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英会話講師によるクリティカルな映画・書籍のレビュー

サラリーマン英語講師が辛口・甘口、両方でレビューしていきます

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『 フィールド・オブ・ドリームス 』 -He lives in you-

Posted on 2021年9月5日 by cool-jupiter

フィールド・オブ・ドリームス 80点
2021年8月30日 NHK BSプレミアムにて鑑賞
出演:ケビン・コスナー ジェームズ・アール・ジョーンズ レイ・リオッタ バート・ランカスター
監督:フィル・アルデン・ロビンソン

 

たしか中学生の時にVHSで父親と一緒に観た。世にスポーツは数多いが、特定の国々では野球に格別のドラマを見出すようである。

 

あらすじ

トウモロコシ農場を営むレイ(ケビン・コスナー)は、ある日「それを作れば、彼はやって来る」という謎の声を聴く。”それ”を野球場だと解釈したレイは、畑の一部をつぶして野球場を作る。するとそこに、スキャンダルでMLBを追放された往年の名選手、シューレス・ジョーが現われて・・・

 

ポジティブ・サイド

初めて観た頃に、ちょうど中学の授業で赤瀬川準の『 一塁手の生還 』を読んでいたと記憶している。同作を読んで、「時代と共に変わってしまうもの、時代を経ても変わらないものがあるのだな」と感じていたので、本作品でしばしば言及される60年代が何のことやら分からなくても、それが物語の理解の妨げにはならなかった。今の目で観返してみると色々と見えてくる。戦争とそれに続く反戦運動は『 シカゴ7裁判 』に描かれている通りだし、親世代と子世代の断絶は普遍的なテーマである。

 

ケビン・コスナーが作った野球場にシューレス・ジョー・ジャクソンが現われるのは、日本で言えば沢村栄治が復活するぐらいのインパクトだろうか。ちょっと違うか。いや、戦争への道を歩む前、牧歌的に野球をしていた頃の日本の野球人だという意味では合っているかもしれない。

 

ジェームズ・アール・ジョーンズの声を聴くと、どうしても『 スター・ウォーズ 』のダース・ベイダーを思い起こすし、『 ライオン・キング 』のムファサの声も印象に残っている。父親をテーマにする本作のベストキャスティングではないかと思う。

 

レイが60年代の象徴たるテレンス・マンと共に全米を奔走し、それどころか過去と現代を行き来して、悲運のメジャーリーガーとついに巡り合う。しかし、アイオワに連れてくることが叶わないシーンには胸が潰れそうになってしまった。そこへ現われる時を超えてきた青年に思わず息を飲んでしまった。そして、その青年の因果にも。

 

最後の最後に現われる「彼」との邂逅は、野球が普及していない地域や文化圏の人が見ても、その美しさと尊さは伝わることだろう。Jovianは自宅の居間で不覚にも涙してしまった。過去と現在は断絶しない。愛と絆があれば、再び人は寄り添い合うことができる。ベタにも程があるストーリーなのだが、中年になった今、あらためてその素晴らしさを堪能することができた。

 

ネガティブ・サイド

ケビン・コスナーが各地を奔走して、「彼」を探す旅路と、自宅でそれを待つ家族という構図にアンビバレントな気持ちを抱かされる。チューリップの『 虹とスニーカーの頃 』で「わがままは男の罪、それを許さないのは女の罪」と歌った時代で、2020年代にそんな菓子の歌をリリースすればバッシングの嵐だろう。時代が違うとはいえ、この部分だけは「おいおい、レイ、もうちょっと察してやれよ」と感じてしまった。

 

散々指摘されていることだが、シューレス・ジョーは左利きである。P・A・ロビンソン監督がレイ・リオッタを御しきれなかったのか。

 

総評

WOWOWで夜更かししながらNBAを観ていたJovian少年はマイケル・ジョーダンの突然の引退と野球への転向ニュースに大いに驚いた。今にして思えば、MJも野球を通じて父親ともう一度つながりたかったのかもしれない。『 ドリーム 』や『 モリーズ・ゲーム 』で厳しいながらも温かみのある父親的人物像を打ち出すケビン・コスナーの演技が光る本作を観れば、親孝行したくなってくる。コロナ禍が収まったら、親父と一緒に映画館に行きたいな。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

take in something

スポーツ観戦は watch または see を使うのがほとんどだが、野球は take in a baseball game という表現がしばしば使われる。Cambridge Dictionaryでは take in = to go to see something of interest となっており、面白いと感じられるもの全般に使うことが分かる。実際に take in a beautiful sunset というのは travel blog などでよく使われる。映画ファンならば、take in a movie という表現も知っておきたい。

 

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Posted in 映画, 未分類, 海外Tagged 1980年代, A Rank, アメリカ, ケビン・コスナー, ジェームズ・アール・ジョーンズ, バート・ランカスター, ファンタジー, レイ・リオッタ, 監督:フィル・アルデン・ロビンソン, 配給会社:東宝東和Leave a Comment on 『 フィールド・オブ・ドリームス 』 -He lives in you-

『 ソウルメイト 七月と安生 』 -女の愛憎物語-

Posted on 2021年8月13日 by cool-jupiter

ソウルメイト 七月と安生 80点
2021年8月3日 京都シネマにて鑑賞
出演:チョウ・ドンユィ マー・スーチュン トビー・リー
監督:デレク・ツァン

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『 少年の君 』鑑賞後に打ちのめされてしまい、チョウ・ドンユィの作品、またはデレク・ツァンの作品を一刻も早く観なければという思いに駆られ、超絶繁忙期にもかかわらず無理やり半休を取って京都に出陣。京都シネマが本作をリバイバル上映してくれていたことに感謝である。

 

あらすじ

アンシェン(チョウ・ドンユィ)とチーユエ(マー・スーチュン)の二人は13歳の頃からの親友。常に二人で友情をはぐくんできたが、チーユエにジアミン(トビー・リー)という恋人ができたことで、二人の関係は微妙な変化を見せていき・・・

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ポジティブ・サイド

デレク・ツァンの映画製作手法がこれでもかと詰め込まれている。『 少年の君 』と同じく、キャラクターと物語の両方がdevelopしていく。13歳から高校生、専門学校生、そしてその先へとアンシェンとチーユエが進んでいく。凄いなと感じたのは、二人が関係の始まりから「女」だったこと。邦画が絶対に描かないであろう、少女同士の奇妙な友情。それがどうしようもなく「男」の存在を想起させる。

 

その男、ジアミンの存在をめぐる二人の関係は単純にして複雑だ。要するに、親友の恋人を好きになってしまったという、古今東西の恋愛話あるあるなのだが、その描き方が秀逸。アンシェンは家庭的には恵まれておらず、チーユエの家でしょっちゅうご飯を食べさせてもらい、風呂にも入れてもらう。そうした有形無形の様々な借りのようなものが、アンシェンをしてチーユエとジアミンから遠ざかることを決断させるのだが、そこに至る道筋の描き方がとにかくcinematic、つまり映像によって語られるのだ。冒頭ではナレーションが多めだったが、それ以降は徹底して映像で登場人物の心象を映し出す。風景、街並み、ちょっとした視線の先にあるもの。それらがとても雄弁だ。

 

アンシェンとチーユエとジアミンが連れ立ってサイクリングと山登りに興じるところで、ついに3人の微妙な距離感が壊れていく。アンシェンとジアミンの接近、それを見て見ぬふりをするチーユエ。下手なサスペンスよりもスリリングで、ここからドラマも大きくうねり始める。

 

