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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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月: 2019年1月

『 クリード チャンプを継ぐ男 』 -The torch has been passed-

Posted on 2019年1月12日2019年12月21日 by cool-jupiter

クリード チャンプを継ぐ男 80点
2019年1月6日 レンタルBlu Rayにて鑑賞
出演:シルベスター・スタローン マイケル・B・ジョーダン
監督:ライアン・クーグラー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190112020804j:plain

『 猟奇的な彼女 』と言えば、腰の入ったパンチ。パンチと言えばボクシング、ボクシングと言えば『 ロッキー 』。その魂はアポロ・クリードの息子、アドニス・ジョンソンに受け継がれた。クリードの最新作に備えて、前作を復習鑑賞した。

 

あらすじ

アポロ・クリードの息子、アドニスは我流でボクシング技術を磨いていた。メキシコのティファナで連戦連勝するも、アメリカの世界ランカーにはスパーで一蹴されてしまう。アドニスは父、アポロと激闘を繰り広げ、盟友となったロッキー・バルボアの指導を仰ぐべく、フィラデルフィアにやってきた。エイドリアンやポーリーが世を去る中、イタリアン・レストランを独り切り盛りするロッキーは、アドニスに“虎の目”を見出して・・・

 

ポジティブ・サイド

アドニスと拳を合わせる相手にSuper Sixの覇者アンドレ・ウォード、ミドル級のゲートケーパー的存在ガブリエル・ロサド、そして英国のやんちゃ坊主、トニー・ベリューと本物のプロボクサーを豪華に配置。これだけでもボクシングファンには嬉しいキャスティング。スタローン映画『 エクスペンダブルズ3 ワールドミッション 』に出演したヴィクター・オルティズは映画に出たことでキャリアが下降してしまったが、ウォード、ベリューらは既にキャリアの最終盤に入っていた。そうした意味でも安心できた。現役ボクサーが映画に出ても、あまり良いことは無いのだ。WOWOWでExcite Matchを熱心に観ている人なら、マイケル・バッファやHBOのマックス・ケラーマンやジム・ランプリーの存在が更なるリアリティを生んでいると感じられるだろう。そのHBOも2018年末でボクシング中継から撤退。何とも景気の悪い話である。

 

閑話休題。本作には Eye of the Tiger は流れないが、字幕が良い仕事をしてくれる。その瞬間は絶対に見逃しては、いや聞き逃してはいけない。

 

マイケル・B・ジョーダンは本作と『 ブラックパンサー 』のキルモンガー役で完全にトップスターの仲間入りを果たしたと評しても良いだろう。スタローンもボクシングのシルエットがきれいだったが、ジョーダンは元々の身体能力+ボクシングセンスで、スタローン以上のボクシング的な動きを披露する。

 

中盤の試合のワンテイクは圧倒的である。ズームインやズームアウトがされていたので、どこかで合成、編集されているのであろうが、はじめて東宝シネマズなんばで鑑賞した時は魂消たと記憶しているし、今回の復習鑑賞でもやはり驚かされた。

 

初代の『 ロッキー 』がそうであったように、本作も単なるボクシングドラマではない。アドニスというサラブレッドが、何者にもなれずにいることのフラストレーション、世間が自分を見る目と自分は自分でしかないという認識のギャップに、ロッキーが語った「自分はnobodyだった」という言葉が蘇ってくる。家族を失ったロッキーと、家族を手に入れようとするアドニスの、何とも切ない邂逅の物語なのだ。ロッキーがアドニスに自らの魂を渡す瞬間、“Gonna Fly Now”のファンファーレが響き渡る!!もう、この瞬間だけで100点を献上したくなる。

 

『 ロッキー 』シリーズはこれまでに何度も観てきたが、今後もふと疲れた時、目標を見失いかけた時、心が折れそうになった時に、何度でも立ち返るだろう。特に1、2と本作は何度でも見返すことだろう。

 

ネガティブ・サイド

中盤のアドニスの試合のワンショットだが、実時間では1ラウンド3分ではなかったし、ラウンド間のインターバルも1分ではなかった。そんなことに拘っても仕方がないが、映画ファンでもありボクシングファンでもあるJovian的には非常に気になるところではあった。体内時計世界王者対決というテレビ企画もあったように、ボクサーは3分を肌で分かっているものだ。映画はリアリティの追求が生命なのだから、試合の時間についてもリアルを追求して欲しかったと思うのは、高望みをし過ぎなのだろうか。

 

そして、これは完全に無理な注文だと分かってのことだが、オープニングのMGM(Metro Goldwyn Mayer)のレオを、本作に限って虎に変えるは流石に無理か。『 ピッチ・パーフェクト ラスト・ステージ 』や『 ボヘミアン・ラプソディ 』でも、オープニングの20th Century Foxのロゴのシーンの音をいじっていた。レオを虎には・・・やはり無理だろうか。これをもって減点すべきではないのだろう。

 

総評

ボクシングは最も歴史の古いスポーツの一つであると同時に、最も近代的なエンターテインメントでもある。アメリカのラジオ放送でニュース以外に初めて放送されたのは、ボクシングの世界タイトルマッチであった。そんなボクシングを題材にした物語が、面白くないわけがない。ましてや、この物語は『 ロッキー 』世界の出来事なのだ。ロッキーファンのみならず、広く映画ファンに勧められる傑作である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, シルベスター・スタローン, スポーツ, ヒューマンドラマ, マイケル・B・ジョーダン, 監督:ライアン・クーグラー, 配給会社:ワーナー・ブラザーズ映画Leave a Comment on 『 クリード チャンプを継ぐ男 』 -The torch has been passed-

