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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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月: 2019年2月

『 アリータ バトル・エンジェル 』 -2Dでも3D的ビジュアル効果!-

Posted on 2019年2月27日2019年12月23日 by cool-jupiter

アリータ バトル・エンジェル 80点
2019年2月23日 大阪ステーションシネマにて鑑賞
出演:ローサ・サラザール クリストフ・ワルツ マハーシャラ・アリ エド・スクレイン
監督:ロバート・ロドリゲス

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日本のSF漫画でスクリーン映えするだろうものは、『 AKIRA 』、『 BLAME! 』、『 攻殻機動隊 』だと思っていた。皆、映像化された。そこへ満を持して『 銃夢 』である。日本の漫画界最後の戦闘美少女である。期待せずにいらりょうか。Don’t get your hopes up because that’ll spoil a movie! そんなことは分かっていても、やはり期待する。そして、その期待は裏切られなかった。

あらすじ

時は26世紀。火星連邦共和国との“没落戦争”が終結して300年。唯一残った空中都市ザレムと、その直下のアイアンタウン。ある日、Dr.イド(クリストフ・ワルツ)がザレムから落とされるスクラップを漁っていたところ、脳と心臓がまだ生きているサイボーグの頭と胴体を見つけてしまう。新たなボディを与えられた“彼女”は記憶を失っていたが、アリータを名付けられ、徐々にアイアンタウンに馴染んでいく。しかし、ある時、殺人事件が発生し、さらにイドの様子に不審なところがあり・・・

 

ポジティブ・サイド

ガリィではなくアリータだが、いきなりアリータでも良いだろう。ファイナルファンタジーⅥのティナも、英語版ではTerraになっていた。そして、ここでも20th Century Foxのロゴがオープニングから一気に映画の世界に我々を引きずり込んでくれる。ゆめゆめ見過ごすことなきよう。こうした『 ピッチ・パーフェクト ラストステージ 』や『 ボヘミアン・ラプソディ 』から続く、ロゴいじりは是非とも続けて欲しいトレンドである。

 

本編について何よりも驚かされたのが、2Dで鑑賞したにもかかわらず、3Dを見たかのような印象が強く残ったことである。また、トレイラーの段階では、アリータの目の異様な大きさに、いわゆる「不気味の谷」現象を感じていたが、本編が進むにつれ、アリータに不自然さを感じなくなり、ある時点からは可愛らしいとさえ感じるようになった。製作指揮のジェームズ・キャメロンは、『 エイリアン2 』や『 ターミネーター 』シリーズ、そして『 アバター 』など、人と人なるざる者との関係を描かせれば天下一である。その彼の芸術的な感性と、マチェーテ映画を手掛けてきたオタク監督(と見なして差し支えないだろう)のロバート・ロドリゲスの感性が見事にマッチして生み出されたアリータは、モーション・キャプチャ-とアニメと実写の幸福なマリアージュである。

 

それにしても最近の技術の進歩は凄まじい。『 アントマン&ワスプ 』におけるマイケル・ダグラスやミシェル・ファイファー、『 アクアマン 』におけるウィレム・デフォーなど、デジタル・ディエイジング技術の進化とその応用が著しい。ターミネーターの新作でもシュワちゃんおよびリンダ・ハミルトンが若返るのだろうか。しかし、モーション・キャプチャ-によるフルCGキャラクターというのは、『 シン・ゴジラ 』のゴジラ、『 スター・ウォーズ/フォースの覚醒 』および『 スター・ウォーズ/最後のジェダイ 』のマズ・カナタがいるが、これらは人間ではなくクリーチャー。そして、アリータは人間ではないがクリーチャーではない。サイボーグである。そこに最先端CGを施すことで、これほど「生きた」キャラクターが生み出されるということに感動すら覚えた。『 ゴースト・イン・ザ・シェル  』の草薙素子がスカーレット・ジョハンソンによって演じられたことが一部(主に日本国外)で典型的なホワイトウォッシュだとして問題視されたが、5年後には少佐がこの技術を使って再登場してくるかもしれない。それほどのポテンシャルを、アリータというキャラのCGの美麗さとリアルさから感じた。

 

戦闘シーンおよびモーターボールのシーンは圧倒的な迫力と説得力である。しかし、それよりも光るのはアリータが、いわゆる戦闘美少女として覚醒する前に、アイアンタウンでオレンジを食べるところであろうか。これは『 ワンダーウーマン 』がアイスクリームの美味しさに感動し、『 アクアマン 』でメラが花をむしゃむしゃとやったように、これだけでアリータの可愛らしさを描き切ってしまった。人が萌え(死語なのだろうか?)を感じるのは、そこにギャップがあるからなのだ。続編も期待できそうだ。いや、絶対に製作されねばならない。

 

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ネガティブ・サイド

ヒューゴがアリータを300年前の没落戦争の遺物であることを知った明確な描写は無かったはず。にもかかわらず、何故そのことをナチュラルに知っているかのような流れになっていたのだろう。ちょっとした編集ミスなのか?それとも何か見落とすか聞き逃すかしたのだろうか(そんなことはない筈だが・・・)。

 

人間が機械の身体を持つことに抵抗を感じない世界というのは、『 銀河鉄道999 』を読んできた我々には分かる。しかし、2019年という今の時代、AIが社会の様々な場面で実用化されつつあり、またロボティックスも長足の進歩を遂げつつあるこの時代と、アリータの時代をつなぐ描写がほんの少しで良いので欲しかった。

 

総評

近いうちに、3DまたはIMAXでもう一度鑑賞したい。MX4Dや4DXも、吹替えではなく字幕なら、是非トライしてみたい。『 シドニアの騎士 』の映画化も見えてきたかと、映画を観終わって、感想よりも次の鑑賞や更なる別作品の映画化を夢想するなど、これほど浮き浮きしたのは久しぶりである。早くこのバトル・エンジェルと再会したい!

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, SF, アクション, アメリカ, エド・スクレイン, クリストフ・ワルツ, マハーシャラ・アリ, ローラ・サラザール, 監督:ロバート・ロドリゲス, 配給会社:20世紀フォックス映画Leave a Comment on 『 アリータ バトル・エンジェル 』 -2Dでも3D的ビジュアル効果!-

『 パズル 』 -シチュエーション・スリラーの駄作-

Posted on 2019年2月26日2019年12月23日 by cool-jupiter

パズル 20点
2019年2月20日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:マーシエン・ドワイヤー  マット・デラピーナ
監督:プレストン・デフランシス

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TSUTAYAで何故か新作料金で借りてしまった。カバー、そしてあらすじだけでゴミ作品と分かったが、Sometimes I’m in the mood for garbage.

