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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 書籍

『 四畳半神話大系 』 -青春とは何かを知るための必読書-

Posted on 2022年7月2日 by cool-jupiter

四畳半神話大系 90点
2022年6月15日~6月29日にかけて読了
著者:森見登美彦
発行元:角川文庫

『 ペンギン・ハイウェイ 』のレビューで本作を読み返すと誓っていたが、ここまで遅くなってしまった。仕事で京都の某大学の課外講座を受け持つことになり、その期間中に地下鉄烏丸線や叡山電鉄の車内で本書を読むという、ちょっと贅沢な楽しみ方をしてみた。

 

あらすじ

薔薇色のキャンパスライフを夢見ながら2年間を無為に過ごしてしまった私は、その原因をサークル仲間の小津に帰していた。黒髪の乙女との交際を夢想する私は「あの時、違うサークルに入っていれば・・・」と後悔するが・・・

 

ポジティブ・サイド

多分、読み返すのは4度目になるが、何度読んでも文句なしに面白い。その理由は主に3つ。

 

第一に、文体が読ませる。京大卒の小説家と言えば故・石原慎太郎をして「使っている語彙が難しすぎる」と評された平野啓一郎が思い浮かぶが、森見登美彦の文章にはそうした難解さがない。まず地の文が軽妙洒脱でテンポが良い。各章冒頭の「大学三回生の春までの二年間」から「でも、いささか、見るに堪えない」までのプロローグはまさに声に出して読みたい日本語である。

 

第二に、キャラクターが個性的かつ魅力的である。どこからどう見てもイカ京(近年ではほとんど絶滅しているようだが)の「私」の、良い言い方をすれば孤高の生き様、悪い言い方をすれば拗らせた生き方に、共感せずにいられない。言ってみれば中二病=自意識過剰なのだが、そこは腐っても京大生。衒学的な論理を振りかざして、必死に自己正当化する様がおかしくおかしくてたまらない。また、悪友の小津、樋口師匠、黒髪の乙女の明石さんなど、誰もがキャラが立っている。濃いキャラと濃いキャラがぶつかり合って、そこから何故か軽佻浮薄なドラマが再生産されていく。かかるアンバランスさ、不可思議さが本書の大いなる魅力である。よくまあ、こんな珍妙な物語が紡げるものだと感心させられる。

 

第三に、パラレル・ユニバースの面白さがある。流行りの異世界ではなく並行世界を描きつつ、各章ごとに互いが微妙に、しかし時に大きく相互作用しあう組み立ては見事としか言いようがない。今回は電車の中だけで読むと決めていたが、初めて読んだときは文字通りにページを繰る手が止まらなかった。薔薇色のキャンパスライフを求め、黒髪の乙女との交際を希求する「私」の狂おしさがことごとく空回りしていく展開には大いなる笑いと一掬の涙を禁じ得ない。「私」と自分を重ね合わせながら、あの時の自分がああしていれば、それともこうしていれば・・・と後悔先に立たず。今ここにある自分の総決算を自ら引き受けるしかないのである。

 

四畳半の神話的迷宮から脱出した「私」がたどり着いた境地とは何か。読むたびに世界の奥深さと人生のやるせなさ、そして気付かぬところに存在する矮小な、しかし確かに存在する愛の切なさを痛切に味わわせてくれる本書は、SFとしても青春ものとしても、珠玉の逸品である。

 

ネガティブ・サイド

ケチをつけるところがほとんどない作品だが、言葉の誤用が見られるのが残念なところ。藪用は「野暮用」の誤用だし、天の采配も「天の配剤」の誤用である。

 

総評

Jovianは現役時に京都大学を受験し、見事に不合格であった。それから四半世紀になんなんとする今でも、時々「あの時、京大に合格できていれば・・・」などと夢想することがある。アホである。Silly meである。だからこそ、あり得たかもしれない自分の姿を思う存分「私」に投影してしまう。常に変わらぬ青春がそこにある。下鴨幽水荘≒吉田寮≒国際基督教大学第一男子寮である。アホな男子の巣窟で青春の4年間を過ごした自分が「私」とシンクロしないでいらりょうか。複雑玄妙な青春を送った、送りつつある、そしてこれから送るであろうすべての人に読んで頂きたい逸品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

sidekick

親友、相棒の意。「私」にとって小津は腐れ縁の悪友だが、客観的に見ると親友だろう。best friend や close friend という言い方もあるが、小津のような男は sidekick と呼ぶのがふさわしい。英語の中級者なら、sidekick という語は知っておきたい。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2000年代, S Rank, SF, ファンタジー, 日本, 発行元:角川文庫, 著者:森見登美彦, 青春Leave a Comment on 『 四畳半神話大系 』 -青春とは何かを知るための必読書-

『 i 』 -この世界にアイは存在するのか-

Posted on 2022年6月19日2022年6月19日 by cool-jupiter

i 80点
2022年6月13日~6月15日にかけて読了
著者:西加奈子
発行元:ポプラ社

最近、大学の授業への移動時間が長くなってきており、コロナ前に積ん読状態だったこちらの小説を pick up した。

 

あらすじ

シリア難民ながらアメリカ人と日本人の夫婦に養子として引き取られたワイルド曽田アイは、ある日、数学教師が虚数を指して言った「この世界にアイは存在しません。」という言葉が胸に深く刻み込まれた。アイは世界に数多く存在する悲劇をよそに、自分は幸せになっていいのかという疑問に憑りつかれ・・・

 

ポジティブ・サイド

Jovianにとっては『 炎上する君 』に続いて二冊目の西加奈子作品。いやはや、何とも圧倒された。『 マイスモールランド 』のサーリャのビジュアルを主人公のアイに当てはめながら読んだ。シリア(それが別にアフガニスタンでもチベットでもレバノンでもいい)という戦乱の国から、日本という世界有数の安全な国で、生きづらさを覚えるアイの心情が細やかに描写される。幸福や満足は個々人によって異なるが、そのことをあらためて知らされる。

 

本書はアイがまだほんの幼い子供の頃から、成熟した一人の女性に育つまでを丹念に綴っていく。その過程で、アイが日本においていかに異邦人であるか、あるいは異邦人として扱われるかの描写が際立つ。日本という安全安心な国、アメリカ人の父と日本人の母の裕福な家で暮らしながら、アイは常に疎外感を感じている。何から?自分そのものだ。養子として引き取られたアイは常に「なぜ選ばれたのは、他の誰でもない自分だったのか?」という問いに答えられずにいる。

 

アイは常に日本社会においては異邦人である。そんなアイにも親友のミナができる。二人の高校生活は瑞々しい青春物語でありながら、一掬のよそよそしさがある。その秘密は中盤に明かされるが、それも現代風といえば現代風だ。二人の友情の清々しさと、その奥に隠れるアイとミナの懊悩のコントラストが読む側をグイグイと引き込んでいく。特に、世界で起きる事件や事故の死者の数をノートに記入していくというアイの姿には、名状できない気持ちにさせられる。生きている理由が見当たらないことが、人が死んでいくことに理由を求めてしまう気持ちに、そもそも読む側は共感できない。共感できないからこそ、アイの内面をどんどん想像させられる。この作者、なかなかの手練れである。

 

数学の美しさに魅入られ、それに没頭する一方で(あるいは没頭するあまりに)どんどん肥満になっていくアイの姿は衝撃的だ。一種のセルフネグレクトだろう。数学という沼にどっぷりとハマることで、存在しないと思い込んできた虚数 i が存在することを知る。大学院に進み、さらには写真家ユウと運命的な出会いを果たす。生きる理由、ファミリー・ツリーの構築を発見したアイだが、ここで二重の悲劇がアイを襲う。読者はここに至るまでに嫌と言うほどアイの内面を想像させられ、感情移入させられているので、ここでアイの身に起きる悲劇には(たとえ男性であっても)我が身が引き裂かれるような思いを味わわされる。

 

アイとミナ、二人の数奇な友情がたどり着く先は『 Daughters(ドーターズ) 』のそれを想起させる。何の理由も意味も与えられず、我々は知らぬ間にこの世界に放り出されて生きているが、よくよく考えればこれはすごいことである。そんな世界で生きる理由を追求するアイの物語は、又吉の言葉を借りるまでもなく、どんな時代であっても読まれるべき意味を持っている。

