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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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『 ジョナサン -ふたつの顔の男- 』 -多重人格ものの実験的作品-

Posted on 2019年6月27日2020年4月11日 by cool-jupiter

ジョナサン -ふたつの顔の男- 60点
2019年6月25日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:アンセル・エルゴート スキ・ウォーターハウス パトリシア・クラークソン
監督:ビル・オリバー

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多重人格ものには豊かな歴史がある。小説そして映画にもなった『 ジキル博士とハイド氏 』から、M・ナイト・シャマランの『 スプリット 』、日本の小説ではJovianだけが面白い面白いと評価している月森聖巳の『 願い事 』などが挙げられる。本作もありきたりのDIDものかと思わせておいて、ちょっとした趣向が凝らされていた。

 

あらすじ

建築事務所にパートタイマーとして務めるジョナサン(アンセル・エルゴート)には、もう一つの人格、ジョンが宿っていた。彼らは午前7時~午後7時、午後7時~午前7時をそれぞれ分け合って生活していた。互いの時間に経験した事柄をビデオ録画することで周囲にDID(Dissociative Identity Disorder)であることを知られずに生活していた二人だったが、いつしかジョナサンはジョンの行動にちょっとした疑問を抱くようになり・・・

 

ポジティブ・サイド

多重人格ものの歴史は長い。異なる人格同士は対立または協力関係にあるのが定石である。本作はどうか。35歳以上の世代なら漫画原作でテレビドラマ化もされた『 銀狼怪奇ファイル〜二つの頭脳を持つ少年〜 』を覚えておられるだろう。本作はそういう物語である。しかし、本作が最もユニークなのは、ジョナサンのもう一つの人格であるジョンの視点を観客と決して共有しないところである。それにより、観る側は否応なくジョンのビデオメッセージの裏読みをしてしまう。いや、それだけではなく、いつしか我々はビデオメッセージそのものがジョンという存在の全てであるかのような錯覚にまで陥る。これは怖いことだ。何故なら、自分という存在の半分が消えてしまったかのように感じるからだ。我々はネット上のフォーラムなど文字や画像だけでやりとりする人間にも親しみを感じる。ハンドルネームだけしか知らない人間が、ある日、突然投稿を止めただけでも不安になる。お気に入りのブログが更新されなくなっても不安になる。ジョナサンとジョンは一心同体・・・ではなく異心同体なので、片方が無事であればもう片方も無事であることが分かる。しかし、自分の身に何が起こったのか分からない。酒にしこたま酔って、道端や終点駅で目覚めた経験のある人なら、分かる感覚だろう。ジョナサンの不安を、アンセル・エルゴートは巧みに表出していた。

 

異なる人格が同じ女性と恋に落ちるというストーリーは、Jovianは映画や本で体験したことは残念ながらない。だが、これはかなりバナールなプロットではないだろうか。陳腐でありながら、しかし、その後の展開が切ない。観る者の想像力を掻き立てる見せ方、映し方は、低予算映画の常套手段である。それを室内の鏡やテーブルなど、光を反射する素材を効果的に使い、インターミッションとして暗転を用いることで、一人にして二人、一人にして不連続の存在を、映画的演出で以って描写できていた。静謐にして激しい、非常に示唆に富むエンディングには賛否両論あるかもしれないが、あれはジョンを主人格、ジョナサンを副人格とした、新たな一個人の誕生であると受け止めたい。

 

ネガティブ・サイド

残念ながら、すでに『 シンプル・フェイバー 』で既に使われたネタが本作にも仕込まれている。まあ、それも飛浩隆の『 象られた力 』所収の短編『 デュオ 』が先行して使っているトリックであるのだが。

 

また、ジョナサンの抱えるDIDは、医学的に存在しうるケースなのだろうか。別人格は生まれてくるものであって、生まれながらにDIDであるという点に疑問が残った。同時に、『 ミスター・ガラス 』でも感じたことだが、人格の交代をコントロールしうる装置が存在することにどうしても納得ができない。外部環境の改善やコミュニケーション、カウンセリングにより複数の人格も統合しうることを小説『 十三番目の人格 ISOLA 』およびその映画化作品『 ISOLA 多重人格少女 』は示した(小説は面白いが、映画はスルー推奨である)。パトリシア・クラークソンなら、『 スプリット 』におけるベティ・バックリーに匹敵するようなカウンセラーを演じられたはずなのに、どうしてこうなった・・・

 

総評

サスペンスフルであり、スリラーテイストもあり、SF的でありながら、ヒューマンドラマでもある。ジャンルとしては、ボーイズ・ラブが一番近いのかもしれない。『 銀狼怪奇ファイル〜二つの頭脳を持つ少年〜 』を楽しめたという人なら、本作もおそらく楽しめるはずだ。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アメリカ, アンセル・エルゴート, サスペンス, スキ・ウォーターハウス, スリラー, パトリシア・クラークソン, ラブロマンス, 監督:ビル・オリバー, 配給会社:プレシディオLeave a Comment on 『 ジョナサン -ふたつの顔の男- 』 -多重人格ものの実験的作品-

『 ザ・ファブル 』 -トレイラーを極力観ずに鑑賞されたし-

Posted on 2019年6月24日2020年4月11日 by cool-jupiter

ザ・ファブル 65点
2019年6月23日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:岡田准一 柳楽優弥 安田顕 山本美月
監督:江口カン

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岡田准一には雰囲気がある。オーラと言ってもいい。絵になる男である。殺し屋を演じるてもそれは変わらない。あとはヤクザ役と会社員役を待つばかりである。

 

あらすじ

その殺人の技術の高さから伝説=Fable、ファブル(岡田准一)とまで呼ばれた殺し屋が、ボスから一年間の休業および殺人禁止を言い渡される。普通に平和に暮らすために大阪の地にやってきたファブルは、ひょんなことからミサキ(山本美月)と知り合う。しかし、そのミサキが裏社会の人間に目を付けられ・・・

 

ポジティブ・サイド

不惑も近い岡田准一が、スタントマン無しで数々のアクションに挑んだことは称賛に値する。Jovian含むアラフォーの男性陣は、全裸で筋トレ・・・をする必要はないが、何らかのワークアウトを日常的に行う必要があるだろう。岡田のアクションをフルに堪能するには、『 散り椿 』のような時代劇よりも、『 図書館戦争 』のような現代のバトルの方が適している。もっと言えば、ガン・アクションと格闘技である。その格闘について言えば、漫画『 CUFFS 〜傷だらけの地図〜 』的なmaneuverが見られる。本作の原作漫画は未読なのだが、南勝久が東條仁並みにB級アクション映画ファンであるならば、是非コミックレンタルを検討しようと思う。

