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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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『 はちどり 』 -小さな鳥も大きく羽ばたく-

Posted on 2020年8月10日2021年2月23日 by cool-jupiter

はちどり 80点
2020年8月8日 TOHOシネマズ梅田にて鑑賞
出演:パク・ジフ キム・セビョク
監督:キム・ボラ

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映画貧乏日記のcinemaking氏が激賞していた作品。キム・ボラ監督の長編デビュー作品。韓国の監督というのは往々にして自分で脚本も書くが、いつの間にか小説や漫画の映像化に汲汲茫々とするばかりとなった邦画の世界も、もっと見習ってほしい。

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あらすじ

14歳のウニ(パク・ジフ)は集合団地で暮らしている。父や兄は抑圧的で母や姉も自分にはあまり構ってくれない。そして学校でも、それほど友人に恵まれているわけでもないし、教師も非常に強権的。けれども、ウニは別の学校の友だちやボーイフレンドと、それなりに楽しい日々を過ごしていた。そして、通っている漢文塾でミステリアスな女性教師ヨンジ(キム・セビョク)と出会って・・・

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ポジティブ・サイド 

『 サニー 永遠の仲間たち 』の描いていた暗い世相を反映した1980年代を抜けて、『 国家が破産する日 』のプロローグで映し出されていた1990年代の高度経済成長時代のただ中の韓国の物語である。大きく成長してく国家や社会に、思春期という肉体的にも精神的にも大きく変わっていく時期の少女が重ね合わせられている・・・わけではない。逆に、そのような世界の大きなうねりに乗り出す前、家族や家、学校といった小さな環境の中で必死に羽ばたこうとするはちどりの姿がそこにある。

 

当然そのはちどりとは、主人公のウニである。冒頭のシーンからふるっている。買い物から帰ったウニが団地の902号室の呼び鈴を鳴らすが、誰も反応しない。不安になったウニが何度も何度も呼び鈴を鳴らすが、それでも在宅しているはずの母は一切反応しない。ヒステリックに叫ぶウニ。だが、次の瞬間、ウニは階段を上る。そして1002号室の呼び鈴を鳴らす。即座に母が出てきて「もっと良いネギはなかったの?」と言う。集合団地というどこもかしこも同じに見える環境に暮らすごく普通の少女が、そのうちに激情を秘めているという象徴的なオープニングである。

 

ウニは極めて抑圧的な環境で生きている。父に怒鳴られ、兄に殴られ、母にはあまり構ってもらえず、姉とは没交渉である。ウニの数少ない心の安定剤であるボーイフレンドとの仲は、しかし、かなり順調で、楽しくない学校生活のさなかにも、彼からの「愛してる」というポケベルのメッセージに心を弾ませる。学校は違うが塾は一緒という友人もいる。共犯者的な存在と言ってもいい。このような一方では充実したウニの世界も、次から次へと破綻していき、それがどうしようもなく観る側の心を揺さぶる。印象的だったのはウニの親友の少女。ある日、白いマスクを着用してきたのを見て、ウニも我々も「あれ?」と思う。もちろん風邪ではない。風邪なら塾を休めばよい。つまり、家にいられず、しかしマスクをつけなくてはならない事態があったということだ。ここで我々はキム・ボラ監督に想像力を試されていると言っていい。痛々しい真相が明かされるシーンは、遠景からのショットでありながら、ウニと親友の二人だけの会話を静かに映し出すというもの。世界はそこに存在するが、ウニたちだけの世界もまた、そこに存在するのだと感じられる不思議な余韻のあるシーンだった。そうか、はちどりはウニだけではなかったのか、とも感じられた。

 

大きな転機となるヨンジ先生との出会いも印象的だ。特に禅語の「相識満天下 知心能幾人」に、Jovianも唸らされた。そうか、世界とは森羅万象、そこにあるもの、目に入るものだけではないのか。人間関係とは往々にして相貌を認識できるだけの関係に留まるものなのか、と不惑にして考えさせられた。ウニが自分の世界の小ささと、そこから先に広がる大きな世界、さらにその世界で生きることの難しさと尊さの両方を感得するシーンであり、人生の師に巡り合うシーンでもあった。

 

それにしてもヨンジ先生を演じたキム・セビョク、最初に見た感じでは『 テルマエ・ロマエ 』で言うところの平たい顔族の女性代表かな、みたいな失礼な印象を抱いていたが、物語が進むにつれ、どんどんと魅力的な顔立ちに思えてくるから不思議なものである。特に、彼女が一曲アカペラで歌うシーン(と書くと、酒場でマッコリでも飲んで上機嫌で歌うように思えるかもしれないが、そうではない)では、その切々とした歌唱と凛とした表情、そして歌詞の伝える意味が、ウニの心に、そして観る側である我々の心にもストンと入ってきた。「トボトボ歩く」ことが、これほどリアルな哀切の情を表すとは。キム・ボラ監督の演出力にしてキム・セビョクの演技力の為せる業か。

 

思春期、そして青春の入り口を描きながらも本作は血と死の予感も漂わせている。ゾッとさせられたのは、ウニの呼び声に反応しない母親。鼓膜が一時的に破れていたのだろうか。その相手は夫なのか。壊れるべきに思える夫婦関係だが、そこでくっついたり離れたりを繰り返してきたのか。まるでウニの青春、ウニの人間関係のようではないか。ウニの叔父さんの決して語られることのない story arc やウニの担任の語る「一日一日、死に近づいていくのだ」という台詞。兄からの暴力。親友の受ける、それ以上の暴力。そして、終盤の悲劇。様々な事象が絡まり合い、ウニだけではなくウニの父やウニの兄も涙を流す。不器用な男たちが心の鎧を脱ぎ捨てる瞬間で、ウニはその時、父や兄の心の一端を知る。知心可二人というわけだ。はちどりは、その小さな姿からは想像をできないほどの超長距離を移動する渡り鳥である。英語のタイトルは“House of Hummingbird”。はちどりの大いなる旅立ちを予感させつつ、帰るべき場所をしっかりと示すエンディングは、多くの人の心に静かな、しかしとても力強いさざ波を立てることだろう。

 

ネガティブ・サイド

ほとんどないのだが二点だけ。

 

一つは、ある重要人物の母親が嗚咽するシーン。ウニが親友ジスクと語らうシーンで「私が死んだら、あの人たち泣くかな?」に対する答えがそこにあった。この母親の泣きのシーンをもっと長く、もっと深くカメラに収めるべき=ウニに体感させるではなかったか。

 

もう一つは、エンディングそのもの。『 スリー・ビルボード 』と同じで、あと30秒欲しかったと思う。

 

総評

ポン・ジュノ監督がアカデミー賞監督賞を授与された時に、マーティン・スコセッシの“The most personal is the most creative”=「最も個人的な事柄が最も創造的な事柄である」という格言を引用したことが話題になった。キム・ボラ監督は、まさに自身の最もパーソナルな少女時代の経験を基にこの物語を創造したのだろう。極めて個人的な心象風景であるが、それはあらゆる少年少女、そしてかつて少年少女だった大人の心にも激しく突き刺さるという、非常にストレートなビルドゥングスロマンの傑作である。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

チング

『 友へ チング 』という作品もある通り、友、友人、親友の意味。調べてみると同級生や同い年にのみ使うらしい。長幼の序を重んじる韓国らしい表現である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, キム・セビョク, パク・ジフ, ヒューマンドラマ, 監督:キム・ボラ, 配給会社:アニモプロデュース, 青春, 韓国Leave a Comment on 『 はちどり 』 -小さな鳥も大きく羽ばたく-

『 チェイサー 』 -韓国版『 セブン 』+『 ソウ 』-

Posted on 2020年6月20日 by cool-jupiter

チェイサー 80点
2020年6月18日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:キム・ユンソク ハ・ジョンウ ソ・ヨンヒ
監督:ナ・ホンジン

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『 PMC ザ・バンカー 』のハ・ジョンウの出演作。鬱映画だと聞いていたが、この作品は確かに精神的にくるものがある。

 

あらすじ

元刑事のジュンホ(キム・ユンソク)はデリヘルを経営している。しかし、所属する女性二人が行方をくらます。誰かに売り飛ばされたと直感したジュンホはミジン(ソ・ヨンヒ)使って独自におとり捜査を開始。自店に他店にも記録のあるヨンミン(ハ・ジョンウ)という客をジュンホは追走して捕まえるが・・・

 

