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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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月: 2020年8月

『 海底47m 』 -二兎を追うべからず-

Posted on 2020年8月3日 by cool-jupiter

海底47m 50点
2020年8月1日 Amazon Prime Videoにて鑑賞 
出演:マンディ・ムーア クレア・ホルト
監督:ヨハネス・ロバーツ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200803000349j:plain
 

夏と言えば海、海と言えばサメ。映画ファンにとってはサメ、そしてゾンビの季節が到来した。アメリカでの評判がイマイチ、というか賛否両論あって劇場公開時にスルーしてしまった作品。続編からC級パニックスリラーの臭いしか漂ってこないので、これは見るしかないと思い、本作を予習鑑賞。

 

あらすじ

リサ(マンディ・ムーア)とケイト(クレア・ホルト)は仲の良い姉妹。メキシコでリサのボーイフレンドであるステュを交えて楽しいバカンスを過ごすはずが、リサはすでにフラれてしまったことを言い出せずにいたのだった。傷心のリサを「つまらない女じゃない」と分からせてやろう、と励ますケイト。二人は遊びに出かけたクラブで会った男たちから勧められたシャーク・ケイジ・ダイビングに挑戦することになったのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

パニックものは大きく二つに分けられる。未知の生物あるいは現象によって人々がパニックになるもの、そして状況そのものによって人々がパニックになるもの。COVID-19は未知のウィルスであるが、コロナウィルスに属する、または類するという点では既知とも言える。だからこそ人々はそこまでパニックに陥ってはいないし、どこか現実感も薄い。相手が目に見えないからだ。もう一つの状況型だが、これの良いところは、その怖さをたいてい体験したことがある、あるいはありありと想像できるところにある。その意味では本作の「海の底に沈められる」というのは、とてつもなく怖いシチュエーションである。窒息および溺死の恐怖が常にそこにあるからだ。

 

そこにサメ、しかも狂暴なホオジロザメを放り込んでくるのだから豪勢だ。サメ映画とはすなわち、人間がホオジロザメに襲われる、または喰われる。これである。サメなんか見たことないよ、という人も古典的名作『 ジョーズ 』のタイトルは聞いたことぐらいはあるだろうし、ジョーズのテーマ曲は絶対に聞いたことがあるはずだ。殺されるよりも怖いことの一つに、生きたまま喰われるというものが挙げられるだろう。ホオジロザメはその恐怖を味わわせてくれる数少ない生き物である。

 

海中および海底で酸素が徐々に尽きていくという恐怖。そしてどこにいるか分からない、いつ襲ってくるか分からないホオジロザメの恐怖。これらが二重に組み合わさった本作は、夏の風物詩であるB級サメ映画として、近年ではなかなかの掘り出し物である。オチも適度にひねりが効いている。#StayHomeしてレンタルやストリーミングで楽しむには充分だろう。

 

ネガティブ・サイド 

まずシャーク・ケイジ・ダイビングをやろうとする動機が不純である。というか、つまらない。男にフラれた。その男に振り向いてもらいたい、自分は退屈な女じゃないと証明したい・・・って、リサ、お前はアホかーーーー!!!何故そこでサメが出てくるのか?元カレを振り向かせたいのなら、色々な男と遊びまくって、それでもステディは誰にも決めていないということをアピールせえよ!姉妹で遊ぶのもいいけど、普通の男友達数人と普通に遊べよ。その方がよっぽどアピールになるはず。まず、シャーク・ケイジ・ダイビングをするまでのプロットに無理があり過ぎる。おそらく元カレ役の俳優を出すと、それだけギャラが生じて、映画全体の budget を圧迫したのだろう。

 

海中でも、サメは思ったほどは出てこない。これも低予算ゆえか。観る側はサメ映画だと期待しているわけだが、サメの登場頻度が高くなく、なおかつこのサメ、目は見えているにも関わらず、次から次へと目標を外す。サメの登場シーンを作るためだけのシーンで、真に迫ったスリルと恐怖が生み出せていない。観る側にハラハラドキドキを起こさせたいのなら、その対象を一つに明確に絞るべきだった。サメを優先するなら、救助に来たダイバーたちを次々に食い殺すといった展開が考えられるし、酸素ボンベの残量を優先するなら、起死回生の頭脳プレー、例えば海中に不法投棄されたゴミやら何やらを使って酸素を作る、あるいは海上と連絡をつけるなどの展開も考えられる。本作は贅沢にも両方の展開を盛り込もうとして、サメの方が疎かになってしまった。本末転倒である。

