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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: D Rank

『 タバコイ タバコで始まる恋物語 』 -本音と建て前と男と女-

Posted on 2020年6月27日 by cool-jupiter

タバコイ タバコで始まる恋物語 50点
2020年6月26日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:又吉直樹
監督:中川通成

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200627224818j:plain
 

煙草に対する風当たりが強くなって久しい。『 風立ちぬ 』ですら喫煙シーンの多さで叩かれる時代である。Jovianも2012年7月23日にタバコをやめて今に至る。ある意味、2020年代では作れない映画なのかもしれない。

 

あらすじ

宮内正(又吉直樹)は馬鹿がつくほど正直な男。他人の言葉は全て鵜呑みにするし、嘘をついたこともない。おかげで合コンでは失敗続き。だが、ある日、馴染みの中華そば屋の主人からタバコをもらう。そのタバコを吸ってみると、宮内はどういうわけけ他人の本音が目に見えるようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

色々なところで芸が細かい。又吉のタバコのくわえ方、火のつけ方、たばこの持ち方、火の消し方、全てが素人っぽい。実際に喫煙者ではないのだろう。もしくは喫煙者だったとしても、見事に非喫煙者になりきった。煙の吐き出し方も、肺まで吸い込んで吐き出している時と、単にふかしているだけの時があった。タイトルの通りに、タバコの描写には一定のこだわりが見られた。

 

ヒロイン役の遠藤久美子のファッションも細かい。もともと高身長なところへハイヒールを履いているため、又吉を見下ろす構図になることがほとんどだが、はじめてキスをする場面だけはヒールではなかった。つまり、目線の高さが又吉とエンクミでちょうど合う。高飛車と呼ばれる女性が、ちょっと下に降りてきたわけで、このビジュアル・ストーリーテリングは上手い。

 

描き出される男女のステレオタイプも嫌味には感じられない程度に抑えられているので許容できる。男は女をベッドに連れ込むためならアホになる。というか、下半身と脳が戦うと大抵の場合、下半身が勝つ。脳が勝つのは、羞恥心が極度に強いか、あるいは相手に対して本気の時である。本気ではない相手に自分のセックスの感想を求めるところはリアルである。本命にそれができるとすれば、極度のナルシストか、あるいはベテラン夫婦だろう。

 

非常にコンパクトにまとまって、それなりにツイストもあり、カタルシスも感じられる。典型的なrainy day DVDだろう。

 

ネガティブ・サイド

タバコの効果効能がよく分からない。嘘をついた時にその人の本音が見えるようになると宮下正自身は得心しているが、必ずしもそうではない。ダイレクトに思考を読んでいる時も多い。昨今話題になっている賭けマージャンで正がカネを稼ぐシーンがあるが、マージャンは相手の待ちを回避しただけで勝てるゲームではない。また、せっかくのアイテムであるが、その効果に一貫性がないように見えるのは減点対象である。

 

合コンで調子に乗り過ぎた結果、会計に窮した正がクレジットカード払いをする。それは良い。問題なのは、飲食店で分割払いを申し出るところだ。飲食店や宿泊施設は一回払いしか受け付けられない。なぜならそうした店は返品が不可な商品やサービスを提供しているからだ。一回払いで清算した後にリボや分割に変更する、あるいはリボや分割専用カードを使うべきだった。

 

正の鈍さも、正直なところどうかと思う。人を疑うことを知らないことと、物事を深く突き詰めて考えられないことは、全く別の事柄だ。『 アントマン 』のスーツでも、『 続・夕陽のガンマン 』の金(ゴールド)の情報でも、誰か一人だけしかそれを持っていない、ということはありえない。『 水曜日が消えた 』でも感じたことだが、“水曜日”が消えたなら、他の“曜日”も消える/消えたのではないか?普通はそう疑うものだ。正が仕事でも恋愛でも絶好調になった時に、「仕事でも恋愛でも成果を出せる奴はこういうアイテムを持っているんじゃないのか?」という考えに至らない愚鈍なキャラクターである点がマイナス、さらにこれまでに嘘をついたことがない正直者というキャラ属性とその愚鈍さの間につながりがないのもマイナスである。

 

ストーリーそのものも極めてありきたりだ。もうちょっと捻りが欲しかった。特に序盤のとある女性の言う「彼氏はいないよ、旦那はいるけど」は必要だったか?『 アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン 』のホークアイ以前にこのセリフが日本で使われていることには少々感心したが、アベンジャーズの原作コミックの方がおそらく先だし、このセリフのおかげで、エンクミの背景がすぐに見えてしまう。色々な意味で工夫しすぎたせいで、面白さが減じてしまっているように感じた。

 

総評

悪い作品ではないが、面白い作品でもない。又吉の演技の稚拙さには敢えて目をつぶってこの点数をつけている。ただ、4~5年前、Jovianが結婚を意識していたころに観たEテレの『 オイコノミア 』で又吉が自身の恋愛観や結婚観を語っていたり、公開が延期になっている映画『 劇場 』の原作小説を読んだりしていれば、本作には興味深い点もいくつか発見できる。正の参加する合コンの回数が3回というのは、ある意味良く出来たプロットである。又吉のファンならば観ても損はないかもしれない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

obnoxious

『 ハンナ 』で gross =キモイ を紹介したが、この obnoxious はその上級版だろうか。意味は「キモイ」、「うざい」、「イヤな感じ」など、ネガティブなイメージを持つ人に対して使うことが多い。合コンで正は何人かの女子に obnoxious であると思われていた。この語が日常会話でスラっと使えれば、英会話スクールは卒業していいだろう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, コメディ, 又吉直樹, 日本, 監督:中川通成Leave a Comment on 『 タバコイ タバコで始まる恋物語 』 -本音と建て前と男と女-

『 書道ガールズ!! わたしたちの甲子園 』 -もっと書道そのものにフォーカスを-

Posted on 2020年5月29日 by cool-jupiter

書道ガールズ!! わたしたちの甲子園 45点
2020年5月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:成海璃子 山下リオ 高畑充希 小島藤子 桜庭ななみ 金子ノブアキ
監督:猪股隆一

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200529221046j:plain
 

これもTSUTAYAでふと目についた作品。今年は春も夏も甲子園大会が中止ということで、別の甲子園でも観てみるかとの潜在意識があったのだろうと勝手に自己分析。

 

あらすじ

書道部部長の里子(成海璃子)は、書道とは静かに己自身と向き合うことだと信じている。それが原因で、部員らとの折り合いはあまりよくなかった。そこに新任教員の池澤(金子ノブアキ)が部の顧問となった。部員たちは新たに活動をしていけるのか・・・

 

ポジティブ・サイド

金子ノブアキが良い味を出している。やる気のない教師でありながら、実際は心に熾火を保っている。そうしたフィクションの世界によくいる大人というクリシェな役割を、これ以上ないほどにコテコテに演じてくれた。それによって、少々演技の面でおぼつかない少女たちが年齢相応の幼さと、青春真っただ中の女子高生としのリアリティを帯びることになった。助演として素晴らしい仕事を果たしたと思う。

 