ポジティブ・サイド

2000年代の作品だが、やはりここにも『 国家が破産する日 』の傷跡が見える。刑事を辞めて、どういうわけかデリヘル経営者になっているジュンホが、最初は自社の商品を誰かに奪われていると憤慨し、行動を起こす。それが徐々に、社会的な弱者を自分が守らねばという使命感へと変わっていく。警察はあてにならない。所詮は権力者の犬である。ナ・ホンジン監督のそんな信念のようなものが物語全体を通じて聞こえてくるようである。

 

それにしても、ジュンホ演じるキム・ユンソクの妙な迫力はどこから生まれてくるのか。『 オールド・ボーイ 』でオ・デスを演じたチェ・ミンシクもそうだが、一見すると普通のオッサンが豹変する様は韓国映画の様式美なのか。『 アジョシ 』の悪役、マンソク兄のように三枚目ながら、やることはえげつない。こうしたギャップが、決してlikeableなキャラクターではないジュンホを、観ている我々がだんだんと彼のことを応援したくなる要因だ。最初の15分だけを観れば、ジュンホが主役であるとは決して思えない。むしろ、こいつが悪役・敵役なのでは?とすら思える。普通に社会のゴミで、普通に女性の敵だろうというキャラである。何故そんな男を応援したくなるのか。その絶妙な仕掛けは、ぜひ本作を観て体験してもらうしかない。アホのような肺活量と無駄に高い格闘能力も、何故か許せてしまう。なんとも不思議なキャラ造形である。

 

だが、キャラの面で言えばハ・ジョンウ演じるヨンミンの方が一枚も二枚も上手。『 殺人の追憶 』の真犯人はこんな顔だったのではないかと思わせるほど平凡な見た目ながら、その内面は鬼畜もしくは悪魔。このギャップにも震えた。それも『 羊たちの沈黙 』のハンニバル・レクター博士のような超絶知性のサイコパスではなく、『 殺人の追憶 』や『 母なる証明 』などのポン・ジュノ作品でも静かにフィーチャーされた知的障がい者を思わせる男で、どこまでが素なのかが全くつかめない。本当に知的に問題のあるキャラかと言うと違う。ミジン(そして、その前の二人も)を自宅に連れ込んで、あっさりと監禁してしまうまでの流れは、非常に知性溢れる犯罪行為である。けれど、警察の取り調べにあっさりと口を割ってしまうところなど、どこか幼い子どもを思わせる素直さ。これほど掴みどころのない猟奇殺人者はなかなか見当たらない。その語り口はどこか『 ユージュアル・サスペクツ 』のケビン・スペイシーを彷彿させる。実在の事件と犯人に基づいているというところに韓国社会の闇と、その闇に多くの人に目を向けてほしいという韓国映画人の気迫を感じる。

 

それにしても韓国映画のバイオレンス描写というのは、いったい何故にこれほど容赦がないのか。ミジンを殺そうと金槌で特大の釘を後頭部にぶち込もうとするシーンは、観ているだけで痛い。『 ソウ 』でとあるキャラクターが壮絶な自傷行為を行うシーンも視覚的に痛かったが、本作はもっと痛い。路上のチェイスでついにジュンホがヨンミンを捕らえ、マウント状態からアホかというぐらい殴るシーンも痛い。邦画にありがちな口から血がタラリといったメイクや演出ではない。顔が腫れる、出血する、傷跡が残る、痛みで目がチカチカする。殴られる側の痛みが観る側にまで伝染してくるかのような描写だ。

 

鬱映画とは聞いていたが、エンディングも救いがない。まさしく韓国版『 セブン 』である。奇しくもこれもケビン・スペイシーか。猟奇殺人者やシリアル・キラーの恐ろしいところは、殺人行為そのもの以上に、何が彼ら彼女らを殺人に駆り立てるのかが不明なところにある。弁護士との接見シーンでヨンミンが性的に不能だから、その腹いせに女性を殺したのだという説が開陳される。単純で分かりやすい説明だ。だが、ヨンミンの甥っ子の負った頭の大怪我はいったい何なのか。ヨンミンが女刑事の“性”を揶揄するシーンは何を意味するのか。宗教的なシンボルを半地下の部屋の壁に描きたくったのは、いったいどういう衝動に突き動かされたからなのか。ヨンミンという殺人鬼の内面に迫ることなく閉じる物語は、我々に圧倒的な無力感と敗北感を味わわせる。だが、その先に一縷の望みもある。社会の底辺に生きる者同士の連帯を予感させて、物語が終わるからだ。後味の悪さ9、光の予感1である。それでも光は差しこんでくると信じたいではないか。

 

ネガティブ・サイド

ギル先輩とその仲間たちとジュンホの絡みが欲しかった。何の説明も示唆もないままに、「またお前が何かやりやがったのか!」という態度は、下手をすると偏見や差別になりかねない。もちろん偏見や差別に対する糾弾の意味合いも本作には込められている。けれど、偏見・差別は関係性が全く存在しない相手との間に発生する傾向のあるものだ。彼らの態度は、悪を許すまじというある意味で度を超えた正義感の持ち主であるジュンホという人間へのまなざしではなく、デリヘル経営者という社会のはみ出し者への視線に感じられた。

 

ジュンホの部下であるチンピラは最後はどこに行った?素晴らしく良い顔の俳優である。この男の活躍をもっと堪能したかったのだが。

 

クライマックスの展開の引っ張り方が少々強引かつ冗長だった。検事から12時間以内に証拠を出せと言われて、タイムリミットが設定されているうちはよいが、それを過ぎてしまった後の流れとテンションが中盤から後半のそれに比べて、やや落ちた。

 

総評

傑作と評して良いのかどうかわからないが、それでも最後までハラハラドキドキを持続させる良作である。グロ描写や暴力描写が多めなので観る人を選ぶ作品だが、社会矛盾を穿つメッセージ性と、社会的弱者を救うのはまた別の社会的弱者という希望とも絶望とも取れる内容は、これまた観る人を選ぶ。サスペンスの面だけ見れば、迷うことなく傑作である。この緊張感はちょっと他の作品では得られない。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

アニ

日本語では「いいや」ぐらいの軽い否定語。アニアニ=いやいや、も韓国映画ではちらほら聞こえてくるような気がする。外国語学習のコツの一つに「はい」、「いいえ」と1~10の数字をまずは覚えろ、という教えがある(ボクシングジャーナリスト・マッチメーカー・解説者のジョー小泉)。なかなか機会は訪れないだろうが、韓国旅行や韓国出張の際に土産物屋であれこれ売りつけられそうになったら「アニアニ」と言ってやんわりと断ろう。

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 2000年代, A Rank, キム・ユンソク, サスペンス, スリラー, ソ・ヨンヒ, ハ・ジョンウ, 監督:ナ・ホンジン, 配給会社:アスミック・エース, 配給会社:クロックワークス, 韓国Leave a Comment on 『 チェイサー 』 -韓国版『 セブン 』+『 ソウ 』-

『 勝手にふるえてろ 』 -理想と現実のはざまで悶えろ-

Posted on 2020年6月17日 by cool-jupiter

勝手にふるえてろ 80点
2020年6月13日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:松岡茉優 渡辺大知 北村匠海
監督:大九明子

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これは確か2017年の年末と2018年の年始にシネ・リーブル梅田で観たんだったか。男とか女とか関係なく、自分の古傷、封印していたほろ苦い思い出を無理やり呼び起こされ、それをズタボロに引き裂かれ、しかし最後に肯定してもらえたような気分になった。映画館にはまだまだ少々行きにくい。なので面白さが保証された過去作を観るのも有意義だろう。

 

あらすじ

江藤良香(松岡茉優)は24歳OL。中学二年生の頃から一(北村匠海)に恋焦がれている。だが、ある時、会社の同期の二(渡辺大知)が猛アプローチを仕掛けてきた。大好きだけれど手が届かない一か、好きではないけれど自分を好いてくれる二か、良香は思い悩むのだが、ある出来事をきっかけに一に会おうと思い立つ・・・

 

ポジティブ・サイド

青春とは不思議なもので、長い人生の中では比較的短い期間に過ぎないが、その時に受けた影響は何年も何十年も残る、あるいは続くことがある。往々にしてその影響は歳月を経て希釈されるものだが、中には逆に強化してしまう者もいる。その代表例が主人公の江藤良香だ。

 