 

Jovianはダイビングをしたことがないが、本作にはツッコミどころが山ほどある。テイラーやハビエルはシャーク・ケイジ・ダイビングでビジネスをする許可を当局から得ているのか?また、ケイジの底が板や網ではなく、目の大きい格子になっているのもおかしい。あれだと足がハマって動けなくなったり、もしくは飛び出た足をサメに食いつかれたりするかもしれないではないか。体長1メートルぐらいのサイズのサメなら、飛び出た足や腕をガブリとやることも十分に考えられる。

 

また、リサとケイトは顔の前面だけをマスクで覆っているが、あれで耳は聞こえるのか?いくら水の方が空気よりも音の伝導効率が高いとはいえ、マスクの中の空気の振動は水にまでは伝わらないだろう。本作の水中での会話シーンは何から何まで不可解だ。海上の船とも無線で交信するが、骨伝導型の無線でも使っているというのか。監修にプロのダイバーを起用しなかったのは、これも低予算ゆえか。

 

最大のツッコミどころは、ストーリーのオチだろうか。これはこれでアリだとは思うが、『 ゴーストランドの惨劇 』のように、そこからもう一波乱を生み出せれば、“ちょっと面白いサメ映画”から“かなり面白いサメ映画”になれただろうにと感じる。

 

総評

ちょっと面白いサメ映画であり、ツッコミどころ満載のシチュエーション・スリラーである。細かいストーリーや様々なガジェットのディテールを気にしては負けである。ハラハラドキドキを期待して、そしてハラハラドキドキできる場面を最大限に味わうのが本作の正しい鑑賞法である。90分とコンパクトにまとまっているので、#StayHomeに最適だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

break up with ~

~と別れる、の意である。しばしば romantic relationships の文脈で使われる。同じような表現に、split up with ~やpart ways with ~があるが、恋愛のパートナーと別れるという時の最も一般的な表現といえば、break up with ~で決まりである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, イギリス, クレア・ホルト, シチュエーション・スリラー, パニック, マンディ・ムーア, 監督:ヨハネス・ロバーツ, 配給会社:ギャガ・プラスLeave a Comment on 『 海底47m 』 -二兎を追うべからず-

『 君が世界のはじまり 』 -鮮烈な青春の一ページ-

Posted on 2020年8月2日2021年1月22日 by cool-jupiter

君が世界のはじまり 65点
2020年8月1日 テアトル梅田にて鑑賞
出演:松本穂香 中田青渚 片山友希 
監督:ふくだももこ

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『 わたしは光をにぎっている 』の松本穂香の主演と聞いて食指が動いた。舞台は大阪。主要キャストは関西人で固められている。コロナの第二波で映画館が再びシャットダウンされる前に観ようとテアトル梅田へ出向く。

 

あらすじ

縁(松本穂香)は優等生。親友の琴子(中田青渚)は恋多き女。父への苛立ちから学校とショッピングモールにしか居場所がない純(片山友希)。それぞれが心の奥底に秘める鬱屈と同じ学校の男子への恋心が芽生える時、互いの関係が徐々に変化していき・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭から不穏なスタートである。父親を殺害したと見られる高校生が警察によって連行されていくシーンから始まる。その高校生の顔は見えない。なるほど。この高校生が誰であるのかを予想しながら鑑賞せよ、ということか。Jovianは「こいつだろう」と変化球的に予想して見事に外した。これから観る人も、このシーンを常に頭の片隅に置きながら鑑賞してみよう。

 

本作の舞台は大阪とはいっても、いわゆるキタやミナミが舞台ではないし、北摂のハイソな住宅地でもない。南海もしくは近鉄の支線のやや先っぽの方であろう。なんとなく雰囲気的に貝塚や富田林のように思えた。それとももう少し先の方だろうか。『 岸和田少年愚連隊 』ではお好み焼き屋のばあさんから「早うここから出て行きさらせ」と罵倒されたチュンバと利一だったが、出て行こうにも行けるのが地元のショッピングセンターぐらいしかないという閉塞感が通奏低音として全編を貫いていた。同時に、そのショッピングセンターが間もなく閉店するということに、自分たちの小さな世界が一つの終わりを迎えるということを高校生たちが感じ取る。代り映えしない退屈な日常がショッピングモールに仮託されているわけだ。