地元に縛られながらジアミンとの交際を続けるチーユエと、文字通りに世界をめぐりながら男遍歴を重ねていくアンシェン。アンシェンの方が旅先から一方的に手紙を送るので、チーユエは返信のしようがない。この距離感と一方通行性が、終盤のとある展開に大きく作用してくる。この脚本の妙。

 

そしてついに再会を果たす二人の旅行と、その旅先のレストランでのケンカのシーンは白眉。映像で物語られてきたシーンの意味を再確認させつつ、目の前で起きている二人の感情変化も同時に伝えてくれる。ケンカになるシーンは終盤手前にもう一つ。こちらはバスルームでの感情のぶつけあいなのだが、こちらもロングのワンショットで二人の赤裸々な感情の衝突を淡々と描く。『 美人が婚活してみたら 』でも女性同士の醜い言い争いがあった。迫力では負けていないが、一方がしゃべるたびにカメラがそちらにカットしていくことには閉口した。明らかに作られたシーンだからだ。本作のケンカのシーンは、言い争う二人をカメラが長回しで捉え続けながら、少しずつ引いていく。まるで自分がそこにいるかのように。しかし、実際には周りには誰もいないということを強調するかのように。基本的な演出だが、迫真の演技と合わさることで、素晴らしい臨場感を生み出している。

 

チョウ・ドンユィの演技力抜きに本作を語ることはできない。中学生から20代後半までを全く違和感なく演じるその能力には脱帽するしかない。単純に年齢だけではなく、純粋な10代半ば、すれていく10代後半、早くも人生の酸いも甘いも嚙み分けた感のある20代前半、険のとれた20代半ばと、まさに変幻自在。チーユエを演じるマー・スーチュンの硬軟織り交ぜた演技も素晴らしい。無邪気な笑顔の裏にあるほんのわずかな毒、愁いを帯びた表情の中にあるちょっとした安堵。女の見せる表情=心情という等式が成り立たないということを、この役者はよくよく体現していた。

 

ネット小説と絡めた筋立ても良い。小説は小説でも、フィクションではなくノンフィクション、あるいは私小説であるが、そこに虚実皮膜の間がある。終盤では様々な事柄が次々に明かされるが、何が事実なのか、何が真実なのか。その境目を揺るがすような怒涛の展開には、まさに息もできない。愛憎入り混じる二人の関係、そこに女性と社会の歪な関係性も挿入された傑作である。『 Daughters(ドーターズ) 』を楽しめた人なら、本作はその10倍楽しめるだろう。

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ネガティブ・サイド

けちのつけようのない本作であるが、一点だけ。アンシェンとジアミンの”関係”は、もっと密やかに描くべきだった。もしくは、その”関係”を仄めかすことすらも、もしかしたら不要だったかもしれない。そうすれば、終盤の車内でのアンシェンとジアミンの会話の内容が、もっと衝撃的に聞こえてきたかもしれない。

 

総評

2016年の映画であるが、この時点で中国映画はこんなにも面白かったのかとビックリさせられる。香港映画と中国映画は別物で、中国映画と言えば『 ムーラン 戦場の花 』のように、面白いけれど洗練されていないという印象を抱いていたが、それは偏見だった。おそらく中国は韓国の10年前ぐらいの段階にいるのだろう。つまり、国を挙げて映画をバンバン作って、てんこ盛りの凡作の上にごくわずかな傑作を積み上げて行っているのだろう。本作が聳え立つ凡作の山の頂きに立つわずかな作品の一つであることは疑いようもない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

soul

soul = 魂 であるが、では魂とは何かというと哲学になってしまう。ここではより実践的な使い方を説明するために、昔、Jovianが数名のネイティブに尋ねた質問と回答を持ってくる。

「”You are on my mind.”と”You are in my heart.”と”You are in my soul.”では、どの順に想いが強い?」

答えは全員同じで、

1.You are in my soul.

2.You are in my heart.

3.You are on my mind.

であった。英語の上級者を自任する人であれば、サザンオールスターズの『 いとしのエリー 』とRod Stewartの『 You’re in my soul 』を聞き比べてみるのも一興かもしれない。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, チョウ・ドンユィ, トビー・リー, ヒューマンドラマ, マー・スーチュン, 中国, 監督:デレク・ツァン, 配給会社:クロックワークス, 香港Leave a Comment on 『 ソウルメイト 七月と安生 』 -女の愛憎物語-

『 イン・ザ・ハイツ 』 -傑作ミュージカル-

Posted on 2021年8月9日2021年8月9日 by cool-jupiter

イン・ザ・ハイツ 80点
2021年8月1日 MOVIXあまがさきにて鑑賞
出演:アンソニー・ラモス メリッサ・バレラ
監督:ジョン・M・チュウ

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仕事の超繁忙期なので簡易レビューしか書けない・・・

 

あらすじ

ウスナビ(アンソニー・ラモス)は、発展していくNYの中でも取り残されつつあるワシントン・ハイツ地区で、移民のルーツを持つ仲間たちと必死に、しかし夢をもって生きてきた。しかし、ある真夏の夜に大停電が起き、そこで彼らの運命を変えることになる事件が起きる・・・

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ポジティブ・サイド

冒頭から圧巻の歌とダンスのシーンが繰り広げられる。その点では『 ラ・ラ・ランド 』と全く同じなのだが、あちらがいかにも人工的に作った映像と音楽だったのに比べ、こちらはそこに生きている人間の息遣いが感じられた。それは究極的には『 ラ・ラ・ランド 』は夢見る白人たちの物語であって、その世界に生きる人間の夢も、LAというエンターテイメント業界の中心地における成功以上の意味合いが感じ取れなかったから。『 イン・ザ・ハイツ 』は、社会のメインの潮流から cast out されてきた人々の連帯の物語。どちらに感情移入しやすいか、どちらに自分を重ね合わせ安いかとなると、Jovianとしては後者である。また楽曲やダンスのクオリティも『 ラ・ラ・ランド 』よりも高いと感じた。冒頭の8分間は『 ベイビー・ドライバー 』の冒頭6分間にも匹敵すると言っても過言ではない。

 

あとは物語世界の中でキャラクターたちが必死に生きる姿を追いかけるだけで良い。『 ラ・ラ・ランド 』では一方が夢をあきらめてしまったり、『 ベイビー・ドライバー 』はクライム・ドラマだったりしたが、本作にはそうしたネガティブな要素は出てこない。いや、途中で出てくるには出てくるが、そのキャラクターも一度は諦めた夢をもう一度追いかけることを決断する。そこには家族、恋人、そして地域の愛があった。陳腐な表現を使えば、現代社会で忘れられかけた連帯というものが、力強くフォーカスされていた。停電という一種の人災の中、知恵と工夫で乗り切ろうとする人々、自らの職務に愚直に邁進する人々、そうした人々の姿に大いに胸を打たれた。邦画でミュージカルをやるとだいたいコケるのだが、本作でスポットライトが当たっているラテンの世界には歌と踊りの伝統がある。『 ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ 』でも描かれていたように、歓喜も悲哀も歌に昇華してしまうのがラテンのノリ。それがあるからこそミュージカルという形式がハマる。

 

貧富の格差がどうしようもなく拡大しつつある現在、それでも carpe diem な精神を持って、Home is home という生き方を体現するワシントン・ハイツの人々の生活を大スクリーンと大音響で体験されたし。

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ネガティブ・サイド

『 パブリック 図書館の軌跡 』では最大級の寒波が到来しているにもかかわらず、吐く息が全く白くならないというミスがあった。本作も同じく、熱波が到来している中での停電にもかかわらず、誰も汗を滴らせていないというのは気になった。

 

舞台を映画化したということだが、途中でライトセーバーをCGで表現したりするシーンは感心しなかった。無いものを見せる。それが表現力であるし演出力だろう。ライトセーバー特有のあのヴーンという効果音を使う方がより効果的だっただろう。

 

総評

快作である。日々のうっぷんが晴れるかのような気分になった。弱者という言葉がふさわしいかどうか分からないが、発展に取り残された街区での人々の連帯という点が、コロナ禍において行政や科学技術の面で立ち遅れた日本に暮らす自分の心を大いに射抜いた。楽曲の良さも保証できる。ミュージカルというジャンルに慣れていない人にも、ぜひ鑑賞いただきたいと思う。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

There’s no place like home.