『 猟奇的な彼女 』 -韓流ヒューマンドラマの傑作-

Posted on 2019年1月9日2020年3月17日 by cool-jupiter

猟奇的な彼女 80点
2019年1月5日 所有DVDにて鑑賞
出演:チョン・ジヒョン チャ・テヒョン
監督:クァク・ジェヨン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190109111417j:plain

 

『 ニセコイ 』というとんでもない駄作を観たせいで、どうしても口直しが必要だと感じ、近所のTSUTAYAへ。そこで目にしたSALE品の本作をほぼ衝動買い。これまでに4回ぐらいは鑑賞した作品だが、おそらく今後も折に触れて観ることだろう。うら若き乙女が男子をパンチでぶっ飛ばす映画としては本作が白眉である。

 

あらすじ

大学生のキョヌ(チャ・テヒョン)は、ある日、電車で酔っ払った女子(チョン・ジヒョン)を何故か介抱する羽目に。理不尽で凶暴な彼女だったが、いつしかキョヌはそんな“猟奇的な彼女”を癒してやりたいと願うようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

なんと言っても、本作はチョン・ジヒョンの魅力なしには成立しなかっただろう。それほど彼女の存在感と演技力は際立っている。韓国は時々、キム・ヨナに見られるような、高身長、腕長、脚長、端正な顔立ちのアジア人離れした女性を生み出す。日本では中条あやみがこれに該当するが、彼女は純国産というわけではない(国産が良い、と言っているわけではない、念のため)。そんな女性としてのフィジカルな魅力と全く相容れない内面を持つ“猟奇的な彼女”を具現化するのは並大抵のことではない。が、キャスティングの妙というべきであろう。チョン・ジヒョンは素晴らしい仕事をしてくれた。とりわけ、彼女のパンチは腰が入っていて大変によろしい。また、演技の空振りパンチであるにもかかわらずインパクトの瞬間に歯を食いしばるという渾身の演技。へっぴり腰で平手打ちする『 ニセコイ 』の中条あやみは本作を繰り返し観るべきであろう。

 

キョヌというキャラクターも実に味わい深い。いわゆる胸キュン展開などは全く無い。だからといってキョヌは欲望とは無縁の聖人君子かと言うと、さにあらず。旅館のベッドですやすやと寝息を立てる彼女の顔、唇、胸を眺めるのは健全な欲望の持ち主であることの証明だ。同時に、正しい男らしさの持ち主でもある。据え膳食わぬは何とやらではなく、男は包容力だと思う。特にキョヌのようなキャラを目にすれば、つくづくそう感じる。彼女の暴力や暴言、理不尽な要求を全て飲み込み、献身的に尽くす様は正しく男の中の男である。女性を守るのも男らしさであり、女性に愛を打ち明けるのも男らしさであるが、女性の断ち切れない未練をひたすら見守るのも男らしさであり、女性にきれいに振られてやるのも男らしさであろう。キョヌのような男でありたかったと心底から思う。

 

本作はキャラの立ち方だけではなく、韓国社会を描いたものとしても興味深い。店で酒を飲む、皆で鍋をつつく、安ホテルに泊まる、そして軍人が社会の一部として確実に存在する世界。似て非なる国としての韓国がそこにある。しかし、描かれている人間が誰もかれも少々クレイジーなところを除けば、それはそのまま日本にも当てはまることで、それは取りも直さず普遍的な事象を描いているということでもある。とりわけ“彼女”に名前が付与されていないことが、彼女の属性をより一層際立たせると共にミステリアスな存在に昇華させている。“猟奇的な彼女”は、案外そこかしこにいるのかもしれない。そんな気がしてくる。

 

ネガティブ・サイド 

“彼女”の描く映画のシノプシスは、正直なところ面白くない。というか、映像化する必要はあっただろうか。女ターミネーターのくだりはかなりクオリティが下がり、シリアスなラブコメという映画全体のトーンとの一貫性が壊れたように思う。

 

また嘔吐のシーンが少し生々しすぎる。食事しながら観ていた妻は、露骨に嫌悪感を示していた。ただ、これがあるからこそ彼女の外面と内面のギャップ、キョヌの優しさが際立つのだが・・・

 

総評

これは韓流映画の一つの到達点である。『 サニー 永遠の仲間たち 』の日本版リメイクはイマイチだった。日本映画界は、アメリカ版や韓国版続編などとは別路線で、正統派で本格的な『 猟奇的な彼女 』の日本版リメイクを作ってみてはどうか。その場合、彼女は中条あやみではなく小松菜奈でお願いしたい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, A Rank, チャ・テヒョン, チャン・ジヒョン, ロマンス, 監督:クァク・ジェヨン, 配給会社:アミューズピクチャーズ, 韓国Leave a Comment on 『 猟奇的な彼女 』 -韓流ヒューマンドラマの傑作-

『 ニセコイ 』 -私的2019年のクソ映画オブ・ザ・イヤー決定-

Posted on 2019年1月6日2019年12月21日 by cool-jupiter

ニセコイ 10点
2018年1月4日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:中条あやみ 中島健人 
監督:河合勇人

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190106015521j:plain
 

『 俺物語!! 』、『 チア☆ダン 女子高生がチアダンスで全米制覇しちゃったホントの話 』で評価を高め、『 兄に愛されすぎて困ってます 』でその評価をビミョーにした河合監督が、ついに本作で自身の評価を定めた。すなわちクソである、と。厳密には2018年の映画に分類されるべきなのだろうが、私的には年明けわずか1週間で、年間最低レベルと判断してもよさそうな酷い出来の映画を観てしまったと感じている。