 

 

『 ここは退屈迎えに来て 』で描かれた幹線道路沿いに延々と続く代わり映えのしない店や施設の繰り返しと同じく、BELL MALLというショッピングモールが代わり映えしない世界の象徴になっている。それをぶち壊す一つの契機が、純が検索する「気が狂いそう」というフレーズである。そう、THE BLUE HEARTSの『 人にやさしく 』だ。2019年になっても甲本ヒロトの歌詞と歌唱に救われる若者がいることに、何故か心が震わされた。THE BLUE HEARTSの楽曲はクライマックス近くでも本作を彩る重要な要素になっている。そこは本作のハイライトリールでもある。

 

モール以外にもう一つの重要なモチーフとして現れるのが、タンクである。中身は水か、コンクリートか、何だから分からない。まるで、それを見つめる縁と業平の胸の内のようである。そのタンクの向こうに夕焼けが広がるシーンの美しさに、我あらず、日暮れて道遠しなどと感じてしまった。青春映画の夕焼けにこのような感慨を抱くことは稀である。

 

本作の見どころは、各キャラクターの青春との向き合い方である。琴子は業平に一目惚れし、セックスだけの関係から「真剣交際」の道を模索する。それを母親(江口のりこ)は「あの子もようやく初恋か」と感慨深げに見守る。東京から引っ越してきた伊尾(金子大地)は、純との衝動的な、刹那的な肉体関係のその先に踏み出せない。伊尾の抱える闇もなかなかに暗く、深い。普通に被虐待児なのではないかと思う。そして家庭でも学校でも優等生であるはずの縁も、心の内を見透かされることの羞恥に耐えられずメルトダウンを起こす。どれもこれも鮮烈な青春の1ページだ。

 

主演の松本穂香は闇の中でもきらりと光る目の力と、フェロモンを放たずに魅力をアピールするという子どもと大人の中間、少女と女性の中間的な存在を見事に体現した。親友の琴子役の中田青渚はビッチでありながらも乙女チックに変身しようとする、これまた難しい役どころを熱演。父と距離と母の不在に思い悩む純役の片山友希は、闇を抱える少年に一歩も引かずに向き合う「人にやさしい」を体当たりで実現した。

 

全員が関西人なので、しゃべりもノイズに聞こえない。本当はこういう映画こそミニシアターではなく、TOHOシネマズあたりでやってほしいのだけれど。邦画の青春映画としてはかなりの力作である。

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ネガティブ・サイド

主要な女子3人と男子3人の関係が途中まであまりにも希薄すぎる。BELL MALLで実は同時刻に違う場所にいたのだという描写がもっとたくさん欲しかった。それと同時に、モール内に同じ制服を着て、同じように時間を潰す高校生たちを映してほしかった。彼ら彼女らが、時に屈託なく、時に深刻な表情でモールで過ごす様が映し出されていれば、主要な6人だけではなく、その地域の高校生たちが抱える閉塞感や刹那的な享楽・歓楽への傾倒をもっと印象付けることができた。そうすることで殺人事件の犯人像にもっと説得力を持たせられたのにと思う。

 

琴子はしばしば買い食いするが、それがお好み焼きだったりたこ焼きだったりするが、もっとマニアック(?)かつディープに串カツやらイカ焼きやらカスうどんやらを食べさせることはできなかったか。一般的な映画ファンが思い浮かべるだろう大阪は道頓堀やら通天閣あたりだろうが、舞台はもっと南あるいは南東の方、ある意味でモールぐらいしか拠点がない没個性な町である。だからこそ、ちょっとした食べ物ぐらいは個性的なものを採用してほしかった。縁の家での晩餐についても同じことが言える。粉もんをオカズにご飯を食べるのは、らしいと言えばらしいのだが、そうした大阪大阪した描写は本作のメッセージとは相反するところがある。

 

