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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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カテゴリー: 映画

『キャビン』 -クリシェ満載の異色面白ホラー-

Posted on 2018年8月17日2019年4月30日 by cool-jupiter

キャビン 55点
2018年8月14日 レンタルDVD観賞
出演:クリステン・コノリー クリス・ヘムズワース アンナ・ハッチソン リチャード・ジェンキンス ブラッドリー・ウィットフォード
監督:ドリュー・ゴダード

夏と言えばホラー映画である。近所のTSUTAYAでおススメの表示があったので、借りてみた。原題は”The Cabin in the Woods”、「森の中の小屋」である。『死霊のはらわた』でお馴染みのシチュエーションである。というか、星の数ほどあるホラーの中でA Cabin in the woodsほど分かりやすい状況も無い。人里離れた小屋の中もしくは周囲で一人また一人と死んでいき、その場の人間は疑心暗鬼になり・・・というやつだ。ところが、本作が凡百のホラーと一線を画すのは、小屋を目指して出発するダンジョンもグループを監視する一味が存在することである。

本作については、プロットを説明することが難しい。理由は主に二つ。一つには、そうする意味が全くないほどホラー映画の文法に則った展開だらけ、つまりクリシェだらけであるから。もう一つは・・・、こればかりは本編を観てもらうしかない。なぜなら、ほんの少しでもその理由を説明すると、それが即、ネタバレになりかねないからである。

 いくつか類縁というか近縁種であると言えそうな作品を挙げると、クライヴ・バーカーの小説『ミッドナイト・ミートトレイン 真夜中の人肉列車 血の本』およびその映像化作品『ミッドナイト・ミート・トレイン』、さらにはアーネスト・クラインの小説を原作とする『レディ・プレーヤー1』などがある。

ホラーが好きでたくさん見ているという、言わば上級者が本作を観れば狂喜乱舞するだろう。一方でホラー映画などは一切観ませんという初心者にも、ある意味で安心して進められる作品である。なぜならホラーの入門編として最適だからである。この辺は上述の『レディ・プレーヤー1』に似ていて、まさか『シャイニング』が重要なパーツを構成しているなどとは、誰も予想だにしなかっただろう。

ここからは白字で。本作は最後の最後にシガニー・ウィーバーが現れ、クトゥルー神話さながらの世界の真実を語るが、残念ながら数多登場する怪物の中にエイリアンは見当たらなかった。しかし、そうなるとすぐに『ゴーストバスターズ』(1984)のデイナに見えてくる。そうすると、ズールに思えてくるから不思議なものだ。エンディングは映画版ではなく小説の『ミスト』(スティーブン・キング)を彷彿とさせる。それにしてもドリュー・ゴダードはよほどこういうのが好きなのだな、と感じてしまう。『クローバーフィールド/HAKAISHA』でも、最後に地球に降って来ていたのは、ヴェノムなのか?と囁かれたり。

まあ、あまり深く考えずにクリス・ヘムズワースの若さやクリステン・コノリーの可愛らしさに注目するだけでも良いだろう。しかしまあ、これを機にホラー映画ファンになった人は、幸せなのやら不幸せなのやら・・・

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, クリス・ヘムズワース, クリステン・コノリー, ホラー, 監督:ドリュー・ゴダード, 配給会社:クロックワークスLeave a Comment on 『キャビン』 -クリシェ満載の異色面白ホラー-

『青夏 きみに恋した30日』 -青春よりも青臭さの方が目立つ-

Posted on 2018年8月16日2019年4月30日 by cool-jupiter

青夏 きみに恋した30日 35点

2018年8月12日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:葵わかな 佐野勇斗 古畑星夏 久間田琳加 水石亜飛夢 岐洲匠 橋本じゅん 佐藤寛太
監督:古澤健

東京の女子高生が上湖村という田舎で一夏を過ごす。そして運命の恋に落ちる。少女漫画のプロットとしても平凡すぎるが、物語に必要なのは往々にして陳腐さである。あまりにも奇を衒った演出を施してしまうと、物語世界に没入できなくなってしまう。かといって、平々凡々すぎてもいけない。このあたりのさじ加減は本当に難しい。普通に詩作が好きな男が普通に暮らす『パターソン』が絶妙なさじ加減と言える。では本作はどうか。残念ながら、少女漫画としては成立しても、銀幕に映える物語ではなかった。このあたりはJovianの主観なので、女子が見れば評価も大いに異なる可能性は高い。

厳しい目で見れば、本作にはあまりにも不自然な点が多すぎる。それらは登場人物の言動や心情であったり、映画的演出そのものであったりだ。例えば理緒(葵わかな)が序盤早々に山道を自転車で走っているところを転倒して山に入って(落ちて)しまうシーンがあるのだが、そこで理緒の携帯に表示される時刻が19:09、しかし空はすでに真っ暗闇。劇中でこの時は2018年7月21日(前後)であると明らかにされているので、いくら山中といえども空が暗すぎる。せいぜい逢魔時、黄昏時だろう。その一方で8月下旬の夕焼けの映えるシーンでは時計が17:40を指しており、こちらは我々の体感にも実際の日の入り時刻から逆算した夕焼けにも合う。細かいところだが、重要なところでもある。他にも吟蔵(佐野勇斗)が足裏を少し怪我するシーンがあるのだが、あの傷の長さと出血から予測される深さからして、その後の歩行に少し支障が出て然るべきだが、そんな描写も無かった。吟蔵は、大谷翔平も受けたPRP注射でも受けたとでもいうのか。

演出とストーリーの関連で言えば、ちぐはぐさが残る場面が多かった。登場人物的には関係ないのかもしれないが、いきなりアブラゼミを素手でパッと捕まえてしまう理緒に「東京の人の意見も聞いてみたい」という上湖村の高校生連中や、「東京もんに川に飛び込む勇気があるとは思わなかった」と言われても、うーむ・・・という感想しか抱けない。そもそも理緒は冒頭の東京での合コンカラオケシーンから浮きまくっていたではないか。

