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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 映画

『 ターミネーター ニュー・フェイト 』 -アクション○、ストーリー×-

Posted on 2019年11月13日2020年4月20日 by cool-jupiter
『 ターミネーター ニュー・フェイト 』 -アクション○、ストーリー×-

ターミネーター ニュー・フェイト 50点
2019年11月9日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:リンダ・ハミルトン アーノルド・シュワルツェネッガー マッケンジー・デイビス ガブリエル・ルナ
監督:ティム・ミラー

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T2の正統的な続編であると散々喧伝されてきた。Jovianは『 ターミネーター 』を親父の持っていたVHSで小5ぐらいに観た。『 ターミネーター2 』は小6の夏休み明けに家族で劇場で観た。両作とも文句なしに傑作だった。では本作はどうか。Twitter界隈や多くの海外レビューにある通り、『 スター・ウォーズ/フォースの覚醒 』そっくりであった。

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あらすじ

審判の日は回避された・・・はずだった。しかし、メキシコに暮らすダニー(ナタリア・レイエス)の元にターミネーターREV-9(ガブリエル・ルナ)が未来から襲来。また、それを阻止すべく強化人間のグレース(マッケンジー・デイビス)も未来からやってくる。さらに追い詰められた彼女らの元に、サラ・コナー(リンダ・ハミルトン)が姿を現し・・・

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ポジティブ・サイド

20世紀FOXがまたやってくれた。『 ターミネーター2 』のサラの狂気溢れる語りが、製作・配給・提供会社らのロゴを交えたオープニングシーンと混ざり合い、何とも不思議な感覚を生み出している。『 ピッチ・パーフェクト ラストステージ 』や『 ボヘミアン・ラプソディ 』、『 アリータ バトル・エンジェル 』など、オープニングから物語世界へとシームレスに移行していく試みは歓迎したい。ディズニーのやり方に思うところが無いわけではないが、『 スター・ウォーズ 』の世界観を壊さないオープニングや、20世紀FOXのオープニングの工夫を尊重してくれていることは素直にありがたい。

 

冒頭の若いサラとジョン、シュワちゃん演じるターミネーターのシーンは、最初はT2本編からの削除シーンをあれこれといじくったのかと思ったが、体は別の役者、顔だけCGで貼り付けたという。まるでT4のようであるが、これはこれでありだろう。全ての映画で『 ジェミニマン 』的な手法を取り入れては、カネがいくらあっても足りない。

 

今作はアクション開始までの時間が短い。あれよあれよとREV-9の襲撃とグレースの護衛ミッションが始まる。そのアクションはT3以上である。ボディの一部を刃物状に変化させるのは新型ターミネーターのお約束になりつつあるが、そのターミネーターとのチャンバラ的にやり合う序盤と終盤のシークエンスは手に汗握ること請け合いである。またクレーンに吊るされたT-800がビルに叩きつけられのとは違い、グレースは強化人間である。つまり、傷=ダメージである。そのことがアクションシーンに更なるサスペンスを生み出すことに成功している。

 

そして何と言ってもリンダ・ハミルトン、そしてアーノルド・シュワルツェネッガーとの再会には感慨深いものがあった。それはまるで『 スター・ウォーズ/フォースの覚醒 』でハン・ソロが“Chewie, we’re home.”と呟く瞬間であったり、もしくはキャリー・フィッシャーの登場に合わせての“Prince Theme”の流れる瞬間であったり、ルークの登場シーで流れる“The Force Suite”だったり、あるいは『 クリード 炎の宿敵 』のトレーラーがDragoというネーム入りのガウンを見せた瞬間、もしくは『 ブレードランナー2049 』でデッカードが登場した瞬間のような、ノスタルジックな気持ちにさせてくれた。特にリンダ・ハミルトンは、戦う姫のプリンセス・レイア、戦う航海士リプリーと並んで、戦う母親像を本作でさらに solidity したと言える。そしてマッケンジー・デイビスの華麗なる変身の何と見事であることか。『 タリーと私の秘密の時間 』でも素晴らしい余韻を残してくれたが、今作では女戦士として見ごたえあるアクションを披露してくれた。

 

全体的には、ノスタルジーに浸るには良い作品に仕上がっていると言えるだろう。

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ネガティブ・サイド

まず、製作総指揮のジェームズ・キャメロンは何をやっているのか。あまりにも過去の作品からのアイデアの流用が多すぎる。と同時に、シリーズの原点を見失ってしまっているようにも感じられる。

 

まずターミネーターという悪役にしても味方にしても味のあるキャラクターの最大の恐怖であり魅力は、文字通り「鉄の意志」で任務を遂行しようとする姿勢にある。T2のターミネーターにあった融通の利かなさ、それは例えばジョンに「片足を上げろ」と言われて、いつまでも上げ続けるところや、「人間を殺さない」という誓いを立てた次の瞬間に発砲し、慌てふためくジョンに「死なないよ(He’ll live.)」と事もなげに言い放つところが、ターミネーターの見た目は人間でも中身はロボットという事実をこの上なく物語っていた。そうしたキャラが涙の意味を理解し、従容としてthumbs-upをしながら溶鉱炉に沈んでいくからこそ、感動が生まれたのではないか。本作はそうしたT-800の魅力の半分を奪い取ってしまっている。メカメカしかった動きをすることなく、犬がなつくT-800には激しい違和感を覚えた。スカイネットが自我に目覚めるならば、T-800が自我に目覚めてもおかしくはない。理屈の上ではそうだが、あまりにも現代的なメッセージを無理やり詰め込んだようにしか思えなかった。そもそもこのT-800ネタもT3から来ている。

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いや、冒頭の工場でのバトルからその後のカーチェイスまで、T1、T2、T3で観たアングルやショットのオンパレードである。オリジナルな要素があまりにも少ない。そもそもREV-9というターミネーター・モデルにしても、T3のクリスタナ・ローケンと『 ターミネーター:新起動/ジェニシス 』でのMRIとターミネーターの構図が元ネタであることは想像に難くない。というか、ここまで過去作のモチーフを取り入れるのなら、なぜ味方キャラのいずれかに変身・擬態しないのか。ジェネシスですでにやった?ここまで二番煎じを恥じる必要はないだろう。そもそもジェニシスでも一番盛り上がったのは若アーノルドと老アーノルドの激突だった。ここまで過去作へのオマージュを散りばめるのなら、徹底してやるべきだった。REV-9へのトドメもT3のネタをほぼそのまま流用していたので、尚更にそう感じる。

 

ストーリー上の齟齬も散見される。ダニーとグレースに「あんたらは現代を知らない」と一喝しておきながら、ドローンや衛星を考慮に入れないサラ・コナーに喝!『 デスノート Light up the NEW world 』ではないが、細心の注意を払うのならばサングラスにマスクぐらい着用しろと言いたい。それに、二体に分裂するターミネーターの片方にバズーカを一発命中させたぐらいで余裕かまして“I’ll be back.”はないだろう。呑気すぎるし、あまりにも緊張感に欠ける。この決め台詞はもっと別の場面に取っておくべきだった。

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強化人間グレースに弱点を設定する意味もない。設定するならば梅原克文の小説『 二重螺旋の悪魔 』の神経超電導化のような超反射神経、超運動神経、超回復力で、エネルギー効率が超絶悪い=すぐに水分および栄養分不足に陥るぐらいでよかったのではないか。せっかくの女性版カイル・リースなのだから、人間の人間的な部分、ターミネーターと根本的に異なる部分を前面に押し出すべきだっただろう。中途半端な改造強化人間にしてしまったせいで、T4のマーカス・ライトが反転したようなキャラになってしまった。

 

あとはシュワちゃんがたんまり溜め込んだ武器の使いどころがない。T2で、サイバー・ダイン社の爆破時にT-800が警官隊をサラが収集していた武器の圧倒的な火力で蹴散らしたようなシークエンスを期待したが、それも無し。このシリーズの様式美として、圧倒的な火力の放出があるのだが、それが不十分だった。アクションは足りていた。火力が足りなかった。

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総評

期待にしっかりと答えてくれている面とそうでない面が両極端に綺麗に分かれている。ド派手なアクションを期待する向きにとっては最高の作品だろう。だが、これは凡百のアクション映画ではない。ターミネーターなのだ。シリーズの定跡や様式美を受け継ぐことは当然のこととして、T1やT2を超えてやろうという気概こそが求められていたはずだ。結果としてそれが成し遂げられなくても構わない。そのチャレンジ精神は観る者に伝わる。だが、本作はティム・ミラー監督とジェームズ・キャメロンのケミストリーが、良くない結果につながっているように感じられる。

 

Jovian先生のワンポイントスペイン語レッスン

Vamos.

