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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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タグ: B Rank

『 空の青さを知る人よ 』 -閉塞感に苛まされたら、空の青さを思い出せ-

Posted on 2019年10月28日2020年9月26日 by cool-jupiter

空の青さを知る人よ 75点
2019年10月22日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:吉沢亮 吉岡里帆 若山詩音
監督:長井龍雪

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これはJovianの観た限りの邦画アニメでは2019年で1,2を争う良作である。一部で『 天気の子 』とそっくりの構図(それも『 千と千尋の神隠し 』や『 天空の城ラピュタ 』から来ているのだが)があったりするが、全体的に音楽プロモ・ビデオ的だった『 天気の子 』とは違い、ミュージシャンをフィーチャーした本作の方が、より確かな人間ドラマを描いているのは皮肉なものである。つまり、それだけ本作の完成度が高いということである。

 

あらすじ

埼玉県秩父市。相生あかね(吉岡里帆)と相生あおい(若山詩音)の姉妹は両親を亡くして以来、二人暮らし。あかねは18歳の時に恋人のプロのミュージシャンを夢見る慎之介(吉沢亮)の上京にはついて行かず、地元の役所に就職した。そして今、18歳になったあおいは音楽で身を立てるために上京しようとするが、そこに13年前の慎之介の生霊が現れ・・・

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ポジティブ・サイド

良い意味で期待を裏切られた。吉沢亮が出ている作品はだいたい駄作か凡作。吉岡里帆の出ている作品はだいたい珍品。そうした私的ジンクスを2人そろってたたき壊してくれたからである。

 

まずは吉沢亮の意外なvoice actingの上手さに驚かされた。『 二ノ国 』というクソ作品のクソな声の演技や、『 HELLO WORLD 』の至ってオーソドックスでアベレージな声の演技と比較すれば、その技量は際立っている。もしも本職の声優たちが本作で脇を固めていても、これだけハイレベルな声の演技ができるのなら、素人っぽさで浮いてしまうこともなかっただろう。18歳のシンノと31歳の慎之介を演じ分けるだけではなく、キャラクターの表情や仕草に合わせた、今ここではこの声が欲しい、という声を出せていた。監督のディレクションの賜物だろうが、本人の努力もあったはず。『 キングダム 』で秦王・政をシンクロ率95%で演じ切ったが、あれはflukeではなかった。高良健吾の後継者はこの男で間違いない。

 

吉岡里帆の感情を抑えた、控え目な声の演技も見事だった。『 見えない目撃者 』で殻を破ったと感じたが、その印象は誤りではなかった。慈しみや愛情を豊富に感じさせながらも、拒絶する時の声音には芯の強さがあった。これも監督の演技指導と本人の探究心と練習によるものだろう。順調にキャリアを積み重ねていけば、30歳ごろには演技派と呼ばれるようになれるかもしれない。この調子で覚醒を続けて欲しい。

 

あかねとあおい、二人の姉妹が二人の慎之介と相対する時に交錯する想いは何とも複雑玄妙だ。青春をすでに過ごし終えた者とまさに青春を謳歌している者が、それぞれに異なる悲哀を経験するからだ。誰かを好きになるという気持ちは、素晴らしいものだ。だが、それは往々にしてままならない感情でもある。あかねはある意味で閉じた土地に自分を縛りつけ、止まった時間の中に生き続けている。それがあおいから見た姉の姿である。それを引っ繰り返す終盤のシークエンスは、お涙頂戴ものの典型でありながら、それでも万感胸に迫るものがあった。これは男女の複雑な恋模様であるだけでなく、家族愛であり、姉妹愛であり、自己愛の物語だからでもある。

 

ストーリーはドラマチックであるが、終盤では実にシネマティックになる。つまり、画面いっぱいにスペクタクルが展開されるということである。冒頭で述べた『 天気の子 』そっくりな構図がここで描かれるが、浮遊感や爽快感は本作の方が上であると感じた。ここではあいみょんのタイトルソングが絶妙な味付けになっている。彼女の楽曲が最高の調味料なのであるが、それは歌が主役であるということではない。音楽が映像を盛り立てているのであって、逆ではない。『 天気の子 』はこのあたりのさじ加減を誤っていたと個人的には感じる次第である。もしも良作アニメ映画を観たいという人がいれば、本作を強く推したい。

 

ネガティブ・サイド

本作は変則的なタイムトラベルものと言えないこともないが、多くの作品が犯してしまう間違いをやはり犯してしまっている。最大のものは生霊シンノの「あんとき」という表現である。その話のコンテクストを映像で表現しているので気付かなかったのかもしれないが、そこから読み取れるのは、シンノの体感では成長したあおいと出会ってしまったのは18歳のあかねと別れることになってから1日後である、ということだ。昨日のことを自分から、あるいは誰かに求められて説明する時に「あんとき」というのは、違和感のある日本語である。ここは「そのとき」であるべきだったと思う。

 

本作のグラフィックは非常に美しい。一部、実写をそのままフルCG化したようなショットが随所に挿入されていたようだが、そうした美麗なグラフィックがノイズになってしまっていたように思う。公園内の木々や落ち葉のショットが特に印象的だったが、そこあるべき動き、例えばちょっとした風のそよぎなどが、一切感じられなかった。そのため、かえって非常に無機質な印象を与える風景のショットが見られる。『 あした世界が終わるとしても 』では、実際の人間の如くゆらゆら揺れるキャラクターCGが不気味な印象を与えてきたが、本作の風景の一部は美しさと引き換えに生々しさ、リアルさを失ってしまっていた。それが残念である。

 

キャラクター造形で言えば、31歳の慎之介があかねと再会した場面にも違和感を覚えた。帰ってきたくなかった地元で再会したくなかった(多分)初恋あるいは初交際の相手に、あそこまでだらしなく迫るものだろうか。音楽に操を立てて、それが報われなかったからと言って、昔の女に慰めを求めるのは端的に言ってカッコ悪すぎる。同じ夢破れかけた男として、余りに見るのが忍びない。そうか、だからあかねは「がっかりさせないで」と言ったのか。オッサンが見るにはキツイが、ストーリー上は整合性があるシーンである。これは減点対象ではないか。

 

総評

観終わって、実に爽やかな気分になれる。それは本作が人間の心のダークな領域に恐れることなく光を当てているからだ。ダークと言っても、サイコパス的な心理ではない。普段、他人には決して見せない心の在り様を、ある者は人目を憚って、ある者は赤裸々に、スクリーン上で見せてくれるからだ。ビターなロマンス要素あり、優れた楽曲と優れた声の演技があり、カタルシスをもたらしてくれる映像演出もある。中高生から中年ぐらいまで、幅広くお勧めできる上質なアニメである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I don’t like those who say they like me.

 

あおいの「私は私を好きだと言う人は嫌い」という台詞である。those who + Vは、しばしば「~する人々」、「~する者たち」など、誰とは特定せずに一般的な人間全般を指す時に用いられる。書き言葉でも話し言葉でも、どちらでもよく使われる。昔、ハマっていたシリーズ物のゲームのトレイラー

www.youtube.com

でも確認できるので、興味のある人はどうぞ。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, アニメ, ラブロマンス, 吉岡里帆, 吉沢亮, 日本, 監督:長井龍雪, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 空の青さを知る人よ 』 -閉塞感に苛まされたら、空の青さを思い出せ-

『 イエスタデイ 』 -パラレル・ユニバースものの佳作-

Posted on 2019年10月23日2020年4月11日 by cool-jupiter

イエスタデイ 70点
2019年10月19日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ヒメーシュ・パテル リリー・ジェームズ エド・シーラン ケイト・マッキノン
監督:ダニー・ボイル

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Jovianが生まれた時には、ビートルズはすでに解散していた。しかし、彼らの残した影響の巨大さは空前絶後であろうと思う。Jovianは父の薫陶よろしきを得てロッド・スチュワートのファンとなったが、ビートルズやエルトン・ジョン、ビリー・ジョエル、カーペンターズ、ジャニス・ジョプリン、ティナ・ターナーなども好んで聴くようになった。そうした幼少期が今の職業の肥やしになっている。今さらながら父に感謝。

