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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: D Rank

『 グランドピアノ 狙われた黒鍵 』 -シチュエーション・スリラーの平均的作品-

Posted on 2019年6月28日2019年6月28日 by cool-jupiter

グランドピアノ 狙われた黒鍵 50点
2019年6月26日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:イライジャ・ウッド ジョン・キューザック
監督:エウヘニオ・ミラ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190628101011j:plain

ハリー・ポッターに会いたくなって『 スイス・アーミー・マン 』を鑑賞したように、フロド・バギンズに会いたくなって本作を手に取った。このようなリユニオン願望が、ふと訪れることがあるのである。

 

あらすじ

トム(イライジャ・ウッド)は世界的なピアニストだが、過去の失敗から舞台恐怖症となり、5年間コンサートから遠ざかっていたが、恩師の追悼コンサートの場についに復帰する。しかし、トムは演奏中に楽譜に「一音でも弾き間違えれば殺す」との文言を見つける。その脅迫が嘘ではないと知ったトムは、超絶技巧を要する難曲に挑むことになるが・・・

 

ポジティブ・サイド

ピアニストの演奏中というのは、空間的にも心理的にも密室に近い。そこを狙って脅迫を仕掛けるというのは優れたアイデアだ。密閉空間で生まれるサスペンスについては『 リミット 』(主演:ライアン・レイノルズ)が、衆人環視の中で閉じ込められる恐怖は『 フォーン・ブース 』(主演:コリン・ファレル)が追求した。本作は、ある意味でその二つの良いとこどりである。

 

主人公がピアニストであることが、しっかりとプロット上でワークしている。特に携帯電話でピンチを切り抜けようとする際の手指の動きがリアルである。いや、実際には普通の人間には無理な動きだが、プロのピアニストであれば可能かもしれないと思わせるだけの説得力がある。

 

狙撃手が絶え間なく語りかけてくるという点では『 ザ・ウォール 』とそっくりである。テーマ性、哲学的なメッセージという点ではそちらに譲るが、本作はトムが狙われる理由が不明であること、そして何故トムが脅迫されるのかという理由にそこそこ意外性がある。悪くはない作品である。

 

局所的に他作品へのオマージュが見られる。「ボックスの5番」と聞いてニヤリとできれば、あなたは『 オペラ座の怪人 』のファンであるに違いない。他にも色々とネタが仕込まれていそう。筋金入りのシネフィルなら、色々なeaster eggを発見できるかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

何故その曲を弾く必要があるのかについては一定の理解を示すことができるが、どうやってその曲を弾くのかについては突っ込みどころが満載である。劇中で犯人一味も言い争うように、もっと別の良い方法があるはずだし、衆人環視のコンサート会場を犯行の舞台に選び、そのために3年の準備期間を設けるというのは更におかしい。トムの恩師が死んでからトムが表舞台に帰ってくるまで辛抱強く待ったわけだが、そもそもトムが復帰しなかったらどうするつもりだったのか。時系列的に粗も見えてくる。自分なら『 羊と鋼の森 』に解決のヒントを求めると思うし、そちらの方が遥かに現実的であるはずだ。

 

コンサート中にピアニストがあれほど離籍するのもおかしい。将棋指しの対局じゃないんだ。何かただならぬことが起こっていることは誰にでも分かるはずだ。なんせトムはひっきりなしに独り言を呟いている(ように見える)のだ。また、携帯電話を使うのはトムであればギリギリOKだが、トムが友人に電話をしてそれが通じてしまうのは余りにもご都合主義ではないか。舞台の袖の人間に伝言を頼むなど、もう少し回りくどい=より説得力のある演出もあったのではなかろうか。

 

天井からデロ~ンというのは、さすがに『 オペラ座の怪人 』へのオマージュを通り越してオリジナリティの欠如に見えた。また、観る側、少なくともclassical musicにカジュアルにしか接しない人でも認識できるような曲が一つもなかったのは残念である。音楽を題材にした映画は、その音楽の力で観る者の心を掴む必要があるが、まったく初体験の曲でそれをするのは至難の技だろう。だからこそミュージカルは、そこにダンスという視覚的要素をプラスしてくるのである。なにかメジャーな曲の演奏が聴きたかったと切に願う。

 

総評

これも典型的な rainy day DVD であろう。期待に胸を躍らせて観るのではなく、純粋に暇つぶしのために観るべきだ。そうそう、本作のユーモアに theater language の面白い使い方がある。英語では “Good luck!”の意味で“Break a leg!”と言うことがある。『 ワンダー 君は太陽 』などでも聞ける、割とありふれた台詞であるが、最後の最後でクスッと笑わされてしまった。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, イライジャ・ウッド, シチュエーション・スリラー, ジョン・キューザック, スペイン, 監督:エウヘニオ・ミラ, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 グランドピアノ 狙われた黒鍵 』 -シチュエーション・スリラーの平均的作品-

『 青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない 』 -オタクに媚びるのもほどほどに-

Posted on 2019年6月21日2020年4月11日 by cool-jupiter

青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない 45点
2019年6月20日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:石川界人
監督:増井壮一

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190621090413j:plain

一時期、Jovianは何かの弾みで舞城王太郎や清涼院流水、浦賀和宏を読み出して、ラノベ方面にも手を出していた。今は、葉山透の『 9S 』の11巻以降と範乃 秋晴の『 特異領域の特異点 』の3巻を待っているだけである。たまには頭をリフレッシュさせるかと、タイトルだけ見て本作のチケットを購入した。何とも評価に困る作品であった。

 

あらすじ

梓川咲太は、女優にして恋人の桜島麻衣との交際も順調で、学校やバイト先でも仲間に恵まれ、幸せに暮らしていた。、しかし、咲太の初恋の相手の牧之原翔子が現れたことで、咲太と麻衣の関係が少しギクシャクし始めた。なぜなら翔子は「中学生」と「大人」として、二人同時に存在しているため・・・

 

ポジティブ・サイド

ストーリーの軸がぶれなかったの良かった。各キャラに合わせて色々なサブプロットを展開させなかったのは正解である。開始早々、原作未読者を置いてけぼりにする作りになっていることは分かった。これは潔い。ならばこちらは登場人物たちの背景や関係を把握することに努めるのみである。幸か不幸か、どこまでも定番のキャラクターたちが揃っていて、人物の属性把握は極めて容易い。同学年の寡黙な理系メガネ女子や、バイト先の年下妹系キャラなど、これまでに100万回見たり読んだりしてきた紋切り型のキャラクター造形はむしろありがたい。型どおりのキャラクター達が、とあるキャラクターが抱える謎に迫っていくストーリーも100回は体験した気がする。だからこそ分かりやすい。