 

あらすじ

アレックス(マーシエン・ドワイヤー)は恋人のネイサン(マット・デラピーナ)と共に切り裂きキャンプ(Slasher Sleepout)という野外キャンプ、お化け屋敷、脱出ゲームを組み合わせたようなイベントに参加する。集まったのは個性的な男女6名。イベントをこなしていく彼らは、しかし、メンバーの一人が殺されてしまったことで混乱に陥る。アレックスとネイサンは果たして生き延びられるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

原題は“Ruin me”である。「私を壊して」とでも訳すのだろうか、しかし、素直に訳してしまうと、おそらく誰も手に取らないタイトルであろうし、上述したような Slasher Sleepout というのは非常に訳しにくい言葉である。『 切り裂きキャンプの悪夢 』などと、エルム街をパロったようなタイトルをつけてもダメであろう。様々な要素を一気に表す言葉として「パズル」はギリギリセーフの邦題であると評価したい。

 

そうそう、謎解きシーンでは「面白いな」と感じるシーンが一か所あった。英語と日本語の最大の違いの一つは、前者は文字と音が必ずしも一致しないことで、後者は文字と音が見事に一致するということである。この英語の特徴を活かした謎解きがあって、個人的には膝を打った。

 

ネガティブ・サイド

まず、DVDカバーのようなモンスター的なキャラは出てこない。看板に偽りありだ。普通にslasherと聞けば、『 13日の金曜日 』のジェイソンのようなモンスターか、『 ハロウィーン 』のマイク・マイヤーズ、または『 悪魔のいけにえ 』のレザーフェイスのような殺人鬼を想像するが、本作に出てくるslasherは実に小物だ。別にそれはいい。だが、このようなカバーで釣るのは犯罪的ではないか。

 

本作はマイケル・ダグラス主演の『 ゲーム 』とブライアン・デ・パルマ監督の『 キャリー 』を無造作に組み合わせて、そこかしこにシチュエーション・スリラーの要素を散りばめた、『 キャビン 』になろうとしてなれなかった粗悪品である。特に夜の森のシーンは、めちゃくちゃ暗いシーンと不必要なまでに明るいシーンが混在し、観る者の目を惑わす。勘弁してくれ。

 

キャラの変貌ぶりについても、本来はホラー映画ではない『 シンクロナイズドモンスター 』のジェイソン・サダイキスの方が遥かに怖かった。さらに一部の芸能リポーターが騒いだ有安杏果関連のニュースを事前にチェックして本作を見れば、更にしらけること請け合いである。

 

総評

見つけたら借りるな、借りても観るな。それが本作への評価である。しかし、今をときめく監督や、撮影監督、脚本家や役者連中も、メジャー作品を手掛けることができるようになるまでは、このようなクソ作品で腕を磨いてきたのだ。もしもあなたが、完成されたボクサーよりも未完の粗削りなボクサーの方が好きだ、という香川照之のような熱病的思考法の持ち主ならば、どうしても他にすることが無いという時にだけ観るのもありかもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, E Rank, アメリカ, ホラー, マーシエン・ドワイヤー, マット・デラピーナ, 監督:プレストン・デフランシスLeave a Comment on 『 パズル 』 -シチュエーション・スリラーの駄作-

『 洗骨 』 -死から目を逸らすことなかれ-

Posted on 2019年2月25日2019年12月23日 by cool-jupiter

洗骨 65点
2019年2月17日 大阪ステーションシネマにて鑑賞
出演:奥田瑛二 筒井道隆 水崎綾女 大島蓉子
監督:照屋年之

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風葬にした遺体の骨を数年後に取り出して洗うという、文化人類学的に非常に興味深い風習を映画にしたというからには観ねばなるまい。この映画の意図やテーマは何であるのかを、なるべくまっさらな状態で受け止めてみたいと思い、予告編やパンフレットには極力近寄らずに鑑賞してみた。

 

あらすじ

新城信綱(奥田瑛二)は妻、恵美子を亡くして以来、セルフ・ネグレクト気味に生きてきた。しかし、粟国島の風習である洗骨を行う時になって、東京から長男の剛(筒井道隆)、名古屋から長女の優子(水崎綾女)が帰省してくるも、優子のお腹は大きく、しかしその子の父親であるはずの男の姿はなく・・・

 

ポジティブ・サイド

奥田瑛二、筒井道隆はいぶし銀の役者としてその地位を確立しているが、水崎綾女は恥ずかしながら初見であった。飄々として、それでいて色気もあり、しなやかさもあり、慈しみも感じさせ、なおかつ守ってあげたくなるようなキャラを見事に体現した。これは彼女の演技力なのだろうか、それとも素の姿に近いのだろうか。今後まだまだ上に行けそうな雰囲気もあり、なおかつ桜井ユキ的な活躍にも期待をできそうにも思える。もちろん、大島蓉子のような肝っ玉母ちゃんキャラをもこなす演技派に成長してもらっても結構である。

 

沖縄を舞台にした映画で、おそらく最もシリアスなのは『 ハクソー・リッジ 』であろう。そして沖縄を舞台にした映画で最も(意図的に)馬鹿馬鹿しいのは『 ゴジラ対メカゴジラ 』であろう。とにかくキングシーサーを眠りから呼び覚ますために、やたらと長い歌を聴かせなければならないし、そのキングシーサーはというと、メカゴジラよりも格段に弱かった(ようにしか見えない)描写しか印象に残っていない。それでは本作はどうか。監督がゴリであるからなのかは分からないが、シリアスさと馬鹿馬鹿しさを同居させようとしていたのが伺える。シリアスなシーンには必ずと言っていいほど冷静な突っ込みが入れられる。本来であれば誰も知る由のない親子の諍いに対して「よそでやってよ」とボヤくキャラもいる。いや、そうした人物が存在していたとしても、描写はしないのが映画的な文法ではなかったか。しかし、Jovianはこうした描写を評価したい。なぜなら、鑑賞後の劇場内で「いや~、沖縄の海はホンマにあんなんやで」、「島の人はあんなふうによう笑うねん」、「真面目な話をしてる時でも、なんか面白いことを言うてまうねん」と上品な大阪弁で熱弁を振るうおばあちゃんがおられたからだ。そうか、沖縄出身の方にはリアリスティックに見えるのか、と得心したのである。

 

本作はBGMがほとんどない。それが不思議と心地よい。『 君の名前で僕を呼んで 』と共通するような自然そのものの音を味わえる。『 おと・な・り 』で強く感じさせられた基調音が、本作では際立っている。この部分だけに注目すれば、まるで北野武の映画のようだ。

 