中学二年生の頃から一途に一に懸想して・・・と言えば聞こえは良いかもしれないが、これはもはや重度の中二病である。そうした痛い女を松岡茉優は見事に体現してくれた。ソーシャルな意味でのコミュニケーションが上手いのか下手なのか分からないキャラクターで、我々はそれをパブリックな自分とプライベートな自分を華麗に使い分ける、ある意味で立派な女性像として許容する。こうしたキャラ造形は見事だし、実際にそのように映る演出も随所に挿入されている。個人的に感じ入ったのは、良香が自分で自分にアンモナイトの化石をプレゼントとして贈るところ。玄関のむこう側とこちら側で、キャラクターがガラリと入れ替わるシーンは、良香の二面性を大いに印象付けた。こうした良香のイメージが後半の怒涛の展開とドンデン返しを大いに盛り上げる。

 

二である渡辺大知も、いつも通りの三枚目キャラながら、人間の本質の部分では熱血漢、けれど表面的にはストーカー気質という少々一通りでないキャラを好演。なんというか、ラブコメやラブロマンスやヒューマンドラマの文法に全く従わないキャラである。なので、良香と同じく、観る側が共感するようになるのに少々時間がかかる。けれど、現実にこのような男がいれば、それはよっぽど根が野暮か、さもなければよっぽど自分に正直であるかのどちらかだろう。いや、男性だけではなく女性でもそうだ。八切止夫は著書『 信長殺し、光秀ではない 』で「人間関係とは一にかかって、いかに相手に自分のこと良いように誤解させるかだ」と喝破していた。それをしない人間というのは逆に信用できる。二はそういう男である。

 

それにしても松岡茉優は本当に代表作を作り上げたなと思う。『 脳内ポイズンベリー 』の真木よう子と吉田羊を同居させたような女で、なおかつ社会性に欠ける言動=二のみならず観ている観客全員をドン引きさせる大嘘を、いたって大真面目につくところ。さらには会社を休んで自宅で過ごす様のあまりにも健康的な健全さ。世俗の歓楽には興味はなく、自分の価値観だけで十分に満足できるという、仙人のようである。一方でそうした生活を長くし過ぎたせいで、一を好きなだけで満足できる人生を10年間過ごしてきたせいで、もはや軌道修正できるかできないかギリギリのところにいる様が、多くの男女の共感も呼びやすい。『 電車男 』の逆というと変だが、構図としてはそうである。人間関係というと非常にニュートラルに聞こえるが、そこになんやかんやのドロドロとした、決して綺麗ではないものがある。だが、それらすべてが汚泥であるわけではない。ふとした言動が誰かを傷つけたりすることはある。二がそうした俗世の在り方を良香に説く様には、なにかこちらが圧倒されるようなリアリティがある。自分は知らないところで他人を傷つけてOKでも、他人が自分を傷つけることは許さない。そんな良香、さらには全ての中二病経験者に、雨中の二が切々と語りかけてくる様は感動的である。こんな痛い女を包み込めるのは、こんな泥臭い男しかいない。そんな、一歩間違えればセクシズムと受け取られかねないことも本作についてなら言える。そんなパワーを放つ快作である。

 

ネガティブ・サイド

辞表とはなんだ?退職願ではないのか?と、昨年、会社に退職届を出したJovianが突っ込んでみる。綿矢りさのミス?それとも小説の編集者や校正も見逃していた?脚本にする時に間違えた?

 

多少気になったのがフレディ。『 ボヘミアン・ラプソディ 』前の作品であるが、それでももう少し似せる努力はしてほしい。同時にやはり松岡茉優は顔が整い過ぎていて、中学時代の良香には苦しかった。いかに野暮ったく描いても栴檀は双葉より芳しである。

 

片桐はいりのキスシーンは必要か?ぎりぎりで見せないようにするほうが、観る側はかえって想像力をそそられる。想像力がテーマの一つである本作には、そうした映さない映し方がふさわしかったのでは?

 

総評

Third viewingだったが、それでも面白い。見るたびに発見ができる。松岡茉優は極めて薄い化粧で、ちょっとした照明の工夫で明るい時と落ち込んでいる時、自分の世界にいる時と会社などの他人の世界にいる時で、光量が使い分けられている。ストーリーやキャラクター以外の映画作りの技法の面でも優れた、近年の邦画の一つの到達点である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

go extinct

絶滅する、の英語である。become extinctも同じくらい使われる。絶滅すべ~きで~しょう~か~?を、“I should let my love go extinct, shouldn’t I?”とすれば、収まりがよく聞こえる。英語のフレーズやセンテンスは、リズムと一緒に覚えよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, A Rank, ラブコメディ, ラブロマンス, 北村匠海, 日本, 松岡茉優, 渡辺大知, 監督:大九明子, 配給会社:ファントム・フィルムLeave a Comment on 『 勝手にふるえてろ 』 -理想と現実のはざまで悶えろ-

『 テルマ&ルイーズ 』 -抑圧された女性の絆とロードトリップ-

Posted on 2020年5月24日2020年9月26日 by cool-jupiter

テルマ&ルイーズ 85点
2020年5月23日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:ジーナ・デイビス スーザン・サランドン
監督:リドリー・スコット

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確か中学生ぐらいの時に親父がVHSを買っていたように思う。自分では観なかったが。テレビドラマ『 リゾーリ&アイルズ 』のとあるエピソードで、アイルズ先生がリゾーリの自宅に「一緒に観よう」と持ってきたのが本作。そこで興味を持った。自粛ムードを吹っ飛ばすにはちょうど良いと思い、兵庫県から大阪府へ(といっても直線距離で8kmほど)。

 

あらすじ

専業主婦のテルマ(ジーナ・デイビス)とウェイトレスのルイーズ(スーザン・サランドン)は週末の旅行に出かける。日頃、夫によって抑圧されていたテルマは、立ち寄ったバーで男性と意気投合し、酒とダンスに興じる。だが、レイプされそうになったところをルイーズに救われる。ルイーズはしかし、侮辱的な言葉を発する男を射殺してしまう。テルマとルイーズの二人は逃げるしかなくなり・・・

 

ポジティブ・サイド

『 運び屋 』や『 グリーンブック 』、『 ダンス ウィズ ミー 』のように、ロードムービーは定期的に生み出されている。その中でも本作は白眉である。抑圧から解放がある一方で、解放された先に抑圧がある。物語の進行やキャラクターの造形がひと通りではない。

 

シネマグラフィーも素晴らしい。薄暗いダイナー、そして薄暗い室内、そして全体的に日照の少ない街並みから始まって、アメリカ中西部から南西部にかけてロードトリップに出るのだが、ストーリーが進行するほどに画面にどんどんと色が出てくる。だが、ある時からその色が黄色の砂と赤茶けた岩の色に塗りつぶされていく。それはテルマとルイーズの二人のキャラクターが内面的に変化していく様と不思議なコントラストを成している。人間的に成長したくましくなっていく、あるいはクールに見えた人間が狼狽え、取り乱していく。そうしたキャラクターの心情が画面の色使いで伝わってくる。CM監督出身の巨匠リドリー・スコットらしい手腕である。

 

そのリドリー・スコットの投げかけてくるメッセージは明確である。弱者を虐げるな、ということである。テルマもルイーズも悪くない。悪いのは、テルマをレイプしようとしたハーランであるし、彼女の話をまともに聞こうともせず、浮気には精を出す夫である。ルイーズも男には恵まれているように見せて、そうではない。明確には明かされないが、悲しい過去がある。『 ジョーカー 』でも感じたことだが、弱者を踏みつけてはならない。弱者とは持たざる者である。失うものがない者は恐れるものがない。恐れるものがない者は、一線を越えてしまってもおかしくない。リドリー・スコットというと『 エイリアン 』や『 ブレードランナー 』のようにSFのイメージが強い。しかしその実態は、抑圧された環境下での人間の変化だったのではないだろうか。

 

テルマとルイーズが行く先々で罪を犯していく。本来ならば陰鬱な逃避行のはずが、爽快感が感じられるのは何故か。それは人間の本性がむき出しになっていくからだ。ルイーズは恐ろしい剣幕で「テキサスには行くな」とテルマに迫る。テルマはルイーズに「警察と取引したのか」と食ってかかる。共犯として協力し合わなければならない二人の間にすら緊張が走る瞬間がある。それすらも爽快なのだ。なぜそうなのか。それは劇場または自宅で観て、ぜひとも確かめてみてほしい。

 

ネガティブ・サイド

マイケル・マドセン演じるジミーが、とにかく男の中の男である。ルイーズに「警察には何もしゃべらないで」と頼まれて、実際に何もしゃべらなかったと推測されるのだが、そのシーンが欲しかった。テルマの夫のダリルのクソっぷりと対比させることはできなかったのだろうか。数少ない、魅力ある男性キャラだったのだが。

 