 

ネガティブ・サイド

序中盤のアイの生活と内面の苦しみのギャップが、ミナ以外のキャラクターにあまり伝わっていないことが惜しい。父のダニエルなどは『 ルース・エドガー 』のルースの父のように、アイ自身の抱える心の闇に気付いている、それでも寄り添っていこうとする父親像を描出する方が、逆説的だが、アイの懊悩がもっと強く読む側に刻み込まれたのではないだろうか。

 

ラストがまんま『 新世紀エヴァンゲリオン 』である。ここでのアイの悟りにもっと独自性が欲しかった。

 

総評

ロシアによるウクライナ侵攻が今も現在進行形で続いていることに誰もが心を痛めているが、アイならばこの戦争、そしてこの戦争による死者や難民をどう見るだろうか。そうした想像力を喚起させる力が本作にはある。帯の中央に静かに、しかし確実に佇立する i に、アイというキャラを見る人もいれば、I = 私を見出す人もいるだろうし、もちろん i = 愛を見る人もいるに違いない。他にも「相」や「合」、「哀」など、読むほど i の意味が深まってくる。自分が自分であることを恥じる必要も悔やむ必要も恐れる必要もない。そう悟るのは簡単ではない。神学者パウル・ティリッヒの『 生きる勇気 』を読んだ大学生の時以上に、生きる(それはティリッヒ流に言えば「存在する」こと)ことに勇気をもらうことができる作品である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

adoption

「養子縁組」の意。元々は「選択」や「採択」の意味で、子どもを選ぶ文脈では養子縁組という意味になる。時々 adapt と adopt を混同する人がいるが、option = オプション = 選ぶこと、adapt → adapter = ACアダプター = 電源からの電気を機器に合わせて調節するもの、と日本語を絡めて理解すべし。 

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2010年代, A Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 発行元:ポプラ社, 著者:西加奈子Leave a Comment on 『 i 』 -この世界にアイは存在するのか-

『 遺跡の声 』 -ハードSF短編集-

Posted on 2022年1月23日2022年1月23日 by cool-jupiter

遺跡の声 75点
2022年1月19日~1月22日にかけて読了
著者:堀晃
発行元:東京創元社

f:id:Jovian-Cinephile1002:20220123013003j:plain

オミクロン株が猛威を振るっている。コロナが流行ると、近所のTSUTAYAが混雑する。そういう時は映画ではなく小説に一時退避する。それも、昔読んで手ごたえのあったもの、かつ、今という時代にフィットする作品が良い。というわけで本作を本棚からサルベージ。

 

あらすじ

銀河の辺境、ペルセウスの腕の先端部で滅亡した文明の遺跡を調査する私に、太陽風事故で死亡したかつての婚約者オリビアの頭脳が転写された観測システムを訪れるようにとの指令が入る。その途上で、私は宇宙を漂流する謎のソーラーセイル状のものと遭遇し・・・

 

ポジティブ・サイド

本作の主人公は『 TENET テネット 』同様に名前がない。すべて一人称の「私」、または「あなた」もしくは「君」で表現されて終わりである。それゆえに感情移入というか、この主人公と自分を identify =同一視しやすくなっている。さらに登場人物も驚きの少なさ。極端に言えば、オリビア、トリニティ、超空間通信で連絡してくる男、これだけ把握しておけばいい。というか、トリニティだけでも十分である。 

 

「私」とトリニティが銀河辺境領域の星々で遺跡を調査したり、救助作業に従事したり、あるいは異星文明とのファースト・コンタクトを果たしていく。それらが短編集に収められている。

 

主人公がひたすら孤独なのだが、その孤独さが孤高さにも感じられる。黙々と職務に励む姿に自分を重ね合わせるサラリーマンは多いはず。相棒がトリニティという結晶生命体なのだが、これが単なる補助コンピュータ的な存在から、パートナー、息子、そして全く位相の異なるものにまで変化していく様が、全編にわたって描かれていく。このトリニティ、『 ガニメデの優しい巨人 』のゾラックのようでもあるし、山本弘の小説『 サイバーナイト―漂流・銀河中心星域 』のMICAの進化の元ネタは本作最後の『 遺跡の声 』であると思っている。

 

どの作品にも共通しているのは、破壊もしくは破滅のイメージである。遺跡とはそういうものだが、これほどまでに静謐な死のイメージを湛える作品の数々を構想し、それをリアルなストーリーとして描き切るという先見性にはお見逸れするしかない。地球温暖化による気候変動や食糧危機問題など、2020年代の今であればそのようなビジョンも湧きやすいだろうが、2007年に発表された『 渦の底で 』を除けば、本作所収の作品はすべて1970〜1980年代に発表されたものなのだ。科学はどうしても時間によって風化してしまうのだが、本作で描かれる地球の科学技術や滅亡した異星文明には、古いと感じられるところがほとんどない。

 

個人的なお勧めは『 流砂都市 』と『 ペルセウスの指 』。前者は、いわゆるナノテクもので、そのスケールの大きさは野尻抱介の『 太陽の簒奪者 』に次ぐ。後者は、藤崎慎吾の『 クリスタルサイレンス 』のKTはこれにインスパイアされたものではないかと密かに考えている。これらはあくまでもJovianの感想(妄想かもしれない)であって、本作を楽しむにあたってハードSFの素養が必要とされるということを意味しない。活字アレルギーかつSFアレルギーでなければ、ぜひ読んでほしい。

 

一話の長さは30〜40ページ。全部で9話が収められている。平均的なサラリーマンが通勤電車に乗る時間に一話が読み切れるだろう。

 

ネガティブ・サイド

悪い点はほとんど見当たらないのだが、フェルマーの最終定理のところだけは現実がフィクションを先行してしまった。そういえば未だ解かれていないリーマン予想の答えを異星由来の知性体(霧子だったかな・・・)に尋ねるものの「データを取り寄せるのに少なくとも4万年かかります」みたいに返されるSFもあった。この作品のタイトル名が思い出せないので、知っている人がいればお知らせいただけると有難いです。

 

主人公の「私」がオリビアを回想するシーンがもう少しあっても良かったのにと思う。性別のない結晶生命と、性別のある地球生命のコミュニケーションから生まれる独自のパーソナリティの形成という過程をもっと詳細に描かれていれば、SFのもたらしてくれる知的興奮という楽しみが更に増したはずだ。

 

総評

コロナ禍の第6波のただ中で、ディスタンスを取ることが必須となっている。だが現実的にはなかなか難しい。せめて物語の中だけでもディスタンスを・・・という人は少数派だろうが、そんな少数派に自信をもってお勧めできる短編集である。もしくは、ここ数年の本屋では訳の分からない転生もののラノベばかりが平積みされていると嘆く向きにもお勧めしたい。スムーズに読めるが、読後に不思議な苦みを残すという、大人の短編集である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

call

「呼び声」の意。表紙に Call of the Ruin とあり、これを訳せば「遺跡の呼び声」となり、タイトルの『 遺跡の声 』となる。『 野性の呼び声 』の原題 The Call of the Wild に従うなら、The Call of the Ruin と定冠詞 The を頭につけるのが(文法的には)正しいのかもしれない。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2000年代, B Rank, SF, 日本, 発行元:東京創元社, 著者:堀晃Leave a Comment on 『 遺跡の声 』 -ハードSF短編集-

『 死神の棋譜 』 -将棋ミステリの佳作-

Posted on 2021年11月21日 by cool-jupiter

死神の棋譜 75点
2021年11月16日~11月19日にかけて読了
著者:奥泉光
発行元:新潮社

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奥泉光とJovianは並木浩一という共通の師を持つ。その縁もあって、奥泉宅のクリスマス会に過去に二度ほど招かれたことがある。そんな大先輩が上梓した一冊を、藤井聡太の竜王戴冠の軌跡に合わせて読んでみた。

 

あらすじ

元奨励会員の夏尾は神社で不可解な矢文を見つけた。そこには不詰めの詰将棋の図面が結ばれていた。その後、夏尾は謎の失踪を遂げる。将棋ライターの北沢は、かつて存在したとされる棋道会と謎の不詰めの図面、そして夏尾の失踪の謎を追うが・・・