 

最も印象に残ったのは、殺し屋役としての福士蒼汰。正直なところ、上手い演技だとは毛ほども思わなかったが、主演クラスで出演する作品を個人的にはどれも高く評価できないことから、演技者・表現者として方向転換するべきだと常々感じていた。今回はそれを見せてくれたということで一定の評価をしたい。

 

同様のことは向井理にも当てはまる。『 君が君で君だ 』で暴力のにおいをぷんぷん漂わせる男を好演したが、優男もしくはイケメン枠の俳優は、ヤクザ役を演じることがキャリアに良い影響を与えるのかもしれない。

 

しかし、最も高く評価したいのは安田顕である。『 その男、凶暴につき 』の北野武のような狂った警察官を、いつか演じてみてもらいたい。また『 キッズ・リターン 』をリメイクするなら、柳楽優弥のキャスティングはmustであろう。

 

本作は下敷きに『 ターミネーター2 』があるように感じられる。殺戮マシーンが人間との触れあいを通じて、ジョークを学び、涙を流す気持ちまで理解するのと同じように、浮世離れした殺し屋ファブルが、そのスキルを活かして人助けをするところに面白みがある。また、このファブルは決して木石ではなく、自分の武器に愛着を持っている。車の窓から銃身の部品を投げ捨てる前に銃を凝視するところ、身の回りのものでおもちゃの銃を作ってしまうところに、『 続・夕陽のガンマン 』におけるトゥーコと共通点を見出せる。こうした細かい描写の積み重ねが映画の面白さの土台を形作っていく。

 

ネガティブ・サイド

冒頭のアクションシーンでの文字解説は不要である。『 ジョン・ウィック 』や『 悪女 AKUJO 』を意識していると思しきシークエンスだったが、であるならば作り手はもっと受け手を信頼すべきだった。ファブルという超絶技巧の殺しの達人の妙技を、映像と音響だけで伝えるように努力すべきだったし、そのようにして観客をエンターテインすべきである。

 

岡田准一は大阪府枚方市出身にして現・超ひらパー兄さんのCMをよく知っている者として、今作で披露してくれるギャグやスキットは、それほどインパクトのあるものではない。「ワイが、枚方生まれ枚方育ちの、スーパーひらパー兄さんで、おま!」が当時の関西の女子に与えたインパクトを超えるものではなかったように思う。また、枚方市出身の大阪弁ネイティブとは思えないほど、ぎこちない大阪弁であった(兵庫県民のJovianがそこまで言っていいのかどうかは分からないが・・・)。

 

江口カン監督の東京ジャイアニズム的な感性も鼻についた。JR大阪駅周辺の地図を画面に大写しにした次の瞬間に、通天閣および新世界を映すのはどういう了見なのか。大阪→新今宮→岸和田、または大阪→大阪城→枚方のような撮り方および映し方はできなかったのか。

 

全体的にシリアスなパートとギャグのパートのバランスが悪く、それが全体のトーンの一貫性を損なっていた。山本美月も変顔を披露してくれたことは称えたいが、それを吹き飛ばすほどの泣き顔もしくは笑顔が見せらないのであれば、ただの道化である。木村文乃も見せ場に乏しかった。ファブルが素人認定したmaneuverで、仮にもプロを倒してしまうというのはどうなんだ?

 

総評

原作未読者の感想としては、普通に楽しめるアクション映画である。ただ、岡田准一の新たなポテンシャルを呼び覚ました作品ではないし、物語全体のトーンに一貫性がないところも気にかかる。CM畑出身の監督なので、一瞬のインパクトを重視するきらいがあるのだろうが、映画は基本的に90~120分である。江口監督には時間の使い方にもう少し慎重かつ大胆になって頂きたい。最大の見せ場は、本編トレイラーでほぼお披露目済みなので、鑑賞を考えている人はとにかくトレイラーから距離を取るべし。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, アクション, 安田顕, 岡田准一, 日本, 監督:江口カン, 配給会社:松竹Leave a Comment on 『 ザ・ファブル 』 -トレイラーを極力観ずに鑑賞されたし-

『 アメリア 永遠の翼 』 -典型的女性賛歌だが、視聴価値は有り-

Posted on 2019年5月23日 by cool-jupiter

アメリア 永遠の翼 65点
2019年5月22日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ヒラリー・スワンク リチャード・ギア ユアン・マクレガー
監督:ミーラー・ナーイル

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Jovianは時々、英語のテストであるTOEFLを教えるが、過去問や問題集に決まって出てくる人物が何名かいる。おそらく女性で最もフォーカスされているのは、20ドル札に載ることが決まっていて、映画『 Harriet 』が2019年11月1日にアメリカで公開予定のハリエット・タブマンと、(アメリカでの)女性パイロットの先駆けであり、2018年に機体および遺体の一部が発見されたとされるアメリア・エアハートである。本作はそのアメリアの伝記映画である。

 

あらすじ

1937年、飛行家のアメリア・エアハートは世界一周を達成すべく飛び立った。二度と着陸することなく、彼女は消息を絶った。彼女の人生とは、いかなるものだったのか・・・

 

ポジティブ・サイド

まずビジュアル面でのアメリア・エアハートの再現度合いが素晴らしい。ヒラリー・スワンク以外に誰が彼女を演じられようか。メイクアップ・アーティストの助けがあれば、サム・ロックウェルもジョージ・W・ブッシュを、クリスチャン・ベールもディック・チェイニーを演じられることは『 バイス 』でも証明された。しかし、本当に求められるのは、外見ではなく内面からにじみ出てくるものを再現することで、その意味でもヒラリー・スワンク以外に適任はいなかっただろう。溢れる自信、しかしその心の奥底にある満たされなさ、結婚という因習に囚われない自由な精神、その一方で誰かをひたむきに愛する心も忘れない。このアメリアの、いわば二重性を帯びた性格や行動が、夫となるパットナム(リチャード・ギア)との関係とクライマックスの対話で最もドラマチックな盛り上がりを見せる。Jovianの先輩には自衛隊の輸送機パイロットをしていた方がいるが、その奥様はいつもその仕事を辞めてもらいたがっていた。航空業界では「空を飛ぶのが危険なのではない。墜落するのが危険なのだ」と言われるらしいが、そんなことは一般人からすればどうでもいいことだ。しかしアメリアのような飛行家にとっては、空を飛ぶこと=生きること、パットナムのような実業家にとっては彼女を支援すること=生きることだった。この二人の愛の形がすれ違う様には、哀愁とそれゆえの普通の夫婦にはあり得ない深い愛情が感じられる。趣もプロットも媒体も異なるが、先へ進もうとする女とそれを追いかけてサポートする男という構図に興味のある向きは、小川一水の小説『 第六大陸 』をどうぞ。