二人を追う刑事ハルも味のあるキャラだったが、その描写が少々弱い。ブラピ演じるJDと取調室で二人だけになるシーンでは、連れの刑事の「ヒューッ」という口笛から何らかの惨劇が予想されたが、いくらなんでも生ぬるすぎる。あの程度の責めでブラピが急に語尾に sir をつけて話すようになるとは考えづらい。この叩き上げの刑事をもう少し掘り下げてほしかった。

 

逃避行の発端となった酒場の女性従業員のような、二人の協力者となるような女性サブキャラがもう少しいれば良かったのにとも思う。何らかの事情を察した女性が、テルマとルイーズの逃避行を、陰ながらサポートすると演出もあってよかったのではないか。トランクに閉じ込められた警察官にタバコの煙を吹きかけてやるという演出も悪くはなかったが、より better な演出はもっといくらでもあったはずである。

 

総評

ロードムービーにしてアメリカン・ニューシネマの傑作である。80~90年代のヒットソングでHans Zimmerの音楽と鮮やかな色遣い溢れる画面とが相まって、芸術的とさえ言える美しさも備えている。道なき道を爆走するテルマとルイーズの姿に心を動かされない人がいようか。現代にも通じるメッセージが明確に込められており、そしてそれは未来へもつなげていくべきメッセージである。このような映画こそ、次世代に残していきたいし、映画館でリバイバル上映をもっと盛んに行ってほしいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

figure out

フィギュア・スケートのフィギュアの主な意味は、「形」や「数字」である。つまり、figure outとは、形や数字として出す、という意味である。figure out a mystery=謎を解く、figure out what to do=どうすべきを考える、という具合に使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 1990年代, A Rank, アメリカ, クライムドラマ, ジーナ・デイビス, スーザン・サランドン, ブラッド・ピット, 監督:リドリー・スコットLeave a Comment on 『 テルマ&ルイーズ 』 -抑圧された女性の絆とロードトリップ-

『 11人いる! 』 -80年代SFの傑作-

Posted on 2020年4月26日 by cool-jupiter
『 11人いる! 』 -80年代SFの傑作-

11人いる! 80点
2020年4月26日 YouTubeにて鑑賞
出演:神谷明 河合美智子
監督:出崎哲 冨永恒雄

映画館に行けなくなって久しい。まさに世界は、ゾンビが彷徨している。あるいは未知のウィルスが蔓延しているという設定のディストピアSFの様相を呈している。そこで、ふと思い出したのが本作。まさに“三密”な宇宙船内に多種多様な人種を詰め込んだ環境は、COVID-19が猖獗を極める今こそ、再鑑賞するのにふさわしい。Amazon Primeに見当たらなかったが、YouTubeで発見。ありがたや。

 

あらすじ 

タダ(神谷明)はコスモ・アカデミーへの第一次・第二次入学試験を順調にパスした。そして最終第三次試験で、漂流中の宇宙船内で他の9名の受験生、合計10名で53日間を過ごすという最終試験に臨む。宇宙船に到着した一行は、しかし、自分たちが11人いるということが判明し・・・

 

ポジティブ・サイド 

1950~1960年代の作家的想像力をメインに構築されていたSF作品ではなく、1970年代以降のジェイムズ・P・ホーガン的な、つまり当時の最先端の科学的知見を盛り込んだSFである。ここでいうSFとはScience Fictionではなく、Space Fantasyである。原作が1975年なので、『 エイリアン 』(1979年)や『 スター・ウォーズ 』(1977年)よりも前。つまり、『 2001年宇宙の旅 』の系譜を日本が引き継いだ作品とさえ言える。冒頭の鈍く銀色に輝く巨大宇宙船を見よ。巨大な宇宙船の船体表面をクロースレンジでじっくりと映し出すことで大きさを強調する手法は、『 2001年宇宙の旅 』に始まって『 スター・ウォーズ 』や『 エイリアン 』に直接継承された手法である。本作は1986年に劇場公開された。製作者たちが、これらの先行映像作品に影響を受けなかったはずはない。重力制御装置や超距離エレベーターなど、先行SF作品でお馴染みのガジェットが随所に詰め込まれている。

 

疾走感と虚無感を併せ持ったBGMも素晴らしい。どこかファミコンゲーム『 グラディウス 』に共通するテイストの音楽が、爆発とレーザーで彩られる終盤の展開を上手く観る側に予感させてくれるような気がする。

 

宇宙の様々な星系からの人種のトップ層が、コスモ・アカデミーに集まるというのも当時としては斬新な世界観だったのではないか。今では中国やインド、ナイジェリアやブラジルの超秀才がアメリカの大学や大学院で学ぶのはもはや既定路線になっている。世界的な視点では普通のことであるが、日本的な視点からは異質だ。日本発の同時代のSF作品の金字塔である『 機動戦士ガンダム 』は、地球人同士の争いであるし、『 宇宙戦艦ヤマト 』に登場する宇宙人は、第二次世界大戦時の日本の敵国人種の投影である。そうした意味で、萩尾望都は日本人離れした先見性と想像力を持っていたと、あらためて評価することができる。

 

キャラクター造形も素晴らしい。『 機動戦士ガンダム 』におけるニュータイプの概念を先取りしたのような直感力に秀でた主人公タダを始めとして、ほとんどのキャラが立っている。特に正真正銘の王様でありながら、民主主義的に多数決を自ら提案し、その多数決の結果に諾々と従うという“王様”はユニークだ。ヒロイン的なポジションにどっかと座るフロルも良い。男勝りなところがいかにもクリシェだが、本作は1980年代半ばに公開されていて、原作は1975年であることを思い出そう。女性である、女性になる、女性として生きるという概念が今とは全く異なる、まさに別の時代において、萩尾望都が産み出したこのキャラは、漫画家というよりも女流作家、いやクリエイターとして常に新境地を切り拓いてきた氏の投影そのものだったのだろう。

 

疑心暗鬼の船内、奇病の発生、ワクチンの争奪戦など、まさにCOVID-19が猛威を振るう世界そして日本の縮図的な環境が、ここには描き出されている。SFとしてだけでなく、ミステリとしてもサスペンスとしても、また青春ものとしても、非常にハイレベルに仕上がった逸品である。

 

ネガティブ・サイド

メニールが雌雄同体というのは、厳密には誤っている。実際は無性体または雌雄未分化と言うべきだろう。このあたりの科学的知識は、1970~1980年代においてもしっかり共有されていたはず。作家というよりも編集者や校正がカバーすべきだった。

 

船内の爆発物を除去しないという序盤の過ごし方についても、なんらかの説明が必要だったはず。特にコスモ・アカデミーのような合格率が数万分の一というような超難関の最終試験に残るような頭脳エリート集団が、何故このような選択をしたのか。またハンドガンの存在をコスモ・アカデミーは感知していたのか否か、そのあたりの説明も不十分だった。

 

ほとんどのキャラが存在感を放つ一方で、赤鼻やトトは明らかに出番も少ないし存在感もない。議論がヒートアップした時などに赤鼻が上手く仲裁する、あるいは妥協できる案を提出するなどすれば、彼のアカデミー卒業後の進路に説得力が生まれた。トトにしても同じで、『 オデッセイ 』のマット・デイモン並みに限られた資源で野菜や果物の栽培に成功したという描写がほんの少しでもあれば、尚よかった。

 

船内スクリーンに時々映し出される50 DAYS TO THE ENDや24 DAYS TO THE ENDというのは、非標準的な英語だ。50 DAYS REMAININGまたは50 DAYS LEFTの方がナチュラルな表現である。

 

総評

おそらく2050年になっても古さを感じさせない古典である。Jovian自身、鑑賞はおそらく4~5度目だが、ワンシーンごとに演出がしっかりしており、無駄が一切ない。1時間30分と非常にコンパクトにまとまっている点もポイントが高い。ある意味で性別を超越したロマンス展開もあり、Xジェンダーというアイデンティティを1970年代にして認知していた最初の作品群の一つであるとも評価できるかもしれない。家に引きこもってYouTubeを観るのなら、ぜひ本作もWatch Listに加えるべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

This is fate.