 

咲太というキャラが、どこまでも純粋なところも共感しやすい。男という生き物は、その実際の生態は別にして、自分自身を純であると認識する傾向がある。本作の狙う客層は95%は男であるだろうし、事実劇場の客はほぼ100%男性(一人客5割、グループ客5割であったように見えた)だった。このようにデモグラフィックをはっきりさせた映画は鑑賞しやすい。メインターゲットの人々にとっては、一昔前に流行ったイージー・リーディングならぬイージー・ウォッチングが可能となる。不覚にもJovianは咲太というキャラを少し応援してしまった。

 

ネガティブ・サイド

王道的なキャラクター、王道的な展開というのは、一歩間違えれば陳腐で凡庸となる。本作はそのあたりの境界線上をかなり慎重に綱渡り的に進んで行くが、相対性理論やら量子力学、超ひも理論、タイムトラベルを持ち出してきたあたりで、面白さが半減してしまった。確かにオタクは、本田透の分析に頼るまでもなく、最先端科学理論と格闘技が好きな生き物である。だからといって、意味のないガジェットにまで凝る必要はない。理系メガネ女子が読む「超ひも理論」の書籍に、ダジャレ以上の何の意味があるのか。タイトルからして『アンドロイドは電気羊の夢を見るか? 』へのオマージュになっているには分かるが、それならせめて最低限の科学的一貫性を維持してもらいたい。相対性理論でタイムトラベルを説明するのなら、量子力学を持ち出さないでほしい。この二つの理論の相性は残念ながらすこぶる悪い。オタク相手に媚びたいのかもしれないが、おそらく通常のオタクはもっと科学的に洗練された、あるいは哲学的に深みのある設定を好むのではないか。それとも、それはJovianの世代の感覚で、今の10代や20代は、それっぽい用語や小道具を随所にちりばめておけば満足するのだろうか。タイムトラベルものというのはどこまでも矛盾に満ちているものだが、本作は『 アベンジャーズ/エンドゲーム 』が採用した、時間=意識説を用いる一方で、歴史を分岐しうる時間線の如く扱っている。無茶苦茶である。支離滅裂である。途中のウサギは『 ドニー・ダーコ 』へのオマージュなのか。やたらと難解SFを模すれば良いというものではないだろう。少しは『 ペンギン・ハイウェイ 』を見習うべきだ。

 

また、入浴シーンやキャラのバストアップのシーンなど、必然性を感じないアングルのショットがところどころで挿入されるのは何なのか。ストーリーテリングの上で必然性があればよいが、とてもそのようには感じられなかった。サービスとエンターテインメントを履き違えていないか。

 

総評

それなりに楽しめるものの、作り手の過剰なサービス精神がマイナスに作用しているという印象を受けた。あくまで原作未読者の感想である。ただ、ラノベが元々は1950~1960年代のSF作品の劣化コピーの延長線上に生まれたものとの認識を持てば、それほど目くじらを立てるほどのものではないのかもしれない。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, SF, アニメ, 日本, 監督:増井壮一, 石川界人, 配給会社:アニプレックスLeave a Comment on 『 青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない 』 -オタクに媚びるのもほどほどに-

『 トゥルース・オア・デア 殺人ゲーム 』 -夏恒例のクソホラー映画-

Posted on 2019年6月17日2020年4月11日 by cool-jupiter

トゥルース・オア・デア 殺人ゲーム 40点
2019年6月14日 レンタルBlu-rayにて鑑賞
出演:ルーシー・ヘイル
監督:ジェフ・ワドロウ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190617015820j:plain

夏と言えばホラー映画またはサメ映画である。しかし、サメ映画については今年はいいかなと感じている。昨年(2018年)の『 MEG ザ・モンスター 』が収穫だったからではなく、『 アクアマン 』にレーザー光線を放つサメが登場したからである。ならばホラーである。Jovianの嫁さんが激ハマりしていたテレビドラマ『 プリティ・リトル・ライアーズ 』の主人公の一人、ルーシー・ヘイルが主演というのもレンタルの動機になった。

 

あらすじ

オリヴィア(ルーシー・ヘイル)は、親友のマーキーらと共に大学最後のバケーションとしてメキシコ旅行へ行く。そして現地で知り合ったカーターという男性と共に、皆でトゥルース・オア・デアに興じる。それは悪魔のゲームの始まりだった・・・

 

ポジティブ・サイド

日本でトゥルース・オア・デア(真実か挑戦か)を実際に行ったことがある人は、それほど多くないだろう。Jovianは一度だけ大学の寮でアメリカ人、ドイツ人、ブラジル人らと興じたことがある。独自ルールとして、真実、挑戦、いずれも拒否の場合はテキーラだったかウォッカだったかのショットを一気飲みが科されていた。若気の無分別というやつである。

 

このゲーム、そして本作の面白さも、ゲームの持つ不思議な魔力にある。我々も普段、じゃんけんやあみだくじで、そこそこ重要な事柄を決めたりしているが、そこには実は合理性は無い。あるのは、じゃんけんやあみだくじの持つ魔力=虚構性への積極的な加担である。そういえば、自分の卒論のテーマもこうだった。宗教(および諸々の社会システム)とは、その虚構性を積極的に認め、維持しようとする持続的な試みなのだ。

 

Back on track. 本作は割と早い段階で、『 ゲーム 』(主演:マイケル・ダグラス 監督:デビッド・フィンチャー)のような大掛かりな仕掛けのあるゲームではなく、『 シェルター 』(主演:ジュリアン・ムーア 監督:モンス・モーリンド ビョルン・スタイン)のようなスーパーナチュラルな存在によるものであることが分かる。恐怖は、怪異の正体が不明であることから生まれる、と『 貞子 』で述べたが、怪異の正体が人為的なものなのか、それとも超自然的なものなのかと登場人物および観客を惑わせるのは非常に効果的であり、なおかつ非常に難易度が高い。本作はそこでスリルやサスペンスを生み出すことをあっさりと放棄した。その代わり、人間の形相を極端に歪めることで観る者に怖気を奮わせる。『 不安の種 』でも使われた手法であるが、これはこれで慣れるまでは結構怖い。本格ホラーは苦手でも、ライトなホラーならイケるという向きにお勧めしたい。

 