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あらすじ

ジャック・マリク(ヒメーシュ・パテル)は売れない歌手兼ギタリスト。幼馴染のエリー(リリー・ジェームズ)は彼のマネジメントをしているが、マリクは泣かず飛ばずのまま。あるフェスの帰り、マリクが音楽からの引退を決意した夜、世界中で謎の停電が起き、運悪くマリクはバスにはねられる。病院でマリクは目覚めるが、そこはビートルズが存在しなかった世界になっていて・・・

 

ポジティブ・サイド

『 ボヘミアン・ラプソディ 』や『 ロケットマン 』、未鑑賞だが『 エリック・クラプトン 12小節の人生 』や『 ホイットニー ~オールウェイズ・ラヴ・ユー~ 』など、故人であるか存命であるかを問わず、ミュージシャンの人生にフォーカスした作品が近年、多く作られてきている。その中でも本作はユニークである。ビートルズという伝説的なバンドをフィーチャーするのではなく、彼らが存在しないパラレル・ユニバースを描くことで、その存在の希少性、功績の巨大さを逆説的に浮かび上がらせようという試みが面白い。

 

『 ロケットマン 』でも、名曲“Your Song”誕生の場面を我々観客が目撃した時、鳥肌が立つほどの衝撃を受けたが、本作のタイトルにもなっている“Yesterday”をマリクが披露する場面では、リリー・ジェームズを始めとする登場人物たちが同じような衝撃を受けていた。さらにビートルズというバンドとその音楽の芸術性と完成度の高さを表現するための手段として、本作はエド・シーランを本人役で出演させている。この試みも面白い。当代随一のアーティストを映画に出演させることは、『 はじまりのうた 』がMaroon 5のアダム・レヴィーンを起用したように、また今後公開予定の映画『 キャッツ 』がテイラー・スウィフトを起用しているように、それほど珍しいことではない。しかし、彼ら彼女らは本人役ではない。現代アーティストと史上最高とされるバンドを、パラレル・ユニバースという異論の出にくい環境で比較するというアイデアは、もっと称賛されてしかるべきだろうと思う。

 

主演を張ったヒメーシュ・パテル演じるジャック・マリクは、どこかフレディ・マーキュリーを感じさせてくれる。つまり、移民の子で第一世代のイングランド人で、白人のガールフレンド(的な存在)がいて、学歴があり、音楽に打ち込んでいる。そんな男がビートルズの楽曲を使って、世界を席巻していく様は痛快である。と同時に、成功の代償に手放してしまったものの大きさに気付いて後の祭り・・・というところもフレディ・マーキュリー的だ。これは陳腐ではあるが、しかしストーリーに自分を重ね合わせやすくなるという利点もある。特殊な設定の世界であっても、物語そのものは理解しやすくなっているということで、Jovianとしてはこの点をプラスの方向に評価したい。その特殊な設定の世界という点でも、とある超有名バンドが存在しなくなっていたりして、芸が細かい。

 

またリリー・ジェームズの献身的な姿勢と、それゆえに彼女が自分の職と土地から離れられないジレンマは、ベタではあるが観る者の胸を打つ。幼馴染で友達以上恋人未満という絶妙な距離感の女性を、彼女は確かに描出した。終盤の鍵穴のシーンにもニヤリ。我ながら、男というのはアホな生き物であると感じながらも、ジャックとエリーを心から祝福したい気分にさせてくれる。

 

本作ではビートルズの数ある傑作の中でも名曲中の名曲と誉れ高いある歌が、歌われそうになっては中断されてしまうというコメディ的な展開がある。その歌のタイトルと、マリクとエリーの関係、そして最後に降臨する人物の語る言葉の意味を繋ぎ合わせれば、本作のメッセージの意味はおのずと明らかになる。タイトルにもなっている“Yesterday”だけではなく、終盤の入り口で盛大に発表される曲は、マリクの心の叫びと完全にシンクロしているが、歌われることのなかったあの曲こそが、全編を通じて実は奏でられ、歌われていたのである。素晴らしい構成である。

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ネガティブ・サイド

ローディーを務めてくれる親友役が、いつの間にかそれなりに有能な奴に見えるのは何故なのだ。いや、有能であることは構わない。しかし、ほんの少しでよいので、この男の成長というか、ジャックとの二人三脚の様子をもう少し活写してくれないと、ジャックが成功への階段を上っていくプロセスにリアリティが生まれない。

 

ケイト・マッキノンのキャラクターも紋切り型に過ぎる。彼女は悪い役者ではないが、今作では光らなかった。『 ボヘミアン・ラプソディ 』や『 ロケットマン 』を通じて、我々は稀代のアーティストにはろくでもない敏腕ではあるが人間としては低俗なマネージャーがついていることを既に承知している。このキャラクターがエリーの対比になっていることは分かるが、エリートの共通点があまりにも無さ過ぎる。その点で、マリクが彼女との契約に合意してしまったシーンのリアリティが低下してしまっている。そこが残念である。

 

総評

原理主義的なビートルズのファンを除けば、誰にでもお勧めしたい映画である。ただし、ビートルズの音楽をこれっぽっちも素晴らしいとは感じないという人は(かなりのマイノリティだろうが)、鑑賞する必要はない。本作はビートルズの音楽の素晴らしさを再認識・再発見する一種の装置であると同時に、巨大な“遺産”を手に入れた個人がどう生きるべきかを問うビルドゥングスロマンにしてヒューマンドラマでもある。ビートルズの楽曲を一切聴いたことがないという若い世代にも、ぜひ観て欲しいと心から願う。

ちなみに本作を鑑賞した帰りに寄ったラーメン屋の有線放送で『 Hello World 』のテーマソングだった Offcial髭男dismの”イエスタデイ”が聞こえてきた。奇縁である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

That’s music to my ears.

 

学校で教えているエリーが、生徒の答えを聞いてこのように返す。Thatやmyは適宜に入れ替わることがあるが、この形で用いられることがほとんどである。直訳すれば、「それは私の耳にとっては音楽である」だが、実際のニュアンスとしては「それが聴きたかった」、「素晴らしい返答/答え/ニュースだ」である。洒落た表現であるし、音楽を基軸にした本作から紹介するのにふさわしい慣用表現だろう。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, イギリス, ヒメーシュ・パテル, ヒューマンドラマ, リリー・ジェームズ, 監督:ダニー・ボイル, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 イエスタデイ 』 -パラレル・ユニバースものの佳作-

『 アップグレード 』 -名作SFへのオマージュ満載-

Posted on 2019年10月18日2020年4月20日 by cool-jupiter

アップグレード 70点
2019年10月15日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ローガン・マーシャル=グリーン
監督:リー・ワネル

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Jovianは小説でも映画でもSFが好きである。本作も、当初はflying under my radar。しかし、大阪ステーションシティシネマのパンフレットで先月ぐらいに本作を知った。アイデア勝負の低予算C級SF映画は嫌いではない。むしろ好物である。しかし、本作はC級ではなかった。間違いなく良作である。

 

あらすじ

自動車修理工のグレイ(ローガン・マーシャル=グリーン)は、自動運転車の事故に遭ったところを、謎の男たちに襲撃され、妻は殺害され、自身も首から下が麻痺状態という深刻なダメージを負う。しかし、顧客である大企業オーナーにして科学者の男性から、STEMというAI搭載チップを頸椎に埋め込まれることで、グレイは身体能力を取り戻した。彼は妻の敵を討つべく、独自の捜査に乗り出すが・・・