ヌーの口癖、「これも定め」の私訳。fateについつい冠詞のaをつけてしまう人が多いが、これはほとんどの場合、無冠詞で使う語である。冠詞の使い方をマスターすれば、英検マイナス1級、TOEIC L&R換算1400点である。こういったものは丸暗記に限る。そして、丸暗記するのならば文法書や問題集ではなく、歌詞や映画の台詞にしよう。Jovianは『 インデペンデンス・デイ 』のウィットモア大統領の演説、“Perhaps it’s fate that today is the Fourth of July”を暗記している。

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Posted in 国内, 映画Tagged 1980年代, A Rank, SF, アニメ, 日本, 河合美智子, 監督:冨永恒雄, 監督:出崎哲, 神谷明, 配給会社:東宝Leave a Comment on 『 11人いる! 』 -80年代SFの傑作-

『 アジョシ 』 -孤高の韓流ダーク・ナイト-

Posted on 2020年4月26日2020年12月13日 by cool-jupiter

アジョシ 80点
2020年4月25日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:ウォンビン キム・セロン 
監督:イ・ジョンボム

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200426120104j:plain
 

『 母なる証明 』のウォンビンが、『 オールド・ボーイ 』のキーワード、孤独で過去に囚われた“アジョシ”になる。それだけで、何か胸が締め付けられていくような気分になる。そして、実際にこれほど胸が締め付けられる作品は極めてまれである。

 

あらすじ 

場末の質屋を営むテシク(ウォンビン)は、隣の部屋の娘、ソミ(キム・セロン)とささやかな交流を持っていた。だが、ソミの母親が地下組織から麻薬を掠め取ったことから、ソミは麻薬と人身売買をなりわいとする組織に連れ去られてしまう。テシクはソミを助け出すべく、動き出す・・・

 

ポジティブ・サイド

カメラワークや照明、小道具に大道具まで、あらゆるスタッフが奮闘したことが伝わってくる、まぎれもない傑作。その中でも、役者の存在感が際立っている。特に子役キム・セロンは、出演時間こそ短いものの、印象的なシーンをいくつも残した。特に序盤、路地での悲痛なまでの心情の吐露。これには打ちのめされた。劇中のテシクならずとも、子どもがこのように大人に対してくれば、どのような凍てついた心も溶けるだろうし、どのような燃え盛る怒りも静まるのではないか。『 トガニ 幼き瞳の告発 』でも感じたが、韓国映画は子役/子どもであっても、演出面で容赦も妥協もしない。苛烈で過酷な環境に置かれた子どもたちの姿には吐き気を催すが、その中にあってもソミの純粋さと優しさは失われない。殺し屋相手にも無垢でまっすぐな視線でもって語りかけ、傷口に絆創膏を貼ってやる。その行為はソミというキャラをしっかり立たせ、さらに終盤の展開への伏線としても機能している。なんという無駄のない、計算された脚本か。

 

だが、役者でいえば何と言ってもウォンビンだ。ウォンビンの存在感、アクション、韓国の俳優らしから無表情の演技、しかしその目は言いようのない怒りや悲しみを何よりも雄弁に語っている。ポリティカル・コレクトネスに無頓着だった時代、我々はよく「男は黙って・・・」という枕詞を多用していた。ほとんど台詞らしい台詞を発することのないテシクは、その意味では古き良き男の像を体現していた。ソミを拉致したラム兄弟一味の用心棒であるラム・ロワンとのトイレでの決闘シーンは、清潔なトイレに血が飛び散るという光景が、血の赤をより際立たせる。かなり狭い空間でのバトルであるにも関わらず、カメラアングルも多彩で、hand to hand combatのシーンもロングのワンカット。両者ともに魅せる。『 不能犯 』の宇相吹正そっくりのいでたちと髪型から、中盤にバリカンで髪を一気に刈り上げ変身するシーンは鳥肌もの。見事に割れた腹筋がサービスで披露されるからではない。『 続・夕陽のガンマン 』で、イーライ・ウォラックの演じた The Ugly のトゥーコさながらに、自分の銃の状態を手触りと音で確かめるからだ。我々はこの瞬間、テシクの底知れなさに戦慄する。同時に、テシクがマンソク兄弟とその一味にもたらすであろう死と破壊への期待が、否が応にも高まる。

 

クライマックスのアジトでの銃撃戦とナイフバトルはアクション映画のバトルの最高峰だろう。普通にテシクも手傷を負うところがよい。凡百のアクション映画は主人公が息も切らさず雑魚敵をなぎ倒していくが、普通はそれだけ動けば、どんな超人でもゼーゼーハーハー状態である。韓国映画がこだわりまくる血しぶきと土埃の演出は本作でも健在。肋骨の隙間を探るように連続で何度も雑魚敵の胸を刺していくテシクには戦慄させられる。単に殺すのではなく、苦痛を与えて殺す。その行為自体が強烈なメッセージだ。相手を殴る時には、頬は拳で、顎は掌底でヒットするようにしているところも見逃せない。そんなにベアナックルで殴りまくったら、普通に骨折するだろうというアクション映画は星の数ほど存在するが、ここでもテシクの体に染みついた殺人術、そのプロフェッショナリズムが見て取れる。ラム・ロワンとのナイフバトルは緊張感の極致。『 初恋 』の日本刀チャンバラをさらにクロースレンジに、さらに高速にした感じで、ヤクザではなく元軍人同士の戦いの様相が色濃く出た。テシクの禁断の噛みつき攻撃には痺れた。韓国映画にはタブーがないのか。

 

本作は登場人物すべてのキャラが立っている。悪役であるマンソク兄弟の悪逆非道さ、児童売買を斡旋し、警察のガサ入れにも平然とカップラーメンをすすり続ける老婆、車イスに乗った障がい者(のフリをした運び屋)に躊躇なく容赦なくドロップキックを見舞う刑事、常に煙草をくゆらせながらも、ここぞというところで煙草を自重する刑事、韓国版『 ローン・ガンメン 』のような警察官、ソミの万引き行為にも鷹揚に構える雑貨屋の店主など、雑多な人間がそれぞれにしっかりと輝いている。2010年代で最高の韓国映画の一本だろう。

 

ネガティブ・サイド

児童売買および監禁をしているばあさんに天誅は下らないのか。もちろん起訴されて間違いなく有罪判決が下るのだろうが、我々が欲するのはもっと直接的な罰の描写である。Jovianが監督なら、不敵にラーメンをすすり続けるばあさんからカップを奪い取り、汁ごと顔面に叩きつける。刑事にそれをさせる。これぐらいの演出は長幼の序を重んじる韓国といえど許容範囲内だろう。

 

ラム・ロワンとテシクの決闘で炸裂した禁断の噛みつきだが、ロワンの手に噛み跡をつけることができれば、まさにパーフェクトだったはず。画竜点睛を欠いたとまでは言わないが、まことに惜しいところだった。

 

後は、テシクの悲しい過去にもう一言だけあれば尚よかった。具体的には決して出会うことのなかった我が子が女の子だった、と分かるシーンがあれば、ソミとテシクの関係性により説得力が生まれたはずだ。

 

総評

児童売買、児童労働、麻薬密売、臓器密売。韓国社会の闇がすべて凝縮されたかのような作品である。そうした問題を決して放置してはならないという社会的メッセージを、凄惨なアクションを通じてオーディエンスに届けてきた。まさにエンターテインメント性と作家性の完全なる融合である。イ・ジョンボム監督の最高傑作で、これ以上のものは最早作れないだろう。絶対に無理だと思うが、日本でもリメイクしてほしい。とりあえずマンソク兄弟の弟は渡辺大知で。テシク役は『 図書館戦争 THE LAST MISSION  』で岡田准一と対決しそうで対決しなかった松坂桃李で。日活か東映が北野武に10億渡して監督させるべし。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

So what?

「それがどうした?」の意である。かなり挑発的な表現なので、使いどころに注意のこと。

例)

“The restaurant I went to yesterday was awesome.” “So what?”

“I passed the exam!” “So what?”