主演の成海璃子よりも山下リオの方が印象に残った。部活よりもバイトに精を出し、母親を安心させるために退学し、就職しようとする。Jovianのようなおっさんはこの手の話に弱い。青春のキラキラとした輝きも良い。だが青春の謳歌を妨げられた者が、山あり谷ありで仲間の元に帰っていくストーリーは、ベタだがもっと良い。

 

クライマックスの書道甲子園はなかなかの見ごたえである。特にトップバッターの風林火山は、その書の彩りと雄渾さ、そして『 日日是好日 』で鮮やかに映し出された瀧直下三千丈の掛け軸のごとく、視覚的に意味を伝える作りになっていて素晴らしい。書道は己と向き合う手段であり、自己表現の手段だが、他者の鑑賞を必要とする芸術媒体でもある。その意味で、地味なイメージのある書道をとてもカラフルに、華やかに描き出した本作は、単に美少女キャストを集めて作った青春映画以上の価値を有している。

 

ネガティブ・サイド

主人公の里子の因果が、どれもこれもノイズに感じられるのは何故なのだろうか。父親との確執、新任教師の池澤へのほのかな恋慕の情、心許せる友だからこその対立など、青春映画にありがちな属性が、どういうわけか邪魔に感じられる。一つには金子ノブアキと対比した時の存在感の違いか。もう一つには、ミスキャストもあるのかな、成海のような童顔でスリムで、それでいてグラマーな女子が書道をしていることの違和感が最後までぬぐえなかった。『 あさひなぐ 』の西野七瀬の眼鏡っ子というのは作りこみ過ぎているように思えるが、最高のキャスティングであったように思う。

 

ほとんど全員のキャストに言えることだが、愛媛弁がヘタすぎる。Jovianは岡山の某高校卒業生だが、そこでは兵庫や広島、鳥取に香川や愛媛の学生も寮に暮らしながら勉学に勤しんでいた。なので愛媛弁がどんなものかは体が知っている。はっきり言って女子部員全員、方言の練習が圧倒的に足りない。もしくは方言の持つ力、インパクトを過小評価している。昭和の任侠映画の広島弁や、近年なら『 ちはやふる 』の福井弁や『 ハルカの陶 』の岡山弁を聞くとよい。究極的にはアニメ『 じゃりン子チエ 』のチエをの声を演じた中山千夏(準関西弁ネイティブだが)の演技を聞いてもらいたい。方言を使いこなすことで、実際にその言葉を使う人間に、どれだけ親近感が湧くことか。もちろん役者としてはまだまだ半人前な小娘たちを使っていることは分かるが、猪股監督にはもっと成海や桜庭らを追い込んで欲しかったと思う。

 

地元商店街でのパフォーマンスの失敗もどうかと思う。いや、失敗というよりも地元民の反応があまりにも冷たすぎやしないか。都会のように、隣人すらも誰だかよく分からないという土地ではなく、良い意味でも悪い意味でも人間関係が濃密な地域である。あの程度の粗相で、せっかくのイベントに集まった群衆が散開してしまうだろうか。このあたりの人情の薄さは、多少のフィクションを交えて美化してしまっても良かった。

 

総評 

悪い作品ではないが、傑作かと言われると否である。メインキャストは総じて演技力な足りないし、また書道という極めて精神性の高い営為を独特の視点で切り取ったとも言い難い。これまたrainy day DVDであろう。もちろん、美少女キャストに満足できるのなら、その限りではないが。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

uninspiring

金子ノブアキが成海の書を見て一言、「つまらない」と評した。それの私訳である。日立のInspire the nextやホンダの車種のインスパイアをご存じの方も多いだろう。インスピレーションというのは日本語にもなっているが、その派生語である。un + 現在・過去分詞をマスターできれば、英語の表現力が一段上がることだろう。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, D Rank, 小島藤子, 山下リオ, 成海璃子, 日本, 桜庭ななみ, 監督:猪俣隆一, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画, 金子ノブアキ, 青春, 高畑充希Leave a Comment on 『 書道ガールズ!! わたしたちの甲子園 』 -もっと書道そのものにフォーカスを-

『 ソウル・ステーション パンデミック 』 - 前日譚っぽくない前日譚-

Posted on 2020年5月26日 by cool-jupiter

ソウル・ステーション パンデミック 50点
2020年5月24日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:シム・ウンギョン
監督:ヨン・サンホ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200526231838j:plain
 

『 新感染 ファイナル・エクスプレス 』のprequelである。原作の原題はTrain to Busan = 釜山行き列車で、その出発地点はソウルだった。そのソウルでのパンデミック発生の模様を描く。COVID-19の制圧に国家総動員で取り組んで一定の成果を上げた韓国社会は、ゾンビにどう対抗するのだろうか。

 

あらすじ

ヘスン(シム・ウンギョン)とキウンは無一文のカップル。安宿の料金も払えず、ヘスンが体を売って日銭を稼いでいる。そんな中、とあるホームレスがソウル駅周辺でひっそりと失血死する。ホームレスの弟は警察を呼ぶが、何故かそこに死体はなかった・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭から非常に暗澹たる気分にさせられる。韓国ではホームレスは空気なのか。『 ジョーカー 』でアーサーがテレビ番組に出演した時、“If it was me dying on the sidewalk, you’d walk right over me!”=「僕が道端で死んでいても、お前らは素通りしていくだろう!」という血の叫びが、まさにソウル駅構内およびその周辺では現実の光景になっている。こうしたEstablishing Shotのおかげで、本作は単なるホラーやパニック・アクションであるだけでなく、社会批判の意識を根底に湛えていることが伝わってくる。

 

ホームレスのおじさんの言う「病院は危険だ!」は蓋し名言だろう。ゾンビ映画で危険な場所というのはだいたいがショッピングモールがスーパーマーケットである。それは数々のゾンビ映画のオマージュに満ち溢れた『 ゾンビランド 』や『 ゾンビランド:ダブルタップ 』からも明らかである。そのセオリーを敢えて外しているのだが、この一言がまさにCOVID-19によって引き起こされた世界の医療崩壊を言い表していると考えると、非常に興味深い。

 

『 パラサイト 半地下の家族 』でキーワードとなった「におい」は本作でもフィーチャーされている。また、日本語で言うところの「足元を見る」行為の残酷さは隣国でも健在。武士や僧侶絡みの故事成語ではなかったか。貧困層を徹底的に踏みつけるストーリー展開は、韓国社会が徹底的なヒエラルキー構造になっていること、そしてそのような構造を打破するためには「第三身分による放棄」しかない、というのがヨン・サンホ監督の問題意識なのだろう。

 

物語は最後に結構なドンデン返しを用意してくれている。最終的に本当に怖いのはゾンビよりも人間なのか。資本主義社会の行き過ぎた世界を垣間見たようで震えてしまう。ゾンビによって象徴されているものは何か。ゾンビも『 ゴジラ 』と同じく時代と切り結ぶ存在である。ゾンビという存在に恐怖を抱くだけではなく、最後にはちょっぴり応援したくなるというなかなかにトリッキーな仕掛けが本作には秘められている。一見の価値はあるだろう。

 

