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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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月: 2020年5月

『 パズル 戦慄のゲーム 』 -韓国製ピエロ映画の失敗作-

Posted on 2020年5月11日 by cool-jupiter

パズル 戦慄のゲーム 30点
2020年5月11日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:チ・スンヒョン
監督:イム・ジンスン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200511220816j:plain
 

近所のTSUTAYAがうるさいぐらいに『 ジョーカー 』と『 IT イット THE END “それ”が見えたら、終わり。 』を宣伝している。ひねくれ者のJovianは、だったら別の道化ものを借りてやるぜ、とジャケットだけでレンタルを決めた。

 

あらすじ

広告代理店で順調に出世を重ねるドジュン(チ・スンヒン)だったが、妻と娘は遠くカナダはバンクーバーに暮らしていた。妻に対して猜疑心を抱くドジュンは、偶然に知り合った女性セリョンと怪しげなクラブで一夜の関係を持つ。だが、気が付くとセリョンが殺害されていた。誰が、何の目的で?ほどなくして、ドジュンの携帯に脅迫のメッセージが届き・・・

 

ポジティブ・サイド

同じ駄作は駄作でも『 パズル 』よりは良い出来である。オープニング・シーンが『 聖女 Mad Sister 』と同じで、ハンマーを引きずる主人公の姿なのだが、制作はこちらの方が早いらしい。まさか本作が『 聖女 Mad Sister 』に影響を与えたとは思わないが・・・

 

以外にも色々な形で伏線はフェアに張られている。特に中盤の追走シーンでは、多くの人が「何だこれは?」と違和感を覚えるところがあるが、これは監督の意図したものであることは間違いない。終盤あたりからその「演出」がもっと目に見える形で現れてくる。はっきり言ってクリシェであるが、これはこれで一応受け入れてよいのだろう。

 

アクションシーンはなかなかに面白い。何故に普通のリーマンがここまでスラッシャーに変貌するのだと思わせるが、たとえ無意味に思えてもバイオレンスを放り込んでこその韓国映画。『 殺人の告白 』も無意味なアクションだと思えるところに限って、やたらと力が入っていた。

 

ネガティブ・サイド

主人公のhand to hand combatのアクションはまだ許せても、銃を触ったことがないような一般人女性が引き金を引くのが気に入らない。のみならず、ズドンと急所に命中させるところはもっと気に入らない。実弾を撃ったことがある方にはお分かりいただけようが、素人は5m離れれば、まず的には当たらない。十数年前にLAで5mの距離から20発ほど外したJovianが断言する(そういう意味では『 アジョシ 』のラストのガンアクションにはリアリティがあったと改めて妙に納得)。

 

ストーリーの発端となるドジュンの濡れ場のシーンにはエロスが足りない。というか、敢えて嫌な言葉使いをさせてもらえれば商売女なのだから、もっとサービスしろと言いたい。『 オールド・ボーイ 』のミドのまぐわいを100回鑑賞しろと言いたい。脱ぐだけではダメなのだ。脱いだからには色気を感じさせなければならないし、極端に言えば脱ぐ前から色気を発していなければダメだ。それがプロだろう。

 

肝心のオチが正直なところ、あまりにもひどい。二十数年前の『 世にも奇妙な物語 』で見たことがある気がするし、洋の東西を問わずアホほど量産されてきたプロットの焼き増し再生産に過ぎない。そこに新味を加えるべく一捻りを加えてきたが、これは逆効果。このあたりについてはイム・ジンスン監督は『 イニシエーション・ラブ 』を100回鑑賞してみてほしいもの。

 

総評

一言、失敗作である。アクションと流血描写だけはまあまあ楽しい。が、それだけである。ピエロものを観たいのならば『 仮面病棟 』や『 ピエロがお前を嘲笑う 』を観るべし。よほど手持無沙汰な人がちょうど90分を潰したい、という向きにしか本作はお勧めできない。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語会話レッスン

チンチャミアナダ

 

「本当にごめんな」の意である。チンチャは『 母なる証明 』で紹介した言葉で、ミアナダは『 国家が破産する日 』で紹介したミアネの語尾が変化したもの。外国語学習ではある程度ボキャブラリーを蓄えたら、今度はそれを組み合わせる段階に進むべきである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, スリラー, チ・スンヒョン, 監督:イム・ジンスン, 韓国Leave a Comment on 『 パズル 戦慄のゲーム 』 -韓国製ピエロ映画の失敗作-

『 ぼくのエリ 200歳の少女 』 -人間らしさの根源に迫る-

Posted on 2020年5月10日 by cool-jupiter

ぼくのエリ 200歳の少女 70点
2020年5月8日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:カーレ・ヘーデブラント リーナ・レアンデション
監督:トーマス・アルフレッドソン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200510205717j:plain
 

韓国映画やアメリカ映画のような、胃にかなり重く来るような食べ応えの作品を立つ続けに見ると、やはり北欧産の映画に惹かれてしまう。色々なものをそぎ落とす演出と世界観は、時に不思議な魅力を生み出す。ゾンビものもいいが、吸血鬼ジャンルも、このご時世にはいいのかなと感じた。

 

あらすじ

学校でいじめられている内気な少年のオスカー(カーレ・ヘーデブラント)は、隣室に引っ越してきた謎めいた少女エリ(リーナ・レアンデション)と出会う。同じ頃、近隣では、血を抜き取られるという殺人事件が起こるようになり・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200510205749j:plain
 