また本作の主題は、高校生男子の一夏の恋ではあるが、その恋模様が炙り出すテーマはなかなかにシリアスだ。過疎にあえぐ村を盛り立てるために若者は村に残るのか、それとも自分の才能を伸ばしたい、試してみたいという願望を成就させるために都会を目指すのか。しかし、現実的に考えるならば吟蔵とその許嫁とされる万理香(古畑星夏)がめでたく結婚し、子どもを5人ぐらいもうけたところで、上湖村の過疎は止まらないし、移住者や観光客が増えるわけでもない。にも関わらず周りの大人や同世代たちは無責任に吟蔵に期待をかける。いったい何なのだ、この村は。また村恒例の夏祭りのイベント販促(若い客を増やしたい!)を高校生に丸投げしていたり、さらにそこでアイデアを出すのが理緒で、なおかつそれがフライヤー作りだというのだから笑っていいのやら、呆れるべきなのやら。理緒と吟蔵の二人で隣町(村?)の花火大会(光と音が同時に届くというCG丸出し花火!)を見に行くのだが、フライヤーで呼び込める客の範囲もせいぜい隣町までだろう。しかし、これは見方によれば、そんな狭い範囲でしか吟蔵のデザインの才能を活かせないのは宝の持ち腐れであるということを強調しているのかもしれない。というか吟蔵の友人にはプロの高校生漫画家がいるのだから、そいつとのコラボというのは誰も考え付かないのか。何から何まで吟蔵に寄りかかるこの村および理緒の思考はどうなっているのか。そんな悩める吟蔵の夢を父(橋本じゅん)がアシストしようとするシーンがある。夏祭りでのライブでTHE BLUE HEARTSの『情熱の薔薇』を熱唱する(実際は吹き替え)シーンである。この部分と、もう一つ別の酒を酌み交わすシーンだけは、大人の大人らしさを感じさせてくれたが、全体的に見れば映画そのものが映し出す光景の美しさと、村の奥底にあるどうしようもない地方特有の駄目さ(と敢えて言う)が、何とも言えないギャップを生みだしている。劇中で山の頂上から海と村を一望するシーンがあるが、その時点で「三重かな?」と直感して正解。確かに自然は美しい。そして理緒自身も上湖村の長所として、空気の美味しさや水の美しさを挙げるが、それらは実は日本中の津々浦々で手に入るものだったりする。それを売り物にしようとするのは、観ているこちら側としては歯痒いばかりだった。マイクロファンディングが根付きつつある日本だが、一番早く目標金額に達するのはやはり地酒らしい。伏見や灘、西条に並ぶような酒どころを目指す、ような話にしてしまっては一夏の恋ではなく、夏休みの自由研究になってしまうか。

劇場の客の入りはまあまあだったが、半分以上は女子中高生だった。目線をそのあたりに持っていけば、案外楽しめる作品なのかもしれないが、大学生以上あたりになってくると、色々と粗というか突っ込みどころが自然と目に入ってきてしまうだろう。主演の二人を初め、俳優陣はいずれも健闘していたが、重要キャラクターである岐洲匠は別。監督の指示なのか、単に未熟なだけか、『BLEACH』のMIYAVIに並ぶ大根役者だった。決して映画ファンを唸らせるような一本ではない。そもそもタイトルからして妙だ。『青夏 きみに恋した40日』ではないのか。内実よりも語呂を優先したのか。時間とチケット代に余裕があるという方のみ、試してみてはどうだろうか。

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ロマンス, 佐野勇斗, 日本, 監督:古澤寛太, 葵わかな, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『青夏 きみに恋した30日』 -青春よりも青臭さの方が目立つ-

『オーシャンズ8』 -観る前も観ている最中も頭を空っぽにするように!-

Posted on 2018年8月14日2019年4月30日 by cool-jupiter

オーシャンズ8 65点

2018年8月11日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:サンドラ・ブロック ケイト・ブランシェット アン・ハサウェイ ミンディ・カリング オークワフィナ サラ・ポールソン リアーナ ヘレナ・ボナム・カーター
監督:ゲイリー・ロス

オールスターキャストでお馴染みのオーシャンズシリーズ最新作だが、過去作を観ていなくても十分に楽しめるように配慮されている。が、全く配慮されていないところというか、個人的に大いに不満があり、それは最後に白字で書く。まずは小さな不満から。

『オーシャンズ11』をところどころトレースしたかのようなシーンがあるが、11で描かれたような、クルーニーとブラピがある意味二大巨頭になってチームを動かし、それをマット・デイモンがぶち壊しそうになる、というクリシェは本作には無い。『ゴーストバスターズ』(2016)のようなフェミニズム理論丸出しでもないが、それでも主人公のデビー・オーシャン(サンドラ・ブロック)の出所直前の容貌や言動にはツッコミを入れたくなるし、出所直後の行動にははっきり言ってドン引きである。それが作り手の狙いなのだろうが。また盗みの動機も弱い。11にあったような鼠小僧や石川五右衛門的な義賊感が無いのだ(そんなもんはどうでもいい、というツッコミは覚悟している)。

ここからは良かった点を。ルー(ケイト・ブランシェット)の登場するシーン全てである。『シンデレラ』では優しく意地悪な継母を、『マイティ・ソー バトルロイヤル』では不敵な死の女神を、本作では聡明さと行動力を持ち合わせるスカウトを完璧に演じている。クルーニーとブラピの間にあったものとは異なる種類のケミストリーを、デビーとルーの間に生み出せているのは、ブランシェットの卓越した演技力に依るところが大きい。男同士の友情や絆は(表面上は)簡単に描写できる。女同士となるとそこにドロドロとした要素を感じさせなければならない。盗みの動機にカネ以上というかカネ以外のものがあるデビーはどこまでも平静を装うが、そんな彼女に迫るルーはブラピ以上にクールだ。

