能が遺憾なく発揮された記念碑的作品。ハードSFは苦手だという人以外は、絶対に観るべし。ハードSFは苦手な人は、2029年に観るべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a ghost from the past

ゴーストというのは亡霊以外にも様々な意味がある。a ghost from the past というのは、しばしば「過去の亡霊」と訳され、忌まわしい過去を呼び起こす存在が今また目の前に現れた、という時に使われることが多い。ただ必ずしもネガティブな意味ばかりではなく、単に長年であっていなかった知人に久しぶりに会ったという時に、相手を指して a ghost from the past と言うこともできる。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1990年代, A Rank, SF, アニメ, 大塚明夫, 山寺宏一, 日本, 田中敦子, 監督:押井守, 配給会社:バンダイナムコアーツLeave a Comment on 『 GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 』 -先見性に満ちた傑作SF-

『 護られなかった者たちへ 』 -人と人とのつながりの在り方を問う-

Posted on 2021年10月3日 by cool-jupiter

護られなかった者たちへ 75点
2021年10月2日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:佐藤健 阿部寛 清原果耶 倍賞美津子
監督:瀬々敬久

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『 糸 』や『 友罪 』のように、社会問題とエンタメの両立を常に志向する瀬々敬久監督の作品に阿部寛と佐藤健、そして清原果耶が出演するということでチケット購入。

 

あらすじ

宮城県仙台市若葉区で、役所の生活支援課職員を対象にした連続殺人事件が複数発生。県警捜査一課の変わり者と呼ばれる笘篠(阿部寛)は、捜査の過程で利根(佐藤健)という男にたどり着く。そして利根の過去には、震災発生当時、避難所で知り合った老女と少女がいたことが分かり・・・

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ポジティブ・サイド

始まりからして非常に暗く、重苦しい。それもそうだ。あの大震災からわずか10年半しか経過していないのだ。震災および津波が日本にもたらしたものとして、地域共同体への物理的なダメージと人間への心理的・精神的なダメージの両方がある。本作は前者が後者にいかにつながっていってしまったかを、敢えて説明せず、しかし着実にストーリーの形で見せていく。

 

冒頭、果てしなく薄暗いスクリーンの中の世界であるが、倍賞美津子演じる遠島けいさんというおばあちゃんの温もりに救われる。『 母が亡くなった時、僕は遺骨を食べたいと思った。 』でも発揮された倍賞美津子の母性溢れる包容力は健在である。母親を失くしてしまった少女かんちゃんと、そもそも母親を知らない利根の、奇妙な連帯が本作の見どころ。3人が素うどんをすするシーンは、我々が忘れつつある、あるいは忘れてしまった家族の在り方だろう。

 

震災の地に帰ってきた刑務所上がりの利根。殺人事件の発生。犯人を追う笘篠ら、宮城県警。これらをつなぐ要素として社会福祉、なかんずく生活保護制度がある。そして、その制度の運用についての闇が明らかにされる。ただ勘違いしてはいけないのは、生活保護の不正受給というのは確かに問題だが、おおよそこの社会の制度で悪用されていないものなどない。求人サイト経由できた有望そうな人材に面接の場で「今日このままハローワークに行って、そこから再応募してほしい。すぐに内定を出すから」と伝える中小企業などいっぱいあるのだ。

 

生活保護を「恥ずかしい」と感じてしまう。ここに日本人的な精神の病根がある。不正に受給するのが恥ずかしいことなのであって、正当に受給することに恥を覚える必要などない。それでも生活保護を指して恥だと感じてしまうのは何故か。恥とは要するに他者からの視線である。他者にとって自分は生きている価値がないのではないかという懐疑が恥の感覚につながっている。震災によって多くのものを失ってしまった人間が、それでも生きていていいのだろうかという問いかけを発している。それに応える者が少数だが存在する。本作はそうした物語である。

 