ネガティブ・サイド

怪異の正体が怖くない。というよりも、この手のホラー映画のパターンというのは、何故にここまで紋切り型なのか。先に挙げた『 シェルター 』もそうであるし、B級ホラーで言えば『 ペイ・ザ・ゴースト ハロウィンの生贄 』、A級ホラーで言えば『 エミリー・ローズ 』がそうであるように、宗教的な観念、信仰が背景にある。なので怖い人にとっては怖い。怖くないと言う人にとっては怖くないという、両極端な反応を生み出しやすい。ホラー映画としてユニバーサルな怖さを感じさせる作品の白眉は『 エイリアン 』または『 シャイニング 』だろうか。宗教的または哲学的な観念を背景に紛れ込ませ、結局怖いのは人間なのだと感じさせるのが最も効果的なのかもしれない。

 

本作の弱点として、色々な人の死に方にバリエーションがないのである。どこかで見た死に方ばかりで、正直なところ退屈してしまった。中には『 催眠 』(主演:菅野美穂 監督:落合正幸)そっくりなシーンもあった。まさかパクっているとは思わないが、もうちょっとオリジナリティを追求しなければならない。

 

またゲームの中身も弱い。独自ルールは別に構わないのだが、挑戦の内容が酷い。何が酷いかと言えば、「○○を銃で撃ち殺せ」のようなダイレクトな指示である。我々のハラハラドキドキは、真実を語ることによってどのような人間関係が露わになってくるのか、挑戦を無事に成し遂げられるのかどうか、というところから来るのであって、直接的に害を及ぼそうとしてくるものにはハラハラドキドキはしないのである。

 

結末も容易に読める。というか、始まり方からして『 シンプル・フェイバー 』そっくりなのである。『 貞子 』こそ、こうあるべきだったのだが。

 

総評

中学生~大学生ぐらいまでであれば、それなりに楽しめるのではないか。特に高校生~大学生ぐらいまでのカップルなら、休日に鑑賞して楽しめるかもしれない。逆に年齢がそれよりも上、または映画経験、特にホラー映画経験がそれなりに豊富な人には、ややお勧めしづらい。PLLのファンなら、アリアを応援するつもりでレンタルするのも一つの選択肢かもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, ホラー, ルーシー・ヘイル, 監督:ジェフ・ワドロウ, 配給会社:ユニバーサル・ピクチャーズLeave a Comment on 『 トゥルース・オア・デア 殺人ゲーム 』 -夏恒例のクソホラー映画-

『 キラー・メイズ 』 -A typical rainy day DVD-

Posted on 2019年6月15日2020年4月11日 by cool-jupiter

キラー・メイズ 50点
2019年6月11日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ニック・スーン ミーラ・ロフィット・カンブハニ
監督:ビル・ワッターソン

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近所のTSUTAYAで準新作を108円で借りられるクーポンが定期的に使える。いつもなら劇場で見逃して、しかし新作料金を払うほどでないと思える作品を借りる時に使うのだが、『 パズル 』を借りてきた時のように、Sometimes, I like watching garbage. だが本作はゴミと呼ぶほどの駄作ではなかった。

 

あらすじ

30歳近くになろうというのに定職もないデイブ(ニック・スーン)は、ある時段ボール箱で迷宮を作った。しかし、それは本物の迷宮になってしまい、デイブは迷子になる。そんなデイブを救出する為、ガールフレンドのアニー(ミーラ・ロフィット・カンブハニ)はデイブの悪友たちと共に段ボール箱の迷宮に足を踏み入れるが・・・

 

ポジティブ・サイド

とてもオーガニックな作りである。誰しも小さな頃、段ボールで出来た迷路や迷宮で遊んだことがあるだろう。それを題材に映画を作ったと思えば良い。しかし、そこには監督や脚本家の識閾下に眠っていた、あるいは彼ら彼女らが常日頃から愛してやまない数々のガジェットが詰め込まれている。迷宮といえばミノタウロスというのはPSゲームの『 ファイナルファンタジーⅧ 』や、漫画『 ミキストリ -太陽の死神- 』でもお馴染みだろう。また、『 スター・ウォーズ エピソード4 / 新たなる希望 』のワンシーンのパロディ的なものや『 ナイト ミュージアム 』へのオマージュ、『 キューブ 』を思わせるトラップの数々に、『 スーパーマンⅢ 電子の要塞 』的なキャラクター変化もある。そして全体的なスラップスティック・コメディ的なノリとミノタウロスからの逃走劇は、『 グランド・ブダペスト・ホテル 』の同工異曲。こういう作品の作り手に作家性やメッセージを求めてはいけないのである。自分の心の赴くままに作ってみたら、こんな風になりました、というものを、受け手側としては素直に評価するのみである。

 

それにしてもヒロイン(それともヒーロー?)を演じたミーラ・ロフィット・カンブハニは、その名前と容貌からインド系であることが推察されるが、彼女は美女である。『 PK 』のアヌシュカ・シャルマは西欧的な美女であるが、カンブハニは『 パドマーワト 女神の誕生 』のディーピカー・パードゥコーンのようなインド系、アジア系、オリエント系の美女である。テレビへの出演経験が豊富なようだが、もっと銀幕に出てきてほしいもの。

 

デイブの悪友キャラもそれなりに立っている。特に撮影の男はほとんどしゃべらない代わりに、否、それゆえか、しゃべる時に残すインパクトは絶大である。また、その他の眼鏡キャラ二人にも、”Don’t wear glasses, or you’ll look like effin’ nerds.”という言葉を送ってやりたい。素晴らしく陳腐なキャラである。これは褒め言葉である。

 

そうそう、序盤のとあるキャラの怪我が、終盤に残された素朴な疑問への答えになる。なかなかに良く練られた構想、そして脚本である。

 

ネガティブ・サイド

映画そのものの罪ではないのだが、原題の“Dave made a maze”に『 キラー・メイズ 』なる珍妙な邦題を奉ってしまうのは何故なのだ。毎年夏頃になるとわんさか出てくる低級お馬鹿ホラー映画と見せかけて、シチュエーション・スリラーチックなコメディだったではないか。Dave made a maze. というのは、I like Ike for President.のような言葉遊びなのだ。「メイズ メイズ メイズ」のような悪ふざけタイトルか、「デイブが作った迷宮」、「メイズ・ランナー 段ボールの迷宮」のような、さらに悪乗りしたタイトルでも良かったのでは?