 

あらすじ

一条楽(中島健人)はヤクザの組長の一人息子。桐崎千棘(中条あやみ)はNYのギャングのボスの一人娘。二人は、それぞれの組織の抗争を防止すべく、互いの親から偽の恋愛関係、すなわち「ニセコイ」を築くことを要求されてしまった。反目しあう二人の運命や、いかに・・・

 

ポジティブ・サイド

風呂と浜辺のシーンがそれなりに眼福か。あとは岸優太が妙な存在感を発揮していた。2018年は伊藤健太郎がブレイクしたが、2019年を岸優太のブレイク元年にできるか。

 

中島健人は『 黒崎くんの言いなりになんてならない 』の頃より、役者として、表現者として少しは成長しているような気がする。

 

ネガティブ・サイド

いくら原作が少年誌のラブコメ漫画だからといって、やって良いことと悪いことがある。神戸の高校の校門圧死事件を原作者も編集も脚本家も監督も、誰も知らなかったというのだろうか。閉まる校門に駆け込むのは論外であるし、生徒が駆け込んでくるのを一瞥すらせず、黙々と門扉を閉じようとする教師も最低である。よくこんな画作りができたものだと逆の意味で感心させられてしまう。もう一つ、どうしても許せなかったのは空港のシーン。DAIGO演じるキャラが銃を握るのだが、このご時世に空港という場所で銃火器を見せるのがどれほどのインパクトを持つ行為であるのかを、これまで原作者から本作監督に至るまで、誰一人として意識しなかったのだろうか。ラブコメのギャグだから、で済む問題ではない。時勢というものを、もっとちゃんと認識して物語を作ってもらいたい。漫画に嘘はつきものだが、映画とは、兎にも角にもリアリティが生命線なのだ。河合監督の猛省を要望したい。

 

映画の質的な面で言えば、時間や季節の移り変わりが感じ取れなかった。季節外れの転校生というキーワードがあるが、登場人物の服装、街の木々、日の高さ、総合的に考えて時節は春から初夏だろう。夏休み前でもあり、妥当な推測だと思うが、それがあれよあれよと言う間に小雪舞う冬に移行するのだから、ちょっと待てと言いたくもなる。時間や場所の変化を、ほんのちょっとしたショットで観る者に伝えるのが映画の基本にして究極の技術なのだが、そうした努力を一切拒否するのも珍しい。というか、そうしたショットをカットしてしまう作品は往々にしてクソ映画である。これは断言できる。

 

シーンとシーンの繋がりに一貫性を欠くものも多かった。その最たるものが、プールのシーンである。DAIGOのキャラが、濡れネズミ状態から文字通り一瞬にして髪、顔、服まで乾いてしまうのだ。おそらく劇中での時間の経過は1~2分であろう。なにをどうすれば、この短時間で水分が全て蒸発してくれるのか。撮影時点でも編集時点でも、誰も気付かなかったのか。気付いていたが、「まあ、ええか」状態だったのか。プール絡みで言えば、頭を下にした状態で自由落下する人間が、真下のプールに足から着水するのもおかしい。撮影→カット→撮影→カットの繰り返しを、編集という魔法でスムーズにつながって見えるようにするのが映画なのである。本作はそれができていないシーンがあまりにも多すぎる。絵コンテの段階から失敗していたとしか思えない。照明係もbad jobをいくつかやらかしている。というか、監督が悪い。とにかく光の角度、強さ、影の濃さ、その伸びる方向が、前後のシーンや、同一シーン内の他のオブジェクトと矛盾してはならないのだが、そうした光の使い方にも粗さが目立って仕方がない。よくこんなものを完成品として公開できたものだと逆の意味で感心してしまう。

 

ストーリーにも粗が目立つ。楽と千棘の双方が互いに対して淡い恋心を抱き始めるきっかけとなる描写が弱い。ヤクザやギャングの家に生まれてしまったせいで、普通ではないが普通、普通が普通ではないという環境に慣れてしまった2人ゆえに惹かれ合う、つまり同病相憐れむというわけだ。それは非常に説得力がある。残念なのは、楽の家の門にある木彫りの組看板が、あまりにも綺麗であることだ。つまり、ヤクザの組事務所、あるいは組長宅として長年そこにあったという存在感が皆無に感じらてしまうのだ。これで、楽の境遇の悲惨さを感じ取れというのは難しい。同じことは千棘にも当てはまる。転校初日に楽を教室内でぶっ飛ばすのはいいが、そこからかなりの時間を経過して、ある事柄からクラスメイトに薄気味悪く思われてしまうのだが、このタイムラグは何なのだ?これがあるせいで、「え?なんだかんだありつつも、それなりに上手くやっていたのでは?」という思われてしまう。そこでいきなり、不器用で友達作りが下手という属性が付与されても、説得力はゼロだ。他にも、重要キャラとしての小野寺の立て方も酷い。彼女の部屋の片隅に、あたり一面が黄色のお花畑の写真が飾ってあることが一瞬だけ見て取れるシーンや、または麦わら帽子でもいい。とにかく、原作未読者の視聴者に何らかのヒントを与えることをしないせいで、登場人物の想いの深さや方向が極めて把握しづらい。ナレーションしろと言っているわけではない。ビジュアルでストーリーテリングをしろと言っているのだ。できるはずだし、それをせずにこの展開を受け入れろと言われても、とうてい承服しがたい。それに橘の鍵のペンダントの話はどこへ行った?とにかく、思わせぶりな台詞を言わせたからには、それをきっちりと回収すべきだ。脚本段階で致命的なミスがあったとしか思えない。