佐藤健と阿部寛の険のある表情対決は、2021年の邦画の中でも屈指の演技合戦。NHKの朝ドラ(Jovianは一切観ていないのだが)のヒロインの座をつかんだ清原果耶も、芯の強さを備えた演技で男性陣に一歩も引けを取らない。BGMがかなり少な目、あるいは抑え目で、派手なカメラワークもない。しかし、それゆえに役者の演技が観る側をどんどんと引き込んでくれる。人は人に狼な世の中であるが、人は人に寄り添うこともできる。『 すばらしき世界 』と同種のメッセージを本作は力強く発している。

 

あまりプロットやキャラクターに触れると興ざめになってしまうので、最後に鑑賞上の注意を一つ。本作はミステリ仕立てであるが、ミステリそのものではないと言っておく。役所の生活支援課の職員が、拉致監禁され、脱水症状からの餓死に追い込まれるという殺人事件が本作の胆である。未鑑賞の人にアドバイスしておきたいのは、事件が胆なのであって、フーダニットやハウダニットに神経を集中させるべからず。本作をミステリ映画、推理ものだと分類してしまうと、話が一挙に陳腐化してしまいかねない。すれっからしのミステリファンは、片目をつぶって鑑賞すべし。

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ネガティブ・サイド

とある措置期の備品の使い方が気になった。いつ、誰が、どれくらいの時間それを使用したかという履歴がばっちり残るはず。そこの組織内で誰もそれの用途や使用時間について注意を払わなかったのだろうか。

 

利根の持つ性質というか特徴が説明されるが、それが強く発露する場面がなかった。また、エンディングは万感胸に迫るものがあったが、それでも利根の持つこのトラウマ(と言っていいだろう)を刺激する場面に見えて仕方がなかった。原作もああなのだろうか。

 

総評

東日本大震災後の人間関係を描くドラマとしては『 風の電話 』に次ぐものであると感じた。コロナ禍という100年に一度のパンデミックによって我々の生活は一変した。そのような時代、そのような世界で、人間はどう生きるべきなのか。政治や行政はどうあるべきなのか。エンターテインメント要素と社会はメッセージを両立させた傑作と言えるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

be on welfare

生活保護を受けている、の意。アメリカ合衆国では大きな選挙のたびに共和党支持者(Republican)、民主党支持者(Democrat)、その他(Independent)に別れて激論が繰り広げられるが、その際の共和党支持者が”I’m Republican Because We Can’t All Be On Welfare.”という文言を載せたTシャツが、もう10年以上トレンドになっている。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 佐藤健, 倍賞美津子, 日本, 清原果耶, 監督:瀬々敬久, 配給会社:松竹, 阿部寛Leave a Comment on 『 護られなかった者たちへ 』 -人と人とのつながりの在り方を問う-

『 空白 』 -心の空白は埋められるのか-

Posted on 2021年9月30日 by cool-jupiter

空白 75点
2021年9月25日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:古田新太 松坂桃李
監督:吉田恵輔

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邦画が不得意とする人間の心の闇、暴走のようなものを描く作品ということで、期待してチケットを購入。なかなかの作品であると感じた。

 

あらすじ

女子中学生の花音は万引を店長の青柳(松坂桃李)に見つかってしまう。逃げる花音だが、道路に飛び出したところで事故に遭い、死んでしまう。花音が万引きなどするわけがない信じる父・充(古田新太)は、深層を明らかにすべく、青柳を激しく追及していき・・・

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ポジティブ・サイド

何の変哲もない街の何の変哲もない人間たちに、恐るべきドラマが待っていた。トレイラーで散々交通事故のシーンが流れていくが、あれは実は露払い。その後のシーンと、その結果を渾身の演技で説明・描写する古田新太が光る。

 

この物語で特に強く感銘を受けたのは、善人もおらず、さらには悪人もいないところ。いるのは、それぞれに弱さや欠点を抱えた人間。例えば松坂桃李演じる青柳は、父の死に際にパチンコに興じていて、死に瀕していた父に「電話するなら俺じゃなくて119番だろ」的なことを言い放つ。もちろん、心からそう思っているわけではない。しかし、いくらかは本音だろうし、Jovianもそう思う。古田新太演じるモンスター親父の充は、粗野な性格が災いして、妻には去られ、娘とは没交渉。他にも花音の学校の、人間の弱さや醜さをそのまま体現したような校長や男性教師など、善良な人間というものが見当たらない。それがドラマを非常に生々しくしている。