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ポジティブ・サイド

なんとまあ、多くのSF映画へのオマージュになっていることか。『 ブレードランナー 』、『 ブレードランナー2049 』的な社会の到来前夜といった趣の世界に、ボロボロの身体のはずが『 エリジウム 』的に復活し、『 ターミネーター 』や『 ロボコップ 』のような身体を動きを見せる。人間ではないものが人間らしそうで人間らしくない動きをする例として、『 エイリアン2 』のビショップも忘れるわけにはいかないだろう。ビショップの披露したナイフの早業へのオマージュに思わずニヤリ。さすがに『 ジョジョの奇妙な冒険 』のスタープラチナがモデルではないだろう。それだけではなく、『 マトリックス 』や『 アリータ バトル・エンジェル 』のような格闘を独特のカメラワークと音響効果で魅力的に演出してしまうのだから、リー・ワネルはどこまでSF好きでどこまでサービス精神旺盛な監督なのだろう。イヤホンからの指示で動くのは現実でも映画でもお馴染みの光景であるが、自分の体内にあるものとコミュニケーションを取るバディ・ムービーはそれほど量産されてきてはいない。メジャーなところでは邦画なら『 寄生獣 』、洋画なら『 ヴェノム 』ぐらいか。そして敵キャラは漫画『 コブラ 』のようなサイコガン・・・ではないが、銃を腕に仕込むという中二病的設定。『 エクス・マキナ 』的な結末が悲劇的とは映らず、むしろ

『 イヴの時間 』的な世界への過渡期が到来するのだ予感させてくれる、この味わいの複雑さよ。とにかく名作SFへのオマージュをちりばめた近未来サイバーパンク要素てんこもりのエンターテインメント作品に仕上がっている。これぞ正に掘り出し物である。インパクトだけならば、昨年の『 search サーチ 』に並ぶかもしれない。

 

ストーリーも一本道に見えて、適度にひねりが効いている。日本なら野﨑まど、神林長平、または小川一水あたりが思いつきそうなプロットである。タイトルの真の意味が明らかになるエンディングのシークエンスにはため息が出るであろう。これらの作家のファンは直ぐに劇場に向かうべし。これら作家のファンではなくてもライトなSFファンは、劇場に向かうべし。ディープでハードコアなSFファンも劇場へGoである。

 

ネガティブ・サイド

STEMのしゃべりであるが、何をどうやってグレイの鼓膜に音波を送っているというのか。神経に直接働きかけて、コミュニケーションをとっている設定では駄目なのか。耳の中の産毛を巧みに操って、あのような人工的な声を出しているのか?到底理解できないし、納得もできない。また、STEMはグレイの知覚したものしか知覚できないというが、だったらどうやって終盤の高速道路でのチェイスを、あのような方法で切り抜けたというのか。STEMという非常に凶暴で頼りになる相棒に、リアリティが足りないのが本作の最大の欠点である。

 

中盤のハッカーの存在も非常に中途半端である。『 ブレードランナー 』におけるセバスチャン的なポジションかと思わせて、fizzle out する。期待外れもいいところである。

 

同じくその中盤、ハッカー関連のシークエンスで、プロット的に破綻しているとまでは言わないが、小さな綻びが見られる。サスペンスを生み出したかったのだろうが、これのせいで最終盤の展開の驚きが減じる。もしくは鑑賞後に考察していると、???となってしまう。

 

総評

弱点や矛盾点も存在するが、とにかく製作者の映画愛が溢れんばかりに満ちた作品である。95分と非常にコンパクトにまとまっているのもポイントが高い。繰り返しになるが、SFファンならば、直ぐにチケット購入に走られたし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I don’t give a shit.

 

I don’t give a damn. や I don’t give a fuck. とも言う。「んなもん知るか、ボケ」のような意味およびニュアンスである。汚い言葉であるが、それゆえに多用されている。『 ア・フュー・グッドメン 』でジャック・ニコルソンが“I don’t give a damn what you think you are entitled to!”と絶叫するシーンは特に有名である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, SF, アクション, アメリカ, ローガン・マーシャル=グリーン, 監督:リー・ワネル, 配給会社:パルコLeave a Comment on 『 アップグレード 』 -名作SFへのオマージュ満載-

『 蜜蜂と遠雷 』 -世界と自分の関わり方を考えさせてくれる-

Posted on 2019年10月12日2020年4月11日 by cool-jupiter

蜜蜂と遠雷 70点
2019年10月6日 鑑賞
出演:松岡茉優 松坂桃李 森崎ウィン 鈴鹿央士
監督:石川慶 

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恩田陸はJovianのお気に入りの作家のひとりである。最近は若い頃ほど本を読めないし、読む本の種類も変わってきた。だが、それでも恩田陸が原作とあれば観ないという選択肢はない。

 

あらすじ

一躍、若手の登竜門となった芳ヶ江国際ピアノコンクール。そこに集ったトラウマを抱えた少女・栄伝亜夜(松岡茉優)、年齢制限ギリギリの生活者代表・高島明石(松坂桃李)、名門音楽院在籍でマスコミも注目する寵児・マサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)、パリのオーディションで彗星の如く現れた天才児・風間塵(鈴鹿央士)らはそれぞれの形でお互いに、そして音楽に向き合っていき・・・

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ポジティブ・サイド

異なる楽器に異なるストーリーを比べるのは愚の骨頂であるが、『 四月は君の嘘 』よりも遥かに音楽がクリアであった。演奏の先に景色が広がる。それがサウンドスケープというもので、『 羊と鋼の森 』でも少し触れた。音楽というものは不思議なもので、実体が無い芸術である。そこに様々な意味を付与するのは、演奏者と鑑賞者であろう。たとえば高島明石はそこに芸術家ではなく生活者としての音を表現しようとする。もちろん、それは我々の目には見えないし、我々の耳には聞こえない。少なくとも、それを感知するには並はずれた音楽的素養が必要だろう。だが、これは映画であり、それを感じ取るための映像体験を提供してくれる。高島の労働者、夫、父親としての側面を濃厚に描くことで、感情移入させようという作戦だ。シンプルだが、これは分かりやすい。また高島の言うとある台詞は、音楽家と生活者を分ける上で非常に示唆的であった。JovianはREI MUSICの裏谷玲央氏と懇意にさせていただいていたが、彼自身は自らを演奏者ではなく作曲家を以って任じている。彼の言葉に「一日に8時間とか10時間とかギター弾いている人は完全に別物なんですよ」というものがある。これから本作を鑑賞予定の方は、この言葉を頭の片隅に置いて鑑賞されたい。

 

松岡茉優のキャラの背景も複雑であり単純である。トラウマを抱えたキャラクターで、ピアノが大好きだが、そのピアノが弾けないというのが彼女の抱える課題である。トラウマを克服するには、荒療治であるが、そのトラウマの原因に正面から向き合うしかないという説もある。彼女は向き合えたのか。それは、劇場で確認して欲しい。唯一つ言えるのは、松岡の見せ場である演奏シーンは二つとも見逃してはいけないということである。特に中盤で『 月の光 』を連弾で奏でるシーンは幻想的である。音楽家は言葉ではなく音で対話ができるのである。同じ音楽系の邦画では『 覆面系ノイズ 』にギタリスト同士が音で対話するシーンがあった。もしくはプロレベルのそれを堪能したいということであれば、B’zの『 Calling 』のイントロとエンディングのボーカルとギターの対話に耳を傾けてみよう。クライマックスの松岡の演奏は『 グリーンブック 』のマハーシャラ・アリを彷彿させてくれる。最終的には、プロのピアニストの演奏にアリの顔を貼り付けたようだが、松岡はかなり体を張っている。その努力を大いに称えるようではないか。

 

本作は天才とは何かを問うてもいる。ピアノを持たずに、ピアノではないものでピアノの練習をする天才児。名高い指揮者とそのオーケストラにも臆することなく自分の感性をぶつけていく麒麟児。松坂や松岡のキャラクターたち以上に音楽にのめり込んでいる人種の在り様というのは、凡人の我々の理解を超えている。Jovianは大昔にピアノを習っていたことがあるが、今ではもうすっかり忘れてしまっている。ただ、何の因果か今は英語・英会話を教える職に就いている(いつまでもつのか、この商売・・・)。受講生の中には、高校生や大学生もちらほらいるが、明らかに自分以上のポテンシャルを抱えている若者も確かにいた。そうした者たちを指導する時には多大な緊張感があった。教える者、あるいは本作の中で審査する立場の者は、若い才能を前にして何を見出すのか。それは彼ら彼女らを潰さないこと、長所の芽を伸ばすこと、大きく育てることの責務だろう。指導者や教師が、生徒、弟子、受講生に見出すのは、自らの教えの成果、その結実である。あるいは自らの教えでダメにしてしまった若者である。別にこれは音楽や語学に限った話ではない。自分の子どもや親せきであってもよいし、職場の後輩であってもよい。自らを超える存在に向き合った時に、人は自分の使命を知るのかもしれない。本作は、そのように向き合うことができる作品でもある。