ネガティブ・サイド

アニメーションで作る意義が弱い。アニメの良いところは、非現実的な描写が許容されるところ。極端な話、二頭身や三頭身のキャラでも存在可能なのがアニメの世界である。そこでゾンビを描く、しかも韓国産のゾンビ映画であるなら、日本もしくは世界のアニメと一線を画したanimated zombiesを描き出さなければならなかった。例えば、旅館のおばさんを倒すシーンは『 アンダー・ザ・シルバーレイク 』や『 ミッドサマー 』にあるような顔面破壊描写を、ダイレクトに映し出すことができたはずだ。

 

また市街地や病院での描写はあれど、そんなシーンはこれまで数多あるゾンビ映画で充分に観た。『 新感染 ファイナル・エクスプレス 』は、超特急列車内という究極のクローズド・サークルという、その設定自体がけた外れに面白かった。そうした設定の妙が本作にはなかった。

 

また肝心かなめの人間をゾンビに変えてしまう機序が何であるのかは、本作では一切明らかにされない。前作では、とある業績不振なバイオ企業が絡んでいるとのことだったが、本作では前日譚で当然に触れられるべきゾンビ発生騒動の発端部分がすっぽりと抜け落ちている。拍子抜けもいいところである。まさか前々日譚とか作るつもりではあるまいな。そんなクソのような企画と制作は『 プロメテウス 』だけで十分である。

 

総評

アニメ作品としても弱いし、傑作ゾンビ映画の前日譚としても弱い。本作は単独で鑑賞しても楽しめるように作られてはいるが、そのせいでシリーズものとしての魅力を失っている。韓国映画らしい容赦のないバイオレンス描写を追求した作品なら他をあたってほしい。ただ、ドンデン返しだけは結構な破壊力を秘めている。『 オールド・ボーイ 』には及ばないが、『 スペシャル・アクターズ 』よりは上である。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

ア

韓国語は名前の最後に「ア」をつけることで軽い敬称になる。『 宮廷女官チャングムの誓い 』で、主人公チャングムがほとんどすべてのキャラクターから「チャングマ(チャングム+ア)」と呼ばれていたのを、オジサン韓流ドラマファンならばご記憶のことだろう。本作でもヘスンはヘスナ、キウンはキウナと呼ばれている。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, SFアクション, アニメ, シム・ウンギョン, 監督:ヨン・サンホ, 配給会社:ブロードウェイ, 韓国Leave a Comment on 『 ソウル・ステーション パンデミック 』 - 前日譚っぽくない前日譚-

『 月極オトコトモダチ 』 -男女の友情は成立するか-

Posted on 2020年5月14日 by cool-jupiter

月極オトコトモダチ 55点
2020年5月12日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:徳永えり 橋本淳
監督:穐山茉由

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200514203303j:plain
 

男女の友情は成立するか否か。こうした問いそのものに、個人的的には意味がないと思っている。これが普遍的な命題になりうるとはJovianは思わない。男女というのは何歳の男女なのか。友情の定義とは何か。セックスフレンドとは友達なのか愛人関係なのかそれ以外の関係なのか。正解はない。だが、答えは様々にありうる。

 

あらすじ

WEBメディライターの望月那沙(徳永えり)は、レンタル友だち柳瀬草太(橋本淳)と出会う。そして二人の関係を記事にしていく。一方で、那沙のルームメイトの珠希は音楽を通じて草太と距離を縮めていく。那沙は草太との関係をどうすべき悩み苦しみ・・・

 

ポジティブ・サイド

何とも不思議なリアリティに満ちている。それは男女の友情をテーマにした物語から生じているのではなく、アラサー女子のそれらしい立ち居振る舞いやルームメイトとの関係性、仕事への打ち込み具合、そうしたものがとてもリアルに感じられる。それは徳永えりが正に等身大の、結婚願望がなさそうである、かつバリキャリになりきれないアラサー女子を自然体に見える形で演じているからだろう。そして、そうしたキャラクター同士の掛け合いをごくナチュラルな視点から撮影し、かつごくナチュラルに発生する対話に巻き込んでいく。映画というよりは演劇的である。この演劇的な演出がストーリーテリングの上で奏功している。

 

「コントロールできたら恋じゃない」、「コントロールできたら、それは愛」といった格言めいたセリフが飛び交うのもドラマ的だ。Jovianがあまり滔々と堂々と女性論をぶつと妻に殺されるので、ごく一般的な男性論だけを語らせてもらえれば、男は脳で考えている。だが、脳内の思考のおよそ3~4割は下半身由来であると思われる。これが中学生や高校生だと脳内思考の7~8割は下半身由来だろうか。どうすれば、この下半身からの支配から逃れられるのか。その答えの一つが草太の言うスイッチなのだろう。そのスイッチがどういったものであるのか、興味のある男性はぜひ本作を鑑賞されたい。

 

本作のテーマは『 はじまりのうた 』のダンとグレタの関係の相似形であり、『 娼年 』の逆バージョンであり、『 “隠れビッチ”やってました。 』の裏バージョンでもある。男女の関係、と言えば、そのまま肉体関係を指すことが多いが、それすなわち関係の進展もしくは破綻とはならない。答えのない問いかけに一定の答えを出そうとしたという意味で、本作のチャレンジは認められるべきである。

 

ネガティブ・サイド

Jovianは映画の長さは1時間30分~1時間55分ぐらいが理想的だと思っている。その意味では本作は1時間18分と少々物足りない。『 生理ちゃん 』も75分と少々物足りなかったが、やはり映画は2時間弱はあって欲しいと思うのである。

 

砂浜でのサッカーシーンはノイズであるように感じた。女性が得意げに球を扱う。男性がドリブルで女性の股抜きをする。その象徴するところは極めて性的である。こうした演出を挿入するなら、それこそ挿入直前まで描いて、しかしやはり未遂に終わりました。これでよかったのではないか。

 

那沙が珠希と衝突するのもクリシェでしかない。ドラマとは意外性から生み出されるべきで、普通に予想される事柄から生み出されるべきではない。気になっている男が、自分の友人と共同で何かをおこなっている。その姿にたまらない嫉妬や焦り、敗北感を募らせる。いったい、いつの時代の少女漫画なのか。那沙の会社の編集長ではないが、いつまで純情ぶっているのか。

 

総評

着眼点は良いと思うが、その後の展開にひねりがない。いつの頃からか、オタク連中は日常系の深夜アニメをありがたがるようになったが、映画がそれをやってはおしまいである。もし、そうした方向に舵を切るなら、例えば『 セトウツミ 』のように、独特の見せ方を追求すべきである。そうした意味では、カジュアルな映画ファン向けではあるが、ディープな映画ファン向けな作りにはなっていない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

How about if we go out?