そして今回のターゲット、ダフネ・クルーガー(アン・ハサウェイ)である。ハリウッドでも来日時に振る舞いでも、アンチやヘイトを生み出し続ける彼女であるが、そんな自分自身をdisるような台詞や演出がそこかしこに散りばめられており、思わずニヤリとさせられる。『シンクロナイズド・モンスター』では、飲んだくれのダメ女を演じていたが、普通に美人過ぎてアル中のダメさ加減が少し薄まってしまっていた。しかし、本作では衣装やメイクの力、そして本人の意識的な演技もあるのだろうが、非常に milfy に映った(気になる人だけ、意味を調べてみよう)。ジョディ・フォスター超えも見えてきた。

映画全体を見渡せば、『セックス・アンド・ザ・シティ』的要素あり、『クリミナル・マインド FBI行動分析課』的要素ありの、どちらかと言えば映画よりもテレビドラマを思わせるテンポの良さ。クリエイターがオリジナリティを発揮する場が、映画からテレビそしてインターネットの世界に移行しつつある中、振り子が今後はどちらに振れて行くのか、気になるところではある。カジノとは一味違う華やかさの中、一方で非常に洗練された方法で、他方では非常に泥臭い方法で盗みを着実に実行していくところはオーシャンズに忠実であった。お盆休みが暇だなという向きには、劇場に足を運んでみよう。

さて、最後に配給会社やプロモーションへ一言。『オーシャンズ8』というタイトルから主役が8人=アン・ハサウェイも一味である/になる、というのはあまりにも簡単に予想できることであるが、なぜそのことを殊更に強調するようなポスターやパンフレットを作りまくるのか。『Newオーシャンズ』とか『オーシャンズ ファースト・ミッション』(どうせ9や10も作る気だろう)のようなどこぞのパクリ的タイトルでも良いから(本当はダメだが)、何らかのネタバレへの配慮が必要という判断は出来なかったのだろうか。こうした展開が観る前から読めてしまうと、他にもたくさん盗んでましたというどんでん返しのインパクトが弱まってしまう。細かいことかもしれないが、そういうことを気にする映画ファンも一定数は存在するのである。

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, アン:ハサウェイ, クライムドラマ, ケイト・ブランシェット, サンドラ・ブロック, 監督:ゲイリー・ロス, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『オーシャンズ8』 -観る前も観ている最中も頭を空っぽにするように!-

『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス』 -歴史の証人たるミュージシャン達に刮目すべし-

Posted on 2018年8月14日2019年4月30日 by cool-jupiter

ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス 60点

2018年8月8日 大阪ステーションシネマにて観賞
出演:オマーラ・ポルトゥオンド マヌエル・“エル・グアヒーロ”・ミラバール バルバリート・トーレス エリアデス・オチョア イブライム・フェレール
監督:ルーシー・ウォーカー

 

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我々がキューバと聞いて思い浮かべるのは、アマチュア野球の強豪国、アマチュアボクシングの超強豪国、サトウキビ、葉巻、レーニン、サパタ、ゲバラに並ぶ革命児カストロぐらいであろうか。しかし、そうしたキューバに関するパブリックイメージは1990年代終盤に突如(のように当時は思えた)、塗り替えられた。『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のリリースであった。彼ら彼女らはすでに老齢で歌手やエンターテイナーとしてのピークは過ぎていたが、非典型的なlate bloomerとでも言おうか、第三世界のスターが一夜にして第一世界で脚光を浴びたのであった。本作はそんな彼らの文字通りの晩年を振り返るドキュメンタリーである。

キューバといえば近年カストロを失ってしまったが、革命家と言って人々の心にぱっと浮かんでくるのはレーニン、サパタ、カストロの御三家であろう。革命の根底には往々にして民衆の熱狂的支持がある。ソンに代表されるキューバ音楽とアフリカ音楽の混淆が、キューバ文化に深みと、陽気な絶望を歌う民族性のようなものを加えている。革命には音楽のバックアップがあるのだ、ということを我々は最近、「アラブの春」から学んだところであるが、キューバ革命の背景にもそうした要素はあったことだろう。しかし、本作監督のルーシー・ウォーカーは冒頭にキューバ史の概要とカストロの死のニュースを簡潔に挿入するのみで、そうした要素を前面に押し出そうとはしていない。音楽そのものの力とそれを奏で歌う人々の力により注目してほしいということだと受け取った。

Jovianはどういうわけか、イブライムが左卜全とオーバーラップして見えることが多かった。歌唱力も寿命もイブライムの方が上だが、なぜかイブライムは左を彷彿させた。ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの面々が成し遂げたこと、我々に及ぼした影響は巨大で一口には語れない。もしも彼らがいなければ、つまりキューバという要素が世界で受け入れられるという土壌が90年代後半に生まれていなければ、ボクサーとしてのホエル・カサマヨルやユリオルキス・ガンボアやギジェルモ・リゴンドー(日本に来たこともあるので、テレビで見たことがある人もいるかもしれない)らの超絶テクニシャンボクサーはアメリカに亡命しプロに転向しなかったかもしれないし、英雄ホセ・コントレラスもヤンキースには来れなかったかもしれない。少なくとも、彼らに勇気が与えられたのは間違いない。

『私はあなたのニグロではない』に見られたような悲痛としか形容し得ない叫びを、ある意味で音楽に昇華した彼ら彼女らは、キューバ人だけではなく、観る者たちにもほんの少しの勇気を与えてくれる。音楽愛好家やキューバ史もしくは優れたドキュメンタリーに興味があるという方であれば観賞しようではないか。

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, イギリス, イブラヒム・フェレール, ドキュメンタリー, 監督:ルーシー・ウォーカー, 配給会社:ギャガ, 音楽Leave a Comment on 『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス』 -歴史の証人たるミュージシャン達に刮目すべし-