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, ウォンビン, キム・セロン, 監督:イ・ジョンボム, 配給会社:東映, 韓国Leave a Comment on 『 アジョシ 』 -孤高の韓流ダーク・ナイト-

『 悪女 AKUJO 』 -遊園地のアトラクション的アクションの数々を体験せよ-

Posted on 2020年4月19日 by cool-jupiter

悪女 AKUJO 80点
2020年4月19日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:キム・オクビン
監督:チョン・ビョンギル

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200419233311j:plain
 

劇場公開当時、心斎橋シネマートに行こう行こうと思いつつも、スルーしてしまった作品。近所のTSUTAYAでやっと準新作から旧作扱いに。満を持してレンタル。うーむ、韓国映画界では良い意味で頭のおかしい才能が育つのだなと感心してしまった。

 

あらすじ

スクヒ(キム・オクビン)は、殺し屋として自分を育てたジュンサンを愛し、結婚する。だが、そのジュンサンが敵対組織に暗殺されてしまう。復讐の鬼と化したスクヒは、敵アジトに乗り込み、数十人を皆殺しにする。逮捕されたスクヒは、その戦闘力から国家情報機関の手先として10年間働くことになり・・・

 

ポジティブ・サイド

冒頭の1分間はまるでFPS(first person shooter)のゲームである。ゲームセンターにあるゾンビを撃ち殺しまくるアレである。次の1分間は一人称視点での『 シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション 』で冴羽獠がジェロム・レ・バンナらを相手に大乱闘を繰り広げたシーンの屋内版である。そこからナイフバトルが1分間。逆手でナイフを使うのは『 96時間 』へのオマージュか。そして徒手空拳バトルが1分間。ブラック・ウィドウ的な黒のタイトスーツで、鉄棒を使ったジャッキー・チェン的アクションを彷彿させる。オープニングの掴みのシークエンスとしては、近年では『 ベイビー・ドライバー 』に次ぐものであったように感じた。

 

その他のアクションも楽しい。『 ニキータ 』や『 ジョン・ウィック 』的な、スタンディングのガン・アクションに、どこからどう見ても『 キル・ビル 』へのオマージュとしか思えない花嫁姿での銃撃。本作には古さと新しさが同居している。

 

個人的に最も面白いと感じたのは、高速走行バイクでの日本刀バトル。特に数台のバイクがカメラを一気に追い越したところを180度パンした瞬間に、視点がバイクと同じ高速移動に移行するシーンは、まさに観る者に疾走感を味わわせてくれる。そして漫画としか思えないような走行中のバイク同士のチャンバラ劇。最近リメイクが発売されたゲーム『 ファイナルファンタジーⅦ 』のバイクバトルを思い出させてくれた。日本刀を前輪ホイールに突き刺してバイクを止めるのは『 デッドプール 』へのオマージュか。そうそう、バイクのシーンではないが『 アトミック・ブロンド 』的なロープ・アクションもあった。

 

最終盤には邦画『 初恋 』がアニメーションでお茶を濁してしまったクルマの大ジャンプを敢行。そして、小説『 ブラック・プリンス 』に漫画『 シティーハンター 』、映画『 スター・ウォーズ 』が何度も繰り返し描いてきた師弟対決、そして親子対決(厳密には本作は夫婦対決だが、エンタメで分類すれば親子対決だろう)。ボンネットからクルマを運転するという狂気のカーチェイスからバス車内に飛び込んでの大乱闘は、手に汗握るを超えて笑うしかない仕上がり。『 オールド・ボーイ 』のチェ・ミンシクが金づちなら、本作のキム・オクビンは手斧。『 The Witch 魔女 』のジャユンに並ぶ韓流女性ダークヒーローの誕生である。『 ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY 』で、Birds of preyに入れてもらえるだろう。いや、逆に喧嘩になって皆殺しにしてしまうかもしれない。ハリウッドあたりが『 ジョン・ウィック 』ならぬ『 ジェーン・ウィック 』みたいなパロディを作ってくれないから。

 

ネガティブ・サイド

アクションはどれもこれも秀逸だが、同じ女性工作員との木刀バトルのシーンだけがイマイチだった。もっと尺を長く取るか、あるいは額から流血ではなく、腕や足に内出血させるような、観ているこちらが痛みをリアルに想像してしまうような演出が欲しかった。木刀とは、流血させるというよりも、打撃でダメージを与える武器だろう。

 

女衒としての諜報活動を見破られるシーンで、妙な血しぶきのかかり方があった。目の前で向かい合っている仲間が後ろから首を切られたのに、その返り血が正面にいるスクヒの顔にまともに当たっていたが、これはおかしい。仕込みの血袋からCG処理まで、韓国映画らしい血みどろの演出に凝っていたが、このシーンだけは決定的におかしいと感じた。

 

それにしても我々は『 ユージュアル・サスペクツ 』以来、足をひきずって歩く男を信じられなくなってしまった。邦画の『 愚行録 』しかり。このあたりはクリシェが過ぎたように思う。

 

ストーリーもあってないようなもの。古今東西、死ぬほど量産されてきた「死んだはずの奴が生きていた」と「出会ってはいけなかった二人」の物語のちゃんぽん。闘って何が解決するのか分からないが、闘わないことには何も解決しないというWWE的なノリで進んでいく。薄っぺらいのだ。しかし、孔子曰はく「備わらんことを一人に求むるなかれ」である。

 

総評 

日本でもリメイクすべし。スクヒは戸田恵梨香。クォン部長は真飛聖。ジュンサンは筧利夫。ヒョンスは大谷亮平。監督は、アイデア豊富な一点突破型の新人を思い切って抜擢すべし。上田慎一郎的な、一つのテイストに秀でた才能は日本にも眠っているはず。そうした在野の士を辛抱強く掘り起こしていくことが今後の邦画界に求められる。無難にまとまった作品はいらない。一芸に秀でたタレントを発掘し磨くべし。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

カジャ

軽く「さあ、行こう」みたいな場面でたびたび使われている。調べてみたら、やはりその通りの意味だった。言葉の意味はいきなり調べるのではなく、状況から類推する癖をつけておこう。語彙力=既知の言葉の量+未知の言葉の意味を推測する力、である。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, アクション, キム・オクビン, 監督:チョン・ビョンギル, 配給会社:KADOKAWA, 韓国Leave a Comment on 『 悪女 AKUJO 』 -遊園地のアトラクション的アクションの数々を体験せよ-

『 オールド・ボーイ 』 -韓国ノワールの面目躍如-

Posted on 2020年4月14日2020年4月15日 by cool-jupiter

オールド・ボーイ 80点
2020年4月12日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:チェ・ミンシク カン・へジョン
監督:パク・チャヌク

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200414233705j:plain
 

心斎橋シネマートで韓国映画を観たいが、それもままならない。ならば近所のTSUTAYAの韓国映画コーナーで面白そうなものを借りてくるだけである。

 

あらすじ

オ・デス(チェ・ミンシク)はある日、突然誘拐され、以来15年間監禁されていた。部屋の壁を何とか削りながら、なんとか自力で脱出を果たせるかという時に、彼は突然解放される。途方に暮れるオ・デスは、しかし、自分を監禁した者への復讐を誓い・・・

 

ポジティブ・サイド

日本の漫画が原作ということだが、この映画のプロットと原作はどれくらい似通っているのだろうか。妥協しないバイオレンス・アクションと度肝を抜かれる展開に、2000年代の韓国映画の底力を見たような気がする。

 

あれよとあれよという間にオ・デスが監禁され、観る側はオ・デスと共に「何故?」「どこ?」「誰?」といった疑問を抱・・・く間もなく、オ・デスは復讐を誓い、ガムシャラに体を鍛え、『 ショーシャンクの空に 』のアンディのごとく、脱出を図る。そしていざ・・・という時に勝手に解放される。ここまでの展開のジェットコースター的なスピードよ。作る側は早くオ・デスを暴れさせたい、観る側は早くオ・デスが大暴れし、監禁された謎が解かれるのを見たい。両者の思いが見事にシンクロする。粗っぽく進行するのと、念入りに描写しながらもそのねちっこさを一切感じさせずスピーディーに進むのは全然違う。前者はアマチュアの仕事、後者はプロの仕事である。

 

シャバに舞い戻ったデスは、町のチンピラとの乱闘からイカの踊り喰いまで、監禁されていたとは思えないほどの健康的な振る舞いを見せる。いや、健康的というよりも、火山が噴火前にマグマをとことん溜め込むかのように、デスは監禁部屋の一室でマグマを内に溜め込んでいたのだ。デスとミドの出会いのシーンは一見して意味不明である。これもあれよあれよという間に話が進み、一気に恋仲になり燃え上がる二人になる。このあたりは昭和や平成初期の任侠映画や、アメリカン・ニューシネマの逃亡物のようである。それにしても、ミドを演じるカン・ヘジョンの何と官能的で魅力的であることか。『 RED 』の夏帆の2度目のラブシーンも艶めかしかったが、デスとのまぐわいは動物的と言おうか、愛情表現や濃密なコミュニケーションではなく、本能的につながってしまったという印象を強く受けた。美しいラブシーンではなく、荒々しいセックス。この演出が後々、二重の意味で効いてくる。一つはデスが自分を「獣にも劣る人間」と語るところ、もう一つは終盤のドンデン返しである。この計算された粗さと荒々しさというのがパク・チャヌク監督の持ち味なのだろうか。

 