 

Jovianは1995年にアメリカ旅行をした時、グランド・キャニオン上空をセスナ機で遊覧飛行したことがある。その時のパイロットは、おそらく40歳前後の女性だったことをよく覚えている。彼女も、アメリアの遺児で後継者だったのだろう。そんなことを、本作を観て、ふと思い出した。

 

ネガティブ・サイド

劇中で何度かチャールズ・リンドバーグが言及されるが、彼が妻アンと共にがソビエトで受けた衝撃、すなわち女性パイロットがごろごろいて、彼女たちは男性並みにガンガン空を飛んでいた、という描写はさすがに入れられなかったか。興味のある方は、アン・モロー・リンドバーグを調べて頂きたい。

 

飛行シーンのいくつかがあまりにも露骨に合成およびCGである。空を飛ぶ飛行機の描写こそが本作の映像美の肝になるところなのだから、このあたりをもっと追求して欲しかった。『 ダンケルク 』の最終盤でも燃料切れのプロペラ機がまっすぐに滑空するシーンがあったが、あれよりも酷い合成だと言ったら、お分かりいただけるだろうか。

 

不謹慎かもしれないが、劇中で飛行機がトラブルを起こす、もしくは墜落するような描写が極めて少ない。航空機は最も安全な乗り物であることは知られているが、その一方で最も悲惨な事故を起こす乗り物でもあり、また最も捕捉が難しい乗り物でもある。航空機に関するあれやこれや、計器類の多さ、それらを読み解く難しさ、天測の重要性と困難さ、機体バランスを保つための工夫(メモ用紙のやり取りなどは好例である)の数々などを、もっと描写してくれていれば、アメリアの悲劇的な最後にもっとサスペンスとドラマ性が生まれたものと思う。

 

総評 

2017年は大型旅客機の墜落事故が世界でゼロだったことが話題になった。一方で、同じ年にはオスプレイなる機が度々事故を起こしていた。空を飛ぶということの素晴らしさと怖さを我々はもう一度、知るべきなのだろう。奇しくも昨年2018年に、アメリア・エアハートの遺骨が発見されたとの報がもたらされた。本作製作からちょうど10年。あらためて再評価がされても良い作品なのではないだろうか。

Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, アメリカ, ヒラリー・スワンク, ユアン・マクレガー, リチャード・ギア, 伝記, 監督:ミーラー・ナーイル, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 アメリア 永遠の翼 』 -典型的女性賛歌だが、視聴価値は有り-

『 ヴァレリアン 千の惑星の救世主 』 -古典的SFコミックの映画化成功作品-

Posted on 2019年5月9日 by cool-jupiter

ヴァレリアン 千の惑星の救世主 65点
2019年5月7日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:デイン・デハーン カーラ・デルビーニュ
監督:リュック・ベッソン

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MOVIXあまがさきで公開二週目の木曜日のモーニングショーで観た記憶がある。近所のTSUTAYAで何故か目に入ったので、良い機会なのでI will give it a watch again. SFの面白さが充分に詰まった逸品に仕上がっている。

 

あらすじ

28世紀。腕っこきのエージェントであるヴァレリアン(デイン・デハーン)とローレリーヌ(カーラ・デルビーニュ)は、千の種族が生きるアルファ宇宙ステーション(「千の惑星の都市」)の中心部に広がりつつある放射能汚染エリアの調査に乗り出す・しかし、それは巨大な陰謀の一部で・・・

 

ポジティブ・サイド

デヴィッド・ボウイの“Space Oddity”と共に流れる一連の映像だけで、人類と異星生命とのFirst Contact・・・のみならず、Second、Third、Fourth・・・とテンポよく伝えてくれる。何度でも言うが、ビジュアル・ストーリーテリングは映画の基本なのである。

 

ヴァレリアンとローレリーヌの関係性の描写も簡潔に、しかし丁寧に行われる。長い廊下を歩きながらの口論にも近い対話で、観る側は二人の微妙な距離と互いへの熱量の違いを明確に知ることができる。原作コミックのテンポがきっと元々小気味良いのであろう

 

『 アバター 』にも影響を及ぼしたであろう惑星ミュールのパール人も魅力的に描かれているし、何よりその生きざまが良い。小川一水の小説『 老ヴォールの惑星 』の生命体のような、とある特性を持っていて、小川も案外原作コミックから着想を得たのかもしれないと思わされた。

 

個人的にはネザを演じたクリス・ウーが気に入った。というかこの男、有能すぎる。組織の上位にある者には腹心、耳目、爪牙が必要であるとされるが、ネザは全てを兼ね備えた有能な軍人ではあるまいか。異星生命と当たり前のように交歓交流する宇宙では、人種の違いなど何のその。彼のような男と共に戦ってみたいものだ。He is definitely the kind of guy I want to go to war with!

 

本作はある意味では陳腐なクリシェの塊とも言えるが、それだけ原作コミックが時代を先取りしていた、あるいは当時の少年少女をインスパイアしたと言えるだろう。本作のクライマックスで語られる「愛とは何か」というローレリーヌの言葉には、『 インターステラー 』のアメリア(アン・ハサウェイ)との共通点が非常に多かった。ということは、クリストファー・ノーランもある意味では本作の影響を受けたと言えるのかもしれない。デイン・デハーンのキャラクターは、それこそ100年間から存在していたのだろうけれども、ね。

 

ネガティブ・サイド

情報屋トリオが言う「情報は3分割している」というのがピンと来ない。誰かから情報を1/3ずつ買うと言うのか。もしくは超絶記憶術と忘却術をマスターしていて、それで情報を分割して記憶しているとでも言うのか。このトリオは非常に味のあるキャラクターたちだが、不可解さも残した。

 

ややネタばれになるが、黒幕もしくは悪役はBritish Englishを話すというクリシェはいつになったら廃れるのか。それとも容易に廃れないからこそクリシェなのか。本作も開始早々から「こいつが陰謀の中心かな?」という人物が2人ほど目に付くが、一人はパッと見で除外、もう一人はパッと聞いた感じで怪しい、と感じてしまう。このあたりが課題なのだろう。

 

総評

リュック・ベッソンが作りたいように作るとこうなる、という見本のような作品である。頭をからっぽにして楽しむこともできるし、作中に登場する数々のガジェットやクリーチャー、あるいはシーンの構図などを分析して、先行作品や後発作品をあれこれと思い浮かべるのも楽しいだろう。ただし、SFの全盛期は1960年代の小説だった、というハードコアなSF原理ファンとも言うべき向きに勧められる作品にはなっていない。