後は縁、純、業平の父親像をもう少しだけ深掘りしてほしかった。特に縁の父親の放屁のシークエンスはもう少し追求できただろうにと思う。あれで笑える家庭、あれを受け入れられる業平という角度から、逆に業平とその父親の関係をもっと推測させることもできただろうにと、そこは少し残念だった。

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総評

青春時代の閉塞感というのは誰にでもある。それは環境の変化であったり、自身の肉体的精神的変化だったり、あるいは人間関係の変化であったりである。そうした青春の暗い側面と、暗いからこそ光を放つ一瞬を本作は活写している。大学一年生あたりは入学式もなくオリエンテーションもなく登校することなく、オンライン授業と課題とバイトの毎日で気が滅入っている。そうした大学生たちにこそ観てほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

drive someone nuts

「誰かの気を狂わせる」、「頭をおかしくさせる」の意味。This is driving me nuts. や Both my boss and my client always drive me nuts. のように使う。THE BLUE HEARTSの『 人にやさしく 』の歌い出しが耳に聞こえたら、このフレーズに変換しよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, C Rank, 中田青渚, 日本, 松本穂香, 片山友希, 監督:ふくだももこ, 配給会社:バンダイナムコアーツ, 青春Leave a Comment on 『 君が世界のはじまり 』 -鮮烈な青春の一ページ-

『 ブラック アンド ブルー 』 -傷だらけの逃亡者-

Posted on 2020年8月1日2021年1月22日 by cool-jupiter

ブラック アンド ブルー 75点
2020年7月31日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ナオミ・ハリス タイリース・ギブソン
監督:デオン・テイラー

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Black Lives Matter運動前に制作された映画。黒人市民ではなく黒人警官がこれでもかと虐げられる映画。しかも、その被害者=主役が女性というのも個人的にはタイムリー。ニューオーリンズについては最近見たこのTED TALKS、女性への侮辱的な言動についてはこのYouTube動画が興味深い。事前にこれらを予習しておくのもありだろう。

 

あらすじ

アリシア(ナオミ・ハリス)は新人警察官だが、黒人というだけで一部の同僚から侮辱的な扱いを受けていた。ある夜勤でアリシアは先輩警察官と共に廃工場へ向かった。そこでアリシアは刑事が麻薬の売人を射殺するのを目撃した。自身も撃たれるアリシアだが、防弾ベストのおかげでなんとか助かる。すべてを収めたボディカメラを罪証隠滅のために取り戻そうとする汚職警察官たち、そして彼らの陰謀によりギャングからもアリシアは追われることになり・・・

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ポジティブ・サイド

ニューオーリンズのイメージが一変すること請け合いである。オーリンズとはフランスのオルレアンの英語読みである。『 セルフレス/覚醒した記憶 』で若い肉体を手に入れたベン・キングスレーが悠々自適に街角のミュージシャンの演奏に耳を傾けていた異国情緒あふれる街。空港にルイ・アームストロングの名前をつける街。本作が映し出すニューオーリンズにはそんな呑気な光景は一切出てこない。『 華氏119  』でのミシガン州フリントのように、忌避された土地、警察官すらも近寄らない土地が舞台のすべてである。『 ブラインドスポッティング 』でも黒人と白人の友情が静かに壊れていく過程に緊張感が感じられたが、本作が生み出すサスペンスはそれをはるかに上回る。ギャングと警察が特定の個人を追うという構図は『 悪人伝 』と同じだが、そこにコミカルさはない。『 哀しき獣 』並みの絶望感だけがそこにある。拳や道具、せいぜい刃物で戦う韓国人に比べるとアメリカ人はあまりにも銃火器を使いすぎである。銃の威力も怖いのだが、誰もかれもがそれを持っていること、そして躊躇せず使おうとするところが恐ろしい。

 

アリシアが追われる展開までが非常にスピーディーだが、そこに至るまでの短時間にこれでもかとアリシアが虐げられる。ジョギング中に後ろから来たパトカーにいきなり呼び止められ、白人警官に暴力的に身分照会させられる。「指名手配犯に似ていた」と言い訳されるが、後ろから顔も見ることができないのによくもそんな言い訳ができるなと、一瞬で腹立たしい気分にさせられる。かと思えば、アリシアが黒人コミュニティ内でも「警察官だから」という理由だけで疎外されるシーンを挿入してくる。この孤立無援の感覚がアリシアの逃亡劇の恐怖とサスペンスを否が応にも盛り上げる。