スペイン語で頻繁に用いられる言葉。英語にすると“Come on.”であったり、“Let’s go.”だったりする不思議な表現である。リーガ・エスパニョーラ、あるいはメキシコのボクシングを観戦するという人ならば、馴染みの深い言葉だろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アーノルド・シュワルツェネッガー, アクション, アメリカ, ガブリエル・ルナ, マッケンジー・デイビス, リンダ・ハミルトン, 監督:ティム・ミラー, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 ターミネーター ニュー・フェイト 』 -アクション○、ストーリー×-

『 マイレージ、マイライフ 』 -大人、そして男というややこしい生き物-

Posted on 2019年11月11日 by cool-jupiter

マイレージ、マイライフ 65点
2019年11月7日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョージ・クルーニー ベラ・ファーミガ アナ・ケンドリック J・K・シモンズ
監督:ジェイソン・ライトマン

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何度も劇場に足を運んでいると、それだけたくさんの予告編を自動的に観ることになる。その中でも、最近は特に『 マチネの終わりに 』が気になるようになってきた。言ってみればオッサンとオバサンの恋愛模様なのだが、なにやら重そうだ。それならそれを中和するためにも、事前にあっさり軽く、しかもそれなりにシリアスさもある作品を鑑賞しておくかと本作をピックアウトした。

 

あらすじ

ライアン・ビンガム(ジョージ・クルーニー)は解雇通告の代理人。クライアント企業に依頼され、全米を飛行機で飛び回りながら、従業員にクビを言い渡していく。彼の夢は1000万マイルを貯めること。ある時、ライアンは空港でアレックス(ベラ・ファーミガ)と知り合い、割り切った体だけの関係を始める。一方、彼の勤め先ではナタリー(アナ・ケンドリック)が非対面式の解雇通告の方法を立案していて・・・

 

ポジティブ・サイド

日本では退職代行の会社が人気を博し、その一方でその業務には法律的にあやふやな面もあることが指摘されている。従業員が会社を辞めるというのは、一大イベントであることは間違いない。逆を言えば、会社が従業員を辞めさせるのも、一大イベントであるわけである。そして、退職代行業が成立するのなら、解雇通告代行業があってもおかしくない。2009年製作の本作であるが、日本の退職代行サービスの創業者は本作にインスピレーションを得た可能性が微粒子レベルで存在している?

 

主演のジョージ・クルーニーが、粛々と人々の首切りをしていくのはプロの仕事ぶりであると同時に、非人間的にも映る。お気楽な独身男で、世俗の歓楽を健全に享受し、身を滅ぼすような真似はせず、自らの仕事に誇りを持って、空を自分のホームであると思っている。まるでジョージ・クルーニーがジョージ・クルーニーを演じているようだ。彼の代表作はテレビドラマの『 ER緊急救命室 』と映画『 オーシャンズ11 』だが、本作でもその存在感は健在である。冷酷非情な仕事ではあるが、対面で解雇を伝えることには「尊厳(dignity)がある」と主張するプロフェッショナリズム、男女の関係の機微を論じずに切って捨てるクールさ、そして切って捨ててきたものを振り返って、自分がこれまでに手に入れたもの、そして手に入れ損なったものに気がつく人間味の全てを、クルーニーは体現している。

 

その相手役であるベラ・ファーミガも実に魅力的である。milfyという形容詞が相応しい(気になる人だけ意味を調べてみよう)。「私は後くされのない女よ(I’m the woman you don’t have to worry about.)」とは、非常に強烈なメッセージだ。未知のセックスへの好奇心だけで始まった関係に狂わされることもなく、かといって生理的な欲求を淡々と処理しているだけという無味乾燥さもない。駆け引きはしないが、その代わりに拘束もしない。一言で言えば大人のオンナである。女ではなくオンナと書いたが、その意味は作品をご覧いただければ分かるだろう。

 

アナ・ケンドリックも小娘役を好演した。20代で仕事と結婚したとのたまう輩は、男女の別を問わず、恋愛で手痛い失敗をしたと言っているようなものである。そして、恋愛関係および職務に甘美な幻想を抱く傾向があるものなのである。ジョージ・クルーニーの生き様に自らの来し方行く末を見出し、「あなたってサイテーね!(You’re an asshole!)」と言ってのけるのは痛快である。大人になろうと足掻く子どもが、子どものままでいる大人に説教するシーンには、独特の爽快感がある。いい年こいて、こういうシーンを有り難がるのは、Jovian自身が子どものままでいる大人だからだろうか。

 

ネガティブ・サイド

ジョージ・クルーニーによる空の旅の手ほどき場面は興味深かったが、仕事の多くを機上の人として過ごす人ならではの考察や分析、ルーティンなどをもっともっと見てみたかった。特にアジア人に対する考察は面白かった。アメリカ人も「足元を見るのだな」と感じたが、こういうユニークな視点をライアン・ビンガムという男からもう少し引き出すことは不可能ではなかったはずだ。

 

ライアンの家族についても、もう少し掘り下げた描写が欲しかった。あるいは、編集でカットされたのか。姉に「あなたは存在していなかった」と言われるのは、その頃から機上の人ならぬ孤高の人だったからか。それにしては、高校ではバスケをしていて、ポイントガードだったと言う。わがままなシューティングガードだったというのなら、もう少し納得がいくのだが。

 

あとはJ・K・シモンズの出番が少ない。この男との面談が、クライマックスのpep talkの内容が鮮やかなコントラストを形成するのだが、ここはシモンズにもっと語らせるべきだった。いや、シモンズからライアン・ビンガムに問いかけるような形が望ましかった。そうすることで、一方的に人を切るだけの、さらに恋愛においても感情よりもテクニックを優先させる人でなしが、人間味に、そして人生の意味に目覚める契機をよりドラマティックに演出できたのではないかと思う。

 

総評

ジェイソン・ライトマン監督には基本的に外れが無い。特に『 サンキュー・スモーキング 』や『 JUNO ジュノ 』、『 タリーと私の秘密の時間』など、男の賢しらな一面、つまりアホな面を切り取ることに長けている。世の男性諸賢はライトマン作品を鑑賞して、人のふり見て我がふり直せを実感することができるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Up in the air.

 

原題はup in the airであるが、これは「飛行機に乗って空にいる」という意味と「(予定や計画が)宙ぶらりん状態である」のダブル・ミーニングである。ライアン・ビンガムというキャラクターを名状するのに、これ以上にふさわしい表現はなかなか見つからない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, J・K・シモンズ, アナ・ケンドリック, アメリカ, ジョージ・クルーニー, ヒューマンドラマ, ベラ・ファーミガ, 監督:ジェイソン・ライトマン, 配給会社:パラマウントLeave a Comment on 『 マイレージ、マイライフ 』 -大人、そして男というややこしい生き物-

『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』 -細部のリアリティの欠如が誠に惜しい-

Posted on 2019年11月7日2020年4月20日 by cool-jupiter

閉鎖病棟 それぞれの朝 65点
2019年11月4日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:笑福亭鶴瓶 綾野剛 小松菜奈
監督:平山秀幸

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平山監督と言えば『 学校の怪談 』が最も印象的である。だが、近年は『 エヴェレスト 神々の山嶺 』が、岡田准一ファンのJovianでさえ観るのがしんどい出来だったこともあり、精彩を欠いていると言わざるを得ない。本作はどうか。人間の描写は文句なしである。だが、それ以外の部分の描写に不満が残った。

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あらすじ

梶木秀丸(笑福亭鶴瓶)は妻と間男、実母の殺害により死刑に処された。しかし、脊髄損傷を負ったものの死ねなかった。以来、放免となり六王寺病院に収容されていた。塚本(綾野剛)は幻聴のせいで精神の安定が保てず発作的に暴れてしまう。そのため、六王寺病院に任意入院していた。そこに、ひきこもりの女子高生の島崎由紀(小松菜奈)が入所してきた。入院患者たちはいつしか語らい、触れあい、堅い関係を形作っていくが・・・

 

ポジティブ・サイド

主演の三人の演技力が本作を牽引した。特に鶴瓶の陽気さは、その胸の奥底に秘めた後悔、悲しみ、懺悔の気持ちが綯い交ぜになった、非常に複雑な覚悟のようなものを醸し出していた。「わしは世間に出たらアカン人間や」と自分を戒めながら、それでも人との交流に安らぎを見出したいという、とても人間味のあるキャラクターを好演した。『 アルキメデスの大戦 』でも浪速の商売人を見事に体現したが、この芸人は役者としての修行も疎かにしていないようである。

 