 

Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, SFアクション, カーラ・デルビーニュ, デイン・デハーン, フランス, 監督:リュック・ベッソン, 配給会社:キノフィルムズLeave a Comment on 『 ヴァレリアン 千の惑星の救世主 』 -古典的SFコミックの映画化成功作品-

『 カメラを止めるな!スピンオフ「ハリウッド大作戦!」 』 -柳の下に二匹目のドジョウを探すな-

Posted on 2019年5月6日 by cool-jupiter

カメラを止めるな!スピンオフ「ハリウッド大作戦!」 65点
2019年5月4日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:濱津隆之 真魚 しゅはまはるみ 笹原芳子 秋山ゆずき
監督:上田慎一郎

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『 カメラを止めるな! 』の上田慎一郎監督自身によるスピンオフ作品である。というよりも続編である。今作によって、上田慎一郎という監督の嗜好がよりはっきり見えたような気がする。

 

あらすじ

前作から半年。千夏(秋山ゆずき)はショックのあまり、声を出せなくなってしまっていた。失意のうちに、髪を金髪に染め、名前もホリーとして、ハリウッドのとあるレストランで働くようになった千夏。しかし、そこにもゾンビが現れてしまい・・・

 

ポジティブ・サイド

今作ではゾンビ以外の要素として、ドラキュラもパロディ化されている。上田監督もベラ・ルゴシの『 魔人ドラキュラ 』などを観て、映画オタクになったのだろう。なぜ彼がオタクであると推測、というよりも断言してしまうのか。それは上田監督がマーティン・スコセッシ監督の『 タクシードライバー 』の最も有名な台詞(というよりも、映画史においても最も有名な台詞の一つ)を、劇中で堂々とパロっているからだ。トラヴィスとは違った意味で狂ってしまった男をぜひ堪能されたい。

 

本作でもロングのワンカットは健在である。いわゆるメインストリームの映画でも『 きばいやんせ!私 』の対話シーンや、『 愛がなんだ 』のピロートーク(事後ではないが・・・)のシーンなどでも用いられている。しかし、これほどダイナミックなワンカットは珍しい。これが上田監督の持ち味なのだろう。『 ベイビー・ドライバー 』の冒頭でアンセル・エルゴートがコーヒーを買いに行くシーンも、30回撮影を重ねて編集したものだと聞く。それを思えば、ワンカットを本当にワンカットで撮り切るというのは、ポリシーなのだろう。カメラワークに凝る人もいれば、照明に凝る人もいる。台詞回しに凝る人もいれば、役者の自由裁量にゆだねる人もいるし、反対に役者には自分のビジョンを共有し、体現してもらうように強く求める人もいる。監督が名を上げるには作品を売ることだが、それ以外にも特徴=個性を持つという方法もある。北野武ならば、暴力を媒介した人間関係を描くことだろうし、是枝裕和ならば、家族という最も小さく最も奇妙な共同体をテーマにすることだと言える。上田慎一郎は、見えている部分を見せることで、逆に見えない部分をよりはっきりと浮き上がらせることを目指しているのではないか。Jovianは『 カメラを止めるな! 』を「映画を作っている人たちを撮影する映画を撮影している人たちが映画を作っている映画」と評したが、続編たる本作もその路線を踏襲している。

 

続編というよりも、同窓会という言葉が似合うのかもしれない。前作の台詞や必殺技がそのまま使われているところがあり、これらによってJovianはスター・ウォーズにおける“I’ve got a bad feeling about this.”やターミネーターにおける“Come with me if you want to live.”などの台詞を聞いた時と同じ感慨にふけったからである。前作を堪能したという向きは、ミニシアターなどで公開されているので鑑賞してみてはどうか。

 

ネガティブ・サイド

英語が頂けない。“Do you listen me?”としか聞こえないシーンがあったが、脚本段階で専門家と言わずとも、誰か少しは英語ができる人間にチェックはしてもらわなかったのか。Jovianなら、よほどの量でなければ手弁当で引き受けるけどね。

 

全体的に前作の焼き直しで、なおかつ説明不足なところが少々見受けられた。最初のゾンビの「オエッ」は前作では巧みに説明されていたが、今作ではそれはなし。また、ポンッ!のキレももう一つだったように見えた。また真魚は、もう少し表情の練習および基礎的な発声練習を積んだ方が良いと思われる。また父親および監督役の濱津隆之の出番も思ったより少なかった。前作はしゅはまはるみとこの人のリードで成立していたのだから、今作でももう少し登場シーンおよび台詞があっても良かったように思う。

 

総評

基本的に前作の焼き直しなので、前作を楽しんだという人にはお勧めできるとも言えるし、できないとも言える。ただユーモアの点では確実に前作に劣る。それでも笑うべきポイントや感心するべきポイントはしっかりとあるので、初見の人でなければ、つまり前作を観た人であれば、1時間を費やして損をすることは無いだろう。そうそう、露骨にネスレが宣伝されるが、そこは大人の事情というやつで我慢しましょう。

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, C Rank, コメディ, しゅはまはるみ, 提供会社:ネスレ日本, 日本, 濱津隆之, 監督:上田慎一郎, 真魚, 秋山ゆずき, 笹原芳子Leave a Comment on 『 カメラを止めるな!スピンオフ「ハリウッド大作戦!」 』 -柳の下に二匹目のドジョウを探すな-

『 お米とおっぱい。 』 -栴檀は双葉より芳し-

Posted on 2019年5月4日 by cool-jupiter

お米とおっぱい。 65点
2019年5月3日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:高木公佑
監督:上田慎一郎

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『 カメラを止めるな! 』の上田慎一郎監督のキャリア初期の実験的作品である。こういう作品を見ると、上田慎一郎監督という人は、ビッグバジェット・ムービーにはあまり興味は無く、自分の信頼できるスタッフと共に、自分の思い描くビジョンを生み出すのが好きな映画人のようだ。近いタイプとしてはM・ナイト・シャマランが挙げられるだろうか。

 

あらすじ

公民館の一室に集まった互いに面識の無い5人の男。「おっぱいとお米、この世に残すとすればどちらなのか」を討議し、全員一致の結論を出すことができれば、一人につき謝礼十万円が支払われる。彼らはまずは決を取って、おっぱい派とお米派に分かれた。そして議論の戦端は開かれたのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 十二人の怒れる男 』、『 キサラギ 』、『 エグザム 』などのテイストを意識的にか無意識的にか取り入れた作品に仕上がっている。つまり、閉鎖空間内部で赤の他人同士が次第に濃密な人間関係を構築していく=濃密な対話やフィジカルな交流(それは時に暴力でもある)を行う様を映画にしたのである。上田監督は『 カメラを止めるな! 』でもその傾向は顕著だったが、一つのクローズドな空間を徹底的に撮り切るのが好きなのだろう。そして、それは本作でもある程度は成功している。