 

ストーリーもかなり単調である。スティーブン・キング原作のテレビ映画『 ランゴリアーズ 』並みに象徴的な lady parts が現れる。これがデイブの深層心理であるというなら、アニーともっとお互いをさらけ出すよう口喧嘩シーンがあってもよかった。デイブとアニーの恋人感がどうにも弱いのだ。デイブと悪友たちとの狎れ合いは上手い具合に描けている。こういう不器用な男、自己効力感の低そうな男が、愛する人からの叱咤激励を受けて一皮むけるシーンがないのが実に悔やまれるところである。

 

総評 

雨の日の暇つぶしに最適な一本である。それ以上でもそれ以下でもない。梅雨のこの時期に何もすることが無いと言う時に、近くのレンタルビデオ店、またはストリーミングでどうぞ。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, コメディ, シチュエーション・スリラー, ニック・スーン, ミーラ・ロフィット・カンブハニ, 監督:ビル・ワッターソン, 配給会社:ブラウニーLeave a Comment on 『 キラー・メイズ 』 -A typical rainy day DVD-

『 小さな恋のうた 』 -プロモ映画としても何か足りない-

Posted on 2019年6月9日2020年11月11日 by cool-jupiter

小さな恋のうた 40点
2019年6月8日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:佐野勇斗 森永悠希 山田杏奈 
監督:橋本光二郎

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MONGL800の歌には不思議なインパクトがあった。事実、『 小さな恋のうた 』は平成を通じて男性がカラオケで歌った曲としては一位という集計データもあるらしい。そしてJovian機体の橋本光二郎監督がメガホンを取ってこの名曲の誕生秘話をドラマ仕立てにしたというのだから、期待も高まる。Alas, I did it again. Don’t ever get your hopes up.

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あらすじ 

沖縄の高校生、リョウタ(佐野勇斗)とシンジ、コウタロウ(森永悠希)はバンドを組んで、真摯に音楽に打ち込んでいた。しかし、シンジとリョウタが交通事故に巻き込まれてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

山田杏奈は頑張っていた。山田は『 わたしに××しなさい! 』の頃より少しふっくらしたように感じたが、存在感も増していた。良いことである。前半はほとんど台詞もないが、それが爆発する終盤手前のシーンは見事の一語に尽きる。

 

森永悠希にも感銘を受けた。『 カノジョは嘘を愛しすぎてる 』ではドラムを叩き、『 羊と鋼の森 』ではピアノを弾きこなし、本作でもドラマーを演じ切った。楽器を弾ける役者は希少価値がある。もちろん、音は後からプロが入れ直しているだろうが、主要キャストの中では森永の演奏シーンが最も迫真性が感じられた。

 

世良公則のキャラクターも良かった。不可解な言動を取る大人が数名存在するこの世界で、子どものまま素直に大きくなったような大人の存在は一種の清涼剤であった。

 

ネガティブ・サイド

 

以下、マイルドなネタばれ記述あり

 

沖縄を舞台にするのはよい。それがモンパチの出身地なのだから。しかし、そこで描写すべき沖縄成分が圧倒的に不足していた。米軍基地の軍人相手に商売するバーは構わない。しかし、沖縄の空と海、沖縄らしい料理、方言をもう少し、時間にして2分で良いから描写して欲しかった。このあたりは『 洗骨 』から学ぶべきだろう。

 

不可解なのは、バンドのメンバーたちが東京の方角に向かって叫ぶシーン。しかし、そこには夕陽が。沖縄のどこの地点でも、いつの時点でも、夕陽の方角に東京は無い。何故こんな初歩的なミスを犯すのか。まさか朝日なのかとも思ったが、放課後のシーンなので夕陽で間違いない。滅茶苦茶もいいところだ。

 

全体的には物語のトーンとテーマに統一感が感じられない。楽曲の素晴らしさを売りにしたいのか。それとも友情の強さ、美しさを前面に押し出したいのか。それとも国境を超えた少年少女の心温まる交流劇を見て欲しいのか。監督の意図が分かり辛い。楽曲の素晴らしさを売りにしているわけではなさそうだ。何故なら、もしそうであるなら学園祭の屋上ライブをあのタイミングでストップしてしまうのは理にかなっていないからだ。全曲披露して、その上で教師にしこたま説教を食らえば良い。男同士、バンドメンバーの結束や友情、絆がメインテーマというわけでもなさそうだ。もしそこに焦点を当てるなら、ヴォーカルがドラマーに向かって「お前はただ叩いているだけでいいよな」などと言えるわけがないからだ。Jovianがドラマーなら相手を20発はぶん殴るだろうし、Jovianがヴォーカルでポロっとこんなことを口走ってしまったなら、20分は土下座する。そういう描写こそが必要なのだ。佐野の演じるリョウタが、この瞬間から甘ったれたガキンチョにしか見えなくなってしまった。米軍基地内に暮らすリサとの交流がメインというわけでもないようだ。沖縄の現実と米軍基地の問題を切り離すことはできない。デモ隊と基地の対立、デモ隊と主人公らの関係が特に強く描かれるわけでもなく、そこにさらに親子の葛藤という対立軸まで放り込まれても、こちらはとても消化しきれない。

 

他にも、序盤のシーンではシンジに影がなく、終盤のシーンではシンジに影があるという具合に、演出面でも統一を欠いた。影云々は、製作者側の意図的なものかもしれないが、ただでさえ色々な面でとっちらかってしまっている作品に、これ以上を混乱をもたらすような演出は不要である。

 

総評

高校生がバンドを組んで学園祭でパフォーマンスをするという映画なら『 リンダ リンダ リンダ 』の方が一枚も二枚も上手である。だが、Jovianが嫁さんと鑑賞した劇場内では、かなりの人数の女子が泣いていた。「もう2時間ずっと泣きっぱなしやったわ」という声も聞かれた。当たり前田は広島カープであるが、一レビュワーが低く評価しているからといって、作品の質が低いというわけではない。作品とそれを鑑賞するものの間には、波長のようなものがあり、それが合うと評価が高くなりやすいのだ。モンパチのファンであるなら、劇場鑑賞も一つの選択肢として検討しても良いのではないか。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 佐野勇斗, 山田杏奈, 日本, 森永悠希, 監督:橋本光二郎, 配給会社:東映, 音楽Leave a Comment on 『 小さな恋のうた 』 -プロモ映画としても何か足りない-

『 GODZILLA ゴジラ 』 -迫力はあるが、作り込みが甘い-

Posted on 2019年6月2日2020年4月11日 by cool-jupiter

GODZILLA ゴジラ 55点
2019年5月30日 所有ブルーレイにて鑑賞
出演:アーロン・テイラー=ジョンソン 渡辺謙 エリザベス・オルセン
監督:ギャレス・エドワーズ

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『 ゴジラ キング・オブ・モンスターズ 』の前日譚にあたるのが本作である。その意味では、復習上映にちょうどよいタイミングであろう。『 シン・ゴジラ 』を劇場鑑賞したからに、USゴジラも鑑賞しないことにはバランスが悪い。