 

ポジティブ・サイド

阪神大震災翌年の羽生の七冠フィーバーも凄かったが、今の藤井フィーバーはそれ以上かもしれない。将棋は漫画になり、アニメになり、小説になり、映画にもなってきたが、ほとんどは「青春」というジャンルに分類されてきたように思う。そこへミステリである。しかも書き手は虚々実々の手練手管で、読者を常に虚実皮膜の間に落とし込んできた奥泉光である。

 

事実、本書の物語は常に現実と虚構の間を行き来する。奥泉小説の特徴であるが、主人公の経験する事象が、現実なのか非現実なのかがはっきりしない。夏尾という夢破れた男の悲哀、その後の人生は、大崎善生の『 将棋の子 』を思い起こさせる。つまり、それだけリアリティがある。一方で、夏尾がたどり着いた龍神棋は、大山康晴が若かりし頃に修行の一環で取り組んだとされる中将棋のイメージが投影されているし、その龍神棋という狂気の世界は、かつて米長邦雄や羽生善治が語った「読み続けていくと、そこから帰ってこれなくなる狂気の世界」のイメージも投影されているように感じた(ちなみに、将棋の読みの狂気の領域に到達してしまった棋士としては加藤一二三が挙げられるのではないかというのがJovianの私見である)。

 

磐というのが本作のキーワードの一つであるが、これは天照大神の岩戸隠れ伝説を下敷きにしているように思えてならない。遥か地の底、闇の底で、夏尾と北沢が指す龍神棋の圧倒的なイメージとビジョンは奥泉ならではの筆力。この場面だけは棋譜と読み筋が詳述されるが、おそらく将棋初心者にとっても全く気にならない迫力。ぐいぐいと引き込まれる。

 

同じく北沢と女流二段・玖村の爛れた関係も読ませる。「将棋に負けることは少し死ぬこと」というのは、まさに勝負師の言であるが、実際に現・将棋連盟会長の佐藤康光は対極に負けた悔しさで泣くことがあるというのを、先崎が著書でばらしていた。幼少の藤井聡太が谷川浩二との駒落ち対局で勝てなかったことで大泣きしたというエピソードも広く知られるようになった。とにかく将棋で負けるというのは、素人でもプロでも結構つらいものがあるのである。

 

昨今の将棋界の良い面も悪い面も意欲的に取り込んだ野心作である。Jovianは本書の最後で示唆される内容に怖気をふるった。すべては「ある人物」の読み筋であり、登場人物はすべて駒だったのか。それとも、その見方も「一局」なのか。もちろん、本作における本当の意味での真相は闇の中であり、それも奥泉流だろう。将棋ファンならば一読をお勧めする。

 

ネガティブ・サイド

兄弟子にネガティブなことを言うのは憚られるが、文人・奥泉光だからこそ棋道会や龍神棋を巡る物語に、愛棋家で知られた山口瞳や団鬼六のエピソードも盛り込んでほしかったと思う。

 

升田幸三や木村義男まで登場するが、将棋の磐の底、龍神棋という異形の世界を広さや深さを描き出すためには、それこそ時空を超えた描写があれば、もっと混沌とした世界を描けていたと思う。たとえば、天野宗歩や初代・伊藤看寿を登場させたり、あるいは女性の名人、もしくは外国人の名人を登場させるなど、現代の将棋界のイメージをぶち壊すような世界観が呈示されれば、ショッキングではあるだろうが、将棋の可能性を推し広げるビジョンになっていだろう。

 

総評

帯に「圧倒的引力で読ませる」とあるが、この惹句は本当である。特に112ページからは、ページを繰る手が止まらなくなる。奥泉ワールドに親しんできた人ならなおさらだろう。本書ではちょろっと藤井聡太も登場する。ライトな将棋ファンもディープな将棋ファンも、一番の関心は「藤井が谷川浩司の持つ最年少名人記録を更新できるか」であろう。おそらく達成するだろう。その時、本作の評価はもう一段上がるであろうと思われる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

drop

「落とす」の意味だが、将棋では「持ち駒を打つ」の意。Sota Fujii dropped a silver on 4 1. = 藤井聡太は41に銀を打った、のように使う。Habu’s amazing 5 2 silver drop is one of his most famous moves. = 羽生の52銀打ちは、彼のもっとも有名な指し手の一つである、のように名詞でも使う。将棋の英語解説に興味がある人はYouTubeでHIDETCHIと検索されたし。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2020年代, B Rank, ミステリ, 日本, 発行元:新潮社, 著者:奥泉光Leave a Comment on 『 死神の棋譜 』 -将棋ミステリの佳作-

『 ヘーゲルの実践哲学構想: 精神の生成と自律の実現 』 -哲学的思考と実践を始めてみよう-

Posted on 2021年5月19日 by cool-jupiter

ヘーゲルの実践哲学構想: 精神の生成と自律の実現 70点
2020年4月28日~5月17日にかけて読了
著者:小井沼広嗣
発行元:法政大学出版局

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アホな政府が緊急事態宣言を出してくれたおかげで、比較的安全なはずの映画館が大阪・兵庫で休業。尼崎市民のJovianにとっては痛手である。なので、ゴールデンウイークから今までは読書に費やした。といっても小説ではなく大部の哲学書である。Jovianの親友の一人が、ついに単著を上梓したのである。

 

あらすじ

近代ドイツの哲学者ヘーゲルの哲学思想の変遷を追いながら、ルソーの社会契約論やカントの批判的理性などの受容と対決、そしてヘーゲル固有の『 精神現象学 』に至る過程を詳述していく。その中で現代社会におけるヘーゲル研究の意義を問い直していく。

 

ポジティブ・サイド

著者の小井沼とJovianは同じ国際基督教大学の同学年の同学科、のみならず同じ寮で4年間を過ごした仲である。共に宗教学・旧約聖書学の碩学・並木浩一に師事しながらも、卒論ゼミには入れてもらえなかったというところまで同じである。最後に会ったのは2014年だったか。Jovianの同窓生にはいっぱしの大学教員があと二人いるが、学者としては小井沼が一歩抜け出したようである。

 

本書は大部の哲学書である。したがって読むのに文字通りの意味で骨が折れる。一応、宗教哲学・宗教社会学のバックグラウンドのあるJovianでも1日に30ページ読むのがやっとであった。しかし、ヘーゲル哲学の骨子、そして西洋哲学史の大まかな流れさえ知っていれば、本書は非常にエキサイティングな読書体験を提供してくれる。もしヘーゲルについても西洋思想史についてもよく知らないという場合も心配無用。本書の副題と惹句が非常に優れた本書のサマリーになっている。すなわち、本書およびヘーゲル哲学の射程とは「精神の生成と自律の実現」である。

 

簡単に言い換えれば、精神の生成とは、精神が生成する/生成されることを指す。なぜ能動と受動の両方で記述されるのか。それこそが弁証法である。また、自律とは読んで字のごとく、自らが自らを律することであるが、この時、「自ら」が主語であり同時に述語になっていることに注意。自己が分裂しているわけだ。主体でありながら客体でもあるというの矛盾した状態は、アリストテレス哲学やカント哲学においては退けられるものだったが、ヘーゲルはそこを乗り越えたのである。そして、自律の実現とは、律する側の自己と律される側の自己の関係の完成である。ここで国家と個人の関係を想起できれば  Sehr gut = Very good である。 ヘーゲルにとって精神の活動とは歴史の展開であり、個人の精神の弁証法は、そのまま共同体や国家の発展にシンクロナイズすると考えられるのである。

 

逆に言えば、これほど動的な哲学が生まれたのは、ヘーゲルの生きていた時代が激動していたからである。隣国でフランス革命が起こり、個人と国家の関係が一度リセットされ時代。そして小領邦がプロイセンとして結集し、貨幣制度や税制度を統一させていく時代。そうした、既存のシステムが崩壊し、再構築されていくという時代に、ヘーゲルは自身の哲学を重ね合わせた。そうした知識を背景に本書を丹念に読み込んでいけば、アメリカのオバマ政権→トランプ政権→バイデン政権という流れの理解や、あるいは韓国と北朝鮮の関係の変遷を読み解く一助になりうる。