 

議論の本質はおっぱい vs お米ではない。男たちは時に功利主義的な、時に哲学的な議論を戦わせるが、その議論の根底にあるのは自らの人生観であると考えて間違いない。おっぱいに仮託して語ること、もしくはお米に仮託して語ることで、彼らのディベートは青年と壮年の世代間闘争や、フリーランサーとサラリーマン、または経営者と非正規雇用者という対立軸までも生み出していく。非常に舞台ドラマ的で、人間の心という究極の閉鎖空間の在り様を、この公民館の一室内に再現するのが監督の目論みなのだろう。それは成功した。人間の思考は根本的に分裂状態で、それらを最も巨大な意識が統合したものを、我々は通常、「自我」と呼んでいる。このような思考の過程を大仰な形で可視化することで、人は変わりうるし、現に変わるのだということを見せようとしている。好むと好まざるとに関わらず、グローバル化待ったなし、移民の増加待ったなしの日本において、対話の重要性はいや増すばかりである。そうした背景を下敷きに観れば、アホな議論に多層性が見出せるだろう。

 

ネガティブ・サイド

ところどころに意図がはっきりしないカメラワークがある。ここは天井からのショットではないだろう、ここでこそ360°のショットだろうという、少しこちらの期待と実際の撮影の間のずれがあった。こうした対話劇は、徹底的にPOVにしてしまうか、全体を俯瞰するような視点で撮り切ってしまうか、どちらかの方が良かったように思う。いずれにしろ、もっと実験的なアプローチをカメラワークにも求めたい。と感じてしまうのは、やはり『 カメラを止めるな! 』が傑作だったことの証左なのだろう。

 

暴力は、状況によっては必要な小道具だが、絵をびりびりに破るのはどうなのか。そのことについての真摯な悔悛の言葉が聞かれれば良かったのだが、そんなものはなかった。お米派の中年オヤジに対しては、どす黒い嫌悪感が募るばかりであった。もちろん、この男にはこの男なりの分かりやすい背景があるのだが、それと彼の暴挙が上手くリンクしているとは感じなかった。

 

総評

かなり観る人を選ぶ作品であろう。ドラマチックな要素はあっても、シネマティックな要素には欠ける作品なので、『 カメラを止めるな! 』に大笑いしただけの人が興味本位で鑑賞するとがっかりするかもしれない。大の男の真剣にアホな対話劇を自己に重ね合わせることができる、そうした人が鑑賞すれば、上田慎一郎の才能の一端に触れられるのだろう。

 

Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, C Rank, コメディ, サスペンス, 日本, 監督:上田慎一郎, 高木公佑Leave a Comment on 『 お米とおっぱい。 』 -栴檀は双葉より芳し-

『 ハンターキラー 潜航せよ 』 -派手な潜水艦アクションは期待するなかれ-

Posted on 2019年4月25日2020年1月28日 by cool-jupiter

ハンターキラー 潜航せよ 65点
2019年4月25日 東宝シネマズ梅田にて鑑賞
出演:ジェラルド・バトラー ゲイリー・オールドマン
監督:ドノバン・マーシュ

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『 アメリカン・アサシン 』のように、ちと欠点は抱えているものの、新時代の物語と評してよい作品である。米ロ(米ソ)の対立を描くに際して、北の海の下に潜水艦が蠢いているということは漫画『 沈黙の艦隊 』で描かれていた。あの漫画のようなスーパー潜水艦を期待してはいけない。だが、米ソ冷戦から時代は着実に移り変わっているのだと思わせてくれる作品である。

 

あらすじ 

ある時、ロシア近海でアメリカの原潜が消息を絶つ。撃沈されたものと推測された。米海軍は急きょ、ジョー・グラス(ジェラルド・バトラー)艦長率いる攻撃型原潜(ハンターキラー)を派遣するが・・・

 

ポジティブ・サイド

潜水艦映画の白眉は『 U・ボート 』や『 レッド・オクトーバーを追え! 』だろう。だが本作は、これらと同列に語るべきではない。何故なら舞台は潜水艦であっても、ストーリーの照準はキャラクターであるからだ。『 U・ボート 』のような濃密な船内生活の描写は無いし、『 レッド・オクトーバーを追え! 』のような重厚な心理戦も無い。本作は、国家という枠を超えたキャラクターたちのケミストリーにその魅力が凝縮されている。ある意味、『 ロッキー4 炎の友情 』のようなものなのだ。

 

ここでいうキャラクター達とは、二人の艦長、ジェラルド・バトラー演じるジョー・グラス艦長とミカエル・ニクビスト演じるアンドロポフ艦長である。ちなみにニクビストはスウェーデン人。こんなところもドルフ・ラングレンに通じるように思える。Rest in peace. You did a fantastic job portraying a seasoned veteran skipper.

 

Back on track. 本作は、国家という枠を壊そうとする者を、国家という枠を超えて信頼し合う者たちが食い止める物語なのだ。『 アメリカン・アサシン 』は国家が執行しようとする正義の姿が、幸か不幸か個人の復讐心と一致してしまったのだが、今作はロシア国防相によるクーデターをロシア大統領の側近とアメリカ人チーム、そして上述の二人のベテラン船乗りのタッグが防ぐ。潜水艦というのは、一度潜ってしまえば定期通信以外では海中深く隠密行動するのが基本で、まさに「将、外にあっては、君命も奉ぜざるあり。」手練れの軍人にして人間味溢れる男が、副長の諌めを聞かず、ただひたすらに自らの信じる道を貫き通す様は清々しい。世のサラリーマンの今後あるべき姿、すなわち会社の名前ではなく、個の器、知識、技能、信用を基に雄々しく生きている姿がグラス艦長に投影されているからか、一頃クソ映画専門俳優として定着しかけていたジェラルド・バトラーも、本作で息を吹き返したのではないか。

 

潜水艦アクションを期待してはいけないのだが、その他のアクションはバッチリあるので、そこは期待してもよい。特に1980年代に少年時代を過ごした世代は弾幕とは薄いものであるという思い込みがあるのだが、本作はそんな固定観念を見事に打破してくれるシーンがある。手に汗握るシーンなので楽しみにしてほしい。

 