 

総評

時間さえあれば、どこまでも酷評ができる作品である。しかし、これはあくまでJovianの見方で、人によっては本作を大いに楽しんだことも事実である。実際に、鑑賞後の劇場のトイレで高校生ぐらいと思しき男子連中は「あそこの千棘がな」や「あれ、漫画のあそこやろ?」などと楽しそうに感想を語り合っていたし、あまがさきキューズモールを出たところでも中学生ぐらいの女子二人が「ケンティー、やばいやばい!」とキャピキャピしていた。もしも貴方が中高生ぐらいの年齢もしくは精神年齢であれば、本作を堪能できる可能性は大いにある。しかしもしも貴方が成人で、それなりの映画ファンを自負するならば、本作は忌避の対象だ。貴重な時間とカネを捨てる必要はどこにもない。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, F Rank, ラブ・コメディ, 中島健人, 中条あやみ, 日本, 監督:河合勇人, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 ニセコイ 』 -私的2019年のクソ映画オブ・ザ・イヤー決定-

『 ボヘミアン・ラプソディ(“胸アツ”応援上映) 』 ーThe joy of movie-going is backー

Posted on 2019年1月5日2019年12月20日 by cool-jupiter

ボヘミアン・ラプソディ 85点
2019年1月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ラミ・マレック ルーシー・ボーイントン グウィリム・リー ベン・ハーディ ジョセフ・マッゼロ トム・ホランダー マイク・マイヤーズ
監督:ブライアン・シンガー

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2018年11月17日に大阪ステーションシネマで鑑賞した『 ボヘミアン・ラプソディ 』の“胸アツ”応援上映を体験。『 シン・ゴジラ 』の時にも大都市圏で実施された発声可能上映とだいたい同じと思えばよろしい。映画自体の感想は変わらない。むしろ、repeat viewingによって各シーンの構図やカメラアングルの意味がよりはっきりと伝わってくる。複数回劇場に足を運ぶ人が多くいるというのもむべなるかな。

 

Jovianは嫁さんと観に行ったが、劇場の入りは1割程度だっただろうか。箱の大きさに対して観客数も少なく、また実際にスクリーンに字幕が表示されるパートは大音量なので、かなり叫んだつもりでも、囁き程度にしか聞こえなかった。これは自分も嫁さんも確認している。それにしても客の入りとは関係なく、こうした試みはどんどん広がるべきであると思う。映画館に行くというのは能動的な営為であっても、映画を鑑賞するというのは極めて受動的な営為だ。しかし、そこに発声や手拍子、足踏みなどが加われば、受動でありながら能動のエンターテインメントが出来上がる。

 

問題があるとすれば、劇中の楽曲はすべてのパートが歌唱され、演奏されるわけでもない。またきれいにフェードアウトしてくわけでもないため、大声で歌っていると、いきなり画面が切り替わって、劇場内に自分の声が響き渡る、ということもありうる。「でもそんなの関係ねぇ」な小島よしおな人は、“胸アツ”応援上映を体験すべきだ。目立つのはちょっと・・・という控え目な人は、途中の “We Will Rock You” のシーン、最後のライブ・エイドのシーンで思いっきり絶叫すればよい。Jovianはそうさせてもらった。特に “We Are The Champions” では涙腺決壊必定である。嫁さんと二人で涙を流し、声に詰まりながら、何とか歌い切った。英語(に限らず、たいていの言語)には Editorial We と呼ばれる語法が存在する。新聞記事などで「~~~であると思われる」という、あの表現である。また書き言葉以外でも、特にメディアの質問やインタビューでも盛んに用いられるということは『 響 -HIBIKI- 』のレビューでも示した通りである。知らず知らずのうちに読者や視聴者を著者や話者の視点に包含するわけだ。フレディの抱える劣等感、葛藤、苦悩・・・ 我々はいつの間にか彼と同化する。心に闇を抱えない者がいようか。そうした懊悩の全てが We are the champions という歌詞と歌唱と共に吹き飛ばされていったように感じられた。なんというカタルシス!

 

観終わった後、隣の座席の母娘の会話が漏れ聞こえてきた。「お母さん、ゲイって何?」娘の方はおそらく小6~中1ぐらいだっただろうか。おそらく本作をきっかけに、このような会話が日本の津々浦々で交わされたに違いない。これは、クイーンというバンドの生み出した音楽の力を称揚するだけの映画では為し得ないことだ。受け手にしっかりと考えるきっかけを与える映画である。さあ、あなたも時間と懐に余裕があれば“胸アツ”応援上映に Go! である。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アメリカ, ラミ・マレック, ルーシー・ボーイントン, 伝記, 監督:ブライアン・シンガー, 配給会社:20世紀フォックス映画, 音楽Leave a Comment on 『 ボヘミアン・ラプソディ(“胸アツ”応援上映) 』 ーThe joy of movie-going is backー

『 こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 』 -He lives in you.-

Posted on 2019年1月4日2019年12月20日 by cool-jupiter

こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 70点
2019年1月3日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:大泉洋 高畑充希 三浦春馬 萩原聖人
監督:前田哲

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日本にも障がい者を正面から捉える映画が増えてきた。それが正しいか、もしくは多くの人々に受け入れられるかどうかは別にして、障がいもまた個性であるという考え方が提唱されて久しい。『 ブレス しあわせの呼吸 』の、ある意味では正統的な続編と言えるのかもしれない。

 