ポジティブ・サイド

キャスティングがとにかく素晴らしい。オスカーを演じたカーレ・ヘーデブラントもエリを演じたリーナ・レアンデションも、このタイミングでしか撮れない絵を見事に作り出している。『 ネバーエンディング・ストーリー 』のバスチアンやアトレーユ、幼心の君や、『 スタンド・バイ・ミー 』の4人組、『 ぼくらの七日間戦争 』の1年2組の面々らのように、主演の二人は大人と子どもの境目であるという奇妙な存在感を大いに発揮していた。

 

安易に人外のモンスターが登場する=ホラー映画、に仕立て上げないところにも好感が持てる。これは人間の物語で、もっと言えば人間が人間らしくある、あるいは人間らしさを失うこととは何かを問うている。我々はよく「人命ほど尊いものはない」と口にする一方で、「けしからん、死刑にせよ!」などと勝手に他者を断罪したりする。いじめっ子や問題のある親のせいで、学校にも家にも居場所がないオスカーが、吸血鬼エリと親しく交わることを誰が咎められようか。『 東京喰種 トーキョーグールhttps://jovianreviews.com/2019/08/14/tokyo-ghoul/ 』と同工異曲の作品であるが、オスカーの方がより社会的に疎外された存在であるため、エリとの交流の儚さがより際立っている。

 

エリとホーカンの関係も象徴的だ。実に甲斐甲斐しく夜な夜な血液集めに奔走するホーカンは、何故に好き好んで少年を狙うのかと思っていたが、それ自体が伏線だったとは。ある意味で少年の心のままに老齢に達してしまったホーカンと永遠に老いることのないエリの奇妙な共生関係は、エリとオスカーの未だ見ぬ将来について実に示唆的だ。

 

オスカーに拒まれて血を流すエリの不気味なまでの美しさは、映像美の一つの到達点ではないだろうか。そして、最終盤の、荒れ狂うエリの狂暴さとその場面の静謐さのコントラストも実に鮮やかである。北欧産のスリラーにしてヒューマンドラマの良作である。

 

ネガティブ・サイド

1時間26分48秒時点のボカシ、これは果たして必要だったか。「女の子じゃないよ」というエリの言葉は二通りに解釈できる。すなわち、1) 自分は女の子と呼ばれるような年齢ではない、そして2) 自分は性別的に女ではない、である。おそらく、その両方と解釈すべきなのだろうが、ここは恐れることなく“そのもの”、あるいは“そのものの痕跡”を見せてほしかった。あるいは、『 11人いる! 』のフロルの裸を目撃したアマゾンのごとく、オスカーにもっと分かりやすい反応をさせても良かったのではないか。

 

エリに襲われたことで半吸血鬼化した人物が、太陽光にあたってしまったことで焼け死ぬシーンがあるが、いくら何でも大げさすぎる演出ではないか。『 ミュージアム 』の殺人鬼ぐらいの演出で良かったのだが。

 

ヴァンパイアの特徴である「招かれないと部屋に入れない」を効果的に使っていた一方で、「影がない」という特徴は反映されず、ばっちり影ができていたり、「鏡に映らない」という衝撃的な画作りもできたはずだが、それもなし。特に鏡を使った印象的なカメラワークが随所にあるのだから、これは是非やってみてほしかった。元々太陽光を浴びられないエリなのだから影の件は置いておくにしても、鏡に映らないにはぜひ挑戦してほしかった。

 

総評

医療従事者の子どもが学校でいじめられているという、なんともやりきれない気分にさせられるニュースが報じられている。いじめっ子には直ちにやり返せとは思わないが、疎外がどのような結果につながるかについては真剣に考えなければならないだろう。誰かのために必死に生きる。その結果、残虐なことも起こりうる。それを美しいと思えることが人間らしい思いやりなのか。何とも言えない余韻を残す佳作である。

 

Jovian先生のワンポイントスウェーデン語レッスン

gå

英語にすると、go=行く、の意である。エリがオスカーにこのように叫ぶシーンがある。英語のgoは「ゴウ」だが、こちらは「ガウア」という感じ。むやみに辞書を引くのではなく、状況から未知の言葉の意味を類推する癖をつけておこう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, カーレ・ヘーデブラント, スウェーデン, ヒューマンドラマ, レーナ・リアンデション, 監督:トーマス・アルフレッドソン, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 ぼくのエリ 200歳の少女 』 -人間らしさの根源に迫る-

『 ウォー・ドッグス 』 -まっとうに生きるべし-

Posted on 2020年5月6日 by cool-jupiter

ウォー・ドッグス 65点
2020年5月6日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョナ・ヒル マイルズ・テラー アナ・デ・アルマス ブラッドリー・クーパー
監督:トッド・フィリップス

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200506155608j:plain
 

アベノマスクなる、とても使い物になるとは思えない品質のクソ製品が、木っ端役人によって提案され、得体の知れない会社によって調達され、国中に支給され始めている。そこで本作を思い出した。有事の裏では、常に機を見るに敏なmoney-hungry dogsが暗躍しているものなのかもしれない。

 

あらすじ

時はイラク戦争とその後始末のただ中。デビッド(マイルズ・テラー)はうだつが上がらない仕事に従事していたが、ひょんなことから銃火器を売りものにする旧友のエフレム(ジョナ・ヒル)と共に仕事をすることになる。やがて二人はアメリカ国防総省に武器弾薬を納入する仕事に目をつけ・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200506155630j:plain
 

ポジティブ・サイド

マイルズ・テラーとジョナ・ヒルが、若く無鉄砲な若者二人組を好演している。アホかと思う面も多々あるが、特にエフレムのメンタル・タフネスと着眼点は起業を志す者なら大いに参考になるだろう。小学生の頃の昔話や与太話で定期的に盛り上がるところがガキンチョのメンタリティそのままで、子どものまま大きくなってしまったところを見事に表している。相方のデビッドの精神構造も見上げたもの。とある入札を見事に勝ち取るのだが、二位との差額を聞いて「国民の税金が節約できた」と言い切る、その言や良し。