 

もしくは、コロナ禍が収束しない現代日本というシステムおよび市民性や国民性についての考察を深めることも可能だ。ヘーゲルは古代ギリシャやローマのような、個人の内面的な構造と共同体の統治構造が一致するような、原始の共和制を強く志向していたが、同時に個人の精神の生成とその完成の先も志向していた。つまり、個々人の精神活動=自律がぶつかりあう社会だ。今日の日本に置き換えるなら、例えばマスク警察、自粛警察などは自律が行き過ぎて他律にまでなってしまい、一般人同士の間での分裂や紛争にまでなってしまっている。まさに「承認をめぐる闘争」である。だが、承認闘争における勝者が勝者として存在することができるのは敗者が対極に存在するからである。逆に言えば、敗者の存在なくして勝者は存在しえない。勝者は敗者に依存するのだ。たとえば、橋下徹やひろゆきといった無責任系のコメンテーターはまさにこれで、自分の思想やルールを他者に強いる人間は、実は《主》ではなく《奴》である。ヘーゲルを通じて、現代日本の言論空間や生活空間への考察や分析を深めることもできるのだ。

 

再度言うが、読破には並々ならぬ忍耐が要求される。しかし、そこで得られる知的な刺激は、映画や小説といったエンターテインメントから得られる刺激とは明らかに一線を画している。2年に一冊は、何らかの哲学書を読んでみるのも大人の嗜みかもしれない。そうした趣味嗜好に賛同いただけるという向きには、本書をぜひともお勧めしたい。

 

ネガティブ・サイド

元々の狙いがヘーゲル以前の哲学者の思想とヘーゲルその人の思想の対決と受容、そして発展(それもイェーナ期限定)であるため、思想史全体からのヘーゲル哲学の俯瞰が全くされていない。たとえば、ヘーゲルにおよそ100年先行するパウル・ティリッヒがアリストテレスの目的論を下敷きに自己の神学論を構築した。同じようにヘーゲルも国家論・共同体論においてアリストテレス哲学を継承している。古代ギリシャ哲学がいかにヨーロッパ思想史に影響を及ぼし続けているのかについて、概説的にでも触れる箇所があれば、専門家や学者の卵以外にとっても読みやすいテキストになる。

 

他に気になった点として、より一般的な歴史的な視点からのヘーゲル哲学の解説がない点である。ヘーゲル哲学の根本とは、精神の生成 → 精神の自律 → 精神の実現である。これはそのまま当時のプロイセン王国の発展とフラクタルになっていると言える。小さな土地に根付いた小さな共同体が、様々な法や制度によって一体化していき、国から王国、そして帝国(この頃にはヘーゲルは死去しているが)に発展していくという歴史的な過程が、ヘーゲルの思考と思想に影響しなかったはずがない。そのあたりを説明するために一章を割いても良かったのではないだろうか。

 

現代日本に対する批判あるいは応援のメッセージが見いだせない。たとえば故・今村仁司や赤坂憲雄は、著作の中で必ずと言っていいほど自説や新規の仮説を導入するに際して、日本社会の分析や考察に援用できるような視点を盛り込んできた。そうしたところまで目配せができれば、哲学者という存在も象牙の塔の住人と揶揄されなくなるのではないか。

 

総評

70点をつけてはいるが、5点はオマケである。300ページ超で5,000円以上の哲学書にハイスコアをつけるのは土台不可能である。これは同朋のよしみである。だが、コロナがアウトブレイクし、なおかつ一部の先進国(嗚呼、もはやそこに本邦はないのか)では収束の兆しも見えている今日、我々は国家と個人、政府と市民の関係性を大いに問い直されたと言える。個としてどう生きるべきか、共同体をいかに構成・維持していくべきか。こうした疑問を抱き、かつ何らかの自分なりの答えを出したいという人には、本書がなんらかの示唆を与えてくることは間違いない。

 

Jovian先生のワンポイント独語レッスン

geist

ガイストと読む。これだけだと何のことやらだが、ポルターガイストを思い浮かべてほしい。そう、英語にすると ghost なのである。霊と訳されるだけではなく、文脈に応じて spirit =精神とも解釈される。ピンとこないという人は、『 GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊 』を10回観るべし。哲学や文芸批評に造詣が深い人なら、zeitgeist = 時代精神という言葉も見たり聞いたりしたことがあるはず。本書でも259ページで出てくる言葉である。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2020年代, B Rank, 学術書, 日本, 発行元:法政大学出版局, 著者:小井沼広嗣Leave a Comment on 『 ヘーゲルの実践哲学構想: 精神の生成と自律の実現 』 -哲学的思考と実践を始めてみよう-

『 ウェブ時代 5つの定理―この言葉が未来を切り開く! 』 -古くて新しい提言書-

Posted on 2021年1月9日 by cool-jupiter

ウェブ時代 5つの定理―この言葉が未来を切り開く! 75点
2021年1月5日~1月7日にかけて再読了
著者:梅田望夫
発行元:文藝春秋

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コロナ禍において「新しい生活様式」なる言葉が人口に膾炙した。「ニューノーマル」とも「新常態」とも言われるが、実は目新しい概念ではない。時代の転換点において、ニューノーマルという言葉は常に使われてきた。「ニューノーマル」という言葉をいち早く紹介した本書は、給付金の申請がオンラインよりも紙の方が速く処理されるという現代日本に多大な示唆や提言を与えてくれている。

 

あらすじ

第1定理では「アントレプレナーシップ」を、第2定理では「チーム力」を、第3定理では「技術者の眼」を、第4定理では「グーグリネス」を、そして第5定理では「大人の流儀」を紹介する。働き方に悩む人、これから先のキャリアについて考える人にとってのヒントが満載である。

 

ポジティブ・サイド

著者の梅田のキャリアゆえか、彼の著書には一貫して個と組織の在り方、その関係についての考察や提言がなされている。それは本書でも同じである。ただ、梅田自身が語る言葉ではなく、梅田というフィルターがろ過したシリコンバレーの技術者や経営者の言葉であるところに本書の価値がある。Jovianは梅田に私淑しているが、同じように梅田を通じて人生やキャリアについてより深く考えるようになったという人間は多いはずだ。特に、就職氷河期世代、いわゆるロスジェネにその傾向が強い気がする(というのは、Jovianの周りがだいたいそういう世代だからだろうか)。個が組織を作り上げる、あるいは大組織の中で個が輝くという事例を本書は数多く紹介しており、若いビジネスパーソンにも壮年のビジネスパーソンにもお勧めできる内容になっている。

 

以下、いくつか気に入っている言葉を紹介する。

 

第1定理 アントレプレナーシップ

世界がどう発展するかを観察できる職につきなさい。
そうすれば、「ネクスト・ビッグ・シング」が来たときに、
それを確認できる位置にいられるはずだ。 ―――ロジャー・マクナミー

 

ここでいう「ネクスト・ビッグ・シング」とは、破壊的イノベーションを起こすサービスやプロダクトという意味だが、現在の目からするとZoomが最もこれに当てはまるだろうか。製造業であれば「何を作るか」、サービス業であれば「何をand/orどう提供するか」を常に考えるはず。教育業界にいるJovianはコロナ禍において勤め先およびクライアント大学の授業へのZoomやGoogle Meet導入に深く携わる機会があったが、その時に「誰もが教育者になれる時代が来た」と直感した。Zoomで講義を録画する、そしてYouTubeにアップする、というだけではない。自分がPC上で行っている作業の方法をオープンにすることで、一気に業務改善ができる、あるいは他者の業務改善を手助けできるようになる。また、これまでのPCのサポセンなどは電話で顧客に技術的サポートを提供していたが、今後はネットにさえつながっていれば、そしてPCにカメラとマイクが装備されていれば、困っている相手に画面共有してもらえれば、すぐさまソリューションを提示できるようになる。事実、そうなりつつある。コロナ禍で仕事が激減した、自営業を立ち上げるしかない、という人の多くが、何らかのインストラクター職を選ぶものとJovianは見ている。

 

第2定理 チーム力

世界を変えるものも、常に小さく始まる。
理想のプロジェクトチームは、会議もせず、
ランチを取るだけで進んでいく。チームの人数は、
ランチテーブルを囲めるだけに限るべきだ。―――ビル・ジョイ