アクションも楽しい。見ごたえがある。特に廊下の大立ち回りは、ロングのワンカットになっており、どれだけリハーサルを重ねたのか、心配になるほどの上々のクオリティ。何が素晴らしいかと言えば、ちゃんと主役の息が切れるアクションになっていること。これが例えばランボーやイーサン・ハント、ジェームズ・ボンドなら、息も乱さず雑魚を一掃するが、オ・デスはそうではない。テレビのボクシングを見様見真似で練習し、決して殴り返してこない壁を相手にパンチングを行い、妄想の中でスパーリングをこなしてきたのである。何人かを撃退したところでゼーゼーハァハァである。世間の評判はイマイチだったが、Jovianは同じ理由でシャーリーズ・セロンの『 アトミック・ブロンド 』を高く評価している。いくら主人公が強くても、息は絶対に切れるのである。それにしてもこの廊下の大乱闘の完成度の高さよ。特に、オ・デスが角材を右でガードしてからの左ストレートのカウンターを見舞う様は芸術的だ。

 

アクション以外の映像芸術面でも魅せる。デスが母校を訪ねるシーンも印象的。ホームページに映る校庭、そこで遊んでいる生徒たち、という動画が流れていると思わせて、そこにデスの乗る車が走って来るという映像のつなぎ方には唸らされた。セピア色の後者をかけるかつての自分を追いかけるシーンはベタな演出だが、謎解きの本質に迫る感じがしてグッド。手鏡と窓というガジェットの使い方も印象的である。それにしても、韓国というのは美女でも美少女でもどんどん脱ぐのだなと感心する。青春というのはキラキラと輝いている一方で、ドロドロの性欲に支配されている時期でもある。ついつい勢いでセックスしました、までは行かなくても過激なペッティングをしてしまいました、というのは説得力ある展開である。それもこれも、女優さんが文字通り一肌脱ぐから成立するんだよな。日本の二十歳前後の女優も頑張ってほしい。

 

終盤のドンデン返しは、箱の時点で感づいた。デヴィッド・フィンチャーの『 セブン 』以来、このような展開で箱を見ると中に最悪のものが入っているといやでも想像するようになってしまった。今作でもその予感は正しかった。うーむ、悔しいなあ。なぜ15年なのか。なぜ監禁者はデスを殺さなかったのか。なぜ監禁者は暴れまわるデスを一思いに始末しないのか。ここらあたりをとことん突き詰めて考えれば、人によってはあらすじから結末が読み解けるかもしれない。真相を知ったデスの振る舞いは、演技の域を超えてほとんど発狂した人間のそれである。イカの踊り喰いも、ある意味ではこの行動の前振りだったのか。ラストのデスの表情が物語るものは何か。『 殺人の追憶 』のソン・ガンホのラストの表情と並ぶ、渾身の顔面の演技である。やっていることは『 母なる証明 』の母に通底するものがあるのだが、これが韓国流の父性や母性の解釈なのだろう。人間の弱さや醜さ、汚さから絶対に目をそらさないという強さが、そこにはある。

 

それにしても本作の俳優さんたちは、なぜか日本の俳優に雰囲気がそっくりな人が多い。北村有起哉や中村獅童、千原せいじに水原希子などの顔がパッと浮かんできた。

 

ネガティブ・サイド 

15年ぶりに外の世界で出てきて、いきなり違和感なく携帯電話やパソコンを使うというのは少々疑問だ。この当時の携帯やPCは、『 スティーブ・ジョブズ 』が目指したような“子どもや高齢者でも直感的に使うことができるインターフェース”は実装されていない。テレビでプロダクトを見たからといって、いきなりそのまま使える代物ではない。解放された直後のオ・デスがもっと時の流れに戸惑うシーンが欲しかった。

 

欲を言えば、オ・デスが金づちをメイン・ウェポンに選ぶくだりをもっときっちりと描いてほしかった。DVDのカバーにもなっている、妖しいオーラを放つ不気味な中年が金づちを振りかぶっているという構図のインパクトは非常に大きい。このトレードマークとも言える金づちとデスの結びつきを示す演出が欲しかった。

 

総評

大傑作である。暴力も性も人間の業も、全てひっくるめてパーフェクトに近い。ハリウッドでリメイクされているが、これは日本版のリメイクも作るべきだ。というか、原作漫画は日本産なのだから、日本こそ本作を映画化すべきだ。制作委員会がガタガタうるさいのだろうが、日活あたりが腹をくくって制作費3~4億円ぐらいポンと出してくれないかな。主演は音尾琢真で、監督は三池崇史かなあ。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語レッスン

アジョシ

「おじさん」の意である。劇中で何度も何度も使われるので、すぐにわかる。英語でも韓国語でもロシア語でも、語学学習で大切なことは“正しい文脈の中で学ぶ”ということである。そうした意味で、映画は語学学習の非常に大きな助けになってくれる。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2000年代, A Rank, カン・ヘジョン, スリラー, チェ・ミンシク, 監督:パク・チャヌク, 配給会社:東芝エンタテインメント, 韓国Leave a Comment on 『 オールド・ボーイ 』 -韓国ノワールの面目躍如-

『 トガニ 幼き瞳の告発 』 -精神的に削られる傑作-

Posted on 2020年4月11日 by cool-jupiter

トガニ 幼き瞳の告発 80点
2020年4月9日 レンタルDVDにて鑑賞
出演:コン・ユ チョン・ユミ
監督:ファン・ドンヒョク

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200411141316j:plain
 

心斎橋シネマートに行くことができないので、近所のTSUTAYAでずっと気になっていた作品をレンタル。傑作であったが、鑑賞には精神的なスタミナが必要である。2時間の作品を全て観るのに、三日を要してしまった。

 

あらすじ

恩師の紹介で地方の聴覚障がい者学校に赴任した美術教師カン・イノ(コン・ユ)は、そこで校長や教諭による生徒への性的虐待や暴行が行われていることを知る。人権センターの活動家ユジン(チョン・ユミ)と共に、彼らを告発するが・・・

 

ポジティブ・サイド

『 岸和田少年愚連隊 』ならば笑い飛ばせるような教師から生徒への暴力も、聴覚障がい者への平手打ち連発やストンピングというのは笑えない。最初こそ憤りを感じたものの、だんだんとそれが恐怖に代わり、最後には吐き気になった。2時間5分の映画なのに、開始35分の時点で、もう観る側の精神はズタボロである。容赦のない体罰、いや暴力、虐待の嵐が吹き荒れている。そんなシーンの直後に挿入される無邪気な天使の笑顔。この落差は何なのだ。ここから勧善懲悪物語が本格的にスタートするのだという予想はしかし、見事に裏切られる。開始54分ちょうどで、ホラー映画的な展開に。初日はここで観るのをいったんストップしてしまった。近所のTSUTAYAで色々と借りてきたのはよいが、観る順番を間違えたようである。

 

それでもカン先生やユジンの尽力もあり、悪徳教師らを一気に逮捕。裁判に持ち込んだまではいいが、ここでも精神を削られる展開が。『 記者たち 衝撃と畏怖の真実 』のオープニングで、車イスの軍人に「起立して右手を上げて宣誓しなさい」と軍事法廷の裁判官が述べ、瞬時に己の愚を悟り、謝罪するシーンがある。対照的に、本作の裁判長(野間口徹によく似ている)は聴覚障がいの傍聴人らに口頭で注意をし、「手話通訳をつけてほしい」と叫ぶユジンを容赦なく退廷させる。公正公平な裁判制度とは何なのか、慨嘆させられる。そして、見た目だけではすぐに分からない障がいの持ち主に対する配慮のあるべき姿についても考えさせられる。『 37セカンズ 』という良作が邦画の世界でも生み出されるようになってきた。今こそ『 レインツリーの国 』のようなファンタジー・ロマンスではなく、聴覚障がい者による骨太の人間ドラマの制作が待ち望まれる。

 

それにしても、暴力シーンにせよレイプシーンにせよ、子ども相手にここまでやるのかと心配になってくる。『 PERFECT BLUE 』の暴行凌辱シーンの撮影では、男優が未麻を気遣うシーンが見られたが、韓国の子役たちのメンタルケアは万全なのだろうか。まあ、万全だからこうして公開されているのだろうが、『 韓国映画 この容赦なき人生 〜骨太コリアンムービー熱狂読本〜 』が言うところの【そこまでやるか、韓国。ついていけるか、日本】である。少女が無理やり手籠めにされるだけではなく、男性が少年を“愛でる”シーンは、凡百のホラーよりもよほど恐ろしいシーンである。観ていて本当に胸が締め付けられるような苦しさを感じる。特にミンス役の子の泣きと嗚咽の演技には魂を持っているかれそうになった。障がいを持つ子どもの演技としては『 ギルバート・グレイプ 』におけるレオナルド・ディカプリオに並ぶと感じた。子役だけではなく大人も見せる。特にユン・ジャエ先生、怖すぎである。日本で同じレベルの狂気の演技にトライしてほしいのは市川実日子か。時にgoing overboardな韓国俳優の演技であるが、本作ではその過剰なまでの演技が物言えぬ子どもらとのコントラストを特に際立たせた。