 

「私たち、付き合ってみる?」「俺たち、付き合ってみる?」の意味である。劇中ではどちらの意味で使われていたか、興味があれば確かめて頂きたい。How about if S + V? = SがVしてみてはどうだろうか? という意味である。How about S + V? でも同じである。TOEFLのリスニングなどでは頻出であるし、TOEICでもたまに聞こえてくる表現である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ロマンス, 徳永えり, 日本, 橋本淳, 監督:穐山茉由, 配給会社:SPOTTED PRODUCTIONSLeave a Comment on 『 月極オトコトモダチ 』 -男女の友情は成立するか-

『 ハンナ 』 -凡百のアクション映画-

Posted on 2020年5月5日 by cool-jupiter

ハンナ 40点
2020年5月5日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:シアーシャ・ローナン ケイト・ブランシェット
監督:ジョー・ライト

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200505220556j:plain
 

近所のTSUTAYAがこのご時世にもかかわらず、いや、このご時世だからか大繁盛していて、本命(多くは準新作)がどれもこれも借りられている。たまたま目についたシアーシャの“顔”だけで借りてきた。この判断は失敗だった。

 

あらすじ

フィンランドの人里離れた森でCIA工作員だった父から語学や一般教養、そして格闘術を叩き込まれた少女ハンナ(シアーシャ・ローナン)に、ついに外の世界へ巣立つ時期がやってきた。だが、かつての父の同僚メリッサ(ケイト・ブランシェット)がハンナを執拗に追跡してきて・・・

 

ポジティブ・サイド

ハンナが各国の言語を流暢に操るシーンはとてもクールである。同時に初めて出会う人々とずれたコミュニケーションを取る様は非常に滑稽でもある。どこか『 ターミネーター 』的である。クリシェであるが、そこはまあまあ面白い。

 

年端のいかない暗殺者というのは死ぬほど量産されてきたキャラで、化粧っ気がゼロだが、そこが魅力的でもある。野生児の風味があるところがいい。アクション、特に近接格闘前に逃げるところに動物らしさが見て取れる。Fight or flightである。

 

16歳の少女らしく、開放的な世界でのアバンチュール的展開もある。ここで妙なときめきを感じたりしないところもgood。ストーリー進行を妨げていない。友人となるソフィーとのsleep-overも良いムードである。血も涙もない殺人者ではなく、かといって動物的な勘性だけに染まっているわけではない。ある意味でとても無垢な少女という印象を観る者に刻み付けてくれた。

 

10代のシアーシャを本作で堪能されたし。

 

ネガティブ・サイド

トム・ホランダーの演じる追走者一味がかなり間抜けだ。迷路状の貨物置場でチェイスしている最中に口笛を吹くか?ここでのロングのワンカットは緊迫感溢れるシークエンスだったが、ホランダーの口笛がその空気をぶち壊しにしたように感じた。他にも余裕をぶっこいておきながらエリックの逃走を許す。あるいは格闘戦で普通に負けるなど、とてもCIAエージェントたるマリッサが「裏の仕事を任せたい」と頼る相手とは思えない。見た目も間抜けで実力もイマイチ。なぜこのような設定になってしまったのか。

 

『 オールド・ボーイ 』でも感じたことだが、なぜハンナは初めて触れるパソコン、そしてインターネットを使いこなせるのか。父親から話に聞いていたとはいえ、数分で使いこなせる代物ではないはずだ。また、元CIAであるエリックの情報がネットでほいほいと簡単に手に入るのもおかしい。本物のCIA職員からすれば噴飯ものだろう。

 

マリッサの行動も意味不明なものが多い。サイレンサーを持っているなら、毎回それを使えと言いたい。なぜ街中で銃をぶっ放す時に使わないのか。そして、わざわざ仕留めた相手をよっこらせとばかりに運んだというのか。そんなことをしている暇があるのなら、ハンナというターゲットをしっかりと追いかけろと言いたい。

 

そのハンナとマリッサの対決シーンも腑に落ちない。フィンランドの雪原および森林をホームに育ったハンナが、なぜ待ち伏せて狙い撃ちする戦術を選択しなかったのか。せっかくの決め台詞が、やはり間抜けに聞こえてしまう。全く同じ構図の絵作りをしている作品に『 ウインド・リバー 』がある。完成度はそちらの圧勝である。

 

字幕が余計なことをしている。どの部分とは言わないが、ケイト・ブランシェットの台詞とだけ指摘しておく。

 

総評

凡百のアクション映画である。10代のシアーシャ・ローナンが見られるということぐらいしか特徴がない。だが、シアーシャのファンならば観ておく価値はある。大女優や大俳優の多くも、クソ映画に出演して腕を磨いたのだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

gross

GNP = Gross National Productのgrossだが、日常会話では圧倒的に「キモイ」の意味で使われる。同義語はcreepyやobnoxiousである。劇中では、朝ごはんとして皮剥ぎのウサギを調達してきたハンナに、ソフィーが一言“That’s gross.”=「キモイよ」と言い放つ。服でも食べ物でも容姿でも言動でも、なんでもgrossと言うことで不快感や嫌悪感を表明することができる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アクション, アメリカ, ケイト・ブランシェット, シアーシャ・ローナン, 監督:ジョー・ライト, 配給会社:ソニー・ピクチャーズエンターテインメントLeave a Comment on 『 ハンナ 』 -凡百のアクション映画-

『 スプリング・ブレイカーズ 』 -Nothing Lasts Forever-

Posted on 2020年4月28日 by cool-jupiter

スプリング・ブレイカーズ 50点
2020年4月27日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジェームズ・フランコ セレーナ・ゴメス ヴァネッサ・ハジェンズ アシュリー・ベンソン レイチェル・コリン
監督:ハーモニー・コリン

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200428234337j:plain
 

『 アジョシ 』のあまりにも重い余韻を中和しようとアニメの『 11人いる! 』を鑑賞したが、効果は薄かった。こういう時は脳みそを使わずに済む作品を観るべし。というわけで近所のTSUTAYAで観た瞬間に「これだ!」と確信した。

 

あらすじ

 

大学生のフェイス(セレーナ・ゴメス)、キャンディ(ヴァネッサ・ハジェンズ)、ブリット(アシュリー・ベンソン)、コティ(レイチェル・コリン)の4人組は春休み=スプリング・ブレイクにフロリダ旅行に出かけようと計画する。勢いで行った強盗で思いがけぬ大金を手にした4人だが、当然警察に見つかる。彼女らは窮地を麻薬の売人のエイリアン(ジェームズ・フランコ)に救われて・・・

 

ポジティブ・サイド

本作のような作品は何をもってポジティブと見なすかが難しい。開始5分はビーチで乱痴気騒ぎに興じる若い男女(ポロリやモロ出しもあるよ!)にありふれたBGM。次の3分は大学の授業中に猥談する女子大生、次の25分は途中に強盗行為も挟みつつ、基本的には水着、おっぱい、酒、たばこ、ドラッグ、直接的な描写こそないものの乱交である。30分画面をながめていて、ずっと水着、おっぱい、酒、たばこ、ドラッグの描写しかない。なんという金太郎飴的な作りか。だが、自ら望んでこういう映画を借りたのだ。アシュリー・ベンソンらの健康的な水着姿やトップレス姿を楽しもうではないか。

 