 

これは本当にそうで、何も世界を変えるような大きな仕事でなくても、普通の人の普通の仕事にも当てはまるはず。Jovianの以前の会社では20人ぐらいで会議をしていて、会議=ただの報告会になっていた。決まった人が決まった順番で、いつも通りの内容(当月の売り上げや来月の見込み額など)を喋るだけ。活発な意見交換や議論などは存在しなかった。今の会社の会議も似たようなところがあるが、その代わりプロジェクトチーム単位(3~4人)になると談論風発する。日本企業における会議体の多さに辟易する人は多いはず。そうした人々に、ビル・ジョイの言は刺さることだろう。

 

第3定理 技術者の眼

技術的な転移(大変化)は、常に勝者と敗者を生む。
勝者とは、より早くその技術を導入できる企業であり、
敗者は、立ち往生し、転換をはかれず、
新たな技術をうまく使いこなせない企業だ。―――エリック・シュミット

 

説明不要なまでに明快だ。関西の某大学は2020年の春学期にオンラインでリアルタイムに授業を提供する仕組みを作り切れず、ほとんどの科目でGoogle Classroomもしくは大学ポータルサイト上で課題を課して締め切りを伝えて終わり、という暴挙に出た。そして、秋学期にオンライン授業を始めたが、教員や職員に研修が行き届いておらず、頓挫。学生や保護者からクレームの嵐だと聞く。近いうちに関西にも緊急事態宣言が発令されそうだが、そんなことに関係なく、今年度の出願者数は激減していることだろう。これは何も某大学だけのことではない。政府がいくら「テレワークの推進を!」と叫んでも、それができない会社がマジョリティなのだ。上のエリック・シュミットの言葉の「企業」を「国家」に入れ替えれば、極東の島国の姿が見えてきはしまいか。

 

第4定理 グーグリネス

「ニューノーマル」時代における成功とは、タイムマネジメントに尽きる。
この時代における通貨は、時間なのである。―――ロジャー・マクナミー

 

Jovianは本書を初めて読んだ時に、この言葉に大いにインスパイアされた。実際の文脈では「仕事のうちで自分がどこにこだわるべきかを明確にして、そこに時間とエネルギーを投下せよ」という意味なのだが、コロナ禍の今になって読み返せば、さらにその重みを増している。オンライン授業の際、「もっとも通信環境が貧弱な学生に配慮するように」というお達しが文科省からあった。そのため、ほとんどすべての大学では90分授業を60分オンライン、30分オフラインとなった。Jovianの会社は大学に非常勤講師を派遣しているが、講師たちからは「これじゃあ、教科書が全部カバーできない」という悲鳴が聞かれた。重要なのはタイムマネジメント、必要なところ、学生に身に着けてほしいと心底から思う部分の指導に集中してほしい、と誠心誠意に伝えた。それが上手く行ったかどうかは分からないが、今のところクライアント大学からは授業関連のクレームは出ていない。

 

第5定理 大人の流儀

自分がやらない限り世に起こらないことを私はやる。―――ビル・ジョイ

 

なんとも気宇壮大な言である。だが、現実味がある。Googleの圧倒的な成功と普及によって、世の中の情報はかなり整理され、組織化されてきた。極端な言い方をすれば、Google検索に引っかからない情報は存在していないも同然、という世界観が浸透しつつあるとも言える。つまり、事業を始めるにあたってのブルー・オーシャンが見つけやすくなったとも考えられるのだ。Jovianも万が一だが、今の勤め先がコロナ禍で立ちいかなくなったり、最悪潰れてしまった時には、マイナーな英語の資格検定対策専門のオンライン塾でも立ち上げようかと考えている。そうしたスクールというのは、日本ではびっくりするぐらい少ないのである。

 

以上、各章を簡単に紹介したが、いかがだっただろうか。飲食業界、不動産業界、製薬業界など、あらゆる分野の職業人にとってヒントになる言葉、勇気を与えてくれる言葉が見つかると確信できる良書である。

 

ネガティブ・サイド

全体的にオプティミズムに溢れている。それこそ『 シリコンバレー精神 』なのだろうが、日本人、もしくは日本的カルチャーに染まった会社・企業・組織というものは楽天主義ではなかなか動かない。どちらかというと「〇〇〇しないと会社が潰れますよ」、「△△△を持っていないと市場から見放されますよ」というネガティブなメッセージがないと腰を上げない経営者や決裁権者の方が多い。成功者の理念や哲学、言葉を紹介するだけではなく、事業の失敗者の反省の言なども取り入れていれば、よりバランスの良い本になったと思う。もっとも本書のP60~63で述べられているように、シリコンバレーの投資家は全ての投資先から回収していくのではなく、大きく成長した、またさらに将来性の見込める企業から一気に投下資本を回収する仕組みを作っているので、そうした意味での「事業失敗者」は見つけられなかったのかもしれない。ただ、梅田自身が『 ウェブ進化論 』で紹介したことのある、かつての勤務先の社内ベンチャーの失敗の話などを盛り込むこともできたのではないか。

 

第3定理「技術者の眼」の章で紹介されている言葉が、アップル関連の人物の言葉に偏り過ぎている。また、「技術者の眼」というよりも「技術者の目」を紹介する章になっていると感じられる。P142~143の渡辺誠一郎氏の逸話のようなエピソードはまさに「技術者の眼」という感じだが、その他の言葉は「技術者の目」から見た社会や世界、未来という感じが強い。梅田自身はコンサルタントでエンジニアでもプログラマーでもないせいか、この第3章だけは、やや全体から浮いた印象を受ける。

 

総評

本書はウェブ時代における「ニューノーマル」を始めとした様々な概念や言葉を体系的にまとめたもので、コロナ禍においてデジタル・トランスフォーメーションが進みつつある日本で、再読の価値が高まっていると言える。2008年刊行の書籍が2021年においても大きな意味を持つことに日本社会の停滞を感じるが、「個の強さ」を常に強調してきた梅田望夫によって厳選された言葉の数々は、現代日本のビジネスパーソンや学生にとって大きな指針となることは間違いないだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン 

The only way to do great work is to love what you do.

本書(文庫版)のP283にあるスティーブ・ジョブズの言葉。数々のジョブズの名言の中でもとくに有名な、スタンフォード大学の卒業式でのスピーチの一部。“love what you do”の部分は、日本でも多くの英語人が様々に翻訳してきた。ちなみにJovianは「自分の仕事を心底好きになる」と訳して、当時の勤め先の教材にも盛り込んだ。What you do = 普段からしていること ≒ 仕事、となる。ちなみにWhat do you do? =「職業は何ですか?」という紋切り型の説明がしばしばなされるが、これは間違い。正しくは、「今は何をしているのですか?」である。小学生の時の同級生と20年ぶりにばったり出会った時のことを想像してみてほしい。「うわー、久しぶり!今、何やってるの?」と尋ねることだろう。この「今、何やってるの?」こそ、“What do you do?”である。

 

現在、【英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー】に徐々に引っ越し中です。こちらのサイトの更新をストップすることは当面はありません。

I am now slowly phasing over to https://jovianreviews.com. This site will continue to be updated on a regular basis for the time being.