『 オズの魔法使 』でドロシーがカンザスに帰るために赤い靴を履いて念じた言葉。本作でも、ある歌唱&ダンスのシーンで使われている。この表現自体は超有名かつ使いどころも非常に多い。たとえばsummer vacationが明けて職場に帰ってきた。同僚に”Did you enjoy summer vacation?”と尋ねられ、”Yeah, I went to Nagano, but there’s no place like home.”のように言うこともできる。Naganoというのはパッと頭に浮かんだ地名であり、何か含むところがあるわけではない。念のため。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, アンソニー・ラモス, ミュージカル, メリッサ・バレラ, 監督:ジョン・M・チュウ, 配給会社:ワーナー・ブラザース映画Leave a Comment on 『 イン・ザ・ハイツ 』 -傑作ミュージカル-

『 少年の君 』 -中国映画の渾身の一作-

Posted on 2021年8月7日 by cool-jupiter

少年の君 85点
2021年7月31日 シネ・リーブル梅田にて鑑賞
出演:チョウ・ドンユィ イー・ヤンチェンシー
監督:デレク・ツァン

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嫁さんが面白そうだと言っていたので、チケット購入。鑑賞後は「中国映画はいつの間にかここまで来ていたのか」と自らの蒙を啓かれたように思えた。チンピラと少女の邂逅物語としては『 息もできない 』以上ではないかと感じた。

 

あらすじ

高校3年生のチェン・ニェン(チョウ・ドンユィ)はいじめを苦に飛び降り自殺をした同級生の遺体にシャツを被せてあげた。それがきっかけで今度はチェン・ニェン自身がいじめの標的にされてしまう。ある日、下校にチンピラ同士のケンカに遭遇したチェン・ニェンはシャオベイ(イー・ヤンチェンシー)という不良少年と知り合って・・・

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ポジティブ・サイド

中国=学歴社会であることがよくわかる。Jovianも大学時代に何人かの中国人留学生塗料で一緒に暮らしたことがあるが、日本の学生よりもはるかにたくさん勉強する。何故そんなに勉強するのかと一度尋ねたことがあるが「俺たちは勉強量と知人友人の数が帰国後の地位と収入に直結するから」という答えだった。ちなみにロシア人も同じようなこと言っていた。超学歴社会と加熱する受験戦争の下地は2000年ごろには既にその萌芽はあったわけである。

 

そんな学校社会において、萌芽のような甘ったるいボーイ・ミーツ・ガールが展開されるはずがない。甘酸っぱいキスなどとは言えない、チンピラたちに強制されたキスから始まるチェン・ニェンとシャオベイの関係。どこかキム・ギドクの『 悪い男 』を彷彿させる。憎しみで結ばれる男と女ではないが、チェン・ニェンとシャオベイは社会に居場所がない孤独な者たちという点で結ばれ、歪であるがゆえに、その関係はますます強まっていく。ロマンス映画ならば、男女の関係が近くなっていく様を楽しめるが、この二人の距離はある時点まで常に一定だ。

 

随所で挿入される暴力シーンにいじめのシーン。五輪たけなわの日本であるが、小山田圭吾のいじめ武勇伝に再び注目が集まっているが、まるでその現代版いじめを見るかのようであり、結構しんどい思いをさせられる。そのいじめの背景にあるのは、貧富の格差に受験の重圧である。それを感じさせるシーンが随所で挿入されるため、いじめる側にもそれなりの理があるかのように感じてしまい、ゾッとした。

 

シャオベイの無言のプレッシャーによりいじめから解放されたチェン・ニェンが、一瞬のスキをついて凄絶な虐待を食らう展開は、言葉そのままの意味で胸糞が悪くなった。それを知ったシャオベイの怒り、走り出そうとするシャオベイを制止するチェン・ニェン。そして二人してバリカンで髪を刈り上げるシーンは、『 アジョシ 』のウォンビンの決意を想起させた。

 

ある大事件の発覚。その後の二人の思いやりと共謀。特に対面した二人が言葉ではなく表情だけでやり取りするシーンでは鳥肌が立った。もちろん顔面で演技するのは役者にとって基本中の基本であるが、二人の表情だけでのコミュニケーションを見ている自分の頭に、次々に二人の言葉が溢れてきたのだ。「この物語をここまで丹念に追ってきたのなら、二人の間で交わされる言葉が何だかわかるでしょ?」とデレク・ツァン監督は言っているわけである。この演出の冴えと観客への信頼よ。特にチェン・ニェンを演じたチョウ・ドンユィの演技力は、この場面だけではなく全編を通じて遺憾なく発揮された。アジアでトップクラスの女優であることは疑いようもない。

 

最後の監視カメラの映像にも様々な意味が込められている。今見ているものは幻なのだとも、あるいは幻ではないのだとも解釈できる。そんな映像だ。同時に、中国が恐るべき監視社会で、いじめは絶対に許さない、誰かが必ず見ているのだ、というメッセージであるとも受け取れる。冒頭のチョウ・ドンユィがある生徒に向ける眼差しとラストシーンの眼差しを対比させれば、中国社会の優しやと恐ろしさの両方が実感できる。いやはや、凄い映画である。

 

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ネガティブ・サイド

物語上のキーパーソンとしての刑事の存在感が途中で消えてしまう。この刑事は、言うなれば監視中国社会の擬人化であり、なおかつ一党独裁共産党の善の部分の具現化でもある。本作自体が国家的な規模で製作された虐め撲滅キャンペーン推進コマーシャル動画なのだから、この刑事の存在を消してしまうような筋立てはいかがなものか。

 

さらにこの刑事、終盤でサラっととんでもないセリフを吐くが、これは終始感情を押し殺しているチェン・ニェンの感情爆発シーンを描くためのやや不自然かつ唐突なお芝居に見えてしまった。

 

総評

『 共謀家族 』にも度肝を抜かれたが、本作はさらにその上を行く。もちろん『 羅小黒戦記~僕が選ぶ未来~ 』という傑作もあったが、これはアニメ作品。実写で、人間関係や学校・受験というシステムの暗部を真正面から捉えつつ、瑞々しく、そして痛々しいガール・ミーツ・ボーイな物語を送り出してきた中国映画界に脱帽する。今作も、韓国映画と同じく、いわば国策映画。Jovianは中国共産党を支持する者ではないが、それでも中国社会が自国の闇をさらけ出し、なおかつそこに介入し、改善していくのだという力強いメッセージを発していることは評価したい。なによりも主演のチョウ・ドンユィが素晴らしすぎる。仕事が超絶繁忙期にもかかわらず半休を取って『 ソウルメイト 七月と安生 』を鑑賞すべく、チケットを買った。中国が韓国のような映画先進国になる日も近そうである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

used to V

劇中でチェン・ニェン自身が説明しているように、現在にはもう失われてしまった過去の営為を表現する際に使われる表現。あまり知られていないが、否定形や疑問形でも使われる。疑問形の場合は

Did you use to live here? = 前はここに住んでたの?