 

『 バイス 』を事前に観ておくと、当時の(といってもたかが十数年前)のアメリカの政治的背景がよく分かる。同時に、戦争=経済活動と言い切るところもアメリカらしくてよろしい。というよりも、人類の歴史上、戦争の99%は経済的な理由で起こっている(宗教戦争に見える十字軍遠征さえ、本質的には交易の一大拠点であるコンスタンティノープルをキリスト教勢力が欲したというのが真相である)。本作は、しばしばヒューマンドラマに還元されてしまいがちな戦争の最前線ではなく、その銃後で何が起きていたのかを描く点がユニーク。『 バイス 』において、D・チェイニーは9.11の際に危機ではなく好機を見出していた。エフレムも、イラク戦争の後始末に危機ではなく商機を見出している。煎じ詰めれば、トッド・フィリップスは戦争という営為を嗤っているのだろう。『 シン・ゴジラ 』でも松尾スズキ演じるジャーナリストが「東日本の地価が暴落する一方で、西日本の地価が高騰している。面白いですな、人の世は」と語っていた。国難や有事をチャンスと捉える人間を褒めているのではない。半ば呆れている。トッド・フィリップスも本作におけるエフレムやデビッドをそのように見ている。デビッドも?と思う向きもあるだろうが、最後の最後のシーン(それが事実がどうかはどうでもよい)が意味するところを考えれば、その答えはおのずと明らかである。

 

それにしても、『 プライベート・ウォー 』でホラー的に描かれた検問シーンが、本作では見事にコメディになっている。同じイラク戦争でも、描く角度が異なれば、これほどに印象が異なるのかと考えさせられる。トッド・フィリップス監督は『 ジョーカー 』において、社会の分断と棄民政策から生まれた鬼子としてのジョーカーの誕生を描いたが、戦争という社会の異常事態からは常に何かしらの鬼子が生まれてもおかしくないのだぞ、と警告を発しているかのようにも見える。それは考え過ぎだろうか。

 

ネガティブ・サイド

どうしても『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』と比較されてしまうだろう。そして、比べるまでもなく本作の完敗である。ペニー・ストックを舌先三寸で見事に売りつけ、そこからのし上がっていく様をテンポよく描いた『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』に比べると、ジョナ・ヒル演じるエフレムの事業は目のつけどころはシャープであるものの、そこからトントン拍子にパイのかけらを美味しく頂戴していくシーンがなかった。ストーリーに説得力がなかった(実話に説得力も何もないと思うが)。

 

ジョナ・ヒル自身のパフォーマンスも『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』のそれには劣る。若きアントレプレナーの事業や経営への意識の違いが、やがて関係の破綻・破局につながっていくというストーリーの見せ方は『 ソーシャル・ネットワーク 』の方が一枚も二枚も上手だった。エフレムというキャラクターが十分に肉付けされていないからだろう。ところかまわずカネで女を買いまくっているが、高校の時に女に手酷い目にあわされたというような逸話の一つにでも言及してくれれば、観る側の捉え方も少しは変わる。また、『 ウルフ・オブ・ウォールストリート 』におけるディカプリオが、創業の功臣メンバーの女性に非常に人間味あふれるサポートを施していた逸話があったが、エフレムに何か一つでも会社や従業員に対する想いを見せる演出が欲しかった。それがないために、最初から最後まで小悪党にしか見えなかった。

 

総評

普通に面白いブラック・コメディである。総理大臣肝入りの数百億円規模の事業の裏側で何が起こっていたのかを、本作を下敷きにあれこれ想像してみるのも興味深いだろう。同時に、夫婦の在り方の軸には正直さが、ビジネスの在り方の軸には真っ当さが必要であるという当たり前の教訓をも教えてくれるだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

read between the lines

「行間を読む」の意である。これは何も読書に限ったことではない。エフレムの言う“All the money is made between the lines.”=すべてのカネは行間から生まれる、は蓋し真実である。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アナ・デ・アルマス, アメリカ, ジョナ・ヒル, ブラック・コメディ, ブラッドリー・クーパー, マイルズ・テラー, 伝記, 監督:トッド・フィリップスLeave a Comment on 『 ウォー・ドッグス 』 -まっとうに生きるべし-

『 ハンナ 』 -凡百のアクション映画-

Posted on 2020年5月5日 by cool-jupiter

ハンナ 40点
2020年5月5日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:シアーシャ・ローナン ケイト・ブランシェット
監督:ジョー・ライト

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200505220556j:plain
 

近所のTSUTAYAがこのご時世にもかかわらず、いや、このご時世だからか大繁盛していて、本命(多くは準新作)がどれもこれも借りられている。たまたま目についたシアーシャの“顔”だけで借りてきた。この判断は失敗だった。

 

あらすじ

フィンランドの人里離れた森でCIA工作員だった父から語学や一般教養、そして格闘術を叩き込まれた少女ハンナ(シアーシャ・ローナン)に、ついに外の世界へ巣立つ時期がやってきた。だが、かつての父の同僚メリッサ(ケイト・ブランシェット)がハンナを執拗に追跡してきて・・・

 

ポジティブ・サイド

ハンナが各国の言語を流暢に操るシーンはとてもクールである。同時に初めて出会う人々とずれたコミュニケーションを取る様は非常に滑稽でもある。どこか『 ターミネーター 』的である。クリシェであるが、そこはまあまあ面白い。

 

年端のいかない暗殺者というのは死ぬほど量産されてきたキャラで、化粧っ気がゼロだが、そこが魅力的でもある。野生児の風味があるところがいい。アクション、特に近接格闘前に逃げるところに動物らしさが見て取れる。Fight or flightである。