本作のもう一つのモチーフに海がある。日本語は海の中に母があり、フランス語では母の中に海があるとよく言われる。それぞれに思うところあり、打ち解けられない男たちが問答無用で母なる海に抱かれるシークエンスは、海の生命力と包容力の観る者に感じさせる。それらの力は母の象徴でもあったろう。海は最も身近な異界であるが、母の胎内こそが故郷で、我々は生まれ出たその瞬間から、この世という異界に生きているのかもしれない。であるならば、粟国島の東がこの世、西があの世という世界観もフィクションなのかもしれない。実際に、子どもたちは元気にあの世とこの世の境界線を走り回っていたし、大人もそれを強く止めることはなかった。愛する者の死を受容する為に骨をこの手に持つ。それは取りも直さず、生の終着点が死であることを思い知らされることである。しかし同時に、自分の骨を洗う誰かがこの世に存在するという安心感のようなもの、自分の骨を洗うまだ見ぬ誰かの存在を想起することにもつながる。加地伸行の言葉を借りるならば、親孝行の孝の本質とは「生命の連続」である。ハイデガーの言葉を借りるならば、我々は頽落している。死を忘れるな。メメント・モリ。死者との向き合い方について、『 おくりびと 』以上に直球の作品が放たれた。映画ファンなら観るべし。

 

ネガティブ・サイド

非常にわざとらしい段ボール箱があったが、ああいうものは要らない。もしくは、もっと存在感を小さくして見せるべきだ。説教臭い要素を入れたい、または観る側に露骨にメッセージを伝えたいのなら、文学でやってくれ。

 

優子のお相手であるはずの店長の空気の読め無さ、ウザさが全体のバランスを壊していると感じた。ともすれば重い空気が流れかねない雰囲気の中でライトな感じを演出したかったのだろうが、逆に空気をぶち壊していた。お笑い芸人が役者をやることを否定はしない。しかし、役どころによるだろう。面白い役を面白い人にやらせて、果たして本当に面白いのか。ゴリではなく、照屋年之に問いたい。

 

またリアリティを追求すべき箇所で、おいおいちょっと待て、監督が気付かないのもおかしいが、他の女性スタッフの誰も気がつかなかったのか?と首をかしげざるを得ない描写がある。これのせいで、非常に良い味を出していた大島蓉子のキャラが一気に皮相的になってしまった。最近もある芸能人が出産後にある行為を行って、一部の人間を驚かせたというニュースがあった。また出産に立ち会ったことのある人間なら、赤ん坊が出て来てハイ、終わりではないということを知っているはずだし、たとえそうした経験が無くとも、ペット、特に犬や猫(これを観察するのはなかなか難しいか)の出産を観察したことがあれば、分かるはずのことだ。クレジットに医療監修はあったかな・・・

 

総評

大きな弱点があるものの、それでも映画作品として観た時に示唆的であったり、感動的であったり、ユーモラスであったり、シリアスであったりする。つまり、観る者の心に訴えかける作品に仕上がっている。小さな子どもに「せっくすうー!」と叫ばせるのはどうかと思うが、敢えて思春期の子どもに見せてやるという選択をする親がいてもよい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, ヒューマンドラマ, 大島蓉子, 奥田瑛二, 日本, 水崎綾女, 監督:照屋年之, 筒井道隆, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 洗骨 』 -死から目を逸らすことなかれ-

『 きっと、うまくいく 』 -あまりにもチープすぎて逆に感動する友情物語-

Posted on 2019年2月24日2019年12月23日 by cool-jupiter

きっと、うまくいく 80点
2019年2月14日 レンタルDVD鑑賞
出演:アーミル・カーン R・マーダバン シャルマン・ジョーシー カリーナ・カプール 
監督:ラージクマール・ヒラーニ

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アーミル・カーンと聞くと、パキスタン系英国人ボクサーのアミール・カーンを思い起こすのはJovianがボクシングファンだからだろうか。近所のTSUTAYAでずっと気になっていた作品で、最近のインド映画のクオリティの高さから、ついつい手にとってしまった。インド映画にはずれなし!そう力強く断言してしまいたくなるほどの良作であった。

 

あらすじ

インド最高峰の大学ICE。そこに入学する自由人にして発明家のランチョー(アーミル・カーン)、実はエンジニアよりも動物写真家になりたいファラン(R・マーダバン)、科学よりも信仰のラージュー(シャルマン・ジョーシー)の三馬鹿トリオのハチャメチャな大学生活を送っていた。しかし、卒業後にランチョーは行方をくらませる。かつての旧友らと共に、ファランとラージューはランチョーを探す旅に出る・・・

 

ポジティブ・サイド

Interval後の20分程度で、映画に慣れている人ならかなりの程度まで筋書きが読めてしまうだろう。しかし、これは脚本のレベルが低いからというわけではない。逆に、懇切丁寧に作り込まれた脚本を忠実にスクリーン上で再現しているからこそ可能なことだ。消えたランチョーを探し求める旅というロードムービー兼ミステリの要素が強いが、本作は何よりもヒューマンドラマである。そしてビルドゥングスロマンでもある。そして極めて映画的な技法が駆使されている。映画的な技法とは、映像を以って語らしめるということだ。登場人物たちの心情の変化や葛藤、人間的成長と根源的に変わっていないところが、台詞ではなく動き、立ち居振る舞い、口調などで伝えられる。人間の成長とは、時に環境の変化に適応して生き抜くことであったり、逆にそうした変化においても自分の核の部分だけは決して変えることなく自分のままであり続けることでもあるということを、本作は全編を通じて高らかに宣言する。原題の“3 idiots”=三馬鹿は、自分の心の中の大切なものを決して見失わない。それがもたらすカタルシスは圧巻である。

 

本作はまた学園ものとしての性格も有している。そして、悲しいかな、そこでは闘うべき相手、倒すべき敵として認識させられてしまう人間もいる。つまりはヴィールー学長である。しかし、彼は決して『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』のトラスク校長のようなキャラクターではない。なぜなら、彼には過去があり、家族があり、信念があるからだ。三馬鹿と学長の対立は、時に『 ぼくたちと駐在さんの700日戦争 』のようなユーモラスなものでもあるが、その根底には教育に対する価値観の差違が存在する。これらの教育論的哲学に対する前振り、伏線もしっかりと回収されるところが素晴らしい。

 

キャラクターたちが学生であるということ単なる味付けに終わらないところも良い。日本映画でもハリウッド映画でも、結構な割合で「お前が学生であることは分かった。で、何を学んでいるんだ?」と言いたくなる作品がある。本作はそんな皮相的なキャラを扱う作品をせせら笑うかのように、工科大学の学生の活躍を存分に描いてくれる。魚の骨をいじくるだけの冒頭5分で学生としての属性を描くのを止めてしまった『 アヤメくんののんびり肉食日誌 』というキング・オブ・クソ映画を思い出してしまった。とにかく、本作に出てくる学生たちは生き生きとしている。それは、彼らが自分の本領を発揮しているからである。生きているという実感がそこにあるのである。彼らの ingenuity が一挙に爆発する終盤の事件は感動的である。