のように使う。否定形の場合は、

I never used to live here. = ここに住んだことはない。

のように never を使うことが今は主流になっている。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, イー・ヤンチェンシー, チョウ・ドンユィ, ロマンス, 中国, 監督:デレク・ツァン, 配給会社:クロックワークス, 香港Leave a Comment on 『 少年の君 』 -中国映画の渾身の一作-

『 17歳の瞳に映る世界 』 -学校の教材にすべき傑作-

Posted on 2021年8月3日 by cool-jupiter

17歳の瞳に映る世界 80点
2021年7月31日 大阪ステーションシティシネマにて鑑賞
出演:シドニー・フラニガン タリア・ライダー セオドア・ペレリン
監督:エリザ・ヒットマン

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原題は”NEVER RARELY SOMETIMES ALWAYS”、「決してない、ほとんどない、時々ある、常にある」の意味である。この原題がいったい何を意味するのかが分かるシーンは2021年屈指の名シーンであり、多くの男性を慄然とさせることだろう。

 

あらすじ

17歳のオータム(シドニー・フラニガン)は妊娠してしまう。同じスーパーでアルバイトをしている従妹のスカイラー(タリア・ライダー)は、バイト先の金を着服して、中絶のために保護者の同意が必要ないニューヨークに向かうが・・・

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ポジティブ・サイド

中絶をテーマにした作品には『 JUNO ジュノ 』や『 ヘヴィ・ドライヴ 』など、ちらほら作られてきた。特にアメリカは北部と南部でpro-choice(中絶容認)派とpro-life(中絶反対)派が激しく対立する社会で、州によって中絶の可不可がくっきりと別れている。本作の主人公オータムが暮らすペンシルバニアは中絶が可能。しかし、保険証を使うと両親に請求が行ってしまい、中絶手術が露見してしまう。それを避けたいオータムと、彼女を見守るスカイラーの旅路が本作のメインを占める。言ってみればロード・ムービーなのだが、その旅路の中で(いや、旅路の前でも)彼女たちが目にする世界には、色々と考えさせられるものがあった。

 

冒頭、何らかのイベントのステージで、次々に皆が歌を歌っていく。その中でオータムがギターの弾き語りを披露する中、客席からは”Slut!”という罵声が飛ぶ。通常の映画なら「なるほど、この声の主がオータムのロマンスの相手か、または恋路を邪魔する男なのだな」と感じるところなのだが、オータムはレストランで自分をまったく気にかけない父親を無視し、罵声を浴びせてきた相手の男の顔面に水をぶちまける。無表情ではあるが、激情型であることを明示する。

 

バイト先のスーパーでも無遠慮な男性客にセクハラ丸出しの店長と、17歳の瞳に映る世界には『 SNS 少女たちの10日間 』に出てくるような sexual predator が数多く生息していることが分かる。しかし、ここまでなら「とんでもない男がいるもんだな」で話は済む。

 

問題はこの先で、ニューヨークのクリニックで中絶に際してのカウンセリングをオータムが受けるところ。原題にある”Never, Rarely, Sometimes, Always”という表現のいずれかを使って、質問に答えるシーン。BGMもなく、音響効果も視覚効果もなく、ただただ役者の演技だけを淡々と映し続ける。ただそれだけであるにもかかわらず、胸が締め付けられてしまう。17歳にしてはオータムの性経験が豊富だなと感じるからではない。邦題にある通り、『 17歳の瞳に映る世界 』は決して安住できる世界ではないからだ。質問に対して言葉を詰まらせるオータムの姿の向こうに、色々な男性の姿が想起されてくるのだ。

 

このシーン、男性諸賢はよくよく噛みしめられたい。「そうか、なかなかしんどい関係を持ってきたんだな」で終わらせてはならない。このシーンを自分とパートナーの関係に置き換えて鑑賞しなければならない。たとえば自分の恋人に「いいでしょ」とか、「え、ダメなの?」とか、「大丈夫だから」とか、優しい口調で、しかしプレッシャーを与えるような言葉を発したことがない男性はどれくらいいるだろうか。よくよく自分の胸に手を当てて考えてみてほしい。

 

オータムの良き理解者であり従妹であり親友でもあるスカイラーだが、二人の距離感はなかなかに複雑だ。日本の少女漫画のようなあからさまなケンカと、お約束の仲直りなどはそこにはない。くっつきすぎず、しかし離れすぎず。道中のバスでアダム・ドライバー的な顔立ちの男がちょっかいを出してきて、これがスカイラーとなかなか良い感じになってしまう。17歳の女子など機会があればアバンチュールしてしまうものだが、こうした展開が逆にリアリティを増している。しかもこの男、下心丸出しでありながら、普通にgood guyでもある。10代の男の性欲など、鳩や犬のようなものだが、それをある意味で上手に利用するオータムとスカイラーも、搾取されるだけの弱い女子ではない。

 

特に大きな事件もない。大きな人間関係の進展や破綻もない。どこまでも淡々とした物語である。だからこそ、実は世界のどこかで常にこうした物語が現在進行形で進んでいるのではないか。そのように思わされた。

 

ネガティブ・サイド

最初のクリニックからの二度目の電話はどうなったのだろうか?

 

ラストの余韻をもう少し長く味わわせてほしかった。『 スリー・ビルボード 』のエンディングも素晴らしいものがあったが、個人的にはもう20~30秒欲しかった。本作も同じ。もう数秒から数十秒でよいので、オータムの表情にカメラに捉え続けてほしかったと思う。

 

総評

一言、大傑作である。Jovianはこの夏、多くの日本の中学生、高校生、大学生たちに本作を観てほしいと心底から願う。女子同士で鑑てもいいし、カップルで鑑賞するのもありだろう。エンタメ要素は皆無だが、これほどまでに観る者の心を打つ作品には年間でも2~3本しか巡り合えない。本作は間違いなくその2~3本である。映画ファンならば、チケット代を惜しんではならない。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

positive

様々な意味を持つ語だが、ここでは「陽性」の意味・用法を紹介する。本作では妊娠検査の結果を指してpositive = 妊娠している、という意味で使われているが、現実の世界でも毎日のように市井の一般人から有名人までコロナ陽性者が報じられている。英語では「彼はテストの結果、コロナ陽性となった」=”He tested positive for corona.” のように表現する。テストの結果、陰性であると判明した場合は、”test negative”となる。ちょうど五輪たけなわであるが、ドーピング検査などでも同様の表現を使うので、英字新聞を読む人なら既によく知っている表現だろう。受験生なども今後は必須の語彙・表現になるのではないか。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2020年代, A Rank, アメリカ, シドニー・フラニガン, セオドア・ペレリン, タリア・ライダー, ヒューマンドラマ, 監督:エリザ・ヒットマン, 配給会社:パルコ, 配給会社:ビターズ・エンドLeave a Comment on 『 17歳の瞳に映る世界 』 -学校の教材にすべき傑作-

『 まちの本屋 』 -尼崎市民、観るべし-

Posted on 2021年6月13日 by cool-jupiter

まちの本屋 80点
2021年6月9日 シアターセブンにて鑑賞
出演:小林由美子 小林昌弘
監督:大小田直貴

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Jovianは尼崎市民である。最寄り駅はJR立花駅ではないが、あの辺は散歩コースだったりする。小林書店は一時期、書籍界隈で有名だったが、なんとドキュメンタリー映画まで。アマが舞台とあっては観るしかない。

 

あらすじ

兵庫県尼崎市のJR立花駅前商店街にほど近い小林書店。そこは小林由美子と小林昌弘の夫婦が経営するまちの本屋である。出版不況や大手書店への集約、外資も参入してくる中、小林夫妻は本を配達し、本以外も売り、イベントを企画・実行し、地域に根を下ろしていて・・・