綾野剛も渋い働きをした。ちょっと遅れ気味のカメラ小僧をはじめ、アクの強い六王寺病院の入所者たちと平等に交流できるのは、同病相哀れむからか。まともに見えるこの男も、おそらく統合失調症だとは思うが、幻聴に苛まされているのである。これは経験した人にしか分からないだろう。Jovianも31歳の時に鬱状態に陥ったことがあった。あれは辛いものである。人によって異なるようだが、Jovianは自分自身の声が頭の中に反響する感じがした。いくら耳をふさいでも効果はゼロだった。その声が自分の欠点や弱点を延々と責め立ててくるのだから敵わない。綾野剛はそうした幻聴が聞こえる者を、多少大げさではあったが、よく特徴を捉えて演じていた。しかし、本当に光るのはそうした「動」の演技よりも、「静」の演技であろう。メイクさんグッジョブや監督の演出意図もあったはずだが、綾野剛が演じる塚本という男の頭髪および衣服の乱れ具合と彼の精神状態をよくよく比較してみて頂きたい。精神状態の悪さがセルフ・ネグレクトにつながるということが、ここでは言葉や台詞を使うことなく巧みに表現されている。

 

だが、最も印象的なのは小松菜奈だった。『 ディストラクション・ベイビーズ 』では、クルマのドアで菅田将暉を死ぬほど痛めつける時に狂気の表情を見せたが、本作で見せる絶望の表情そして声も、観る者の心を揺さぶってくる。ファンにとってはショッキングなシーンも複数回あるので、注意をされたし。小松菜奈も綾野剛同様に、慟哭だけではなく、切々と淡々と語り、楚々とした佇まいに秘めた凛とした強さを垣間見せる「静」の演技で物語を大いに引っ張ってくれる。彼女がお辞儀をした時に見えるあるものに、Jovianはよい意味で胸が締め付けられるような気持ちになった。『 恋は雨上がりのように 』に並ぶ、小松菜奈のベストなパフォーマンスがここにある。打ちひしがれていた小松のキャラが陶芸によって少しずつ回復していく様は、非常に象徴的である。粘土というなにものにも成り切れていない一つのかたまりに投影されていたであろう心象に想いを馳せずにはいられなかった。

 

BGMも感動を誘うが、むしろ音のない場面が印象に残った。とある公園のシーンが特徴的だったが、街中には生活音が溢れているということが、その場面では特に際立つ。これにより六王寺病院という空間が、いかに隔離された場所に存在するのかが逆説的に伝わってくる。音楽ではない音を通じて、背景の奥行きを想像する。これも優れた映画の技法である。

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ネガティブ・サイド

主演を張った役者たちの熱演と裏腹に、舞台や小道具などの細部のリアリティは滅茶苦茶である。これは原作小説の発行が1997年、最初の映画化が1999年、今回の映画化において時代設定を2005~2010年ぐらいに設定しているためと思われる。

 

まず看護師のカーディガンがあり得ない。いや、たまに着用する人はいるが、それでも袖はまくっている。看護師は学生時代にそれを叩きこまれるからだ。試しに「看護師」でグーグル画像検索をしてみて頂きたい。カーディガン着用の看護師がほとんどいないことが分かるだろうし、時間や機会があれば実際に病院の病棟や外来に行ってみて頂きたい。カーディガンを羽織っている人がいても、袖はまくられているはずである。いくら閉鎖秒という、ある意味では看護師にとってはぬるい職場であっても、この描写は頂けない。それとも原作にそのような記述があり、それを忠実に映画化したのだろうか。いや、そんなはずはあるまい。

 

また、病棟の設備にも設定上の粗が目立つ。冒頭で鶴瓶がエレベーターから車イスで降りるシーンで、エレベーターの扉が閉まり始めたのを鶴瓶が手で制したが、これは撮り直しをすべきだった。病院のエレベーターというのは、それこそ昭和の昔から、閉ボタンを押さない限りは、あんなに素早く閉まり始めたりはしない。また、これも冒頭近くに看護師が外から鍵を開けて、中からまた鍵で扉を施錠するシーンがあった。閉鎖病棟の「閉鎖」を物語る重要なカットだったが、扉が軽すぎるだろうと思う。精神疾患系の患者の病棟や収容所は、今も昔もかなり重く作られている。よほど古い施設で撮影をしたのだろうか。それでも、役者の演技で扉の重さを伝えることはできるはずだ。邦画はもっともっと細部=ディテールへのこだわりを持たねばならない。

 

また、Jovianのような鵜の目鷹の目の映画ファンならずとも、六王寺病院の男性・女性看護師や精神保健福祉士(?)や介護士(?)の仕事ぶりに、プロフェッショナルなサムシングを感じることはほとんどなかったのではないか。最も特徴的だったのは、渋川清彦演じる暴力傾向の収容者だ。劇中でりそな銀行が出ていたこと、そしてそれなりの性能のデジタルカメラが使われていたことから2005年~2010年という時代設定がされているものと推測する。劇中でも「最近は、頭がアレな人でも人権がね~」と駄菓子屋さんに語らせていたが、これなどは2010年代の感覚だろう。10年前か、それ以上過去なら、今以上に身体拘束が頻繁になされていたはずだ。もしくは隔離。このような凶暴かつ有害な人間を、ほぼ野放しにしておくのは六王寺病院の重大な管理ミスであろう。また、小松菜奈を迎えに家族、なかんずく血のつながらない父親の暴力傾向を見て、退院を阻止しないのは何故か。また警察に通報すらしないのは何故なのか。いくら虐待が今よりも目に触れにくい時代設定であるとはいえ、六王寺病院のスタッフ一同はそろいもそろって無能の極みである。

 

トレイラーにもあるので言及するが、最終盤の裁判の描写もお粗末の一言である。死刑を執行されたものの生き延びた人間の裁判である。異例中の異例の裁判である。本来であれば、マスコミから傍聴人まで、多数の人間が裁判所に殺到しているはずである。そもそも新聞記事の小ささからしておかしい。一面とは言わないまでも、袴田事件並みのインパクトで報じられてしかるべきではないか。実際にそのような事例がこれまで発生していないのでリアリティもクソもないとの理屈も成立するが、それはマスコミの感度をあまりにも過小評価しすぎであろう。

 

総評

ディテールの設定や描写がしっかりとしていれば、75~80点を与えられたかもしれない。それほどに主演3名の演技は光っており、それほどに細部の描写が甘い、または弱い。ドラマ展開は非常に読みやすい、王道的なもので、人によっては凡庸と評するかもしれない。しかし、人間模様に着目するならば、2019年の邦画の中でも上位に入る。細かい部分に目をつぶって、劇場鑑賞されたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Come back here.

 

トレイラーにもあった看護師さんスタッフの台詞、「戻ってらっしゃい」の英訳である。日本語としても定着しているカムバックであるが、物理的な移動で戻ってくることもあれば、病気や怪我から回復する、戦線離脱から復帰するという意味もある。単純ではあるが、深い表現である。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, ヒューマンドラマ, 小松菜奈, 日本, 監督:平山秀幸, 笑福亭鶴瓶, 綾野剛, 配給会社:東映Leave a Comment on 『 閉鎖病棟 それぞれの朝 』 -細部のリアリティの欠如が誠に惜しい-

『 ホームステイ ボクと僕の100日間 』 -生まれ変わりものの佳作-

Posted on 2019年11月6日2020年4月20日 by cool-jupiter

ホームステイ ボクと僕の100日間 65点
2019年11月4日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:ティーラドン・スパパンピンヨー チャープラン・アーリークン
監督:パークプム・ウォンクム

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森絵都の原作小説『 カラフル 』は未読。原恵一監督によるアニメ化作品も未鑑賞。それでも『 バッド・ジーニアス 危険な天才たち 』のスタッフが製作しているからには、一定水準以上のクオリティが担保されているはずと確信してチケットを予約。確かに一定の面白さはあった。

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あらすじ

ボクは死んだ。しかし、「あなたは当選しました」という謎の声が聞こえた。気がつくと、そこは霊安室。ボクは“ミン”(ティーラドン・スパパンピンヨー)という17歳の男子の身体に生まれ変わったのだ。しかし、謎の存在である管理人は告げる、「 100日以内にミンの死の真相を突き止めなければ、お前の魂は永遠に消滅する 」と。ボクはミンが何故死んだのかを突き止められるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

まずタイという国が輪廻転生をテーマにした原作を見逃さなかったことが素晴らしい。たとえば『 怪しい彼女 』のような若返りをテーマにした作品には普遍性がある。それは古今東西を問わず、人類が共通して抱く夢だからだ。一方で輪廻転生はそうではない。死生観は文化圏や宗教によって大きく異なるからである。タイという国民のほとんど全員が仏教徒である国、さらに日本のような大乗仏教ではなく、上座部仏教の国が輪廻転生的な生まれ変わりをテーマにした作品を独自に翻案することは必然なのかもしれない。