 

その感動をさらに上回るクライマックスは圧倒的ですらある。その映像美と構図、旧友との再会という点で『 ショーシャンクの空に 』とそっくりであるが、エンディングシーンの美しさにおいて、本作はショーシャンクに優るとも劣らない。インド映画の白眉にしてヒューマンドラマの一つの到達点である。

 

ネガティブ・サイド

途中で非常に悲惨な事件が発生する。もちろん、これが起きることで中盤の事件に深みが与えられるのだが、何か別の回避方法、または見せ方はなかったのだろうか。極端なことを言えば、ここで観るのを辞めてしまう人がいてもおかしくない。それぐらい衝撃的なことである。

 

もう一つだけ大きな弱点を挙げるならば、カリーナ・カプール演じるピアだろうか。彼女自身のキャラクターや演技力には文句は無い。それがインド的な価値観や社会制度なのだと言ってしまえばそれまでなのだろうが、あのようなクソ男と交際し、婚約するということにもう少しだけでも抵抗を見せてくれてもよかったのではないか。

 

総評

個人的に気になる点はいくつかあったものの、観る人によっては全く気にならない点であるだろう。しかし、本作のポジティブ要素は万人の胸に突き刺さるに違いないと確信できるものがある。それほどに優れた作品である。3時間近い大作であるが、レンタルや配信であれば、適宜にトイレ休憩も取れる。高校生以上であれば充分に理解できる内容だし、中年サラリーマンにとっては、若さの泉=fountain of youthたりうる、つまり草臥れてしまった時に見返してはパワーを補充できるような作品に仕上がっている。つまりは、万人に向けてお勧めできる傑作であるということである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, R・マーダバン, アーミル・カーン, インド, カリーナ・カプール, シャルマン・ジョーシー, ヒューマンドラマ, 監督:ラージクマール・ヒラーニLeave a Comment on 『 きっと、うまくいく 』 -あまりにもチープすぎて逆に感動する友情物語-

『 ボヘミアン・ラプソディ 』 -二度目の胸アツ応援上映参戦-

Posted on 2019年2月22日2019年12月23日 by cool-jupiter

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また行ってしまった。本当は梅田の東宝シネマに行きたかったが、ほとんど満席だった。無理してそちらにいくべきだったか。

感想としては、伊丹の東宝シネマもMOVIXあまがさき同様、盛り上がりはいま一つであった。客の入りは1割にも満たなかったか。もしも、この夜の「エーーーーーーーーーーーーーオ!!」の間の ーーーーーー (映画でもここは聴衆のウェーブを上空から映すショットに切り替わるため、音が一瞬小さくなる)を劇場で聞いた、と言う人がいれば、それはJovianの声であったはずだ。そうそう、お一人、Radio Ga Ga の時に、右腕を大きく突き出す御仁がおられた。梅田なら、または東京の劇場なら、もっとノリノリの人が多くいるのだろうか。

以下は雑感。

監督のブライアン・シンガーのスキャンダルがアカデミー賞にどう影響を及ぼすのかは、神ならぬ身には分からない。しかし、新井浩文が逮捕され、事務所も解雇され、地検に起訴されたというニュースを聞いて、改めて彼の出演作がお蔵入りになってしまったことが残念だ。何が残念かと言えば、新井その人のキャリアではない。その映画の製作に関わった多種多様な人々の努力と労力が適切な評価を受ける機を逸したのが悔やまれる。『 空飛ぶタイヤ 』でも危惧したことだが、映画を作るのに携わった多くの人、そしてその映画の公開を待つさらに多くの人を裏切るようなことは誰にもしてほしくない。『 ゲティ家の身代金 』のように、ケビン・スペイシーが盛大にやらかしてくれたおかげで失われかけたものを、クリストファー・プラマーとリドリー・スコットが莫大なカネとほんのわずかな時間で取り戻してくれたのは奇跡だったのだ。

作品と作者の関係をアカデミーの面々、そして多くの映画ファンがどう判断し、どう評価するのかは分からない。しかし、本作が傑作であるという自身の判断は変えたくないし、変えようとも思わない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, ヒューマンドラマ, ラミ・マレック, 伝記, 監督:ブライアン・シンガー, 配給会社:20世紀フォックス映画, 音楽Leave a Comment on 『 ボヘミアン・ラプソディ 』 -二度目の胸アツ応援上映参戦-

『 エンド・オブ・ザ・ワールド 』 -終末シミュレーションの平均的作品-

Posted on 2019年2月22日2019年12月23日 by cool-jupiter

エンド・オブ・ザ・ワールド 45点
2019年2月12日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:キーラ・ナイトレイ スティーブ・カレル ロブ・コードリー
監督:ローリーン・スカファリア 

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原題は”Seeking a friend for the end of the world”である。世界の終わりネタというのは、小説から映画まで、これまで数限りなく生産されてきた。新約聖書の『 ヨハネの黙示録 』はローマ帝国滅亡のビジョンだと言われるが、旧約聖書の『 創世記 』のノアの方舟も典型的な滅亡物語だし、それをさらに遡ること数百年、『 ギルガメシュ叙事詩 』もある意味では英雄譚にして世界放浪と滅亡の物語だったのかもしれない。では本作はどうか?平均的な作品であった。

 

あらすじ

地球に天体衝突の危機が迫っている。そんな中、ドッジ(スティーブ・カレル)はふとしたことから、同じアパートのペニー(キーラ・ナイトレイ)と知り合う。混乱と平穏が交錯する中、彼らはドッジのかつての恋人を訪ねる旅を共にするようになる・・・

 

ポジティブ・サイド

『 プールサイド・デイズ 』や『 バトル・オブ・ザ・セクシーズ 』では性格に難のある男を演じていたが、スティーブ・カレルの本領はこうした寡黙で内気で、それでいて内面に様々な感情を秘めたキャラクターなのかもしれない。特にヒスパニックのメイドに優しい声をかけるシーンと、彼女に対して声を荒げるシーンは、このキャラクターの深みをよく表していた。滅亡を前に暴徒と化す人もいれば、滅亡を前にしても淡々と日常を過ごす人もいる。前者は結構しつこく描かれるが、後者をたった一人の中年女性と中年男性のビミョーな距離感で描き切ってしまったのは新鮮であった。

 