最も目についたのは麻薬の売人のジェームズ・フランコの怪演。銀歯をぎらつかせながら放蕩生活を送るポン引き的な外見で、札束とドラッグと銃火器をたんまり溜め込んだ謎の男で、しゃべり方がまさに南部のストリート育ちという感ありあり。さらに日本で例えるなら、シンナーのやりすぎで前歯と前歯の隙間がすっかすかに空いた人間が、空気を漏らしながら喋っている感じ。怖い。そしてキモイ。逆フェラをかます様子は、単純に滑稽で、それでいて剣呑だ。笑顔が特に不気味で、『 スパイダーマン 』シリーズのハリー役の頃の若々しさや、能天気と言えるほどの無邪気さはまったくない。極端な役はある意味で演じやすいとはいえ、これはイメージが変わりすぎ。フランコの顔や雰囲気が好きというライトなファンは、本作は敬遠した方が良いかもしれない。

 

アホな女子大生たちの刹那的な歓楽の享受がテーマであるように見るが、さにあらず。ブレイカーズの面々は必ずしも皆が同じというわけでなない。信心深い者もいれば、用心深い者もいる。一方で今しか見えていないように見えるお馬鹿女子も、旅先のフロリダから家族に連絡を入れ、春休み明けには学業に本腰を入れると真面目な顔で宣言する。そしてそれは嘘ではない。もしもその場しのぎの嘘ならば、電話を切った直後に仲間と一緒に大笑いするだろうからだ。そんなシーンはなかったし、彼女ブレイカーズは反応の仕方こそ違えど、青春の終わりを予感している。日本でも成人式の日に酒をがぶ飲みしたり、喧嘩したり、周囲に迷惑をかけて「こんなことができるのも今日が最後っすから!」みたいな連中が昔も今も存在している。本当は成人式は「こんなことができなくなる最初の日」だ。青春との別れを従容と受け入れる者もいれば、その別れから全力で走り去ろうとする者もいる。あまりにも紋切り型で金太郎飴のような作りの前半の描写の意味が、最後の最後で明らかになる。Spring Break Forever! 本作を日本版に換骨奪胎したのが『 チワワちゃん 』であろう。

 

ネガティブ・サイド

事件らしい事件が起きて、ドラマが動き出すまで1時間かかる。展開が恐ろしいほどにスローである。もちろん、全ては意図があっての構成なのだろうが、レンタルやストリーミングで自宅でこれを見るとなると、普通に寝てしまう人が続出するだろう。というか、映画館でも寝てしまうのでは?

 

ブレイカーズの面々の退屈なキャンパスライフや、満たされないセックスライフを描くシーンがあれば、フロリダの解放感やパリピな人々との交流の楽しさがもっと伝わったのでは?また、フェイスやコティがグレイハウンド・バスでフロリダを去って家路に着く流れは、もう少し尺を取っても良かった。明らかに南国な植物が繁茂するエリアから、だんだんと無機質な背景に変わっていく様をバスの車窓を通じて見せれば、フロリダから物理的に離れていくことが、若さとの精神的な決別になるというシネマティックな表現になっただろうにと思う。

 

J・フランコ演じるエイリアンは実に味のあるキャラクターだが、『 スカーフェイス 』を常時再生しているというのは、演出的に外れている。アル・パチーノの壮絶な生き様と死に様をリスペクトしているなら、同じように壮絶に生き、壮絶に死んでいってほしい。生き方そのものが軽佻浮薄なのは良いとしても、死に方がちょっと・・・ 若気の無分別を象徴するキャラクターで、だからこそキャンディとブリットは、イエスを裏切った直後のユダよろしく、エイリアンにキスをするのだろう。エイリアンの生き方をもっとギャングスターらしくするか、死に様をもっとドラマチックにするか。さもなくば『 スカーフェイス 』に言及するくだりを丸ごと削除すべきだろう。

 

総評

思いがけず深いテーマが潜んでいるが、単純にパリピな若者たちがワーワーキャーキャーやっていて、ところどころにセクシーな姿態が見られるというBGVとしても観ることができる。というか、そういう作品を自分でチョイスしたんだった。20歳前後ならば、感情移入できるかもしれないが、中年が鑑賞すると「自分にもこんな時期があったな」と懐かしく振り返るか、「自分にはこんな時期はなかった」と恨めしくなってしまうかのどちらかだろう。ある意味、空っぽな青春だったか充実した青春だったかを確認するためのリトマス試験紙のような映画である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Nothing lasts forever.

劇中の台詞でないが、まさに青春時代は永遠には続かない。Nothing lasts forever. は直訳すれば「永遠に続くものは何もない」、意訳ならば「どんなものでもいつかは終わる」ということである。楽しい青春時代も、現在のようなコロナ禍も、何事もいつかは終わりを迎えるものなのである。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アシュリー・ベンソン, アメリカ, ヴァネッサ・ハジェンズ, クライムドラマ, ジェームズ・フランコ, セレーナ・ゴメス, レイチェル・コリン, 監督:ハーモニー・コリン, 配給会社:トランスフォーマーLeave a Comment on 『 スプリング・ブレイカーズ 』 -Nothing Lasts Forever-

『 オールド・ボーイ(2014) 』 -迫力がダウンしたリメイク-

Posted on 2020年4月15日 by cool-jupiter

オールド・ボーイ(2014) 50点
2020年4月13日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ジョシュ・ブローリン エリザベス・オルセン シャルト・コプリー
監督:スパイク・リー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200415232244j:plain
 

『 オールド・ボーイ 』のハリウッド版リメイク。オリジナルとリメイク、両方見比べるのも乙なものである。邦画は韓国映画にいつの間にか置き去りにされてしまったが、ハリウッドはどうか。

 

あらすじ

うだつの上がらないセールスマンのジョセフ・デューセット(ジョシュ・ブローリン)は、いきなり拉致され、監禁されてしまう。そして、閉じ込められた部屋のテレビで、妻が殺害され、その容疑者が自分であることを知る。誰が、いったい何のために・・・ そして20年が過ぎた時、彼は突然解放されて・・・

 

ポジティブ・サイド

エリザベス・オルセンの濡れ場、これに尽きる。眼福であった。

 

で終わったら、レビューでも何でもないので真面目に書く。ジョシュ・ブローリンの起用は正解だった。2018年総括でジョシュ・ブローリンを海外最優秀俳優の次点に挙げさせてもらったが、サノスという史上最強級のヴィランを演じる男は、生身でも相当の強者でなければならない。暴れるのを見ていて違和感がなかった。また、険のある顔もいい。特に目当ての餃子を見つけて、確信を得るためにそれを貪り食う時の表情は、本家チェ・ミンシクに負けていなかった。

 

黒幕役に配するのが、Jovianだけが名作だ傑作だと騒いでいる『 第9地区 』のシャルト・コプリーというのも、趣があっていい。分かりやすい悪役というのはブリティッシュ・イングリッシュを話すか、あるいはロシア語訛りの英語を話すというのが、ハリウッドから決して消えないクリシェである(そのうち中国語訛りの悪役がわんさか登場するだろうが)。韓国版にあった、いつでも死ねるスイッチというやや意味不明なガジェットは削除。その代わりに、ボディガードを女性にすることで、薄っぺらい悪役との印象をさらに濃くすることに成功した。ジョセフに「タイムリミットまでに謎を解け」と迫るのも、小物感があってよい。裏で糸を引いている人間がちっぽけに見えれば見えるほど、計画の壮大さが際立つ。

 