 

一方、一人だけ異彩を放つ寺島しのぶ演じるスーパーのパートのおばちゃんは、これこそ善意のモンスターで、仕事熱心でボランティア活動にも精を出す。窮地にあるスーパーの危機に、非番の日でもビラ配り。ここまで大げさではなくとも、誰しもこのようなおせっかい好き、世話焼き大好きな人間に出会ったことがあるだろう。そしてこう思ったはずだ、「うざい奴だな」と。まさに『 図書館戦争 』で岡田准一が言う「正論は正しい。しかし正論を武器にするのは正しくない」を地で行くキャラである。寺島しのぶは欠点や弱さを持つ小市民でいっぱいの本作の中で、一人だけで善悪スペクトルの対極を体現し、物語全体のバランスを保っているのはさすがである。

 

本作はメディアの報道についても問題提起をしているところが異色である。ニュースは報じられるだけではなく、作ることもできる。そしてニュースバリューは善良な人間よりも悪人の方が生み出しやすい。『 私は確信する 』や『 ミセス・ノイズィ 』は、メディアがいかに人物像を歪めてしまうのかを描いた作品であるが、本作もそうした社会的なメッセージを放っている。

 

追い詰める充と追い詰められる青柳。二人の関係はどこまでも歪だが、二人が花音の死を悼んでいるということに変わりはない。心に生まれた空白は埋めようにも埋められない。しかし、埋めようと努力することはできる。または埋めるためのピースを探し求めることはできる。それは新しい命かもしれないし、故人の遺品かもしれない。『 スリー・ビルボード 』とまではいかずとも、人は人を赦せるし、人は変わることもできるだと思わせてくれる。間違いなく良作であろう。

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ネガティブ・サイド

花音の死に関わった人物の一人がとんでもないことになるが、その母親の言葉に多大なる違和感を覚えた。謝罪根性とでも言うのだろうか、「悪いのはこちらでございます」的な態度は潔くありながらも、本作の世界観には合わない。小市民だらけの世界に一人だけ聖人君子がいるというのはどうなのか。

 

藤原季節演じるキャラがどうにも中途半端だった。充を腕のいい漁師だが偏屈な職人気質の船乗りで、人付き合いが苦手なタイプであると描きたいのだろうが、これだと人付き合いが苦手というよりも、単なるコミュ障中年である。海では仕事ができる男、狙った獲物は逃がさない頑固一徹タイプの人間だと描写できれば、青柳店長を執拗に追いかける様にも、分かる人にだけ分かる人間味が感じられだろうに。

 

総評

邦画もやればできるじゃないかとという感じである。一方で、トレイラーの作り方に課題を感じた。これから鑑賞される方は、あまり販促物や予告編を観ずに、なるべくまっさらな状態で鑑賞されたし。世の中というものは安易に白と黒に分けられないものだが、善悪や正邪の彼岸にこそ人間らしさがあるのだということを物語る、最近の邦画とは思えない力作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

do the right thing

「正しいことをする」の意。do what is right という表現もよく使われるが、こちらは少々抽象的。親が子に「正しいことをしなさい」とアドバイスするような時には do the right thing と言う。ただし、自分で自分の行いを the right thing だと盲目的に信じるようになっては棄権である。 

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, B Rank, サスペンス, ヒューマンドラマ, 古田新太, 日本, 松坂桃李, 監督:吉田恵輔, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:スターサンズLeave a Comment on 『 空白 』 -心の空白は埋められるのか-

『 ひるね姫 知らないワタシの物語 』 -五輪前に鑑賞すべきだったか-

Posted on 2021年9月24日2021年9月24日 by cool-jupiter

ひるね姫 知らないワタシの物語 50点 
2021年9月20日 レンタルBlu rayにて鑑賞
出演:高畑充希
監督:神山健治

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『 ハルカの陶 』や『 しあわせのマスカット 』と同じく、岡山を舞台にした映画ということで近所のTSUTAYAでレンタル。