 

新生ミンの学校生活は青春の甘酸っぱさが感じられた。「ああ、俺にもこんな青春があったな」という気分になれた。特にチャープラン・アーリークン演じるパイとの交流は、橋の上での健全な意味での若気の無分別の発露あり、嬉し恥ずかしのファーストキスありと、青春映画のお手本のような作りになっていた。特にキスの後のパイの達成感と余裕の両方を思わせる微笑は、ミンの先輩にしてチューターという立場もあるだろうが、いわゆるお姉さんキャラ然としたオーラを放っていた。日本のアイドル的な女優連中も、この表情や仕草、所作はよくよく研究した方がよい。

 

同じマスゲーム部員のサルダー・ギアットワラウット演じるリーも味のあるキャラである。典型的な異性の友達的なキャラであり、ミンに心奪われた瞬間に色気ではなく食い気を放つところもポイントが高い。そしてミンが全くリーの恋心に気付かず、それでも無意識のうちにリーの心を掴んで離さない言動をしてしまうところも何とも罪作りである。「ああ、俺にもこんな青春があったな」という気分になれた。

 

マスゲームが終盤のシネマティックかつドラマティックな演出に一役買っており、ボクがミンの謎を探り当てる際の大きなヒントの役割を果たしている。これにはハッとさせられた。日本の原作も子の通りなのだろうか。だとすれば、原作者の森絵都は映像化を意識して執筆していたと見て間違いないだろう。

 

家族や友人が皆、キャラクターが立っていて個性的である。映像的にも息を呑むような演出が随所にあるので、観ていて単純に飽きない。冒頭数分のスーパーナチュラルなテイストの部分を抜ければ、高校生~大学生のデートムービーに好適かもしれない。

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ネガティブ・サイド

ストーリーの進め方に難がある。各サイトのあらすじやトレーラーでも言及されている“パソコン”に行き着くまでが長い。また、すぐ上でも言及したが、映画のトーンが一定していない点も気になる。冒頭だけを取り出せば、まるでホラーかスーパーナチュラルスリラー映画である。それが青春恋愛ものになり、そして中盤以降は家族を巡るサスペンスものになるのだから。全体を貫くトーンとして、例えばミステリ色をもっと基調にするなどの工夫はできたはずだ。“管理人”もそこかしこで登場するが、奇妙な空間演出は最初の一回だけでお腹いっぱいである。あとは、普通の人間の中に不意に紛れ込んで、ミンに謎解きを急げと呟くだけのキャラで良かったように思う。タイは世界最大の仏教国で、輪廻転生の考え方が浸透しているのだから、ミンが当選した「経緯」は謎であっても、ミンが当選した「事実そのもの」に殊更に超自然的な要素を加味しなくてもよいだろう。

 

また、ミンの自殺の真相も正直なところ、拍子抜けである。いや、パイの裏事情には同情しないこともないが、特に家族を巡る謎解きに関しては、西洋東洋の伝統的な家族観の違いが出ている。例えば『 アバウト・レイ 16歳の決断 』のレイと本作のミンはほぼ同世代である。しかし、現実を粛々と受け入れたレイと現実から逃避したミンのコントラストは、個人というよりも文化圏の違いだろう。(そうした意味では『 凛 りん 』というのは設定だけはそれなりに異色でユニークな作品だったなと思い出された。)「こんな人生なら誰でも自殺したくなる!」というミンの台詞は、死=消滅という文化圏ではなく、死んでも生まれ変わるという宗教的観念が浸透した社会、つまり非常にローカルな心の叫びに聞こえてしまった。

 

また展開が全体的にスローである。100日というのが長すぎるのかもしれない。真相究明までのカウントダウンを30日にして、ストーリー全体をもっと圧縮できなかっただろうか。ミンが、彼を取り巻く人間関係の闇を知っていくシーンの一つひとつが結構くどいように感じられた。若者の心に一挙にダメージを与えるなら、ジワジワと一発一発パンチを当てていくよりも、問答無用なコンビネーションパンチを顔面に叩き込んだ方がより効果的だったはずだ。

 

総評

タイ映画は確実に進化しているようである。他国の作品を上手く換骨奪胎して、まるで自国オリジナルのような作品に仕上げてしまうのだから、大したものである。またチャープラン・アーリークンは、日本語や韓国語を頑張って習得すれば、絶対に日韓の映画界からお呼びがかかるはず。国際的なスターを目指してほしい。やや拍子抜けなミステリ要素にさえ期待しなければ、それなりに楽しめる佳作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Do you want to go eat some shaved ice?

 

劇中のリーの台詞、「かき氷を食べに行こう」の英訳である。Do you want to V?は「Vしたいですか?」以外に、「一緒にVしない?」のような勧誘の意味を持つこともある。詳しくは『 アナと雪の女王 』(今も未鑑賞である!)のこの楽曲

www.youtube.com

を参照されたい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, タイ, チャープラン・アーリークン, ティーラドン・スパパンピンヨー, ファンタジー, 監督:パークプム・ウォンクム, 配給会社:ツインLeave a Comment on 『 ホームステイ ボクと僕の100日間 』 -生まれ変わりものの佳作-

『 IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。 』 -もっとホラー要素を強化せよ-

Posted on 2019年11月4日2020年4月20日 by cool-jupiter

IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。 50点
2019年11月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ビル・スカルスガルド ジェームズ・マカヴォイ ジェシカ・チャステイン 
監督:アンディ・ムスキエティ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191104012849j:plain

前編の『 IT イット “それ”が見えたら、終わり。 』はまあまあ面白いホラーだった。全編を子ども時代にしてしまうことで、テレビ映画の欠点だった誰が大人になれて、誰が大人になれないのかを、分からないようにしたのは大胆な改変だったが、正解だった。それでは続編の本作はどうか。こちらが行った大胆な改変は、不正解ではないにしろ、正解とは言い難いものである。

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あらすじ

ルーザーズ・クラブがペニー・ワイズ(ビル・スカルスガルド)を撃退してから27年。デリーには再び不穏な気配が迫りつつあった。そして「イット」の再来を確信したマイクは、ビル(ジェームズ・マカヴォイ)やベバリー(ジェシカ・チャステイン)らに連絡を入れる。ルーザーズ・クラブの面々はデリーで再会を果たすが、そこにはメンバーが一人欠けており・・・

 

ポジティブ・サイド

アラフォーになったルーザーズ・クラブの面々がどのように「大人」になったのか、その描写が端的で素晴らしい。お堅い仕事に就いている者もいれば、安定しているとは言えない仕事に就いている者もいる。結婚している者もいれば、独身の者もいる。しかし、誰もハッピーには見えないし、誰も子どもを持っていない。つまりルーザーズは、どこかでまだ大人に成り切れていないのだ。そのことを下手な説明的な台詞を一切入れずに、映像とナチュラルな会話だけで描き切った導入部は、続編の始まり方としては白眉だろう。

 

キャスティングも良い。ジェームズ・マカヴォイやジェシカ・チャステインといった実力派はもちろんのこと、子役らと顔の作りがよく似た大人を適宜に配置できている。特にエディを演じたジェームズ・ランソンは始めはジェイク・ジレンホールに見間違えた。子役と大人役がスムーズにつながることで、観る側も続編に違和感なく入って行くことができる。このキャスティングも成功である。

 

ペニー・ワイズの見せる恐怖の幻影は本作でも様々な形を取るが、個人的に最も印象に残ったのはベバリーが出会い、会話をする老婆。この老婆が画面の隅っこで見せるわずか1秒のアクションが本作で最も恐怖を感じられるシーンであった。惜しむらくは、この老婆をトレイラーに出してしまっていたこと。観る前から「ああ、このお婆さんも幻影なのだ」と分かってしまっていた。それが無ければ、もっと鳥肌が立っただろうにと感じた。誠に惜しい演出である。

 

それなりに怖いと感じたのは、バワーズが見るかつての悪友の姿。一瞬だけ怖かった。またベンが思い出の品、トークンを取りにいく場面で見る幻影もそれなりに恐怖感を催させてくれた。自分の心の最も美しい部分と自分の心の最も弱い部分が重なるところを攻めてくるペニー・ワイズはなかなかの逆心理カウンセラーだなと思わされた。

 