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ポジティブ・サイド

関西、特に大阪のおばちゃんは何故か子どもに飴ちゃんをあげる習性がある(飴ではなく飴ちゃんである。この違いが分かれば生粋の関西人だろう)が、小林由美子氏もやはり書店にやってくる子どもに飴ちゃんを渡してやる。Jovianはこの時点で引き込まれてしまった。これはただの本屋ではないと直感した。書店のすぐ外にはベンチがあり、子どもたちはそこでサンドイッチを食べたりもしている。本屋であるだけではなくコミュニティの憩いの場になっているのだ。そのことが冒頭のわずか数分でこれ以上なく分かりやすく伝わってきた。

 

『 けったいな町医者 』が往診を第一に心がけていたように、小林さんも書籍の配達に精を出しておられる。我々は本を買いに行くことに慣れている。しかし、飲食店や理髪店などの商売をしているところでは、店員が店を離れて本を買いには行けない。お客さんを逃してしまうかもしれないからだ。かといって雑誌や漫画のない飲食店や散髪屋さんというのは味気ない。こういったところへのサービスを欠かさないのが小林書店なのだ。由美子氏はサービスに関する自身の哲学を語るが、ラテン語のバックグラウンドを持っているのかと思わされた。というか、案外持っているかもしれない。この人は間違いなく bibliophile である。

 

単にお茶屋になっているだけではない。傘を売ったりもしている。なぜ傘なのか?とも思うが、そこにはやはり1995年の阪神大震災が背景にあった。そして語られる商売の哲学。ただのアマのおばちゃんと侮るなかれ、テレビやネットでインタビューを受けている凡百の経営者よりも、よっぽど”渾身”の商売をしている。これほどの気概を持っている商売人がどれほどいるだろうかと考えさせられる。

 

見えるのは商売風景だけではない。由美子氏がいかに地域の人々と交流をしているのかも具に映し出される。本の配達だけではない。逆に色々なものを受け取っているのだ。小林書店で入荷している本の中には『 週刊プレイボーイ 』もあれば『 週刊金曜日 』もある。聖教新聞社出版局の本も扱っている。思想信条ではない。地域で売れるからだ。こういう雑誌や書籍が等しく売れてしまうのが尼崎らしく、なおかつそれを売ってしまうところが尼崎人らしいではないか。人間関係、その距離が適度なのだ。

 

関係と言えば、小林昌弘氏の妻への接し方に見習うところがある男性諸賢は多いのではないだろうか。妻に敬語で話すのだ。理由は直接劇場で確かめられたし。あるいは近隣の人なら直接書店に出向いてもいいのかもしれない。

 

ビブリオバトルのシーンは面白い。Amazonのレビューのかなりの割合がサクラだということがニュースになったが、ビブリオバトルにはサクラもなにもない。いや、サクラもいるかもしれないが、それで売れる本は数冊ほど。だったらサクラを雇う人件費の方が高くつく。こうしたビブリオバトルのようなイベントは、もっと色んな書店も勇気を出してやるべきだろう。Make hay while the sun shines. Strike while the iron is hot. Jovianもいつかビブリオバトルをやってみたい。

 

ナレーションもなく、特別な視覚効果も効果音もBGMもなく、淡々と小林書店の日々を映し出すだけのカメラワーク。画面を通じて浮かび上がってくるのは書店をめぐるビジネス環境の悪化。近隣のお店が跡継ぎがおらず閉店していく様や、昔ながらのカフェのギャルソンが後期高齢者ぐらいに達しているところもカメラは捉えている。しかし、この書店は大丈夫だ。この街は大丈夫だ。そう感じさせてくれた。その絶妙な仕掛けを体験したい人は劇場へ行こう。

 

ネガティブ・サイド

返本するシーンが本作でも出てくる。漫画『 まんが道 』で知ったシステムが21世紀になっても続いていることにびっくりしてしまう。ただ、時代の流れによって消えていくまちのお店、その中で地域にしっかりと根を張って生き続けている書店というコンセプトが、この返品シーンのせいでちょっと薄れてしまった。変わりゆく時代と変わらないシステム。ここの齟齬が少し気になった。

 

途中の喫茶店のシーンから数分間ではあるが画面上部が歪んだのは、劇場のスクリーンの問題ではないようだが・・・

 

総評

『 けったいな町医者 』に続く、けったいなまちの本屋のおばちゃん&おじちゃんの話である。尼崎という工都・商都の落日の中、奮闘する本屋というだけの話ではない。ビジネス・モデルとして参考にできるものあり、人生訓あり、夫婦仲を保つ秘訣あり。つまり、人生なのである。別に尼崎でなくとも、こういう本屋は日本の色んな所にあるだろうし、現に『 騙し絵の牙 』で紹介したREBEL BOOKSのコンセプトは小林書店に近い。それでも本作は多くの人に観てほしい。人の生き様はこんなにかっこいいのである。尼崎市民なら must watch だろう。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

bookstore

「本屋」の意。これはアメリカ英語。ブリティッシュ・イングリッシュではbookshopと言う。が、どちらの国でどちらの語を使っても問題なく通じる。どちらが米語でどちらが英語か分からなくなったら『 マイ・ブックショップ 』の主演はエミリー・モーティマーだったな、と思い浮かべよう。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ドキュメンタリー, 小林昌弘, 小林由美子, 日本, 監督:大小田直貴Leave a Comment on 『 まちの本屋 』 -尼崎市民、観るべし-

『 JUNK HEAD 』 -奇才の誕生-

Posted on 2021年6月9日 by cool-jupiter

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JUNK HEAD 85点
2021年6月5日 第七藝術劇場にて鑑賞
出演:堀貴秀
監督:堀貴秀

 

ずっと気になっていて、しかし仕事も休めないのでなかなか観に行けなかった作品。七藝に感謝である(大阪府知事には感謝しない)。2021年の作品と読んでいいのかどうかわからないが、今年最高レベルのインパクトをJovianに与えてくれた。

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あらすじ

未知のウィルスにより人口が減少した未来世界。テクノロジーにより人類は超長寿を得たが、生殖能力を失ってしまった。大昔に地下世界を探索させていた人工生命体マリガンに生殖能力がある可能性が確認された。調査のためパートン(堀貴秀)は地下世界に降りていくが、マリガンにより撃墜される。気が付くと、彼の頭部はマリガンによって機械の体に移植されていた・・・

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ポジティブ・サイド

まず2010年に製作開始、2017年に完成した作品ということは、完全にコロナ前ということ。2009年の新型インフルエンザの騒動にインスパイアされたというのは当然あるにしても、今という時代ほど本作の描く世界観がフィットするタイミングもそうそうないだろう。

 

オリジナリティがあるかと言われれば、答えはイエスでありノーである。冒頭の物語は誰にも意味が分からないが、これはジェームズ・P・ホーガンの小説『 星を継ぐもの 』と同じ構成。主人公のパートンはいきなり爆殺されるわけだが、そこから義体とも言うべき体を手に入れるまでの展開はまんま『 ロボコップ 』+『 攻殻機動隊 』+『 アリータ バトル・エンジェル 』である。広大な未知の領域で特定の遺伝子を探し求めて放浪するのは『 BLAME! 』のキリイそっくり。地底世界で出会う様々なマリガンはH.G.ウェルズの『 タイムマシン 』的な世界観を彷彿させるし、そのマリガンの造形も『 エイリアン 』のゼノモーフをモチーフに、ゲームかつ映画の『 サイレントヒル 』のクリーチャーを足したもの・・・などなど、どこかで観た作品のパッチワークで全編覆いつくされている。にもかかわらず、古い革袋に新しい酒である。何が新しい酒かと言えば、ストップモーション・アニメである。