 

あらすじ

東京オリンピックの年。森川ココネ(高畑充希)はいつも昼寝の時に同じ夢を見ていた。ある日、自動車整備工である父親が突然、逮捕され、東京へ連行されてしまう。幼馴染のモリオと共に父を救おうとするココネは、いつも自分が見る夢に父と亡き母の秘密が隠されていることを知り・・・

 

ポジティブ・サイド

眠りの先に広がるファンタジー世界というのは、それこそジャック・フィニィの昔から存在する。近年の邦画でも『 君の名は。 』などに見られるように古典的な設定だ。そこに本作はタブレットを使った魔法という、何とも摩訶不思議な設定を持ってきた。アーサー・C・クラークの「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」をそのまま適用しているわけで、これはこれで古くて新しく、非常に面白いと感じた。

 

絵柄も適度にデフォルメされていながら、媚びたようなアニメ的造形になっていないくてよろしい。妙に甘ったるいロマンス要素を極力排除したことで、家族のドラマとして成立している。

 

ココネというキャラが基本アホなのだが、それが時にユーモアを、時にスリルとサスペンスを生み出している。妙に頭が冴えたキャラよりは、こちらの方がよい。頭の良いキャラを設定してしまうと、行動に不合理さがなくなり、思わぬ展開を生み出しにくい。ココネが等身大の高校生キャラであることが、要所要所でストーリーを前に進める原動力になっている。

 

悪役が身震いするような悪ではなく、どこまでも小悪党であるのも良い。中学生ぐらいでは理解が難しいであろう経営哲学の違い、そのぶつかり合いが描かれるが、本作の悪役を本格派にしてしまうと「それも正しい」と感じてしまうナイーブな少年少女が絶対に一定数は出る。そうさせないで、しかし明確に悪は悪であると印象付けるキャラ設定の妙が光っている。

 

夢と現実のつながりの謎も、伏線自体は結構フェアに張られている。このあたりに『 君の名は。』の影響があるとみる向きもいるかもしれないが、これはパクリでもなくオマージュでもなく、オリジナル要素であると前向きに受け取りたい。

 

ネガティブ・サイド

ファンタジーでありながら、時間によってどうしても陳腐化してしまう科学の力にもフォーカスしているせいで、古典的な傑作にはなりえない。しかも、東京オリンピックというタイムリーなようなタイムリーでないようなイベントに関連させてしまったせいで、10年後に鑑賞する人からすれば「なんだこれ?」という物語になってしまっている。もっとプロ野球の優勝チームのパレードとか、力士の横綱昇進パレードのようなイベントにはできなかったのだろうかと思ってしまう。特に、現実の東京オリンピックの舞台で「事故」が実際に起こってしまったので、なおさらである。

 

岡山で鬼とくれば桃太郎であるが、イヌ、サル、キジはどこだ?また鬼が攻めてくるのにも違和感。鬼相手に攻め込んでは負け、攻め込んでは負けしながら、最後に勝つ方が桃太郎的では?

 

やっぱり岡山弁が下手。まあ、方言が上手い邦画というのは少ないし、アニメに至ってはもっとだろう。それでも、敢えて東京あるいはその周辺の、いわゆる標準語エリアから遠く離れた地域を舞台にするからには、もう少しその地域にリスペクトが欲しい。

 

全編通じてどこかで観た作品のパッチワーク的である。『 ゴジラvsコング 』のアレだったり、『 ぼくらの 』だったり、『 ドラえもん のび太の海底鬼岩城 』のバギーやら、とにかく指摘し始めるときりがない。オリジナル要素も強いが、過去の様々な作品の影響があまりにも濃厚に見えすぎるのも考えものである。

 

総評

評価が難しい作品。また、アニメでありながらも低年齢向けではない。ファンタジーでありながら、時間で風化する要素が強すぎる。しかし、根本のテーマである家族は鉄板で、ろくでなしの父の愛、死んでしまった母の愛というのは、陳腐でありながらも確かに観る者の胸を打つ力を持っている。高校生以上なら、そこそこ楽しめるはずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take a nap