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ネガティブ・サイド

ピアニストは腰痛や肩こり、腱鞘炎に悩まされることが多いと聞く。松坂のキャラあたりに、もう少し腕を振ったり、あるいは無意識のうちにグーパーグーパーをして、腕の疲れを逃がそうとさせる動作や仕草があれば、生活者という面だけではなく年齢制限ギリギリという面を強調できただろう。

 

斉藤由貴が煙草を吸い過ぎである。それは別に構わないが、彼女自身がピアノと向き合うシーンが皆無なのは頂けない。調律師の仕事ぶりに一瞥をくれるとか、ピアノの運搬の様子を厳しく見守るだとか、何か映画的な演出ができたはずだ。それとも編集でカットしてしまったのか。若い才能と対峙するという役割をほぼ一手に引き受ける、つまり観客のかなり多くを占めるであろう年齢層の象徴的なキャラクターなのだから、ささやかな、それでいて印象に残る音楽家的なシーンが欲しかった。

 

総評

音楽好きにも、音楽にはそれほど造詣が深くないという層にも、どちらにも鑑賞して欲しいと思える作品である。演奏の質の高さとストーリーの質の高さが、非常に上手く釣り合った作品に仕上がっている。この世界で自分が果たすべき仕事とは何か、この世界で自分が未来に残すべきものとは何か。そのようなことを考えるきっかけを与えてくれる。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I want to play a piano right now.

 

栄伝亜夜の「今すぐピアノを弾きたいんです」という台詞の英訳である。今でも塾や学校では楽器にはtheをつけましょう、と教えているらしいが、実際はtheの有無やthe以外の冠詞を使うかどうかは文脈によって決まる。British Englishならほぼほぼtheをつける。American Englishならtheをつけてもつけなくても良い。どれでもいいから、とにかく何らかの楽器を弾きたいということであれば、a + 楽器である。drumsのように最初から複数形の楽器もあるし、和太鼓のように単数形のdrumもある。何が言いたいかと言うと、英語の冠詞について「こうだ!」とズバリ言い切ってしまう講師がいる塾やスクールはお勧めしませんよ、ということである。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, 日本, 松坂桃李, 松岡茉優, 森崎ウィン, 監督:石川慶, 配給会社:東宝, 鈴鹿央士Leave a Comment on 『 蜜蜂と遠雷 』 -世界と自分の関わり方を考えさせてくれる-

『 宮本から君へ 』 -非力で不器用で我武者羅な男の人生賛歌-

Posted on 2019年10月12日2020年4月11日 by cool-jupiter

宮本から君へ 70点
2019年10月6日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:池松壮亮 蒼井優
監督:真利子哲也

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あらすじ

宮本浩(池松壮亮)は極めて不器用。しかし純真さと折れない心の強さを持っていた。中野靖子(蒼井優)の交際を開始したばかりの頃、靖子の自宅に元カレが現れ、靖子に暴力を振るう。「この女は俺が守る!」と言い放った宮本は、晴れて靖子と結ばれる。しかし、そんな二人の幸せにさらなる試練が迫って・・・

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ポジティブ・サイド

とにかく池松演じる宮本という男が良い。宮本の優しさ、暑苦しさ、芯の強さは男性の共感を呼ぶことは間違いない。何故か。それは上述した宮本の属性、特性が男が普遍的に備えているものだからだ。ここで大事なのは、ポジティブな属性や特性を肥大化させて描くことだ。男には当然ダメダメな属性も同じくらいか、あるいはポジティブ属性よりも多く備わっている。そうしたネガティブ属性に焦点を当てた作品は文学的な意味では成功することはあっても、映像芸術としては往々にして失敗に終わる。近年では例えば『 先生! 、、、好きになってもいいですか? 』、『 ナラタージュ 』などが挙げられる。いずれも男の普遍的にダメなところ、すなわち「相手を傷つけたくないと配慮することで相手を傷つけてしまう」というやつである。ちなみに先生と生徒の恋愛もので近年では突出した面白さだったのは『 センセイ君主 』である。また男の普遍的にダメなところを別の角度から捉えた秀作に『 奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール 』がある。

 

Back on track. 宮本はヒロインの靖子を持ち前の猪突猛進の暑苦しさで救い、そして大いに傷つける。そこには確かに男が最も苦手とする共感や思いやり、配慮が欠けている。だが、できないことはできないのだ。できないことをウジウジと悩むよりも、できることを全力でやる。そして当たって砕ける。本作のストーリーには目を背けたくなるようなシーンがあるが、悩んでいても問題が解決するわけではない。かといって当たって砕けても問題は解決しない。しかし、宮本はそこに突っ込んでいく。はっきり言ってアホである。だが、それがたまらなくカッコイイのである。男がアホになるのは、女絡みであることは古今東西の歴史が証明する通りである。この男のアホさ、それをポジティブに言い換えれば芯の強さになるわけだが、それをとことんまで突き詰めたのが宮本である。演じた池松に拍手を送れるかどうかで、その男の精神年齢が分かる。拍手を送れるのは、自分はそうなれなかったし、これからもそうなれないと悟っている中年以降の衰えゆくだけの男である。Jovianがまさにそうである。宮本に嫌悪感を抱けるとすれば、それはその男が宮本と適切な距離を取れない、つまり宮本に近いところにいるからである。逆にうらやましい。

 

ヒロインの靖子を演じた蒼井優も円熟期を迎えたと言えるだろう。劇中でもおそらく30歳手前ぐらいの年齢であると思われるが、男女の交際や結婚に幻想と現実的な感覚の両方を抱いているというキャラクターで、何かあるとコロッと落ちてしまう高校や大学の小娘とは一味もふた味も違うキャラを熱演した。『 彼女がその名を知らない鳥たち 』にも準レイプと言えるシーンがあったが、あちらはヨボヨボの老人、こちらは本格的なレイプシーンで相手は屈強なラガーマン。正直、正視に堪えないシーンである。その前に準・和姦(?)的な宮本と靖子のセックスシーンがあるせいか、余計に凄惨に映る。ベッドシーンそのものも魅せる。『 光 』の橋本マナミや『 無伴奏 』の成海璃子のように、不自然に乳首を隠すのではなく、自然に見えない、見えそうだけれど見えない、という非常に際どい撮影術を駆使しているところも見逃してはならない。絵コンテの段階から、監督、撮影監督、役者の間でこのシーンについてはかなり詰められていたのだろう。プロの仕事を称賛すべし。

 

宮本が立ち向かう敵は強大だが、相手が強い弱いを勘定に入れずに行動するところに強い憧れを抱く男は多いだろう。漫画『 DRAGON QUEST -ダイの大冒険 』のとあるキャラが「相手の強さによって出したりひっこめたりするのは本当の勇気じゃなぁいっ!!!」と喝破するが、この意味では宮本は本当の勇気を持っている。卑怯だとかどうこうとかは関係ない。殺るか殺られるかなのである。Kill or be killed なのである。宮本のような男になれるか。靖子のような女に出会えるか。人生とはままならないものであるが、宮本のような“芯の強さ”を少しでも持てれば、それだけで人生は少しだけ豊かになるのだろう。

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ネガティブ・サイド

宮本の骨折した指の描写はあったか?ギプスや添え木にJovianが気付かなかっただけか?さらに靖子の家族も、怪我人にアルコールをどんどん飲ませてどうする?ビールをコップ一杯ぐらいならまだしも、アルコールは飲めば飲むほど感覚がマヒしたり、判断力を低下させたりするわけで、怪我をしている部分に無理な力を入れてしまい、治癒が遅くなったり、最悪の場合は怪我が悪化するではないか。靖子の母は、宮本に含むところがあるキャラクターなのではないかと勘繰ってしまったではないか。

 

ピエール瀧が病院で「書くもの寄こせ」と言って宮本に教えた住所がタクマの女のヤサであるのはどういうわけか。ピエール瀧の自宅の住所ではなく、タクマの一人暮らししている家でもなく、なぜタクマの女の住所なのか。何か複雑な事情があるにしても、それを最低限の台詞はショットで説明してくれないことには意味が分からなかった。

 

個人的な願望であるが、ピエール瀧の同僚二人に天誅が下らないことも残念。そこは原作をいつか確認してみたいと思う。

 

総評

これは怪作である。いや、快作である。宮本という1990年代のキャラクターを現代に蘇らせた意味は何か。それは取りも直さず、現代人が忘れつつある熱量を取り戻すべしという真利子哲也監督からメッセージに他ならない。ゆとり世代にさとり世代などと揶揄される若い世代に、それよりも上の世代は熱量を以って接してきたか。宮本というキャラにどれだけ共感できるか、あるいはできないかで、観る者の精神的な老け具合が測られてしまうという恐るべき仕掛けが込められている。純粋に中年オヤジを応援したいという向きには『 フライ,ダディ,フライ 』をお勧めしておく。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Marry me!