キーラ・ナイトレイも、いわゆる成熟した大人の女でありながら内面の成長はそれほどでもない、みたいなキャラを演じるようになって久しい。『 はじまりのうた 』や『 アラサー女子の恋愛事情 』などのキャラの原型は本作から生まれたのかもしれない。

 

家族愛と異性への愛、父と息子の対立と苦悩、非常に分かりやすいテーマが提示され、キャラクターもそこそこ魅せてくれる。弱々しいスティーブ・カレルを見てみたいという人にはお勧めできそうである。

 

ネガティブ・サイド

あまりにも典型的なロードムービーだ。ロードムービーそれ自体はハズレを生み出しにくいジャンルであるが、同時に傑作も生み出しにくいジャンルでもある。まあ、本作が傑作になろうとしていたかどうかは疑わしいところだが。キャストはまあまあ豪華だが、作りはどう見ても低予算映画のそれであるからだ。本作が目指すべきは、地球滅亡が現実として迫ってきた時に、どれだけ特異な人物を描けるか、またはどれだけ特異な状況を描き出せるかだったはずだ。しかし、過去にすれちがってしまった愛する人を探し求めるというのは、小天体が地球との衝突コースに入らなくても出来る。例えば、不治の病で余命を宣告されてしまうとか、両親や親せきに望まぬ結婚を押しつけられそうになるだとか、または同窓会に出席するはずだった、かつての憧れの人が何故か来なかったからとか、色々ときっかけになるような出来事は考えられる。本作は、天体衝突という極限のディザスター・ムービーでもあるのだから、もう少し捻った展開が欲しかった。

 

総評

典型的な Rainy Day DVD である。手持ち無沙汰の雨の日に、DVD(または配信)で観るぐらいでちょうど良い作品である。もしも滅亡が差し迫った状況で個はどう振る舞うのかに感心があれば、主演ニコラス・ケイジ、監督アレックス・プロヤスの『 ノウイング 』の方が面白いと感じるはず。全体的にクソ映画ではあるが、最後のニコケイの笑顔はとても良い。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, キーラ・ナイトレイ, スティーブ・カレル, ヒューマンドラマ, ロブ・コードリー, ロマンス, 監督:ローリーン・スカファリア, 配給会社:ツイン, 配給会社:ミッドシップLeave a Comment on 『 エンド・オブ・ザ・ワールド 』 -終末シミュレーションの平均的作品-

『 雪の華 』 -映像美だけは及第点-

Posted on 2019年2月19日2019年12月22日 by cool-jupiter

雪の華 35点
2019年2月11日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:中条あやみ 登坂広臣 
監督:橋本光二郎

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『 羊と鋼の森 』の橋本光二郎監督ということで期待をしていた。期待は禁物なのだが、それでも期待するのが人の性。そして、その期待は少し裏切られてしまった。元々は10年以上前の中島美嘉の楽曲にインスパイアされたようだが、確かに当時はテレビでもカラオケボックスでも『 雪の華 』が流れまくっていたのを覚えている。

 

あらすじ 

平井美雪(中条あやみ)は小さな頃から病弱で、医師からは遂に余命一年を宣告されてしまう。失意の美雪はひったくりに遭うも、綿引悠輔(登坂広臣)に荷物を取り戻してもらう。雄輔は美雪に、「声を出していけ」と激励して去っていく。ある日、街で偶然雄輔を見かけた美雪は、雄輔の勤めるカフェにまでついて行き、そこで100万円で一カ月だけ自分の恋人になって欲しいとお願いするが・・・

 

ポジティブ・サイド

アメリカ、カナダ、オーストラリア、英国、韓国、中国、メキシコ、エジプト、インド、スペインなどではなく、フィンランドにフォーカスした作品とは本邦初ではないだろうか。知人の話では冬のフィンランドは朝の9時頃からようやく明るくなり、昼の3時過ぎを回ったあたりから薄暗くなり始めるということだった。しかし、本作は夏のフィンランドと冬のフィンランド、両方をしっかりと収めてくれる。ただ収録は夏と冬に分けて行ったわけではないと思われる。フィンランドの工芸品、街並み、ホテル、景観そして旅情ある景色を味わわせてくれる、非常に貴重な映画である。そして本作の価値およびオリジナリティはそこまでであった。

 

ネガティブ・サイド

主役二人の芝居のクオリティが低い。もちろん、素人っぽさというか普通の人がちょっとした偶然から付き合うようになり、ドラマチックな関係を育んでいく過程を映し出したいというのは理解できる。しかし中条あやみの演技が端的に言ってキモイ。恋に恋する乙女を演じているのは理解できるが、ラノベのキャラクターではあるまいし、初心でありながらも百戦錬磨的な雰囲気を出しているのは何故なのだ。たとえば幼少の頃から病弱で、小説や文学の世界に没頭していたり、または映画や少女漫画の世界に憧れていたり、という描写があれば、まだ理解できる。しかし、そうしたキャラクターのバックグラウンドを特に描くことなく、「お兄ちゃんを私に取られたと思って、嫉妬してる?」などと言うのは、唐突過ぎる。その一方で、フィンランドのホテルで部屋が一室しかないというところで慌てふためいたり、そうかと思えば部屋に一人籠りながら、期するところありげにドアの方に振り返るなど、キャラクター属性に一貫性を欠いている。

 

ここからは少しネタばれ気味であるが、ネタばれではあっても、大したものではないと判断できるのであえて書く。Jovianは冬のフィンランドに行ったことはまだないが、それでも終盤の展開が荒唐無稽であることは分かる。地元の人が「そんな服装じゃ無理だ」というのに、雪降りしきる森林そして雪原を日本のちょっと寒い日ぐらいの服装で駆け抜けていく悠輔の姿は決して感動的なものではない。滑稽を通り越してお粗末でさえある。日本映画に特有の「主役級のキャラクターが駆けていくのを横から追いかけていくショット」にはうんざりである。これまでに唯一、こうしたショットで意味を見出せたのは『ちはやふる -下の句- 』で千早が学校のグラウンドを遠景に走り出すシーンぐらい。競技かるたを個人競技と見誤ってしまった千早が、サッカーや野球の練習をする生徒達を背景に走るシーンは、仲間の元へと帰ろうとする千早の内面の心象風景と合致していた。このように意味のあるショットは認める。しかし、ただ単にそれがよく使われている手法だからといって採用するのならば、単なるクリシェの拡大再生産をしているに過ぎない。橋本監督には期待するところ大なのである。次作での奮起を期待したい。

 

総評

中条あやみファンなら観よう。しかし、彼女の今後の成長の伸び代に関しては、あまり良い感触は得られないだろう。なにか一つ、殻を破る役をオーディションに出まくってでも掴みとって欲しい。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, E Rank, ロマンス, 中条あやみ, 日本, 登坂広臣, 監督:橋本光二郎, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 雪の華 』 -映像美だけは及第点-