 

クライマックスの法廷からエンディングまでは『 黒い司法 0%からの奇跡 』的な展開を期待させてくれる。そして我々は地獄に突き落とされるような気分を味わう。このような気持ちになったのは、カトリーヌ・アルレーの小説『 わらの女 』や江戸川乱歩の小説『 陰獣 』を読んで以来・・・というのは大袈裟かもしれない。だが、この報われないエンディングこそが、公開当時の韓国社会を突き動かす原動力となったのだろう。『 殺人の追憶 』もそうだが、優れた映画というのは商業的・芸術的な媒体には留まらないものなのである。

 

ネガティブ・サイド

主人公の動きがとろい。もたもたしすぎである。ネチネチと小言を言う母親との絡みも中途半端であるように思う。カン先生の父性を描写するために、敢えて父性の欠如を描くのは悪いアイデアではない。ただ、子どもを病弱にする必要はなかった。言葉はアレだが、カン先生の子どもは健常な健康優良児に設定すればよかった。

 

またカン先生の恩師の教授に、もっと善人っぽい顔の人をキャスティングできなかったのか。普通っぽい人であるせいで、恩師からのプレッシャーがカン先生にそれほど強く重くのしかからないように見えてしまった。

 

総評

社会性と娯楽性(良い意味でも悪い意味でも)を兼ね備えたコリアン・ムービーの傑作である。この映画の公開を機に、事件の再捜査と法整備がなされ、再審理も行われたという。現実の事件が映画となり、映画が現実に影響を及ぼす。韓国社会における映画がどういったものであるのかを垣間見ることもできる。作品としては、非常に素晴らしい出来であるが、repeat viewingをしたいとは一切思わない。それほど精神的にキツイ映画である。鑑賞前後にメンタルを整える準備をされたし。

 

Jovian先生のワンポイント韓国語会話レッスン

ペゴパ

「おなか減った」の意である。語尾を上げて、ペゴパ?(⤴)とすれば疑問文にもなる。韓国旅行(2021年以降か)で地元の食堂などに入った時に使ってみようではないか。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, コン・ユ, サスペンス, チョン・ユミ, 監督:ファン・ドンヒョク, 配給会社:CJ Entertainment Japan, 韓国Leave a Comment on 『 トガニ 幼き瞳の告発 』 -精神的に削られる傑作-

『 ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方 』 -究極の共生を目指して-

Posted on 2020年4月10日 by cool-jupiter

ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方 80点
2020年4月5日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:ジョン・チェスター モリー・チェスター
監督:ジョン・チェスター

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200410000147j:plain
 

4月5日の19:30の時点で座席の売れ行きをHPで確認。何とゼロ!密閉空間ではあるが、密集も密接もしない。以前から気になっていた映画の数々を涙を飲んでスルーしているが、今回は地元の映画館に現金を落とすべく出動した。非国民と呼ばば呼べ。ちなみに劇場鑑賞者はJovian含め3人だった。

 

あらすじ

ジョンとモリーのチェスター夫婦は、愛犬トッドの鳴き声が原因でLAのアパートを出ることに。それを機に料理ブロガーであるモリーは、自身の古くからの夢である健康的な食材を自分たちで育てるという夢を実現すべく、投資を募り、アランというアドバイザーを得て、前代未聞の規模の有機農場を始めるのだが・・・

f:id:Jovian-Cinephile1002:20200410000231j:plain
 

ポジティブ・サイド

これは2020年屈指の名作である。ドキュメンタリーというジャンルに限定すれば、間違いなく年間ベストである。2020年がまだ3か月しか経過していない時点で、Jovianはそう断言してしまう。それほど、本作が観る者に与える示唆とインスピレーションは巨大である。

 

本作でジョンとモリーが作り出そうとする農園は、その精緻さとスケールにおいて『 サッドヒルを掘り返せ 』における共同円形墓地、『 マーウェン 』における架空の村マーウェン、『 シュヴァルの理想宮 ある郵便配達員の夢 』における壮大な宮殿に勝るとも劣らない。いや、生きた動植物を直接に扱っているぶん、モリー夫妻のファームの方が、発展させていくのはより難しいかもしれない。

 

本作の描くテーマは“共生”である。共生とは、人間と微生物、人間と虫、人間と動物、人間と植物、つまり大げさに言えば人間と地球の共生である。NHKのテレビ番組『 ダーウィンが来た! 』や『 サイエンスZERO 』で海底火山の噴火で拡大した西ノ島の様子が特集されていたが、そこでは鳥の死骸を虫が食べ、その糞と岩が細かく砕かれた砂が混じることで、植物を育てうる土壌が生み出されているとリポートされていた。チェスター夫妻、そして彼らのメンターのアランの行おうとしていることも、これと同じである。様々な生物 -牛や豚や鶏そしてミミズなど- らを不毛な大地に放ち、それらの糞尿で大地を文字通りに肥やしていく。まるで文明そして農業の歴史の曙光を見るかのようである。小説『 死都日本 』でも「これからは生ゴミや排せつ物の争奪戦が始まります!」という日本国総理大臣の勇ましい演説が聞けるが、このファームはまさにそうした食べて出して食べて出してのサイクルを見事に回している、まことに稀有な農場である。こうした発想の有機農法を、アジア人ではなくアメリカ人が発想し、そして実行していることに衝撃を受けた。

 

また、ビッグ・リトル・ファームの面積が200エーカーというのも驚きである。『 プーと大人になった僕 』で100エーカーの森が描かれたが、あの2倍の広さである。当然、チェスター夫妻が解き放った多種多様な動物たちだけではなく、野生の動物たちもやってくるわけである。そして農園になる野菜や果物が、動物たち、そして虫たちに食い荒らされる。卵を手に入れるために飼っているニワトリも、コヨーテに襲われる。人間が自然をコントロールするのは、やはりおこがましいことなのか・・・ だが、ここで奇跡が起きる。パズルのピースがすべてそろった時、我々は自然の全体像を知る。生きとし生けるものには、すべて役割があったのである。中には少々痛ましいシーンもあるのだが、それも『 野性の呼び声 』にリアリティを与えるものであろう。飼い犬のロージーは野性の呼び声を聞いたのである。

 

本作を観てつくづく感じるのは、天命は確かに存在するということである。そして、現代人の価値観(それは多くの場合、経済的な観念に支配されているのだが)では、カネを稼いでナンボである。だが、カネは手段であって目的ではない。目的は、幸福を生み出すことだ。そして究極の幸福は、夢の実現と他者との共生にある。本作は、そのことを教えてくれる。観る者に生きる勇気と希望を与えてくれる珠玉のドキュメンタリーである。

 

ネガティブ・サイド

序盤の『 インターステラー 』の迫り来る砂塵のごとき山火事の煙のシーンは、最終盤に回してよかったのではないか。すべての歯車がガッチリと噛み合い回り始めた矢先にアクシデントが起きる・・・という展開の方が、ベタではあるが、物語に起伏は生まれただろう。

 

また、ジョンとモリーのメンターであるアランの経歴をもっと知りたいと感じた。最初はとんだいっぱい食わせ者かと思わせてくれたが、実は恐るべき忍耐力と慧眼の持ち主である。偏見を承知で言わせてもらうが、アメリカ人らしからぬ思想・哲学の人である。彼の先祖はヨーロッパ系ではなく17000年前にアメリカ大陸に渡ってきたアジア系移民であろう。

 

また、チェスター夫妻に金を出してくれた投資家というのも、どんな人物なのか気になるし、1年分のカネを6か月で使ってしまったというセリフもあった。カネの流れや動きについても、ほんの少しだけでいいから描写が欲しかったところである。

 

総評

あるシーンでは『 スター・ウォーズ 』のTシャツを着たキャラクターが登場する。その意味するところは明らかである。つまりは、世界にバランスをもたらすことである。映画館が休業する前に本作を鑑賞できたことを映画の神様に感謝したい。ぜひ劇場が再会したら、またはDVDや配信で視聴可能になったら、多くの方に本作を観て頂きたいものである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

in harmony with ~

「~と調和して」の意である。live in harmony with nature=自然と調和して生きる、となる。“和を以て貴しとなす”を是とする日本人であれば、こうした表現を知っておいても良いだろう。

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