『JUNO ジュノ』 -妊娠することと母親になることは同義ではないし、妊娠は属性であって人格ではない-

Posted on 2018年8月9日2019年4月30日 by cool-jupiter

JUNO ジュノ 75点

2018年8月2日 レンタルDVD観賞
出演:エレン・ペイジ マイケル・セラ ジェニファー・ガーナー ジェイソン・ベイトマン アリソン・ジャネイ J・K・シモンズ オリビア・サールビー
監督:ジェイソン・ライトマン

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『センセイ君主』に我々は『3年B組金八先生』へのオマージュを見出したが、やはりかの伝説的テレビドラマで最も印象に残るエピソードの一つは「十五歳の母」であろう。日米の文化の差や時代の違いもあるが、10代の妊娠が軽い事柄でないことだけは確かだ。そうした時、妊婦はどうするのか、妊娠させた相手の男は何をすべきなのか、友人は?教師は?家族は?地域社会は?金八先生を用いての比較文化論は、実際にどこかの日本の中学か高校に任せたいが、本作のような映画こそ夏休みに入る前の中高生たちに観てほしいと願うし、学校関係者も訳の分からん長広舌を振るったり、やっつけ仕事の冊子を渡すぐらいなら、真剣に映像授業というものを考えるべきだ。特に日本の現場(の先生方はまあまあ頑張っているが)を監督する側の石頭連中に対して、切に願う。

16歳のジュノ(エレン・ペイジ)は親友のポーリー(マイケル・セラ)と成り行きでベッドイン、一度のセックスで妊娠してしまった。産むべきか、産まざるべきか。それが問題である。産むとなると、父親(J・K・シモンズ)や継母(アリソン・ジャネイ)の手を借りるのか、借りないのか。自分には小さな妹がいるが、両親は自分の妊娠と出産を喜んでくれるのか、歓迎してくれないのか。変わらないのは親友リア(オリビア・サールビー)だけなのか。ジュノは冷静に考え、中絶を選択することを決断する。しかし、クラスメイトのスー・チンが中絶クリニック前で一人シュプレヒコールをしているところに出くわし、わずかに心が揺れる。妊娠何週目かを知ったスー・チンの言う「もう胎児には爪が生えている」という言葉に、自分を重ね合わせるジュノ。彼女が命に人格を見出した、非常に印象的なシーンである。

ジュノはならばと、里親を探す選択をする。そして理想的な夫婦をローカル・コミュニティ誌で見つけ出す。ヴァネッサ(ジェニファー・ガーナー)とマーク(ジェイソン・ベイトマン)である。実際に出会ってみると、確かに理想的な夫婦で、ジュノは里親に彼らを選択するのだが・・・

本作を名作たらしめているのは、何と言っても主人公ジュノの型破りなキャラクターである。70年代のパンクロック好きで、B級ホラー映画好きで、ギターはGibsonかFenderかに一家言あり、しかし、テイストの異なるスプラッターも受け入れるだけの柔軟さも持ち合わせている。物語のある時点からマークが乱心するのだが、男はなかなか父親になれないのだ。一方で、女性は母親になっていなくても、母親になれる。想像妊娠という現象は動物にも人間にも現実に見られる生理学的反応なのである。『スプリット』で心理カウンセラーが「多重人格者は脳内物質の力で人体そのものも変化させてしまう可能性がある」と言うシーンがあるが、想像妊娠というのは確かに上の言を裏付けている。男の狼狽というか、頼りなさ、情けなさについては漫画『美味しんぼ』で山岡およびその友人一味が、マークとよく似た(しかし、それほど深刻ではない)症状を呈するというエピソードがどこかにあったが、何巻のどこかを探す気にならない。

もちろん、出てくるキャラクターは全て魅力的な味付けがなされており、特に強面のJ・K・シモンズがジュノに父親としての愛の深さを淡々と語る場面は観る者の胸を打つし、妊娠の相手がポーリーであると知った時に「次に会った時にはアソコをぶん殴ってやる(punch the kid in the weiner)」と言ったのは極めて正常な父親としての反応だ。そして継母のブレンは、アリソン・ジャネイそのままの迫力で、超音波検査技師に凄む。このシーンは圧倒的な迫力で我々に迫って来る。10代で妊娠、出産する家庭は劣悪な環境であるというバイアスを我々はいとも簡単に形成してしまうが、それこそが男がなかなか父親になれないマインドセットの裏返しである。人は変われるし、変わるべきである。そして妊娠というのは、決して女性が母親になるための儀式や生理現象であるとも本作は言っていない。Jovianは実際にとある産婦人科の女医先生に教えてもらったことがある。先生曰く、「妊娠は通常ではないが、正常であって、決して異常ではない」と。10代の妊娠、そして出産を考える時、変わるべきものは何なのか、変わる必要の無いものは何なのか。これらの問いに一定の答えを提示する本作は、若い中高生たちのみならず、結婚を考えているカップル、子作りを計画している夫婦、孫の世話を焼きたいと気を揉む高齢者など、見る人によって様々に異なるヒントを得られるはずだ。時代や地域を越えて観られるべき傑作である。

ちなみに本作と全く裏腹の、妊娠していないのに(実際は妊娠したのを中絶した)妊娠している振りをする15歳のミランダを主人公とする傑作ミステリ・サスペンスの『泣き声は聞こえない』(シーリア・フレムリン著)も余裕があれば手に取ってみてはいかがだろうか。

Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, B Rank, J・K・シモンズ, アメリカ, アリソン・ジャネイ, エレン・ペイジ, ヒューマンドラマ, 監督:ジェイソン・ライトマン, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『JUNO ジュノ』 -妊娠することと母親になることは同義ではないし、妊娠は属性であって人格ではない-

『プラダを着た悪魔』 -何かを手に入れるだけがサクセス・ストーリーではない-

Posted on 2018年8月8日2019年4月26日 by cool-jupiter

プラダを着た悪魔 80点

2018年8月1日 DVD鑑賞
出演:メリル・ストリープ アン・ハサウェイ エミリー・ブラント スタンリー・トゥッチ
監督:デビッド・フランケル

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恥ずかしながら10年ぐらいDVDを寝かせたままにしておいたのだが、遂に鑑賞した。非常によくできた話で、『ブリジット・ジョーンズの日記』と並んで世界中の女子の支持を得るのもむべなるかなと思う。