 

16歳の少女らしく、開放的な世界でのアバンチュール的展開もある。ここで妙なときめきを感じたりしないところもgood。ストーリー進行を妨げていない。友人となるソフィーとのsleep-overも良いムードである。血も涙もない殺人者ではなく、かといって動物的な勘性だけに染まっているわけではない。ある意味でとても無垢な少女という印象を観る者に刻み付けてくれた。

 

10代のシアーシャを本作で堪能されたし。

 

ネガティブ・サイド

トム・ホランダーの演じる追走者一味がかなり間抜けだ。迷路状の貨物置場でチェイスしている最中に口笛を吹くか?ここでのロングのワンカットは緊迫感溢れるシークエンスだったが、ホランダーの口笛がその空気をぶち壊しにしたように感じた。他にも余裕をぶっこいておきながらエリックの逃走を許す。あるいは格闘戦で普通に負けるなど、とてもCIAエージェントたるマリッサが「裏の仕事を任せたい」と頼る相手とは思えない。見た目も間抜けで実力もイマイチ。なぜこのような設定になってしまったのか。

 

『 オールド・ボーイ 』でも感じたことだが、なぜハンナは初めて触れるパソコン、そしてインターネットを使いこなせるのか。父親から話に聞いていたとはいえ、数分で使いこなせる代物ではないはずだ。また、元CIAであるエリックの情報がネットでほいほいと簡単に手に入るのもおかしい。本物のCIA職員からすれば噴飯ものだろう。

 

マリッサの行動も意味不明なものが多い。サイレンサーを持っているなら、毎回それを使えと言いたい。なぜ街中で銃をぶっ放す時に使わないのか。そして、わざわざ仕留めた相手をよっこらせとばかりに運んだというのか。そんなことをしている暇があるのなら、ハンナというターゲットをしっかりと追いかけろと言いたい。

 

そのハンナとマリッサの対決シーンも腑に落ちない。フィンランドの雪原および森林をホームに育ったハンナが、なぜ待ち伏せて狙い撃ちする戦術を選択しなかったのか。せっかくの決め台詞が、やはり間抜けに聞こえてしまう。全く同じ構図の絵作りをしている作品に『 ウインド・リバー 』がある。完成度はそちらの圧勝である。

 

字幕が余計なことをしている。どの部分とは言わないが、ケイト・ブランシェットの台詞とだけ指摘しておく。

 

総評

凡百のアクション映画である。10代のシアーシャ・ローナンが見られるということぐらいしか特徴がない。だが、シアーシャのファンならば観ておく価値はある。大女優や大俳優の多くも、クソ映画に出演して腕を磨いたのだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

gross

GNP = Gross National Productのgrossだが、日常会話では圧倒的に「キモイ」の意味で使われる。同義語はcreepyやobnoxiousである。劇中では、朝ごはんとして皮剥ぎのウサギを調達してきたハンナに、ソフィーが一言“That’s gross.”=「キモイよ」と言い放つ。服でも食べ物でも容姿でも言動でも、なんでもgrossと言うことで不快感や嫌悪感を表明することができる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アクション, アメリカ, ケイト・ブランシェット, シアーシャ・ローナン, 監督:ジョー・ライト, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 ハンナ 』 -凡百のアクション映画-

『 her 世界でひとつの彼女 』 -いつか間違いなく到来する世界-

Posted on 2020年5月5日2020年5月5日 by cool-jupiter

her 世界でひとつの彼女 70点
2020年5月4日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ホアキン・フェニックス スカーレット・ジョハンソン ルーニー・マーラ
監督:スパイク・ジョーンズ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200505180420j:plain
 

人との物理的な接触を減らせと言われて久しい。実際にJovianも減らそうと試みている。一方でオンライン飲み会など、新しい形の関係が模索されている。そこで本作を思い出した。ハンズフリーでスマホで誰かと話す人々を街中で見かけるのは最早当たり前である。だが、その通話の相手が人間でなくなる時代は、案外すぐそこまで来ているのではないだろうか

 

あらすじ

手紙の代書屋セオドア(ホアキン・フェニックス)は妻キャサリン(ルーニー・マーラ)と離婚協議中。そんな時、サマンサと自身を名付けた新型OSとの対話に、セオドアは少しずつ没入していくようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

少し進んだ都市、少し進んだ建築、少し進んだゲーム、少し進んだPC。時代や場所を敢えて特定しないことで、そうした現実の少し先にあるかもしれない世界がリアルに感じられる。そう、リアルが本作のテーマである。特に人間の感情のリアル。リアルであるということは、事実である、本当であるということ必ずしもイコールではない。いや、事実という言葉も、定義が難しい。事実であるかどうかは、実体があるかどうか、と言い換えるべきかもしれない。

 

非人間との関係、その行き着く先の一つであるセックスはますますリアルになりつつある。『 ブレードランナー2049 』をある意味で先取りした本作は、あらゆるものがセックス・オブジェクトになりうる時代を非常に力強く予感させてくれる。テレフォン・セックスの極まった形と言おうか、セオドアとサマンサのセックスは実に感応的である。官能的ではなく、感応的なのである。

 

セオドアの仕事が手紙の代書屋というところがいい。口下手な男だが文章を物すのは上手い。極端なのだ。コミュニケーションの様態は4つ分類される。すなわち、

1)Real Time – Real Space (例 会話)

2)Real Time – Not Real Space (例 電話)

3)Not Real Time – Real Space (例 伝言メモ)

4)Not Real Time – Not Real Space (例 手紙)