あらすじ

時は1994年、鹿野靖明(大泉洋)は34歳。筋ジストロフィーのため、動かせるのは首より上の筋肉と手首より先ぐらい。そんな鹿野は、我がままの言いたい放題でありながらも、ボランティア達とは不思議な縁で結ばれていた。医大生の田中(三浦春馬)とそのガールフレンドの美咲(高畑充希)もひょんなことからボランティアのメンバーになってしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

実在の人間をモデルにしているのだから、当たり前と言えば当たり前だが、鹿野という人物が非常に生き生きと活写されている。『 聖の青春 』の村山聖もそうだったが、自分に残された命がそう長くはないと悟っている人間というのは、後悔をしたくないのだ。だからこそ、食べ物や雑誌のあれやこれやに非常に細かい注文をつけてくる。なぜなら、それが人生最後の食事や娯楽になるかもしれないから。劇中でも言及されるが、彼ら彼女らのわがままはは単なる駄々っ子のそれではない。生きるということを誰よりも真剣に捉えた上でのことなのだ。鹿野の言い放つ「医者の言う命って何なんだ?」という台詞は、劇中の時代から20年以上を経た今でも、非常に重い問いとして我々に圧し掛かってくる。その問いに対する答えはエンドクレジット中に示されるので、結末部分だけを見てさっさと劇場を後にするなどということは努々することなかれ。ここでは某韓国映画が持っていて、日本版リメイクが削ぎ落としてしまった、命に関する重要なメッセージが語られるのである。

 

それにしても『 パーフェクト・レボリューション 』や『 パーフェクト・ワールド 君といる奇跡 』など、日本もかつての無意識の差別意識がかなり薄まり、あらゆる人を社会的に包摂するにはどうすればよいのかを問うようになってきたようだ。作り出される映画の質は措くとしても、そのラインナップに可能性を感じる。『 博士と彼女のセオリー 』にあったような、ある意味での孤閨をかこつ女の寂しさと、ストレートに愛情をぶつけてくる男というのは、いとも容易くドラマを生む。高畑充希は『 アズミ・ハルコは行方不明 』で結構な尻軽を演じていた記憶があるが、今作でも体当たりの演技を披露してくれる。といっても脱いだりはしないからスケベ視聴者は期待すべからずだ。その代わりに、高畑の大ファンが聞いたら卒倒するような台詞も言ってくれるから、そこは期待していいだろう。しかし、赤ん坊の世話、高齢者介護においても、絶対に避けては通れないような問題をしっかりときっちりと描く本作の姿勢には非常に好感が持てる。

 

ブラックボランティアなる言葉がある。2020年の東京オリンピックでは、高度なスキルや経験を持つ人材数万人を手弁当で動員しようというプランがあるようだ。そのことの是非はここで判断すべきではないが、本作ではボランティア=無償の労働力とは捉えない。Volunteerという英語は、元はラテン語のvolo = I am wishingから来ている。鹿野は大げさでも何でもなく世界変革の夢を見ている。その夢に参画したいという者をボランティアとして募っているのだ。こうした個人が日本という国で確かに息をしていたということに驚かされるし、そうした人物を見事に銀幕に蘇らせた大泉洋に拍手。

 

ネガティブ・サイド

終盤のとあるシーンで、ドン引きさせられるシーンがある。人によってはぶん殴ってくるだろう。それも鹿野の人徳かもしれないし、もしかしたら映画化に際してのドラマチックな脚色かもしれない。しかし、個人的にはあの展開はないだろうと感じた。

 

田中の医学部生としての描写も弱い。体位交換のことを体交とボランティアが略して言うのに、気管切開のことを医大生の田中が気切(きせつ)ではなく、あくまで気管切開というのには違和感を覚えた。その他、様々な場面で田中に医者の卵らしさが見られてしかるべき場面があったのに、そのいずれでも田中は輝けなかった。それが事実だったと言ってしまえばそれまでだが、こういったところこそ脚色してナンボだろうと思う。映画とは一にかかってリアリティの追求なのだ。

 

最後に、音楽が重要なモチーフになる本作であるが、なぜジャズがフォーカスされなかったのか。鹿野が美咲につられて、あっさりとジャズからロックに宗旨替えしてしまうのは納得がいかなかった。ロックを魂の叫び、体制への反逆と定義するのならば、鹿野の生き方に合致しないこともない。しかし、ジャズは?『 ラ・ラ・ランド 』のセブが力説したように、ジャズはバンドのミュージシャンたちがその瞬間ごとに文脈を考慮しながら、新たに曲を書き、編曲し、そして演奏するのではなかったか。鹿野自身の来たし方はロックかもしれないが、ボランティアとの交流は間違いなくジャズだろう。ジャズの要素をもっともっと交えたシーン、ジャズ音楽そのものと協働するようなシーンが欲しかったと思うのは、決してない物ねだりではあるまい。

 

総評

これは素晴らしい作品である。高校生あたりの道徳の副教材に採用しても良さそうだ。障がい者を見る時、人はその相手に自分が障がいを負った時の姿を見ると言う。鹿野という人間が確かに生き、確かに死に、しかし今も人々の心に残っているのは何故か。それこそが生きるということであると本作は高らかに宣言する。ほんの少し性的な要素も描写されるが、聡明な中学生ぐらいなら逆にそれも勉強の糧にできるような良作である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 三浦春馬, 伝記, 大泉洋, 日本, 監督:前田哲, 萩原聖人, 配給会社:松竹, 高畑充希Leave a Comment on 『 こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 』 -He lives in you.-