アクション・シーンはなかなかの見ごたえ。街のチンピラではなく、アメフトのプレーヤーたちをなぎ倒していくことで、ジョセフのスーパー・パワーアップをきっちりと説明。オリジナルにあった廊下での大立ち回りは本作にも引き継がれ、金づちを使うアクションの量もアップ(その分、ボクシング要素はダウンしたが)。特に、その直前に『 ボヘミアン・ラプソディ 』で主演を張ったラミ・マレックが頭をカチ割られるシーンは痛快だ。オリジナルにはなかった『 ショーシャンクの空に 』へのオマージュなのか、マレックが最後にかけられる言葉が「モンテ・クリスト伯」というのもなかなか面白い(『 ショーシャンクの空に 』では、”Count of Monte Chrisco”だった笑)。

 

オリジナルとは異なるエンディングも個人的には納得。オリジナルを鑑賞した時に「オ・デスはこうするのでは?」と思った行動をジョセフが取ってくれる。『 パラサイト 半地下の家族 』のソン・ガンホの行動に相通ずるものがある。このあたりのアメリカ流の解釈は気に入った。

 

ネガティブ・サイド

えらくきれいなシロネズミがジョセフの監禁先に現れるが、そこはドブネズミだろう。スパイク・リーのセンスを疑う。また、オリジナルでオ・デスがエアロビのインストラクターや女性歌手に欲情したシーンも、こちらには輸入されず。代わりに定期的に差し入れられる酒を便器に流す日々。このあたりがアメリカの限界か。韓国映画が容赦なく描く人間の決して美しくないが、しかし本質的な面を描くのを巧妙に避けている。また、序盤でジョシュ・ブローリンが上半身裸で鏡の前にたたずむシーンがあるが、それもいらない。そういうシーンを挿入するのなら、痩せてあばらが浮いた体か、あるいはビール腹を見せてくれないと、監禁生活で体を鍛えまくった時とのコントラストが生まれない。このあたりもオリジナルに負けている。

 

またオリジナルの欠点でもあった、シャバに出てきた主人公が周囲の環境や新しいテクノロジーに馴染むのが早すぎるという点も解消あるいは改善されていなかった。20年も運転から遠ざかっていたら、そうそういきなりはクルマを乗りこなせないだろう。

 

クライマックスの迫力も弱い。監禁の真相を知らされたジョセフはとある自傷行為に出るが、イマイチである。躊躇なく相手の靴をベロベロ舐めまわし、情けなく犬になって尻をふりふりするオ・デスの方が遥かに衝撃的だった。

 

サミュエル・L・ジャクソンは・・・ミスキャストだったかな。サノスにへいこらするニック・フューリーに見えたわけではないけれど、この役にここまでの大物を配置する必要はなかった。

 

総評

オリジナルの『 オールド・ボーイ 』に軍配が上がる。ただし、アメリカ流の解釈も悪くはない。ますます日本版リメイクの制作が待たれる。残念ながら日本で長期にわたる拉致監禁事件は定期的に明らかになっている。今こそ日本流の新解釈が期待されるところだ。アメリカ版を先に観た人は韓国版を観よう。両方を観た人はJovianと同じように、日本版リメイク制作の機運を盛り上げようではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Hold still.

ジョセフがあるキャラを拷問にかける時に言うセリフである。「動くな」、「じっとしていろ」の意である。stillというのはなかなかに味わい深い語である。日本語でスチル写真やスチル画像というのは、このstillであり、その原義は「動かない」である。I still love you.=「I love youという状態は動いていない」=「僕はまだ君を愛している」というわけである。「まだ」と辞書に載っていることからyetと混同する人が多いが、still=動かない、というイメージで把握しよう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, D Rank, アメリカ, エリザベス・オルセン, シャルト・コプリー, ジョシュ・ブローリン, スリラー, 監督:スパイク・リー, 配給会社:ブロードメディア・スタジオLeave a Comment on 『 オールド・ボーイ(2014) 』 -迫力がダウンしたリメイク-

『 いなくなれ、群青 』 -青春とは拘泥、成長とは妥協-

Posted on 2020年4月5日 by cool-jupiter

いなくなれ、群青 50点
2020年4月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:横浜流星 飯豊まりえ
監督:柳明菜

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200405190508j:plain
 

これもたしか梅田ブルク7で公開されていたが、観に行けなかった作品。なかなかにartisticではあったが、cinematicではなかった。では、dramticだったか?うーむ・・・

 

あらすじ

七草(横浜流星)は気が付くと階段島にいた。この島にいる人たちは、なぜ自分がここにいるのか誰も知らない。島での生活に溶け込んだ七草は、しかし、幼馴染の真辺由宇(飯豊まりえ)と再会したことで、様々な人間模様が泡立ち始め・・・

 

ポジティブ・サイド

何というかPS2ゲーム『 ICO 』と『 CROSS†CHANNEL 〜To all people〜 』の一部の要素を抜き出してきて、足し合わせたような世界である。こうしたミステリアスな世界観は嫌いではない。魔女が支配する島、という響きも悪くない。古今東西、魔女は様々に再解釈され、そのたびに新しい世界観を生み出してきた。魔女は恐怖の対象であるだけではない、もはやない。『 魔女の宅急便 』しかり、変化球だがPSゲームの『ファイナルファンタジーVIII 』しかり。本作では明かされることのない魔女の正体だが、そこには支配者としての属性と庇護者としての属性、その両方が感じ取れる。こうした様々な解釈や考察の余地をほどよく残す作品で、賛否は分かれやすいだろうが、好きな人はとことん好きになれる世界観である。

 

本作のミステリアス、そしてファンタスティカル(fantasitical)な点を決定づけるものは、島の名前にもなっている“階段”である。もちろん、物理的な意味での階段ではなく、何かの象徴としての階段であることは明らかで、それが階段島にいる面々、特に真辺や七草ら高校生にとっては意義深いものであろう。我々はよく「●●への階段を上る」などと言ったりする。そして、階段島の階段を“一人で”上り切れた者はいないと言う。その意味するところは極めて明快である。

 

それは同時に、“群青”の象徴するものも明らかにしている。晴れ渡った空の色であり、文字通りの意味では“青”の“群れ”となる。終盤に空へと消えていく真辺由宇は、青春との決別の一つの形である。青春の終わりというのは、だいたいにおいて妥協なのだ。そして青春の始まりは、自意識の一部の極端な肥大化である。やたらと理屈っぽい奴、感情的な奴、逆に無関心・無感情な者など、何らかの特徴を自分で自分に与える過程とも言えるかもしれない。青春とは自己内対話の極まった形と定義してもよいのかもしれない。本作のキャラクターたちの、どこか誌的で、全体的に感情に欠ける対話の数々は、『 脳内ポイズンベリー 』と対比してみると面白いかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

ドラマチックさに欠ける。それは間違いない。こういう作品は映画よりも、むしろ部隊演劇にすべきでは?と感じる。

 

飯豊まりえは演技力・表現力ともに今一つ。顔の表情だけで演技している。ふとした仕草もなく、声の出し方に工夫もない。原作に忠実なのかもしれないが、映画的とは言えない。同じことは横浜流星にも当てはまる。観念的・哲学的な対話をしばしば繰り広げるが、小説ならばそれでも良いし、舞台や野外円形劇場で上演するのなら、これも一つの演技・演出だろう。だが、どうにも映画的ではない。