 

「靖子、俺と結婚しろよ」という台詞があまりに強烈だ。学校ではよく get married to 誰それと学ぶと思うが、受け身になっているのは公式に結婚することを意味しているから。つまり、聖職者なり役所なりに、夫婦であるということを「認められる」必要があるからだ。そうではなく当事者間だけで結婚を論じる時には能動態でOKである。小難しい理屈はよく分からないという人は Bruno Mars の“Marry You ”を100回聴くべし。

 

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Posted in 国内, 映画, 未分類Tagged 2010年代, B Rank, ヒューマンドラマ, ラブロマンス, 日本, 池松壮亮, 監督:真利子哲也, 蒼井優, 配給会社:KADOKAWA, 配給会社:スターサンズLeave a Comment on 『 宮本から君へ 』 -非力で不器用で我武者羅な男の人生賛歌-

『 ビッグシック ぼくたちの大いなる目ざめ 』 -我々も目を覚ますべし-

Posted on 2019年10月3日 by cool-jupiter

ビッグシック ぼくたちの大いなる目ざめ 75点
2019年9月30日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:クメイル・ナンジアニ ゾーイ・カザン
監督:マイケル・ショウォルター

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Jovianはインド映画好きである。だが、インドの隣国パキスタンのことはよく知らない。せいぜい『 バジュランギおじさんと、小さな迷子 』でインドから宗教的に分離した国であるということぐらいしか知らなかった。そんなパキスタン出身のクメイル・ナンジアニ自身の逸話が映画化された。外国人が増加しつつある日本においても非常に示唆的な作品であると言えよう。

 

あらすじ

スタンダップ・コメディアンのクメイル(クメイル・ナンジアニ)はパキスタン出身。アメリカで芸人としてのキャリアを追求する一方、因習にうるさい母親たちを断り切れず、形だけの礼拝、形だけのお見合いをしていた。ひょんなことからアメリカ人のエミリー(ゾーイ・カザン)と知り合い、逢瀬を重ね、親しくなるが・・・

 

ポジティブ・サイド

脚本を書いて、それを自分でも演じる映画人としてM・ナイト・シャマランが思い浮かぶが、彼はチョイ役専門である。シャマランの本業は監督であるが、クメイル・ナンジアニはコメディアンにして、映画の主演も張る。そして、見事な演技力。自分で自分を演じるのは存外に難しいものと思う。なぜなら、そんな練習は普通はしないから。そこはしかし、スタンダップ・コメディアンのキャリアが生きている。あらゆる状況を自分の言葉と仕草と小道具で説明し、受け手に何らかの変化(特に笑い)を励起させるという意味ではお笑い芸人は案外、役者の素養を備えているものなのかもしれない。クメイルを見ていて感じるのは、彼は誰に対しても気後れしないのだな、ということ。異国で暮らすことは難しいことだ。異国だからこそ、自国のらしさにこだわってしまうことが人間にはよくある。『 クレイジー・リッチ! 』でも指摘したが、異邦人は自らのユニークさ、違いを殊更に強調しようとする傾向がある。クメイルはパキスタンそしてイスラムの伝統や因習を一方的には否定しない。しかし、それらを受け入れもしない。個人として自立している。アメリカ的と言えばアメリカ的だし、現代的と言えば現代的である。こうした個の強さを兼ね備えた人間の物語にはインスパイアされることが多いが、その逆に「こうした種類の人間にはとても敵わないな」とも思わされる。けれど、よくよく考えてみれば勝つだとか負けるだとかに思いを巡らせてしまうこと自体がおかしなことだ。クメイルの生き様から学ぶべきことは「自分らしくあれ」ということ。これは現代の日本人にとっても inspirational で motivational なことだろう。9.11はきっかけになっているが、たとえあのテロがなくとも、クメイルは自国および自分をネタにした可能性は高い。

 

そうそう、こんな辺境のブログを読んでいる英語教育関係者がいるかどうかは知らないが、multi-national students を教えるに際しては、外国および外国人のイメージをその国の出身者でない者に尋ねるのはタブーである。TESOL、またはそれに類した教授法を学んだ人であればお分かり頂けよう。外国のことはその国の人間に語ってもらう。生徒、受講生には自国のステレオタイプを語ってもらい、それをクラスでシェアするのが原則である。クメイルのパキスタンネタのコメディを笑うのは時に難しいかもしれないが、大坂なおみをネタにした芸人が壮絶に滑ったり、ダウンタウンの浜田がブラックフェイスを批判されても「差別の意図はなかった」として反省しなかったことを、我々はもっと真摯に受け止めねばならない。外国語の教育に携わる人間こそ、語学ではなく国際的な歴史と人権意識を学んでほしいと切に願う。この国では、文法と形式に拘泥するくだらない教育者もどきが余りにも数多く跋扈している。

 

Back on track. ゾーイ・カザンは相変わらずキュートである。プリティーである。こんな女性をバーで口説き、そのままベッドインできれば最高であろう。美人だから最高なのではない。語るのが辛い過去があり、クメイルを好いているが故に、自分を棚に挙げつつも、彼が秘密を打ち明けなかったことに激怒する人間らしさが魅力なのである。男という生き物は、なぜか女性に幻想を抱きがちである。そういった幻想をぶっ飛ばす(性的な意味ではない)夜の語らいシークエンスは、実話か、もしくはそれに近い逸話があったのだろう。このあたりが凡百のラブロマンスとは異なるところであり、我々が人種や宗教、国籍などを飛び越えて、クメイルとエミリーというカップルを好ましく思える所以である。

 

本作はアメリカ版『 8年越しの花嫁 奇跡の実話 』でもある。破局してはいるもののクメイルはエミリーのステディだった。そんな男が相手の女性の両親とどのように向き合い、どのように語り合い、どのように信頼を勝ち得ていくのか。たいていの男性既婚者が通る道ではあるが、見ていて大変に辛い展開もあり、微笑ましくなれるところもある。これらを通して、我々小市民もクメイルとエミリーのドラマに共感できるのである。確かに、我々はinternational / interracial な関係をなかなか築くことができる社会には生きていない。しかし、個としての強さを学ぶことはできるし、実は人種や宗教といった面を取っ払えば、我々一人ひとりは同じく等しく人間なのだというよく分かる。そのような見方を本作は許してくれる。『 8年越しの花嫁 奇跡の実話 』とセットで見比べてみるのも面白いかもしれない。

 

ネガティブ・サイド

次から次に現れるお見合い相手のパキスタン人女性が揃いも揃って、とてつもなく美人である。そんなことがありうるのだろうか。パキスタン人女性に美人は少ないと言っているわけではない。念のため。アメリカにいるパキスタン人の皆が皆、クメイルのような男ばかりではないだろう。Jovianなら、あの母親が見繕ってきた一人目の相手に一目惚れしてしまったかもしれない。結婚するかどうかは別にして、好意的な気持ちは間違いなく抱く。そういった美女をすべてつれなく袖にしたというのは実話なのだろうか。どうにも信じがたい。『 ボヘミアン・ラプソディ 』や『 ロケットマン 』のように、存命の人間を描くと、その部分はどうしても美化されがちである。お見合いプロットに出てきた女性たちは、文字通りに美化されすぎていると推測する。そんなことをしなくても、エミリーの魅力は外見ではなく内面にあることは充分に伝わってきた。自身を持ってほしい。

 

クメイルのコメディアン仲間たちとエミリー、そしてエミリーの両親のinteractionはなかったのだろうか。コメディアン連中は全員、白人。これは事実に即してのキャスティングなのだろうが、無意識のうちに我々が異なる人種の間に感じ取ってしまう緊張感のようなものが、単なる虚妄に過ぎないという展開が、もっと欲しかった。

 

総評

これは傑作である。なぜ劇場公開をスルーしてしまったのか。痛恨の極みである。事実は小説よりも奇なりと言うが、そうした事実の一つひとつは、実は結構、陳腐なエピソードだったりする。例えば、ガールフレンドの父親と会話をするというのは、たいていの男にとっては必須の通過儀礼だ。そうしたイニシエーションは陳腐だが、一つとして同じものはない。クメイルとエミリーの関係も類型的ではあるが、とてもユニークだ。上質のロマンスに興味があれば、是非本作を観よう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I get it, man.