ネガティブ・サイド

残念ながら、本作に描かれるロシア軍人たちは、誰も彼もが少々間が抜けている。それは原作小説を映画用に大胆に書き変えた影響もあるからであろうが、それにしてもリアリティに欠ける。アンドロポフ艦長は優秀な軍人のようだが、それならば何故にアメリカ原潜にケツにぴたりと貼りつかれて気付かなかったのか。だいたい、ロシア軍には歩哨はいないのか。挟み撃ちという戦術はないのか。武器をくれと言って、銃を手渡されたキャラクターがその武器を使うシーンがほとんど無いのは何故か。

 

また撃ち殺すなら、きっちり撃ち殺す。そのために撃つべき箇所は限られている。だいたい映画で水に落ちる奴というのは死んでいないのだ。水に落ちるというのは、生死を不明にしたい時のclichéである。『 キングコング対ゴジラ 』から『 フレディVSジェイソン 』に至るまで、水に落ちる=まだ死んでいない、なのである。

 

その水関連で言えば、たった今まで寒中水泳していた男の髪の毛が濡れていないのはどういうわけか。『 ニセコイ 』か。その男たちのロシア潜入シーンは、『 ゴジラ(2014) 』や『 ミッション・インポッシブル フォールアウト 』にそっくりという有様。もっとこのあたりは練り上げることができたはずだ。潜水艦や駆逐艦のシーンばかり考えていて、こういったシーンの絵作りが疎かになっていたのだろうか。

 

おそらく編集中にカットされたのだろうが、グラス艦長とアメリカ海軍の通信シーンや、ロシア軍の捜索・索敵ミッションの一部がカットされているために、全体を通して物語を観た時に、「さっきのあれは結局どうなった?」と感じるシーンがいくつかある。こうしたところが本作の弱点として挙げられる。

 

総評

ド派手なアクションを期待してはいけない。アクションファンを唸らせるような出来ではない。しかし、新時代の軍人像を確かに描いており、そこに共感できる宮仕え人(要するにサラリーマン)なら、殊のほか楽しめるのではないか。大型連休にそこまでたくさんお金を使うことはないよ、という人は映画館で本作を鑑賞するのも選択肢かもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アクション, イギリス, ゲイリー・オールドマン, ジェラルド・バトラー, ヒューマンドラマ, 監督:ドノバン・マーシュ, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 ハンターキラー 潜航せよ 』 -派手な潜水艦アクションは期待するなかれ-

『 ミーン・ガールズ 』 -高校という生態系の派閥権力闘争物語-

Posted on 2019年4月17日2020年2月2日 by cool-jupiter

ミーン・ガールズ 65点
2019年4月15日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:リンジー・ローハン レイチェル・マクアダムス アマンダ・セイフライド
監督:マーク・ウォーターズ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190417015354j:plain

高校に限らず、小学校の高学年くらいから女子は独特の群れを形成し、行動する習性が観察され始める。そしてそこには必然的に中心 vs 周辺、または頂点 vs 底辺といった序列が生まれる。本作は女子高生の闘争物語であり、アマンダ・セイフライドの映画デビュー作であり、その他の中堅キャストの若かりし頃を振り返ることもできる作品である。

 

あらすじ

ケイディ・ハーロン(リンジー・ローハン)はアフリカ育ちの16歳。動物学者の両親の仕事の関係でホームスクーリングを受けていたが、16歳にしてアメリカの高校に入学することに。そこには様々な種類の動物たち・・・ではなく、人間関係のグループが存在していた。当然のように底辺グループに属すようになったケイディは、ひょんなことからレジーナ(レイチェル・マクアダムス)とその取り巻きのカレン(アマンダ・セイフライド)のグループ、頂点グループの“プラスティックス”に属することになり・・・

 

ポジティブ・サイド

『 THE DUFF/ダメ・ガールが最高の彼女になる方法 』でも描かれた学校という舞台、いや、本作風に言えば学校という生態系におけるカースト制度が、もっとどぎつく描写される。『 ステータス・アップデート 』ではカーストの頂点捕食者の交代劇が行われたが、本作のプロットも似たようなものである。ただし本作のユニークさは、主人公のケイディがダブル・エージェントであるところだ。底辺グループの仲間に頼まれ、頂点グループの情報を流しつつ、自身はしっかりと栄光の階段を上って行くところは『 アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング! 』のようである。2004年の作品ということで、これらすべての要素の始祖が本作であるはずはないのだが、本作が現代の視点で観ても充分に面白いと感じられる要因は、学校裏サイト的なガジェットを有しているところである。これは古くて新しいネタである。

 

中盤から終盤にかけて、このガジェットが原因で騒動が勃発する。それにより、アメリカの学校もアフリカのサバンナと同じく、弱肉強食の生態系であることが漫画的に露呈する。だが、この騒乱を収める大人たち=教師たちのやり方には感心した。日本でも最近、校則をすべて廃止するに至った高校がニュースになったが、そこの高校の校長先生は、きっと本作の校長先生と多くの共通点を持つに違いない。日本でもアメリカでも、良い教師は往々にしてプライベートな属性、例えば父親であったり母親であったり、あるいは夫であったり妻であったりという顔を見せることで、生徒から異なる認知を受けるようになることが多い。実際に『 スウィート17モンスター 』で使われた手法は、大体それであった。だが、本作の教師たちはどこまでも教師に徹する。教師が主人公でもない映画にしては珍しい。校長先生と数学教師にはJovian個人として最大限の敬意を表したい。

 

本作はまた、アマンダ・セイフライドの映画デビュー作でもある。その他、レイチェル・マクアダムスの若い頃にお目にかかることも可能だ。アン・ハサウェイのファンなら『 プリティ・プリンセス 』を見逃せないように、アマンダのファンは本作を見逃すべきではないだろう。

 

ネガティブ・サイド

主人公のケイディが学校に馴染むのが少し早すぎるように感じた。学校、なかんずくアメリカのそれには冷酷非情な生態系が存在することは『 ワンダー 君は太陽 』などで充分に活写されてきた。アフリカ帰りのweirdoであるケイディが“プラスチックス”のメンバーになるまでに、もう少しミニドラマが必要だったように思う。彼女の狡猾さは生まれ持ったもの、もしくはアフリカで身に付けたものではなく、生来の頭の良さを無邪気に、なおかつ意図的に悪い方向に使ったものであるという描写は、リアリティに欠けていたからだ。

 

後はケイディの父と母の存在感がもう一つ弱かった。ホームスクールをしていたということは、父と母が教師でもあったわけで、初めての学校でケイディの感じる戸惑いが、アフリカとの違いばかりというのもリアリティに欠ける。親に教わることと他人に教わること。その違いも学校という舞台のユニークさを際立たせる演出として必要だったように思う。