Posted in 国内, 書籍Tagged 2000年代, B Rank, 日本, 発行元:文藝春秋, 著者:梅田望夫Leave a Comment on 『 ウェブ時代 5つの定理―この言葉が未来を切り開く! 』 -古くて新しい提言書-

『 ポン・ジュノ 韓国映画の怪物 』 -垂直・水平的なポン・ジュノ研究本-

Posted on 2020年7月23日 by cool-jupiter

ポン・ジュノ 韓国映画の怪物 75点
2020年7月20日~7月23日にかけて読了
著者:下川正晴
発行元:毎日新聞出版

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『 パラサイト 半地下の家族 』のアカデミー賞4冠はまだまだ記憶に新しい。ポン・ジュノ監督のフィルモグラフィーやバイオグラフィーにあらためて光を当てるにはこれ以上ないタイミングで、やはり出た。最初は「Wikipediaの内容をちょっと膨らませた程度かな」と思っていたが、本作の目次に目を通して、そうした懸念は消えてなくなった。これは極めて学究的なポン・ジュノ研究の試みである。

 

あらすじ

本作は、第1章『パラサイトの真実』で映画『 パラサイト 半地下の家族 』の研究と考察を、第2章『ポン・ジュノの正体』ではポン・ジュノの作家としての変態性(perversion)と変態(metamorphosis)を語る。第3章『ポン・ジュノのDNA』ではポン・ジュノの家族史と韓国史を垂直かつ水平に分析し、第4章『韓国映画産業の現在』では韓国の国家戦略、映画との距離(ブラックリスト問題と国家的振興策)が議論される。どれも刺激的な論考である。

 

ポジティブ・サイド

本書の真価は2、3、4章にある。第1章はちょっとネットの世界に潜れば、いくらでも手に入る類の情報である。つまり、少々軽い。それゆえに、非常に堅苦しい論考が続く中盤以降に向けてのちょうど良い入り口になっている。

 

第2章では、作家としてのポン・ジュノを深く掘り下げる。特にポン・ジュノが各種メディアに語った言葉を引用しながら、その当時のポン・ジュノの成長=変化=変態の過程の背景を明らかにしていく。その切り口がユニークだ。韓国の国家的な成長とポン・ジュノの個人的な成長を重ね合わせて見るとともに、両者の成長・変態の過程を世界史的な視点からも見つめている。ポン・ジュノの青春時代の政治的激動と、国際的な文化の流入(それはアメリカのテレビ映画であったり、あるいは日本の漫画や映画であったりする)を一体的に論じる本章は、個人的に最も刺激を受けた。

 

第3章は、ポン・ジュノの先祖、特に母方の祖父・朴泰遠が小説家として日本による朝鮮半島の植民地政策や近代化とどのように向き合い、いかに「越北」するに至ったのかを考察する。その過程で、下川正晴の関心が朴泰遠の「二人の妻」にあてられるところに、著者の現代的関心が見て取れる。また、こうした家族史、つまり父母や祖父母の物語が戦争や非植民地化、国家と民族の分断と密接不可分であるところに、近代日本と近代韓国の歴史観の違いが如実に表れている。小林よしのりや百田尚樹といった言論人は、日本の兵士であった当時の日本の兵士を父や祖父、兄や弟といった限定的な関係からしか描かず、彼らの戦いもきわめて内面的な動機の面からしか描かない。いや、描けない。それはそうだ。解放戦争の兵士という姿は、一歩引いたところから見れば、侵略者・征服者になるからだ。そうした侵略される側、征服される側の朝鮮半島の一知識人の生活史を通じて、ポン・ジュノのDNAを解き明かそうという試みは非常に客観的であり、同時に野心的でもある。本章の迫力は、本書の中でも随一である。

 

第4章では、韓国エンタメ産業の世界戦略が、イ・ミギョンという老婦人を通して描かれるところに、やはり著者の問題意識が垣間見える。この大財閥創始者の孫娘である女性の個人史は、朝鮮半島の近代史と不思議なシンクロを見せる。興隆と分断、そのトラウマとそこからの新規巻き返し。一経営者を世界経済的な視点から分析することで、CJエンターテインメントの、ひいては韓国の国家的な戦略を現在進行形で活写していく。本書の第4章を材料に、ケース・スタディおよびディスカッションを行うビジネス・スクールがあっても驚かない。それほど緻密な取材と資料の分析に基づいた論考になっている。

 

思想の左右で売り上げが上がり下がりするという末期的な症状を呈している日本の出版業界にも、まだまだ真っ当な書き手は存在することを教えてくれる良書である。

 

ネガティブ・サイド

率直に、日本の記述が少ないと感じた。日本そのものではなく、日本が韓国に及ぼした文化的な影響や、韓国の娯楽産業の興隆と日本の娯楽産業の興隆の歴史比較などがあっても良かったのにと感じる。ポン・ジュノが日本の文化で影響を受けたものと言えば、本書にもある通り漫画である。その漫画の神様・手塚治虫やアニメーターの宮崎駿は太平洋戦争終結後にすぐに頭角を現してきた。戦争、というよりも戦争を可能にするような国家体制が、いかにクリエイティブな個の才能を抑えつけるかを証明している。一方の韓国で映画文化・映画産業が豊かに花開いた背景に、長く続いた軍事政権が1980年代後半にようやく終焉を迎えたという事情がある。このあたりの近現代史にもう少しページを割いても良かったのではないだろうか。

 

また、韓国の民主化以降、外国文化(当然日本も含まれる)の輸入を始めた韓国が、初めて触れた日本の映画作品の多くが北野武の作品だったこと、北野武のテイストがいかに当時の韓国の映画人に影響を及ぼしたのか、などの考察があればパーフェクトだった。しかし、このあたりは著者も本書の冒頭で述べている通り、後に出版されるであろうその他多くの研究本の課題・宿題だろう。

 

参考文献に書籍しか載っていないのがまことに惜しい。英語や韓国語のウェブサイトも多数参照したのは間違いないはず。そうしたサイトのURLも載せなければダメだ。Google Translateを活用すれば、どんな言語であっても、大意を把握することが可能な時代である。著者および編集者はかなり古い体質の書き手であり出版人なのだろう。ネット上の参考資料をもっと読者とシェアすべきである。それが今後の「参考文献」の在り方だろう。

 

総評

おそらく今後、ポン・ジュノや韓国映画研究本が多数出版されるであろう。本作は間違いなくその嚆矢である。新聞記者らしく多くの資料を渉猟して、極めて客観的に事実を記述し、さらに主観的な意見を述べる時の舌鋒は鋭い。単なるポン・ジュノ監督の伝記以上に、ポン・ジュノの家族史と韓国社会の歴史を水平方向と垂直方向の両方向に追究しようとした労作である。韓国映画ファンのみならず、広く映画ファン全般、さらにエンタメ業界人や同業界を志す大学生にお勧めしたい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

metaphor

「暗喩」の意。日本語でもカタカナでメタファーと書くことがよくある。映画ではしばしば visual metaphor が用いられ、ポン・ジュノ監督はその名手であると目されている。『 パラサイト 半地下の家族 』では、階段が重要な visual metaphor として用いられていた。映画を観る際には、様々なオブジェや風景が意味するものが何であるのかを考えながら鑑賞してみよう。そうすれば、監督の意図や映画のメッセージを理解する手助けになる。

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Posted in 国内, 書籍, 未分類Tagged 2020年代, B Rank, 日本, 発行元:毎日新聞出版, 著者:下川正晴Leave a Comment on 『 ポン・ジュノ 韓国映画の怪物 』 -垂直・水平的なポン・ジュノ研究本-

『 ムゲンのi 』 -ジャンルミックス・ファンタジーの良作-

Posted on 2020年4月25日2021年1月8日 by cool-jupiter

ムゲンのi 75点
2020年4月19日~4月23日にかけて読了
著者:知念実希人
発行元:双葉社

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200425115843j:plain
 

『 仮面病棟 』の知念実希人の単行本上下二巻の大部の小説。こちらはイージー・リーディングとは程遠いズッシリとした手応えが得られる。なので、活字に慣れていない人には少々しんどいかもしれない。だが、活字を苦にしないならば、本作を巣ごもりのお供にするのも良いだろう。

 

あらすじ

医師の識名愛衣は、眠りから目覚めることがないというイレスという奇病の患者の治療にあたっていた。だが、霊能者だった祖母から力の使い方を授かった愛衣は“夢幻の世界”で自分の分身的存在であるククルと共に、イレス患者の魂を救うマブイグミを行っていくが・・・

 

ポジティブ・サイド

海堂尊の作品のような外科医一辺倒の医学ミステリや医学サスペンスではなく、純粋なファンタジーというのは、それだけで貴重である。そして本書の価値は、その希少価値ゆえではなく、その面白さによって高められている。

 