『 アクアマン 』 -暗くないDCヒーロー爆誕!-

Posted on 2019年2月17日2019年3月21日 by cool-jupiter

アクアマン 75点
2019年2月10日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ジェイソン・モモア ニコール・キッドマン アンバー・ハード ウィレム・デフォー
監督:ジェームズ・ワン

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DCユニバースの顔と言えばバットマンにスーパーマンだった。バットマンは、怪人リドラーとかMr.フリーズのあまりのインパクトに目が曇らされそうになるが、基本的にはゴッサムの街もバットマン/ブルース・ウェインの心の在り様も非常に暗いものだった。スーパーマンにしても、クリストファー・リーヴverのものも、シリーズが進むにつれてトーンは暗くなっていった。ワンダーウーマンにしても同じで、パラダイス島を出てからは、やはり暗い。そこにアクアマンがやってきた!暗くないDCヒーロー!これを我々は待ち望んでいたのではなかったか。

あらすじ

灯台守と海底人の王女の間に生まれたアーサー・カリー。彼はそのスーパーヒーローとしての力を使って、海で悪事を働く者たちを成敗していた。しかし、海底人たちが地上世界の支配を目論み、侵攻を始めようとしていた。地上と海底の二つの世界の戦争を止められるのは、両方の世界の人間の血を引くアーサーしかいない!アーサーは真の海底人の王となって、戦争を止められるのか・・・

ポジティブ・サイド

本作は完全に漫画である。元々がアメコミなのだから当然と言えば当然だが、漫画の「漫」の字には

①みだりに。とりとめがない。「散漫」「放漫」
②そぞろに。なんとなく。「漫然」「漫遊」
③ひろい。「漫漫」「爛漫(ランマン)」
④みなぎる。一面に広がる。「瀰漫(ビマン)」
⑤こっけいな。「漫画」「漫才」

 (漢字ペディアhttps://www.kanjipedia.jp/kanji/0006588000より)

以上のような意味がある。本作は驚くべきことに上の全ての特徴を備えている。一部はネガティブ・サイドに回るべきなのだろうが、話にとりとめがなかったり、フォーカスが合っていなかったり、スケールがとにかく大きかったり、パワーが漲っていたり、容赦のないギャグを放り込んできたりもする。それは漫画的な面白さなのだ。長期連載漫画などは、しばしばサブプロットが大きくなってしまったり、または伏線の回収を忘れてい(るように見え)たりすることがある。それが短ければ1時間半、長くても2時間半の映画の世界でも起こるということに、良い意味でも驚かされた。

まず、プロットからして漫画というか、原作者は和月伸宏なのかと見紛うほどに間テクスト性に溢れている。先行テクストとして挙げられる、または考えられるのは『 インディ・ジョーンズ 』シリーズ、『 ドラえもん のび太の海底鬼岩城 』、『 エイリアン2 』、『 スター・ウォーズ 』シリーズ、『 ワンダーウーマン 』、『 バトルシップ 』、『 タイタンの戦い 』、『 ジュピター 』、『 センター・オブ・ジ・アース 』、『 キングコング 髑髏島の巨神 』、『 宇宙戦争 』、『 パーフェクト・ストーム 』、『 トランスポーター 』シリーズ、『 トランスフォーマー 』シリーズ、『 マトリックス 』シリーズ、『スーパーマン リターンズ 』などであろうか。こうした仕掛けをオリジナリティの無さと見るのは容易い。しかし、独創性を追求するあまり、意味が分からないものを作ってしまうのは、映画だけではなく、例えば料理の世界でもよくあることだろう。それならば、すでに味が分かっているもので、フルコースを作った方が賢明であるとの論理も成り立つ。ジェームズ・ワンはそのように考えたようだ。

まず冒頭の潜水艦のシーンからして、同じDCの先輩、スーパーマンの『 スーパーマン リターンズ 』の飛行機のシーンと構図としては全く同じである。さらに名前が示す通り、アーサー王物語を現代風に、そしてギリシャ神話風に換骨奪胎している。また魔術師マーリンにあたる役をウィレム・デフォーに割り振るという大胆な采配。カラゼンという海の化け物は名前もビジュアルもまんまクラーケン(ハリーハウゼンが粘土で作ったものではなくCGの方)。こんなのは序の口で、とにかくどこかで見たり聞いたりしたことのある物語要素がてんこもりなのだ。しかし、それが面白さを損なわない。逆に一定水準以上の面白さを担保しているのだから興味深い。

ユーモアの面でも魅せる。ワンダーウーマンことダイアナはアイスクリームの美味しさにほっぺたが落ちそうになった。今作のヒロインのグィネヴィア・・・ではなくメラは、地上の花に関心を示す。ここでのアーサーの反応は面白い。地上人としてはどうかと思うが、地上と海底、両方の世界に属す人間としての「らしい」リアクションを見せてくれる。笑ってよいシーンだが、笑いとは自分と対象の間に距離があることから生じる反応だ。これこそが、ある意味では本作のテーマであるとも言える。

劇中でアーサーはしばしばHalf-breedなる言葉で表現される。「あいの子」とでも訳すべきだろうか。純血主義を否定はしないが、純血を保つことを教条化してしまうと、現実の世界の変化に対応できなくなる。まるでどこかの島国の現状のようである。いわゆるハーフ、もしくはミックスというべきか、混血児はしばしば異能を示す。大坂なおみ然り。アクアマンはこれまでにいそうでいなかった、人間と人間でない者を親に持つ半人間のスーパーヒーローなのだ。まさに今という時代に現れるべくして現れたヒーローと言える。

また彼の母アトランナを演じるニコール・キッドマンについては【 73 Questions With Nicole Kidman 】というYouTube動画を先に観ておくことで、より深みを見出せるようになる。特に母親であることについて最も素晴らしいこと、最も難しいことについての彼女の答えを意識してみれば、本作の見方が少し深まるはずだ。

水中のシーンでは三次元的カメラワークが冴える。ある意味、宇宙と同じ無重力的空間でのチェイスやバトルをこれほど漫画的に映し出してくるとは思っていなかった。4DXまたはMX4Dでも観てみたいと純粋に思わせてくれる。とにかく色々なものがジェットコースター的なのである。

ネガティブ・サイド 

カラゼンがトライデントを守り続けること1000年とはどういうことなのだ。アトランティスが沈んだのは11000年以上前のはずだ。また、アーサーの年齢はどうも20歳らしいが、ジェイソン・モモアに20歳役はかなり苦しい。ここらへんの数字の齟齬がどうしても気になってしまった。