である。セオドアの仕事はもっぱら3)か4)に分類される。すなわち、リアルタイム(同時)のコミュニケーションには長けていないのだ。そんな彼が、サマンサとの会話にだんだんと没入していく過程が心地よくもあり、また少しうすら寒くも感じる。科学技術が進歩した世界では物質的に我々は満たされている。その一方で、リアルなコミュニケーションを喪失しつつあることも事実である。我々が真に求めているのは、他者との交流によって得られる満足感や安心感であり、他者とはその媒体に過ぎないのではないかと疑念が生まれてくる。そうした心理的な動きを、セオドア演じるホアキン・フェニックスは持ち前の表現力で我々にしっかりと感じさせてくれる。

 

本作にはちょっとしたどんでん返しがある。まるで小説『 幼年期の終り 』の逆バージョンである。これはかなり秀逸なラストであると感じた。「本人が実在性を認めるならばそれはリアルなのではないか」というのが本作の問題提起であり、「失って初めて実在性を認められるものもあるのではないか」というのがラストの余韻である。いや、違うか。RealとNot Realの境界を揺らがせると同時に強固にもする本作は、一通りではない解釈が可能な近未来SFの良作である。

 

ネガティブ・サイド

セオドアが就寝前に出会い系チャットを使うシーンは、もっと違う形の方がよかった。奇妙な設定に性的に興奮する女性とのコミュニケーションで萎えてしまうというのではなく、普通の女性との普通のコミュニケーションにどうしても満ち足りた気分になれないという、どこか欠けた男という設定の方がよかった。現実の女性が気持ち悪いからOSのサマンサに恋をするというわけではないが、皮相的にそう見えてしまうのはマイナスである。

 

最後のオチに至る過程が少々アンフェアである。Jovianは二度目の鑑賞なので、あれこれとバックグラウンドに注目しながら鑑賞したが、背景の人間たちが背景だった。詳しくはネタバレになるので言えないが、ちょっとした場面の背景にセオドアと全く同じことをやっている人間がチラッとでも映っていれば、良作を超えて傑作になれたかもしれない。

 

総評

本作と同工異曲に感じられるのが、ゲーム『 エースコンバット3 エレクトロスフィア』や『 メタルギアソリッド2 サンズ・オブ・リバティ 』であろうか。時系列的には逆か。もしくはJ・P・ホーガンの小説『 ガニメデの優しい巨人 』や『 巨人たちの星 』のゾラックが可愛くて仕方がない、というSFファンならば、本作はかなり楽しめるはず。一般人向けとはとても言い難い作品であるが、刺さる人にはとことん刺さる作品のはずである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

call it a night

call it a dayという形でもよく使われる。「それ(=状況)を夜(一日)と呼ぶ」が直訳で、意訳すれば「これで一日をおしまいにする」ということになる。call it a career=引退する、という表現を使うアスリートやパフォーマーも時々見かける。英語学習の初級者から中級者の間なら、知っておくべき表現である。

 

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, スカーレット・ジョハンソン, ホアキン・フェニックス, ルーニー・マーラ, ロマンス, 監督:スパイク・ジョーンズ, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 her 世界でひとつの彼女 』 -いつか間違いなく到来する世界-

『 聖女 Mad Sister 』 -韓流アトミック黒髪の爆誕-

Posted on 2020年5月4日 by cool-jupiter

聖女 Mad Sister 65点
2020年5月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:イ・シヨン パク・セワン
監督:イム・ギョンテク

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200504230112j:plain
 

『 THE WITCH 魔女 』や『 悪女 AKUJO 』に続く、韓流・戦うヒロイン(?)の系譜に連なる一作というTSUTAYAの触れ込みに惹かれた。またプロットも韓国映画ではずれが極めて少ない復讐もの。ということで借りてみた。

 

あらすじ

過剰防衛による服役を終えた警備員のイネ(イ・シヨン)は、軽度の知的障がいを持つ妹ウネ(パク・セワン)のもとへ帰ってくる。再会を喜ぶ二人。しかしウネは学校でいじめの対象になっており、美人局的な仕事をさせられていた。ヤクザ者の手に落ちたウネを取り戻すべく、イネは動き出すが・・・

 

ポジティブ・サイド

いきなり『 ミッドサマー 』の「顔面破壊」を彷彿させるオープニングである。否が応にも惨劇への期待・・・ではなく予感が高まる。そして、その予感は正しかった。韓国映画の特徴は容赦のないバイオレンス描写にあるが、本作でもそれは健在。というか、『 THE WITCH 魔女 』や『 悪女 AKUJO 』のような斬新なアトラクション的カメラワークよりも、オーディエンスに劇中キャラクターが感じる痛みを伝えることにフォーカスしたカメラワークと演出が非常に多い。たいていの人はドアに指を挟んだ経験があるだろうグロ描写は極まるとコメディになるが、本作は視覚的に気持ち悪いということ感覚的に痛いということの差をよく理解した者によって作られている。

 

男を踏みつけるという一種のメタファー的な行為は『 ワンダーウーマン 』でも取り入れられていた(鐘楼のスナイパーのシーン)が、本作の聖女もやっぱり男を踏みつける。なぜに赤いワンピースとハイヒールで大立ち回りを演じるのかと疑問に思うが、中盤のとある踏み付けシーンの痛みを倍加させるためである。終盤には『 アトミック・ブロンド 』のシャーリーズ・セロンばりにハイヒールを武器に転化。お約束の攻撃だが、これも痛い。主演のイ・シヨンは元ボクサーというよりも元総合格闘家、いや、それ以上の何かだ。パンチのみならずキック(膝蹴り含む)に関節技まで織り交ぜて、ナイフ、スタンガン、銃と武器の扱いにも長けている。警備員ではなく、どう考えても『 アジョシ 』同様に韓国軍の特殊部隊上がりとしか思えない。ノースタントでこなしたという数々のアクションは必見。特に中盤の対ヤクザの車内バトルは、一瞬で車の中から外に移動するカメラワークとロングのワンカット構成で見ごたえは抜群、見ているこちらの痛覚もばっちり刺激される。