 

あらすじ

怪獣を秘密裏に調査してきた組織モナークはフィリピンで巨大生物の痕跡を発見していた。その後、日本の原子炉で不可解な事故が発生。それは巨大生物の復活の狼煙で・・・

 

ポジティブ・サイド

原子炉の事故というのは、間違いなく3.11への言及だ。日本ではなくアメリカがこのことに言及したことは、それだけで意義深い。また、巨大不明生物の出す音に着目している点も興味深い。『 シン・ゴジラ 』では、「奴の知能の程度は不明だが、我々とのコミュニケーションは無理だろうな」と言われてしまったが、怪獣とのコミュニケーションの可能性を模索する方向性が2014年時点で示唆されていることは称賛に値する。三枝未希的なキャラはそう何度も生み出せるものではないのだ。

 

敵怪獣のMUTOには賛否両論があるが、EMP攻撃でF-22を面白いように落としていく様は観る側を絶望的な気分にさせてくれる。山本弘の小説『 MM9 』へのオマージュなのだろうか。常識的に考えれば、人類の科学技術の粋である現代兵器が通じない相手など存在するわけがない。それが実際に通じないところが怪獣の怪獣たる所以なのだが、そんな化け物がゴジラ以外にたくさん存在されるのも何かと不都合だ。だからこそ、攻撃がいくら命中しても効果なし、から、電気系統がすべて切れてしまう=兵器が無力化される、というアイデアに価値が認められる。

 

ゴジラが人類の攻撃を屁とも思わず、ひたすらMUTOを追いかけまわすのも良い。Godをその名に含むからには、人間とは別次元の存在であらねばならない。米艦隊を引き連れているかのように悠然と大海原を往くゴジラの姿には確かに神々しさが感じられた。

 

主人公が爆弾解体のスペシャリストというのもユニークだ。決して花形ではないが、いぶし銀的なミッションの数々に従事してきたのであろうと思わせる雰囲気が、アーロン・テイラー=ジョンソンから発せられていた。

 

ゴジラという人間を歯牙にもかけず、都市を完膚なきまでに破壊し、それでも結果的には人類を守ってくれた存在に、人はどう接するべきなのだろうか。泰然として海に還っていくゴジラを見送る芹沢博士の誇らしげな笑顔とグレアム博士の畏敬の念からの涙に、ゴジラという存在の巨大さ、複雑さ、奥深さが確かに感じ取れた。

 

ネガティブ・サイド

ジョー・ブロディを途中退場させる意味はまるでなかった。また、フォードが途中で子どもを助けるシーンも、あっという間に子どもが両親のもとに帰っていけるのであれば必要ない。どうしても人間ドラマ、家族ドラマを描きたいのは分かるし、Jovianが怪獣映画を監督する、またはそれ用の脚本を書く機会が与えられたならば、何らかのヒューマンな要素を入れるのは間違いない。なのでドラマを持ち込もうとすることは否定しない。問題はその描き方である。妻を失ったジョーは、息子や孫までは失えないと息子と協力して、これまでに個人的なリサーチで溜めこんできた情報をモナークおよび米軍にシェアする。または、フォードが電車で助けるのを子どもではなく老人にする。その老人の姿を通じて、フォードは間接的に父の愛情の深さと大きさを知ることになる。そんな風なドラマが観たかったと思ってしまう。人間パートが、どうにもちぐはぐなのだ。我々が見たいのは怪獣同士のバトルである、もしくは軍隊が怪獣に果敢に向かっていきながらもあっさりと蹴散らされるシークエンスである。

 

だが、そうしたシーンもどんどんと先延ばしにされてしまう。ハワイでの激突シーンもテレビ放送画面に切り替わり、本土決戦でもエリザベス・オルセンがシェルターに逃げ込むと同時に別画面に切り替わる。クライマックスの怪獣バトルのカタルシスを最大化したいという意図は分かるが、ちょっと焦らし過ぎではないか。だが最大の問題点は、ゴジラとMUTOの最終決戦があまりにも暗過ぎて何が起きているのかよく分からないところだ。肝心のMUTOへのトドメも、『 ゴジラ2000 ミレニアム 』とかぶっている。もしもこれがオマージュであると言うなら、もっと徹底的にやってほしかったと思う。

 

総評

決して悪い映画ではない。しかし、ゴジラというタイトルを冠するからには、ゴジラをゴジラたらしめるサムシングを備えていなければならない。それが何であるのかを定義するのは困難極まる。しかし、そうではないものはひと目で分かる。本作が描くのは、間違いなくゴジラである。ただ、少しゴジラ成分が足りないように思えてならない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アーロン・テイラー=ジョンソン, アメリカ, エリザベス・オルセン, ゴジラ, 怪獣映画, 渡辺謙, 監督:ギャレス・エドワーズ, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 GODZILLA ゴジラ 』 -迫力はあるが、作り込みが甘い-

『 空母いぶき 』 -素材は一流、演技は二流、演出・構成は三流-

Posted on 2019年5月26日2020年2月8日 by cool-jupiter

空母いぶき 50点
2019年5月25日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:西島秀俊 佐々木蔵之介 佐藤浩市 
監督:若松節朗

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どこかのアホなハゲチャビン放送作家がいちゃもんをつけていたので、どれほどのものかと思い、鑑賞。観る前から酷評していたコピペ作家とは違い、Jovianは劇場に赴き、この目で観た。感想は、素材は一流、演技は二流、演出・構成は三流であった。

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あらすじ

世界の警察を自任する国がその座から降りたことで、各国にはナショナリズムが再燃しつつあった。その中でも小国家連合「東亜連邦」は、日本近海で緊張感を高め、軍事衝突の危機が高まりつつあった・・・

 

ポジティブ・サイド

佐々木蔵之介のキャリアで、これは最高の演技であろう。少々近視眼的な思考の持ち主であるものの、職務に忠実、使命を必達しようとする強い意志を持ち、何より有能にして、平和を真に希求する軍人にして船乗りである。自衛隊もしくは大日本帝国海軍にモデルとなる人物がいる/いたのだろうか。

 