あとは兵隊サメか。ハリウッド映画に出てくるサメが何をしても、もう我々は感覚がマヒしているというか、驚くはずがないと思っていたが、こんなサメを出してしまうとは・・・ 夏の風物詩の糞サメ映画に燃料を与えてしまったのか、それとも貴重な糞アイデアを奪い取ってしまったことになるのか。その答えは今年の夏以降に分かるだろう。おそらく後者だと思うのだが。

総評

ジェームズ・ワンってホラー映画作ってるんでしょ?という認識の人は What a pleasant surprise! となるだろう。とにかくヒーローがアドベンチャーしてアクションしてSFしてロマンスする映画だと思って観るべし。ファミリーで観に行ってもいいし、付き合い始めて日が浅いカップルのデートムービー、または気になる女子をデートに誘う口実にも使いやすい健全な娯楽映画でもある。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アクション, アメリカ, ジェイソン・モモア, 監督:ジェームズ・ワン, 配給会社:ワーナー・ブラザーズ映画Leave a Comment on 『 アクアマン 』 -暗くないDCヒーロー爆誕!-

『 チワワちゃん 』 -リアルで陳腐な青春群像劇の佳作-

Posted on 2019年2月15日2019年12月22日 by cool-jupiter

チワワちゃん 70点
2019年2月7日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:門脇麦 成田凌 吉田志織
監督:二宮健

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門脇麦と成田凌という『 ここは退屈迎えに来て 』でも見れらた若手の実力者の共演である。それだけでもチケットを買う価値はある。実際に I got my money’s worth. 

 

あらすじ

「チワワ」(吉田志織)が死んだ。バラバラ殺人だ。ミキ(門脇麦)はチワワの恋人だったヨシダ(成田凌)やその取り巻き、友人、知人らにチワワがどんな人間だったのかを確かめていく。そこで知ったのは、自分が全く知らないチワワの姿で・・・

 

ポジティブ・サイド

非常にドラッギーな映像から始まる。まるで、これから見るのは映像麻薬ですよ、とでも宣言しているかのようだ。そして実際にその通りである。女子の下着パーティーあり、プール内での美少女同士のキスありと、いったい何を観に来たのだろう?と頭がクラクラしてくるような映像を二宮監督は放り込んでくる。Good jobである。

漫画が原作であるということで敬遠することなかれ。いわゆる少女漫画を原作とする十把一絡げの青春ムービーとは明らかに一線を画す映画である。大ヒット(少女)漫画のストーリーというのは、基本的にファンタジーである。王子様に見出されるお姫様のお話である。なので、そうした映画を観ながら「ああ、俺にもこんな甘酸っぱい、青っちい時代があったなあ」という風にはとても感じられないのである。もしもそのように感じられる映画ファンがいれば、相当に幸運な人生を送れた証である。リア充爆発しろ。しかし、本作の描く青春模様はファンタジーではない。それは青春の一面を異常に肥大化させた、あるいは極度に誇張させたものである。美少女または美男子が転校して来て、自分の隣の席に座るようになる、やがてその相手と劇的展開を経て恋仲になるなどという漫画のような、というか漫画そのものの経験をしたことのある人など、一万人に一人ぐらいしかいないのではなかろうか(分母が十万人でも五千人でも、希少性が高いという意味では大差ないだろう)。しかし、本作で描かれるような若気の無分別を経験したことのない人というのは、あまりいないように感じる。もちろん、危ない筋から大金を強奪するというのは論外だが、ちょっとしたあぶく銭を一瞬の享楽のために溶かしてしまっただとか、行きずりの相手とベッドインしただとか、家に帰れない事情があって知人友人宅を転々としただとか、クラブで飲んで踊り明かしただとか、そういう経験である。Jovian自身もこの映画ほどのクレイジーな経験はしていないが、大学時代には先輩の車に同級生らと乗り込めるだけ乗り込んで、吉祥寺の「ホープ軒」でアホほどラーメンを喰ったその足で、環七沿いの「なんでんかんでん」でやはりしこたま豚骨ラーメンを喰い、そのまま何故か港の見える丘公園に乗り込んで大騒ぎし、返す刀で井の頭公園に戻って、やはり乱痴気騒ぎに興じたことがあった。良い思い出であると同時に、今思い起こしてみても、何故あれほど全力で騒いで遊んで楽しめたのか分からない。

本作はチワワがなぜ殺さなければならなかったのかについては明確な答えは出さない。その筋の仕業だろうとは推測されるが、もはやそれは重要でも何でもない。本作には大人と言えるキャラクターが数えるほどしか出てこない。その一人、浅野忠信は圧倒的な迫力と存在感でカメラ小僧を威圧する。このカメラ小僧はある意味で子どもの代表であり象徴でもある。チワワに恋焦がれるも、カメラのファインダー越しにしかチワワを見ることができず、チワワと個人的な関係を築きたいという欲望が隠しきれないにもかかわらず、自分の撮る映画に出演して欲しいという願いを伝えることでしか、コミュニケーションが取れない。映画に出て欲しいというのは、自分にとっての理想的なキャラクターになって欲しいという意味だろう。浅野忠信はチワワという「現存在」が未来に「投企」されていないという事実を冷徹にも暴きだした。一方でカメラ小僧は美しく天真爛漫で無邪気に快楽を享受するチワワを記録しようとして、ヨシダにそれをぶち壊される。この成田凌演じるヨシダは大人と子どものちょうど境目である。B’zの“Pleasure’91 〜人生の快楽〜”の「あいつ」のような男なのだ、と言えばピンと来るB’zファンあるいは邦楽ファンも多いだろう。青春群像劇としては異色の野心作に仕上がっている。吉田志織という原石がこれからどういう光を放つようになるのかは未知数だが、期待の若手勢ぞろい作品という点では『 十二人の死にたい子どもたち 』よりも本作の方が面白い。

 

ネガティブ・サイド

舞台を現代に設定し直す必要はあったのだろうか。確かにSNSが効果的なガジェットして使用はされていたが、チワワという存在の皮相性と深層性を際立たせるものではなかった。舞台を原作のまま1990年代にして、『 SUNNY 強い気持ち・強い愛 』の如く、若さゆえの暴走、若さゆえに無分別、それゆえの刹那的な輝きを記憶に留めるような物語の方がより印象的になったのではと思う。SNSが発達した時代というのは、携帯のカメラやデジカメなども相当に進化している世界なわけで、チワワの画像や映像、音声やテキスト情報などが膨大な量で残っていても全く違和感がない、というかチワワに関するそうした記録。情報の類があまりにも少なすぎて、「本当に現代なのか?」という違和感が最後までどうしても拭えなかった。