 

その聖女に引けを取らないのは妹ウネを演じたパク・セワン。韓国映画は『 殺人の追憶 』や『 母なる証明 』のように障がい者を重要な役に配置することが多い。それは取りも直さず、障がい者への接し方について伝えたいメッセージがあるということだ。ウネの受ける暴力と性的な虐待は正視に堪えない。『 トガニ オサキナ瞳の告発 』同様に、精神的にかなり削られる描写が多い(尺はそれほど長くないが)。だからこそ、聖女の過剰とも思える暴走が観る側に勧善懲悪的なアクションとしての説得力を抱かせる。このコントラストのつけ方は恐ろしいほどに鮮やかだ。『 スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼 』の白石麻衣が「体を張った」だの「体当たりの演技」だのとちやほやされるうちは、日本の10代20代の女優は韓国の同年代女優たちには勝てない。

 

日本はテレビドラマ『 聖者の行進 』以降、障がい者への容赦のない暴力やレイプを真正面から映し出す作品はあまり作られてこなかった。あったとしても『 パーフェクトワールド 君といる奇跡 』や『 レインツリーの国 』など、どこかromanticというよりもfantasticalな作風の映画ばかりである(『 こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 』は実話ベースなのでちょっと違う)。『 37セカンズ 』のダークな一面をもっと映し出すような作品は、日本でも作れるはずだし、そのような作品を作らねばならないという意識の作り手もいるはずだ。リメイクするか、日本オリジナルのマッド・シスターを生み出してほしい。

 

ネガティブ・サイド

イネは服役帰りという設定だが、このあたりが説得力に欠ける。なぜイネは起訴され、有罪判決を受け、刑務所に行かざるを得なかったのか。事の顛末は中盤に明らかになるが、これで執行猶予がつかない韓国司法に喝!イネの過失はほとんどないだろう。もっとアクシデント、あるいはイネのミスの要素が多くないと、イネの服役に説得力がない。

 

バトルシーンのクオリティが終盤に近付くにつれ低下していくようにも感じた。『 悪女 AKUJO 』は序盤、中盤、終盤ともに隙のない上質のアクションを放り込んできたが、最終盤の大乱闘の迫力が序盤、中盤のそれを上回らなかった。角材という割と身近にある(少なくとも銃や刃物よりは)ものを使ったのはグッドアイデア。問題は、それを使っての驚くべきバトルシーンの演出の不足である。そうだ、いつの間に左拳にバンデージを巻いたのだろうか?

 

総評

韓国映画界からは“バーズ・オブ・プレイ”に参加できそうなタフな女性ヒーローが陸続と生み出されている。そのことが韓国映画特有のバイオレンスや容赦のない愛憎劇の要素をいささかも減じていない。日本でリメイクにトライしてほしいと思える作品である。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

オンニ

女性が年上の姉妹あるいは女性を呼ぶときの呼称、つまりは「お姉さん」である。血縁の有無に関係なくこのように呼ぶところは日本語との共通点である。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクション, イ・シヨン, パク・セワン, 監督:イム・ギョンテク, 配給会社:カルチュア・パブリッシャーズ., 韓国Leave a Comment on 『 聖女 Mad Sister 』 -韓流アトミック黒髪の爆誕-

『 悪魔の倫理学 』 -Demons live inside us-

Posted on 2020年5月3日2020年5月3日 by cool-jupiter

悪魔の倫理学 60点
2020年5月1日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:イ・ジェフン ムン・ソリ
監督:パク・ミョンラン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200503003535j:plain
 

近所のTSUTAYAで『 悪魔を見た 』が借りられていたので、すぐそばにあった本作をチョイス。これはこれでなかなかの出来栄えだった。韓国人は内面と外面が演技に直結しているのがいい。

 

あらすじ

女子大生のジナが死んだ。殺害されたのだ。それにより、ジナと不倫関係にあった大学教授、ジナの生活を盗聴することに喜びを感じる警察官の隣人、そしてジナに多額の借金を押し付けるヤクザ者、それぞれの悪魔的な内面が露わになっていき・・・

 

ポジティブ・サイド

どいつもこいつも、清々しいまでに嫌な奴らである。『 アウトレイジ 』の【 全員悪人 】ならぬ【 全員嫌な奴 】である。そうした連中を見ていても、腹立たしい気分にならない。これは凄いことである。大学教授や警察官は往々にして嫌味ったらしい人種であるが、嫌味ったらしさ全開でいることが、時に同情的に、時に滑稽に映る。そのすべてがサスペンスフルな終盤につながっていく。

 

印象的なのは高利貸しの男。長広舌からの女性への暴言および暴力、そして「 我怒る、ゆえに我あり 」という哲学者デカルトのパロディ。「ラテン語では・・・」のくだりが途中で終わってしまったので、第二外国語で古典ラテン語を学んだJovian先生が補足する。“Irascor ergo sum”= I get angry, therefore, I am. 韓国らしいと言えば韓国らしい。

 

警察官で盗聴魔の男も魅せる。日本でリメイクするなら、この役は伊藤淳史で決まりだろう。警察官でありながらも盗聴という犯罪行為にのめりこむ。その背徳的な快楽に抗えない、非常に情けない様を見事に体現した。こういう色々なものを内に秘める、溜め込むタイプほど、爆発すると怖いものである。そして実際に爆発した。これも韓国らしいと言えば韓国らしい。

 