2018年総括と2019年展望

Posted on 2019年1月3日2020年3月22日 by cool-jupiter

以下はあくまでも私的な雑感である。世の中には多様な意見があってしかるべきで、意見は表明されて初めて意見であると思う。以下の考え方に賛成する方も反対する方も、等しく歓迎したいと思う。

 

最優秀外国映画

『 判決、ふたつの希望 』

この一作で、世界の人々の意識にレバノンという国の存在を刻みつけたと思われる。レバノンという国が抱える課題をテーマに選んだからではなく、自国の問題を映画という文化・芸術という媒体を通じて世に広く問うことができるほどに、レバノン国民の意識が向上したからである。世界には、何かを発信したいから万博を誘致するのではなく、土地が有効活用できていないから万博を誘致しようなどと考える国もあるのである。

 

次点

『 スリー・ビルボード 』

過ちを犯すも人間、それを許すも人間。人は変わることができるし、変わることでしか前に進めないこともあるのである。

 

次々点

『 ボヘミアン・ラブソディ 』

発声可能上映が広まりつつある。好き勝手な意見でも表明はしてみるものである。

 

 

最優秀日本映画

『 羊と鋼の森 』

観終わった瞬間から、これに決まっていた。それほど個人的には心の琴線に触れる映画だった。

 次点

『 カメラを止めるな! 』

 

邦画の底力を思い知らされた。コミックや小説の映画化に明け暮れるばかりの日本映画界に、新たなインスピレーションを与えた。

次々点

『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』

映像、音響、音声、そして物語、その全てにおいて非常にハイレベルにまとまった作品。

 

国内最優秀俳優

 

大泉洋

『 恋は雨上がりのように 』と『 焼肉ドラゴン 』、『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話 』、『 グリンチ(吹替え版) 』の四作品出演で文句なし。

 

次点

浜辺美波

 

海外最優秀俳優

アンドリュー・ガーフィールド

『 アンダー・ザ・シルバーレイク 』と『 ブレス しあわせの呼吸 』で、俳優としての新たな境地を開拓し続けていることを証明した。

 

次点

ジョシュ・ブローリン

 

国内最優秀監督

上田慎一郎

 

『 カメラを止めるな! 』は、邦画に勇気とインスピレーションを与えた。さらに、日本のみならず世界中で評価を得、人々に映画館に行くことの楽しさを再発見させた。インパクトは『 シン・ゴジラ 』級であった。

 

次点

月川翔

 

 

海外最優秀監督

ブライアン・シンガー

『 ボヘミアン・ラブソディ 』で文句なし。

 

次点

ライアン・クーグラー

 

国内クソ映画オブ・ザ・イヤー

『 ママレード・ボーイ 』で間違いなし。今後、クソ映画のお手本として良い教材になるだろう。

 

次点

『 BLEACH 』

 

海外クソ映画オブ・ザ・イヤー

『 ザ・プレデター 』

プレデターという一癖も二癖もある魅力的な宇宙侍が、ただの凡百の地球外知的生命体に堕してしまった。その罪は重いし、消せない。

 

次点

『 ジュラシック・ワールド 炎の王国 』

 

2019年展望

なんといっても新作のゴジラが楽しみだ。『 アベンジャーズ:エンドゲーム 』もMarvel Cinematic Universeを、どのように収束および終息させるのか。また『 スター・ウォーズ 』のエピソード9も年末公開が予定され、今から興奮が収まらない。しかし、直近で最も楽しみにしているのは『 ミスター・ガラス 』だったりする。

日本映画界に目を映せば、コミックと小説の映画化が今後も続いていくのだろう。広瀬すずと土屋太鳳は、そろそろ女子高生役を卒業しないとおかしい。小栗旬が2020年のゴジラvsキングコングに出演することが報じられているが、これに続く俳優が出てこなければならない。坂口健太郎、窪田 正孝、佐藤健、松岡 茉優、黒木華、杉咲花あたりは、英語を本格的に学び、ハリウッドでオーディションを受けるべし。邦画で期待したいのは漫画原作の『 キングダム 』。しかし、これは失敗の可能性が高そうだ。それでも、少女漫画ではない漫画が映画化されるのだ。こうしたチャレンジそのものを喜ぼうではないか。

今年も良い年になりますように。

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『 アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング 』 -Life is all about how you carry your mind-

Posted on 2019年1月3日2019年12月7日 by cool-jupiter

アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング 65点
2018年12月29日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:エイミー・シューマー ミシェル・ウィリアムズ ナオミ・キャンベル
監督:アビー・コーン マーク・シルバースタイン 

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原題は ”I Feel Pretty” である。そう聞けば『 ウェスト・サイド物語 』の同名の歌が思い浮かぶ。見目麗しくあることは常に世の女性の目標であり、それが同性からも異性からもプレッシャーとなって彼女らに重く圧し掛かる。しかし、美しさの定義とは何なのか。それは定量的に測れるものなのか。それともきわめて主観的な尺度なのか。美しい女が恋をするのか、それとも恋をするから美しくなるのか。本作は極めて普遍的なテーマを扱っている。

 

あらすじ 

レネー・ベネット(エイミー・シューマー)はぽっちゃり女子。職場は有名ブランド化粧品会社の通販部だが、オフィスはチャイナ・タウンの薄暗い地下倉庫。何とか自分を変えようとジムの扉を叩いたエイミーは、エアロバイクで大ハッスルするも、バイクが破損し、転倒。頭を強打してしまう。意識を取り戻したエイミーは、しかし、鏡に映る自分を見て、絶世の美女になったと信じ込んでしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