「昼寝をする」の意。他にも get a nap や have a nap も使う。単に nap だけを動詞として使ってもよい。最も一般的なのは、やはり take a nap だろうか。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, SF, アニメ, ファンタジー, 日本, 監督:神山健治, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 高畑充希Leave a Comment on 『 ひるね姫 知らないワタシの物語 』 -五輪前に鑑賞すべきだったか-

『 マスカレード・ナイト 』 ー人間模様の描写が弱い-

Posted on 2021年9月19日 by cool-jupiter

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マスカレード・ナイト 45点
2021年9月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞 
出演:木村拓哉 長澤まさみ 
監督:鈴木雅之

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大学後期の開講ラッシュで仕事が多忙を極めているが、なんとか映画館通いは継続させたい。そこでお気軽に犯人当てでもするかと思い、本作をチョイス。犯人は2択まで絞って、なんとか的中させた。

 

あらすじ

都内アパート暮らしの女性殺人事件を捜査する警察の元に匿名ファックスが届く。その事件の犯人が、大みそかに仮面舞踏会を主催するホテル・コルテシア東京に現れるというのだ。警視庁捜査一課の刑事の新田(木村拓哉)は捜査のため再びフロント係としてホテルに潜入し、腕利きコンシェルジュの山岸尚美(長澤まさみ)と共に事件の解決に乗り出すが・・・

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ポジティブ・サイド

前作『 マスカレードホテル 』に引き続き、豪華キャストをよく揃えたものだと思う。木村拓哉と長澤まさみを当て書きしたかのようにハマっていたが、今作でも他人をどこまでも疑う刑事と他人をどこまでも信じるホテルマンの対比が映える。

 

ホテルのフロントロビーのプロダクションデザインも、やはり見事の一語に尽きる。前作のスタートは拍子抜けするようなホテル外観のCGから始まったが、マスカレード=仮面舞踏会をタイトルに持つ本作は、そんな Establishing Shot は持ってこない。

 

冒頭の殺人事件から、怪しい客が次から次にやって来るシークエンスは確かに引き込まれる力を持っている。そこへ、他人のかぶる仮面を引っぺがしたい新田と他人のかぶる仮面を守りたい山岸のぶつかりあい=漫才的な掛け合いは、ワンパターンではあるが面白い。

 

冒頭の殺人事件の犯人、その密告者、そして犯人と密告者の関係が複雑に絡まりう展開は観る者をぐいぐいと引き込んでくる。謎解き要素を別にすれば、デートムービーにもなりうるだろう。

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ネガティブ・サイド

これはミステリに対してどれだけ慣れているかによるが、おそらく密告者が誰であるかは、分かる人はかなり早い段階で分かったのではないか。ズバリこの人物だと指摘できないまでも、こんな「属性」の人物あろうと見当はつく。これから観る人は、映画製作者(小説の作者も)は、新田や山岸を騙そうとしているのはなく、我々を騙そう、ミスリードしてやろうと思っていることを忘れるべからず。同時に、我々に対して結構フェアに伏線を呈示してくれてもいる。だが、今回の新田のファックスの文言への指摘は、あからさまにミスリードすぎるだろう。もう少し見せ方に工夫が必要だった。

 

犯人候補=ホテル客なのだが、ここの見せ方もあからさますぎた。「さあ、この人物は怪しいですよ」という人間を何度も何度も出し入れするが、さすがにここまでやるとすれっからしならずとも犯人候補からは外すだろう。このキャラをもっと怪しく見せる小道具として、とある隠語になっていない隠語(以下白字、Love Affair、情事、不倫、頭文字を取ればLA)をもっと効果的に使えたはずだ。

 

別の犯人候補について言えば、小日向文世が語る捜査情報とあからさまに食い違う情報が呈示された瞬間(以下白字、夫の死亡時期)に「こいつだ!」と思えたが、新田がその矛盾に反応できなかったのは無理がある。また、この犯人候補同士のとあるインタラクションをコンシェルジュである山岸がお膳立てせざるを得ない場面があるが、この展開にはおそらく全世界のホテルマンが頭を抱えることだろう。無理が通れば道理が引っ込むという極めて日本的な悪弊の顔が見える。もちろん、最後には痛快な肘鉄を食らわせるわけだが、この切羽詰まったタイミングでこんな展開を持ってくるか?この無茶苦茶な展開のおかげで「やっぱりあいつが犯人だ」と確信した。もっと純粋に推理をさせてほしかった・・・