大学教授のオッサンもキャラが立っている。中年のプロフェッサーが若々しい女子大生と関係を持つというのはこれ以上ないクリシェであるが、本作でこの教授を際立たせているのは、妻の存在とその関係性であろう。不倫した夫に、「プロポーズの時の言葉を思い出せるか?」と問うのは、古今東西のクリシェである。ドラマの『 スウィート・ホーム 』でも、布施博がしどろもどろになりながらも、何とか山口智子に正解を伝えたシーンを当時10代半ばの純粋純情純朴だったJovian少年は緊張感をもって眺めていた。「浮気はしたらあかんな。もし浮気しても、初心を忘れたらあかんな」と思ったものである。この大学教授のプロポーズの言葉は、多くの男から喝采と共感を集めることであろう。彼こそ、男の中の男である。男はよく頭と性器それぞれに脳があるなどと言われるが、蓋し真実であろう。世の男性諸氏は、この大学教授に共感するか、それとも反感するかを、よくよく分析されたい。それにより自分の心根が見えてくる。教授という非常なるインテリ人種が、下半身に支配されているという事実に、我々はほくそ笑むと同時に心胆寒からしめられるのである。

 

だが、『 悪魔の倫理学 』という邦題の“悪魔”が指す存在は別にいる。ボワロー&ナルスジャックの小説『 悪魔のような女 』を例に挙げるまでもなく、「悪魔のよう」という形容詞はしばしば女性に使われる。小悪魔的、という語は好個の一例だろう。日本語でも、我々はしばしば「鬼嫁」とか「鬼婆」とか、鬼という言葉を女性につけるではないか。既婚女性を「鬼女」と略すのもむべなるかな。男というのはアホな生き物であり、女性というのは悪魔的にしたたかな生き物である。これまた韓国らしいと言えば韓国らしい。

 

ネガティブ・サイド

盗聴という隠微な趣味を描写するのに、もう少し別の演出方法があったのにと思う。ジナの寝室からの嬌声を聞くことにこの上ない喜びを見出すのに、ジナの声をダイレクトにオーディエンスに聞かせるのではなく、イヤホンからほんのわずかにその声が漏れ聞こえる。そして、その声に恍惚とした表情で聞き入るイ・ジェフンを映し出せなかったか。『 建築学概論 』でも、なかなか意中の女子とお近づきになることができなかった男子大学生的に、あるいは『 アンダー・ユア・ベッド 』的な、触れたくても触れられない、あるいはそもそも触れなくても満たされてしまう。そんな屈折した性癖を、もっと効果的に演出することができたはずだ。もっと言えば、盗撮は必要なかった。やるとすればどちらかだけで良い。

 

誰もかれもがキャラが立っているのは本作のポジティブであるが、キャラが立ちすぎているせいでストーリーがなかなか前進しないところも少々気になった。キャラを映すことが、ストーリーの発展とイコールにならないところはマイナスである。

 

とある血の海のシーンは決定的にダメだ。カメラが映り込んでしまっている。一部の例外的な映画を除いて、カメラの存在を観る側に意識させた時点で負け、失敗作なのである。ましてや、カメラをうっすらレベルではなく、これほどはっきりくっきりと映してしまったというのは、本作の製作・編集上の大失敗である。

 

総評

こういう作品は、だいたいにおいて言葉と言葉のぶつかり合いで男たちは自分の思いの丈、思慕の念の深さを競い合うものだが、韓国映画はそんな生ぬるいやり方は好まない。きわめてフィジカルなやり取りにまで行き着く。クライマックスの、文字通りの意味でのタマの取り合いは非常にエキサイティングだ。そしてそれ以上に、エンディングのシークエンスは、我々善良かつ小心な男性を震わせる。途中の展開がもたつくが、a rainy day DVDとして鑑賞するのが良いだろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I think, therefore I am.

中世フランスの哲学者デカルトの思想の根幹、「我思うゆえに我あり」である。ラテン語ではCogito ergo sum. である。I ~, therefore I am. はパロディ化するのに適したテンプレートである。自分で

I eat, therefore I am.

I work, therefore I am.

I study, therefore I am.

などと自分バージョンの格言を作ってみよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, イ・ジェフン, サスペンス, ムン・ソリ, 監督:パク・ミョンラン, 韓国Leave a Comment on 『 悪魔の倫理学 』 -Demons live inside us-

『 パーティで女の子に話しかけるには 』 -変則的かつ王道なボーイ・ミーツ・ガール-

Posted on 2020年5月1日 by cool-jupiter

パーティで女の子に話しかけるには 70点
2020年4月29日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:エル・ファニング アレックス・シャープ ニコール・キッドマン
監督:ジョン・キャメロン・ミッチェル

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200501001004j:plain
 

ウィルスといえば本作も忘れてはならない。コロナもウィルス。『 貞子 』もある意味ウィルス(意味が分からない人は小説『 リング 』を読むべし)。そして本作もある意味でウィルスの物語である。

 

あらすじ

 

時は1977年、場所はロンドン。高校生のエン(アレックス・シャープ)は、ひょんなことからザン(エル・ファニング)という少女と出会う。意気投合する二人。エンはたちまちザンに恋するが、ザンは実は宇宙人で・・・

 

ポジティブ・サイド

原作はニール・ゲイマン。『 ピープルVSジョージ・ルーカス 』で創作について印象的なコメントを発していた小説家で、オンラインのcreative writing講座の広告で最近はよく見かける。

 

なんとも不思議なボーイ・ミーツ・ガールである。異星人に恋をするストーリーは、それこそ『 火星のプリンセス 』(『 ジョン・カーター 』として映画化されている)の昔(1910年代)から存在する。本作がユニークなのは、パンクという反体制・反社会・反規範のイデオロギーを個性の尊重=individualityと対比させた点にある。このことが喜劇にも悲劇にもなっている。