 

ウィリス・オブライエンやレイ・ハリーハウゼンの時代ならともかく、21世紀という時代、高性能なコンピュータを個人が廉価に購入できる時代、パソコンというプラットフォーム上で一個人がYouTuberという映像作家になれてしまう時代に、ストップモーション・アニメである。それも一人で。常軌を逸した量の作業量である。しかし、そうした孤独で単調な作業に没頭できる才能を堀貴秀が持っていた。そのことに胸を打たれる。

 

考えてみれば、一昔前まではCGと言えば粗いものだった。『 ジュラシック・パーク 』を映画館で初めて見たときは圧倒されたものだが、今の目で見れば露骨なまでにCGである。しかし、『 ライオンキング 』や『 ウォーリー 』ぐらいのクオリティになるとCGはCGでも、それがCGであると脳が意識していないと、CGであることが意識しにくい。このペースで行くと2030年には、もはや実写とCGの区別がつかなくなるのではないか。そんな時代だからこそ、たとえば『 ガメラ 大怪獣空中決戦 』のような着ぐるみと特撮が我々の目にはこの上なく新鮮なものに映る。そこへストップモーション・アニメで構築された未知のウィルスが跋扈するサイバーパンクな世界である。単なる懐古主義ではなく、まさに現代のリアルな一側面を切り取るという意味で、CGではない表現手段が必然であったかのように思えてくる。

 

全編を通じてサイバーパンクな雰囲気に覆われているが、それを感じさせないコミカルさも大いに感じさせられる。わかりやすい例として、男性器のシンボルと糞便が挙げられる。また謎の関西弁を操る詐欺師キャラに、肝っ玉母ちゃん的キャラ、おべんちゃらばかり言うキャラなど、マリガンたちの生態は人間と何一つ変わらない。世界が変わっても人間の本質は変わらないし、人間が人工生命体であるマリガンと変わらないということは、人間自体も人工生命体である可能性を示唆しているように感じた。

 

広大な世界とそれを上回る広大な世界観。それを文字通りに質感ある形で視覚化した労作。パートンとマリガンたちをめぐる物語世界を今こそ体験してほしい。

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ネガティブ・サイド

全体的にキャラクターの話す音量が小さいと感じた。ただでさえ誰もかれもが低周波音域で話していて聞き取りづらかったので、ここは次作で改善してほしいところ。

 

ラスボス的な変異マリガンも少し小さいと感じた。もう1.5倍くらいの大きさであれば正真正銘の化物になる。また、この変異マリガンが、たとえばデスワームを引きちぎって食べてしまうというような描写があれば、ボスキャラとしてもっと説得力を持ったことだろう。

 

総評

続編が待ち遠しい。その一方で、これだけのクオリティの作品を作ってしまったのだから、もういいだろうという気もする。しかし堀氏は仕事もやめて、作品作りに邁進しているらしい。もう、とことんまで好きにやってくれ。日本はこういう類の奇人変人をもっとサポートしなければならない。そのためにも劇場鑑賞できる人は劇場鑑賞してほしい。そしてパンフレットもぜひ購入されたし。本作は映画受難の2021年において必見である。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

God is dead.

近代ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉として有名な「神は死んだ」の英訳。正しくは「神は死んでいる」なのだが、まあ、そこはいいだろう。”God is dead. God remains dead. We have killed him” =「神は死んだ。神は死んだままだ。そして我々が神を殺したのだ」というのは非常に有名な quote なので、丸暗記してしまおう。

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Posted in 国内, 映画Tagged 2010年代, A Rank, SF, アニメ, 堀貴秀, 日本, 監督:堀貴秀, 配給会社:ギャガLeave a Comment on 『 JUNK HEAD 』 -奇才の誕生-

『 ビューティー・インサイド 』 -韓流ファンタジーの秀作-

Posted on 2021年5月18日 by cool-jupiter

ビューティー・インサイド 80点
2021年5月15日 Amazon Prime Videoにて鑑賞
出演:ハン・ヒョジュ イ・ドンフィ
監督:ペク

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ファンタジーといっても剣と魔法と竜の世界ではない。実験的なラブロマンスと言った方が正しいかもしれない。ハン・ヒョジュの魅力が存分に堪能できるが、それ以上に恋愛や人間関係の本質についての深い考察がある。

 

あらすじ

キム・ウジンは18歳の頃から、寝て起きるたびに顔かたちが変わってしまうようになった。以来、人と会うことができず、交流があるのは母親と親友のサンベク(イ・ドンフィ)だけ。家具のデザイナーとして、ネットを使ってビジネスで生計を立てていた。ある時、家具屋で働くイス(ハン・ヒョジュ)に一目惚れしたウジンは、彼女にふさわしい顔になるのを待って、イスをディナーに誘うが・・・

 

ポジティブ・サイド

ハン・ヒョジュがひたすらに魅力的である。ドラマ『 トンイ 』は全話リアルタイムで観たが、ドラマよりも映画の方が映えるように思う。びっくりするような美人ではないが、いつまでも眺めていたくなる美しさがある。どこか上流階級の匂いを放っているが、嫌味なところが一切ない。Jovianも大昔のガールフレンドに「女の子はいつも不安でいっぱいなんだぞ」と説教されたことがあるが、そうした不安を表す表情も素晴らしいと思う。ハン・ヒョジュを指して清純派女優と評する日本の映画レビューサイトやライターが多いが、何か思い違いをしているように思う。濡れ場を演じないのが清純派ではない。濡れ場を演じても、色気よりも美しさや気高さを感じさせる。清純派とは、そういう女優を指す。その意味では、ハン・ヒョジュは『 ただ君だけ 』でも本作でも証明したように、間違いなく清純派であろう。まあ、濡れ場といっても肝心なところは何も見えない非常にソフトな描写なんだけれどもね。

 

他の主要キャラとしては、ウジンの親友のサンベクがクッソ面白い。邦画のロマンスでは、主人公の男の親友は往々にして物分かりの良い理解者で、非常に清い友情を保っている。だが、このサンベク。中年おばちゃんになってしまったウジンとの会話で、「俺の好きな日本の女優は?」と問い、しかもその答えが「蒼井そら」。笑うしかない。さらに、ウジンとイスのALX事務所でのお寿司デートの現場で、ラブチェアを揺らしながら「やめて、やめて」と日本語で言う。こんなん笑うしかないやん。しかし、この男、バカではない。親友をイスに取られたことの悔しさを隠そうとしない男らしさがある。本物の友情がある。そして、イスに対して本当自分が感じていることを告げるだけの度胸と、イスにどう思われても構わないというだけの度量がある。なぜ邦画はこういう脇役を生み出せないのか。

 

順調に見えたウジンとイスの関係だが、ちょっとしたことをきっかけに綻びが生まれてしまう。だが、ウジンは男というアホな生き物なので、不安な女子であるイスの気持ちが分からない。このあたりのすれ違いには純粋に胸が痛くなる。『 ただ君だけ 』でも、終盤にハン・ヒョジュが主人公に気づかずに行ってしまうという、胸が潰れそうになるシーンがあるが、本作はそれをなぞっている。いや、ある意味では『 ただ君だけ 』以上に辛く悲しい。なぜなら、ウジンには顔がなく、イスもウジンの顔を思い出せないから。触ったり、声を聴いたりしたら認識できるわけではないということがウジンの悲劇性を高めている。

 