原作小説にもテレビ映画にもなかった要素として、ネイティブ・アメリカンのガジェットを追加してきたのは、アイデアとしては悪くない。事実、オーストラリアのアボリジニの伝承には、どう考えても数万年前のオーストラリアの生態系を指しているとしか考えられない内容があると『 コズミックフロント☆NEXT 』が言っていた。ペニー・ワイズの正体と起源に迫る上で、この着想は悪くなかった。

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ネガティブ・サイド

ホラー映画であるが、怖くない。これは致命的な欠陥である。本作が怖くない最大の理由は、ジャンプスケアの多用にある。もはや様式美と言っていい程にパターン化されたジャンプスケアには、辟易させられる。自分が監督でも、ここでこれをこうしてああするだろう、という展開のオンパレードである。ホラー映画ファンを唸らせるシーンは数えるほどしかない。

 

またビジュアルにも特筆大書すべきところはない。というよりも、どこかで見たような演出やクリーチャーの造形には心底ガッカリさせられた。パッと思いついただけでも『 遊星からの物体X 』や『 スコーピオン・キング 』、『 シャイニング 』に劇中でまさに上映中だった『 エルム街の悪夢 』など。名作へのオマージュだと言えば聞こえは良いが、これが監督や脚本家の想像力の限界なのだろうか。テレビ映画版を超えなければならない、2年前公開の前編を超えなければならない。そうした気概が空回りしたのなら、まだ許せる。しかし、この作り方では最初からモンタージュ的な映画を作ってやろうという風に開き直っていたようにしか感じ取れない。

 

色々とタイミングも悪いのだろう。『 キャプテン・マーベル 』で猫=ヤバい生き物という認識を映画ファンは新たにしたわけであるが、そこへポメラニアンを持って来ても、残念ながら意外性も驚きも恐怖もない。また社会の闇と自分の心の闇の両方に押し出されるようにジョーカーに堕ちて行ったキャラを我々はすでに『 ジョーカー 』に見た。大人の構築した社会の網目から外れた部分で活動する子どもたち、なかんずくルーザーズの面々が自らのトラウマを刺激されながらも、それを乗り越えていく様は勇ましく、美しい。けれども、恐怖が本当の恐怖たり得るのは、それが自分の身に起こってもおかしくない時である。そうした意味で、『 ジョーカー 』は自分の心にある闇を抉り出してくれた。自分は本作にホラー映画要素を過大に期待していたのだろうか。この続編にして完結編は、『 グーニーズ 』や『 スタンド・バイ・ミー 』、『 ぼくらの七日間戦争 』、藤子不二雄Aの漫画『 少年時代 』のように、大人の目から見た子どもたちの奮闘記のように思える。そうした観点から鑑賞すれば本作は佳作である。しかし、ホラー映画としてはダメダメである。

 

原作にある (゚Д゚)ハァ? というベバリー絡みの展開は、本作でも採用されない。R15指定とは何だったのか。また黒人差別の要素を薄める一方で、性的マイノリティ、あるいは性的弱者の要素もカット。テレビ映画版のとあるキャラクターがある秘密を告白するシーンは、大人と子どもを分かつ非常に重要な要素に関することだっただけに、その部分をほのめかすだけでばっさりとカットしてしまった本作には喝である。

 

総評

筋金入りのホラー映画ファンを満足させる、あるいは納得させる作品ではない。それだけは言える。一方で、変則的な青春もの、大人たちによるジュブナイル物語だと思えば、そこそこのクオリティの作品に仕上がっているのではないか。大御所スティーブン・キング作品の映像化は当たり外れが比較的はっきりしている。本作は残念ながら外れ寄りの作品であるというのが私見である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

What did I miss?

 

直訳すれば「自分は何を見逃した?」だが、実際の意味は文脈によって異なる。『 ボヘミアン・ラプソディ 』で、クイーンのメンバーが郊外のスタジオで曲作りをしている時のディスカッションが言い争いに発展していく中、ラミ・マレック演じるフレディが遅れてやって来て開口一番に言う台詞がこれである。会議に遅刻した時には「どこまで話が進みましたか?」、映画や劇や漫才などの途中でトイレなどに言って帰って来た時に、連れに「なんか面白い展開あった?」などと言う時にもこれを使える。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, ジェームズ・マカヴォイ, ジェシカ・チャステイン, ビル・スカルスガルド, ホラー, 監督:アンディ・ムスキエティ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。 』 -もっとホラー要素を強化せよ-

『 ジェミニマン 』 -CGは一流、プロットは三流-

Posted on 2019年11月3日2020年4月20日 by cool-jupiter

ジェミニマン 40点
2019年11月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ウィル・スミス メアリー・エリザベス・ウィンステッド クライブ・オーウェン ベネディクト・ウォン
監督:アン・リー

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個人的にはウィル・スミスはB級SF作品で光を放つ俳優である。『 インデペンデンス・デイ 』しかり、『 メン・イン・ブラック 』シリーズしかり。『 アラジン 』はスルーさせてもらったが、B級SFの臭いをプンプンと漂わせる本作をスルーする理由は見当たらなかった。

 

あらすじ

ヘンリー(ウィル・スミス)は世界最高のスナイパー。高速列車に乗るバイオ・テロリストを射殺した時、引退を決意した。しかし翌日からDIAに命を狙われる。自身の監視役のDIAエージェントのダニー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)と共に逃亡を図るが。そこに立ちはだかったのは若き日の自分、クローン人間だった・・・

 

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ポジティブ・サイド

『 ライオン・キング(2019) 』のCGにも度肝を抜かれたが、あれは人間ではなく、動物たちだった。それでもCG技術の極致を見た思いがした。また『 ブレードランナー2049 』は2017年に公開され、その製作には1年半を要したというが、ポスプロの大部分はレイチェルをCGIで蘇られることに費やされたと言われている。それほど生きた人間のCGIを造ることは難しいとされてきた。にもかかわらず、本作は信じられないほどのハイクオリティで、若いウィル・スミスを生み出し、動かしている。テクノロジーの進歩もここまで来たかと唸らされた。美空ひばり復活プロジェクトが先日テレビで放映されていたが、故人をCGの形でスクリーンに蘇らせることが(技術的に)可能な時代が到来するのは時間の問題なのかもしれない。『 キャプテン・マーベル 』でサミュエル・L・ジャクソンの顔にデジタル・ディエイジングを施したのとは違い、ゼロからキャラクターを作れることの意義は大きい(問題は、モデルになった人間のギャラが発生するのか否かだろう)。

 

アクションは豪快で爽快である。コロンビアの建物内外での銃撃戦ではプロのスナイパーの機転と技を堪能できたし、バイクのチェイスシーンは『 ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション 』よりもハラハラドキドキさせられた。

 

クライブ・オーウェンといえば悪役にして黒幕、黒幕で悪役といえばクライブ・オーウェンというぐらいに、この男はワル役が似合っている。顔がナチュラルに悪人で、纏っているオーラも普通に邪悪さを感じさせるところは只者ではない。この男の出演作には傑作はないが、ハズレもない。作品の面白さを事前に測るバロメーターとして、個人的には重宝している。

 

ネガティブ・サイド

CGは一流である。しかし超一流とまでは評せない。なぜなら、最終盤の昼間のシーンで、明らかに若スミスがその場面に“溶け込んでいなかった”からだ。言葉で説明するのは難しいが、CGはどこまで行ってもCGに過ぎないのか。しかし、『 ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー 』でタルキン提督が振り返った瞬間、Jovianは度肝を抜かれた。ということはCGのCGらしさが今作の最後の最後で目立ってしまったのは、本人(ウィル・スミス)がそこにいたからなのか。夜、あるいは照明の弱い場所では若スミスのリアリティも保たれていたが、最後の最後にそれが壊れてしまったのは興醒めだった。

 

バイクの追跡アクションは痛快だったが、若スミスがバイクを使って今スミスをボコっていくのはもはやギャグにしか見えない。いったいぜんたいどこの誰が、こんな技をクローン兵士に仕込むというのか。バイクの曲乗り技術を叩きこむぐらいなら、もっと他に有用な知識や技術を教え込めるだろう。せっかくのスリリングなバイク・チェイスが着地で失敗してしまっている。また、同シーンでは若スミスが最後に文字通りに消える。目を疑うかもしれないが本当に消える。

 

CGも佇んでいたり、歩いていたりするぐらいなら良いが、近接格闘となると途端に粗が目立つ。カタコンベでのド突き合いはリーアム・ニーソンの『 トレイン・ミッション 』のような非現実的なものだった。あるいは、『 ターミネーター 』のT-800のアニマトロニクスがカイル・リースをぶん殴っていくシーンのクオリティを極限にまで高めたとでも言おうか。つまり、どこまで行ってもリアルさに欠けるということである。

 