ライター志望のアンドレア・サックス(アン・ハサウェイ)は、全世界のお洒落女子垂涎のポジション、すなわちファンション誌『ランウェイ』編集部に就職を果たす。しかし、そこには鬼編集長のミランダ・プリーストリー(メリル・ストリープ)がおり、アンドレアは押し寄せる仕事量と小言と嫌味と無理難題に振り回されていく。同僚のエミリー(エミリー・ブラント)やナイジェル(スタンリー・トゥッチ)らと共に働く中で得るものは大きかった。しかし、私生活では失われるものもあり、アンドレアの人生は大きな岐路を迎えることとなる・・・

 あらすじだけ見ればありふれた話に思えるし、実際にありふれている。しかし、10年以上前の映画ということを考えれば、そうした見方を変えざるを得なくなる。フェミニズム理論というものがある。『センセイ君主』に見られた間テクスト性の提唱者の一人でもあるジュリア・クリステヴァも、そうした理論の構築に大きく寄与している。主に文学の分野での運動だったが、これは何かと言うと、神話やおとぎ話を現代の視点から読み解き、さらにはフェミニズムの観点から読み替えようという試みである。脱構築という言葉は、文系学生である/だったという人であれば聞いたことはあるだろう。すでに完成された、静的とされるものを一度壊して再構築する試みである。おそらく一番分かり易いテキストはエマ・ドナヒューの『Kissing the Witch: Old Tales in New Skins』だろう。英語に自信のある人は読んでみよう。ちなみにドナヒューは、『ワンダー 君は太陽』でも喝采を浴びた天才子役ジェイコブ・トレンブレイの『ルーム』の原作者/脚本家でもある。

Back on track. これまでのエンターテインメント作品(小説や映画)はしばしば、女性を受け身の立場で描いてきた。男の主人公が奮闘し、最後には愛を告白し、ヒロインを抱擁し、キスして終わる。そんな映画を我々は前世紀に数限りなく観てきたし、また観させられもしてきたのである。おそらく映画史においてフェミニズム理論を最初に反映させたメジャーな作品は『エイリアン』シリーズ(リプリー)と『スター・ウォーズ』シリーズ(レイア姫)であろう。そうして蒔かれた種が、ある意味で一気に芽吹いたのが2000年代以降と言えるのかもしれない。分かり易い例を挙げれば『スノーホワイト/氷の王国』や『高慢と偏見とゾンビ』か。最も露骨なのは『ゴーストバスターズ』(2016年版)であろう。『ハンガー・ゲーム』シリーズや『バイオハザード』シリーズも当てはめていいかもしれない。男に助けられる女、麗らかに存在をアピールする女ではなく、自分の居場所を戦って勝ち取る者である。単に主人公が女性であるというだけではダメである。そうした意味では、実は『ブリジット・ジョーンズの日記』は古いタイプの物語だったのである!

本作のアンドレアはファッションセンス、人も羨む仕事、友情や恋人、背徳的な関係など、ある意味では全てを手に入れるキャリアー・ウーマンに成長する。ブルゾンちえみの提唱するキャリアウーマンとはかなり趣の異なる強かな女性である。しかし、最後には手に入れたものをあっさりと捨ててしまうという“自由”を手に入れる。女性の成功の陰にはよき理解者の男がいたという批判を一部で浴びたのが『ドリーム』であるが、それは時代がもっともっと昔のことであるから、批判しても詮無いことである。本作はメリル・ストリープという大御所とアン・ハサウェイという(当時の)Rising Starのケミストリーによって、映画史の一つの大きなマイルストーンになった。今までなんだかんだで本作を観てこなかった我が目の不明を恥じ入るばかりである。

Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, A Rank, アメリカ, アン:ハサウェイ, エミリー・ブラント, ヒューマンドラマ, メリル・ストリープ, 監督:デビッド・フランケル, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『プラダを着た悪魔』 -何かを手に入れるだけがサクセス・ストーリーではない-

『センセイ君主』 -少女漫画の映画化文法を破壊する会心のコメディ-

Posted on 2018年8月7日2019年4月25日 by cool-jupiter

センセイ君主 70点

2018年8月5日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:竹内涼真 浜辺美波 佐藤大樹 川栄李奈 矢本悠馬 新川優愛
監督:月川翔

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率直に言う。近年の製作過多気味の少女漫画原作映画の中では突出した面白さである。そして、その面白さのおそらく50%は主演の浜辺美波のコメディックな演技力の高さから来ているのは間違いない。『となりの怪物くん』や『君の膵臓を食べたい』では抑えつけられていた(のかもしれない)ポテンシャルが一気に花開いた感がある。松屋で牛丼定食を数千円分も頬張り、パッドを入れまくって巨乳をアピールするヒロインというのは、寡聞にして知らなかった。メジャーな漫画があらかた映画化されてきたこともあるが、今後はこうしたメインストリームではない物語も脚光を浴び始めるだろう。一頃は広瀬すずや土屋太凰で埋め尽くされていた少女漫画原作の映画に新しい息吹を感じられたことを素直に喜ぼうではないか。

佐丸あゆは(浜辺美波)は女子高生。恋に恋する女子高生。漫画『スラムダンク』の桜木花道ばりの告白失敗連続記録を作ろうとしていた。松屋(食券制ではなかったか?)で牛丼をやけ食いするも、代金を払えなかったところを見知らぬ男に助けられる。翌日、めげずに次の恋へと走ろうとする健気なあゆはを神は見捨てていなかった。ロッカーにラブレターが入っていたからだ。告白を受け、さっそくデートに行くも相手の粗ばかりが目につき、結局は破局。そんな時に松屋で助け舟を出してくれた男が新任の担任教師(数学)、弘光由貴(竹内涼真)であることを知ったあゆはは、由貴のひねくれ過ぎた性格をものともせず告白するも撃沈。挙句に「俺を落としてみなよ」とまで挑発されてしまう。かくして佐丸あゆはの奮闘が始まった・・・