しかし、よくよく考えてみれば、我々の顔だって年月とともに変わる。20歳と40歳で全然違う顔になっている者もいれば、40歳と70歳で別人になる者だって珍しくない。人を愛するとは、人を愛することであって顔を愛することではない。『 君の名は。 』で少し述べたが、夫婦とはお互いにしか通じないジェスチャーやパロールを作り上げる過程と言えなくもない。そういう意味で、ウジンとイスの関係は、恋人同士よりも夫婦になってこそ輝くものであるように思う。これは素晴らしい恋愛ファンタジーだ。

 

ネガティブ・サイド

素朴な疑問として、ウジンはどうやって運転免許を取ったのだろうか。18歳で寝るたびに顔が変わってしまうようになったというが、その時は制服を着ていた。つまり高校生だったわけで、車の免許はいつ取ったのだろう。何かそのあたりの描写が欲しかった。

 

終盤でウジンは韓国の外に行ってしまうわけだが、パスポートはどうやって取得したのか。日本ではどんなに早くても申請から受け取りまでは1週間はかかるはず。韓国は1~2日で発行されるのだろうか。仮に同じ顔で受け取れたとしても、渡航先のチェックをどうやって潜り抜けたのだろうか。国内のどこか別の都市で良かったのではないかと思う。

 

総評

韓国映画の極端さが良い方向に出た秀作。超極端な設定ながら、人間関係・男女関係の普遍的な芯は外していないという丁寧なつくり。主役を100人以上が演じながら、違和感を抱かせない演出力。日本ネタや日本語セリフもあるので、韓国映画ファンのみならず、邦画ファンにも堪能してほしい。若いカップルの巣ごもり鑑賞にも適しているし、ベテラン夫婦も大いに楽しめるはずだ。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

There’s no one here by that name.

「ここにそのような名前の者はおりません」の意。電話での応答にも使える。ついつい with that name と言いたくなってしまうが、こういう場合の前置詞は by である。 go by the name of  ~ =「~という名前で通っている」または go by the nickname of ~ =「~というニックネームで通っている」というような時にも by を使う。

 

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Posted in 映画, 海外Tagged 2010年代, A Rank, イ・ドンフィ, ハン・ヒョジュ, ファンタジー, ラブロマンス, 監督:ペク, 配給会社:ギャガ・プラス, 韓国Leave a Comment on 『 ビューティー・インサイド 』 -韓流ファンタジーの秀作-

『 ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒 』 -怪獣は敵か味方か-

Posted on 2021年4月24日 by cool-jupiter

ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒 80点
2021年4月17日 梅田ブルク7にて鑑賞
出演:中山忍 藤谷文子 前田愛 螢雪次朗
監督:金子修介

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平成ガメラ三部作のフィナーレ。梅田ブルク7は good job である。単なる特撮怪獣映画としてだけではなく、怪獣が存在することの意義、怪獣が人類にとってどのような存在なのかにまで踏み込んだ作品として、邦画史に残るべき作品だろう。

 

あらすじ

比良坂綾奈(前田愛)はガメラとギャオスの戦いのせいで両親を亡くして以来、ガメラを憎んでいた。引っ越した先の奈良の洞窟で見つけた謎の生物に「イリス」という名前をつけた彼女は、イリスにガメラを倒してほしいと願うようになる。しかし、イリスは実はギャオスの変異体で、綾奈と融合しようとして・・・

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ポジティブ・サイド

ゴジラであれウルトラマンであれ、街中で大暴れはするものの、人的被害について直接的に描かれることは、非常に稀だった。だからこそ初代『 ゴジラ 』や『 ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃 』は傑作だと言える。特に『 ゴジラ 』で母親が娘に「もうすぐお父さんに会えるのよ」と語りかけ、建物の崩落とともに従容として死んでいく様はトラウマものである。怪獣が大暴れすることによって遺児になってしまった綾奈の姿は、阪神大震災や東日本大震災を下敷きに見ると、また新たな感慨をもたらす。

 

公開当時も今もすごいと感じたのは、渋谷のガメラ。昭和ガメラも平成ガメラも、どこか穏やかさを湛えた顔つきだったガメラが、ギャオスへの憎悪や闘争心を隠そうともしない形相になっていたのは、劇場公開時に大学生だったJovianの心胆を寒からしめた。このガメラの顔つきは個人的にはガメラ史上ナンバーワンで、GMKの白目ゴジラに次ぐ怖さであると確信している。

 

人間パートも悪くない。飼い猫のイリスの名前を謎の卵からかえった生物につけてしまうあたり、陰影のある綾奈というキャラの小女性や孤独、さみしさを間接的に描けている。田舎の閉鎖性も妙にリアルだ。地味に奈良vs京都、つまり仏教vs神道の構図にもなっている。ギャオス/イリスは外来の異種で、ガメラは産土神の謂いなのかもしれない。このあたり、GMKの護国聖獣が日本人を殺しながら日本の国土を守ろうとしたように、怪獣は生物個々の守護者/破壊者ではなく、生態系のバランスを取る存在という解釈にスムーズにつながっていくように思う。

 

倉田と朝倉の世界観/怪獣観にもなかなか考えさせられる。地球の意思が、増えすぎた人間の数を減らそうとしているという考え方はコロナ禍の今を見越していたようにすら感じられる。世界各地で大量発生するコロナと世界各地で大量発生するギャオスが重なって感じられた人は多いことだろう。イリスがギャオスの変異体であるというのも、変異株によって大打撃を受けている兵庫・大阪地域のJovianには、考えさせられるものがある。

 

そのイリスの造形の荘厳さは『 ガメラ2 レギオン襲来 』のレギオンを超えると思う。やはり同時代の『 新世紀エヴァンゲリオン 』に使徒として出現してもおかしくない造形美である。ふわりと雲の上に姿を現すイリスの姿は禍々しく、同時に神々しい。ウネウネ系の触手で年端もいかない少女と融合しようとするところは、当時は特に何も感じなかったように記憶しているが、今の目で見ると気持ち悪いことこの上ない。そんな邪神イリスがガメラと激闘を繰り広げ、京都駅ビルという伝統と進歩の象徴を破壊するシーンは、『 モスラ 』における国会議事堂を彷彿させる。ガメラという子どもの味方であったはずの怪獣の破壊者としての側面にフォーカスし、シリアスなドラマでありながらも特撮怪獣映画の醍醐味も保っている。前作では緑色の血しぶきをまき散らしながら飛んでいく様が衝撃的だったが、今作ではそれを上回るグロ描写もあり、小片少女向けの作品には仕上がっていない。怪獣映画としてだけではなく邦画というジャンルにおいても、平成ではかなり上位の作品でありシリーズであると感じる。

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ネガティブ・サイド

人間パートが綾奈の物語に集中しすぎで、中山忍、藤谷文子らの出番というか存在意義が少々弱い。中山忍は鳥類学者・生物学者としての見識を披瀝して倉田や朝倉に対抗すべきだったし、藤谷文子も怪獣と心通わせることがどういったものなのかについて、眠っている綾奈に切々と語りかけるようなシーンが欲しかったと思う。螢雪次朗の見せ場も少なかった。

 

前作、前々作と比べて、ポリティカル・サスペンスとしての要素が薄れてしまった。嫌味な審議官がコミック・リリーフになってしまったのは少々残念だった。

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総評

『 ゴジラvsコング 』が無事に国内でオンタイムに公開されるのかどうか怪しくなってきたが、怪獣映画の人気やその需要は間違いなく高まっている。本作では玄武(ガメラ)と朱雀(イリス)の戦いが描かれた。白虎と青龍はいずこ。敵としても味方としても登場できる余地が残っている。『 ゴジラvsガメラ 』を実現させる制作者及びスポンサーは現れてくれないものか。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

a natural enemy

天敵の意。増えすぎた人口を減らすためにギャオスが存在するという仮説は、なかなかに示唆的である。2020年、コロナ対策に社会経済活動を停止させた結果、インドや中国、ロシアやアメリカで空気や水が一時的にせよ浄化されたという報道があったことは記憶に新しい。コロナは地球が生み出した人類の natural enemy なのかもしれない。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 1990年代, A Rank, 中山忍, 前田愛, 怪獣映画, 日本, 監督:金子修介, 藤谷文子, 螢雪次朗, 配給会社:KADOKAWALeave a Comment on 『 ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒 』 -怪獣は敵か味方か-