 

これは完全に自分が監督になったつもりでのぼやきだが、劇中でチワワが歌って踊る“Television Romance”を何故エンドクレジットシーンに採用しなかったのだろうか。チワワとその周辺の人間関係はほとんど全部この歌で描写されてしまっているではないか。チワワの物語の余韻に浸るべき瞬間にこそ、このテーマソングがより強く輝けるのではないのか。そこのところを非常に惜しいと思う。

 

総評

「くだらなかったあの頃に 戻りたい 戻りたくない」という“Pleasure’91 〜人生の快楽〜”の一節が強烈に脳裏に浮かんでくる。そんな一作である。もちろん、いい年こいたオッサンの抱く感傷と、まさに20歳前後の登場人物たちと同世代の映画ファンの抱く感想は、大いに異なるはずだ。観る者によって呼び起される感覚が異なるというのは、それだけ良い作品なのだ。一面ではなく多面的に見ること、見られること。それを是非、劇場で大画面で体験しよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, サスペンス, ヒューマンドラマ, ミステリ, 吉田志織, 成田凌, 日本, 監督:二宮健, 配給会社:KADOKAWA, 門脇麦Leave a Comment on 『 チワワちゃん 』 -リアルで陳腐な青春群像劇の佳作-

『 PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.1 罪と罰 』 -未来予想図としては可もなく不可もなく-

Posted on 2019年2月12日2019年12月22日 by cool-jupiter

PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.1 罪と罰 45点
2019年2月3日 東宝シネマズなんばにて鑑賞
出演:野島健児 佐倉綾音 弓場沙織
監督:塩谷直義

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タイトルが挑発的だ。日本社会における突出したサイコパスとしては、『 友罪 』の元ネタにもなった神戸連続児童殺傷事件の酒鬼薔薇聖斗、そして佐世保女子高生殺害事件の女子高生などが思い浮かぶ。社会はそうした人間を排除してはならない。しかし、慎重に隔離せねばならないと個人的には考えるが、意見を異にする人も多いはずだ。そうした意見を表明するに際して、娯楽作品の形を借りるのは幅広い層にメッセージを届けるにはある程度効果的だと思われる。

 

あらすじ

時は近未来。「システム」の開発と普及により、サイコパシーを数値で割り出すことが可能になった世界。個人は、犯罪だけではなく、自らの潜在的なサイコパス指数によっても拘束を受ける社会。宜野座伸元(野島健児)は青森の潜在犯隔離施設に何かを嗅ぎつけるが、そこには国家的な陰謀が展開されており・・・

 

ポジティブ・サイド

トム・クルーズの『 マイノリティ・リポート 』のようである。ただ、犯罪、特に殺人を防ごうとするマイノリティ・リポート的世界とは異なり、サイコパスそのものを取り締まる本作の世界観はリアリスティックでありながらも異様でもある。社会とは元々は一人もしくは少数ではサバイバル不可能な人間という生物が、生存可能性を最大にするために編み出したものであろう。古代人の骨から、重篤な障がいを持ちながらも、成人するまで生きていた個体も多数いたことが判明している。社会は様々な個性を包括することで強くなる。しかし、本作の描く社会には排除の論理が強く働く。もともと障がいは“障害”だった。Jovianの視力はかなり悪く、眼鏡やコンタクトレンズなしには生活や仕事は難しい。もしも戦国時代に生まれたなら、結構な穀潰しとして扱われたのは間違いない。しかし、視力は矯正できる。また『 ブレス しあわせの呼吸 』や『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 』でも描かれているように、我々の社会は確かに障がい者を包括する方向へと変化してきている。十年前に比べると、エレベータ付きの駅、車いす対応のタクシー、その他にも車いす対応の映画館や美術館の数などは格段に増えた。しかし、精神的な障がい(と呼ぶべきかどうかは悩ましい)は目に見えないため、対応も難しい。『 ザ・プレデター 』は駄作中の駄作だったが、自閉症に関する非常に興味深い仮説を提示した。本作は個人の内に犯罪係数なるものを読み取るシビュラシステムというものが存在する。これはこれでありうる装置であると感じた。『 ターミネーター3 』も凡庸なSFアクションだったが、T-800がジョン・コナーに向かって、呼吸や脈拍のデータからその行動は云々と伝えるシーンを思い起こさせた。人間の精神を崇高なものではなく、あくまでフィジカル面から読み取れるものだという非常に乾いた世界観は悪くない。

 

ネガティブ・サイド

プロットにあまりにも捻りがなさすぎる。「サンクチュアリ」というのは現実の日本社会への風刺であろうが、それをやるならば大多数の無辜の民に思える人間たちこそが実は・・・という形でないと、現実批判にはならない。サイコパスの理想郷、桃源郷なるものを作れるとすれば、それは社会の支配者層をサイコパスが占めることだろう。そして、実は現実世界で多大な成功を収める政治家や実業家、芸術家にはかなりの割合でサイコパスが含まれているというのは周知の事実である。ユートピアに見えたものが一皮剥げばディストピアだった、というのは1950年だから続くSFのクリシェである。そうした norm をひっくり返すような強烈なアイデアを期待したかったが、それは無い物ねだりだったのだろうか。

 

また宜野座の義手が強力すぎないか。義手そのものの強度はそういう設定であるとして、彼の体のその他の部分は生身だ。そしてまっとうな物理法則(作用反作用や慣性etc)を考えれば、あのような無茶苦茶なアクションシークエンスは生み出せないし、鑑賞することもできない。シビュラシステムという虚構にリアリティを持たせるためにも、その他の要素も充分にリアリスティックに作るべきであったが、そのあたりのポリシーや哲学が製作者側に欠けていたか。虚淵玄の強烈な、ある意味で凶暴な思想と個性に振り回されてしまったか。

 

もう一つ。本作はMX4Dで鑑賞したが、それによってプラスアルファの面白さが生まれたとはとても思えなかった。次作を鑑賞する時は、通常料金またはポイント鑑賞をしようと思う。

 

総評

『 亜人 』やアニメゴジラなど、アニメーション作品の3部作構成がトレンドなのだろうか。できれば『 BLAME! 』のように、重要エピソードを一作品に程よくまとめてくれると有りがたいのだが。アニメーションに抵抗がなければ、見ても損はしない。しかし、得もしないか。第二部はスルーしようかと思案中である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, SF, アニメ, サスペンス, 佐倉綾音, 弓場沙織, 日本, 監督:塩谷直義, 配給会社:東宝映像事業部, 野島健児Leave a Comment on 『 PSYCHO-PASS サイコパス Sinners of the System Case.1 罪と罰 』 -未来予想図としては可もなく不可もなく-

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