空母いぶきを含む連隊全艦に、政治と軍事の狭間でぎりぎりの行動、つまり専守防衛を逸脱しない範囲で軍事力の行使をしなければならないという緊張感が全編に漂っている、いや漲っている。それは特に艦長の秋津竜太(西島秀俊)と副長の新波歳也(佐々木蔵之介)の関係が、日本という国の持つ矛盾(と言っていいだろう)をそのまま体現しているからだ。軍事力を有するということは、それを行使するかしないかの問題ではない。いつ、どこで、どのようにそれを行使するかが問題になる。なぜなら、現代の兵器はあまりにも進み過ぎてしまって、一発の破壊力が大きいからである。あるいは、日本の場合なら、ミサイルや爆弾の一発、敵機一機、敵船一隻、極端な話、敵兵一名に防衛線を破られただけで、ある意味負けだからである。守りに徹するというのは、甘んじて先制攻撃を受けるということであり、核兵器を持つような狂った相手が敵になるなら、その時点ですでに敗れているとさえ言える。それでも日本が核武装を選ぶことなく、そして今後もそうすることを選ばないだろうということを、本作は強く語りかける。

 

本作で最も光ったのは「忖度」シーン。Jovianの義父は元警察官であるが、どうしても同期と出世に差がつくことは有りうる。片や巡査長、片や警察署署長。同期であっても敬語で話す。しかし、二人きり、あるいはプライベートの付き合いであれば、警察学校時代の関係に戻れる。そうしたフラットな関係が根底にあるから、上司となった同期にも忖度ができる。周囲に対して、上下関係を示すことができる。そうしたことを切々と教えてもらったことがある。秋津と新波の対話は、ドラマのひとつのピークであった。

 

ネガティブ・サイド

コンビニのシーンは不要である。これは全てノイズである。中井貴一は素晴らしい役者だが、何の存在感も感じられなかった。本田翼もいらない。あんなジャーナリストはいらない。100社中でたった2社だけが建造間もない航空母艦の取材乗船を許可されたというのに、もっと張り切れと言いたい。冒頭で東アジアで軍事的緊張が高まっているとご丁寧にもアナウンスしてくれているのに、リポーターがこの調子では・・・ 中井貴一らは平和ボケ日本の象徴と言えないこともないが、マスコミまでもがこの調子では日本の未来は本当に暗いと言わざるを得ない。これらのシーンを全て削れば、2時間以内に収まったのではないか。

 

海上自衛隊も何をしているのか。マスコミの持ち物検査ぐらいしろ。何故に民間人が作戦行動中の船内を自由に行き来できるというのか。それを許可させるなら、広報担当官を貼りつけさせるか、もしくは護衛を口実に同室内にいてその挙動には常に目を光らせるべきだろう。戦闘において最も危険なのは、強大な敵ではなく足を引っ張る味方だからだ。結果的にグッジョブを成し遂げたとはいえ、それは偶然の産物に過ぎない。

 

キャラクターには臨場感、緊張感、緊迫感があるが、肝心かなめのストーリー展開にそれがない。何故に東亜連邦軍は、最もやってはいけない戦力の逐次投入をしてくるのか。いぶき艦隊に「どうぞ各個撃破してください」と言っているようにしか思えなかった。せっかく初撃でいぶきに打撃を与えたのだから、そのダメージの程度を探ろうとしないのは何故か。観る側としては、艦載機を飛ばせない空母に襲いかかる敵航空編隊というのをどうしても期待する。当たり前田の広島クリシェだが、それが最もサスペンスフルな展開だからだ。であるにもかかわらず、艦載機用のエレベーターの修理が完了した、ちょうどそのタイミングで敵機襲来というのは、あまりにもご都合主義が過ぎる展開だろう。これでハラハラドキドキしてください、と観客に伝えるのは無理だ。

 

佐藤浩市演じる垂水総理の優柔不断っぷりから歴史的決断に至る過程、周囲からの過剰とも思える圧力も、残念ながら既に『 シン・ゴジラ 』が描き出してくれていた。二番煎じであるし、何よりもポリティカル・サスペンスとして弱いと言わざるを得ない。

 

本作全体を通じての最大の弱点は、間延びした台詞の数々である。それこそ『 シン・ゴジラ 』の二番煎じとなってしまうが、全員が1.3倍速ぐらいで喋れたはずだ。トレイラーにあるのでネタばれにはあたらないが、玉木宏の「総員、衝撃に備えい!」がその最も悪い例であろう。記憶が鮮明ではないが、「アルバトロス隊、会敵まで○秒」や「敵魚雷、着弾まで○秒」というカウントにまったく緊張感がない。絶叫しろと言っているわけではない。張りつめた声を出してほしいと言っているのだ。戦闘シーンも前半はBGM無し、後半はありと方針がはっきりしない。とにかくキャラの台詞が間延びしていて気持ち悪い。特に気持ちが悪いのは高嶋政宏である。スーパーX3に搭乗してデストロイアに向かっていった孤高の軍人はどこに行った?この男だけは張りつめた声で軟弱な台詞を吐くという離れ業を見せてくれた。ギャグにすらなっていない、ひどいキャラクターである。

 

その他、対艦ミサイルを食らい、間近で僚艦が爆発炎上したにも関わらず、戦闘翌日の朝日を一身に浴びる空母いぶきのなんと美しいことよ。艦隊にいささかの煤けもなく、甲板に金属片や微細なひびなども見当たらない。戦闘そのものが乗員全員の白昼夢だったとでも言うのか。若松監督はこの絵で何を伝えたかったのというのか。一介の映画ファンには知る由もない。

 

総評

自衛隊の協力が得られていないところから色々と察することができる。原作未読者の感想であるが、キャラクターはいずれも立っている。しかし、一部の大根役者の演技がその他大勢の役者の足を引っ張っている。また、演出にリアリティが圧倒的に足りない。大人の鑑賞に耐える作品に仕上がっていない。かといって子どもに見せるような作りにもなっていない。残念ながら、興行的にも振るわないだろうし、批評家や一般ファンからの評価も芳しいものとはならないだろう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, アクション, サスペンス, 佐々木蔵之介, 佐藤浩市, 日本, 監督:若松節朗, 西島秀俊, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 空母いぶき 』 -素材は一流、演技は二流、演出・構成は三流-

『 アメリカン・アニマルズ 』 -構成は見事だが、ストーリーは拍子抜け-

Posted on 2019年5月22日2020年2月8日 by cool-jupiter

アメリカン・アニマルズ 50点
2019年5月19日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:エバン・ピーターズ バリー・コーガン ブレイク・ジェナー ジャレッド・アブラハムソン
監督:バート・レイトン

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シネ・リーブル梅田で始めたチラシを手にした時、これは面白そうだと予感した。しかし、Hype can ruin your experience. 『 バッド・ジーニアス 危険な天才たち 』の水準を期待すると拍子抜けさせられる。本作の見せ場は、罪を犯した本人たちの回想録的なドキュメンタリーを含むところであって、本編の犯行のレベルの高さではない。

 