 

ホテルのバックヤードに設置された警察の捜査本部は無能の集まり。「なんとしても犯人を見つけろ」の一点張りで、捜査の方向性も論理的な指揮も何もない。元警察官のJovianの義理の父親が見たら、どう感じることか。また、犯人の犯行動機も前作の極めてパーソナルなものから、巨大な相手に対する憎悪になっているが、そんなもんのどこに説得力があるのか。警察の権威を失墜させたいなら、衆人環視の中での犯行を止められなかったという汚名を着せるのではなく、誰も注目していない事件には警察は本腰を入れないということをもっと効果的に満天下に知らせるべきだろう。気宇壮大な犯行動機だが、ここまでくると小説ではなく漫画に思える。

 

総評

ミステリ小説の映画化というよりも、割と上質な2時間ドラマ、テレビ映画、またはドラマの劇場版だと捉えるべきだろう。長澤まさみはキャリアウーマンや母親役として芸域を開拓していくだろう。キムタクはおそらくキムタクのままか。おそらく第三弾も制作されるだろうが、その時はもっともっと純粋ミステリに徹してほしいものである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

the 

冠詞は英文法の中で最も難しいと思っている。ちなみに難しさランク2位は単数・複数の使い分け、3位は前置詞である(あくまで私見)。時々、ホテル名には the をつけるべしと解説する書籍やサイトを見るが、厳密には正しくない。 

ホテル~には the はつかない

~ホテルには the がつく

というのが正しい解説。例を挙げると

〇 The Cortesia Hotel

✖ Cortesia Hotel

〇 Hotel Cortesia

✖  The Hotel Cortesisa

となる。英検1級、TOEFL iBT90点、IELTS7.0を目指す人なら正しく理解しておきたい。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2020年代, D Rank, ミステリ, 日本, 木村拓哉, 監督:鈴木雅之, 配給会社:東宝, 長澤まさみLeave a Comment on 『 マスカレード・ナイト 』 ー人間模様の描写が弱い-

『 鳩の撃退法 』 -端折り過ぎた故の失敗か-

Posted on 2021年9月4日 by cool-jupiter

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鳩の撃退法 50点
2021年8月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:藤原竜也 土屋太鳳 風間俊介 西野七瀬
監督:タカハタ秀太

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仕事が多忙を極めているため簡易レビューを。

 

あらすじ

売れない小説家・津田伸一(藤原竜也)の手元に、ひょんなことから3003万円もの札束が舞い込んできた。しかし、一部を使ってみたところ偽札だったことが判明。そして、津田の周囲では不可解な事件が起きていき・・・という原稿を読んだ編集者の鳥飼(土屋太鳳)は、津田に小説のプロットが事実なのかフィクションなのかを尋ねる。しかし、津田は答えをはぐらかすばかりで・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭の深夜のカフェで繰り広げられる謎めいた人物同士の会話。これには引き込まれた。藤原竜也と風間俊介が、ある書籍の貸し借りに至るまでの言葉のやり取りは非常に舞台演劇的で、映画を見ていながらもリアルタイムかつリアルスペースで繰り広げられる芝居を観るようでもあった。

 

次々に繰り出される事件と謎のつるべ打ちは非常にテンポがよく、小説のプロットなのか、それとも作家自身の実体験なのかという境目が良い意味で分かりづらくなっていた。

 

後半に土屋太鳳が現地に飛んで色々と調査するシーンから、明らかに観る側の脳みそをもう一段階混乱させようとしてくる。謎解きの過程それ自体が別の謎を生み出している。より具体的に言えば、某男性登場人物2名の実在性および関係性。このあたりを敢えて曖昧模糊にしておくことで、ラストで明らかになる「〇〇〇〇は真実である」という箇所と「▲▲▲▲は虚構の可能性あり?」という点がより味わい深くなっている。