 

総評

普通に良作ではなかろうか。邦画が学校を舞台にすると、往々にして恋愛または部活ものになってしまう。ちょっと毛色が違うかなというものに『 虹色デイズ 』があった。野郎同士の友情にフォーカスするという点では本作の裏腹。女同士の人間関係に着目した作品では『 リンダ リンダ リンダ  』があった。これらの作品を楽しめたという人なら、本作も鑑賞して損をすることは無いだろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, C Rank, アマンダ・セイフライド, アメリカ, コメディ, リンジー・ローハン, レイチェル・マクアダムス, 監督:マーク・ウォーターズ, 配給会社:UIPLeave a Comment on 『 ミーン・ガールズ 』 -高校という生態系の派閥権力闘争物語-

『 マイ・ブックショップ 』 -書店を巡る人間関係の美醜を描く-

Posted on 2019年4月16日2020年2月2日 by cool-jupiter

マイ・ブックショップ 65点
2019年4月14日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:エミリー・モーティマー ビル・ナイ パトリシア・クラークソン
監督:イザベル・コイシェ

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190416021739j:plain

嫁さんが思い立ったように「観たい」と言ってきたのが本作である。『 続・夕陽のガンマン 』を観て以来、どうも面白不感症に罹患しているらしい。そういう時は、自分のレーダーではなく、誰か別の人間の感性に身を委ねてみるのも一案である。

 

あらすじ

戦争の傷跡からようやく立ち直りつつある英国の海沿いの町。フローレンス(エミリー・モーティマー)はそこに、戦死した夫と共に見た書店を開くという夢を実現すべく奔走する。なんとか開業にこぎつけたものの、有力者のガマート夫人(パトリシア・クラークソン)の妨害を受けてしまう。しかし、バイト少女のクリスティーンや素封家にして読書家のブランディッシュ(ビル・ナイ)の助力を得たフローレンスは、敢然と立ち向かうが・・・

 

ポジティブ・サイド

「毅然」という言葉を辞書で引けば、今作のエミリー・モーティマーを使った挿絵が出てくるのではないか。そう感じさせるほどの会心の演技であろう。彼女の書店開業への道は ”It’s been no bed of roses, no pleasure cruise” である。銀行が融資を渋るのだが、これは当時の世相を反映しただけのものではなく、現代の現実を鋭く批評する姿勢の現れである。現代日本には、紳士服を売る店が溢れている。しかし、女性が大きなコンベンションやパーティーに着て行って恥ずかしくないスーツが売られている店は本当に少ない。銀座英國屋ぐらいしかない。これは、とある大阪の女性経営者の声である。Jovianは冒頭のシーンで、この女性経営者の声を思い出さずにはいられなかった。モーティマー演じるフローレンスは数々の苦難に負けることなく、オールドハウスを手に入れ、書籍を仕入れ、書店を見事にオープンさせるのだが、そこにパトリシア・クラークソン演じるガマート夫人の横やりが、これでもかと入ってくる。海辺の小さな町ではあるが、彼女はいわゆる、『 きばいやんせ!私 』で描かれていたような地元のボスキャラである。この町には本屋はいらない。この町に本を読む人はいない。こうした姿勢は、反知性主義、反啓蒙主義である。これまた鋭い現実批評である。政府自らフェイクニュースを垂れ流すどこかの島国の愚行をスケールダウンして見ているかのようである。

 

フローレンスには、そこから先にも数々の苦難が襲い来るのだが、ガマート夫人の攻撃を防がんと立ち上がるビル・ナイが、ここで一世一代の演技を披露する。彼の演じるブランディッシュとガマート夫人の対話は、近年の映画の中でも出色のサスペンスを生み出している。そしてビル・ナイがここで振るう渾身の長広舌は、観る者の魂を揺さぶるかのような迫力に満ちている。

 

それでも、まるで『 おしん 』のように耐え忍ぶフローレンスに、ついに限界が訪れる。このシーンは悲痛である。正義の無力さを思い知らされるかのような虚無感に襲われる。しかし、最後の最後にカタルシスも待っている。それが何であるのかはネタばれになるので言えない。ただ、始まりのシークエンスがどのようなものであったのかを脳裏に刻みつけておいてほしい。また、劇中でたびたび挿入されるナレーションにも注意を払って欲しい。しかし、払い過ぎないで欲しい。ややネタばれめいたことを言わせてもらえるなら、ノンフィクション・エッセイ『 僕の妻はエイリアン―「高機能自閉症」との不思議な結婚生活 』を読んだ時のような衝撃が待っている(ちなみに、この本のレビューは決して読んではいけない)。

 

ネガティブ・サイド

『 マンチェスター・バイ・ザ・シー 』ような陰惨、陰鬱な絵ではない。むしろ映像はやや明るく綺麗でもある。スクリーンの明るさと物語の暗さの対比が、やや適切ではないのかなと感じた。

 

フローレンスというキャラクターにも、強かさが欲しかった。お人好しが過ぎる言うか、もう少し警戒心や猜疑心を持っていても良かった。実際には夫を戦争でなくした未亡人なわけで、世の中を綺麗ごとだけで渡って行けるわけではないだろう。このような性格や気質であるからこそブランディッシュが立ち上がったのだとも言えるが、逆に言えば、このようなキャラであっては、最終盤の行動が説明できない。このあたりは賛否両論が生まれるところだろう。Jovianは否と見る。

 

思わぬドンデン返しというか、新鮮な驚きがあるところはプラスだが、『 ショーシャンクの空に 』のように、最悪であるはずの刑務所を自分の才覚で変えていく、倒すべき悪をしっかりと倒すという筋書きの物語を体験したかった。最終盤に得られるカタルシスの大部分はストーリーテリングに関わるもので、ストーリーそのものに対するインパクトの面では弱かった。

 

総評

非常に静かな映画である。しかし、登場する人物たちの中にはドロドロとした情念が渦巻いている。牧歌的な物語でも堪能しようと鑑賞すれば裏切られるだろう。だが、人間模様をつぶさに観察できる、自身を取り巻く現実との対照で映画を観るような人ならば、本作は豊穣な時間を提供してくれることであろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, エミリー・モーティマー, ココロヲ・動かす・映画社○, スペイン, ヒューマンドラマ, ビル・ナイ, 監督:イザベル・コイシェ, 配給会社:Leave a Comment on 『 マイ・ブックショップ 』 -書店を巡る人間関係の美醜を描く-

『 ビリーブ 未来への大逆転 』 -法廷ものとしてのカタルシスが弱い-

Posted on 2019年4月1日2020年2月2日 by cool-jupiter

ビリーブ 未来への大逆転 60点
2019年3月30日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:フェリシティ・ジョーンズ アーミー・ハマー
監督:ミミ・レダー

f:id:Jovian-Cinephile1002:20190401011302j:plain

同僚のアメリカ人2名(日本在住歴10年以上)に尋ねてみた。ルース・ギンズバーグは知っているか、と。答えは否であった。グロリア・スタイネムは知っているかとの問いの答えは、然りであった。ということはアメリカ史の、少なくとも一般的な知名度はそれほど高くない人物=hidden figureの物語ということで、『 ドリーム 』のような傑作かもしれないとの期待を胸に劇場へ赴いた。あらためて心するとしよう。 The worst thing you can do for a movie is to hype it up too much.