まず主演を張ったエイミー・シューマーを称賛したい。『 ピッチ・パーフェクト 』のファット・エイミーを超えるキャラクターを世に送り出してきたからだ。元々がコメディアンであるということだが、『 アリー / スター誕生 』のレディー・ガガのように、役者でない人間が演じるということが少しずつ一般的になって来ているようだ。エイミーの演技の素晴らしさは、その表情や行動、立ち居振る舞いの変化に見て取れる。視線、口角の上がり下がり、歩き方、口調、身振り手振りの一つ一つが、まるで別人であるかのように観る者を惑わせ、驚かせる。コメディとは面白いもので、面白いものとは笑えるものだ。笑いは、自己と対象の距離がずれた時に生じるが、そういう意味ではコメディアンは役者の素養があるとも言える。

 

日本でもお笑い芸人が映画に出演することが増えて来ているように感じるが、これは悪い傾向ではないだろう。クラシカル音楽のバックグラウンドが無い者がハリウッド映画の音楽をどんどんプロデュースするこの時代、役者に○○をさせる、ではなく○○できる者に役者をやらせる、という発想があっても良い。そうした突飛な発想で成功したのが、WWEの悪のオーナー、ビンス・マクマホンではなかったか。役者にプロレスをさせるよりも、プロレスラーに役者をさせることでアメリカのマット界は一気にエンターテインメント性を確立した。同時にドウェイン・ジョンソン、デイヴ・バウティスタらを役者として世に送り出した。日本の映画界の中でも外でも、もっと異業種交流が進んで欲しいと思う。ハリウッドの新陳代謝の良さを印象付けるという意味でも良作であると評価できる。

 

エイミーの上司を演じたミシェル・ウィリアムスも味わい深かった。元々演技力の高さは折り紙つきだったが、今作では妙に甲高い声にコンプレックスを持つ抱く女性経営者を好演している。声というのは不思議なもので、ある意味では容姿以上に人物を特徴づけることがある。そのことはクリスチャン・ベイル、そしてベン・アフレック演じるバットマンによく表れている。かといってそれだけが特徴というわけでもない。『 プラダを着た悪魔 』のミランダを正反対にしたようなキャラを、その頼りなさそうな表情、そしてルネーの忌憚のない意見に真剣に耳を傾ける姿勢、そしてその時に目の奥に宿る力強い光でもって、見事に体現していた。『 マンチェスター・バイ・ザ・シー 』の好演は伊達ではなかった。

 

ネガティブ・サイド

残念ながらクライマックスへ向かっての盛り上がりが弱い。レネーが超絶ポジティブ・シンキングで仕事に恋に大ハッスルして、エスタブリッシュメント層への階段を駆け上がっていく様は痛快ではあるが、そこでいわゆる嫌な女に変身してしまう必要性はあったのだろうか。いや、それが物語をより面白くするのであれば良い。しかし、本作のクライマックスでよりカタルシスを感じさせるのであれば、レネー目線のアドバイスや指摘がいつの間にか普通の女の子目線ではなくなっていく、という方が良かったように思う。

 

もう一つ、ミシェル・ウィリアムスのキャラの弟がもう一つ弱い。レネーの恋人になる男との対面シーン、会話シーンなどは元々脚本になかったか、編集でカットされてしまったのか。レネーのロマンスが絶好調になるのは良いとしても、そのことが思わぬ副産物を生み出してしまうことで、さらなるコメディもしくはドラマが展開されるポテンシャルがあったはずなのだ。これはしかし、尺の関係で泣く泣く削られてしまったというのが真相であろうが。

 

総評

近年は『 スリー・ビルボード 』、『 女神の見えざる手 』、『 ワンダーウーマン 』、『 ドリーム 』、『 パティ・ケイク$ 』など、アウトサイダーでありながらも独立不羈の精神を持つような女性に光を当てる作品が多く創り出されるようになってきた。本作もその系譜に連なる非常に軽快なコメディである。『 プラダを着た悪魔 』のアン・ハサウェイを『 ブリジット・ジョーンズの日記 』のブリジットに置き換えたような話だと乱暴にまとめてしまえば、食指が動く向きも多いと思われる。さあ、あなたもルネーを応援しよう。自分のまま、自分で自分を今よりちょっぴり好きになろう。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, エイミー・シューマー, ナオミ・キャンベル, ヒューマンドラマ, ミシェル・ウィリアムズ, 監督:アビー・コーン, 監督:マーク・シルバースタイン, 配給会社:REGENTSLeave a Comment on 『 アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング 』 -Life is all about how you carry your mind-

『 ロッキー4 炎の友情 』 -政治的なメッセージ以上のメッセージを持つ作品-

Posted on 2019年1月1日2019年12月7日 by cool-jupiter

ロッキー4 炎の友情 65点
2018年12月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:シルベスター・スタローン タリア・シャイア カール・ウェザース ドルフ・ラングレン
監督:シルベスター・スタローン

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12月25日はクリスマスである。クリスマスと言えば、『 ホーム・アローン 』や『 ナイトメア・ビフォア・クリスマス 』ではなく『 ロッキー4 炎の友情 』なのである。どこかに昔、WOWOWで録画したロッキーシリーズのDVDがあるはずだが、探すよりも借りてきた方が早いと思い、近所のTSUTAYAに行ってきた次第。

 

あらすじ

かつて死闘を繰り広げたロッキー(シルベスター・スタローン)とアポロ(カール・ウェザース)は友情を育み、悠々自適の生活を送っていた。そんな中、ソビエト連邦からイヴァン・ドラゴ(ドルフ・ラングレン)がアメリカにやって来て、ロッキーと戦いたいとの意向を表す。アポロはロッキーではなく自分こそがドラゴと闘うとリングへ復帰、エキシビションに臨むもドラゴの強さの前に沈み、リング禍となってしまった。ロッキーはアポロとの友情に応えるべく、妻エイドリアン(タリア・シャイア)の制止を振り切り、ドラゴの待つソビエトに向かう・・・