原作のテイストなのか、映画的演出なのか、過剰とも思えるほどの間テクスト性に溢れている(関テクスト性の具体例を知りたいという人は、『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』の作者コラムを読んでみよう)。もちろん『レディ・プレーヤー1』のようなクレイジーな量ではないが、『ロッキー』から『3年B組金八先生』、『ドラゴンボール』に『進撃の巨人』ネタまで放り込んでくるそのノリは嫌いではない。むしろ大いに笑わされたし、他の作品でもこうした手法は取り入れられるべきであろう。実際に劇中でジュディマリを歌うシーンがあるが、スクリーンの中の世界がこちら側の世界と地続きであると実感することで生まれる感覚というのは確かに存在する。「ああ、このキャラ達もあの作品を観たり読んだりしたんだな」という感覚が自分の中に生まれた時、確かに“さまるん”を応援したくなった自分がいた。もちろん、こうした試みを嫌がる向きもいるだろう。二時間の間は、フィクションの世界に没頭したいという人には少々酷な演出かもしれない。このあたりは観賞者の好み次第なので、自分と波長が合わないからといって、無下に否定してはならないように、自分でも注意をしたいものだ。

教師とは思えないほど薄情でシラケた態度の由貴に、一部の女子が授業のボイコットを計画するが、話してみればむしろ天然の面白キャラとして認知される。大人と子どものギャップを描き出すシーンだが、実はどちらも子どもであるということを伝える重要なシーンでもある。詳しくは作品を実際に観賞してもらうべきだが、敢えて近い対象を探すならば、『L・DK』の久我山柊聖がそのまま年齢を重ねて教師になってしまったような感じか。空手家の角田信朗は曙戦前だったか、「おっさんのかっこいいところは、かっこ悪いことを全力でやること」と喝破していた。つまりはそういうことなのだろう。ここでのおっさんを「大人」に置き換えれば、この物語での大人は誰なのか、子どもは誰なのかが逆転する。このことはさまるんの親友やその彼氏、さらにさまるんに恋心を抱く幼馴染らにも当てはまる。何がどう当てはまるのかを知りたい人は、ぜひ本作を観よう。そして本作を観たら『恋は雨上がりのように』と比較をしてみよう。大人になりきれていない大人の男が、若い女の子に迫られた時、どうするべきなのか。両作品とも非常に示唆に富む回答を提示している。本作のもう一つの特徴というかユニークさは、ヒロインとその親友のトークのえげつなさだ。トレーラーにあった「バーロー、ガチ恋したら胸ボンババボンだっつーの!」みたいな会話が当たり前のように交わされるのは、実はかなり健全な関係を築けている証拠だったりする。アメリカ映画でハイスクールが舞台だと、邦画では考えられないような容赦の無い女子トークが往々にして展開される。『スウィート17モンスター』や『JUNO ジュノ』、『ステイ・コネクテッド つながりたい僕らの世界』などが好例だ。あまりに優等生的な関係だけではなく、多少の毒の混じった関係ぐらいがちょうど良いのである。お盆休みの予定が決まらない人は、劇場で本作を観るべし。

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ロマンティック・コメディ, 日本, 浜辺美波, 監督:月川翔, 竹内涼真, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『センセイ君主』 -少女漫画の映画化文法を破壊する会心のコメディ-

『ミッション:インポッシブル フォールアウト』 -今こそスパイの原点に立ち返るべきか-

Posted on 2018年8月6日2019年4月25日 by cool-jupiter

ミッション:インポッシブル フォールアウト 60点

2018年8月4日 MOVIXあまがさきにて観賞
出演:トム・クルーズ ヘンリー・カビル レベッカ・ファーガソン サイモン・ペッグ 
監督:クリストファー・マッカリー

プルトニウムを奪ったテロ組織がマッドサイエンティストを使って、核兵器製造および使用を企てる。『アメリカン・アサシン』を挙げるまでもなく、ソ連崩壊から現代に至るまで、数限りなく生産されてきた物語である。そして上の記事でも触れたように、スパイ映画における上司や同僚という関係には、常に裏切りの可能性が示唆される。トム・クルーズは余りにもイーサン・ハントであるが、チャーリー・マフィン的な要素をもう少し持たないと、スパイなのか軍人なのか、区別がつかなくなってくる。

かなりネタ切れ感が強い。はっきり言って見せ場は全てトレーラーで描かれている。何故にこんなことをするのか。とにかく劇場に来てもらってチケット代だけ払ってもらえればよいと思っているのか。いや、さすがにこれは言葉が激しすぎたか。しかし、続編を作る気満々の終わり方だが、スパイ映画の面白さに立ち返らないと尻すぼみになるよ。リアリティの無いハラハラドキドキ満載アクションよりも、冷や汗がたらりと頬を伝い落ちるような感覚を味わわせてくれる映画を作っておくれ。ヘリコプター操縦の訓練を積んで云々や、パラシュート降下を何回も何回も繰り返して云々というのも雑音だ。これだけCGが発達した時代に、手間暇をかける意味は確かにあるだろうし、逆にここまでCGが発達しても、見た瞬間に「あ、これはCGだな」と分かるものは分かってしまう。本物の素材を映すことは確かに重要で意義あることではあるが、それが面白さや観客の満足度につながるかと言えば、必ずしもそうではない。そのことは『ザ・マミー 呪われた砂漠の王女』の飛行機墜落シーンと、その映画そのものの評価から身に沁みて分かったのではなかったか。さらにキャスティング上のミスも。『アンロック 陰謀のコード』と同じミスをやらかしている。しかし、こうしたミスは『ビバリーヒルズコップ3』の頃からあるのだ。