 

「 気持ちは分からんでもないがな 」という感じの意味である。【『ジョジョの奇妙な冒険』で英語を学ぶッ!】という奇書で、柱の男カーズが放つ台詞である。“I got it.”=分かった、“I get it.”=分かる、である。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, アメリカ, クメイル・ナンジアニ, ゾーイ・カザン, ラブロマンス, 監督:マイケル・ショウォルター, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 ビッグシック ぼくたちの大いなる目ざめ 』 -我々も目を覚ますべし-

『 記憶にございません! 』 -毒は少なめの政治コメディ-

Posted on 2019年10月2日2020年8月29日 by cool-jupiter

記憶にございません! 70点
2019年9月28日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:中井貴一 ディーン・フジオカ 吉田羊 石田ゆり子
監督:三谷幸喜

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「そのようなことは、えー、わたくしの記憶にはですね、えー、全くございません」 小学校高学年ぐらいだったJovianは徐々にテレビのニュースを見るようになったが、このような答弁をするオッサン連中を見て、記憶力が悪くても政治家になれるのか、と無邪気に感じたことを今でも覚えている。そんないたいけな少年だったJovianも今ではすれっからしになってしまった。だからこそ、本作を楽しめるのだとも言える。

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あらすじ

2.3%という史上最低の支持率を叩き出してしまった黒田啓介(中井貴一)は、演説中に一般人に投げられた石が頭に命中してしまい、小さな頃の記憶以外を失ってしまった。人望も人徳もなく、記憶までなくしてしまった黒田は、秘書官らのサポートの元、記憶喪失を隠しながら公務を行うのだが・・・

 

ポジティブ・サイド

この撮影の仕方は通常の映画撮影のそれではない。舞台演劇を映画化するような際に用いられる撮影技法がふんだんに使用されている。たとえば『 オペラ座の怪人 』の舞台の映画化などが好例である。光と影のコントラストを鮮やかに映し出したり、遠景と近影を使い分けたりといったことは、ほとんどしない。その代わり、ロングのショットで忠実にキャラクターの仕草や表情を映し出す。物語の冒頭や締めにドラマ『 ER 』的なキャラクターの入れ替わり立ち替わりショットを入れることはよくある。『 恋は雨上がりのように 』で、あきらのバイト先でそのようなショットが使われたし、ドラマ(および映画)の『 コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- 』のエンドクレジットのシーンはまんまERのパクリである。しかし、全編これ、ロングのショットでキャラクターの近影を映し続けるというのは、邦画ではかなり斬新なアプローチである。それゆえに中井貴一の表情の演技が抜群の輝きを放っている。I take my hat off to撮影担当の山本秀夫氏。

 

キャラクター同士の掛け合いも適度な笑いを喚起する。特に黒田総理が自身の家に帰ってきたシーンや家族との団らんになっていない団らんシーンは、プッと吹き出さずにはいられないおかしさがある。小池栄子のコミック・リリーフも効果的に各シーンを和ませ、吉田洋と中井貴一の“現場”から放たれる期待感と失望感は、漫画的な面白さだけではなく「本当にこういう現実があるのかも?」というリアリティを有していた。実際に山尾志桜里議員を思い起こした観客も多いだろう。ちなみに不倫はある種の普遍性を有した文化であることは『 ウィーナー 懲りない男の選挙ウォーズ 』からも分かる。

 

永田町や官邸内の権力闘争、ジャーナリズムと権力の関係、政治と庶民の関係など、かつてないほどに政治に対する期待が高まっている中で、肝心の政治がそれにほとんど答えられていない。そんな中で、一種の清涼剤的な役割を本作が果たしていることが現在の快調な興行収入につながっているのかもしれない。事実、法人税を少し上げれば消費税を下げられるのではないかという黒田の無邪気な疑問は、まさにれいわ新撰組の主張そのものである。こうした現実へのうっ憤を、本作はある程度晴らしてくれるのである。

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ネガティブ・サイド

英語で ”all persons fictitious” disclaimer と呼ばれる注意事項がある。日本語では「この物語はフィクションで登場する人物・団体・出来事等は架空であり実在のものとは関係ありません」というアレである。本作は開始早々に「この物語はフィクションで登場する人物・団体・出来事等は架空ですが、類似のものがあるとすれば、それはたまたまです」と宣言する。こちらは期待に胸を躍らせて『 新聞記者 』のパロディもしくはコメディのような現政権批判が見られるのかと期待したが、不発だった。念のために言っておくが、Jovianは自民党が嫌いなわけではなく、権力全般が嫌いなのである。特に権力を正しく使わない人間が嫌いである。

 

Back on track. 「総理の奥さんになれば、何でもできるんですねえ」という黒田の台詞は、当然のことながらアッキード事件を指しているわけだが、三谷幸喜はもっともっと現実の政治を面白おかしくパロディにできるはずだし、そうすべきだった。K2プロジェクトというのも、正直なところ期待外れ。もっと国立競技場だとか、五輪絡みのアホな建設プロジェクトをパロって、現実を鋭く抉りながらも、笑いに昇華できたはずだ。

 

全体的に役者は良い芝居をしているが、一部、ディーン・フジオカの台詞はアフレコになっていた?唇の動きと発せられる言葉が一致しないように見えるシーンが序盤にあった。確かにロングのショットを多用していて、ひとつNGがあれば最初から全てやり直しという、非常に難しい撮影現場であったと思うが、もしもアフレコするのであれば、もっとリップシンクに厳密になってもらいたいと思う。『 空飛ぶタイヤ 』でフジオカを指して、スーツ以外の衣装はまだ着こなせないと評したが、逆に言えばスーツは着こなせているのだ。

 

総評

中学生にはちょっとアレな描写もあるが、高校生ぐらいからならOKだろう。政治とは何か。誰のために政治が行われるのか。もちろん、気に入らない政治家に石を投げつけるのは論外であるが、大して毒でも刃でもない言葉を浴びせるだけで警察に排除されてしまうのが昨今の日本なのである。政治ネタを笑うと共に、政治に対する意識をもう一度高めるためにも、本作を見て大いに笑い、そして政治に対する目を厳しく持とうではないか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

I don’t recall.