 

映画は、何よりも視覚的に最も強く訴えてこなければダメだ。セリフでもってシーンを動かしていくなら、『 シン・ゴジラ 』や『 脳内ポイズンベリー 』のような超高速会話劇を志向するか、あるいは映像でもってセリフを補完するような演出を強めるべきだ。それが最も強く感じられるのは終盤およびエピローグ。無駄にだらだらと長い。ミステリアスなタイトルの「群青」の意味を思わせぶりなセリフとシーンで伝えようとするのではなく、群青の空を背景に一気に『 いなくなれ、群青 』というタイトルを映してしまえばよいのではないか。特に本作のような思弁的な作品は、説明してはならない。観る者の理性や知識ではなく、感性や直感に訴える方がはるかに効果的であると思われる。『 ここは退屈迎えに来て 』のような切れ味の鋭さは本作にこそ求められる。そうした方が余韻が残る。無意味に長いエピローグは完全に逆効果である。

 

原作の小説はシリーズ化されているようだが、続編の映画は作れないだろう。今でもキャストの年齢・容貌に無理があるのだから。

 

総評

映像化は成功している。海外や空の美しさを見事に捉えたショットが散りばめられている。また音楽も良い。特にピアノとバイオリンの合奏シーンは、近年の邦画では『 蜜蜂と遠雷 』のクライマックスの松岡茉優の演奏シーンに次ぐものであると感じた。一方で、ストーリーテリングは破綻している。いったんページを繰る手を止めて思考することができる小説と違い、否応なく場面が進んでいく映画なのだから、説明するのではなく、一発で理解できるような見せ方を追求すべきだった。これが原作未読者の感想である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Be gone, my blues.

『 いなくなれ、群青 』というタイトルおよび七草の台詞の試訳。解釈はそれこそ無数にあるが、字義通りの意味と象徴的な意味の両方を備えたblueを使ってみようと直感した。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, D Rank, ファンタジー, 日本, 横浜流星, 監督:柳明菜, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:エイベックス・ピクチャーズ, 飯豊まりえLeave a Comment on 『 いなくなれ、群青 』 -青春とは拘泥、成長とは妥協-

『 ココア 』 -甘味を知ってこそ苦みが際立つ-

Posted on 2020年4月1日2020年4月1日 by cool-jupiter

ココア 50点
2020年3月31日 自宅にて録画鑑賞
出演:南沙良 出口夏希 永瀬莉子
演出:阿部博行

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200401224950j:plain
 

第30回フジテレビヤングシナリオ大賞なるものがあるらしい。それを14歳にして受賞した俊英がいる。その作品を映像化したのが本作である。Jovianお気に入りの南沙良出演ということで録画していたが、なぜ今まで観ることがなかったのか。単純に忘れていたからに他ならない。では何故思い出したのか。2020年3月4日のNHKの深夜ドラマ『 ピンぼけの家族 』を観ようとしたら録画失敗していたからである。嗚呼、南沙良・・・

 

あらすじ

家にも学校にも居場所がない灯(南沙良)、両親の不倫に苛まされている香(出口夏希)、笑顔を決して見せない志穂(永瀬莉子)の3人の女子高生。生きづらさを感じる彼女たちだが、周囲の人間とのちょっとした交わりから変化が生まれて・・・、

 

ポジティブ・サイド

どことなくビジュアルノベル『 428 〜封鎖された渋谷で〜 』なテイストが感じられるドラマである。場所が渋谷だからではなく、一見無関係に見えた登場人物たちが、実はどこかでゆるくつながっていてもおかしくないのだ、という感じが実によく似ているのである。

 

南沙良の鼻水たら~りは『 志乃ちゃんは自分の名前が言えない 』に引き続き健在である。日本の女優の涙にくれるシーンの極北としては『 万引き家族 』の安藤サクラの落涙か、南沙良の鼻水だろう。

 

表現者としては浦上晟周が良い味を出している。演技に垣間見えるぎこちなさそれ自体もも、演技なのだろう。気になるクラスメイトの女子に猛アタックを仕掛けるところ、無理やり距離を詰めて座ろうとするところ、問答無用でほっぺにキスするところ、それらすべてがぎこちない。ゆえに、かえって迫真性が生まれている。Jovianは高校生の頃、上のような行為のいずれも実行できなかった。リア充爆発しろ渡辺大地と浦上晟周が、南沙良と永瀬莉子を上手く引き立てていると感じた。

 

ココアという飲み物がコーヒーと巧みに対比されている。コーヒーの苦さを美味しいと感じることができるかどうか。そうした羽化前の少年少女たちの物語として、それなりに見ごたえはあった。

 

ネガティブ・サイド

やはりテレビの限界なのか、照明のしょぼさやカメラアングルのバリエーションの乏しさが目立つ。特に目ざとい映画ファンであるならば、渡辺大地の頭上の枝の枯れ葉が、設定上はそれぞれ異なる夜であっても、位置と枚数が全く同じであることに気づくだろう。全く同じことが、川沿いの帰り道のシーンについても言える。大急ぎで撮影しました、ということがほとんどあらゆるシーンから伝わってくる。このあたりのリアリズムが、テレビ映画と劇場公開される映画の一番の違いの一つだろう。

 

主演の一角を担った出口夏希、永瀬莉子ともに表現力に欠ける。発声と表情は、まあ及第か。問題はちょっとした仕草やジェスチャーがあまりにも乏しいこと。敢えて酷評させてもらえれば、学芸会に毛が生えた程度のお芝居。役者を志すなら、年に150本は映画を観て、先達から吸収すべし。

 

本編と全く関係のないCMの愚痴になるが、第一生命のCMに出てくる看護師がナースキャップをつけていた。日本でいまだにナースキャップをつける看護師というのは、漫画かアダルトビデオぐらいにしか出てこないと思っていたが・・・ CM監督の全員がそうであるとは思わないが、もっと現実に対するアンテナの感度を高めてほしい。テレビドラマやテレビ映画の監督や演出家も同様である。

 

総評

CMの存在がこれほどウルサイとは。やはり民放の映画やドラマは観るものではないのかもしれない。ひたすらに内向的な少女のイメージの強い南沙良の、陽キャな面と陰キャな面の両方を楽しむ作品という位置づけにしかならない。案外、男子高校生ぐらいが楽しめる作品なのかな。ただ、女子高生の中には『 スウィート17モンスター 』みたいなのもいるので、奥手な男子諸君はよくよく勉強してから女子にアプローチをしよう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Are you a virgin?