本作の最大の欠点はストーリーが非常につまらないことにある。大前提として、クローンの物語は小説、映画ともに星の数ほど生産されてきた。それらから引き出せる分類として

 

1.同一人物のクローンを多数作る

2.異なる人物のクローンを多数作る

3.オリジナルも実はクローンである

 

の三つが挙げられる。本作はクローンものとしてジャンルを壊す、あるいはジャンルを新たに生み出すものではなかった。

 

また、ヘンリーの戦友であるベネディクト・ワンのキャラクターがただのアッシー君でしかないところも大いに不満である。それにブダペストで出会うロシア側のエージェントも非常に思わせぶりな台詞を吐きながら、そのままフェードアウト。DIA内部の人間関係も描写されるが、それも至って中途半端。

 

最も納得が行かないのは、良心の呵責を持たない兵士を生み出したいという点だ。だったら、何故にクローンをオリジナルと対面させたりするのか。そうすることでクローン人間の内面にどういう変化が生まれるのか、シミュレーションができないのか。一つの可能性は、クローンがオリジナルを抹殺し、冷酷非情なアサシンに成長を遂げる。もう一つの可能性は、自らの出自や人生そのものに疑問を抱き、予想も出来ない行動に走ること。この点については『 ジュラシック・ワールド 炎の王国 』でも証明されている。家でも船でも飛行機でもミサイルを撃ち込んでヘンリーを殺す。その上で若スミスを着任させればシャンシャンではないか。“ジェミニ”を巡るDIAのお歴々のやっていることが全くもって意味不明であることが本作の致命的な欠陥になっている。

 

総評

ウィル・スミスのファン、あるいはB級SFをこよなく愛する人であれば劇場へGoである。しかし、ストーリーの整合性やリアリズムを重視する映画ファンに自信を持って勧められる作品ではない。安易なロマンス展開もないので、デートムービー向きでもないだろう。姉さん女房的な女性と付き合っているという幸運な若者男性なら、彼女同伴で鑑賞もありかもしれないが。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

You’re better than that!

 

直訳すれば「お前はそれよりも良い」だが、実際は「お前はそんなダメな奴じゃない」ぐらいだろうか。家族の一員や友人、親しい同僚などが期待に応えられずにやらかしてしまった時に使われる台詞である。最も印象的なところでは『 ロッキー・ザ・ファイナル 』のロッキーの息子への叱咤だろう。このフレーズの使い方については、こちらの動画

www.youtube.com

を参照されたい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SF, アクション, アメリカ, ウィル・スミス, クライブ・オーウェン, メアリー・エリザベス・ウィンステッド, 監督:アン・リー, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『 ジェミニマン 』 -CGは一流、プロットは三流-

『 シークレット・チルドレン 禁じられた力 』 -T・シャラメのファン以外は観る必要なし-

Posted on 2019年10月31日2020年4月11日 by cool-jupiter

シークレット・チルドレン 禁じられた力 25点
2019年10月28日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ティモシー・シャラメ キーナン・シプカ
監督:アンドリュー・ドロス・パレルモ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191031180307j:plain 

傑作『 君の名前で僕を呼んで 』のティモシー・シャラメに、怪作『 A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー 』で撮影を務めたアンドリュー・ドロス・パレルモが監督した作品ということで、TSUTAYAで借りてみた。シネ・リーブル梅田での上映をスルーしたのは正解だった。これは、一部の好事家だけが観るべき作品である。

 

あらすじ

ザック(ティモシー・シャラメ)とエヴァ(キーナン・シプカ)の兄妹は、両親と共に人里離れた農地に暮らしている。二人にはテレポーテーション能力があった。父親は妻の病気は子ども達の異能の力に対する神罰であると考えていた。そして、妻の病死を機に父はエヴァを追い出し、ザックを虐待するようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

BGMを極力抑え、自然豊かな景色を背景に淡々と繰り広げられる家族の生活は、どこか『 君の名前で僕を呼んで 』に通じるものがある。自然の音を聴かせることで、画面に映っている以上の奥行きを想像できるようになる。基本的な技法であるが、効果的に使っている監督は多数派ではない。

 

一種のクローズド・サークルで展開するサスペンスという点では『 イット・カムズ・アット・ナイト 』にも似ているし、父親が暴力衝動に駆られそうになるという緊張感をゆっくりねっとり盛り上げようとする展開は『 幼な子われらに生まれ 』に通じるところがある。

 

印象に残ったのはそれだけだった。

 

ネガティブ・サイド

父親が子らに与える折檻が、まず怖くない。というか笑える。一見すると身動きが取れないように思えるが、服さえ犠牲にすれば簡単に脱出できるのではないか。それとも、小さい頃から釘と金槌がトラウマになるように躾けられていたのか。いや、そんな描写も演出もなかった。

 

頭のいかれた親父といえば『 シャイニング 』が白眉であるが、こちらの親父もそれなりに怖い。しかし、妻を想う心は一際に強い。だったら、さっさと病院に連れて行け!または医者を呼べ!と何度か思わされてしまった。

 

色々とノイズ的なシーンも多かった。鶏を追いかけるのは『 ロッキー2 』へのオマージュなのかモンタージュなのか。そして、あれだけ自然に囲まれ、農園を営んでいて、鶏が目隠しすると寝てしまうのを知らない妹。本当に野生児なのか。リアリティが欠如している。

 

外の世界で妹が体験することも、特に真新しいことは何もなし。脚本にも問題があるのだろうが、パレルモ氏は、撮影はできても監督は難しいのかもしれない。

 

総評

ティモシー・シャラメのファン以外には観る意味はない。隔離されて暮らす超能力兄弟ならば、映像もされた小説『 NIGHT HEAD 』の方が遥かに面白い。静かな超能力映画を鑑賞したい向きには『 テルマ 』をお勧めしておく次第である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

between you and me

 

「ここだけの話だが」、「これは秘密にしてほしいのだけれど」のようなニュアンスである。This is between you and me, but I am thinking of running in the election. などのように使う。難しいことは何もない表現だが、これを言える、または聴けるということは、その人が信頼に足る人である、あるいは誰かを信頼できているということを意味する。英語の難易度としては初級だが、コミュニケーションの難易度としては上級だろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, アメリカ, キーナン・シプカ, スリラー, ティモシー・シャラメ, 監督:アンドリュー・ドロス・パレルモ, 配給会社:トランスフォーマーLeave a Comment on 『 シークレット・チルドレン 禁じられた力 』 -T・シャラメのファン以外は観る必要なし-

『 マレフィセント2 』 -ご都合主義もほどほどにすべし-

Posted on 2019年10月30日2020年4月11日 by cool-jupiter
『 マレフィセント2 』 -ご都合主義もほどほどにすべし-

マレフィセント2 45点
2019年10月27日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アンジェリーナ・ジョリー エル・ファニング ミシェル・ファイファー
監督:ヨアヒム・ローニング

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『 マレフィセント 』は非常に時代に即した映画だった。異種の間で愛が育まれるのかという問いは、現代においてその重みを増すばかりだからだ。古いおとぎ話を再解釈する意義は確かにそこにあった。だが、続編たる本作はどうか。現代的なメッセージも盛り込まれてはいるものの、ご都合主義的なストーリーの粗が目立つ。

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あらすじ

ムーアの王女オーロラ(エル・ファニング)は、アルステッドの王子フィリップから求婚され、受諾する。アルステッド王妃のイングリス(ミシェル・ファイファー)はオーロラと彼女の保護者的存在であるマレフィセント(アンジェリーナ・ジョリー)を晩餐会に招待するが・・・

ポジティブ・サイド

CGは美麗の一語に尽きる。もちろんCGっぽさは何をどうやっても隠せないのだが、ムーアの民の活き活きとした暮らしぶりや、終盤のバトルシーンのグラフィックは実にハイレベルである。日本の白組あたりは、予算ではなく別の分野で勝負してほしい。ディズニーと物量勝負をしたら負ける。絶対に。

 

アンジェリーナ・ジョリーの代表作は『 60セカンズ 』と『 トゥームレイダー 』だと思っているが、代名詞的な作品は『 マレフィセント 』と本作『 マレフィセント2 』だろう。特にララ・クロフトはアリシア・ヴァイキャンダーという後継者が出現してしまった。しかし、マレフィセントの後継者はおそらく出ないだろう。ハリソン・フォードが「自分が死ねば、インディアナ・ジョーンズというキャラクターも死ぬ」と公言しているが、それと同じくらいにジョリーはマレフィセントにハマっているし、キマっている。まばたきをせず、抑揚を小さく、しかし腹の底に響いてきそうな迫力を持って話すマレフィセントという魔女は、特殊メイクではなくジョリーの演技力で生み出されているということがよく分かる。