 

ドナルド・トランプ米大統領の選挙戦でロシア側と接触したとされる人物が、この台詞を連発したことは記憶に新しい。rememberという動詞を使いたくなってしまうが、覚えているものをそのまま思い出せるならremember、頑張って頭の中をあれこれ探って思い起こす時にはrecallを使うべし。車に欠陥が見つかればリコールされる、というアナロジーで理解しよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, コメディ, ディーン・フジオカ, 中井貴一, 吉田羊, 日本, 監督:三谷幸喜, 石田ゆり子, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 記憶にございません! 』 -毒は少なめの政治コメディ-

『 ブラインド 』 -韓流サスペンスの秀作-

Posted on 2019年9月30日 by cool-jupiter

ブラインド 75点
2019年9月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:キム・ハヌル
監督:アン・サンフン

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『 見えない目撃者 』は文句なしに逸品であった。リメイクとは原作が面白いから作られるわけで、ならば本作の面白さは観る前から保証されていたとも言える。事実、日本版とはかなり異なるが、どちらも面白さを保っている。

 

あらすじ

 

警察学校を卒業したミン・スア(キム・ハヌル)は、孤児院で育った弟的存在のドンチョルを交通事故で死なせてしまい、自身も失明してしまう。それから3年。ある時、乗り込んだタクシーが人身事故を起こしてしまうのに遭遇。だが運転手は犬をはねたと言うばかり。追及するスアを置いて、運転手は逃走する。スアは警察に事件を報告するも、警察はなかなかまともに取り合わず・・・

 

ポジティブ・サイド

日本版とは異なり、こちらは最初から犯人が分かっている。それによって生み出されるスリルとサスペンスも上質である。狂信者ではなくサイコパス。殺すことに外在的な理由は不要。そして暴力性も日本版の犯人よりも上。怖さもこちらが上である。一般論だが、バイオレンスにおいては韓国映画は邦画の上を行っている。

 

また主役のスアの描写も素晴らしい。聴覚だけではなく嗅覚や触覚もフルに使って周囲の情報を手に入れ、分析し、自分のものにする。その説明的な描写が説明的でありすぎず、かといって些細でもありすぎず、ちょうど良い塩梅である。そして触覚。盲導犬のスルギとの触れ合いがふんだんに描写され、彼女の第一のパートナーはスルギであるということがよくよく伝わってくる。日本版では母親と一緒に暮らしているなつめが、母親よりもパムを気にかけてしまうところに少し違和感を覚えてしまったが、オリジナルはそこのところをよく分かっている。

 

クライマックスの暗闇の中での逃走劇と反撃も素晴らしい。目が見えないというハンディキャップをアドバンテージに変えてしまった秀作に『 ドント・ブリーズ 』があるが、スアの嗅覚が冴え渡るシーンに息を飲みつつもニヤリ。日本版も生姜焼きを当てるくらいなら、なつめの五感を活かした演出をもっと設けるべきだった。最後の対決の舞台が孤児院であることに意味があるという点では、オリジナルの勝ち。スアが犯人を倒すシークエンスのサスペンスは日本版の勝ちか。全体的には甲乙つけがたい出来である。

 

ネガティブ・サイド

目撃者の少年ギソブが犯人に狙われ、襲われてしまったところから捜査とスアの警護に加わる流れがやや説得力に欠ける。未成年の少年の無鉄砲さと、警察官に対してうっすらと抱いていた信頼と正義への期待、そういったものがあまり見せられないままに、ギソブが巻き込まれていく描写が弱い。ギソブの友達の存在はむしろ不要で、一人さびしい少年の設定の方がよかった。

 

犯人の設定にも少し不満が残る。産婦人科医で堕胎手術の専門家ということだが、普通の外科医で良かったのでは?またこの犯人がギソブを殺さずにおく理由も見当たらない。刑事を刺した後には余裕綽々デ身だしなみをチェックしていたのに、ギソブに関してはそうはならなかった。これはご都合主義だろう。また言及する順番が前後したが、刑事の死に様にも不満が残る。この点では日本版リメイクの圧勝である。

 

総評

『 見えない目撃者 』のクオリティの高さから、本作にも再び注目が集まるだろう。どちらにも良さがあり、どちらにも弱点があるが、それは個人の好みによってポジティブにもネガティブにもなりうる。韓流映画のバイオレンスが苦手だという人を除けば、本作はカジュアルな映画ファンにもハードコアな映画ファンにもお勧めできる逸品である。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

アラッソ

 

色々と韓流を見ていると、同じフレーズが同じような場面で使われていることに気づく。それがこの「アラッソ」である。意味は「分かった」である。外国語学習をしていて、自分は初級の殻を破りつつある、あるいは破ったと言える人は、まず辞書を脇に置くべし。そして、読む、あるいは聞くことに集中して、何度も何度も現れてくる表現の意味を文脈から類推しよう。Jovianの指導経験から、すぐに辞書を引く人は伸びない、ということが言える。

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, キム・ハヌル, サスペンス, 監督:アン・サンフン, 配給会社:ブラウニー, 韓国Leave a Comment on 『 ブラインド 』 -韓流サスペンスの秀作-

『 見えない目撃者 』 -韓国映画のリメイク成功例-

Posted on 2019年9月29日2020年4月11日 by cool-jupiter

見えない目撃者 75点
2019年9月23日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:吉岡里帆 高杉真宙 大倉孝二
監督:森淳一

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吉岡里帆主演の『 パラレルワールド・ラブストーリー  』は文句なしに駄作だった。なので『 音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!! 』はスルーさせてもらった。今回もスルー予定だったが、結果的にチケットを買ってよかった。

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あらすじ

浜中なつめ(吉岡里帆)は配属直前の警察官。しかし弟を補導した帰りに、事故を起こして、弟は死亡、自身も視力を失ってしまう。それから3年。とある車の接触事故の場に居合わせたなつめは、車内から助けを求める少女の声を聞く。だが警察は視覚障害者のなつめの言うことをまともに取り合わない。なつめは独自に接触被害にあったスケボー少年の春馬(高杉真宙)に会うが・・・

 

ポジティブ・サイド

これは近年の邦画(韓国映画のリメイクだが)サスペンスの中では出色の出来映えである。現代日本社会の闇を浮かび上がらせつつも、単なる社会派としてだけではなくミステリ要素あり、スリラー要素ありと、非常に野心的な作品に仕上がっている。

 

個人的には事件を追う刑事たちと夏目と春馬の民間人ペアのチームワークが見どころだった。暇があれば靴磨きに余念がない定年間近でやる気のないベテランと、メンドクセーという空気を醸し出す中年刑事が、徐々に吉岡演じる盲目女性とスケボー少年ペアと chemistry を起こしていく展開の見せ方が上手い。特に非行少年の春馬が成り行きから捜査に加わり、犯人に狙われ、これ以上は深入りするなと言われながらも警察となつめに協力していく様は、物語のサブプロットでありながらも、最終的には春馬自身のビルドゥングスロマンにつながっていく。この脚本は見事である。

 

このリメイクはオリジナルよりもミステリ要素が強めである。というよりも、オリジナルは完全なるサイコ・サスペンスだが、森淳一監督は松本清張的な社会派ミステリ要素を加えてきた。そして、それが奏功している。例えば『 チワワちゃん 』は本作のようなストーリーをたどって、本作のような犯人に殺されたとしても不思議はなかったのである。そして、そのことが単なるニュースとして消費されるような社会に我々は現に生きている。日本という国の近現代の歴史の大きな一面は都市化だった。綾辻行人がしばしば指摘することであるが、都市という空間では人間は基本的に他者に無関心である。より正確に言えば、社会の規範から外れた者に無関心である。それは時に家出少女であり、非行少年であり、障がい者であり、特殊な嗜好の持ち主である。本作が社会派たり得ている理由はこれだけでもお分かり頂けよう。

 

だがエンターテインメント性も忘れてはならない。本作はサスペンス要素がてんこ盛りである。過剰とも思えるほどに主人公およびそのパーティーメンバーに危機が訪れる。そして物語の中で、上手く小道具を使い、危機をくぐりぬけていく。特にクライマックスのシークエンスは見事の一語に尽きる。このアイテムを使って何かをするだろうな、ということは観ている時からすぐに分かるが、その使い方が素晴らしい。

 

本作で主演を張った吉岡里帆はJovianの中では redeem された。Shawshank Redemption and Rita HayworthならぬShawshank Redemption and Riho Yoshiokaである。光を失いながらも、その他の感覚研ぎ澄ませ、警察官ではなくともその身は軽く、頭脳も明晰。そして、一度は失ってしまった弟を再び失うことはすまいと、自らの信じる正義に愚直なまでにその身を投じていく様に、女優としての階段を着実に一歩上ったという印象を受けた。満腔の敬意を表したいと思う。