とネガティブな評価はここまで。ここから先はポジティブな評価も。IMFのチームワーク!これはもう完全に熟成され、円熟の域に達している。サイモン・ペッグやビング・レイムスとは、もはや旧友であるかのように感じてしまう。『スター・ウォーズ』のオリジナル・キャストとまではいかないが、もはやこのメンツでなければ生み出せない空気というのが確かにそこにある。そしてトム・クルーズ! 爆風スランプの“RUNNER”も斯くやの爆走を見せる。御年とって五十数歳。サ〇エ〇ト〇ジーへの傾倒を除けば、理想的な中年であろう。

マンネリズムから逃れることが難しいシリーズ物ではあるが、今作ではあらためてイーサン・ハントの人間性が掘り下げられるシーンがある。逆にそれが次作への大いなる伏線になっていることを窺わせる展開もある。シリーズ総決算も近いかもしれない。色々と文句をつけてきたが、スパイ映画であるということを一度頭から追いやってしまえば、単純に手に汗握る展開を2時間超楽しむことができる。トム様ファンなら観ておいて後悔はしないだろう。

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクション, アメリカ, サイモン・ペッグ, トム・クルーズ, ヘンリー・カビル, レベッカ・ファーガソン, 監督:クリストファー・マッカリー, 配給会社:東和ピクチャーズLeave a Comment on 『ミッション:インポッシブル フォールアウト』 -今こそスパイの原点に立ち返るべきか-

『ラ・ラ・ランド』 -LAの街に夢を見る者たちの苦悩と幸福の物語-

Posted on 2018年8月4日2019年11月28日 by cool-jupiter

ラ・ラ・ランド 55点

2018年8月1日 WOWO録画観賞
出演:ライアン・ゴズリング エマ・ワトソン J・K・シモンズ ローズマリー・デウィット ソノヤ・ミズノ 
監督:デイミアン・チャゼル

『セッション』のJ・K・シモンズ演じるフレッチャーに違う形で再会してみたいと思い、本作を見返す。タイトルの『ラ・ラ・ランド』は、原題でも“La La Land”、LA=Los Angelesでもあり、現実から遠く離れたファンタジーの世界であり、そうした世界に住まう恍惚感を表わすTriple Entendreなのである。

ジャズ・ピアニストとして自分の店を持ちたいと願うセブ(ライアン・ゴズリング)と女優として大成したいと望むミア(エマ・ワトソン)は、最悪の形で出会いながらも、互いの夢へのリスペクトから惹かれ合うようになる。しかし、夢を追いかけるミアと、ミアとの将来のために、ジャズの店ではなく売れ筋バンドでの演奏を選択するセブは、すれ違い始める・・・

主題は至ってシンプルである。しかし、我々に投げかけられる問いは重く深い。男と女、お互いの夢を追求することがお互いの関係を疎遠にしてしまう時、自分なら何を選択するのか。相手の夢を叶えるサポートをしたいと心から願うのか。そのためには自分の夢をあきらめることも厭わないのか。しかし、自分が夢をあきらめることを、自分のパートナーが認めてくれない時、自分はどうすればよいのか。何もミュージシャンや俳優志望でなくとも、普通に誰にでも起こりうる事象である。Jovian個人としては、ミアが最後に夢見たラ・ラ・ランドのあまりの都合の良さに正直なところ、辟易してしまったが、逆にそうした一瞬のまどろみの中に見出した、ありうべきだった幸福な生活のビジョンこそが、観客へのメッセージだとの見方も成り立つ。夢よりも現実の幸せを選べ、と。いや、セブが最後に見せた一瞬の表情の陰りこそがメッセージなのかもしれない。自分こそが彼女の夢の後押しをしてしまったのだ、と。いずれにせよ、歌と踊りに彩られた華やかさの裏には、ほろ苦い悔恨の念がある。様々な意味を持つラ・ラ・ランドという言葉だが、本作が最も提示したかった意味はファンタジー世界のことだったのかもしれない。

J・K・シモンズは、『セッション』のノリと同じく、口うるさいレストランの支配人で、ジャズを何よりも愛するセブに、クリスマス・ソングを演奏しろとプライドを傷つける要求をする。セブのちょっとした反骨心に火がついてしまった時には、あっさりとクビを言い渡す。ほんのちょっとしたやり取りに、フレッチャーの姿がちらついてしまうのは、それだけの怪演、本人からすれば会心の演技だったからだろうか。

それにしても本作はゴズリングに尽きる。「ジャズは死につつある!」と、まるで「哲学は死につつある!」などと叫ぶ真面目過ぎる学徒の如く熱弁を振るう様に、究極的なギークの姿を見出せるが、それを微塵も感じさせず、逆に女性を惹きつけてしまうのだから大したもの。『博士と彼女のセオリー』でも、花火を見ながらホーキングが物理学を語って、女性を口説くシーンがあったが、ギークであっても、いや、ギークだからこそ惹きつけられる女性もいるのか。共通点は、どちらの映画でもヒロインは結局主人公の元を去ってしまうということ。

色々と示唆に富む映画で、観るたびに発見がありそう。『グレイテスト・ショーマン』とは違って、囁くような、呟くような歌が多いのもポイント高し。TOHOシネマズ梅田のDOLBY ATMOSでいつか再上映やってくれないかな。2800円でもチケット買うよ。

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, D Rank, J・K・シモンズ, アメリカ, エマ・ワトソン, ミュージカル, ライアン・ゴズリング, 監督:デイミアン・チャゼル, 配給会社:ギャガ, 配給会社:ポニーキャニオンLeave a Comment on 『ラ・ラ・ランド』 -LAの街に夢を見る者たちの苦悩と幸福の物語-

『ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ』 -どこかの国の政治家および官僚は絶対に観るべき作品-