あらすじ

ウォーレン(エバン・ピーターズ)とスペンサー(バリー・コーガン)は、大学に進学したものの、キャンパスライフに馴染めずにいた。ある時、ウォーレンは大学の図書館に18世紀に書かれた稀覯本があるのを知り、それらを盗み出す計画を立てることに・・・

 

ポジティブ・サイド

犯罪にも色々ある。警察や法律家に言わせれば違うのだろうが、立ち小便は犯罪、少なくとも重犯罪ではないだろうし、盗んだバイクで走り出すのも若気の無分別で済ませてもらえるかもしれない。しかし、チャールズ・ダーウィン直筆の書物を盗み出して、闇マーケットで売り払い、大金を儲けてやろうというのは、どう考えても重犯罪だ。それを敢えてやろうというのだから、その意気やよし。存分にやってくれ。事実は小説よりも奇なりと言うが、大馬鹿と馬鹿と馬鹿と小利口者が計画をあれこれと練っていくシーンはそれなりに楽しい。また、役者たちの演技シーンと本人たちへのインタビューシーンが交互に切り替わるタイミングが絶妙で、重要文化財窃盗を決意する過程、そして何故それを実行に移してしまったのかという心情が赤裸々に語られるのがありがたかった。Jovianはビジュアル・ストーリーテリングを重要視するが、複雑な入れ子構造の映画も好きなのである(『 メメント 』みたいな晦渋過ぎるのは勘弁だが)。

 

本作は、アメリカの片田舎のアホな大学生がアホなノリでアホなことをやらかしてしまったという意味だけで観るべきではないだろう。内輪の仲間だけでシェアするつもりだったバイト先での愚行・・・というのとも少し違う。話を超大げさに拡大して受け取るならば、大日本帝国が第二次世界大戦に揚々と参戦していったのと同じような思考の過程、行動様式、組織構造を見出すこともできるのではないか。事前の調査不足もさることながら、これで上手く行く筈がないと誰もが思いながら、なかなかそれを言い出せない。それをようやく言い出せても、声がでかい奴に押し切られる。まるでどこかの島国のかつての軍上層部とそっくりではないか。そして、このアニマルズが服役を経ても、芯の部分では藩政をしていないのではないかと思わせるところに本作の妙味がある。あの窃盗事件の真実とは何か。『 アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル 』と同じく、事実ではなく真実を追求しているということを鑑賞中は念頭に置かれたし。

 

ネガティブ・サイド

『 オーシャンズ11 』や『 オーシャンズ8 』、『 ジーサンズ はじめての強盗 』のような華麗にして緻密な組織犯罪を期待するとガッカリするだろう。というよりも、計画のあらゆる部分に無理があり過ぎる。アホな扮装をした中年ジジイ4人組が図書館に入ってくれば、何をどうやっても注目を集めてしまうし、よしんばそれで学生たちの目を欺けたとしても、逆にそれだけ強い印象を残してしまえば、警察がしらみつぶしに在校生のアリバイを調べていけば、捜査線上に自分たちが浮上してくるということに気付かないのか。神風など、そうそう吹くものではないのだ。

 

再現ドラマパートと本人たちへのインタビューによるドキュメンタリーパートを混在させるのは、非常に面白い野心的な構成だが、本編ドラマでもっと凝ったカメラワークが欲しかった。なぜ自分たちは満たされないのか。なぜ自分たちは特別になれないのか。自分たちと特別な人間の境目は何か。逆に、自分たちは凡百の人間ではない、あいつらとは違うんだ、という中二病全開思考を表すようなショットが欲しかった。キャンパスの芝生に寝そべって、他愛もないおしゃべりに興じる大学生たち、といった平凡な、しかし色鮮やかなショットが効果的にちりばめられていれば、アニマルズのダメさ加減や哀れさがもっと際立ったであろう。

 

総評

高く評価できる部分と、そうではない部分が混在する作品であり、評価は難しい。しかし、鑑賞後のJovianの第一感は「何じゃ、こりゃ?」だった。シネ・リーブル梅田推しの作品でも時々ハズレはあるのである。しかし、単なる物語の再構築以上に、危険な思考の陥穽、まとめ役あるいは諌め役の欠如したチームの末路など、教訓を引き出すには良い作品であるとも感じられるようになった。マニア中のマニアであれば、『 ブレア・ウィッチ・プロジェクト 』と比べてどっちが f**k という言葉をより多く使ったか調べてみるのも一興かもしれない。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, イギリス, エバン・ピーターズ, クライムドラマ, ドキュメンタリー, バリー・コーガン, 監督:バート・レイトン, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 アメリカン・アニマルズ 』 -構成は見事だが、ストーリーは拍子抜け-

『 ザ・ミスト 』 -フランス産パニック・ムービーの珍作-

Posted on 2019年5月19日2020年2月8日 by cool-jupiter

ザ・ミスト 40点
2019年5月17日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ロマン・デュリス オルガ・キュリレンコ
監督:ダニエル・ロビィ

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TSUTAYAは時々、TSUTAYAだけでしかレンタルできません!的な作品を出してくる。本作もその一つ。大体において、この手の商品はただの製品であって作品ではないことが多い。が、Sometimes, I am in the mood for garbage. 駄作と分かっていて観るのも、亦悦しからずや。

 

あらすじ

マチュー(ロマン・デュリス)とアナ(オルガ・キュリレンコ)には、免疫疾患のため、金魚鉢的なコンテナに隔離された娘がいた。ある時、パリが地震に見舞われ、地下から謎の霧が噴出。それを吸った人々は倒れていく。娘は無事だが、機械のバッテリーがもたない。愛娘を助けるべく、マチューとアナは霧と対峙するが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 ゲティ家の身代金 』のチンクアンタを熱演したロマン・デュリスが本作でも額に汗して、子どもを守ろうとする。火事場の馬鹿力ならぬ霧場の馬鹿力で、一般人では少々無理目なアクションを易々とこなしていく・・・というような安易な展開を見せないところが良かった。リミッターが外れれば、ひょっとしたらこれぐらいなら出来るかもしれないと思わせてくれた。

 

また、金魚鉢に閉じ込められた娘が同病相哀れむように同じ疾患を抱える他の者と通信していることに意味があることも評価できる。単なるパニック・ムービー、もしくはディザスター・ムービーの場合、多くの場合は自然 vs 文明、地球 vs 人間 といったような単純、単調なテーマがモチーフになっている。謎の霧の正体は何か?いつ、どこで、どのように発生したのか?そんなことは追及しない。このあたりがハリウッド映画とフランス映画の違いなのだろう。小説にしろ、映画にしろ、人間関係を広げ過ぎず、なおかつそこにエスプリを織り交ぜてくるのがフランス流で、フランス料理のフルコースとフランス産の映画、小説は全く趣が異なる。アメリカ映画で胃もたれをおこした時には、フランス映画で中和するのも一つの手かもしれない。