『 けったいな町医者 』 -超高齢・多死社会への眼差し-

Posted on 2021年3月7日 by cool-jupiter

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けったいな町医者 80点
2021年3月6日 塚口サンサン劇場にて鑑賞
出演:長尾和宏
監督:毛利安孝

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我が町・尼崎のけったいな町医者にフォーカスしたドキュメンタリー。監督の毛利安孝は『 樹海村 』や『 さよならくちびる 』で助監督、『 犬鳴村 』で監督補を務めるなどした現場上がりの人。本作は現代日本への真摯なメッセージであり、このような作品が送り出されることを評価したい。

 

あらすじ

長尾和宏は勤務医時代の患者の自殺、阪神淡路大震災を経て、兵庫県尼崎市で町医者となる。医療=往診という哲学の元、痛くない死に方、在宅での看取りを追求する長尾と患者、その家族の奮闘の日々が描かれる。

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ポジティブ・サイド

冒頭から、医療=往診であるという文言がスーパーインポーズされる。つまり、それこそが本作が一番に訴えたいメッセージだということだ。確かに我々は病気や怪我をすると、医者のところに行くということを当たり前だと感じている。しかし、それは実は違うのではないか。医師こそが患者の元に出向くべきではないのか。それこそがドクター長尾の意思である。

 

劇中で長尾医師は、現代日本の医療の根本を覆すような過激な言動を見せる。その一つが「製薬会社に魂を売ってない大学教授がいたら見せてくださいよ」というものである。大学教授の講演=薬の宣伝であると厳しくは批判しているのだ。政府や大企業に忖度など一切せず、歯に衣着せぬその言動は痛快である。誰もがうすうす「こんなに薬が必要なのかな?」と思っているが、誰もその疑問を口に出せない。医師という職業は権威だからだ。「そんなことはない、医者もただの人間だ」と思う人もいるだろうが、そうした人も「はい、では呼吸と心臓のチェックをします」と言われれば、服を上げて裸の胸を晒すし、「おなかの調子は?」と聞かれれば、便の状態などを話したりもする。警察や弁護士も権威だが、服を脱いだり、排せつ物の話をしたりはしないだろう。それこそが医師の権威というものである。ところが長尾医師は、権威の象徴たる白衣を一切着ない。その理由は本編を観てもらうとして、この町医者は患者を患者としてではなく、まず人間として看る。

 

コロナ禍の最中の今の目で見ると信じられないほどに、長尾医師は患者に触れる。それは患者の手だったり、顔だったり、腕だったり、肩だったりと様々だ。もちろん触れることによって得られる医学的な知見(脈拍や体温など)もあるからだろうが、それよりも目の前にいる人間を患者ではなく“人間”として見ているからだろう。長尾医師は舞台挨拶で「どうか人間を好きになってほしい」とおっしゃった。その通りのことを実践していた。『 人生、ただいま修行中 』でも述べたが、Jovianはかつて看護学生だった。そこで「304号室の胃がんだけど、~~~」のように、患者を名前ではなく病名で呼ぶ医師や看護師をちらほら見たのである。これは日本中の病院で観察される日常の一コマであると思われる。長尾医師の診療風景はかなり変わっている。診察を受けたことがある人なら誰でも、医師の第一声は「今日はどうされましたか?」だと感じている。長尾医師は症状などは尋ねない。ひたすら自分のことを語る。あるいは患者さんと家族の関係について語り、またそのことを尋ねる。最後の最後に体調や症状を聞いたり、今後の治療について話す。普通の診療とは全然違う。

 

長尾医師が追い求める平穏死についても劇中で描写される。死にたてホヤホヤの人も出てくるので、そこは事前に注意が必要かもしれない(決してグロい死体ではない)。本作で描かれるのは、死=敗北という価値観ではなく、死=生の成就という価値観である。今も訪問看護師として働くJovianの母は「人は生きたように死ぬ」と言う。あっさりと生きてきた人はあっさりと死ぬ。粘り強く生きてきた人は粘り強く死ぬ。前者はJovianの父方の祖母で、後者はJovianの母方の祖母がそうだった。本作ではある人の死が直接的に描かれるが、そこでは是非その方の背景情報を思い出してほしい。Jovianは、その死に様にその方の生き様が現れているように感じた。

 

多死社会であり、医療崩壊も現実に起きることが立証された時代である。在宅医療、終活、看取り。現代日本がヒントにすべき医療と死の問題への対処法の一端がここには描かれている。多くの人に鑑賞いただきたい労作である。

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ネガティブ・サイド

A Downtown Doctorという英語タイトルには感心しない。まず尼崎はダウンタウンの出身地ではあっても、いわゆる英語のdowntownではない。英語のdowntownはビジネスや商業の中心地のことで、長尾先生はそうしたエリアで働いているわけではない。いや、阪神尼崎周辺は確かに尼崎の中ではdowntownだが、それをdoctorに冠してしまうと、作品の持つメッセージが薄まる、というか誤解されてしまうだろう。海外セールス担当者は、もっと専門家と協働しないと。

 

長尾医師を指して「規格外の人」と、ある人物が評すシーンがあるが、このような第三者視点がもう少しだけ必要だったと思う。クスリの量や数を減らしたことで状態が良くなったという患者、あるいは家族の声などを聴くことができれば、現代の医療体制批判のメッセージがより強くなり、長尾医師のけったいさがもっと強調されただろう。

 

総評

劇場前が人でごった返していたびっくりしたが、初回も満員、Jovianが観た2回目の舞台挨拶付き上映も9割の入りだった。塚口サンサン劇場にこれほどの人が集まるのはいつ以来だろう。もちろん地元が舞台ということもあるのだろうが、実際に劇場に来ていた人の多くは、家族を長尾医師に看取ってもらった方々なのではないかと思う。あまり感心しないが、映画の台詞を先に言ってしまうおばちゃん(本人?)あり、「ああ、あん時は確かにこうやったわ」と独り言ちるおばあちゃんありと、当事者だらけでしゃべりまくりという異例の映画体験だった。コロナ禍の中、あまり感心はしないが、臨場感のある作品に仕上がっているということである。尼崎市民ならずとも必見のドキュメンタリーである。

 

Jovian先生のワンポイント英会話レッスン

The People’s Doctor

町医者というのは辞書ではgeneral practitionerだと記載されていることが多いが、感覚的にはtown doctorだろうと思う。Jovianは長尾医師が自身を指して言う町医者の英訳語に“The People’s Doctor”を用いたい。モハメド・アリやマニー・パッキャオといったボクサーが“The People’s Champion”と呼ばれていた、そして今でも呼ばれているのは、彼らが市井の人々に寄り添ってきたからに他ならない。長尾医師にもそうした寄り添いを強く感じるからこそ、このように呼称したい。

 

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Posted in 国内, 映画Tagged 2020年代, A Rank, ドキュメンタリー, 日本, 監督:毛利安孝, 配給会社:渋谷プロダクション, 長尾和宏Leave a Comment on 『 けったいな町医者 』 -超高齢・多死社会への眼差し-

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