あらすじ

ルース・ギンズバーグ(フェリシティ・ジョーンズ)はハーバード法科大学院を首席で卒業するほどの能力を持ちながらも、女性であるというだけで法律事務所で職を得ることができずにいた。やむなく大学で法学の教鞭を取るも、弁護士への夢は諦めきれなかった。そんな時、夫マーティ(アーミー・ハマー)から、興味深い事例を詳細され・・・

ポジティブ・サイド

彼女の経歴を軽く調べてみた。と言っても、wikipediaの英語ページをザーッと流し読みしただけだが。そして驚いた。正に立志伝中の人物ではないか。アメリカでは州によって運転免許を取得できたり喫煙できたりする年齢が違うことがあるが、飲酒可能な年齢が男女によって異なるという法律を覆したりしているではないか。翻ってこの極東の島国では男女の別で結婚可能な年齢が異なっている。まあ、お国もようやくこの法改正に乗り出してはいるようだが、“On the basis of sex”によって決まっている無条件の男女差別はこの社会の至るところに存在している。例えば、Jovianの嫁さんの会社では、人事部長が入社式に「女性にはあまり長く働いていただこうとは思っていませんので・・・」などと言ってしまうのである。これが21世紀の話、平成の話なのである。本作は1950年代~1970年代にかけてのアメリカ社会を描いているが、この時代のアメリカの世相や社会背景が日本(のみならず多くの国)に当てはまることに驚かされる。

本作監督のミミ・レダーは映画『 ディープ・インパクト 』やテレビドラマ『 ER緊急救命室 』で、プロフェッショナリズムとヒューマニズムの両方にバランスよくフォーカスするその手腕は既に証明されている。本作の描くプロフェッショナリズムは、弁護士というトラブルシューターの仕事の難しさであり、法律という国家が国民に望む姿を明文化したものへの向き合い方であり、ヒトが人として生きることの難しさ及び尊さである。同時にヒューマニズムとは、他者を自分と同じように生きている存在として認めることである。だが、それは決して他者と自分を同一視することではない。それは時におせっかいであり、迷惑ですらありうる。劇中のルースは、依頼人や娘を自分と同一視してしまい、客観性を欠く言動を呈してしまうことがあるのだが、周囲からの厳しくも温かい支援や気付きの促しにより、彼女自身が変化し成長していく様を我々は見ることになる。それはある意味では、本筋である法廷ドラマよりも面白い。時代だ社会だとあれこれ考察するよりも、一個の人間の成長を自分に重ね合わせてみる方が、より健全な映画の楽しみ方であろう。

フェリシティ・ジョーンズおよびアーミー・ハマーの演技は素晴らしい。特にアーミー・ハマーの父親っぷりは見事である。娘に対して母の愛を語りかける姿は、まさに人生におけるpositive male figureである。こうした父親像は、洋の東西を問わず見習わねばならない。フェリシティも良い。『 博士と彼女のセオリー 』で、勤勉な学生、献身的な妻、懸命な母、そして背徳的な女性という重厚な演技を見せたが、様々な顔を持つ一個人を本作でも見事に演じ切った。

ネガティブ・サイド

RGBの周囲以外の男の、このあまりにもステレオティピカルな描かれ方はどうだ。Jovianは同じ男として、男は基本的に賢いアホで、自尊心が高く、それでいて心の奥底には妻や母に対する恐れの感情があることを知っている。それはおそらく人類の歴史において、普遍的な男の心理の真理である。しかし、そうした男の一面がほとんど描かれることが無かったのは何故なのか。それがミミ・レダーの問題意識であるというのか。本作は女性差別を乗り越えるストーリーではなく、性差別を乗り越えるストーリーではないのか。出てくる男が悉くと言っていいほど、醜悪で単細胞で矮小なのは何故なのか。このあたりのバランス感覚が欲しかった。

ルースの弁護士としての成長をもう少し丁寧に描いても良かったのではないか。模擬法廷で堪忍袋の緒が切れてしまうようでは先が思いやられるが、そこで絶妙な助け舟を出すのが夫のマーティである。彼とのチームワークというか、ケミストリーをもっと追求して欲しかった。

クライマックスもやや弱い。大逆転というよりも大転換という感じである。アメリカ独立戦争時、トーマス・ジェファソンは“All men are created equal”という一文をものした。この考え方自体が女性を排除しているものと見られても仕方がないが、ルースはそこを指摘するのではなく、極めてアメリカ的な思考の陥穽を突く。これが分かりにくい。アメリカ人にはよく分かるのだろう。アメリカの選挙では候補者がしばしば“I love freedom! Let’s make more freedom! We should make more freedom!”という、意味がありそうでなさそうな言辞を弄すると聞く。ドラマのニュースルームのシーズン1冒頭がここでも思い出される。“Can you say why America is the greatest country in the world?”という問いへの一つの答えが“Freedom and freedom”なのである。ルースはこの点を刺すが、これはアメリカ人以外にはなかなかピンと来ないだろう。Jovian自身も最初はキョトンとなってしまった。邦題で大逆転を謳いながらも、大逆転であると感じにくい。それが本作の最大の弱点になってしまっている。そこが誠に惜しいと感じられるのである。

総評

法廷ものとしては『 判決、ふたつの希望 』には負ける。佳作であるが、女性をエンパワーする映画としては『 エリン・ブロコビッチ 』や『 ドリーム 』、『 未来を花束にして 』、『 女神の見えざる手 』の方が一枚上手である。しかし、フェリシティ・ジョーンズの多面的かつ重層的な演技は劇場鑑賞に値すると言える。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, C Rank, アーミー・ハマー, アメリカ, ヒューマンドラマ, フェリシティ・ジョーンズ, 監督:ミミ・レダー, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 ビリーブ 未来への大逆転 』 -法廷ものとしてのカタルシスが弱い-

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