Posted on 2018年8月2日2019年4月25日 by cool-jupiter

ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ 65点

2018年7月31日 レンタルDVD観賞
出演:アンソニー・ウィーナー フーマ・アベディン
監督:ジョシュ・クリーグマン エリース・スタインバーク

f:id:Jovian-Cinephile1002:20180802120048p:plain

*ネタバレに類する記述あり

血気盛んに議会で熱弁を振るい、政敵を舌鋒鋭く口撃するウィーナー下院議員。民主党の次代の顔として、国民からの支持と期待を集めていた気鋭の若手政治家はセクスティング・スキャンダルで一挙に失脚。デジタル時代、インターネット時代を象徴するスキャンダルであったと言えよう。しかし、この映画の見どころは、主人公アンソニー・ウィーナーの惨めな落ちっぷりではない。落ちるところまで落ちて、後は上がるだけというところからまた落ちる。しかし、それでも懲りずに上がろうと足掻くウィーナーに、呆れる者もいれば、感心する者もいるはずだ。各々がそれぞれに感じ入ればそれで良いのだが、現代日本に暮らす我々には、非常に示唆に富む内容になっていた。彼のミスとそこからのリカバリーを見てみよう。

まず、もっこりブリーフの下半身写真をTwitterで見られるようにしてしまった、というのが彼の第一のミス。そして初動で、その写真が自分のものかどうかは定かではないと言ってしまったのが第二のミス。さらに、即刻辞任することを拒否(後に撤回し、辞任を正式に表明)したのが第三のミス。そして最大のミスは、妻に「実は他にもまだあるんだ」と打ち明けられなかったことであった。このあたりのミスの連鎖は、まるでどこかの国の名前を冠した大学のアメリカンフットボール部責任者にそっくりである。危機管理がまるでなっていない。いや、もっとダイレクトに日本の政界にウィーナーのcounterpartを求めるなら、それは宮崎謙介となろう。ゲス不倫+クソ&キモLINEでワイドショーを賑わせたあの男、またはもう少し真面目な方面から言えば、国会議員として育児休業を取ろうとしたことで世間に議論を巻き起こした男、と言えばピンとくる諸兄も多いのではなかろうか。それにしてもNew York Postの見出しの数々よ。”HE’S GOT SOME BALLS”、”HARD TIME!”、”WEINER EXPOSED”、”NAKED TRUTH”などなど。日刊ゲンダイあたりも、権力批判をやるのならもう少しウィットに富む方法でやってほしいと思わされる。

ウィーナーはここから劇的なカムバックを見せ、ニューヨーク市長選に立候補する。ゲイパレードを先導するし、自転車や地下鉄でニューヨークを駆け回り、MBWA(Management By Walking Around)を忠実に実行し、着実に市民の支持を取り付けて行く。またアメリカには”Everybody should be given a second chance.”もしくは”Everybody deserves a second chance.”という格言がある。一度はミスしても、誰もが二度目の機会が与えられてしかるべきだという考え方が一般的なのである。これを忠実に体現したウィーナーは一時は支持率トップに躍り出るも、ここで更なる激震が。ある意味では『女神の見えざる手』に匹敵するような激震である。今度は、モロ出し写真を複数女性に送信していたことがばれてしまったのである。Watergate事件ならぬWeinergate事件である。アホとしか言いようがないのだが、ウィーナーが仮にも許されたのは、前述したような、再起を歓迎するアメリカ的な考え方と、それ以上に妻による赦しがあったからだ。この妻こそ、フーマ・アベディンその人で、ヒラリー・クリントンの国務長官時代から大統領選挙運動に至るまでの右腕であった人物である。言うまでもなくヒラリーの夫はビル・クリントン元大統領であり、そのヒラリーも夫がモニカ・ルインスキーとの「不適切な関係」を持ったことを赦した(というか揉み消しに走った)ことで知られている。ただし、二度目は無い。二度目は無いのである。

Jovianは十数年前、衆議院議員の伊藤達也(自民党)とソフトボールをしたことがある。その時に印象的だったのが、めちゃくちゃフレンドリーな人であると印象付けようと頑張っているところと、バックネット裏で地元有力者に説教を喰らってペコペコしていた姿である。普通、政治家は地元の有権者、それも有力者にはへいこらするものだ。しかし、ウィーナーは、失うものの無い強みか、市民にも平気で論戦を吹っかける。妻がアラブ系であることを揶揄した男に詰め寄る様、自分を否定しても構わないが、支持者まで否定するなと一喝する様は圧倒的である。この時からウィーナーはエスニック・マイノリティの支持を集め始めたようだ。

結果としてウィーナーは落選するのだが、彼という存在は我々に様々な問いを突き付けてくる。現在の日本の政治状況に絡めて言うなら、「個人の性的な嗜好と個人の能力には関連があるのか」、「性的な志向と個人の存在意義に関連があるのか」などの問いが即座に思い浮かぶ。杉田水脈なる人格・識見ともに政治家として劣るとしか思えない人物の妄言を放置する政権与党の姿勢に、彼ら彼女らが創り出そうとする『美しい国』の正体が透けて見える。もちろん、そんな大袈裟に考えることなく、「あちらのメディアはたくましいなあ」、「ニューヨークには色んな人種や性的マイノリティがいるなあ」などの感想を持つだけでも良い。この男の姿を一面からだけ捉えようとすれば、それだけで失敗であろう。選挙ドキュメンタリーとしても楽しめるし、人生訓にもなりうる。2013年の選挙のことであるが、古さを全く失っていない。いつ見ても発見がある作品に仕上がっていると言える。特に、スキャンダル続出の自民党や財務省、文科省のお歴々に是非とも観てほしい作品に仕上がっている。本音でそう思っている。なぜならウィーナーは本当に懲りない男だからだ。

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, アンソニー・ウィーナー, ドキュメンタリー, フーマ・アベディン, 監督:エリース・スタインバーク, 監督:ジョシュ・クリーグマン, 配給会社:トランスフォーマーLeave a Comment on 『ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ』 -どこかの国の政治家および官僚は絶対に観るべき作品-

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