 

ネガティブ・サイド

パニック・ムービー、スリラー映画とはいえ、キャラクター達の行動原理がよく分からない。いや、子どものために必死になっているということは分かる。しかし、合理的とはとても言えない行動の数々を選択するのは何故なのか。単にサスペンスフルなシーンを演出したいがためにしか見えなかった。娘のための防護服が破損していても代用品はある。例えば、『 MEG ザ・モンスター 』でも一瞬映っていたアクアボールなどは、いくらパリが海から遠いとはいえ、冷静に考えればどこかしらで調達はできるアイテムだ。変に街をかけずり回るよりも、知識と知恵をフルに活用するような展開をもっと織り交ぜられたはずだ。

 

母親の行動も、美しいと見る向きもあれば、???となる向きも多かろう。Jovianは後者である。必要なのは電池であって伝者ではない。これも無用なドラマを無理やり仕立てるというプロットありきで、人間を描くことには失敗していたように思う。

 

字幕で父親が軍隊に、「自己免疫疾患の娘がいる」と言っていたが、これは誤訳ではないだろうか。自己免疫疾患は自分の免疫系が、細菌やウィルスではなく、自分の細胞を排除の対象として攻撃してしまう疾患だからだ。もちろん、隔離に意味が無いとは言わないが、それなら娘に必要なのは免疫抑制剤なのでは?と思えてしまった。フランス語に堪能な方がおられれば、是非お確かめ頂きたい。ただし、名作傑作と言える類の映画でないことだけはご承知いただきたい。

 

総評

それなりに捻りの効いたオチもあるが、それもオリジナルというわけではない。これなら、小松左京の小説およびその映像化作品の『 首都消失 』(YouTubeで視聴可能)を鑑賞し、返す刀でハヤカワSF文庫の『 アトムの子ら 』を読んだ方が面白いだろう。あれ、微妙にネタばれしてしまったかな?どちらも相当に古い作品なので、お目こぼしいただきたい。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, オルガ・キュリレンコ, カナダ, スリラー, フランス, ロマン・デュリス, 監督:ダニエル・ロビィ, 配給会社:カルチュア・パブリッシャーズLeave a Comment on 『 ザ・ミスト 』 -フランス産パニック・ムービーの珍作-

『 The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 』 -女の園に男一匹-

Posted on 2019年5月13日 by cool-jupiter

The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 50点
2019年5月9日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ニコール・キッドマン キルステン・ダンスト エル・ファニング
監督:ソフィア・コッポラ

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The Beguiledとは、魅了された者の意味である。同時に、騙された者という意味にも解釈可能である。無理やり日本語にするなら、「 落とされた者 」にでもなるだろうか。誰が誰に騙されたのか、誰が誰に魅了されたのか。これは何とも心憎いタイトルである。

 

あらすじ

南北戦争中のアメリカは南部のミシシッピの女子寄宿学園に、傷ついた北軍兵士が舞い込んでくる。園長のマーサ(ニコール・キッドマン)や教師のエドウィナ(キルステン・ダンスト)、年長のアリシア(エル・ファニング)らは、兵士マクバニー(コリン・ファレル)を介抱するうちに、精神的な変化を自覚するようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

立ち上がりから非常に静かな映画である。音響的な意味でも静かであるし、台詞も特に多いわけではない。またドラマチックな展開になるまでにそれなりの時を要する。しかし、白を基調にしたドレスに身を包んだ婦女が、薄暗い屋敷兼校舎の中を楚々と動く様は色々な想像を掻き立てる。女の園というと、韓国の歴史宮廷ドラマの『 宮廷女官チャングムの誓い 』や『 トンイ 』が思い出されるが、これらのようなドロドロの暗闘や露骨な権力闘争などではなく、逆にこれらのドラマではほとんど触れられることの無かった、邦題で付された“欲望への目覚め”が大いに予感される。ソフィア・コッポラ監督の美意識というか、作家性なのだろう。これは心憎い。そしてこの監督の作家性は非常に露骨な形で終盤に爆発する。亀とキノコが重要なガジェットとして用いられることに笑わずにはいられようか。ここでは男性諸賢に大いに笑って頂きたいと思う。と同時に、冒頭からさりげなく小道具を仕込んでいる脚本にも拍手である。

 

女性陣ではキルステン・ダンストが特に良かった。うら若き乙女には出せない色気を出していた。というか、色気を出さないようにしようとすること自体が色気になっているという、非常に重層的な演技を見せてくれた。妖艶さとはまた違った妖しさがあり、無垢な(しかし悪女の素質にも恵まれた)スパイダーマンのメリー・ジェーン・ワトソンの成長した姿の一つの可能性の結実を見たように思う。

 

ネガティブ・サイド

原作の男性視点バージョンを未見のため何とも言いかねるが、マクバニー伍長の魅力がもう一つ伝わらなかった。確かにナイスガイではあるが、兵士としての力強さや泥臭さには欠けていた。早い話、同じ男性として、男性ホルモンがたくさん出ているような男には見えなかった。少なくとも中盤までは。女性目線で見ると異なるのだろうが、あいにくと嫁さんは未鑑賞・・・

 

Jovian期待の星の一人、エル・ファニングの見せ場が足りなかった。濡れ場ではない。見せ場である。繰り返すが、濡れ場ではない。見せ場である。濡れ場だけが見せ場ではない。期待した自分が悪いのだ。濡れ場だけが見せ場ではない。スケベ心を抱いて本作を鑑賞しようという向きは、決して過度な期待を抱くべからず。

 

総評

初回鑑賞中に痛恨の寝落ちをしたために、あらためて見直した作品である。盛り上がるところでは恐ろしいぐらいに展開が盛り上がる。だが、そうではないところでは至って静かな、噴火前の火山がゆっくりじっくりとマグマを溜めこむような趣がある。そこを楽しめるかどうか、ソフィア・コッポラ監督の美意識と波長が合うかどうかで評価ががらりと変わる作品だと言えよう。

 

Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, エル・ファニング, キルステン・ダンスト, サスペンス, ニコール・キッドマン, 監督:ソフィア・コッポラ, 配給会社:STAR CHANNEL MOVIES, 配給会社:アスミック・エースLeave a Comment on 『 The Beguiled ビガイルド 欲望のめざめ 』 -女の園に男一匹-

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