 

喜劇だなと感じられるのは、パンクについて語ることで意気投合するエンとザン。寒空の下で、ボロボロの木造部屋で、パンクについて語らう。まったくロマンチックではない。漫画『 CUFFS ~傷だらけの地図~ 』で、主人公とヒロインが夜空の下でB級アクション映画についてこんこんと語り合うシークエンスがあったが、ロマンチックさのかけらもないシーンこそロマンチックに見えるものである。キス、あるいはセックスをする直前が最も盛り上がるという一昔前の少女漫画的な描写になっていないところもいい。なにしろ、エンはザンに吐しゃ物をぶっかけられるからである。ザンはある意味で英国版『 猟奇的な彼女 』なのである。このように、エンという何者にもなれていない少年が、ザンと知り合って男に脱皮していく過程には、実にほほえましいものがある。だが、そのほほえましさが胸に刺さるシーンも見逃せない。決められたルールに反逆すること、それがパンク・ロックの精神であるが、母親に反発し、逃げた父親を今でも尊敬するエンに、ザンの何気ない一言が突き刺さるシーンは強烈である。少年はこのように大人になっていく。精神的な意味での父親殺しこそ、西洋文学の一大テーマなのである。

 

悲劇だなと感じられるのは、タイムリミット。恋とは障害があればあるほど激しく燃え上がるものだが、48時間という時間の制約はいかんともしがたい。『 はじまりのうた 』や『 ベイビー・ドライバー  』でも用いられた、一つのイヤホンやヘッドセットを二人でシェアするという演出は本作でも健在。実際にDVDのジャケットにも使われている。これがすべてだろう。 限られた時間では、時に言葉は無力である。B’zの『 Calling 』の歌詞にある通り“言葉よりはやく分かり合える”のが、音楽を通じて時に可能になる。こうした直感的な交信とでも言うべき現象は古典映画『 未知との遭遇 』から小説『 鳥類学者のファンタジア 』まで、古今東西に共通のようである。こんなに深く分かり合えるのに、交わることができない。何と切ないことであろうか。もう一つの悲劇的要素はザンの種族のある習性。ニール・ゲイマンは冨樫義博の漫画『 レベルE 』を読んでいたのかと勘ぐってしまう。現実的に考えれば、大人は子どもを食い物にするなというメッセージなのだろうが。

 

エル・ファニングは安定の演技力と存在感で不思議ちゃんを好演。本作でのパンクでロックなインプロビゼーションは『 ティーンスピリット 』の歌唱シーンを全て吹っ飛ばすような迫力とエモーションに満ち満ちている。また、川面を行くカモの群れがちょうど良いタイミングで現れガーガー鳴いているのを指して“What are they saying?”と言ったのはアドリブっぽく感じられた。もしも本当にアドリブなら大したもの。計算ずくのショットなら、ジョン・キャメロン・ミッチェル監督の会心の絵作りだろう。ザンの放つ「あなたのウイルスになりたい」との一節が、今という時期だからこそ、いっそう強烈に響いてくる。恋愛経験のない、あるいは好きな人と付き合った経験のない男女は、本作のラストにエンの親友のヴィックがくれるアドバイスにしっかりと耳を傾けよう。『 ハナレイ・ベイ 』のサチのアドバイスと双璧を成す金言である。

 

ネガティブ・サイド

随所にどこかで見た何かが満載である。PTステラを最初に目にした瞬間、『 怪獣総進撃 』のキラアク星人または『 三大怪獣 地球最大の決戦 』の金星人の女王様かと思った。ゴジラはグローバル・アイコンなので、ミッチェル監督が観ていたとしても何の不思議もないが、もうちょっと捻るというか、工夫が欲しかった。あとは『 アンダー・ザ・スキン 』的な演出かな。これも気になった。ストーリーをシュールなSFにしたいのか、ボーイにとってのガールとは、別の星からやって来たエイリアンのようなものという実感を絵にしたかったのかが、少々分かりにくかった。

 

難点のもう一つは、ニコール・キッドマンとエル・ファニングの英語か。これでバリバリのロンドナーで御座い、というのは無理がある。頑張って似せようとしているのは分かるが、『 ブレス しあわせの呼吸 』のアンドリュー・ガーフィールドにも及んでいない。アメリカ・イギリス合作だが、イギリス単独資本で作るべきだった。その方がリアリティも生まれたし、何よりも本作の横軸であるエンとザンの恋愛関係と対照をなす縦軸、つまり様々な親子関係に、もう一本の線が通ったと思うのだ。そこが惜しい。

 

総評

 

普通に面白い。パンクの何たるかをよくわからなくても、「そいつはロックだな」、「そんなのはロックじゃねえ!」みたいなノリが分かれば十分である。性別云々を言うのは野暮だしpolitically correctでもない。しかし、本作はぜひ中学生・高校生あたりの男子に観てほしい。女の子ってのは別の生き物に思える時があるが、それは本当にそうだからだ。話しかける時はプレイボーイぶらなくていい。王子様である必要もない。日本映画界が安易に量産する漫画原作の恋愛映画だけではなく、こういう映画も時々は観てほしい。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Rise up

Jovianの属する業界にも、ちょっと前にやってきた会社の名前である(スペルは違うが)。「立ち上がれ」の意味であるが、get upやstand upと何が違うのか。get up = 寝ている状態から起き上がる、stand up = 座っている状態から立ち上がる、である。rise up の意味する「立ち上がる」は“立ち上がれ、立ち上がれ、立ち上がれ、ガンダム”ということである。意味が分からないという人は、周りの40歳以上の男性に尋ねてみよう。

 

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