 

考察それ自体よりも、考察しがいのあるモヤモヤ感を楽しめる人向きか。逆説的に聞こえるかもしれないが、エヴァンゲリオンを楽しめるなら、本作も楽しめることだろう。

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ネガティブ・サイド

原作小説は未読であるが、映画の全体的な第一印象は「なんだかなあ・・・」だった。まず、「津田の書いた小説が現実になる?」という宣伝文句は公正取引委員会への通報を検討するほど酷いもの。おそらく「津田は秀吉のハッピーエンドの物語を構想して、それを書く」ということで、救いのない物語にも救いはあるのだと観る側に伝えたいのだろうが、いくらなんでも誇大広告に過ぎる。現実を小説にすることは可能でも、小説が現実と化すという筋立てには無理がありすぎる。それをやるならSFにしてしまうか、あるいは伊坂幸太郎的な世界を早めに構築・呈示しておくべきだろう。冒頭でナレーションを司る藤原竜也が、役者としての藤原竜也と並び立った時には「これがその仕組みなのかな」と感じたが、この見せ方は冒頭だけ。何じゃそりゃ・・・

 

偽札と一家失踪事件の思いもよらぬつながりに面白さを見出せるかどうかだが、映画はこの部分のサブプロットをかなり削ぎ落してしまっていると思われる。その考える根拠は二つ。一つには、特定の人物の実在性をかなりの程度まで説明してしまっている。これは特定の存在を虚実定かならぬものとして描くための虚の部分を削った閉まったことに起因すると思われる。『 ザ・ファブル 殺さない殺し屋 』の某ボスのような人物に、これ見よがしなキャスティングをすることで、考察の余地が返って狭まったように感じた。もう一つには、偽札そのもの。普通、小説家ともあろう者が偽札の可能性が高いものを不用意にATMに入れるか?一昔前にニコニコ動画で自宅のコピー機でお札を刷るところを実況中継していたアホが半日と経たずに逮捕されていたが、一部のコピー機や複合機には紙幣の偽造防止機能や警報機能がついているし、ATMも同様の機能を持ったものがある。この時点で「偽札の存在自体が偽物」と思えてしまい、せっかく入っていけた物語世界から早々に出てきてしまった(劇中の偽札が本物の紙幣だと言っているわけではない、念のため)。

 

全編を通じて『 ユージュアル・サスペクツ 』的な仕掛けが施されているものと感じていたが、鳩はどこにも見当たらず。津田の書く原稿に出てくる人名や地名が、実は高円寺のバー内、あるいは高円寺界隈、または地方新聞のあちらこちらにも見られるものだという伏線にも目を凝らしたが、そんなものはなかった。少なくともまあまあの鵜の目鷹の目を自認するJovianには見つけられなかった。一家失踪も、それ自体がニュースバリューを持っているものとは思えず、この点でも虚々実々の虚の部分に白けてしまった。

 

総評

宣伝文句は誇大広告(というか虚偽広告)だが、一応製作者側の解釈もラストに呈示されている。それはとある楽曲の歌詞と歌い手である。Jovianはこの部分からして本作で津田が描く物語は虚構であると(勝手に)断じる。何のことやら分からない、しかし物語の中身や結末が気になるという人は、チケット代と2時間を無駄にしてしまうかもしれないという覚悟をもって劇場鑑賞されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

fiction

フィクションの意。この物語はフィクションであり云々の決まり文句でもおなじみ。面白いもので、ラテン語の語源は facio = 作る、であり、この facio から生まれた別の英単語に faction = 派閥、というものがある。派閥を持たない島国の首相が退陣を表明したが、人間というのは虚構の物語や派閥を作らずにはおれない生き物なのかもしれない。英語上級者は fictional と fictitious の違いを調べてみよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ミステリ, 土屋太鳳, 日本, 監督:タカハタ秀太, 藤原竜也, 西野七瀬, 配給会社:松竹, 風間俊介Leave a Comment on 『 鳩の撃退法 』 -端折り過ぎた故の失敗か-

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