本書の面白さとは、第一にその壮大なる世界観である。フロイト的な個人の深層にある無意識世界、まさに夢幻の領域を探索するストーリーといえば真っ先に『 インセプション 』が思い浮かぶ。だが、本書が描写する夢幻の世界には、それこそ明晰夢のような臨場感と迫真性がある。『 インセプション 』は夢と現実の境目をどんどんと曖昧にしていったが、本書は逆である。夢幻の世界は、対象のイレス患者のトラウマ体験が極端に肥大化して存在する世界なのである。現実に絶対にありえないような世界の在り様は、そのままイレス患者の心の傷の深さの象徴なのである。非現実がますます非現実になっていく。それは、悪夢という名の現実に苛まれていることの証なのである。それを救うための旅路のお供がウサギ耳の猫というのがいい。我々は猫耳やウサ耳という属性には結構慣れている。しかし、猫にウサギの耳をくっつけるという発想は非凡だと感じる。Jovianと同世代である知念実希人、恐るべしである。

 

夢幻の世界に引きこもってしまったイレス患者たちの現実体験も非常に過酷で苛烈だ。特に父がパイロットだった女子高生と、人権派の弁護士に秘められた非常に悲しく苦しい物語は、読者の心に確かな爪痕を残すことだろう。特に後者は『 黒い司法 0%からの奇跡 』をひっくり返したような、何とも後味の悪い話だ。上巻は『 友罪 』と同じ、あいつは少年Xなのか、という疑惑で締めくくられる。Jovianや知念実希人の数歳年下である、あの少年Xがモデルであることは疑いようがない。現実に起きたあまりにも非現実的な事件をも効果的なガジェットとして使うことの意味は、終盤に分かってくる。なるほど、これは一種の『 HELLO WORLD 』なのだ。こうした構造の小説はそれほど珍しくはないが、読む側をもこのような形で包み込んでくるような物語はそれほど多くない。なんとなく映画にもなったミヒャエル・エンデの小説『 はてしない物語 』を彷彿させてくれる。

 

本作には、一種の叙述トリックも仕込まれている。種明かしされてみれば、確かにそうだった・・・と納得できるクオリティ。綾辻行人の『 Another 』や山本弘の『 詩羽のいる街 』を読んだ時に近い驚きを覚えた。下巻も3分の2まで読み進めれば、もうページを繰る手を止めることは不可能。毎日少しずつ読むのもアリだが、下巻も半分を過ぎたら、残りは翌日が休日となる日までとっておこう。ぐいぐい読ませるし、そしてベタではあるが感動的なフィナーレが待っている。

 

ネガティブ・サイド

犯人(という表現が適切かどうかはさておき)が、あまりにもあからさま過ぎる。いわゆる、いちばん犯人っぽくなさそうな人物が実は・・・というお約束は本作でもしっかり守られている。ミステリ愛好家は読む前にあれこれと考えたり、あるいは「コイツが犯人だな」と序盤で当たりをつけて読み始める習性がある。是非そうした読み方をしてほしい。案外簡単に犯人を当てられることだろう。もう少しひねりやミスリーディングさせる仕掛けが欲しかった。

 

最終盤手前のククルの言動がいかにもクリシェである。「まあ、多分そんなことにはならないと思うけど」というのは、「100%そうなるよ」の意味であることを、我々は熟知している。このあたりの定番の台詞や展開を外して、もっと悲壮感ある展開を生み出せなかったのかと、少々残念に感じる。

 

総評

ミステリであり、サスペンスであり、ファンタジーである。そのどれもがハイレベルにまとまったジャンルMIXの快作である。読み終わった瞬間に、初回では全く意味不明だった上巻の冒頭を読みたくなる。まるでジェームズ・P・ホーガンの『 星を継ぐ者 』や高畑京一郎の『 タイム・リープ あしたはきのう 』のような読後感である。ムゲンとは無限であり夢幻である。iは愛、英語の一人称のI、主人公の名前である愛衣である。アイを含むタイトルの小説としては、山本弘の『 アイの物語 』に次ぐ面白さだと感じた。活字嫌いにも、1か月かけて読んでほしいと思える。読みごたえは保証する。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I’m in the pink.

「絶好調だよ」というセリフの私訳。しばしば、be in the pink of healthという形で使われる。実際には「絶好調だよ、腰から上は」というセリフで、後半を英語にするなら、from my waist upとなるだろうか。これは、I’m paralyzed from my waist down.の裏返しである。元強豪ボクサー、ポール・ウィリアムスを思い出す。

 

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2010年代, B Rank, ファンタジー, ミステリ, 日本, 発行元:双葉社, 著者:知念実希人Leave a Comment on 『 ムゲンのi 』 -ジャンルミックス・ファンタジーの良作-

『 韓国映画 この容赦なき人生 〜骨太コリアンムービー熱狂読本〜 』 -とにかく熱い韓国映画読本-

Posted on 2020年3月25日2020年8月29日 by cool-jupiter

韓国映画 この容赦なき人生 〜骨太コリアンムービー熱狂読本〜 75点
2020年3月21日~22日にかけて読了
発行元:株式会社鉄人社

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2020年3月15日に『 殺人の追憶 』を心斎橋シネマートで鑑賞した際に、同劇場で購入。3月21日にページを開き、3月22日に読了。第1刷は2011年という本書だが、掲載されている日本の映画人たちの韓国映画をレビューする熱量は、『 パラサイト 半地下の家族 』がアカデミー賞を席捲した直後かと思えるほど。実は韓国映画は10年以上前から熱かったのだなと、今更ながらに本書に蒙を啓かれた思いである。

 

あらすじ

頭をかち割られ、心臓をつかまれ、エンドロールが流れるころには身も心もぼろぼろ。その独特の後味の中で、体内に重く沈殿する何か。生きるとは?愛とは?家族とは?赦しとは?人間の本質、人生の普遍にかかわる重要な投げかけに我々は深く自問自答せざるをえない。スクリーンでしか得られない興奮と苦悩を、問答無用に突きつけてくる韓国映画。本書は本物志向のコリアンムービーが放つ妖しくも危険な魅力に迫った1冊である。(編集部のINTRODUCTIONを一部引用)

 

ポジティブ・サイド

園子温や宮藤官九郎、中村うさぎや三池崇史など、実に濃い面々の声を聞くことができる。ただの声ではない。彼ら彼女らは皆、韓国映画に脱帽している。これだけの映画人たちがしゃっぽを脱ぐのだから、韓国映画の持つ熱量たるや、すさまじいものがあるのだろう。マイルドな映画ファンにそう思わせるだけの迫力がある。

 

いや、中には兜を脱いでいない役者もいる。『 ボヘミアン・ラプソディ 』のレビューの雑感で「お前のキャリアはどうでもいい。裏方さんに迷惑かけんな」とJovianが断じた新井浩文だ。彼は『 チェイサー 』で殺人鬼を演じたハ・ジョンウを指して、「で、あの役をもしウチがやってたら、とか考えると、もっと怖くできただろうな、と。そこはすごく思うんですよね」(P50)と豪語する。その意気や良し!日本では役者として再起することは難しいだろう。韓国語を勉強しまくって、韓国映画のオーディションを受けまくればいい。『 リンダ リンダ リンダ 』でぺ・ドゥナが、『 新聞記者 』や『 ブルーアワーにぶっ飛ばす 』のシム・ウンギョン、『 焼肉ドラゴン 』のキム・サンホなど、韓国の俳優は結構たくさん日本の映画に出ている。逆は、『 哭声/コクソン 』の國村準ぐらいか。唐田えりかも若いのだから韓国語を猛勉強して、韓国映画界に活路を見出すべきだ。そうすれば凱旋帰国の道も開けてくるかもしれない。

 

閑話休題。個人的に最もグッと来たのは竹中直人による『 悪魔を見た 』レビューだ。「感覚としては『 悪魔のいけにえ 』や『 エクソシスト 』を観たときの感覚に近いのだけど、それさえも吹っ飛んじゃった」(P43)ということである。マジかよ・・・ スーパーナチュラルなホラーの最高峰『 エクソシスト 』と、サイコパス・スラッシャーのホラー最高峰の『 悪魔のいけにえ 』以上なのか。この二作はレンタルビデオで観た中学生のJovianをほとんど文字通りの意味 pants-shittingsly scaredな気分を味わわせてくれたが、それ以上なのか。観たいような観たくないような。

 

もう一つ印象に強く残ったのが、寺島しのぶの『 母なる証明 』評。「韓国映画は好きで良く観ますが、いつも感じるのが“匂い”です」(P)と言う。これは化学的な意味での匂いではなく、比喩的な意味での匂いだが、寺島しのぶが『 パラサイト 半地下の家族 』の兄妹ふたりがWi-Fiを求めてトイレに行き着くシーンには、どんな“匂い”を嗅ぎつけるのだろうか。日本では貧困家庭の女子高生がスマホを持つことを「けしからん」と感じるアホ(敢えてそう呼ばせて頂く)がたくさんいるが、スマホやPCでインターネットに接続することは、衣食住よりも大切とは言わないが、それらに次ぐほどに重要なことなのだ。臭そうなトイレだなと思っては負けである。寺島しのぶによる『 パラサイト 半地下の家族 』のレビューをぜひ聞いて/読んでみたい。今からでも誰かインタビューに突撃してくれないかな。

 

ネガティブ・サイド

カラーページが少ない。韓国映画のテイストに、血まみれの描写に妥協をしないという点が一つ挙げられる。容赦ない暴力の場面、または流血の場面にもっとカラーページを割いても良かったのでは?