 

BGMと様々な楽曲もアリシアに感情移入するオーディエンスの不安感をさらに煽る。『 ルース・エドガー 』のBGMも我々の心を落ち着かないものにさせるものだったが、ラップや金属音強めのBGMはそれを聴く者の心をざわつかせる効果があるようだ。映画的な文法に沿って言えば「まだ主人公は大丈夫なはず」という場面も、音楽と効果音の力が非常に強く、ハラハラドキドキが持続させられる。

 

アリシアとなし崩し的に逃亡することになるマウスが味わい深いキャラである。白人側に立つのか、黒人側に立つのか。警察官の側に立つのか、市民の側に立つのか。アリシアは複雑な選択を迫られるが、そうした二項対立的な選択肢しか存在しないことを、この映画は糾弾している。マウスはそうした疑問に一定の答えを呈示する役回りだ。この地域では黒人といえども警察官はお断りだという拒否感と、困っている人間を助けなければならないという良心とのジレンマは、そのままアリシアがかつて抱いていた心情である。

 

ラストのアリシア、警察、ギャングのバトルは壮絶の一語に尽きる。暗闇での接近戦は『 チェイサー 』のハ・ジョンウとキム・ユンソクの格闘を彷彿させ、またクライマックスの二転三転する形勢は冷や汗と鳥肌、両方を体感できた。

 

カメラが重要なモチーフになっている本作であるが、デオン・テイラー監督のメッセージはシンプルだ。見てほしい、そして見せてほしいということだ。差別。貧困。汚職。暴力。目を背けるな。そこには常に誰かがいる。その誰かとは肌の色や性別で区別される存在ではない。その誰かは、別の誰かにとっての子であり、父であり、友であり、同僚なのだ。親がいない人間はいない。社会的に親が存在しないことはあるが、生物学的には絶対に存在する。誰かは確実に誰かの息子であり娘である。人が人を見る時、属性ではなく関係で見る。それこそが求められる一つの答えなのではないだろうか。

 

ネガティブ・サイド

様々な場面でのアリシアの行動に合理性や一貫性がない。序盤にカネを払わずコーヒーを買っていく同僚に代わりにカネを店に置いていく一方で、中盤の逃亡中に同じマウスの店でいきなり飲料品をゴクゴク飲みだす。緊急時なのでそれは構わないが、その後、警察の制服を脱ぐところ=一人の人間に戻るところで、代金を払うと申し出る、それをマウスが「要らない」と返すようなやりとりが必要だったのではと思う。あるいは編集でカットしのだろうか。人間同士のやり取りが、相手の帯びる属性で変わってしまうという重要なテーマを、もう少し掘り下げるべきではなかったか。

 

軍人としての経験豊富なアリシアが、武装したギャング連中に追われていることを知りながらあれだけ簡単に道路などの遮蔽物のない空間に飛び出たりするだろうか。司令部への通報を簡単に諦めたりするだろうか。プロットを前に進めるための、かなり強引なご都合主義に感じた。そこでそのスマホを手に入れろ!という場面もあっさりとスルーしてしまう。このあたりは脚本段階で改善の余地があったはずだ。

 

総評

黒人差別問題だけなら、本作の評価はここまで高くはならない。ハリケーン・カトリーナによって街が破壊され、放棄されてしまった。そこに我々はもっと注意を払わねばならない。50年に一度とされる大豪雨や洪水が2~3年に一度起きる国に日本はなってしまった。また#MeToo運動に見られるように、女性への差別問題の根深さも近年あらためて浮き彫りになった。人は人に狼 homo homini lupusや武器の下では法も沈黙する intra arma silent legesという状態からはそろそろ本当に脱出しなければならない。娯楽性とメッセージ性の両方を持つ、隠れた傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Way to go

「よくやった」、「おめでとう」、「グッジョブ!」の意。同僚や家族が良い仕事を成し遂げたら、“Way to go!”と声をかけるようにしよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アクション, アメリカ, サスペンス, タイリース・ギブソン, ナオミ・ハリス, 監督:デオン・テイラー, 配給会社:イオンエンターテイメントLeave a Comment on 『 ブラック アンド ブルー 』 -傷だらけの逃亡者-

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