 

エル・ファニングも可憐で、しかし芯の強いオーロラ姫を過不足なく体現しているが、本作で彼女以上の存在感を放ったのはミシェル・ファイファー演じるイングリス王妃である。権謀術数に長け、確かな戦術眼と軍の指揮能力も持ち、そして王妃と母親という仮面をかぶることができるというスーパーウーマンである。40年後のエル・ファニングも、きっとこのような大女優に成長するのだろう。各世代を代表する女優3名の共演は、非常に見応えのあるものだった。

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ネガティブ・サイド

晩餐会でジョン王が倒れるシーンのオーロラ姫に喝!!!何故にそこでマレフィセントを疑うのか。前作の感動的な展開は一体何だったのか。今作の冒頭で、屈託なくムーアの民と語らい、触れ合うオーロラ姫の姿を見て、我々は彼女がマレフィセントをはじめ、異形の者たちとも全く問題なく心を通い合わせることができる人間に成長したことを確認した。それが、婚約者に招かれた晩餐会でこのように豹変してしまうとは・・・ 言葉を失ってしまう。

 

マレフィセントにも喝!!!なぜ陰謀に倒れたジョン王に何でもいいから魔法で手を尽くさなかったのか。人間の話が字面通りにしか通じない、レトリックを解さないマレフィセントならば、自分に疑惑がかかっているという空気を読まずに、何らかの措置を講ずるのではないか。前作からのキャラが、強引なストーリー展開のためにぶれまくってしまっているのが残念でならない。

 

マレフィセントの種族が登場するのもご都合主義でしかない。終盤のバトルシーンをよりspectacularなものにすることが第一の目的にしか見えない。前作で種を超えた愛の成就を語っただから、今さら同種を持ち出す必要はない。語るとすれば、それは我が子の愛を成就させるために、我が子を手放すという愛の形だろう。

 

終盤のバトルシーンも迫力はあるが、説得力はない。闇の妖精たちには、斥候を放つという概念は無いのか。いや、「よろしい、ならば戦争だ」「戦争だ!」と意気込むからには、戦いの概念を有していることは間違いない。というよりも、人間に地下世界に追いやられたのも、戦闘に敗れたからだろう。なぜ自分よりも強い相手と戦おうという時に、正面突破を図ろうとするのか。それも、高射砲的な兵器で画面を彩りたかった脚本家や監督のご都合主義である。

 

マレフィセントの大変身も既視感ありありである。『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』のラドンを既に観た映画ファンには物足りないと感じられたはずである。そして、その後の戦闘の終結シーンもご都合主義の極みである。戦争や抑圧がどのような負の感情を生み出すのかは、韓国が日本に、ベトナムが中国に、イラクがアメリカに抱いている感情を慮れば理解できる。異形のマイノリティとも手を取り合うことができる、というアメリカの新しいイデオロギーをスクリーンに映し出したいのであれば、もっと説得力のある脚本が必要である。ヒューマンドラマだった前作に対して、本作はアクション作品になってしまっている。

 

総評

非常に評価の難しい作品である。エル・ファニングが出演しているだけで5~15点は加点してしまうJovianをもってしても、45点が限界である。とにかく物語にリアリティがない。おとぎ話には普遍的な真実の一端が含まれていなければならないが、それも無し。製作者側としては現代的な寓話にしたいのだろうが、それならば前作を子供向けに、本作を大人向けに作るべきだった。これではあべこべである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

One can never be too careful.

 

アルステッド女王の台詞で、確か字幕は「油断大敵よ」だった。直訳すれば、「人はどれほど注意しても注意しすぎることはできない」だが、そんな冗長な日本語よりも油断大敵という四字熟語の切れ味を買おうではないか。英語の学習者であるという方は、是非以下の英文を訳されたい。それによって貴方の勤務先がホワイト企業か、それともブラック企業かが判別できるだろう。

You can never work too hard.

You can’t work too hard.

前者は「どれだけ一生懸命に働いても、一生懸命すぎることはない」=「もっともっと一生懸命に働け」ということで、このように訳した貴方はずばりブラック企業勤めだろう。後者は前者と同じ意味だが、文脈によっては「あまりにも一生懸命に働いてはいけない」という禁止命令になる。このあたりの意味の判別が瞬時にできれば、英語学習の中級者である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アクション, アメリカ, アンジェリーナ・ジョリー, エル・ファニング, ファンタジー, ミシェル・ファイファー, 監督:ヨアヒム・ローニング, 配給会社:ディズニーLeave a Comment on 『 マレフィセント2 』 -ご都合主義もほどほどにすべし-

『 メアリーの総て 』 -時代に翻弄され、時代を乗り越えた作家-

Posted on 2019年10月30日 by cool-jupiter

メアリーの総て 65点
2019年10月26日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:エル・ファニング ダグラス・ブース ベル・パウリー
監督:ハイファ・アル=マンスール

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フランケンシュタインの怪物の影響は現代まで連綿と続いている。日本では漫画『 ドラゴンボール 』の人造人間8号などは好個の一例だろう。けれども、そのキャラクターと物語を生み出した作家メアリー・シェリーについてはそれほど知られていない。だが、今という時代に彼女の映画が作られたことには必然性があったのだ。

 

あらすじ

19世紀のロンドン。書店の娘メアリー(エル・ファニング)は物書きになることを夢見て、様々な本を渉猟していた。ある日、妻子のあるパーシー(ダグラス・ブース)と恋に落ちたメアリーは、彼と駆け落ちする。それは、彼女の波乱万丈の人生の始まりだった・・・

 

ポジティブ・サイド

現代物でも歴史物でも、ロンドンという都市には陰鬱な雰囲気がある。それは本作でも巧みに表現されている。街の空気が重苦しく感じられ、母親などから仕事を手伝うようにプレッシャーをかけられても、メアリーは快活さを失わない。彼女は自身の内に響く言葉を解き放つことを恐れない。『 未来を花束にして 』の二世代前の時代、女性が自分らしく生きることは想像を絶するほどに困難だったと思われる。だからこそ、メアリーのキャラクターが立つし、観る者はメアリーを応援したくなる。エル・ファニングは少女と女性の中間のような存在を好演してくれた。ラブシーンもちょこっとあるので、スケベ映画ファンはほんの少しだけ期待してよい。

 

異形の、しかし心優しい怪物を構想し、執筆する背景になにがあったのか。メアリーは16歳という若さで情熱に身を任せ、妻子ある男と駆け落ちしたが、そんなものは誰がどう見ても幸せにはつながらない。現代の目で見てもそうだし、家族や当時の人々もそう思っていたことだろう。弱冠18歳にして「フランケンシュタインの怪物」を生み出した彼女は、そのエンディングに関して、パーシーからアドバイスを得る。しかし、それを採用しない。なぜなら、それこそが彼女の心だから。なぜなら、その作品が彼女の子どもだから。ボリス・カーロフ主演の『 フランケンシュタイン 』で、怪物が少女と湖畔で遊び、語らうシーン、そして怪物が武器を手にした村人たちに追われるシーンが思い起こされた。少女が誰を象徴しているのか、村人たちが誰を象徴しているのかに、しばし思いを巡らせてみるのも一興だろう。

 

美とは何か。創作とは何か。メアリー・シェリーの10代を通じて、色々なものが見えてくるし、考えさせられもする。

 

脇を固めるダグラス・ブースは見事なクズ男を演じた。パーティーで詩文を恭しく詠んでは、先進的な思想をひけらかして女性を引っかけていくという典型的なプレイボーイで、加えて生活力や金銭管理能力にも劣る。そんなすきに慣れそうにないキャラクターを見事に好演。日本でいえば、一頃の藤原竜也だろうか。『 マイ・プレシャス・リスト 』でタイトル・ロールのキャリー・ピルビーを演じたベル・パウリーも印象的。「詩人に気に入られる女性はあなただけじゃない」とメアリーに言ってのけるシーンに、女性という生き物のプライドを垣間見たように思う。

 

ネガティブ・サイド

ストーリーのペーシングに難がある。メアリーという女性がいかにしてフランケンシュタインの怪物を構想し、執筆したのかという場面までなかなかたどり着かない。監督や脚本家に、「メアリーという人間を掘り下げて描き出したい」という願望が強すぎたように思う。その割には、彼女が赤ん坊を早くに亡くしてしまったことの負い目が、それ程強調されていなかった。怪物は二重の意味でメアリーの子ども(血を分けた我が子が復活した姿と創作物)なのであるから、子に先立たれた親の悲嘆について、もう少し詳細な描写や演出が欲しかった。

 