「おじさんって、童貞?」の私訳である。処女でも童貞でも、性体験のない者は性別問わず英語ではvirginである。シュワちゃんの映画『 ツインズ 』では、ダメダメ兄貴のヴィンセントが弟ジュリアス(シュワルツェネッガー)に、“Are you a virgin?”と、思わず言ってしまうシーンがある。Jovianはそこで、「ははあ、男もvirginと言うのか」と学んだことをよく覚えている。

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Posted in テレビ, 国内Tagged 2010年代, D Rank, ヒューマンドラマ, 出口夏希, 南沙良, 日本, 永瀬莉子, 演出:阿部博行Leave a Comment on 『 ココア 』 -甘味を知ってこそ苦みが際立つ-

『 弥生、三月 君を愛した30年 』 -表現〇、内容×-

Posted on 2020年3月22日2020年9月26日 by cool-jupiter

弥生、三月 君を愛した30年 45点
2020年3月21日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:波瑠 成田凌 杉咲花
監督:遊川和彦

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200322230853j:plain
 

一つの物語の中でキャラクターの成長や老いを描く作品は星の数ほどある。だが、本作は三月の一日から三十一日の1日を経るごとに、1年(何年か飛ばすところもあるが)が経過していく。この見せ方と構成は非常にユニークである。

 

あらすじ

山田太郎(成田凌)と結城弥生(波瑠)は、心の奥底では惹かれ合いながらも、親友のサクラ(杉咲花)の病気、そして死によって、いつしか別々の人生を歩むことになった。互いに結婚や別離を経験しながらも、二人はいつしか引き寄せられて・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200322230911j:plain
 

ポジティブ・サイド

専門家は映画を評価する際には Form と Content の面から行う。Formとは本で言うならば、装丁であり、文字のサイズやフォントであり、テキストのレイアウトであると言える。一方でContentは物語の中身そのものである。一般に映画や本の面白さは、コンテンツで決まる。だが、時にFormそれだけで桁違いの面白さやユニークさを生み出す作品が現れることがある。クリストファー・ノーラン監督の『 メメント 』が好個の一例である。本作の、一日経つごとに一年が過ぎていくという見せ方は非常に面白い。

 

高校生から50歳手前までを同一の役者で描く試みもユニークだ。『 ぼくは明日、昨日のきみとデートする 』でも、小松菜奈が大学生から35歳ぐらいまでを演じていた。本作はその幅をはるかに上回っており、ある意味で大河ドラマ並みである。こういった大胆な試みにもっともっと邦画も取り組んでもらいたい。たとえその作品が大ヒットはしなくても、たとえばメイクアップアーティストやヘアドレッサーの技、照明の調節や光の当て方といった裏方スタッフの技術は確実に蓄積され、向上していくことだろう。その先に、第二第三のカズ・ヒロを生む土壌ができていく。突然変異を待ってはならない。豊かな才能の種を発見し、開花させなければならない。

 

本作では光と影の使い方も印象に残った。明るい背景では明るい場面と心情、薄暗い場面ではどこか沈みがちな心情、黄昏時の西日には関係の終わりが暗示されていたり、あるいは西日で満たされた病室を去る人物が完全に黒いシルエットとして映しだすことで、キャラクターの内面の闇、虚無感を表すなど、随所に工夫が目立った。なんでもかんでも光あふれる演出を施す作品が邦画には特に多い(『 君は月夜に光り輝く 』などはダメな一例だ)。真っ暗な映画館で見るからこそ光を強くしたいと思うのは理解できる。だが、真っ暗な映画館だからこそ光と影のコントラストも映えるのである。

 

今作はいまのところ波瑠のベスト・パフォーマンスになるのかな。笑顔よりも仏頂面の方が絵になる女性も一定数いる。波瑠はそんな一人だろう。『 コーヒーが冷めないうちに 』では、神経質な女性役だったが、どちらかというと感情表現を抑えた役柄の方が似合っている。ドラマや映画なら社長秘書や医師がマッチしそう。クール・ビューティー路線ではなく、満島ひかりや南果歩のような実力派路線を目指してほしい。

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200322230933j:plain
 

ネガティブ・サイド

フォームには感銘を受けたが、コンテンツ=内容には少々興ざめした。ストーリーのほとんどはトレイラーで分かってしまう。なぜにあのような予告編を作ってしまうのか。様々なシーンの演出やメッセージも、古今東西の映画で使い古されてきたものばかり。あらゆるシーンでデジャヴを感じたと言うと大げさに聞こえるかもしれないが、本作がオリジナリティに欠けるのは確かである。

 

まずもって病気で死んでいく高校生の名前が「サクラ」という時点で『 君の膵臓をたべたい 』の桜良ともろにかぶっている。そして、満開の桜に過ぎ去った幾星霜とかつての友の姿を見出すのも『 君の膵臓をたべたい 』の二番煎じである。

 

また、ラストの教室のシーンは『 傷だらけの悪魔 』と『 セント・オブ・ウーマン/夢の香り 』のクライマックスをそれぞれ足して10で割ったような迫力のなさ。というか震災をプロットに組み込むのはまだしも、放射能関連のイジメを絡める必要はあるか?いや、それをやるなら『 風の電話 』並みに取り組んでもらいたい。

 

サクラの好きだったという歌が作中の随所で重要な役割を果たすが、最後のデュエットは必要だったか。それに最後の最後のスキットも必要だろうか。日が昇り、そして沈んでいく。時は流れ、また物語が繰り返す。普遍的な事象であり、それゆえに既に陳腐化したテーマである。現に近年でも『 ライオンキング 』が再制作され、“Circle of Life”が熱唱されている。敢えて邦画がそれを繰り返す必要はない。

 

細部のリアリティに関しても改善の余地を認める。特にサクラの墓や、そこに佇立する桜の木が30年にわたって変化なしに見えるのはいかがなものか。サンタか、あるいは弥生が墓をきれいにしているという描写が一瞬でもあれば、まだ納得できたのだが。

 

電車のドアが閉まる瞬間に抱きよせる、あるいは飛び出るという描写もクリシェ以外の何物でもない。ボールを追いかけて車道に飛び出る子どもというのも、いい加減見飽きた。新しい形の表現を模索することにエネルギーの大半を費やしたのかもしれないが、中身にもほんの少しでいいから新奇さを求めてほしかった。

 

サンタの息子の歩の台詞にもおかしいところがあった。「おばさんに、『 ボールを蹴れ! 』って叱られた」と回想していたが、そんなシーンはなかった。あるいは撮影段階ではあったにせよ、編集作業の段階で誰もこの矛盾に気が付かなかったのだろうか。細部の詰めが甘いという印象ばかりが残った。

 

総評

このような新しい表現の形態は歓迎されるべきである。一方で、中身がほとんどすべてどこかで見た構図や展開のパッチワークである。評価が非常に難しい。ただ、固定電話が携帯電話に代わっていく時代の流れは面白い。40~50歳ぐらいの世代の人は本作の時間の流れに違和感なく入っていけるだろうし、若い世代は逆に古い世代のもどかしい恋愛模様を客観的に見て楽しめるのではないだろうか。ストーリーは陳腐だが、だからこそ万人に受け入れられやすいとも考えられる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Let’s not meet anymore.

「もう会わないようにしよう」の私訳。~しよう = Let’s ~。~しないようにしよう = Let’s not ~ である。Let’s not V. というのは実際によく使う表現なので、積極的に使っていきたい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, D Rank, ラブロマンス, 成田凌, 日本, 杉咲花, 波瑠, 監督:遊川和彦, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 弥生、三月 君を愛した30年 』 -表現〇、内容×-

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