 

ポジティブ・サイド

あらためて見返して、ドルフ・ラングレンがスタローンよりもボクシングの型が整っていることに感心する。もちろんアマチュアのバックグラウンドがあるというキャラ設定によるものだが、普通にボクシングをやっていてもアメリカで8回戦ぐらいまではいけたのでは?と思わせる。昔も今も、ロシア人のボクサーは得体の知れない雰囲気を纏っている。日本と縁の深いボクサーで言えば、勇利アルバチャコフや、長谷川穂積も対戦を避けたサーシャ・バクティンなどが当てはまる。例外は池原信遂に貫禄勝ちしたウラジミール・シドレンコぐらいか。そうした不気味なソビエト人を、その図体と表情と無骨な喋りで演じ切ったラングレンに喝采。

 

ロッキーのトレーニングシーンも良い。もはや定番、クリシェと化しているトレーニング・シーンのモンタージュであるが、最新科学理論に基づき、機器を用いての効率的トレーニングを積むドラゴと、あくまで原始的なトレーニングに打ち込むロッキーのコントラストが、 ”Heart’s on Fire” に実にマッチする。ここでのロッキーのトレーニング風景は、Jovianが勝手にヘビー級プロボクサー史上最強(≠最高)と認定しているビタリ・クリチコのトレーニングとそっくりである。腹筋、雪中のランニング、丸太運び、薪割りと、笑ってしまうほどのシンクロ率である。ウクライナ人のビタリとアメリカ人のロッキーの不思議なトレーニング風景の一致は、現実(リアル)と映画(フィクション)の境目を曖昧にし、2018年という時代に見返してみた時、映画に更なる説得力(リアリティ)を持たせることに成功している。もちろん、“Burning Heart”はこれまでも、今も、これからも多くのプロボクサーに愛される名曲である(亀田興毅除く)。

 

本作の持つテーマには実に危ういものがある。友情は命に勝るのか。そして、アスリートは代理戦争を闘うべきなのか。前者に関しては分からない。しかし、後者に関しては今ならYesと言える気がする。イディ・アミンはある意味で正しかったと思う。紛争であれ戦争であれ、何らかの形で大規模な軍事力の衝突を引き起こすのなら、それらの国の首脳が殴り合えばよい。Jovianは大学時代にデンマーク人の友人から、「サッカーってのは疑似戦争なんだ!」と熱弁を振るわれたことがある。それはボクシングにも当てはまることで、近年の例で言えば、やはりフィリピンの英雄マニー・パッキャオ。彼がメキシコ人(フィリピン人からするとメキシカンはスペイン人のようなものらしい)やアメリカ人をぶっ倒すたびに国中がお祭り騒ぎになっていた。それはフィリピンがスペイン、日本、アメリカの実質的な植民地、属国になっていたという歴史と大いに関係がある。アメリカのアクション映画や戦争映画は9.11を境に大きく変わったと言われる。アンジェリーナ・ジョリーの『 トゥームレイダー 』が無邪気なアクション映画としては最後の作品であると考えられている。本作はもちろん、無邪気な映画。しかし、そんな無邪気な映画であるからこそ、あちこちに火種の燻る現代の世界を考えるに際して、ヒントになるものがあるように思えてならない。

 

ネガティブ・サイド

フィラデルフィアのロッキー・ステップが映されないとは何事か。監督スタローンに喝!

 

あのポーリーに贈った家政婦的なロボットはいったい何を象徴しているのだろうか。どう考えても、当時のアメリカの楽天主義丸出しの未来予想図にしか思えない。最新科学をトレーニングにしっかりと反映させるソビエトに対して、ロッキーは原始的なトレーニングに拘る。しかしそれはロッキーがロッキーだからであって、アメリカは決して科学技術においてソビエトに後れをとっているわけではありませんよというポーズなのだろうか。

 

そして日本版の副題をつけた配給会社に喝!なんでもかんでも『 炎の~ 』にするのが当時のトレンドだったのは分かる。音楽シーンでもマイケル・ジャクソンの『 今夜はビート・イット 』のように、何でもかんでも『 今夜は~ 』という日本語をつけてしまう時代だったのは確かだ。映画の『 ランボー 』シリーズにしてもそうで、何でもかんでも『 怒りの~ 』にすればよいというものではない。スティーブン・セガールの映画がやたらと『 沈黙の~ 』になってしまったように、日本の映画配給会社は一度前例ができてしまうとそれを変えたがらない。まるで官僚のようだ。映画本編とは関係のないところで陰鬱な気分にさせられてしまった。

 

総評

シリーズの中でもモスクワで闘うという異色の展開を見せる作品である。ロッキー映画の方程式は維持しているものの、舞台のほとんどがフィラデルフィアでないことに釈然としないファンも多かろう。しかし、『 クリード 炎の宿敵 』の日本公開が間近に迫る今、復習の意味で鑑賞する意義は充分に認められる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1980年代, C Rank, アメリカ, カール・ウェザース, シルベスター・スタローン, スポーツ, タリア・シャイア, ドルフ・ラングレン, ヒューマンドラマ, 監督:シルベスター・スタローン, 配給会社:UIPLeave a Comment on 『 ロッキー4 炎の友情 』 -政治的なメッセージ以上のメッセージを持つ作品-

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