メアリーとポリドリ医師の距離感というか、この二人がもっと熱心に生や死について語らう場面があってもよかったはず。当時の英国の死生観や科学観をもう少し丁寧に劇中で描けていれば、メアリーが創作のためにどのようなインスピレーションを得たのかを我々としては想像しやすくなる。

 

総評

近代ホラーおよびSF文学史に興味がある向きならば必見だろう。現代は過去の様々な作品が脱・構築され、フェミニスト・セオリーが適用され、再生産されている時代である。女性作家としてはジェーン・オースティンと並ぶ、まさに元祖である。彼女のbiopicを見ずして、現代の映画製作のコンテクストは語れない・・・は、さすがに言い過ぎか。エル・ファニングのファンならば鑑賞必須である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

speak ill of ~

 

~の悪口を言う、~を悪しざまに言うの意である。序盤でメアリーが「私の母を悪く言わないで」というシーンがある。反対の意味の表現として、speak highly of ~がある。~を褒める、の意である。こちらも序盤にパーシーがメアリーの家にやって来る時に使われていた。TOEICにはまず出てこないが、英検やTOEFLには偶に出てくるかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, イギリス, エル・ファニング, ルクセンブルク, 監督:ハイファ・アル=マンスール, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 メアリーの総て 』 -時代に翻弄され、時代を乗り越えた作家-

『 空の青さを知る人よ 』 -閉塞感に苛まされたら、空の青さを思い出せ-

Posted on 2019年10月28日2020年9月26日 by cool-jupiter

空の青さを知る人よ 75点
2019年10月22日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:吉沢亮 吉岡里帆 若山詩音
監督:長井龍雪

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191028020610j:plain

 

これはJovianの観た限りの邦画アニメでは2019年で1,2を争う良作である。一部で『 天気の子 』とそっくりの構図(それも『 千と千尋の神隠し 』や『 天空の城ラピュタ 』から来ているのだが)があったりするが、全体的に音楽プロモ・ビデオ的だった『 天気の子 』とは違い、ミュージシャンをフィーチャーした本作の方が、より確かな人間ドラマを描いているのは皮肉なものである。つまり、それだけ本作の完成度が高いということである。

 

あらすじ

埼玉県秩父市。相生あかね(吉岡里帆)と相生あおい(若山詩音)の姉妹は両親を亡くして以来、二人暮らし。あかねは18歳の時に恋人のプロのミュージシャンを夢見る慎之介(吉沢亮)の上京にはついて行かず、地元の役所に就職した。そして今、18歳になったあおいは音楽で身を立てるために上京しようとするが、そこに13年前の慎之介の生霊が現れ・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20191028020727j:plain

 

ポジティブ・サイド

良い意味で期待を裏切られた。吉沢亮が出ている作品はだいたい駄作か凡作。吉岡里帆の出ている作品はだいたい珍品。そうした私的ジンクスを2人そろってたたき壊してくれたからである。

 

まずは吉沢亮の意外なvoice actingの上手さに驚かされた。『 二ノ国 』というクソ作品のクソな声の演技や、『 HELLO WORLD 』の至ってオーソドックスでアベレージな声の演技と比較すれば、その技量は際立っている。もしも本職の声優たちが本作で脇を固めていても、これだけハイレベルな声の演技ができるのなら、素人っぽさで浮いてしまうこともなかっただろう。18歳のシンノと31歳の慎之介を演じ分けるだけではなく、キャラクターの表情や仕草に合わせた、今ここではこの声が欲しい、という声を出せていた。監督のディレクションの賜物だろうが、本人の努力もあったはず。『 キングダム 』で秦王・政をシンクロ率95%で演じ切ったが、あれはflukeではなかった。高良健吾の後継者はこの男で間違いない。

 

吉岡里帆の感情を抑えた、控え目な声の演技も見事だった。『 見えない目撃者 』で殻を破ったと感じたが、その印象は誤りではなかった。慈しみや愛情を豊富に感じさせながらも、拒絶する時の声音には芯の強さがあった。これも監督の演技指導と本人の探究心と練習によるものだろう。順調にキャリアを積み重ねていけば、30歳ごろには演技派と呼ばれるようになれるかもしれない。この調子で覚醒を続けて欲しい。

 

あかねとあおい、二人の姉妹が二人の慎之介と相対する時に交錯する想いは何とも複雑玄妙だ。青春をすでに過ごし終えた者とまさに青春を謳歌している者が、それぞれに異なる悲哀を経験するからだ。誰かを好きになるという気持ちは、素晴らしいものだ。だが、それは往々にしてままならない感情でもある。あかねはある意味で閉じた土地に自分を縛りつけ、止まった時間の中に生き続けている。それがあおいから見た姉の姿である。それを引っ繰り返す終盤のシークエンスは、お涙頂戴ものの典型でありながら、それでも万感胸に迫るものがあった。これは男女の複雑な恋模様であるだけでなく、家族愛であり、姉妹愛であり、自己愛の物語だからでもある。

 

ストーリーはドラマチックであるが、終盤では実にシネマティックになる。つまり、画面いっぱいにスペクタクルが展開されるということである。冒頭で述べた『 天気の子 』そっくりな構図がここで描かれるが、浮遊感や爽快感は本作の方が上であると感じた。ここではあいみょんのタイトルソングが絶妙な味付けになっている。彼女の楽曲が最高の調味料なのであるが、それは歌が主役であるということではない。音楽が映像を盛り立てているのであって、逆ではない。『 天気の子 』はこのあたりのさじ加減を誤っていたと個人的には感じる次第である。もしも良作アニメ映画を観たいという人がいれば、本作を強く推したい。

 

ネガティブ・サイド

本作は変則的なタイムトラベルものと言えないこともないが、多くの作品が犯してしまう間違いをやはり犯してしまっている。最大のものは生霊シンノの「あんとき」という表現である。その話のコンテクストを映像で表現しているので気付かなかったのかもしれないが、そこから読み取れるのは、シンノの体感では成長したあおいと出会ってしまったのは18歳のあかねと別れることになってから1日後である、ということだ。昨日のことを自分から、あるいは誰かに求められて説明する時に「あんとき」というのは、違和感のある日本語である。ここは「そのとき」であるべきだったと思う。

 

本作のグラフィックは非常に美しい。一部、実写をそのままフルCG化したようなショットが随所に挿入されていたようだが、そうした美麗なグラフィックがノイズになってしまっていたように思う。公園内の木々や落ち葉のショットが特に印象的だったが、そこあるべき動き、例えばちょっとした風のそよぎなどが、一切感じられなかった。そのため、かえって非常に無機質な印象を与える風景のショットが見られる。『 あした世界が終わるとしても 』では、実際の人間の如くゆらゆら揺れるキャラクターCGが不気味な印象を与えてきたが、本作の風景の一部は美しさと引き換えに生々しさ、リアルさを失ってしまっていた。それが残念である。

 

キャラクター造形で言えば、31歳の慎之介があかねと再会した場面にも違和感を覚えた。帰ってきたくなかった地元で再会したくなかった(多分)初恋あるいは初交際の相手に、あそこまでだらしなく迫るものだろうか。音楽に操を立てて、それが報われなかったからと言って、昔の女に慰めを求めるのは端的に言ってカッコ悪すぎる。同じ夢破れかけた男として、余りに見るのが忍びない。そうか、だからあかねは「がっかりさせないで」と言ったのか。オッサンが見るにはキツイが、ストーリー上は整合性があるシーンである。これは減点対象ではないか。

 

総評

観終わって、実に爽やかな気分になれる。それは本作が人間の心のダークな領域に恐れることなく光を当てているからだ。ダークと言っても、サイコパス的な心理ではない。普段、他人には決して見せない心の在り様を、ある者は人目を憚って、ある者は赤裸々に、スクリーン上で見せてくれるからだ。ビターなロマンス要素あり、優れた楽曲と優れた声の演技があり、カタルシスをもたらしてくれる映像演出もある。中高生から中年ぐらいまで、幅広くお勧めできる上質なアニメである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I don’t like those who say they like me.

 

あおいの「私は私を好きだと言う人は嫌い」という台詞である。those who + Vは、しばしば「~する人々」、「~する者たち」など、誰とは特定せずに一般的な人間全般を指す時に用いられる。書き言葉でも話し言葉でも、どちらでもよく使われる。昔、ハマっていたシリーズ物のゲームのトレイラー

www.youtube.com

でも確認できるので、興味のある人はどうぞ。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, アニメ, ラブロマンス, 吉岡里帆, 吉沢亮, 日本, 監督:長井龍雪, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 空の青さを知る人よ 』 -閉塞感に苛まされたら、空の青さを思い出せ-

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