 

後は、対象に想定している読者が狭い。ライトでカジュアルな映画ファンからディープでコアな映画ファンまでを想定するのは良いが、このような読本が本当に取り込まなければならないのは年に1~2回程度しか映画館に行かない、いわゆる一般人である。容赦のない暴力や狂気の愛だけではなく、普通にロマンティックなラブストーリーや青春映画を2、3作品ほど紹介するスペースがあってもよかった。もしくは一般人に訴求力のある役者、例えば小栗旬や妻夫木聡、篠原涼子といった知名度と実力の両方を持った人間などにインタビューあるいは一筆をもらうことはできなかっただろうか(ギャラ的に完全に無理だったのかもしれないが)。

 

どこかに日韓映画文化比較論を入れる余地もなかっただろうか。【そこまでやるか、韓国。ついていけるか、日本】と煽るのなら、しっかりと日韓の映画をcompare and contrastすべきだろうと思う。そのあたりは2020年代に発行されるであろう、新たな読本に期待するとしよう。

 

総評 

純韓国映画『 パラサイト 半地下の家族 』が米アカデミー賞で4冠達成。今こそ読むべき韓国映画読本である。今年だけでも『 エクストリーム・ジョブ 』や『 スウィング・キッズ 』などの秀逸なコメディや人間ドラマを送り込んできている韓国映画界。今こそ、向き合うべき時である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

give ~ goosebumps

寺島しのぶが『 母なる証明 』の冒頭のシーンで「鳥肌が立った」と述懐している。その表現がこれである。My oh my, your presentation gave me goosebumps. = 「なんてこった、お前のプレゼンに鳥肌が立ったぜ」となる。しばしば無生物を主語にして使われる表現である。パッとこれが口から出せれば、英語学習の中級者である。

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2010年代, B Rank, 日本, 発行元:株式会社鉄人社Leave a Comment on 『 韓国映画 この容赦なき人生 〜骨太コリアンムービー熱狂読本〜 』 -とにかく熱い韓国映画読本-

『 一度死んでみた(小説) 』 -人物描写あり、背景描写なし-

Posted on 2020年3月20日 by cool-jupiter

一度死んでみた 50点
2020年3月19日 読了
著者:澤本 嘉光 鹿目けい子
発行元:幻冬舎文庫

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ふざけた内容のコメディとも、シリアスな内容のヒューマンドラマとも受け取ることができる作品である。表紙、そしてトレイラーの影響でキャラクターたちが、自動的に脳内で役者に変換されてしまうが、違和感は全くなかった。

 

あらすじ

バンドでデスメタルを歌う野畑七瀬は、父の野畑計が大嫌い。ことあるごとにライブで「死んでくれ」と絶唱している。だが、そんな父が死んだ。そして2日後に生き返るという。自らが開発した謎の新薬と、それを狙うライバル製薬会社が背景にあるのか?七瀬は、計の会社に勤める存在感の極めて希薄な松岡と共に、父を生き返らせるために奔走するが・・・

 

ポジティブ・サイド

人物の描写、人物の内面の描写、そしてセリフが全体の50%以上を占める。なのでReadabilityは抜群である。サクサク読める。実際に本編は167ページだが、Jovianは1時間弱で読了した。スティーブン・キング原作の映画を観ることはできても、スティーブン・キングの小説そのものはとても読めないという人は多い。なぜなら、人物も、その人物の内面も、情景もどこまでも濃く、ねっとりと描写するからだ。本書はその真逆である。活字嫌いでもすいすい読める。

 

興味深いなと感じられたのは、父と娘の関係よりも母と娘の関係の方である。そして、それを通して見えてくる七瀬の父と母の関係。ともすればすべてを「実験と観察」に還元してしまう父の計だったわけであるが、ではどうやって結婚し、子をもうけたのか。そこにミステリーがある。父が死んだことで初めて見えてくる景色というのは確かにある。いや、父に限らずとも、母でも祖父母でも兄弟姉妹でも親友でも、誰かの死によって、一つの関係が断ち切られる。関係が消失する。失って初めてその存在に気が付く。マルティン・ハイデッガーはそれを「気遣い」と呼び、存在の本質だとした。つまりは「有り難い」ということだ。

 

物語は企業の合併交渉と継承者問題で一気に突っ走っていく。そしてほのかなロマンスの予感を漂わせながらも、予定調和的なエンディングにたどり着く。このReadabilityこそが本書のアドバンテージである。娘が活字嫌いで困っているという親御さん、特に世のお父さんがたには、本書をお子さんに買い与えることを提案してみたい。

 

ネガティブ・サイド

「今死んだらぶっ殺すわよ」という映画のトレイラーの台詞は、本当なら七瀬の母の台詞のはずである。ということは、映画本編も少しいじっているのだろうか。

 

薬学部3年生が就職活動をしているが、これは完全なる取材ミス、そして編集者や構成担当者のエラーである。薬学部はかなり以前に全て6年制に移行しているため、3年生が就職活動をするのは考えられない。映画版も、トレイラーを見る限りは同じミスをやらかしている。邦画だけではなく、日本の小説のレベルも落ちつつあるのか。

 

これも読む人によるのだろうが、あまりにも情景や背景の描写がなく、ズシリとした読了感が得られない。本格的な書き手の作品に慣れた人には向かないだろう。はっきり言って文章構成力はめちゃくちゃ低い。Jovianの大学の寮の直接の先輩である水沢秋生氏が書いていたラノベと大して変わらない(水沢秋生の名誉のために言うが『 運び屋 』で紹介した『 運び屋 一之瀬英二の事件簿 』のように、今の彼の文章力、ストーリー構築力は素晴らしいものがある)。

 

ミステリー風味な面でも不満が残る。これまた少し慣れた読み手であれば、「ははーん、これは終盤にこうなるわな」というのが見え見えである。もっと上手い書き方があるはずだ。

 

肝心のストーリーも、まんま『 ロミオとジュリエット 』の駆け落ち前の展開を抜き出して、そこに『 フランケンシュタイン 』の要素を混ぜ込んだだけ。『 メアリーの総て 』のメアリー・シェリーも心外に感じているのではないだろうか。

 

総評

対象は高校生か、せいぜい大学生までだろう。大人の読み手を満足させるには色々とツッコミどころが多すぎる。逆に言えば、そうしたツッコミどころを気にしない読者ならば、セリフとキャラの内面描写ばかりでドンドンと進んでいく物語を楽しめるのではないだろうか。これから映画の方も観に行く。原作が50点のD Rankなので、映画に関しては期待値をそれほど上げずに済みそうである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Even if you don’t see it, it exists.

「目に見えることだけが存在じゃない」という作中の台詞。「たとえ目に見えなくても、それは存在する」と訳してみた。これまた『 ロミオとジュリエット 』や『 フランケンシュタイン 』同様に、名作古典の『 星の王子さま 』へのオマージュだろうか。

 

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Posted in 国内, 書籍Tagged 2010年代, D Rank, ブラック・コメディ, 日本, 発行元:幻冬舎文庫, 著者:澤本嘉光, 著者:鹿目けい子Leave a Comment on 『 一度死んでみた(小説) 』 -人物描写あり、背景描写なし-

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