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ネガティブ・サイド

盲導犬パムとなつめの触れあいの描写が不足している。原作と違い、失明後も母親と暮らしているにもかかわらず、犯人に襲われ、病院で目覚めた後に真っ先にパムを気遣うのがやや腑に落ちなかった。もちろん、失明している人間には盲導犬が最高のパートナーであることは分かるが、その間に培われてきた絆の描写がもう少し欲しかった。

 

そして、上の流れにつながる流れ、トレイラーにもあった電車のシークエンスはサスペンスフルではあるが、論理的に考えればご都合主義以外の何物でもない。なつめがどこの駅で降りるかなど、分かりようがないのだから。サスペンスが途切れないのが本作の最大の長所であるが、この点だけは劇場鑑賞中に???となってしまった。

 

クライマックスのとある豪邸でのシークエンスでも、オリジナルではライターが小道具として有効に機能していたが、今作ではスマホのライト機能を使っていた。これも時代に合わせた変更であろうが、それにしても本来光で照らされているべき箇所が、とてもそのようには見えなかった。また、実際に強烈な光を対象に浴びせてしまうと、ある小道具の存在がばれてしまうということもあったのだろう。だが、このような盲目のキャラクターが登場する作品こそ、光の扱いに注意してもらいたい。文字通りの意味での光と闇のコントラストが本作最大のクライマックスで、そこに至る過程は座頭市の決闘さながらのサスペンスを生み出したが、実際とは異なる演出のせいで、またもご都合主義を感じさせてしまった。

 

ポスターについても一言。『 マスカレードホテル 』でも指摘したが、ハードコアな映画ファンやミステリファンの中には、あらゆる角度から情報を収集・分析して、鑑賞に臨む者もいるのである。販促物で犯人を暗示することはご法度である。劇中でも不自然なさりげなさを醸し出すシーンがあるが、一部の販促物と合わせて考えれば、物語の中盤前に犯人にピンと来てしまう。実際にJovianはピンと来た。うーむ・・・

 

総評

弱点・欠陥を抱えた作品であることは間違いないが、劇場の大画面、大音響で鑑賞すれば、そんなものは一瞬で吹っ飛ぶほどの緊迫感溢れるシーンの連続である。『 SUNNY 強い気持ち・強い愛 』が原作韓国映画の換骨奪胎に失敗した轍を、本作は踏まなかった。『 クリーピー 偽りの隣人 』や『 ミュージアム 』よりも面白いと勝手に断言させてもらう。ただ、グロいシーンもいくつかあるので、それに耐性のない人だけは注意を。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Whatever you do, don’t cause me trouble.

 

「何をしようと勝手だが、俺に迷惑だけはかけるな」とは、スケボー少年の春馬の教師の面談の場での発言である。異物排除の論理が日本社会、特に大人の価値観を支配していることを端的に表す言葉である。「何をしてもかまわんが、~~~だけはするな」と言う場合には “Whatever you do, don’t V.”というのが公式のようなものである。

 

Whatever you do, don’t borrow money from him.

Whatever you do, don’t touch my computer.

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, B Rank, サスペンス, スリラー, ミステリ, 吉岡里帆, 大倉孝二, 日本, 監督:森淳一, 配給会社:東映, 高杉真宙Leave a Comment on 『 見えない目撃者 』 -韓国映画のリメイク成功例-

『 やっぱり契約破棄していいですか!? 』 -英国発のシリアスなコメディ-

Posted on 2019年9月27日2020年4月11日 by cool-jupiter

やっぱり契約破棄していいですか!? 70点
2019年9月23日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:アナイリン・バーナード トム・ウィルキンソン フレイア・メーバー
監督:トム・エドモンズ

 

嫁さんが、「これを観るんや」と、決めたから、秋分の日は、シネ・リーブルへ

 

うむ、秋になると一句詠みたくなる。会心の駄作ができた。

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あらすじ

小説家を志すウィリアム(アナイリン・バーナード)は、全く芽が出ない自分に嫌気が差し、自殺を試みること幾数度。全て失敗に終わった。ある時、橋から飛び降りようとする時に、殺し屋レスリー(トム・ウィルキンソン)に声をかけられる。飛び降りが失敗に終わったウィリアムはレスリーに自分の殺しを依頼する。だが、出版社のエミリー(フレイア・メーバー)から出版のオファーが入る。ウィリアムスはながらうべきか、死すべきか・・・

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ポジティブ・サイド

まず自殺未遂7回というところからして面白い。イギリスの八切止夫である。違うのは、八切はゲイで、ウィリアムはストレートというところ。だが、どちらもペシミストであることに変わりはない。

 

漫画『 沈黙の艦隊 』でライズ保険のエグゼクティブが「イギリスでは物事を決めるのはランチタイムと決まっている」とクールに言い放つシーンがあるが、本作もその通りに、ウィリアムはランチタイムにレスリーに自身の殺しを依頼する。そのオプションも笑えるし、レスリーが属する殺し屋のギルドの在り方も笑えてしまう。まるで、赤帽か何かの組合のようだ。

 

いったんレスリーが仕事にかかると、この好々爺は確かに凄腕の殺し屋であることが分かる。そして、殺人という職務に忠実で誇りすら感じているプロフェッショナルであることも分かる。まるで、漫画『 HUNTER×HUNTER 』でコムギを誤爆してしまったゼノのようである。つまり、それぐらい凄みを感じさせるということである。

 

主演のアナイリン・バーナードは、どこかイライジャ・ウッドを思わせる英国産アクターで、気弱な男よりも悪役が似合いそうに思う。ハリウッドのB級アクション映画で、ブリティッシュ・イングリッシュを喋るヴィランとして出て来て欲しい。

 

ヒロインのフレイア・メーバーは、絶世の美女というわけではない(失礼!)が、街中で見かけたら、目の保養にしてしまいそうである。シネ・リーブル梅田で上映していた『 モダンライフ・イズ・ラビッシュ ロンドンの泣き虫ギタリスト 』はスルーしてしまったが、DVDはいつかチェックしてみたい。リリー・ジェームズともキーラ・ナイトレイとも違う、正統派英国美女である。

 

だが、本作で最も光っているのはレスリーの妻だろう。長年連れ添った夫に愛情を注ぎ、夫の退職を甲斐甲斐しく祝おうとし、そして殺し屋の妻としての胆力も兼ね備えている。嫁にするならば、このような女性である。このような妻を持てた男は果報者である。レスリーに幸あれ。そしてウィリアムにも幸あれ。

 

ネガティブ・サイド

殺し屋ギルドが当初はジョークとして機能していたが、ストーリーが進むにつれて、笑うに笑えない組織になってきた。ビジネスとしての殺しと、ビジネスとは無関係の殺しを峻別するのは、殺し屋本人の葛藤に任せて。組織としては粛々と失敗したものを粛清あるいは強制引退させればよかった。そうでなければ、暗殺者の集団をまとめ上げられないだろう。

 

ラストシーンに、もう少し捻りを効かせることはできなかったのだろうか。せっかくのコメディックなシーンなのに、笑うに笑えない終わり方である。元々、このシーンはフレイア・メーバー不在だったからである。彼女がその場にいることで、このエンディング・シークエンスがもっと悲劇的に、もしくは喜劇的にならなければならなかった。ただ、彼女がその場にいるだけで終わってしまったのは、何とも anticlimactic だった。

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総評

本作はBGMの面でも光っている。エドガー・ライトのように音楽をして語らしめるのが、この監督の手腕なのだろう。秀逸なブラック・コメディであり、ライトなラブロマンスでもあり、お仕事ムービーでもある。ブラック・コメディ好きなら、観ても決して損はしない。保証する。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

Tell me about it.

 

直訳すれば、「それについて教えて」であるが、実際の意味は正反対で、「言われなくても知ってるよ」である。ネイティブにしか通じない表現なので、グローバル・イングリッシュを使う人は注意が必要かもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, B Rank, アナイリン・バーナード, イギリス, トム・ウィルキンソン, ブラック・コメディ, フレイア・メーバー, 監督:トム・エドモンズ, 配給会社:ショウゲートLeave a Comment on 『 やっぱり契約破棄していいですか!? 』 -英国発のシリアスなコメディ-

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